如月 小春(きさらぎ こはる、本名:楫屋 正子〈かじや まさ… 如月 小春(きさらぎ こはる、本名:楫屋 正子〈かじや まさこ〉、出生名:伊藤 正子、1956年2月19日 - 2000年12月19日)は、劇作家、演出家、エッセイストである。東京都杉並区出身。東京女子大学文理学部哲学科卒業。 1970年代後半から劇作家・演出家として活動し、野田秀樹・渡辺えり子らとともに小劇場第三世代の旗手として注目された。また、エッセイストとしての著作も多く、司会者・コメンテーターなどとしてもテレビにも出演していたほか、アジア女性演劇会議実行委員長・日本ユネスコ国内委員会委員・兵庫県立こども館演劇活動委員・立教大学講師なども歴任した。 小学校時代を中野区の哲学堂公園付近、中学・高校時代を武蔵野市の成蹊中学校・高等学校で過ごし、その間、同校と交換留学制度のあるオーストラリアのニューサウスウェールズ州カウラ高等学校に留学した。
高橋 知伽江(たかはし ちかえ、1956年 - )は、日本の… 高橋 知伽江(たかはし ちかえ、1956年 - )は、日本の劇作家、翻訳家。新潟県新潟市出身。 東京外国語大学ロシア語学科卒業。劇団四季、新神戸オリエンタル劇場を経て、1997年よりフリーランスで演劇台本の執筆、翻訳、訳詞などを手がけている。 2011年、ノエル・カワードによる戯曲『秘密はうたう A Song at Twilight』『出番を待ちながら』の翻訳により第4回小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞。2013年4月~2017年3月、水戸芸術館演劇部門芸術監督。 2016年第23回読売演劇大賞優秀スタッフ賞受賞(劇団四季『アラジン』の訳詞) 2003年夏以前に上演されたものは、本名(高橋 由美子)で発表されている。
岡本 螢(おかもと ほたる、女性、1956年 - )は、劇作… 岡本 螢(おかもと ほたる、女性、1956年 - )は、劇作家、脚本家、漫画原作者、作家。東京都中央区日本橋出身。なお、岡本蛍という表記は誤りである[疑問点 – ノート]。 日本大学藝術学部演劇学科卒業。1975年、19歳の時に「半変化束恋道中」でテアトル・エコー創作戯曲募集入選。 江戸を舞台としたミュージカル作品を発表し劇作家として活躍。その後はテレビ・ラジオドラマの原作脚色にも携わる。 1992年、映画化された代表作『おもひでぽろぽろ』で日本アカデミー賞特別賞受賞。 読売演劇大賞の選考委員を務めた。 伊東四朗 - えなりかずき - 魁三太郎 - 桜金造 - 重田千穂子 - 前田吟 - 杉浦日向子 石原詢子 - 香西かおり - 伍代夏子 - 坂本冬美 - 長山洋子 - 藤あや子 浅茅陽子 - 篠田拓馬 - 竹下景子 - 野川由美子 - 松金よね子 - 由紀さおり 井上頌一 - 海老原靖芳 - 大橋泰彦 - 岡本螢 - 小澤寛 - 数原晋 - 清水東 - 滝大作 - 藤野浩一 捨てられて - みれん酒 - 夜桜お七 コメディー道中でござる - NHK総合 瀬川瑛子 - 田川寿美
野田 秀樹(のだ ひでき、1955年12月20日 - )は日… 野田 秀樹(のだ ひでき、1955年12月20日 - )は日本の俳優、劇作家、演出家。多摩美術大学教授。東京芸術劇場芸術監督。朝日賞選考委員(2015年度より)。
上杉 祥三(うえすぎ しょうぞう、1955年12月14日 -… 上杉 祥三(うえすぎ しょうぞう、1955年12月14日 - )は、日本の俳優、劇作家、演出家。 兵庫県出身。甲南大学法学部卒業。オフィスPSC所属。演劇ユニット「トレランス」主宰。妻は女優の長野里美。 1981年青年座俳優養成所卒。同年に野田秀樹率いる劇団夢の遊眠社に入団。皿洗いのバイトをしながら演劇活動を続け、当時1300円のチケットだった遊眠社を日本で有数のトップ劇団へと成長させる。劇団の看板俳優として活躍。 1988年には上杉祥三プロデュースチーム結成。在団中よりシェイクスピア作品に傾倒し、1991年よりグローブ座カンパニーの座長としてシェイクスピアレパートリー公演を開始。若手随一のシェイクスピア俳優として注目される。
平田 俊子(ひらた としこ、1955年6月30日 - )は、… 平田 俊子(ひらた としこ、1955年6月30日 - )は、日本の詩人、小説家、劇作家。ブラックユーモアを多用した乾いた作風。 島根県隠岐島生まれ。父親が海上保安官であったことから、鳥取県境港市、福岡県北九州市、山口県徳山市などを転々とした。山口県立徳山高等学校、立命館大学文学部日本文学科卒業。大阪文学学校に学ぶ。1982年、「鼻茸」で第1回現代詩新人賞受賞。1998年、『ターミナル』で第39回晩翠賞受賞。1999年、「詩のボクシング 第3回世界ライト級王座決定戦」で白石かずこを破り第3代チャンピオン。2000年、舞台芸術創作奨励賞(現代演劇部門)。2001年、「甘い傷」で第45回岸田國士戯曲賞候補。
小池 修一郎(こいけ しゅういちろう、1955年3月17日 … 小池 修一郎(こいけ しゅういちろう、1955年3月17日 - )は、日本の劇作家・舞台演出家。東京都出身。慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学文学部卒業。宝塚歌劇団所属。 慶應義塾大学文学部在学中に演劇研究会で活動する。当時はアングラ演劇の旗手・唐十郎に傾倒しており、宝塚の舞台はアングラ演劇などとほぼ対極の特殊な世界と考えていたという。しかし、宝塚歌劇の東京公演を観劇する機会があり(本人は立ち見料金が安かったからと回想)、題材に合わせてスターたちが日本人にも外国人にもなりきる姿に新鮮さを感じて印象が変化、その後宝塚観劇を重ねるようになる。東京宝塚劇場で演出助手の募集広告を見つけ、大学を卒業した1977年、宝塚歌劇団に演出助手として就職を果たす。
斉木 燿(さいき よう、1955年3月 - 2014年11月… 斉木 燿(さいき よう、1955年3月 - 2014年11月)は、日本の小劇場演劇における演出家、劇作家、役者である。 演劇ユニット「morning landscape」は、1993年に結成。約20作品の上演を行った。主な上演は以下の通り。 演劇以外にも、TVドラマ・映画の脚本を執筆した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
齋藤 雅文(さいとう まさふみ、1954年9月 - )は、日… 齋藤 雅文(さいとう まさふみ、1954年9月 - )は、日本の劇作家、演出家。東京都品川区生まれ。劇団新派文芸部所属。 早稲田大学教育学部卒業後、1980年松竹株式会社傘下の劇団新派文芸部へ。1982年9月、坂東玉三郎新秋公演『白鷺』(泉鏡花原作)にて補綴台本。舞台監督、演出助手を経て、1989年6月御園座『藤のおもかげ』(菊地寛原作「藤十郎の恋」。平幹二郎、太地喜和子出演、鵜山仁演出)で初めて劇作を手掛ける。以降、商業演劇、ミュージカル、新派公演など幅広く脚本、演出を担う。2007年新作歌舞伎『龍馬がゆく・立志編』で歌舞伎の脚本を執筆、同作にて第36回大谷竹次郎賞受賞。以降、歌舞伎の脚本・演出も手掛けている。
秀嶋 賢人(ひでしま よしひと、1954年1月24日 - )… 秀嶋 賢人(ひでしま よしひと、1954年1月24日 - )は、日本の劇作家・映画監督。福岡県福岡市出身。実家は、幕末に佐賀藩でアームストロング砲の開発研究に当たった秀島藤之助の分家の一派で、祖父の代に福岡市に移り、以降も定住している。 高校演劇コンクールで博多祇園山笠の追い山を舞台にした処女作『あの河を泳ぎぬけ』で創作脚本賞を受賞する。早稲田大学在学中に「劇団回り舞台」を設立。大学卒業後、アートシアター宿を拠点に『流転』『時流』といった作品を上演した。 東宝現代劇戯曲科に入所後、演劇企画室長の渡辺保や演劇評論家の藤木宏幸、演出家の増見利清らに師事する。俳優養成所の講師の傍ら、教育・CMの企画制作会社に勤務。
西原 祐治(にしはら ゆうじ、1954年- )は、浄土真宗の… 西原 祐治(にしはら ゆうじ、1954年- )は、浄土真宗の僧、劇作家。 島根県生まれ。1978年龍谷大学卒業、築地本願寺に奉職。86年退職。1993年柏市に宗教法人「西方寺」を設立、初代住職となる。東京ビハーラ会会長、本願寺派東京教区勤式指導員、本願寺派即如門主組巡教随行講師、東京仏教学院講師、龍谷大学大学院非常勤講師、本願寺派仏教婦人総連盟講師などを歴任。現在、本願寺派布教使、本願寺監事。真宗の伝道で独自の活動を行っている。2001年版最新データ:有名講師・名物講師1000人名鑑〔発売・日本アカデミー協会【編】〕に掲載される。
中村 育二(なかむら いくじ、1953年12月21日 - )… 中村 育二(なかむら いくじ、1953年12月21日 - )は、日本の俳優、声優、演出家、劇作家。和歌山県新宮市出身。ジェイ・クリップ所属。 日本大学芸術学部写真学科卒業。 1987年、『劇団カクスコ』を結成。主宰として脚本、演出を手がける一方、役者として舞台にも立っていた。2002年に解散後は舞台、テレビ、映画と幅広く活動を続けている。 ※太字はメインキャラクター
島田 裕巳(しまだ ひろみ、1953年〈昭和28年〉11月8… 島田 裕巳(しまだ ひろみ、1953年〈昭和28年〉11月8日 - )は、日本の宗教学者、作家、劇作家、東京女子大学非常勤講師、NPO法人葬送の自由をすすめる会会長。放送教育開発センター(現メディア教育開発センター)助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。 東京都出身。1972年(昭和47年)、東京都立西高等学校卒業(同期に金田一秀穂がいた)。1976年(昭和51年)、東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業。同大学大学院人文科学研究科修士課程修了、1984年(昭和59年)、同博士課程満期退学(宗教学専攻)。宗教学者・柳川啓一の影響を強く受け、とくに通過儀礼(イニシエーション)の観点での宗教現象の分析に関心をもち、専門課程で宗教学を専攻することを決意する。
石川 裕人 (いしかわ ゆうじん、1953年9月21日 - … 石川 裕人 (いしかわ ゆうじん、1953年9月21日 - 2012年10月11日)は、日本の劇作家・演出家・シナリオライター。元「TheatreGroup"OCT/PASS"」主宰・代表。山形県東根市出身。 NHKオーディオドラマ審査員、(財)仙台市市民文化事業団評議委員(1999年から2005年まで)、「仙台劇のまち戯曲賞」選考委員(2001年から)「土井晩翠わかば賞・あおば賞選考委員(2008年から)といった役職も務めた。 高校時代から劇団を結成、役者・劇作・演出・作曲等を手がけ、執筆・演出作は100本を越える。1981年に結成した「十月劇場」は、仙台市の劇団としては初の東京を含む全国公演を成功させ、国内の演劇フェスティバルへも多数参加した。
長谷川 康夫(はせがわ やすお、1953年〈昭和28年〉6月… 長谷川 康夫(はせがわ やすお、1953年〈昭和28年〉6月12日 - )は、日本の劇作家、演出家、脚本家、映画監督。妻は女優の大橋恵里子。 北海道生まれ。銀行の管理職であった父親の転勤で、幼少期は道内各地を転々として育った。北海道札幌南高等学校卒業後、早稲田大学政治経済学部に進むが中退。向島三四郎・知念正文主宰の劇団「暫」に入団し、つかこうへいと出会う。 在学中から劇団つかこうへい事務所に属し、74年「初級革命講座飛龍伝」でデビュー。劇団「暫」に所属のまま、風間杜夫、平田満らと、つかこうへい作品のほとんどに出演。『いつも心に太陽を』、NHKドラマ『かけおち'83』で主演。また、『蒲田行進曲』のヤスのモデルとして知られ、経歴等のキャラクター設定は長谷川のそれから取られている。
北村 想(きたむら そう、1952年7月5日 - )は、日本… 北村 想(きたむら そう、1952年7月5日 - )は、日本の劇作家・演出家。本名:北村 清司(きたむら きよし)。 滋賀県大津市出身。滋賀県立石山高等学校卒業。 高校卒業後、友人を頼って名古屋に住み始め、モグリの学生をやっていた中京大学の演劇部にて演劇活動を始める。 1979年、劇団「TPO師★団」を旗揚げ。その後、1982年に「彗星 '86」、1986年に「プロジェクト・ナビ」と名前を変えながら劇団として活動を続けてきたが、2003年に解散。現在では「avecビーズ」というユニットにおいて年に1作のペースで新作を上演するほか、外部への作品提供も多い。 1980年代初頭から、終末的かつ幻想的なその作風が注目され、現在までに様々な作品を発表している。
中島 らも(なかじま らも、1952年4月3日 - 2004… 中島 らも(なかじま らも、1952年4月3日 - 2004年7月26日)は、日本の小説家、劇作家、随筆家、広告プランナー、放送作家、ラジオパーソナリティ、ミュージシャン。本名は中島 裕之(なかじま ゆうし)。ペンネームの由来は、無声映画時代の剣戟俳優、羅門光三郎から[4]。活動当初は「羅門」「Ramon」「らもん」等のペンネームで雑誌に詩の投稿をしており、仲間内でも「らもん」を名乗っていたが「読者に名前を覚えてもらいやすいように」と1982年に「らも」に改名した。本稿では名の表記を、原則として「らも」で統一する。
水谷 龍二(みずたに りゅうじ、1952年3月4日 - )は… 水谷 龍二(みずたに りゅうじ、1952年3月4日 - )は、日本の演出家・劇作家・脚本家。水谷竜二名義で活動していた時期もある。 北海道苫小牧市出身。苫小牧工業高等専門学校機械工学科卒。 1952年(昭和27年)生まれ。 工業高等専門学校生時代から映画や文学に傾倒する。 1972年(昭和47年)に上京して大手自動車メーカーに就職するも、5か月で退職。その後テレビで『コント55号のなんでそうなるの?』を観て、自分も台本を書いてみたいと思い、テレビ局に自作のコントの台本を持ち込む。後にその『コント55号のなんでそうなるの?』(日本テレビ系バラエティ番組)で、放送作家デビュー。 1982年(昭和57年)からは、テレビドラマの脚本や、芝居の作・演出を手がける。
高取 英(たかとり えい、1952年1月17日 - 2018… 高取 英(たかとり えい、1952年1月17日 - 2018年11月26日、本名:非公開)は、日本の劇作家、演出家、マンガ評論家、編集者。男性。月蝕歌劇団代表。京都精華大学マンガ学部マンガプロデュースコース学科教授、大正大学表現学部客員教授を務めた。 大阪府堺市出身。大阪府立岸和田高等学校、大阪市立大学商学部卒業。 大阪市立大学の学生時代に白夜劇場を結成し、1974年に「白夜月蝕の少女航海紀」を作・演出。これが演劇のデビューとなる。 大学卒業後、寺山修司の取材・出版スタッフとなる一方、エロ劇画誌『漫画エロジェニカ』三代目編集長となり、『劇画アリス』編集長の亀和田武らと三流劇画ブームを起こす。『漫画エロジェニカ』は、最高12万部弱を売り上げた。
中山 夏樹(なかやま なつき、1952年 - )は、日本の小… 中山 夏樹(なかやま なつき、1952年 - )は、日本の小説家、劇作家。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、青山学院大学理工学部卒業。グラクソ・スミスクライン営業本部長を経て、2013年定年退職後、同年、日本劇作家協会戯曲セミナーに参加し、戯曲、小説の執筆を開始した。 2015年「サイゴン陥落の日に」で、平凡社第2回晩成文学賞受賞、2016年「西南の地から」で、第33回さきがけ文学賞受賞、2018年「ゴールドの季節」で第49回埼玉文芸賞準賞受賞。2020年「異国の古書店」で、第15回ちよだ文学賞受賞。同年、演劇集団「間欠泉」を旗揚げし、演劇活動を再開。作、演出を担当。日本文藝家協会会員。
永井 愛(ながい あい、1951年10月16日 - )は、日… 永井 愛(ながい あい、1951年10月16日 - )は、日本の劇作家、演出家。劇団二兎社主宰。 東京都出身。東京都立富士高校時代から演劇部に入る。桐朋学園芸術短期大学演劇専攻科卒。 春秋団に研究生として参加し、そこで出会った大石静と1981年、「二兎社」を結成。脚本、演出、出演を大石と二人で行う。翌1982年の、老若男女12人を二人で演じた『カズオ』は再演を重ね、初期の代表作となる。 1997年、『見よ、飛行機の高く飛べるを』と『ら抜きの殺意』を発表。両作品により芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。 1991年、大石は二兎社を離れ、以後永井が単独で主宰。日本劇作家協会前会長[リンク切れ]、理事。2016年3月より副会長。
押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 - )は、日本… 押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 - )は、日本の映画監督、アニメーション演出家、小説家、脚本家、漫画原作者、劇作家、ゲームクリエイター。東京大学大学院特任教授、東京経済大学客員教授などとしても活動している。2021年時点は静岡県熱海市在住。 東京都大田区大森出身。東京都立小山台高等学校、東京学芸大学教育学部美術教育学科卒。静岡県熱海市在住。2008年度から2009年度まで東京経済大学コミュニケーション学部の客員教授を務めた。 2017年時点で日本SF作家クラブ会員だったが、2024年6月時点の会員名簿には名前がない。 日本のアニメーション監督で、世界三大映画祭すべてに出品したことがある唯一の監督である(2018年現在)。
渡辺 千明(わたなべ ちあき、男性、本名・山内 千明(やまの… 渡辺 千明(わたなべ ちあき、男性、本名・山内 千明(やまのうち ちあき)、1950年4月19日 - 2021年3月31日)は、日本の脚本家、劇作家、演出家。野田高梧記念蓼科シナリオ研究所理事。 兵庫県出身。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)卒業。1999年『ニーセーター(若者たち)』で第2回日本シナリオ大賞準入選。 父は国文学の大学教授。2人の兄は共に東京大学を卒業し、それぞれ弁護士と公務員になったという一家であるが、本人曰く「25歳になるまでぶらぶらしていた」とのこと。都立立川高校を卒業後、1976年横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に進学。 1978年同校卒業。講師だった田村孟、馬場当、富田義朗の助手を経て、テレビドラマ『からっ風と涙』、映画『夜叉が池』などを手伝う。
知念 正文(ちねん まさふみ、1950年 - )は、劇作家、… 知念 正文(ちねん まさふみ、1950年 - )は、劇作家、演出家。劇団鳥獣戯画主宰。 東京都で生まれ、横浜市で育つ。早稲田大学教育学部教育学科在学中に向島三四郎らとともに「劇団暫」を結成。のちに「暫」に脚本家・演出家として係わるようになったつかこうへいらと共に活動、1975年石丸有里子らとともに劇団鳥獣戯画創立。現在まで活動を続ける。 主に現代版歌舞伎を得意とする。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
生田萬(、1949年8月30日 -)は、日本の劇作家、演出家… 生田萬(、1949年8月30日 -)は、日本の劇作家、演出家。 東京都生まれ。早稲田大学在学中に劇団を結成、寺山修司の市街劇「人力飛行機ソロモン」に出演。1981年に女優で妻の銀粉蝶とともに劇団「ブリキの自発団」を結成、片桐はいりや山下千景などを擁し「夜の子供」などを作・上演、小劇場ブームの一翼を担った。1996年「KAN-KAN」で読売演劇大賞優秀演出家賞、優秀作品賞受賞。その後、一時期は演劇から遠ざかっていたが、2007年に埼玉県富士見市の富士見市民文化会館「キラリ☆ふじみ芸術監督」に就任。さいたま市在住。 フィリップ・K・ディックの影響を受けている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
つか こうへい(本名・日本名:金原 峰雄(かねはら みねお)… つか こうへい(本名・日本名:金原 峰雄(かねはら みねお)、韓国名:金 峰雄(キム・ボンウン、朝鮮語: 김봉웅)1948年〈昭和23年〉4月24日 - 2010年〈平成22年〉7月10日)は、日本で活動した韓国国籍の劇作家、演出家、小説家。 福岡県嘉穂郡嘉穂町(現・嘉麻市)出身。慶應義塾大学文学部哲学科中途退学。★☆北区つかこうへい劇団主宰。生前は東京都北区に在住し、同区の親善大使も務めた。血液型A型。 旧・福岡県嘉穂町牛隈に在日韓国人2世として誕生。三男一女の二男。事業を営む父は慶尚北道青松郡出身。 高校卒業までを筑豊で過ごし、嘉穂町立大隈小学校、嘉穂町立大隈中学校を経て、福岡県立山田高等学校を卒業。
岡安 伸治(おかやす しんじ、1948年1月25日 - )は… 岡安 伸治(おかやす しんじ、1948年1月25日 - )は、日本の劇作家。 1972年、東京理科大学物理学科卒業。1973年、劇団世仁下乃一座(よにげのいちざ)を結成し、劇作を担当して上演活動を23年にわたり全国で展開する。核廃棄物を積んだトラック運転手二人を描いた「太平洋ベルトライン」で1984年に種田賞を、1985年には紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞。1991 - 2008年桐朋学園芸術短期大学演劇専攻専任講師。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
竹内 銃一郎(たけうち じゅういちろう、1947年10月11… 竹内 銃一郎(たけうち じゅういちろう、1947年10月11日 - )は、日本の劇作家・脚本家。元近畿大学文芸学部芸術学科教授。本名・徳義。以前は「竹内純一郎」というペンネームであった。 愛知県半田市生まれ。愛知県立半田高等学校出身。早稲田大学第一文学部中退。自主映画制作やピンク映画シナリオ執筆などの後、1975年劇団斜光社を結成する。1976年、「少年巨人」で脚本デビュー。1979年、劇団斜光社が解散すると、1980年に秘法零番館を結成。1989年、秘法零番館が解散する。 1981年に『あの大鴉、さえも』で第25回岸田國士戯曲賞。1996年に『月ノ光』で読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)と紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。
奈良橋 陽子(ならはし ようこ、1947年6月17日 - )… 奈良橋 陽子(ならはし ようこ、1947年6月17日 - )は、日本のキャスティングディレクター、演出家、映画監督、劇作家、作詞家、英会話教育家である。アップスアカデミー(UPS)代表。モデル・ランゲージ・スタジオ(MLS)会長。 千葉県市川市出身。国際基督教大学言語学専攻卒業。長男は俳優の野村祐人、長女は女優・演出家の米倉リエナ。母方の祖父は関屋貞三郎。元夫はジョニー野村。 父親の奈良橋一郎は外交官で、カナダ・モントリオールにある国際連合の専門機関である国際民間航空機関(ICAO)日本政府代表部に勤務しており、奈良橋も5歳でカナダに渡る。1962年、日本に帰国し聖心インターナショナルスクールを卒業後、国際基督教大学言語学専攻を卒業した。
高平 哲郎(たかひら てつお、1947年1月3日 - )は、… 高平 哲郎(たかひら てつお、1947年1月3日 - )は、日本の編集者・放送作家・劇作家・演出家。 晶文社を創立した小野二郎は義兄にあたる。東京都杉並区出身。 1953年、学習院初等科の試験に落ち、むさしの学園小学校に入学。父は高円寺で産婦人科を営んでいたが大の映画好きで、高平の少年時代、一家は毎週末には銀座か新宿の映画館に出かけて、映画を見ていた。裕福な家庭であったため、1953年の日本テレビ開局の年にはすぐテレビが購入され、高平は落語や演芸も好きとなる。 一橋大学社会学部卒業。 1956年から始まった「東宝ミュージカル」開始とともに、小学生のうちから通いつめ、中学2年生でアチャラカ喜劇の集大成作品『雲の上団五郎一座』を見る。
山崎 哲(やまざき てつ、1946年6月21日 - )は、日… 山崎 哲(やまざき てつ、1946年6月21日 - )は、日本の劇作家、時事評論家。本名は渡辺康徳。 宮崎県宮崎市生まれ。宮崎県立宮崎大宮高等学校時代から演劇活動を始める。1970年、広島大学文学部中退。上京し、唐十郎の状況劇場に入団。 1971年、劇団「つんぼさじき」を旗揚げ。1979年にこれを解散し、流山児祥の「演劇団」を経て、1980年に藤井びん、竹内一郎らと劇団「転位・21」を旗揚げ。 1981年、『うお伝説』『漂流家族』で第26回岸田國士戯曲賞受賞。1987年、『エリアンの手記』『ジロさんの憂鬱』『まことむすびの事件』で紀伊國屋演劇賞受賞。 1994年、水戸芸術館運営委員に就任。「転位・21」の活動を休止。
上杉 清文(うえすぎ せいぶん、1946年4月25日 - )… 上杉 清文(うえすぎ せいぶん、1946年4月25日 - )は、日本の僧侶、劇作家、福神研究所所長、日蓮宗興統法縁会・成就山本國寺(静岡県富士市今泉)住職。 静岡県富士市の日蓮宗・本國寺に生まれる。立正大学仏教学部に在学中の1967年、瓜生良介主宰のアングラ劇団「発見の会」による内田栄一脚本の舞台を観て同会に入団。役者、脚本執筆などの活動を行う。1972年、荒戸源次郎がたちあげたアングラ劇団「天象儀館」に参加。座付作者となり、脚本を担当。平岡正明と出会い、山下洋輔、筒井康隆らの「全日本冷し中華愛好会」にも参加。末井昭編集の「ウィークエンド・スーパー」、「写真時代」などにも寄稿した。 1981年には、南伸坊提唱のパフォーマンス集団「HAND-JOE」(命名は糸井重里)に、末井昭ともに参加。
岸田 理生(きしだ りお、女性、1946年3月10日 - 2… 岸田 理生(きしだ りお、女性、1946年3月10日 - 2003年6月28日)は、日本の劇作家、演出家、シナリオ作家、小説家、翻訳家。本名︰林 寛美(はやし ひろみ)。 小劇場運動の旗手の一人と目された。怪奇幻想的な作風で、小説も書いたほか、テレビドラマのシナリオを多数執筆した。 長野県岡谷市出身。中央大学法学部卒業。 1974年(昭和49年)、寺山修司が選考委員を務めていた第1回新書館フォアレディース賞を『不眠症の猫』で受賞。それをきっかけに劇団天井桟敷に参加。1983年(昭和58年)に寺山が病没するまでの間、寺山との共作で戯曲『身毒丸』『奴婢訓』『レミング』などを執筆、他に映画『草迷宮』『ボクサー』などの脚本も手掛けた。
芥 正彦(あくた まさひこ、1946年1月7日 - )は、日… 芥 正彦(あくた まさひこ、1946年1月7日 - )は、日本の俳優、劇作家、演出家、舞踏家、詩人、音楽プロデューサー。劇団ホモフィクタス主宰者。本名、斎藤正彦。学生時代、東大全共闘随一の論客と呼ばれていた。 東京都に生まれる。埼玉県立浦和高等学校卒業後、1年間の浪人生活を経て1965年に東京大学文科III類に入学。在学中に全学共闘会議(全共闘)のオーガナイザーとして活躍する傍ら、劇団駒場で夏際敏生と共にアングラ演劇運動を指導。在学中、東大美学科4年の女子学生と結婚。 「彗星のように(寺山修司)」、「危険な男(土方巽)」、「砂漠の住人(三島由紀夫)」と言われる。 《パフォーマンスの時代》を築く。
小倉 正宏(おぐら まさひろ、1946年 - 2021年)は… 小倉 正宏(おぐら まさひろ、1946年 - 2021年)は、劇作家・ドイツ文学者。 岡山県出身。1970年京都大学文学部独文科卒業。奈良県在住。 清教学園中学校・高等学校教諭 (1971-2007)。奈良女子大学文学部大学院・学部ドイツ文学専攻非常勤講師 (2002-2007)。
東 由多加(ひがし ゆたか、1945年5月12日 - 200… 東 由多加(ひがし ゆたか、1945年5月12日 - 2000年4月20日)は、日本の劇作家、演出家。東京キッドブラザース主宰。 台湾生まれ。長崎県長崎市育ち。長崎県立長崎西高等学校卒業、早稲田大学教育学部中退。自らの作・演出によるミュージカル80作品を上演。 作家の柳美里はかつて女優を志して、東の劇団に所属していたが、東は柳に「あなたは演じるより、書きなさい」と作家になる事をすすめた。柳は自身を18歳から31歳頃まで東と同棲した「伴侶」だと言っているが、東が多数の愛人を作ったことで破局し、柳がある既婚男性との子供を身ごもり破局した際には東が柳と同居し、柳の子供の育児のサポートを務めた。
岡部 耕大(おかべ こうだい、1945年〈昭和20年〉4月8… 岡部 耕大(おかべ こうだい、1945年〈昭和20年〉4月8日 - 2023年〈令和5年〉8月25日)は、日本の劇作家。日本ペンクラブ会員。日本劇作家協会顧問。 長崎県松浦市出身。佐賀県立伊万里高等学校卒業、東海大学文学部広報学科中退。
江守 徹(えもり とおる、本名:加藤 徹夫〈かとう てつお〉… 江守 徹(えもり とおる、本名:加藤 徹夫〈かとう てつお〉、1944年〈昭和19年〉1月25日 - )は、日本の俳優、声優、タレント、ナレーター、劇作家、演出家、翻訳家。文学座所属。身長171cm、体重75kg。血液型はA型。 芸名は、フランスの俳優・劇作家モリエールから。文学座に入所当時、文学座では同じ苗字を持つ二人の俳優がすでに演劇界に知られており(加藤和夫、加藤武)、加藤姓が多いため自身で芸名を考えたところ、はじめ「もりえるい」という芸名を思いついたが安直なため却下し、文字を分解した「えもり」、かつ本名の「徹」の字が入る「えもりとおる(江守徹)」という芸名をそのまま名乗ることにしたのが由来である。
高谷 信之(たかや のぶゆき、1943年3月26日 - )は… 高谷 信之(たかや のぶゆき、1943年3月26日 - )は、日本の劇作家、放送作家、演出家、脚本家。東京都出身。 1943年、東京に生まれる。1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。早稲田大学第二文学部演劇科中退。1972年、演劇集団 八騎人(ハッキジン) 創立、主宰。「魔都彷徨」「蛍よ、妖しの海を翔べ」等20本以上を作・演出。1999年、劇団ギルドを創立。2018年までに35回の舞台を作・演出して劇団は解散。若手俳優、演出家、脚本家の育成にも力を注いでいる。 放送の分野では、1975年 NHKラジオドラマ 『風に舞う木の葉のように』でデビュー。NHKラジオドラマ 約80本。同テレビドラマ「中学生日記」「風・ふたり」等20本。
知念 正真(ちねん せいしん、1941年12月4日 - 20… 知念 正真(ちねん せいしん、1941年12月4日 - 2013年9月25日)は、沖縄県沖縄市出身の劇作家、演出家。 1941年生まれ。沖縄県立コザ高等学校卒業。二松學舍大学中退。 琉球放送勤務を経て、劇団創造に所属する。 1976年に『人類館事件』より発想を得た『人類館』を雑誌『新沖縄文学』33号に発表。1978年に『人類館』で岸田國士戯曲賞を受賞する。 2013年9月25日に肝臓がんのため死去。71歳没。
市川 森一(いちかわ しんいち、1941年(昭和16年)4月… 市川 森一(いちかわ しんいち、1941年(昭和16年)4月17日 - 2011年(平成23年)12月10日)は、日本の脚本家、劇作家、小説家、コメンテーター。日本放送作家協会の会長を務めた。長崎県諫早市出身。 妻は『マキちゃん日記』で知り合った女優の柴田美保子。妹は放送作家の市川愉味子(井上愉味子)。実質的なデビュー作は円谷プロ製作『快獣ブースカ』。代表作は『傷だらけの天使』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンA』『コメットさん』『露玉の首飾り』『TAJOMARU』など多数。 実家の呉服屋を継がずに旧海軍大村航空隊の教官となった父・市川一郎(同志社専門学校高等商業部出身)と、寛政5年(1793年)創業の老舗の諫早名物おこし屋の娘であった母との間に1941年(昭和16年)誕生。
小松 幹生(こまつ みきお、1941年3月9日 - 2016… 小松 幹生(こまつ みきお、1941年3月9日 - 2016年8月12日)は、日本の劇作家である。 高知県安芸市出身。1959年に高知県立安芸高等学校を卒業し、上京。1968年早稲田大学演劇科卒。以後、劇作ひとすじに、地味で寡作ながらも中味の濃い創作活動を続けている。劇団には所属せず、演出や出演も行っていない。様々な演劇賞の選考委員を務めるほか、学校演劇に使われる脚本なども執筆。演劇雑誌『テアトロ』の編集委員。日本劇作家協会常務理事。 2016年8月12日、胃癌のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
斎藤 憐(さいとう れん、本名:安彦 憐(あびこ れん)、1… 斎藤 憐(さいとう れん、本名:安彦 憐(あびこ れん)、1940年12月25日 - 2011年10月12日)は、日本の劇作家。 日本統治時代の朝鮮半島の平壌で生まれる。 成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校卒業(1959年高校卒業)。在学中は、演劇部に所属。 早稲田大学第二文学部露文科中退。1966年俳優座養成所を卒業し、劇団自由劇場結成に参加する。1968年には佐藤信の「演劇センター68」結成に参加した。 1980年、串田和美が演出した『上海バンスキング』で第24回岸田國士戯曲賞を受賞する。同作品は長く再演を繰り返した。その後、串田、吉田日出子のオンシアター自由劇場に脚本を提供する。 同劇団解散後は、1997年に『カナリア』で菊田一夫演劇賞、2005年に『春、忍び難きを』で紀伊國屋演劇賞、2006年には鶴屋南北戯曲賞を受賞する。
金杉 忠男(かなすぎ ただお、1940年12月25日 - 1… 金杉 忠男(かなすぎ ただお、1940年12月25日 - 1997年11月12日)は、日本の劇作家・演出家。東京葛飾区生まれ。 代表作は『胸騒ぎの放課後』、『花の寺』、『プールサイド』など。 1967年、演劇集団「その他の人々」を旗揚げ。1971年、劇団中村座に改名。地元である立石や四ツ木など、東京の下町をモチーフにした多くの戯曲を発表。1990年、中村座解散。その後金杉忠男アソシエーツを結成。1997年11月12日、癌のため死去。金杉忠男アソシエーツは解散となる。 彼の死後、交流のあった劇作家の平田オリザが金杉作品を構成しなおし、『上野動物園再々々襲撃』を劇団青年団で上演。第9回読売演劇大賞優秀作品賞を受賞している。
唐 十郎(から じゅうろう、1940年〈昭和15年〉2月11… 唐 十郎(から じゅうろう、1940年〈昭和15年〉2月11日 - 2024年〈令和6年〉5月4日)は、日本の劇作家・演出家・俳優。本名:大靏 義英(おおつる よしひで)。位階は従四位、勲章は旭日中綬章。劇団「唐組」主宰、文化功労者。紅テントの「状況劇場」を結成。アングラ演劇の始祖。日本戦後演劇を再構築。 東京府東京市下谷区下谷万年町(現:東京都台東区)出身。明治大学文学部文学科演劇学専攻卒業。作家としても活躍、『佐川君からの手紙』(1981年)で芥川賞を受賞。俳優として自作以外の映画やテレビドラマに出演することもある。他の演出家への戯曲提供も多い。2012年4月より明治大学客員教授に就任。戦後現代演劇は「唐以前、唐以後」と言っても過言ではない。
岸田 森(きしだ しん、1939年10月17日 - 1982… 岸田 森(きしだ しん、1939年10月17日 - 1982年12月28日)は、日本の俳優、声優、劇作家、演出家。
菅 孝行(かん たかゆき 1939年7月17日 - )は、日… 菅 孝行(かん たかゆき 1939年7月17日 - )は、日本の思想家、評論家、劇作家。 反天皇制運動連絡会(反天連)の結成等で新左翼系知識人を代表する人物として知られる。者元『変革のアソシエ』運営委員・編集長、公益財団法人利賀文化会議評議員、ルネサンス研究所運営委員、河合文化教育研究所研究員、。元桐朋学園短期大学演劇専攻科非常勤講師(2004年まで)、元財団法人静岡県舞台芸術センター文芸部(2010年まで)、元河合塾小論文科講師(2016年まで)、元梅光学院大学特任教授(2017年まで)。父は陸軍中将を務めた菅晴次。 東京府東京市牛込区市谷に生まれる。 学習院初、中、高等科に進学。学習院での同級生は坂口芳貞、松井康子、山中祥子、太田省吾、本田義勝、植村泰久、亀井久興ら。
山元 清多(やまもと きよかず、1939年6月11日 - 2… 山元 清多(やまもと きよかず、1939年6月11日 - 2010年9月12日)は、日本の脚本家、劇作家、演出家。東京都江東区出身。東京都立両国高等学校卒業、東京大学教育学部教育心理学科卒業。劇団黒テント所属。妻は女優の稲葉良子。 5人兄弟の長男。父親は自営業だが、太平洋戦争終戦を境に事業がうまくいかなくなって仕事・住居ともに転々としていた。大学では演劇研究会に所属。大学在学中より芝居の執筆を開始。大学卒業後は時事通信社に入社し、運動部記者としてアマチュアスポーツを3年間担当。1967年に「六月劇場」の結成参加のため時事通信社を退職。その後六月劇場を経て、1968年に黒テントの前身である「演劇センター68」に参加。
和田 周(わだ しゅう、1938年8月6日 - )は、日本の… 和田 周(わだ しゅう、1938年8月6日 - )は、日本の俳優、声優、劇作家。演劇組織「夜の樹」主宰。現代制作舎所属。
里吉 しげみ(さとよし しげみ、1938年2月18日 - 2… 里吉 しげみ(さとよし しげみ、1938年2月18日 - 2019年以前)は、日本の劇作家、演出家、作家、作詞家である。劇団未来劇場主宰。妻は、同劇団所属である水森亜土(1965年結婚)。立教大学社会学部卒業。本名は里吉重實。 吉武みどりが1958年に主宰として創立し、当初は推理劇専門劇団だった。里吉しげみは1959年に入団。2年後の春、喜劇「ネコが好き」を書き、演出し、喜劇に魅せられる。吉武のバックアップで以後6年間に渡り6本の作品の作・演出をするが、吉武から強引に劇団を押しつけられ、渋々引き継ぎ今日に至る。その時、現在の未来劇場のスタイルともなる、ミュージカル風・喜劇を目指すことを考え、作曲家の小林亜星の参加を得て、以後数十年間に渡り、自ら脚本を書き、演出してきた。