花輪 莞爾(はなわ かんじ、1936年1月6日 - 2020… 花輪 莞爾(はなわ かんじ、1936年1月6日 - 2020年5月31日)は、日本のフランス文学者、作家、児童文学者、翻訳家。國學院大學名誉教授。フランス世紀末文学、特にアルチュール・ランボーを研究。 東京生まれ。1960年東京大学仏文科卒。65年同大学院博士課程中退。71年「渋面の祭」「触れられた闇」で二度芥川賞候補、小説集『ガラスの夏』を刊行。明治学院大学助教授、國學院大學文学部教授。2007年定年、名誉教授。レッド・サークル(Red Circle)のメンバー。
中町 信(なかまち しん、1935年1月6日 - 2009年… 中町 信(なかまち しん、1935年1月6日 - 2009年6月17日)は、日本の小説家・推理作家。群馬県沼田市生まれ。早稲田大学第一文学部独文科卒業。本名は同じ字であきらと読む
草道 昌武(くさみち まさたけ、1935年1月6日 - 20… 草道 昌武(くさみち まさたけ、1935年1月6日 - 2006年8月31日)は、日本の経営者。広島県出身。 1958年に京都大学農学部を卒業し、同年に日商に入社。 1986年に日商岩井取締役に就任し、常務、専務を経て、1995年6月に副社長に就任した。1996年6月に社長に昇格し、1999年6月から相談役を務めた。 2001年11月に藍綬褒章を受章した。 2006年8月31日急性リンパ性白血病のために死去。71歳没。
南 尚(みなみ しょう、1935年1月6日 - )は、日本の… 南 尚(みなみ しょう、1935年1月6日 - )は、日本の実業家。株式会社ダイゾー代表取締役会長、株式会社大島造船所最高代表取締役会長、株式会社銀座クルーズ代表取締役相談役、日本駐箚チリ共和国名誉領事。旧姓は勝沼(かつぬま)。 株式会社阪急百貨店での勤務を経て、株式会社大島造船所社長(第4代)、株式会社大阪造船所社長(第3代)などを歴任した。 1935年、大阪府にて生まれた。上京して慶應義塾大学に進学し、法学部の政治学科にて学んだ。1957年に慶應義塾大学を卒業し、学士号を取得した。同年、阪急百貨店に入社し、デパートマンとして活動する。また、阪急百貨店の会長であった清水雅の秘書を務めた。9年後、同社から大阪造船所に転じた。
斎藤 伯好(さいとう はくこう、1935年1月6日 - 20… 斎藤 伯好(さいとう はくこう、1935年1月6日 - 2006年8月8日)は、日本のSF翻訳家、作家。本名の読み方は「さいとう のりよし」。斉藤伯好、齋藤伯好などとも表記。日本ペンクラブ、日本SF作家クラブ、日本推理作家協会、少年文芸作家クラブ、日本児童文芸家協会、日本文芸家協会、各会員。 東京府(現:東京都足立区千住河原町)で公務員の家庭に生まれる。英語を習い始めた小学6年生の時から翻訳家を志望。17歳の時、英語コンテストの懸賞翻訳で優勝し、賞金を獲得。特許事務所で産業英語の翻訳のアルバイトをしつつ、明治大学政治経済学部を卒業。 国家公務員試験(上級職)に合格し、1957年(22歳時)から38年間、運輸省に勤務(途中、内閣総理大臣官房、外務省などに出向もあり)。
羽下 徳彦(はが のりひこ、1934年1月6日 - )は、日… 羽下 徳彦(はが のりひこ、1934年1月6日 - )は、日本史学者、東北大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学文学部国史学科卒、1961年同大学院博士課程満期退学。 東洋大学文学部講師、助教授、東京女子大学助教授を経て、1976年東北大学文学部助教授、教授、1997年定年退官、名誉教授となる。
鬼頭 史郎(きとう しろう、1934年〈昭和9年〉1月6日 … 鬼頭 史郎(きとう しろう、1934年〈昭和9年〉1月6日 - )は、日本の元裁判官。「ニセ電話事件」を起こし、法曹資格を喪失した。 名古屋市南区(現在の港区)出身。愛知県立松蔭高等学校を経て法政大学法学部に進んだ。 大学在学中に厚生大臣草葉隆圓の私設秘書から厚生省職員を務めた。1958年(昭和33年)に卒業した後、1960年(昭和35年)に法政大学大学院修士課程を修了。一旦厚生省を退職し名古屋市役所に入庁するも、後に慶應義塾大学大学院博士課程に進学した。 1964年(昭和39年)に司法試験に合格。 1967年(昭和42年)に名古屋地方裁判所判事補に任官。名古屋地裁在任中に既婚にもかかわらず、離婚したと嘘をついて女性弁護士と3か月間同棲し、地裁が関係者に事情聴取した。
小林 喬(こばやし たかし、1934年1月6日 - )は、日… 小林 喬(こばやし たかし、1934年1月6日 - )は、日本の経営者。富国生命保険社長、会長を務めた。 東京都出身。父は日本航空会長や東急電鉄社長、富国生命保険社長などを歴任し、財界四天王の一人とされた小林中。母は子爵・大岡忠量の三女・慶子。1956年に慶應義塾大学経済学部を卒業。三菱銀行での勤務を経て、1968年に富国生命保険に転じ、同年に取締役に就任。1971年3月に常務、1974年5月に専務、1989年3月に副社長を経て、1991年9月に社長に就任した。1998年7月に会長を経て、2003年6月に相談役に退いた。 妻は学習院大学名誉教授の林友春(伯爵・林博太郎の長男)と松濤幼稚園創設者・林貞子の次女・絢子。
奈良 和(なら かず、1934年(昭和9年)1月6日 - 1… 奈良 和(なら かず、1934年(昭和9年)1月6日 - 1995年(平成7年)1月30日)は、日本教育テレビ・テレビ朝日アナウンサー。初代アナウンス部長を務めた。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
磯野 恭子(いその やすこ、1934年(昭和9年)1月6日 … 磯野 恭子(いその やすこ、1934年(昭和9年)1月6日 - 2017年(平成29年)8月2日)は、山口放送に在籍していたテレビディレクター、実業家。ドキュメンタリーの制作を多く手がけ、同局の取締役や岩国市の教育長も歴任した。 広島県高田村(現・江田島市)出身。地元の高田小学校に登校する途中、原爆投下のキノコ雲を能美島で目撃した。 12歳で能美島を離れ、広島県立第一高等女学校に通う。第一高女はのちに男女共学の県立皆実高等学校となり、恭子もそのまま皆実高に進んだ。皆実高の同級生に亀井郁夫(政治家)がいて、晩年まで交流があった。東京大学を目指したが、受験に失敗し、単身上京。予備校に通い、アルバイトをしながら浪人生活を送ったものの、心身ともに疲れ果て、1年で広島に戻り、広島大学政経学部の夜間部に入学する。
伊藤 洋(いとう ひろし、1934年1月6日 - )は、日本… 伊藤 洋(いとう ひろし、1934年1月6日 - )は、日本のフランス演劇研究者、早稲田大学名誉教授。 東京府生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒、同大学院博士課程中退。早稲田大学教育学部助教授、教授、パリ大学文学博士。早稲田大学演劇博物館館長。2003年退任、名誉教授。 2013年 瑞宝中綬章受章。
ダニー飯田(ダニーいいだ、1934年1月6日 - 1999年… ダニー飯田(ダニーいいだ、1934年1月6日 - 1999年7月5日)は、昭和時代中期から平成時代初期に活動したバンド・ダニー飯田とパラダイス・キングのリーダー。本名:飯田 紘久(いいだ ひろひさ)。埼玉県川口市出身。 芸名のダニーは尊敬するスティール・ギター奏者ダニー・クワナから取ったという。 元々ハワイアンバンド・『大橋節夫とハニー・アイランダース』の一員として活動していたが、1955年に独立し同年3月に『ダニー飯田とパラダイス・ハーモニー』を結成(翌年『ダニー飯田とパラダイス・キング』に改名。)。ジェリー藤尾、坂本九、石川進、九重佑三子らを育て上げた。 歌唱、スティール・ギター演奏の他、パラダイス・キングの殆どの楽曲の編曲を担い、坂本九のデビュー曲『題名のない歌だけど』では作詞・作曲・編曲を担当している。
長澤 雅男(ながさわ まさお、1933年1月6日 - 201… 長澤 雅男(ながさわ まさお、1933年1月6日 - 2018年3月11日)は、日本の図書館情報学者、東京大学名誉教授。 島根県松江市生まれ。1958年、慶應義塾大学文学部図書館学科卒業。1961年、ジョージ・ピーボデー大学大学院修士課程修了。1958年、国際基督教大学図書館勤務、1960年、慶應義塾大学文学部講師、助教授、1973年、東京大学教育学部助教授、教授、1993年、定年退官、名誉教授、愛知淑徳大学教授。2003年、退職。日本図書館情報学会会長を務めた。 日本図書館協会発行の『日本の参考図書 補遺版』『日本の参考図書 解説総覧』の編集委員長を務めた。
辻 成史(つじ しげぶみ、1933年1月6日- )は、日本の… 辻 成史(つじ しげぶみ、1933年1月6日- )は、日本の美術史家。大阪大学名誉教授。専門は古代末期、ビザンティン・中世美術、図像学。 1933年、東京で生まれた。東京芸術大学美術学部芸術学科で学び、1958年に卒業。立教大学大学院文学研究科組織神学専攻に進学し、修士課程を修了。プリンストン大学に留学して1966年に博士号を取得。 清泉女子大学教授を経て、1977年大阪大学文学部助教授に就任。1989年、同文学部教授に昇格。1996年に大阪大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は金沢美術工芸大学教授として教鞭を執り、2000年からは大手前大学人文科学部教授をつとめた。また、西宮市大谷記念美術館館長を務める。
亀井 俊郎(かめい としお、1933年1月6日 - 2004… 亀井 俊郎(かめい としお、1933年1月6日 - 2004年5月20日)は、日本の技術者、実業家。川崎重工業代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本造船工業会会長等を歴任した。 茨城県水戸市出身。1955年横浜国立大学工学部卒業、川崎重工業神戸造船所造船工作部技師。野田工場長、取締役産機・鉄構事業本部副事業本部長兼FA・ロボット事業部長、専務取締役資材本部長・営業総括本部副本部長などを経て、1997年代表取締役社長。1998年弘陵造船航空会会長。1999年から日本造船工業会会長や日本産業機械工業会副会長、次世代金属・複合材料研究開発協会理事長、関西経済連合会科学技術委員会委員長、通商産業省航空機工業審議会委員、運輸省海運造船合理化審議会委員を務め、韓国企業に対する批判などを展開した。
江波戸 昭(えばと あきら、1932年1月6日 - 2012… 江波戸 昭(えばと あきら、1932年1月6日 - 2012年10月23日)は、日本の地理学者、民族音楽研究家。明治大学名誉教授。 東京生まれ。1955年、東京大学理学部地理学科卒業。1960年、同大学院博士課程修了、「蚕糸業地域の地理学的研究」で理学博士。1965年、明治大学商学部専任講師、のち助教授、教授。2002年、定年退任、名誉教授。 経済地理学を専攻し、蚕糸業地域の研究や、東京大都市圏の研究で業績をあげたほか、世界の民族音楽についての研究でも知られ、1970年から2000年までNHK-FMの番組『世界の民族音楽』を担当していた。また、楽器などを図案に取り込んだ切手の収集でも知られ、この方面の著作も多数ある。
佐藤 富雄(さとう とみお、1932年1月6日 - 2012… 佐藤 富雄(さとう とみお、1932年1月6日 - 2012年11月5日)北海道北見市生まれの自己啓発書作家。東京農業大学、早稲田大学卒業。医学博士、農学博士。スピール・ハーレ大学(ルーマニア)教授、ルーマニア名誉領事。大脳・自律神経系と人間の行動・言葉の関連性を研究していた。 2012年11月5日、肺炎のため死去。
水谷 伸治郎(みずたに しんじろう、1932年〈昭和7年〉1… 水谷 伸治郎(みずたに しんじろう、1932年〈昭和7年〉1月6日 - 2025年〈令和7年〉11月10日)は、日本の地球科学者。専門は堆積地質学・構造地質学。三重県四日市市生まれ。学位は、理学博士(名古屋大学・1964年)。名古屋大学名誉教授。弟に経済評論家・中京大学名誉教授の水谷研治。 1954年(昭和29年)名古屋大学理学部を卒業し、同地球科学科大学院修士課程へ進学。当時の木村敏雄助教授の影響を受け、堆積地質学を専攻。1956年同博士課程へ進学。松澤勲教授のもとで、構造地質学を専攻。 1958年3月同課程中退。同年4月名古屋大学理学部地球科学科の助手となる。 1964年名古屋大学より理学博士の学位を取得。
富岡喜平(とみおか きへい、1932年1月6日-2007年8… 富岡喜平(とみおか きへい、1932年1月6日-2007年8月14日)は日本の男子自転車競技選手。青森県八戸市出身。 日本大学在学時代の1951年にニューデリーで開催されたアジア競技大会に出場し、個人ロードレースで金メダルを獲得した。1952年にはヘルシンキオリンピックに出場しているが、個人ロードレースは途中棄権、スクラッチレースとタンデムで予選敗退している。 八戸市やぐら横丁にて「富岡輪業」自転車店を開業、のちに1980年代中頃、中居林字平に移転した。 2007年8月14日に肺炎により75歳で亡くなった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
荒岡 昭(あらおか あきら、1931年1月6日 - )は、神… 荒岡 昭(あらおか あきら、1931年1月6日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)。 逗子開成中学校から横浜専門学校を経て、1950年に大映スターズへ入団。1952年に退団。 1954年に西鉄ライオンズで復帰し、同年引退。
八千草 薫(、1931年〈昭和6年〉1月6日 - 2019年… 八千草 薫(、1931年〈昭和6年〉1月6日 - 2019年〈令和元年〉10月24日)は、日本の女優。 大阪府大阪市出身。宝塚音楽学校卒業。所属事務所は柊企画。愛称は「ヒトミ(ちゃん)」(本名に由来)。公称身長154cm。 幼少時に父を亡くし、母子家庭で育つ。思春期がちょうど戦時中であり、自宅も空襲で焼け、「色のある」「夢のある世界」に飢えていたことから華やかな世界にあこがれた。 聖泉高等女学校(現:プール学院中学校・高等学校)在学中に宝塚音楽学校に合格し、1947年に宝塚歌劇団34期生として入団。入団時の成績は50人中19位。入団当初は『分福茶釜』の狸などコミカルな役を当たり役としたが、1952年『源氏物語』の初演で可憐で無垢な若紫(紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し、人気を博した。
福嶋 一雄(ふくしま かずお、1931年1月6日 - )は、… 福嶋 一雄(ふくしま かずお、1931年1月6日 - )は、日本の野球選手(投手)。1940年代から1950年代にかけてアマチュア野球でプレーした。
桑原 洋子(くわはら ようこ、1931年(昭和6年)1月6日… 桑原 洋子(くわはら ようこ、1931年(昭和6年)1月6日 - )は、日本の社会福祉学者。 北海道生まれ。1953年大阪女子大学文芸学部社会福祉学科卒業。56年大阪市立大学大学院法学研究科修士課程修了。佛教大学講師、1971年ロンドン大学上級法律学研究所に学ぶ。花園大学文学部教授、龍谷大学社会学部教授、2001年四天王寺国際仏教大学教授。 1994年「英国児童福祉制度史研究」で専修大学より博士(法学)の学位を取得。
瀬木 慎一(せぎ しんいち、1931年1月6日- 2011年… 瀬木 慎一(せぎ しんいち、1931年1月6日- 2011年3月15日)は、日本の美術評論家。 東京府生まれ。中央大学法学部卒業後、1950年代から岡本太郎、花田清輝らの前衛芸術運動「夜の会」に参加するなど美術評論に関わり、多くの著述を執筆した。東京芸術大学でも美術論や芸術史の講義をした。日本に多くの西洋美術を紹介する。とくに社会や経済の視点から美術を論じた美術社会学研究が著名で、海外でも知られている。 総合美術研究所所長・国際美術評論家連盟会長・ジャポニズム学会常任理事・国際浮世絵学会理事などを歴任。 テレビ東京の番組「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士としても、たびたび出演した。 2011年3月15日、肺炎のため80歳で死去。
矢野 祐弘(やの すけひろ、1931年1月6日 - 1993… 矢野 祐弘(やの すけひろ、1931年1月6日 - 1993年6月11日)は、愛媛県出身のアマチュア野球の野球指導者。 西条高校(旧制西条中学校)を経て、立教大学に進学し野球部に属したが、2年で中退。1950年3月に母校の西条高校の監督に就任した。1956年の選抜高校野球で初めて甲子園への出場を果たし、1959年の全国高校野球では、エースの金子哲夫を擁し、初めて全国制覇を果たした。1962年の岡山国体でも優勝を果たした。 実績を買われて、1965年から1977年までの間、亜細亜大学の監督を務めた。山本和行投手を擁し1971年春に東都大学野球リーグで亜大3回目の優勝を果たすと、全日本大学野球選手権大会で法政大学を破り亜大を全国大会初優勝に導いた。
南 温平(みなみ おんぺい、1930年1月6日 - )は、和… 南 温平(みなみ おんぺい、1930年1月6日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。 旧制田辺中学校では遊撃手として活躍。2年次の1947年に春の選抜へ出場。1回戦で富田中から22点を奪い快勝。しかし2回戦では城東中に延長11回サヨナラ負け。3年次の1948年にも2年連続で春の選抜へ出場。1回戦は岐阜商を大差で降すが、準々決勝はこの大会に優勝した京都一商の北本重二に抑えられ敗退。チームメートでは右翼手の岩本尭、二塁手の寺本哲治がプロ入りしている。 卒業後は社会人野球の海南日東紡績を経て、1949年夏に読売ジャイアンツが初めて行った選手公募を受験し、大阪地区でただ一人合格し入団。1951年には一軍初出場を果たすが、活躍の場は少なかった。
松浦 周吉(まつうら しゅうきち、1930年(昭和5年)1月… 松浦 周吉(まつうら しゅうきち、1930年(昭和5年)1月6日 - 2019年(平成31年)1月5日)は、日本の合唱指揮者。関西地方を拠点に活動した。 関西学院大学経済学部卒業。在学中は関西学院グリークラブに在団し、学生指揮者を務める。1950年(昭和25年)の第3回全日本合唱コンクール全国大会一般部門に同団を指揮して出場、翌年の第4回全日本合唱コンクール全国大会大学部門と連続優勝を果たす。 大学卒業後の1952年(昭和27年)に大和銀行(現・りそな銀行)に入行、同年に行員たちを集めて大和銀行合唱団(現・りそな合唱団)を結成し指揮者に就任した。1954年(昭和29年)の第7回全日本合唱コンクール全国大会職場部門に同団を指揮して初出場で第4位、1959年(昭和34年)の第12回以後全国大会の常連となり、1962年(昭和37年)の第15回から3年連続優勝。
河野 一郎(こうの いちろう、1930年1月6日 - 202… 河野 一郎(こうの いちろう、1930年1月6日 - 2023年1月6日)は、日本の英文学者、比較文学者、翻訳家。東京外国語大学およびフェリス女学院大学名誉教授。専門は、19・20世紀イギリス小説、児童文学。20代から多くの英米文学を訳し、翻訳学校教師も務めた。 兵庫県芦屋市出身(大阪府出身とも)。1947年(昭和22年)東京高等師範学校附属中学校、1951年(昭和26年)東京外事専門学校卒業。1954年(昭和29年)東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業 。 1958年に一橋大学講師。1961年に東京外国語大学講師。1964年にカリフォルニア大学客員教授。1970年に東京外国語大学教授を経てフェリス女学院大学教授。
橋本 博治(はしもと ひろじ、1930年1月6日 - 201… 橋本 博治(はしもと ひろじ、1930年1月6日 - 2010年2月22日)は、日本の経営者、工学博士で、日立電線社長、会長を務めた。 北海道旭川市出身。海軍兵学校を経て、1952年に北海道大学工学部電気工学科を卒業し、同年4月に日立製作所に入社した。 1956年に日立電線に転じ、1977年6月に取締役に就任、1981年6月に常務、1982年6月に専務を経て、1983年6月に副社長に就任し、1985年6月には社長に昇格。1995年6月に会長を経て、1999年6月には相談役に就任。 1993年4月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2010年2月22日肺炎で死去。80歳没。
宍戸 睦郎(ししど むつお、1929年1月6日 - 2007… 宍戸 睦郎(ししど むつお、1929年1月6日 - 2007年2月3日)は、日本の作曲家、洗足学園大学名誉教授。姪に歌手の松尾和子がいる。 北海道旭川市出身。東京藝術大学で池内友次郎に師事。1954年からフランスのパリへ留学しパリ音楽院でジョリヴェやメシアンのクラスで勉強。1957年に卒業したが1961年まで現地に残る。1965年に「ピアノ協奏曲第1番」で芸術祭奨励賞を受賞した。フランスの書法を取っているが日本的な力強さもある作風で、代表作に1966年にのピアノのためのトッカータがある。 1956年、ピアニストの田中希代子と結婚(1959年に離婚)。 1981年から洗足学園大学音楽学部・同学園短期大学音楽科で教鞭をとり、1995年から1999年まで大学音楽学部長・短大音楽科長を務めた。
虎島 和夫(とらしま かずお、1928年〈昭和3年〉1月6日… 虎島 和夫(とらしま かずお、1928年〈昭和3年〉1月6日 - 2005年〈平成17年〉11月1日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 長崎県福江市議会議員(3期)、同市議会議長、長崎県議会議員(5期)、同県議会議長(第46代)、衆議院議員、防衛庁長官(第64代)などを歴任した。 甥は長崎県議会議員(長崎市選挙区)の虎島泰洋。
松谷 蒼一郎(まつたに そういちろう、1928年1月6日 -… 松谷 蒼一郎(まつたに そういちろう、1928年1月6日 - 2024年7月12日)は、日本の政治家、建設官僚。 内閣官房副長官(小渕内閣・第1次森内閣)、参議院議員(2期)を歴任した。 1953年(昭和28年)3月、東京大学工学部建築学科卒業。同年4月、建設省入省。1973年(昭和48年)、大阪府建築部建築指導課長に就任。1975年(昭和50年)7月、建設省住宅局住宅生産課長に就任。1978年(昭和53年)10月、建設省住宅局建築指導課長に就任。1979年(昭和54年)7月、建設省住宅局住宅建設課長に就任。1980年(昭和55年)7月、建設省住宅局参事官に就任。1982年(昭和57年)6月、建設省住宅局長に就任。
板倉 正男(いたくら まさお、1927年1月6日 - 201… 板倉 正男(いたくら まさお、1927年1月6日 - 2011年7月28日)は、千葉県千葉市出身のプロ野球選手(投手、捕手、外野手)。 千葉商業学校から郵便局勤務を経て1947年に国民野球連盟の大塚アスレチックスに入団。リーグ崩壊後、1948年に金星スターズへ入団。翌1949年は合併により大映スターズに移籍、捕手に転向。1952年頃から正捕手。1954年にヴィクトル・スタルヒンと共に高橋ユニオンズに移籍、同年引退。引退後は社会人野球、ゴルフ場勤務を経て船橋カントリークラブ支配人に就任。
神谷 不二(かみや ふじ、1927年1月6日- 2009年2… 神谷 不二(かみや ふじ、1927年1月6日- 2009年2月20日)は、日本の国際政治学者。学位は、法学博士(京都大学・1967年)。慶應義塾大学名誉教授。 愛知県名古屋市[要出典]出身。 当初は岡義武の下で近代イギリス外交史を研究したが、後に関心を現代国際政治へと移し、現代アジアの国際政治、日米関係などを研究対象とする。朝鮮戦争研究の草分けで、1966年に発表した著書『朝鮮戦争』で、戦争の発端は北朝鮮による侵略であったと論じ、従来米韓の「北侵」によるとされてきた戦争起源論に反論した。1993年から2002年まで、防衛学会(後に国際安全保障学会)の会長を務めた。 日本政府の外交政策ブレーンを様々な形で務め、沖縄返還時にも学者グループとして政府への提言を行った。
田代 和(たしろ わ、1927年1月6日 - 2013年11… 田代 和(たしろ わ、1927年1月6日 - 2013年11月24日)は、実業家。近畿日本鉄道元社長(大阪電気軌道創業から12代目)・会長。位階は従三位。 独特ではあるが名前の「わ」はれっきとした本名である。 大分県出身。旧制大分中学・旧制五高を経て東京大学工学部卒業後、1949年に近畿日本鉄道入社。1994年に代表取締役社長、1999年に会長就任、2003年に後任に譲り退任した。 2002年から大阪近鉄バファローズのオーナーを、オリックス・ブルーウェーブに吸収合併され球団解散になる2004年まで務めた。 その他、大阪商工会議所副会頭を1996年から、1999年から2004年まで会頭を務めた。大商は2003年4月に大阪工業会を吸収、大阪財界の顔として活躍した。
柴田 藤祐(しばた とうすけ、1927年1月6日 - 201… 柴田 藤祐(しばた とうすけ、1927年1月6日 - 2015年6月27日)は、日本の経営者。淀川製鋼所社長を務めた。 京都府京都市出身。1951年に京都大学工学部冶金学科を卒業し、同年に淀川製鋼所に入社。1981年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1995年6月に社長に就任。2001年6月に取締役相談役に就任。 2015年6月27日に死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
米田 利昭(よねだ としあき、1927年1月6日 - 200… 米田 利昭(よねだ としあき、1927年1月6日 - 2000年4月13日)は、昭和・平成期の歌人、日本文学研究者。 東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区西ヶ原)生まれ。1948年東京大学文学部国文学科卒業。東京大学時代は、東大アララギ会を中心としたグループ「芽」の中心人物で、岡井隆などと交友を持った。後に未来短歌会に参加。東大大学院を経て、東京都立北園高等学校教諭、宇都宮大学助教授、教授、名誉教授を歴任。1992年定年、駒沢女子大学教授を務めた。闊達な語り口で「リショー氏」と呼ばれた。 斎藤茂吉、土屋文明など主にアララギ系の詩歌を論じた。1968年に発表した『戦争と歌人 渡辺直己の生涯と芸術』では、日中戦争で戦死したアララギ歌人・渡辺直己の戦争詠が、ニュース映画や『西部戦線異状なし』等の戦争映画に影響されたフィクションであったことを実証し、アララギのリアリズムを問い直す問題提起を行った。
中澤 正(中沢 正、なかざわ ただし、1927年1月6日-)… 中澤 正(中沢 正、なかざわ ただし、1927年1月6日-)は、料理史研究家、料理人。 山梨県甲府生まれ。1939年4月上京、東駒形の伯父の家に寄食。その後外地で暮らし、1946年復員、47年関西へ移り、あなごや調理師会幹事高橋辰男に師事し大阪などで働く。1955年上京、日本橋室町一丁目和食信洲などで働く。1963年2月、鉄道弘済会中部支部に入会、とくがわ荘に勤務。この間、進士慶幹に師事して歴史を学んだ。日本料理講師。名古屋在住。
門脇 佳吉(かどわき かきち、1926年1月6日 - 201… 門脇 佳吉(かどわき かきち、1926年1月6日 - 2017年7月27日)は、日本の神学者、宗教学者、イエズス会司祭。上智大学名誉教授。別名大基。 北海道旭川市出身。 旧制見付中学校(現在の静岡県立磐田南高等学校) 、1948年東京帝国大学工学部応用化学科卒業。上智大学大学院で文学修士・神学修士。1964年ローマ・グレゴリアン大学にてPh.D.取得。フォーダム大学で心理学を、レーゲンスブルク大学でマイスター・エックハルトを研究。上智大学教授、1996年定年、名誉教授。 大森曹玄老師(花園大学元学長)から嗣法。「道の共同体」師家。禅とキリスト教を比較研究。 2006年11月瑞宝小綬章受章。
窪田 般彌(くぼた はんや、1926年1月6日 - 2003… 窪田 般彌(くぼた はんや、1926年1月6日 - 2003年1月22日)は、日本のフランス文学者・詩人・翻訳家。早稲田大学名誉教授。 早稲田大学フランス文学科卒。早稲田大学教授を務めた。カサノヴァの「回顧録」、伝記ほか、アポリネール、象徴主義詩などの訳書多数。またフランス文学、フランス史他、近代日本の象徴詩人関連についても著作多数。カミュ『異邦人』の翻訳で知られる窪田啓作は兄。
立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、김윤… 立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、김윤규、1926年1月6日 - 1980年8月12日)は、朝鮮半島出身の日本の小説家・随筆家・詩人・編集者。 1926年(大正15年)1月6日、朝鮮の慶尚北道安東郡で生れた。自著などでは大邱市生れとされていたが、武田勝彦や高井有一の調査によると、安東郡である。早稲田大学専門部国文科中退(入学時は法律学科)。 小林秀雄を導き手として世阿弥の芸術論や謡曲をはじめとする中世の日本文学に深く沈潜し、「中世」をみずからの創作活動の原点とした。 父の死後、母が再婚して渡日したため、叔父(母の弟)の家などに引き取られて育ち、その後、1937年(昭和12年)の11歳のときに内地(日本)に渡り、母たちと同居し横須賀で育った。
阿部 八郎(あべ はちろう、1925年1月6日 - 没年不明… 阿部 八郎(あべ はちろう、1925年1月6日 - 没年不明)は、福島県出身のプロ野球選手(投手、左投左打)・解説者。 小学校出のプロ野球選手。福島県熱海小学校から社会人野球の全福島日東紡へ入団。在籍時に阪急ブレーブスなど複数球団のスカウトマンだった宇高勲にスカウトされ、1949年に阪急ブレーブスへ入団。 1949年は2勝に終わる。同年オフのセ・パ両リーグ分立に伴って、セ・リーグの新球団である西日本パイレーツの選手集めのため、宇高が阪急の選手の大量引き抜きを行う。ここで、個人的に仲が良かったセ・リーグの鈴木龍二から「(引き抜きに)用心しろ」と忠告を受けた阪急監督の浜崎真二は1日中阿部に付いて離れなかったため、阿部は引き抜きを受けず阪急に留まった。
広山 尭道(廣山 堯道、ひろやま ぎょうどう、1925年1月… 広山 尭道(廣山 堯道、ひろやま ぎょうどう、1925年1月6日 - 2006年3月2日)は、日本の塩業史学者。 塩業の盛んな兵庫県赤穂市に生まれる。大正大学文学部国文学科卒業。1974年「近世日本製塩技術史の研究」で大正大・文学博士。兵庫県立赤穂高等学校教諭、赤穂市立歴史博物館館長を務めた。日本歴史学会・日本塩業研究会会員。 2006年3月2日、呼吸不全のため死去。
尾形 克彦(おがた かつひこ、1925年1月6日 - )は、… 尾形 克彦(おがた かつひこ、1925年1月6日 - )は、おもにアメリカ合衆国で活動した日本の工学者。制御工学を専門とし、長くミネソタ大学機械工学部で教鞭を執った。英語で刊行した制御工学の教科書は版を重ね、日本語をはじめ多くの言語に翻訳されたものもあり、また日本語で書き下ろされた著書もあった。 1947年9月、東京大学第二工学部機械工学科を卒業し、科学研究所で大山義年研究室所属の助手を務めた後、技師として日本鋼管に勤務する。 1951年7月に渡米し、1952年6月にイリノイ大学でMSを取得し、さらにカリフォルニア大学バークレー校で1956年6月にPh.D.を取得した。なお、渡米後も日本鋼管川崎製鉄所に籍を置いていた。
田畑 ヨシ(たばた ヨシ、1925年〈大正14年〉1月6日 … 田畑 ヨシ(たばた ヨシ、1925年〈大正14年〉1月6日 - 2018年〈平成30年〉2月28日)は、日本の岩手県宮古市田老地区出身の津波防災教育活動家。 昭和三陸津波体験をもとに紙芝居『つなみ』を自作し、地区内外の児童に講演で津波の恐怖を語り続け、地域の防災教育に貢献してきた。東日本大震災を機に、30年以上にわたる彼女の地道な啓発活動が脚光を浴び、「津波の語り部」として全国的に知られることになった。社団法人・全国海岸協会による「海岸功労者」の2006年度表彰者の1人。 岩手県下閉伊郡田老村(現・宮古市田老地区)に生まれる。幼少時からかつて明治三陸地震の大津波を体験した祖父より、津波の恐ろしさを毎晩のように言い聞かされながら育った。
卜部 亮吾(うらべ りょうご、1924年(大正13年)1月6… 卜部 亮吾(うらべ りょうご、1924年(大正13年)1月6日 - 2002年(平成14年)3月11日)は、日本の官僚。約20年間にわたり、侍従として昭和天皇に仕えた。 侍従となった1969年(昭和44年)から2002年(平成14年)の死去直前まで、毎日欠かさず付けた32年間の日記は、『卜部亮吾侍従日記』(全5巻)として、朝日新聞社から2007年に順次公刊された。同日記は、昭和天皇と香淳皇后に仕えていた広報担当者の日記であり、長期にわたってつけられたものであること、昭和天皇崩御(1989年(昭和64年)1月7日)前後の内情(特に昭和から平成への代替わりの実務を仕切った当時の経緯)と昭和天皇の晩年の姿が分かることから貴重な史料である。
渡辺 誠一郎(渡邊 誠一郎、わたなべ せいいちろう、1924… 渡辺 誠一郎(渡邊 誠一郎、わたなべ せいいちろう、1924年(大正13年)1月6日 - 2001年(平成13年)8月20日)は、日本の実業家。日本特殊鋼(現・大同特殊鋼)取締役。紺綬褒章受章。父親の渡辺三郎から引き継いだ「三日月宗近(国宝)」を始めとする数多くの名刀を寄贈したことで有名。 渡辺三郎・あい(小林弥七の妹、三郎の後妻)の長男として東京府に生まれる。1930年(昭和5年)4月、私立南高輪幼稚園を経て成蹊小学校に入学。以後1942年(昭和17年)7月、旧制成蹊高等学校理科甲類を卒業するまで、小中高一貫教育を受ける。 同年10月、東京帝国大学(第一)工学部冶金学科に入学し、父・三郎と同じ金属精錬を勉強する。
井内 慶次郎(いない けいじろう、1924年(大正13年)1… 井内 慶次郎(いない けいじろう、1924年(大正13年)1月6日 - 2007年(平成19年)12月25日)は、日本の官僚。元文部事務次官。正四位勲二等旭日重光章。広島県出身。
西山哲男(にしやま てつお、1924年1月6日 - 2021… 西山哲男(にしやま てつお、1924年1月6日 - 2021年11月15日)は、日本の流体工学者。東北大学工学部名誉教授。福島県相馬郡小高町(現・南相馬市)出身。東北大学工学部教授、岩手大学工学部教授などを歴任した。 専門は流体力学。プロペラ、水中翼、翼列、翼形キャビテーションなどの流体力学の基礎理論や解析的手法を中心に広範囲に亘り多くの研究を精力的に推進し、その体系化を行った。また、研究指導と教育を通して数多くの研究者や技術者の養成に尽力してきた。 水中翼、キャビテーションを伴う単独翼および翼列の定常特性、曲げ・捩じり振動する翼列のフラッタ、周期変動流れにおける翼列の動的応答、翼形キャビテーションの動的挙動、環状翼列流れにおける三次元性に関し、理論および実験の両面より研究を展開し、プロペラ羽根、ポンプ、水車、タービン等の設計や諸問題解決に多大な寄与があった。
吉田 満(よしだ みつる、1923年〈大正12年〉1月6日 … 吉田 満(よしだ みつる、1923年〈大正12年〉1月6日 - 1979年〈昭和54年〉9月17日)は、日本の作家。日本銀行職員。キリスト者。 大日本帝国海軍における戦時体験をもとにした戦記を残すとともに、日本銀行職員の要職を歴任する傍ら、「戦中派」として独自の著作活動や言論活動を続けた。代表作の『戦艦大和ノ最期』は、映画化、長時間テレビドラマ化もされ、海軍での上官であった臼淵磐も吉田の著作を通しても広く知られるようになった。 1923年(大正12年)1月6日、父・吉田茂と母・ツナの長男として、東京市赤坂区青山北町(現・東京都港区北青山)で誕生。上には姉の瑠璃子がいた。同年の9月の関東大震災のため、その後一家は渋谷町(現・渋谷区)に移った。