鈴木 ヤスシ(すずき ヤスシ、1941年10月9日 - )は… 鈴木 ヤスシ(すずき ヤスシ、1941年10月9日 - )は、日本の歌手、俳優、司会者、タレント、声優。東京都大田区出身。旧名は鈴木 やすし(読み同じ)。 日本大学鶴ヶ丘高等学校、日本大学経済学部卒業。 1953年に劇団に入団。1957年に『背番号16-川上哲治物語』(NTV系)で川上選手の少年時代の役でテレビ初出演。大学時代には「ダンディーウェスト」を結成し、ロカビリー全盛期時代に活動。渥美清の最初の付き人でもあった。 1961年、ジャズ喫茶に出演している時にスカウトされ、フジテレビ『ジャズ・トーナメント』の司会と歌でレギュラーに抜擢。以後、東京12チャンネル『スターボウリング』、フジテレビ『キンカン素人民謡名人戦』、フジテレビ『勝ち抜きエレキ合戦』、日本テレビ『ホイホイミュージックスクール』の司会を務め、その他タレント・俳優・声優としても活動。
石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年〈昭和16年〉6月2… 石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年〈昭和16年〉6月20日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者、ナレーター、画家、作詞家。石坂ミュージカル・エンタープライズ社長。2015年10月からプロダクション尾木に所属。 本名は武藤 兵吉(むとう へいきち)で、親しい芸能人には「兵ちゃん」と呼ばれる。画家として1974年から1985年まで二科展に連続入選している。プラモデルの愛好家としても知られる。 東京府東京市京橋区木挽町(現:東京都中央区銀座)生まれの大田区田園調布出身。小さき花の幼稚園、大田区立田園調布小学校、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。神奈川県横浜市在住。
長沢 純(ながさわ じゅん、1941年6月17日 - 202… 長沢 純(ながさわ じゅん、1941年6月17日 - 2026年1月15日)は、日本の実業家、元スリーファンキーズのリーダー、テレビ番組の司会者、俳優、タレント。東京府(現東京都)出身。本名は、長澤 毅(ながさわ つよし)。 法政大学第二高等学校を卒業。法政大学法学部在学中に、アイドルコーラスグループ「スリーファンキーズ」を結成。長沢がリーダーとなり、高倉一志(現・藤健次)、高橋元太郎との三人組で、1962年1月に東芝レコードよりアルバム『スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード』でレコードデビュー。同年5月に1stシングル『でさのよツイスト』発売。若い女性を中心に人気を集め、男性アイドルグループの元祖的存在となったが、1966年2月に解散。
増田 貴光(ますだ たかみつ、1941年6月14日 - 20… 増田 貴光(ますだ たかみつ、1941年6月14日 - 2015年4月2日)は映画評論家、司会者、実業家。 元モデルで、『MEN'S CLUB』に登場したこともある。本名:増田元臣。東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区本郷)出身。 東京本郷で3代続いた看護婦家政婦紹介所経営者の家庭に生まれる。幼時に父を亡くし、母と姉に育てられた。 慶應義塾大学法学部在学中から増田貴光の筆名で「映画の友」に映画批評を寄稿。「ヴィスコンティの美は禁色にあり」と題するコラムを目にとめた三島由紀夫から手紙を貰い、以後三島と親交を結んだ。1970年に三島が自決すると「ぼくは三島先生に殉死したい」と語ったこともある。 大学卒業後、日本航空に入社するも1年で退社し渡米。
萩本 欽一(はぎもと きんいち、1941年〈昭和16年〉5月… 萩本 欽一(はぎもと きんいち、1941年〈昭和16年〉5月7日 - )は、日本のコメディアン、テレビ司会者。 1966年、相方の坂上二郎と結成した「コント55号」が絶大な人気を得て、60年代後半のテレビを席巻する。 70年以降は司会者としての単独活動も開始。特に80年代以降は彼の名前を冠したレギュラー番組が軒並み高視聴率を記録、「視聴率100%男」との異名を取った。また、これらの番組から始まった様々なお笑いのスタイルは(後述)その後のバラエティー番組へ多大なる影響を与えた。 昭和のバラエティー番組黄金期を代表する人物である。 日本野球連盟に所属する野球クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」創立者で、初代監督を務めた。
徳光 和夫(とくみつ かずお、1941年3月3日〈戸籍上は3… 徳光 和夫(とくみつ かずお、1941年3月3日〈戸籍上は3月10日〉 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、ニュースキャスター。日本ドッジボール協会顧問、株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ顧問、日本司会芸能協会顧問、海原会(学校法人海城学園OB会)会長。オフィス ラ・メール所属。マネジメントはソニー・ミュージックアーティスツと業務提携。元日本テレビアナウンサー。
吉川 精一(よしかわ せいいち、1941年1月30日 - )… 吉川 精一(よしかわ せいいち、1941年1月30日 - )は、日本の演歌歌手、エッセイスト、アナウンサー、司会者。東京都大田区出身。クオレ・ア・ドマーニ所属。
土居 まさる(どい まさる、1940年〈昭和15年〉8月22… 土居 まさる(どい まさる、1940年〈昭和15年〉8月22日1941年〈昭和16年〉8月22日 - 1999年〈平成11年〉1月18日)は、日本のアナウンサー(文化放送 → フリー)、ディスクジョッキー、タレント、司会者。本名は平川 巌彦(ひらかわ よしひこ)。静岡県沼津市出身。 愛知県出身で、後に静岡県田方郡天城湯ヶ島町(現在の伊豆市)で育つ。実際に育った集落は賀茂郡河津町湯ヶ野温泉であり、平川家も湯ヶ野に現存している。遠い親戚筋に当たる『伊豆の踊子』の宿福田家(稲穂家)が支援をしていた育ての親であるという話があり、湯ヶ野集落でお年寄りに話を聞くと「よしひこ(土居)は子供の頃から話をするのが上手だった」などの思い出話を聞くことができる。
板東 英二(ばんどう えいじ、1940年4月5日 - )は、… 板東 英二(ばんどう えいじ、1940年4月5日 - )は、日本の元プロ野球選手・野球解説者・タレント・司会者・俳優・実業家・YouTuber。愛称は板ちゃん(ばんちゃん)で、「坂東英二」は誤記である。
小野 ヤスシ(おの ヤスシ、1940年〈昭和15年〉2月11… 小野 ヤスシ(おの ヤスシ、1940年〈昭和15年〉2月11日 - 2012年〈平成24年〉6月28日)は、日本のタレント、コメディアン、俳優、司会者、ミュージシャン。鳥取県境港市出身。自称「鳥取が生んだスーパースター」。本名∶小野 泰。 父親の仕事の関係で日本統治下の朝鮮元山市に生まれる。幼少の頃に日本に引き揚げ、鳥取県境港市で育つ。鳥取県立境高等学校卒業、成城大学文芸学部中退。 「ザ・ドリフターズ」の初期のメンバーで、1960年「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」とグループ名を変更後、正式に参加する。 1964年、桜井輝夫の脱退後にリーダーの座を譲られた碇矢長一のワンマン体制に不満を持って、碇矢と対立した。
大野 しげひさ(おおの しげひさ、1940年1月15日 - … 大野 しげひさ(おおの しげひさ、1940年1月15日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者で、現在は番組制作会社・グリーンプロモーション の社長。本名は大野薫久(読み方は同じ)。血液型A型。身長170cm、体重68kg。3人兄妹(妹2人)の長男。 長野県松本市出身。中央大学高等学校中退。 バイタリティーあふれるキャラクターが持ち味。『走れ!ケー100』の伊賀山紋太、『がんばれ!!ロボコン』の大山新太郎(お父さん)役、『びっくり日本新記録』の司会などで一世を風靡した。CMでも活躍し、中でもシヤチハタは長年にわたって出演をした。その後芸能プロダクション『グリーンプロモーション』の面倒を見てくれないかという話があったことから、同社の業務に専念、水野美紀、宮澤寿梨(元ねずみっ子クラブ)を育てたが、1995年に事務所をいったん閉鎖し、休眠会社となる。
入川 保則(いりかわ やすのり、1939年〈昭和14年〉11… 入川 保則(いりかわ やすのり、1939年〈昭和14年〉11月10日 - 2011年〈平成23年〉12月24日)は、日本の俳優、司会者、声優、ナレーター、タレント。 兵庫県神戸市東灘区出身。関西学院高等部卒業。関西学院大学中退。身長は171cm。体重は70kg。 学生時代から俳優活動を在阪のテレビにて開始。数年後に活躍の場を広げるために上京した。現代劇と時代劇の両方で、主に脇役として活躍。刑事ドラマや時代劇の悪役、男性的な役どころが多かったが、喜劇的な役も洒脱にこなしていた。初期と中期は地元関西でのタレント・俳優活動が多かった。 3度の離婚歴があり、2度目の妻との間には娘が2人、3度目の妻であるホーン・ユキとの間には3人の息子がいる。
溝口 泰男(みぞぐち やすお、1939年〈昭和14年〉10月… 溝口 泰男(みぞぐち やすお、1939年〈昭和14年〉10月26日 - 1989年〈平成元年〉6月17日)は、栃木県出身のタレント、司会者、ジャーナリスト、日本教育テレビ→テレビ朝日専属契約キャスター。 栃木県で出生し、生後すぐ東京へ移った。学習院大学政経学部卒業。 経済誌の記者や月刊『今日』編集長を経て、選挙運動を通じて知り合った小田久栄門にスカウトされ、1969年に『奈良和モーニングショー』(NET、後のテレビ朝日)のサブ司会に抜擢され、テレビデビューを果たす。同時にNETとの専属契約を結んだ。 1977年5月からはメイン司会者(溝口泰男モーニングショー)となり、1983年3月末で政界進出のため番組を降板した。
森本 毅郎(もりもと たけろう、1939年〈昭和14年〉9月… 森本 毅郎(もりもと たけろう、1939年〈昭和14年〉9月18日 - )は、日本のフリーアナウンサー、総合司会者。元NHKアナウンサー、ニュースキャスター。番組制作会社株式会社ラダック(LADAK)の設立者。TBSラジオで30年以上続く長寿番組であり「首都圏で一番聴かれている朝の情報番組」ともなった『森本毅郎・スタンバイ!』のパーソナリティ。また、やはり30年以上の長寿番組となったTBS→BS-TBS『噂の!東京マガジン』の総合司会を務め、テレビドラマや映画などへも出演している。 東京府東京市中野区(現在の東京都中野区)で3男4女の7人きょうだいの三男として誕生。兄は評論家の森本哲郎。1944年12月、東京に戦火が落とされるのを恐れ、長野県長野市横沢町へ一家揃って疎開した。
広川 太一郎(ひろかわ たいちろう、1939年〈昭和14年〉… 広川 太一郎(ひろかわ たいちろう、1939年〈昭和14年〉2月15日 - 2008年〈平成20年〉3月3日)は、日本の俳優、声優、司会者、ラジオDJ。東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)出身。 妻は女優の加茂良子。実妹は声優兼歌手の広川あけみ。作曲家の藤森崇多は甥。 コメディ作品などにおける言葉遊びを駆使したアドリブや独特な口調は「広川節」などと呼ばれ親しまれた。 松竹、中田プロ、東名企画を経て、フリーランスで活動。個人事務所のオフィス広川を経営していた。 父親が大都映画所属のカメラマンだったこともあり、生後すぐから小学3年生頃まで映画に出演していた。 中野区立第九中学校(現:中野区立中野中学校)、東京都立文京高等学校卒業。
山城 新伍(やましろ しんご、1938年〈昭和13年〉11月… 山城 新伍(やましろ しんご、1938年〈昭和13年〉11月10日 - 2009年〈平成21年〉8月12日)は、日本の俳優・司会者・タレント・映画監督・映画評論家・声優。大橋巨泉と同様、知的・反権力・少しエッチな芸風の司会者として活躍した。最終所属はオフィスタッチ。本名は渡辺 安治(わたなべ やすじ)。京都市上京区出身。 元妻は花園ひろみ、娘は南夕花。 京都府京都市で開業医の子として生まれる。京都府立山城高等学校卒業。高校ではラグビー部に入っていた。両親と同じ道に進もうと医大への進学を考えて大阪医科大学、関西医科大学を受験したが、いずれも不合格だった。 医師の道を諦め、時代劇スターに憧れ、エキストラをやった後、東映ニューフェイス第4期に応募して、1957年に東映へ入社。
梅宮 辰夫(うめみや たつお、1938年〈昭和13年/康徳5… 梅宮 辰夫(うめみや たつお、1938年〈昭和13年/康徳5年〉3月11日 - 2019年〈令和元年〉12月12日)は、日本の俳優、タレント、司会者、実業家。娘はモデル・タレントの梅宮アンナ。 梅宮の先祖は、福島県会津若松市の城下で「梅宮屋」の名前で煙草を売っていた。梅宮の祖父・辰次郎が陸軍士官学校卒業後日露戦争に従軍。妻とともに満洲・奉天市に移住。辰次郎は関東軍参謀・板垣征四郎とも懇意の仲で、祖父の葬儀では板垣が弔文を読んだ。辰次郎の次男で父の次郎は同地で生まれ、満洲医科大学を卒業し医師となった後、満州国ハルビン特別市で満鉄病院に勤務していた。梅宮のほか弟と妹それぞれ2人ずつおり、5人兄弟の長男である。
伊藤 豪(いとう ごう、1938年3月4日 - )は、日本の… 伊藤 豪(いとう ごう、1938年3月4日 - )は、日本の俳優、司会者、ナレーター。東京電機大学高等学校、早稲田大学文学部演劇専修卒業。劇団アドック所属。 父は養蚕教師として郡是製糸に在籍し、戦時中は軍属としてインドネシアに派遣され、戦後は埼玉県にある郡是製糸株式会社の原料部に配属されていた。 本人は山形の母の実家で小学低学年時代を過ごしたが三年になる頃天童市(旧天童町)久野本に移住した。その後父の会社のある埼玉県鴻巣市に移住し、鴻巣中学校を卒業後東京電機大学高等学校に進む。 高等学校は電機大学への一過程でもあったが普通科が存在しており、そこに在籍した。他の科との違いは大学への進学科として、高校時代に文科系の内容を一通り習得する目的があったように思われる。
青空 はるお(あおぞら はるお、本名:坂上 洋祐〈さかうえ … 青空 はるお(あおぞら はるお、本名:坂上 洋祐〈さかうえ ようすけ〉、1937年11月5日 - 2010年代初頭)は、日本の漫才師、俳優、レポーター、司会者。 新潟県三条市出身。地元の中学校を卒業後、集団就職で上京。しばらくは会社員として勤務していたが、漫才師を目指して1959年にコロムビア・トップ・ライトに師事。同門の青空あきおと2人で「青空はるお・あきお」コンビを結成し、人気を博す。 1972年、12年に渡って組んで来たコンビを解散する。その後は単独でタレントとしてNTV系列の『テレビ三面記事 ウィークエンダー』や『ルックルックこんにちは』などに事件レポーターとして出演し、主に「男女関係のもつれによる事件」を担当する。
伊東 四朗(いとう しろう、本名: 伊藤 輝男、1937年〈… 伊東 四朗(いとう しろう、本名: 伊藤 輝男、1937年〈昭和12年〉6月15日 - )は、日本のコメディアン、俳優、タレント、テレビ司会者。日本喜劇人協会相談役。オルテ企画所属。東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)出身。血液型はO型。5人きょうだい(兄2人、姉1人、妹1人)の三男。 兄は教育評論家の伊藤竹三。息子は俳優・タレントの伊東孝明。 1937年6月15日、東京府東京市下谷区竹町(現在の東京都台東区台東)にて、服地商の子として生まれる。父親は静岡県榛原郡相良町(現在の牧之原市)、母親は同県掛川市の出身。男、女、男、男、女の5人きょうだいの上から4番目の三男が伊東。戦時中は母親の実家のある掛川市に疎開した。
園田 裕久(そのだ やすひさ、1937年4月6日 - )は、… 園田 裕久(そのだ やすひさ、1937年4月6日 - )は、日本の俳優、司会者、ナレーター。本名は同じ。 満洲国奉天市生まれ、大分県育ち。大分県立大分工業高等学校卒業。劇団東芸、劇団俳優小劇場、田村企画、オフィス三井を経て、三喜プロモーションに所属。 1957年に上京後、友人が芝居をやっていたことから自分も一緒に演劇の道に進む。 1968年、俳優小劇場入団(1972年退団)。 特技は動物の声帯模写。
柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年〈昭和12年〉1月7日… 柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年〈昭和12年〉1月7日 - 2022年〈令和4年〉4月16日)は、日本の俳優、司会者、タレント、声優、団体役員。 茨城県稲敷郡舟島村(現在の阿見町)出身。茨城県立土浦第一高等学校卒業。東京商船大学(現在の東京海洋大学)中退。竹内事務所に所属していた。 作庭家(庭師)としても活動し、第5代日本野鳥の会会長・名誉会長を務め、コウノトリファンクラブ会長も務めた。身長175cm。血液型O型。 柳生新陰流で知られる柳生宗厳(柳生氏)の末裔にあたる家系に誕生。 船員を目指し大学に入学したが、視力が悪く断念。その後体調を崩し中退。 その後、役者を志し、劇団俳優座の養成所へ入所。
山口 崇(やまぐち たかし、1936年11月17日 - )は… 山口 崇(やまぐち たかし、1936年11月17日 - )は、日本の俳優・テレビ司会者・長唄三味線奏者・民話研究家。本名:山口 岑芳(たかよし)。兵庫県三原郡阿那賀村(現:南あわじ市)出身。所属事務所はオフィス天童。長男は長唄唄方の杵屋巳津也(山口太郎)。長女は長唄三味線方の杵屋 巳織(きねや みおり)(山口由紀)。
野際 陽子(のぎわ ようこ、1936年〈昭和11年〉1月24… 野際 陽子(のぎわ ようこ、1936年〈昭和11年〉1月24日 - 2017年〈平成29年〉6月13日)は、日本の女優・アナウンサー・司会者・歌手・ナレーター・声優。特技は英語・フランス語。最後の所属事務所はラヴァンス。本名は同じ。 石川県河北郡津幡町で生まれ、富山県富山市で育ち、3歳から東京都杉並区天沼で育った。杉並区立杉並第五小学校、立教女学院中学校・高等学校、立教大学文学部英米文学科卒業。大学時代は初代ミス立教に選ばれ、ESSの英語劇セクションと劇団テアトルジュンヌに所属し、四大学英語劇大会など数々の作品に出演。大学時代の同期には俳優の高橋悦史、元プロ野球選手の杉浦忠や長嶋茂雄、アナウンサーの政田一喜や押阪忍がいる。
武部 宏(たけべ ひろし、1935年12月24日 - 202… 武部 宏(たけべ ひろし、1935年12月24日 - 2023年7月21日)は、ラジオパーソナリティ、司会者、プランツコーポレーション代表取締役会長であり、KBS京都の元アナウンサー。香川県立小豆島高等学校、神戸大学文学部卒業。宇治市に在住していた。既婚、1男2女あり。 京都府中郡峰山町(今の京丹後市)生まれ。3人兄弟の末っ子。父親は税務署員で、3歳で神戸に引っ越し、鵯越小学校に通った。小学校2年生当時の1943年、戦争の激化をうけて父親の本籍地である小豆島に引っ越し、高校卒業までを小豆島で過ごした。中学、高校と演劇をしていて、主役で活躍。神戸大学に進学し、サンドイッチマン、スナックのバーテンダー(アルバイト)などを経て、1959年に京都放送へ入社。
田宮 二郎(たみや じろう、1935年〈昭和10年〉8月25… 田宮 二郎(たみや じろう、1935年〈昭和10年〉8月25日 - 1978年〈昭和53年〉12月28日)は、日本の俳優・司会者。 1960年代から1970年代にかけて俳優として活躍、代表作は映画『悪名』シリーズ、映画『白い巨塔』、テレビドラマ『高原へいらっしゃい』など。ほかにクイズ番組『クイズタイムショック』の司会としても長らく親しまれた(1969年1月9日 - 1978年9月28日)。 大阪府大阪市北区出身。本名、柴田 吾郎(しばた ごろう)。生後4日で父を事故で失ったため幼少から高校時代にかけては京都市にて母方の祖父の家で育つ。祖父の柴田永三郎は金融業を営む資産家で、田宮の母は永三郎の養女で、父の栄吾(旧姓南川)はその入り婿だった。
芳村 真理(よしむら まり、1935年4月3日 - )は、日… 芳村 真理(よしむら まり、1935年4月3日 - )は、日本の女優、モデル、タレント、司会者。 個人事務所・フリーでの活動が長いが、かつてはHIRAKU(東京都港区元赤坂)、生島企画室(現在のFIRST AGENT)に所属していたこともある。 芳村は「夜ヒット」を初め「FNS歌謡祭'77〜'86グランプリ」「新春かくし芸大会」というフジテレビの年末年始の一大イベントといえる大型番組を長年担当した。「小川宏ショー」「3時のあなた」といったフジテレビワイドショー番組の源流である2番組のホステス役も務める。
高田 敏江(たかだ としえ、1935年〈昭和10年〉3月3日… 高田 敏江(たかだ としえ、1935年〈昭和10年〉3月3日 - )は、日本の女優・司会者。 群馬県前橋市出身。群馬大学教育学部附属中学校、群馬県立前橋女子高等学校卒業。日本社会事業短期大学中退。夫は心理学者の相場均(1976年死別)。アニマ・エージェンシー所属。身長156cm、血液型AB型。 1954年、東映ニューフェイスの第1期生となり、高原紀子の芸名でデビュー(同期は中原ひとみ、山本麟一、南原宏治など)。 その後、劇団民藝に入団し、1971年の退団まで活動。 1950年代から1960年代にかけては、日活映画にも出演した。 テレビドラマでは多数の作品で母親役として起用された。 『アフタヌーンショー』では桂小金治と司会を務めた。
押阪 忍(おしざか しのぶ、1935年〈昭和10年〉2月28… 押阪 忍(おしざか しのぶ、1935年〈昭和10年〉2月28日 - 2024年〈令和6年〉6月29日)は、日本のフリーアナウンサー、司会者、タレント、芸能プロモーター。元日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日)アナウンサー。 岡山県津山市出身。「押阪」姓は飛鳥時代の皇族・押坂彦人大兄皇子がルーツという。岡山県立津山高等学校、立教大学経済学部を卒業した。5人兄弟の末っ子で、上の4人をすべて結核で失い、母親も早くに亡くした。そのため、同大学時代は実父の知人であった出羽海親方(元横綱・常ノ花)の伝手で出羽海部屋の書生を務めており、アナウンサーの中では非常に珍しい苦学生だった。 1958年4月、開局を翌年に控えた『日本教育テレビ』(NETテレビ、現在のテレビ朝日)にアナウンサーとして入社した。
新野 新(しんの しん、1935年〈昭和10年〉2月23日 … 新野 新(しんの しん、1935年〈昭和10年〉2月23日 - 2025年〈令和7年〉9月25日)は、日本の放送作家、ラジオパーソナリティー、司会者。 大阪府大阪市出身。放送作家集団「ペン企画」主宰を池田幾三とともに務めたほか、放送作家などの養成スクールである心斎橋大学総長も務めた。
浜村 淳(はまむら じゅん、1935年〈昭和10年〉1月10… 浜村 淳(はまむら じゅん、1935年〈昭和10年〉1月10日 - )は、日本の司会者、タレント、パーソナリティ、映画評論家。本名は塩濱 眞(しおはま まこと)。既婚者で、妻もかつてタレントとして活動していた。 京都府京都市の出身。家庭の事情(両親が上海に渡った)から2歳で養子に出されたため、本名の苗字(塩濱)は子供がいなかった母方の伯母夫妻にあたる養父母の苗字でもある。 京都市立旭丘中学校、京都府立山城高等学校を経て、同志社大学文学部を卒業。俳優の田村高廣、小説家で弁護士の和久峻三、元阪神タイガース監督の吉田義男は高校の先輩、俳優の山城新伍、元サッカー選手(日本代表)の釜本邦茂、元毎日放送アナウンサーの野村啓司、シンガーソングライターの尾崎亜美は、高校の後輩である。
青空 うれし(あおぞら うれし、1935年1月5日 - )は… 青空 うれし(あおぞら うれし、1935年1月5日 - )は、東京都中央区日本橋出身の司会者、漫談家。駒澤大学卒業。本名:島田 寿三 。 学生時代から素人漫才コンクールで鳴らし、1958年にコロムビア・トップ・ライトに入門。1960年6月に漫才コンビ「青空うれし・たのし」を結成、いきなり売っ子になる。漫才のみならず1955年から2年間歌謡ショーで岡晴夫の司会を担当、それを皮切りに村田英雄、五月みどりの専属司会等にも幅広く活躍するが、お互いピンの仕事が増えて行き違いが多くなり、1981年の満20年を期にコンビを解消。 その後はピンの漫談家、司会業、レポーター業の傍ら講演活動にも力を入れ、春日三球と巣鴨つながりのコンビで掛け合いを見せることもある。
山本 文郎(やまもと ふみお、1934年〈昭和9年〉12月2… 山本 文郎(やまもと ふみお、1934年〈昭和9年〉12月23日 - 2014年〈平成26年〉2月26日)は、日本のフリーアナウンサー、司会者、タレント。TBSアナウンサー5期生。愛称は文さん(ぶんさん)またはブンさん。妻はタレントの山本由美子。 東京市小石川区(現在:東京都文京区小石川)出身。一人っ子。1994年9月にTBSを退職してからは、個人事務所の「オフィスぶん」に所属していた。 1944年、母方の実家がある島根県に1人で疎開する。 父親は開業医だったが、第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍へ召集。広島陸軍病院勤務中の1945年8月6日に被爆して全身に火傷を負った末、15日後に死去した。母親は薬剤師で、父親と死別後、一人息子である山本を連れて子連れ同士で再婚。
牧 伸二(まき しんじ、本名:大井 守常〈おおい もりつね〉… 牧 伸二(まき しんじ、本名:大井 守常〈おおい もりつね〉、1934年9月26日 - 2013年4月29日)は、日本のウクレレ漫談家、司会者。牧プロダクション所属。東京演芸協会第6代会長。 ハワイアンをアレンジした曲に、「やんなっちゃった」などのフレーズで社会批評を乗せて歌う、ウクレレ漫談の創始者。ギターに持ち替えたこともある。ベテランになってからもレゲエやロックンロールに挑戦した。弟子に泉ピン子、牧ひろし(現・所属事務所社長)、牧田博(牧野周一一門。弟弟子)、牧タカシ、牧のぼる、牧正、藤井康一(牧伸三)らがいる。 東京都目黒区で板金屋の5人兄姉の末っ子として出生し、間もなく向島に転居。戦時中は岩手県の寺に疎開、中学の1年後輩に立川談志がいる。
水口 義朗(みずぐち よしろう、1934年9月6日 - )は… 水口 義朗(みずぐち よしろう、1934年9月6日 - )は、編集者、ジャーナリスト、テレビ司会者である。 東京出身。早稲田大学第一文学部、大学院文学研究科ドイツ文学専攻科修士課程修了。 1959年に中央公論社入社。『中央公論』副編集長、『婦人公論』編集長などを務めた。 1986年4月~1994年3月、テレビ朝日系ワイドショー『こんにちは2時』(朝日放送など一部地域を除く)の司会者。 1994年、「婦人公論」編集長・主幹に再任。 大正大学「ジャーナリズム論」講師。サイバー大学客員教授(言論・表現の不自由-文学作品を中心に-)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宝田 明(たからだ あきら、1934年4月29日 - )は、… 宝田 明(たからだ あきら、1934年4月29日 - )は、日本の映画俳優、タレント、声優、司会者である。
大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月2… 大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月22日 - 2016年〈平成28年〉7月12日)は、日本のテレビタレント、司会者、俳人、放送作家、政治家。この他、競馬評論家、ジャズ評論家、時事評論家としての活動も行い、馬主でもあるなど、日本のマルチタレントの先駆けとなった。実業家・芸能プロモーターとしてもオーケープロダクション(旧・大橋巨泉事務所)を創業し、取締役会長を務めたほか、一部の国で、お土産物屋「オーケーギフトショップ」を経営するオーケーギフトショップグループの取締役社長を務めた。また、政治家として参議院議員を務め、会派は民主党・新緑風会に所属した。 本名は大橋 克巳(おおはし かつみ)。
玉置 宏(たまおき ひろし、1934年1月5日 - 2010… 玉置 宏(たまおき ひろし、1934年1月5日 - 2010年2月11日)は、日本のフリーアナウンサー、テレビ司会者である。 本名は玉置 宏行()。日本司会芸能協会名誉会長、横浜にぎわい座初代館長。 神奈川県川崎市川崎区南町の遊郭入口でタマオキ米屋を営んでいた玉置義作と、小学校教師の玉子の5人兄弟の長男として生まれる。神奈川県立川崎高等学校、明治大学商学部卒業。 大学卒業後、1956年文化放送にアナウンサーとして入社。1958年、三橋美智也の勧めで退社しフリーに転身。以後、司会を中心にテレビ・ラジオ・舞台などで活動。同年から1977年までTBS『ロッテ歌のアルバム』を務める。当時としては斬新な司会の手法は人気を呼び、19年・1,000回、1967年からNET『象印スターものまね大合戦』を10年務める。
児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日 - 2011年… 児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日 - 2011年5月16日)は、日本の俳優、タレント、テレビ司会者、作家。東京府東京市滝野川区(現在の東京都北区)出身。学習院大学文学部ドイツ文学科卒業。本名は北川 清(きたがわ きよし)。出生名および旧芸名は小玉 清(こだま きよし)。 元児玉清事務所代表取締役。事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ元専務取締役。妻は元女優の北川町子。長男は元タレントで児玉清事務所代表取締役兼事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ代表取締役社長の北川大祐。 俳優業・司会業で人気を博した他、書評や政治評論でも存在感を示し、後者では保守の立場から日本の現状への憂いなどを綴った文章を度々寄稿していた。
宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1… 宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1933年〈昭和8年〉12月6日 - 2020年〈令和2年〉1月18日)は、日本の俳優・タレント・司会者。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。愛称は「エースのジョー」。 妻はエッセイスト、宍戸游子。宍戸開は長男、宍戸史絵(現・紫しえ)は長女、郷鍈治は実弟、ちあきなおみは義妹(実弟・郷鍈治の妻)。大阪府桜宮(現在の大阪市都島区)出身。宮城県白石高等学校卒業、日本大学藝術学部演劇科中退。 父の左義右は1898年9月、現在の福島県伊達市に生まれた。兄に義一郎がいた。錠によれば母の文は神奈川県横浜市出身だが、母親自身の話では父(錠の祖父)が台湾総督の副官であり、台湾で生まれ、父の転勤で日本へ戻り、静岡県浜松市で育ったと述べている。
黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ、1933年8月9日 - )は… 黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ、1933年8月9日 - )は、日本の女優、タレント、テレビ司会者、エッセイスト。愛称は、トットちゃん、チャック。 吉田名保美事務所所属。日本史上最初のテレビ出演者のひとりで、ニュースショーのキャスターや、トーク番組の司会を女性では初めて務めた。日本芸術院会員。1984年から現在までユニセフ親善大使。 日本でテレビの放送を開始した初日(1953年2月1日)からテレビ出演を続ける、日本史上最初のテレビ女優である。テレビ草創期から活躍を続けるタレントの一人として知られ、日本史上最初のテレビ女優としては唯一、21世紀に至るまでテレビ番組のレギュラーを継続して持ち続けており、日本のテレビ放送史を代表する芸能人の1人であると言える。
山田 康雄(やまだ やすお、本名:同じ、1932年9月10日… 山田 康雄(やまだ やすお、本名:同じ、1932年9月10日 - 1995年3月19日)は、日本の俳優、声優、司会者、ナレーターである。テアトル・エコーに所属していた。
田畑 彦右衛門(たばた ひこえもん、1932年〈昭和7年〉8… 田畑 彦右衛門(たばた ひこえもん、1932年〈昭和7年〉8月1日 - )は日本の社会評論家、司会者、三重県総合文化センター総長、元NHK解説委員。 三重県上野市(現・伊賀市)出身。三重県立上野高等学校を経て早稲田大学政治経済学部卒業後、1955年にNHKに入局。 情報番組『600 こちら情報部』で時事解説を務めた(大事件の発生で「600」が急遽中止になった時は、そのままスケジュールを流用して臨時ニュースのキャスターをつとめたりしていた)ほか、クイズ番組『クイズ百点満点』では、クイズの解説を務めた。 1994年3月、『クイズ百点満点』終了とともにNHKを退職。その後、社会評論家、コラムニストとして講演や執筆活動を中心に活動している。
青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17… 青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17日 - 2006年〈平成18年〉12月20日)は、日本の政治家、小説家、作詞家、タレント、テレビ司会者、俳優、放送作家、映画監督、歌手。位階は正四位。 参議院議員(5期)、第二院クラブ代表(初代・第5代)、東京都知事(第13代)等を歴任した。 テレビ業界で当初は放送作家として成功し、高度成長期を歌った「スーダラ節」を作詞する。クレージーキャッツ主演の映画はもとより、『若大将シリーズ』などでも映画の主題歌を作詞した。主演したドラマ『いじわるばあさん』では国民的キャラクターとして定着し、小説を執筆すれば処女作『人間万事塞翁が丙午』が直木賞を受賞するなど、多才の人として知られ、「超マルチタレント」と呼ばれた。
小林 完吾(こばやし かんご、1932年4月27日 - )は… 小林 完吾(こばやし かんご、1932年4月27日 - )は、日本のアナウンサー、ニュースキャスター、司会者、ジャーナリスト、タレント。CMにも出演。愛称は「完吾さん」。 1960年2月6日、ラジオ南日本(現在の南日本放送)に入社し、放送業界に入った。1963年9月2日、日本テレビ放送網に移籍した。1992年4月、日本テレビ放送網を定年退職した。フリーアナウンサーとなり、オフィスこばやしを立ち上げた。 神奈川県鎌倉市出身。6人兄弟(兄2・姉2・弟)の5番目で三男である。両親はともに東京都出身である。祖父は洋画家の小林萬吾、母方の祖父は医学博士の中島譲吉である。親戚には元九州朝日放送アナウンサーで現在の福岡市長である高島宗一郎がいる。
金原 二郎(きんばら じろう、1932年2月2日 - 199… 金原 二郎(きんばら じろう、1932年2月2日 - 1997年4月26日)は、日本の司会者、アナウンサー。東京府(のちの東京都)出身。 早稲田大学教育学部卒業後、1954年(昭和29年)に日本テレビへアナウンサーとして入社。ワイドショー『金原二郎ショー』のほか、『底ぬけ脱線ゲーム』などのバラエティ番組の司会を務めた。この他に皇太子明仁親王(第125代天皇)の成婚パレードの実況、東京オリンピックの開会式実況、吉田茂の国葬中継実況、静岡第一テレビ開局[要説明]、アナウンス部長を務めた。 早稲田大学の同期には元毎日放送アナウンサーの小池清や元読売ジャイアンツ選手の広岡達朗、俳優の宇津井健(中退)などがいる。
相倉 久人 (あいくら ひさと、1931年12月8日 - 2… 相倉 久人 (あいくら ひさと、1931年12月8日 - 2015年7月8日)は、東京府出身の音楽評論家、ジャズ司会者。 サウンド自体の評論ではなく、演奏者と聴衆の関係性、あるいはある音楽がその時代に生まれた意味合いを社会的なデータと絡めながら論じるなど、一種の社会論的な評論をするのが特徴。2007年に出版した『新書で入門 ジャズの歴史』では、自分がジャズから離れた(後述)後の時代のジャズをポスト・モダンの一言で片付ける荒業を見せた。 東京大森・馬込(現・東京都大田区)生まれ。東京陸軍幼年学校在学中に終戦を迎える。第49期生で同期に西村京太郎。 東京大学(文学部美学美術史学科、のちに中退)在学中からジャズ喫茶「コンボ」に入り浸り、ジャズ評論を書き始め、『ミュージック・ライフ』誌でデビュー。
いかりや 長介(いかりや ちょうすけ、1931年〈昭和6年〉… いかりや 長介(いかりや ちょうすけ、1931年〈昭和6年〉11月1日 - 2004年〈平成16年〉3月20日)は、日本の男性コメディアン、ミュージシャン(ベーシスト)、俳優、司会者。「ザ・ドリフターズ」の3代目リーダー。東京市本所区中之郷横川町(現在の東京都墨田区東駒形)出身。本名は碇矢 長一(いかりや ちょういち)。後年は俳優としても活動した。 愛称は「長さん」。ドリフ時代初期は芸名を「いかり矢 長介」としていた。ドリフ映画で使われる呼び名は「ゴリラ」「下唇」。身長175.2cm。 東京府東京市本所区中之郷横川町(現・東京都墨田区東駒形)生まれ。渡辺プロダクションを経てイザワオフィスに所属し、没後もイザワオフィス所属扱いとなっている。
青空 たのし(あおぞら たのし、1931年10月30日 - … 青空 たのし(あおぞら たのし、1931年10月30日 - 2021年8月24日)は、ハーモニカ漫談家、元漫才師、司会者、ラジオパーソナリティ。東京都台東区浅草出身。本名:北川 要。旧芸名:神田 一郎、青空 田の志。 コロムビア・トップ・ライト門下で「青空たのし」を名乗った人物は3人いる。 1949年9月、双葉バラエティー団で初舞台を踏んだ。その後浅草松竹楽劇団員、1955年からは岡晴夫歌謡ショー専属司会者を経て、1958年に中野四郎(元『ハッピーボーイズ』の瓶九郎)と立体司会コンビを組み、松山恵子歌謡ショー専属司会者として巡業した。 1960年6月にコロムビア・トップ・ライト同門の司会者・島田寿三(青空うれし)と、漫才コンビ青空うれし・たのしを結成した。
高崎 一郎(たかさき いちろう、本名:俊威 ジョニー 高崎(… 高崎 一郎(たかさき いちろう、本名:俊威 ジョニー 高崎(としたけ ジョニー たかさき)、1931年5月13日 - 2013年8月10日)は司会者。元ニッポン放送プロデューサー・パーソナリティ、パシフィック音楽出版(フジパシフィック音楽出版の前身)社長。三越顧問。血液型はB型。