木村 英俊(きむら ひでとし、1872年10月17日(明治5… 木村 英俊(きむら ひでとし、1872年10月17日(明治5年9月15日) - 1940年(昭和15年)10月1日)は、日本の検察官、宮内・台湾総督府官僚。高雄州知事、官選函館市長。 福島県出身。木村宗順の長男として生まれる。1899年7月10日、東京帝国大学法科大学を卒業。同年7月29日、司法官試補となり検事代理として神戸区裁判所詰を命ぜられた。 以後、神戸地方裁判所検事、大阪地方裁判所検事、徳島地方裁判所検事を歴任。1914年7月、宮内省に転じ同事務官に就任。以後、調度寮勤務、大礼準備委員、大礼使事務官、調度部勤務、大礼記録編纂委員会委員、久邇宮附、帝室林野管理局事務官などを務めた。 1923年6月、台湾総督府に転じ参事官に就任し、同年8月13日、同府税関長に任じられた。
秦 豊助(はた とよすけ、1872年9月29日〈明治5年8月… 秦 豊助(はた とよすけ、1872年9月29日〈明治5年8月27日〉- 1933年〈昭和8年〉2月4日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員、拓務大臣。 回船問屋・東京府会副議長、秦源祐の長男として東京築地で生まれる。東京府立一中、日本中学校、第一高等中学校を経て、1896年(明治29年)7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務属となり内務省参事官室兼県治局勤務となる。同年11月、文官高等試験に合格。 1897年(明治30年)5月、福井県参事官に就任し、愛媛県参事官、千葉県参事官、神奈川県参事官・勧業課長を歴任。1905年(明治38年)4月から翌年5月まで欧州に出張。帰国後、1906年(明治39年)7月、長崎県事務官・第一部長兼第三部長となり、さらに同県内務部長を務めた。
田中 千里(たなか ちさと / せんり、1872年9月22日… 田中 千里(たなか ちさと / せんり、1872年9月22日(明治5年8月20日) - 1938年(昭和13年)2月11日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。 石川県出身。田中信吾の長男として生まれる。第五高等学校を卒業。1906年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、内務省に入省し茨城県属となる。 以後、茨城県警視・保安課長兼衛生課長、同庶務課長、青森県事務官・教育社寺兵事課長、長野県事務官・警察部長、広島県警察部長、神奈川県警察部長、千葉県内務部長、大阪府警察部長などを歴任。 1921年5月、大分県知事に就任。
遠藤 源六(えんどう げんろく、1872年9月17日(明治5… 遠藤 源六(えんどう げんろく、1872年9月17日(明治5年8月15日)- 1971年(昭和46年)5月13日)は、日本の海軍文官、法制官僚、法学者。行政裁判所長官、枢密顧問官、明治大学教授、法学博士。号・虚舟。 宮城県栗原郡、後の白幡村(現栗原市)で、遠藤佐源治の三男として生まれる。第一高等学校を経て、1900年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業し同大学院に進む。 1900年8月、海軍省に入省し主理試補・東京軍法会議附に就任。同年11月、文官高等試験に合格。以後、海軍省参事官、兼同司法局、兼海軍大学校教官、大本営附、佐世保捕獲審検所評定官、兼海軍経理学校教官などを歴任。この間、明治大学講師を務め、1908年1月15日に法学博士号を取得した。
松井 栄尭(まつい えいぎょう、明治5年7月12日(1872… 松井 栄尭(まつい えいぎょう、明治5年7月12日(1872年8月15日) - 昭和10年(1935年)3月9日)は、日本の検事、台湾総督府官僚。 石川県出身。旧名は豊松。1899年(明治32年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。函館区裁判所判事、函館地方裁判所判事、福岡地方裁判所判事を経て、台湾総督府判官となった。さらに台南地方法院検察官長、台北地方法院検察官長を歴任し、台南州知事に就任した。 1924年(大正13年)に退官した後は、公証人となった。
川上 常郎(かわかみ つねろう、1872年8月13日〈明治5… 川上 常郎(かわかみ つねろう、1872年8月13日〈明治5年7月10日〉 - 1954年〈昭和29年〉11月16日[要出典])は、明治時代後期から昭和時代初期の朝鮮総督府官僚。大蔵官僚。実業家。平安北道長官。東洋拓殖理事。正四位。勲三等瑞宝章。 川上與吉の三男、川上楽次の弟として、愛媛県宇摩郡、のちの二名村大字余木(川之江町、川之江市を経て現四国中央市)に生まれる。小学校高等科四級を卒業し、宇摩郡役所雇となり、1890年(明治23年)上京する。1897年(明治30年)東京専門学校邦語政治科を卒業し、大蔵省に奉職。高等文官試験に合格し税務官となり税務監督局長に累進した。のち朝鮮総督府に出仕し土地整理局長を経て、平安北道長官に就任した。
後藤 祐明(ごとう ひろあき / すけあき、1872年8月4… 後藤 祐明(ごとう ひろあき / すけあき、1872年8月4日(明治5年7月1日) - 1940年(昭和15年)2月26日)は、日本の検察官、台湾総督府・内務官僚。官選県知事、公証人。 佐賀県出身。後藤保明の長男として生まれた。1904年7月、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。司法官試補となり、千葉地方裁判所検事局に配属された。 以後、千葉区裁判所検事局、長野区裁判所検事局で勤務。1909年9月、東京区裁判所検事、東京地方裁判所検事に就任。1910年2月、台湾総督府に転じ警視となる。以後、民政部蕃務本署勤務、理蕃課長、保安課長、司獄官練習所教官などを歴任。1917年5月、島根県警察部長に転じた。
加納 友之介(かのう とものすけ、1872年6月13日(明治… 加納 友之介(かのう とものすけ、1872年6月13日(明治5年5月8日) - 1936年(昭和11年)8月14日)は、明治期の官僚、住友銀行理事。 茨城県生まれ。生家の立川家は里正を務める家柄であった。第百四国立銀行の取締役を務めた立川直行の五男として生まれる。兄に衆議院議員を務めた立川興がいる。妹のヒロは陸軍中将の浄法寺五郎の妻。 1893年叔父で、常陸太田の太田銀行取締役を務めた加納甚三郎の養子となった。12歳で慶應義塾幼稚舎に入るも、病気退学。1896年(明治29年)帝国大学法科大学を卒業。1897年(明治30年)農商務省に入り参事官として商工局に勤務。1902年(明治35年)に政府委員として欧州各国を巡視。
仙石 政敬(せんごく まさゆき、1872年5月26日〈明治5… 仙石 政敬(せんごく まさゆき、1872年5月26日〈明治5年4月20日〉- 1935年〈昭和10年〉9月16日)は、明治時代から昭和初期にかけての官僚・政治家。子爵。 1872年(明治5年)、旧出石藩主・仙石政固の長男として生まれる。1891年(明治24年)7月、学習院高等学科を卒業。1893年(明治26年)、久邇宮朝彦親王の六女・素子女王と結婚した。1898年(明治31年)、東京帝国大学法科を卒業。1899年(明治32年)11月、高等文官試験に合格。その後、一時志願兵として近衛師団に入営したが、1900年(明治33年)、足疾のために現役を免除された。 宮内省諸陵頭などを務めたのち、1923年(大正12年)賞勲局総裁、1925年(大正14年)宗秩寮総裁を歴任した。
市来 乙彦(いちき おとひこ、正体字:市來 乙彥、明治5年壬… 市来 乙彦(いちき おとひこ、正体字:市來 乙彥、明治5年壬申4月13日〈1872年5月19日〉 - 昭和29年〈1954年〉2月19日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。大蔵次官、大蔵大臣(加藤友三郎内閣)、日本銀行総裁、東京市長、貴族院議員(勅選)、参議院議員(1期3年)などを歴任した。 旧薩摩藩士の三男として、鹿児島県鹿児島市春日小路町に生まれる。地元の中学造士館を卒えて、1888年(明治21年)鹿児島高等中学造士館予科に進むが、家計の都合で中退。1889年(明治22年)に上京し、田尻稲次郎の書生となって苦学する。1890年(明治23年)10月に第一高等中学校予科へ編入学し、翌年本科へ進む。
和田 潤(わだ じゅん、1872年5月8日(明治5年4月2日… 和田 潤(わだ じゅん、1872年5月8日(明治5年4月2日)- 1947年(昭和22年)7月30日)は日本の内務官僚、政治家。沖縄県知事、郡山市長、松阪市長。 1872年(明治5年)4月2日、高知県香美郡に生まれる。1899年(明治32年)に和仏法律学校(現・法政大学)を卒業し、1901年(明治34年)に文官高等試験に合格する。 内務省に入省。警視庁警部。北海道庁警視、香川県事務官・第四部長、島根県事務官・警察部長、佐賀県事務官・警察部長、大分県・鳥取県・沖縄県内務部長を経て、1921年(大正10年)に沖縄県知事に就任し、1923年(大正13年)に退官する。 1929年(昭和4年)に福島県郡山市長(-1937年(昭和12年))、1937年(昭和12年)に三重県松阪市長(-1941年(昭和16年))を務める。
松木 幹一郎(まつき かんいちろう、1872年3月10日(明… 松木 幹一郎(まつき かんいちろう、1872年3月10日(明治5年2月2日) - 1939年(昭和14年)6月14日)は、明治から昭和初期にかけて活動した官僚、実業家。台湾電力社長。族籍は愛媛県平民。動物学者の青木淳一は孫。 愛媛県周桑郡楠河村大字河原津(現在の愛媛県西条市河原津)出身。松木操平の長男。松木家は予州の豪族河野通有の後裔である。旧制愛媛一中、旧制三高を経て1896年、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。法学士の称号を得る。 逓信省書記官、広島郵便局長、帝国鉄道庁参事、鉄道院理事、東京市参与同電気局長を歴任。1918年、山下合名会社総理事となり、山下汽船、福島炭鉱各会社代表取締役、山下鉱業、浦賀船渠会社取締役に挙げられた。
堀口 助治(ほりぐち すけはる、1872年3月8日〈明治5年… 堀口 助治(ほりぐち すけはる、1872年3月8日〈明治5年1月29日〉 - 1935年〈昭和10年〉3月11日)は、日本の内務・警察官僚。政友会系官選福島県知事、福岡県八幡市長。 後の宮崎県東諸県郡高岡村(現宮崎市)で、士族堀口貞由の長男として生まれる。1897年(明治30年)7月、第五高等学校を卒業。1900年(明治33年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入省し警視庁属兼同警部となる。1901年(明治34年)11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 以後、警視庁警視・板橋警察署長、四谷警察署長、岡山県事務官、富山県事務官・第四部長、埼玉県事務官・第四部長、同県事務官・警察部長、福岡県港務長、栃木県事務官・内務部長、福岡県内務部長などを経て、1914年(大正3年)4月、熊本県内務部長に就任。
渡辺 勝三郎(わたなべ かつさぶろう、1872年2月12日(… 渡辺 勝三郎(わたなべ かつさぶろう、1872年2月12日(明治5年1月4日) - 1940年(昭和15年)9月24日)は、日本の内務省官僚。岡山県井原町(現井原市)出身。従三位勲二等。 岡山藩士・小姓格、渡辺徳一郎の三男として生まれる。岡山中学、早稲田専門学校、共立学校、第一高等学校を経て、1896年(明治29年)7月、帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。内務省に入り内務属となり県治局に配属。同年11月、文官高等試験に合格。奈良県参事官、広島県参事官、福島県書記官、和歌山県・香川県の各第一部長兼第三部長、香川県・京都府の各内務部長などを歴任。 1908年(明治41年)7月から1914年(大正3年)4月まで徳島県知事を務め、内務省地方局長に転じた。
豊島 直通(としま なおみち、明治4年12月18日(1872… 豊島 直通(としま なおみち、明治4年12月18日(1872年1月27日) - 昭和5年(1930年)10月14日)は、日本の司法官僚。判事。検事。法学博士。 東京府出身。1895年(明治28年)、東京帝国大学法科大学を卒業。司法官試補、東京地方裁判所検事・東京控訴院検事、司法省参事官、同法務局長、同刑事局長、東京控訴院検事長を歴任した。1923年(大正12年)、判事に転じ大審院部長となった。在職のまま死去した。
亀山 理平太(かめやま りへいた、1872年1月26日〈明治… 亀山 理平太(かめやま りへいた、1872年1月26日〈明治4年12月17日〉 - 1915年3月4日)は、日本の内務官僚。官選徳島県知事。地方行政官である。族籍は岡山県平民。 岡山県御野郡今村に生まれる。岡山平民・亀山吉郎の三男。1898年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、法学士の称号を受く。同年12月、文官高等試験に合格。土木監督署書記となり、内務省に出仕し更に土木局に勤務する。山形県警部長を経て、1903年6月、長崎県警部長に就任。 1905年2月、統監府警視となり、次に釜山理事庁理事官を務める。1910年9月、台湾総督府に転じ民政部内務局長に就任。1911年10月、警視総長に転じ民政部地方部長を兼務した。
神谷 卓男(かみや たくお、明治4年12月9日〈1872年1… 神谷 卓男(かみや たくお、明治4年12月9日〈1872年1月18日〉 - 1929年〈昭和4年〉10月22日)は、明治末期から昭和初期にかけての官僚・政治家である。名古屋市助役や衆議院議員、東邦電力常務取締役を務めた。京都府出身。 神谷卓男は、明治4年12月9日(新暦:1872年1月18日)、京都府与謝郡宮津町波路(現在の宮津市)に生まれた。父・広生は旧宮津藩士で明治維新後は地方自治に尽力した人物である。宮津小学校・天橋義塾・京都中学校を経て同志社に入り、1892年(明治25年)に同志社を卒業。1894年(明治27年)からはアメリカ合衆国へと留学し、スタンフォード大学およびコロンビア大学で学んだのち1900年(明治33年)に帰国した。
太田 政弘(おおた まさひろ、1871年11月16日〈明治4… 太田 政弘(おおた まさひろ、1871年11月16日〈明治4年10月4日〉- 1951年〈昭和26年〉1月24日)は、日本の内務官僚、政治家。正三位。警視総監(第30代)、関東長官(第6代)、台湾総督(第14代)、貴族院議員。 山形県出身。鶴岡藩士・弁護士、太田政道の長男として生まれる。山形中学、第一高等学校を経て、1898年(明治31年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。内務属となり内務省警保局警務課勤務となる。1899年(明治32年)11月、文官高等試験に合格。1900年(明治33年)2月、三重県事務官に就任し、さらに同県内務部第1課長を務める。 1902年(明治35年)3月、宮崎県警察部長に就任。
岡本 英太郎(おかもと えいたろう、1871年11月2日〈明… 岡本 英太郎(おかもと えいたろう、1871年11月2日〈明治4年9月20日〉 - 1953年〈昭和28年〉5月16日)は、日本の農商務官僚。位階は従三位、勲等は勲二等瑞宝章。 農商務次官(第25代)、産業組合中央金庫理事長(初代)、特許局長官(第20代)、国際労働総会日本政府代表。錦鶏間祗候。 大阪府三島郡山田村(現在の吹田市)出身。 岡本家は雄略天皇の御宇、伊射奈岐神社(吹田市山田東)の初代神主・岡本豊足彦を始祖とする1000年以上連綿と続く素封家である。 1898年(明治31年)、東京帝国大学法科大学仏法科を卒業し、同年12月文官高等試験に合格した。農商務省に入り、林務官、山林局事務官・書記官、鉱山監督局事務官・書記官、官営八幡製鉄所理事、山林局長、商工局長・戦時保険局長、商務局長、農務局長、農商務次官、兼特許局長官を歴任し、1923年(大正12年)12月8日、農商務次官を依願免本官となり退官した。
角 源泉(すみ げんせん、明治4年9月18日(1871年10… 角 源泉(すみ げんせん、明治4年9月18日(1871年10月31日) - 昭和17年(1942年)8月14日)は、日本の政治家、官僚。衆議院議員、新宮市長。山本七平の大叔父。 1871年(明治4年)和歌山県東牟婁郡三輪崎村(三輪崎町を経て現新宮市)、角三郎左衛門の三男として出生する。明治21年頃、上京し、河津祐之の書生として住み込む。 1893年(明治26年)和仏法律学校(現法政大学)仏語法律科卒業。1897年(明治30年)判事検事登用試験、文官高等試験に合格し、和歌山地方裁判所の検事代理に採用される。その後、司法官を辞し、通信官僚に転進する。 1911年(明治44年)台湾総督府事務官、台湾総督府通信局長心得を経て、1913年(大正2年)台湾総督府通信局長、1915年(大正4年)台湾総督府土木局長に就任する。
添田 敬一郎(そえだ けいいちろう、1871年10月12日(… 添田 敬一郎(そえだ けいいちろう、1871年10月12日(明治4年8月28日) - 1953年(昭和28年)10月20日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員、埼玉県知事、山梨県知事、山形県知事などの要職を歴任した。 小浜県遠敷郡西津村(後の雲浜村西津、現・福井県小浜市)に、旧小浜藩士、福井県大飯郡長[要出典]、滋賀県神崎郡長[要出典]を務めた添田良平の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1898年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。東京帝大では一木喜徳郎のもとで学んだ[要出典]。同年7月、内務省に入省し内務属・庶務局地理課勤務となり、同年10月、兵庫県属・内務部第一課勤務に異動。
杉 精三(すぎ せいぞう、明治4年8月12日〈1871年9月… 杉 精三(すぎ せいぞう、明治4年8月12日〈1871年9月26日〉 - 1954年〈昭和29年〉1月11日)は、日本の逓信官僚、内閣印刷局長。錦鶏間祗候。 現在の山口県防府市に蔵田恂一の長男として生まれ、母方の杉家を継いだ。1897年(明治30年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した。通信事務官、青森郵便局長、高松郵便局長、広島郵便局長、京都郵便局長、名古屋逓信管理局長、航路標識管理局長、西部逓信局長・大阪地方海員審判所長、逓信省経理局長、内閣印刷局長を歴任した。 1936年(昭和11年)に退官した後は、電信協会に入り、理事を経て、会計部長を務めた。
川村 竹治(かわむら たけじ、1871年9月1日〈明治4年7… 川村 竹治(かわむら たけじ、1871年9月1日〈明治4年7月17日〉- 1955年〈昭和30年〉9月8日)は、大正から昭和にかけて活躍した官僚・政治家。南満洲鉄道(満鉄)社長、台湾総督、司法大臣等を歴任。 江刺県鹿角郡花輪村(現:秋田県鹿角市花輪)出身。日本中学などから一高を経て、1897年(明治30年)、東京帝国大学法科大学英法科卒業。同年、内務省に入省した後、逓信省書記官、内務省書記官、内務参事官、台湾総督府内務局長などを歴任し、1911年(明治44年)より和歌山県知事を務めた。1914年(大正3年)、香川県知事。1917年(大正6年)、青森県知事。1918年(大正7年)、内務省警保局長。
関藤 碩衛(せきどう ひろえ、1871年7月24日(明治4年… 関藤 碩衛(せきどう ひろえ、1871年7月24日(明治4年6月7日)- 1957年(昭和32年)5月9日)は、岡山県小田郡陶山村(現・笠岡市)出身の官吏、地方政治家。初代倉敷市長。 1871年6月7日、小田郡陶山村に生まれる。私立関西学館を卒業し、小田郡書記となる。 その後、岡山県庁へ入り県知事官房主事まで昇進したが辞任し、1921年、赤磐郡長となる。その後、浅口郡長、倉敷町長を歴任。1928年、市制が発布され、初代倉敷市長に就任する。その後日比町長となる。 1940年、日比町と宇野町が合併し玉野市となり初代市長に就任する。初代市長に2度就任することは稀な出来事であった。戦後、公職追放となる。
山脇 春樹(やまわき はるき、1871年7月11日(明治4年… 山脇 春樹(やまわき はるき、1871年7月11日(明治4年5月24日) - 1948年(昭和23年)1月3日[要出典])は、日本の農商務・内務官僚、教育者。官選県知事、山脇高等女学校長。旧姓・畑田。 京都府出身。畑田清平の四男として生まれ、1901年(明治34年)5月、山脇玄の養子となる。第一高等学校を卒業。1899年(明治32年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。大蔵省に入省し主計局属となる。 以後、司税官を経て農商務省に転じ、農商務大臣秘書官に就任。さらに、農商務書記官、商務局商事課長、台湾総督府専売局長、臨時博覧会事務官長などを歴任。 1916年(大正5年)10月、山梨県知事に就任。
久保田 政周(くぼた きよちか、1871年6月19日(明治4… 久保田 政周(くぼた きよちか、1871年6月19日(明治4年5月2日) - 1925年(大正14年)1月22日)は、栃木県知事、三重県知事、東京府知事および内務次官を歴任した内務官僚。後に、横浜市長も務めた。称号は正四位勲一等。
鈴木 邦義(すずき くによし、1871年6月19日(明治4年… 鈴木 邦義(すずき くによし、1871年6月19日(明治4年5月2日) - 1945年(昭和20年)11月30日)は、日本の内務官僚。官選沖縄県知事。旧姓・石井、旧名・兼次郎。 三重県出身。石井四郎兵衛の二男として生まれ、鈴木九郎の養子となる。第三高等学校を卒業。1896年、帝国大学法科大学を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し土木局属となる。 以後、佐賀県参事官、長崎県参事官、東京府参事官、岐阜県書記官、千葉県事務官・第一部長兼第三部長、滋賀県事務官、宮城県事務官、神奈川県港務部長、大阪府内務部長などを歴任。 1916年5月、沖縄県知事に就任。織物業などの産業振興に尽力。
田所 美治(たどころ よしはる、明治4年4月13日(1871… 田所 美治(たどころ よしはる、明治4年4月13日(1871年5月31日) - 昭和25年(1950年)5月6日)は、日本の文部官僚・内務官僚・貴族院勅選議員。文部次官、錦鶏間祗候。 土佐藩士田所美之の長男として生まれる。第二高等中学校を首席で卒業。1895年(明治28年)7月、帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。内務省に入り内務属となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。以後、愛媛県、宮城県、東京府の参事官を歴任した。その後、文部省に転じ、参事官、書記官、文部大臣秘書官、普通学務局長、文部次官を歴任した。また学習院御用掛、宮内省御用掛、学習院評議会会員を兼ねた。 1918年(大正7年)9月21日、貴族院議員に勅選され、退官した。
井上 友一(いのうえ ともいち、明治4年4月10日(1871… 井上 友一(いのうえ ともいち、明治4年4月10日(1871年5月28日) - 大正8年(1919年)6月12日)は、東京府知事を務めた、地方行政を専門とした内務官僚。号は明府。弟に、陸軍中将・井上一次。 救済事業の精神は、救貧より防貧、さらに教化が重要であると考え、感化救済事業や地方改良運動などを推進した。
岩本 熊雄(いわもと くまお、明治4年3月21日(1871年… 岩本 熊雄(いわもと くまお、明治4年3月21日(1871年5月10日) - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人、鉄道官僚。一年志願兵を経て将校となり、鉄道会社勤務を経て帝国鉄道庁・鉄道省に出仕。札幌鉄道局苗穂工場長や北海道鉄道管理局旭川工場長等を歴任する。東京府士族で官位は陸軍歩兵少尉従五位勲四等。 岡山県岡山市富田町に生まれ、1893年(明治26年)に東京工業学校機械工芸部機械科を卒業、同年12月、一年志願兵として歩兵第2連隊に入隊。1895年(明治28年)7月、歩兵少尉任官と共に予備役となり日本鉄道株式会社に入社、汽車課に勤務する。同年10月、勲六等瑞宝章を受章。1896年(明治29年)2月、盛岡工場に転属。
田中 武雄(たなか たけお、1871年4月25日(明治4年3… 田中 武雄(たなか たけお、1871年4月25日(明治4年3月6日) - 1918年(大正7年)2月27日)は、日本の逓信官僚。官選青森県知事、小倉市長。 東京府出身。1896年、東京法学院を卒業。同年12月、判事検事登用第1回試験、文官高等試験行政科試験に合格。逓信省に入省し逓信属となる。 以後、逓信事務官、逓信書記官、一等郵便局長、逓信省経理局調度課長兼電信灯台用品製造所長、兼台湾総督府事務官、東京逓信経理局長などを経て、熊本逓信管理局長に就任。 1913年6月、青森県知事に就任。大凶作への対応に尽力。1914年4月に休職となる。同年に退官。1916年12月、小倉市長に就任。1918年2月、上京中に死去した。
帆足 準三(ほあし じゅんぞう、1871年4月7日(明治4年… 帆足 準三(ほあし じゅんぞう、1871年4月7日(明治4年2月18日) – 1913年(大正2年)10月3日)は、戦前の日本の朝鮮総督府官僚。 長門国豊浦郡、後の山口県豊浦郡長府村(現下関市長府地区)出身。1890年7月、明治法律学校卒業。1895年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1896年1月、会計検査院に入院後、1899年6月、内務省に転じ試補となる。以後、大分県参事官、千葉県内務部長などを歴任。渡韓し、朝鮮総督府道事務官、1912年4月1日からは朝鮮総督府殖産局長を務めたのち、1913年2月14日、咸鏡北道長官に就任。同年10月3日、在任中に死去。
深町 錬太郎(ふかまち れんたろう、1871年3月17日(明… 深町 錬太郎(ふかまち れんたろう、1871年3月17日(明治4年1月27日)- 1918年(大正7年)9月25日)は、明治後期から大正前期の逓信官僚、内務官僚。官選愛媛県知事。 加賀国金沢下高儀町で加賀藩士深町鉄五郎の長男として生まれる。第四高等学校を首席で卒業。1896年(明治29年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。逓信省に入省し通信局属となる。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。 1897年(明治30年)逓信事務官となる。以後、通信事務官、鹿児島郵便電信局・大阪郵便電信局・札幌郵便電信局の各勤務を歴任。1899年(明治32年)内務省に転じ、愛知県事務官、茨城県事務官、栃木県事務官、新潟県事務官・内務部長を務めた。
川崎 卓吉(かわさき たくきち、1871年3月8日〈明治4年… 川崎 卓吉(かわさき たくきち、1871年3月8日〈明治4年1月18日〉- 1936年〈昭和11年〉3月27日)は、日本の官僚、政治家。広島県賀茂郡広村(現:呉市広町)生まれ。 医師の二男として生まれる。旧制広島中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)に入学するも4年で中退し、千葉中学校(現:千葉県立千葉高等学校)に編入。旧制第一高等学校を経て、1903年(明治36年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。自治制度研究のため大学院に進み、修了後に内務省入りした。 1916年(大正5年)、福島県知事。1919年(大正8年)、台湾総督府内務局長、さらに殖産局長となる。1922年(大正11年)、名古屋市長。
川口 彦治(かわぐち ひこはる、1871年1月30日(明治3… 川口 彦治(かわぐち ひこはる、1871年1月30日(明治3年12月10日) - 1955年(昭和30年)5月)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事、関東庁事務総長。 日向国諸県郡、後の宮崎県西諸県郡加久藤村(現えびの市)出身。郷士・川口時清の長男として生まれる。1893年7月鹿児島高等中学造士館予科卒業、1895年7月鹿児島高等中学造士館本科卒業。1899年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入省し警視庁警部となる。1900年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 以後、警視庁警視・府中警察署長、山梨県警部長、山梨県事務官・第四部長、茨城県事務官・第四部長、大分県事務官・第一部長兼第三部長、愛知県事務官・内務部長などを歴任。
倉知 鉄吉(くらち てつきち、明治3年12月3日(1871年… 倉知 鉄吉(くらち てつきち、明治3年12月3日(1871年1月23日) - 昭和19年(1944年)12月22日)は、日本の外務官僚。貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。実業家。 加賀藩士倉知行徳の長男として生まれる。第四高等学校を経て、1894年(明治27年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業した。内務属となったが、1897年(明治30年)に外務省参事官に転じ、ドイツ公使館書記官、統監府書記官などを歴任した。1908年(明治41年)、外務省政務局長に就任し、1912年(明治45年)には外務次官に昇進した。政務局長・次官在任中に日清協約、日露協約、韓国併合、条約改正などに関わった。 1913年(大正2年)に退官するとともに、貴族院勅選議員(2月13日)、錦鶏間祗候(2月14日)に任じられた。
柴田 駒三郎(しばた こまさぶろう、明治3年11月18日(1… 柴田 駒三郎(しばた こまさぶろう、明治3年11月18日(1871年1月8日) - 1945年(昭和20年)4月11日)は、日本の内務官僚、文部官僚。錦鶏間祗候。 奈良県出身。1896年(明治29年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、内務属となった。同年、高等文官試験に合格し、群馬県参事官、枢密院書記官、行政裁判所評定官、土木局書記官・内務省参事官、文部省宗教局長を歴任した。その後、維新史料編纂事務局長、維新史料編纂会委員を務め、1942年(昭和17年)に退官した。 1932年(昭和7年)9月27日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた。
工藤 英一(くどう えいいち、明治3年10月17日(1870… 工藤 英一(くどう えいいち、明治3年10月17日(1870年11月10日) - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。 青森県弘前市出身。1896年(明治29年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業。農商務属となり、同年に高等文官試験に合格した。翌年、鉱山監督官・盛岡鉱山監督署長となった。以後、農商務書記官・福岡鉱山監督署長、特許局事務官・農商務省参事官などを歴任。1909年(明治42年)、韓国政府の招聘で農商工部鉱務局長となった。その後、朝鮮総督府農商工部商工局長、全羅南道長官、平安南道長官を歴任。1919年(大正8年)には京畿道知事に就任した。
細野 正文(ほその まさぶみ、1870年(明治3年)11月8… 細野 正文(ほその まさぶみ、1870年(明治3年)11月8日 - 1939年(昭和14年)3月14日)は、明治期の鉄道官僚。日本人唯一のタイタニック号の乗客として知られる。 1870年、新潟県中頸城郡保倉村(後の直江津市、現在の上越市直江津地区)にて豪農の四男として生まれた[出典無効]。1896年、東京高等商業学校(現在の一橋大学)本科卒業。三菱合資会社入社。1897年、同社を退社し逓信省に入省。鉄道作業局に配属され、新橋駅(後の汐留駅)貨物係に配属。1906年、東京外語学校(現在の東京外国語大学)ロシア語科修了。1907年、帝国鉄道庁経理部調査課主事に就任。1908年鉄道院主事に就任。鉄道院時代の部下には大川博がいる。
井上 孝哉(いのうえ こうさい、1870年11月7日(明治3… 井上 孝哉(いのうえ こうさい、1870年11月7日(明治3年10月14日) - 1943年(昭和18年)11月22日)は、日本の官僚・政治家。元衆議院議員。岐阜県出身。岐阜中学(現在の岐阜県立岐阜高等学校)、第一高等学校を経て東京帝国大学(現在の東京大学)卒業。 東京帝国大学卒業後、高等文官試験行政科に合格。内務書記官などを経て、1908年に佐賀県知事に就任。1917年、富山県知事に就任。1919年、神奈川県知事に就任。1922年、大阪府知事に就任。1923年、内務次官に就任した。 1919年ごろ現職の知事も衆議院議員に立候補できる制度が制定された。当時この制度を利用していたのは井上孝哉と警視総監を務めた宮田光雄の2名だけであった。
神山 閏次(かみやま じゅんじ、1870年11月7日(明治3… 神山 閏次(かみやま じゅんじ、1870年11月7日(明治3年10月14日)- 1943年(昭和18年)3月8日)は、日本の内務・農商務官僚。官選群馬県知事、錦鶏間祗候。 熊本県出身。熊本藩士・神山譲の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1895年(明治28年)帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し県治局属となる。 1896年(明治29年)5月、青森県参事官に就任。以後、司法大臣秘書官兼司法省参事官、衆議院書記官兼内務省参事官、農商務大臣秘書官兼衆議院書記官兼農商務省参事官、農商務省水産局長などを歴任。 1908年(明治41年)8月、群馬県知事に就任。
石田 新太郎(いしだ しんたろう、1870年11月(明治3年… 石田 新太郎(いしだ しんたろう、1870年11月(明治3年11月)- 1927年(昭和2年)1月26日)は、明治・大正期の官僚、大日本帝国外地統治の陸軍教育者、慶應義塾幹事。 陸奥国田村郡三春町(現福島県田村郡三春町)生まれ。中学校を卒業し、明治22年(1889年)上京して国民英学会に入り、明治24年(1891年)1月慶應義塾大学部文学科に入学し、明治26年(1893年)12月卒業。卒業後に上野図書館において独学で教育及び心理の二学を修めて、高等師範学校教授谷本富と論戦を開く。 明治30年(1897年)の春、陸軍士官学校に出仕し、校長・安東貞美少将の下にて教程編述に参与し、幾ばくもなく寺内正毅少将の幕僚として策をたすける。
下岡 忠治(しもおか ちゅうじ、1870年10月26日(明治… 下岡 忠治(しもおか ちゅうじ、1870年10月26日(明治3年10月2日) - 1925年(大正14年)11月22日)は、日本の内務・農商務官僚、政治家。衆議院議員、朝鮮総督府政務総監。号・三峰。 庄屋・酒造業、下岡直一の二男として摂津国川辺郡広根村(現:兵庫県川辺郡猪名川町)で生まれる。一時東京に転居し、麹町小学校を卒業。その後は、官立大阪中学校、泊園書院、第三高等中学校を経て、1895年7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。第三高等中学校、帝国大学時代を通じての同級生に浜口雄幸と幣原喜重郎がいる。大学卒業後内務属となり内務省大臣官房文書課勤務となる。同年11月、文官高等試験に首席で合格。 1896年1月、熊本県参事官に就任し、京都府参事官、茨城県書記官、法制局参事官、兼法制局書記官などを歴任。
小橋 一太(こばし いちた、1870年10月25日〈明治3年… 小橋 一太(こばし いちた、1870年10月25日〈明治3年10月1日〉- 1939年〈昭和14年〉10月2日)は、日本の官僚、政治家。族籍は熊本県士族。 熊本県士族・小橋元雄の長男。旧制第五高等学校卒業。1898年(明治31年)、東京帝国大学法科大学英法科卒業。内務省の各局長を歴任。1918年(大正7年)、原内閣で内務次官に就任。1920年(大正9年)、立憲政友会より衆議院議員に当選(以後、3期連続当選)。1924年(大正13年)、清浦内閣で内閣書記官長に就任。 政友本党に参加し、政務調査会長・幹事長を歴任。1927年(昭和2年)、立憲民政党の結成に関わる。1929年(昭和4年)、濱口内閣で文部大臣に就任。
武藤 針五郎(むとう しんごろう、明治3年10月1日(187… 武藤 針五郎(むとう しんごろう、明治3年10月1日(1870年10月25日) - 大正15年(1926年)5月5日)は、台湾総督府官僚。桃園庁長、新竹庁長、台北市尹。 愛知県に岡本多丸の五男として生まれ、武藤寿蔵の養子となった。1888年(明治21年)、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業。1895年(明治28年)、大本営附として渡台し、以後は地方官を歴任した。 桃園庁長、新竹庁長、台北市尹、台湾総督府土木局長などを務めた。
宮木 又七(みやぎ またしち、明治3年9月28日(1870年… 宮木 又七(みやぎ またしち、明治3年9月28日(1870年10月22日) - 1929年(昭和4年)6月14日)は、朝鮮総督府官僚。 山梨県出身。平井家に生まれ、宮木経吉の養子となった。1899年(明治32年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業。統監府書記官となり、韓国政府の招聘で仁川税関長となった。1910年(明治43年)からは朝鮮総督府仁川税関長となる。その後、全羅南道長官、同知事を務めた。 退官後は日露実業株式会社社長に就任した。
佐柳 藤太(さやなぎ とうた、1870年10月14日(明治3… 佐柳 藤太(さやなぎ とうた、1870年10月14日(明治3年9月20日) - 1925年(大正14年)2月24日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、熊本市長、小樽市長。 讃岐国多度郡(後に仲多度郡豊原村、現:多度津町)で生まれる。第三高等学校を経て、1892年、東京法学院(現:中央大学)を卒業。1894年、弁護士試験に合格。1895年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1896年、内務省に入り県治局属となる。 以後、新潟県内務部第一課長、山形県内務部長、福岡県事務官・内務部長などを歴任。 1912年12月、滋賀県知事に就任。1914年4月、千葉県知事に転じた。米作、教育、社会教育の振興に尽した。
浜田 恒之助(はまだ つねのすけ、1870年10月13日(明… 浜田 恒之助(はまだ つねのすけ、1870年10月13日(明治3年9月19日) - 1945年(昭和20年)4月28日)は、日本の内務官僚。憲政会系府県知事。 土佐国安芸郡奈半利村出身。浜田愚一郎の三男として生まれる。第三高等学校を経て、1896年7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格した。内務省に入り内務属として警保局に配属された。 1897年4月、茨城県参事官に就任。以後、山梨県警察部長、石川県警察部長、宮城県警察部長、神奈川県警察部長、奈良県事務官、北海道事務官・第三部長などを歴任。 1910年6月、富山県知事に就任。1915年8月、宮城県知事に転任。
池田 十三郎(いけだ じゅうざぶろう、1870年8月29日〈… 池田 十三郎(いけだ じゅうざぶろう、1870年8月29日〈明治3年8月3日〉 - 1947年12月21日)は明治から大正にかけての逓信官僚。朝鮮総督府逓信局長官を務めた。 1870年8月29日、肥前国佐賀で、長崎県士族・池田陽雲の四男として生まれ、叔父・玄泰(1836年9月生)の養子となる。1892年、東京帝国大学法科大学独法学科を卒業し、法学士を取得。官吏になり、同年7月、東京郵便電信学校教授に就任。同年11月の茨城県出張、1895年の京都府出張などを経て、1906年1月10日より統監府通信管理局長、1910年に朝鮮総督府通信局長官、のち改称に伴い逓信局長官。1917年6月6日まで逓信局長官を務めて退官し、日本染料会社取締役社長に就任、1919年に退任。
宮館 貞一(みやだて ていいち、1870年(明治3年)7月 … 宮館 貞一(みやだて ていいち、1870年(明治3年)7月 - 1933年(昭和8年)10月26日)は、朝鮮総督府官僚。青森県弘前市長。 青森県弘前市出身。東奥義塾を経て、1891年(明治24年)に東京法学院(現在の中央大学)を卒業した。1895年(明治28年)、自由新聞社に入社し、翌年に警視庁警部となり、同外事係長となった。1906年(明治39年)、統監府に転じ、理事庁警視となった。朝鮮総督府警務総監部庶務課長、朝鮮総督府事務官、群山府尹、平壌府尹、大邱府尹を歴任した。1926年(大正15年)に退官した後は、京城府の英字新聞『セウル・プレス(英語版)』の社長に就任した。 1930年(昭和5年)7月、弘前市長に選任されたが、1933年8月に病のため辞職した。