布野 修司(ふの しゅうじ、1949年8月10日 - )は、… 布野 修司(ふの しゅうじ、1949年8月10日 - )は、日本の建築・都市研究家、建築批評家。工学博士(東京大学・論文博士・1987年)。滋賀県立大学名誉教授。同副学長及び理事(研究・評価担当)を歴任。日本建築学会副会長、復旧復興支援部会部会長。 島根県出雲市生まれ。1972年東京大学工学部建築学科卒業。1976年同大学院博士課程中退、同大学工学部助手、1978年東洋大学工学部講師、1984年助教授、1991年京都大学工学部建築学科助教授。2005年滋賀県立大学環境科学部教授。2015年定年退官。 1987年「インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究 ハウジング・システムに関する方法論的考察」で東京大学より工学博士の学位を取得。
角野 卓造(かどの たくぞう 1948年〈昭和23年〉8月1… 角野 卓造(かどの たくぞう 1948年〈昭和23年〉8月10日 - )は、日本の俳優・声優である。本名同じ。 東京都出身の大阪府育ち。学習院大学経済学部経済学科卒業。文学座所属(元代表、現座友)。マネージメントはUAM株式会社。 血液型はO型。妻は女優の倉野章子。 東京生まれ、大阪市東区(現:中央区)道修町育ち。 角野家は広島県呉市の出で、父卓男は元広島県会議員、戦前は過激な右翼青年で、県議時代は広島抗争の時期でもあり、実家を舞台に美能幸三の手打ち式が行われたこともある。 卓造も幼稚園に上がる前の一年間は呉市で過ごす。 母は東京千駄ヶ谷の医者の娘。 長男が呉の自宅分娩で亡くなったため、母方が次は絶対に病院でと心配し卓造は叔父が勤務医をしていた慶応病院で生まれた。
大道 良夫(だいどう よしお、1948年8月10日 - )… 大道 良夫(だいどう よしお、1948年8月10日 - )は、日本の銀行家。滋賀銀行頭取を務めた。 滋賀県出身。1972年に大阪大学経済学部を卒業し、同年に滋賀銀行に入行した。2001年6月に取締役、2003年6月に常務、2006年4月に専務を経て、2008年6月には頭取に就任。2016年4月に会長に就任し、2020年6月には相談役に就任。 2019年11月に旭日中綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田辺 秀樹(たなべ ひでき、1948年8月10日 - )は、… 田辺 秀樹(たなべ ひでき、1948年8月10日 - )は、日本の音楽学・ドイツ文学者。一橋大学名誉教授。 東京生まれ。1972年東京大学文学部独文科卒、同大学院修士課程修了。ボン大学に学び、ドイツ、オーストリア各地でオペラやコンサートに通う。帰国後、一橋大学助教授、同言語社会研究科教授(ドイツ語・音楽文化論担当)、2012年定年退官、名誉教授。 主要な研究対象はモーツァルト、ドイツ語圏の歌曲、歌劇、芸能など。オペラ、コンサートの解説などで幅広く活動の傍ら、「酒席ピアニスト」としても活躍。
本田 敏秋(ほんだ としあき、1947年(昭和22年)8月1… 本田 敏秋(ほんだ としあき、1947年(昭和22年)8月10日 - )は、日本の政治家。元岩手県遠野市長(5期)。 岩手県出身。岩手県庁職員を経て、2002年(平成14年)4月に遠野市長に初当選。宮守村との合併前後の通算で5期20年、遠野市長を務めた。「どぶろく特区」発案や地域再生などの「田舎のよさを引き出す」ことを念頭においた施策をアピールしていた。 遠野市を「民話のふるさと」から「日本のふるさと」への脱皮させ「遠野」のネームバリュー向上を実績として掲げていた。 また、深刻な医師不足への対策や中央省庁との人的交流等、中央とのパイプ作りといった施策もアピールしていた。都会からの移住支援制度「ふるさと市民制度」を提唱も行っていた。
野田 浩資(のだ ひろし、1947年8月10日 - )は、 … 野田 浩資(のだ ひろし、1947年8月10日 - )は、 日本のドイツ料理の研究家。日本滞在のドイツ人をして、日本でもっともドイツの味を思い出させることのできる料理研究家といわれる。かってはプロボクサーでもあった。
八木 哲也(やぎ てつや、1947年8月10日 - )は、日… 八木 哲也(やぎ てつや、1947年8月10日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日重光章。 環境副大臣、環境大臣政務官、衆議院議員(4期)、豊田市議会議長(第54代)、豊田市議会議員(4期)、豊田市監査委員を歴任した。 愛知県西加茂郡高橋村に生まれる(現在は豊田市高橋町に在住)。父親は豊田市議会議員だった。高橋村立高橋中学校(現・豊田市立高橋中学校)卒業。愛知県立豊田西高等学校卒業。上京し中央大学に入学し、理工学部の管理工学科にて学んだ。1972年に中央大学を卒業し、その後はインドの各地を放浪する生活を送る。しかし、寄生虫に寄生されるなど、苛酷な生活を送る。1974年、小島プレス工業に入社。1998年に退職。
今出 東二(いまで とうじ、1947年8月10日 - )は、… 今出 東二(いまで とうじ、1947年8月10日 - )は、日本のお天気キャスター、タレント。 大阪府池田市出身。日本気象協会関西本部(現在の関西支社)に勤務していた1971年(昭和46年)から、関西・北陸地方のテレビ・ラジオ局で気象解説を担当。1986年(昭和61年)1月9日から2015年(平成27年)3月31日までは、毎日放送(MBS)専属の気象キャスターを務めた。 子どもでも簡単に屋根へ上がれる構造の実家で過ごした幼少期に、屋根から空や雲の様子を見ることを通じて、気象に興味を持つ。中学3年生の時には、「授業で学んだ天気図を本格的に描きたい」という思いから、通っていた中学校で気象クラブを創設。
平松 一夫(ひらまつ かずお、1947年8月10日 - 20… 平松 一夫(ひらまつ かずお、1947年8月10日 - 2020年12月2日)は、日本の会計学者。専門は、財務会計・国際会計。関西学院大学名誉教授。学校法人関西学院理事長を歴任。兵庫県川西市出身。
古市 宏幸(ふるいち ひろゆき、1947年8月10日 - )… 古市 宏幸(ふるいち ひろゆき、1947年8月10日 - )は、日本の経営者。ヤナセ社長を務めた。三重県出身。 1970年に京都大学法学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入行した。1995年に日産建設取締役、1997年に第一勧業銀行銀座支店長及びニッセキハウス工業取締役、1999年にニッセキハウス工業副社長を歴任し、2000年12月にヤナセに転じ、常務に就任し、2001年10月に専務を経て、2002年12月に副社長に就任し、2004年10月には社長に昇格。石油販売事業などから撤退する一方で、中古車販売の強化などで自動車事業への集中を推し進め、2007年9月期には中期経営計画を達成した。2007年10月に取締役相談役を経て、同年12月には特別顧問に就任した。
佐藤 龍雄(さとう たつお 、1946年8月10日 - )は… 佐藤 龍雄(さとう たつお 、1946年8月10日 - )は、日本の実業家。東日本高速道路代表取締役会長兼社長を務めた。 1969年慶應義塾大学経済学部卒業、昭和電工入社。石油化学総括部長、参与総合企画部長等を経て、2001年取締役兼執行役員戦略企画室長に昇格。2002年常務取締役兼常務執行役員戦略企画室長。 2007年専務取締役兼専務執行役員アルミニウム事業部門長。2009年常任顧問。2010年から東日本高速道路代表取締役会長兼社長を務め、サービスエリアで「旅のドラマ」感じられるような「ドラマチックエリア」の開設を進めるなどした。 一般有料道路(高速道路等接続路線) サービスエリア・パーキングエリア関連 連結子会社・関連会社
井戸 敏三(いど としぞう、1945年〈昭和20年〉8月10… 井戸 敏三(いど としぞう、1945年〈昭和20年〉8月10日 - )は、日本の自治・総務官僚、政治家。兵庫県知事(第48代-第52代)として兵庫県政史上最多の5期20年の任期を務めた。 5期目の当選を決めた第19回兵庫県知事選挙(平成29年7月2日投開票)では、県下52選挙区のうち、唯一尼崎市選挙区(対立候補である勝谷誠彦の出身地)を除く51の選挙区で最多得票であった。 知事退任後、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構特別顧問。兵庫県副知事(1996年 - 2001年)、関西広域連合連合長(初代)なども歴任した。 兵庫県揖保郡新宮町(現・たつの市)出身の神奈川県横浜市育ち。材木の仲介等をおこなっていた父の仕事の関係で、小学校3年生の時に横浜に転居。
水口憲人(みずぐち のりひと、1945年8月10日- )は、… 水口憲人(みずぐち のりひと、1945年8月10日- )は、日本の政治学者。大阪市立大学教授・龍谷大学教授・立命館大学教授を経て、立命館大学名誉教授。 香川県生まれ。香川県立高松高等学校卒業、1968年京都大学法学部卒業、73年同大学院法学研究科博士課程中退、大阪市立大学法学部助手、74年助教授、86年教授、1992年龍谷大学法学部教授。1998年立命館大学政策科学部教授、2010年定年、名誉教授。87年「現代都市の行政と政治」で京都大学より法学博士の学位を取得。
白井 幹夫(しらい みきお、1945年8月10日 - )は、… 白井 幹夫(しらい みきお、1945年8月10日 - )は、日本の実業家。 1968年(昭和43年)関東学院大学工学部卒。同年自動車部品工業入社。1996年(平成8年)取締役、2000年(平成12年)常務取締役、2005年(平成17年)専務取締役、2007年(平成19年)自動車部品工業代表取締役社長就任。2011年(平成23年)代表権のない自動車部品工業会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
神戸 峰男(かんべ みねお、1944年(昭和19年)8月10… 神戸 峰男(かんべ みねお、1944年(昭和19年)8月10日 - )は、日本の彫刻家。名古屋芸術大学名誉教授。 岐阜県土岐市出身(現在は可児市に住む)。1963年(昭和38年)3月、岐阜県立多治見工業高等学校卒業。同年4月、武蔵野美術大学造形学部に入学。清水多嘉示および木下繁に師事。1967年(昭和42年)3月、同大学彫刻科卒業。 1988年(昭和63年)、名古屋芸術大学教授に就任。同大学美術学部長を経て、同大学名誉教授となる。 1970年(昭和45年)、「裸婦像」で日展中日賞を受賞。1974年(昭和49年)「裸婦」が日本彫塑展日彫賞受賞。1978年(昭和53年)「裸婦―伸びゆく」で日展特選。
柏木 隆雄(かしわぎ たかお、1944年8月10日 - )は… 柏木 隆雄(かしわぎ たかお、1944年8月10日 - )は、フランス文学者、大阪大学名誉教授、前大手前大学学長。オノレ・ド・バルザック、ジュール・ルナールの研究が専門だが、日本文学にも造詣が深い。 三重県生まれ。三重県立松阪工業高等学校工業化学科を卒業、住友金属工業に入社、中央研究所勤務の後、1969年大阪大学文学部仏文科卒、75年同大学院満期退学、神戸女学院大学専任講師、助教授、1983年大阪大学文学部助教授、91年教授、2004-06年大学院文学研究科長、文学部長。2008年定年退任、名誉教授。2008-11年放送大学大阪学習センター所長、2011年大手前大学副学長、12年-16年学長。 2001-05年日本フランス語フランス文学会副会長、06-09年同関西支部長、09-13年日本フランス語フランス文学会副会長、13年-15年同会長。
奥村 展三(おくむら てんぞう、1944年(昭和19年)8月… 奥村 展三(おくむら てんぞう、1944年(昭和19年)8月10日 - )は、日本の元政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、新党さきがけ幹事長、民主党総務委員長、(旧)国民民主党滋賀県連顧問、文部科学副大臣(スポーツ、科学技術担当)(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、滋賀県議会議員(4期)などを歴任。 滋賀県甲賀郡(現・湖南市)生まれ。1973年(昭和38年)3月、滋賀県立甲賀高等学校(現滋賀県立水口高等学校)卒業。1976年(昭和41年)3月、立命館大学文学部中退。 1968年に甲賀高校野球部監督として第40回選抜高等学校野球大会に出場。水口青年会議所理事長を経て、1976年に甲西町議会議員に初当選。
伊藤 庄平(いとう しょうへい、1943年8月10日 - )… 伊藤 庄平(いとう しょうへい、1943年8月10日 - )は、日本の労働官僚。労働事務次官を最後に退官し、厚生労働省顧問や労働者健康福祉機構理事長を務めた。クリスチャン。 福島県の建設業者の家に生まれる。福島県立安積高等学校を経て、一橋大学法学部卒業後、労働省入省。労働省同期には、長勢甚遠元法務大臣や、太田芳枝労働省初代女性局長らがいる。 労働事務次官や厚生労働省顧問等を歴任。また郷里の郡山市の経済人会会員も務めた。退官後は労働者健康福祉機構理事長を務めていたが、在任9年を迎え、長妻昭厚生労働大臣から理事長任期8年のルールに従い退任することを求められ退任。官僚の天下りに反発する世論が高まる中、後任の理事長には厚生労働省出身者ではなく公募により東京大学医学部附属病院副院長・教授の名川弘一が就任した。
大田 正(おおた ただし、1943年〈昭和18年〉8月10日… 大田 正(おおた ただし、1943年〈昭和18年〉8月10日 - 2025年10月30日)は、日本の政治家。徳島県知事(1期)、徳島県議会議員(4期)、北島町議会議員(4期)を歴任した。 徳島県東祖谷山村(現・三好市)出身。1963年(昭和38年)3月、徳島県立池田高等学校祖谷分校卒業。同年4月、日本専売公社(現・日本たばこ産業)徳島工場に入社した。1968年(昭和43年)11月から北島町議会議員を4期務めた。1987年(昭和62年)4月から徳島県議会議員を4期務めた。その他、徳島県労評青年部長、日本社会党徳島県本部書記次長、社民党徳島県連合幹事長も務めた。 2001年(平成13年)7月31日に県議を辞職した。
奈月ひろ子(なづき ひろこ、1942年8月10日 - )は、… 奈月ひろ子(なづき ひろこ、1942年8月10日 - )は、日本の女優。かつてフジサンケイグループを支配した鹿内一族の出身である。 当初の芸名には、「若柳菊」、「菊ひろ子」などの名前で活動。 鹿内信隆の長女として東京都中野区に生まれる。弟は鹿内春雄。鹿内宏明は義弟(妹・厚子の夫)。娘はフジテレビプロデューサーの鹿内植。 4歳の頃から若柳流の日本舞踊を習い、11歳で名取、22歳で師範。森村学園初等科・中等科、慶應義塾女子高等学校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、舞台女優の道に進む。父・信隆はそれに必ずしも賛成したわけではなかったが、娘の意思が固かったため、フジテレビの株主として関係の深い松竹の役員に後押しを頼んだりした。
小林 紘二郎(こばやし こうじろう、1942年8月10日 -… 小林 紘二郎(こばやし こうじろう、1942年8月10日 - )は、日本の工学者。大阪大学名誉教授。専門は、材料プロセシング、材料科学。 工学博士(京都大学、1976年)(学位論文「アルミニウム-けい素合金の共晶凝固現象に関する研究」)。
疋田 拓(ひきだ たく、ひきだ ひらく、1942年8月10日… 疋田 拓(ひきだ たく、ひきだ ひらく、1942年8月10日 - 2025年10月15日または10月16日)は、日本のテレビプロデューサー、テレビディレクター。プロデュース&ディレクション(P&D)代表取締役。 本名は漢字表記は同じで「ひきだ ひらく」と読む。宮崎県日向市出身。日本大学芸術学部放送学科卒業。フジテレビ、テレビ朝日でプロデューサーを務めた。 1968年、日本大学芸術学部放送学科卒業後、NHKに契約職員として入局。その後フジテレビへ中途入社。フジテレビ入社直後に始まった歌謡番組『夜のヒットスタジオ』(『夜ヒット』)に技術担当のADとして参加[要出典]。1973年からはディレクター[要出典]、1976年から1987年6月までプロデューサーとして約20年もの長きにわたって構成作家の塚田茂とともに番組製作の中枢を担い続けた。
市川 昭男(いちかわ あきお、1941年(昭和16年)8月1… 市川 昭男(いちかわ あきお、1941年(昭和16年)8月10日 - )は、日本の政治家。元山形市長(第17代、3期)。旭日小綬章。 宮城県仙台市生まれ。山形市立第四小学校、山形市立第一中学校、山形市立商業高等学校を卒業後、一旦就職するも新潟大学人文学部に入学。大学卒業後、山形市役所に就職した。金澤忠雄山形市長の下では東北芸術工科大学の設置を推進し、同大の開学に尽力した。その後、山形市土地開発公社理事長や山形市総務部長、水道事業管理者を歴任。吉村和夫市長の下で山形市助役に就任。 2003年、吉村和夫市長が在職のまま多臓器不全により病死。吉村の死去に伴って実施された山形市長選に、吉村が推進してきた「環境先進都市の建設」の継承を掲げて立候補した。
清水 信義(しみず のぶよし、1941年8月10日 - 20… 清水 信義(しみず のぶよし、1941年8月10日 - 2015年6月5日)は、日本の遺伝学者。慶應義塾大学医学部分子生物学教室教授を経て、同大名誉教授。理学博士(名古屋大学・1971年)(学位論文「遺存種における核酸の研究」)。名誉医学博士。専門分野は、ゲノム科学・遺伝子医学。 大阪府大阪市出身。名古屋大学卒。慶應義塾大学医学部分子生物学教室教授などを経て同大名誉教授。2007年より長浜バイオ大学特別招聘教授。ヒトゲノム解読の第一人者として貢献し、慶應義塾大学は1999年12月に22番染色体のゲノムを世界で初めて解読し、207個の遺伝子を発見した。次いで2000年5月には21番染色体の解読をも終了し、130個の遺伝子を発見した。
マンガ 太郎(まんが たろう、本名:朝倉 康夫、1941年8… マンガ 太郎(まんが たろう、本名:朝倉 康夫、1941年8月10日 - 2014年8月5日)は、漫画家・芸人。山口県出身。日本漫画家協会会員。東京演芸協会理事、同副会長等を歴任。 創作絵描き歌を披露したり、観客のリクエストに応えて即興で似顔絵を描いたり、ある絵を描いた後に手を加えて別の絵にしてしまったりするなど、漫談をしながらイラスト・漫画を舞台上で描くという芸で知られる。公式プロフィールではその芸を「漫画ボードビルショー」としている。 高校時代は貸本漫画家として活動。漫画芸人(のち画家に転身)の春田美樹の芸を見て刺激を受け、春田に師事。20歳頃に漫画演芸家としてデビューする。海外での公演も数多く行っており、ベトナム戦争の時期には、前線の米軍キャンプで芸を披露した経験があるという。
大野 芳(おおの かおる、1941年8月10日 - 2022… 大野 芳(おおの かおる、1941年8月10日 - 2022年5月5日)は、日本のノンフィクション作家。かっぱ村村長。 愛知県生まれ。明治大学法学部卒業後、雑誌記者を経て、ノンフィクション作家となる。1975年、岩手県遠野市でかっぱ伝承に触れ、中河与一を村長としてかっぱ村を設立した。中河の没後は2代目村長となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
高田 孝治(たかだ こうじ、1940年8月10日 - 201… 高田 孝治(たかだ こうじ、1940年8月10日 - 2015年6月25日)は、日本の実業家。讀賣テレビ放送株式会社元顧問・相談役・代表取締役会長・代表取締役社長。一般社団法人日本民間放送連盟元副会長。 東京都出身。1964年、上智大学経済学部経済学科を卒業後、株式会社読売新聞社へ入社。経済部・社会部記者を経てメディア戦略局長として、インターネット・テレビを通じた報道プログラム制作に携わった。 2002年4月1日に讀賣テレビ放送株式会社の専務取締役に迎えられ、2004年4月1日に讀賣テレビ放送代表取締役副社長。2005年6月22日より代表取締役社長を、2009年6月18日より代表取締役会長を、2011年6月17日より相談役を務めて、2012年6月22日より顧問。
岩田 末廣(いわた すえひろ、1939年8月10日 – )は… 岩田 末廣(いわた すえひろ、1939年8月10日 – )は、日本の化学者。学位は、理学博士。分子科学研究所名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。専門は、理論化学・量子化学・計算化学。 この間、72~73年にロチェスター大学、73~75年にシカゴ大学で博士研究員として在外研究し、97~99年に東京大学理学系大学院化学専攻客員教授を務めた。
菊地 康典(きくち やすのり、1939年8月10日 -)は、… 菊地 康典(きくち やすのり、1939年8月10日 -)は、日本の外交官。内閣官房内閣審議官、メルボルン総領事等を経て、1993年から駐フィジー特命全権大使を務めた。 武蔵高等学校を経て、1963年一橋大学法学部卒業、外務省入省、在アメリカ合衆国日本国大使館外交官補。インディアナ大学でソ連を専攻し、1966年在ソビエト連邦日本国大使館三等書記官。1973年在オーストラリア日本国大使館二等書記官。1974年同一等書記官。1976年在ケニア日本国大使館一等書記官。 1978年外務省国際連合局軍縮課長。1981年国防会議事務局参事官。1982年在ユーゴスラヴィア日本国大使館参事官。1983年在ブラジル日本国大使館参事官。
峯野 龍弘(みねの たつひろ、1939年8月10日 - )は… 峯野 龍弘(みねの たつひろ、1939年8月10日 - )は、日本のホーリネス系福音派の牧師。 日本福音同盟理事長を務めた。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国韓国トーチ・トリニティー神学大学)。前ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会主管牧師。前クリスチャントゥデイ代表取締役会長。2025年5月、同教会主幹牧師を退任。 横浜に生まれる。高校二年の頃聖書を初めて購入し、独学で聖書に対する興味と関心を深めた。日本大学法学部在学中の1960年、日本基督教団清水ヶ丘教会で受洗。同年から翌1961年にかけて八丈島伝道を単独で複数回敢行した後、1961年秋、伝道者としての召命を受けた。1965年、東京聖書学校卒業。
黒田 杏子(くろだ ももこ、1938年8月10日 - 202… 黒田 杏子(くろだ ももこ、1938年8月10日 - 2023年3月13日)は、日本の俳人。 東京市本郷生まれ。父は開業医。1944年栃木県に疎開、高校卒業まで栃木県内で過ごす。栃木県立宇都宮女子高等学校から東京女子大学に進学。大学入学と同時に俳句研究会「白塔会」に入り、山口青邨の指導を受け、青邨主宰の「夏草」に入会。東京女子大学文学部心理学科を卒業後、博報堂に入社。テレビ、ラジオ局プランナー、雑誌『広告』編集長などを務め、瀬戸内寂聴、梅原猛、山口昌男など多数の著名文化人と親交を持つ。この間、10年ほど作句を中断。1970年、青邨に再入門。青邨没後、1990年俳誌「藍生」(あおい)を創刊、主宰。
大宮 信光(おおみや のぶみつ、1938年8月10日- )は… 大宮 信光(おおみや のぶみつ、1938年8月10日- )は、日本の科学ジャーナリスト、SFファン活動家。 東京神田生まれ。東京教育大学(中退)在学中から家庭教師、塾経営をはじめる。 1967年にSF同人誌『宇宙塵』に参加。SFファン時代の1967年、ハインラインの『宇宙の戦士』が翻訳され、石川喬司の否定的なレビューにより『SFマガジン』誌上で論争となった際、論争に参加しており、のちの石川の著書『SFの時代』で投稿が紹介されている。 1968年から石原藤夫、柴野拓美らと「SFファン科学勉強会」(SFフ科会)を結成して活動。のちに草場純、志水一夫、鹿野司らもメンバーとなる。 1979年頃からSF乱学者を名乗る(「蘭学者」のもじり)。
金子 宗平(かねこ そうへい、1937年〈昭和12年〉8月1… 金子 宗平(かねこ そうへい、1937年〈昭和12年〉8月10日 - 2006年〈平成18年〉7月31日)は、昭和時代の日本の陸上競技選手。元円盤投日本記録保持者。ローマオリンピック代表・1964年東京オリンピック代表。日本選手権5連覇、日本記録更新7回など、数々の記録を打ち立てた。群馬県沼田市出身。身長175センチメートル、体重78キログラム。 群馬県沼田市硯田町出身。薄根中学校から群馬県立高崎工業高等学校に進学。高校では陸上部に所属し、1954年の関東大会で40m45をマークし優勝。翌1955年の関東大会で47m50の高校新記録を樹立し優勝し、酒田で開催された全国大会でも優勝。 翌1956年日本大学へ進学。
前野 育三(まえの いくぞう、1937年8月10日 - )は… 前野 育三(まえの いくぞう、1937年8月10日 - )は、日本の法学者、弁護士。関西学院大学名誉教授。専門は、刑事法(刑法、刑事政策、少年法)。元民主主義科学者協会法律部会理事。法学修士。兵庫県出身。2016年、春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
秋谷浄恵(あきたに じょうけい、1937年8月10日 - )… 秋谷浄恵(あきたに じょうけい、1937年8月10日 - )は、日本の実業家。日清オイリオグループ代表取締役社長、会長、特別相談役、日本植物油協会会長を歴任。 東京都出身。横浜市立大学商学部卒業、日清製油入社。1996年代表取締役社長。2002年には経営統合を実現し、日清オイリオグループに改組。2011年には特別顧問に就き、日本植物油協会会長なども務めた。2023年食料産業特別貢献大賞受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
原 敕晁(はら ただあき、1936年〈昭和11年〉8月10日… 原 敕晁(はら ただあき、1936年〈昭和11年〉8月10日 - )は、北朝鮮による拉致被害者である日本人、日本国政府認定の拉致被害者(辛光洙事件の被害者)。北朝鮮の工作員辛光洙(シン・グァンス)らによって拉致された。実行犯工作員が当人になりすますために拉致する、いわゆる「背乗り拉致」の被害者である。 1936年8月10日に長崎県長崎市で原道壽(みちひさ)とカメノの三男として生まれる。北朝鮮が提供した資料では「1936年8月2日、宮崎市生まれ」とあるが誤りである。 本籍は島根県松江市で、原家は1927年に長崎県大村市に移転し、歩兵第46連隊(大村航空隊)相手の物品販売所を営んでいたが、1935年頃、長崎市内に移転した。
梅本 正之(うめもと まさゆき、1936年8月10日 - )… 梅本 正之(うめもと まさゆき、1936年8月10日 - )は、和歌山県有田郡津木村(現:広川町)出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・スコアラー・寮長。
三鬼 清一郎(みき せいいちろう、昭和10年(1935年)8… 三鬼 清一郎(みき せいいちろう、昭和10年(1935年)8月10日 - 令和7年(2025年)1月2日)は、日本の日本史学者。名古屋大学名誉教授。織豊期(安土桃山時代)の研究で著名。 昭和10年(1935年)8月10日、東京都に生まれる。 昭和35年(1960年)に東京大学文学部国史学科を卒業し、昭和38年(1963年)に東京大学大学院人文科学研究科国史学専攻の修士課程を修了したが、昭和41年(1966年)に東京大学大学院人文科学研究科国史学専攻の博士課程を満期退学した。 昭和43年(1968年)から名古屋大学の専任講師、昭和45年(1970年)から同大学の助教授、昭和58年(1983年)から同大学の教授を歴任。
石川 才顯(いしかわ わざあき、1935年8月10日 - 1… 石川 才顯(いしかわ わざあき、1935年8月10日 - 1996年11月28日)は、日本の法学者。専門は刑事法。元日本大学法学部教授。大分県中津市出身。 日沖憲郎に師事し、刑事法、特に、刑事訴訟法分野においての業績で著名。その著書、論文は多くの刑事訴訟法学者や法律実務家に影響を与え、立命館大学教授の井戸田侃とともに捜査手続の訴訟的構造化に基づいて、捜査機関の攻撃的捜査活動に対して、被疑者側の防御活動捜査活動を対等なものとして位置づけた。その当事者主義的捜査構造から導かれる捜査訴訟構造説(捜査独自性説)の有力な推進者として知られる。それら研究の集大成である主論文『捜査における弁護の機能』に対しては、慶應義塾大学より博士(法学)の学位が授与された。
石垣 宏(いしがき ひろし、1935年(昭和10年)8月10… 石垣 宏(いしがき ひろし、1935年(昭和10年)8月10日 - )は、日本の政治家。元石川県七尾市長。 石川県出身。1958年(昭和33年)法政大学経済学部卒業後、能登信用金庫に入庫。 1975年(昭和50年)から七尾市議会議員2期を経て、1985年(昭和60年)七尾市長に当選。2001年(平成13年)まで務めた。
平林 千牧(ひらばやし ちまき、1935年8月10日 - 2… 平林 千牧(ひらばやし ちまき、1935年8月10日 - 2022年7月30日)は、日本の経済学者。位階は従四位。元法政大学総長・日本私立大学連盟常務理事・大学基準協会理事・日本キャリアデザイン学会常務理事・産業ネットワーク多摩副会長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
池田 宏(いけだ ひろし、1934年8月10日 - )は、日… 池田 宏(いけだ ひろし、1934年8月10日 - )は、日本のアニメーション演出家、教員。東京都大田区生まれ。 1941年、相生国民学校入学後、3年次より疎開を繰り返し、同じ学校を含め8回。[要出典] 1950年、神奈川県立湘南高等学校に入学するが、バスケット部の夏の合宿時に病気を発症、入学1年目で休学した。フランス自然主義文学に熱中する。[要出典]また、中学時代から「生死」「自他」「存在」といった哲学的なテーマに興味を示し、答を求めて通った神田神保町の古書店主の何人かから、哲学史を「私塾的」に教えられたという。高校卒業時は仏文科志望だったが、浪人中に「情報メディアの情報伝達機能に関する議論」をしたことで、映像を志望することとなる。
鄭大聲(ちょん でそん、1933年8月10日- )は、在日韓… 鄭大聲(ちょん でそん、1933年8月10日- )は、在日韓国人の朝鮮料理研究家、滋賀県立大学名誉教授。 京都府生まれ。本籍、韓国慶尚南道。1961年大阪市立大学大学院理学研究科修士課程修了。77年「黒カビAspergillus nigerのアミラーゼ系,特に耐酸性α-アミラーゼに関する研究」で理学博士。モランボン(株)研究所所長、国立民族学博物館共同研究員、大阪経済法科大学客員教授、滋賀県立大学人間文化学部教授、97年定年退官、名誉教授。
山崎 高司(やまざき こうじ、1933年8月10日 - )は… 山崎 高司(やまざき こうじ、1933年8月10日 - )は、日本の大蔵官僚。国際通貨基金(IMF)理事、日本総合研究所副理事長などを務めた。 東京府出身。成城中学校・高等学校から東京大学に入学。同大学法学部を卒業し、1957年 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。1959年9月からエジンバラ大学で財政学を学び、博士号を修得した。1964年7月 小石川税務署長。 1977年6月 近畿財務局総務部長。1978年6月26日 理財局国庫課長。1980年6月25日 関税局国際第一課長。 1981年5月20日 外務省在英国大使館公使。1984年6月29日 大臣官房審議官(関税局担当)。1986年6月30日 大臣官房付。
小番 宜一(こつがい よしかず、1933年8月10日 - 2… 小番 宜一(こつがい よしかず、1933年8月10日 - 2021年1月24日)は、日本の政治家。秋田県本荘市長(2期)、秋田県議会議員(1期)、本荘市議会議員(3期)、由利本荘市議会議員(1期)。 秋田県由利郡子吉村(のち本荘市、現・由利本荘市)出身。1949年、子吉村立子吉中学校卒。1971年、本荘市議に当選、3期務める。市議会副議長も務めた。 1983年、本荘市長選挙に立候補して、無投票の8選を目指した現職の佐藤憲一をわずか9票差で破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 1987年に再選を果たした。1991年には3期目を目指したが、元秋田県職員の柳田弘に敗れた。
佐藤 孝夫(さとう たかお、1931年8月10日 - 200… 佐藤 孝夫(さとう たかお、1931年8月10日 - 2005年3月21日)は、宮城県刈田郡白石町(現・白石市)出身(台湾台南市桶盤浅生まれ)のプロ野球選手(内野手, 外野手)・コーチ・監督・スカウト、解説者。 現役時は躍動感溢れるプレーで人気を集め、「バンビ」の愛称で知られた。 子息に元早稲田大学助監督、現城西国際大学監督の佐藤孝治がいる。 台湾で繊維業を営んでいた両親の末子として生まれる。 台南一中に進学するが、日本の敗戦により、両親の故郷である白石町に引き揚げ、白石高校に編入。入学後に創部されたばかりで部員を探していた野球部の勧誘を受け、引き揚げの際に野球部だった兄が病死していたため、兄の後を継ごうという思いから野球部に入部した。
小池 清(こいけ きよし、1931年8月10日 - 2012… 小池 清(こいけ きよし、1931年8月10日 - 2012年4月28日)は、元アナウンサー。毎日放送勤務後、フリーアナウンサーに転身した。 東京府東京市滝野川区(現在の東京都北区)田端出身。東京都立北園高等学校を経て、早稲田大学第一文学部英文科へ進学した。早大の同期には俳優の宇津井健(中退)や元読売ジャイアンツ選手の広岡達朗、元日本テレビアナウンサーの金原二郎らがいた。 大学卒業後の1954年4月に、新日本放送にアナウンサーとして入社した。当時の新日本放送はラジオ単営局で、同期のアナウンサーに藤本永治がいる。なお、新日本放送は1958年に「毎日放送」と改称し、1959年3月1日に、テレビ(以下「MBSテレビ」と略記)の本放送を開始した。
松本 暢章(まつもと のぶあき、1931年8月10日 - 1… 松本 暢章(まつもと のぶあき、1931年8月10日 - 1998年3月14日)は、大阪府出身の元フリーアナウンサー。 登校拒否・不登校問題全国協議会の代表者・松本弘義は実兄。 旧制天王寺中学時代には野球部に所属。強打の左翼手として活躍し、1947年の春の選抜に出場。学制改革後は夕陽丘高校を卒業。 関西学院大学進学後は母校で野球部の監督を務める傍ら、創設間もない放送研究会に在籍。大学野球の実況や様々なナレーションをやっているところを開局準備中であった神戸放送(現・ラジオ関西)のスタッフにスカウトされ、在学中の1952年にパーソナリティとしてデビュー。卒業後の1958年に開局したばかりの関西テレビ(KTV)へ第1期アナウンサーとして入社し、主にプロ野球や競馬といったスポーツ中継を担当。
恒藤 敏彦(つねとう としひこ、1930年8月10日 - 2… 恒藤 敏彦(つねとう としひこ、1930年8月10日 - 2010年4月14日)は、日本の物理学者。京都大学名誉教授。 京都府京都市出身。父は法哲学者の恒藤恭。祖父は地質学者の恒藤規隆。兄弟に同志社大学法学部教授を務めた恒藤武二がいる。1953年京都大学理学部物理学科卒、1958年京都大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。理学博士(京都大学)。 1963年大阪大学理学部講師、1967年京都大学理学部助教授、1971年京都大学理学部教授。1994年京大定年退官、名誉教授、龍谷大学理工学部教授。
島内 剛一(しまうち たかかず、1930年(昭和5年)8月1… 島内 剛一(しまうち たかかず、1930年(昭和5年)8月10日 - 1989年(平成元年)12月19日)は日本の数学者。立教大学教授。専門は基礎論だが、揺籃期から成長期にあった日本のコンピュータ及びコンピュータ科学の発展にも広く関与し、パズル等への造詣も深かった。理学博士。コンピュータ科学に貢献しながらも、コンピュータ科学なんてものは無くて有るのはコンピュータだけ、という持論だったという。