室田 淳(むろた きよし、1955年7月26日 - )は、群… 室田 淳(むろた きよし、1955年7月26日 - )は、群馬県出身のプロゴルファー。
職業がゴルフ:490人
室田 淳(むろた きよし、1955年7月26日 - )は、群… 室田 淳(むろた きよし、1955年7月26日 - )は、群馬県出身のプロゴルファー。
佐藤 由美子(さとう ゆみこ、1955年5月21日 - )は… 佐藤 由美子(さとう ゆみこ、1955年5月21日 - )は、日本のプロゴルファー。 日本女子プロゴルフ協会正会員(23期)。 山形県長井市出身、宮城県仙台市在住。日東郡山高等学園中退。 身長 157 cm、体重60kg、血液型 AB型。所属はツインズ。得意クラブは、ショートアイアン。師弟関係は永野幸子。ホームコースは仙台空港カントリークラブ。 家族は、夫、双子の2子、長女の佐藤のぞみもプロゴルファー。 趣味は、音楽鑑賞。好きな色はグレー、紺。愛車はトヨタ・ハリアー。
森口 祐子(もりぐち ゆうこ、本名関谷 祐子(※"森口"は旧… 森口 祐子(もりぐち ゆうこ、本名関谷 祐子(※"森口"は旧姓)1955年4月13日 - )は、日本の女子プロゴルファー。日本女子プロゴルフ協会会員。ゴールドウイン所属。 富山県富山市出身。最終学歴富山県立富山女子高等学校卒業。公称身長160センチ、血液型A型。現在岐阜県瑞穂市在住。 1975年にLPGA入会。1977年に未勝利ながらも賞金ランキング5位となり、同年日本プロスポーツ新人賞を受賞。翌1978年、ワールドレディスゴルフトーナメントでプロ初優勝を果たすと、日本女子プロゴルフ選手権大会を含む3勝をあげ、賞金ランキング3位となる。その後もコンスタントに勝ち星を積み上げていき、1981年、1982年、1991年には賞金ランキング2位となり(それぞれ岡本綾子、涂阿玉が賞金女王)一時代を築く。
青柳 公也(あおやぎ きんや、1955年4月4日 - )は、… 青柳 公也(あおやぎ きんや、1955年4月4日 - )は、茨城県出身のプロゴルファー。 取手一高時代は野球部に在籍し、後にプロゴルファーになっている同年の須藤聡明がチームメイトで、2年次の1972年春と3年次の1973年夏には甲子園に出場している。 1984年秋に11回目のプロテストに合格し、1987年のペプシ宇部では初日を岩下吉久・鈴木弘一・尾崎将司と共に4アンダー68の2位タイ、1989年のジーン・サラゼン ジュンクラシックでは初日を米山剛・倉本昌弘・三上法夫と共に3アンダー69の2位タイでスタートする。 1989年のアコムダブルスでは、同じ高校出身の須藤に「一緒に出よう」と声をかけられて異色ペアを組み、最終日には大会新の通算33アンダー255で前日8位から首位に立つ。
友利 勝良(ともり かつよし、1954年10月25日 - )… 友利 勝良(ともり かつよし、1954年10月25日 - )は、沖縄県平良市(現・宮古島市)出身のプロゴルファー。サニクリーン所属。 日本人プロゴルファーとして、初めてヨーロッパ・ゴルフツアーに4年間フル参戦した選手である。 日本ゴルフツアー通算7勝。 宮古水産高校卒業後、オイルショックのため就職することが出来ないまま、故郷の宮古島から本島に渡る。親戚の手伝いなどアルバイトで暮らしていたが、20歳の時にゴルフ練習場でボール拾いのアルバイトを始める。 毎日17時から22時までで、初めの3ヶ月は仕事を覚えるのが大変でアルバイトだけしていたが、慣れてくると深夜から朝まで飲んでは昼に眠り、夕方、仕事に行くようになる。
大屋 和茂(おおや かずしげ、1954年10月24日 - )… 大屋 和茂(おおや かずしげ、1954年10月24日 - )は、日本のプロゴルファー。ゴルフプラザ十二神所属。 東京都出身。日本大学卒業。1990年PGA入会。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJ:スポーツ人物伝)。
中嶋 常幸(なかじま つねゆき、本名及び旧登録名:中島 常幸… 中嶋 常幸(なかじま つねゆき、本名及び旧登録名:中島 常幸[読み同じ]、1954年10月20日 - )は、群馬県出身のプロゴルファー。愛称は「トミー」。 ライバルの青木功、尾崎将司(ジャンボ)とともに日本男子プロゴルフ界を代表する名選手で、3人の姓を合わせて「AON時代」を築いた。日本ゴルフツアー通算48勝は歴代3位である。 10歳からゴルフを始める。樹徳高等学校を中退し、1973年の日本アマで優勝。1975年12月にプロ入り。1976年のゴルフダイジェストトーナメントで日本ツアー初優勝を飾る。 1978年は、初出場のマスターズの2日目に魔女が棲むといわれるアーメンコーナーの最後の13番ホール(パー5)でクリークに2度捕まり、11オン2パットの13打を叩いた(13番ホール以外の17ホールは全てパープレイ)、セント・アンドルーズ(R&Aゴルフクラブの「オールド・コース」)で行われた全英オープンの3日目には17番ホール(パー4)の第3打のバーディパットがカップをオーバーして「ロード・バンカー」(Road Bunker)に入り、脱出に4打、このホールは9打を叩いて優勝のチャンスを逃し、「ゴルフがこんなにも残酷なスポーツだとは思わなかった。
中嶋 常幸(なかじま つねゆき、1954年10月20日 - … 中嶋 常幸(なかじま つねゆき、1954年10月20日 - )は、群馬県出身のプロゴルファー。バプテスト派のクリスチャン。ライバルの青木功、尾崎将司とともに日本男子プロゴルフ界を代表する名選手で、3人の姓を合わせて「AON時代」を築いた。日本ゴルフツアー通算48勝は歴代3位である。
新関 善美(にいぜき よしみ、1954年9月29日 - 20… 新関 善美(にいぜき よしみ、1954年9月29日 - 2018年8月22日)は、山形県山形市出身のプロゴルファー。 小学校から東京に転居し、獨協高時代は野球部のエースであった。慶應義塾大学進学を目指して浪人していた時に、父の友人であった1956年のメルボルン五輪レスリング金メダリストの笹原正三にプロゴルファー転向を勧められ、栃木県矢板市の矢板カントリークラブで腕を磨く。 1978年にプロ入りし、「山形で超一流を目指す」と故郷を拠点に活動。バックスイングに独特のリズムを持つ変則的なスイングで、テークバックでインに引き、コックは可能な限り使わず、ヘッド、フェースが常にスクェアを保つ打法で飛距離より正確さを身上とした。
安達 典夫(あだち のりお、1954年9月20日 - )は、… 安達 典夫(あだち のりお、1954年9月20日 - )は、東京都荒川区出身のプロゴルファー。 実家は日暮里駅前に本社を置く安達運送で、駐車場には町内の神輿が安置してあり、諏方神社の夏祭りに、子供の頃から法被を着て神輿を担ぐのが、楽しみであった。 ゴルフを始めたのが第二日暮里小学校の頃で、ゴルフ好きでシングルの腕前を持つ父親の同伴で遊びながらプレーし、荒川区立第八中学校2年の夏休みに、キャディのアルバイトをしながら朝夕に練習したのが、本格的にゴルフをした最初であった。 都立竹台高校3年時には倉本昌弘や藤木三郎も顔を出していたジュニア選手権に出場し、決勝進出して48位であった。 高校卒業後はプロゴルファーになるつもりは全くなく、体育教師を目指して受験勉強中であったが、専修大学のゴルフ部長から誘いの電話が入る。
飯合 肇(めしあい はじめ、1954年3月12日 - )は、… 飯合 肇(めしあい はじめ、1954年3月12日 - )は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファー。「ジャンボ軍団」の一人で、愛称は「コング」。日本初のレギュラー / シニア両ツアーの賞金王に輝く。
尾崎 健夫(おざき たてお、1954年1月9日 - )は、日… 尾崎 健夫(おざき たてお、1954年1月9日 - )は、日本のプロゴルファーである。 ジャンボ尾崎こと尾崎将司は兄で、ジョー尾崎こと尾崎直道は弟である。徳島県海陽町出身で海南高校野球部のエースとして活躍した。ドライバーショットがジェット機のように強烈なことから、アメリカの下部ツアー転戦時に若手プロらが「ジェット」と称して以来、ジェット、あるいは姓を続けてジェット尾崎、と愛称されている。 1998年から事実婚関係にあった女優の坂口良子と2012年8月10日、宍喰温泉ホテルリビエラで挙式し、その模様はTBS「ぴったんこカン・カン」で放映されたが、坂口とは翌2013年3月27日に死別。坂口良子との間に子供はなく、坂口の連れ子(坂口杏里とその兄)とは養子縁組をしておらず法的な親子関係はない。
高村 博美(たかむら ひろみ、1953年9月10日 - )は… 高村 博美(たかむら ひろみ、1953年9月10日 - )は、日本の女子プロゴルファー。福岡県福岡市出身。フリー。37歳となった1990年にLPGA最優秀選手、獲得賞金第1位、平均ストローク数1位という経歴のピークを迎え、遅咲きの選手と呼ばれた。 PL学園高校卒業。日本女子プロゴルフ協会(LPGA)のプロフィールによれば、ゴルフを始めたのは18歳と比較的遅かったが、僅か4~5年後の1975年10月23日にプロテストに合格している。 当初は波があったものの、年と共に安定した中堅選手に成長していった。 1990年には3勝をあげ37歳にして賞金女王を獲得、LPGAツアー8勝のうち7勝はこの1990年以降にあげたものである。
森 静雄(もり しずお、1953年8月25日 - )は、日本… 森 静雄(もり しずお、1953年8月25日 - )は、日本のプロゴルファー。第10代日本プロゴルフ協会会長。 1953年8月25日、千葉県出身。習志野市立習志野高等学校卒業後、1980年にプロテストに合格。 プロ入り後は主に海外ツアーを中心に各国を転戦し、海外出場試合数は200試合を数える。特にオーストラリアツアーに初参加した日本人選手として知られる。 2000年に日本プロゴルフ協会理事に就任、2006年~2008年には副会長を務めている。海外ツアー転戦の経験が豊富なことからアメリカ合衆国やオーストラリアのゴルフ界とも関係が深く、アメリカ合衆国オレゴン州の日米ゴルフ親善特使に任命されている。 茨城県坂東市にコースが所在する坂東ゴルフクラブの代表取締役社長。
時任 宏治(ときと ひろはる、1953年7月9日 - )は、… 時任 宏治(ときと ひろはる、1953年7月9日 - )は、宮崎県出身のプロゴルファー。 宮崎県立小林工業高等学校出身。 料理人を目指していたが、ゴルフの世界に身を転じ、1978年にプロ入り 。 アジアを中心にツアー活動し、1985年のマルマン日本海オープンではブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)、杉原輝雄・重信秀人・友利勝良・中村通・前田新作に次ぐと同時に倉本昌弘・吉川一雄・土山録志を抑え、新井規矩雄と並んでの8位タイに入る。 1990年の水戸グリーンオープンで栗原孝・岩下吉久・高見和宏・佐藤英之を抑えて自身唯一の優勝を飾り、1994年のサントリーオープンを最後にレギュラーツアーから引退。
市川 幹雄(いちかわ みきお、1953年4月5日 - )は、… 市川 幹雄(いちかわ みきお、1953年4月5日 - )は、東京都出身のプロゴルファー。 市川ゴルフ興業所属。 17歳からゴルフを始め、日本大学卒業後の1977年にプロ入りする 。 1982年のアジアサーキット・マレーシアオープンでは2日目に田中泰二郎と並んで首位タイのテリー・ゲール( オーストラリア)、デニー・ペプラー( アメリカ合衆国)と2打差の5位タイと健闘。 1989年の水戸グリーンオープンでは磯崎功と並んで太田慶治・小島昭彦に次ぐ3位タイ、1990年のミズノTOKYOオープンでは最終日に68をマークして5位タイに入ったが、2000年のフィランソロピートーナメントを最後にレギュラーツアーから引退。
鈴木 美重子(すずき みえこ、1953年2月8日 - )は、… 鈴木 美重子(すずき みえこ、1953年2月8日 - )は、東京都新宿区出身の日本の女子プロゴルファー。日本女子プロゴルフ協会 (JLPGA) 副会長、専務理事を歴任。 精華学園高等学校出身。18歳でゴルフを始める。 1974年にプロテストに合格し、翌1975年入会。同年は日本女子オープンゴルフ選手権競技の14位タイが最高で賞金ランキング20位。ツアー競技以外ではミズノプロ新人、全日本ミックスダブルス優勝。1976年、大雪山女子オープンで2位タイ。日本女子オープンで3位タイ。賞金ランク12位。 1977年、ミヤギテレビ杯女子オープンゴルフトーナメントの5位タイが最高。賞金ランク22位。 1978年、日本女子オープンの3位タイが最高。
中川 泰一(なかがわ たいいち、1952年11月28日 - … 中川 泰一(なかがわ たいいち、1952年11月28日 - )は、東京都出身のプロゴルファー。 日本大学ゴルフ部では中島秀徳と同期で高橋勝成・山口隆三の2年後輩、石井秀夫の1年先輩に当たり 、竹田昭夫監督のスパルタ指導で頭角を現す。1974年の関東学生は倉本昌弘の2位に入り、3位には石井が入って日大勢が上位を独占した。 卒業後の1976年5月にプロ入りし、1978年の関東プロでは青木功・中嶋常幸・横島由一・金井清一・草壁政治・尾崎将司・謝敏男(中華民国)に次ぐと同時に山田健一・竹安孝博と並んでの9位タイ 、1979年のダンロップ国際オープンでは最終日に67をマークして8位タイに入った。 1983年の武富士サイパンでは青木基正・内田繁・入江勉・金井・鈴木規夫に次ぐと同時に磯崎功・尾崎直道・湯原信光・上原宏一・高橋勝・出口栄太郎・中村稔・杉田勇と並んでの6位タイに入り、1984年のフジサンケイクラシックでは初日を倉本・青木基・尾崎健夫と共に69をマークして4位タイでスタートした。
中島 秀徳(なかじま ひでのり、1952年11月20日 - … 中島 秀徳(なかじま ひでのり、1952年11月20日 - )は、青森県弘前市出身のプロゴルファー。 1971年に進学した日本大学ゴルフ部では中川泰一と同期で高橋勝成・山口隆三の2年後輩、石井秀夫の1年先輩に当たる。 1980年5月にプロ入りし、同年の美津濃プロ新人で優勝。 1982年には日本ゴルフツアー機構(JPGA)のツアー競技に指定されていた長野県オープンで最終日に69をマークし、中嶋常幸・高井吉春に次ぐと同時に矢部昭・新井規矩雄を抑え、甲斐俊光と並んでの3位タイに入った。 1982年の埼玉オープンでは初日を5位タイでスタートし、最終日には新井・羽川豊・栗原孝・渡辺三男に次ぐと同時に高橋純一を抑えての5位に入った。
高須 愛子(たかす あいこ、1952年9月30日 - )は、… 高須 愛子(たかす あいこ、1952年9月30日 - )は、大阪府豊中市出身の日本の女子プロゴルファー。 兵庫県・夙川学院高等学校卒業。ゴルフは19歳から始めた。 1974年5月、プロテスト合格。同年12月に日本女子プロゴルフ協会入会。1978年までは獲得賞金100万円に達した年はなかった。 1979年、「北陸クイーンズ」で初のトップ10となる10位タイ。126万円余を獲得し年間賞金ランキング33位。 1980年、「日本女子プロゴルフ選手権大会」での9位タイが最高位。172万円余を獲得し年間賞金ランク27位。 1981年、「シンコークラシック」での8位タイが最高位。209万円余を獲得し年間賞金ランク35位。
吉村 金八(よしむら きんぱち、1952年3月20日 - )… 吉村 金八(よしむら きんぱち、1952年3月20日 - )は、高知県幡多郡小筑紫町(現・宿毛市)出身のプロゴルファー。 「きんぱち」という読みはゴルフの登録名で、本名の読みは「かねや」。 ほとんどの親族が漁師という家に生まれ、中学卒業後は漁の手伝いをしていたが、地元を離れ、兵庫県の高校に編入しようとしてみたり、建築士になりたいと言って東京に出たりもした。 18歳で豊島区雑司ヶ谷の親戚の家に転がり込んで工業高校に入学し、学校生活の傍ら、図面を描くアルバイトをしていた。 アルバイト先の会社にいた同じ工業高校を卒業した先輩に「ゴルフをしていたほうが、この先、仕事にも役立つから。3ヶ月まじめに練習してこい」と言われてハーフセットを貰うと、板橋区にある練習場「四葉ゴルフ」で一生懸命練習した。
山田 博士(やまだ ひろし、1952年1月16日 - )は、… 山田 博士(やまだ ひろし、1952年1月16日 - )は、北海道札幌市出身のプロゴルファー。 札幌旭丘高2年時に父が胃癌で死去し、その頃に「たまたまクラブを振って打ったボールがうまく飛んだ」というだけの動機でゴルフを始める 。一家揃って親戚を頼って上京したのを機会に、埼玉県浦和市の武蔵野ゴルフ練習場へ就職し、プロ入りの決意をした 。 2年後には取手新日本ゴルフ場に移籍し、1975年秋に4度目の挑戦でプロテストに合格 。 最初は「簡単にやれるだろう」と思って飛び込んだプロの世界は甘くなく、その後の8年間は鳴かず飛ばずで試合にもあまり出られず、月に何度か1回5000円ほどのレッスンをやったりしてゴルフ費を稼いだ 。
鈴木 規夫(すずき のりお、1951年10月12日 - )は… 鈴木 規夫(すずき のりお、1951年10月12日 - )は、香川県坂出市出身のプロゴルファー。2015年8月1日よりカバヤ・オハヨーグループ所属。 幼少期より近所のゴルフ場を遊び場として、芝生やラフの上を走り回っていたが、高松カントリー倶楽部で戸田藤一郎のパンチショットを見てゴルフを覚える。幼い日の鈴木は心躍らせながら戸田のプレーぶりを見つめ、12番、13番、17番、18番の4ホールしか見られなかったが、毎回その姿を追いかけていた。小学1年生になった頃には戸田が心のヒーローになっていたが、当時の鈴木には「ゴルフがうまい、ただのオッチャン」という認識しかなかった。 8歳の時に父から中古の大人用クラブを与えられると、中学進学と同時にキャディのバイトを始める。
原田 伸郎(はらだ のぶろう、1951年〈昭和26年〉10月… 原田 伸郎(はらだ のぶろう、1951年〈昭和26年〉10月1日 - )は、日本のシンガーソングライター、お笑いタレント、司会者、プロゴルファー、書道家。本名は同じ表記で「はらだ のぶお」と読む。 愛称はのぶりん。所属事務所はあのねのね事務所→ムーン原田伸郎事務所。 京都府京都市右京区出身。嵯峨小学校、嵐山小学校を経て、平安高等学校、京都産業大学経済学部卒業。大阪府豊中市在住。 右京区花園寺ノ内町生まれ。父はブライダル関連の会社の社員。当時新興大学だった京都産業大学在籍中に先輩の清水国明、同級生の笑福亭鶴瓶および女性1名(のちの鶴瓶夫人)と一緒にあのねのねを結成。後に清水と2人でデビューを果たし、『赤とんぼの唄』が大ヒットした。
永田 富佐子(ながた ふさこ、1951年8月18日 - 20… 永田 富佐子(ながた ふさこ、1951年8月18日 - 2025年6月15日)は、長崎県佐世保市出身の日本の女子プロゴルファー。 佐世保市立福石中学校出身。長兄が勤務していた青梅カントリークラブ (東京都) にキャディとして就職し、ゴルフを始める。 1976年にプロテストに合格し、翌年日本女子プロゴルフ協会 (JLPGA) 入会。 1978年から1985年までは優勝なし。賞金ランキングは30位以内が続く。 1986年、週刊女性・JUNON女子オープンで通算6アンダー、2位・鈴木志保美に3打差でツアー初優勝。伊藤園レディスゴルフトーナメントでは黄玥珡とのプレーオフに敗れた。日本女子プロゴルフ選手権大会では首位の生駒佳与子ら3人に1打及ばず4位タイ。
三好 隆(みよし たかし、1951年7月28日 - )は、香… 三好 隆(みよし たかし、1951年7月28日 - )は、香川県綾歌郡綾川町出身のプロゴルファー。タニヤゴルフ所属。主にシニアツアーに参戦。
窪田 茂(くぼた しげる、1951年7月1日 - )は、千葉… 窪田 茂(くぼた しげる、1951年7月1日 - )は、千葉県出身のプロゴルファー。 1970年に進学した日本大学ゴルフ部では高橋勝成・山口隆三の1年後輩、中川泰一・中島秀徳の1年先輩 に当たり、竹田昭夫監督のスパルタ指導で頭角を現す。1972年の関東学生では5位タイ、1973年の同大会では藤木三郎・中川に次ぐ3位タイに入って日大勢が上位を独占した。 卒業後は滋賀県の近江カントリー倶楽部に就職し、1975年7月にプロ入り する。 1978年の関西プロでは初日に十亀賢二・陳健振(中華民国)・上田鉄弘・上野忠美・藤井義将・柴田猛と並んでの4位タイでスタートし、2日目には上野と共に杉原輝雄・松井一と並んでの3位タイに着けた。
高松 志門(たかまつ しもん、1951年6月20日 - )は… 高松 志門(たかまつ しもん、1951年6月20日 - )は日本の男子プロゴルファー。作州武蔵カントリー倶楽部に所属している。 指導者として、奥田靖己など多くのプロゴルファーを育て上げた。 兵庫県立加古川東高等学校を卒業後、1975年に23歳でプロテストに合格した。1988年にはコリアンタイムズ・ポカリオープンで優勝した。1995年にはレッスンオブザイヤーを受賞している。2012年よりゴルフ用品“飛衛門ブランド”の顧問に就任していた。
渡辺 三男(わたなベ みつお、1951年4月28日 - )は… 渡辺 三男(わたなベ みつお、1951年4月28日 - )は、栃木県出身のプロゴルファー。 駒澤大学時代は野球部に所属し、卒業後の1977年にプロ入りする。 1978年の美津濃プロ新人では前半・後半共に69をマークして平林孝一・松岡金市・池田富茂・青木基正・市川良翁・藤木三郎を抑えて優勝し、1979年の関東オープンでは初日を鷹巣南雄・高橋信雄・磯崎功・尾崎将司・村上隆・田中文雄・安田春雄・岩下吉久・中村稔と並んでの4位タイでスタートした。 1979年の日本プロでは初日を3アンダー69で常陸文男・山本善隆・鈴村照男・東章・森本俊治・中村通・石井裕士・鷹巣・杉原輝雄と並んでの10位タイでスタートした。
岡本 綾子(おかもと あやこ、1951年4月2日 - )は、… 岡本 綾子(おかもと あやこ、1951年4月2日 - )は、広島県豊田郡安芸津町(現:東広島市)出身の女子プロゴルファー。樋口久子らと共に日本女子ゴルフの基盤を築いた名選手である[5]。日本の女子選手で初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦した選手としても知られる。現在は広島県東広島市在住。
上西博昭(うえにし ひろあき、1951年度生まれ)は、三重県… 上西博昭(うえにし ひろあき、1951年度生まれ)は、三重県出身のプロゴルファー、第41回選抜高等学校野球大会の優勝投手。
山高 孝信(やまたか たかのぶ、1950年9月30日 - )… 山高 孝信(やまたか たかのぶ、1950年9月30日 - )は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファー。 19歳からゴルフを始め、1977年にプロ入りする。 1978年の千葉県オープンでは最終日に69をマークし、上原忠明・渡辺由己に次ぐと同時に工藤吉彦・常陸文男を抑え、井岡誠と並んでの3位タイに入った。 1996年には1994年のサントリーオープン以来2年ぶりのツアー出場 となったゴルフダイジェストトーナメントで初日に3アンダー68をマークし、渡辺司、デビッド・イシイ(アメリカ)、深堀圭一郎・友利勝良・謝錦昇(中華民国)と並んでの8位タイでスタートする。2日目には合田洋・藤木三郎・室田淳、ブライアン・ワッツ(アメリカ)、堀川昌利・小達敏昭・楠本研・高崎龍雄・河村雅之と並んでの38位タイで予選を通過。
秋富 由利夫(あきとみ ゆりお、1950年9月13日 - )… 秋富 由利夫(あきとみ ゆりお、1950年9月13日 - )は、佐賀県出身のプロゴルファー。 小学5年生の頃からゴルフのグラブを握り、中学時代は器械体操をやるが、その頃に鍛えた足腰の強さがロングドライブの糧になる。 麻生飯塚ゴルフ倶楽部で藤井義将に弟子入りし 、162cmと小柄ながら師匠の藤井ばりの広いスタンス、大きなスイングが特徴であった。同じ所属プロで藤井の弟子であった藤池昇や友利勝良とのラウンドで腕を磨き、友利は秋富から小技を盗もうとした。 1975年に6回目の挑戦でプロ入りし、1976年からはアジアサーキットに参戦 。 1976年の香港オープンでは初日に5バーディー、1ボギーでコースレコードタイの66をマークし、謝敏男( 中華民国)に2打差付けて首位に立つが、2日目には74を叩いて、通算140で2位へ後退。
山口 隆三(やまぐち りゅうぞう、1950年8月17日 - … 山口 隆三(やまぐち りゅうぞう、1950年8月17日 - )は、日本のプロゴルファー。 1969年に入学した日本大学ゴルフ部では高橋勝成と同期で、高橋信雄の1年後輩、窪田茂の1年先輩に当たる 。 卒業後の1978年5月にプロ入りし 、1980年のアジアサーキット・インドネシアオープンでは2日目に66をマークし呂西鈞(中華民国)、ブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)、ミヤ・アエ(ビルマ)に次ぐ4位に着けた。3日目には72を叩き、日本勢では鈴木智美に次ぐ8位とした。 1983年のアジアサーキット・シンガポールオープンでは最終日14番でホールインワンを達成し、賞金5万シンガポールドル、日本円で約1185万円と副賞のスポーツカー(5万5000シンガポールドル相当)を獲得。
高橋 勝成(たかはし かつなり、1950年8月5日 - )は… 高橋 勝成(たかはし かつなり、1950年8月5日 - )は、北海道旭川市出身のプロゴルファー。SINACOVA所属。 旭川で日本人の母の元に産まれ、北海高校卒業後は日本大学経済学部に進学し、ゴルフ部では主将を務めるなど腕を磨く。 大学卒業後は父の勧めにより1年間のサラリーマン生活を経験し、1975年5月1日にプロテスト合格。 練習熱心さと技術、用具などに関する研究心の旺盛なことに定評があり、プロ2年目の1976年にアジアサーキットの韓国オープンで初優勝 。 韓国オープンは3日目の雷雨のため54ホールに短縮された大会で、通算2アンダー214で並んだミヤ・アエ( ビルマ)と3ホールずつのプレーオフを戦い、2回目に高橋がアエを1ストロークリードして優勝 。
青木 基正(あおき もとまさ、1950年5月18日 - )は… 青木 基正(あおき もとまさ、1950年5月18日 - )は、宮城県出身のプロゴルファー。 東京都立昭和高等学校出身。 12歳からゴルフを始め、1977年にプロ入りする。 青木功と同姓、姿も似ていることから「影武者」と言われ、1982年のフジサンケイクラシックの練習日には青木功から色々と教わった。 1982年の関東プロでは2日目に65をマークして一気に謝敏男(中華民国)の2位に浮上し、3日目には6バーディー、1ボギーの5アンダー67のベストスコアで、68で上がった新井規矩雄に3打差を付け、通算14アンダーの202で単独首位に立った。最終日には激しい雨の中で3バーディー、3ボギー72と手堅くまとめ、2位の森憲二に2打差付けて逃げ切った。
須貝 昇(すがい のぼる、1949年10月16日 - )は、… 須貝 昇(すがい のぼる、1949年10月16日 - )は、東京都北区出身のプロゴルファー。 日大櫻丘高校卒業後の1968年に19歳でゴルフを始め、川越カントリークラブの研修生としてプロを目指し、1975年にプロテスト合格。 1979年の山梨プロアマでは初日に439mパー5の5番ホールでアルバトロスを記録し、金井清一・今井昌雪・榎本七郎と並んで新井規矩雄の2位タイでスタートした。 1985年から1994年まで9年連続シード選手として活躍し、1987年のサントリーオープンでは、倉本昌弘、ラリー・ネルソン( アメリカ合衆国)ら強豪と競り合い13年目で初優勝を飾る。 1990年には、5月の中日クラウンズでスティーブ・ペート(アメリカ)をプレーオフで破って大会初優勝を果たしたほか、7月のよこはまオープンでは3日目に63をマークして真板潔と並んでの首位タイに浮上し、最終日には68をマークして優勝。
平林 孝一(ひらばやし こういち、1949年6月23日 - … 平林 孝一(ひらばやし こういち、1949年6月23日 - )は、長野県上田市出身のプロゴルファー。 19歳で初めてクラブを握り、1977年にプロテスト合格。 1978年の美津濃プロ新人では松岡金市・池田富茂・青木基正・市川良翁・藤木三郎を抑えて渡辺三男の2位に入り、1979年の関東プロでは初日に波多野修・山田健一・小林富士夫・草壁政治・中嶋常幸・日吉稔・日吉定雄と並ぶ7位タイでスタートする。 1984年のNST新潟オープンでは初日を河野高明・尾崎健夫・新井規矩雄・井上幸一・藤木三郎・栗原雅樹と共に67の6位タイでスタートし、2日目も栗原と共に67で安田春雄・飯合肇に次ぐ3位タイに着けた。 1985年の日本プロでは初日を佐野修一・鈴村照男・入野太・岩下吉久と並んでの4位タイでスタートし、1998年の全日空オープンを最後にレギュラーツアーから引退。
海老原 清治(えびはら せいじ、1949年4月2日 - )は… 海老原 清治(えびはら せいじ、1949年4月2日 - )は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファー。 実家は鮮魚店を営み、我孫子ゴルフ倶楽部の3番ホールの左側に家があった。生家の隣は林由郎の自宅で、年の近い林の子供と遊びながらゴルフを覚えた。子供は1歳年上の林由一で、近所では由一の家にしかまだテレビがなく、海老原は力道山の試合を見せてもらった。当時は由一の父がプロゴルファーということは知らなかったが、7歳の頃に近所の10数人と一緒に我孫子GCの2番ホール、ティーから150ヤード辺りに行った際、由郎がクラブセットと球を出して、一人ずつ打たせてくれた。海老原は由郎に右の小指と左の人さし指を絡める握り方を教えられたが、現在でもそのまま、インターロッキンググリップでプレーしている。
島影 せい子(しまかげ せいこ、1949年2月16日 - )… 島影 せい子(しまかげ せいこ、1949年2月16日 - )は、日本の元バレーボール選手、プロゴルファー。1972年ミュンヘンオリンピックバレーボール女子銀メダリスト。 山形県酒田市出身。酒田市立酒田中央高等学校を経て、1967年に日本リーグの日立武蔵(当時)に入部。日立武蔵は生沼スミエ、高山鈴江などレギュラーが決まっており、活躍の場を求め1968年の後期日本リーグからニチボー貝塚に移籍した。1970年の世界選手権、1972年のミュンヘンオリンピックでそれぞれ銀メダルを獲得した。 引退後の1977年にゴルフのプロテストに合格し、プロゴルファーに転身。1981年のシンコークラシック女子プロゴルフトーナメントで生涯唯一の優勝を飾っている。
藤間 達雄(ふじま たつお、1948年12月24日 - )は… 藤間 達雄(ふじま たつお、1948年12月24日 - )は静岡県出身 のプロゴルファー。 日本大学卒業 後の1974年にプロ入りし、1977年のゴルフダイジェストトーナメントでは2日目には68をマークして川田時志春・高橋勝成・竹安孝博と並んでの4位タイに着けた。 1978年の阿蘇ナショナルパークオープンでは初日を新井規矩雄・中村寅吉・鈴村照男と共に首位金井清一と2打差の2位タイでスタートし、最終日には上野忠美・鈴村と1アンダー143で並んでサドンデスプレーオフとなったが、スタートの10番で上野がバーディを取って優勝し2位タイに終わる。 1978年のゴルフダイジェストトーナメントでは2日目にボギー無しの7バーディーと好調、7アンダー65のコースレコードをマークし、15位から一気に天野勝と並んでの首位タイに浮上。
上野 忠美(うえの ただみ、1948年12月9日- )は、広… 上野 忠美(うえの ただみ、1948年12月9日- )は、広島県出身のプロゴルファーである。ミズノ所属。 崇徳高等学校卒業。15歳の時からゴルフを始める。1973年4月7日にプロ転向、中四国オープン優勝、以来今大会は3連覇を果たすなどレギュラーツアー7勝を挙げ、プロ転向5年目にして初のシード入りを果たす。その後2年間シードを保持したが、あるトーナメントの練習ラウンド中に、ちょっとしたイタズラが原因で調子を落とし、4年間シード落ちを経験。1983年に再びシード入りを果たすが、翌年から2年間は再びシード落ちとなる。この時期の本人談では、「正直いってツアーをやめようと思った」と語っている。1986年に三度目のシード入りを果たし、1991年のJCBクラシック仙台の優勝以降、極度のスランプに陥り、一時はトーナメントをあきらめていたが、シニアとなって再挑戦する。
林 由一(はやし よしかず、1948年9月12日 - )は、… 林 由一(はやし よしかず、1948年9月12日 - )は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファー。 林由郎の長男で、息子の由寿もプロゴルファー。 我孫子ゴルフ倶楽部の3番ホールの近くに実家があり、隣に住んでいた1歳年下の海老原清治と仲が良く、海老原は近所では林家にしかなかったテレビで力道山の試合を見せてもらった。 我孫子GC研修生時代の1966年1月には海老原に5番アイアンを譲り、後輩研修生となった海老原が「どう振ったらボールを真っすぐ飛ばせるのか」尋ねてきた際には「(ダウンスイングで)左肘をへその前に着けてクラブフェースを返してみたら」とアドバイスし、言われた通りにスイングした海老原はボールをしっかり捉えられ、ストレートボールを打てるようになった。
出口 栄太郎(でぐち えいたろう、1948年5月26日 - … 出口 栄太郎(でぐち えいたろう、1948年5月26日 - )は、三重県出身のプロゴルファー。 鍛冶屋で鉄の棒の先を曲げてもらって作ったクラブで練習していたほか、家の近くにあったゴルフ場によく無断で入り、管理人に追い回されていた。 志摩高校卒業 後の1972年にプロ入りし、独特のスイングながら抜群のコントロールで、思い切りも良く、度胸もあったほか、ゲームの流れを読み取る勘の良さで活躍。 1980年の日本プロでは最終日に鈴木規夫と共に69をマークし高橋五月・安田春雄と並んで7位タイ、1981年のフジサンケイクラシックでは7位に入る。 1982年に開幕戦の静岡オープンで、当時流行の兆しのあったオレンジ色ボールのダンロップ「プロマックスカラー」を使用し、2日目に青木基正・謝永郁( 中華民国)・十亀賢二と並んでの10位タイ、3日目には通算2アンダーで鳥沢利一・呂良煥(中華民国)・倉本と並んでの6位タイに浮上。
入江 勉(いりえ つとむ、1948年5月6日 - )は、兵庫… 入江 勉(いりえ つとむ、1948年5月6日 - )は、兵庫県出身のプロゴルファー。ゴルフコース設計者。 ゴルフ用品関係の会社を経営する父親の影響で小学校3年からゴルフを始めたが、家にインドアのゴルフ練習場があり、日常の中にゴルフに接する環境があった。 加古川東高校から関西学院大学進学後はゴルフ部に籍を置き、3年次の1969年には日本オープンではベストアマに輝くなど 、学生時代は圧倒的な強さであった。 卒業後は家業を手伝いながらアマチュアとしてプレーし、1970年・1972年・1974年にはアイゼンハワートロフィー日本代表に選出され、1974年は団体2位、個人でも10位と健闘。1972年には日本アマと日本オープンローアマを制するが、同一年に日本アマと日本オープンローアマ制覇は1966年の中部銀次郎以来6年ぶりであった。
森口 康一(もりぐち こういち、1948年5月5日 - )は… 森口 康一(もりぐち こういち、1948年5月5日 - )は、東京都出身のプロゴルファーである。 明星大学出身。19歳からゴルフを始め、1969年にプロテストに合格、1976年に日本プロゴルフ協会に入会した。 1987年の関東プロでは2日目に中嶋常幸・田中文雄・大町昭義と並んでの9位タイに着け、1988年の関東オープンでは初日を横山明仁・古木譲二・長谷川勝治・鈴木弘一・新井規矩雄・尾崎直道と並んでの6位タイでスタートし、1990年の日本プロを最後にレギュラーツアーから引退。 1991年のハワイパールオープンでは初日に6アンダー66をマークし、デビッド・イシイ(アメリカ)らに1打差付けて首位に立つ。
西村 公一(にしむら こういち、1948年4月10日 - )… 西村 公一(にしむら こういち、1948年4月10日 - )は、山梨県大月市出身の元プロ野球選手、プロゴルファー。
坂田 信弘(さかた のぶひろ、1947年10月11日 - 2… 坂田 信弘(さかた のぶひろ、1947年10月11日 - 2024年7月22日)は、熊本県熊本市出身のプロゴルファー、漫画原作者。 ジュニア・ゴルファー育成組織である「坂田ジュニアゴルフ塾」主宰。長男がいる。 尼崎北高校卒業後は京都大学文学部東洋史学科に進学するが、在学中に親が亡くなり、残った家族に仕送りをするために中退。 中退後はいくつかの職業を経た後にプロゴルファーを目指し、1969年に自衛隊体育学校に特別体育課程学生として入隊して基礎体力作りに転じると、坂田曰く「国防意識に欠けた2等兵であったが、匍匐前進だけは部隊一の速さを持つ」陸上自衛隊員となる。 1971年に陸上自衛隊を満期除隊により退官すると、栃木県の鹿沼カントリー倶楽部に押しかけ入社し、キャディをしながらゴルフに打ちこむ。
井上 久雄(いのうえ ひさお、1947年4月30日 - )は… 井上 久雄(いのうえ ひさお、1947年4月30日 - )は、佐賀県出身のプロゴルファー。 有田工業高校卒業後はオーツタイヤに入社し、準硬式野球を続ける。25歳で岸和田CCの事務に転じたことでゴルフに魅せられ、プロを目指すため西脇CCに移り、1976年に1回目のテストで合格 。 1980年にはアジアサーキット・韓国オープンで2日目に日本勢最高の6位に着け、最終日には陳志明(中華民国)と1打差の2位タイに入り、1982年の兵庫県オープンでは金山和雄の3位に入った。 1984年には兵庫県オープンで前田新作・吉川一雄・甲斐俊光・山本洋一に次ぐと同時に友利勝良・入江勉・木村政信と並んでの6位タイ、デザントカップ北国オープンでは前田・許勝三(中華民国)・海老原清治・草壁政治に次ぐと同時に泉川ピート・鈴村照男を抑えての5位に入った。
尾崎 将司(おざき まさし、1947年1月24日 - 202… 尾崎 将司(おざき まさし、1947年1月24日 - 2025年12月23日)は、日本のプロゴルファー、元プロ野球選手。 本名およびプロ野球時代の登録名は尾崎 正司(読みは同じ)。徳島県海部郡宍喰町(現・海陽町)出身。 ジャンボ尾崎の別名でも知られ、公式ゴルフランキングでも“Masashi Jumbo Ozaki”と表記された。通称「ジャンボ」。この通称はデビュー間もない1970年5月にスポーツニッポンの紙面で紹介された際、大柄な体格から放たれるドライバーショットを当時日本でも就航したボーイング747(ジャンボジェット)になぞらえてつけられた。 世界ランキングの自己最高位は1997年ブリヂストンオープン優勝後の5位である。