葉山 莞児(はやま かんじ、1937年1月1日 - )は、大… 葉山 莞児(はやま かんじ、1937年1月1日 - )は、大成建設の元・代表取締役会長。 神奈川県出身。1960年、東京大学工学部土木学科を卒業。大成建設株式会社に入社。営業本部営業部長、取締役、常務、専務、代表取締役副社長を経て、2001年4月、代表取締役社長(前任は平島治)。2007年4月、山内隆司取締役専務の社長就任にともない代表取締役会長となった。2009年4月30日、会長を辞任して相談役最高顧問となり、2010年相談役。 2009年に日本土木工業協会の会長職からも退いたが、日本ダム協会の会長は続け、2009年11月には、民主党・前原誠司国土交通相が建設業者数の過剰感を指摘したことに対して「これからは建設業に対して延命的な政策はとってほしくない」「余った人材は他産業で抱えてもらいたい」と語った。
水野 久美(、1937年〈昭和12年〉1月1日 - )は、日… 水野 久美(、1937年〈昭和12年〉1月1日 - )は、日本の女優・タレント。本名は五十嵐 麻耶。高瀬プロダクションを経てオフィスPSCに所属。 新潟県三条市出身。実家は写真館を経営。新潟県立三条東高等学校卒業。 実家の隣が「三条座」という劇場であったことから、江利チエミや美空ひばりのショーや歌舞伎の演目などを観劇しているうちに役者を志すようになった。シェイクスピア悲劇『リア王』のコーディリア姫役を中学で演じ、本物の涙を流す演技をしたことでますます「舞台への思い」が強くなり、高校在学中には演劇部に所属し、『源氏物語』の「末摘花」などの発表会では3年連続でヒロイン役を演じたほか、ティーンエイジャー向け雑誌・ジュニアそれいゆ主催によるミス・ジュニアそれいゆで1位に選出された。
野村 徹(のむら とおる、1937年1月1日 - 2026年… 野村 徹(のむら とおる、1937年1月1日 - 2026年4月8日)は、大阪府出身の野球選手(捕手)・コーチ・監督。 北野高校卒業後の1957年に早稲田大学へ進学し、東京六大学リーグでは在学中2度優勝に貢献するなど頭脳派捕手として活躍。3年次の1959年春季では同期の金沢宏、1年下の安藤元博の両投手とバッテリーを組み、木次文夫、徳武定之らの強力打線の援護もあって、4連覇を続けてきた立大に競り勝ち優勝を飾る。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で再試合の末、関学を降し優勝。4年次の1960年秋季の早慶六連戦では全6試合にマスクを被り、安藤元の力投を支えた。リーグ通算59試合出場、179打数40安打、打率.223、0本塁打、16打点。
加藤 雅(かとう まさし、1937年1月1日 - 2005年… 加藤 雅(かとう まさし、1937年1月1日 - 2005年6月23日)は、日本の経済学者。元経済企画庁経済企画審議官。東京都出身。 東京大学経済学部経済学科、同商業学科卒業。1962年、経済企画庁入庁。オックスフォード大学留学を経て、調査局海外調査課長、国民生活局長、経済企画審議官。1985年~1987年には経済白書執筆を担当。 1994年、東京経済大学経済学部教授。日本経済調査協議会特別顧問。 研究分野は、経済政策、規制緩和、景気変動論。所属学会は日本計画行政学会、景気循環学会、統計研究会、日本財政学会。 2005年6月23日、心不全のため神奈川県川崎市内の病院にて逝去。68歳歿。
藤谷 光信(ふじたに こうしん、1937年1月1日 - )は… 藤谷 光信(ふじたに こうしん、1937年1月1日 - )は、日本の政治家、僧侶。浄土真宗本願寺派。教蓮寺(山口県岩国市)住職、学校法人理事長、参議院議員(1期)、山口県議会議員(4期)、旧岩国市議会議員(4期)などを務めた。 1955年山口県立岩国高等学校卒業。 1960年龍谷大学文学部卒業。高等学校教諭を経て住職となる。 1960年、岩国演劇研究会「劇団のんた」を創立し、代表者となる。同劇団の活動で2010年に正力松太郎賞受賞。1988年には児童劇団「ゆりかご」を設立した。 旧岩国市議会議員(4期)・山口県議会議員(4期)を経る。 2007年、第21回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区より出馬、35名中17位で当選。
宮下 裕(みやした ゆたか、1937年〈昭和12年〉1月1日… 宮下 裕(みやした ゆたか、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2014年〈平成26年〉8月16日)は、日本の航空自衛官、政治家。香川県善通寺市長(4期)。最終階級は空将。航空自衛隊航空総隊司令官。 香川県出身。尽誠学園高等学校を経て、1959年、防衛大学校電気科卒。同年、航空自衛隊入隊。 1989年、航空開発実験集団司令官、1990年、西部航空方面隊司令官、1991年、統合幕僚学校校長、同年、統合幕僚会議事務局長、1992年、航空自衛隊航空総隊司令官、1993年に退官。 その後、帰郷し1994年に善通寺市長選挙に立候補し初当選。市長在職中には職員削減や市の財政健全化を推進した。1998年、2002年、2006年の市長選挙はいずれも無投票当選だった。
新川 秀清(あらかわ しゅうせい、1937年1月1日 - )… 新川 秀清(あらかわ しゅうせい、1937年1月1日 - )は、日本の政治家、沖縄市長、沖縄県議会議員などを歴任した。 1937年、越来村仲原(後の沖縄市の一部)に生まれ、コザ高等学校に学ぶ。 高校卒業後、沖縄群島社会福祉協議会(のち、沖縄社会福祉協議会:沖縄県社会福祉協議会の前身)に勤務する。この頃には、地元のコザ市山里で青年会長を務めており、1958年ころには、それまで男性だけが踊っていたエイサーへの女性の参加を進めるなどした。 1967年に当時のコザ市役所に入り、経済民生部長を務め、沖縄市となった後には福祉部長、経済部長、中部広域市町村協議会事務局長などを歴任し、1989年に退職した。 1990年の沖縄市長選挙に、日本社会党、日本共産党、沖縄社会大衆党の推薦と、公明党の支持を得て出馬し、4選を目指していた現職の桑江朝幸を破って初当選を果たした。
柴田 光蔵(しばた みつぞう、1937年1月1日 - 202… 柴田 光蔵(しばた みつぞう、1937年1月1日 - 2022年11月8日)は、日本の法学者(ローマ法・比較法文化論)。京都大学名誉教授。法学博士(京都大学)。 幼少期よりギリシア神話・ローマ神話の本をきっかけに、西洋古典古代の歴史に興味を持つ。京都大学法学部入学後、最初の3年間は司法試験と公務員試験の勉強に取り組むが、3回生の秋に杉村敏正の行政法ゼミからローマ法ゼミに転籍してローマ法学者・田中周友と出会ったこともあり、3回生の期末試験後、ローマ法の研究者になることを決意する。 4回生の秋、京都大学文学部で「ローマ史」を教えていた井上智勇に「ローマ史研究の中で、もっともわかりにくいところは何でしょうか」と尋ねたところ「裁判だよ」との回答を得て、ローマ史という枠組みの中でローマ法の研究を試みる、という姿勢を決めた。
湯田 幸永(ゆだ こうえい、1937年〈昭和12年〉1月1日… 湯田 幸永(ゆだ こうえい、1937年〈昭和12年〉1月1日 - )は、日本の政治家。元新潟県新津市(現・新潟市)長(3期)。旭日双光章。 新潟県中蒲原郡新津町(のち新津市を経て、新潟市)出身。新潟大学農学部卒。卒業後は新津市役所に入り、企画調整課長、収入役などを務める。2000年の新津市長選挙に立候補し、初当選。2004年2月に再選。同年10月の市長選では無投票で三選を果たした。翌年新津市は新潟市と合併したため、最後の新津市長となった。2016年秋の叙勲で旭日双光章を受章。
相原 隆(あいはら たかし、1937年1月1日 - 2019… 相原 隆(あいはら たかし、1937年1月1日 - 2019年6月8日)は、日本の経営者。日動火災海上保険(現在の東京海上日動火災保険)社長を務めた。 東京都出身。1960年に早稲田大学第一政治経済学部を卒業し、同年に日動火災海上保険に入社。1987年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1995年6月には社長に就任。2001年6月には会長に就任。 2019年6月8日に膵臓癌のために死去。82歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
片岡 直公(かたおか なおきみ、1937年〈昭和12年〉1月… 片岡 直公(かたおか なおきみ、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2025年〈令和7年〉5月23日)は、千葉県市川市出身の日本の実業家。位階は正五位。全日警創業者。全国警備業協会会長などを歴任した。 立教大学社会学部卒業後に父親が経営する、白黒ニュースフイルムを再生する会社の「三栄映材」に入社し、専務取締役に就任。 映画産業の衰退から転職を考えていた際に1964年(昭和39年)開催の東京オリンピックでの開会式見学後に立ち寄った選手村でのきびきび動く警備員の姿を見て、感銘を受けた。1966年(昭和41年)に友人5人と全日警を設立。当時は警備業の認知度も低かったため、片岡ら幹部自らが実演を交えた営業を行うこともあった。
市野 道弘(いちの みちひろ、1937年〈昭和12年〉1月1… 市野 道弘(いちの みちひろ、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2019年〈平成31年〉10月28日)は、日本の写真家(富士山)。静岡県駿東郡小泉村久根出身。35年以上、富士山だけを被写体に、写真撮影を行った。現代の写真家では珍しく、リバーサルフィルムだけを使用した写真撮影にこだわった。主に使用していた機材は、HASSELBLAD 503CW(ハッセル・ブラッド)、FUJIFILM GA645Zi(フジフイルム)である。リバーサルフィルムは、FUJIFILM Velvia100 Professional(フジフイルム)を多用した。元フォトクラブ赤富士&岩波会長。元矢崎総業常務取締役。元(株)エーライフ矢崎社長。
高谷 茂男(たかや しげお、1937年〈昭和12年〉1月1日… 高谷 茂男(たかや しげお、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2024年〈令和6年〉8月8日)は、日本の政治家、実業家。岡山県岡山市長(第33・34代)。 岡山県総社市出身。岡山大学法経短期大学部法経科第二部卒業。1959年、岡三證券(現:岡三証券グループ)に入社し、岡山支店に勤務する。1964年、山陽玩具(現:サンヨープレジャー)代表取締役社長に就任。その後、1995年におもちゃ王国代表取締役社長、2001年にチボリ・ジャパン(倉敷チボリ公園の運営企業)代表取締役社長に就任する。また社団法人日本青年会議所岡山ブロック協議会副会長(1977年〜)、岡山市商店会連合会副会長(1985年〜)、岡山商工会議所副会頭(1995年〜)、社団法人岡山西法人会会長(2003年〜)、社団法人岡山経済同友会常任幹事(2005年~)等の役職を歴任した。
田中 昭一(たなか しょういち、1937年(昭和12年)1月… 田中 昭一(たなか しょういち、1937年(昭和12年)1月1日 - 2025年(令和7年)10月15日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(1期)である。 1937年、千葉県船橋市に生まれる。船橋市立法田中学校卒業。その後は農業に従事する。1971年(昭和46年)に船橋市議会議員に当選。後に1期を務めた。1975年(昭和50年)の千葉県議会議員に初当選し、後に6期を務め、1995年(平成7年)5月に千葉県議会議長に就任。 1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙において千葉県第4区から自民党公認で立候補し、新進党現職の野田佳彦ら3人を破って当選した。特に、野田との差はわずか105票差であった。
福島 鑄郎(福島 鋳郎、ふくしま じゅうろう、1936年1月… 福島 鑄郎(福島 鋳郎、ふくしま じゅうろう、1936年1月1日- 2006年6月)は、日本の戦後雑誌・出版史の研究者、雑誌収集家。プランゲ文庫の存在を、いち早く日本に広く紹介したことでも知られる。日本出版学会会員、メディア史研究会会員、大衆文学研究会会員、占領史研究会会員。 本稿では可能な限り初出に従って、「鑄」「鋳」の別を個別の著作に付記した。 栃木県生まれ。本名・重信。1954年栃木県立馬頭高等学校卒業後、昼間に古書店巡りの時間を確保するため、日販や藤沢市民病院などで警備員を務めながら、雑誌の収集や研究に励んだ。1972年11月3日、竹前栄治・天川晃とともに日本占領史研究会(1992年解散)を設立。
中村 桂子(なかむら けいこ、1936年(昭和11年)1月1… 中村 桂子(なかむら けいこ、1936年(昭和11年)1月1日 - )は、生命誌研究者、JT生命誌研究館名誉館長。理学博士(東京大学、1964年)。東京府出身。長女は、スウェーデン語講師、翻訳家の中村友子。 東大理学部卒。企業所属の生命科学研究所開設に際し研究員となる。人間社会との接点を測りながら遺伝子研究に携わる。生命体の本質を知るには生物の履歴が必要と考え、生命誌研究館を設立。著書に『生命科学から生命誌へ』(1991年)など。
冨田 正一(とみた しょういち、1936年1月1日 - )は… 冨田 正一(とみた しょういち、1936年1月1日 - )は、日本の元アイスホッケー選手。ポジションはゴールキーパー。元日本アイスホッケー連盟会長、元国際アイスホッケー連盟副会長、初代アジアリーグアイスホッケーチェアマン、元日本オリンピック委員会国際委員会委員長。 東京都中央区京橋出身、ふすま紙や表具などの資材を扱う問屋の家に生まれた。明大明治中学・高校・明治大学卒業。 東京都で生まれ育ったが、小学校6年間は疎開で5つの学校に通った、少年時代は柔道やテニスに打ち込んでおり講道館に通っていたが、中学3年の時、スベン・ヨハンソン(英語版)(スウェーデン)との出会いをきっかけに明治高校のアイスホッケー部の練習に参加、高校進学後に正式に入部した。
岡本 日出士(おかもと ひでし、1936年(昭和11年)1月… 岡本 日出士(おかもと ひでし、1936年(昭和11年)1月1日 - )は、日本の政治家。元大阪府大東市長(3期)。旭日小綬章受章。 大阪府出身。1954年大阪市立都島工業高等学校(現・大阪府立都島工業高等学校)卒。同年盛工務店に勤務。のち岡本建設を設立、社長となる。ほか四条保育園理事長なども務める。 政治面では1976年に大東市議会議員に当選し、2期務め、市議会副議長を務めた。2000年大東市長選挙に立候補し、現職の近藤松次を破って初当選。2004年に再選。2008年に三選。2012年に退任した。
松尾 陽(まつお よう) 松尾 陽(まつお よう、1936年… 松尾 陽(まつお よう) 松尾 陽(まつお よう、1936年1月1日 - 2012年1月30日)は、日本の建築設備工学者。 専門は、建築環境工学・建築設備。東京大学名誉教授。元 明治大学教授。工学博士。 建築伝熱や建築の省エネルギーの分野において、多大な業績を残す。 熱負荷および空調負荷計算の分野では、標準気象データの整備や熱負荷・空調システム計算プログラムHASP/ACLDの開発に携わる。 1983年には「外界気象の影響下における建築物の熱的挙動並びに熱負荷に関する一連の研究」で日本建築学会賞(論文)を受賞。 空気調和・衛生工学会では会長(70・71期、1996・1997年度)を務めた。 日本建築学会では環境工学委員会の委員長などを務める。
小林 正彦 (こばやし まさひこ、1936年1月1日 - 2… 小林 正彦 (こばやし まさひこ、1936年1月1日 - 2016年10月30日)は日本の会社役員で、石原プロモーション元代表取締役専務。ウェブクウ取締役。愛称はコマサ・大番頭。
和田 登(わだ のぼる、1936年1月1日 - 2025年2… 和田 登(わだ のぼる、1936年1月1日 - 2025年2月4日)は、日本の作家・児童文学作家。信州児童文学会事務局長・編集委員。 長野県長野市生まれ。信州大学教育学部卒業。 1956年大学時代の仲間で親友はまみつを、高橋忠治らと児童文学同人誌「とうげの旗」を創刊。1959年より公立小学校の教師を31年間務めるかたわら、1966年「虫」で第1回日本児童文学者協会短編賞を受賞し児童文学作家となる。1977年、松代大本営設営に駆り出された朝鮮人を描いた『悲しみの砦』で第1回塚原健二郎文学賞。2005年「武器では地球を救えない」で産経児童出版文化賞受賞。 反戦・反差別の立場からする児童文学のほか、人物伝、怪奇もの、児童向けSFなどを多く執筆、中山晋平の伝記を何度か書いている。
井上 尭裕(いのうえ たかひろ、1936年1月1日 - 20… 井上 尭裕(いのうえ たかひろ、1936年1月1日 - 2002年)は、日本の西洋史学者。 愛知県生まれ。東京大学教養学部フランス科卒、1964年同大学院西洋史専攻博士課程満期退学。聖心女子大学助教授、教授を務めた。フランス思想・文化史が専門だった。
松本 徳彦(まつもと のりひこ、1936年1月1日 - )は… 松本 徳彦(まつもと のりひこ、1936年1月1日 - )は、日本の写真評論家、写真家。 九州産業大学芸術学部・大学院講師、東京工芸大学芸術学部講師などを務め、写真史に関する啓蒙活動、美術館の写真収集に関する協力活動などを、きわめて積極的に行うほか、写真弘社のカレンダーの制作にも協力しており(解説など)、写真家としても作品を残している。 広島県尾道市に生まれる。日本大学芸術学部写真学科卒業。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
小川 国治(おがわ くにはる、1936年1月1日 - 202… 小川 国治(おがわ くにはる、1936年1月1日 - 2025年6月15日)は、日本の歴史学者。山口大学名誉教授。専攻は日本史学。 1936年、広島県広島市生まれ。1966年広島大学大学院文学研究科修士課程修了。1968年広島大学大学院文学研究科博士課程(国史学専攻)退学。山口大学教育学部教授、広島大学総合科学部教授、東亜大学大学院教授を歴任。山口大学名誉教授。 2025年6月15日死去。89歳没。
喜多村和之(きたむら かずゆき、1936年1月1日 - 20… 喜多村和之(きたむら かずゆき、1936年1月1日 - 2013年12月25日)は、日本の教育学者。位階は従四位。
清水 雅人(しみず まさと、1936年1月1日 - 2018… 清水 雅人(しみず まさと、1936年1月1日 - 2018年5月19日)は、日本の詩人、宗教評論家。 満洲生まれ。本名・清水佶(ただし)。1958年早稲田大学文学部国文科卒。『新宗教新聞』編集長をへて、1960年フリー、清水雅人事務所を設立。「宗教問題を考えるジャーナリストの会」発起人、「韓国人被爆者を救援する会議連絡会」世話人。1976年「宗教を現代に問う」(毎日新聞)で菊池寛賞受賞。2018年5月19日、胸部大動脈解離のため死去、82歳。
山下富美代(やました ふみよ、1936年1月1日- 2025… 山下富美代(やました ふみよ、1936年1月1日- 2025年2月7日)は、日本の心理学者、立正大学名誉教授。 東京生まれ。1958年早稲田大学文学部心理学科卒、63年同大学院文学研究科心理学専攻博士課程中退。59-64年警視庁科学捜査研究所心理職技師、立正大学教養部教授、同大文学部教授、同大心理学部教授、2007年定年、名誉教授となる。専門分野は認知心理学。日常的認知研究への関心があり、幼児の認知機能・発達診断、および高齢者の認知機能の研究等に従事している。2025年2月7日死去。
高野 价司(たかの かいし、1935年1月1日 - )は、群… 高野 价司(たかの かいし、1935年1月1日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(外野手)。 桐生工業高校では1952年、3年生の時に背番号10の控えながら、エース島津四郎を擁し、春の選抜に出場。2回戦(初戦)で豊橋時習館高を降し準々決勝に進むが、鳴尾高の中田昌宏に延長12回サヨナラ完封負けを喫する。同年夏の甲子園予選でも北関東大会準決勝に進出するが、豊田泰光、加倉井実のいた水戸商に惜敗。 卒業後は立教大学へ進学するが中退し、1955年に大映スターズへ入団。1年目の開幕直後から左翼手として起用され、チャンスメーカーとして活躍。同年は81試合に先発出場を果たす。翌1956年も準レギュラーとして起用されるが、その後は出場機会が減り、1958年限りで引退した。
坂間 勇(さかま いさむ、1935年1月1日 - 2008年… 坂間 勇(さかま いさむ、1935年1月1日 - 2008年8月8日)は、日本の物理学者。元茨城大学助教授、駿台予備学校、駿優予備学校 物理科講師。 東京都渋谷に父:坂間小三郎、母:(中村)清子の二男として生まれる。父方の祖父:坂間小四郎は千葉県いすみ市万木の出身。父方の祖母:(柳原)べんは麻布出身の一人娘。父:小三郎は小四郎の長男で金融業。母清子は新潟県柏崎市の出身で、母方の先祖中村家は代々庄屋を営んでいた。母の実兄:中村忠雄は、一校、東京帝国大学卒業、農工大教授であった。甥の金子宗生が桜丘町に住んでいる。東京都立戸山高等学校を経て、1957年東京工業大学理学部物理学科卒、1959年同大学院修士課程修了(専攻分野は、素粒子・原子核)。
角野 栄子(かどの えいこ、本名:渡辺栄子、1935年1月1… 角野 栄子(かどの えいこ、本名:渡辺栄子、1935年1月1日 - )は、日本の童話作家、絵本作家、ノンフィクション作家、エッセイスト。日本福祉大学客員教授。江戸川区角野栄子児童文学館(魔法の文学館)館長。神奈川県鎌倉市在住。 東京府東京市深川区(現・東京都江東区深川)に生まれる。5歳の時に生母を病気で亡くし、寂しさを紛らわすために物語をよく空想した。深川で質屋を営んでいた父親は物語をよく聞かせてくれた。江戸川区立西小岩国民学校に入学する。父が再婚後すぐに出征したため父が戻るまで小岩の自宅で新しい母と弟で暮らした。小学4年生の秋、山形県西置賜郡長井町(現・長井市)に学童疎開する。深川の店は東京大空襲で焼失した。
松浪 志保(まつなみ しほ、1935年1月1日 - )は、日… 松浪 志保(まつなみ しほ、1935年1月1日 - )は、日本の女優。本名は長谷川 万里子。 新潟県出身。新潟県立新発田高等学校卒業。虹の会、東京映画、劇団現代劇場を経て、東京俳優生活協同組合に所属。 特技は華道、小唄、三味線。 テレビドラマでは、松本清張作品に多数出演している。
中島 真人(中嶋 眞人、なかじま まひと、1935年 <昭和… 中島 真人(中嶋 眞人、なかじま まひと、1935年 <昭和10年> 1月1日 - 2008年 <平成20年> 5月18日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、山梨県議会議長、山梨県議会議員(3期)を務めた。位階は正四位。旭日重光章。 山梨県甲府市出身。山梨県立韮崎高等学校、拓殖大学商学部卒業。大学卒業後、山梨県立高等学校の教諭となる。1979年の山梨県議会議員選挙に立候補し初当選。3期務めた。在職中、1993年12月15日から1994年9月29日まで議長を務めた。1995年の第17回参議院議員通常選挙で山梨県選挙区から自由民主党公認候補として立候補し、現職の磯村修(民主改革連合)や新進党の赤池誠章らを破り初当選。
河野 旭輝(こうの あきてる、1935年1月1日 - 201… 河野 旭輝(こうの あきてる、1935年1月1日 - 2014年1月25日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督。 1956年に年間85盗塁を記録し、当時の日本記録を樹立。同年の最多盗塁死29はその後破られていない。セ・パ両リーグで盗塁王を獲得した唯一の人物である。 大阪府で生まれるも、戦争中に疎開で和歌山県へ引っ越した。 和歌山工業から野球部ができたばかりの松下電器に入社。主に一塁手、遊撃手としてプレーし更に投手としてマウンドに立つこともあった。1953年の都市対抗にチームとしての初出場を果たす。 1954年に阪急ブレーブスへ入団し、1年目の同年は開幕から二塁手に抜擢され定位置を獲得。
柳澤 孝彦(やなぎさわ たかひこ、1935年1月1日 - )… 柳澤 孝彦(やなぎさわ たかひこ、1935年1月1日 - )は、日本の建築家。
島田 雄二(しまだ ゆうじ、1935年1月1日 - )は、熊… 島田 雄二(しまだ ゆうじ、1935年1月1日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
平松 久司(ひらまつ ひさし、1935年〈昭和10年〉1月1… 平松 久司(ひらまつ ひさし、1935年〈昭和10年〉1月1日 - 2021年〈令和3年〉3月13日)は、日本の吹奏楽指導者で指揮者。2006年から2013年まで社団法人全日本吹奏楽連盟の理事長を務めた。 愛知県出身。国立音楽大学器楽科卒。トランペットを北野勝廣(元NHK交響楽団首席トランペット奏者)に師事。京都市交響楽団で第一トランペット奏者を務めたのち、1961年に京都橘女子高等学校(現京都橘高等学校)の音楽教諭へ転身し吹奏楽部を創設。正確な奏法と多彩な音楽表現指導を通じて日本屈指の高校マーチングバンドを作り上げた。1995年に同部顧問を勇退。 その後は社団法人全日本吹奏楽連盟第11代理事長や関西吹奏楽指導者研究会理事長をはじめとする数多の要職を務めながら後進の育成にあたっていた。
霧生 和夫(きりう かずお、1935年1月1日- )は、日本… 霧生 和夫(きりう かずお、1935年1月1日- )は、日本のフランス文学者。埼玉大学名誉教授。専門は19世紀フランス文学、特にオノレ・ド・バルザック。 北海道旭川市出身。東京外国語大学フランス科卒業。東京大学大学院人文科学研究科仏文科博士課程満期退学。1967年埼玉大学教養学部専任講師、同助教授、同教授。2000年定年退官、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
倉本 聰(くらもと そう、1935年〈昭和10年〉1月1日 … 倉本 聰(くらもと そう、1935年〈昭和10年〉1月1日 - )は、日本の脚本家、劇作家、演出家。本名は、山谷 馨(やまや かおる)。東京都渋谷区出身。妻は女優の平木久子(演劇集団 円所属)。父は俳人、日新書院取締役の山谷太郎。祖父は医学博士、日新医学社社長の山谷徳治郎。大伯父は衆議院議員の山谷虎三。 東京大学文学部美学科を卒業後、ニッポン放送を経てフリー。おもにテレビドラマの脚本家として活躍。東京から北海道へと居を移し、『前略おふくろ様』『北の国から』など多くのヒット作を生み出した。主宰した「富良野塾」にて26年間にわたり後進を指導。65歳で紫綬褒章、75歳で旭日小綬章を受章した。1977年(昭和52年)より富良野市に在住。
黒江 光彦(くろえ みつひこ、1935年1月1日 - 202… 黒江 光彦(くろえ みつひこ、1935年1月1日 - 2022年)は、日本の美術修復家(英語版)・研究家。東北芸術工科大学名誉教授。 山形県出身。1957年東京大学文学部美学美術史学科卒、1959年国立西洋美術館に勤務、ヨーロッパに留学し、ベルギー王立文化財研究所で絵画修復術を研究する。1972年退官し、絵画修復家、評論家として活動、1993年東北芸術工科大学教授。2006年定年退職、名誉教授。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
松野 陽一(まつの よういち、1935年1月1日 - 201… 松野 陽一(まつの よういち、1935年1月1日 - 2018年11月25日)は、日本の国文学者。東北大学名誉教授。専門は、中世和歌。 1935年、東京市神田区生まれ。東京都立九段高等学校を経て、1959年早稲田大学第一文学部国文科卒業。卒業論文は『六百番歌合』。1964年、立正女子大学短期大学(後の文教大学女子短期大学部)専任講師、1967年同助教授。1970年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学。1974年「藤原俊成の研究」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。同年4月、東北大学教養部助教授、1976年同教授。1988年10月、国文学研究資料館教授。1995年、東北大学名誉教授。1997年、国文学研究資料館館長。
新宮 正春(しんぐう まさはる、本名: 瀬古正春(せこ まさ… 新宮 正春(しんぐう まさはる、本名: 瀬古正春(せこ まさはる)、1935年1月1日 - 2004年8月28日)は、日本の小説家、著述家。和歌山県新宮市出身。筆名は自身の出身地に由来する。 神奈川大学経済学部を中退した後、内外タイムスをへて報知新聞社に入社、運動部記者として勤務。V9時代の読売ジャイアンツを取材する。そのため、初期作品にはジャイアンツを題材としたスポーツ小説やノンフィクションが多い。梅本さちおの漫画『影武者ジャイアンツ』の原作も担当している。記者時代の縁から、長嶋茂雄との親交も深く、長嶋と亜希子夫人との間を取り持ったことでも知られる。 1970年には、短編「安南の六連銭」で第15回小説現代新人賞を受賞し、時代小説作家としてデビューした。
児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日 - 2011年… 児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日 - 2011年5月16日)は、日本の俳優、タレント、テレビ司会者、作家。東京府東京市滝野川区(現在の東京都北区)出身。学習院大学文学部ドイツ文学科卒業。本名は北川 清(きたがわ きよし)。出生名および旧芸名は小玉 清(こだま きよし)。 元児玉清事務所代表取締役。事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ元専務取締役。妻は元女優の北川町子。長男は元タレントで児玉清事務所代表取締役兼事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ代表取締役社長の北川大祐。 俳優業・司会業で人気を博した他、書評や政治評論でも存在感を示し、後者では保守の立場から日本の現状への憂いなどを綴った文章を度々寄稿していた。
関根 信昭(せきね のぶあき、1934年〈昭和9年〉1月1日… 関根 信昭(せきね のぶあき、1934年〈昭和9年〉1月1日 - 2021年〈令和3年〉11月20日)は、日本の声優、俳優。東京府(現・東京都)出身。81プロデュース最終所属。 東京都立第四商業高等学校出身で高校の演劇部の後輩には富田耕生、古川登志夫がいる。 母校に通って来て、セット、小道具などの作り方を熱心に指導していた。 NHKの俳優養成所の研究生を経て、東京放送劇団5期生。 初仕事は刑事物のドラマの脱獄した犯人役の足だった。 1966年5月から日本点字図書館の朗読奉仕者をしていた。 同放送劇団解散後、関根が図書館の朗読奉仕者をしていたことを知っていた人物から「こういう仕事なんだが、やってくれないだろうか」と打診が来たのが副音声だった。
樋田 慶子(ひだ けいこ、1934年〈昭和9年〉1月1日 -… 樋田 慶子(ひだ けいこ、1934年〈昭和9年〉1月1日 - )は、日本の女優。本名は同じ。東京都出身。旧芸名は緋多景子。 主にテレビドラマや舞台などで脇役として活躍している。
田中 浩(たなか ひろし、1934年〈昭和9年〉1月1日 -… 田中 浩(たなか ひろし、1934年〈昭和9年〉1月1日 - 1993年〈平成5年〉1月2日)は、日本の俳優。本名は同じ。 京都府出身。京都商業高等学校卒業。オフィス青柳、ファミリープロに所属していた。 父は昭和初期から中期にかけて活躍した俳優・寺島貢、母は昭和初期の女優・対馬ルイ子。 東宝を経て三船プロダクションに入社し、殺陣師・久世竜に師事。当時は同社製作の映画・テレビのほぼすべてに脇役で出演しており、斬られ役などとして重用されていた。退社後は各社のテレビドラマ・映画に出演したが、アクション作品でのやくざ役、時代劇での悪代官役など悪役が多く、1979年の『戦国自衛隊』では武田信玄を演じた。一方、「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」のキャッチコピーで知られる丸大食品のCMに長らく出演していたことから、その知名度は高かった。
堀内 律子(ほりうち りつこ、1934年1月1日 - )は、… 堀内 律子(ほりうち りつこ、1934年1月1日 - )は、日本の俳人。俳誌 初花の4代目主宰者。夫は俳人の堀内雄之。 広島市で生まれる。1946年、愛媛県に転居。1952年、愛媛県立松山南高等学校を卒業した。 1953年、堀内雄之(俳人)と結婚する。 2002年、「俳誌 初花」の主宰に就任した。 俳人の大本あきらの娘は、律子の生家へ嫁いでいるため大本とは親族関係となる。また大本の曽孫は、手形コレクターの清古尊に当たる。 ・ 俳句の殿堂 ~全国の俳句結社 主宰の代表100句~ 初花|萬翠荘のイベント・展示のご案内|萬翠荘(ばんすいそう)公式ホームページ
井家上 隆幸(いけがみ たかゆき、1934年1月1日 - 2… 井家上 隆幸(いけがみ たかゆき、1934年1月1日 - 2018年1月15日)は、日本の文芸評論家、コラムニスト。日本推理作家協会会員。 岡山県津山市出身。岡山大学文学部卒。1958年に三一書房に入社し編集者となり、斎藤龍鳳『遊撃の思想』(1965年)、清水一行『小説 兜町』(1966年)、小沢昭一『私は河原乞食・考』(1969年)、竹中労『エライ人を斬る』(1971年)などを担当。 1972年に退社し、創樹社で『なにが粋かよ:斎藤龍鳳の世界』(1972年)を担当。その後、創刊準備中の日刊ゲンダイに編集局次長として入ったが創刊前に退社。再びフリーとなり、書評を中心に執筆活動を行う一方、白川書院に編集者として関わり、竹中労の「日本映画縦断」シリーズ(1974-1976年)、『聞書アラカン一代:鞍馬天狗のおじさんは』(1976年)、マキノ雅弘・稲垣浩編『山上伊太郎のシナリオ』(1976年)、高平哲郎『みんな不良少年だった』(1977年)、夏文彦『映画・挑発と遊撃』(1978年)などを担当。
加藤 昭夫(かとう あきお、1934年1月1日 - 2020… 加藤 昭夫(かとう あきお、1934年1月1日 - 2020年6月3日)は、日本の化学者。無機材料化学専攻。九州大学名誉教授。日本セラミックス協会会長や、人工結晶工学会会長を務めた。 山口県出身。1956年九州大学工学部応用化学科卒業。 1962年、工学博士(九州大学)の学位を取得。同年九州大学助教授。1972年九州大学教授。1979年窯業協会学術賞受賞。1980年名古屋大学教授併任。1984年粉体粉末冶金協会研究功績賞受賞。1987年電気化学協会九州支部長。1988年粉体粉末冶金協会理事。1994年人工結晶工学会会長。1995年日本セラミックス協会会長、日本化学会九州支部長。 1997年九州大学名誉教授、崇城大学工学部応用化学科教授、九州ファインセラミックス・テクノフォーラム会長。
梅原 郁(うめはら かおる、男性、1934年1月1日 - 2… 梅原 郁(うめはら かおる、男性、1934年1月1日 - 2020年5月3日)は、日本の東洋史学者。京都大学名誉教授。専門は中国史、特に宋代史。 京都市生まれ。父は東洋考古学者の梅原末治。1957年京都大学文学部史学科東洋史学専修卒業。1962年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1966年神戸学院大学助教授、1969年京都大学人文科学研究所助教授、1981年同教授。1986年「宋代官僚制度研究」で文学博士の学位を取得。1997年定年退官、名誉教授、就実女子大学教授。2005年退職。就実大学では西嶋定生文庫の整備に尽力した。 宋代史を主要な研究分野とするが、元・明・清朝の法制史・制度史研究でも大きな成果がある。
竹田 志郎(たけだ しろう、1934年1月1日 - )は、日… 竹田 志郎(たけだ しろう、1934年1月1日 - )は、日本の経営学者。横浜国立大学名誉教授。 東京市(現台東区)生まれ。1957年明治大学商学部卒業、1959年同大学院商学研究科修士課程修了。ニューヨーク日本軽機械センター勤務、貿易研修センター(IIST)助教授、大東文化大学経済学部助教授、教授、経済学部長、横浜国立大学経営学部教授、1999年定年退官、名誉教授、日本大学国際関係学部教授。