才口 千晴 (さいぐち ちはる、男性、1938年9月3日 -… 才口 千晴 (さいぐち ちはる、男性、1938年9月3日 - 2024年4月17日)は、弁護士、元最高裁判所判事(2004年1月6日 - 2008年9月2日)。長野県上水内郡豊野町(現長野市)出身。 破産法の専門家で、ダイエー再建時の2003年頃、企業再生ファンド アドバイザーを務めた。2001年から2003年にかけて、ラジオ番組「テレフォン人生相談」(ニッポン放送)に回答者として出演していた。現在はTMI総合法律事務所に所属。
稲葉 威雄(いなば たけお、1938年〈昭和13年〉1月15… 稲葉 威雄(いなば たけお、1938年〈昭和13年〉1月15日 - )は、日本の元裁判官、弁護士(第一東京弁護士会、鳥飼総合法律事務所)。 京都大学法学部卒業。名古屋地方裁判所長、広島高等裁判所長官などを歴任。専門は商法で、法務省(出向)時代には商法改正を手がけた。定年退官後は早稲田大学法科大学院客員教授として商法を担当した。2005年商法改正には批判的で、「企業会計」(58巻6号)では、会社法立案担当者であった郡谷大輔と会社法の主要論点について議論の応酬を繰り広げた。 1960年(昭和35年)に京都大学法学部を卒業後、第14期司法修習生。1962年(昭和37年)4月10日に東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補任官。
白井 博文(しらい ひろふみ、1938年1月1日 - )は、… 白井 博文(しらい ひろふみ、1938年1月1日 - )は、日本の政治家、裁判官、弁護士。元山口県山陽小野田市長(3期)。 山口県山陽小野田市出身。九州大学法学部卒業。 1968年から2002年12月まで裁判官を務めた。2003年1月、法律事務所を開設。2005年3月まで旧小野田市顧問弁護士を務めた。
木村 要(きむら かなめ、1937年12月23日 - )は、… 木村 要(きむら かなめ、1937年12月23日 - )は、日本の裁判官。法務省広島法務局訟務部長や、最高裁判所事務総局家庭局長、千葉家庭裁判所長等を歴任した。 中央大学卒業後、広島地方裁判所判事補、岐阜地方裁判所多治見支部長、法務省広島法務局訟務部長等を経て、局付などを経験しないまま異例の人事で最高裁判所事務総局家庭局第一課長に就任。その後は、エリートコースを歩み、東京家庭裁判所部総括判事、東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所事務総局家庭局長、千葉家庭裁判所長を歴任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
木谷 明(きたに あきら、1937年〈昭和12年〉12月15… 木谷 明(きたに あきら、1937年〈昭和12年〉12月15日 - 2024年〈令和6年〉11月21日)は、日本の弁護士、裁判官。位階勲等は従三位瑞宝重光章。東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後に法政大学法科大学院教授を務めた。 囲碁棋士・木谷實九段の次男。神奈川県平塚市に生まれる。女流棋士の小林禮子、アナウンサーの吉田智子は妹。 神奈川県立平塚江南高等学校を経て、東京大学法学部在学中に司法試験に合格し、1961年(昭和36年)に大学を卒業して司法研修所に入所。司法修習を経て、1963年(昭和38年)に判事補任官(東京地裁)。最高裁事務総局刑事局付、最高裁判所調査官、水戸家裁所長、水戸地裁所長などを経て、2000年(平成12年)5月に東京高裁部総括判事を最後に依願退官。
熊本 典道(くまもと のりみち、1937年〈昭和12年〉10… 熊本 典道(くまもと のりみち、1937年〈昭和12年〉10月30日 - 2020年〈令和2年〉11月11日)は、日本の裁判官、弁護士。袴田事件第1審の担当判事(左陪席)として無罪の心証を形成しつつも裁判長・右陪席の説得に失敗し死刑判決を下したが、後年良心の呵責から合議の秘密を破って被告人(袴田巌)の無実を訴えた人物として知られる。 1937年(昭和12年)佐賀県東松浦郡打上村(後の鎮西町、現:唐津市)に生まれる。父母ともに小学校教員をつとめる家庭の長男として厳格な教育を受ける。 1953年(昭和28年)に鎮西町立打上中学校(現:唐津市立海青中学校)卒業、佐賀県立唐津高等学校(在学中に分離により佐賀県立唐津東高等学校となる)入学。
上田 豊三(うえだ とよぞう、1937年5月23日 - )は… 上田 豊三(うえだ とよぞう、1937年5月23日 - )は日本の元裁判官。元最高裁判所判事。熊本県出身。 横尾和子と共に、選挙権の制限は国会の裁量の範囲内として、在外日本人選挙権訴訟の違憲判決に反対した一人。 弟の上田豊甫は明星大学化学科の教授である。 全員一致ないし多数意見が比較的多い。
大森 政輔(おおもり まさすけ、1937年(昭和12年)5月… 大森 政輔(おおもり まさすけ、1937年(昭和12年)5月11日 - )は、日本の裁判官。元内閣法制局長官。弁護士(八重洲法律事務所)。兵庫県出身。
上野 茂(うえの しげる、1937年〈昭和12年〉5月3日 … 上野 茂(うえの しげる、1937年〈昭和12年〉5月3日 - )は、日本の裁判官。大阪地方裁判所長、高松高等裁判所長官などを歴任した。 1960年(昭和35年)に金沢大学法文学部を卒業後、第14期司法修習生。1962年(昭和37年)4月10日に静岡地方裁判所・静岡家庭裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
町田 顯 (まちだ あきら、1936年〈昭和11年〉10月1… 町田 顯 (まちだ あきら、1936年〈昭和11年〉10月16日 - 2015年〈平成27年〉4月5日)は、日本の裁判官。勲等は桐花大綬章。 山口県下関市出身。若年の頃は司法修習の同期であった宮本康昭らとともに青年法律家協会(青法協)に所属し活動していたが、町田は早々に青法協を脱会している。 福岡高等裁判所長官、東京高等裁判所長官、最高裁判所判事を経て、2002年11月に最高裁判所長官(第15代)などを歴任した。前長官の山口の定年は2002年11月3日だが、休日や式に立ち会う小泉純一郎内閣総理大臣の政治日程が重なり、3日遅れの同年11月6日に皇居で長官任命式が行われた。 最高裁長官在任中、裁判員制度の導入や法科大学院の創設や下級裁判所裁判官指名諮問委員会の設置など司法制度改革に尽力した。
濱田 邦夫(はまだ くにお、1936年5月24日 - )は、… 濱田 邦夫(はまだ くにお、1936年5月24日 - )は、日本の弁護士、裁判官。学位はLL.M.(ハーバード大学・1966年)。勲等は旭日大綬章。日比谷パーク法律事務所客員弁護士。「濱」が旧字体のため、新字体で浜田 邦夫(はまだ くにお)と表記されることもある。
佐藤 歳二(さとう としじ、1936年4月23日 - )は、… 佐藤 歳二(さとう としじ、1936年4月23日 - )は、日本の裁判官、弁護士。東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所上席調査官、司法研修所上席教官、横浜地方裁判所所長、早稲田大学法学部特任教授、司法協会理事長、TMI総合法律事務所顧問弁護士等を歴任。 1955年秋田県立角館高等学校卒業。1959年中央大学法学部卒業。1964年裁判官任官、仙台地方裁判所判事補。東京地方裁判所判事、司法研修所教官(民事裁判担当)、東京地方裁判所判事、最高裁判所事務総局民事局第一課長兼第三課長、東京地方裁判所部総括判事、司法研修所教官(第一部裁判官担当・民事)、最高裁判所上席調査官、東京地方裁判所所長代行等を経て、1996年新潟地方裁判所所長。
田畑 豊(たばた ゆたか、1936年1月2日 - )は、日本… 田畑 豊(たばた ゆたか、1936年1月2日 - )は、日本の裁判官。大阪高等裁判所部総括判事や、京都地方裁判所所長を務めた。 明治大学卒業後、1961年大阪地方裁判所判事補任官。神戸地方裁判所判事補、大阪地方裁判所判事、京都地方裁判所判事等を経て、1993年高知地方裁判所長。1996年大阪高等裁判所部総括判事。1997年京都地方裁判所長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
福田 博(ふくだ ひろし、1935年8月2日 - )は、日本… 福田 博(ふくだ ひろし、1935年8月2日 - )は、日本の元外交官、元最高裁判所判事、弁護士(西村あさひ法律事務所)。
金谷 利廣(かなたに としひろ、1935年(昭和10年)5月… 金谷 利廣(かなたに としひろ、1935年(昭和10年)5月17日 - )は日本の元裁判官。主に刑事裁判を担当した他、司法行政にも携わり、最高裁判所判事を歴任した。 1958年(昭和33年)に京都大学法学部卒業後は第12期司法修習生、1960年(昭和35年)4月8日に東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
梶谷 玄(かじたに げん、1935年1月15日 - )は最高… 梶谷 玄(かじたに げん、1935年1月15日 - )は最高裁判所裁判官。弁護士。梶谷綜合法律事務所最高顧問。第一東京弁護士会会長や日弁連副会長を歴任。会社法や破産法に精通。 父は梶谷丈夫(第一東京弁護士会元会長、日弁連元副会長)で、日弁連元会長の梶谷剛は実弟[要検証 – ノート]。
塩崎 勤(しおざき つとむ、1935年(昭和10年) - )… 塩崎 勤(しおざき つとむ、1935年(昭和10年) - )は、日本の元裁判官、弁護士(第一東京弁護士会、平沼髙明法律事務所)。元東京高等裁判所判事(部総括)。法政大学大学院法務研究科教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
北川 弘治(きたがわ ひろはる、1934年12月27日- )… 北川 弘治(きたがわ ひろはる、1934年12月27日- )は、日本の弁護士、元裁判官。最高裁判所判事を務めた。愛知県出身。2006年4月旭日大綬章受章。 関西水俣病訴訟において、「国と熊本県はチッソを原因企業と認識できたのに排水規制せず、被害を拡大させたことは著しく不合理であり、違法である」とし、実質原告勝訴の判決を下したことで知られている。足利事件の冤罪判決を下した最高裁判事5名のうちの1人。 名古屋大学法学部卒業後は1957年(昭和32年)4月に第11期司法修習生、1959年(昭和34年)4月8日に東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。 2000年(平成12年)2月4日、千葉・高知連続強盗殺人事件で第一審・控訴審で死刑判決を受けた被告人Kの上告を棄却する決定を出したため、被告人Kに対する死刑判決が確定した。
守屋 克彦(もりや かつひこ、1934年9月26日 - 20… 守屋 克彦(もりや かつひこ、1934年9月26日 - 2018年11月1日)は、日本の元裁判官・弁護士・法学者。専攻は、刑事訴訟法・少年法。東北学院大学教授。元仙台高等裁判所秋田支部長。東北大学で鴨良弼に師事。菊田クリミノロジー賞受賞。
清水 湛(しみず あつし、1934年(昭和9年)9月24日 … 清水 湛(しみず あつし、1934年(昭和9年)9月24日 - 2024年11月13日)は、日本の裁判官。弁護士(笠井総合法律事務所)。位階は正三位。元広島高等裁判所長官。山梨県出身。
清永 利亮(きよなが としすけ、1934年6月30日 - 2… 清永 利亮(きよなが としすけ、1934年6月30日 - 2023年1月25日)は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所調査官や東京高等裁判所部総括判事等を歴任した。 九州大学法学部卒業後、1963年に裁判官任官。最高裁判所調査官や東京地方裁判所部総括判事、水戸家庭裁判所長を経て東京高等裁判所部総括判事。知的財産訴訟関連の仕事が多く、東京地裁や東京高裁では知的財産担当の部署に配属され、最高裁調査官時代には最高裁判例に採択されることとなる事件も取り扱った。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三宅 弘人(みやけ ひろと、1934年5月16日 - )は、… 三宅 弘人(みやけ ひろと、1934年5月16日 - )は、日本の裁判官、法務官僚、弁護士。法務省司法法制調査部参事官や、東京高等裁判所部総括判事、東京家庭裁判所長等を歴任した。 1957年国際基督教大学教養学部社会科学科卒業。1961年東京地方裁判所判事補。1963年からフルブライト・プログラムでアメリカ合衆国シカゴに留学し、1965年ノースウェスタン大学法科大学院修了、法学修士。1971年東京地方裁判所判事。1973年法務省司法法制調査部参事官。1975年最高裁判所事務総局民事局課長。1980年東京地方裁判所部総括判事。1984年最高裁判所司法研修所教官。1988年東京地方裁判所所長代行。1992年水戸地方裁判所長。
池田 良兼(いけだ よしかね、1934年2月20日 - )は… 池田 良兼(いけだ よしかね、1934年2月20日 - )は、日本の裁判官。石川県出身。金沢大学法文学部卒業。大阪地方裁判所所長、名古屋高等裁判所長官などを歴任。金沢大学法曹会会長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
鬼頭 史郎(きとう しろう、1934年〈昭和9年〉1月6日 … 鬼頭 史郎(きとう しろう、1934年〈昭和9年〉1月6日 - )は、日本の元裁判官。「ニセ電話事件」を起こし、法曹資格を喪失した。 名古屋市南区(現在の港区)出身。愛知県立松蔭高等学校を経て法政大学法学部に進んだ。 大学在学中に厚生大臣草葉隆圓の私設秘書から厚生省職員を務めた。1958年(昭和33年)に卒業した後、1960年(昭和35年)に法政大学大学院修士課程を修了。一旦厚生省を退職し名古屋市役所に入庁するも、後に慶應義塾大学大学院博士課程に進学した。 1964年(昭和39年)に司法試験に合格。 1967年(昭和42年)に名古屋地方裁判所判事補に任官。名古屋地裁在任中に既婚にもかかわらず、離婚したと嘘をついて女性弁護士と3か月間同棲し、地裁が関係者に事情聴取した。
深澤 武久(ふかざわ たけひさ、1934年1月5日 - )は… 深澤 武久(ふかざわ たけひさ、1934年1月5日 - )は最高裁判所判事、弁護士。日本弁護士連合会副会長、最高裁判所判事、学校法人中央大学理事長、小田急電鉄監査役を歴任した。旭日大綬章を受章。学校法人中央大学元理事[要出典]。静岡県出身。 金のない依頼人の面倒を見ていた弁護士である父親を見て、自身も弁護士を目指す[要出典]。 1957年、中央大学法学部卒業。1961年、弁護士登録。 1993年、東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。2000年9月、最高裁判所判事に就任。2004年1月、定年退官、弁護士登録。同年6月小田急電鉄監査役。2005年11月、旭日大綬章を受章。 2014年5月、学校法人中央大学理事長に就任。
山本 和敏(やまもと かずとし、1933年7月17日 - )… 山本 和敏(やまもと かずとし、1933年7月17日 - )は、日本の裁判官、弁護士。元東京高等裁判所判事、東京地方裁判所部総括判事。日本で初めてプライバシー権を認めた「宴のあと」事件第一審判決などに関わった。また、司法研修所教官として司法修習生や裁判官の教育に取り組んだ。退官後、目黒公証役場公証人、第二東京弁護士会所属の弁護士となったほか、大東文化大学法科大学院教授を務めた。
朝岡 智幸(あさおか ともゆき、1933年7月16日 - )… 朝岡 智幸(あさおか ともゆき、1933年7月16日 - )は、日本の元裁判官。東京都港区出身。 港区立青山中学校、東京都立日比谷高等学校を経て中央大学法学部卒業。1958年、司法修習。 長野地方裁判所松本支部長・長野家庭裁判所同支部長などを経て、1986年に高等裁判所判事就任。1990年、東京家庭裁判所部総括判事。1992年、金沢地方裁判所所長、1994年から1996年まで、大阪高等裁判所総括判事。瑞宝重光章受章(2003年)。
安倍 晴彦(あべ はるひこ、1933年 - )は、日本の裁判… 安倍 晴彦(あべ はるひこ、1933年 - )は、日本の裁判官、弁護士。 裁判官で司法研修所所長などを歴任した安倍恕(はかる)の次男として長崎に生まれる。伯父は安倍能成。 1952年、福岡県立修猷館高等学校卒業。浪人や休学を経て、1960年、東京大学法学部卒業。結核に冒され、旧制中学時代から大学入学直後の2年間の療養所生活を含め、通算15年間ほどの療養や休養を強いられた。このような経験から弱者の権利に目覚め、退院後はセツルメントで社会活動をおこなう。 1960年、第14期として司法研修所に入所、同時に青年法律家協会に入会。京都での実務修習中、差別問題への関心から部落問題研究所に入会、その後も裁判官退官後に至るまで夏期講座や研究者全国集会に毎年のように参加。
岡本 健(おかもと たけし、1932年〈昭和7年〉12月18… 岡本 健(おかもと たけし、1932年〈昭和7年〉12月18日 - )は、日本の裁判官。死者79人の天六ガス爆発事故で大阪市営地下鉄側に有罪判決を言い渡した裁判長。イクメンシングルファーザー判事として子育てを両立、大阪高裁の部総括判事(部長)を還暦で依願退官し板前に転身、裁判所の近くに居酒屋を開き話題となった。 1932年(昭和7年)大阪府大阪市北区天満生まれ。大阪府立清水谷高等学校、京都大学法学部を卒業。京大に在学中の1954年(昭和29年)司法試験に合格し1957年から大阪、神戸、札幌などの地方裁判所や高等裁判所で主に刑事事件を担当する。 1985年(昭和60年)大阪地裁の刑事部部総括判事の時、都市災害史上最大の惨事といわれる天六ガス爆発事故(死者79人・重軽傷者420人)の刑事裁判を担当。
藤井 正雄(ふじい まさお、1932年(昭和7年)11月7日… 藤井 正雄(ふじい まさお、1932年(昭和7年)11月7日 - )は、日本の裁判官。弁護士。元最高裁判所判事。 1957年(昭和32年)判事補任官。法務省民事局長、横浜地裁所長等を経て、1994年(平成6年)大阪高裁長官に就任。1995年(平成7年)には最高裁判所判事となり、2002年(平成14年)に定年退官。 退官後は、弁護士登録し、京都産業大学法科大学院教授のほか、新日本石油監査役、丸紅取締役等を務める。 2005年(平成17年)の秋の叙勲で旭日大綬章を受章した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2… 半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2011年2月5日頃)は、日本の元裁判官、元弁護士。茨城県古河市出身で、主に刑事裁判を担当。水戸家庭裁判所長、宇都宮地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後は公証人・弁護士を務めた。東京地裁部総括時代には、ロッキード事件児玉・小佐野ルートやダグラス・グラマン事件の審理などを担当した。
山口 繁(やまぐち しげる、1932年〈昭和7年〉11月4日… 山口 繁(やまぐち しげる、1932年〈昭和7年〉11月4日 - 2024年〈令和6年〉11月27日)は、日本の裁判官。位階は従二位、勲等は桐花大綬章。 司法研修所所長、福岡高等裁判所長官、最高裁判所判事を歴任。裁判官事務総局勤務時代には懸案となっていた簡易裁判所の統廃合に尽力して100ヶ所以上減らした。 1997年10月に最高裁判所長官(第14代)に就任。長官在任中に、1998年の寺西判事補事件では1998年12月1日に長官として裁判長を務めた最高裁大法廷の分限裁判で10対5で戒告処分を、また2001年に発覚した福岡高裁判事妻ストーカー事件では容疑者の夫である福岡高裁判事に2001年3月30日に長官として裁判長を務めた最高裁大法廷の分限裁判で12対3で戒告処分をそれぞれ決定した。
前田 一昭(まえだ かずあき、1932年10月12日 - 2… 前田 一昭(まえだ かずあき、1932年10月12日 - 2023年1月16日)は、日本の裁判官。福岡高等裁判所部総括判事や、福岡地方裁判所所長、高松高等裁判所長官等を歴任した。 熊本県出身。熊本大学法学部卒業後、1957年裁判官任官、福岡地方裁判所判事補。1960年山形地方裁判所判事補。1963年大分地方裁判所判事補。1966年山口地方裁判所下関支部判事補。1967年山口地方裁判所下関支部判事。1968年福岡地方裁判所行橋支部判事。1970年福岡地方裁判所判事。1974年福岡地方裁判所飯塚支部部総括判事。1976年福岡地方裁判所部総括判事。1978年福岡高等裁判所事務局長。1983年福岡高等裁判所判事。
大出 峻郎(おおで たかお、1932年〈昭和7年〉9月1日 … 大出 峻郎(おおで たかお、1932年〈昭和7年〉9月1日 - 2005年〈平成17年〉9月29日、満73歳没)は、日本の元最高裁判所判事。位階勲等は正三位旭日大綬章。 1988年(昭和63年)10月11日、参議院内閣委員会にて、内閣法制局第一部長として次のように答弁している。「今日では、実質的な国家統治の大権を持たれなくても国家におけるいわゆるヘッドの地位にある者を元首と見るなどのそういう見解もあるわけでありまして、このような定義によりますならば、天皇は国の象徴であり、さらにごく一部ではございますが外交関係において国を代表する面を持っておられるわけでありますから、現行憲法のもとにおきましてもそういうような考え方をもとにして元首であるというふうに言っても差し支えないというふうに考えておるわけであります。
和田 啓一(わだ けいいち、1932年(昭和7年)7月13日… 和田 啓一(わだ けいいち、1932年(昭和7年)7月13日 - )は、日本の元裁判官・弁護士。元高松地方裁判所所長。和田啓一法律事務所所長。横浜弁護士会所属。北海道大学法学部卒業。北海道出身。 この他、司法研修所教官も務める 父は、元酪農学園大学教授の和田数雄。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
河合 伸一(かわい しんいち、1932年6月11日 - )は… 河合 伸一(かわい しんいち、1932年6月11日 - )は、日本の弁護士・元最高裁判所判事。京都大学卒業。 旧制第三神戸中学校(在学中に新制兵庫県立長田高等学校へと移行)を卒業。京都大学法学部では商法学者の大隅健一郎に師事し、在学中に司法試験に合格。 1955年京大卒業。いったん裁判官になったが家庭の事情で弁護士に転身。大阪弁護士会副会長などを歴任し、関西では経済通として知られた弁護士だった。阪神タイガースのランディ・バースの契約問題やイトマン事件にも関わった。弁護士業務のポリシーとして「依頼者と共に苦しんだり悩んだりして、司法の分野では社会と一番密着できる。記録の中から、当事者の姿が見える仕事ができれば」と語った。
山田 博(やまだ ひろし、1932年5月30日 - )は、日… 山田 博(やまだ ひろし、1932年5月30日 - )は、日本の裁判官、弁護士。家庭裁判所調査官研修所長や、最高裁判所事務総局家庭局長、京都家庭裁判所長、浦和家庭裁判所長を歴任した。 神奈川県生まれ。1955年名古屋大学法学部卒業。1963年裁判官任官、大阪地方裁判所判事補。家庭裁判所調査官研修所教官、最高裁判所事務総局家庭局付、最高裁判所事務総局家庭局第三課長、最高裁判所事務総局家庭局第一課長、東京家庭裁判所部総括判事、東京地方裁判所部総括判事、家庭裁判所調査官研修所長、最高裁判所事務総局家庭局長、京都家庭裁判所長等を経て、浦和家庭裁判所長を最後に依願退官し、1997年日本大学教授に就任。のち、弁護士、家庭問題情報センター理事長を歴任。
千種 秀夫(ちくさ ひでお、1932年2月21日 - 202… 千種 秀夫(ちくさ ひでお、1932年2月21日 - 2022年12月17日)は日本の裁判官。最高裁判所判事。日本法律家協会会長(第7代:2007年-2015年)。弁護士登録をしている。兵庫県出身。 横浜地裁が振り出しだが、判検交流で11年間は法務省に勤務する。法務省民事局長時代には妻の遺産相続を3分の1から2分の1にする法改正に関与した。裁判と行政の違いについて「裁判は目の前の紛争解決。立法はあらゆることを想定し、広く深く考える。この経験が勉強になった」という。 最高裁事務総長から最高裁判事に任命される。裁判官枠の最高裁裁判官は高裁長官を経て任命されるケースが多く、最高裁事務総長からのストレートの任命は異例である。
丹宗 朝子(たんそう ともこ、1932年1月16日 - )は… 丹宗 朝子(たんそう ともこ、1932年1月16日 - )は、日本の裁判官、弁護士。浦和地方裁判所長や東京高等裁判所部総括判事、男女共同参画審議会委員などを務めた。福岡県出身。 大学在学中に司法試験に合格。女性裁判官が地方裁判所長になるのは丹宗が2人目で、家庭裁判所長も含めると4人目。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
川崎 義徳(かわさき よしのり、1931年11月29日 - … 川崎 義徳(かわさき よしのり、1931年11月29日 - 2024年7月25日 )は日本の裁判官。滋賀県生まれ。 京都大学卒業。1954年に司法修習生となる。1956年に岐阜地裁・家裁で裁判官実務を経験し、1965年に最高裁調査官、1967年に最高裁事務総局で民事局課長、1972年に那覇地裁総括判事、1975年3月に東京地裁総括判事を経験。1975年4月に司法研修所事務局長に就任するも、1976年5月に女性が法曹界に進出するのに否定的発言をするという形で女性研修生に対する差別として、同年9月14日に研修所から書面による厳重注意処分を受けた(裁判官訴追委員会から訴追請求を受けるも不訴追となった)。
三井 哲夫(みつい てつお、1931年(昭和6年)10月2日… 三井 哲夫(みつい てつお、1931年(昭和6年)10月2日 - )は、日本の判事、法学者、作家、創価大学名誉教授。 東京府東京市小石川区生まれ。1953年東京大学法学部第1類(私法コース)卒。司法修習生、55年熊本家庭裁判所・地方裁判所判事補。58年東京地方裁判所判事補、62年青森地方裁判所八戸支部判事補、60 - 61年フランスに学ぶ。65年東京地方裁判所判事、67年法務省司法局参事官、73年司法研修所教官、76年東京高等裁判所判事、80年横浜地方裁判所総括判事、85年静岡地方裁判所総括判事、1988年筑波大学教授、96年創価大学法学部教授、98年法学研究科長、2007年退任、名誉教授。『沈める館』など小説も書く。
野﨑 幸雄(のざき ゆきお、1931年(昭和6年)8月19日… 野﨑 幸雄(のざき ゆきお、1931年(昭和6年)8月19日 -2024年(令和6年)3月19日 )は、日本の裁判官。検察官。弁護士(尾崎法律事務所)。元名古屋高等裁判所長官。 1956年(昭和31年)判事補任官。法務省人権擁護局長、宇都宮地裁、横浜地裁各所長等を経て、1992年(平成4年)に仙台高裁長官。1993年(平成5年)に名古屋高裁長官に転じ、1996年(平成8年)定年退官。 退官後は弁護士登録し、各種企業役員、政府審議会委員等を務める。2001年(平成13年)の秋の叙勲で勲二等旭日重光章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
元原 利文(もとはら としふみ、1931年4月22日 - 2… 元原 利文(もとはら としふみ、1931年4月22日 - 2018年9月21日)は、最高裁判所判事。弁護士。 兵庫県高砂市出身。京都大学法学部卒業。1955年(昭和30年)に弁護士登録。神戸弁護士会に所属し、兵庫県地方労働委員会委員長などを経験した。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では事務所が被害を受けた。震災による土地建物に関する多発を見越して、神戸地裁に調停委員の増員や調停室の補充などを進言した。 1997年 (平成9年)9月8日に最高裁判所判事に就任。弁護士枠の最高裁判所判事として日弁連は当初は別の人が就任予定だったが、その人物は文部省の教科書検定の違憲性を争う教科書訴訟で原告代理人を務めるなど革新色が強い候補だったため、最高裁が任命権限を持つ内閣の了解が得られないとして他の候補を探した結果、元原となった経緯がある。
小野 幹雄(おの もとお、1931年3月16日 - )は、日… 小野 幹雄(おの もとお、1931年3月16日 - )は、日本の最高裁判所判事。 少年時代は父親の任地の樺太に住み、戦後に引き揚げてから家計を助けるなど苦労を重ねた。中央大学在学中に司法試験に合格。司法修習は第7期。1955年4月に裁判官となる。刑事が専門で、裁判現場が長い一方で、最高裁刑事局長、大津地裁所長、司法研修所所長、大阪高裁長官を歴任した。 1992年2月13日に最高裁判所判事に就任。 1995年8月に定年退官。
池田 憲義(いけだ のりよし、1931年3月15日 - )は… 池田 憲義(いけだ のりよし、1931年3月15日 - )は、日本の裁判官。 熊本県立玉名高等学校を経て九州大学法学部を卒業した。 広島地方裁判所(1960年着任)を皮切りに、佐賀地方裁判所唐津支部(1963年)・長崎地方裁判所(1966年)・熊本地方裁判所人吉支部(1969年)などで判事補を務めた。1972年に福岡地方裁判所の判事となる。1979年に福岡高等裁判所判事に移り、1984年からは熊本地方裁判所で第二部総括判事を務めた。 1989年に福岡地方裁判所小倉支部長に就任、1991年からは鹿児島地方裁判所長を務めた。1993年に福岡高等裁判所刑事部第二総括判事となった。 1996年3月15日に定年退官した。
伊東 すみ子(いとう すみこ、1931年 - 1997年)… 伊東 すみ子(いとう すみこ、1931年 - 1997年)は、日本の弁護士、裁判官。 戦後日本の女性法曹として、先駆的な存在とされる[要出典]。1985年から1987年にかけて、国際連合総会の日本政府代表としても活動した。 静岡県に生まれる。1954年に東京大学法学部を卒業して、女性として戦後初の学士助手となる。同年、司法試験に合格後、1958年に司法修習生となり、1960年4月に弁護士登録した。 東京家庭裁判所調停委員ののち、東京高等裁判所判事、宇都宮家庭裁判所所長等を歴任した。 また、婦人問題懇話会(のち日本婦人問題懇話会)の発足当時からの会員として女性の地位向上にかかる活動に携わり、大学婦人協会会長、国際女性の地位協会会長を務めた。
福島 重雄(ふくしま しげお、1930年8月1日 - 202… 福島 重雄(ふくしま しげお、1930年8月1日 - 2025年2月8日)は、日本の裁判官、公証人、弁護士。富山弁護士会所属。自衛隊違憲判決を初めて下した判事である。海軍兵学校、京都大学法学部出身。 富山市出身。旧制富山中学を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校入学(78期)、306分隊に所属。終戦後、1953年(昭和28年)京都大学法学部卒業。裁判所書記官を務めながら司法試験に合格。 1959年(昭和34年)、第11期司法修習修了。1969年(昭和44年)、判事。1969年(昭和44年)9月14日、札幌地方裁判所で長沼ナイキ訴訟を裁判長として担当していた福島に対し、当時札幌地裁所長であった平賀健太が、原告の申立を却下するよう示唆した書簡を渡す(平賀書簡問題)。
奈良 次郎(なら じろう、1930年 - )は、日本の弁護士… 奈良 次郎(なら じろう、1930年 - )は、日本の弁護士、元判事、法学者。筑波大学、日本大学で教授として教鞭をとった。次女の奈良希愛はピアニスト。 1952年、東京大学法学部卒業。1954年、判事補に任官し、以降、最高裁判所調査官、大阪地方裁判所判事、東京高等裁判所判事等を歴任。1990年に判事を退官し、筑波大学教授。1995年、筑波大学を退官し、日本大学法学部教授に転じるとともに、弁護士登録。2000年、日本大学法学部教授を退任、以降は講師として法学部、法科大学院で教鞭をとる。四樹総合法律会計事務所、第二東京弁護士会所属。
猪瀬 慎一郎(いのせ しんいちろう、1929年8月5日 - … 猪瀬 慎一郎(いのせ しんいちろう、1929年8月5日 - 2006年8月23日)は、日本の裁判官、法学者。専門は少年法・少年司法制度。東京家庭裁判所所長、福岡高等裁判所長官、元東洋大学法学部教授などを歴任した。 最高裁判所家庭局付、札幌家庭・地方裁判所判事、司研刑裁教官、最高裁判所家庭局第三課長・第一課長、東京家庭裁判所判事・家事第6部総括判事、最高裁判所家庭局長、千葉家庭裁判所所長、東京高等裁判所第2民事部総括判事などを歴任。 退官後は東洋大学で教鞭を執り、少年法改正論議が活発化した1990年代後半から2000年代初頭にかけて、少年審判制度の実務的視点からの研究・提言を行った。 共編著『少年法のあらたな展開 理論・手続・処遇』(有斐閣、2001年、ISBN 4-641-04192-X) - 森田明、佐伯仁志と共編。
尾崎 行信(おざき ゆきのぶ、1929年4月19日 - 20… 尾崎 行信(おざき ゆきのぶ、1929年4月19日 - 2014年3月9日)は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所裁判官を務めた。位階は正三位。 明治から戦後まで衆院議員を務め「憲政の神様」と呼ばれた政治家・尾崎行雄の孫である。戦時中に祖父が起訴された尾崎不敬事件で、一審は有罪だったが大審院では逆転無罪となった時に「戦争中のひどい時代に立派な判決を出す人がいる」と感銘を受けたという。 三重県出身。尾崎行雄と繁の二男・彦麿の長男として生まれる。旧制宇治山田中学校(49期)、旧制成蹊高等学校(23回生)を経て、1953年に東京大学法学部卒業。 嘱託尋問調書の証拠能力を否定したロッキード事件「丸紅ルート」の大法廷判決、靖国神社などへの玉串料の公費支出を違憲とした愛媛県靖国神社玉串料訴訟の大法廷判決に関わったほか、裁判長として「がん告知義務訴訟」などの判決に携わった。