今宿 次雄(いましゅく つぐお、1884年(明治17年)1月… 今宿 次雄(いましゅく つぐお、1884年(明治17年)1月10日 - 1971年(昭和46年)9月4日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、八日市市長。旧姓・三浦。 京都府京都市下京区綾小路通出身。三浦寛一の二男として生まれ、今宿家の養子となる。第七高等学校造士館を卒業。1909年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。農商務省に入省。内務省に転じ滋賀県属となる。 以後、滋賀県警視、同理事官、熊本県理事官、福岡県事務官、千葉県警察部長、埼玉県書記官・内務部長などを歴任。 1926年9月、沖縄県知事に就任。第1次若槻内閣総辞職に伴い1927年5月に辞任。1929年9月、佐賀県知事に就任。
石黒 忠篤(いしぐろ ただあつ、1884年(明治17年)1月… 石黒 忠篤(いしぐろ ただあつ、1884年(明治17年)1月9日 - 1960年(昭和35年)3月10日)は、日本の農林官僚、政治家。位階は従二位、勲等は勲一等、勲章は旭日大綬章。 「農政の神様」と称せられ、彼が農商務省・農林省幹部として政策に関与した時期の農政は、「石黒農政」と呼ばれている。 この間、農業報国連盟理事長、満州移住協会理事長、日本農業研究所理事長を歴任している。農業振興、農村救済に取り組み、戦前における農政の第一人者として「農政の神様」と称せられた。また大正末期以降、小作立法制定に精力を費やした石黒であったが、1930年代には満蒙開拓移民に小作問題解決の途を見いだし、加藤完治とともにその推進役となった。
坪井 勧吉(つぼい かんきち、1884年(明治17年)1月8… 坪井 勧吉(つぼい かんきち、1884年(明治17年)1月8日 - 1970年(昭和45年)5月29日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、姫路市長。 愛知県出身。坪井政兵衛の長男として生まれる。第五高等学校を卒業。1911年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し神奈川県属となる。 以後、神奈川県警視、同理事官、秋田県警察部長、岡山県警察部長、香川県書記官・内務部長、山口県書記官・内務部長、山形県書記官・内務部長などを歴任。 1929年7月、香川県知事に就任。塩江温泉鉄道の開通に尽力。1931年6月、高知県知事に転任。同年12月18日に知事を依願免本官となり退官。
長谷川 久一(はせがわ きゅういち、1884年(明治17年)… 長谷川 久一(はせがわ きゅういち、1884年(明治17年)1月7日 - 1945年(昭和20年)8月25日)は、日本の内務官僚。 東京府知事や警視総監を歴任。 旧唐津藩士・長谷川芳之助(一刀流の使い手である長谷川善兵衛久徴の子)の長男として岡山県で生まれる。第一高等学校を卒業。 1907年(明治40年)、東京帝国大学法科政治科を卒業。高等文官試験に合格し、内務省に入る。内務書記官、内務参事官、三重県警察部長、千葉県警察部長、警視庁第二部長、警視庁保安部長、岐阜県内務部長、内務監察官、内務省土木局長を歴任。 1923年(大正12年)10月25日、1924年(大正13年)6月24日、石川県知事を務める。
小平 権一(旧字体: 小平 權一、こだいら ごんいち、188… 小平 権一(旧字体: 小平 權一、こだいら ごんいち、1884年1月6日 - 1976年8月1日)は、日本の政治家、農林官僚。衆議院議員。農本主義者。 長野県諏訪郡米沢村(現茅野市)に小学校教員の小平邦之助の長男として生まれる。旧制諏訪実科中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、旧制第一高等学校工科を途中休学。1910年に東京帝国大学農科大学を卒業し、さらに同法科大学政治科に入学。在学中の1913年に高等文官試験に合格し、翌年に卒業した。 農商務省に入り、農政課に配属。農政課小作分室長として石黒忠篤農政課長とともに小作立法に取り組む。1922年に産業組合の主管課である農務課長に就任、産業組合中央金庫の設立に中心的役割を果たした。
今井 昌治(いまい まさはる、1884年(明治17年)1月5… 今井 昌治(いまい まさはる、1884年(明治17年)1月5日 - 没年不明)は、明治時代後期から昭和時代前期の台湾総督府官僚。高雄市尹、花蓮港庁長。 新潟県中頚城郡高田城下に生まれる。1899年(明治32年)台湾に渡り、1908年(明治41年)6月に台北庁警部、1920年(大正9年)9月に台北州保安課長を経て、1922年(大正11年)5月、台湾総督府地方警視に進み、台北南警察署長に就任する。 1924年(大正13年)12月、地方理事官に進み、台中州新高郡守となり、ついで1926年(大正15年)1月に新竹州苗栗郡守、1927年(昭和2年)8月に台中州彰化郡守を経て、1929年(昭和4年)5月に高雄市尹に就任した。
横山 助成(よこやま すけなり、1884年(明治17年)1月… 横山 助成(よこやま すけなり、1884年(明治17年)1月1日 - 1963年(昭和38年)3月27日)は、日本の内務官僚、政治家。警視総監、貴族院議員。東北興業総裁。 以下、「横山 助成 (よこやますけなり)東京都知事も務めた 内務省高級官僚」(秋田高等学校同窓会、2014年3月21日更新)参照。 「献策居士」の異名をもち、趣味は将棋とゴルフ。 石田八弥の女婿。義弟は文化人類学者の石田英一郎、姪の子に阿部牧郎がいる。
中島 鉄平(鐵平、なかじま てっぺい、1884年(明治17年… 中島 鉄平(鐵平、なかじま てっぺい、1884年(明治17年)1月1日 - 1936年(昭和11年)11月1日 )は、熊本県上益城郡大山町出身の大正・昭和期の大蔵官僚。 中島又平の二男として生まれた。旧制熊本中学(現熊本県立熊本高等学校)、旧制第五高等学校を卒業。1909年(明治42年)7月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年7月、大蔵省に入省して専売局書記に任官し専売局製造部に配属された。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 以後、京都税務監督局経理部長、東税務署長、神戸税関監査課長兼徴収課長、同総務課長などを経て、1920年(大正9年)5月、主税局に転じ、長年にわたり関税課長として関税行政事務を率いた。
周徳鴻(しゅう とくほう/チャオ・デーホン、1884年 - … 周徳鴻(しゅう とくほう/チャオ・デーホン、1884年 - ?)は、清末民初の技術者、官僚。字は伯彬。四川省巴県(現重慶市巴南区)出身。東京高等工業学校機械科卒業。 航空技師として北洋政府軍に加わり、奉天派に属する。国民政府でも空軍軍属として参加。 成都より官費生として日本に留学。1911年(宣統三年)9月、学部(中国語版)(文部省に相当)の試験を受け最優等となり、工科進士の賞給を受ける。 辛亥革命後の1913年(民國二年)の間、四川公立工業專門学校(現四川大学)教員として機械工学や製図を教えていた。1921年(民國十年)5月、北洋政府に加わり、郭世綰、盛紹章、黄耀栄らとともに北京航空署(署長:丁錦)附技師。
方 宗鰲(ほう そうごう、1884年 – 1951年)は、清… 方 宗鰲(ほう そうごう、1884年 – 1951年)は、清末民初の教育者・経済学者・官僚・政治家。別号は少峯または少峰。主に経済学者として活動する一方で、中華民国臨時政府と南京国民政府(汪兆銘政権)華北政務委員会で各職を歴任した。 清末の1903年(光緒29年)に日本へ留学し、東京同文書院を卒業した。帰国後は故郷の普寧県で師範速成学校を創立している。1908年(光緒34年)に官費留学生として日本へ再び留学し、山口高等商業学校を卒業。1914年(民国3年・大正3年)に明治大学商科を卒業した。なお、来日中には進歩党東京支部政務部長をつとめており、雑誌『国家及国家学』に寄稿している。 帰国後は北京の各大学で教鞭をとり、北京中国大学教務長兼商学系主任、朝陽大学教授、北京大学法学院教授を歴任し、経済学の論文を各雑誌に都度都度寄稿している。
陳 曽栻(ちん そうしょく、1884年〈光緒10年2月〉 –… 陳 曽栻(ちん そうしょく、1884年〈光緒10年2月〉 – 没年不明)は、清末民初の官僚・政治家。別号は矩亭。冀東防共自治政府・中華民国臨時政府・南京国民政府(汪兆銘政権)華北政務委員会で各職を歴任し、特に河北省公署(河北省政府)で長い官歴を持つ。最後は河北省省長代理や華北政務委員会農務総署督弁にまで昇進した。 清末に日本へ留学し、1909年(宣統元年/明治42年)に明治大学政治科を卒業した。1910年(宣統2年)3月、湖北省清丈局専弁となる。中華民国成立後は、呉興県知事、中東鉄路路警処秘書主任、灤県県長などを歴任している。 1935年(民国24年)12月に冀東防共自治政府が成立すると、陳曽栻は自治政府秘書処処長に任命された。
赤木 朝治(あかぎ ともはる、1883年(明治16年)12月… 赤木 朝治(あかぎ ともはる、1883年(明治16年)12月16日 - 1963年(昭和38年)6月28日)は、日本の内務官僚。岡田内閣の内務次官、県知事。 岡山県庄村(現:倉敷市)出身。赤木頼太郎の二男として生まれる。郵便局で勤務し、関西中学、第六高等学校を経て、1912年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年7月、内務省に入り山梨県属となる。同年11月、文官高等試験に合格した。 1914年5月、山梨県理事官に就任。以後、岐阜県視学官、内務省警保局事務官、内務書記官・警保局図書課長、同局保安課長、大臣官房文書課長、内務省参事官、内務監察官、内務書記官・大臣官房会計課長兼地理課長、兼内務大臣秘書官、神社局長、復興局経理部長、兼同整地部長などを歴任。
新庄 祐治郎(しんじょう ゆうじろう、1883年(明治16年… 新庄 祐治郎(しんじょう ゆうじろう、1883年(明治16年)11月16日 - 1951年(昭和26年)2月2日)は、日本の内務・朝鮮総督府官僚。政友会系官選県知事。 京都市上京区新烏丸通二条上ル出身。第五高等学校を卒業。1909年7月、京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1911年、内務省に入省し京都府警部となる。 以後、山口県厚狭郡長、同県玖珂郡長、山口県理事官、鹿児島県理事官、静岡県理事官、朝鮮総督府事務官、同慶尚北道第三部長、同道警察部長、総督府警務局高等警察課長、福岡県警察部長、和歌山県書記官・内務部長、広島県書記官・内務部長、愛知県書記官・内務部長、福島県書記官・内務部長などを歴任。
小川 順之助(おがわ じゅんのすけ、1883年(明治16年)… 小川 順之助(おがわ じゅんのすけ、1883年(明治16年)11月13日 - 1961年(昭和36年)6月23日[要出典])は、関東庁官僚。大連市長。 東京府に郡会議員小川弥次郎の子として生まれる。1911年(明治44年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業。長野県庁内務部勤務、岩手県東磐井郡長、同下閉伊郡長、大阪府理事官を務めた。1919年(大正8年)、関東都督府参事官・事務官に転じ、関東庁参事官・事務官、長官官房文書課長、大連民政署長事務取扱、内務局地方課長、同殖産課長などを歴任し、勅任官の待遇を受けた。 1930年(昭和5年)に退官し、翌年に大連市長に就任した。その後、関東州天津貿易斡旋所長、同北支貿易斡旋所長を経て、関東州薬工品株式会社社長を務めた。
高山 勝司(たかやま かつじ、1883年〈明治16年〉11月… 高山 勝司(たかやま かつじ、1883年〈明治16年〉11月10日 - 1961年〈昭和36年〉9月30日)は、大正から昭和時代の関東庁官僚。千葉県長生郡豊岡村長。旅順市長。 千葉県長生郡弓渡村(豊岡村、本納町を経て、現茂原市)出身。高山粂蔵の次男として生まれる。1907年(明治40年)明治大学専門部法律科卒業後、関東都督府(1919年(大正8年)関東庁に改組)警察部に出仕する。警部補、警部、警視と進み、旅順、大連、安東、新京各警察署長を歴任し、1935年(昭和10年)3月退官。翌月、旅順市助役を経て、1936年(昭和11年)1月25日、旅順市長に就任した。ほか、旅順市会議長を務めた。 戦後は、豊岡村長を歴任した。
酒井 忠克(さかい ただたえ、1883年〈明治16年〉11月… 酒井 忠克(さかい ただたえ、1883年〈明治16年〉11月2日 - 1939年〈昭和14年〉6月17日)は、日本の宮内官僚、政治家、華族。貴族院伯爵議員。 東京府出身。伯爵・酒井忠道の二男として生まれる。1906年(明治39年)学習院高等科を卒業し、さらに東京帝国大学法科大学を修了。父・忠道の死去に伴い、1920年(大正9年)3月10日、家督を相続し伯爵を襲爵した。 1914年(大正3年)以降、主猟官、式部官兼主猟官、中央失業対策委員会委員などを務めた。 1925年(大正14年)7月10日、貴族院伯爵議員に選出され、研究会に属して死去するまで在任した。
椎野 信次(しいの しんじ、1883年〈明治16年〉11月 … 椎野 信次(しいの しんじ、1883年〈明治16年〉11月 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の政治家、鉄道官僚。大阪府布施市長。 椎野法義の二男として、山形県米沢に生まれる。1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学政治科を卒業し鉄道院に奉職する。書記を経て1924年(大正13年)3月、札幌鉄道局運輸課長となったのち官界を去り、同年9月、大阪市役所に入る。大阪市電気局庶務部経理課長、大阪市副収入役、同市収入役を経て、1938年(昭和13年)12月、布施市長に就任した。
中松 真卿(なかまつ しんけい、1883年(明治16年)10… 中松 真卿(なかまつ しんけい、1883年(明治16年)10月26日 – 1952年(昭和27年)10月4日)は、日本の商工官僚、特許局長官。日本製鉄株式会社社長。 和歌山県西牟婁郡田辺町(現在の田辺市)出身。1908年(明治41年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。農商務属、特許局審査官補となり、高等文官試験に合格した。特許局審査官・事務官、農商務書記官、同参事官、簡易保険局書記官・商工書記官、特許局総務部長・意匠商標部長、保険事務官、商工省保険部長などを歴任。1929年(昭和4年)、商工省鉱山局長となり、翌年には特許局長官に就任した。 1936年(昭和11年)に退官した後は、日本製鉄株式会社常務取締役となり、ついで代表取締役社長に就任した。
橋口 行彦(はしぐち ゆきひこ、1883年10月22日 - … 橋口 行彦(はしぐち ゆきひこ、1883年10月22日 - 1963年7月28日)は日本の政治家、鉄道技師・官僚。鹿児島県串木野市初代市長、鉄道大臣官房研究所所長。 鹿児島県生まれ、串木野市(現いちき串木野市)出身。1907年7月第七高等学校造士館第二部(工科志望)卒業。1912年7月に東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、鉄道院(後に鉄道省と改称)に入って技手となり、1918年11月技師に昇進。1923年8月から1925年10月に鉄道省在外研究員として欧米留学。1935年6月、鉄道省監督局技術課長となる。1936年7月15日、鉄道大臣官房研究所(現鉄道総合技術研究所)所長に就任。在任中の1937年2月、国際鉄道会議日本政府代表委員としてフランス出張。
松本 誠(まつもと まこと、1883年(明治16年)10月1… 松本 誠(まつもと まこと、1883年(明治16年)10月1日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。 東京府東京市神田区(現在の東京都千代田区)出身。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格。朝鮮総督府属、内務部庶務課長、平安北道財務部長、同第二部長、慶尚北道第二部長、京畿道第二部長、忠清南道第一部長、同内務部長、全羅北道内務部長、京畿道内務部長を歴任した。さらに財務局理財課長、鉄道局理事、専売局長を務め、1931年(昭和6年)に京畿道知事に就任した。 1934年(昭和9年)に退官した後は、朝鮮製錬株式会社社長、朝鮮金融組合聯合会長などを務めた。 戦後、公職追放となった。
古橋 卓四郎(ふるはし たくしろう、1883年(明治16年)… 古橋 卓四郎(ふるはし たくしろう、1883年(明治16年)10月 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。 愛知県出身。1910年(明治43年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した。愛知県属、同警視、同理事官を歴任した。のち朝鮮総督府事務官に転じ、警察官講習所長、監察官、参事官、忠清南道内務部長、慶尚北道内務部長、江原道内務部長を経て、咸鏡北道知事を務めた。
丸山 鶴吉(まるやま つるきち、1883年〈明治16年〉9月… 丸山 鶴吉(まるやま つるきち、1883年〈明治16年〉9月27日 - 1956年〈昭和31年〉6月3日)は、日本の内務官僚、政治家、教育者。警視総監、宮城県知事、武蔵野美術学校校長。位階は従三位。広島県沼隈郡松永村(現・福山市松永町)生まれ。 1883年(明治16年)、松永下駄の創始者、丸山茂助の四男として生まれる。負けん気の強い少年で、5年生になる頃には学校を仕切った。広島県立福山中学(現・福山誠之館高校)、第一高等学校を経て東京帝国大学法科大学政治学科に入学。卒業後1909年(明治42年)、内務省に入る。 香川県警部、警視庁特高課長、保安課長、静岡県内務部長を歴任。保安課長時代には私娼撲滅運動を展開した。
河田 烈(かわだ いさお、1883年(明治16年)9月24日… 河田 烈(かわだ いさお、1883年(明治16年)9月24日 - 1963年(昭和38年)9月27日)は、日本の大蔵官僚、大蔵大臣。
宮本 貞三郎(みやもと ていざぶろう、1883年(明治16年… 宮本 貞三郎(みやもと ていざぶろう、1883年(明治16年)9月21日 - 1972年(昭和47年)4月29日)は、日本の内務・警察官僚。官選青森県知事、岩出山町長。 宮城県大崎市で素封家・宮本益輔の長男として生まれる。第二高等学校を卒業。1910年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1911年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し秋田県試補となる。 以後、大阪府事務官補、同府理事官・内務部地方課長、警視庁理事官、東京府事務官、埼玉県警察部長、愛知県警察部長、徳島県警察部長、青森県書記官・内務部長、京都府書記官・内務部長、長崎県書記官・内務部長などを歴任。1929年7月20日、大阪府書記官・学務部長に発令されたが、わずか5日後の同月25日に依願免本官となる。
有田 邦敬(ありた くによし、くにゆき、1883年9月17日… 有田 邦敬(ありた くによし、くにゆき、1883年9月17日 - 1941年12月21日)は、日本の官僚、経営者。大阪市助役、京阪電気鉄道社長を務めた。兵庫県出身。 旧制兵庫県立柏原中学校、第三高等学校を経て、1908年に京都帝国大学法科を卒業。内務省、逓信省に奉職の後、1915年12月から大阪市長の池上四郎の下で第二助役を務め、1923年12月から1927年12月までは関一の下で助役を務める。両市長の下で迎えた大大阪時代を助役として支えた。1928年4月に太田光凞社長の要請により、京阪電気鉄道副社長に就任し、1936年10月には社長(第5代)に昇格。厳しい経営状況にあった同社の再建を太田とともに進め、現場経験者を抜擢して役員に就任させるなど、次代を支える人材の登用と育成をも周到に行った。
熊谷 巌(くまがい いわお、1883年〈明治16年〉9月17… 熊谷 巌(くまがい いわお、1883年〈明治16年〉9月17日 - 1933年〈昭和8年〉11月2日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(4期)。疑獄事件で収監釈放されたのち、縊死した。 岩手県下閉伊郡宮古町(現在の宮古市)出身。旧制盛岡中学校、第五高等学校から東京帝国大学法科大学に進み、1909年7月卒業。在学中に文官高等試験司法科試験に合格し、1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 内務省に入り、東京府属、南葛飾、荏原両郡長、佐賀県警察部長、警視庁保安部長などを歴任した。1922年、東京市政疑獄(瓦斯疑獄)で東京地方裁判所より懲役4ヵ月の実刑判決、1923年に東京控訴院を経た後、同年大審院で確定した。
堀田 鼎(ほった かなえ、1883年〈明治16年〉9月13日… 堀田 鼎(ほった かなえ、1883年〈明治16年〉9月13日 - 1942年〈昭和17年〉2月24日)は、日本の内務官僚。県知事、台湾総督府交通局総長。 福島県安積郡河内村(河内村大字河内、逢瀬村を経て現郡山市逢瀬町河内)で堀田喜左衛門の五男として生まれる。第二高等学校を経て1908年(明治41年)東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業。1911年(明治44年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。1912年(大正元年)7月、東京帝国大学法科大学を卒業。同年、内務省に入り土木局属となる。 1917年(大正6年)山口県内務部土木課長に就任。以後、東京府・千葉県の各理事官などを歴任。1921年(大正10年)ジュネーヴで開催された第3回国際労働総会に政府代表随員として出席。
宮脇 梅吉(みやわき うめきち、1883年(明治16年)9月… 宮脇 梅吉(みやわき うめきち、1883年(明治16年)9月12日 - 1941年(昭和16年)1月12日)は、日本の内務官僚。官選県知事。 愛媛県大内郡水主村(現在の香川県東かがわ市)出身。宮脇清吉の五男として生まれる。第一高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、統監府判事となり、晋州、大邱、京城の各裁判所で勤務。 1913年6月、内務省に転じ埼玉県理事官・内務部学務課長に就任。以後、福井県警察部長、和歌山県警察部長、広島県警察部長、京都府警察部長、宮城県内務部長、広島県書記官・内務部長、石川県書記官・内務部長などを歴任。
松原 権四郎(まつばら ごんしろう、1883年(明治16年)… 松原 権四郎(まつばら ごんしろう、1883年(明治16年)9月10日 - 1933年(昭和8年)5月17日)は、日本の内務・警察官僚。官選青森県知事、高松市長。 後の香川県那珂郡六郷村上金倉(現丸亀市)出身。第六高等学校を卒業。1908年(明治41年)京都帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。司法省に入省。一年志願兵として歩兵第43連隊に入隊し、二等計手まで昇進して除隊。1910年(明治43年)内務省に転じ長崎県警部となる。 以後、長崎県属兼警部、同警察部保安課長、高知県理事官兼視学官、山口県警察部長、愛知県警察部長、岩手県内務部長、静岡県内務部長、神奈川県内務部長などを経て、1924年(大正13年)6月、京都府内務部長に就任。
松村 義一(まつむら ぎいち、1883年(明治16年)9月7… 松村 義一(まつむら ぎいち、1883年(明治16年)9月7日 - 1959年(昭和34年)1月6日)は、明治末から昭和前期の内務官僚、政治家。憲政会系官選県知事、貴族院勅選議員。 山口県都濃郡、現在の下松市で商業・松村冷蔵の長男として生まれる。山口中学校、山口高等学校を経て、1909年(明治42年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。1910年(明治43年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り、神奈川県属として内務部地方課に配属された。 1911年(明治44年)4月、神奈川県試補となる。以後、佐賀県事務官、同県視学官、鳥取県視学官、石川県警察部長、広島県警察部長、警察講習所教授兼内務省参事官、山形県内務部長、和歌山県内務部長などを歴任。
村上 恭一(むらかみ きょういち、1883年(明治16年)8… 村上 恭一(むらかみ きょういち、1883年(明治16年)8月31日 - 1953年(昭和28年))は、日本の官僚。枢密院書記官長、貴族院議員等を歴任した。
園田 寛(そのだ ひろし、1883年(明治16年)8月18日… 園田 寛(そのだ ひろし、1883年(明治16年)8月18日 - ?)は、朝鮮総督府官僚。実業家。 兵庫県に衆議院議員田艇吉の三男として生まれ、母方従弟・園田稔の跡を継いだ。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。専売局書記、拓殖局属、同書記官、文部省参事官、拓殖局調査課長、同庶務課長を務めた。その後、朝鮮総督府事務官・監察官に転じ、総督官房外事課長、同会計課長、財務局理財課長、山林部長を歴任し、1929年(昭和4年)に平安南道知事に就任した。 1931年(昭和6年)に退官した後は、横浜商工会議所理事を務めた。
川淵 洽馬(かわぶち こうま、1883年〈明治16年〉8月1… 川淵 洽馬(かわぶち こうま、1883年〈明治16年〉8月15日 - 1946年 〈昭和21年〉10月1日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、高知市長、衆議院議員。財団法人板垣伯銅像記念碑建設同志会第7代会長。旧姓は宮崎。姓は川渕とも表記される。 高知県高岡郡窪川町(現・四万十町)生まれ。宮崎文次の二男として生まれ、川淵龍起の養子となる。第一高等学校を経て、1910年(明治43年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1912年(明治45年)、内務省に入り警視庁警部に任官。 以後、警視庁警視、月島警察署長、台湾総督府警視、山形県警察部長、広島県警察部長、京都府警察部長、警視庁書記官・警務部長、警察講習所教授兼内務省参事官などを歴任。
富田 勇太郎(とみた ゆうたろう、1883年8月12日 - … 富田 勇太郎(とみた ゆうたろう、1883年8月12日 - 1946年2月24日)は、日本の官僚、銀行家。大蔵省理財局長、満州興業銀行初代総裁。
新開 渧観(しんかい ていかん、1883年(明治16年)8月… 新開 渧観(しんかい ていかん、1883年(明治16年)8月5日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。福岡県八幡市長。神奈川県小田原町長。茨城県日立市長。 熊本県熊本市出身。1900年(明治33年)に第五高等学校に入学し、1903年(明治36年)に卒業。その後、東京帝国大学法科大学に入学し、1908年(明治41年)に卒業し、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。群馬県警視、同事務官、栃木県理事官、宮崎県警察部長、岩手県警察部長、愛知県警察部長などを歴任。1921年(大正10年)からは石川県内務部長を務めた。 退官後の1926年(大正15年)には八幡市長に就任した。1935年(昭和10年)には小田原町長に選ばれ、さらに1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)まで日立市長を務めた。
大森 佳一(おおもり かいち、1883年〈明治16年〉8月2… 大森 佳一(おおもり かいち、1883年〈明治16年〉8月2日 - 1945年〈昭和20年〉3月25日)は、日本の政治家、内務官僚。貴族院議員、官選県知事、男爵。位階は従三位。勲等は勲三等。 本籍・静岡県、東京府出身。男爵・大森鍾一の長男として生まれる。学習院高等科を経て、1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入り千葉県属となる。1911年(明治44年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、群馬県属、滋賀県理事官、滋賀県警察部長、栃木県警察部長、岩手県内務部長、山形県内務部長、茨城県書記官・内務部長、群馬県書記官・内務部長などを歴任。1927年(昭和2年)、父の死去に伴い男爵を襲爵。
八木 林作(やぎ りんさく、1883年(明治16年)8月1日… 八木 林作(やぎ りんさく、1883年(明治16年)8月1日 - 1974年(昭和49年)6月11日)は、日本の内務官僚。官選島根県知事、尼崎市長。 京都府天田郡出身。八木新造の六男として生まれる。第三高等学校を卒業。1909年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、北海道庁事務官補・同理事官、栃木県理事官、兵庫県事務官、朝鮮総督府道事務官、山梨県警察部長、高知県内務部長、石川県内務部長、兵庫県書記官・警察部長、長崎県書記官・内務部長などを歴任。 1927年5月、島根県知事に就任。1928年7月、第四次産業計画を決定。
高橋 親吉(たかはし しんきち、1883年(明治16年)7月… 高橋 親吉(たかはし しんきち、1883年(明治16年)7月 - 没年不詳)は、台湾総督府官僚。 大分県出身。1910年(明治43年)に東京帝国大学法科大学法律科を卒業し、高等文官試験に合格した。1912年(大正元年)、台湾総督府属となり、同事務官、専売局事務官、高雄州知事などを歴任し、1927年(昭和2年)には殖産局長に就任した。その後、台北州知事となり、1929年(昭和4年)に退官した。
八条 隆正(はちじょう たかまさ、1883年(明治16年)6… 八条 隆正(はちじょう たかまさ、1883年(明治16年)6月27日 - 1950年(昭和25年)2月3日)は、明治末から昭和前期の大蔵官僚、政治家、華族。貴族院子爵議員。 伯爵・油小路隆董の三男として生まれ、子爵・八条隆邦の養子となる。養父・隆邦の死去に伴い、1896年(明治29年)9月8日、家督を相続し子爵を襲爵した。 1908年(明治41年)京都帝国大学法科大学を卒業。1909年(明治42年)大蔵省に入省し、税務監督局属兼大蔵属、同監督局事務官、東京税務監督局経理部長などを歴任。1915年(大正4年)7月15日、依願免本官となり退官した。その後、産業組合中央金庫理事長、日本銀行監事、住宅営団監事、内閣顧問、大蔵省顧問、帝国農会特別議員、国民貯蓄奨励委員会委員、学習院評議会会員などを務めた。
大久保 偵次(おおくぼ ていじ、1883年(明治16年)6月… 大久保 偵次(おおくぼ ていじ、1883年(明治16年)6月15日 - 1973年(昭和48年)2月10日)は、日本の大蔵官僚。銀行局長時代に帝人事件の被告となるも無罪判決を受けた。関場家の養子となっていたため、前半生では関場偵次と名乗る。 鹿児島県に生まれる。長兄が屯田兵となっていたことから北海道琴似村に移住し、17歳で関場不二彦の養子となった。札幌中学、第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学を卒業。文官高等試験に合格し、大蔵省に入省する。同期生に首席の後藤文夫や、石黒忠篤などがいる。 官歴は大蔵属に始まる。大蔵省事務官、同書記官を経て、仏国、英国各駐剳財務官代理、国際連盟総会随員を歴任。第一次世界大戦終結後の独国による対日賠償に関わった。
芝辻 一郎(しばつじ いちろう、1883年(明治16年)6月… 芝辻 一郎(しばつじ いちろう、1883年(明治16年)6月6日 - 1962年(昭和37年)1月12日)は、日本の内務官僚。官選山梨県知事、川崎市長、沼津市長。 千葉県安房郡北条町長須賀(現:館山市長須賀)で、旧龍野藩士・芝辻勝の長男として生まれる。北条町尋常高等小学校、千葉中学校、第一高等学校を経て、1910年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年9月、内務省に入省し東京府属となる。1911年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、神奈川県理事官、同県三浦郡長、同愛甲郡長、福島県北会津郡長、同県伊達郡長、富山県事務官・学務部長、愛媛県警察部長、宮崎県書記官・内務部長、三重県書記官・内務部長などを歴任。
渡辺 忍(わたなべ しのぶ、1883年〈明治16年〉5月29… 渡辺 忍(わたなべ しのぶ、1883年〈明治16年〉5月29日 - 1955年〈昭和30年〉1月28日)は、朝鮮総督府官僚、実業家。朝鮮農地開発営団理事長。 新潟県岩船郡関谷村(現在の関川村)出身。渡辺善俊の長男。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格。和歌山県属、同日高郡長、福井県理事官、神奈川県事務官を務めた。 1919年(大正8年)、朝鮮総督府事務官に転じ、忠清北道内務部長、黄海道内務部長、平安南道内務部長、全羅北道知事、京畿道知事を歴任。1931年(昭和6年)、殖産局長兼山林部長となり、翌年に農林局長に転じた。 1935年(昭和10年)に退官し、東洋拓殖理事、日魯漁業(現在のマルハニチロ)取締役、南洋興発監査役、海外興業監査役、朝鮮農地営団理事長、朝鮮食糧営団理事長などを務めた。
白根 竹介(しらね たけすけ、1883年(明治16年)5月2… 白根 竹介(しらね たけすけ、1883年(明治16年)5月25日 - 1957年(昭和32年)3月5日)は、日本の内務官僚。
斎藤 直橘(さいとう なおきつ / なおき、1883年(明治… 斎藤 直橘(さいとう なおきつ / なおき、1883年(明治16年)5月18日 - 1953年(昭和28年)10月20日)は、日本の政治家、内務官僚。衆議院議員、福井県知事、福井市長。 宮城県出身。斎藤忠治郎の三男として生まれる。山口高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学を卒業。1911年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1912年、内務省に入り警視庁見習となる。以後、徳島県理事官、福井県理事官、大阪府理事官、茨城県警察部長、奈良県書記官・内務部長、富山県書記官・内務部長などを歴任。 1930年8月、福井県知事に就任。1931年12月18日まで在任して休職し、同月24日に依願免本官となり退官した。
別府 総太郎(べっぷ そうたろう、1883年(明治16年)5… 別府 総太郎(べっぷ そうたろう、1883年(明治16年)5月17日 - 1931年(昭和6年)5月16日)は、日本の内務官僚。官選県知事。 山口県豊浦郡滝部村(豊北町を経て現下関市豊北町大字滝部)出身。別府玄三の二男として生まれる。第一高等学校を経て、1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1911年(明治44年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り福岡県試補となる。 以後、福岡県理事官、群馬県理事官兼視学官、内閣書記官兼国勢院書記官、法制局参事官、拓殖事務局長などを歴任。 1924年6月、島根県知事に就任。1926年9月、奈良県知事に転じた。1927年5月、栃木県知事に就任。
須藤 素(すどう もと、1883年(明治16年)5月1日- … 須藤 素(すどう もと、1883年(明治16年)5月1日- 1962年(昭和37年)12月16日)は、朝鮮総督府官僚。福島県若松(現在の会津若松市)市長。 福島県出身。1907年(明治40年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。統監府属・大蔵属、統監府書記官、朝鮮総督府事務官、総督官房土木課長、参事官、営林庁長などを歴任した。1926年(大正15年)、慶尚北道知事に任命され、1929年(昭和4年)に慶尚南道知事に転じた。 退官後の1933年(昭和8年)に若松市長に就任。 市長退任後は朝鮮無煙炭株式会社監査役を務めた。
河内 源一郎(かわち げんいちろう、1883年4月30日 -… 河内 源一郎(かわち げんいちろう、1883年4月30日 - 1948年3月31日)は、日本の官僚、科学者、実業家。 「河内菌」の発見により焼酎の品質を飛躍的に向上させた近代焼酎の父。広島県深津郡吉津村(現・福山市吉津町)生まれ。 河内は、代々続く醤油屋の家に生まれた。幼少期から麹や醪に馴染み、広島県立福山中学(現・福山誠之館高校)を経て大阪高等工業醸造科(現・大阪大学工学部発酵工学科)を卒業。家業が不振となったため、1909年に大蔵省入りし、熊本税務監査局鹿児島工業試験場へ技師・酒の鑑定官として赴任した。同年秋、造り酒屋の技術指導員として訪れた巡視先で、鹿児島焼酎と出会う。当時の焼酎はとても不味く、また暑い時期はすぐに腐っていた。
三浦 実生(みうら じつお、1883年(明治16年)4月30… 三浦 実生(みうら じつお、1883年(明治16年)4月30日 - 1957年〈昭和32年〉11月8日)は、日本の農商務・内務官僚。官選県知事。 広島県西地方町(現・広島市中区)出身。三浦新平の二男として生まれる。山口高等学校を卒業。1905年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業後、大学院に進んだ。1907年11月、文官高等試験行政科試験に合格。農商務に入省し保険事務官補となる。 以後、山林事務官兼農商務書記官、林務官、山林局書記官兼農商務書記官、秋田大林区署長、農商務書記官兼同参事官、製鐵所理事、特許局次長、農商務省山林局長などを歴任。 1924年(大正13年)12月17日、山形県知事に就任。
伊藤 勘助(いとう かんすけ、1883年(明治16年)4月2… 伊藤 勘助(いとう かんすけ、1883年(明治16年)4月23日 - 1966年(昭和41年)2月12日)は、明治から昭和時代前期の官僚、政治家、実業家。仙台鉄道局長、宇部市長、山陽急行バス社長、山口県公安委員長。 山口県大島郡久賀町(現・周防大島町久賀)出身。伊藤祥助の弟として生まれ、1921年(大正10年)分家する。1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、鉄道院に出仕。1911年(明治44年)同院副参事、ついで参事書記官を経て、1927年(昭和2年)仙台鉄道局長に就任。 1931年(昭和6年)7月に官界を去り、民間に転じ、精養軒社長、宮城電燈顧問などを歴任する。1938年(昭和13年)7月30日、推挙され、第7代山口県宇部市長に就任し、続いて第8代市長を1946年(昭和21年)1月21日まで務めた。
百済 文輔(くだら ぶんすけ / ふみすけ、1883年〈明治… 百済 文輔(くだら ぶんすけ / ふみすけ、1883年〈明治16年〉4月21日 - 1952年〈昭和27年〉8月4日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。官選県知事、川崎市長、小倉市長。 山口県厚狭郡高千帆村(現山陽小野田市)出身。神職百済忠敬の息子として生まれる。山口高等学校を卒業。1908年、京都帝国大学法科大学政経学科を卒業。内務省に入省し山梨県属となる。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 1911年3月、山梨県東山梨郡長に就任。1913年、関東都督府参事官となる。以後、大阪府事務官、三重県警察部長、群馬県内務部長、愛媛県内務部長、東京府産業部長、同書記官・内務部長、北海道庁内務部長など歴任。