井坂 栄(いさか さかえ、1942年3月15日 - 2010… 井坂 栄(いさか さかえ、1942年3月15日 - 2010年2月7日)は、日本の経営者。 茨城県出身。1953年に中央大学法学部政治学科を卒業し、同年に伊藤ヨーカ堂(現在のイトーヨーカ堂)に入社。 1995年5月に常務、2001年5月に専務を経て、2003年5月に社長に就任した。2006年6月に体調不良により、社長を辞任。 2010年2月7日多臓器不全のために死去。68歳没。
飯塚 哲太郎(いいづか てつたろう、1941年〈昭和16年〉… 飯塚 哲太郎(いいづか てつたろう、1941年〈昭和16年〉3月15日 - )は、日本の生物物理学者。理学博士。専攻は酵素物理学、生物無機化学。ヘムたんぱく質の構造と機能についての研究。 群馬県渋川市出身。群馬県立渋川高等学校を卒業し、1964年、東京大学理学部物理学科を卒業。1966年4月、大阪大学基礎工学部助手。1969年、東京大学理学博士、「ヘム蛋白質におけるHigh spin-Low spin間の熱平衡」。 米国ペンシルベニア大学医学部客員助教授、慶應義塾大学医学部助教授を経て、1986年9月、理化学研究所無機化学研究室主任研究員、後に生体物理化学研究室主任研究員。埼玉大学理工学研究科客員教授、法政大学工学部教授を経て、2003年10月より独立行政法人理化学研究所 播磨研究所長。
森本 敏(もりもと さとし、1941年〈昭和16年〉3月15… 森本 敏(もりもと さとし、1941年〈昭和16年〉3月15日 - )は、日本の国際政治学者、航空自衛官、外交官、政治家。防衛政策における論客家。 拓殖大学顧問、拓殖大学特任教授、21世紀臨調運営委員、防衛法学会顧問。拓殖大学第19代総長。野田内閣で民間人閣僚として初めて防衛大臣を務めた。 東京府東京市(現東京都)生まれ。大阪府立豊中高等学校を経て、防衛大学校本科(電気工学専攻、第9期生)卒業後、航空自衛隊に入隊。1977年(昭和52年)から外務省アメリカ局(現北米局)安全保障課に出向。 1979年(昭和54年)に航空自衛隊を退官し、正式に外務省入省。航空自衛官退官時の階級は3等空佐(米国などでいう「少佐」)。
井上 堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2… 井上 堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2018年5月2日)は、日本のギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサー。本名は同じ。別名は井上 孝之。愛称はイノヤン。兵庫県神戸市出身。 兵庫県立星陵高等学校卒業後は、滝の茶屋駅前の「すしひろ」で板前だったが、TVのオーディション番組をきっかけに、歌の世界に入る。 ザ・スパイダース結成時代は、「スリージェット」という3人組のコーラス&ダンスグループの一員として活躍したが、リバプールサウンド編成に伴い、ギターを独学し、ボーカルと、リード・ギターを担当するまでになった。ザ・スパイダース時代は井上 孝之と名乗っていた。 1970年のザ・スパイダース解散後、1971年にPYGに参加し、「花・太陽・雨」「自由に歩いて愛して」などを作曲した。
井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - )は… 井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - )は、日本のミュージシャン・ギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサー。兵庫県神戸市出身。本名は同じ。別名は井上 孝之。愛称はイノヤン。
林 瑞峰(はやし ずいほう、1941年3月15日 - )は、… 林 瑞峰(はやし ずいほう、1941年3月15日 - )は、日本の実業家、映画プロデューサーである。 ヒューマックス副社長、ジョイパックフィルム(のちのヒューマックスピクチャーズ、現在のヒューマックスシネマ)代表取締役社長、ギャガ・コミュニケーションズ取締役、株式会社カミングスーン・ティービー取締役を歴任、現在、ヒューマックスシネマ代表取締役社長、ヒューマックスコミュニケーションズ代表取締役社長、外国映画輸入配給協会理事、東京都興行生活衛生同業組合副理事長。 1941年(昭和16年)3月15日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。父はヒューマックスグループ創業者の林以文(1913年 - 1976年)、兄に現在の同グループ会長・林瑞祥(1935年 - )、ヒューマックス副社長・林瑞禎(1937年 - )、弟にジョイパックグループの林光男(1943年 - )がいる。
大和田 智子(おおわだ ともこ、1941年3月15日 - )… 大和田 智子(おおわだ ともこ、1941年3月15日 - )は、日本のフェンシング選手、指導者。宮城県生まれ。 気仙沼市出身。宮城県鼎が浦高等学校、専修大学卒業。鼎が浦高校での指導者は、本吉町(現 気仙沼市)出身で1958年 全日本選手権優勝の千葉卓朗であった。 1964年 全日本選手権女子フルーレ優勝、 同年 第18回オリンピック東京大会フェンシング女子フルーレ個人・団体に出場。専修大学からは小森芳江もフルーレ個人に出場した。 その後は、専修大学フェンシング部 女子監督に就任。後進の指導にあたり、2004年に功労賞(各競技団体主催の公式大会で、各部を団体優勝に導いた部長、監督に贈られる)を受賞。
星野 克美(ほしの かつみ、1940年3月15日 - )は、… 星野 克美(ほしの かつみ、1940年3月15日 - )は、多摩大学名誉教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
西部 邁(にしべ すすむ、1939年〈昭和14年〉3月15日… 西部 邁(にしべ すすむ、1939年〈昭和14年〉3月15日 - 2018年〈平成30年〉1月21日)は、日本の思想家、評論家、経済学者。東京大学大学院修了。秀明大学教授・学頭、東京大学教養学部教授、隔月刊誌『表現者』顧問を歴任。 北海道出身。東大入学後にブントのメンバーとなり、東大自治会委員長として安保闘争に参加した。安保闘争から離脱後は東大大学院で近代経済学を専攻し、横浜国立大学助教授、東大助教授、英米への留学を経て東大教授となる。1980年代から保守の論客として活躍し、東大駒場騒動の際に東大教授を辞職。それ以後は在野の評論家として評論活動を行った。2018年に多摩川にて入水自殺。 1939年(昭和14年)、北海道の南部に位置する山越郡長万部町に生まれる。
山岸 哲(やまぎし さとし、1939年3月15日 - )は、… 山岸 哲(やまぎし さとし、1939年3月15日 - )は、日本の鳥類学者。山階鳥類研究所名誉所長。理学博士。 長野県須坂市に生まれる。長野県長野高等学校を経て、1961年信州大学教育学部卒業。大阪市立大学理学部教授、京都大学大学院理学研究科教授を歴任。1993~1997年日本鳥学会会長、次いで2002年に山階鳥類研究所所長に就任。 かたわら、2005年東京農業大学客員教授、2008年より新潟大学特任教授を務める。2010年3月山階鳥類研究所所長を退任し、名誉所長となる。2010年10月兵庫県立コウノトリの郷公園園長就任。 1999年 第8回山階芳麿賞受賞。 また、2003年5月1日から2004年4月30日にかけて、『朝日新聞』朝刊第1面にてコラム『けさの鳥』を連載していた。
大坪 清(おおつぼ きよし、1939年〈昭和14年〉3月15… 大坪 清(おおつぼ きよし、1939年〈昭和14年〉3月15日 - )は、日本の実業家。住友商事代表取締役副社長を経て、レンゴー代表取締役会長。関西経済連合会副会長、日本製紙連合会副会長、凌霜会理事長なども務めている。 大阪府豊中市生まれ。大阪府立大手前高等学校を経て、1962年(昭和37年)神戸大学経済学部卒業。住友商事に入社後「一番弱い分野」を希望し紙・パルプ課に入る。 兵庫県尼崎市にある摂津製紙(のちのセッツ。レンゴーと合併した)への出向を経て、1966年に扶桑紙業(のちの住商紙パルプ、現国際紙パルプ商事)専務取締役。 1988年マレーシアの住友商事クアラルンプール支店長。1992年(平成4年)取締役。
松島 悠佐(まつしま ゆうすけ、1939年3月15日 - )… 松島 悠佐(まつしま ゆうすけ、1939年3月15日 - )は、福岡県出身の軍事評論家、元陸上自衛官(最終階級は陸将)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
内田 茂(うちだ しげる、1939年〈昭和14年〉3月15日… 内田 茂(うちだ しげる、1939年〈昭和14年〉3月15日 - 2022年〈令和4年〉12月21日)は、日本の政治家。 東京都議会議員(7期)、東京都議会議長、千代田区議会議員(4期)、千代田区議会議長、自由民主党東京都連幹事長、同東京都連最高顧問などを歴任した。娘婿は千代田区議会議員の内田直之。 東京都千代田区神田淡路町に生まれた。4人兄弟の長男である。親の職業は、野菜の行商と鮮魚売り、額縁職人と諸説ある。千代田区立一橋中学校(現:千代田区立神田一橋中学校)卒業。 1956年、東京都立九段高等学校中退。中退した理由は「先生をぶん殴ったため」とも言われる。高校中退後は、テキヤに出入りしたり、電気店で働いたり、喫茶店の店番をしたり、雀荘を経営したり、元外務大臣の鳩山威一郎(鳩山由紀夫・鳩山邦夫の父)の下足番になったりした。
植松 増美(うえまつ ますみ、1938年3月15日 - )は… 植松 増美(うえまつ ますみ、1938年3月15日 - )は、日本の経営者。アサヒ飲料社長を務めた。 山梨県出身。1962年に東京大学経済学部を卒業し、同年にアサヒビールに入社。1992年3月に取締役に就任し、1996年3月に常務、1997年5月に専務を経て、1999年3月に副社長に就任し、2001年3月にはアサヒ飲料社長に就任。2003年3月に相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
菅原 寛孝(すがわら ひろたか、1938年3月15日 - )… 菅原 寛孝(すがわら ひろたか、1938年3月15日 - )は、日本の物理学者。専門は素粒子物理学。大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、沖縄科学技術大学院大学学長特別顧問。学位は理学博士(東京大学・1966年)。勲等は瑞宝中綬章。 カリフォルニア大学研究員、シカゴ大学研究員、東京教育大学理学部助手、東京大学原子核研究所助教授、高エネルギー物理学研究所物理研究系教授、高エネルギー物理学研究所物理研究部第一研究系教授、高エネルギー物理学研究所所長、高エネルギー加速器研究機構機構長(初代)、ハワイ大学教授、国立大学法人総合研究大学院大学理事(経営・運用担当)などを歴任した。
芦沢 一洋(あしざわ かずひろ、1938年3月15日 - … 芦沢 一洋(あしざわ かずひろ、1938年3月15日 - 1996年 )は、日本のフリーライター。アウトドアライター、ネイチャーライター。 山梨県南巨摩郡鰍沢町出身。早稲田大学文学部卒業。 フリーのグラフィックデザイナーとして活動する傍ら、日本フライフィッシング協会の設立に関わるなど、日本のアウトドア界の草分けとして知られる。新聞、雑誌、TV、ラジオでバックパッキング、フライ・フィッシングを中心にアウトドアライフ全般にわたる著作活動を行ない、国内各地と合衆国、カナダ、ニュージーランドを歩く。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中川 博之(なかがわ ひろゆき、1937年3月15日 - 2… 中川 博之(なかがわ ひろゆき、1937年3月15日 - 2014年6月11日)は、現在の韓国ソウル市生まれの日本の作曲家、歌手。別名に五十嵐 悟(いがらし さとる)、ユズリハシロー。妻は作詞家の高畠じゅん子。 作曲数は1,500曲以上、レコード、CDの売上枚数は450万枚以上。新見市立千屋小学校の校歌をボランティアで作曲したこともある。
眞田 芳憲(さなだ よしあき、1937年3月15日 - 20… 眞田 芳憲(さなだ よしあき、1937年3月15日 - 2017年11月23日)は、日本の法学者(ローマ法・イスラム法・比較法文化論)。中央大学名誉教授。法学博士。新潟県出身。「真田芳憲」とも表記される。 新潟県生まれ。1959年中央大学法学部卒。同大学で矢田一男に師事してローマ法を専攻し、のちイスラーム法をも対象とした。1961年中央大学大学院法学研究科修士課程修了、1964年まで同大学院博士課程に在籍後、1964年中央大学法学部助手。恩師の矢田一男急逝を受けて、後任として1967年同法学部講師(西洋法制史ほか担当)。翌年助教授。1974年同法学部教授。その後、法学部通信教育部長、同大学評議員、法学部長、日本比較法研究所所長などを歴任。
西田 篤弘(にしだ あつひろ、1936年3月15日 - 20… 西田 篤弘(にしだ あつひろ、1936年3月15日 - 2025年5月17日)は、日本の物理学者、宇宙科学研究所名誉教授。日本学士院会員。専門は宇宙空間物理学。 三重県出身。愛知県立明和高等学校卒業。東京大学卒業。1968年東京大学理学博士。「Plasma in the earth's upper atmosphere(地球上層大気のプラズマ)」。1981年に宇宙科学研究所教授となり、東大教授を併任。1996年宇宙科学研究所所長に就任。GEOTAIL衛星プロジェクトのリーダーを務めた。 プラズマポーズの成因を明らかにする理論を確立し、またプラズマ対流の発生機構を明らかにするなど、地球周辺空間の基本構造の解明に貢献した。
ジミー 時田(ジミーときた、1936年3月15日 - 200… ジミー 時田(ジミーときた、1936年3月15日 - 2000年3月10日)は満洲生まれのカントリー・ミュージックの歌手。本名は時田 圭介。ジミー・ロジャーズにあやかって「ジミー」を名乗った。 1936年、満洲にて出生。 1951年、荒川区立第一中学校卒業。青山学院高等部入学。 高校1年の頃、友人の伝手でウェスタン・ランブラーズと知り合い、カントリー・ミュージックに目覚め、FENから流れてくるカントリー番組を聴いてはコピーしながらレパートリーを増やしつつ、英語力も磨いたという。 1954年、青山学院大学文学部英文学科入学。学生バンド「サンセット・バリー・ボーイズ」を結成。1955年から1年間ほど、山口銀次等のハワイアン・バンドにてギターの修行をした。
波多野 哲朗(はたの てつろう、1936年3月15日 - 2… 波多野 哲朗(はたの てつろう、1936年3月15日 - 2020年10月2日)は、日本の映画評論家、映像作家、翻訳家。東京造形大学名誉教授、日本大学大学院芸術学研究科非常勤講師。 福井市出身。日本映像学会元会長、日本映画学会名誉顧問、日本アニメーション学会名誉会員 を務めた。 1969年から1971年まで山根貞男、手島修三とともに映画批評誌『シネマ』(誌名は『シネマ69』『シネマ70』『シネマ71』と変遷)の編集・発行に携わる。 1998年には、オートバイによるユーラシア大陸横断ツーリングを計画し、みずから隊長としてロシアのウラジオストックからポルトガルのロカ岬まで16000キロを約2か月をかけて横断に成功した。
中里 斉(なかざと ひとし、1936年3月15日 - 201… 中里 斉(なかざと ひとし、1936年3月15日 - 2010年7月18日)は、日本の画家。東京都生まれ。ニューヨークにて制作活動をした。2010年、製作中の不慮の事故により急逝した。 東京府南多摩郡忠生村(現 東京都町田市)生まれ。1948年桜美林中学校に入学、1954年桜美林高等学校を卒業。1956年多摩美術大学美術学部絵画科(油画)に入学し、大沢昌助らに師事。1960年同大学卒業。半年ほど『北海タイムス』の美術記者として勤務した後、桜美林学園の専任講師となる。1962年アメリカに渡り、ウィスコンシン大学大学院(絵画専攻、版画副専攻)に入学。1964年ミルウォーキーのセント・ジェームス・ギャラリーで初個展を開催。
池田 得太郎(いけだ とくたろう、1936年3月15日 - … 池田 得太郎(いけだ とくたろう、1936年3月15日 - )は、日本の小説家。 東京日本橋生まれ。日本大学旧工学部中退。 1958年、学生時代に「家畜小屋」を中央公論新人賞に応募。受賞できず佳作止まりだったが、選考委員三島由紀夫の絶賛を受けて『中央公論』に掲載され、第40回芥川賞候補となる。 四人の子供を育てながら日立製作所でサラリーマン生活をしつつ、1972年から再度作品を発表。1976年『野性時代』に掲載された「ノアの箱舟殺人事件」が最後の作品となっている。
高見澤たか子(たかみざわ たかこ、1936年3月15日- )… 高見澤たか子(たかみざわ たかこ、1936年3月15日- )は、日本のノンフィクション作家。 東京生まれ。本名・寺尾隆子。高見沢遠治は伯父(父の兄)。早稲田大学文学部卒。伝記作品のほか、自らの体験を通して家族や生活、高齢社会をテーマにした著書も多い。
西村 恕彦(にしむら ひろひこ、1935年3月15日 - 2… 西村 恕彦(にしむら ひろひこ、1935年3月15日 - 2019年12月23日)は、日本の計算機科学者。機械翻訳や、COBOLをはじめとするプログラミング言語、情報処理に関わる用語、文字コード等の標準化を研究分野とした。 石川県金沢市に生まれる。父は旧制金沢医科大学(現・金沢大学)の医師であった。父の転勤により、富山市に移る。太平洋戦争中の1945年に魚津市にある母方の実家に疎開した。富山市立芝園中学校の1期生となり、校章をデザインする。 東京都立両国高等学校を経て東京大学に進学。1958年に東京大学理学部地質学科を卒業する。卒業後は東京大学文学部心理学科大学院に進み、1961年に修了した(修士号取得)。
ヨネヤマ ママコ(1935年3月15日 - 2023年9月2… ヨネヤマ ママコ(1935年3月15日 - 2023年9月20日)は、日本のパントマイミスト、振付師、女優、モデル。本名は米山ママコ(よねやま ままこ)。米山 曼舞子(よねやま ままこ)名義での映画出演もある。 1958年 俳優座劇場、 劇団人間座・現代舞台芸術協会合同公演
ヨネヤマママコ(よねやま ままこ、1935年3月15日 - … ヨネヤマママコ(よねやま ままこ、1935年3月15日 - )は、日本の舞踏家、振付師、パントマイマー。本名は、米山 ママコ(よねやま ままこ)。米山 曼舞子(よねやま ままこ)名義での映画出演もある。
田川 律(たがわ ただす、1935年3月15日 - 2023… 田川 律(たがわ ただす、1935年3月15日 - 2023年1月28日)は、日本の音楽評論家、舞台監督、歌手、料理研究家、翻訳家、ミステリ評論家。 1935年、大阪市生まれ。本名、永島律〈ながしま・ただす〉。1960年、大阪大学文学部国史学科卒業。 関西フォークの全盛期に、鑑賞団体「大阪労音」事務局に勤務。大阪労音事務局時代に、助言者的な立場で関わっていた音楽評論家の中村とうよう、飯塚晃東と知り合う。 1968年、東京に移る。 1969年4月に飯塚晃東、小倉エージらとともに、中村とうようを編集長とする雑誌「ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)」創刊に参加。 1970年、フリーとなり、音楽評論、舞台監督、レコーディングディレクターなど様々な音楽関連の仕事を体験。
井箟 重慶(いのう しげよし、1935年(昭和10年)3月1… 井箟 重慶(いのう しげよし、1935年(昭和10年)3月15日 - )は、日本の実業家。オリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ)元球団スペシャルアドバイザー・顧問・代表。関西国際大学名誉教授。 岐阜県瑞浪市出身。少年時代は中日ドラゴンズのファンで、医師の家系だったことから慈恵高校に進学したが、肺を患って医者の道を断念した。上智大学外国語学部卒。1959年丸善石油(現コスモ石油)入社。米国丸善石油→米国コスモ石油副社長を歴任。なお、勤務の傍ら上智大学硬式野球部監督を務め、その後丸善石油の野球部(松山市。現在廃部)にも携わり、古賀正明らをスカウトした。 1989年、一般公募に応募し、オリックス球団常務に就任。
安原 和雄 (やすはら かずお、1935年3月15日 - 2… 安原 和雄 (やすはら かずお、1935年3月15日 - 2020年3月28日)は、広島県生まれの日本の経済学者、足利工業大学名誉教授。元毎日新聞論説委員。専門は仏教経済学。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
竹山 実(たけやま みのる、1934年3月15日 - 202… 竹山 実(たけやま みのる、1934年3月15日 - 2020年9月24日)は、日本の建築家。竹山実建築綜合研究所所長。イリノイ大学名誉教授。武蔵野美術大学名誉教授。アメリカ建築家協会(AIA)名誉会員。 北海道札幌市出身。フルブライト奨学金で留学したハーバード大学大学院修士課程を修了後、ホセ・ルイ・セルトや、イサム・ノグチの事務所に勤務し、その後、1962年、デンマークに渡る。デンマークでは、ヨーン・ウツソン、アルネ・ヤコブセン、フィン・ユール、ヘニング・ラーセンの事務所に勤務、また、1963年から一年間、教師としてデンマーク王立アカデミー建築科に勤めた。 1964年に帰国し、竹山実建築綜合研究所を設立。
安藤 元雄(あんどう もとお、1934年3月15日 - )は… 安藤 元雄(あんどう もとお、1934年3月15日 - )は、日本の詩人・フランス文学者。明治大学名誉教授。2002年紫綬褒章受章。2022年文化功労者。 東京生まれ。東京都立日比谷高等学校、東京大学文学部仏文科卒業。大学在学中に多田富雄、江藤淳らとともに同人雑誌『Perute』のち『位置』に詩などを寄稿。卒業後の1958年、時事通信社入社。パリ特派員ののち、1965年から國學院大學助教授、1973年から明治大学政経学部助教授、1980年教授、2004年定年退職、名誉教授。2005〜2006年日本現代詩人会会長。 1980年、詩集『水の中の歳月』で高見順賞、1988年『夜の音』で現代詩花椿賞、1999年『めぐりの歌』で萩原朔太郎賞受賞、2002年紫綬褒章受章。
安城 欽寿(あんじょう きんじゅ、1934年3月15日 - … 安城 欽寿(あんじょう きんじゅ、1934年3月15日 - 2024年9月25日)は日本の実業家。京セラ株式会社代表取締役社長を務めた。 新潟県西蒲原郡味方村(現新潟市南区)出身。1954年新潟明訓高等学校を経て、1960年東京経済大学経済学部卒業。京セラで副社長を経て、1986年から創業者稲盛和夫から譲られ代表取締役社長を務めた。副会長、相談役を経て、2007年財団法人京都花鳥館理事長。 2024年9月25日、京都市内の病院で死去。
倉澤 行洋(くらさわ ゆきひろ、1934年3月15日 - 2… 倉澤 行洋(くらさわ ゆきひろ、1934年3月15日 - 2023年1月21日)は、日本の哲学者、宗教学者。神戸大学名誉教授。元宝塚大学教授。 1956年京都大学文学部哲学科卒。1962年、京都大学大学院文学研究科(宗教学)を修了後、神戸大学国際文化学部教授。神戸大学定年退官後は宝塚大学教授。 初めドイツ哲学を専攻していたが、のちに日本の藝道研究に携わる。京都学派の哲学者、久松真一に師事。主著『藝道の哲学』では歌、能、茶道などの諸藝道に通じる稽古論・求道論を整理・体系化した。日本宗教学会理事、茶の湯文化学会会長、心茶会会長等を歴任。号は無庵。
針 すなお(はり すなお、1933年3月15日 - )は、日… 針 すなお(はり すなお、1933年3月15日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、武道家。本名は高閑者 順(たかがわ すなお)。 政治家や芸能人、スポーツ選手など著名人の似顔絵で知られているほか、武道家として、武術「体の杖(たいのじょう)」を創始した。 佐賀県佐賀市出身。生家は旧佐賀藩の菩提寺・高伝寺(針自身も住職を務めた)。五男。 子供の頃から絵を描くのを好み、実家の寺に届けられた布施の包み紙を住職の父親から貰い絵を描いていた(戦時中で、紙が貴重品であったため)。寺の廊下で住職や兄の似顔絵を、小学校のクラスで友達や教師の似顔絵を描いて人気を得た。中学、高校になると漫画を描くようになった。
中牟礼 貞則(なかむれ さだのり、1933年<昭和8年>3月… 中牟礼 貞則(なかむれ さだのり、1933年<昭和8年>3月15日 - 2026年<令和8年>6月4日)は鹿児島県出水市(旧出水郡)出身のジャズギタリスト。 小学生のころからギターが好きで自作の木製ギターを制作したり、蓄音器で音楽を聴いていたりした。18歳で東京都に移住して青山学院大学在学中の1952年にプロデビューした。 渡辺貞夫、前田憲男、猪俣猛などのミュージシャンと共演した。 1963年に銀巴里セッションに参加した。 2024年、文化庁長官表彰。 2026年6月4日、死去。93歳没。 弟子に渡辺香津美がいる。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
貝沼 次郎(かいぬま じろう、1933年3月15日 - 20… 貝沼 次郎(かいぬま じろう、1933年3月15日 - 2025年1月5日)は、日本の政治家。新潟県出身。新潟大学理学部物理学科卒業。元衆議院議員(7期)。 1969年12月27日、第32回衆議院議員総選挙に、岡山2区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降7回)。 1985年、公明党委員長の竹入義勝の下で公明党中央統制委員に就任する。 1986年12月、公明党大会において、公明党委員長に就任した矢野絢也の下で、公明党中央統制副委員長に就任する。 1989年5月、矢野委員長の退任にともない、公明党中央統制副委員長を退任する。 1993年8月、公明党委員長の石田幸四郎の細川内閣入閣にともない、公明党副委員長に就任する。
大塚 邦彦(おおつか くにひこ、1933年3月15日 - 2… 大塚 邦彦(おおつか くにひこ、1933年3月15日 - 2019年2月4日)は、日本の実業家。 ハウス食品3代目代表取締役社長、会長を歴任した。 財団法人浦上食品・食文化振興財団創設者の一人であり、副理事長も務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山中 郁子(やまなか いくこ、1932年3月15日 - 20… 山中 郁子(やまなか いくこ、1932年3月15日 - 2022年2月26日 )は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員(日本共産党公認・3期)。日本共産党中央委員会名誉幹部会委員。 秋元有子(あきもと ゆうこ)のペンネームで創作活動も行っていた。夫は国文学研究資料館名誉教授の山中光一(1926-2021)。 東京都練馬区出身。東京都立豊島高等学校を経て、早稲田大学第二文学部卒業。1952年、日本電信電話公社(現・NTT)へ入社し、電話交換手として勤務。同年に日本共産党へ入党し、のち全国電気通信労働組合(全電通)中央委員および東京市外電話支部書記長などを務める。また、1970年に電電公社を退社した後は党中央委員会の労組部へ入り、後進の育成に当たる。
平岩 弓枝(ひらいわ ゆみえ、1932年3月15日 - 20… 平岩 弓枝(ひらいわ ゆみえ、1932年3月15日 - 2023年6月9日)は、日本の小説家、脚本家。 長谷川伸門下。『鏨師』(たがねし)で直木賞を受賞。次いでテレビドラマの脚本家として多くのヒット作を生み出した。その後小説の世界に戻り、女の生き方を描いた国際色豊かな家庭物や恋愛物、推理物で人気を集め、やがて時代小説に専念し永く活躍した。代表作の『御宿かわせみ』シリーズは江戸情緒溢れる人情物語で、40年以上に及ぶ人気シリーズ、ベストセラーとなった。そのほか『はやぶさ新八御用帳』シリーズなどがある。 文化功労者、文化勲章受章者。位階は従三位。 代々木八幡宮の宮司の一人娘として生まれた。母親は箱根神社で育った女性。
宮川 俊行(みやがわ としゆき、1932年3月15日 - 2… 宮川 俊行(みやがわ としゆき、1932年3月15日 - 2022年12月14日)は、日本の神学者、哲学者。カトリック教会司祭。元長崎純心大学教授。安楽死に関する研究で知られる。 1932年、茨城県土浦市生まれ。1944年に大村教会で洗礼を受けた。長崎県立長崎東高等学校を経て、1955年に東京大学経済学部卒業後、東京カトリック神学院に入学。1957年から1968年にかけてローマとミュンヘンへ留学し、1963年に司祭叙階を受けた。1965年教皇庁立ウルバニアナ大学大学院神学研究科、1968年同大学大学院哲学研究科をそれぞれ修了し、神学博士号と学術博士号を取得した。 1967年に東京純心女子短期大学専任講師となり、1971年長崎純心女子短期大学(現:長崎純心大学短期大学部)教授を経て、1995年長崎純心大学人文学部教授。
山手 茂(やまて しげる、1932年3月15日 -2025年… 山手 茂(やまて しげる、1932年3月15日 -2025年4月15日 )は、日本の社会学者・福祉学者。新潟医療福祉大学名誉教授。 広島県福山市生まれ。1954年東京大学文学部社会学科卒業。 県立広島女子大学助教授、東京女子大学教授、東京都神経科学総合研究所研究員、茨城大学教授、東洋大学教授、新潟医療福祉大学社会福祉学部学部長、同名誉教授をそれぞれ歴任。 1997年「福祉社会形成とネットワーキング-社会学・社会福祉学論集2」で東洋大学社会福祉学博士。 日本保健医療社会学会会長、日本医療社会福祉学会会長、日本社会病理学会理事、日本介護福祉学会理事、日本学術会議社会福祉研連第16期・17期委員。
内田喜吉(うちだ きよし、1931年3月15日 - )はラオ… 内田喜吉(うちだ きよし、1931年3月15日 - )はラオックス元社長。東京都出身。ラオックス創業者の谷口正治とは遠縁にあたる。 1948年に中央商業学校を卒業後、谷口商店に入社。同年7月には谷口電機から分離した朝日無線電機に転じる。以降、1959年に常務取締役、1974年に専務取締役を経て、1976年にラオックスの専務取締役となる。1981年、副社長に就任。1990年にはラオックスのザ・コンピュータ館の立ち上げも行っている。 1991年6月、ラオックスの2代目社長に就任。1995年6月まで4年間つとめた。 ラオックス社長を退任後は株式会社ダイエー・メディア・ソリューションズの代表取締役専務をつとめている。
池田 憲義(いけだ のりよし、1931年3月15日 - )は… 池田 憲義(いけだ のりよし、1931年3月15日 - )は、日本の裁判官。 熊本県立玉名高等学校を経て九州大学法学部を卒業した。 広島地方裁判所(1960年着任)を皮切りに、佐賀地方裁判所唐津支部(1963年)・長崎地方裁判所(1966年)・熊本地方裁判所人吉支部(1969年)などで判事補を務めた。1972年に福岡地方裁判所の判事となる。1979年に福岡高等裁判所判事に移り、1984年からは熊本地方裁判所で第二部総括判事を務めた。 1989年に福岡地方裁判所小倉支部長に就任、1991年からは鹿児島地方裁判所長を務めた。1993年に福岡高等裁判所刑事部第二総括判事となった。 1996年3月15日に定年退官した。
中川 久定(なかがわ ひさやす、1931年3月15日 - 2… 中川 久定(なかがわ ひさやす、1931年3月15日 - 2017年6月18日)は、日本の文学者(フランス文学)。勲等は勲二等。学位は文学博士(京都大学・1976年)。京都大学名誉教授、日本学士院会員。 名古屋大学教養部助教授、京都大学文学部教授、京都大学文学部学部長、近畿大学文芸学部教授、京都国立博物館館長、財団法人国際高等研究所副所長などを歴任した。 日本のフランス文学者であり、新・京都学派の一員としても知られる。日本学士院会員、および、京都大学名誉教授。豊後国・岡藩(大分県竹田市)中川家(旧伯爵家)第18代当主。 東京生まれ。名前が難読のため、同世代の学者からは「キューテイ」と呼ばれていた。
植田 道雄(うえだ みちお、1931年3月15日 - 202… 植田 道雄(うえだ みちお、1931年3月15日 - 2024年4月25日)は、日本の実業家。四国化工機株式会社名誉会長。創業者。 兵庫県生まれ。近畿大学理工学部卒業。1961年ステンレスを主材料とした化学、食品産業向けタンク装置の設計・製造・販売を主業務として四国化工機株式会社を創業する。代表取締役社長となり、四国化工機株式会社を液体食品の充填機製造のトップメーカーに育てる。また、豆腐をはじめとする大豆加工食品の製造事業を行っており、全国有数の豆腐製造メーカーでもある。1996年代表取締役会長に就任、取締役名誉会長に就任する。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
佐野 陽子(さの ようこ、1931年3月15日 - )は、日… 佐野 陽子(さの ようこ、1931年3月15日 - )は、日本の経済学者。専攻は、人的資源管理(元々の専攻は労働経済学)。人的資源管理は経営学の領域だが、取得学位は経済学博士。慶應義塾大学名誉教授。嘉悦大学名誉学長。ノーベル経済学賞受賞者ゲーリー・ベッカーの著作、『Human Capital』(人的資本)の邦訳を行ったことでも知られる。紫綬褒章・瑞宝中綬章受章。
山村 正夫(やまむら まさお、1931年3月15日 - 19… 山村 正夫(やまむら まさお、1931年3月15日 - 1999年11月19日)は日本のミステリー作家。 代表作に『湯殿山麓呪い村』など。日本推理作家協会理事長、日本ペンクラブ理事などを歴任。 推理小説の研究にも熱心でミステリーの古典をトリック中心に分類して一般向けクイズ形式とした『トリック・ゲーム』などの著作もある。 大阪府生まれ。名古屋市出身。 名古屋市立東白壁尋常小学校入学と同時に、毎日作文を一篇書く英才教育を母親から受けノート10冊くらいになる。2年の時、父親のNHK職員の仕事のため東京へ転居する。大井第一小学校で作文が高い評価を受け、少年倶楽部懸賞に応募し何回か入選する。東京都立多摩中学校へ入学する。
田中 圭一(たなか けいいち、1931年3月15日 - 20… 田中 圭一(たなか けいいち、1931年3月15日 - 2018年4月4日)は、日本の歴史学者。筑波大学教授、群馬県立女子大学教授。専門は近世史。佐渡島出身。 新潟県佐渡郡金井町(現・佐渡市)出身。新潟県立佐渡高等学校、新潟大学人文学部を卒業後、高校教諭として勤務しながら研究成果を次々と発表。1967年に京都大学に国内留学して小葉田淳に師事。1987年、『佐渡金銀山の史的研究』で第9回角川源義賞受賞[要出典]。1988年筑波大学教授、95年定年退官、群馬県立女子大学教授[要出典]。「佐渡を世界遺産にする会」の中心として活躍した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
外山 四郎(とやま しろう、1931年3月15日 - 199… 外山 四郎(とやま しろう、1931年3月15日 - 1998年8月19日)は、日本の経営者。アール・エフ・ラジオ日本社長を務めた。北海道出身。 1955年に早稲田大学第一政治経済学部新聞学科を卒業し、同年に読売新聞社に入社。1984年12月に取締役に就任し、1993年6月に日本テレビ放送網取締役とアール・エフ・ラジオ日本専務を経て、1994年6月にはアール・エフ・ラジオ日本社長に就任。 1998年8月19日に膵臓癌のために死去。67歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。