石井 謙三(いしい けんぞう、1899年(明治32年)10月… 石井 謙三(いしい けんぞう、1899年(明治32年)10月7日 - 没年不明)は、日本の政治家。広島県松永市(現・福山市)長(2期)。 広島県松永町(のち松永市、現・福山市)出身。1918年(大正7年)旧制広島県立福山中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。旧制第六高等学校を経て、1925年(大正14年)東京帝国大学文学部英文学科卒業。翌年広陵中学校(現・広陵高等学校)教諭を経て、熊本県立中学済々黌(現・熊本県立済々黌高等学校)教諭、1929年(昭和4年)佐賀県立武雄中学校(現・佐賀県立武雄青陵中学校・武雄高等学校)、同佐賀中学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)、山口県立豊浦中学校(現・山口県立豊浦高等学校)各教諭を経て、1942年(昭和17年)山口県立萩中学校(現・山口県立萩高等学校)校長となる。
伊藤 廉(いとう れん、1898年(明治31年)10月7日 … 伊藤 廉(いとう れん、1898年(明治31年)10月7日 - 1983年(昭和58年)1月24日)は、日本の洋画家。 愛知県名古屋市出身。本名読みは「きよし」。愛知一中卒業、明治大学文学部中退、東京美術学校西洋画科卒業。1927年ヨーロッパに渡りジョルジュ・ルオーに師事。帰国後、二科展で二科賞を受賞。1930年里見勝蔵らと独立美術協会を興す。1943年国画会会員。1954年東京藝術大学教授。1962年定年退官、名誉教授、愛知県立芸術大学教授。
本多 顕彰(ほんだ あきら/けんしょう、1898年10月7日… 本多 顕彰(ほんだ あきら/けんしょう、1898年10月7日 - 1978年6月30日)は、日本の英文学者、評論家、浄土真宗の僧侶。法政大学名誉教授。 愛知県名古屋市の寺院に生まれ、自らも僧籍を有した。本名・けんしょう。旧制愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)を経て、1923年東京帝国大学文学部英文科卒。九州帝国大学講師、旧制福岡高等学校教授、東京女子高等師範学校教授を経て、1933年から1966年まで法政大学教授を務めた。その後、駒沢大学、実践女子大学、武蔵野女子大学の教授を歴任。シェイクスピア、ロレンスなど英文学の翻訳・研究に加え、近代日本文学など広範な評論活動をおこなった。 夏目漱石、親鸞に関する著作のほか、エッセイストとしても長年執筆を行い、学内事情を暴露した『大学教授』や『歎異抄入門』はベストセラーとなった。
河村 良介(かわむら りょうすけ、1898年10月7日 - … 河村 良介(かわむら りょうすけ、1898年10月7日 - 1993年7月29日)は、日本の経営者。日本クレジットビューロー(のちのJCB)社長を務めた。山口県出身。 1922年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に山口銀行(のちの三和銀行)に入行。1945年9月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1957年5月に監査役に就任。1961年1月に日本クレジットビューロー(のちのJCB)社長に就任し、1970年に会長を経て、後に相談役を務めた。 1958年(昭和38年)11月10日、「世界貝類展」が開催されていた国立科学博物館に昭和天皇が行幸。河村は貝類標本収集家としての一面もあり、説明員の一人として加わった。
山田 勝次郎(やまだ かつじろう、1897年〈明治30年〉1… 山田 勝次郎(やまだ かつじろう、1897年〈明治30年〉10月7日 - 1982年〈昭和57年〉6月7日)は、日本の農業経済学者、実業家。筆名は柏崎次郎。旧姓・蝋山。蠟山政道の弟、小山長四郎(美峰酒類社長)、蝋山芳郎の兄。 群馬県高崎市歌川町に、蝋山政次郎の次男として生まれる。新潟県柏崎の祖父母のもとで育ち、旧制柏崎中学校(現・新潟県立柏崎高等学校)、旧制第一高等学校を卒業。1922年(大正11年)東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業。同年山田昌吉(高崎商工会議所第6代会頭)の娘・とくと結婚し、山田に改姓。 東京帝国大学の副手・助手を経て、1925年(大正14年)京都帝国大学助教授となる。1926年(大正15年)から文部省在外研究員として1928年(昭和3年)までイギリス・ドイツ・フランスに滞在した。
園田 忍(そのだ しのぶ、1897年〈明治30年〉10月7日… 園田 忍(そのだ しのぶ、1897年〈明治30年〉10月7日 - 1986年〈昭和61年〉12月27日)は、日本の電気/電子物理工学者。工学博士(東北大学)。大阪大学・大阪工業大学名誉教授。 戦時研究会議元委員。輻射科学研究会元理事。マイクロ波立体回路の権威の一人。 専門は、電気/電子物理工学、電磁波工学・電磁気学・電波工学(特にマイクロ波)。 1939年大阪帝国大学理学部助教授。1952年工学博士(東北大学)。大阪大学理学部教授を経て、1961年大阪大学名誉教授。その後、大阪工業大学工学部電子工学科教授。1976年大阪工業大学名誉教授。 大阪大学理学部では電磁波工学において、岡部金治郎(日本の十大発明家でマイクロ波源とする分割陽極マグネトロンを発明、電磁波工学の権威の一人)と共に大阪大学産業科学研究所の運営やマイクロ波立体回路の研究推進に貢献した。
椎名 六郎(しいな ろくろう、1896年10月7日 - 19… 椎名 六郎(しいな ろくろう、1896年10月7日 - 1976年11月30日)は、図書館学者。 香川県出身。大谷大学卒業。明善高等女学校(現英明高等学校)教諭を経て、1943年香川県立図書館長となる。のち国立国会図書館調査員、奥州大学(現富士大学)教授。日本図書館学会の創立に参加した。
河村 参郎(かわむら さぶろう、1896年(明治29年)10… 河村 参郎(かわむら さぶろう、1896年(明治29年)10月7日 - 1947年(昭和22年)6月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は中将。 1924年陸大(36期)卒後、東京帝国大学で学び、陸軍省軍務局付として1934年までフランスに駐在。1936年には二・二六事件の軍法会議判士を務めた。1937年北支那方面軍参謀として日中戦争に出征。1941年歩兵第9旅団長としてマレー作戦に参加。1942年昭南警備司令官としてシンガポール市内の掃討作戦を指揮。同年12月、印度支那駐屯軍参謀長。終戦後、シンガポール華僑粛清事件の戦犯容疑で逮捕され、1947年4月に死刑判決を受け、同年6月、シンガポールで刑死。
桑原 支那吉(くわばら しなきち、1895年(明治28年)1… 桑原 支那吉(くわばら しなきち、1895年(明治28年)10月7日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。広島県出身。
源 豊宗(みなもと とよむね、1895年10月7日 - 20… 源 豊宗(みなもと とよむね、1895年10月7日 - 2001年1月17日)は、日本を代表する日本美術史家、文学博士。専門は仏教美術史。 関西学院大学教授、帝塚山学院大学教授などを歴任。1952年から1976年まで文化財保護審議会専門委員を務めた。著書に「日本美術史論究」、「日本美術史図録」、「大徳寺」などがある。元大阪芸術大学教授で文芸評論家の源高根は息子。 福井県武生市(現:越前市)に生まれる。1918年、曹洞宗大学(のちの駒澤大学)卒業。その後、京都帝国大学に進み、1925年京都帝国大学文学部美学美術史科卒業。在学中から仏教美術に関心を持っていた。源 豊秋の筆名で論文「気比神社の桃太郎彫刻」(1923年)を発表。
加藤 弘造(かとう こうぞう、1895年(明治28年)10月… 加藤 弘造(かとう こうぞう、1895年(明治28年)10月7日 - 1982年(昭和57年)7月28日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、静岡県志太郡島田町長。 静岡県志太郡島田町本通り(現島田市)で、木材業、加藤商事会社・加藤友吉の四男として生まれる。1916年(大正5年)早稲田大学予科 を卒業した。 家業の加藤商事会社社員となる。1920年代に、廓潰運動、部落解放運動、無政府運動に係わり、静岡県水平社などに資金援助を行った。1931年(昭和6年)静岡県会議員に選出され3期在任し、参事会員も務めた。1934年(昭和9年)島田町長に就任し3期在任した。日中戦争に出征し陸軍中尉となる。
中山 栄一(中山 榮一、なかやま えいいち、1895年10月… 中山 栄一(中山 榮一、なかやま えいいち、1895年10月7日 - 1976年8月21日)は、日本の政治家。衆議院議員。 群馬県出身。早稲田大学商学部卒業。龍ケ崎町会議員、茨城県会議員、同参事会員などを歴任。 1946年、戦後初の衆院選に茨城県選挙区から無所属で立候補し当選。その後、公職追放となり、追放解除後は旧茨城県第1区において第25回・第27回・第29回・第30回・第31回総選挙で当選し、衆議院議員を通算6期務めた。1969年12月の第32回総選挙には立候補せず引退。 その後、石橋内閣・第1次岸内閣の北海道開発政務次官、第1次佐藤内閣の行政管理政務次官、衆議院災害対策特別委員会理事、衆議院農林水産委員会委員などを歴任した。
松嶋 喜作(まつしま きさく、1891年(明治24年)10月… 松嶋 喜作(まつしま きさく、1891年(明治24年)10月7日 - 1977年(昭和52年)2月17日)は、日本の政治家。実業家。参議院副議長(第2代)。参議院議員(1期)。 兵庫県明石市出身。1918年京都帝国大学卒業。卒業後は日本興業銀行に入る。1941年理事に就任。戦後の1946年大和証券の会長となる。翌1947年第1回参議院議員通常選挙で全国区から立候補して当選(3年議員)。自由党政調会長を務める。1949年参議院副議長に就任した。議員を1期で退任後、1952年日本製鋼や東京螺子の社長に就任。1956年国鉄諮問委員、翌年に富士航空社長を務めた。 1965年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章。 1977年2月17日死去、85歳。
多田 武雄(ただ たけお、1890年(明治23年)10月7日… 多田 武雄(ただ たけお、1890年(明治23年)10月7日 - 1953年(昭和28年)3月3日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 1890年10月7日、岩手県で盛岡中学校長・多田綱宏の二男として生まれる。盛岡中学から東京府立第一中学へ転校。府立一中を卒業後、海軍兵学校へ入校し、1912年(明治45年)7月、同校卒業(第40期)。海兵同期に、大西瀧治郎、宇垣纏、山口多聞、福留繁、岡新、千田貞敏、吉良俊一など。1913年(大正2年)12月、海軍少尉任官。 1918年(大正7年)12月、呉防備隊分隊長に就任するが、1919年(大正8年)4月、病気のため待命となる。1920年(大正9年)6月、軍令部出仕(第3班第5課)として復帰。
栗橋 保正(くりはし やすまさ、1890年(明治23年)10… 栗橋 保正(くりはし やすまさ、1890年(明治23年)10月7日 - 1967年(昭和42年)4月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中将。 茨城県出身。栗橋保孝の二男として生まれる。1911年(明治44年)5月、陸軍経理学校(5期)を卒業。同年12月、三等主計に任官し歩兵第50連隊付となる。1913年(大正2年)12月、陸軍被服本廠員に就任し、1915年(大正4年)6月、二等主計に昇進。1916年(大正5年)6月、経理学校学生となり、1917年(大正6年)5月から1918年(大正7年)5月まで、同校の員外学生となる。1920年(大正9年)8月、一等主計に進み、近衛師団経理部員、陸軍省経理局課員を歴任。
島田 善介(しまだ ぜんすけ、旧名:福田 子之助、1888年… 島田 善介(しまだ ぜんすけ、旧名:福田 子之助、1888年10月7日 - 1955年1月29日)は、栃木県氏家町(現・さくら市)出身の野球選手。 慶應義塾普通部では1年生からレギュラー遊撃手であった。 慶應義塾大学へ進学すると捕手にコンバートし、1906年秋に中止となった早慶戦にも出場していた。また、ハワイ遠征やアメリカ遠征に参加した。強肩で有名であり、二塁送球が鮮やかと評され名物であった。 大学卒業後は「島田善介」と改名し、引き続き三田倶楽部でプレー。 1922年11月に来日した米大リーグ選抜チームとの試合では小野三千麿とバッテリーを組み9対3で勝利し、自身も1回にホームランを打っている。 晩年は日本学生野球協会審査委員、副会長を歴任した。
草野 豹一郎(くさの ひょういちろう 1886年10月7日 … 草野 豹一郎(くさの ひょういちろう 1886年10月7日 - 1951年9月12日)は、日本の裁判官、法学者、弁護士。
渡 久雄(わたり ひさお、1885年(明治18年)10月7日… 渡 久雄(わたり ひさお、1885年(明治18年)10月7日 - 1939年(昭和14年)1月2日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
長谷部 鋭吉(はせべ えいきち、1885年10月7日 - 1… 長谷部 鋭吉(はせべ えいきち、1885年10月7日 - 1960年10月24日)は日本の建築家、実業家。住友銀行本店などを手掛ける。 東京都出身(北海道生まれ)。住友総本店出身で、日建設計の母体の長谷部竹腰建築事務所の竹腰健造と共に創業者の1人である。大阪市北浜の住友ビルディング(旧住友銀行本店・現三井住友銀行大阪本店)や千代田区の日本神学校(現東京ルーテルセンター教会)などが代表作として知られている。
小杉 繁安(こすぎ しげやす、1884年(明治17年)10月… 小杉 繁安(こすぎ しげやす、1884年(明治17年)10月7日 - 1963年(昭和38年)4月29日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 山形県東村山郡天童町(現天童市)で小杉繁治の長男として生まれる。1919年(大正8年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業した。 日本鉱業開発取締役、沢藤電機取締役、東北振興精密機械専務取締役、北日本産業社長、日生鉱業社長、東北農機社長、協栄興業社長、大船産業監査役などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に山形県地方区から無所属で出馬して当選し、自由党に所属して参議院議員に1期在任した。その間、参議院両院法規委員長などを務めた。
笠原 忠造(かさはら ちゅうぞう、1878年(明治11年)1… 笠原 忠造(かさはら ちゅうぞう、1878年(明治11年)10月7日 - 1926年(大正15年)11月12日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 長野県長野市に、薬種商を営む笠原十兵衛の長男として生まれる。1906年(明治39年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、長野市に弁護士事務所を開いた。弁護士業のかたわら、長野市会議員、同議長、長野県会議員、同議長を務めた。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第15回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。 その他に、田川炭鉱株式会社常務取締役、京浜電力常務取締役、帝国石膏株式会社取締役を務めた。
真船 民伊(まふね たみい、1878年(明治11年)10月7… 真船 民伊(まふね たみい、1878年(明治11年)10月7日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。愛知県中央商工相談所常務理事。 福島県安積郡三代村(現在の郡山市)出身。1904年(明治37年)に東京高等師範学校英語部を、1910年(明治43年)に東京帝国大学法科大学法律科を卒業した。高等文官試験に合格し、福島県理事官、宮城県理事官、鳥取県警察部長、愛知県産業部長、島根県書記官・内務部長、香川県書記官・内務部長、茨城県書記官・内務部長、熊本県書記官・内務部長を歴任した。 退官後は豊橋市助役、愛知県中央商工相談所常務理事、愛知県嘱託を務めた。
小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 … 小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 – 1950年(昭和25年)5月25日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、衆議院議員、東京市助役。 高知県幡多郡、のちの宿毛村与市明(宿毛町を経て現宿毛市)出身。小野義為、キミの長男として生まれる。高知一中、東京府立四中を経て、1898年(明治31年)7月、第一高等学校政治科を首席で卒業。1903年(明治36年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を首席の優等で卒業し、銀時計を授与された。東大の同期には小川郷太郎や上杉慎吉、馬場鍈一ら。同年同月、大蔵属に任官し主計局兼参事官付となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に次席合格。この時の首席合格者は馬場鍈一だった。
竹内 権兵衛(たけうち ごんべえ、1875年(明治8年)10… 竹内 権兵衛(たけうち ごんべえ、1875年(明治8年)10月7日 - 1945年(昭和20年)8月10日)は、大正から昭和時代戦前の政治家。実業家。貴族院多額納税者議員。幼名は幸太郎。 茨城県久慈郡、のちの太田町(現常陸太田市)出身。先代権兵衛の長男として生まれ、1913年(大正2年)家督を相続と共に幼名を改める。 1914年(大正3年)以降、茨城県農工銀行監査役、日本製鋼取締役、日本赤十字社茨城支部商会議員などを歴任した。ほか、水浜電車社長、茨城土木工業、鹿島軌道、日立電気各取締役を務めた。 1918年(大正7年)9月29日には茨城県多額納税者として貴族院議員に互選され、1921年(大正10年)5月17日に除名されるまで務めた。
志賀 和多利(しが わたり、1874年(明治7年)10月7日… 志賀 和多利(しが わたり、1874年(明治7年)10月7日 - 1945年(昭和20年)6月14日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 岩手県胆沢郡西根村(現在の金ケ崎町)出身。日本法律学校(現在の日本大学)を卒業し、1901年(明治34年)に高等文官試験と判検事登用試験に合格し、盛岡地方裁判所に司法官試補・検事代理として勤務した。しかし間もなく退官して弁護士を開業した。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、7回の当選を重ねた。その間、田中義一内閣で鉄道参与官を、齋藤内閣で逓信政務次官を務めた。 1942年(昭和17年)の翼賛選挙では非推薦で立候補したが落選した。
田澤 昌孝(たざわ まさたか、1873年10月7日 - 19… 田澤 昌孝(たざわ まさたか、1873年10月7日 - 1942年6月30日)は、日本の発明家。 1891年(明治24年)に慶應義塾大学を卒業した後、海軍省技監の若山鑛吉につき造船および造機学を修得した。その後、芝浦製作所に入所し各種の機械製作に従事した。1909年(明治42年)に下記特許を取得し、翌年に電業社水車製造所を創立し、大型水車の製造を行った。 1919年(大正8年)に帝国発明協会の全国発明表彰により、有功賞が授与されている。 海軍軍人の向山均の弟である坦を養子に迎えている。
鉞り 鉄五郎(まさかり てつごろう、1867年10月7日〈慶… 鉞り 鉄五郎(まさかり てつごろう、1867年10月7日〈慶應3年9月10日〉 - 1925年〈大正14年〉12月8日)は、現在の千葉県山武市(旧・上総国武射郡)で浦風部屋及び高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は今関 鉄五郎。身長体重は不明。最高位は東前頭13枚目。色黒で無愛想な容貌から「鬼」と言われた。 1886年1月初土俵(序ノ口)。1893年5月十両昇進。1894年6月新入幕。しかし、翌1895年1月場所前に大日本帝国陸軍に入営し、近衛師団の軍夫になった。台湾に出征するも、マラリアに罹ってあえなく帰国。1895年5月場所で東十両張出筆頭で復帰するも2勝8敗と負け越し、以後再入幕は叶わなかった。
和田 万吉(わだ まんきち、慶応元年8月18日(1865年1… 和田 万吉(わだ まんきち、慶応元年8月18日(1865年10月7日) - 昭和9年(1934年)11月21日)は、明治から昭和にかけての国文学者・図書館学者・書誌学者。今沢慈海と並んで日本に本格的な図書館学を導入した人物として知られている。美濃国大垣出身。 大垣藩士和田為助の子として、大垣城城下町の東長町に生まれる。明治23年(1890年)に東京帝国大学国文科を卒業して東京帝国大学付属図書館大学に奉職する。明治25年(1892年)から4年間は学習院教授を兼ねる。明治29年(1896年)に東京帝国大学助教授兼附属図書館司書官となり、翌明治30年(1897年)に図書館長に昇進、以後27年間にわたって館長を務めた。
河波 荒次郎(かわなみ あらじろう、1865年10月7日(慶… 河波 荒次郎(かわなみ あらじろう、1865年10月7日(慶応元年8月18日)- 1932年(昭和7年)2月21日)は、日本の農業経営者、政治家。衆議院議員。「玄洋社式の豪傑」と呼ばれた。 筑前国御笠郡山田村、のちの福岡県筑紫郡大野村(現大野城市)で、地主・河波宗五郎の長男として生まれる。1885年(明治18年)家督を相続した。1888年(明治21年)東京専門学校邦語政治科を卒業した。農業を営み、玄洋社社員であった。 大野村会議員、筑紫郡会議員、同議長、雑餉隈郵便電信局長(現博多南郵便局)などを務め、1903年(明治36年)福岡県会議員に選出された。1905年(明治38年)九州日報社副社長に就任した。
小北 寅之助(こきた とらのすけ、1865年10月7日(慶応… 小北 寅之助(こきた とらのすけ、1865年10月7日(慶応元年8月18日)- 1932年(昭和7年)8月26日)は、日本の牧師である。 丹波の南桑田郡千代川村今津(現在の京都府亀岡市)に小北忠蔵とその妻のふじ子の子として生まれる。1883年(明治16年)に京都に出て後に同志社英学校に入学し山本覚馬から法学等を学び、また後に覚馬の影響を受け受洗しキリスト教徒となる。1890年(明治23年)に同学校を卒業後は、同年創立したばかりの熊本の八代教会を経て1896年(明治29年)には再度京都に戻り同地の丹後教会に赴任する。 1909年(明治42年)には北海道に渡り、名寄で天塩教会(名寄教会)の設立に携わり同地でキリスト教の伝道にあたった。
菅原 傳(すがわら でん、文久3年8月25日(1863年10… 菅原 傳(すがわら でん、文久3年8月25日(1863年10月7日) - 昭和12年(1937年)5月9日)は、明治から昭和時代前期の政治家。名は「つたう」とも読む。星亨の配下。 文久3年(1863年)、陸奥国遠田郡(現在の宮城県遠田郡涌谷町)に菅原応輔の二男に生まれる。大学予備門を経て帝国大学に学び、明治19年(1886年)渡米、パシフィック大学に学ぶ。在米中自由党に加盟し、1887年にサンフランシスコで在米日本人愛国同盟会(Japanese Patriotic League)を結成、機関紙『第十九世紀』を発行。同会は、米国オークランドで政治活動を行っていた山口熊野らのグループと、菅原らサンフランシスコの日本人留学生が結びついてできたもので、やや遅れて日向輝武、井上平三郎、井上敬次郎らが参加した。
有田 源一郎(ありた げんいちろう、1853年10月7日(嘉… 有田 源一郎(ありた げんいちろう、1853年10月7日(嘉永6年9月5日)- 1914年(大正3年)12月15日)は、幕末の佐賀藩武雄領主・武雄鍋島家家臣、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。 肥前国杵島郡、後の朝日村(現佐賀県武雄市朝日町)で武雄鍋島家家臣・有田(河原)竜左エ門の子息として生まれる。立野元定、草場佩川に師事し漢学を修める。 明治維新を迎え、小学校教員となるが、1886年、同志四名が各々米二百俵を出資して貸金業・甘久共同会社を設立し、同社は後に佐賀銀行の前身の一つ佐賀興業銀行に発展した。 1886年、佐賀県会議員に選出され、県議を五期、また参事会員も務めた。1908年5月、第10回衆議院議員総選挙おいて佐賀県郡部から出馬して当選し、立憲政友会に所属して衆議院議員を一期務めた。
大沼 渉(おおぬま わたる、1844年10月7日(天保15年… 大沼 渉(おおぬま わたる、1844年10月7日(天保15年8月26日) - 1899年10月14日)は、幕末の黒羽藩士。明治期の陸軍軍人。陸軍少将。位階は従三位、勲等は勲二等、爵位は男爵。 黒羽藩士(家老)大沼泰英と母ちかの長男として弘化元年、廓内(旧黒羽町、現在の大田原市前田)に生まれた。幼名は統太郎。石高は350石であった。生来武人の気質があり、藩校の作新館(作新学院の前身)に入り、文武を修めた。17歳のとき初めて藩主である大関増式に仕え、近侍小姓となった。23歳で大目付、翌年には郡奉行となり、益子町の陣屋に代官として赴任した。戊辰戦争時には藩の軍監を勤め(参謀格で隊長の五月女三左衛門の麾下)として棚倉城、二本松城、会津若松城など東北各地で戦い、勇猛果敢、知略を駆使して大いに戦功があった。
花奈 澪(はなな みお、10月7日生)は、元宝塚歌劇団花組の… 花奈 澪(はなな みお、10月7日生)は、元宝塚歌劇団花組の娘役。東京都杉並区、鴎友学園女子高校出身。身長163.5cm。愛称は「なみお」。血液型はA型。
東 真由美(あずま まゆみ、10月7日 - )は、兵庫県出身… 東 真由美(あずま まゆみ、10月7日 - )は、兵庫県出身のフリーアナウンサー。血液型A型。身長162cm。オフィスキイワード所属。(年齢は非公表)
葛谷 亮(くずや りょう、10月7日 - )は、西日本放送に… 葛谷 亮(くずや りょう、10月7日 - )は、西日本放送に所属していた男性アナウンサー。2006年度入社、2009年3月退社。京都市出身。関西大学文学部卒業。血液型A型。2006年大晦日 ~ 元旦にかけての年越し特番も榎本麗美と担当する予定だったが盲腸炎による入院・手術のため急遽降板した。 2010年より三崎薫の芸名でショップチャンネルキャストとして出演している。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
水乃 ゆり(みずの ゆり、10月7日 - )は、元宝塚歌劇団… 水乃 ゆり(みずの ゆり、10月7日 - )は、元宝塚歌劇団星組娘役。 東京都葛飾区、私立愛国高等学校出身。身長164cm。愛称は「ゆりちゃん」。 2014年、宝塚音楽学校入学。 2016年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に102期生として入団。入団時の成績は29番。星組公演「こうもり/THE ENTERTAINER!」で初舞台。その後、星組に配属。 2019年の「霧深きエルベのほとり」で新人公演初ヒロイン。 2024年12月1日、舞空瞳退団公演となる「記憶にございません!/Tiara Azul」東京公演千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団。 宝塚初観劇は小学生の時で、父の勧めで観た「ベルサイユのばら」。
望月 智(もちづき さとし、10月7日 - )は、テレビ山梨… 望月 智(もちづき さとし、10月7日 - )は、テレビ山梨の社員で同局の元アナウンサー。妻は、同じくテレビ山梨のアナウンサーであった望月圭子。 山梨県南巨摩郡身延町出身。駒澤大学卒業。 1995年、テレビ山梨に入社した。同局のアナウンサーを務めた後、報道記者やCG制作などを歴任した。 2019年11月、出身地である身延町の観光大使に就任した。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
小田島 愛(おだしま あい、10月7日 - )は、元福島テレ… 小田島 愛(おだしま あい、10月7日 - )は、元福島テレビのアナウンサー。 宮城県出身。福島テレビ公式サイトのプロフィールページには東京都出身と記されていた。 東京女子大学現代教養学部国際社会学科卒業。東京アナウンスセミナーの卒業生で(16期生)、テレビ朝日アスクの出身者。また、大学でも放送研究会に所属していた。2014年には、秋の大学祭で行われるミスキャンパスに参加し、ファイナリストの1人に選出された。 大学を卒業後、2016年4月にテレビ金沢に入社。同期の吉道さゆり、宇賀神唯とともに同局のアナウンサーになる。 2019年3月31日付でテレビ金沢を退社。同年4月に福島テレビへ移籍し、2020年3月まで同局のアナウンサーを務めた。
愛蘭みこ(あいらみこ、10月7日-)は、元宝塚歌劇団花組 の… 愛蘭みこ(あいらみこ、10月7日-)は、元宝塚歌劇団花組 の娘役。 愛知県名古屋市、金城学院中学出身。身長161 cm。愛称は「みこちゃん」、「たけ」。 2016年、宝塚音楽学校入学。 2018年、宝塚歌劇団に104期生として入団。入団時の成績は16番。星組 公演『ANOTHER WORLD 』『Killer Rouge』で初舞台。その後、花組に配属。 2024年5月26日、「アルカンシェル」東京公演千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団。