喜熨斗 勝(きのし まさる、1935年(昭和10年)10月3… 喜熨斗 勝(きのし まさる、1935年(昭和10年)10月3日 - 2022年(令和4年)6月)は、神奈川県鎌倉市出身の歌舞伎研究家、フリーアナウンサー。 父は二代目市川小太夫、伯父は初代市川猿翁という歌舞伎一家に育ち、幼少期は歌舞伎の舞台にも立ったことがある。 鎌倉学園中学校・高等学校時代は演劇部に参加。劇団民藝の演出家である松尾哲次の研究会で演出と演技を学んだ。 明治大学演劇学科卒業後、文化放送に入社。同局のアナウンサーとして活躍し、1963年(昭和38年)に退職後にフリーアナウンサーとなる。文化放送が出資するフジテレビを中心に活躍、人気番組『3時のあなた』の司会アシスタントとして知られるようになる。
玉響 克巳(たまひびき かつみ、1935年10月3日 - 没… 玉響 克巳(たまひびき かつみ、1935年10月3日 - 没年不明 )は、大分県別府市向浜出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は新川 克巳(しんかわ かつみ)→灘 克巳(なだ -)。最高位は東前頭2枚目(1959年9月場所・1960年7月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げなど。現役時代の体格は178cm、98kg。 大分県立水産高校を中退後、同郷の玉乃海(後、年寄・片男波)がいた二所ノ関部屋に入門。なお、角界入りする前は、捕鯨船の乗組員を志していたという。1954年1月場所で初土俵を踏み、翌3月場所、本名でもある「新川」の四股名で序ノ口に付いた。 体格にはあまり恵まれていなかったが比較的順調に出世し、1958年5月場所で十両へと昇進。
湯浅 利夫(ゆあさ としお、1935年(昭和10年)10月3… 湯浅 利夫(ゆあさ としお、1935年(昭和10年)10月3日 - )は、日本の官僚、公益財団法人菊葉文化協会理事長。元宮内庁長官、元自治事務次官。
石川 博一(いしかわ ひろかず、1935年10月3日 - )… 石川 博一(いしかわ ひろかず、1935年10月3日 - )は、日本の経営者。三井生命保険社長を務めた。 愛知県出身。1966年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三井銀行に入行。1994年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務を経て、2000年4月に副頭取に就任。2002年7月に三井生命保険会長に就任。2009年4月に辞任し、顧問に退く。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
木暮 茂夫(こぐれ しげお、1935年10月3日 - 200… 木暮 茂夫(こぐれ しげお、1935年10月3日 - 2009年10月13日)は、栃木県出身の元重量挙げ選手。法政大学出身。 1960年にイタリア・ローマで行われた第17回夏季オリンピックに重量挙げ日本代表として出場し、バンタム級で4位になった。同階級には同じく日本代表として三宅義信が出場し、銀メダルを獲得した。三宅も小暮と同じ法政大学出身であり、三宅は小暮がいたことから法政大学への進学を決めたのだという。 2009年10月13日、足利市西宮町の自宅にて肺がんのため死去。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
藤平 輝夫(ふじひら てるお、1935年10月3日 - 20… 藤平 輝夫(ふじひら てるお、1935年10月3日 - 2025年3月8日)は、日本の政治家。元千葉県勝浦市長(3期)。 千葉県出身。1958年法政大学法学部卒。 勝浦市議会議員を経て、1999年勝浦市長選挙に立候補し、初当選する。1期目にかつうらビッグひな祭りを企画し、開催(2001年に開始)。2003年と2007年に連続当選した(いずれも無所属)。在職中、夷隅郡市広域市町村圏事務組合の管理者を務めた。 2010年に翌年の市長選挙に不出馬を表明、2011年に退任した。「外房線と地域を守る会」の会長を務める。 2012年、旭日小綬章受章。 2025年3月8日に死去。89歳没。この件については勝浦市議会議員の佐藤啓史が自身の公式Youtubeチャンネルにて報告している。
具 末謨(ハングル:구말모、グ・マルモ、1935年10月3日… 具 末謨(ハングル:구말모、グ・マルモ、1935年10月3日 - 2022年1月8日)は、日本で生まれ育ち、大韓民国の国籍を持つ在日韓国人2世。朝鮮半島の南北統一、韓日関係改善、ハングルの世界化に先駆けた人物。家族が日本、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、アメリカに居住するなど、典型的なディアスポラ(離散家族)である。 また、1970年、家族に会うために朝鮮民主主義人民共和国を訪問した事を理由に、1971年に大韓民国の国家保安法と反共法によりスパイ容疑をかけられ投獄。以降2012年に無罪判決が出るまでの41年間、スパイ容疑の冤罪をかけられ続けた被害者の一人でもある。 1935年10月3日、日本の滋賀県守山市で、父、具太仁(日本名、山口春治)、母、金本心の間に、3男5女の6番目の子として生まれる。
桜井直(さくらい ただし、1934年10月3日 - )は日本… 桜井直(さくらい ただし、1934年10月3日 - )は日本の大蔵官僚。札幌国税局長、国税不服審判所次長、畜産振興事業団理事、道路開発振興センター副理事長、中小企業国際人材育成事業団理事などを歴任。 長野県出身。東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1960年 大蔵省入省(主計局総務課)。1966年7月1日 飯田税務署長。1982年6月11日 内閣官房内閣調査室内閣調査官。1983年6月7日 札幌国税局長。1985年6月25日 国税不服審判所次長。1986年6月9日 退官。同年7月 畜産振興事業団理事。1992年6月 関西国際空港常務。1993年5月 同空港専務。1995年7月 道路開発振興センター副理事長。
大緑 勝五郎(おおみどり かつごろう、1934年10月3日 … 大緑 勝五郎(おおみどり かつごろう、1934年10月3日 - 没年不明 )は、高砂部屋に所属した元力士。本名は笊畑 勝成。現在の北海道芦別市出身。178cm、93kg。最高位は西十両筆頭。得意技は左四つ、寄り。 1953年9月場所初土俵、1960年7月場所で十両昇進。1962年7月場所には自己最高位となる十両筆頭まで番付を上げたが、3勝12敗と大きく負け越し幕内昇進はならなかった。この場所は部屋での感情の行き違いがあって自ら髷を切ってしまったために大銀杏を結えず、丁髷で土俵に上がった。17場所連続で十両を務めたが、幕下に陥落した1963年5月場所限りで廃業した。
浅見 俊雄(あさみ としお、1933年10月3日 - )は、… 浅見 俊雄(あさみ としお、1933年10月3日 - )は、日本の元サッカー審判員、元サッカー選手、元サッカー指導者。東京大学・日本体育大学名誉教授。元国立スポーツ科学センター長、日本サッカー協会顧問、アジアサッカー連盟規律委員会副委員長。 埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。東京大学教育学部体育学科卒業。選手時代のポジションはハーフバック。埼玉県立浦和高等学校2年次の1950年に国民体育大会準優勝、3年次の1951年に高校選手権、国体、関東大会の三冠に貢献した。また同年には公式戦28試合、練習試合24試合の合計52試合無敗の記録を残した。その後、東京大学に進学し運動会ア式蹴球部に所属。1952年度(1953年1月)第1回大学選手権にて優勝。
河合 保彦(かわい やすひこ、1933年10月3日 - 19… 河合 保彦(かわい やすひこ、1933年10月3日 - 1984年9月11日)は岐阜県出身の元プロ野球選手。右投右打。
大川 義幸(おおかわ ぎこう、1933年10月3日 - )は… 大川 義幸(おおかわ ぎこう、1933年10月3日 - )は、日本の元俳優。 東京都出身。中央大学卒。山崎企画に所属していた。 身長165cm。体重60kg。 2011年から映像コンテンツ権利処理機構に連絡のとれない権利者として掲載されている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
江口 吾朗(えぐち ごろう、1933年10月3日 - 201… 江口 吾朗(えぐち ごろう、1933年10月3日 - 2019年4月3日) は、日本の生物学者。学位は、理学博士(名古屋大学・1964年)。名古屋大学理学部教授などを経て、 基礎生物学研究所名誉教授。元熊本大学学長。元学校法人尚絅学園理事長。従三位瑞宝重光章。 愛知県名古屋市生まれ。実家は工場で、名古屋大学医学進学コースに入学したが、周囲は医者の子供ばかりで違和感を感じ、生物学者になろうと考え、1956年名古屋大学理学部生物学科卒業。1957年名古屋大学大学院修士課程中退、名古屋大学理学部生物学科教務員。 1959年名古屋大学理学部生物学科助手。1964年名古屋大学より理学博士の学位を取得。1968年竹市雅俊ともに、京都大学に移籍し、京都大学理学部生物物理学科助教授着任。
佐々木 英也(ささき ひでや、1932年〈昭和7年〉10月3… 佐々木 英也(ささき ひでや、1932年〈昭和7年〉10月3日 - )は、日本の西洋美術研究者。東京芸術大学名誉教授。 岩手県江刺市(現・奥州市)に生まれる。1951年、岩手県立水沢高等学校卒業。1956年、東京藝術大学美術学部専攻科卒業。1958年、イタリア政府給費留学生としてローマ大学に学ぶ。1961年、国立西洋美術館研究員。1972年『ザ・ヌード』で日本翻訳出版文化賞受賞。1976年、東京藝術大学美術学部助教授、1985年同教授。1990年『ジョットの藝術』でマルコ・ポーロ賞受賞。2000年定年退官、名誉教授。2001年岩手県立美術館館長に就任、2010年退任。
森本 正夫(もりもと まさお、1931年10月3日 - 20… 森本 正夫(もりもと まさお、1931年10月3日 - 2021年6月1日)は、日本の経済学者(専門は開発政策・農業経済学)・教育者。学校法人北海学園元理事長。名誉法学博士(レスブリッジ大学)。名誉経営学博士(大田大学校)。北海商科大学元学長、日本私立大学協会副会長。 「経歴」節の出典は『北海学園大学経済論集 第39巻第3号』(北海学園大学経済学会、1992年2月)。
木村 光一(きむら こういち、1931年10月3日 - )は… 木村 光一(きむら こういち、1931年10月3日 - )は、日本の演出家。千葉県出身。 都立両国高等学校卒業、東京大学文学部中退。 文学座に文芸・演出部員として入り、1963年に演出家としてデビュー。1981年に文学座を退座した後は、2007年まで演劇制作体「地人会」を主宰し演劇分野で幅広い活動を行っていた。 桐朋学園芸術短期大学特任教授も務める。
寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は… 寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は、日本の実業家、政治家。 野村證券副社長、ローンスタージャパン会長、東京スター銀行会長、多数国間投資保証機関長官(初代)、参議院議員(1期)、経済企画庁長官(第49代)、参議院外務委員長等を歴任した。 栃木県佐野市生まれ。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業。 大学卒業後、野村證券に入社。入社後、フルブライト奨学生としてアメリカ合衆国ペンシルベニア大学大学院に留学し、ウォートン・スクールで経営学修士(MBA)を取得した。帰国後、野村證券外国部次長を経て、1968年にニューヨーク支店長に就任。翌1969年、ニューヨーク支店は現地法人格を有する米国野村證券(Nomura Securities International Inc.)に再編され、寺澤は同社の初代代表取締役社長に就任した。
新開 陽一(しんかい よういち、1931年10月3日 - )… 新開 陽一(しんかい よういち、1931年10月3日 - )は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。日本学士院会員。専門はマクロ経済学と国際経済学。経済学博士(大阪大学、1960年)。大阪府堺市出身。
寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は… 寺澤 芳男(てらさわ よしお、1931年10月3日 - )は、日本の実業家、政治家。
松村 慶子(まつむら けいこ、1931年10月3日 - )、… 松村 慶子(まつむら けいこ、1931年10月3日 - )、通称おけいさんは、日本で2番目の女性レコードディレクター。 ポリドール時代に「コーヒールンバ(西田佐知子)」、「ヴァケーション(青山ミチ)」「何もいわないで(園まり)」の大ヒット曲をプロデュースし、菅原洋一、佐川満男を売り出し、中村泰士、なかにし礼を見出す。 小澤淳とJ&Kを立ち上げ後に寺本幸司が加わる。J&Kで小室哲哉を見出しTM NETWORKをデビューさせる。 夫はザ・タイガースをプロデュースしたポリドールの音楽ディレクター松村憲男。松村憲男はむつひろしのペンネームでグッド・ナイト・ベイビー(ザ・キング・トーンズ)、昭和枯れすゝき(さくらと一郎)、どしゃぶりの雨の中で(和田アキ子)を作曲。
佐藤 誠朗(さとう しげろう、昭和6年(1931年)10月3… 佐藤 誠朗(さとう しげろう、昭和6年(1931年)10月3日 - 平成6年(1994年)4月4日)は、日本の歴史学者。山形県出身。 1954年、東京大学文学部国史学科を卒業。宝仙学園高校教諭を経て、山形県で公立高等学校教員となり、1962年に鶴岡南高等学校、1967年に庄内農業高等学校に赴任した。 1970年、新潟大学人文学部助教授に着任し、1975年に教授となった。幕末・明治維新期の研究で知られ、遠山茂樹とともに『自由党史』(岩波文庫)の校訂を行った。また、『山形県史』・『新潟県史』をはじめとする自治体史の編纂に携わった。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
平野 元(ひらの はじめ、1930年(昭和5年)10月3日 … 平野 元(ひらの はじめ、1930年(昭和5年)10月3日 - )は、日本の政治家、元岐阜県山県市長(2期)。 岐阜県出身。岐阜県立長良高等学校卒。岐阜県庁職員、中部女子短期大学事務局長を経て。山県郡高富町の町長となる。高富町は2003年に伊自良村、美山町と合併し、山県市となる。合併後の市長選挙に立候補し、無投票で初当選した。4月27日に就任した。2007年の市長選挙でも無投票で再選。山県市長を2期務めた。2011年4月26日に退任した。
甲斐 信枝(かい のぶえ、1930年10月3日- 2023年… 甲斐 信枝(かい のぶえ、1930年10月3日- 2023年11月30日)は、日本の絵本作家。広島県出身。京都府京都市右京区在住。 広島県の田畑が広がる農村地帯で、姉と弟三人とともに育った。広島県立高等女学校(府中高等女学校とも)3年のころから、疎開してきていた清水良雄(光風会会員、童話雑誌「赤い鳥」の画家)に師事する。清水の没後上京し、慶応義塾大学精神神経科に教授秘書として勤めていたが、やがて画家になることを決意する。帯の絵付けや、子どもに絵を教える仕事などさまざまなアルバイトをしながら、鈴木寿雄に童画を学んだ。 1970年に紙芝居『もんしろちょうとからすあげは』(童心社)を出版し、以後、身近な自然を題材にした科学絵本を手掛ける。
山口 仙二(やまぐち せんじ、1930年〈昭和5年〉10月3… 山口 仙二(やまぐち せんじ、1930年〈昭和5年〉10月3日 - 2013年〈平成25年〉7月6日)は、長崎原爆の被爆者、日本の反核平和運動家。 1930年、長崎県南松浦郡玉之浦町(現在:長崎県五島市玉之浦町)に、四男四女の8人きょうだいの次男として生まれる。家は半農半漁で10段の段々畑があり、主にサツマイモを栽培していた。漁業は延縄漁でイシダイなどは売り、雑魚が食卓用だったほか、イカ釣りや鰻取りなども行っていた。また、父は製菓業「月美堂」を営んでいた。 1945年(昭和20年)8月9日、長崎県立長崎工業学校1年時の14歳の時に、学徒動員で通っていた長崎市の三菱長崎兵器製作所大橋工場裏(長崎原爆の爆心地から1.1kmの地点)で、防空壕を掘る作業中に被爆した。
若槻 文三(わかつき ぶんぞう、1930年10月3日 - 1… 若槻 文三(わかつき ぶんぞう、1930年10月3日 - 1993年)は、日本の脚本家。本名は金本明。大阪府生まれ。関西学院大学出身。 1966年、TBSのドラマ『月曜日の男』でプロデューサー、脚本、監督を務めていた飯島敏宏の誘いで『ウルトラマン』の脚本を執筆。これをきっかけに円谷プロ作品の常連脚本家として活躍。同社の作品については、テレビシリーズ18番組・長編テレビ映画3作・新撮劇場映画2作(他に再編集物が2作)という、群を抜いて最多参加の脚本家であった。テレビドラマデビュー作でもあり、1958年から関西ローカル局で長期間放送された刑事ドラマの『部長刑事』では多くの脚本家の中で、最も長きに渡って執筆を担当した一人でもあり、原作を担当したこともある。
御子柴 宣夫(みこしば のぶお、1930年10月3日 - 2… 御子柴 宣夫(みこしば のぶお、1930年10月3日 - 2020年1月12日)は、日本の物理学者。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、旧制松本高等学校を経て、名古屋大学理学部物理学科卒業。名古屋大学大学院理学研究科修了。1957年通商産業省工業技術院電気試験所(現・産業技術総合研究所)入所。1961年シカゴ大学金属研究所勤務。1970年電子技術総合研究所(現・産業技術総合研究所)基礎部固体物性研究室長。1974年東北大学電気通信研究所教授。1984年同大学電気通信研究所附属超微細電子回路実験施設初代施設長。1990年同大学定年退官後、同大学名誉教授。
栗木 孝幸(くりき たかゆき、1929年10月3日 - 19… 栗木 孝幸(くりき たかゆき、1929年10月3日 - 1998年11月11日)は、岐阜県出身のプロ野球選手(外野手)。
茶本 繁正(ちゃもと しげまさ、1929年10月3日 - 2… 茶本 繁正(ちゃもと しげまさ、1929年10月3日 - 2006年3月10日)は日本のジャーナリスト。 大分県出身。戦時中は少年兵に志願し、終戦時には特攻隊下士官であったことから平和への思いが深く、イラクへの自衛隊派兵や有事法制に対する批判を度々行っていたことでも知られる。 早稲田大学卒業後、新聞記者、主婦と生活社勤務を経て、1960年よりフリーのルポライターに転向。 1977年、統一協会(現・世界平和統一家庭連合)傘下の学生組織原理研究会の内幕を追った『原理運動の研究』『同 資料編 1』『同 資料編 2』を刊行。翌1978年、この3冊により日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。後に同会議で代表委員を務めた。
石川 弘(いしかわ ひろし、1928年(昭和3年)10月3日… 石川 弘(いしかわ ひろし、1928年(昭和3年)10月3日 - 1999年(平成11年)8月2日)は、日本の農林官僚、政治家。農林水産事務次官、参議院議員。 金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)、旧制第四高等学校を経て、東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業。1954年、農林省に入省。静岡県経済部水産課長、経済局企業流通部市場課長、林野庁林政部林政課長、大臣官房予算課長、食糧庁管理部長などを経て、1981年1月、食糧庁次長。同年7月21日、畜産局長。1984年7月6日、食糧庁長官。1986年6月10日、事務次官。 1989年、参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から立候補して初当選。
加々美 豊(かがみ ゆたか、1928年(昭和3年)10月3日… 加々美 豊(かがみ ゆたか、1928年(昭和3年)10月3日 - )は、日本の画家で信州現代抽象画会代表。 長野県東筑摩郡中川手村(現安曇野市)出身。旧制松本中学校(現長野県松本深志高等学校)卒業、長野師範学校中退。教員を勤めた後、画家となる。水彩による風景画と、ビー玉をモチーフにした抽象画で知られる。教員時代より抽象画と風景画を発表し始め、国内だけではなく、海外においても数多くの賞を受賞した。キューバに絵画を寄贈した際に、大使より勲章を受けている。実弟の加々美益次は、東京大学山岳部所属中に、第2次南極地域観測隊に最年少の24歳で参加し、その後山下汽船(現商船三井)役員を経て、内航大型船輸送海運組合会長。
牟田 悌三(むた ていぞう、1928年10月3日 - 200… 牟田 悌三(むた ていぞう、1928年10月3日 - 2009年1月8日)は、日本の俳優、社会福祉活動家である。東京都出身。麻布高校、北海道大学農学部卒業。村上事務所所属。劇団テアトル・エコーの創設メンバー。
菅野 喜八郎(かんの きはちろう、1928年10月3日 - … 菅野 喜八郎(かんの きはちろう、1928年10月3日 - 2007年7月13日)は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(東北大学・1970年)(学位論文「憲法改正限界論についての若干の考察」)。東北大学名誉教授。宮城県仙台市生まれ。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。
貫洞 哲夫(かんどう てつお、1927年 <昭和2年> 10… 貫洞 哲夫(かんどう てつお、1927年 <昭和2年> 10月3日 - 2024年 <令和6年> 5月1日)は、日本の地方公務員。東京都人事委員会事務局長、同衛生局長、同生活文化局長、同副知事を歴任。勲三等瑞宝章受章。位階は正五位。 東京都出身。1940年 開成中学校入学、1941年中退、仙台陸軍幼年学校 (45期)、陸軍航空士官学校入校 (60期)後、終戦を迎えて復員。1949年 成蹊高等学校 (旧制)卒業、東京大学法学部政治学科卒業。 1953年 東京都庁に入都(衛生局勤務)。人事委員会事務局長、衛生局長、東京都生活文化局長を歴任し、1983年 鈴木俊一都政2期目の副知事(1期)に就任。 その後は、東京信用保証協会理事長、同相談役、全国信用保証協会連合会会長、東京都収用委員会会長、東京都国民年金基金理事長、東京都動物園協会会長、財団法人東京都慰霊協会会長、NPO法人東京都日本中国友好協会会長、社団法人東京都レクリエーション協会会長、東京都太極拳連盟会長、東京都医療審議会会長。
香取 健一(かとり けんいち、1927年10月3日 - 20… 香取 健一(かとり けんいち、1927年10月3日 - 2011年8月25日)は、日本の経営者。東洋ゴム工業(現在のTOYO TIRE)社長・会長を務めた。 岡山県出身。1953年に東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業し、同年に東洋ゴム工業に入社した。1981年6月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1986年3月に専務を経て、1988年6月に副社長に就任し、1989年6月には社長に昇格した。1993年6月に会長に就任し、1994年6月から相談役を務めた。 1992年11月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2011年8月25日、脳幹梗塞のために死去した。83歳没。
牛尾 鋭之助(うしお えいのすけ、1926年10月3日 - … 牛尾 鋭之助(うしお えいのすけ、1926年10月3日 - )は、日本の実業家。 牛尾卯三の三男として福岡県に生まれる。1945年福岡県中学修猷館(第5学年卒業)を経て、1951年東京大学経済学部商業学科(現・経営学科)を卒業。 1951年三菱銀行に入行。茨木支店長、池袋支店長、経営相談所長、本店営業第一部長などを経て、1981年6月取締役に就任。同年7月日本橋支店長、1983年1月地方監督役となる。 1983年3月三菱油化(現・三菱ケミカル)常務となり、1988年3月専務に就任。1990年6月営業総括兼関連事業部担当となる。 1992年6月三菱油化ビーシーエル(現・LSIメディエンス)社長に就任。
上田 敏晶(うえだ としあき、1925年10月3日 - 19… 上田 敏晶(うえだ としあき、1925年10月3日 - 1988年10月25日)は、日本の経営評論家、翻訳家。 福岡県北九州生まれ。九州大学文学部哲学科卒業。1951年福岡県立八幡高等学校教諭、1957年ダイヤモンド社出版部に入社。書籍編集部次長を務めた後、1967年退社。1968年文化女子大学講師、1976年関東学院女子短期大学教授。
上田 吉一(うえだ よしかず、1925年10月3日 - 20… 上田 吉一(うえだ よしかず、1925年10月3日 - 2005年12月17日)は、日本の教育哲学者、心理学者。姫路工業大学名誉教授。 大阪府茨木市出身。1952年京都大学文学部哲学科卒業。1968年「精神的に健康な人格の概念に関する研究」で京大教育学博士。姫路工業大学講師、助教授、教授、名誉教授、兵庫教育大学教授、龍谷大学教授。1996年退職。人間主義心理学を提唱した。
後藤 由夫(ごとう よしお、1925年10月3日 - 202… 後藤 由夫(ごとう よしお、1925年10月3日 - 2020年9月3日)は、日本の内科医。東北大学名誉教授。医学博士。専門は、糖尿病学。 山形県松嶺町(現、酒田市)生まれ。1944年旧制第二高等学校卒業。1948年東北帝国大学医学部卒業後、同医学部内科教室(教授 黒川利雄)に入局。1955年東北大学医学博士。1958-1960年米国ペンシルベニア大学医学部内科教室に留学。1968年東北大学医学部同内科助教授。1970年弘前大学医学部教授(内科第三講座)。1976年東北大学医学部教授(内科学第三講座)。1988年定年退官、東北大学名誉教授、東北厚生年金病院院長。 日本糖尿病学会会長、日本体質学会会長、日本臨床栄養学会会長、日本膵臓病学会会長、日本老年医学会会長、日本内科学会会頭、日本糖尿病協会理事長、日本臨床内科医会会長、日本動脈硬化学会会長、日本過酸化脂質学会会長、日本自律神経学会会長、日本肥満学会会長などを歴任。
荒川 弘(あらかわ ひろし、1925年10月3日 - 200… 荒川 弘(あらかわ ひろし、1925年10月3日 - 2003年2月12日)は、日本のジャーナリスト、経済学者。 東京出身。一橋大学卒。高島善哉ゼミ出身。産経新聞社に入り、記者、論説委員ののち1980年成城大学経済学部教授となる。1996年定年、名誉教授となる。
栗原 勝(くりはら まさる、1924年10月3日 – 201… 栗原 勝(くりはら まさる、1924年10月3日 – 2013年10月9日)は、日本の政治家、浜松市長(5期)。
永井 三明(ながい みつあき、1924年〈大正13年〉10月… 永井 三明(ながい みつあき、1924年〈大正13年〉10月3日 - 2022年〈令和4年〉7月21日)は、日本の西洋史研究者。同志社大学名誉教授。永井岩之丞の孫。永井繁の子。平岡梓の従弟。 京都大学文学部史学科卒業。同志社大学助教授、教授を経て、名誉教授。2003年、勲三等瑞宝章を受章。 2022年7月21日午前8時53分、老衰のため死去。97歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
芝 宏(しば ひろし、1923年(大正12年)10月3日 -… 芝 宏(しば ひろし、1923年(大正12年)10月3日 - )は、日本の政治家。元埼玉県幸手市長。 埼玉県出身。1968年、埼玉県立浦和商業学校(現・埼玉県立浦和商業高等学校)卒。幸手町議会議員を5期務め、1985年、幸手町長に当選した。翌1986年、幸手町は市制施行により幸手市となり、幸手市長となる。1989年に再選。1993年に市長を退任した。同年、勲四等瑞宝章を受章した。
渡辺 宏(わたなべ ひろし、1923年(大正12年)10月3… 渡辺 宏(わたなべ ひろし、1923年(大正12年)10月3日 - 2005年(平成17年)9月27日)は、日本の実業家。東京都出身。東京ガス元社長。 1945年早稲田大学商学部卒業後、東京瓦斯入社。取締役常務、専務などを経て、1981年7月村上武雄社長の在任死去に伴い社長に就任。社団法人日本ガス協会会長、東京商工会議所副会頭などを務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大島 渡(おおしま わたる、1922年10月3日 - )は、… 大島 渡(おおしま わたる、1922年10月3日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。
水波 朗(みずなみ あきら、1922年10月3日(大正11年… 水波 朗(みずなみ あきら、1922年10月3日(大正11年) - 2003年(平成15年)7月31日)は、日本の法学者。専門は法哲学。九州大学名誉教授、元久留米大学教授。 初めは河村又介(後の最高裁判事)の下で憲法学の研究を始めるが、やがて憲法学の根本学である公法学、後に法哲学に研究の重心を移す。思想的にはトマス主義に立脚するが、アルフ・ロス、ハンス・ケルゼン、カール・ポパー等、自らとは異なる立場の思想家をも取り上げ、批判的書評を公刊した。 1954年に、大澤章の導きでカトリックに入信。ネオ・トミズムの本場ベルギーに留学し、ジャン・ダバンに師事。トマス主義の哲学、法哲学の研究に取り組み、帰国後は20世紀の法哲学におけるトマス主義の位置づけと主張を明快に論じた大著『法の観念-ジャン・ダバンとその周辺-』を公刊した。
佐藤 初女(さとう はつめ、1921年10月3日 - 201… 佐藤 初女(さとう はつめ、1921年10月3日 - 2016年2月1日)は、日本の福祉活動家、教育者。1992年より青森県の岩木山山麓に「森のイスキア」と称する悩みや問題を抱え込んだ人たちを受け入れ、痛みを分かち合う癒しの場を主宰。それ以前は弘前市内で自宅を開放して同様の活動をしており、こちらは「弘前イスキア」と呼ばれていた。素朴な素材の味をそのままに頂く食の見直しにより、からだから心の問題も改善していくことができると訴えた。 「イスキア」とは、イタリア西南部のナポリ湾の西に浮かぶイスキア島の名前から採られたもの。ナポリの富豪の息子で、何不自由ない暮らしをしていた青年が、この島を訪れて、贅沢三昧の生活から、自分を静かに振り返ることを学び、そこの司祭館に滞在したというエピソードから借用されたものである。
小林 直樹(こばやし なおき、1921年10月3日 - 20… 小林 直樹(こばやし なおき、1921年10月3日 - 2020年2月8日)は、日本の法学者。専門は、憲法・法哲学。学位は、法学博士(東京大学、1962年)(学位論文「憲法の構成原理」)。東京大学名誉教授。総合人間学会初代会長。 長野県小県郡滋野村(現・小諸市)生まれ。旧制上田中学校(現・長野県上田高等学校)、旧制水戸高等学校(現・茨城大学文理学部)を経て、1942年東京帝国大学文学部哲学科入学も法学部政治学科に転じる。東京帝大在学中に学徒出陣。二等兵、少尉等を経て、1947年高等文官試験合格。復学して受けた法哲学者尾高朝雄のカントに関する講義に感動し、師事する。 法哲学者として出発し、1951年、東京大学教養学部で法学を教えていたが、1959年、宮沢俊義の後任として、憲法学に転籍し、2年間のドイツ留学を経て、1961年東京大学法学部教授(憲法学)となる。
石田 勝彦(いしだ かつひこ、1920年10月3日 - 20… 石田 勝彦(いしだ かつひこ、1920年10月3日 - 2004年7月9日)は、北海道出身の俳人。本名は和郎(かずろう)。1938年、旧制日本大学中学校(現、日本大学第一中学校・高等学校)卒業、國學院大學中退。戦後、結核のため清瀬の国立東京病院に入所。1952年、東京療養所俳句サークル誌「松濤」の加藤楸邨の選を受け、翌年、「寒雷」に入会。また石田波郷に師事し、1954年、俳誌「鶴」に入会。「鶴」支部句会で小林康治からも学んだ。波郷没後、1974年、小林康治の「泉」創刊に参加、編集を担当、1980年より「泉」を辞した小林に代わり選を務める。1988年、俳人協会評議員。1990年、健康上の理由で「泉」主宰を綾部仁喜に譲る。
長倉 三郎(ながくら さぶろう、1920年10月3日 - 2… 長倉 三郎(ながくら さぶろう、1920年10月3日 - 2020年4月16日)は、日本の化学者(物理化学)。学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1953年)。「電荷移動理論」を提唱・実証し、分子科学・スピン化学を開拓した。東京大学物性研究所教授、分子科学研究所所長、岡崎国立共同研究機構機構長、総合研究大学院大学初代学長、国際純正・応用化学連合 (IUPAC) 会長、日本学士院第23代院長などを歴任。位階は従三位、勲等は勲一等。文化勲章受章者。 1920年、静岡県駿東郡鷹根村(現沼津市)柳沢生まれ。静岡県立沼津中学校を経て、1943年東京帝国大学理学部化学科卒業。大学院進学同日に休学し海軍技術見習尉官に任じられ青島方面特別根拠地付を命じられる。
福田 信之(ふくだ のぶゆき、1920年〈大正9年〉10月3… 福田 信之(ふくだ のぶゆき、1920年〈大正9年〉10月3日 - 1994年〈平成6年〉11月27日)は、日本の物理学者。理学博士 東京教育大学教授、筑波大学副学長・学長を歴任。世界平和教授アカデミー元会員、日韓トンネル研究会元顧問。香川県高松市出身。 香川県高松市出身。高松中学校(現・香川県立高松高等学校)、第一高等学校(現・東京大学)、北海道帝国大学理学部を卒業後、理化学研究所に入所。仁科芳雄博士のもとでニ号研究 (原子爆弾開発研究) に携わった。この研究で福田は六フッ化ウランの熱拡散分離の理論を担当した。 世界的水準の「筑波研究学園都市」を建設し、そこに東京教育大学を移転させて核になる総合大学にしようという計画があった。