水田 祥代(すいた さちよ、1942年3月16日 - )は、… 水田 祥代(すいた さちよ、1942年3月16日 - )は、日本の医師、医学者。九州大学名誉教授、学校法人福岡学園理事長。専門は小児外科。旧帝国大学系の医学部で初の女性外科教授となった。 大分県出身。6歳のとき九州大学病院に入院したが、その際の医師らによる親切な対応に感銘を受け、九州大学への進学と医師になることを志すようになった。長崎県立長崎東高等学校を経て、九州大学医学部に進学。同在学中に米軍病院でのインターンを経験し、そこでの体験をもとに外科志望となった。大学院在学中の1968年にはイギリスへ留学し、リバプール大学病院付属アルダーヘイ小児病院で臨床に従事した。帰国後の1974年に医学博士号を取得。
安彦 忠彦(あびこ ただひこ、1942年3月16日 - )は… 安彦 忠彦(あびこ ただひこ、1942年3月16日 - )は、日本の教育学者。名古屋大学名誉教授。 1942年東京都生まれ。東京大学教育学部卒業、同大学院教育学研究科博士課程1年中退。大阪大学文学部助手、愛知教育大学教育学部専任講師、同助教授、名古屋大学助教授、同教授、早稲田大学教育・総合科学学術院特任教授を経て、2012年4月より2021年3月まで神奈川大学特別招聘教授。1984年から1年間、フルブライト若手研究員として米国フロリダ大学に研究留学。 名古屋大学教育学部附属中学校・高等学校長、同大学教育学部長などを歴任。1990年12月に木下繁彌と日本カリキュラム学会を共同創立。 2005年1月より第3期中央教育審議会委員(〜6期)。
菊池康雄(きくち やすお、1942年(昭和17年)3月16日… 菊池康雄(きくち やすお、1942年(昭和17年)3月16日 - )は日本の実業家、銀行家。栃木銀行の代表取締役頭取や第二地方銀行協会会長などを務めた。 栃木県出身で日本大学法学部卒。1965年に栃木相互銀行(現在の栃木銀行)に入行し、戸祭支店や東京支店などの支店長や経営企画部長を歴任し、1998年に同行取締役に就任する。常務、専務を経て、2005年に代表取締役副頭取、2009年に代表取締役頭取に就任した。 2013年に簗瀬悠紀夫の後任として栃木銀行では初の第二地方銀行協会会長に就任し、2015年まで務めた。 2016年に栃木銀行頭取を黒本淳之介に譲って代表取締役会長に就任し、2018年に退任した。
川田 武(かわだ たけし、1941年3月16日 - )は、日… 川田 武(かわだ たけし、1941年3月16日 - )は、日本のテレビ制作者、作家。 京都市出身。京都府立山城高等学校卒、京都大学教育学部卒、1961年にNHKに入り、報道番組などを制作。 1965年「クロマキー・ブルー」でハヤカワSFコンテスト佳作第一席。1986年NHKエンタープライズ出向。「太陽大爆発」(学研出版) をハリウッドで『クライシス2050』のタイトルで映画化、エクゼクティブ・プロデューサーを務めた。 2003年(株)ミステリチャンネル入社、2007年中部大学人文学部コミュニケーション学科教授、2009年退職。
牧 俊郎(まき としろう、1941年〈昭和16年〉3月16日… 牧 俊郎(まき としろう、1941年〈昭和16年〉3月16日 - )は、日本の政治家。熊本県菊池市議会議員(1期)。 菊池市長を2期務めた。 早稲田大学商学部卒業。卒業後は医療法人理事となる。1993年のの菊池市長選挙に立候補し、元熊本県議会議員の福村三男を破って初当選する。1997年の市長選挙でも再び立候補した福村を破って再選する。2001年の市長選挙で三度目の立候補をした福村に敗れた。2005年菊池市は菊池郡七城町・旭志村・泗水町と合併し、新たな菊池市が発足。合併後の市長選挙に立候補したが、合併前の市長だった福村に敗れた。 2026年5月24日投開票の菊池市議会議員選挙に立候補し当選。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
大久保 尚武(おおくぼ なおたけ、1940年3月16日 - … 大久保 尚武(おおくぼ なおたけ、1940年3月16日 - )は、積水化学工業相談役・元社長・会長。北海道出身。 北海道札幌南高等学校10期生。東京大学法学部卒業後、1962年同社に入社。1989年取締役、1993年常務取締役、1997年専務取締役、1999年1月に副社長、同年6月から代表取締役社長。2009年より代表取締役会長を経て、2017年現在・現職。 1960年ローマ五輪ボート競技、舵手付きフォア(4+)に出場した経歴を持ち(敗者復活戦敗退)、現在、公益社団法人日本ローイング協会(旧名:日本ボート協会)の会長を務める。 2021年4月の春の叙勲で旭日重光章受章。
佐々木 克已(ささき かつみ、1940年3月16日 - )は… 佐々木 克已(ささき かつみ、1940年3月16日 - )は、日本の地方公務員。東京都出納長や、東京都住宅供給公社理事長、首都高速道路代表取締役社長などを歴任した。 1963年中央大学法学部卒業、東京都庁入庁。1987年東京都企画審議室調整部庶務課長。1993年東京都企画審議室調整部長。1994年東京都清掃局理事。1995年東京都企画審議室長。1996年東京都政策報道室長。1999年東京都出納長。2001年東京都地下鉄建設株式会社代表取締役社長。2002年東京都住宅供給公社理事長。2003年首都高速道路公団副理事長。2005年首都高速道路株式会社専務取締役。2006年東京都人事委員会委員。2008年首都高速道路株式会社代表取締役社長・最高執行責任者。
若秩父 髙明(わかちちぶ こうめい、1939年3月16日 -… 若秩父 髙明(わかちちぶ こうめい、1939年3月16日 - 2014年9月16日)は、埼玉県秩父郡高篠村(現:埼玉県秩父市)出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は加藤 髙明(かとう こうめい)。最高位は西関脇(1963年7月場所・同年9月場所)。現役時代の体格は175cm、150kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。 本名は周囲から「たかあき」と読まれることが多いそうだが、本名・四股名共に読みは「こうめい」である。 1939年3月16日に埼玉県秩父郡高篠村(現:埼玉県秩父市)の大日本帝国陸軍軍人の家に長男として生まれる。小学生の頃から大食いで体格が大きくなり、高篠中学校では相撲部に所属して毎日一升の飯を食い、秩父郡の相撲大会で活躍した。
加納 隆至(かのうたかよし、1938年3月16日 - )は、… 加納 隆至(かのうたかよし、1938年3月16日 - )は、日本の霊長類学者、京都大学霊長類研究所教授を経て、同大学名誉教授。今西錦司と伊谷純一郎に師事。チンパンジーとボノボを調査。西田利貞と伊沢紘生とは大学院の同級生。 大阪生まれ。1963年京都大学理学部卒、1968年ジョージア州エモリー大学附属ヤーキース霊長類研究所勤務、1970年琉球大学保健学部助教授、1971年「タンガニイカ湖東岸のオープンランドにおけるチンパンジーの分布と適応」で京都大学より理学博士の学位を取得、1984年琉球大学教授、1987年京都大学霊長類研究所教授、2001年定年退官、名誉教授。2018年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
仲里 利信(なかさと としのぶ、1937年3月16日 - )… 仲里 利信(なかさと としのぶ、1937年3月16日 - )は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(1期)、沖縄県議会議長(第14代)、沖縄県議会議員(4期)を務めた。 沖縄県島尻郡南風原町生まれ。幼少期は沖縄戦を体験する。沖縄県立知念高等学校、琉球大学文理学部化学科卒業。卒業後は島ぞうり(ゴムぞうり)製造を主に手がける企業を設立し、同社代表を務める。 衆議院議員、参議院議員を務めた大城眞順の後援会事務局長を経て、1992年の沖縄県議会選挙に自由民主党公認で島尻郡選挙区から出馬し、初当選。自民党を離党して新進党に参加するが、1997年9月、新進党を離党し、自民党に復党した。4期16年にわたり県議を務め、2006年には沖縄県議会議長に選出された(~2008年)。
福島 邦彦(ふくしま くにひこ、1936年3月16日 - )… 福島 邦彦(ふくしま くにひこ、1936年3月16日 - )は、日本の計算機科学者。ニューラルネットワークと深層学習の研究で有名である。現在、ファジィシステム研究所(福岡県飯塚市)の特別研究員である。 1958年、京都大学工学部電子工学科卒業。NHK放送科学基礎研究所主任研究員、NHK放送技術研究所主任研究員を経て、1989年大阪大学基礎工学部教授。1999年、電気通信大学電気通信学部教授。2001年東京工科大学教授。2006年から2010年まで関西大学客員教授。2006年から一般財団法人ファジィシステム研究所特別研究員。 日本神経回路学会(JNNS)初代会長・名誉会員、電子情報通信学会フェロー。
岩間 一雄(いわま かずお、1936年3月16日 - )は、… 岩間 一雄(いわま かずお、1936年3月16日 - )は、日本の政治学者、岡山大学名誉教授。専攻は中国・東洋政治思想史。 愛知県名古屋市生まれ。名古屋大学大学院法学研究科博士課程修了。1967年「中国における封建的思惟の展開」で名大法学博士。名古屋大学法学部助手、1966年岡山大学法学部助手、同法文学部助教授、教授。2001年定年退官、名誉教授。1998年地方出版文化功労賞受賞。守本順一郎に師事した。門下生に伊藤恭彦等。
村上 政敏(むらかみ まさとし、1935年3月16日 - 2… 村上 政敏(むらかみ まさとし、1935年3月16日 - 2015年10月22日)は、日本の実業家。元日本広告審査機構理事長。時事通信社顧問。 1953年、兵庫県立北条高等学校を卒業。1957年、早稲田大学教育学部卒業。株式会社時事通信社入社。経済部長等を経て1996年同社代表取締役社長に就任。また、1999年から2002年にかけて株式会社電通取締役を兼務。2004年より日本広告審査機構理事長に就任。中央調査社会長、内外情勢調査会会長、政府税制調査会等、各種政府委員を歴任。 2001年9月にフランス共和国政府よりレジオンドヌール勲章を授与される。
平山 祐次(ひらやま ゆうじ、1935年3月16日 - )は… 平山 祐次(ひらやま ゆうじ、1935年3月16日 - )は、日本の経済学者。信州大学名誉教授、元長崎県立大学学長。専門は近代経済学、産業構造論。 長崎県福江市(現・五島市)生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1960年東京大学経済学部卒業後、経済企画庁入庁。同庁経済研究所主任研究官を経て、1978年に信州大学助教授となり、1982年教授。同大学附属図書館長などを務め、2000年に退官、名誉教授。2002年に長崎県立大学学長となり、2005年まで務めた。2008年に長崎県立大学名誉教授。アルカスSASEBOの館長も務めた。
尾上 規喜(おのえ きよし、1935年3月16日 - )は、… 尾上 規喜(おのえ きよし、1935年3月16日 - )は、日本の放送技術者、実業家。元フジ・メディア・ホールディングス取締役(常勤監査等委員)、元フジテレビジョン監査役。 京都府宮津市出身。京都府立宮津高等学校卒業後、日本大学芸術学部写真学科卒業。フジテレビジョン開局前の1958年12月に同社に入社。 入社後は映画部写真室を皮切りに、報道部外信班、放送部主事、放送技術局部長(技術管理)、総務局人事部長などを経て1987年6月、技術局長。 1989年6月、取締役技術局長。1991年6月、取締役 総務・人事担当兼人事局長、1992年6月、常務取締役。1994年7月、常務取締役 総合調整担当、1997年6月、専務取締役 管理業務本部長。
今村 洋子(いまむら ようこ、1935年3月16日 - )は… 今村 洋子(いまむら ようこ、1935年3月16日 - )は、日本の漫画家。現東京都千代田区(当時は東京市)出身。東京都練馬区在住。日本の女性少女漫画家の草分け的存在。 子供の日常生活をほのぼのとして快活なタッチで描き、1950年代後半から1970年代中半にかけて多くの作品を発表していた。 父親は貸本漫画家の今村つとむ。弟も同じく漫画家の今村ゆたか。 10代の頃から貸本漫画家である父、今村つとむのアシスタントをしており、1952年、単行本『子豚のラッパ』でデビュー。 昭和34年、『少女』誌上に『チャコちゃんの日記』を連載し一躍人気漫画家となる。その後、ハッスルゆうちゃんなど多くの作品を発表し、人気を不動のものとした。
塙 義一(はなわ よしかず、1934年3月16日 - 201… 塙 義一(はなわ よしかず、1934年3月16日 - 2015年12月18日)は、日本の実業家。日産自動車の元社長、元会長、相談役名誉会長。 都立千歳高校を経て、東京大学経済学部卒業。1957年に日産自動車入社。主に、米国を中心に工場開設や販売台数増に尽力。1985年、取締役に就任。以後、1988年常務取締役、1990年専務取締役、1991年代表取締役副社長を経て、1996年に代表取締役社長に就任した。 1990年代、2兆円という膨大な有利子負債を抱え、経営危機的状況に陥っていた日産自動車を立て直すため、提携先を模索する。第一候補としてダイムラークライスラーが上がったが、話はまとまらず、最終的にルノー傘下で救済を受けることを決断した。
宮原 巍(みやはら たかし、1934年3月16日 - 201… 宮原 巍(みやはら たかし、1934年3月16日 - 2019年11月24日)は、日本出身のネパールの実業家、政治家。 長野県小県郡青木村出身。長野県上田高等学校、日本大学理工学部工業化学科、機械工学科(二部)卒業。在学中は山岳部に所属していた。 理研ビニル工業、千代田化工建設に勤務。1958年に南極地域観測隊第4次隊、1962年にヒマラヤ登山隊、1965年にグリーンランド遠征隊(隊長)に参加。1966年、自転車でインドからネパールに入る。同年ネパール政府通商産業省中小企業局に勤務。1968年にトランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年にヒマラヤ観光開発株式会社(本社・東京)を設立。
渡辺 泰造(わたなべ たいぞう、1934年3月16日 - )… 渡辺 泰造(わたなべ たいぞう、1934年3月16日 - )は、東京府出身の外交官。駐エジプト大使、駐インドネシア大使、外務省顧問、全日空顧問、青山学院大学教授などを務めた後、2005年日本国際博覧会政府代表。
秋定 嘉和(あきさだ よしかず、1934年3月16日 - 2… 秋定 嘉和(あきさだ よしかず、1934年3月16日 - 2021年8月9日)は、日本の差別問題研究者、池坊短期大学名誉教授。京都部落問題研究資料センター所長。 兵庫県生まれ。立命館大学文学部卒、同大学院修士課程修了、兵庫県立尼崎工業高等学校教諭ののち、京都大学人文科学研究所、同志社大学人文科学研究所で共同研究に参加、のち池坊短期大学教授。大阪人権博物館館長。京都部落問題研究資料センター所長。2021年8月9日死去。享年87歳。
浅見 公子(あさみ きみこ、1933年3月16日 - )は、… 浅見 公子(あさみ きみこ、1933年3月16日 - )は、日本の法学者。学位は、法学博士(北海道大学)。専門は比較法、英米の家族法に関する研究業績で知られる。成城大学名誉教授。北海道札幌市出身。
浅利 慶太(あさり けいた、1933年〈昭和8年〉3月16日… 浅利 慶太(あさり けいた、1933年〈昭和8年〉3月16日 - 2018年〈平成30年〉7月13日)は、日本の演出家、実業家である。東京都出身。永田町小学校(現麹町小学校)、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学文学部仏文学専攻中退。特選塾員。慶應義塾評議員。 劇団四季創設者の一人で、劇団の運営・管理に当たる「四季株式会社」の代表取締役社長・会長・芸術総監督をつとめた。劇団四季、四季株式会社を、商業主義ミュージカル劇団としても企業としても成長させた。 1933年、演劇プロデューサー浅利鶴雄の息子として東京に生まれる。8歳の時に太平洋戦争開戦、11歳の時に空襲が始まって長野県軽井沢の別荘に疎開し、そこで1945年の終戦を迎えた。
津田 正(つだ ただし、1933年3月16日 - 2013年… 津田 正(つだ ただし、1933年3月16日 - 2013年6月3日)は自治官僚。 東京大学法学部第1類(私法コース)卒業後に1955年に自治庁に入る。 自治省で地方債課長、企画課長、財政課長、財政担当審議官、大臣官房長、税務局長、財政局長を歴任。財政畑だが、地方自治体出向時には企画開発に携わり、千葉県で京葉臨海工業地帯の造成、香川県では瀬戸大橋プランニングに関与した。自治省財政局長時代には竹下内閣のふるさと創生事業に関わった。 1989年6月に自治事務次官に就任。1990年7月に退官した。 1990年8月から自治体国際化協会理事長を務める。1991年1月から長野オリンピック組織委員会事務総長に就任したが、1992年9月にクモ膜下出血で体調を崩したため、1993年3月に辞任している。
中村 希明(なかむら まれあき、1932年3月16日-200… 中村 希明(なかむら まれあき、1932年3月16日-2000年7月)は福岡県生れの医師。アルコール症治療専門医として知られている。 慶応義塾大学大学院医学研究科を卒業。専攻は精神医学。国立久里浜病院、川崎市立精神保健センター所長を経て、明治大学法学部心理学講師、川崎市麻生保健所所長、川崎市立井田病院精神科部長、エルステ社会精神医学研究所所長を務める。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三浦哲郎(みうら てつお、1931年3月16日 - 2010… 三浦哲郎(みうら てつお、1931年3月16日 - 2010年8月29日)は、日本の小説家、日本芸術院会員。 青森県八戸市に生まれた。早大に入学したが中退、郷里で2年間中学教師を務めたあと、早大仏文科に再入学し、文学を志す。 井伏鱒二に師事し、純愛小説『忍ぶ川』(1960年)で芥川賞受賞。以後、『恥の譜』(1961年)、『初夜』(1961年)などの情感深い私小説を発表し続けた。1985年、ふしあわせだった家族に対する鎮魂の書『白夜を旅する人々』(1984年)で大仏次郎賞受賞。私小説の系譜を継ぐ代表的作家である。 青森県八戸市三日町の呉服屋「丸三」の三男として生まれる。青森県立八戸高等学校へ進学し、八戸高校の籠球部時代に「はやぶさの哲」と呼ばれた(当時の遠征の様子を『笹舟日記』に残している)。
若山 三郎(わかやま さぶろう、1931年3月16日 - 2… 若山 三郎(わかやま さぶろう、1931年3月16日 - 2009年10月1日)は日本の小説家。 1931年3月16日、新潟県刈羽郡高柳町(現柏崎市)出身。 日本作家クラブ理事長。日本文芸家協会会員。 新潟県立柏崎高等学校卒業、明治大学政治経済学部中退。 1951年から日本製鋼と西松建設の嘱託通訳を務める。 1953年から1963年まで在日米軍で特殊通訳を務める。消防署に詰めて、消防隊や救急隊が出動した時、当該事件の内容を英語で米軍に説明する仕事だった。このころ、勤務の合間に小説を執筆。 1961年、『国際仲人』によって『講談倶楽部』奨励賞を受ける(この時の同期に太田久行こと童門冬二がいた)。 1963年に米軍通訳を辞して文筆一本の生活に入る。
松尾 高精(まつお こうせい、1931年3月16日 - )は… 松尾 高精(まつお こうせい、1931年3月16日 - )は、日本の実業家。元西華産業社長。長崎県出身。 1931年長崎県生まれ。1954年早稲田大学理工学部卒業後、西華産業に入社。ドイツ・デュッセルドルフの現地法人に駐在時、元宇部興産専務執行役員の浅野正之(浅野茂隆・東京大学名誉教授の兄)らと交流があった。同社取締役、常務取締役、副社長を経て、1994年社長に就任。在任中は取引における急速な情報システム化が進んでいたことを受けて、1997年に情報通信委員会を発足させ、イントラネット構築を推進した。こうした取り組みなどもあって西華産業は売上高を伸ばし、東京商工リサーチが行った調査によると、九州・沖縄に本社がある企業の売上高ランキングにおいて9位にランクインし、前年比伸び率は39.6%となった(1997年度)。
坂本 賢三(さかもと けんぞう、1931年3月16日 - 1… 坂本 賢三(さかもと けんぞう、1931年3月16日 - 1991年1月9日)は、日本の科学史家、哲学者。哲学・科学史・技術史を専攻。 兵庫県神戸市に生まれる。1953年大阪大学理学部物理学科卒業。同大学院文学研究科(哲学)博士課程中退。 1960年大阪経済大学講師、1962年桃山学院大学講師、1964年助教授、1968年教授、1974年神戸商船大学教授、1986年千葉大学教授となる。 在任中の1991年1月19日、直腸癌のため死去。
髙原 慶一朗(たかはら けいいちろう、1931年〈昭和6年〉… 髙原 慶一朗(たかはら けいいちろう、1931年〈昭和6年〉3月16日 - 2018年〈平成30年〉10月3日)は、日本の実業家。位階は従四位。 ユニ・チャーム創業者で、同社初代代表取締役社長や、日本経団連評議員会副議長等を務めた。第2代ユニ・チャーム代表取締役社長の髙原豪久は長男。 愛媛県川之江市(現四国中央市)生まれ。地元の中学校を総代で卒業し、松山高等学校を経て、大阪市立大学でマルクス経済学を学び、3年で卒論以外の必要単位を取得したため、指導教官の紹介状をもらい、4年目は一橋大学でケインズ経済学を学んだ。1953年大阪市立大学(現大阪公立大学)商学部卒業。卒業論文は「我が国の紙パルプ工業の実証的研究」。
綾田 修作(あやだ しゅうさく、1931年3月16日 - … 綾田 修作(あやだ しゅうさく、1931年3月16日 - )は、日本の銀行家。百十四銀行頭取を務めた。 香川県出身。1953年に香川大学経済学部を卒業し、1955年にアメリカのマサチューセッツ州クラーク大学経済大学院での留学を経て、同年11月に年に百十四銀行に入行した。1977年12月に取締役に就任し、1985年6月に常務、1993年4月に専務を経て、1995年6月には頭取に就任。2004年6月に会長に就任し、2009年6月には相談役に就任。 2007年11月に旭日中綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小野 幹雄(おの もとお、1931年3月16日 - )は、日… 小野 幹雄(おの もとお、1931年3月16日 - )は、日本の最高裁判所判事。 少年時代は父親の任地の樺太に住み、戦後に引き揚げてから家計を助けるなど苦労を重ねた。中央大学在学中に司法試験に合格。司法修習は第7期。1955年4月に裁判官となる。刑事が専門で、裁判現場が長い一方で、最高裁刑事局長、大津地裁所長、司法研修所所長、大阪高裁長官を歴任した。 1992年2月13日に最高裁判所判事に就任。 1995年8月に定年退官。
神品 芳夫(こうしな よしお、1931年3月16日 - 20… 神品 芳夫(こうしな よしお、1931年3月16日 - 2024年2月11日)は、日本のドイツ文学者・詩人。東京大学教養学部教授を経て、東京大学名誉教授。退官後は、明治大学教授に就任。専門はリルケから、戦後ドイツ文学である。 東京都生まれ。東京大学大学院独語独文学専攻博士課程中退。 1962年東京大学教養学部助教授、教授を経て1992年定年退官、名誉教授。明治大学教授、2002年退職。 2005年、「自然詩の系譜 20世紀ドイツ詩の水脈」で第5回日本詩人クラブ「詩界賞」を受賞。 妻の神品友子(1932- )もドイツ文学者(東大院、拓殖大学名誉教授)。 神原芳之の筆名で2016年、第一詩集『青山記』出版。
京塚 昌子(きょうづか まさこ、1930年〈昭和5年〉3月1… 京塚 昌子(きょうづか まさこ、1930年〈昭和5年〉3月16日 - 1994年〈平成6年〉9月23日)は、日本の女優。第10回芸術祭賞奨励賞受賞。 東京都出身。1946年、疎開先の栃木県立佐野高等女学校(現・栃木県立佐野東高等学校)卒業。高校卒業後、新派へ入団して研究生となる。 川口松太郎に認められて、1955年「月夜鴉」で初めて主役を演じ、同年「離れ猪」「太夫さん」の演技で芸術祭奨励賞を受賞。 1959年(昭和34年)8月23日から1972年(昭和47年)2月6日まで放映されたTBSテレビ系列の東芝日曜劇場人気シリーズ『カミさんと私』で伊志井寛の相手役として人気を博す。 1963年には東宝演劇部入りして、舞台「マイ・フェア・レディ」などに出演。
高橋 昌也(たかはし まさや、1930年〈昭和5年〉3月16… 高橋 昌也(たかはし まさや、1930年〈昭和5年〉3月16日 - 2014年〈平成26年〉1月16日)は、日本の俳優、演出家。 『幸せの背くらべ』で1996年の読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。2004年の映画『透光の樹』の演技で第14回日本映画批評家大賞助演男優賞を受賞。 東京府出身。東京都立第四中学校(東京都立戸山高等学校)卒業。俳優座養成所卒業(2期生)。1954年に劇団新人会設立に参加。 1956年に劇団四季に参加。 1961年から文学座へ入団するが、1963年に芥川比呂志、高木均、岸田今日子らと脱退し劇団雲結成に参加。 1975年、劇団の分裂により、演劇集団 円に参加。主に演出家として別役実作品を一手に手掛けた。
三木 稔(みき みのる、1930年3月16日 - 2011年… 三木 稔(みき みのる、1930年3月16日 - 2011年12月8日)は、日本の作曲家。 徳島県徳島市出身。当時の同県名東郡加茂名町字鮎喰にあった織物卸売問屋(合名会社三木新太郎商店)を生家に持ち、曽祖父は浄瑠璃の太夫、祖母は三味線、叔父の三木文夫(日本画家、1912年 - 2004年)は尺八の奏者で、幼時から邦楽を耳にして育つ。旧制徳島中学から海軍兵学校予科に入り、旧制六高理科を経て1955年東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。作曲を池内友次郎、伊福部昭に師事する。1953年に《交響的三楽章》がNHK芸術祭管弦楽曲公募で2位入賞、N響が初演。しかし芸大卒業の年に父に逝かれ、短編映画・演劇などの仕事などで一家を支えるため通常の作曲界への登場は同世代の作曲家より大幅に遅れる。
櫻井 淳(さくらい じゅん、1930年3月16日 - )は、… 櫻井 淳(さくらい じゅん、1930年3月16日 - )は、日本の理学博士、経済学博士、法学博士、教養学博士。道都大学名誉総長(理事)。北海道室蘭市出身。
日野 哲也(ひの てつや、1930年3月16日 - 2024… 日野 哲也(ひの てつや、1930年3月16日 - 2024年6月23日)は、日本の経営者。ノリタケカンパニーリミテド社長を務めた。東京都出身。 1951年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本陶器(のちのノリタケカンパニーリミテド)に入社。1977年2月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1989年6月に副社長に就任し、1993年6月には社長に昇格した。1999年6月に会長に就任し、2002年6月から相談役を務めた。 2001年6月から2005年6月まで中部生産性本部会長を務めた。 2024年6月23日に老衰のために死去。94歳没。
葉山 修平(はやま しゅうへい、1930年3月16日 - 2… 葉山 修平(はやま しゅうへい、1930年3月16日 - 2016年8月28日)は、日本の作家・詩人。本名は安藤幸輔(あんどう こうすけ)。室生犀星の研究者でもあった。 千葉県市原市出身。千葉師範学校卒業。東京大学大学院修士課程(国文学専攻)修了。1955年、林富士馬、太田浩らと同人雑誌『玻璃』を創刊。1957年、林富士馬の紹介で『文芸日本』4月号に短編小説「バスケットの仔猫」を発表する。この短編に対して、室生犀星から批評とアドバイスの書かれた手紙を受け取り、犀星の知遇を得る。1960年、短編小説「日本いそっぷ噺」が第43回直木賞候補となる。同年12月、『日本いそっぷ噺』(大和出版)が出版された。
濱田 晋作(はまだ しんさく、1929年(昭和4年)3月16… 濱田 晋作(はまだ しんさく、1929年(昭和4年)3月16日 - 2023年(令和5年)7月16日)は、日本の栃木県芳賀郡益子町の「益子焼」の陶芸家。 濱田庄司の次男であり、濱田窯の2代目当主である。 1929年(昭和4年)3月16日、濱田庄司の次男として東京に生まれる。 1930年(昭和5年)、1歳の時に栃木県芳賀郡益子町へ家族揃って移住する。 旧制真岡中学校(現・栃木県立真岡高等学校)を卒業後、早稲田大学文学部美術工芸窯業科に入学し美術工芸を学び、1950年(昭和25年)に卒業後、父・庄司の下で濱田窯にて修業を積み、本格的な作陶活動に入る。 1963年(昭和38年)、父の助手として渡米し、アメリカ各地の陶芸講習会でアシスタントを務める。
佐藤 東里(さとう とうり、1929年3月16日 - 200… 佐藤 東里(さとう とうり、1929年3月16日 - 2005年8月30日)は、日本の経営者。日立マクセル社長を務めた。 東京都出身。1953年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、同年に日立製作所に入社。1985年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1993年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。1999年6月に会長を経て、2001年6月には相談役に就任。 2005年8月30日に心不全のために死去。76歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
高石昌弘(たかいし まさひろ、1929年3月16日 - 20… 高石昌弘(たかいし まさひろ、1929年3月16日 - 2023年10月6日)は、日本の公衆衛生学者、国立公衆衛生院名誉教授。 1953年東京大学医学部卒業。1955年国立公衆衛生院正規医学科修了。1959年「学童期身体発育の縦断的研究」で医学博士(東京大学)。1981年、国立公衆衛生院母性小児衛生学部長、1985年次長、1989年院長、1993年辞職退官。1980年9月東京大学教育学部教授併任(1986年3月まで)。1993年大妻女子大学人間生活科学研究所教授(2000年度まで)。東京医科大学客員教授。国立公衆衛生院顧問・名誉教授。公衆衛生学・健康科学,教育学,体育学,家政学一般(含衣・住環境)。
建部 到(たけべ いたる、1929年3月16日 - 1988… 建部 到(たけべ いたる、1929年3月16日 - 1988年6月5日)は、日本の生物学者。 1952年に東京大学理学部植物学科卒業、1957年に同大学院生物系研究科博士課程修了。植物ウイルスの研究を専門として農水省植物ウイルス研究所(現・農業生物資源研究所)研究室長、名古屋大学理学部生物学科教授を務めた。 1975年に植物病理学の最高名誉とされるヤコブ・エリクソン賞の金メダルを受賞。将来を期待されていたが、1988年、59歳で急死した。 プロトプラストの単離において重要な役割を果たした。 1967年に建部らは酵素で細胞壁を溶かして活性の高いプロトプラストの大量単離に成功する。1971年に門下生の長田敏行とプロトプラストからの植物体再生にも成功した。
三好 俊吉(みよし しゅんきち、1929年(昭和4年)3月1… 三好 俊吉(みよし しゅんきち、1929年(昭和4年)3月16日 - 2020年(令和2年)4月25日)は、日本鋼管(NKK、現JFEホールディングス)の元社長。東京都出身。 NKKでは異例の技術畑出身として社長に就任するが、バブル崩壊以降の景気低迷で1994年ごろから鉄鋼不況が深刻化。業績悪化を受けリストラに着手するも、新日本製鐵や川崎製鉄など他社に比べて立ち遅れ気味で、のちNKKは信用不安から危機を迎えることになる。
稲場 文男(いなば ふみお、1929年 <昭和4年> 3月1… 稲場 文男(いなば ふみお、1929年 <昭和4年> 3月16日 - 2012年 <平成24年> 9月9日) は、日本の電子工学者。東北大学名誉教授。元東北大学電気通信研究所所長。元電子情報通信学会副会長。位階は正四位。 東京府生まれ。1951年東北大学理学部地球物理学教室卒業。1957年東北大学電気通信研究所助手。1961年東北大学電気通信研究所助教授。1962年東北大学工学博士。1965年東北大学電気通信研究所教授。1986年新技術開発事業団創造科学推進事業稲場生物フォトンプロジェクト総括責任者。1990年東北大学電気通信研究所所長、電子情報通信学会副会長。1992年定年退職、東北大学名誉教授、東北工業大学工学部電子工学科教授。
岡村 鐘雄(おかむら かねお、1929年3月16日 - 20… 岡村 鐘雄(おかむら かねお、1929年3月16日 - 2005年3月29日)は、日本の実業家。日本特殊陶業取締役社長や、同社取締役会長、日本セラミックス協会会長などを歴任した。科学技術庁長官賞等受賞。 1948年名古屋工業専門学校(現名古屋工業大学)機械科卒業、日本特殊陶業入社。1993年日本特殊陶業取締役社長。1994年中部品質管理協会理事副会長。1998年日本特殊陶業取締役会長。同年科学技術庁長官賞受賞。2000年勲三等瑞宝章受章。同年日本セラミックス協会会長。2002年ブラジル連邦共和国リオブランコ国家勲章コマンドール受章。2003年超硬工具協会賞業界功労賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
大越 幸夫(おおこし ゆきお、1928年3月16日 - 20… 大越 幸夫(おおこし ゆきお、1928年3月16日 - 2018年12月4日)は、TBS顧問、同局初代北京特派員である。東京都出身。 1951年早稲田大学卒業後、同年にTBS入社。1964年TBS北京特派員、1975年同局編成局長、1977年報道局長、1981年取締役、1983年常務取締役、1986年同局映画社社長、1991年同局緑山スタジオ社長、1993年同局ビジョン社長、1997年同局顧問となり日中交流に活躍した。 2018年12月4日、肝不全のため死去。
伊賀 弘三良(いが こうざぶろう、1928年3月16日 – … 伊賀 弘三良(いが こうざぶろう、1928年3月16日 – 1998年11月22日)は兵庫県出身の編集者、出版事業家。祥伝社元社長。 兵庫県神崎郡香寺町(現姫路市)出身。旧制姫路中学校から陸軍予科士官学校、旧制第六高等学校を経て東京大学文学部仏文科卒業。 もともと作家志望だったが、渡辺一夫教授により神吉晴夫に紹介され、1953年、大卒一期生として光文社に入社。同期に、のちの祥伝社社長藤岡俊夫がいた。出版局に配属され、1955年、京大の動物学者伊谷純一郎に『高崎山のサル』を書かせてヒットを飛ばす。 1959年、カッパ・ノベルス創刊編集長に昇進。以後、カッパ・ブックスの編集長を兼任。ノベルスからは松本清張の社会派推理小説を続けて刊行(なお、この「社会派推理小説」という言葉を考えたのも伊賀だという説もある)。
斎藤 茂男(さいとう しげお、1928年3月16日 - 19… 斎藤 茂男(さいとう しげお、1928年3月16日 - 1999年5月28日)は、日本のジャーナリスト。 東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。1952年共同通信社入社。社会部記者、次長、編集委員を経て1988年退社。1958年「菅生事件」報道で日本ジャーナリスト会議賞、1974年再度同賞受賞、1983年長年の報道活動で日本記者クラブ賞、1984年「日本の幸福」シリーズで日本新聞協会賞受賞。多くの著書があり、特に「ルポルタージュ父よ母よ!」を原作に、1980年に木下惠介監督『父よ母よ!』が映画化された。 晩年に著作集『ルポルタージュ日本の情景』全12巻が出された。
志立 託爾(しだち たくじ、1927年3月16日 - 201… 志立 託爾(しだち たくじ、1927年3月16日 - 2013年1月31日)は、日本の経営者。三菱信託銀行社長を務めた。東京都出身。 1948年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に三菱信託銀行に入行。1973年11月に取締役に就任し、1975年11月に常務、1980年11月に専務、1983年3月に副社長を経て、1984年3月には社長に就任。1990年3月に会長に就任し、1995年6月に相談役、1999年6月に最高顧問を経て、2007年7月から名誉顧問を務めた。 1985年4月から1986年4月までに信託協会会長を務め、ニコン、三菱マテリアルで各監査役も務めた。 2013年1月31日に肺炎のために死去。
高取 正男(たかとり まさお、1926年3月16日 - 19… 高取 正男(たかとり まさお、1926年3月16日 - 1981年1月3日)は、日本の歴史学者・民俗学者。専攻は、日本文化史・民俗学。元京都女子大学教授。 1926年、愛知県名古屋市で生まれた。愛知県立明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)を経て、京都大学文学部史学科に入学。1951年に卒業し、同大学大学院にて国史学を専攻して柴田實に師事した。また先輩の竹田聴洲と出会い、民俗学を志した。 京都女子大学非常勤講師に就いた後、1961年に同大学助教授に就任。1966年に教授昇格。1977年より国立民族学博物館客員教授も務めた。 専門は民俗学で、宗教民俗学。没後には法藏館より『高取正男著作集』(全5巻)が刊行された。