佐々木 八郎(ささき はちろう、1898年9月10日 - 1… 佐々木 八郎(ささき はちろう、1898年9月10日 - 1980年9月8日)は、日本の国文学者。中世文学、特に『平家物語』の研究によって知られた。
職業が文学者:3,030人
佐々木 八郎(ささき はちろう、1898年9月10日 - 1… 佐々木 八郎(ささき はちろう、1898年9月10日 - 1980年9月8日)は、日本の国文学者。中世文学、特に『平家物語』の研究によって知られた。
宮本 正清(みやもと まさきよ、1898年8月16日 - 1… 宮本 正清(みやもと まさきよ、1898年8月16日 - 1982年11月16日)は、日本のフランス文学者。 高知県高岡郡奈路に農民の子として生まれる。1914年台湾総督府勤務の叔父長曽我部重親に伴われ台湾に渡る。1916年神戸へ移り関西学院中等部編入、1924年早稲田大学仏文学科卒業。1926年まで大学院に在籍し吉江喬松の指導を受ける。1927年日仏文化協会、関西日仏文化学館設立に参加し書記長兼教授。1930年仏国政府より勲章授与、以後数次にわたり授与される。1939年立命館大学予科教授、1942年立命館大学教授、1945年6月15日京都府警察に連行され敗戦まで監禁される。1950年大阪市立大学教授、同年渡仏。
藤森 朋夫(ふじもり ともお、1898年7月18日 - 19… 藤森 朋夫(ふじもり ともお、1898年7月18日 - 1969年8月29日)は、日本の歌人、国文学者。 長野県諏訪郡四賀村(現・諏訪市四賀)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1925年に東京高等師範学校卒業、1929年東北帝国大学文学部国文科卒業。陸軍大学教授となる。戦時中は群馬県に疎開した。 1923年「アララギ」に加わり、島木赤彦、斎藤茂吉に師事。『万葉集』を中心とした上代文学を研究。1956年から1961年まで『茂吉研究』を発行。日本大学教授、東京女子大学教授、1964年定年退任、名誉教授。 この項目は、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJライトノベル)。
田代 三千稔(たしろ みちとし、1898年(明治31年)7月… 田代 三千稔(たしろ みちとし、1898年(明治31年)7月10日 - 1984年(昭和59年)2月4日)は、日本の英文学者、翻訳家、ラフカディオ・ハーン研究家。 福岡県遠賀郡香月村(現・北九州市)生まれ。 旧制福岡県立東筑中学校、旧制第五高等学校を経て、1924年に東京帝国大学文学部英文学科を卒業。五高の同窓に劇作家の木下順二、帝大時代の同期生には作家の北村喜八がいた。 1924年4月法政大学講師、1926年4月同大教授。 1946年3月日本大学教授となり、同年10月には鎌倉アカデミアという特殊の教育機関の教授も兼ねた。 横浜市立大学が横浜医科大学と統合した1952年4月には、かねてから親交のあった三枝博音学長から招かれて、教授に就任し、図書館長などの役職に就いた。
西下 経一(にしした きょういち、1898年5月10日 - … 西下 経一(にしした きょういち、1898年5月10日 - 1964年1月17日)は、日本の国文学者、東京教育大学名誉教授。旧姓は岡村。 岡山県西北条郡津山町(現・津山市)出身。1922年東京高等師範学校国漢科卒業後、佐賀中学校教諭。東京帝国大学国文科選科を経て、1927年に本科卒。東大国文学研究室副手として源氏物語などの書誌研究を行う。 第六高等学校教授を経て、1953年「古今集の伝本の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。戦後は岡山大学教授、東京教育大学教授、上智大学教授。平安朝文学、特に古今集の和歌を専門とする。蔵書は没後に国文学研究資料館に収蔵された。
小林 竜雄(こばやし たつお、1898年3月27日 - 19… 小林 竜雄(こばやし たつお、1898年3月27日 - 1976年1月17日)は、フランス文学者、早稲田大学名誉教授。 熊本県生まれ。早大仏文科卒。1968年まで早大商学部教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大和 資雄(やまと やすお、1898年3月25日 - 199… 大和 資雄(やまと やすお、1898年3月25日 - 1990年1月12日)は、日本の英文学者、翻訳家。日本大学、武蔵野女子大学名誉教授。 山形県出身。1921年東京高等師範学校卒、香川県師範学校教諭、1925年東京帝国大学英文科卒業、高野山大学教授。1927年日本大学予科教授、1931年日本大学法文学部教授、1958年日本大学文理学部教授、1968年定年、同年勲三等瑞宝章受章、1944年日大名誉教授。1970年武蔵野女子大学教授、1978年まで務め、退任後名誉教授。 イギリス文学を専門とし、『嵐が丘』の翻訳がよく読まれた。ほか著書多数(「大和資雄先生の略歴」『英文学論叢』1990)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
岡田 希雄(おかだ きゆう、1898年(明治31年)3月15… 岡田 希雄(おかだ きゆう、1898年(明治31年)3月15日 - 1943年(昭和18年)1月31日)は、日本の国語学者、国文学者、辞書学者。 京都府葛野郡七条村(現在の京都市下京区)に農家の服部家の次男として生まれる。名は市治郎。3歳で父の浅吉を亡くし、5歳で母のヤヱを亡くした後、乙訓郡久世村(現在の京都市南区)にある曹洞宗の鷲尾寺の住職である岡田希僊に引き取られる。1904年(明治37年)に養子として入籍し、1910年(明治43年)に得度を受けて「希雄」と名前を改め、翌1911年(明治44年)3月に僧籍に登録された。 1915年(大正4年)に京都府立京都第二中学校を卒業後、第三高等学校に入学する。
工藤 好美(くどう よしみ、男性、1898年1月26日 - … 工藤 好美(くどう よしみ、男性、1898年1月26日 - 1992年2月22日)は、日本の英文学者。 1898年、大分県佐伯生まれ。第五高等学校で種田山頭火を知る。1924年、早稲田大学英文科を卒業。 卒業後は、千葉県立佐倉中学校(現:千葉県立佐倉高等学校)などで教えたのち、1926年に富山高等学校(現:富山大学文理学部)教授に就いた。土居光知の知遇を得て『享楽主義者マリウス』を訳した。1928年、台北帝国大学助教授となった。1930年から1931年まで、英米文学研究のためオックスフォード大学に留学を命じられ、帰国後教授となった。 敗戦後本土へ帰国し、1948年に名古屋大学文学部教授となった。
中村 為治(なかむら ためじ、1898年1月17日 - 19… 中村 為治(なかむら ためじ、1898年1月17日 - 1991年6月30日)は、日本のイギリス文学者。 東京銀座に生まれる。第一高等学校で川端康成と同級。1923年東京帝国大学英文科卒。関西学院英語講師、1926年東京商科大学(現一橋大学)予科教授。同僚の上原専禄と親しかった。1943年、45歳で辞職し、長野県乗鞍高原に隠棲した。農業と翻訳で暮らすが、1967年中部女子短期大学(現中部学院大学)教授となり、1972年まで務めた。 ロバート・バーンズを専門とし、キップリング詩集の翻訳などがある。大江健三郎は少年時代に中村の訳した岩波文庫の『ハックルベリー・フィンの冒険』を愛読した。
浜田 政二郎(はまだ まさじろう、1898年1月 - 198… 浜田 政二郎(はまだ まさじろう、1898年1月 - 1981年1月24日)は、日本のアメリカ文学者。 神戸市生まれ。1930年東北帝国大学英文科卒、宮城県立女子専門学校専任講師。1931年広島女学院専門学校教授、1934年米国南メソジスト大学大学院入学、1936年修士課程修了、1942年神戸高等工業学校専任講師、同教授、1949年神戸大学教授、1960年定年退官、甲南大学教授、1972年「アメリカのユートピア文学」で東北大学文学博士、1974年甲南大退職、名誉教授。 マーク・トウェインとウィラ・キャザーを研究した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
柏倉 俊三(かしわくら しゅんぞう、1898年 - 1996… 柏倉 俊三(かしわくら しゅんぞう、1898年 - 1996年)は、日本の英文学者。 山形県生まれ。1927年東京帝国大学英文科卒。北海道大学助教授、教授、1959年定年退官、名誉教授、相模女子大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
呉 茂一(くれ しげいち、1897年12月20日 - 197… 呉 茂一(くれ しげいち、1897年12月20日 - 1977年12月28日)は、日本の西洋古典学者で古代ギリシア・ラテン文学者。 1897年、東京帝国大学医科大学教授(精神病学講座)を務めた呉秀三・みな夫妻の長男として東京市本郷区に生まれた。第一高等学校医科をへて、1919年東京帝国大学医学部に入学したが、1922年に文学部英文科へ転じた。有島武郎を崇敬し、生前しばしば訪ねており、また父と同じく精神科医の歌人斎藤茂吉とも終生交流があった。 1925年に大学卒業した後、東京帝国大学文学部言語学科副手に採用された。1926年にヨーロッパ留学し、古代ギリシア文学・ラテン文学を修めた。1929年に帰国し、文学部講師に昇格。
倉石 武四郎(くらいし たけしろう、1897年〈明治30年〉… 倉石 武四郎(くらいし たけしろう、1897年〈明治30年〉9月21日 - 1975年〈昭和50年〉11月14日)は、日本の中国語学者、中国文学者。文学博士。東京大学名誉教授、京都大学名誉教授。 1897年、新潟県高田町(現・上越市)に、十三人兄弟の四男として生まれる。倉石家は地元の名家で、一族には漢学者の高田藩校教授の倉石侗窩がいる。 高田第二尋常小学校(現上越市立東本町小学校)、新潟県立高田中学校(現新潟県立高田高等学校)、第一高等学校を経て、1921年東京帝国大学文学部支那文学科卒。一高時代は三木清や瀧川政次郎とともに岩元禎らの下で学び、東大では塩谷温・服部宇之吉・岡田正之らの下で学ぶ。卒業論文では中国天文学(英語版)を扱う。
中河 幹子(なかがわ みきこ、1897年7月30日 - 19… 中河 幹子(なかがわ みきこ、1897年7月30日 - 1980年10月26日)は、日本の国文学者、歌人。中河与一の妻。旧姓は林。 香川県坂出市生まれ。実家は紙問屋林卯吉。香川県立丸亀高等女学校を経て津田英学塾卒。在学中の1920年に中河与一と結婚をする。女性文芸誌『ごぎやう』を創刊し、後に短歌誌『をだまき』と改め主宰となる。門下に高瀬一誌、蒔田さくら子らがいる。共立女子大学教授を務め、共立女子学園歌の作詞も手がけている。 妹の林寿枝子は、初代メイ牛山に師事した美容家で、雑誌で美容指南や対談などもした。
石森 延男(いしもり のぶお、1897年6月16日 - 19… 石森 延男(いしもり のぶお、1897年6月16日 - 1987年8月14日)は、日本の児童文学者、国語教育学者、教科書編集者。第二次世界大戦前1939年の『咲きだす少年群』で第3回新潮社文芸賞、大戦後は1957年刊行のベストセラー『コタンの口笛』(全2部)で第1回未明文学賞および第5回産経児童出版文化賞を、1962年の『バンのみやげ話』で第1回野間児童文芸賞を受賞。『石森延男児童文学全集』全15巻がある。 1897年(明治30年)、歌人で「われらが愛する北海道」の作詞者でもある石森和男の長男として北海道札幌市に生まれる。中央区南6条西9丁目に生誕地の碑がある。 東京高等師範学校第二部国語国文科に入学、在学中より詩作や口演童話にたずさわる[要出典]。
萩原 雄祐(はぎはら ゆうすけ、1897年3月28日 - 1… 萩原 雄祐(はぎはら ゆうすけ、1897年3月28日 - 1979年1月29日)は、日本の天文学者。大阪府大阪市南区(現中央区)出身。旧制第一高等学校を経て東京帝国大学理学部卒業。日本学士院会員。勲一等瑞宝章・文化勲章受章。贈正三位(没時叙位)
後藤 丹治(ごとう たんじ、1897年3月28日 - 196… 後藤 丹治(ごとう たんじ、1897年3月28日 - 1963年5月1日)は、日本の国文学者。 三重県出身。京都帝国大学卒。 東京帝国大学史料編纂官補、立命館大学教授、1954年に大阪学芸大学教授。1957年に定年退官。 中世の戦記物語や近世の読本を研究した。
荒木 俊馬(あらき としま、1897年〈明治30年〉3月20… 荒木 俊馬(あらき としま、1897年〈明治30年〉3月20日 - 1978年〈昭和53年〉7月10日)は、日本の天文学者、物理学者。専門は天体物理学、理論物理学、宇宙論。学位は、理学博士(京都大学・1929年)。京都大学名誉教授、京都産業大学初代総長。 1897年、荒木竹次郎・記寿の長男として熊本県鹿本郡来民町(後の鹿本町、現在の山鹿市)に生まれた。1903年、来民尋常小学校に入学。1906年、熊本市立碩臺尋常小学校に転校し、翌1907年に卒業した。1910年、熊本県立中学済々黌(現:熊本県立済々黌高等学校)に入学。1915年に済々黌を卒業し、広島高等師範学校理科一部に入学。1919年に同校を卒業。
里見 岸雄(さとみ きしお、1897年3月17日 - 197… 里見 岸雄(さとみ きしお、1897年3月17日 - 1974年4月18日)は、日本の思想家、人文学者、国体学者、法学者。国柱会を創設した田中智学の三男として東京で生まれ、のちに里見家へ養子に入る。日本国体学の創始者として知られ、戦前の言論に大きな影響を与えた。 1920年旧制早稲田大学哲学科卒業。1922年から1924年にかけて英独仏などに遊学し、帰朝後に里見日本文化学研究所を創立。1936年、日本国体学会を創立。後に立命館大学法学部教授に就任、法学博士号を同大より授与され、国体学科を創設。主任教授となる。 近年、戦前期の国家主義に関する研究が進む中、大谷栄一による近代日蓮主義運動史研究、大塚桂・昆野伸幸による政治思想史研究、林尚之による憲法学史研究などにおいて、その独自性が評価されつつある。
重松 信弘(しげまつ のぶひろ、1897年2月24日 - 1… 重松 信弘(しげまつ のぶひろ、1897年2月24日 - 1983年11月13日)は、日本の国文学者。愛媛大学名誉教授。 源氏物語の思想研究における第一人者。没後出版された『源氏物語のこころ』(1990年5月、佼成出版社)には、膨大な重松源氏のエッセンスが凝縮されている。妻の重松みよの著した『藍と紫とえのころ草』は、学者として一生を終えた重松の生涯を細やかな筆致で描いている。 専門の源氏研究以外にも造詣が深く、国学、国語学、仏教思想、近代評論に通じ、多くの弟子を育てた。宮城女子専門学校の教え子たちによる「源氏物語を読む会」は、晩年まで継続された。機関誌『藝文』第16号(1984年10月)は「重松信弘追悼号」として特集を組み、国語学研究の白方勝、近代文学研究の半田美永らが追悼文を寄せている。
除村 吉太郎(よけむら よしたろう、1897年〈明治30年〉… 除村 吉太郎(よけむら よしたろう、1897年〈明治30年〉2月10日 - 1975年〈昭和50年〉11月3日)は、ロシア・ソビエト文学者。東京外国語学校教授、早稲田大学文学部客員教授。 1897年(明治30年)、群馬県多野郡美土里村(現・藤岡市)に生まれる。旧制藤岡中学校(群馬県立藤岡高等学校、現・群馬県立藤岡中央高等学校)を経て、1918年(大正7年)東京外国語学校(現・東京外国語大学)ロシア語科を卒業。 深井英五の紹介により、一時日本銀行調査部に勤務するが退職。駐日ロシア大使館に勤務した後、1922年(大正11年)にハルビンの日露協会学校助教授となった。1924年(大正13年)、母校である東京外国語学校助教授に就任し、1930年(昭和5年)教授に昇任。
富田 彬(とみた あきら、1897年1月25日 - 1971… 富田 彬(とみた あきら、1897年1月25日 - 1971年3月26日)は、日本の英文学者、翻訳家。立教大学名誉教授。 栃木県出身。東京帝国大学英文科卒。1926年に立教大学教授。アメリカ文学研究の先駆者の一人で、立教大学において同研究の基礎をつくり、エマソンやメルヴィル、ジェイン・オースティンなどの作品を翻訳した。 1929年(昭和4年)から1930年(昭和5年)には立教大学野球部長を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
幡谷 正雄(はたや まさお、1897年1月20日 - 193… 幡谷 正雄(はたや まさお、1897年1月20日 - 1933年6月17日)は、日本の英文学者。 島根県浜田市顕正寺生まれ。1920年早稲田大学文学部英文科卒。坪内逍遙、島村抱月の指導を受ける。のち千葉師範学校で5年間教え、辞任後は雑誌「文芸研究」(1928)「イギリス文学」(バイロン社、1929)「日本女性」を編集した。
片岡 良一(かたおか よしかず、1897年1月5日 - 19… 片岡 良一(かたおか よしかず、1897年1月5日 - 1957年3月25日)は、日本の日本文学者。日本の近代文学をアカデミズムで論じた初期の人物である。法政大学教授・北京師範大学教授を歴任。 神奈川県藤沢町生まれ。1925年、東京帝国大学文学部国文学科を卒業し、旧制姫路高等学校の教員となる。1926年刊行の『井原西鶴』で注目され、1929年『現代文学諸相の概観』で近代文学を論じて自我史観を示し、近代文学研究の基礎を据えたとされる。1930年、旧制府立高等学校の教員となる。府立高校時代の教え子に小田切秀雄がいる。小田切に自宅を会合の場として提供したとして辞職。1934年法政大学教授、1941年北京師範大学教授、1946年に再び法政大学教授となる。
野溝 七生子(のみぞ なおこ、1897年〈明治30年〉1月2… 野溝 七生子(のみぞ なおこ、1897年〈明治30年〉1月2日 - 1987年〈昭和62年〉2月12日)は、日本の小説家・比較文学者。兵庫県姫路市出身。 父の野溝甚四郎は陸軍軍人で、父の赴任先である姫路にて1897年に生まれ、鳥取・金沢・丸亀・大分などで育つ。 香川県立丸亀高等女学校、大分県立大分高等女学校を経て同志社女学校英文科専門部予科に入学。在学中、辻潤・宮島資夫と知合う。彼らは野溝をゲアハルト・ハウプトマンの『沈鐘』(泉鏡花『夜叉ヶ池』の元ネタと言われる)のラウテンデラインに因んで「ラウ」と呼んだ。卒業後、東洋大学専門学部文化学科で西洋哲学を学ぶ。
池田 亀鑑(いけだ きかん/戸籍名・いけだ かめのり、明治2… 池田 亀鑑(いけだ きかん/戸籍名・いけだ かめのり、明治29年〈1896年〉12月9日 - 昭和31年〈1956年〉12月19日)は、日本の国文学者。小説家。号は桃園(とうえん)。平安文学専攻で、特に『源氏物語』の研究(源氏学)で知られる。1948年(昭和23年)、学位論文『古典の批判的処置に関する研究』により、論文博士(東京大学)。兼任で多くの学校で教壇に立った。 名前の読みについて、一般には「きかん」とされているが、「かめのり」とする資料もある。 1896年(明治29年)、鳥取県日野郡福成村(現・日南町)で、宏文(父)と母・とら(母)の間に生まれる。1916年(大正5年)に鳥取師範学校を卒業し、溝口尋常高等小学校訓導。
高橋 広江(たかはし ひろえ、男性、1896年11月15日 … 高橋 広江(たかはし ひろえ、男性、1896年11月15日 - 1952年8月20日)は、昭和期のフランス文学者。 岐阜県生まれ。1926年慶應義塾大学仏文科卒。慶大予科教授を経てフランス領インドシナに渡る。戦後は岐阜大学教授などを歴任。1930年(昭和5年)より『三田文学』に小説、フランス文学に関する評論などを発表した。シャルル・ボードレールやポール・ヴァレリーの翻訳を手がけた。
谷 鼎(たに かなえ、1896年〈明治29年〉9月16日 -… 谷 鼎(たに かなえ、1896年〈明治29年〉9月16日 - 1960年〈昭和35年〉7月15日)は、日本の歌人・国文学者。元大東文化大学教授。 父・谷鼎次郎、母・タツの長男として、小田原市にて出生。4歳まで小田原市で過ごし、中郡西秦野村千村(現在秦野市)の実家に戻り、幼少年期を過ごす。実家は大地主であり、鼎次郎は中郡の代議士を務め、白山神社の宮司も引き受けるなど地元の名士でもあった。 中郡西秦野村立尋常高等渋沢小学校に在学中、県下の作文コンクールにて「父母の恩」という題で入選。 少年時代より、文筆に優れ、神奈川師範学校(鎌倉師範)に進学した頃より、作歌を試む。鎌倉師範の同学年に詩人の八木重吉がいる。
麻生 磯次(あそう いそじ、1896年〈明治29年〉7月21… 麻生 磯次(あそう いそじ、1896年〈明治29年〉7月21日 - 1979年〈昭和54年〉9月9日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(東京帝国大学・論文博士・1944年)(学位論文「近世文学の支那的原拠と読本の研究」)。東京大学名誉教授。日本学士院会員、文化功労者。正三位勲一等瑞宝章没後追贈。 1896年、千葉県武射郡睦岡村(現在の千葉県山武市)出身。1917年第一高等学校英法科卒業、1920年東京帝国大学文学部を卒業。 同1920年より、朝鮮総督府編集書記。1923年、東京帝国大学大学院へ入学。愛知県第一高等女学校高等科教授、第六高等学校教授を経て、1925年に京城帝国大学教授に着任した。
平井 肇(ひらい はじめ、1896年5月17日 - 1946… 平井 肇(ひらい はじめ、1896年5月17日 - 1946年7月7日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。 1896年、岐阜県生まれ。旧制早稲田大学文学部露文科第一期生として、片上伸・昇曙夢らの指導を受けるが、入学から3年で中退。その後は、かねてから親交のあった貴司山治の紹介でロシア文学作品の翻訳を始めた。 1938年に『死せる魂』の邦訳版を上梓した後、満州国に居を移し、南満州鉄道に嘱託社員として勤務する傍ら、『東方評論』の編集に携わった。太平洋戦争終結直後の1946年、滞在先のハルビンで病没した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
菊池 武一(きくち たけかず、1896年3月28日 - 19… 菊池 武一(きくち たけかず、1896年3月28日 - 1972年4月24日)は、日本の英文学者、翻訳家。 高松市出身。第一高等学校を経て、1921年東京帝国大学文学部英文科卒業。國學院大學教授を務め、戦後になって古代文学、歴史研究に重きを置く方向付けに尽力する。また代々木ゼミナールの校長を務めた。子息菊池映二はフランス文学者で明治大学教授を務めた(1929-2002)。 日本の文芸、特に室町時代の謡曲文学、仕舞に造詣が深く、笛もよくした。スコット『アイヴァンホー』訳は、文庫上巻刊行後の1965年に入院し、退院後も執筆を続けたが、下巻の原稿を残して没し、菊池が國學院に迎えた高見穎治が校訂し刊行された。
内山 貞三郎(うちやま ていざぶろう、1896年3月4日 -… 内山 貞三郎(うちやま ていざぶろう、1896年3月4日 - 1976年10月2日)は、日本のドイツ文学者。 新潟県出身。1920年東京帝国大学文学部独文科卒。第三高等学校教授、1949年大阪大学文学部ドイツ文学科初代教授。1956年「工匠歌人ハンス・ザックスとその舞台」で東京大学文学博士。1960年阪大を定年退官、名誉教授、関西大学教授、1967年京都外国語大学教授。ドイツ戯曲を研究した。 ドイツ文化の普及に尽くしたとして西ドイツ政府からゲーテ・メダルの贈呈を受けた。1976年10月2日、老衰のため京都府向日市の自宅にて死去。80歳。
木内 高音(きうち たかね、1896年〈明治29年〉2月28… 木内 高音(きうち たかね、1896年〈明治29年〉2月28日 - 1951年〈昭和26年〉6月7日)は、大正から昭和時代にかけて活動した日本の編集者、児童文学者。赤い鳥社、中央公論社で編集者として優れた作品を世に送り出す一方、雑誌『赤い鳥』などで多くの童話を発表した。 1896年(明治29年)2月28日、広島県尾道市で生まれた。鉄道技師だった父の仕事の都合で、神戸、小樽と移り住み、10歳から父の故郷である長野県北佐久郡志賀村(現・佐久市志賀)で過ごす。野沢中学校(現・長野県野沢北高等学校)卒業後、早稲田大学文学部英文科に進学する。大学在学中に、鈴木三重吉の作品と出会い、傾倒。三重吉の門を叩き、三重吉宅へ出入りするようになる。
永井 順(ながい じゅん、1896年2月9日 - 1971年… 永井 順(ながい じゅん、1896年2月9日 - 1971年2月4日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 東京出身。書家・作詞家の永井素岳の子として生まれる。東京外国語学校卒、東京外国語大学教授。1960年に定年で退官し、名誉教授を務めた。
加藤 猛夫(かとう たけお、1896年1月31日 - 197… 加藤 猛夫(かとう たけお、1896年1月31日 - 1976年1月21日)は、日本の英文学者。大阪大学名誉教授。 岡山県倉敷市出身。別名・東知。1922年東京帝国大学文学部英文科卒。1949年「十七世紀英国社会思想の史的考察」で法政大学文学博士。1924年日本大学教授、東洋大学教授、法政大学教授、1951年お茶の水女子大学教授、1955年大阪大学文学部教授、1959年定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授、南山大学教授。
横山 重(よこやま しげる、1896年1月22日 - 198… 横山 重(よこやま しげる、1896年1月22日 - 1980年10月8日)は、日本の国文学者。専門は中世文学。 1896年、長野県東筑摩郡片丘村北内田(現松本市)で生まれた。慶應義塾大学文学部で学び、1922年に卒業。 1924年、慶應義塾大学予科教員に採用された。1940年三田文学賞を受賞。1942年に退任し、以後在野で活動。島木赤彦に師事して『万葉集』を研究。のち琉球史料、室町時代物語、古浄瑠璃へと研究対象をひろげてゆき、多数の校本を刊行した。大岡山書店と関係が深くほぼ専属出版社の趣があった。1933年から1942年まで『三田文学』に「書物捜索」を連載した。 戦後は1953年から1961年『新文明』に連載継続。
及川 奥郎(おいかわ おくろう、明治29年(1896年)1月… 及川 奥郎(おいかわ おくろう、明治29年(1896年)1月1日 - 昭和45年(1970年)12月27日)は、第二次世界大戦前に小惑星を複数発見した日本の天文学者。 岩手県盛岡市出身。大日本帝国海軍海軍大将の及川古志郎は兄。 岩手縣立盛岡中學校を卒業。1920年に東京帝国大学理学部天文学科を卒業後、1922年より当時麻布区板倉から北多摩郡三鷹村大澤へ移転を進めていた東京天文台に技手として勤務し、ブラッシャー社製20センチ天体写真儀を使って天体の位置観測に従事した。東京天文台の移転に当たってはその経度差を測定している。ブラッシャー写真儀による観測で、1927年から1929年にかけて共同発見1つを含む計8つの小惑星を発見。
笠井 鎮夫(かさい しずお、1895年12月27日 - 19… 笠井 鎮夫(かさい しずお、1895年12月27日 - 1989年5月21日)は、日本の文学研究者、スペイン語学・文学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。日本の怪異譚にも関心をもち、僖真 学人を名乗った。 岡山県岡山市出身。1919年東京外国語学校西語学科卒業。同年4月同校助教授。1929年同校教授。1949年東京外国語大学教授、同年7月から1951年まで同大学附属図書館長を兼任。1959年定年退官、名誉教授、南山大学教授、1972年退職。 日本とスペイン語圏文化の交流に尽力し、日本ボリビア協会理事、日本アルゼンチン協会評議員などを歴任。『西譯古今名句選』では、俳句のスペイン語訳を行った。 1965年6月、スペイン政府からイサベル・ラ・カトリカ勲章(スペイン語版、英語版)を受章。
深瀬 基寛(ふかせ もとひろ、1895年10月12日 - 1… 深瀬 基寛(ふかせ もとひろ、1895年10月12日 - 1966年8月21日)は、日本の英文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 高知県吾川郡春野町(現高知市)生まれ。1916年第三高等学校卒、1919年東京帝国大学卒。1920年京都帝国大学大学院入学、中学校教諭ののち、1922年松江高等学校教授、1925年三高講師、1927年教授、49年京大教養部教授、1958年10月定年退官、名誉教授、南山大学教授。1966年大手前女子大学教授。没後従三位贈位勲三等瑞宝章受勲。 マシュー・アーノルドやT・S・エリオットの紹介、研究に努めた。1955年、『エリオット』で第6回読売文学賞受賞。若いころ湯浅芳子に恋していたことが瀬戸内寂聴『孤高の人』に書かれている。
河野 多麻(こうの たま、1895年10月 - 1985年1… 河野 多麻(こうの たま、1895年10月 - 1985年1月24日)は、日本の国文学者。河野与一の妻。 静岡県浜松市生まれ。旧姓中村。1913年静岡女子師範学校卒、小学校教諭を一年勤めたのち、東京女子高等師範学校に入り、1918年卒業、川越高等女学校教諭、1920年から1923年まで東京帝国大学で初の女子聴講生となり国文学を学び、実践女学校専門部国文科教師、1928年東北帝国大学法文学部に入学、当時助教授であった河野与一と知る。1931年卒業し実践女子専門学校講師。1937年教授となり、河野との結婚を公表する。1943年辞職し、1944年河野のいる宮城県築館町に疎開、戦後1950年に与一が岩波書店顧問となり上京、1962年『宇津保物語』全三巻を岩波古典文学大系として刊行する。
関根 秀雄、關根 秀雄(せきね ひでお、1895年(明治28… 関根 秀雄、關根 秀雄(せきね ひでお、1895年(明治28年)9月17日 - 1987年(昭和62年)7月27日)は、日本のフランス文学者。昭和期のモンテーニュ研究の第一人者。 国文学者関根正直の子として東京に生まれる。東京帝国大学選科修了。東京都立大学教授、青山学院大学教授を歴任。はじめフランス語学を研究、生涯を通じ『モンテーニュ随想録』などを研究翻訳した。 1936年5月26日、第2回文藝懇話会賞を受賞する。1980年、モンテーニュ出身地のフランスジロンド県・ボルドー市より、第1回モンテーニュ賞が贈られる。 1987年7月27日、肺炎により死去。享年91歳。墓所は染井霊園。 国文学者の関根慶子は妹、聖書学者の関根正雄は弟。
阿部 孝(あべ たかし、1895年8月22日- 1984年)… 阿部 孝(あべ たかし、1895年8月22日- 1984年)は、英文学者、高知大学名誉教授。岩手県花巻川口町(現:花巻市)出身。 現在の花巻市鼬弊(いたちべい)にある稲荷神社神主の家に生まれる。花城尋常小学校(現・花巻市立花巻小学校)から旧制岩手県立盛岡中学校に進学。小学校では宮沢賢治より1学年上、中学校では同窓で、中学時代には親交を結んだ。賢治が詠んだ短歌には「這ひ松のなだらを行きて息吐ける 阿部のたかしは がま仙に肖る」という一首がある。 第一高等学校を経て、東京帝国大学英文科卒、旧制高知高等学校教授、戦後高知大学教授、学長を務めた。1966年『ばら色のばら』で日本エッセイストクラブ賞受賞。
秋葉 安太郎(あきば やすたろう、1895年8月15日 - … 秋葉 安太郎(あきば やすたろう、1895年8月15日 - 1969年12月4日)は、国文学者、日本大学学長を務めた。 千葉県山武郡蓮沼村(現・山武市)出身。日本大学法文学部国文科卒。日大予科教授、日大教授、文理学部長、学長。1954年「大鏡の語法の研究」で日大文学博士。1965年定年退任、名誉教授。1967年4月、勲二等瑞宝章を受章。墓所は多磨霊園。
番匠谷 英一(ばんしょうや えいいち、1895年8月14日 … 番匠谷 英一(ばんしょうや えいいち、1895年8月14日 - 1966年6月17日)は、日本の劇作家、ドイツ文学者。立教大学名誉教授。 現在の大阪府泉佐野市にて運送業を営み、泉陽銀行取締役を務めた番匠谷平吉の長男として生まれる。旧制岸和田中学校、第三高等学校を経て1920年京都帝国大学独文科卒業。1924年懸賞戯曲『黎明』に当選し、劇作家として活動するかたわらドイツ文学の翻訳を行う。1928年立教大学教授、61年定年となり名誉教授。 シュニッツラーを中心にドイツ文学、またアンデルセンなどを翻訳した。また劇作家として、源氏物語、宇治十帖を扱った戯曲を残した。 立教大学で教鞭を執る傍ら、立教大学劇研究会の会長も務めた。
鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年6月3日 - 1… 鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年6月3日 - 1970年3月4日)は、フランス文学者、日本芸術院会員。
鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年(明治28年)6… 鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年(明治28年)6月3日 - 1970年(昭和45年)3月4日)は、日本のフランス文学者、東京大学名誉教授、日本芸術院会員。 1895年(明治28年)、神田川の川口に近い神田佐久間町で米問屋を営んでいた富裕な家庭に生まれた。父・鈴木政次郞の二男。東京女子師範附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)に通った。1908年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)を卒業し、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に進学・中学校では、諸橋轍次が担任であった。1913年に卒業し、直ちに第一高等学校第一部丁類(仏語法科)に進み、翌年よりボードレールの『悪の華』翻訳に取り組んだ。
菊池 仁康(きくち にこう、1895年〈明治28年〉5月29… 菊池 仁康(きくち にこう、1895年〈明治28年〉5月29日 - 1967年〈昭和42年〉9月14日)は、大正から昭和中期の青森県の実業家でロシア文学者。実業家としては板柳銀行頭取を務め、合併後の青森銀行では取締役となったほか、菊屋百貨店社長としても活躍した。 その一方で、ドストエフスキーやプーシキンの翻訳を行うなどロシア文学者としても知られ、詩人福士幸次郎の地方主義運動に参加するなど文化人としても足跡を残した。 青森県北津軽郡板柳村(現・同郡板柳町)出身。父・菊池仁了、母・たかの長男として生まれる。(旧制)県立青森中学校卒業後、上京し、明治大学政治経済科を中退した後、ニコライ露西亜神学校、東京外国語学校(現・東京外国語大学)でロシア語を学ぶ。
大木 雄二(おおき ゆうじ、1895年〈明治28年〉5月7日… 大木 雄二(おおき ゆうじ、1895年〈明治28年〉5月7日 - 1963年〈昭和38年〉7月21日)は、日本の歌人、児童文学者。本名・大木 雄三。 群馬県佐波郡赤堀村(現・伊勢崎市)に生まれる。郷里で小学校の教員を勤めたのち、20歳の時に上京。 1932年から雄二を名乗る。1919年「こども雑誌」の編集者となる。「少年雑誌」「金の星」などに童話を発表した。1927年(昭和2年)童話作家協会に入会し、幹事を務める。1928年(昭和3年)プロレタリア系の新興童話作家連盟の結成に参加。反戦童話「可愛い敵め」を発表する。1932年(昭和7年)右翼的な日本文化連盟を結成、戦時中はファシズム作家であった。
奥津 彦重(おくつ ひこしげ、1895年4月28日 - 19… 奥津 彦重(おくつ ひこしげ、1895年4月28日 - 1988年3月13日)は、日本のドイツ文学者。東北大学名誉教授。 滋賀県出身。1920年東京帝国大学文学部独文科卒。東北帝国大学法文学部助教授、東北大学教養部教授、1959年定年退官、名誉教授となった。主としてゲーテを研究した。