山口 富生(やまぐち とみお、1970年1月6日 - )は、… 山口 富生(やまぐち とみお、1970年1月6日 - )は、日本の競輪選手。岐阜県大垣市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第68期生。日本競輪選手会岐阜支部所属、ホームバンクは大垣競輪場。師匠は棚橋良博。 父の山口啓(7期)、実兄の山口幸二(62期)はともに元競輪選手。甥にあたる幸二の長男の山口聖矢(115期)、その次男の山口拳矢(117期)はともに競輪選手。 岐阜県立大垣工業高等学校を卒業後、競輪学校に68期生として入学。デビュー戦は1991年8月7日の久留米競輪場(8着)。 2002年6月2日に行われた高松宮記念杯競輪決勝で、同県の山田裕仁の捲りに乗ってGI初制覇。優勝後の表彰式においては、兄の幸二が野球で言われるところのリリーフカーを運転して弟・富生を乗せて登場するなど、兄の方が目立っていた。
有坂 直樹(ありさか なおき、1969年12月13日 - )… 有坂 直樹(ありさか なおき、1969年12月13日 - )は、秋田県大仙市出身の元競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第64期卒業。師匠は福地清(29期)。現役当時は日本競輪選手会青森支部所属(登録地は秋田県)。秋田県には競輪場が無いため、現役時代は六郷自転車競技場(美郷町)を練習拠点としていた。血液型はO型。 秋田県立大曲農業高等学校在学中における高校総体や国体などスプリント種目での数々の優勝により、競輪学校へは技能試験免除により入学を果たす。競輪学校は在校成績2位で卒業。 初出走は1989年8月5日の西武園競輪場で、初勝利も同レース。デビュー後は同期の高木隆弘、三宅伸とともに「64期三羽烏」と呼ばれ、1期後輩の吉岡稔真の対抗馬として注目された。
塚本 善之(つかもと よしゆき、1969年11月14日 - … 塚本 善之(つかもと よしゆき、1969年11月14日 - )は、京都府綴喜郡宇治田原町出身の元プロ野球選手(投手)、元競輪選手。 西城陽高時代、長身から繰り出す直球とフォークを武器に、1987年夏の京都府大会でベスト8に進出。 1987年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから5位指名を受け入団した。ニックネームは角張った顔や長身から「フランケン」だった。 現役中は肩を痛め、一軍登板のないまま、1990年オフに現役を引退した。二軍通算7試合登板、防御率10.00。「三軍みたいなところに、ずっといた」と振り返っている。 京都の実家へ帰り、鉄工所で働きながら新たな職を探していたが、「もう1度、自分の力で金を稼げる世界で勝負したかった。
小嶋 敬二(こじま けいじ、1969年11月9日 - )は、… 小嶋 敬二(こじま けいじ、1969年11月9日 - )は、石川県金沢市出身の競輪選手、自転車競技選手である。日本競輪学校第74期卒業。日本競輪選手会富山支部所属で、登録地は石川県。師匠は横長勇(42期)。初出走は1994年8月5日の花月園競輪場で初勝利は同開催の8月6日。血液型はA型。練習地は内灘自転車競技場。 金沢高等学校在学時から自転車競技で数々の成績を収め、卒業後はソウルオリンピック出場を目指して日本大学文理学部社会学科に進学したが在学中の出場はかなわず、卒業後もアマチュアとして活躍を続けた。 1992年のバルセロナオリンピックでは1000mタイムトライアルは順当だったが、当時スプリントで無敵を誇った齋藤登志信の予選落車によってスプリント代表も手にし2種目出場を果たした。
三宅 伸(みやけ しん、1969年8月13日 - )は、日本… 三宅 伸(みやけ しん、1969年8月13日 - )は、日本の元競輪選手、競輪評論家。岡山県玉野市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第64期生。現役時代は日本競輪選手会岡山支部所属、ホームバンクは玉野競輪場であった。師匠は越智清治。身長183cm、血液型はO型。叔父は元プロ野球選手(阪神タイガース)の三宅秀史。 岡山県立琴浦高等学校商業科出身。上述の叔父も同校の出身である。高校時代までは野球をやっていたが、競輪に転向する形で1988年に競輪学校に第64期生として入学。在校競走成績は1位であり、同期の高木隆弘、有坂直樹と合わせて『64期三羽烏』と呼ばれたほど注目された存在でもあった。さらに卒業記念レースでは完全優勝を果たした。
出口 眞浩(でぐち まさひろ、1969年6月22日 - )は… 出口 眞浩(でぐち まさひろ、1969年6月22日 - )は日本の元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会神奈川支部所属、ホームバンクは川崎競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第63期生。師匠は星川淳。夫人はプロゴルファーの松澤知加子。 神奈川県出身。法政大学第二高等学校在学中から自転車競技を行っており、1986年のインターハイではスプリントで11位となる。高校卒業後は競輪学校に第63期生として入学し、在校成績3位で卒業する。 デビュー当初は川崎競輪場をホームバンクとした。初出走は1989年4月12日の京王閣競輪場で、初勝利も同日。その開催では初日から1着・3着・1着でいきなり初優勝を飾り、以後も着実に力をつけていく。
松井 明子(まつい あきこ、1969年6月3日 - )は、三… 松井 明子(まつい あきこ、1969年6月3日 - )は、三重県松阪市出身の元女子競輪選手。現役時代は日本競輪選手会愛知支部所属、ホームバンクは名古屋競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生。旧姓は尾上。 松阪高校出身、岡山大学中退。母親が松阪競輪場に勤めていた影響で幼い頃から競輪選手に対して憧れがあり、社会人となってからロードレースおよびトラックレースを趣味としていた。女子競輪が始まるというニュースを聞き、1度だけのチャレンジのつもりで競輪学校を受験したという。 2011年2月25日、競輪学校第102回技能試験に合格。在校競走成績は16位(3勝)。 2012年7月6日、当時は旧姓である尾上明子の登録名にて京王閣競輪場でデビューし5着。
児玉 広志(こだま ひろし、1969年5月31日 - 201… 児玉 広志(こだま ひろし、1969年5月31日 - 2015年8月5日)は、香川県小豆島出身の元競輪選手。日本競輪学校(当時 以下、競輪学校)第66期卒業。現役時代は日本競輪選手会香川支部所属、ホームバンクはなく主に公道で練習し、KEIRINグランプリ優勝にまで至った異色の存在で、研究熱心さから「競輪博士」の異名を持った。 高松第一高等学校在学中から自転車競技を始め、卒業後に競輪学校へ第66期生として入学。在学中は卒業記念レースで優勝。 初出走は1990年8月9日、西武園競輪場。初勝利も同レース。 デビューから2年後に競輪祭新人王戦を優勝して注目を集めるようになり、1996年にオールスター競輪を優勝するとトップ選手としての地位を確固たるものにした。
高木 隆弘(たかぎ たかひろ、1969年5月20日 - )は… 高木 隆弘(たかぎ たかひろ、1969年5月20日 - )は、日本の競輪選手。東京都台東区出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第64期卒業。日本競輪選手会常任理事、同神奈川支部長(2024年6月より)、ホームバンクは平塚競輪場。師匠は小門道夫。初出走は1989年8月5日の西武園競輪場で初勝利も同日。血液型A。 法政大学第二高等学校在学中は陸上競技を行っていたが、友人である出口眞浩の勧めにより、高校卒業後に競輪学校を適性試験で受験し合格。競輪学校は28位での卒業で、当初は小田原競輪場を練習拠点とした。やがてデビュー直後から素質が開花して活躍を見せ、同期の学校成績上位であった三宅伸や有坂直樹と並んで『64期三羽烏』と評されるまでになり、1991年には競輪祭新人王戦で優勝し新人王を獲得すると、1992年には早くも獲得賞金上位で地元開催のKEIRINグランプリに出場している(4着)。
池尻 浩一(いけじり こういち、1969年4月6日 - )は… 池尻 浩一(いけじり こういち、1969年4月6日 - )は、日本の政治家、元競輪選手、福岡県八女郡広川町の町議会議員(3期)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第63期生。現役時は日本競輪選手会福岡支部所属。ホームバンクは久留米競輪場。師匠は香月英二。 福岡県立八女高等学校在学中は陸上競技を行ない、熊本大学と長崎大学をいずれも現役合格している。しかし、後に某テレビ番組で紹介されたが、高校時代より競輪選手を志望していた本人にとってみれば、大学入試は「滑り止め」としか考えていなかったようで、1988年に競輪学校の適性試験に合格し入学する。同期には出口眞浩らがおり、在校成績5勝の42位で卒業後、1989年4月14日、豊橋競輪場でデビューし、初勝利も同日。
三和 英樹(みわ ひでき、1969年3月13日 - )は、元… 三和 英樹(みわ ひでき、1969年3月13日 - )は、元競輪選手。滋賀県野洲郡出身。日本競輪学校第69期卒業。現役時は日本競輪選手会滋賀支部所属。ホームバンクは大津びわこ競輪場。師匠は井狩吉雄。 近江兄弟社高等学校在学中に自転車競技を始め、日本大学に進学後は国民体育大会・成年スプリントを1987年、1988年と連覇。 1988年にはソウルオリンピックに豊岡弘らと共に参加し、スプリント種目に出場し二次予選で敗退。その後も1990年の北京アジア大会スプリントで優勝した。 1991年に日本競輪学校へ第69期生として入学。同期には豊岡弘、稲村成浩、澤田義和、齊藤努(横田努)らがいる。卒業後は1992年4月9日一宮競輪場でデビューし6着。
豊岡 弘(とよおか ひろし、1969年1月14日- )は、長… 豊岡 弘(とよおか ひろし、1969年1月14日- )は、長崎県佐世保市出身の高等学校教諭(保健体育)、元競輪選手。競輪選手としては、現役時代は日本競輪選手会長崎支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第69期生。 西海学園高等学校時代に自転車競技を始め、その後、早稲田大学に進学。早大在籍時代、1988年ソウルオリンピックの1000mタイムトライアルに出場し16位。卒業後は教員になる夢もあったが、自転車でまだ遣り残したことがあるという理由も手伝い、競輪選手への道を歩む。 1991年、競輪学校に69期生として入学。同期には1990年の世界自転車選手権・タンデムスプリント銀メダリストで稲村雅士を父に持つ稲村成浩をはじめ、日本アマチュア自転車競技の第一線で活躍した生徒が大勢いたが、豊岡は稲村とともにゴールデンキャップ獲得者となるなど、将来を嘱望された。
松島 伸安(まつしま のぶやす、1968年9月10日 - )… 松島 伸安(まつしま のぶやす、1968年9月10日 - )は、群馬県太田市出身の元競輪選手である。 1988年〜2012年(日本競輪選手会群馬支部所属)S級在籍22年、1994年の函館記念競輪を捲って快勝するなど、ダッシュ力とスピードを武器に全国の競輪場で活躍した。 デビュー当時は強烈なダッシュ力を活かし何処からでも先手を取れるスピード先行を得意としたが、ラインの後続が離れ別線ラインの選手が番手に嵌るケースも多く、ゴール前の失速と共に大きな着を取るケースも多かった。後年は、位置取りに拘らず何処からでもゴール前に鋭く差し込んでくる追い込みを主戦法とし、目標とした先行選手と心中するような場面からでもゴール前では着に絡んでくる切れ味で穴党からの人気が高かった。
杉浦 生哲(すぎうら いくのり、1968年8月19日 - )… 杉浦 生哲(すぎうら いくのり、1968年8月19日 - )は、静岡県浜松市出身の競輪選手である。血液型はA型。 静岡県浜松市出身。静岡県伊豆の国市修善寺の日本競輪学校第64期卒業生。興誠高等学校(現浜松学院興誠高等学校)を経て日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)卒業後、1989年(平成元年)に日本競輪選手会静岡支部に所属し競輪選手となる。 株式会社 杉浦織物2代目。 1980年代BMXに出会い、翌年から本格的にBMXを始める。 NBA(National BMX Association) 登録 Mongoose 所属 1982年、山梨県八ヶ岳パンテスコープで開催の山梨放送主催、第5回NBAジャパンBMX全国大会で優勝。
山口 幸二(やまぐち こうじ、1968年7月29日 - )は… 山口 幸二(やまぐち こうじ、1968年7月29日 - )は、日本の元競輪選手、競輪評論家。岐阜県大垣市出身。O型。 日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第62期卒業。現役時は日本競輪選手会岐阜支部所属。初出走は1988年9月1日の大垣競輪場で初勝利も同レース。ホームバンクは大垣競輪場。師匠は棚橋良博。 父の山口啓(ひらく。7期)も元競輪選手。長男の聖矢(115期)、次男の拳矢(117期)、実弟の山口富生(68期)はともに競輪選手。子供は聖矢、拳矢のほかに三男がいる。 岐阜県立大垣西高等学校在学中まで野球をしていたが、父の山口啓が元選手(7期)ということもあり、卒業後は競輪学校を受験し合格。競輪学校卒業後から徐々に成績を上げ、やがてS級に定着する。
山田 裕仁(やまだ ゆうじ、1968年6月18日 - )は日… 山田 裕仁(やまだ ゆうじ、1968年6月18日 - )は日本の元競輪選手、現在は競輪評論家。岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒業。現役時は日本競輪選手会岐阜支部所属。師匠は中嶋直人。初出走は1988年5月3日、京都向日町競輪場。初勝利は1988年9月8日、奈良競輪場。血液型はA型。1男3女を持つ4児の父親で、長女は元SKE48チームEの山田澪花、三女はバンド「Moonz」ボーカルの帆夏。 小学1年生の頃(1975年)から競輪選手に憧れる。岐阜県立大垣商業高等学校在学中は陸上競技(八種競技)を行っていたが、それは意図したものだった。目標どおり、競輪学校(現在の競輪養成所)には適性試験で一発合格。
森内 章之(もりうち あきゆき、1968年5月4日 - )は… 森内 章之(もりうち あきゆき、1968年5月4日 - )は、元競輪選手。熊本県出身。日本競輪学校第64期卒業。現役時は日本競輪選手会熊本支部所属。
神山 雄一郎(かみやま ゆういちろう、1968年4月7日 -… 神山 雄一郎(かみやま ゆういちろう、1968年4月7日 - )は、日本の元競輪選手、元自転車競技選手。日本競輪選手養成所所長(第24代。2025年4月1日 - )。血液型B型。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第61期生。現役時代は日本競輪選手会栃木支部所属、ホームバンクは宇都宮競輪場。師匠は荒川博之。 栃木県小山市生まれ。生家は自転車屋で、父親は熱心なサイクリング愛好家だった。神山も父親とともにサイクリングをするようになり、休日になると自転車に乗って遠出していた。幼稚園時代から運動神経と脚力は抜群だったという神山は、小学校時代には休日になると筑波山や太平山まで片道40-50kmの道のりを往復するようになり、さらに長野県や岐阜県まで野宿をしながら1日200kmを走破して移動することもあった。
紫原 政文(しはら まさふみ、1968年3月5日- )は、福… 紫原 政文(しはら まさふみ、1968年3月5日- )は、福岡県久留米市出身の競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第61期生。日本競輪選手会福岡支部所属、ホームバンクは久留米競輪場。師匠は中野浩一(35期)。 福岡県立八女工業高等学校在学中は陸上部に在籍していたが、これは師匠である中野浩一と全く同じ経歴であり、このことから在学中に中野から直々に声をかけられ、競輪へ転向することになった。 1987年、競輪学校に第61期生して入学。同期には神山雄一郎、山田裕仁、安田光義(日本競輪選手会理事長)らがいる。 1988年5月3日に京都向日町競輪場でデビューし2着。初勝利は翌5月4日。 1990年の競輪祭新人王戦で優勝し、中野の弟子でもあったことから大きな注目を浴びたが、1996年の競輪祭競輪王戦決勝3着の他に大きな成績を出すことはできなかった。
濱口 高彰(はまぐち たかあき、1968年2月26日 - )… 濱口 高彰(はまぐち たかあき、1968年2月26日 - )は、日本の元競輪選手、新聞記者。愛知県名古屋市出身(出生は三重県)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第59期生。現役時代は日本競輪選手会岐阜支部所属、ホームバンクは岐阜競輪場であった。初出走は1987年5月2日の福井競輪場(8着)。初勝利は同月25日の熊本競輪場。 ニックネームは「ハマちゃん」・「中部の総帥」・「中部の司令塔」。 自転車競技を行うために岐阜県立岐南工業高等学校へ入学し、卒業後は競輪学校に第59期生として入学。デビュー後は順調にトップクラスへ駆け上がり、特別競輪の決勝に勝ち上がるなど徐々に知名度を上げていった。 やがて1997年の第50回日本選手権競輪の決勝で、逃げる山田裕仁の番手から抜け出して特別初優勝を果たし、この時の優勝インタビューにおいて「この優勝を期に、特別競輪の優勝は中部でたらいまわしにします」と豪語したことが話題となったが、その後の中部勢の活躍のきっかけとなったことを見る限り、実に的を射た言葉となった。
太田 耕二(おおた こうじ、1967年11月3日 - )は、… 太田 耕二(おおた こうじ、1967年11月3日 - )は、元競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第59期生。太田真一(競輪学校第75期生)は実弟、117期の太田龍希は甥である。 埼玉県立川越工業高等学校を経て競輪学校に入校。同期には、小橋正義、濱口高彰、豊田知之らがいる。現役当時、弟の真一や高校の後輩である平原康多らの師匠として指導し、彼らが競輪選手となってからは、街道練習における『大宮・太田グループ』のリーダーとしての役割を果たしていた。 1987年5月9日、大宮競輪場でデビューし4着。初勝利は同年5月25日の熊本競輪場で挙げた。 2006年12月8日、立川競輪場で通算300勝を達成。
倉岡 慎太郎(くらおか しんたろう、1967年10月27日 … 倉岡 慎太郎(くらおか しんたろう、1967年10月27日 - )は、日本競輪選手会熊本支部に所属する競輪選手。(旧)日本競輪学校第59期生で、同期に小橋正義、濱口高彰、豊田知之らがいる。 九州学院高校時代、1984年、1985年の全国高等学校総合体育大会自転車競技大会・スプリントで優勝。1985年のジュニア世界選手権自転車競技大会・スプリントでは3位に入った。 旧競輪学校時代は、111戦84勝の成績で同期最多勝利を記録。59期の同期には、小橋、和泉田喜一などがいる。1987年5月2日、花月園競輪場でデビューし、初勝利を挙げた。その後、1991年から1996年頃までは常時特別競輪(現在のGI)への参加機会を得ていた。
小橋 正義(こばし まさよし、1967年8月18日 - )は… 小橋 正義(こばし まさよし、1967年8月18日 - )は日本の元競輪選手、競輪評論家。 岡山県出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第59期卒業。日本競輪選手会新潟支部に所属していた。師匠は松本信雄。初出走は1987年5月2日の花月園競輪場で、初勝利は同月10日の玉野競輪場。血液型はA型。 岡山県立水島工業高等学校在学中から自転車競技を始めており、ジュニア世界選手権出場の実績を挙げて競輪学校には技能試験免除で入学している。デビュー後は先行選手として順調に活躍していたが、1991年の競輪祭決勝においてインの3番手に粘ってから直線で追い込んで特別競輪(現在のGI)の初優勝を果たし、追込選手としての素質を開花させる。
佐々木 一昭(ささき かずあき、1967年7月17日 - )… 佐々木 一昭(ささき かずあき、1967年7月17日 - )は、岩手県花巻市出身の元自転車競技選手、元競輪選手。日本競輪学校第67期卒業。現役時は日本競輪選手会岩手県登録(青森支部所属)。初出走は1991年4月21日の函館競輪場で初勝利は翌日の同場。 岩手県立紫波高等学校(現・岩手県立紫波総合高等学校)在学中に国体の少年ロードレースで優勝し、早稲田大学在籍時の1988年にはソウルオリンピック・団体追抜に出場し15位となる。この実績により大学卒業後は日本競輪学校に試験免除で第67期生として入学した。在校成績は50勝で4位だったが、同期に金古将人や三谷幸宏らがいた中で卒業記念レースを優勝する。 競輪選手としてデビューしてからの実績はS級に昇格して出場したGIIのふるさとダービー1回のみとなったが、自転車競技では1993年にトラックレース世界選手権のドミフォン種目に出場したり、個人でロードレースの大会に出場するなど活躍を見せていた。
豊田 知之(とよた とものぶ、1967年5月18日- )は、… 豊田 知之(とよた とものぶ、1967年5月18日- )は、岡山県出身の元競輪選手。日本競輪学校第59期卒業。師匠は松本信雄。 岡山県立水島工業高等学校在学中から、同級生で後に日本競輪学校でも同期となる小橋正義らと共に全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(インターハイ)のイタリアンチームレースで優勝を経験。また個人でも国民体育大会の500m速度競走で2位の実績がある。 第59期生として入学した日本競輪学校では在校競走成績第7位。デビュー戦は1987年5月9日、ホームバンクの玉野競輪場で迎え、初勝利も同日。同年9月にS級特進を果たしたが、デビュー5ヶ月目での達成は、当時としては55期の鈴木誠に続く最短記録。
阿部 康雄(あべ やすお、1967年3月27日 - )は、新… 阿部 康雄(あべ やすお、1967年3月27日 - )は、新潟県出身の元競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第68期卒業。元日本競輪選手会新潟支部長。弟子に原田泰志(師匠である原田則夫の息子)。 新潟県立新潟商業高等学校ではラグビー部で活動し、第62回全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場経験がある。ただしリザーブであったため、試合に出ることはなかった。 卒業後は会社員となったが、その頃のちにホームバンクとなる弥彦競輪場にて行われた素人脚自慢競走に参加したところ、他の参加者を大きく引き離して勝利してしまう。そのシーンを目撃した会社の同僚から「冗談抜きで、競輪選手になれるんじゃないか」と勧められたこともあり、脱サラを決意。
金田 健一郎(かねだ けんいちろう、1966年12月23日 … 金田 健一郎(かねだ けんいちろう、1966年12月23日 - )は、競輪選手。日本競輪選手会大阪支部所属、ホームバンクは岸和田競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第60期生。師匠は杉本歳宏(18期)。 清風高等学校時代は器械体操選手としてインターハイや国民体育大会に出場。競輪学校時代は卒業記念レースで優勝。在校競走成績は第2位(64勝)。 1987年9月6日、西宮競輪場でデビューし2着。初勝利は同年同月7日の同場。 2012年11月27日現在、GI(相当年代も含む)で9回の決勝進出歴がある。うち、1996年の高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)と1997年の日本選手権競輪(岸和田競輪場)において、ともに3着に入った。
長谷部 純也(はせべ じゅんや、1966年11月19日 - … 長谷部 純也(はせべ じゅんや、1966年11月19日 - )は、元競輪選手。日本競輪学校第57期卒業。現役時は日本競輪選手会茨城支部所属。師匠は樫村行雄(30期)。 学校法人石川高等学校在学中、全国高等学校総合体育大会自転車競技大会で1983年に団体追抜、1984年にポイントレースを優勝する。卒業後は日本競輪学校に57期生として入学し、同期に坂本勉・波潟和男・梶應弘樹らがいる中で、在校競走成績は坂本に次いで2位だった。卒業後は1986年5月3日に花月園競輪場でデビューし6着。初勝利は同年5月4日の同場だった。 1988年のオールスター競輪(岸和田競輪場)で決勝3着となり、直後に2度目の出場となった全日本新人王戦(小倉競輪場)決勝で、同期の坂本らを破って優勝した。
我妻 広一(あづま こういち、1966年10月24日 - )… 我妻 広一(あづま こういち、1966年10月24日 - )は、元競輪選手。福島県郡山市出身。現役時は日本競輪選手会福島支部に所属。 学校法人石川高等学校在籍時の1984年、全国高等学校総合体育大会自転車競技大会・個人追抜で優勝。 その後、日本競輪学校第65期生(同期に、吉岡稔真、海田和裕、後閑信一らがいる)を経て、1990年4月7日、伊東温泉競輪場でデビュー(競走棄権)。初勝利は同年6月3日の熊本競輪場。 2012年3月31日の宇都宮競輪場第2R・A級チャレンジ一般戦7着を最後の競走とし、同年4月5日に選手登録消除。通算成績1916戦204勝。
波潟 和男(なみがた かずお、1966年6月29日- )は、… 波潟 和男(なみがた かずお、1966年6月29日- )は、元競輪選手。東京都出身。現役時は日本競輪選手会東京支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第57期卒業。師匠は清嶋彰一。 東京都立高島高等学校在学中から自転車競技を行っており、高校卒業後は競輪学校に第57期生として入学し、在校成績14位で卒業する。 初出走は1986年5月3日の花月園競輪場で、初勝利は同開催最終日の5日。デビュー後は先行や捲りを武器に成果を挙げ、師匠の清嶋に次ぐ東京の大型先行選手として注目されるようになったが、1989年8月に清嶋が福井に移籍したことで袂を分かつことになる。 直後の同年11月に競輪祭の決勝を捲りで優勝して特別競輪(現在のGI)初制覇を果たし、地元の立川競輪場で翌月開催となるKEIRINグランプリへの出場を決定させた。
三谷 幸宏(みたに ゆきひろ、1966年4月22日 - )は… 三谷 幸宏(みたに ゆきひろ、1966年4月22日 - )は、北海道河東郡音更町出身の元スピードスケート選手で、元競輪選手。日本競輪学校第67期生。師匠は穴田勝彦(13期)。競輪選手時代は日本競輪選手会北海道支部所属。ホームバンクは函館競輪場。 白樺学園高等学校時代、第11回全日本スプリントスピードスケート選手権大会において、当時日本の第一人者である黒岩彰の同大会3連覇を阻んで総合優勝。また、法政大学時代の第13回も総合優勝を果たす。 1986年に行われた世界スプリントスピードスケート選手権大会では総合6位。 1987年に行われた世界スプリントスピードスケート選手権大会では、1000mで1位を記録した他、総合でも3位(優勝は黒岩彰)に入る。
飯島 規之(いいじま のりゆき、1966年4月15日 - )… 飯島 規之(いいじま のりゆき、1966年4月15日 - )は、日本の元競輪選手、元自転車競技選手、ワイン醸造家。日本競輪学校第61期卒業。現役時は日本競輪選手会埼玉支部に在籍。 東京都で出まれ、その後は川口市、浦和市(現在のさいたま市桜区)へと移り住む。浦和市立南高等学校(現 さいたま市立浦和南高等学校)を経て日本競輪学校に第61期生として入学。同期に神山雄一郎、山田裕仁、紫原政文らがいる中で、在校成績は1勝すら挙げられなかった。 1988年5月8日花月園競輪場にでデビューし4着。初勝利は翌9日の同場。以降の競輪選手としての実績は芳しくなかったが、これは本人の脚質が競輪向きでなかったことによるもので、それでも長い間選手として活躍し続けた。
平田 崇昭(ひらた たかあき、1965年10月2日 - )は… 平田 崇昭(ひらた たかあき、1965年10月2日 - )は元競輪選手。福岡県八女市出身。日本競輪学校第55期卒業。現役時は日本競輪選手会福岡支部に所属。師匠は原敬人。ホームバンクは久留米競輪場。 久留米工業大学付属高等学校在学中の1983年に全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(一宮競輪場)のポイントレースで優勝し、1985年に日本競輪学校へ入学。同期に鈴木誠、郡山久二、松田孝志らがおり、在校成績24位で卒業。同年5月11日にホームの久留米でデビュー戦を迎え3着。初勝利は同年7月27日の平塚競輪場。 1990年、オールスター競輪(宇都宮競輪場)決勝4着。 1991年、日本選手権競輪(一宮)決勝6着。
大井 啓世(おおい ひろとし、1965年9月19日 - )は… 大井 啓世(おおい ひろとし、1965年9月19日 - )は、日本競輪選手会奈良支部に所属する競輪選手。日本競輪学校(以下、競輪学校)第58期生。
稲積 秀樹(いなづみ ひでき、1965年9月11日 - )は… 稲積 秀樹(いなづみ ひでき、1965年9月11日 - )は、富山県富山市出身の元競輪選手。日本競輪学校第55期卒業。現役時は日本競輪選手会富山支部所属。師匠は大橋勲(21期)。 富山県立大沢野工業高等学校を経て日本競輪学校に入学。同期には鈴木誠らがおり、在校成績22位で卒業。1985年5月11日、久留米競輪場でデビューし、初勝利も同日。 1994年の競輪祭(小倉競輪場)で3着。1995年にホームバンクの富山競輪場で行われたふるさとダービーでは2着となる。1998年のふるさとダービー(豊橋競輪場)では優勝し、富山支部所属選手として初めて現在のGII相当大会制覇を成し遂げた。 その後も活躍を続けていたが、2014年12月19日の玉野競輪場第1R・A級チャレンジ一般戦での6着を最後として、同年12月25日に選手登録消除。
森田 進(もりた すすむ、1965年9月8日 - 2013年… 森田 進(もりた すすむ、1965年9月8日 - 2013年8月2日)は、埼玉県菖蒲町(現在は久喜市)出身の元競輪選手。日本競輪学校第57期生。 埼玉県立菖蒲高等学校出身。 1986年5月3日、花月園競輪場でデビューし、初勝利を挙げた。 全日本選抜競輪に11年連続で出場するなど、1990年代は常時特別競輪(GI・GII)に参加。1994年のふるさとダービー(武雄競輪場)では決勝に進出(4着)。また、記念競輪(GIII)を2度優勝した。 2013年、7月10日に行われた西武園7レース(3着)出走後、同年7月20日の豊橋競輪開設記念に出走予定だったが、当日のメディカルチェックの結果、欠場することになったため帰郷。
西川 親幸(にしかわ ちかゆき、1965年8月31日 - )… 西川 親幸(にしかわ ちかゆき、1965年8月31日 - )は、熊本県出身の元競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第57期生。現役時代は日本競輪選手会熊本支部に所属していた。 鎮西高等学校を卒業し競輪学校に第57期生として入校。主な同期生に坂本勉、波潟和男、梶應弘樹らがいる。在校競走成績は12位(32勝)。 1986年5月10日、広島競輪場でデビューし2着。初勝利は同年5月12日の同場。 1989年の第42回日本選手権競輪(花月園競輪場)で特別競輪(現在のGI)初出場(新人王戦を除く)を果たして以降、2010年代後半までGI、GIIに常時参加実績を有した、大変息の長い選手であった。 日本選手権競輪においては、過去に第49回(1996年)で3位、第53回(2000年)で2位となり表彰台に立った実績がある(いずれも千葉競輪場での開催)ほか、1993年の第46回から2017年の第71回まで出場し、歴代2位タイとなる連続26回出場の記録を打ち立てた。
石本 龍臣(いしもと りゅうしん、1965年7月29日 - … 石本 龍臣(いしもと りゅうしん、1965年7月29日 - )は、岡山県津山市出身の元プロ野球選手(投手)、元競輪選手。競輪選手としては、現役時代は日本競輪選手会岡山支部所属、ホームバンクは玉野競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第60期生。弟子は、同じく広島東洋カープの元投手であった塚本善之。 倉吉北高では同期の加藤伸一に次ぐ投手であり、3年次はチームが対外試合禁止のため実績は残せなかったが1983年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから5位指名を受け入団。 一軍登板機会がないまま、1985年限りで現役を引退。目の焦点が合わないことがあり、投球に支障をきたすようになっていたためと言われている。
松田 孝志(まつだ たかし、1965年6月13日 - )は、… 松田 孝志(まつだ たかし、1965年6月13日 - )は、愛媛県出身の元競輪選手。日本競輪学校第55期卒業。現役時は日本競輪選手会愛媛支部に所属。選手登録番号11191。師匠は伊藤豊明。 旧登録名は清家 孝志(せいけ たかし)。 松山聖陵高等学校在学中から自転車競技を始め、1983年、ジュニア世界選手権自転車競技大会・スプリント決勝において、ニコライ・コフシュ(ソ連)を破り、日本人選手として同大会初の優勝者となった。 高校卒業後の1984年に日本競輪学校へ第55期生として入学。同期に鈴木誠や郡山久二らがいる中、在校成績は90勝で2位だった。卒業後の1985年5月3日、花月園競輪場でデビューし1着。
佐々木 龍也(ささき たつや、1965年6月4日 - )は、… 佐々木 龍也(ささき たつや、1965年6月4日 - )は、日本の元競輪選手。神奈川県出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第57期卒業。日本競輪選手会神奈川支部所属。師匠は星川淳。 法政大学第二高等学校在校時から自転車部に所属し、その後は星川淳に師事して競輪学校第57期に合格。同期に坂本勉、波潟和男、梶應弘樹らがいる中、在校成績は16勝で17位だった。 1986年5月3日、ホームバンクの花月園競輪場でデビュー戦を迎えたが、競走棄権に終わった。初勝利は同年9月30日の函館競輪場。1993年のオールスター競輪(宇都宮競輪場)で特別競輪(現在のGI)初優出(5着)。以後2011年2月20日現在、2006年の競輪祭(小倉競輪場)まで通算6回、GI決勝に進出。
坂巻 正巳(さかまき まさみ、1965年5月4日 - )は、… 坂巻 正巳(さかまき まさみ、1965年5月4日 - )は、元競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第55期生。現役時は日本競輪選手会茨城支部所属。師匠は高橋洋一。初出走は1985年5月2日の岸和田競輪場で初勝利も同日。血液型はA型。 千葉県立東葛飾高等学校在学中は陸上競技を行っていたが、卒業と共に競輪学校の適性受験を受験し合格。デビュー後しばらくは東京支部所属であったが、後に茨城へ移動している。 1991年の日本選手権競輪(一宮競輪場)において鈴木誠マークから、特別競輪初優勝を果たしたが、特別競輪出場2回目かつ日本選手権初出場であったことから、競輪ファンを大いに驚かせた。しかしその後は目立った結果を出せなかったが、1997年のふるさとダービー(観音寺競輪場)においても優勝を果たし、タイトルホルダーとして相応しい実績を残した。
三宅 勝彦(みやけ かつひこ、1965年3月16日 - )は… 三宅 勝彦(みやけ かつひこ、1965年3月16日 - )は、元競輪選手。岡山県玉野市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪選手)第54期生。現役時は日本競輪選手会岡山支部所属、ホームバンクは玉野競輪場。師匠は近藤四郎。 岡山県立東岡山工業高等学校を経て競輪学校に入学。同期は東出剛、伊藤勝也ら。在校競走成績は第1位の成績であった。 1984年9月2日、ホームバンクである玉野競輪場でデビューし1着となる。 1989年広島競輪場にで開催された第1回のふるさとダービー決勝において、バックストレッチから捲り切り、初代優勝者の座に就く。またふるさとダービーでは武雄競輪場で開催された1994年にも優勝している。
遠澤 健二(とおさわ けんじ、1965年2月13日- )は、… 遠澤 健二(とおさわ けんじ、1965年2月13日- )は、競輪選手。日本競輪選手会神奈川支部所属、ホームバンクは平塚競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第57期生。師匠は鈴木了(25期)。 藤沢商業高等学校(現:藤沢翔陵高等学校)出身。高校時代は陸上競技の長距離選手として活躍。1981年、1982年の全国高等学校駅伝競走大会に出場した経験を持つ。 高校卒業後は1年間の社会人経験を経て、競輪学校に第57期生として入学。同期に坂本勉、梶應弘樹らがいる。競輪学校時代は在校競走成績第8位。デビュー戦は1986年5月3日の花月園競輪場で迎えたが失格となった。 1989年頃からGIなどビッグレースの常連選手として活躍するようになるが、初のGI決勝進出は1992年の第45回日本選手権競輪(前橋競輪場)。
花嶋 洋之(はなしま ひろゆき、1964年10月2日 - )… 花嶋 洋之(はなしま ひろゆき、1964年10月2日 - )は、千葉県出身の元競輪選手である。日本競輪学校第56期卒業。現役時は日本競輪選手会千葉支部所属。師匠は田中進(36期)で、田中の実娘の田中まい(104期)は弟子である。 八千代松陰高等学校を卒業後、警察官を経て日本競輪学校に入校したという競輪選手としては特異な経歴を持つ。在校成績30位(10勝)で卒業後、1985年9月14日、豊橋競輪場でデビューし9着。初勝利は同年9月30日の函館競輪場。 やがてS級の上位戦線で活躍するようになり、競輪祭(小倉競輪場)では3回(89年・5着、90年・4着、92年・7着)決勝に進出。1990年の高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)では3着、1992年のふるさとダービー(弥彦競輪場)では2着に入った。
俵 信之(たわら のぶゆき、1964年9月22日 - )は日… 俵 信之(たわら のぶゆき、1964年9月22日 - )は日本の元競輪選手、自転車競技選手。 北海道函館市出身(旭川市生まれ)。日本競輪学校(当時)第53期生。現役時代は日本競輪選手会北海道支部所属(元支部長)。師匠は新井雄司。初出走は1984年5月3日の函館競輪場で初勝利も同日。血液型はO型。 函館大谷高等学校在学中から自転車競技ジュニア世界選手権のスプリント種目に出場し、競輪選手としてデビュー後の1986年には、世界選手権自転車競技大会のスプリント種目に初出場し、中野浩一・松井英幸に次いで3位に入賞。翌年1987年の同大会では優勝し、前年までの中野のV10に続く日本人選手V11を達成した。 競輪選手としては1984年にデビュー。
能一 実(のういち みのる、1964年8月31日 - )は、… 能一 実(のういち みのる、1964年8月31日 - )は、神奈川県小田原市出身の元競輪選手。現役時は日本競輪選手会神奈川支部所属。 神奈川県立足柄高等学校を経て日本競輪学校に第53期生として入学。同期には後にプロ世界選手権スプリント金メダルの俵信之や、現在タレントとして活動中のスザンヌの継父である藤本博之などがおり、史上最強軍団と称された。 プロデビューは1984年5月13日の武雄競輪場で初勝利も同日。また同開催では完全優勝で飾っている。7ヶ月後の11月には小田原競輪場にてS級特進を決め、昇級直後にはS級シリーズを三場所連続で優勝する。そして1983年から行われた競輪プログラム改革構想(通称KPK)では、最短期間及び最年少20歳でトップクラスのS級1班へ昇格を果たし、前途は有望視されていた。
伊藤 勝也(いとう かつや、1964年8月23日 - )は、… 伊藤 勝也(いとう かつや、1964年8月23日 - )は、日本競輪選手会静岡支部所属の元競輪選手。日本競輪学校(以下、競輪学校)第54期生。師匠は杉山克己(競輪学校第36期生)。 東海大学第一高等学校(現 東海大学付属翔洋高等学校)時代、1981年、1982年に全国高等学校総合体育大会自転車競技大会の団体追抜で優勝を経験。また団体追抜では、1980年の国民体育大会(少年の部)でも優勝を経験している。さらに、1981年、1982年のジュニア世界選手権自転車競技大会にも出場した。 1983年、競輪学校第54期生として入学。在校競走成績第1位の三宅勝彦、東出剛らがいた中で、同期の卒業記念レースで優勝した。
郡山 久二(こおりやま ひさじ、1964年7月29日 - 2… 郡山 久二(こおりやま ひさじ、1964年7月29日 - 2025年6月18日)は、大阪府大阪市出身の元競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第55期生。現役時は日本競輪選手会大阪支部に所属。 大阪府立城東工業高等学校を経て競輪学校に第55期生として入学。在学中に名誉教官の松本勝明から後の師匠となる山野憲一(長野・41期)を紹介され弟子となった。同期には鈴木誠、清家孝志らがおり、在校成績14位で卒業。1985年5月2日にホームバンクの岸和田競輪場でデビュー戦を迎え5着。初勝利は同年6月15日の川崎競輪場。 1989年、第42回日本選手権競輪(花月園競輪場)において、特別競輪(現在のGI)の決勝に初めて進出し8着。
南雲 孝之(なぐも たかゆき、1964年5月5日 - )は競… 南雲 孝之(なぐも たかゆき、1964年5月5日 - )は競輪選手。日本競輪選手会東京支部に在籍。ホームバンクは松戸競輪場。
細川 秀勝(ほそかわ ひでかつ、1964年4月9日 - )は… 細川 秀勝(ほそかわ ひでかつ、1964年4月9日 - )は、岩手県出身で、静岡県を登録地とした日本競輪学校第58期生の元競輪選手。元サッカー選手(GK)。師匠は東晃(45期) 岩手県立盛岡商業高等学校入学時にサッカー部に入部。全国高等学校サッカー選手権大会では、1981年度に行われた第60回、1982年度に行われた第61回と2年連続で出場。61回大会ではベスト8を経験し、大会優秀選手と日本高校選抜に選ばれた。全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会(インターハイ)でも1981年、1982年の両年度に出場した。 卒業後に国士舘大学に進学するも、1984年に日本サッカーリーグ1部の古河電工に加入。