小山 章三(こやま しょうぞう、1930年(昭和5年)3月1… 小山 章三(こやま しょうぞう、1930年(昭和5年)3月10年 - 2017年(平成29年)12月22日)は、日本の音楽家、音楽教育者。専門は合唱曲作曲、合唱指導法。国立音楽大学教授を務め、児童合唱「わたしはだれでしょう」「ともだちはいいな」や、ふるさと長野を歌った「信濃の秋」「千曲川の水上を恋ふる歌」、賛美歌「行けども行けども」「やさしい目が」など長く愛唱されている曲を多く作った。 1930年、長野県丸子町(現・上田市)生まれ。丸子小学校卒業。小さい頃から歌を作るのが好きで、近所の子どもたちを集めては自作の歌で合唱をしていた。丸子実業高校農業土木科(現・丸子修学館高等学校)でも音楽部を作ったりしたが、土地測量の勉強ははだに合わず、技術者の道には進まなかった。
小野 満(おの みつる、1929年1月3日 - 2008年1… 小野 満(おの みつる、1929年1月3日 - 2008年1月2日)は、千葉県市原市出身の音楽家、ベーシスト、バンドマスター、指揮者。 ジャズ・カルテットのビッグ・フォアのベーシスト、小野満とシックス・ブラザーズのバンドマスター兼ベーシスト、小野満とスイングビーバーズのバンドマスター兼指揮者として活躍した。1967年から1983年までの17年間にわたり、スイングビーバーズと共にNHK紅白歌合戦の白組の演奏・指揮を担当した。 甥(長兄の息子)はロックドラマーでハルメンズ、ヒカシュー、ヤプーズのメンバーだった泉水敏郎。 1929年1月3日(昭和4年)現在の千葉県市原市磯ヶ谷にて、四人兄弟の三男として誕生。
鎌田 典三郎(かまた のりさぶろう、1928年11月10日 … 鎌田 典三郎(かまた のりさぶろう、1928年11月10日 - 1999年3月20日)は、日本の音楽家、音楽教育者。秋田県生まれ。 秋田県南秋田郡払戸村(1956年琴浜村に合併後、町制施行で若美町となり、2005年に男鹿市に合併)生まれ。朝鮮清州師範学校音楽科卒。海軍生活の後、当時の男鹿町の小学校で教鞭をとる。 同じく秋田出身の石井漠に見出されて上京し、1951年、東京都大田区の大田区立西六郷小学校に赴任した。 1955年、放課後、音楽室で歌唱指導を始めたのを元にし、ウィーン少年合唱団を模して、合唱団を結成した。これが、西六郷少年合唱団(のちの西六郷少年少女合唱団)である。 1960年代、各合唱コンクールにおいて、優秀な成績を修めた。
有馬 万里代(ありま まりよ、1928年2月22日-、本名・… 有馬 万里代(ありま まりよ、1928年2月22日-、本名・有馬マリ子)は、日本の音楽家、声楽家(アルト歌手)。鹿児島大学名誉教授。鹿児島オペラ協会会長を長年務める。 鹿児島市出身。幼少期から歌が好きで、ラジオにしがみついて三浦環が歌うプッチーニの蝶々夫人を聴いていた。1940年に鹿児島県立第二高等女学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)へ入学。高等女学校3年生の時に田中義人(鹿児島師範学校教員)に弟子入りして、夜道を母に守られながらレッスンに通う。東京音楽学校(後の東京藝術大学)に合格し、師範科で四家文子に師事して1948年に卒業。同年鹿児島師範学校で教職に就く(同校は翌年の学制改革で新制鹿児島大学に包括される)。
有馬 徹(1927年1月2日 - 1993年6月3日)は、日… 有馬 徹(1927年1月2日 - 1993年6月3日)は、日本の音楽家。 早稲田大学在学時より学生バンドに参加し、卒業と同時にミュージシャンとして活動を開始した。昭和29年春、文化放送の番組としてノーチェ・クバーナを結成し次第に発展し、昭和32年3月にはフルバンドの編成になった。 1959年日本ビクターより10インチレコード『クバーナ・ファンタジー、演奏、有馬徹とノーチェ・クバーナ(B面)ブライト・リズム・ボーイズ参加』を発売。なお、同レコードの編曲はメンバーの一ノ瀬義孝(ピアノ担当)と池田孝(トロンボーン担当)が担当した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。
徳山陽(とくやま よう、1925年(大正14年)12月11日… 徳山陽(とくやま よう、1925年(大正14年)12月11日 - )は、ジャズ・ピアニスト、音楽家。父は「侍ニッポン」や「ルンペン節」で有名な流行歌手徳山璉。守安祥太郎、穐吉敏子と並び評される、戦後モダン・ピアノ三傑の一人である。 神奈川県藤沢市出身。久我山電波工業大学(久我山大学)卒業。卒業後は会社員をしていたが、1951年、森亨バンドに入りプロのピアニストとなる。 1952年には、沢田駿吾とダブル・ビーツに加入。退団後の1954年、稲垣次郎5、西条孝之助4などを経て、1975年、自身のトリオを結成し、中牟礼貞則とのデュオも行う。その後は、ジャズメン・クラブなどに出演する傍ら、ヤマハの講師も勤めた。
皆川 和子(みながわ かずこ、1922年1月3日 - 201… 皆川 和子(みながわ かずこ、1922年1月3日 - 2014年8月16日)は、日本の音楽家。 立正高等女学校(現・東京立正高等学校)、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)出身。 1943年から子供たちに始めた歌唱指導が、戦後はひばり児童合唱団へと発展し、安田祥子・由紀さおりの姉妹をはじめ幾多の才能を育てた。合唱団の現代表で元子役の皆川おさむは甥。個人レッスンで吉永小百合に歌を教えた。 2014年8月16日、中下咽頭腫瘍のため死去。92歳没。生涯独身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
春日 學 (かすが まなぶ、1915年(大正4年)12月19… 春日 學 (かすが まなぶ、1915年(大正4年)12月19日 - 1993年(平成5年)2月5日)は、昭和期の音楽家であり、全日本吹奏楽連盟理事長、日本吹奏楽指導者協会会長を務めた。名が 学 と表記されることもある。 大正4年(1915年)、長野県伊那市に生まれる。 昭和7年(1932年)横須賀海兵団軍楽隊入隊。チューバを担当する。昭和12年(1937年)海軍省委託学生として東京音楽学校(現東京芸術大学)で学び、昭和14年(1939年)修了。その後も昭和18年(1943年)まで学び続ける。昭和20年(1945年)横須賀海兵団軍楽隊の教官(階級は海軍軍楽兵曹長)で終戦を迎える。 戦後、昭和28年(1953年)に大臣官房人事部の技術嘱託職員として郵政省に採用され、郵政中央吹奏楽団の指揮者に就任し、昭和38年(1963年)まで指導する。
三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年11月8日 -… 三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年11月8日 - 1994年8月1日)は、日本の音楽家、ピアニスト、合唱指揮者、フェリス女学院短期大学名誉教授。 長年にわたり日本女声合唱団の指導にあたるとともに、フェリス女学院短期大学学長などを務めた。 熊本県に生まれたが、間もなく神奈川県横浜市へ移った。東京音楽学校に学び、ケルン音楽大学へ留学した。1941年からフェリス女学院(戦時下では「横浜山手女学院」)で教鞭を執り、専門学校音楽科を開設する際には團伊玖磨とともに中心的な役割を果たし、戦後における短期大学音楽科への昇格でも中心となって、後の大学音楽学部への発展の基礎を築いた。 1969年には第18回横浜文化賞を受賞し、1978年には第27回神奈川文化賞を妻である三宅春恵とともに受賞した。
天池 真佐雄(あまち まさお、1910年9月18日 - 19… 天池 真佐雄(あまち まさお、1910年9月18日 - 1992年11月22日 本名・中野政雄)は、東京都出身の音楽家、作曲家、ピアニスト。 東京高等音楽学院(現・国立音楽大学)本科卒。その後東京中央放送局(のちのNHK)の専属ピアニストに就任。特に、戦後の『のど自慢素人演芸会』や、音楽ゲーム番組『三つの歌』では出場者の伴奏を展開した。 歌手・タレントの天地総子は実の娘である。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
朝吹 英一(あさぶきえいいち、1909年(明治42年)12月… 朝吹 英一(あさぶきえいいち、1909年(明治42年)12月22日 - 1993年(平成5年)6月14日)は、日本の音楽家・経営者。千代田組会長を歴任。日本木琴協会(現・日本マリンバ協会)初代会長。 父は千代田組を創業した後、三越社長、帝国生命保険株式会社(現朝日生命保険相互会社)社長、日本庭球協会(現・日本テニス協会)を創立し初代会長を務めた朝吹常吉[要出典]。 幼い頃に木琴を買い与えられてプロ級の腕前となり、慶應義塾幼稚舎より進学した慶應義塾大学経済学部に在学中の1927年(昭和2年)から木琴奏者としてNHKのラジオ放送に出演し、1930年にアメリカで音楽を学んだのち、大手レコード会社各社からレコードを出すなどした。
大久保 徳二郎(おおくぼ とくじろう、1908年3月14日 … 大久保 徳二郎(おおくぼ とくじろう、1908年3月14日 - 1974年8月19日)は、日本の作曲家、編曲家、映画音楽家である。ジャズバンドのサックス奏者から転向、作詞家の島田磬也、歌手のディック・ミネとのチームで第二次世界大戦前のテイチクレコードのヒットメーカーだった。 1908年(明治41年)3月14日、東京市本所区(現在の墨田区本所)に生まれる。ジャズのサックス奏者として上海に渡る。帰国後、テイチクレコードに入社、専属バンドで演奏する。このころ結婚し、1936年(昭和11年)、のちに衆議院議員となる大久保直彦が生まれた。 1938年(昭和13年)、日活多摩川撮影所が製作したトーキー映画『指輪のワルツ』(監督吉村廉)の劇伴を作曲をし、映画音楽家としてデビューする。
岡本 敏明(おかもと としあき、明治40年(1907年)3月… 岡本 敏明(おかもと としあき、明治40年(1907年)3月19日 - 昭和52年(1977年)10月21日)は、昭和時代に活躍した日本の音楽家(作曲家)。 1929年(昭和4年)、玉川学園教師、1940年(昭和15年) 、日本放送合唱団で指揮を5年とった後、1942年(昭和17年)からは興亜工業大学(現・千葉工業大学)の音楽担当教員(正科目)などを務めた。戦後は国立音楽大学の設立に携わるとともに文部省図書編集委員として、音楽教科書、音楽学習の指導要領の作成に携わった。また日本基督教団讃美歌委員としても活躍。多くの讃美歌を残す。父は組合教会牧師岡本松籟。教会においてオルガンの音を聴きつつ育った。
筑紫 歌都子(ちくし かつこ、1904年〈明治37年〉7月3… 筑紫 歌都子(ちくし かつこ、1904年〈明治37年〉7月30日 - 1984年〈昭和59年〉10月28日)は日本の音楽家。 1904年(明治37年)、山口県都濃郡鹿野村(現在の周南市)に生まれる。出生名は竹田カツノであったが、14歳の頃に大日本家庭音楽会の会長、坂本五郎に才能を認められ、彼の養女となったことで坂本姓となる。また、同時期に歌都子の芸名を付け、坂本歌都子として活動している。この芸名は自分の好きな「歌」と郷里の都濃郡の「都」を取って自分でつけたという。坂本家の養女となる際に福岡市に移り住んでいる。 坂本家で琴の他、ヴァイオリン、大正琴、ピアノ等を学んだ後に18歳で琴の作曲活動を始める。
堤 徳三(つつみ とくぞう、1904年〈明治37年〉 - 没… 堤 徳三(つつみ とくぞう、1904年〈明治37年〉 - 没年不明)は、日本の音楽家、実業家。堤商店会長。 東京府士族・堤徳蔵の長男。1926年、慶應義塾大学卒業。江南産業、堤不動産、新橋興業各社長、堤商事代表取締役。堤商店取締役・同社長・同会長、結核予防会評議員、東京砂糖取引所理事などをつとめる。 族籍は東京府士族、会社重役であった。住所は東京市大森区南千束、東京都千代田区一番町で東京都港区在籍。別宅は神奈川県三浦郡逗子町小坪。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
杉田 村雄(すぎた むらお、1903年(明治36年)2月14… 杉田 村雄(すぎた むらお、1903年(明治36年)2月14日 - 1986年(昭和61年)7月17日)は、日本のクラシックギター・マンドリン音楽家、指揮者。 東京府南多摩郡多摩村東寺方(現・東京都多摩市東寺方)の村医 杉田武雄の長男として生まれる。暁星中学校(旧制)時代、クラスメートの齋藤秀雄とともに比留間賢八に師事、2人で暁星マンドリン倶楽部から静美社音楽部へと音楽活動を進める。杉田は中央大学に進学し中央大学音楽研究会マンドリン倶楽部に所属。一方齋藤は上智大学に進学し「オルケストル・エトワール」を結成、1923年(大正12年)1月に武井守成主宰「シンフォニア・マンドリニ・オルケストラ」(1915年(大正4年)発足)主催の第1回全国マンドリン合奏団競演会に出場し同団を指揮し入賞するが、音楽に専念するために上智大学を中退し近衛秀麿に随伴してドイツに留学する。
齋藤 秀雄(さいとう ひでお、1902年5月23日 - 19… 齋藤 秀雄(さいとう ひでお、1902年5月23日 - 1974年9月18日)は、日本のチェロ奏者、指揮者、音楽教育者として活動した音楽家。東京都出身。 英語学者として有名な斎藤秀三郎の次男として東京市京橋区築地明石町に生まれ、1906年から麹町区五番町(現:東京都千代田区一番町)に育つ。音楽に興味を示したのは12歳の頃からで、最初に演奏したのはマンドリンだった。後に「オルケストル・エトワール」というマンドリンオーケストラを組織し、『フランス民謡「歌えよ小鳥やよ歌え」の主題による八つの変奏曲』などの曲を残している。 16歳からは宮内省にいたチェロ通の職員からチェロの手ほどきを受けはじめる。その後、暁星中学校を経て上智大学に入学したが、音楽に専念するため退学。
名和 君代(なわ きみよ、1899年(明治32年)7月12日… 名和 君代(なわ きみよ、1899年(明治32年)7月12日 - 1933年(昭和8年)3月3日)は、日本の女性音楽家。ヴァイオリニスト。神奈川県横浜市石川町出身。
田上義也(たのうえ よしや、1899年(明治32年)5月5日… 田上義也(たのうえ よしや、1899年(明治32年)5月5日 - 1991年(平成3年)8月17日)は、日本の建築家、音楽家。 栃木県那須郡西那須野村(現・那須塩原市)出身。本名吉也。 大正から昭和にかけて、北海道を拠点に活躍した。若くしてフランク・ロイド・ライトの影響を受け、確かな腕を持つ棟梁の小島与市と出会った。北海道の気候風土に根ざした、特徴的な要素を持つ洋風建築を数多く残している。 また、札幌新交響楽団の創立者でもあり、初代指揮者も兼務した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
ジェームス・ダン(James Dun, 日本名・壇治衛、18… ジェームス・ダン(James Dun, 日本名・壇治衛、1898年11月29日 - 1950年4月2日)は、日本で活動した音楽家・ピアニスト。明治期のお雇い外国人で後に駐日米国公使を務めたエドウィン・ダンの次男。幼少期を直江津で過ごし、在学した直江津小学校の校歌を後に作曲した。ジェームスが選定した「ベヒシュタイン」のピアノが今でも同校に残されている。 エドウィン・ダン、中平ヤマ(後妻)夫妻の次男として生まれる。四人兄弟で、兄のエドウィン・ダン・ジュニアも音楽家。 1897年(明治30年)に駐日米国公使を辞任した父・エドウィンは、その後も引き続き日本の発展のために貢献したいと考え、当時の新潟県の石油ブームに着眼し、直江津に石油精製工場を造る。
久志 卓真(くし たくしん、1898年 - 1973年11月… 久志 卓真(くし たくしん、1898年 - 1973年11月1日)は、日本の音楽家・音楽評論家、書画骨董の研究者、鑑識家。 1898年(明治31年)、北海道旭川市の智山派寺院に生まれ、智山勧学院に入学、平田元吉や西田幾太郎の講義から影響を受けた。6歳から仏典・漢籍を父に仕込まれた為、12歳にして伝法灌頂を授かる。中学1年生からはヴァイオリンを習い、川島栄三郎より本格的に稽古を受けてヴァイオリニスト・作曲家としての知名度を上げ、京都基督教青年会音楽学校のヴァイオリン科主任教師となる。 1923年(大正12年)夏に過労から喀血して演奏・作曲の一線から身を引き、門下育成・執筆活動へと転向する。京都帝国大学内京都文学会発行の『芸文』へ「ベートーヴェンとスザンヌ」「未来派及び表現派の絵画の陥れる本質的誤謬を指摘して絵画の本質に及ぶ」の発表を契機に、『音楽新潮』へ音楽の批評・解説を執筆する。
須藤 五郎(すどう ごろう、1897年9月14日 - 198… 須藤 五郎(すどう ごろう、1897年9月14日 - 1988年11月18日)は、日本の音楽家、政治家。元日本共産党参議院議員(4期)。筆名は鳥羽英夫。 三重県鳥羽市出身。旧制東京音楽学校(東京藝術大学音楽学部の前身)を卒業後、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)で教鞭を執るかたわら、1922年からは宝塚歌劇団の作曲家、指揮者に就任。1928年に発生した三・一五事件で日本共産党中央委員会が壊滅する中、地下活動を続ける党に対し資金援助を行ったため、1930年2月に検挙され投獄される。留置場で作曲した「しぐれに寄する抒情」は後に三浦環により愛誦された。1935年にドイツに渡りゲオルク・シューマンに師事。
津川 主一(つがわ しゅいち、1896年11月16日 - 1… 津川 主一(つがわ しゅいち、1896年11月16日 - 1971年5月3日)は、日本基督教団の牧師、教会音楽家。 1896年に愛知県名古屋市に生まれる。旧制名古屋中学校(現:名古屋中学校・高等学校)、関西学院神学部を卒業して、東京麻布美普教会の牧師に就任する。 牧師を辞めて、合唱運動に後半生をささげた。自由学園、恵泉女学園、青山学院神学部、東京YMCAなどの講師をつとめていた。東京オラトリオ、横浜オラトリオ、仙台オラトリオ、東京シンフォニック・コーラス、東京バッハ・ヘンデル協会などを創設して、指揮者を務めた。また、全日本合唱連盟の常任理事(1956年~66年)・名誉会員(1970年)、東京都合唱連盟の理事長(1956~57年)を務めた。
安部 正義(あべ せいぎ、1891年5月18日 - 1974… 安部 正義(あべ せいぎ、1891年5月18日 - 1974年6月4日)は、日本の作曲家、教会音楽家である。 宮城県仙台市に生まれる、東北学院中学部卒業後に渡米し、ニューイングランド音楽院で、声楽、ピアノ、作曲を学び、1927年(昭和2年)に帰国する。 ニューイングランド音楽院(1926年卒業)ではピアノ及び作曲学をStuart C. Mason, F.S. Converse, George W. Chadwickに師事、三年連続で同学院作曲科エンドカット賞コンクール入選 優等賞を受賞した。 米国滞在中の主要作品として、小オーケストラ組曲「小川のほとりに」、「橋の上にて」 (1924)、オーケストラのための序曲「あけぼの」 (1925)、交響詩「ボストン生活の思い出」 (1926)などが挙げられる。
山内 盛彬(やまうち せいひん、1890年3月9日 - 19… 山内 盛彬(やまうち せいひん、1890年3月9日 - 1986年3月17日)は、日本の音楽学者、沖縄の音楽家。 沖縄県首里金城町生まれ、幼くして父母に死別し、宮廷音楽家であった祖父盛熹に育てられ、湛水流・野村流を学ぶ。1908年、沖縄師範学校に入学、音楽学を修め、1912年8月、琉球王府最後のおもろ主取であった宜野湾在住の安仁屋真苅より王府おもろ5曲6節を、また国頭在住の宇座徳守より御座楽を伝授され、採譜するなど沖縄各地に残る琉球古典音楽や地域の音楽を渉猟し、記録に残す。1915年、上京し、東洋音楽学校(現 東京音楽大学)の田辺尚雄に師事するが、祖父の危篤によりすぐに帰郷、遺言に従って琉球音楽の研究と伝承に一生を捧げることを決意し、小学校に勤務しながら採訪を進める。
大和田 愛羅(おおわだ あいら、1886年3月24日 - 1… 大和田 愛羅(おおわだ あいら、1886年3月24日 - 1962年8月11日)は、日本の音楽家、声楽家、教育家。 東京府東京市牛込区牛込下宮比町(現在の東京都新宿区下宮比町)で医師の長男として生まれる。父親が若くして亡くなったため新潟県村上市の祖父のもとで育てられ、新潟師範学校付属小学校、新潟県中学校を経て東京音楽学校声楽科に入学。卒業後は東京府立女子師範学校、東京府立第二高等女学校の教諭となる。1938年4月には第6回日本音楽コンクールの審査員を務めている。 第二次世界大戦後は上野学園大学の教授に就任。明治大学、東京慈恵会医科大学、国立音楽学校、東洋音楽学校などでも学生の指導にあたった。 第二次世界大戦以前の童謡や学校唱歌を多数作曲したほか、新潟県内を中心に学校校歌の作曲を手掛けた。
石倉 小三郎(いしくら こさぶろう、1881年6月15日 -… 石倉 小三郎(いしくら こさぶろう、1881年6月15日 - 1965年10月30日)は、日本の音楽家、ドイツ文学者。 1881年、東京生まれ。1898年、東京府尋常中学校(現・東京都立日比谷高等学校)を卒業。東京帝国大学を卒業。東京音楽学校講師、第四高等学校(金沢)教授、第八高等学校(名古屋)教授、第七高等学校(鹿児島)教授をつとめた後、高知高等学校校長、大阪高等学校校長、大阪理工科大学予科長。1953年からは相愛女子短期大学教授を務めた。 1903年(明治36年)、東京音楽学校での日本人最初のオペラ(クリストフ・ヴィリバルト・グルック作曲「オルフェオとエウリディーチェ」)の訳詞を、乙骨三郎、近藤朔風などと共に担当し、ラファエル・フォン・ケーベルのピアノ、ノエル・ペリの指揮、実業家の渡部朔(出演者の一人、渡部康三の兄)の資金援助による上演の成功に尽力した。
瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年〈明治12年〉8月2… 瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年〈明治12年〉8月24日 - 1903年〈明治36年〉6月29日)は、日本の音楽家・ピアニスト・作曲家。 明治期における西洋音楽黎明期の代表的な音楽家の一人で、歌唱共通教材として「荒城の月」が知られている。戸籍名では旧字体の「瀧」を用いるが、現代の教科書などでは新字体の「滝」でも表記される。 1879年(明治12年)8月24日に、旧・日出藩士(現:大分県速見郡日出町)の瀧吉弘の長男として東京府芝区南佐久間町2丁目18番地(現:東京都港区西新橋)に生まれた。両親は吉弘と正子で、瀧家は江戸時代に豊後国日出藩の家老職を代々務めたいわゆる上級武士の家柄である。父・吉弘も日出藩の家老で1872年(明治5年)に上京し、大蔵省から内務省に転じて大久保利通・伊藤博文らの下で内務官僚として勤務したのち、地方官として神奈川県・富山県を経て大分県竹田市に移り住んだ。
神戸 絢(かんべ あや、1879年(明治12年)2月16日 … 神戸 絢(かんべ あや、1879年(明治12年)2月16日 - 1956年(昭和31年)2月23日)は、日本のピアニスト、音楽家、音楽学校教授。別名、神戸 絢子。 日本の洋楽界最古のピアニスト(洋琴家)として知られた。東京音楽学校 (旧制)を卒業後、母校で30年以上にわたって後進を指導し、従四位勲四等に叙せられた。 東京府人・梁田正直(元鳥取藩士族)の長女として、東京に生まれた。第百銀行監査役・神戸信義(元岡山藩士族・元藩主侯爵池田章政家扶)の養女となり、姫路水力電気技師長・神戸順三郎(明治3年7月生、神戸信義の養子)と結婚、長女貞子(明治34年3月生)をもうけた。一家は1914年(大正3年)に分家した。
益田太郎冠者(ますだたろうかじゃ、1875年(明治8年)9月… 益田太郎冠者(ますだたろうかじゃ、1875年(明治8年)9月25日 - 1953年(昭和28年)5月18日)は、日本の実業家・劇作家・音楽家。貴族院議員。男爵。東京都出身。本名、太郎。
橘 糸重(たちばな いとえ、1873年(明治6年)10月18… 橘 糸重(たちばな いとえ、1873年(明治6年)10月18日 - 1939年(昭和14年)8月31日)は、日本の音楽家、敎育者、歌人。 1873年、三重県鈴鹿郡亀山町(現・亀山市)生まれ。生後まもなく父を亡くし、1874年に母、姉とともに上京。東京音楽学校(現・東京芸術大学)でピアノなどを学び、1892年に卒業。卒業後は研究科に進む。1896年より同校助教授となった。1901年に教授昇進。1928年に教授を辞した後は1939年に亡くなるまで嘱託講師(時間講師)として勤務した。1937年より帝国芸術院会員。ラファエル・フォン・ケーベルを音楽上のみならず宗教上の師とした。また、1931年(昭和6年)に来日したレオニード・クロイツァーの講習会を受講した記録もある。
瀬戸口 藤吉(せとぐち とうきち、1868年6月29日〈慶応… 瀬戸口 藤吉(せとぐち とうきち、1868年6月29日〈慶応4年5月10日〉 - 1941年〈昭和16年〉11月8日)は、日本の音楽家、海軍軍楽師。軍艦行進曲や愛国行進曲などを作曲し、「日本行進曲の父」とされる。 琉球王朝に対する接待係を務める薩摩藩士・瀬戸口覚兵衛の家に生まれる。出生地は鹿児島県鹿児島郡小川町(現・鹿児島市)と肝属郡垂水村(現・垂水市)の二説がある。 13歳の時、覚兵衛の実弟であり、東海鎮守府警吏補であった大山軍八の養子となって大山藤吉と名を改め、横浜(東海鎮守府が置かれていた。1885年に横須賀に移転)に移る。1882年、海軍の第2回軍楽公募生に応募し採用される。クラリネットを学んだほか、フランツ・エッケルトと吉本光蔵に和声を師事し、後に東京音楽学校外国人教師のアンナ・レール(ピアノ)とアウグスト・ユンケルとグスタフ・クローンにも師事した。
竹内 葵(たけうち あおい、12月28日 - )は、日本の小… 竹内 葵(たけうち あおい、12月28日 - )は、日本の小説家・アニメ原作者・漫画原作者・音楽家。東京都出身。大東文化大学外国語学部卒業。コズミックレイ所属。 コズミックレイ代表取締役、ヴギィ’ズ・プロジェクト代表取締役。ミュージシャンとして活動する際は久藤 司(くどう つかさ)を名乗っている。本名は折田 哲郎(おりた てつろう)。 業界紙記者・音楽雑誌編集者・フリーライター、音楽プロモーター・アニメプロデューサー・音楽プロデューサー等を経て、現職。 久藤司・折田哲郎名義のものも含む。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
Nona(のーな、12月22日 - )は、日本の女性ラジオD… Nona(のーな、12月22日 - )は、日本の女性ラジオDJ、ナレーター、音楽家。 兵庫県神戸市出生東京都出身。青二プロダクション所属。血液型AB型。中学校教諭一級、高等学校教諭二級(音楽)免許取得。趣味は読書で海外ミステリーを愛好する。継母はスペイン語歌手の柳貞子。 生後半年で東京都に移住。両親の影響によりジャズ、クラシック音楽、スペイン音楽で育ち4歳よりピアノを始める。中学・高校時代を米国で過ごす。エジモントハイスクール時代にはウェストチャスター・ピアノコンチェルトコンテストで最年少で優勝する。その後ジュリアード音楽院プレカレッジを経て日本に帰国し、玉川大学芸術学科ピアノ科を卒業。横浜国際ピアノコンクール入賞を果たすが、腱鞘炎によりピアニストを断念。
デーモン閣下(デーモンかっか、紀元前98038年11月10日… デーモン閣下(デーモンかっか、紀元前98038年11月10日 - 、英語表記:His Excellency Demon Kakka)は、日本の音楽家、マルチタレント、ジャーナリスト。ロックバンド聖飢魔IIのボーカリスト。POWERPLAY所属。早稲田大学社会科学部卒業。デーモン小暮(1985年)、デーモン小暮閣下(2000年)、デーモン閣下(2010年以降)と名称を変更している。通称は、デーモン、閣下。自身は人間の体を借りた悪魔と自称しており、生年月日は「紀元前98038年11月10日」だとしている。「世を忍ぶ仮の姉」はTBSテレビ元報道キャスターの小暮裕美子。 「紀元前98038年11月10日に発生、地獄の都Bitter Valley地区出身」を称する、前地獄副大魔王にして悪魔教教祖。
菊地 美伽(きくち みか、10月13日 - )は長野県長野市… 菊地 美伽(きくち みか、10月13日 - )は長野県長野市出身の音楽家。 国立音楽大学附属高等学校を経て国立音楽大学器楽科ピアノ専攻卒業。ピアノを海野敏子、安藤雅子、属澄江の諸氏に、室内楽及び伴奏法を白川浩に師事。現在、器楽・声楽およびミュージカルの伴奏ピアニストとして幅広く演奏活動を行っている。また福祉施設での音楽セッションも行っているがその活動はいわゆる音楽療法とは一線を画す。
34423(みよし ふみ、4月23日 - )は、日本の作曲家… 34423(みよし ふみ、4月23日 - )は、日本の作曲家、電子音楽家、エレクトロニカ・ミュージシャン。愛媛県出身。 愛媛県西予市出身。日本工学院八王子専門学校卒業。 幼少より録音機器や楽器に触れ、独自の音創りを始め、音創りと空想が生活の一部となる。[誰?] 硬派なサウンドと鮮烈なヴィジュアルイメージで注目を集め、2013年『Tough and Tender』をリリース。世界デビューを果たす。[どこ?] 都内の大型フェス等の参加、アートディレクター田中佑佳とのコラボレーション作品の発表等、精力的に活動。 2015年2月、セカンドアルバム『Masquerade』をリリース。また、福田陽平監督のホラー映画『アイズ』、田中佑和監督『青春群青色の夏』等、様々な映画作品の劇伴もつとめている。
大津 光央(おおつ みつお、3月8日-)は、日本の小説家・音… 大津 光央(おおつ みつお、3月8日-)は、日本の小説家・音楽家。大阪府出身。 大阪市阿倍野区生まれ。馬場馬術の元インカレ選手。 京都産業大学卒業後、音楽家として活動。 2014年10月、Mele Recordsとzousan recordsより、フルアルバム『センチメンタルがやってくる』(MELE-1012)を全国発売(『マロニエ堂』名義)。アルバム帯の推薦コメントは有栖川有栖 2015年、『たまらなくグッドバイ』で宝島社主催の第14回『このミステリーがすごい!』大賞の優秀賞を受賞。 高田渡が亡くなる直前の札幌でのライブに、前座として同行していた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
深井 真理(ふかい まり、2月8日 - )は、日本の女性音楽… 深井 真理(ふかい まり、2月8日 - )は、日本の女性音楽家。東京都品川区出身。 6才までニューヨークで過ごす。東京芸術大学で太鼓を学ぶ。作詞・作曲を手がけ、自ら歌唱するだけでなく、楽曲の提供も行う。楽器はパーカッションがメインだが、ピアノの演奏もする。 かつては、元・コスミック・インベンションの森岡みまと共に、バンド『七福神』のリードボーカルだったが、メンバーとライブのスケジュールがなかなか合わなくなり、全員でのライブが難しく『七福神』としての活動を停止。 後にソロとして活動を続け、TAMTAMのMari名義でカバー曲に1曲オリジナルを加えたアルバム『te amo』を発表。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。
花岡 環(はなおか たまき 、1月7日 - )は、日本の音楽… 花岡 環(はなおか たまき 、1月7日 - )は、日本の音楽家。ピアニスト、キーボーディスト、ソングライター、編曲家。 東京音楽大学作曲専攻映画放送音楽コース卒業。 12.ヒトエに後期メンバーとして加入したのをきっかけにキーボーディストとしての活動をスタートさせる。 赤塚不二夫初のWEBアニメ、へんな子ちゃんのオープニングテーマで作曲家デビュー。さらには、作詞・編曲・レコーディング・演奏指導・アーティストのライブサポート・音楽講師など、幅広く音楽活動をしている。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
飯塚 昌明 は、日本の音楽家、作曲家、編曲家。HIGHWAY… 飯塚 昌明 は、日本の音楽家、作曲家、編曲家。HIGHWAY STAR所属。新潟県十日町市出身。既婚者。新潟県立十日町高等学校、ミューズ音楽院卒業。
宮浦 清 は、日本の音楽家、サックス奏者、音楽プロデューサー… 宮浦 清 は、日本の音楽家、サックス奏者、音楽プロデューサー、呼吸研究家、発明家。東京都練馬区出身。
KiYO は、日本の音楽家、音楽プロデューサー、作曲家、ロッ… KiYO は、日本の音楽家、音楽プロデューサー、作曲家、ロックバンド「Alias」のドラマー、ラジオパーソナリティ。クリエイター集団「i2 Creative Japan」代表を務める実業家である。大阪市港区出身、血液型はO型。
たつを は、大阪府堺市出身の音楽家、タレント、リポーター、看… たつを は、大阪府堺市出身の音楽家、タレント、リポーター、看護師である。
藤岡 洋(ふじおか ひろし)は、日本の音楽家・作詞家・作曲家… 藤岡 洋(ふじおか ひろし)は、日本の音楽家・作詞家・作曲家・編曲家。日本音楽著作権協会会員。
荒谷 歩美(あらたに あゆみ)は、品川フィルハーモニー・アン… 荒谷 歩美(あらたに あゆみ)は、品川フィルハーモニー・アンサンブル代表理事、音楽家、フルート奏者。 また、公共財団法人品川文化振興事業団の品川ゆかりアーティストでもある。公共財団法人品川文化振興事業団では、 品川区にゆかりのあるアーティストの活動支援をしている。アーティストの活動情報などを発信することにより、アーティストを支援するとともに、地域における文化芸術活動の活性化、充実を目指す。 3歳よりピアノを始める。エリザベト音楽大学卒業。 パリ・エコールノルマル音楽院フルート科第六課程音楽教育高等課程卒業、ヴェネチア国立音楽院フルート科修了。 パリ第4大学ソルボンヌ付属フランス語文明コースC1クラス終了。
京田 留奈(きょうだ るな)は、日本の音楽家・ピアニスト・ピ… 京田 留奈(きょうだ るな)は、日本の音楽家・ピアニスト・ピアノ指導者。 大阪音楽大学ピアノ専攻卒業。ポーランド国立ワルシャワ・ショパン音楽院でディプロマ取得。 ヤマハグレード試験官、リトミック研究会認定講師。 奈良県音楽芸術協会、橿原音楽協会、ちえの輪倶楽部、国際芸術連盟会員(ピアノ)。 株式会社ジェービーエー所属。 奈良県にて後進の指導にあたるほか、ピアノライヴに出演。
仲嶺 伸吾(なかみね しんご)は、沖縄の琉球古典音楽家、研究… 仲嶺 伸吾(なかみね しんご)は、沖縄の琉球古典音楽家、研究者。沖縄県立芸術大学音楽学部音楽学科琉球芸能専攻琉球古典音楽コースに所属し、琉球古典音楽(安冨祖流)の実演および研究を専門とする。国指定重要無形文化財「組踊」および「琉球舞踊」(いずれも総合指定)の保持者である。 近畿大学を卒業後、東京芸術大学音楽学部別科能楽専修を修了した。琉球古典音楽安冨祖流を中心に研鑽を積み、歌三線の実演家として活動するとともに、琉球古典音楽の伝承方法や演奏様式に関する研究を行ってきた。 沖縄県立芸術大学において、「琉球古典音楽実技」「地謡実技」「総合実習」「卒業演奏」などの学部科目を担当し、大学院音楽芸術研究科では「琉球古典音楽研究」「琉球舞踊組踊総合研究」「創作演習」を担当している。
植田 伸子(うえた しんこ)は、日本の音楽家(ピアニスト)。… 植田 伸子(うえた しんこ)は、日本の音楽家(ピアニスト)。佐賀県佐賀市在住。 国立音楽大学を首席で卒業後、シカゴ大学に留学。現在は佐賀市を拠点に幅広い演奏活動を行っている。 レパートリーは古典派のバッハからロマン派のショパンやリスト・ラフマニノフにいたるまで、あらゆる西洋音楽を弾きこなす。演奏スタイルは、動的かつ洗練された音響を旨とする。東京・福岡・佐賀・長崎にて毎年定期演奏活動を行うほか、メキシコなどの海外でも演奏活動を行っている。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
河合 孝治(かわい こうじ、本名:河合 明(かわい あきら)… 河合 孝治(かわい こうじ、本名:河合 明(かわい あきら))は、日本の音楽家、サウンド・ヴィジュアル・アーティスト、学際芸術研究家(音楽とアート、哲学、映像、身体表現)、仏教美学者である。Art Crossing編集者。ASCAP(米国作曲家作詞家出版者協会)会員。 東京都出身。慶應義塾大学卒業、同大学院修士課程修了。日本大学芸術学部大学院芸術学研究科修了。 湯浅譲二、南弘明、嵐野英彦、綿村松輝、嶋津武仁、田崎和隆に作曲・電子音楽、西村朗にオーケストレーションを学ぶ。即興演奏音楽グループGAPに多田正美の後任として参加。中村明一(尺八)とのコラボレーション、タージ・マハル旅行団の永井清治とインド音楽をベースにしたユニットで活動。