松島 茂雄(まつしま しげお、1924年(大正13年)4月1… 松島 茂雄(まつしま しげお、1924年(大正13年)4月14日 -1982年(昭和57年)11月2日)は、日本の実業家、美容指導者、和装教育者、ヨガ指導者、文学士、美容師、僧侶。本名 松嶌茂雄。 関西学院大学卒業後、東宝撮影所・美粧部に勤務。退職後、美容研究会・日本尚美会を発会、会長に就任。和装教育団体・全日本和装協会、ヨガ健康法普及団体・国際ヨガ協会を創立。連合会会長として各会の指導・運営に当たる。株式会社尚美会・代表取締役。宗教法人神通山千光院・院主。 1924年〈大正13年〉4月14日、大阪府豊中市に松嶌伊左衛門の長男として誕生。旧制豊中中学・剣道部で全国制覇するなど活躍。関西学院大学・文学部在学中からスポーツ新聞や美術写真集、雑誌 「文芸復興」などの出版事業を手掛ける。
中濃 教篤(なかの きょうとく、1924年3月30日-200… 中濃 教篤(なかの きょうとく、1924年3月30日-2003年4月30日)は、日蓮宗の僧侶、政治・社会運動家。 神奈川県出身。1945年立正大学仏教学部卒。インドシナ解放闘争に共鳴、アジア仏教徒会議などに参加。1971年日蓮宗現代宗教研究所長、79年顧問。東京都台東区領玄寺住職。
佐藤 達玄(さとう たつげん、1924年 - )は、日本の仏… 佐藤 達玄(さとう たつげん、1924年 - )は、日本の仏教学者、禅僧。駒澤大学名誉教授。曹洞宗圓通寺東堂。 愛知県生まれ。駒澤大学大学院博士課程修了。同大学教授。1978年博士論文「中国仏教における戒律の研究」で博士号(文学、駒澤大学)取得。のち名誉教授。曹洞宗圓通寺東堂。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐伯 恵達(さえき えたつ、1924年 - 2007年)は、… 佐伯 恵達(さえき えたつ、1924年 - 2007年)は、日本の僧侶、浄土真宗本願寺派長昌寺住職、高校教諭。 宮崎県宮崎市の寺の家に生まれる。9歳で得度し仏門に入る。龍谷大学に入学するが、在学中に学徒出陣。陸軍少尉で終戦を迎える。終戦後龍谷大へ復学。1951年同大学大学院修了。 宮崎県立宮崎大宮高等学校・宮崎県立宮崎南高等学校・宮崎県立宮崎東高等学校などで教鞭をとる。定年後は宮崎女子短期大学講師を務める。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
篠原 壽雄(しのはら ひさお / じゅゆう、1923年〈大正… 篠原 壽雄(しのはら ひさお / じゅゆう、1923年〈大正12年〉11月29日 - 2003年〈平成15年〉4月15日)は、日本の仏教学者・曹洞宗僧侶。駒澤大学名誉教授。群馬県伊勢崎市生まれ。 1923年(大正12年)、群馬県伊勢崎市に生まれる。 1947年(昭和22年)に駒澤大学文学部東洋学科を卒業後、1954年(昭和29年)に東方文化研究所助手に就任。翌1955年((昭和30年)に駒澤大学文学部講師となり、1966年(昭和41年)に助教授、1971年(昭和46年)に教授に昇任。1994年昭和50年1975年)から日本大学文理学部非常勤講師、1981年(昭和56年)には台湾大学・淡江大学で併任教授を務める。
今枝 愛真(いまえだ あいしん、1923年(大正12年)3月… 今枝 愛真(いまえだ あいしん、1923年(大正12年)3月30日 - 2010年(平成12年)3月9日)は、日本史学者、禅仏教研究者、曹洞宗僧侶。 静岡県生まれ。1947年東京帝国大学文学部国史学科卒業。1951年東京大学史料編纂所に入る。1962年助手、1969年助教授、1972年教授、1981年所長。1983年定年退官、名誉教授。1971年「中世禅林成立史の研究」で東大文学博士。興隆寺住持。2010年3月9日、肺炎のため死去。86歳没。没後正五位受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松浦 行真(まつうら こうしん、1923年1月24日 - 1… 松浦 行真(まつうら こうしん、1923年1月24日 - 1991年4月25日)は、大阪市出身の日本の作家、産経新聞記者、浄土宗の僧侶。 大阪市生まれ。大正大学二年修了。1946年産経新聞入社、のちフリー。『風が燃えた』『熱い嵐』は、1978-79年にテレビドラマ化された。
藤澤量正(藤沢量正、ふじさわ りょうしょう、1923年-20… 藤澤量正(藤沢量正、ふじさわ りょうしょう、1923年-2012年7月3日)は、浄土真宗の僧、仏教学者。 滋賀県生まれ。龍谷大学文学部卒業。鉄道道友会講師、伝道院研修部長、中央仏教学院講師、滋賀県浄光寺住職。本願寺派布教使。
早島 鏡正(はやしま きょうしょう、1922年9月21日 -… 早島 鏡正(はやしま きょうしょう、1922年9月21日 - 2000年4月28日)は、日本の仏教学者・僧侶。 1922年、北海道の浄土真宗本願寺派寺院にて出生。幼少時に横浜へ転居した。東京帝国大学文学部に入学し、印度哲梵文学科で仏教学を専攻し、中村元に師事した。 在学中に学徒出陣で兵役に就いた。戦後復学し東京大学文学部を卒業。 卒業後は東洋大学助教授に就いた。1962年、学位論文『パーリ仏教における実践の発展』を東京大学に提出して文学博士号を取得。その後東京大学に移り、助教授、後に教授として教鞭をとった。1983年に東京大学を退職し、名誉教授となった。その後は武蔵野女子大学(現:武蔵野大学)教授として教鞭をとった。
森川 達也(もりかわ たつや、1922年8月14日 - 20… 森川 達也(もりかわ たつや、1922年8月14日 - 2006年5月5日)は、日本の文芸評論家、僧侶。 兵庫県出身、本名は三枝洸一。京都大学文学部卒。1951年作家の三枝和子(結婚後の姓)と結婚、ともに同人雑誌『文藝人』を創刊。1963年兵庫県の実家の寺を継ぐ。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大森 光章(おおもり こうしょう、1922年7月24日 - … 大森 光章(おおもり こうしょう、1922年7月24日 - 2009年3月26日)は日本の小説家、フリーライター、禅僧(上座)。幼名は倖二。今出光章、北町陽一郎名義による作品もある。弟に歌人の大森亮三。 北海道虻田郡倶知安町の禅寺の生まれ。少年期から父親の伴僧として葬儀や法事に出席。旧制中学卒業後、小学校の代用教員をつとめる。函館師範学校中退。明治大学専門部文芸科中退。戦争末期に召集される。 小学校教員をつとめるかたわら、1947年に倶知安で『新芸術派』を創刊。1949年上京し、中河与一主宰の「ラマンチヤ」に参加。のち、新日本文学会に参加。 工員や印刷会社社員や大学職員として働きつつ、「文芸日本」「円卓」「層」「凱」「公園」など数々の文芸同人誌に関わる。
瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年〈大正11年… 瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年〈大正11年〉5月15日 - 2021年〈令和3年〉11月9日)は、日本の小説家、天台宗の尼僧。位階は従三位。俗名:晴美(はるみ)。僧位は権大僧正。1997年文化功労者、2006年文化勲章。天台寺名誉住職、徳島市名誉市民、京都市名誉市民、二戸市名誉市民。天台寺住職、比叡山延暦寺禅光坊住職、敦賀女子短期大学学長を務めた。 作家としての代表作は、『夏の終り』『花に問え』『場所』など多数。1988年以降は『源氏物語』に関連する著作が多く、新潮同人雑誌賞を皮切りに、女流文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞などを受賞した。 大正・昭和・平成・令和と4つの時代を生きた作家である。
資延 敏雄(すけのぶ びんゆう、1922年(大正11年)5月… 資延 敏雄(すけのぶ びんゆう、1922年(大正11年)5月3日 - 2014年(平成22年)3月12日)は、高野山真言宗の僧。管長。金剛峯寺411世座主。高野山大学卒業。北海道深川市出身。 1922年(大正11年)、北海道深川市の真言寺に生まれる。1935年(昭和10年)、同寺にて乃村龍澄師(第55世大覚寺門跡)に従い剃髪得度。1949年(昭和24年)に高野山大学卒業。 北海道旭川市の金峰寺住職を経て、2002年(平成14年)から2006年(平成18年)まで金剛峯寺第411世座主と高野山真言宗の管長を務めた。 2014年(平成22年)3月12日、心不全のため死去。享年91。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
水野 弥穂子 (水野 彌穗子 みずの やおこ、1921年10… 水野 弥穂子 (水野 彌穗子 みずの やおこ、1921年10月15日 - 2010年1月26日)は、日本の仏教学者・曹洞宗僧侶。駒澤大学名誉教授。東京女子大学教授。専門は道元の思想。 1921年、東京市出身。1939年4月、東京女子大学国語専攻部予科入学、1942年9月に本科を繰り上げ卒業。その後、東北大学法文学部に進学、卒業後、文部省に勤め、国立国語研究所研究員に転じる。駒澤大学助教授・教授、法政大学通信教育部非常勤講師などを経て、1975年より東京女子大学教授に、1987年3月に退任。 半世紀に及ぶ道元『正法眼蔵』研究で著名。主な注解版は、岩波文庫(全4巻)と、春秋社版『原文対照現代語訳 道元禅師全集』(全7巻)。
寺内 大吉(てらうち だいきち、1921年10月6日 - 2… 寺内 大吉(てらうち だいきち、1921年10月6日 - 2008年9月6日)は、作家、スポーツライター、浄土宗の僧侶。本名は成田 有恒(なりた ゆうこう)。 東京府荏原郡世田谷村(現在の世田谷区)生まれ。生家は浄土宗の大吉寺である。東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)卒業後、1945年に大正大学宗教学部卒業。大学在学中から富沢有為男の下へ出入りして文学を学び始めると共に、生家である大吉寺の住職となる。 1955年に「逢春門」で第47回サンデー毎日大衆文芸賞、翌1956年には「黒い旅路」で第8回オール新人杯受賞。この頃に記者として取材に訪れた司馬遼太郎と知り合い、1957年には彼らと同人誌「近代説話」を創刊、1961年には同誌に掲載した「はぐれ念仏」で第44回直木三十五賞受賞。
千葉 乗隆(ちば じょうりゅう、1921年5月4日 - 20… 千葉 乗隆(ちば じょうりゅう、1921年5月4日 - 2008年4月12日)は、浄土真宗の僧侶、仏教学者・歴史学者。学位は、文学博士(論文博士・1977年)。龍谷大学名誉教授・元学長、元相愛学園長・理事長。 真宗史、真宗教団史他の研究において数多くの研究、業績を残した。浄土真宗本願寺派安楽寺第26世住職。徳島県生まれ。
田村 芳朗(たむら よしろう、1921年4月11日 - 19… 田村 芳朗(たむら よしろう、1921年4月11日 - 1989年3月20日)は、日本の仏教学者・法華宗僧侶。東京大学名誉教授。千葉県長生郡長生村の浄教寺住職を務めた。東京大学文学部インド哲学仏教学研究室「日本仏教思想講座」を設けた。 1921年、大阪府大阪市に生まれた。1943年に第三高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部梵文学印度哲学科に入学。同年12月に学徒出陣で応召入隊。 1946年に復学。1949年、東京大学文学部印度哲学科を卒業した。同大学大学院(旧制)に進み、1954年に修了。 1956年、東洋大学文学部助教授に就いた。1962年、学位論文『鎌倉新仏教の研究:日蓮思想の周辺』を東洋大学に提出して文学博士号を取得。
三崎良周(みさき りょうしゅう、1921年-2010年)は、… 三崎良周(みさき りょうしゅう、1921年-2010年)は、天台宗の僧、仏教学者。 埼玉県生まれ。早稲田大学文学部卒。1981年「台密の研究」で早稲田大学より文学博士。早稲田大学文学部助教授、教授。91年定年、名誉教授。1980-91年早稲田大学仏教青年会会長。
渡部 賢宗(わたべ けんしゅう、1920年11月10日 - … 渡部 賢宗(わたべ けんしゅう、1920年11月10日 - 1998年3月4日)は、日本の仏教学者・僧侶。専門は禅学。駒澤大学文学博士。北海道出身。 北海道中富良野町祥雲寺住職を経て、1953年駒澤大学仏教学部卒業。1955年同大学院人文科学研究科修士課程修了。その後、曹洞宗宗学研究所研究員、駒澤大学仏教学部助手を経て、1959年駒澤大学仏教学部専任講師。1960年同仏教学部助教授。1964年駒澤大学の北海道教養部が創設されると助教授として着任。1968年同北海道教養部教授。1972年駒澤大学にて「道元禅師の戒学儀軌の基礎的研究」で文学博士を受く。1976年苫小牧駒澤短期大学学長・駒澤大学附属苫小牧高等学校校長・駒澤大学苫小牧学園理事長(〜1980年)。
小澤 道雄(おざわ どうゆう、本名みちお。1920年(大正9… 小澤 道雄(おざわ どうゆう、本名みちお。1920年(大正9年)4月25日 - 1978年(昭和53年)3月16日)は、日本の僧侶。曹洞宗法永寺住職。 大正9年に山梨県東八代郡(現甲府市)中道町に農家の次男として生まれる。昭和6年母方の親戚の寺の養子となる。昭和10年地元の小学校高等科を卒業後、横浜の禅林学校に安居する。 昭和15年、20歳で入隊し外地に出征。昭和20年北朝鮮で終戦を迎える。シベリア抑留中に右肩を負傷し、厳寒期の貨車による後送の途中で両足が重度の凍傷に冒される。昭和21年1月牡丹江の旧日本軍陸軍病院で両足首より切断手術をうける。その後帰国命令が下るも、両足がないため復員船の到着する胡蘆島までの移動は困難を極めた。
甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920… 甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920年)3月15日 - 1997年12月26日)は、日本の画家、曹洞宗の僧侶(大分県中津市崇禅寺の13世住職)。白日会会員で油彩、日本画、彫刻をよくした。 大正9年、大分県宇佐市清水の清水寺に生まれる。地方画家であった祖父、叔父の絵画を見、また兄の作画する姿に接し、幼少時より絵画に憧憬を抱く。その後、兄から自分の果たせなかった夢を託され、東京美術学校(現東京芸術大学)図画師範科に進学し、小林萬吾、南薫造、伊原宇三郎、石橋犀水、川﨑小虎、矢澤弦月、関野聖雲に学び、1941年に卒業した。 1948年の創元展に「渓流」が初入選。1951年には「石彿」により受賞。
高橋 勇夫(たかはし いさお、1920年3月11日 - 19… 高橋 勇夫(たかはし いさお、1920年3月11日 - 1998年)は、日蓮宗の僧、仏教学者。 大阪市西成区生まれ。大阪府立住吉中学校(現大阪府立住吉高等学校)卒業、東洋大学文学部仏教学科卒業。兵役をへて、1948年大谷学園教諭。1964年から1977年東大谷高等学校副校長、大谷女子短期大学教授などを務めた。日蓮本宗正福寺住職。個人誌『菩提樹』主宰。
荒金 天倫(あらかね てんりん、大正9年(1920年)3月4… 荒金 天倫(あらかね てんりん、大正9年(1920年)3月4日 - 平成2年(1990年)1月7日)は、日本臨済宗の禅僧。 臨済宗方広寺派第九代管長。道号は天倫、諱は義堂、室号は碧雲室(へきうんしつ)。俗姓荒金。禅僧からジャーナリスト、そして再び禅僧になるという、ユニークな経歴を持つ。
友松諦道(ともまつ あきみち・たいどう、1919年11月20… 友松諦道(ともまつ あきみち・たいどう、1919年11月20日 - 2001年1月28日)は、日本の僧侶・幼児教育者。 友松円諦の長男として東京に生まれる。1942年慶応義塾大学文学部卒。神田寺住職。東京神田寺幼稚園園長。真理学園理事長。 1987年に藍綬褒章、1994年に勲四等瑞宝章を受章。2001年1月28日、心不全のため死去。
清水谷 孝尚(しみずたに こうしょう、旧姓:半田、1919年… 清水谷 孝尚(しみずたに こうしょう、旧姓:半田、1919年11月3日 - 2014年10月28日)は、日本の聖観音宗の僧侶。浅草寺27世貫首。
酒井 日慈(さかい にちじ、1919年(大正8年)5月6日 … 酒井 日慈(さかい にちじ、1919年(大正8年)5月6日 - 2019年(令和元年)5月28日)は、日蓮宗の僧侶。日蓮宗第51代管長、大本山池上本門寺第82世貫首。 東京市浅草区に生まれる。1941年(昭和16年)に法政大学文学部国文学科を繰り上げ卒業し、学徒出陣で東部101連隊に入隊する。復員後、東京池上の實相寺住職、池上本門寺執事長を経て、1991年(平成3年)に千葉市川の弘法寺貫首、2000年(平成12年)に池上本門寺第82世貫首に晋山、2006年(平成18年)に日蓮宗第51代管長に就任する。また、日蓮宗新聞部長、立正大学法華経文化研究所参与、日蓮宗講学職、日蓮宗布教研修所所長などを歴任。
佐藤 行通(さとう ぎょうつう、1918年12月5日 - 2… 佐藤 行通(さとう ぎょうつう、1918年12月5日 - 2018年3月1日)は、日本山妙法寺の僧侶、社会運動家。日弘とも。俗名は 佐藤 弘 (さとう ひろし)。 以後、平和運動に参画し、藤井日達の側近として「世界宗教者平和会議」や「アジア仏教徒平和会議」の設立に奔走する。成田空港問題(三里塚闘争)、立川基地反対闘争、ベトナム人民支援運動にも参加。 原水爆禁止日本協議会の設立にも深く関わったが、運動方針を巡って日本平和委員会、日本共産党と意見対立し、ついには原水協を追放される。更に、妙法寺の不正経理の責任を取る形で妙法寺からも離れることとなった。 晩年は茨城県内に草庵を結び、国際平和ビューロー等、世界平和のための活動と情報発信を続けてきた。
藤堂 恭俊(とうどう きょうしゅん/やすとし、1918年11… 藤堂 恭俊(とうどう きょうしゅん/やすとし、1918年11月19日 - 2000年12月14日)は、浄土宗僧侶・仏教学者。 和歌山県田辺市出身。父は藤堂祐範。大正大学仏教学科卒、1944年同研究科修了。1979年「日中浄土教思想史の研究」で佛教大学文学博士。佛教大学助教授、教授。1989年定年、名誉教授。浄土宗大本山知恩院浄土宗学研究所研究員、増上寺法主。
斉藤 信義(さいとう しんぎ、1918年3月8日 - 200… 斉藤 信義(さいとう しんぎ、1918年3月8日 - 2009年11月26日)は、日本の曹洞宗の僧、鶴岡高専校長、山形県最上郡出身。前大本山總持寺監院。前同寺副貫首 善宝寺41世 号劫世
大塚 全教(おおつか ぜんきょう、1918年 - 2007年… 大塚 全教(おおつか ぜんきょう、1918年 - 2007年10月29日)は、真言宗の尼僧、身体障害者。 広島県福山市出身。4歳でポリオ(小児まひ)となり、右腕と左肩から肘にかけて不自由となった。1939年大石順教に師事して1943年に出家得度、勧修寺境内で大石と暮らした。大石の設立した身体障害者自立支援団体「この花会」を引き継いだほか、自らも左足で書や絵画の創作活動を続けた。世界身体障害者芸術家協会名誉会員。 2007年10月29日、局所性腹膜炎のため死去。
半田 孝淳(はんだ こうじゅん、1917年9月21日 - 2… 半田 孝淳(はんだ こうじゅん、1917年9月21日 - 2015年12月14日)は、日本の天台宗の僧侶。第256世天台座主、全日本仏教会会長などを歴任。 長野県小県郡別所村(現 上田市別所温泉)の常楽寺(北向観音本坊)に住職半田孝海の長男として生まれる。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1941年大正大学文学部宗教学科卒業。翌年から応召し、陸軍中尉で終戦を迎えた。1947年別所村議会議員を経て、1949年常楽寺副住職に就任。同年から47年間にわたり保護司を務めた。1961年、常楽寺住職に就任。1971年から1988年まで調停委員を務めた。2004年、曼殊院門跡門主。2007年、第256世天台座主に就任。
若月 正吾(わかつき しょうご、1916年11月8日 - 2… 若月 正吾(わかつき しょうご、1916年11月8日 - 2001年12月)は、日本の仏教学者・僧侶。専門は禅学。山梨県東山梨郡牧丘町出身。 1942年駒澤大学文学部仏教学科卒業。その後、世田谷学園中学校教諭や曹洞宗宗学研究所研究員、学校法人駒澤大学職員を経て、1963年駒澤大学仏教学部専任講師。1964年同仏教学部教授。1965年駒澤大学教務部長。1973年同附属図書館長。1975年苫小牧駒澤短期大学学長・駒澤大学附属苫小牧高等学校校長・駒澤大学苫小牧学園理事長。1976年駒澤大学北海道教養部3代部長・岩見沢駒澤短期大学3代学長・駒澤大学附属岩見沢高等学校3代校長・駒澤大学岩見沢学園3代理事長・駒澤大学保育専門学校初代学校長(講師兼任)。
野村 耀昌(のむら ようしょう、1916年9月3日 - 19… 野村 耀昌(のむら ようしょう、1916年9月3日 - 1997年3月2日)は、日蓮宗の僧、刻字作家。 立正大学卒。1966年「周武法難の研究」で立正大学文学博士。立正大学仏教学部教授。87年定年退任、名誉教授。中国仏教史が専門。
竹田 聴洲(たけだ ちょうしゅう、1916年1月29日 - … 竹田 聴洲(たけだ ちょうしゅう、1916年1月29日 - 1980年9月6日)は、日本の宗教民俗学者、浄土宗の僧。号は大蓮社雄誉。 1916年、大阪市北区で生まれた。京都帝国大学文学部史学科で学び、1940年に卒業。卒業論文は『法然教攷』であった。戦後京都大学大学院文学研究科に進み、1954年に修了。 その後は同志社大学文学部講師に就いた。1955年に助教授、1960年に教授昇格。1971年、学位論文『常民仏教と祖先信仰』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1978年、佛教大学教授となった。宗門では、京都の浄土宗寿仙院などの住職を務めた。 柳田国男に師事し、民間信仰や祖先崇拝を研究テーマとした。
武者 一雄(むしゃ かずお、1916年〈大正5年〉1月2日 … 武者 一雄(むしゃ かずお、1916年〈大正5年〉1月2日 - 2008年〈平成20年〉12月17日)は、日本の小説家、児童文学作家、僧侶。群馬県出身。本名・中村一雄。『ビルマの竪琴』の水島上等兵のモデルとなったとされることで知られる。 碓氷郡松井田町(現 安中市)生まれ。13歳で僧となる。旧制高崎中学校(現 群馬県立高崎高等学校)を経て、1936年駒澤大学専門部仏教科卒業。卒業後ただちに高崎第15連隊に入隊。1938年に北支に出征した後1941年に帰国。福井県の永平寺で2年間修業するが再び召集され、フィリピン、タイなど東南アジアを転戦後、多くの死者が出たインパール作戦に参加し、ビルマ(今のミャンマー)で終戦を迎える。
仲野 良俊(なかの りょうしゅん、1916年 - 1988年… 仲野 良俊(なかの りょうしゅん、1916年 - 1988年1月6日)は、日本の浄土真宗僧侶・仏教学者。 京都府京都市生まれ。1939年大谷大学文学部卒業。 同大学講師、1942年ビルマで日本語学校の教師となる。1956年真宗大谷派教化研究所所員。1966年教学研究所副所長就任。北海道教学研究所所長、1981年教学研修所所長。京都・真宗大谷派専念寺住職。
佐藤 俊明(さとう しゅんみょう、1916年 - 1997年… 佐藤 俊明(さとう しゅんみょう、1916年 - 1997年6月2日)は、日本の僧侶、曹洞宗大教師。 山形県生まれ。1936年、山形県宝泉寺の住職となる。1939年、駒澤大学文学部仏教学科を卒業。1974年から1981年まで、曹洞宗大本山總持寺の出版部長、布教師会事務局長、副監院を歴任。1985年、千葉県龍光寺住職。1988年、曹洞宗大教師に補任され、布教活動に専念。1995年、龍光寺住職を引退。 著書に『禅のはなし』『続・禅のはなし』『禅語と教育』『禅のこころ』『こころ自由自在』『心のお経』『修証義に学ぶ』『禅語百話』『古教照心』『とらわれない心』『心にのこる禅の名話』など多数。 1997年6月2日逝去、享年80。
中世古 祥道(なかせこ しょうどう、1916年 - 2019… 中世古 祥道(なかせこ しょうどう、1916年 - 2019年1月1日[要出典])は、日本の歴史学者、曹洞宗の僧侶(三重県正泉寺14世住職のち東堂)。道元禅師・愛洲氏の研究で知られる。号は興国。 北海道に生まれる。1937年に大連第一中学校(旧制)を卒業後、駒澤大学仏教学部に入学。道憲寮にて衛藤即応博士に師事。1940年に卒業。 大学の舎監を辞して1941年より天津に赴任し、道元の研究を重ねる(「道元禅師の歩み」)。戦中・戦後の中、研究活動は幾度も中断。1948年、度会郡小川郷中学校の教諭となり、以降、1975年まで五ヶ所小学校・中学校で教鞭を取る。研究の方では1967年に小川弘貫博士の「唯識研究会」に参加したのを契機とし、1970年に『道元禅師伝ノート』を刊行。
雲井 昭善(くもい しょうぜん/あきよし、1915年12月2… 雲井 昭善(くもい しょうぜん/あきよし、1915年12月24日 - 2017年12月5日)は、日本の僧侶、仏教学者。大谷大学名誉教授。インド学・仏教学専攻。 大阪府和泉市出身。1941年大谷大学文学部仏教学科卒。1961年「佛教と社会的基盤の研究」で東京大学文学博士。1956年大谷大学助教授、61年教授、86年定年、名誉教授、佛教大学教授。75-81年日本学術会議会員。2000年仏教伝道文化賞受賞。享年101。
楠 恭(くすのき きょう、1915年11月17日 - 200… 楠 恭(くすのき きょう、1915年11月17日 - 2000年4月8日)は、浄土真宗の僧、仏教研究者。 富山県小矢部市出身。1942年大谷大学宗教学科卒。寺僧を務めながら妙好人について研究。東京本願寺学院教授。1999年仏教伝道文化賞受賞。
大久保 良順(おおくぼ りょうじゅん、1915年9月11日 … 大久保 良順(おおくぼ りょうじゅん、1915年9月11日 - 2010年10月28日)は、天台宗の僧。大正大学長を務めた。 神奈川県平塚市生まれ。1938年大正大学文学部仏教学科卒。40年同大学院修了。天台宗天王寺住職。大正大学助教授、教授、1985年学長。天台宗大僧正。三十三間堂本坊・妙法院門跡、同名誉門主。大久保良峻は甥。1987年、勲三等瑞宝章受章。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
飛鳥 寛栗(あすか かんりつ、1915年7月5日 - 201… 飛鳥 寛栗(あすか かんりつ、1915年7月5日 - 2016年9月30日)は、浄土真宗の僧、仏教音楽研究家、元飛鳥山善興寺住職。近代日本の仏教音楽を体系化した人物である。 浄土真宗本願寺派善興寺(富山県高岡市)に生まれる。父は、同寺第17代住職で、浄土真宗本願寺派の監正局長をつとめた飛鳥寛徹。1939年龍谷大学文学部仏教学科卒業。学校法人清光学園清光女子高等学校(現高岡龍谷高校)初代常務理事、浄土真宗本願寺派教学伝道研究センター顧問をはじめ、財団法人国際仏教文化協会顧問や社会福祉法人中田保育園理事長などを歴任。仏教音楽コレクション・A主宰(現在は相愛大学の図書館に寄贈)。東洋音楽学会会員。善興寺第18代住職。
西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月… 西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月4日 - 2003年(平成15年)12月2日)は、日本の仏師・仏像修理技師・僧侶・東京芸術大学名誉教授。勲三等瑞宝章。前名:西村利作。位階は従四位。 大正4年(1915年)6月4日、大阪府三島郡富田村(現・高槻市富田町2丁目)に、父・利兵衛と母・ミツの長男として生まれた。 1935年、東京美術学校(現東京芸術大学)に入学。彫刻科木彫部で現代彫刻家を志す。4年生の時に同校の古美術研究旅行で京都・奈良をまわり、法隆寺・夢殿の救世観音に感激。1940年に卒業し、いったんは私立大阪工科学校(旧制)の図画教師となる。 1940年頃、学生時代の縁で法隆寺に通っていた際、偶然日本美術院(第二部)初代院長である新納忠之介も同寺を訪ねており、後進の明珍恒男が亡くなったばかりで、「美大出で誰か仏像の好きなやつはおらんか」と法隆寺の僧に尋ねると、「丁度相応しい者が金堂におります」と紹介され、新納から美術院への入所の誘いを受けた。
大井 際断(おおい さいだん、1915年(大正4年)2月26… 大井 際断(おおい さいだん、1915年(大正4年)2月26日 - 2018年(平成30年)2月27日)は昭和・平成時代の日本の禅僧。 兵庫県西宮市出身。室号は大隠窟、道号は際断。法諱は令碩、俗姓は大井。1990年(平成2年)に臨済宗方広寺派管長ならびに方広僧堂師家に就任、1990年より2018年まで務めた。2018年(平成30年2月27日)遷化。世寿104。 1915年(大正4年)、兵庫県西宮市に生まれる。6歳のとき、西宮市の臨済宗東福寺派茂松寺和尚、かつ実父の大井洞雲について得度した。 1940年(昭和15年)京都帝国大学文学部哲学科を卒業後、1940年(昭和15年)に家永一道のいる京都の東福僧堂に掛搭。
中村 瑞隆(なかむら ずいりゅう、1915年2月23日-20… 中村 瑞隆(なかむら ずいりゅう、1915年2月23日-2003年11月15日)は、日蓮宗の僧、仏教学者、立正大学学長を務めた。 青森県出身。1941年立正大学文学部仏教学科卒、同大学院修了。45年専門部講師、48年助教授、49年立正大学講師、50年助教授、61年教授、66年「如来蔵思想研究」で九州大学文学博士。73年法華経文化研究所長。1977年仏教伝道文化賞受賞。1983-86年立正大学長、名誉教授。1987年、勲三等瑞宝章受章。日本学術会議会員。
吉岡 棟一(よしおか とういち、1914年12月3日 - 1… 吉岡 棟一(よしおか とういち、1914年12月3日 - 1997年3月31日)は、日本の僧侶、作家。曹洞宗円通寺住職。同宗議会議長、駒澤大学理事長を歴任。 福島県福島市生まれ。福島師範学校、駒澤大学卒業。1956年「しのぶ保育所」園長、1967年「宗教法人福島ルンビニー幼稚園」初代園長。小説「椿の系譜」(1979年)で福島県文学賞受賞。曹洞宗円通寺住職。同宗議会議長、駒澤大学理事長などを歴任。日本ベトナム文化協会長としてテト休戦を提唱、両国間の友好に尽力。1995年5月12日外務大臣表彰。歌と評論同人。 著書に「小説 黄色い椿」「人間としていかに生きるべきか: 曹洞宗教典「修証義」を読む」「般若心経で意識革命を」「ベトナム仏教体験シリーズ」など。
武邑 尚邦(たけむら しょうほう、1914年11月20日 -… 武邑 尚邦(たけむら しょうほう、1914年11月20日 - 2004年8月19日)は、日本の仏教学者・僧侶。東京大学仏教文化研究所で高楠順次郎に師事、龍谷大学に奉職、因明学と真宗学を中心に研究、龍谷大学学長・浄土真宗本願寺派勧学寮頭を務めた。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
坪井 俊映(つぼい しゅんえい、1914年(大正3年)10月… 坪井 俊映(つぼい しゅんえい、1914年(大正3年)10月2日 - 2010年(平成22年)9月6日)は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶(浄土門主、大僧正)。浄土三部経に関する著書多数。 1914年、京都府に生まれた。1935年、京都市の長徳寺住職に就任。龍谷大学仏教学科で学び、1941年に修了した。 戦後の1956年、佛教大学教授に就いた。1979年、佛教大学佛教文化研究所長に就任。1980年、学位論文『法然浄土教の研究:伝統と自証について』を佛教大学に提出して文学博士号を取得。1988年、浄土宗勧学。1992年に佛教大学を退職し、名誉教授となった。 2010年(平成22年)9月6日、心不全のために遷化。
雲藤 義道(うんどう ぎどう、1914年〈大正3年〉7月8日… 雲藤 義道(うんどう ぎどう、1914年〈大正3年〉7月8日 - 2000年〈平成12年〉11月2日)は、浄土真宗の僧、仏教学者。位階は従四位。 島根県出身。1937年(昭和12年)に東京帝国大学文学部宗教学科卒業。中山文化研究所、1965年武蔵野女子大学教授、1972年学長、1985年定年退任、名誉教授。武蔵野学院長。1986年春の叙勲で勲三等瑞宝章を受章。2000年死去。死没日付をもって従四位に叙された。
田中日淳(たなか にちじゅん、 1914年(大正3年)3月1… 田中日淳(たなか にちじゅん、 1914年(大正3年)3月17日 - 2010年(平成22年)7月18日)は、日蓮宗の僧。第48代日蓮宗管長・大本山池上本門寺第81世貫首。立正大学仏教学部卒業。北海道出身。 北海道爾志郡乙部町出身。母親の願いにより乙部町本昭寺の久遠院日啓(浅野本淳)に就いて出家。1929年(昭和4年)に15歳で上京、大本山池上本門寺塔頭の照栄院に寄在しつつ立正大学仏教学部を卒業した。またその際に、久遠院日啓の願いにより照栄院住職であった観是院日教(石川日教、後の池上本門寺第77世貫首)の弟子となった。 第二次世界大戦中の1940年(昭和15年)に応召され、仙台市の予備士官学校を卒業後、見習士官になり航空兵に転科。