平松 久司(ひらまつ ひさし、1935年〈昭和10年〉1月1… 平松 久司(ひらまつ ひさし、1935年〈昭和10年〉1月1日 - 2021年〈令和3年〉3月13日)は、日本の吹奏楽指導者で指揮者。2006年から2013年まで社団法人全日本吹奏楽連盟の理事長を務めた。 愛知県出身。国立音楽大学器楽科卒。トランペットを北野勝廣(元NHK交響楽団首席トランペット奏者)に師事。京都市交響楽団で第一トランペット奏者を務めたのち、1961年に京都橘女子高等学校(現京都橘高等学校)の音楽教諭へ転身し吹奏楽部を創設。正確な奏法と多彩な音楽表現指導を通じて日本屈指の高校マーチングバンドを作り上げた。1995年に同部顧問を勇退。 その後は社団法人全日本吹奏楽連盟第11代理事長や関西吹奏楽指導者研究会理事長をはじめとする数多の要職を務めながら後進の育成にあたっていた。
前田 憲男(まえだ のりお、本名:前田 暢人〈まえだ のぶひ… 前田 憲男(まえだ のりお、本名:前田 暢人〈まえだ のぶひと〉、1934年12月6日 - 2018年11月25日)は、日本のジャズピアニスト、作曲家、編曲家、指揮者。 大阪府出身。小学校教師であった父より、幼少より読譜を学ぶ。大阪府立桜塚高等学校卒業と同時に、プロのジャズピアニストとして活動を開始。ピアノ・指揮法とも独学で習得する。1955年に上京、名門ジャズバンド「西條孝之介とウエスト・ライナーズ」などのメンバーとして活躍。以後、様々なバンドに参加する一方、数多くのテレビ番組のテーマ音楽を手がける。特に、テレビ番組で共演し、共に昭和9年生まれの芸能人の会「昭和九年会」のメンバーでもある大橋巨泉とは親交も深く、巨泉が出演した番組のテーマ音楽の大半を手がけている。
宇宿 允人(うすき まさと、1934年11月8日 - 201… 宇宿 允人(うすき まさと、1934年11月8日 - 2011年3月5日)は、京都府出身の指揮者、トロンボーン奏者。旧名は山口 治だが、のちに婚家の姓を名乗り、宇宿 治となり、のち宇宿 允人と改名した。 京都市西陣で表具師の家庭に生まれ育つ。京都市立西陣小学校から京都市立上京中学校を経て同志社高等学校に入学するが経済的理由で中退し、京都市立堀川高等学校普通科に転校。同音楽科への転科を経て、1957年に東京芸術大学器楽科卒業後、ABC管弦楽団に入団。翌1958年、トロンボーンの師である嶋昇の誘いでNHK交響楽団に移籍。1960年から1968年までN響の首席トロンボーン奏者として活動。傍ら、フルトヴェングラーの指揮する音楽と彼の人柄に感銘を受けて指揮者を志し、管弦楽法と指揮法を近衛秀麿に師事し、指揮者として東京佼成ウインドオーケストラを指導した。
早川 正昭(はやかわ まさあき、1934年1月7日 - 20… 早川 正昭(はやかわ まさあき、1934年1月7日 - 2024年8月20日)は、日本の作曲家、指揮者。広島大学名誉教授、新ヴィヴァルディ合奏団常任指揮者。 千葉県市川市出身。早くから音楽の才能を示し、6歳で最初の曲を書いた。東京都立両国高等学校を経て、東京大学で農学を学んだ後、東京芸術大学で長谷川良夫に作曲を、渡邉暁雄に指揮を学び、1960年に卒業した。 1961年に東京ヴィヴァルディ合奏団を創立し、日本のみならずヨーロッパ各地で公演を行った。 1978年にはウィーンとミュンヘンに留学し、バロック音楽を研究した。 1979年、東京ヴィヴァルディ合奏団のトップメンバーらとともに新ヴィヴァルディ合奏団を設立。
池田 明良(いけだ あきら、1933年11月2日 - 200… 池田 明良(いけだ あきら、1933年11月2日 - 2009年12月31日)は、日本のバリトン歌手、合唱指揮者。
土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日 - 2023… 土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日 - 2023年8月20日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者。1959年、東洋人初のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の団員となり、40年以上にわたって在籍した。妻はピアニストの元井美幸。
伴 有雄(ばん ありお、1933年6月15日 - 1985年… 伴 有雄(ばん ありお、1933年6月15日 - 1985年7月20日 )は、日本の指揮者。 福岡県筑後市出身。慶應義塾高等学校から慶應義塾大学文学部に進学。大学では音楽学を専攻し、合唱団の指揮も手掛ける。その後、デトモルトの北西ドイツ音楽院を経てウィーン国立音楽大学指揮科でハンス・スワロフスキーに師事して卒業。帰国後、日本フィルハーモニー交響楽団などを指揮、在京オーケストラへの客演を中心にドイツ・オーストリア音楽の分野を中心に活動。 1980年に、ニューフィルハーモニーオーケストラ(現:千葉交響楽団)を立ち上げた。 その後は各地のオーケストラの指揮をし、晩年に習志野フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者として活動中、演奏会当日に脳内出血で死去。
吉村 信良(よしむら のぶよし、1933年3月3日 - 20… 吉村 信良(よしむら のぶよし、1933年3月3日 - 2009年3月31日)は、日本の合唱指揮者である。兵庫県神戸市出身、兵庫県立星陵高等学校、京都大学経済学部卒業。山田一雄、林達次に師事。 京都で印刷会社の経営に携わる一方、多くの合唱団で指揮者として活動する。全日本合唱コンクール全国大会において京都産業大学グリークラブを指揮し、1981年(昭和56年)から1989年(平成元年)まで9年連続金賞1位に導いた。古希を過ぎてからも、創立に関わった混声合唱団京都木曜会をはじめとした多くの団体を指揮し、精力的に演奏活動を行った。また、2005年(平成17年)に開催された「世界合唱シンポジウム~世界合唱の祭典 京都~」では、実行委員長を務めた。
遠藤 雅古(えんどう まさひさ、1933年2月15日 - 1… 遠藤 雅古(えんどう まさひさ、1933年2月15日 - 1999年4月10日)は、日本の指揮者。 東京都出身。1956年、東京藝術大学声楽科を卒業後、東京藝術大学大学院指揮研究科に進み、1960年大学院前期博士課程修了、1962年東京藝術大学専攻科修了。指揮法を山田一雄、渡辺暁雄に師事。また、1982年~1983年、文化庁派遣芸術家在外研修員としてミュンヘンに派遣され、セルジュ・チェリビダッケの下で研鑽を積んだ。 群馬交響楽団指揮者、札幌交響楽団副指揮者、東京音楽大学講師を経て、1963年東京藝術大学指揮科助教授、1997年東京藝術大学指揮科教授に就任、後進の育成にあたったが、1999年に死去。
山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - … 山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - 2002年6月18日)は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。東京都出身。 東京五反田の至誠病院に生まれ、中野区や大田区や豊島区などを転々として育つ。幼児期から父の山本直忠、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、自由学園で羽仁協子や久山恵子、林光、三善晃などと共に早期音楽教育を受ける。自由学園時代の学友の一人に渡辺岳夫がいる。指揮は高校時代から自由学園を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で齋藤秀雄に師事。同時期の同門に、尾高忠明、飯守泰次郎、秋山和慶、小澤征爾、村方千之、久山恵子らがいる。小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。
熊谷 弘(くまがい ひろし、1932年11月3日 - )は、… 熊谷 弘(くまがい ひろし、1932年11月3日 - )は、日本の指揮者、作曲家。コンサートや映画音楽のレコーディング等で活動している。 福岡県に生まれる。福岡県立八女高等学校卒業後、武蔵野音楽大学作曲学科に入学し、クラウス・プリングスハイムに作曲を師事する。1957年、日本フィルハーモニー交響楽団に打楽器奏者として入団する。1960年代はニューディレクション設立にあたり同人として現代音楽と積極的に拘わる。傍ら指揮を渡邉暁雄に師事し、室内合奏団(スペルーロ合奏団)を組織し、放送(NHK-FM)、演奏会などで指揮活動を行う。 1970年、日本フィルを退団と同時に打楽器奏者を引退、同年日本フィル特別演奏会において指揮者としてデビューする。
有村 祐輔(ありむら ゆうすけ、1932年10月14日-)は… 有村 祐輔(ありむら ゆうすけ、1932年10月14日-)は、日本の音楽家、指揮者、音楽学者。都留文科大学名誉教授。専門はルネッサンス音楽と合唱で、日本古楽界の第一人者。 鹿児島県出身。鹿児島県立甲南高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科を1958年に卒業。NHKの「歌のメリーゴーランド」のレギュラーや都留文科大学の講師を務めた。1972年、ノッティンガム大学大学院音楽学専攻修士課程修了。1983年~1984年、再度渡英してオクスフォード大学に留学。都留文科大学文学部教授を経て、上野学園大学国際文化学部教授。 日本合唱指揮者協会会員、日本古楽協会代表。東京プロ・ムジカ・アンティカ指揮者を務めた。
岩城 宏之(いわき ひろゆき、1932年9月6日 - 200… 岩城 宏之(いわき ひろゆき、1932年9月6日 - 2006年6月13日)は、日本の指揮者。位階は正五位。 指揮法を渡邉暁雄と齋藤秀雄に師事した。 東京府にて、専売局(後の日本専売公社)技師・岩城與一(1895年〈明治28年〉生、魚津中学校〈現:富山県立魚津高等学校〉・第四高等学校・東京帝国大学農学部農芸化学科 卒業、名古屋地方専売局長、1946年〈昭和21年〉に退官)の第5子(末子)として生まれた。小学校に入学して間もなく父の転任で京都に転居、9歳で木琴を始める。小学4年生の3学期で東京に戻る。当時は病弱で、小学5年生と6年生の2年間に10か月間病欠し、骨膜炎で片脚切断の寸前まで行ったことがある。
久住 和麿(くすみ かずまろ、1932年〈昭和7年〉8月26… 久住 和麿(くすみ かずまろ、1932年〈昭和7年〉8月26日 - 2011年〈平成23年〉3月4日)は、日本の作曲家、合唱指揮者。新潟大学名誉教授。 新潟県新潟市西区出身。1951年(昭和26年)3月に新潟高等学校を卒業、1955年(昭和30年)3月に新潟大学教育学部音楽科を卒業、東京芸術大学委託課程を修了。山田常三、石桁真礼生、松本民之助、柏木俊夫らに師事。 新潟大学教育学部音楽科教室助手、助教授を経て、1981年(昭和56年)から1年間、文化庁芸術家在外研修員としてアメリカのイェール大学宗教音楽研究所に留学、1982年(昭和57年)に教授に就任、1998年(平成10年)に退官。 2011年(平成23年)3月4日午前8時10分に新潟市西区寺地の済生会新潟第二病院で膵臓癌のため死去、78歳没。
辻 正行(つじ まさゆき、1932年8月5日 - 2003年… 辻 正行(つじ まさゆき、1932年8月5日 - 2003年11月1日)は、日本の合唱指揮者である。石川県江沼郡山中町出身。 石川県立大聖寺高等学校を経て武蔵野音楽大学声楽科卒業。同大学専攻科修了。NHK東京放送合唱団に所属したが65年にフリーの合唱指揮者として独立する。作曲家高田三郎との親交が深く、高田の代表作である「水のいのち」「心の四季」等のステージ初演を務めた。ほかにも多くの邦人作曲家の初演や紹介にも精力的に取り組んだ。 指揮・指導を務める傘下の合唱団をTCF(ツジ・コーラス・ファミリー)として組織化する。各合唱団を率いて全日本合唱コンクール全国大会で度々金賞に導いた。84年には合唱団の最優秀指揮者に送られる「コーラス・オブ・ザ・ワールド賞」を受賞する。
川越 守(かわごえ まもる、1932年8月5日 - 2017… 川越 守(かわごえ まもる、1932年8月5日 - 2017年12月9日)は、北海道出身の日本の作曲家、指揮者。 北海道を中心に活動した作曲家で、地域の演奏団体、劇団等のために100曲を超える作品を作曲した。 1952年に北海道大学へ入学し北海道大学交響楽団へ入団、1955年には北大交響楽団の常任指揮者に就任した。 1956年に教育学部教育学科音楽専攻を卒業後、1987年まで北海道学芸大学(現北海道教育大学札幌校)で非常勤講師を務めた。 1960年より作曲活動を開始し、主な作品として「北海の幻想」、札幌市の市歌「市民の歌」、「交響詩“サッポロ”」などが知られている。 1970年から札幌大谷短期大学及び1983年から北海道教育大学岩見沢校で1998年まで非常勤講師を務めた。
三石 精一(みついし せいいち、1932年3月28日 - )… 三石 精一(みついし せいいち、1932年3月28日 - )は、日本の指揮者。 東京出身。幼少よりピアノを学び、ピアニストをめざすが、手の故障で断念。下総皖一のもと作曲を学ぶ。但しコンサート・ピアニスト以外の伴奏などの活動は続けている。 1950年の東京藝術大学受験前に、金子登に指揮者の道を勧められ、同校指揮科の一期生として入学。ピアノを水谷達夫、作曲を下総皖一、指揮を金子登、クルト・ヴェス、渡邉暁雄などに師事。 1955年卒業後、同大学院指揮科専攻科に進学。翌年修了し、芸大指揮科と同大学附属高校にて教鞭をとる。当初は主にピアニストとして、ヴァイオリンの諏訪根自子、声楽の藤原義江、大谷冽子、砂原美智子、アリゴ・ポーラ、ゲルハルト・ヒュッシュ、木琴の平岡養一らの伴奏者として活動する。
柳川 直則(やながわ なおのり、本名:柳川 正祐(やながわ … 柳川 直則(やながわ なおのり、本名:柳川 正祐(やながわ まさすけ)、1932年3月28日 - )は、日本の作曲家、合唱指揮者。 東京都出身。東京芸術大学声楽科卒。声楽を畑中良輔、畑中更予、作曲を松本民之助、指揮を渡辺暁雄に師事。1959年、第二次イタリアオペラ日本公演に出演、大歌手を間近に接し大きな示唆を受ける。東京室内歌劇場の副指揮者も務めた。1957年、自身が指揮者を務める合唱団の連合会を提唱し、当初は6団体で結成。クールスィスと命名し、26回の演奏会の後、解散。この間東京交響楽団他のオーケストラ、室内楽団、中澤桂・立川澄人ら著名ソリストで、ハイドンのオラトリオ四季、ブラームスの哀悼歌および運命の歌、モーツァルト、フォーレ、ケルビーニ等のレクイエムを指揮。
中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 … 中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 - )は、日本の声楽家(テノール・カウンターテノール)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。本名:中村 雄。 東京都出身。1958年(昭和33年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。畑中良輔に師事。 オペラデビューは1959年(昭和34年)ロッシーニ『セビリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵。オペラでの出演歴はきわめて多数にのぼり、二期会、東京室内歌劇場を主に、昭和音楽大学オペラ情報センターに記録されているだけでも127回を数える。主演したオペラは70曲を超えているという。「オペラ界での長年の活躍と日本初演作上演への貢献も著しい往年の名テナー」である。
洲脇 光一(すわき みつかず、1932年(昭和7年) - )… 洲脇 光一(すわき みつかず、1932年(昭和7年) - )は、日本の合唱指揮者。関西地方を拠点に活動している。 兵庫県神戸市出身。関西学院大学商学部卒業。在学中は関西学院グリークラブに在団して学生指揮者を務め、1954年(昭和29年)の第7回全日本合唱コンクール全国大会において、同年から導入された招待演奏を指揮した。大学卒業後は新月会を指揮し、1958年(昭和33年)の第11回全日本合唱コンクール全国大会一般部門、翌年の第12回と2年連続優勝を果たした。 その後、アメリカ合衆国へ留学し、南メゾジスト大学芸術学部音楽科大学院修了、宗教音楽と合唱指揮を専攻した。帰国後、神戸女学院大学音楽部専任講師を経て、甲南女子大学教授、ワイオミング州立大学音楽学部客員教授を歴任した。
福田 一雄(ふくだ かずお、1931年9月26日 - )は、… 福田 一雄(ふくだ かずお、1931年9月26日 - )は、日本の作曲家、指揮者である。 東京都出身。母の方針によって5歳のときから絶対音感教育を受け、モスクワ音楽院の教授を務めていたポール・ヴィノグラードフにピアノを学んだ。 1937年、学習院初等科に入学し、学習院中・高等科を経て、学習院大学政経学部に進んだ。この頃から、幼時から習得していたピアノの腕を生かして音楽関係のアルバイトを始め、ジャズバンドでピアノを弾いたり、進駐軍のクラブ回りなどに参加したりしていた。やがて友人の近衛秀健(近衞秀麿の子)の紹介によって東宝交響楽団(後の東京交響楽団)や東京フィルハーモニー交響楽団、近衛管弦楽団などでもピアニストを務めた。
北村 協一(きたむら きょういち、1931年(昭和6年)9月… 北村 協一(きたむら きょういち、1931年(昭和6年)9月9日 - 2006年(平成18年)3月13日)は、日本の指揮者。オペラや合唱の分野で活躍した。 小倉市で3人きょうだいの末っ子(上に姉、兄がいる)として生まれ、生後間もなく大阪へと移り住んだ。少年時代に戦争が激化し、母の実家のある高知市に疎開し生活する 。その後大阪へ戻り、1950年(昭和25年)に関西学院大学経済学部に入学。在学中は関西学院グリークラブの学生指揮者に就任し、1953年(昭和28年)の第6回全日本合唱コンクール全国大会大学部門に同団を指揮して出場、優勝を果たす。 卒業後は福永陽一郎の誘いを受けて東京コラリアーズに歌手として入団し、後に指揮者として活躍。
大町 陽一郎(おおまち よういちろう、1931年8月22日 … 大町 陽一郎(おおまち よういちろう、1931年8月22日 - 2022年2月18日)は、日本の指揮者。東京芸術大学名誉教授。 東京都生まれ。父は旭物産合資会社(後の旭光学工業)の社長を務めた大町弘蔵、祖父は陸軍主計少将 の大町豊五郎、曽祖父は医師の大町淳信で、典薬寮に仕えたこともある地下家の医師の家系であった。 少年時代、作曲家の呉泰次郎が開いていた音楽私塾で音楽理論、作曲法、指揮法の手ほどきを受ける。旧制成城高等学校を経て、東京芸術大学作曲科に入学するも、指揮への興味が募り、指揮法を渡邊暁雄、クルト・ヴェスに師事。その後、ウィーン国立音楽大学指揮科に入学し、指揮をハンス・スワロフスキー、フランコ・フェラーラに師事。
八尋 和美(やひろ かずみ、1931年8月20日 - )は、… 八尋 和美(やひろ かずみ、1931年8月20日 - )は、日本の指揮者。特にメンデルスゾーンの合唱曲の解釈と指揮で知られ、現代作曲家アルヴォ・ペルトの合唱曲の指揮にも近年は積極的に取り組んでいる。
外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は… 外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は、日本の指揮者・作曲家。東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身。東京藝術大学音楽学部作曲科卒。父は作曲家の外山國彦。弟は声楽家・合唱指揮者の外山浩爾。
南 安雄(みなみ やすお、1931年5月2日 - 2012年… 南 安雄(みなみ やすお、1931年5月2日 - 2012年8月21日)は日本の作曲家、編曲家、指揮者。本名・岡田定夫。 京都市左京区出身。京都市立堀川高等学校音楽科卒業。 合唱曲の作曲や声楽曲の編曲を数多く手がけた。代表作品に詩人蓬萊泰三の詩をもとに作曲した「チコタン」は、現在も児童合唱の定番曲として有名。他にも蓬莱が作詞した「日記のうた」、「お菓子のうた」(前三作をまとめて三部作とも呼ばれる)、「日曜日~一人ぼっちの祈り~」などがある。いずれも詩の世界は深刻で衝撃的な内容をはらんでいるが、コロムビア合唱団には好んで取り上げられている。 長年NHKテレビの専属編曲家として活躍し、連続テレビ小説の『わたしは海』、『はっさい先生』のテーマ曲を担当したのをはじめ、『みんなのうた』、『音楽の広場』、『徹子と気まぐれコンチェルト』、『名曲アルバム』、『歌謡チャリティーコンサート』などにその名が見られる。
すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931… すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931年〈昭和6年〉4月11日 - 2021年〈令和3年〉9月30日)は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。位階は従四位。 日本作編曲家協会(JCAA)常任理事、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。 1931年、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)で、椙山庸吉、蔦子の長男として生まれる。 父親の庸吉は1907年、奈良藩士の末裔である椙山家の人物と小学校教頭であった母の間の一人息子として神戸市に生まれ、旧制大阪高等学校を経て東京帝国大学薬学部を卒業後、昭和薬科大学で教鞭を執り、1938年より愛知県庁の衛生技官を務め、1942年に厚生省本省に転じ、1952年に保安庁に出向したという経歴を持つ人物だった。
山岡 重信(やまおか しげのぶ、1931年2月15日 - 2… 山岡 重信(やまおか しげのぶ、1931年2月15日 - 2022年6月20日)は日本の指揮者。東京都生まれ。 早稲田大学理工学部在学中より、早稲田大学交響楽団(アマチュア・オーケストラ)を指揮する。卒業後読売日本交響楽団ヴィオラ奏者としても活躍。プロ指揮者としては1967年デビュー。同年、第1回民音指揮者コンクールで第2位に入賞。翌年には日本音楽舞踏批評家協会賞も受賞。 藤原歌劇団副指揮者、読売日本交響楽団副指揮者を経て1969年より1972年まで読売日本交響楽団指揮者、1969年より1970年まで札幌交響楽団指揮者、1972年より1976年まで東京都交響楽団指揮者を務めた。その後も、群馬交響楽団、ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉にて、指揮者を歴任した。
藤井 凡大(ふじい ぼんだい、1931年1月2日 - 199… 藤井 凡大(ふじい ぼんだい、1931年1月2日 - 1994年7月24日)は、日本の作曲家、指揮者、音楽教育家である。 大分県竹田市生まれ。 幼児の頃から母に生田流箏曲を学ぶ。旧制福岡高等学校時代、福岡合唱協会で知り合った指揮者の石丸寛から影響を受ける。 九州大学工学部造船学教室へ進学し、1953年卒業。在学中より作曲を始める。同年、東京新聞主催の全国邦楽コンクール作曲部門で「和楽器と管弦楽協奏の為の一楽章」を自演(箏)して作曲部門の第1位となり、文部大臣賞、NHK賞を受賞。以後、放送音楽を中心とする作曲・指揮活動に入る。 作品には「東洋の楽器による交響曲・西遊記」(1967年文部省芸術祭レコード部門受賞)、「絲竹交響」、「伊勢物語抄」などの邦楽器楽曲、「北原白秋の詩による9つのカノン」、「筑紫のわらべ唄」などの合唱曲、オーケストラ作品等、作曲・編曲多数。
須賀 敬一(すか けいいち、1931年 - )は、日本の合唱… 須賀 敬一(すか けいいち、1931年 - )は、日本の合唱指揮者、編曲家。高知県出身、大阪府在住。豊中混声合唱団名誉指揮者、大阪府合唱連盟・関西合唱連盟最高顧問。 高知県立安芸高等学校を経て早稲田大学第一理工学部卒業。在学中は早稲田大学グリークラブに在団して学生指揮者を務める。磯部俶、高田三郎に師事。 大学卒業後は久我産業株式会社に勤務。その一方、1962年、豊中混声合唱団に入団、同年秋より指揮者となる。同団を指揮して1980年の第33回全日本合唱コンクール全国大会一般部門で金賞受賞、その後第35回(1982年)から第37回(1984年)と第44回(1991年)から第46回(1993年)、第48回(1995年)から第50回(1997年)と、3度の3年連続金賞に導く。
豊岡 豊(とよおか ゆたか、1930年5月29日 - 201… 豊岡 豊(とよおか ゆたか、1930年5月29日 - 2012年11月30日)は、日本のジャズミュージシャン、ビッグバンド豊岡豊とスイング・フェイスの指揮者・バンドマスターである。 所属はジョイナスエンターテインメントであった。 北海道登別市登別温泉出身。 15歳で終戦を迎え、故郷・登別温泉町の「登別グランドホテル」が米軍に接収され、豊岡はラジオ(FEN)で初めてジャズに接し、やがてダンスホールに入り浸る毎日を送るようになった。 旧制中学校卒業後に音楽界に入り、ドラマーとして演奏家の活動を開始。1年後に東京へ行き自らのジャズバンドを結成し、在日米軍キャンプ慰問や東京都内のクラブなどでの演奏活動を展開。
宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - 2016… 宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - 2016年6月10日)は、日本の音楽評論家、指揮者。東京都生まれ。国立音楽大学声楽科卒。 父は漫談家の牧野周一、長弟の宇野弘二は牧原弘二の芸名でジャズシンガーとして活動、次弟の宇野道義(筆名・宇野通芳、1945年 - 1997年)は帝京大学助教授を務めた。 なお功芳は筆名であり、本名は宇野功(うの いさお)である。あまりに身体が弱かったため父の牧野から心配され、功が23歳のとき牧野が姓名判断によって貰ってきた名前が功芳であるという。以前は宇野功芳を「うの いさお」と読み筆名としていた。 1930年5月9日、漫談家の牧野周一の長男として東京に生まれる。
荒谷 俊治(あらたに しゅんじ、1930年4月1日 - 20… 荒谷 俊治(あらたに しゅんじ、1930年4月1日 - 2020年1月1日)は、日本の指揮者。日本指揮者協会元会長。 広島県東広島市に生まれる。福岡県中学修猷館、旧制福岡高等学校を経て、1953年、九州大学法学部を卒業し、1955年、同文学部を卒業。九州大学在学中は、九大フィルハーモニーオーケストラ、福岡合唱協会に所属し指揮を行い、指揮法を石丸寛、作曲を高田三郎に師事する。 1959年、東京放送合唱団を指揮してデビュー。1968年、東京フィルハーモニー交響楽団指揮者に就任。1969年、文化庁派遣在外芸術研修員としてアメリカに留学し、ジョージ・セルのもとで研究して、1970年、クリーヴランド管弦楽団を指揮。
松浦 周吉(まつうら しゅうきち、1930年(昭和5年)1月… 松浦 周吉(まつうら しゅうきち、1930年(昭和5年)1月6日 - 2019年(平成31年)1月5日)は、日本の合唱指揮者。関西地方を拠点に活動した。 関西学院大学経済学部卒業。在学中は関西学院グリークラブに在団し、学生指揮者を務める。1950年(昭和25年)の第3回全日本合唱コンクール全国大会一般部門に同団を指揮して出場、翌年の第4回全日本合唱コンクール全国大会大学部門と連続優勝を果たす。 大学卒業後の1952年(昭和27年)に大和銀行(現・りそな銀行)に入行、同年に行員たちを集めて大和銀行合唱団(現・りそな合唱団)を結成し指揮者に就任した。1954年(昭和29年)の第7回全日本合唱コンクール全国大会職場部門に同団を指揮して初出場で第4位、1959年(昭和34年)の第12回以後全国大会の常連となり、1962年(昭和37年)の第15回から3年連続優勝。
佐藤 菊夫(さとう きくお、1929年 11月4日- )は、… 佐藤 菊夫(さとう きくお、1929年 11月4日- )は、日本の指揮者。東京管弦楽団音楽監督。東京合奏団主宰・音楽監督。世田谷区民吹奏楽団音楽監督。 国立音楽大学卒業。ウィーン国立音楽大学修了。秋田県秋田市土崎港の生まれ。妻は西川清子(チェンバロ奏者)。 1954年、国立音楽大学卒業。1956年、ウィーン国立音楽大学(オーストリア)に留学し、1960年、同大学の指揮・作曲科を修了。なお、妻の西川清子(挙式は1957年5月)も一緒に留学していた。ウィーン・アカデミー管弦楽団、ウィーン古典合奏団に入団して活動。 その一方、ウィーン少年合唱団の日本招へいなど、オーストリアと日本の音楽交流で尽力。 1961年の日本帰国後、1962年から指揮者として東京交響楽団などを担当。
秋山 紀夫(あきやま としお、1929年3月26日 - 20… 秋山 紀夫(あきやま としお、1929年3月26日 - 2025年12月9日)は、日本の指揮者、吹奏楽指導者、吹奏楽史研究家。 1956年、戦後初の第4回全日本吹奏楽コンクール全国大会に埼玉県立大宮工業高等学校の指揮者として出場する。その後、大宮市立桜木中学校とソニー吹奏楽団の指揮者としても全日本吹奏楽コンクール全国大会に出場する。1963年に教員を1年間休職し渡米する。アメリカ各地の吹奏楽を視察し、イーストマン音楽学校へ留学したり、ミッドウェスト・クリニック(英語版)に日本人として初めて参加する。その後、ヨーロッパ各地の吹奏楽を視察する。帰国後、教職を務めながら海外で見聞した吹奏楽指導法を書籍や教則本にまとめたり、アメリカの吹奏楽専門書の翻訳をする。
濱田 徳昭(はまだ のりてる、1929年(昭和4年)3月26… 濱田 徳昭(はまだ のりてる、1929年(昭和4年)3月26日 - 1986年(昭和61年)11月18日)は、日本の音楽理論家、指揮者、音楽教育者、作曲家。姓は浜田と表記されることがある。 山口県山口市出身。1951年(昭和26年)文化学院卒業。 齋藤秀雄、諸井三郎らに幼時から音楽を学び、ピアノ・作曲・指揮法を個人教授で習得。1956年(昭和31年) - 1959年(昭和34年)成蹊グリークラブ指揮者。1958年(昭和33年)谷桃子バレエ団10周年記念公演で東京ジングアカデミーを指揮。1959年(昭和34年) - 1961年(昭和36年)広島大学音楽科交響楽団を指導。1961年(昭和36年)東北大学交響楽団を指揮。
小野 満(おの みつる、1929年1月3日 - 2008年1… 小野 満(おの みつる、1929年1月3日 - 2008年1月2日)は、千葉県市原市出身の音楽家、ベーシスト、バンドマスター、指揮者。 ジャズ・カルテットのビッグ・フォアのベーシスト、小野満とシックス・ブラザーズのバンドマスター兼ベーシスト、小野満とスイングビーバーズのバンドマスター兼指揮者として活躍した。1967年から1983年までの17年間にわたり、スイングビーバーズと共にNHK紅白歌合戦の白組の演奏・指揮を担当した。 甥(長兄の息子)はロックドラマーでハルメンズ、ヒカシュー、ヤプーズのメンバーだった泉水敏郎。 1929年1月3日(昭和4年)現在の千葉県市原市磯ヶ谷にて、四人兄弟の三男として誕生。
土肥 泰(どい ゆたか、1928年9月10日 - 1998年… 土肥 泰(どい ゆたか、1928年9月10日 - 1998年11月14日)は、日本の作曲家、指揮者、ピアニスト、埼玉大学名誉教授。下總皖一、團伊玖磨に師事。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:クラシック音楽/PJ:クラシック音楽)。
関屋 晋(せきや しん、1928年7月6日 - 2005年4… 関屋 晋(せきや しん、1928年7月6日 - 2005年4月9日)は、日本の合唱指揮者である。ほぼ独学で合唱指揮者になった。本名は関屋晋(すすむ)。東京都生まれ。 東京都立小山台高等学校を卒業し、早稲田大学政治経済学部に在学中の1949年、学生合唱団「早稲田大学コール・フリューゲル」を設立。大学在学時よりアマチュア合唱団の指揮者として活躍する。1951年、早稲田大学を卒業。卒業後は一時期会社勤めをしたが、合唱に専念するため、1957年に退職。主に大学、一般合唱団(市民合唱団、職場合唱団)の指揮・指導に携わった。 関屋は「専業合唱指揮者」の草分け的存在であった。彼以前の合唱指揮者は他に主たる仕事(教職や作曲、声楽など)を持っていたり、オーケストラや吹奏楽の指揮もしていた。
東儀祐二(とうぎ ゆうじ、1928年5月11日 - 1985… 東儀祐二(とうぎ ゆうじ、1928年5月11日 - 1985年4月12日)は、京都生まれのヴァイオリン奏者、指揮者、音楽教育者。 1946年、宮内省楽部卒業。1950年3月、京都市立堀川高等学校音楽科(現京都市立京都堀川音楽高等学校)を卒業し、同年4月、東京藝術大学音楽学部器楽科ヴァイオリン専攻に入学。1954年3月、同大学を卒業し、同年4月、東京フィルハーモニー交響楽団に入団し、1956年2月まで第2ヴァイオリン首席を務める。 以後、ソリスト、リサイタル、室内楽などの演奏活動をしながら、同年4月、相愛女子短期大学音楽科助手及び相愛学園子供の音楽教室実技、合奏担当となる。1958年、相愛女子大学設置に伴い、同大学専任講師となる。
石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016… 石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016年6月22日)は、日本の合唱指揮者・合唱指導者・合唱曲の作曲家。合唱王国福島を築く。[要出典]福島県合唱連盟名誉理事長。福島県いわき市生まれ。
田中 信昭(たなか のぶあき、1928年1月1日 - 202… 田中 信昭(たなか のぶあき、1928年1月1日 - 2024年9月12日)は、日本の合唱指揮者。東京混声合唱団の創立者。新潟県出身。東京藝術大学講師、桐朋学園大学客員教授、国立音楽大学招聘教授を歴任。 作曲家と協力して日本の合唱音楽の創造に尽くし、400曲以上に渡る合唱曲の初演の指揮を行った。 旧制大阪高校中退。合唱部の後輩に作曲家の多田武彦がいる。1951年、中学校教員を退職し、NHK大阪放送合唱団へ入団。指揮者であった森本芳雄の死去により急遽指揮者を務めたことが指揮者デビューとなる。1952年、東京藝術大学音楽学部声楽科に進学。声楽をネトケ=レーヴェ、指揮法をクルト・ヴェスの各氏に師事する。
日下部 吉彦(くさかべ よしひこ、1927年11月16日- … 日下部 吉彦(くさかべ よしひこ、1927年11月16日- 2017年12月30日)は、日本の音楽評論家、ジャーナリスト、合唱指揮者。京都府京都市生まれ。元朝日放送解説委員で同局のニュース番組『たいむ6』初代キャスターを務めた。 音楽評論家として関西を中心としたクラシック音楽の評論・講義、演奏会の企画・司会進行、合唱にまつわる客演指揮・コンクール審査・執筆などの活動も展開。
川村 深雪(かわむら みゆき、1927年 - )はピアニスト… 川村 深雪(かわむら みゆき、1927年 - )はピアニスト、ハンドベル指揮者。東京芸術大学卒業、元創価大学教授。 川村はピアニストとして、日本の西洋音楽の初期の受容において、とりわけフランス近・現代の作品や、シェーンベルク等の現代音楽作品の演奏と紹介に貢献した人物である。また歌曲や合唱曲の伴奏者としても知られた。東京芸術大学に学び、この頃、山田耕筰より直接に指導も受けている。 1940年代から1950年代、福澤アクリヴィの来日の際に主たるピアノ伴奏者をつとめた。この時、福澤と川村は、1950年代の日本においてはほとんど知られていなかったフォーレ、ドビュッシー、フランクの歌曲などを演奏している。
福永 陽一郎(ふくなが よういちろう、1926年4月30日 … 福永 陽一郎(ふくなが よういちろう、1926年4月30日 - 1990年2月10日)は日本の指揮者、編曲家、音楽評論家。兵庫県神戸市生まれ。 関西学院中学部、西南学院中学部、西南学院高等部を経て、東京音楽学校(現:東京藝術大学)ピアノ科に入学したが、1948年1月に中退。東京音楽学校在籍中より、東宝交響楽団(現:東京交響楽団)にて、近衛秀麿の内弟子となり、指揮法、作曲法、管弦楽法を学ぶ。1950年、西南学院大学神学部に入学したが、翌年再上京し、藤原歌劇団に入団。マンフレート・グルリットの下でオペラ演奏法を学んだ。 晩年は腎臓病に苦しみ、人工透析に週3回通いながら音楽活動を続けていたが、1990年2月10日に死去。
村方 千之(むらかた ちゆき、1925年10月29日 - 2… 村方 千之(むらかた ちゆき、1925年10月29日 - 2014年12月14日)は、日本の指揮者。福岡県生まれ。日本指揮者協会の会員で、2014年の死没まで日本最年長の指揮者であった。村方指揮法教室を主催して後進指揮者育成に力を注いだ。ブラジルよりリオ・ブランコ勲章を受章している。また、第1回ヴィラ=ロボス国際指揮者コンクール特別賞を受賞している。日本ヴィラ=ロボス協会会長、日本演奏連盟会員。東京都中学校吹奏楽連盟初代理事長。 村方の音楽との出会いは、12歳で自由学園に入った時から始まる。 村方は最初、自由学園でフルートを学び、次にヴァイオリンを学んだ。3年後には、オーケストラの重要なメンバーの一人になっていた。
伊藤 栄一(いとう えいいち、1925年(大正14年)10月… 伊藤 栄一(いとう えいいち、1925年(大正14年)10月1日 - 2020年(令和2年)2月24日)は、日本の指揮者。音楽教育者。ピアニスト。東京学芸大学名誉教授、創価大学名誉教授、東京芸術大学講師。一部に名前の表記を榮一としているものがある。 東京市出身。1950年(昭和25年)東京音楽学校(東京芸術大学音楽学部の前身)本科器楽科卒。 指揮法を渡辺暁雄、金子登、クルト・ヴェス、ピアノを水谷達夫、作曲を高田三郎に師事。 1951年(昭和26年)、金子登主催の東京オペラ協会によるプッチーニ『トゥランドット』、続くヨハン・シュトラウス2世『こうもり』(共に本邦初演)の公演の際に副指揮を担当。1952年(昭和27年)二期会設立と共に二期会合唱団初代常任指揮者としてモーツァルト『フィガロの結婚』、『魔笛』、ビゼー『カルメン』、ヴェルディ『椿姫』等数多くの演奏会やオペラを指揮。
芥川 也寸志(あくたがわ やすし、英: Yasushi Ak… 芥川 也寸志(あくたがわ やすし、英: Yasushi Akutagawa、1925年7月12日 - 1989年1月31日)は、日本の作曲家、指揮者。JASRAC元理事長。 作風は大きく分けて3つに分かれる。東京音楽学校を卒業後、快活な旋律とリズムで彩られた作風が魅力の第1期。それらの要素を削ぎ落とし、減衰、静的な要素を取り入れた前衛的作風に転換した第2期。そして第1期の快活明朗なるリズムを用いつつも、第2期以来の作風とクロスオーバーさせ、新たな世界への転換を図った第3期。この区分においても共通するものに、彼自身の生涯のテーマとなるオスティナートの使用がある。リズムを失った音楽は死ぬ、と述べているように、リズムこそ彼の音楽そのものであった。
伊吹 新一(いぶき しんいち、1925年3月2日 - 201… 伊吹 新一(いぶき しんいち、1925年3月2日 - 2012年7月26日)は、京都府京都市生まれの指揮者・音楽監督・音楽教育者。 オーケストラ・合唱・吹奏楽を指揮することが多い中で、ハイドンのミサ曲の演奏に力を入れた。アメリカ、ハワイ、中国、カナダ、オーストリア、ウィーン、ドイツなど海外公演もこなし、国際的な活躍もみせた。 京都府京都市西本願寺前の念珠屋「伊吹新八商店」八代目として生まれる。立命館大学専門部法政科卒業後、同大学法学部へ進学。在学中に立命館大学メンネルコール、立命館大学混声合唱団メディックス、立命館大学交響楽団を創部。京都市役所渉外課に依頼され、マシュー・リッジウェイ第8軍司令長官宅でクリスマス・キャロルを演奏する。