入山 欣郎(いりやま よしろう、1946年〈昭和21年〉9月… 入山 欣郎(いりやま よしろう、1946年〈昭和21年〉9月15日 - )は、日本の地方政治家。広島県大竹市長(5期)。2024年9月市議会定例会で今季限りでの退任の表明した。 広島県大竹市出身。1969年(昭和44年)3月、早稲田大学理工学部卒業。同年4月、三菱商事に就職。1970年(昭和45年)、実家の泉産業株式会社に転職。 2006年(平成18年)6月25日に行われた大竹市長選挙に自民党・民主党・公明党・国民新党の推薦を受けて立候補。現職の中川洋、神尾徹生元市長の二男の神尾光輝らを破り初当選した。 2018年(平成30年)、元市議の日域究を破り4選。2021年(令和3年)12月に5期目を目指し出馬を表明。
風岡 典之(かざおか のりゆき、1946年(昭和21年)9月… 風岡 典之(かざおか のりゆき、1946年(昭和21年)9月15日 - )は、日本の建設・国土交通官僚。国土交通審議官、国土交通事務次官、宮内庁次長、宮内庁長官を歴任。新潟県出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
金沢 景子(かなざわ けいこ、1946年9月15日 - 19… 金沢 景子(かなざわ けいこ、1946年9月15日 - 1983年9月12日)は、日本の演歌歌手、女優。本名は三原志津子。石川県七尾市出身。 七尾市立七尾東部中学校時代は体操競技に打ち込み、石川県大会の平均台種目で優勝経験がある。校内ナンバーワンの美人として誉れ高い存在であり、当時同じ中学校に在籍していた時葉山敏夫が中学卒業を待たずに角界入りをした際には、生徒代表として七尾駅で花束贈呈を担当し見送った。芸能界入り後は東芝からレコードデビューし、女優として映画にも出演した。 その後癌が判明し、数年間の休業・治療を経て一時復帰したが、1983年(昭和58年)死去。37歳没。
保立 一男(ほたて かずお、1945年〈昭和20年〉9月15… 保立 一男(ほたて かずお、1945年〈昭和20年〉9月15日 - 2023年〈令和5年〉7月2日)は、日本の政治家。位階は正五位。元茨城県神栖市長(3期)、元神栖町議会議員(5期)。 茨城県軽野村(現・神栖市日川)に生まれる。1964年(昭和39年)3月、千葉県立銚子商業高等学校卒業。 1988年(昭和63年)、神栖町議会議員選挙に初当選。1998年(平成10年)9月、議長就任。2003年(平成15年)8月、保立運送代表に就任。 2005年(平成17年)8月1日、神栖町は波崎町を編入、市制施行し神栖市となる。これに伴い同年11月6日に行われた神栖市長選挙に出馬。現職で初代神栖市長の岡野敬四郎を破り初当選した(保立:26,360票、岡野:20,108票)。
大師堂 経明(だいしどう つねあき、1945年9月15日 -… 大師堂 経明(だいしどう つねあき、1945年9月15日 - )は、日本の天文学者。専攻は電波天文学、天体物理学。理学博士。前早稲田大学教育・総合科学学術院教授。 早稲田大学理工学部物理学科の1期生。学部卒業後、東京大学大学院に進学。赤羽賢司に師事。 早稲田大学に着任後、教育学部の建物の屋上に電波干渉計を建設(那須パルサー観測所)。世界の他の電波干渉計とは異なり、2次元格子状に直径2.4mのアンテナ素子を64基(8×8)並べるという独特の形状をなしている。観測周波数が10.65GHzという天文用保護バンドであるため、新宿区にありながらノイズの影響を受けず数ジャンスキーの感度を持つ。直径20m程度のアンテナと同等の感度、解像度を持ち、かつ64方向の同時観測が出来る。
山崎 昇(やまざき のぼる、1945年〈昭和20年〉9月15… 山崎 昇(やまざき のぼる、1945年〈昭和20年〉9月15日 - )は、日本の政治家。元東京都墨田区長(4期)。叔父は墨田区長を3期務めた山崎栄次郎。 富山県西礪波郡西野尻村(東礪波郡福野町を経て、現・南砺市)で生まれる。富山県立高岡商業高等学校、中央大学法学部卒。卒業後は叔父の栄次郎の勧めで墨田区役所に勤務する。区民課長、企画経営室長などを経て、助役に就任する。 1999年〈平成11年〉墨田区長選挙に立候補し、元民社党衆議院議員の伊藤昌弘らを破って初当選した。2003年〈平成15年〉に再選。2007年〈平成19年〉に三選。2011年〈平成23年〉に5人による選挙戦を制し、四選を果たした。 2015年〈平成27年〉に区長を引退した。
芝池 義一(しばいけ よしかず、1945年(昭和20年)9月… 芝池 義一(しばいけ よしかず、1945年(昭和20年)9月15日 - )は、日本の法学者。行政法専攻。京都大学名誉教授・関西大学名誉教授。元民主主義科学者協会法律部会理事。和歌山県出身。
吉廣 啓子(よしひろ けいこ、1945年9月15日 - )は… 吉廣 啓子(よしひろ けいこ、1945年9月15日 - )は、日本の政治家。福岡県苅田町長を3期務めた。 福岡県苅田町出身。九州大学文学部英文学科卒業。福岡県の県立高校の英語講師となる。その傍ら、40代で朗読ボランティアとなり、町報や書籍を朗読・録音。聴覚障害者や高齢者にテープを届けた。1987年(昭和62年)、苅田町教育委員に就任。2002年(平成14年)、苅田町ボランティア連絡協議会を立ち上げ会長に就任。 2005年(平成17年)10月5日、苅田町長の伊塚工が死去。これに伴って11月13日に行われた町長選挙に立候補。元苅田町長・元衆議院議員の尾形智矩を小差で破り初当選した(吉廣:5,943票、尾形:5,864票)。
捧 敏夫(ささげ としお、1945年9月15日 - 2006… 捧 敏夫(ささげ としお、1945年9月15日 - 2006年3月7日)は、大阪府岸和田市出身の釣り師、ローカルタレント。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
夏原 平和(なつはら ひらかず、1944年9月15日 - 2… 夏原 平和(なつはら ひらかず、1944年9月15日 - 2021年12月20日)は、日本の実業家。平和堂代表取締役会長、日本チェーンストア協会副会長、日本スーパーマーケット協会副会長。 「平和堂」という商号の由来となった人物でもある。 滋賀県彦根市出身。のちに平和堂を創業する夏原平次郎の長男として生まれる。滋賀県立彦根東高等学校を経て、1968年3月同志社大学法学部卒業。1968年4月平和堂入社。1970年取締役、1975年専務取締役、1983年副社長に就任。1989年に代表取締役社長、2017年に代表取締役会長に就任。この他、平和堂も出資・加盟する日本流通産業の代表取締役社長や、日本チェーンストア協会副会長、日本スーパーマーケット協会副会長も務めた。
蔦林 淳望 は、日本の映画関係者。映画大日本帝国(1982年… 蔦林 淳望 は、日本の映画関係者。映画大日本帝国(1982年) - 助監督日本海大海戦 海ゆかば(1983年) - 助監督、製作主任麻雀放浪記(1984年) - 監督補天国の大罪(1992年) - 監督補テレビ二百三高地 愛は死にますか(1981年) - 助監督現代恐怖サスペンス「哀しき超能力」(1986年8月25日) - 監督仮面ライダーBLACK(1987年-1988年) - 監督仮面ライダーBLACK RX(1988年-1989年) - 監督
天の 夕づる(てんの ゆうづる、1944年9月15日 -)は… 天の 夕づる(てんの ゆうづる、1944年9月15日 -)は、日本の元講談師。ポルノ講談を演じて講談界が紛糾し分裂する騒動を引き起こした。 東京都足立区北千住出身。東洋大学国文学科(第2部)を卒業後、東京教育大学附属聾学校の教員となる。 1969年、教員を続けながら田辺一鶴の門下となり、田辺夕鶴と名のって艶っぽい声や色気を前面に押し出したポルノを主題とした芸風で評判となる。師の一鶴は「面白い。薦めはしないけどやってみろ」と許可を出す。 1971年12月、教員の職を辞し講談師に専念する。 1973年2月、二代目 神田山陽の預かりとなり、天の夕づると改名する。 1973年5月、本牧亭の高座に布団を持ち込み、襦袢をはだけ肌を露出し淫靡にふるまった芸風が問題となり、講談協会の分裂騒動を引き起こす。
池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、1943年9月15日 -… 池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、1943年9月15日 - )は、日本の作曲家。学位は芸術学修士(東京芸術大学・1971年)。一般社団法人全日本合唱連盟顧問、東京音楽大学名誉教授、文化功労者。本名:池邉 晋一郎(読み同じ)。 東京音楽大学音楽学部教授、東京音楽大学付属民族音楽研究所所長、横浜みなとみらいホール館長などを歴任した。 茨城県水戸市出身。幼少期は体が弱く、小学校就学が一年遅れるほどであったが読書にいそしみ、そして体調によってはピアノを弾き、家にあったピアノを使って独学していた。近所にあった立花隆の家と家族ぐるみで付き合いがあり、立花も池辺も互いの家の蔵書まで読んでいた。1963年、東京都立新宿高等学校卒業。
向山 洋一(むこうやま よういち、1943年9月15日 - … 向山 洋一(むこうやま よういち、1943年9月15日 - )は、日本の教育者。「モンスターペアレント」という言葉を造語した。 1943年9月、東京都品川区に生まれる。 1959年に東京都立小山台高等学校に入学、1年生の秋に生徒会長に選出される。1964年に東京学芸大学初等教育学部に進学。 1968年、新卒で東京都大田区立大森第四小学校教諭に赴任。以後、1975年に大田区立調布大塚小学校、1986年に大田区立雪谷小学校、1995年に大田区立池雪小学校、1999年に大田区立多摩川小学校に赴任、2000年に教諭を退職。 1979年、最初の著書『斎藤喜博を追って: 向山教室の授業実践記』(昌平社)を出版。
岡 素之(おか もとゆき、1943年9月15日 - )は、日… 岡 素之(おか もとゆき、1943年9月15日 - )は、日本の実業家。住友商事で第8代社長を経て相談役。内閣府規制改革会議議長、内閣府産業競争力会議民間議員、公益財団法人日本国際問題研究所理事、公益財団法人日印協会理事・副会長、慶應義塾評議員、一般社団法人放送コンテンツ海外展開促進機構理事長、日本たばこ産業株式会社取締役(社外)、日本電気株式会社取締役(社外)。
長野 靖尚(ながの やすたか、1943年9月15日 - 20… 長野 靖尚(ながの やすたか、1943年9月15日 - 2015年6月6日) は、日本の機械工学者。名古屋工業大学名誉教授。名古屋工業大学副学長、日本流体力学会会長、日本伝熱学会会長などを歴任。正四位瑞宝中綬章。 三重県生まれ。太平洋戦争で父を亡くし母子家庭となったため工業高校に進学するも、教師に大学進学を勧められ、1962年名古屋工業大学工学部機械工学科入学。1966年に名古屋工業大学工学部機械工学科卒業。1968年東京大学大学院工学系研究科舶用機械工学専攻修士課程修了、日本電装入社。 1969年名古屋工業大学工学部機械工学科助手(菱田幹雄研究室)。1976年名古屋工業大学講師。1977年名古屋大学より工学博士の学位を取得。
宇佐美 斉(うさみ ひとし、1942年9月15日 - )は、… 宇佐美 斉(うさみ ひとし、1942年9月15日 - )は、日本のフランス文学者。京都大学名誉教授。専門はランボーなどのフランス詩だが、日本の詩についても論じる。 愛知県名古屋市出身。1961年愛知県立旭丘高等学校卒業。1965年京都大学文学部仏文科卒。1967年同大学院修士課程修了、関西学院大学文学部助手、専任講師、助教授を経て、1980年京都大学人文科学研究所助教授。1990年、『落日論』で和辻哲郎文化賞受賞。1993年教授、2006年定年退職し名誉教授。
馬杉 宗夫(うますぎ むねお、1942年9月15日 - 20… 馬杉 宗夫(うますぎ むねお、1942年9月15日 - 2018年10月12日)は、日本の西洋中世美術史学者。武蔵野美術大学名誉教授。 広島県生まれ。1967年東京芸術大学芸術学科修士課程修了。1974年パリ大学付属考古学研究所博士課程修了。清泉女子大学助教授、武蔵野美術大学助教授を経て教授。2013年定年、名誉教授となる。 2018年10月12日、肺炎のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉川水城(よしかわ みずき、1941年(昭和16年)9月15… 吉川水城(よしかわ みずき、1941年(昭和16年)9月15日 - 2017年(平成29年)6月26日)は、日本の栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 同じく益子町の益子焼の陶芸家である吉川心水は実弟である。 植物や自然をモチーフとして、白化粧を地にした赤絵と、黒釉を地にした鉄絵を主に陶画として描いている。 1941年(昭和16年)9月15日、東京都豊島区長崎に、父・鵄郎、母・末の長男として生まれる。 「水城」の名は、日米開戦の年に生まれたためか、7世紀中頃に新羅に対する防備のために現在の福岡県大宰府町に築かれた防塁堤防「水城」に由来し、「日本の守りとなれ」と願った父親から名付けられたという。
山田 紀之(やまだ のりゆき、1941年(昭和16年)9月1… 山田 紀之(やまだ のりゆき、1941年(昭和16年)9月15日 - 2018年(平成30年)12月7日)は、日本の政治家。新潟県糸魚川市長(1期)。位階は従五位。旭日小綬章。 新潟県糸魚川市出身。法政大学法学部卒。糸魚川市議会議員、同議長を務め、1997年糸魚川市長選挙に立候補し、初当選する。市長を1期務め、2001年の市長選に立候補し、再選をめざしたが、元糸魚川市議の吉岡静夫に敗れた。2011年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2018年に死去した。死没日付をもって叙従五位。
笠井 鉄夫(かさい てつお 1941年(昭和16年)9月15… 笠井 鉄夫(かさい てつお 1941年(昭和16年)9月15日 – )は、日本のジャーナリスト。元日本放送協会(NHK)副会長・顧問。 1965年、明治大学を卒業し、日本放送協会に入局。報道畑を歩み、1997年6月の経理局長就任を経て、2001年4月に理事に就任。2003年7月には副会長となり、次期会長候補にも挙げられたものの、顧問に就任する予定となった。しかし、NHKの一連の不祥事及び、その後の対応に視聴者のNHK不信が強まり、受信料の支払い拒否・留保などが増える中、責任をとるかたちで、2005年1月、海老沢勝二会長などと共に辞任した。
高島 弘光(たかしま ひろみつ、1941年9月15日 - 1… 高島 弘光(たかしま ひろみつ、1941年9月15日 - 1996年12月27日)は、将棋棋士、八段。高島一岐代九段門下。棋士番号は83。大阪府八尾市出身。 1953年、叔父の高島一岐代に入門。旧制度の三段リーグに1958年度後期から参加。8期目となる1961年度後期関東リーグで12戦全勝(新記録)。このとき、米長邦雄と大内延介から2勝ずつを挙げている。そして、北村文男(順位戦からの降級者)との東西決戦でも勝ち、1962年4月1日付でプロ入り(四段昇段)を果たす。 高島と、大内延介、西村一義、山口英夫との4名は同年生まれで若手時代から活躍して「花の昭和16年組」と呼ばれた。 プロ1年目も勢いは止まらず、初参加の順位戦となる第17期(1962年度)C級2組で残り2局の時点まで9勝2敗で突っ走り(最終成績は9勝4敗)、1期でC級1組へ昇級。
蒲田 耕二(かまた こうじ、1940年9月15日 - )は音… 蒲田 耕二(かまた こうじ、1940年9月15日 - )は音楽評論家。本名、鎌田紘次。 愛媛県今治市出身。1964年、東京外国語大学フランス語科卒。同年、音楽之友社に入社。1969年、日本リーダーズダイジェスト社に転じる。1976年に独立しフリーとなる。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
高木 俊輔(たかぎ しゅんすけ、1939年〈昭和14年〉9月… 高木 俊輔(たかぎ しゅんすけ、1939年〈昭和14年〉9月15日 - )は、日本史学者、国文学研究資料館名誉教授。 長野県諏訪郡長地村(現岡谷市)生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1962年東京教育大学文学部史学科卒業。1970年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、静岡大学人文学部講師、1971年助教授、1973年信州大学人文学部助教授。1976年「明治維新草莽運動史」で文学博士(東京教育大学)。1984年信州大教授、1994年国文学研究資料館教授、1998年同史料館館長、2000年定年退官、名誉教授、立正大学教授。2010年退職。 2019年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
大嶽 隆司(おおたけ たかし、1939年9月15日 - )は… 大嶽 隆司(おおたけ たかし、1939年9月15日 - )は、日本の実業家。小糸製作所第10代社長、元小糸製作所会長。 静岡県出身。1958年、静岡県立静岡高等学校卒業。1962年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、小糸製作所入社。1979年6月、同社取締役。1983年6月、同社常務取締役。1985年6月、同社専務取締役。1992年7月、同社取締役副社長。2003年6月、同社代表取締役社長。2007年6月、同社代表取締役会長。2015年6月、同社取締役相談役。2017年11月、旭日中綬章受章。
豊嶋 三千春(てしま みちはる、1939年(昭和14年)9月… 豊嶋 三千春(てしま みちはる、1939年(昭和14年)9月15日 - )は、シテ方金剛流能楽師。京都市在住。
保芦 将人(ほあし まさひと、1939年9月15日 - 20… 保芦 将人(ほあし まさひと、1939年9月15日 - 2023年6月11日)は、日本の経営者。紀文食品社長、会長を務めた。 東京都出身。1963年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に紀文食品に入社。1964年に取締役に就任し、1969年に専務を経て、1980年に社長に就任。のちに社長兼会長を経て、2017年12月に会長に就任。 2023年6月11日心不全に死去。83歳没。
村井 洋(むらい ひろし、1939年9月15日 - ?)は、… 村井 洋(むらい ひろし、1939年9月15日 - ?)は、日本の食品開発者。 秋田県出身。株式会社永谷園取締役(研究部長)、取締役(生産副本部長)。 秋田県出身。1963年3月明治大学農学部卒業後、株式会社永谷園本舗に入社。 1988年4月に研究第一部次長、同年6月に取締役(研究第一部長)に就任する。1994年2月に取締役(研究部長)に就任する。1999年4月より取締役(生産副本部長)。 「さけ茶漬け」(1970年11月発売)、「すし太郎」(1977年発売)、「納豆汁」(1977年6月発売)などの製品を開発した。
滝 実(たき まこと、1938年9月15日 - )は、日本の… 滝 実(たき まこと、1938年9月15日 - )は、日本の自治官僚、政治家。勲等は旭日大綬章。
渋谷 勲(しぶや いさお、1938年9月15日 - )は、日… 渋谷 勲(しぶや いさお、1938年9月15日 - )は、日本の銀行家。 東京都出身。1962年に中央大学法学部を卒業し、同年に常陽銀行に入行。1991年6月に取締役、1993年6月に常務、1997年6月に副頭取を経て、1999年6月には頭取に就任。2005年6月には相談役に就任。
真鍋 昌弘(まなべ まさひろ、1938年(昭和13年)9月1… 真鍋 昌弘(まなべ まさひろ、1938年(昭和13年)9月15日 - )は、日本の国文学者。文学博士(國學院大学・論文博士・1984年)。奈良教育大学名誉教授。 大阪府大阪市生まれ。1961年奈良学芸大学(現奈良教育大学)教育学部中学校教員養成課程卒、1964年立命館大学大学院文学研究科日本文学修士課程修了。 奈良教育大学助教授、教授、1984年「中世近世歌謡の研究」で國學院大学より文学博士の学位を取得、第1回志田延義賞受賞。2004年定年退官、名誉教授、関西外国語大学教授。2009年退職。日本歌謡学会会長。専攻は日本歌謡史。
平野 健一郎(ひらの けんいちろう、1937年9月15日 -… 平野 健一郎(ひらの けんいちろう、1937年9月15日 - )は、日本の政治学者、東京大学教養学部名誉教授、元早稲田大学政治経済学部教授。専門は、国際関係論、国際関係史、国際文化論。
西川 祐子(にしかわ ゆうこ、1937年〈昭和12年〉9月1… 西川 祐子(にしかわ ゆうこ、1937年〈昭和12年〉9月15日 - 2024年〈令和6年〉6月12日)は、日本のフランス文学者・女性学者、京都文教大学名誉教授。父は医師・作家・医史学研究家の阿知波五郎。夫は立命館大学名誉教授の西川長夫。 東京生まれ、京都育ち。京都大学大学院仏文科修士課程修了、パリ大学で文学博士の学位を取得、帝塚山学院大学助教授を務めていた1972年、大阪大学教養部のフランス語の公募に応募し、決まったと知らせがあったが、その後2年間放置され、ついに阪大を提訴し、勝訴したが職には就かず、長く非常勤講師をしたのち、京都文教大学文化人類学科教授、人間学研究所所長を2008年まで務めた。
池上 洵一(いけがみ じゅんいち、1937年9月15日 - … 池上 洵一(いけがみ じゅんいち、1937年9月15日 - )は、日本の国文学者。神戸大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1960年、神戸大学文学部卒業。1966年東京大学大学院博士課程単位修得中退。 同年熊本大学に勤務、1973年静岡女子大学助教授、のち神戸大学文学部教授に就任。2001年同大学を退官し名誉教授となる。2002年に「説話と記録の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。 永積安明の研究を継ぎ、『今昔物語集』『三国伝記』を専門とする。校訂、著作が多数あり、著作集が刊行されている。
中野重人(なかの しげと、1937年9月15日 - )は、日… 中野重人(なかの しげと、1937年9月15日 - )は、日本の文部官僚、教育学者。 鹿児島県生まれ。広島大学教育学部公立小中学校教員養成課程卒。公立中学校教員、1969年広島大大学院修士課程修了、宮崎大学教育学部講師、助教授を経て、1979年文部省教科調査官となる。1989年の学習指導要領の改訂に従事し、小学校低学年に生活科が新設されたことに伴い、初代の生活科担当の教科調査官となる。91年文部省視学官、95年国立教育研究所教科教育研究部長、2000年日本体育大学教授。2008年退任。ゆとり教育の推進・擁護者でもある。
石黒靖尋(いしぐろやすひろ、1936年(昭和11年)9月15… 石黒靖尋(いしぐろやすひろ、1936年(昭和11年)9月15日 - 2011年(平成23年)1月13日)は、国内最大手ホームセンター「DCM」の源流企業である「ホーマック」「石黒ホーマ」の創業者で、元会長。日本のホームセンター業界、チェーンストア業界の礎を築いた第一人者。DCMホールディングス元代表取締役相談役。 ホーマックの前身企業の創業者の出自。 同社社長を経て、いったんは会長・相談役に退いたが、DJグループ(現DCMグループ)入りで、当時の前田勝敏ホーマック会長兼社長がDJHDの社長就任とその後のインサイダー問題による引責辞職に伴い、同社の代表権のない会長に復帰した上、取締役相談役として名を連ねていたDJHDでも相談役の肩書きのまま代表権を付与されていた。
今瀬 剛一(いませ ごういち、1936年9月15日 - )は… 今瀬 剛一(いませ ごういち、1936年9月15日 - )は、日本の俳人。茨城県出身。 1944年、父の生地である茨城県東茨城郡小松村(現在の城里町)に疎開し、以後同地に住む。茨城県立水戸第一高等学校時代にホトトギスの俳人でもあった音楽教師・滝豊(俳号:鼓泉子)の指導のもとで俳句の作成を開始する。茨城大学卒業後、1959年より学校教師として勤める。1961年、「夏草」入会。1970年、「沖」創刊とともに参加し能村登四郎に師事。1975年に沖賞、1979年に茨城文学賞受賞。1986年、「対岸」を創刊・主宰。1997年から東京新聞茨城版「ひたち俳壇」の選者を務める。 2008年、句集『水戸』により第47回俳人協会賞を受賞。
松澤 友久(まつざわ ともひさ、1936年9月15日 - )… 松澤 友久(まつざわ ともひさ、1936年9月15日 - )は、日本のラグビー指導者。山梨県出身。 日川高校卒業後、日本体育大学に入る。 日本体育大学卒業後、川崎の高校教師を経て1971年、相模台工業高校のラグビー部監督に就任。監督として在籍期間中花園1度の優勝、2度の準優勝に貢献。なお総監督を務めた1994年も花園連覇した。 監督退任後は山梨学院大学の監督就任。関東大学ラグビーリーグ戦グループ1部初昇格に貢献。相模原市ラグビーフットボール協会の会長を務めた。
小田部 羊一(こたべ よういち、1936年9月15日 - )… 小田部 羊一(こたべ よういち、1936年9月15日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団評議員。アニメーター・銅版画家の奥山玲子は妻。 日本統治時代の台湾・台北州台北市に生まれる。小学校教員の父は、油彩を嗜んでいた。幼少時より『ポパイ』や『桃太郎の海鷲』・『くもとちゅうりっぷ』などのアニメーション映画に親しんで育つ。日本の敗戦後、家族とともに日本に引き揚げ、奈良市・新潟市・日立市を移り住む。帰国後は手塚治虫(『新宝島』『ロストワールド』)や小松崎茂・山川惣治の作品に惹かれて頻繁に模写し、『せむしのこうま』『白雪姫』といった外国のアニメーション映画にも接する。
山崎 忠昭(やまざき ただあき、1936年9月15日 - 1… 山崎 忠昭(やまざき ただあき、1936年9月15日 - 1999年8月)は、日本の脚本家、放送作家。通称「ヤマチュー」。 新潟県出身。「新潟映研」で佐藤忠男の面識を得る。 早稲田大学第一文学部演劇学科卒業後、大学院に進むも中退。在学時はワセダミステリクラブの創設に参加した。 1960年、日活が制作する“無国籍アクション”作品の脚本・企画にフリーの立場で関わるようになり、池田一朗に師事。1961年公開の映画『明日が私に微笑みかける』で脚本家デビュー。以降は『野獣の青春』(監督:鈴木清順)・『黒い賭博師 悪魔の左手』(監督:中平康)・『殺人狂時代』(監督:岡本喜八)などを執筆し、日本映画史に残るカルト映画の脚本家として知られるようになる。
丘 さとみ(おか さとみ、本名;菱田 美恵子〈ひしだ みえこ… 丘 さとみ(おか さとみ、本名;菱田 美恵子〈ひしだ みえこ〉・渡辺美恵子〈わたなべ みえこ〉、1935年〈昭和10年〉9月15日 - 2024年〈令和6年〉4月24日)は、日本の女優。兵庫県宝塚市出身。 1953年3月、尼崎市立尼崎高等学校在学中にディズニー映画『シンデレラ(シンデレラ姫)』の日本公開を記念して行われたRKOラヂオ映画社と毎日新聞社主催の「日本シンデレラ姫コンテスト」に応募し、ミス・シンデレラの栄冠に輝く。その副賞で1953年3月20日から4月4日まで渡米し、ディズニー撮影所や女優・アン・ブライスの自宅などを訪問したり、ケーリー・グラントとの2度に亘る会食やソニア・ヘニーのアイスショー観覧といったハリウッド見学に招待されている。
上杉 孝實(上杉 孝実、うえすぎ たかみち、1935年(昭和… 上杉 孝實(上杉 孝実、うえすぎ たかみち、1935年(昭和10年)9月15日 - )は、日本の教育学者、京都大学名誉教授。専攻は社会教育、教育社会学。 京都府宮津市生まれ。1959年京都大学教育学部卒業。61年同大学院教育学研究科修士課程修了、京都府立図書館勤務、62年大阪市教育委員会社会教育主事補、67年大阪府科学教育センター、69年姫路短期大学講師、1970年助教授、73年奈良女子大学助教授、78年京都大学教育学部助教授、87年教授、学部長、99年定年退官、名誉教授、龍谷大学教授、2006年畿央大学教育学部教授、学部長、2010年退職。世界人権問題研究センター客員研究員。
志水 速雄(しみず はやお、1935年9月15日 - 198… 志水 速雄(しみず はやお、1935年9月15日 - 1985年3月24日)は、日本の政治学者。専門は、ロシア政治論。愛知県名古屋市生まれ。 1961年東京外国語大学外国語学部ロシア科卒業。1969年明治大学大学院修了。明治大学講師、東京外国語大学教授を務めた。 1960年の安保闘争時に全学連国際部長を務め、筋金入りの闘士だった。巣鴨を出たあとは清水幾太郎(当時、学習院大学教授)の現代思想研究会に入ったが思想上(政治信条)の整理がつけられず、明治大学大学院で5年間、ソ連関連と政治学を研究。後半生は対ソ警戒論を論じた。
中沢 健次(なかざわ けんじ、中澤 健次、1934年(昭和9… 中沢 健次(なかざわ けんじ、中澤 健次、1934年(昭和9年)9月15日 - 2019年(令和元年)12月11日)は、日本の政治家。位階は従四位。衆議院議員を4期務めた。 北海道夕張市に生まれる。夕張市立若葉小学校、夕張市立千代田中学校を経て、1953年、北海道夕張北高等学校卒業。夕張市職員労働組合書記長より全日本自治団体労働組合道本部書記長、同副委員長を経て、1986年の第38回衆議院議員総選挙に岡田春夫の後継として日本社会党公認で旧北海道第4区から立候補し初当選(同じ区の社会党現職池端清一や田中派新人鳩山由紀夫も当選)。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で再選(同じ区の民社党新人小平忠正も当選)。
大木 護(おおき まもる、1934年9月15日 - )は、静… 大木 護(おおき まもる、1934年9月15日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。 富士高校から1954年に高橋ユニオンズへ入団。 1957年に球団吸収合併のため大映ユニオンズへ移籍し、同年引退。 長打力に期待されながら公式戦では1本も本塁打を打てなかったが、ユニオンズが解散する直前の東映フライヤーズとのオープン戦では本塁打を打っている。と同時にこれが非公式ではあるが「ユニオンズ最後の本塁打」であった。
的場 順三(まとば じゅんぞう、1934年9月15日 - )… 的場 順三(まとば じゅんぞう、1934年9月15日 - )は、日本の大蔵・国土官僚。滋賀県出身。血液型はB型。第1次安倍内閣の内閣官房副長官(事務担当)を務めた。 大津市立皇子山中学校、滋賀県立大津東高等学校(現滋賀県立膳所高等学校)を経て、1957年 京都大学経済学部卒業後、大蔵省に入省(主計局総務課に配属)。同期に保田博(初代国際協力銀行総裁、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長)、内海孚(財務官、国際金融局長、在米国大使館公使)、森田一、藤田恒郎ら。 1962年7月 大臣官房調査課調査第二係長。1964年7月 伊勢崎税務署長。1973年7月 熊本県企画開発部長。主計局主計企画官(調整担当)、主計局調査課長、主計局主計官(文部、科学技術、文化担当)、主計局主計官(農林水産担当)、主計局総務課長などを経て、1982年6月 東京税関長。
青木 行義(あおき ゆきよし 1934年9月15日 - 19… 青木 行義(あおき ゆきよし 1934年9月15日 - 1996年4月19日)は、日本の競泳選手。種目は自由形。熊本県出身。 熊本県立鹿本高等学校在学中の1952年のヘルシンキオリンピックの1500m自由形では19分27秒0で予選敗退、日本大学に在学中の1956年のメルボルンオリンピック1500m自由形では18分38秒3で7位となった。 また1954年アジア競技大会1500m自由形では金メダルを獲得した。 菊鹿町の名誉町民となっている。1996年、61歳で死去した。 1972年ミュンヘンオリンピックの女子100mバタフライで金メダルを獲得した青木まゆみはいとこにあたる。
新井 彬之(あらい よしゆき、1934年9月15日 - 20… 新井 彬之(あらい よしゆき、1934年9月15日 - 2017年3月7日)は、日本の政治家。公明党所属の衆議院議員(6期)。 静岡県榛原郡川崎町(現在の牧之原市)出身。1957年関西大学法学部卒。神戸市議を経て、1969年の第32回衆議院議員総選挙に兵庫4区から公明党公認で立候補して当選、6期務めた。党内では建設部会長、兵庫県本部副本部長、中央委員を務める。1990年の第39回衆議院議員総選挙に立候補せず、政界から引退した。 2017年3月7日、肺がんのため、死去した。82歳没。
冨長 覚梁(とみなが かくりょう、1934年9月15日 -2… 冨長 覚梁(とみなが かくりょう、1934年9月15日 -2024年4月1日 )は、日本の詩人、浄土真宗僧侶。長願寺住職。 岐阜県養老町生まれ。岐阜大学卒。2002年「そして秘儀そして」で第35回日本詩人クラブ賞受賞。2009年度岐阜県芸術文化顕彰受賞。2023年地域文化功労者。愛情に満ちた心温まる「愛の詩」審査委員長。代々養老町の文人で、曾祖父は冨長覚民、祖父は冨長静丸(覚静、1865-1930)で広瀬淡窓の門に学び県議会議員も務めた。父は冨長蝶如、真宗大谷派長願寺の御住職であり、1956年から3年かけて完結に導いた『梁川星巌全集』編集の功労者にして、岐阜に限らぬ広く東海地方全域の旧世代知識人の師表として仰がれた漢詩人であってみれば。
谷口 巌(たにぐち いわお、1933年9月15日 – 201… 谷口 巌(たにぐち いわお、1933年9月15日 – 2015年8月28日)は、日本の国文学者。南京事件研究家。愛知教育大学名誉教授。 愛知県東春日井郡旭町(現・尾張旭市)生まれ。旧制愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)を経て、新制の愛知県立瀬戸高等学校卒業後、1958年東京大学文学部フランス文学科卒業。1960年同大学院文学研究科前期博士課程修了(国文学)専攻。同年、函館ラ・サール高等学校教諭、1966年北海道教育大学講師、1970年愛知教育大学助教授、1975年同大学教授、1997年より現職。晩年、愛知県瀬戸市苗場町で暮らした。2015年8月28日、呼吸不全のため81歳で死去。