鈴木 秀夫(すずき ひでお、1898年(明治31年)7月4日… 鈴木 秀夫(すずき ひでお、1898年(明治31年)7月4日 - 1986年(昭和61年)9月17日)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。弁護士。 愛知県蒲郡市出身(北海道生まれ)。鈴木又治郎の長男。1912年(明治44)4月愛知県立第四中学校(現愛知県立時習館高等学校)入学。1913年(大正2年)鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)へ転校し、1917年(大正6年)3月卒業。1917年(大正6年)9月第一高等学校入学、1920年(大正9年)6月卒業。1920年(大正9年)9月東京帝国大学法学部英法科に入学し、在学中の1922年(大正11年)11月高等試験行政科に合格。1923年(大正12年)3月に東京帝国大学法学部を卒業し、4月5日に台湾総督府属に任ぜられ財務局勤務となる。
菊池 盛登(きくち もりと、1898年〈明治31年〉7月 -… 菊池 盛登(きくち もりと、1898年〈明治31年〉7月 - 1961年〈昭和36年〉5月2日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、禁衛府長官。旧姓・河野。 大分県出身。河野円吉の二男として生まれ、菊池要六の養子となる。第七高等学校造士館を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し高知県属となる。 以後、地方警視として佐賀県警察部、長野県警察部、大阪府警察部で勤務。さらに、宮崎県書記官・警察部長、山口県書記官・警察部長、警視庁総務部長、同特別高等警察部長などを歴任。 1943年7月、滋賀県知事に就任。戦時下の食糧対策として琵琶湖周辺の干拓事業を推進した。
多湖 實夫(たご じつお、1898年(明治31年)6月16日… 多湖 實夫(たご じつお、1898年(明治31年)6月16日 - 1985年(昭和60年)5月11日)は、日本の内務官僚、実業家。官選山梨県知事、学校法人愛知医科大学理事長、ワシントンホテル社長。 三重県員弁郡笠田村(現いなべ市)出身。多湖實の長男として生まれる。愛知県立第一中学校、第八高等学校を卒業。1922年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し東京府属となる。 以後、内務省社会局勤務、奈良県理事官、内務省社会局事務官・保険部勤務、静岡県書記官・経済部長、第16回国際労働会議出席(1932年ジュネーヴ開催、政府側顧問)、東京府学務部長、宮城県書記官・総務部長、大阪府総務部長などを歴任。
長谷川 茂雄(はせがわ しげお、1898年(明治31年)6月… 長谷川 茂雄(はせがわ しげお、1898年(明治31年)6月6日 - 1988年(昭和63年)7月22日[要出典])は、昭和時代前期の台湾総督府官僚、陸軍司政官。嘉義市尹、ジャカルタ市長。 東京市本郷区春木町(現・文京区本郷三丁目)に生まれる。1921年(大正10年)3月、東京高等商業学校を卒業し、同年11月、台湾総督府財務局金融課に奉職する。 1929年(昭和4年)10月、高等試験行政科に合格し、1931年(昭和6年)7月に地方理事官に進み、高雄州知事官房税務課長に発令される。1933年(昭和8年)9月、台中州知事官房税務課長に転じ、1934年(昭和9年)9月、台湾総督府税関事務官・財務局勤務、1935年(昭和10年)9月に東勢郡守を経て、1936年(昭和11年)10月に彰化郡守に就任する。
西村 彰一(にしむら しょういち、1898年(明治31年)5… 西村 彰一(にしむら しょういち、1898年(明治31年)5月8日)- 1958年(昭和33年)11月24日)は、日本の農林官僚、教育者、政治家。富山県知事、大東文化大学教授、衆議院議員。旧姓・永井。 長野県上水内郡古牧村平林(現長野市)出身。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)、松本高等学校理科を経て1923年、東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業し、翌1924年、同大法学部政治学科を卒業。農林省に入り農林属となる。 以後、農林事務官、農林書記官、大阪営林局長、農林省山林局長などを歴任。1944年2月、富山県知事に就任し、同年7月まで在任。農商省農政局長に移り、さらに馬政局長官、農林省開拓局長を務めた。
岡本 茂(おかもと しげる、1898年〈明治31年〉5月7日… 岡本 茂(おかもと しげる、1898年〈明治31年〉5月7日 – 1980年〈昭和55年〉9月30日)は、日本の内務官僚、政治家。山口県知事(官選第27代)、富山県知事(官選第31代)、衆議院議員(4期)。旧姓は小野。 奈良県出身。小野は奈の三男として生まれ、岡本佐七の養子となる。1924年、京都帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。大学にさらに一年間在学し、1925年に法学部法律学科を卒業。内務省に入省し滋賀県属となる。 1927年、島根県に移り、会計、学務、庶務の各課長を務める。以後、香川県警察部・新潟県警察部の各特別高等警察課長、満洲国国務院民政部総務科長、内務省社会局事務官、滋賀県書記官・警察部長、警視庁衛生部長、同保安部長、内務省計画局都市計画課長、同地方局振興課長、大阪府書記官・総務部長、同内政部長などを歴任。
永野 若松(ながの わかまつ、1898年(明治31年)5月7… 永野 若松(ながの わかまつ、1898年(明治31年)5月7日 - 1977年(昭和52年)3月30日 )は、日本の内務官僚。勲二等瑞宝章。福井県知事などを歴任し、特に原爆被災時の(官選)長崎県知事として知られる。 福岡県北九州市小倉区生まれ。東京帝国大学工学部電気工学科卒業後、同大学法学部に編入し卒業後、内務省に入省。厚生省労政課長、警視庁刑事部長、同特高部長、内務省保安部長、福井県知事、東海地方協議会参事官、内務省防空総本部総務局長を経て1945年4月21日、長崎県知事に任命された。 同年8月8日夕方、広島市への原子爆弾投下後に被災状況を実見し、長崎に帰った西岡竹次郎代議士から広島の惨状を聞いた永野は、警察との協議で現時点で無傷である長崎にも原子爆弾が投下される可能性が高いとの結論に至った。
小菅 芳次(こすげ よしじ、1898年(明治31年)4月28… 小菅 芳次(こすげ よしじ、1898年(明治31年)4月28日 - 1961年(昭和36年)9月16日)は、日本の内務・警察官僚。官選香川県知事、台湾総督府交通局総長。 愛知県出身。小菅佐吉の四男として生まれる。第六高等学校を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し埼玉県属となる。 以後、警視庁事務官、同警視、内務事務官、警視総監官房調停課長、工場監督官、広島県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、東京府総務部長などを歴任。 1942年1月、香川県知事に就任。戦時下の対応に尽力。1945年1月、最後の台湾総督府交通局総長に転じ終戦を迎えた。
岩上 夫美雄(いわかみ ふみお、1898年(明治31年)4月… 岩上 夫美雄(いわかみ ふみお、1898年(明治31年)4月25日 - 1986年(昭和61年)12月28日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選秋田県知事。 東京府出身。岩上照雄の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し内務属となる。 以後、山梨県理事官、大阪府工場監督官、奈良県書記官・警察部長、岡山県書記官・警察部長、愛知県書記官・警察部長、警視庁警務部長、北海道庁総務部長などを歴任。 1940年7月、秋田県知事に就任。戦時下の体制整備に尽力。1943年7月に知事を退任。同年に退官し、大日本産業報国会常務理事となる。
並川 義隆(なみかわ よしたか、1898年(明治31年)4月… 並川 義隆(なみかわ よしたか、1898年(明治31年)4月11日 - 1975年(昭和50年)1月2日)は、日本の内務及び警察官僚。官選滋賀県知事。 京都府出身。並川栄慶の長男として生まれる。第三高等学校を卒業。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年、京都帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し大阪府属となる。 以後、地方警視・宮崎県警察部保安課長、徳島県警察部保安課長、地方事務官・秋田県農務課長兼知事官房秘書課長兼文書課長、奈良県地方課長、同勧業課長、福井県学務部長、岡山県学務部長、島根県総務部長などを経て、1939年4月、富山県総務部長となる。1940年4月、東京府書記官・経済部長に就任。
橋本 昂蔵(昻蔵、はしもと こうぞう、1898年(明治21年… 橋本 昂蔵(昻蔵、はしもと こうぞう、1898年(明治21年)4月10日 - 1970年(昭和45年)3月29日)は、日本の大蔵官僚、陸軍司政官、実業家。 鳥取県出身。第一高等学校、東京帝国大学法学部政治学科卒業。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科に合格し、1922年、大蔵省に入省(主計局属)。戦時中にはシンガポールへの赴任や南方軍、昭南軍で部長職なども務めた。戦後、公職追放された。退官後は理研鍛造会社で社長や会長などを務めた。墓所は多磨霊園。
里見 富次(さとみ とみじ、1898年〈明治31年〉3月27… 里見 富次(さとみ とみじ、1898年〈明治31年〉3月27日 - 1998年〈平成10年〉6月29日)は、日本の内務官僚。元帝都高速度交通営団理事。 鳥取県境町(現境港市)出身。里見周三の二男。 第四高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。大正13年(1924年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し福島県属となる 大正15年(1926年)7月福島県事務官に任ぜられ爾来神奈川県事務官、高知県経済部長、千葉県書記官・学務部長、文部書記官、九州地方総監府参事官、近畿地方行政事務局次長等を歴任し、昭和23年(1948年)2月帝都高速度交通営団理事に就任した。 晩年は、日本進路指導協会会長、同理事長、顧問を歴任した。
佐藤 基(さとう はじめ、1898年(明治31年)3月23日… 佐藤 基(さとう はじめ、1898年(明治31年)3月23日 - 1971年(昭和46年)3月31日)は、日本の大蔵官僚。
土肥 米之(どひ よねゆき、1898年(明治31年)3月20… 土肥 米之(どひ よねゆき、1898年(明治31年)3月20日 - 1990年(平成2年)7月24日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 広島県出身。第六高等学校を卒業。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し三重県属となる。 以後、島根県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長、北海道庁部長・警察部長、宮城県総務部長、兵庫県書記官・総務部長、大阪府書記官・総務部長、四国地方行政協議会参事官などを歴任。 1942年1月、鳥取県知事に就任。統制経済の円滑な実施、翼賛体制の確立に尽力し、1943年7月に辞職した。1945年4月に愛媛県知事に就任し、戦後の復興に尽力。
堀木 鎌三(ほりき けんぞう、1898年3月17日 - 19… 堀木 鎌三(ほりき けんぞう、1898年3月17日 - 1974年4月13日)は、日本の鉄道官僚、政治家。参議院議員(2期)、厚生大臣。 三重県松阪市出身。堀木利右衛門の三男として生まれる。目白中学、第八高等学校を経て、1922年(大正11年)3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科試験に合格。1922年4月に鉄道省に入り、鉄道局書記となり東京鉄道局庶務課文書掛に勤務。鉄道局副参事・新橋運輸事務所営業主任、東京鉄道局運輸課旅客掛長などを歴任。1929年(昭和4年)7月に在外研究員に発令され、1931年(昭和6年)8月まで欧州に出張した。 帰国後、新橋運輸事務所長、大阪鉄道局運輸課長、運輸局旅客課長などを経て、1938年(昭和13年)4月、鉄道大臣秘書官兼大臣官房文書課長に就任し、中島知久平に仕えた。
三好 重夫(みよし しげお、1898年(明治31年)3月9日… 三好 重夫(みよし しげお、1898年(明治31年)3月9日 - 1982年(昭和57年)1月19日)は、日本の内務官僚。官選府県知事。
大坪 喜久太郎(おおつぼ きくたろう、1898年(明治31年… 大坪 喜久太郎(おおつぼ きくたろう、1898年(明治31年)3月1日 - 1967年(昭和42年)11月23日)は、日本の工学者、官僚。工学博士。室蘭工業大学元学長。北海道大学・室蘭工業大学名誉教授。専門は、水理工学・河川工学。富山県黒部市出身。河川水理学の権威で北海道開発における技術的指導者であった。 1922年(大正11年)九州帝國大學工学部土木工学科を卒業し、東洋アルミナムや、日本電力に勤務。1925年(大正14年)5月に北海道帝國大學工学部講師。1925年7月に同助教授。1942年(昭和17年)に論題「段落個所に於ける流体運動」で北海道帝国大学より工学博士号受く。1942年北海道帝國大學工学部教授(水理工学・河川工学講座を担当)。
小金 義照(こがね よしてる、1898年2月28日 – 19… 小金 義照(こがね よしてる、1898年2月28日 – 1984年2月11日)は、日本の政治家・官僚。郵政大臣。 神奈川県足柄上郡酒田村(現・開成町)に、酒造業・小金仁左衛門の四男として生まれる。神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)、一高を経て、1922年東京帝国大学法学部を卒業、農商務省に入省する。特許局属。商工省鉱山局長、鉄鋼局長、燃料局長官を歴任した。 戦後の1949年第24回衆議院議員総選挙に旧神奈川3区から無所属で立候補し当選する(当選同期に佐藤栄作・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・木村俊夫・藤枝泉介・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・有田喜一など)。
石井 政一(いしい まさかず / せいいち、1898年(明治… 石井 政一(いしい まさかず / せいいち、1898年(明治31年)2月28日 - 1997年(平成9年)2月24日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選福島県知事。 奈良県出身。石井庄太郎の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し京都府属となる。 以後、大阪府監察官、岡山県書記官・警察部長、内務事務官兼内務書記官、内務省土木局港湾課長、同道路課長、大臣官房文書課長、神社局総務課長などを歴任。 1944年4月、福島県知事に就任し終戦を迎えた。1945年10月27日、知事を依願免本官となり退官。1946年1月に公職追放となった。
永野 芳辰(ながの よしたつ、1898年(明治31年)2月2… 永野 芳辰(ながの よしたつ、1898年(明治31年)2月20日 - 1984年(昭和59年))は、日本の内務官僚・実業家。高知県知事。1953年(昭和28年)12月25日の奄美群島本土復帰立役者のひとり。 鹿児島県大島郡笠利村の佐仁(奄美大島、現奄美市)で、永野孫七の長男として誕生。1918年(大正七年)旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校卒業、1922年(大正11年)旧制第七高等学校造士館卒業、1925年(大正14年)京都帝国大学法学部政治学科卒業。 愛知県属を振り出しに沖縄県、福島県、北海道、東京府各課長、北海道拓殖部長を経て1941年(昭和15年)大政翼賛会地方部長に就任。その後秋田県総務部長兼学務部長、広島県部長・経済部長、同内政部長を経て、1945年(昭和20年)10月、高知県知事に就任。
伊能 芳雄(いよく よしお、1898年〈明治31年〉2月12… 伊能 芳雄(いよく よしお、1898年〈明治31年〉2月12日 - 1988年〈昭和63年〉10月2日)は、日本の内務官僚、政治家。長野県知事(官選第31代)、群馬県知事(公選第2代)、参議院議員(1期)。 1898年(明治31年)、群馬県吾妻郡中之条町に、伊能八平の三男として生まれる。旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業後、東北帝国大学農科大学予科へ進学。1923年(大正12年)東北帝国大学理学部地質学科を卒業。1924年(大正13年)高等文官試験行政科に合格、1925年(大正14年)、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省入省。警視庁警部補からキャリアを積み、警視庁警衛課長を務めた。
小林 利一(こばやし りいち、1898年(明治31年)2月1… 小林 利一(こばやし りいち、1898年(明治31年)2月12日 - 没年不明)は、大正から昭和にかけての満鉄職員、鉄道官僚。朝鮮総督府交通局長を務めた。 大分県速見郡別府町で小林豊蔵の次男として生まれる。1922年11月大学の卒業を待たずして高等文官試験行政科に合格し、1923年3月東京帝国大学政治学科を卒業。満鉄に入り、経理課勤務、京城鉄道学校講師を務めたのち、1925年、朝鮮総督府鉄道局に転じて書記になった。1926年3月には鉄道局副参事、1927年5月には鉄道局参事、1932年6月には鉄道局経理課長に就任。その後、鉄道局理事、京城地方鉄道局長を経て、1942年11月に鉄道局総務課長に就任。
古市 進(ふるいち すすむ、1898年(明治31年)2月6日… 古市 進(ふるいち すすむ、1898年(明治31年)2月6日 - 1963年(昭和38年)11月1日)は、大正から昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。大邱府尹、京城府尹。 石川県金沢市に生まれる。1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、朝鮮総督府に出仕。咸鏡南道属、京畿道警視、朝鮮総督府警察官講習所教授を経て、江原道理事官に発令される。 ついで事務官に転じ、同府警務局附となり、官房外事課に勤務する。哈爾濱および上海駐在を経て、忠清南道事務官に任官する。のち全羅北道警察部長を経て、同内務部長となり、1937年(昭和12年)4月1日付けで大邱府尹に発令される。府尹を辞したのち、黄海道、京畿道各内務部長を経て、1942年(昭和17年)5月、京城府尹となった。
遠藤 直人(えんどう なおと、1898年〈明治31年〉2月3… 遠藤 直人(えんどう なおと、1898年〈明治31年〉2月3日 - 1986年〈昭和61年〉4月6日)は、日本の内務官僚。メナド州知事などを務め、兵庫県最後の官選知事であった。戦後は帰農した一方で、福島県公安委員長などの公職を務めた。 福島県耶麻郡熱塩加納村(現喜多方市)出身。遠藤直美の長男。会津中学、二高を経て、1923年(大正13年)東京帝国大学を卒業。在学中に高等試験に合格しており、内務省に入省した。官歴は大阪府警部に始まる。山梨、長崎での勤務を経て、福岡の社会課、商工課兼水産課の各課長、富山、長崎の書記官、学務部長を歴任。1938年(昭和13年)、厚生省書記官として中央勤務となり、失業対策部総務課長として失業者対策を行った。
周東 英雄(すとう ひでお、1898年1月27日 - 198… 周東 英雄(すとう ひでお、1898年1月27日 - 1981年8月8日)は、日本の政治家・官僚。農林大臣や自治大臣などを歴任した。正三位勲一等旭日大綬章。 山口県大津郡三隅村(現・長門市)生まれ。少年時代より京都で過ごし、京都一中(現・京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第三高等学校を経て、1921年、東京帝国大学法学部独法科を卒業。農商務省に入省する。後に農林大臣を務めた井野碩哉の懐刀として、農林省米穀局長、農務局長、総務局長の要職を務める。その後企画院第四部長、商工省物価局長官を経て、1942年、帝国油糧統制会社初代社長となる。 戦後の1946年、第1次吉田内閣にて内閣副書記官長に就任し、書記官長林譲治のお株を奪う八面六臂の活躍ぶりを見せ、吉田茂に引き立てられた。
岩松 五良(いわまつ ごろう、1898年1月20日 - 19… 岩松 五良(いわまつ ごろう、1898年1月20日 - 1964年12月15日)は、日本の文部官僚。文部省実業学務局長等を経て、長崎高等商業学校校長を務めた。 東京府東京市杉並区生まれ。1918年第一高等学校大学予科文科志望卒業。1921年東京帝国大学文学部東洋史科卒業。1924年東京帝国大学法学部法律学科卒業。 1928年海軍兵学校文官教授。1932年文部省社会教育官。1938年文部大臣秘書官、文部大臣官房会計課長、文部大臣官房秘書課長、文部省普通学務局学務課長。 1939年文部省実業学務局長兼企画院参与。同年拓務省拓務局参与。1940年関東局在満教務部長。1942年長崎高等商業学校長。同年退官。
椎名 悦三郎(しいな えつさぶろう、1898年〈明治31年〉… 椎名 悦三郎(しいな えつさぶろう、1898年〈明治31年〉1月16日 - 1979年〈昭和54年〉9月30日)は、日本の官僚、政治家。岸信介の腹心 として満洲国の運営に関わり、また商工次官として統制経済を推進、軍需次官も務めた。戦後は政界入りし、内閣官房長官(岸内閣)、通商産業大臣(19代・28代)、外務大臣(94-95代)、自由民主党において政調会長、総務会長、副総裁を歴任した。田中角栄の後継の総裁として三木武夫を指名した「椎名裁定」を下した人物として知られている。椎名素夫は次男、血縁のない叔父に後藤新平がいる。 1898年(明治31年)に岩手県胆沢郡水沢町(水沢市を経て、現在の奥州市)に生まれる。
奥田 達郎(おくだ たつろう、1898年(明治31年)1月1… 奥田 達郎(おくだ たつろう、1898年(明治31年)1月12日 - 没年不詳)は、台湾総督府官僚。 広島県出身。1921年(大正10年)、東京帝国大学法学部法学科を卒業し、高等試験に合格した。台湾総督府財務局事務官、台中州大屯郡守、台北州内務部勧業課長、高雄州警務部長、警務局衛生課長、財務局税務課長、台北州警務部長、殖産局特産課長などを歴任。1939年(昭和14年)、台中州知事に就任し、さらに米穀局長、食糧局長、国土局長を務めた。 1943年(昭和18年)に退官した後は、台湾食糧営団理事長に就任した。 戦後は広島市助役に任命された。
高田 賢治郎(たかだ けんじろう、1898年(明治31年)1… 高田 賢治郎(たかだ けんじろう、1898年(明治31年)1月12日 - 没年不詳)は、内務官僚。東京市・東京都区長。 京都府出身。1921年(大正10年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、翌年に高等試験行政科に合格した。大分県属、大阪府属、警視・群馬県警務課長、同保安課長、事務官・福岡県商工課長兼水産課長、熊本県学務部長を歴任し、1932年(昭和8年)に退官した。 1933年(昭和8年)に東京市主事となり、保健局庶務課監理係長、駒込病院事務長、監査局都市計画課長、世田谷区長、教育局防衛課長、城東区長、厚生局保護課長、神田区長、中央卸売市場長、芝区長を歴任した。
鶴 友彦(つる ともひこ、1898年(明治31年)1月10日… 鶴 友彦(つる ともひこ、1898年(明治31年)1月10日 - 1960年(昭和35年)9月1日[要出典])は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚、海軍司政長官。 鶴丈一郎の三男として大阪府大阪市に生まれる。第八高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科に入学し、在学中の1922年(大正11年)11月に高等試験行政科に合格。1923年(大正12年)同大卒業と同時に台湾総督府殖産局農務課に奉職。 翌年12月、台南州警務局警務課長に転じ、1927年(昭和2年)台北州内務部勧業課長、1930年(昭和5年)同州地方課長、1931年(昭和6年)総督府交通局参事、逓信部庶務課長兼海事課長、1933年(昭和8年)総督府高等海員審判所審判官、1935年(昭和10年)台中州内務部長を経て、1936年(昭和11年)台南州内務部長に就任。
桜井 安右衛門(さくらい やすうえもん、1898年(明治31… 桜井 安右衛門(さくらい やすうえもん、1898年(明治31年)1月3日 - 1994年(平成6年)8月9日)は、日本の内務・厚生官僚。官選栃木県知事。 東京府出身。桜井常次郎の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1922年(大正11年)、東京帝国大学経済学部を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。農商務省を経て内務省に入省し社会局属となり労働行政畑を歴任。 1925年(大正14年)、第七回国際労働会議にジュネーブ帝国事務所書記兼社会局事務官の肩書で政府代表委員附として参加。 1938年(昭和13年)、厚生省大臣官房文書課長となる。1942年(昭和17年)1月、栃木県知事に就任。戦時下の対応に尽力。
楊 建平(よう けんぺい、1898年 - 1949年)は、中… 楊 建平(よう けんぺい、1898年 - 1949年)は、中国の政治家、官僚、外交官、軍人、実業家、教育者。広東省中央銀行副総裁、上海商務局長、潮山税関監督署長、第11軍後方部大佐局長、国民革命軍少将、復旦大学教授、政法大学教授、農民工民主党創設者の一人。 1898年、広東省大埔県百侯鎮侯南村に旧名、楊金坤として生まれる。広東高等師範学校を経て、1925年、立教大学文学部を卒業(大学令による第1回卒業生)。 同年、中国に帰国後、復旦大学、光華大學(中国語版)、滬江大学(中国語版)、政法大学で講師、教授を歴任。 その後、上海商務局長となり、1928年、第11軍司令官陳銘樞中佐の秘書、第11軍後方部大佐局長を務める。
山田 芳太郎(やまだ ほうたろう、1898年 - 1945年… 山田 芳太郎(やまだ ほうたろう、1898年 - 1945年4月1日)は、外務官僚。外務省調査局長などを務めた。 広島県出身。旧制修道中学校(現:修道中学校・高等学校)から東京帝国大学法学部に進み、1922年(大正11年)大学在学中に文官高等試験外交科に合格。翌年大学を退学し外務省に入省、広東官補に着任。その後在厦門領事、在アメリカ大使館一等書記官などを務めた。太平洋戦争末期の1945年、外務省調査局長として東南アジアへの救援物資配送の使節団(団長大東亜省次官竹内新平)に加わり、サイゴンで南方軍総司令官と、バンコクでタイのシンシナ外相、アパイウォン首相と会談。4月1日シンガポールから帰任の途中、台湾海峡において、病院船扱いの安導権をアメリカ政府によって保証されていた乗船阿波丸が米国潜水艦クイーンフィッシュによる国際法違反の雷撃によって沈没(阿波丸沈没事件)し在職中に逝去。
柳生 繁雄(やぎゅう しげお、1897年(明治30年)12月… 柳生 繁雄(やぎゅう しげお、1897年(明治30年)12月7日 - 没年不明)は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。江原道知事、咸鏡南道知事。 柳生繁一の長男として愛知県に生まれ、1900年(明治33年)家督を相続する。1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治科を卒業し翌年、高等試験に合格した。同年、朝鮮総督府に出仕し、平安南道属、平壌専売支局長、全羅南道警察部長などを経て、1940年(昭和15年)10月、京畿道内務部長に就任する。その後、府事務官総督官房会計課長を経て、1941年(昭和16年)11月、江原道知事に任じた。のち咸鏡南道知事となった。1945年(昭和20年)退官した。
鈴木 脩蔵(すずき しゅうぞう、1897年(明治30年)11… 鈴木 脩蔵(すずき しゅうぞう、1897年(明治30年)11月20日 - 1977年(昭和52年)11月8日)は、日本の内務官僚。官選岩手県知事。 新潟県出身。第七高等学校造士館を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し兵庫県属となり宍粟郡長に就任。 以後、警視庁工場課長、滋賀県書記官・経済部長、広島県書記官・経済部長、京都府書記官・学務部長、北海道庁部長・土木部長などを歴任。 1942年6月、岩手県知事に就任。1945年4月に知事を退任。その後、公職追放となった。1954年5月に京都市助役となり1958年まで在任。以後、近江絹絲紡績監査役、同常務取締役、(社) 京都倶楽部常務理事を務めた。
梅谷 修三(うめたに しゅうぞう、1897年〈明治30年〉1… 梅谷 修三(うめたに しゅうぞう、1897年〈明治30年〉11月5日 - 1954年〈昭和29年〉5月29日)は、昭和時代の台湾総督府官僚。 梅谷市太郎の長男として、香川県仲多度郡琴平町に生まれる。第六高等学校を経て、1924年(大正13年)4月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、1927年(昭和2年)12月に高等試験行政科に合格した。 交通局書記を皮切りに、府衛生課勤務、台北州保安課長を経て、1932年(昭和7年)3月、台北州羅東郡守に就任。ついで同州宜蘭郡守を経て、1935年(昭和10年)9月、新竹州地方課長に転じた。その後は、府営林所庶務課長、殖産局鉱務課長、文教局学務課長などを歴任し、皇民奉公会中央本部生活部参事を務めた。
富田 健治(とみた けんじ、1897年(明治30年)11月1… 富田 健治(とみた けんじ、1897年(明治30年)11月1日 - 1977年(昭和52年)3月23日)は、大正・昭和期の日本の内務官僚、政治家。兵庫県出身。石川県警察部長、官選長野県知事。第二次および第三次近衛内閣で内閣書記官長。貴族院議員。戦後、自由民主党衆議院議員。
中島 一郎(中嶋、なかじま いちろう、1897年(明治30年… 中島 一郎(中嶋、なかじま いちろう、1897年(明治30年)10月25日 - 没年不明)は、大正後期から昭和時代前期の台湾総督府官僚。 熊本県菊池郡に生まれる。第一高等学校を経て、1921年(大正10年)4月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年、大蔵省に入省し理財局属となる。翌年11月、高等試験行政科に合格。水戸税務署長、両国橋税務署長を経て、1929年(昭和4年)12月、台湾総督府に出仕。 財務局主計課長、台湾電力管理官、台湾官有財産評価委員会幹事、防衛委員会幹事、山地開発調査委員会幹事を経て、1939年(昭和14年)7月に嶺田丘造に代わり財務局長に就任した。1943年(昭和18年)退官した。
白石 光治郎(しらいし こうじろう、1897年(明治30年)… 白石 光治郎(しらいし こうじろう、1897年(明治30年)10月6日 - 没年不明)は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。平安北道知事。朝鮮総督府逓信局長。朝鮮総督府農商局長。 白石房次郎の長男として愛知県名古屋市に生まれる。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部政治科を卒業し、朝鮮総督府に奉職する。平安北道、慶尚南道各警察部長、総督府事務官警務局勤務、平安南道内務部長、逓信局電気課長、総督府事務官官房外務部勤務兼任外務事務官を経て、平安北道知事に就任。1943年(昭和18年)7月、朝鮮総督府逓信局長兼高等海員審判所長に任じた。その後、朝鮮総督府農商局長に就任した。
山岸 金三郎(やまぎし きんざぶろう、1897年(明治30年… 山岸 金三郎(やまぎし きんざぶろう、1897年(明治30年)9月13日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。台東庁長。 山岸徳松の三男として福岡県福岡市に生まれる。第七高等学校を経て、1924年(大正13年)3月に東京帝国大学法学部政治科を卒業。安田保善社に勤務する。 翌年の11月、高等試験行政科に合格と同時に台湾総督府交通局に奉職し書記となる。ついで同局参事、鉄道部改良課庶務係長、同部経理課長、財務局金融課長、警察幹部講習会講師、刑事講習会講師を経て、会計課長を発令される。1940年(昭和15年)1月、台中州内務部長に転じ、同年同州総務部長、米穀局総務課長を経て、1942年(昭和17年)8月に台東庁長に就任。
石井 龍猪(いしい たつい、1897年(明治30年)9月10… 石井 龍猪(いしい たつい、1897年(明治30年)9月10日 - 1950年(昭和25年)10月10日)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。台北市尹、台南州知事。旧姓は加藤。 加藤十四郎の四男として佐賀県佐賀郡高木瀬村(現・佐賀市)に生まれ、石井力三郎の養子となる。県立中学校、第五高等学校を経て、1921年(大正10年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。翌年、高等文官試験行政科試験に合格し、台湾総督府に出仕する。 1922年(大正11年)5月に高雄州勧業課長、1924年(大正13年)12月に台中州教育課長、1927年(昭和2年)7月に台南州警務部長、1929年(昭和4年)12月に同府警務局衛生課長、1931年(昭和6年)5月に台南州内務部長、1932年(昭和7年)4月に同府内務局地方課長兼地理課長を経て、1936年(昭和11年)10月、台北市尹に就任した。
渡 正監(わたり まさみ、1897年(明治30年)9月5日 … 渡 正監(わたり まさみ、1897年(明治30年)9月5日 - 1953年(昭和28年)2月7日)は、日本の内務官僚。上海共同租界警視総監。
内藤 寛一(ないとう かんいち、1897年(明治30年)9月… 内藤 寛一(ないとう かんいち、1897年(明治30年)9月 - 没年不詳)は、日本の内務・警察・厚生官僚。官選茨城県知事、陸軍司政長官、昭南市長(シンガポール)。 愛媛県出身。内藤豊治の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し奈良県属となる。 以後、奈良県警部、三重県理事官・工場監督官、長野県書記官・学務部長、和歌山県書記官・警察部長、内務省書記官・警保局図書課長、同大臣官房会計課長、厚生省書記官・衛生局指導課長、同大臣官房会計課長、同職業部長、同職業局長などを歴任。 1941年3月26日、茨城県知事に就任。
兵頭 儁(ひょうどう まさる、1897年(明治30年)8月1… 兵頭 儁(ひょうどう まさる、1897年(明治30年)8月16日 - 1946年(昭和21年)4月16日)は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。全羅南道知事。 兵頭清行の五男として愛媛県北宇和郡宇和島町(現宇和島市)に生まれる。1924年(大正13年)東京帝国大学法学部政治科を卒業する。朝鮮総督府に奉職し、平安南道属兼警部、慶尚南道地方課長、総督府水産課長、咸鏡南道、慶尚南道各警察部長を経て、1937年(昭和12年)釜山税関長に就任。1939年(昭和14年)7月、大邱税務監督局長となり、1942年(昭和17年)11月、総督府総務局企画室長に任じた。その後、全羅南道知事を務めた。
久保田 畯(くぼた たおさ、1897年(明治30年)8月4日… 久保田 畯(くぼた たおさ、1897年(明治30年)8月4日 - 1991年(平成3年)5月27日)は、大正から昭和期の内務・警察官僚、弁護士。官選福井県知事、陸軍司政長官。 熊本県阿蘇郡山西村(現在の西原村)出身。久保田愿の二男として生まれる。第五高等学校を卒業。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科試験に合格。1921年(大正10年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し地方局属となる。 以後、北海道庁理事官、愛知県警視、内務事務官兼関東庁事務官、千葉県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、岐阜県書記官・学務部長、群馬県書記官・警察部長、愛媛県経済部長、山梨県総務部長、神奈川県書記官・総務部長などを歴任。
川添 修平(かわぞえ しゅうへい、1897年(明治30年)8… 川添 修平(かわぞえ しゅうへい、1897年(明治30年)8月2日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の朝鮮総督府官僚、台湾総督府官僚、陸軍司政官。嘉義市尹、基隆市尹。 宮崎県南那珂郡吾田村に生まれる。1917年(大正6年)宮崎県立宮崎中学校、1921年(大正10年)旧制第五高等学校を経て、1924年(大正13年)東京帝国大学法学部法律学科英法を卒業し、朝鮮総督府に奉職。翌年の1925年(大正14年)11月、一時退官し、東京日日新聞に入社。 同月、高等試験行政科に合格し、1929年(昭和4年)3月、台湾総督府に出仕。財務局税務課勤務、同年12月に警部を経て、1930年(昭和5年)1月に地方理事官に進み、澎湖庁庶務課長、同年12月に台南市助役、1931年(昭和6年)5月に台南州新営郡守、1932年(昭和7年)4月に台北市助役を経て、1933年(昭和8年)10月、嘉義市尹に就任した。
青柳 秀夫(あおやぎ ひでお、1897年〈明治30年〉7月1… 青柳 秀夫(あおやぎ ひでお、1897年〈明治30年〉7月12日 - 1986年〈昭和61年〉5月31日)は、日本の内務官僚、政治家。愛知県知事(官選第39代、公選初代)、参議院議員(3期)。 群馬県前橋市に富樫竹次の五男として生まれる。青柳新米の養子となり、旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を経て旧制第二高等学校へ進学。1922年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年、横浜正金銀行に入行し、後安田銀行に移った。1926年、高等文官試験に合格。1927年、内務省に入省。北海道、大阪府、福岡県(部長・経済部長)、長野県などで勤務した。 1947年3月5日、愛知県知事の桑原幹根が初の公選愛知県知事選挙に立候補するために辞職。
畠田 昌福(はたけだ まさとみ、1897年(明治30年)6月… 畠田 昌福(はたけだ まさとみ、1897年(明治30年)6月26日 - 1976年(昭和51年)7月14日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、陸軍司政長官。 兵庫県津名郡来馬村久留麻で畠田勝平の三男として生まれる。第六高等学校を卒業。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し福井県属となる。 以後、群馬県理事官、愛知県庶務課長、同地方課長、東京府庶務課長、同地方課長、秋田県書記官・警察部長、福島県書記官・警察部長、福岡県書記官・警察部長、神奈川県書記官・警察部長、内務省警保局警務課長、大阪府書記官・警察部長、内務省地方局監査課長、内務省監査官などを歴任。
長船 克巳(おさふね かつみ、1897年(明治30年)6月 … 長船 克巳(おさふね かつみ、1897年(明治30年)6月 - 1974年(昭和49年))は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。「克己」と表記される場合がある。 岡山県邑久郡行幸村長船(現在の瀬戸内市)出身。長船春太郎の長男として生まれる。第六高等学校(現・岡山大学)を卒業。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年、東京帝国大学法学部(現・東京大学)政治学科を卒業。内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、北海道庁理事官(商工課長兼工場課長)、石川県庶務課長、兵庫県農務課長、鹿児島県学務部長、長野県学務部長、和歌山県書記官・警察部長、熊本県書記官・警察部長、愛媛県総務部長、静岡県書記官・総務部長などを歴任。
梁井 淳二(やない じゅんじ、1897年(明治30年)5月2… 梁井 淳二(やない じゅんじ、1897年(明治30年)5月25日 - 1988年(昭和63年)1月20日)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。台北州知事。衆議院議員。 梁井幾太郎の二男として佐賀県三養基郡基山村大字長野(現・基山町大字長野)に生まれる。旧制佐賀中学校、第一高等学校を経て、1920年(大正9年)10月、高等試験に合格し、1921年(大正10年)4月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。 卒業後、内務省に出仕し土木局属となり、熊本県葦北郡長、新潟県警察部保安課長、同県内務部商工課長、広島県内務部農務課長、徳島県学務部長、大分県警察部長、滋賀県警察部長、長崎県経済部長、拓務局総務課長を経て、1939年(昭和14年)11月に台湾総督府文教局長、ついで1942年(昭和17年)7月に台北州知事に就任した。