神谷 昇(かみたに のぼる、1949年4月12日 - )は、… 神谷 昇(かみたに のぼる、1949年4月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。元泉大津市長(3期)。
4月12日生まれ:335人
神谷 昇(かみたに のぼる、1949年4月12日 - )は、… 神谷 昇(かみたに のぼる、1949年4月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。元泉大津市長(3期)。
古川 孝次(ふるかわ こうじ、1949年4月12日 - )は… 古川 孝次(ふるかわ こうじ、1949年4月12日 - )は、日本プロ麻雀連盟に所属する競技麻雀のプロ雀士。 愛知県名古屋市出身、多摩美術大学卒業。日本プロ麻雀連盟1期生、段位は九段。鳳凰戦A1リーグ所属。
齋藤 隆志(さいとう たかし、1949年4月12日 - )… 齋藤 隆志(さいとう たかし、1949年4月12日 - )は、日本の外交官。セネガル駐箚特命全権大使、ミャンマー駐箚特命全権大使を歴任した。 東京都出身。1974年東京大学文学部卒業、外務省入省。条約局法規課課長補佐、在パプアニューギニア大使館一等書記官、在イタリア大使館一等書記官、大蔵省出向(主計局主査)。 1990年経済局開発途上地域課長、1992年在フランス日本国大使館参事官、1995年香港総領事館領事、1997年在ドイツ日本国大使館参事官・公使、2000年在タイ日本国大使館公使、2002年在カナダ日本国大使館公使を経て、2004年から2006年まで独立行政法人日本貿易振興機構理事。 2006年に駐セネガル特命全権大使。
大内 全(おおうち たもつ、1949年4月12日 - )は、… 大内 全(おおうち たもつ、1949年4月12日 - )は、日本の技術者、実業家。北海道電力取締役副社長を経て、北海道電気保安協会理事長や、北海道経済連合会会長を務めた。 北海道函館市生まれ。1972年北海道大学工学部卒業、北海道電力入社。取締役原子力部長、常務取締役泊原子力事務所長、常務取締役発電本部長、取締役副社長を経て、2011年北海道電気保安協会理事長。2014年から北海道経済連合会会長を務め、北海道新幹線延伸前倒し問題などにあたった。2015年から体調に問題が生じ2016年に退任した。北海道食産業総合振興機構理事長、北海道科学技術総合振興センター理事長等も歴任した。
牛山 恵(うしやま めぐみ、女性、1949年4月12日 - … 牛山 恵(うしやま めぐみ、女性、1949年4月12日 - )は、日本の国語教育学者。都留文科大学名誉教授。 東京都生まれ。1976年横浜国立大学教育学部卒業。横浜市の公立小・中学校の教壇に立ちながら、1988年横浜国立大学大学院教育学研究科国語教育専攻修士課程修了。1994年都留文科大学文学部国文学科助教授(国語教育学)、1998年10月同教授。2015年定年退職、名誉教授。同年都留文科大学特任教授となり、2020年退職。
山里 勝己(やまざと かつのり、1949年4月12日 - )… 山里 勝己(やまざと かつのり、1949年4月12日 - )は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。名桜大学学長。琉球大学名誉教授。 沖縄県本部町出身。1972年、琉球大学法文学部英語英文科卒業。1974年、ハワイ大学マノア校大学院英米文学修士課程修了。1987年、カリフォルニア大学デービス校大学院英米文学専攻博士課程修了。 1975年より琉球大学法文学部助手、教授、副学長。日本文学環境学会会長、九州アメリカ文学会会長などを歴任。2013年、名桜大学教授および国際文化研究科長に就任。2014年、同大学学長に就任。 著書『琉大物語 1947-1972』では、アメリカ合衆国政府によって創立された琉球大学の歴史を詳細に記述した。
赤石 清美(あかいし きよみ、1948年4月12日 - 20… 赤石 清美(あかいし きよみ、1948年4月12日 - 2025年11月24日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。厚生労働大臣政務官を務めた。 1967年(昭和42年)、青森県立八戸工業高等学校を卒業。1970年(昭和45年)、京浜学園衛生技術学科を卒業。その後臨床検査技師として活動。 2010年(平成22年)、第22回参議院議員通常選挙に比例区から自由民主党公認で立候補し初当選した。医療技術者団体協議会を支持団体とする。 2013年(平成25年)、第2次安倍内閣で厚生労働大臣政務官に就任(2014年9月、退任)。改選となる2016年の第24回参議院議員通常選挙には立候補しなかった。
桜井 輝秀(さくらい てるひで、本名:櫻井 輝秀(読み同じ)… 桜井 輝秀(さくらい てるひで、本名:櫻井 輝秀(読み同じ)、1948年4月12日 - )は、兵庫県洲本市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 洲本実業高校では1966年に、後にプロで同僚となる1年下のエース西岡三四郎を擁し、春季近畿大会に進出。1回戦でPL学園の加藤英治に完封を喫する。同年の夏の甲子園県予選でも準々決勝に進むが、吉岡邦広、藤村雅美のいた三田学園に敗退。 同年のドラフト5位で南海ホークスに入団。1971年から二塁手としてレギュラーに定着し、同年は初の規定打席(27位、打率.258)にも達する。1973年にベストナイン、1973年と1974年に2年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞。
川畑 和人(かわばた かずと、1948年4月12日 - )は… 川畑 和人(かわばた かずと、1948年4月12日 - )は、鹿児島県薩摩川内市出身の元プロ野球選手(投手)。
藤田 善六(ふじた ぜんろく、1948年4月12日 - )は… 藤田 善六(ふじた ぜんろく、1948年4月12日 - )は、日本の弁護士。日本弁護士連合会副会長、関東弁護士会連合会理事長、コメリ監査役等を務めた。 新潟県糸魚川市出身。1972年中央大学法学部卒業。1980年新潟県弁護士会弁護士登録。2007年新潟県弁護士会会長。2011年日本弁護士連合会副会長。2015年からは関東弁護士会連合会理事長を務め、日本の集団的自衛権行使を容認する閣議決定を否定する決議を行うなどした。コメリ監査役なども務めた。2019年、旭日中綬章受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小栗まち絵(おぐり まちえ、Machie Oguri、194… 小栗まち絵(おぐり まちえ、Machie Oguri、1948年4月12日 - )は、大阪生まれのヴァイオリニストである。夫は、同じくヴァイオリニストの故工藤千博である。 6歳から相愛音楽教室に入室し、東儀祐二、江藤俊哉に師事する。1964年、桐朋女子高等学校音楽科に進み、1968年、同高校を卒業して桐朋学園大学に進んだ。その間、斎藤秀雄に師事。大学1年生の時の1968年第37回日本音楽コンクールで第1位、レウカディア賞を受賞、大学3年生の時の1970年第10回海外派遣コンクールで安宅賞を受賞した。1971年、桐朋学園大学を卒業し、11月に小倉朗『ヴァイオリン協奏曲』を初演。翌年の1972年ヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールで第10位、特別賞を受賞した。
東 祥高(あずま よしたか、1948年4月12日 - 201… 東 祥高(あずま よしたか、1948年4月12日 - 2012年10月11日)は、日本の作曲家、シンセサイザー奏者。奈良県大宇陀町(現・宇陀市)出身。妻は、五つの赤い風船のリードボーカルであった藤原秀子。 あぷるぱみす(おおたぼう、村上律、東祥高)、五つの赤い風船の元メンバー。 アルバム『シンセサイザー組曲「エイシアン・ウインド」』から『シンセサイザー組曲「ファー・フロム・エイシア」』まではあずまよしたか名義、アルバム『AZUMA』から『THE WANDERER』まではAZUMA名義で活動していた。アメリカのプライベート・ミュージック(英語版)レーベルに最初に参加した日本人である。 1976年、大阪市淀川区に「TON STUDIO」を開設。
金田 たつえ(かねだ たつえ、本名:梶原 たつえ、1948年… 金田 たつえ(かねだ たつえ、本名:梶原 たつえ、1948年(昭和23年)4月12日 - )は、日本の演歌歌手。北海道砂川市出身。 1961年、日本民謡協会全国大会で「江差追分」を歌い優勝。1965年(昭和40年)上京、同年17歳で所属事務所の社長と結婚。1969年、「江州音頭」「河内音頭」を発売し、民謡歌手としてデビュー。 1973年に「花街の母」で演歌に転向。発売当初は大阪地区限定の自主発売という厳しい条件付だったにもかかわらず、歌詞が自身の人生と似ているところがあるということから「何年かかっても、この曲は必ず世に出したい」と決心する。そして、地道な努力が実を結び、発売から6年目に全国的な大ヒット曲となり、15年間で250万枚以上を売り上げた。
丹波 正史(たんば せいし、1947年4月12日 - )は愛… 丹波 正史(たんば せいし、1947年4月12日 - )は愛知県出身の部落解放運動家、地方議員。 愛知県海部郡甚目寺町(現・あま市)生まれ。父の丹波繁正は富山県の被差別部落の出で、社会大衆党神戸支部執行委員を経て、甚目寺町の町会議員を3期つとめた。母の弟の井村末次郎も甚目寺町の町会議員(日本共産党)を1期つとめた。甚目寺町の町会議員を正史自身も1期、正史の妻の真理も7期つとめている。 愛知県立中村高等学校在学中、18歳で日本共産党に入党。1974年、甚目寺町議に当選し、4年間にわたり愛知県部落解放運動連合会(略称・愛解連)委員長と兼任。1978年、31歳で全国部落解放運動連合会(略称・全解連)中央執行委員になり、1983年、35歳で全解連書記次長となる。
藤野 寿一(ふじの としかず、1945年4月12日 - )は… 藤野 寿一(ふじの としかず、1945年4月12日 - )は、元NHKアナウンサー。 埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。埼玉県立浦和高校、北里大学卒業後の1970年入局。津→山形→浦和→函館→帯広→青森→山形→北見→仙台→山形と全国各地に勤務した。東京勤務はなく津局以外は東日本での勤務だった。定年後も山形でニュースを担当。山形を気に入り定住。
本條 秀太郎(ほんじょう ひでたろう、1945年4月12日 … 本條 秀太郎(ほんじょう ひでたろう、1945年4月12日 - )は、日本の民謡・端唄・俚奏楽・現代曲三味線の演奏者で、三味線音楽の作曲家である。茨城県潮来市に生まれる。本名は高田 新司。 三味線を篠塚みつ師に、長唄を稀音家芳枝師に、民謡を二代目大船繁三郎師、藤本琇丈師の両師に、小唄は田毎てる三師に師事。以後修学に勤め、1971年に本條流を創流。 流儀曲として三弦の持つ表現の自由闊達さに回帰し、時代時代に歌われてきた “小さなうた達”の断片をも復元再生し、自然発生的に歌い継がれてきた “うた”(自然民謡)、普遍的、民族的な躍動感や旋律をモティーフに、現代に伝統音楽として生まれた楽派「俚奏楽」を発表。
近藤 忠夫(こんどう ただお、1944年4月12日 - 20… 近藤 忠夫(こんどう ただお、1944年4月12日 - 2020年4月7日)は、日本の経営者。日本触媒社長、会長を務めた。 新潟県出身。1967年に京都大学工学部合成化学科を経て、1973年に京都大学大学院理学研究科を修了し、同年に日本触媒に入社した。2000年6月に日宝化学社長に就任し、2003年6月に日本触媒常務を経て、2004年6月に副社長に就任し、2005年4月には社長に昇格した。2011年4月に会長に就任。 2019年11月に旭日中綬章を受章。 2020年4月7日、病気のために死去。75歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
渡部 惇二(わたなべ じゅんじ、1944年(昭和19年)4月… 渡部 惇二(わたなべ じゅんじ、1944年(昭和19年)4月12日 - )は、日本のボクサー。 近畿大学在学中に、1968年メキシコシティーオリンピックで男子ライトフライ級に出場し、ソビエト連邦のヴィクトル・ザポロージェツ(英語版、ロシア語版)に敗れ、1回戦敗退した。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
金子 正子(かねこ まさこ、1944年4月12日 - )は、… 金子 正子(かねこ まさこ、1944年4月12日 - )は、東京都出身のアーティスティックスイミングのコーチ。(財)日本水泳連盟シンクロ委員長、監事、(財)日本オリンピック委員会強化委員・専任コーチ、情報戦略委員会リーダーなどを経て、現在、日本水泳連盟顧問、日本体育協会評議委員、三菱財団養和会理事などを務めている。 1944年東京都生まれ。 東京家政学院高校を経て、1967年に東京家政学院大学家政学部を卒業後、東京シンクロクラブのコーチに。1980年から日本水泳連盟シンクロ強化部長。1984年ロサンゼルスオリンピックから1996年アトランタオリンピックまで、ナショナルチームを率いて合計7個のメダルを獲得。
八木 幸二(やぎ こうじ、1944年4月12日 - )は、日… 八木 幸二(やぎ こうじ、1944年4月12日 - )は、日本の建築家、教育者、研究者。東京工業大学名誉教授、京都女子大学名誉教授、工学博士。 愛知県一宮市生まれ。1969年, 東京工業大学工学部建築学科卒業。1969年から1970年まで, 東京工業大学清家清研究室で大阪万博スイス館現場担当。1970年同大学助手。1971年から1974年にかけて、シリアの都市計画援助OTCA派遣。シリアの農村計画に従事。1975年から1976年まで、オーストラリアのクインズランド大学研究員。風土建築を研究。1980年オクラホマ大学客員助教授。1987年マサチューセッツ工科大学客員研究員、1987年東京工業大学助教授、1995年東京工業大学教授、2010年3月東京工業大学を定年退職、2010年9月-11月上海同済大学客座教授。
三野徹(みつの とおる、1943年4月12日 - )は、日本… 三野徹(みつの とおる、1943年4月12日 - )は、日本の環境学者、元鳥取環境大学環境マネジメント学科教授、京都大学名誉教授。
川並 汪一(かわなみ おういち、1943年4月12日 - )… 川並 汪一(かわなみ おういち、1943年4月12日 - )は、日本の病理学者。茨城県生まれ。 日本医科大学卒。大学院では臨床病理診断学、電子顕微鏡診断学が専門で、修了後にヨーロッパやアメリカの研究施設で経験を積み、日本医科大学に戻り大学院教授になった。肺胞壁や肺がん、「肺肉芽腫性疾患の鑑別診断」、「肺の微小血管内皮細胞のcDNA作製と特異プローブの検討」、「肺胞壁の繊維過程における血管内皮細胞の役割について」等を研究。 1997年、日本医科大学大学院教授を経て緒方知三郎設立の日本医科大学老人病研究所(現・日本医科大学先端医学研究所)所長になる。高橋修和の後を継ぎ、2007年、一般社団法人老人病研究会会長に就任、現在に至る。
上杉 光弘(うえすぎ みつひろ、1942年〈昭和17年〉4月… 上杉 光弘(うえすぎ みつひろ、1942年〈昭和17年〉4月12日 ‐ )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)、宮崎県議会議員(2期)、自治大臣(第50代)、国家公安委員会委員長(第60代)を歴任した。 宮崎県西都市生まれ。1961年宮崎県立高鍋農業高等学校卒業。1966年東京農業大学社会通信教育部農業科修了。1971年、宮崎県議会議員に当選(2期)。1983年、衆院選に宮崎1区から立候補するが、落選。1986年、参議院議員に初当選し以後3期連続当選。 1990年に第2次海部内閣で大蔵政務次官、1997年に第2次橋本内閣改造内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長、1998年に小渕内閣で内閣官房副長官など要職を歴任。
南出 康世(みなみで こうせい、1942年4月12日 - )… 南出 康世(みなみで こうせい、1942年4月12日 - )は、日本の英語学者。大阪女子大学名誉教授。 1966年神戸大学教育学部英語科卒業。1971年、神戸市外国語大学大学院英語学研究科修士課程修了。神戸山手女子短期大学講師、助教授、大阪女子大学助教授、大阪府費による海外出張(ロンドン大学)、教授、大阪女子大学付属図書館長、大阪府立大学教授、2006年定年退任。1992年、大阪女子大学附属図書館編『大阪女子大学蔵 蘭学英学資料選』(原田裕・金水敏・屋名池誠・前田広幸と分担執筆)で日本英学史学会豊田実賞受賞、2006年 English Lexicography in Japan(石川慎一郎・村田年・投野由紀夫と共編:大修館書店)で日本大学英語教育学会(JACET)学術賞受賞。
内山 文治(うちやま ふみはる、1941年4月12日 - 2… 内山 文治(うちやま ふみはる、1941年4月12日 - 2026年2月5日)は、日本の実業家。ウチヤマホールディングス創業者・代表取締役会長。 福岡県北九州市小倉南区の平尾台近くで生まれる。家業は弁天町の内山米穀店。福岡県立小倉西高等学校卒業後、家業を継ぐ。1971年から不動産事業に進出。住専問題を受け、バブル崩壊前後の1991年からカラオケ事業に進出。1995年からは飲食事業も展開。2006年には子会社を飲食・カラオケ事業のボナーと、介護事業のさわやか倶楽部に再編し、ウチヤマホールディングスを設立。同社代表取締役社長に就任。2012年にジャスダック上場。2013年には東京証券取引所市場第二部に上場し、2014年に東京証券取引所市場第一部への市場変更を果たした。
西村 省一郎(にしむら しょういちろう 1941年4月12日… 西村 省一郎(にしむら しょういちろう 1941年4月12日 - 1988年6月17日)は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。1961年から1972年までの登録名は西村 省三(にしむら しょうぞう)。
森田 悌(もりた てい、1941年(昭和16年)4月12日 … 森田 悌(もりた てい、1941年(昭和16年)4月12日 - )は、日本の歴史学者。日本古代史専攻。学位は、文学博士。金沢大学教授・群馬大学教授を経て、群馬大学名誉教授。商法学者の森田果の父。 1965年(昭和40年)、東京大学文学部国史学科を卒業。1967年(昭和42年)、同法学部公法課程卒業。1971年(昭和46年)金沢大学助教授、教授を経て、1995年(平成7年)群馬大学教育学部教授。 2008年(平成20年)定年退任、名誉教授。 上代から平安朝を研究著述し、『日本後紀』、『続日本後紀』を初めて現代語訳した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山岡 義典(やまおか よしのり、1941年4月12日 - )… 山岡 義典(やまおか よしのり、1941年4月12日 - )は日本の市民活動家、都市計画家、地域研究者。法政大学名誉教授。専門は非営利組織論、都市・地域計画論。助成財団センター理事長、市民社会創造ファンド運営委員長、日本NPOセンター顧問、シューレ大学アドバイザー。 旧満洲国(現・中国東北部)生まれ、広島で育つ。東京大学工学部建築学科卒業。同大学院数物系研究科にて都市計画学を専攻。大学院在籍中に、太田博太郎のもとで「妻籠宿保存計画」の策定、丹下健三のもとで「大阪万国博覧会会場計画」の策定に関わる。 1969年から都市計画設計研究所にて都市計画の実務に従事。1977年、トヨタ財団プログラムオフィサー(のちにプログラムディレクター)。
有馬 式夫(ありま のりお、1941年4月12日 - 201… 有馬 式夫(ありま のりお、1941年4月12日 - 2016年2月21日)は、日本の牧師。日本基督教団成増キリスト教会牧師、日本牧会カウンセリング協会会員。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
武信 弘隆(たけのぶ ひろたか、1941年〈昭和16年〉4月… 武信 弘隆(たけのぶ ひろたか、1941年〈昭和16年〉4月12日 - 2001年〈平成13年〉7月2日)は、日本の政治家。福岡県山田市(現・嘉麻市)長(2期)。 福岡県出身。1965年、明治大学文学部卒。同年、丸栄産業に入社、1967年に武信建設機械を創業する。山田市議会議員を経て、1993年、山田市長に立候補し、現職の松岡正文を破って当選する。1997年の市長選挙でも再選された。2001年7月、現職のまま死去した。自宅にて首吊り自殺。
坪内 ミキ子(つぼうち みきこ、1940年4月12日 - )… 坪内 ミキ子(つぼうち みきこ、1940年4月12日 - )は、東京府(現:東京都)出身の女優・タレント。本名、櫻井美紀子。 父親は演劇評論家・坪内士行(宝塚歌劇団職員・宝塚音楽学校の顧問も歴任した)、母親は宝塚歌劇団1期生であり宝塚歌劇団卒業生の雲井浪子(本名:坪内操、旧姓:高井)。さらに母の姉と妹に同1期生の八十島揖子と同15期生の緒島なお子もいるという、演劇にゆかりのある家庭に生まれた(士行は坪内逍遙の兄の子で、一時、逍遙の養子だったが、1919年に養子縁組を解消した)。日本女子大学附属豊明小学校を経て、日本女子大学附属中学校・高等学校在学中に宝塚音楽学校受験を試みたが、元タカラジェンヌの母親に大反対されて受験を断念する。
尾崎 真義(おざき まさよし、1940年4月12日 - 20… 尾崎 真義(おざき まさよし、1940年4月12日 - 2004年11月9日 )は、日本の元ラグビー選手。 村野工業高校から法政大学へと進学。大学では1年目から活躍し、関東リーグ戦初優勝に貢献。 卒業後はトヨタ自動車に入社した。1963年のBCカナダ戦で初キャップを獲得。 1968年にオールブラックスジュニアを敵地で破った時の日本代表の主将であった。 元トヨタ自動車副部長。
田上 起一郎(たがみ きいちろう、1940年4月12日 - … 田上 起一郎(たがみ きいちろう、1940年4月12日 - 2020年ころ?)日本の芸能マネージャー、田上事務所代表。劇団「雲」の裏方を長く務めた後、芸能事務所である田上事務所を設立して独立し、名古屋章ら「雲」に関係のあった俳優たちを中心に、マネジメントを担った。 東京府東京市大森区(後の東京都大田区大森)に生まれる。 中学1年の時から大阪で育つ。 同志社大学在学中に小劇団に加わり、卒業後は普通の就職活動はせず、親の反対を押し切って上京し、福田恆存が主宰していた劇団「雲」に就職して、舞台の裏方の様々な仕事を経験した。 「35歳で独立」して田上事務所を立ち上げたが、これは劇団「雲」の解散に至る、混乱期のさなかのことであった。
勝山 正嗣(かつやま まさつぐ、1939年4月12日 - )… 勝山 正嗣(かつやま まさつぐ、1939年4月12日 - )は、日本の元文部官僚。元鈴鹿工業高等専門学校校長。 1963年大阪工業大学工学部建築学科を卒業し、同年に文部省(現在の文部科学省)入省(技官)。旧文教施設部(現文教施設企画部)技術課管理官、計画課施設企画官、技術課長、指導課長、東京外国語大学事務局長、山形大学事務局長を経て、1996年7月より文部省大臣官房文教施設部長。1998年7月より鈴鹿工業高等専門学校校長。2004年5月より文教施設協会専務理事。公共建築協会理事(非常勤)。 2010年春の殊勲に於いて、瑞宝中綬章を受章。
渡辺 晃三(わたなべ こうぞう、1938年4月12日- )は… 渡辺 晃三(わたなべ こうぞう、1938年4月12日- )は、日本の俳優、声優。東京都出身。國學院大學卒。本名は渡辺 宣貮(わたなべ のぶじ)。 劇団俳優座養成所第13期生として俳優デビューし、同期には應蘭芳、横内正、鹿島信哉らがいた。新劇場、東京演劇アンサンブル、砂岡事務所に所属し、劇団ひまわりでは専任講師、アクターズゼミナール伊那塾では講師を務めた。
左近司 祥子(さこんじ さちこ、1938年4月12日 - )… 左近司 祥子(さこんじ さちこ、1938年4月12日 - )は、日本の哲学者・西洋古典学者・ギリシア哲学研究者。学習院大学名誉教授。主な研究対象はネオプラトニズム、ピタゴラス。東京出身。 旧姓は内野で、父は中国哲学研究者の内野熊一郎、母方の祖父は内野台嶺。妹は音楽学者の内野允子(のぶこ、1943- 上野学園大学名誉教授)。三女の左近司彩子は翻訳家で元タレント。 かなりの猫好きで、多くの野良猫を保護し、自宅に猫を40匹以上飼っている。猫に関する著作が多数ある。著書『「本当に生きる」ために』のあとがきによれば、「『できることなら、あらゆる猫を救いたい』『私の目の前で猫殺しなど許さない』」が「たった一つの私の存在価値」だとのこと。
福井 宏(ふくい ひろし、1938年4月12日 - )は、プ… 福井 宏(ふくい ひろし、1938年4月12日 - )は、プロ野球審判員で、元セントラル・リーグ審判副部長。審判員袖番号は24(1988年初採用から1997年退職まで、台湾出向→審判指導員時代もつけていたが退職と同時に返上(引退はしていない)。24は1999年以降嶋田哲也がつけている)。佐賀県伊万里市出身。 佐賀県立伊万里商業高等学校を卒業、親和銀行勤務を経て、1962年に一般公募にてセ・リーグ審判部に入局(1968年には審判員交流制度により1年間パ・リーグ審判部に在籍)、1990年から副部長をつとめ、1994年まで日本プロ野球で活躍した後、翌1995年には台湾にわたり、1996年からは審判指導員を務めた。
市川 一朗(いちかわ いちろう、1937年4月12日 - )… 市川 一朗(いちかわ いちろう、1937年4月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。 参議院議員(3期)、農林水産副大臣(第1次小泉第2次改造内閣、第2次小泉内閣)などを歴任。 宮城県栗原郡鶯沢町(現在の栗原市鴬沢地区)出身。仙台第一高等学校卒業後、東京大学文科一類入学。1961年、東京大学法学部(私法コース)卒業と同時に建設省に入省する。国土庁防災局長、建設省都市局長、建設省総務審議官を経て、1993年に国土事務次官に就任し、翌1994年に退官。 1995年の第17回参議院議員通常選挙に無所属(新進党推薦)で宮城県選挙区から立候補し、初当選。当選後は新進党の参議院会派である平成会に所属したものの、最後まで新進党には入党しなかった。
田辺 義三(たなべ よしぞう、1937年4月12日 - 20… 田辺 義三(たなべ よしぞう、1937年4月12日 - 2018年9月12日)は、群馬県出身の元プロ野球選手(捕手、外野手、内野手)。 桐生高校では3年次の1955年、捕手として春の選抜に出場。今泉喜一郎とのバッテリーで決勝に進出するが、坂崎一彦・山本八郎・広島尚保らがいた浪華商に延長11回3-4でサヨナラ負け、準優勝に終わる。同年は夏の選手権にも出場したが、2回戦で日大三高のエース並木輝男に抑えられ、4-10で敗れた。同年8月には1年下の外野手間所宏全(阪急)らと共に全日本高校選抜チームの一員として初のハワイ遠征を果たし、4番を打った。 身長174cmは当時としては大型で、高校屈指の強打の捕手として中日、大映、東映、大洋などが獲得合戦を繰り広げたが、卒業後の1956年に西鉄ライオンズへ入団。
山田 卓生(やまだ たかお、1937年4月12日 - 201… 山田 卓生(やまだ たかお、1937年4月12日 - 2013年10月25日)は、日本の法学者。専門は民法・法社会学。横浜国立大学名誉教授。弁護士。来栖三郎門下。 愛知県名古屋市出身。1956年愛知県立瑞陵高等学校卒業。1960年東京大学法学部卒業。1962年東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。1973年ハーバード・ロー・スクール修了(LLM)。1962年東京大学社会科学研究所助手、1967年中央大学法学部専任講師、1968年同助教授、1974年同教授、1980年横浜国立大学経済学部教授、1994年同留学生センター長、1998年日本大学法学部教授、2004年日本大学大学院法務研究科教授、2008年同退職、あさひ法律事務所顧問を歴任。
太佐 順(たさ じゅん、1937年(昭和12年)4月12日 … 太佐 順(たさ じゅん、1937年(昭和12年)4月12日 - )は、日本の作家。 鹿児島県肝属郡内之浦町(肝付町)出身。本名・順一。週刊誌記者、PR誌編集、出版社等に勤務。『新潮』『すばる』他の文芸誌に作品を発表。1974年(昭和49年)『季刊藝術』に掲載した「『父』の年輪」で芥川賞候補になる。1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙・鹿児島選挙区に進歩党公認で出馬、落選した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
前田 隣(まえだ りん、1936年4月12日 - 2009年… 前田 隣(まえだ りん、1936年4月12日 - 2009年2月19日)は、日本のコメディアン。本名:中澤 永一郎(なかざわ えいいちろう)。芸名はMy Darling(マイ・ダーリン)から。後輩芸人らからは「ダーリン先生」の愛称で呼ばれた。 東京都品川区出身。のち浅草に住む。イラストレーター・山藤章二は立正中学校・高等学校時代の同級生。 1956年、東京池袋アヴァンギャルド(後に池袋アバン座に名称変更)を振り出しに、名古屋、大阪の劇場で修行を積み、コロムビア・トップ・ライトの門下として、漫才「青空あれや・これや」で活躍。 1964年、「ナンセンストリオ」に加入。「親亀の背中に小亀を乗せて〜」「赤あげて! 白下げて!」などのギャグでトリオブームの頂点に立つ。
島田 光二(しまだ こうじ、1936年4月12日 - )は、… 島田 光二(しまだ こうじ、1936年4月12日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。 四日市高校では3年次の1954年に夏の甲子園県予選を勝ち抜くが、三岐大会で森昌彦捕手を擁する岐阜高校に敗退、甲子園出場を逸する。高校同期にエースの巽一がいるほか、1年下の高橋正勝(巨人に入団)は、翌年夏の甲子園で主戦投手として初優勝している。 卒業後の1955年に近鉄パールスに入団し、1年目の同年から一軍出場。内野の準レギュラーが長かったが、1962年に一塁手の定位置を獲得し、規定打席(打率.278、18位)に到達。その後も内野全般をこなすユーティリティプレイヤーとして活躍し、通算1029試合に出場した。
瀬地山 敏(せちやま さとし、1936年4月12日 - )は… 瀬地山 敏(せちやま さとし、1936年4月12日 - )は、日本の経済学者。専門はケインズ経済学であるが、新古典派ではなくピエロ・スラッファを嚆矢とする現代ケンブリッジ学派に属する。京都大学経済学部長、総長特別補佐(副学長に相当)、鹿児島国際大学学長を歴任。京都大学名誉教授。2014年瑞宝中綬章受章。
平井 弘(ひらい ひろし、1936年4月12日 - )は、日… 平井 弘(ひらい ひろし、1936年4月12日 - )は、日本の歌人。 岐阜県岐阜市生まれ。実家は金津の遊郭であったという。3歳のときに父を結核で亡くし、9歳で母も亡くし、祖母に育てられる。1944年に遊郭がまるごと岐阜市郊外の長森に移転して疎開するという経験をする。高校生のときに作歌を始め、1954年に新聞歌壇で高安国世に採用される。 1960年に小瀬洋喜が岐阜青年歌人会の機関誌として発行した同人誌「斧」の創刊メンバーとなり、2年ほど同誌に拠って活動。60年代の前衛短歌運動を牽引した。1961年に第一歌集『顔をあげる』を発表。その後しばらく歌作から離れるが、冨士田元彦のすすめで「現代短歌 雁」誌上にて復帰し、1976年に第二歌集『前線』を発表。
安 世舟(やす せいしゅう、1935年4月12日 - )は、… 安 世舟(やす せいしゅう、1935年4月12日 - )は、日本の政治学者、大東文化大学名誉教授。 福岡県生まれ。1957年 明治大学政治経済学部政治学科卒、1972年 同大学院博士課程修了、「ドイツ社会民主党史序説 創立からワイマール共和国成立期まで」で政治学博士。1973年 大東文化大学法学部助教授、1978年 同教授となる。2006年 定年退職し、名誉教授。19-20世紀のドイツ国家学・ドイツ語圏政治史が専門。子息の安章浩(1968-)も政治学者・尚美学園大学総合政策学部教授。 研究動向を概観すると、大学院博士課程時代には、ヘルマン・ヘラーの「組織としての国家」概念にアメリカの経営学者バーナードの組織論のキー概念たる「コミュニケーションを通じて自発的に組織への貢献を行わせる力」としての権威概念を組み込んだ権力概念を用い独自の現代民主主義論を展開した、恩師でもある秋永肇の『現代政治学』(富士書房 1962)の基本構想を継承し、ヘラーの『国家学』の邦訳や、同書成立の前提となったドイツの国家学や政治史的研究の一環としてドイツ社会民主党史の研究を行った。
神立 春樹(かんだつはるき、1934年4月12日 -2025… 神立 春樹(かんだつはるき、1934年4月12日 -2025年2月9日 )は日本の歴史学者。専門は近代日本経済史、近世農村・農書研究。農学博士、博士(学術)、博士(文学)。岡山大学名誉教授。二松学舎名誉舍友。瑞宝中綬章受章。 東京都生れ。父親の仕事により、南洋群島パラオ・アンガウル、朝鮮咸興などの海外を含め一家各地を転々、長野県小諸高等学校入学・二松学舎大学附属高等学校卒、東京教育大学農学部卒業・農学士、東京大学大学院社会科学研究科農業経済学専攻修士課程修了・農学修士、同農学系研究科農業経済学専攻博士課程修了・農学博士。博士学位論文「近代農村工業史の基礎過程」、指導教授東京大学古島敏雄。 大学院在学中1966年白梅学園短期大学講師、助教授の後、1970年岡山大学法文学部助教授、1977年教授、1992年経済学部長・大学院経済学研究科長、1995年大学院博士課程文化科学研究科長、1998年附属図書館長歴任。
堀田 力(ほった つとむ、1934年4月12日 - 2024… 堀田 力(ほった つとむ、1934年4月12日 - 2024年11月24日)は、日本の検察官、弁護士、福祉事業家。さわやか法律事務所所長、第一東京弁護士会所属、公益財団法人さわやか福祉財団会長、全日本社会貢献団体機構名誉顧問。 法務省大臣官房人事課課長、甲府地方検察庁検事正、法務省官房長、さわやか福祉推進センター所長などを歴任した。 京都府出身の弁護士である。京都大学を卒業後、検察官として任官し、東京地方検察庁では特別捜査部の検事としてロッキード事件の捜査に従事した。その後、甲府地方検察庁の検事正や法務省の官房長などを歴任した。退官後は弁護士として活動するとともに、さわやか福祉推進センターを開設するなど福祉事業家として活動した。
吉岡 康暢(よしおか やすのぶ、1934年4月12日 - )… 吉岡 康暢(よしおか やすのぶ、1934年4月12日 - )は、日本の考古学者、文学博士(明治大学)。国立歴史民俗博物館名誉教授・元石川県立歴史博物館館長。 石川県金沢市生まれ。古代~中世にかけての日本海域における土器・陶磁器研究の先駆者である。第5回小山富士夫記念賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松井 やより(まつい やより、1934年4月12日 - 20… 松井 やより(まつい やより、1934年4月12日 - 2002年12月27日)は、日本のジャーナリスト、フェミニスト、元朝日新聞編集委員。本名は松井耶依。 京都府出身。父の平山照次、母の秋子はともに牧師で、東京都渋谷区に東京山手教会を創立した。本名の「耶依」もキリスト教に由来する。父親の平山照次は反核団体原水爆禁止日本協議会(原水協)がまだ共産党の影響力が強くなかった頃に、その常任理事を務め、日本キリスト教婦人矯風会に禁酒運動から平和運動へ活動範囲を広げるよう提言した。松井やよりの弟である平山基生は、平山照次とは逆に無神論者となる日本共産党員で、反米軍基地活動家。 青山学院中等部・高等部を経て、1961年に東京外国語大学外国語学部英米科を卒業し、朝日新聞社に入社。