山口 喜司(やまぐち よしじ、1946年1月17日-)は、大… 山口 喜司(やまぐち よしじ、1946年1月17日-)は、大分県宇佐市江須賀出身の元プロ野球選手(投手・外野手)。左投げ左打ちであった。 大分県立中津東高等学校から大分鉄道管理局と陸上自衛隊西部を経て、1968年のドラフト3位で広島東洋カープに入団。投手経験は自衛隊入隊ごろからで、一年と浅かったが、柔かい手首を利してのスピードボールはすでにスカウト間で高い評価をしていた。自衛隊からのプロ入りは小平誠司につぎ二人目で、山口はその小平と短期間ではあるがバッテリーを組んだこともある。武器はストレートとシュート。プロ入り後、野手に転向した。一軍戦には1試合に代打で出場、1打席凡退の成績しか残せず、3年で引退した。
北川 めぐみ(きたがわ めぐみ、1946年1月17日 - )… 北川 めぐみ(きたがわ めぐみ、1946年1月17日 - )は、日本の女優。本名は北川 恵美。東京都目黒区出身。特技はバレエ、日舞、三味線、ゴルフ。 武蔵野女子学院高校卒業。 1963年に俳優座養成所に第15期生として入団。同期に林隆三、前田吟、浜畑賢吉、村井国夫、竜崎勝らがいた。1964年の日本講道館柔道の創始者・嘉納治五郎を主人公にしたテレビドラマ『柔』でデビュー、続篇の『柔一筋』にも続けて清純な娘役で出演した。この作品は美空ひばりが歌った同名の主題歌「柔」が大ヒットするなど人気を集めた。以後、映画、ドラマ、舞台、モデル、ナレーターなど幅広く活躍している。1971年に俳優座を辞めフリーとなった。
吉田 勝彦(よしだ かつひこ、1945年1月17日 - )は… 吉田 勝彦(よしだ かつひこ、1945年1月17日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 長崎県出身。長崎県立長崎東高等学校(同期にアナウンサーの小島一慶がいる)を経て、1963年に近鉄バファローズに入団。在籍5年間で2試合に登板した。1968年に広島東洋カープへ移籍したが一軍での登板はなく、同年引退。南海戦用の投手として期待され、オーバースローから、シュートを武器とした。
中原 英臣(なかはら ひでおみ、1945年1月17日- )は… 中原 英臣(なかはら ひでおみ、1945年1月17日- )は、日本の医学者(医学博士(東京慈恵会医科大学、1976年)。新渡戸文化短期大学名誉学長、山野医療専門学校副校長。
黒澤 満(くろさわ みつる、1945年1月17日 - )は、… 黒澤 満(くろさわ みつる、1945年1月17日 - )は、日本の法学者。専門は、国際法、軍縮法、国際安全保障。大阪大学名誉教授。日本軍縮学会初代会長。2023年、瑞宝中綬章受章。 軍縮国際法の開拓者として知られる。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
亀井 剛(かめい つよし、1945年〈昭和20年〉1月17日… 亀井 剛(かめい つよし、1945年〈昭和20年〉1月17日 - )は、日本の伝統工芸技術者であり、時代裂用綜絖製作の選定保存技術保持者。亀井綜絖株式会社代表取締役。国宝・重要文化財をはじめとする多数の文化財の表具裂製作に携わる、日本有数の綜絖製作技術者として知られる。正倉院裂、観世流片山家能装束、祇園祭懸装品、中国湖南省長沙市馬王堆一号墓出土紋羅の復元など、古代から現代に至る多様な時代裂の綜絖製作において卓越した技術を有する。 文化財修理・国宝復元・教育指導に携わる一方、公益財団法人京都YMCAの理事長としても地域社会や国際交流活動に貢献している。 京都・西陣に生まれ、父が創業した亀井綜絖株式会社において綜絖製作技術を習得。
もりお みずき(1945年1月17日 - )は、沖縄県平良市… もりお みずき(1945年1月17日 - )は、沖縄県平良市の小説家、児童文学作家。本名は友利昭子。 聖心女子大学国語国文学科を卒業する。高校の国語教諭として勤務する傍ら執筆する。1998年、第10回琉球新報児童文学賞を受賞する。2002年、第6回平良好児賞を受賞する。同年、「砂漠にて」で第11回ふくふく童話大賞を受賞する。2004年、「花いちもんめ」で第32回琉球新報短編小説賞を受賞する。2008年、「真夜中バースデー」で第6回北日本児童文学賞優秀賞を受賞する。同年、「ティダピルマ」で第17回小川未明文学賞優秀賞を受賞する。琉球新報児童文学賞、宮古島文学賞の選考委員を務めている。
海野 道郎(うみの みちお、1945年1月17日 - )は、… 海野 道郎(うみの みちお、1945年1月17日 - )は、日本の社会学者。東北大学名誉教授、元学校法人宮城学院理事長、女子大学学長。専門は、社会学、数理社会学、環境社会学。 1945年生まれ。1963年神奈川県立湘南高等学校卒。1968年東京大学工学部(工業化学科)卒。1970年東京大学大学院工学系研究科(工業化学専門課程)修士課程修了。1972年東京工業大学大学院理工学研究科(社会工学専攻)修士課程修了。1973年東京工業大学大学院理工学研究科博士課程中退(社会工学専攻)。同年東京工業大学理工学部助手、1976年関西学院大学社会学部専任講師。関西学院大学社会学部助教授、関西学院大学社会学部教授を経て、1984年東北大学文学部社会学科助教授。
久須美 隆(くすみ たかし、1945年1月17日 - )は… 久須美 隆(くすみ たかし、1945年1月17日 - )は、日本の経営者。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1968年に早稲田大学第一法学部を卒業し、同年に北越銀行に入行した。2000年6月に取締役に就任し、2002年6月に常務、2003年4月に専務を経て、2007年6月から2013年6月までに頭取を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
猪口 孝(いのぐち たかし、1944年〈昭和19年〉1月17… 猪口 孝(いのぐち たかし、1944年〈昭和19年〉1月17日 - 2024年〈令和6年〉11月27日)は、日本の国際政治学者。東京大学名誉教授。専門は、政治学・国際関係論。政治学博士(マサチューセッツ工科大学、1974年)。新潟県立大学学長兼理事長、国際連合大学上級副学長などを歴任した。 新潟県新潟市生まれ。東京大学から米国マサチューセッツ工科大学に進み、博士号を取得する。 1982年、『国際政治経済の構図』でサントリー学芸賞受賞。1987年に大嶽秀夫、村松岐夫ともに雑誌『レヴァイアサン』を共同で創刊し、実証主義的政治学の発展に貢献した。 2000年から2002年まで日本国際政治学会理事長を務める。
宮地 正人(みやち まさと、1944年1月17日 - )は、… 宮地 正人(みやち まさと、1944年1月17日 - )は、日本の歴史家。東京大学名誉教授。前国立歴史民俗博物館館長。専門は日本近代史。福岡県久留米市出身。
樫村 千秋(かしむら ちあき、1944年(昭和19年)1月1… 樫村 千秋(かしむら ちあき、1944年(昭和19年)1月17日 - 2016年(平成28年)11月8日)は、日本の政治家。元日立市長(3期)。 茨城県日立市出身。1966年(昭和41年)関東学院大学経済学部経営学科卒業。経営学科1期生となる。卒業後は茨城県庁に就職。1993年(平成5年)茨城県総務部知事広報室課長、1996年(平成8年)茨城県総務部地方課長、1998年(平成10年)茨城県総務部知事公室長を歴任。 1999年(平成11年)2月、茨城県庁を退職。同年4月、日立市長選挙に初当選。2003年(平成15年)、2007年(平成19年)の市長選はいずれも無投票当選。2011年(平成23年)4月まで3期に渡り日立市長となる。
沢山 保太郎(さわやま やすたろう、1944年1月17日-)… 沢山 保太郎(さわやま やすたろう、1944年1月17日-)は、日本の政治家。元高知県東洋町長(1期)、現室戸市議会議員。 高レベル放射性廃棄物最終処分場の受け入れ反対派として、2007年4月22日投開票の出直し町長選挙に出馬し当選した。翌4月23日に、処分場文書調査の応募撤回を表明した。 東洋町民から、沢山の政治姿勢・手法に対して追求が行われていた。核廃棄物処理場・事前調査問題での対立候補勢力ではなく、沢山を雪崩的圧勝へ持ち込んだ原動力である、東洋町の沢山保太郎後援会が主軸となって批判している点が特異である。 主な論点は以下の通りである。 (沢山は「選挙運動資金を全て自費で賄った」と再三に渡って発言・記述している。
楠 勝平(くすのき しょうへい、1944年1月17日 - 1… 楠 勝平(くすのき しょうへい、1944年1月17日 - 1974年3月15日)は、日本の漫画家。東京都荒川区出身。本名:酒井 勝宏。 市井の人々の哀歓を描き、わずか30歳で夭折した劇画作家として知られる。代表作に『おせん』『彩雪に舞う…』がある。 東京都荒川区で、看板の書き文字職人の家に生まれた。中学生の頃から同級生の雨森豪、平野あきらと漫画を描き始める。1957年、近所の貸本屋で長井勝一を紹介され三洋社に出入りするようになる。渡辺美千太郎の元でアシスタントとして修行した後、1960年『剣豪画集』(三洋社)より「必殺奥義」で貸本漫画デビュー。『忍法秘話』(三洋社)や『群狼』(第一プロ)といった貸本短編誌に執筆し、辰巳ヨシヒロらと交友を持つ。
宮 史郎(みや しろう、1943年1月17日 - 2012年… 宮 史郎(みや しろう、1943年1月17日 - 2012年11月19日)は、日本の歌手。ぴんからトリオのリードボーカルとして発表した「女のみち」が歴史的な大ヒットを記録した。その後、ソロ歌手に転向。 本名は宮崎芳郎。兵庫県加西市広原町生まれ。血液型はA型。 姫路市のキャバレーで働きながら1959年、自主制作で「男の花道」を発売。 1961年、拠点を大阪に移し、当時流行していたボーイズ形態の音曲漫才スパローボーイズを結成。 1963年、宮五郎(史郎の兄)・並木ひろしとともに音曲漫才ぴんからトリオを結成。グループ名の由来は「ピンからトリを」である。 1972年、東宝芸能所有の大阪梅田の演芸場『トップホットシアター』に出演していた時期に自主制作したレコード「女のみち」が、有線放送と地道な営業から火が付き420万枚を売り上げ、続いて発売された「女のねがい」が170万枚、「女のゆめ」が80万枚と大ヒットした。
林 勇二郎(はやし ゆうじろう、1942年1月17日 - )… 林 勇二郎(はやし ゆうじろう、1942年1月17日 - ) は、日本の工学者。専門は熱工学。工学博士。第9代金沢大学学長。第3代国立高等専門学校機構理事長。第49期日本伝熱学会会長。第20期日本学術会議会員。 石川県金沢市生まれ。金沢大学附属高等学校を経て、1967年東京工業大学(のちの東京科学大学)大学院理工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1970年同博士課程修了、工学博士。 同年金沢大学工学部講師。1971年金沢大学工学部助教授。1981年金沢大学工学部教授。1991年日本機械学会理事、日本混相流学会理事。1995年日本伝熱学会副会長。パデュー大学客員教授等を経て、1997年金沢大学工学部学部長。
栗山 文昭(くりやま ふみあき、1942年1月17日 -)は… 栗山 文昭(くりやま ふみあき、1942年1月17日 -)は、日本の合唱指揮者である。島根県出身。「栗友会」音楽監督。武蔵野音楽大学教授。島根県芸術文化センター グラントワ芸術監督。 島根県立益田高等学校、島根大学教育学部特設音楽科卒業。合唱指揮を田中信昭、高階正光に師事。二期会合唱団、東京混声合唱団で研鑽を積み、カラヤン指揮などで第九などを実際に歌ってみて経験を積む。現在13の合唱団を有する「栗友会」の音楽監督及び指揮者として活動するかたわら、長年尚美学園の第九の講師をし、合唱人集団「音楽樹」の代表幹事として、「Tokyo Cantat」などの企画に携わる。 1994年まで参加した全日本合唱コンクールでは数多くの金賞・最高賞たる特別賞を受賞し、「栗山現象」とまで言わしめたほか、栗友会所属合唱団の一つコーロ・カロスが1994年スペイン・トロサ国際合唱コンクールにおいてグランプリを獲得、更に翌1995年イタリアで欧州各コンクールグランプリ受賞者のみで行われたヨーロッパグランプリ合唱コンクール(イタリア)でグランプリを受賞した。
安斎 隆(あんざい たかし、1941年〈昭和16年〉1月17… 安斎 隆(あんざい たかし、1941年〈昭和16年〉1月17日 - )は、日本の銀行家。 福島県安達郡上川崎村(現・二本松市上川崎)で農家の二男として生まれる。 上川崎村立上川崎小学校、上川崎村立上川崎中学校、福島県立安達高等学校を経て、1963年(昭和38年)東北大学法学部を卒業。 日本銀行入行。香港駐在、新潟支店長、考査役、総務局次長、電算情報局長、経営管理局長、考査局長を経て、1994年(平成6年)から決済システム、アジア担当理事を務め、東アジア・オセアニア中央銀行役員会議(EMEAP)メンバーとしてアジア通貨危機への対応などにあたった。98年信用機構担当理事から日本長期信用銀行頭取となり破綻処理を行った。
黒田 昌裕(くろだ まさひろ、1941年(昭和16年)1月1… 黒田 昌裕(くろだ まさひろ、1941年(昭和16年)1月17日 - )は、日本の経済学者。学位は、博士(商学)(慶應義塾大学・1992年)。元慶應義塾大学商学部長、元慶應義塾常任理事、元東北公益文科大学学長。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
片野坂 栄子(かたのさか えいこ、1941年1月17日 - … 片野坂 栄子(かたのさか えいこ、1941年1月17日 - )は、日本のソプラノ歌手、オペラ歌手。鹿児島県出身。 武蔵野音楽大学を経てウィーン国立アカデミーを首席で卒業。1964年ウィーン国際オペラ・コンクール入賞、1965年バルセロナ「フランシスコ・ヴィーナス」国際音楽コンクール第1位優勝。以来、バーンスタイン、マタチッチ、ミュンヒンガーなどの著名な指揮者のもとでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、NHK交響楽団、北ドイツ放送交響楽団などと、コンサート歌手として共演する。1974年より第1ソプラノ歌手として、ドイツ・パッサウ市立歌劇場、ヒルデスハイム歌劇場、デュッセルドルフ歌劇場、ミュンヘン歌劇場などと専属客演契約で活躍する。
松本 昌親(まつもと まさちか、1940年1月17日 - )… 松本 昌親(まつもと まさちか、1940年1月17日 - )は、日本の政治家。元大阪府南河内郡千早赤阪村村長(3期)。元千早赤阪村議会議員(3期)。 大阪府南河内郡千早村(現千早赤阪村)生まれ。大阪府立富田林高等学校卒業。1963年、成蹊大学政治経済学部を卒業。 1989年、千早赤阪村議会議員選挙に出馬し、初当選。1989年から1996年及び2001年から2004年まで、通算3期務める。 2004年7月、千早赤阪村長選挙に出馬し、初当選。以降、村長を3期務める。 2012年11月~2013年7月、全国町村会の副会長を務める。 2020年6月21日に行われた千早赤阪村長選挙に大阪維新の会の推薦候補として立候補するも、新人の南本斎(自民推薦、日本共産党自主支援)に敗れる。
中野 尚弘(なかの なおひろ、旧姓:池田、1940年1月17… 中野 尚弘(なかの なおひろ、旧姓:池田、1940年1月17日 - 2021年1月3日)は、元オリンピックバレーボール選手、バレーボール日本男子代表監督。中野蒲鉾店(長崎県の企業)代表取締役社長。 佐賀県鹿島市出身。福岡大学卒業後、八幡製鐵に入社。 バレーボール日本男子代表選手として1964年東京オリンピックに出場、銅メダルを獲得し、1968年メキシコシティーオリンピックでは選手兼任コーチとして登録されて出場、銀メダルを獲得した。 指導者としては、日本が金メダルを獲得した1972年のミュンヘンオリンピックでは松平康隆監督の下で日本男子代表コーチを、1984年のロサンゼルスオリンピックでは代表監督、1992年バルセロナオリンピックでは総監督をそれぞれ務めた。
寺内 タケシ(てらうち タケシ、本名は同じ読みで「寺内 武」… 寺内 タケシ(てらうち タケシ、本名は同じ読みで「寺内 武」、1939年1月17日 - 2021年6月18日)は、日本人のギタリストである。 作曲家、編曲家、音楽プロダクション経営者、実業家としての顔を持つ。 茨城県新治郡土浦町祇園町(現・土浦市)出身。ニックネームは「テリー」「エレキの神様」「寺さん」。1962年に「寺内タケシとブルージーンズ」を結成。その後バニーズや第二期ブルージーンズなども結成した。1500校を超える高校を回り「ハイスクール・コンサート」を開催。ロシア、アメリカ合衆国、ブラジル、台湾などの各国でも公演を行った。代表曲は『太陽に叫ぼう』(ブルージーンズ)、『太陽の花』『悪魔のベビー』(バニーズ)など。
山本 昌平(やまもと しょうへい、1938年〈昭和13年〉1… 山本 昌平(やまもと しょうへい、1938年〈昭和13年〉1月17日 - 2019年〈令和元年〉10月30日)は、日本の俳優、声優、ナレーター。本名同じ。身長168cm、体重76kg。フリーポートプロを経て、オフィス山本に所属していた。 台湾の澎湖島生まれ、熊本県育ち。東京都立江戸川高等学校卒業。既婚。 中学生時代、走高跳で九州大会第2位となった実績を持つ。 1957年に劇団七曜会の研究生となる。その後、劇団三期会演出部を経て、浅草フランス座のコメディアンとして3年間活動後、1963年にフリーとなる。 フリーとなって以降は『荒野のダッチワイフ』(1967年)などのピンク映画を中心に活動するが、一時俳優を廃業する。
古川 凱章(ふるかわ がいしょう、本名はよしあき、1938年… 古川 凱章(ふるかわ がいしょう、本名はよしあき、1938年1月17日 - 2016年1月1日)は、競技麻雀の元プロ雀士。101競技連盟の創設者。トッププロとして長年に渡り活躍した。神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校、早稲田大学卒業。2016年1月逝去。 日本におけるプロ雀士のパイオニアとしてその名を知ることが出来る。プロの雀士になる以前は小学館に勤めていた。しかし麻雀に没頭して2年で退社し、無職の雀ゴロ生活を送っていたという。1970年に阿佐田哲也・小島武夫と「麻雀新撰組」を結成。阿佐田から「新しい麻雀集団を作らないか」との誘いを受けた小島武夫は、メンバー候補としてまっ先に古川凱章を思い浮かべたという。
源氏田 重義(げんじだ しげよし、1938年1月17日 -… 源氏田 重義(げんじだ しげよし、1938年1月17日 - 2002年5月14日)は日本の大蔵官僚。大臣官房審議官(関税局担当)、印刷局長、大和銀行副頭取などを歴任。血液型はA型。 広島県広島市出身(父母も広島県)。広島大学附属高等学校、東京大学法学部卒業。1961年4月 大蔵省入省(主税局調査課)。イリノイ大学留学。1967年7月 山口税務署長。その後は国税庁直税部資産税課長補佐、派遣職員(アジア開発銀行)、主計局主計官補佐(司法・警察係主査)、大阪税関総務部長、内閣官房長官秘書官(事務担当)などを務める。1978年12月 大臣官房企画官。1979年4月 大臣官房参事官。同年7月 主税局国際租税課長。
藤田 太寅(ふじた たかのぶ、1938年〈昭和13年〉1月1… 藤田 太寅(ふじた たかのぶ、1938年〈昭和13年〉1月17日 - 2018年〈平成30年〉5月28日)は日本の経済ジャーナリストで、元NHK記者・解説委員。 東京都出身。麻布中学校・高等学校卒業。寅年に生まれたことから「太寅」と命名された。 東京大学文学部社会学科を卒業後、1963年NHKに記者として入局。初任地は新潟局。東京に異動後は報道局経済部で当時の大蔵省、経済企画庁などを担当。その後大阪局報道デスクを経て報道局記者に復帰。「NHK特集」等の制作・演出を担当。1990年に解説委員となり、経済番組の進行役などを務め分かりやすい解説でお茶の間に親しまれた。1999年に定年退職。 1999年4月、関西学院大学総合政策学部教授就任。
青木 清(あおき きよし、1938年1月17日 - 2023… 青木 清(あおき きよし、1938年1月17日 - 2023年5月4日)は、日本の動物行動学者、生命倫理学者、上智大学名誉教授、公益財団法人生存科学研究所理事長。
杉本 達夫(すぎもと たつお、1937年(昭和12年)1月1… 杉本 達夫(すぎもと たつお、1937年(昭和12年)1月17日 - )は、日本の中国文学者、早稲田大学名誉教授。老舎を中心に、近現代中国文学を翻訳紹介した。 1937年、京都府与謝郡生まれ。1959年、大阪外国語大学中国語科を卒業。卒業後は東京都立大学大学院人文科学研究科に進む。1962年、東京都立大学大学院博士課程を中退し、同助手に採用された。1971年、早稲田大学文学部専任講師となった。1975年に助教授、1980年に教授。1992年から1994年には、第二文学部長をつとめた。2006年に早稲田大学を退職、名誉教授となった。
首藤 基澄(しゅとう もとすみ、1937年1月17日- )は… 首藤 基澄(しゅとう もとすみ、1937年1月17日- )は、日本の文学研究者、文芸評論家、熊本大学名誉教授。平成音楽大学教授。日本近代文学が専攻。 大分県大野町生まれ。熊本大学法文学部卒、東京都立大学 (1949-2011)大学院博士課程中退。1977年「近代詩人の研究」で、東京都立大学から文学博士を取得。別府大学講師、熊本大学教養部助教授を経て、1975年に教授。2002年、定年退官、名誉教授。 俳句では『未来図』(鍵和田秞子)に所属。
木村 愛二(きむら あいじ、1937年〈昭和12年〉1月17… 木村 愛二(きむら あいじ、1937年〈昭和12年〉1月17日 - 2020年〈令和2年〉12月17日)は、日本のジャーナリスト、ホロコースト否定論者。木村書店代表。歴史見直し研究会代表。筆名に征矢野仁、徳永正樹。 東京府生まれ。幼時を北京で過ごし、日本敗戦後の1946年に家族で中国から引き揚げた。大陸で、日本人収容所の収容所生活を経験している。帰国後、防衛大学校に入学する(第3期生)も、1955年に中退。東京大学に再入学する。1960年の60年安保の際には、国会へのデモに参加し、国会の南門を開ける役割を果たしている。また、この際に犠牲となった樺美智子を知る一人でもある(「樺美智子は、普段はデモに来なかったのに、あの日に限ってデモに来た」と、60年安保40周年を記念して開かれた討論会で回想している)。
横須賀 薫(よこすか かおる、1937年1月17日 - 20… 横須賀 薫(よこすか かおる、1937年1月17日 - 2025年4月7日)は、日本の教育学者。 宮城教育大学名誉教授、十文字学園女子大学名誉教授。 大阪府大阪市生まれ、神奈川県横浜市育ち。横浜国立大学学芸学部附属横浜小学校、横浜国立大学学芸学部附属横浜中学校、神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校卒業。1960年東京大学教育学部教育学科(教育史・教育哲学コース)卒業。1967年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。東京大学教育学部助手を経て、1968年に宮城教育大学の教育学担当教官として赴任。赴任後は教員養成や授業に関する研究を主に行う。2000年8月より宮城教育大学学長を務め、2006年7月末で退任。
上條 宏之(かみじょう ひろゆき、1936年1月17日 - … 上條 宏之(かみじょう ひろゆき、1936年1月17日 - 2023年2月7日)は、日本の歴史学者(郷土史家)・教育者。信州大学名誉教授。専攻は日本近代史。 長野県松本市出身。長野県松本深志高等学校を経て、1958年に東京教育大学文学部史学科を卒業。長野県内の公立高等学校教諭を経て、長野県県政史編纂室に勤務後、長野県短期大学助教授、信州大学教授を経て、長野県短期大学学長。 2018年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
野原 明(のばら あきら、1936年1月17日 - )は、日… 野原 明(のばら あきら、1936年1月17日 - )は、日本の教育者。文化学園大学名誉教授、日本教育文化研究所所長。 大阪府大阪市出身。大阪府立吹田高等学校卒業、1958年に京都大学経済学部卒業後、朝日放送記者、NHK社会部記者を務める。教育問題を専門とする。 1983年から2001年までNHK解説委員。2000年より学校法人文化学園の運営に関わり、2001年から2012年まで文化学園大学総合教養系教授兼文化学園大学附属杉並中学校・高等学校校長を務めた。 日本教育社会学会、日本カリキュラム学会、日本国際理解教育学会所属。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田口 博(たぐち ひろし、1936年1月17日 - )は、日… 田口 博(たぐち ひろし、1936年1月17日 - )は、日本の経営者。大陽日酸社長、会長を務めた。 東京都出身。1958年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、同年に日本酸素に入社。1985年に取締役に就任し、1989年に常務、1995年に専務を経て、1999年6月には社長に就任。2006年6月から2010年6月までに会長を務めた。 2003年に藍綬褒章を受章し、2008年に旭日中綬章を受章。
藤井 かよ(ふじい かよ、1936年1月17日 - 2009… 藤井 かよ(ふじい かよ、1936年1月17日 - 2009年12月29日)は、日本の英米文学研究者、比較文化学者、翻訳家。 1959年早稲田大学文学部卒業。1959年から1963年アメリカ、イギリス、イタリアへ遊学。1968年同大学大学院博士課程満期退学(英文学)。大正大学文学部講師、早稲田大学文学部講師。1978年より大正大学教授。 2006年「恋愛小説と現代の女性文化」で大正大学文学博士。2006年定年、名誉教授。大正大学は藤井の遺志により留学生向けの「藤井かよ奨学金」を運用している。 夫は物理学者の藤井昭彦。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
河谷 禎昌(かわたに さだまさ、1935年1月17日 - 2… 河谷 禎昌(かわたに さだまさ、1935年1月17日 - 2025年12月13日)は、日本の経営者、銀行家。北海道拓殖銀行最後の頭取を務めた。 兵庫県神戸市出身。祖父と兄は弁護士、父は裁判官の法曹一家に育つ。北海道札幌北高等学校を経て、1957年に北海道大学法学部を卒業し、同年に北海道拓殖銀行に入行。 業務企画部長、企画部長、1986年7月に取締役、1989年4月に常務、1992年6月に専務、1993年6月に副頭取を経て、1994年6月に頭取に就任し、破綻する1997年11月まで務めた。破綻後、特別背任罪で実刑判決が確定し、2009年12月から1年7ヶ月服役した。その後はテレビ局、新聞社のインタビューに時折答えていた。
山泉 和子(やまいずみ かずこ、1935年1月17日 - 2… 山泉 和子(やまいずみ かずこ、1935年1月17日 - 2024年8月27日)(現姓名・伊藤和子)は、大阪府生まれの卓球選手。日本卓球界の黄金期を支えた女子選手の一人で、2010年にはその功績を称えられ世界卓球殿堂入りを果たした。 孫の池田和正(明治大学出身)も卓球選手。 疎開で愛媛県北宇和郡津島町(現宇和島市)に移住。1946年に卓球を始めた。愛媛県立津島高等学校を経て大阪樟蔭女子大学へ進学。大学卒業後は東洋レーヨンに入社した。世界卓球選手権に6回出場し、1959年に女子ダブルスで優勝、1963年に混合ダブルスで優勝、女子団体では3度優勝している。 1960年の全日本卓球選手権では女子シングルス、ダブルス、混合ダブルスで優勝、女子選手として初の三冠王となった。
河井 徳治(かわい とくはる、1935年1月17日 - )は… 河井 徳治(かわい とくはる、1935年1月17日 - )は、日本の哲学研究者、大阪産業大学名誉教授。 大阪生まれ。1955年大阪大学理学部入学、60年同文学部哲学科卒業。65年同大学院博士課程満期退学。75-76年ハイデルベルク大学に学ぶ。1993年「スピノザ哲学論攷」で筑波大学文学博士。1977年大阪産業大学教養部教授、86年教養部長、97-2001年図書館長、2001年人間環境学部教授。2005年退任、客員教授、特任教授、名誉教授。
立脇 和夫(たてわき かずお、1935年1月17日 - )は… 立脇 和夫(たてわき かずお、1935年1月17日 - )は、日本の経済学者、早稲田大学名誉教授。 島根県出雲市生まれ。1959年神戸大学経営学部卒、1989年「在日外国銀行史の研究 幕末開港から条約改正まで」で経済学博士。日本銀行に勤務しワシントン大学に学ぶ。1984年長崎大学経済学部助教授に転じ、1987年教授、1988年静岡県立大学国際関係学部教授、1992年早稲田大学商学部教授。2005年定年、名誉教授。
永井 淳(ながい じゅん、1935年1月17日 - 2009… 永井 淳(ながい じゅん、1935年1月17日 - 2009年6月4日)は、日本の英米文学の翻訳家でベストセラー小説を多く訳した。 秋田県生まれ。本名・須藤隆。埼玉大学文理学部(現:教養学部)卒。角川書店の編集者を経て翻訳家となる。翻訳を大久保康雄と中村能三の二人から学んだ。 1961年に最初の訳書を出版以来、アーサー・ヘイリー、スティーヴン・キング、ジェフリー・アーチャー、W・P・キンセラなど娯楽作品や戦記・探検記の翻訳多数、出版した訳書は120冊を超える。 特にヘイリーやアーチャーの訳書は(ドラマ化もされ)周知され多数重版「売れる作家をいち早く手がける眼力は師匠大久保譲り」と評された。職業翻訳家としてエンターテインメント作品紹介に徹した。
高城高(こうじょう こう、1935年1月17日-)は、日本の… 高城高(こうじょう こう、1935年1月17日-)は、日本の推理小説家。元新聞記者。北海道札幌市在住。本名は乳井洋一(にゅうい よういち)。北海道函館市出身。 1935年、北海道函館市に生まれる。5歳の時に、英語教師だった父の転勤で宮城県仙台市に移住。第二次世界大戦中は父の故郷である秋田県北秋田郡比内町(現大館市の一部)に疎開。終戦後に仙台に戻り、進駐軍の兵士が古本屋に売ったペーパーバックや、英語教師だった父と交流があった米軍人から手に入れたハードボイルド小説を読み始めたという。 1955年、東北大学文学部英文科在学中、『宝石』の短編懸賞に「X橋附近」を応募し、1位を受賞した。この小説は江戸川乱歩に絶賛され、現在では日本のハードボイルド小説の嚆矢とされる。
大久保 清(おおくぼ きよし、1935年〈昭和10年〉1月1… 大久保 清(おおくぼ きよし、1935年〈昭和10年〉1月17日 - 1976年〈昭和51年〉1月22日)は、日本の連続殺人犯(シリアルキラー)、元死刑囚。群馬県碓氷郡八幡村(現:高崎市)出身。 1971年(昭和46年)3月から同年5月までの2か月足らずの間に、群馬県内の路上で自家用車から女性たちに声をかけて誘い、誘いに応じた8人を相次いで殺害するという連続殺人事件を起こしたとして逮捕・起訴された。1973年(昭和48年)に死刑判決を言い渡され、そのまま死刑が確定、1976年(昭和51年)に東京拘置所で死刑を執行された(41歳没)。 1935年(昭和10年)1月17日、大久保は群馬県碓氷郡八幡村(現・高崎市八幡地区)に3男5女の7番目(三男)として生まれた。
山崎 甚右衛門(山﨑 甚右衞門、やまざき じんうえもん、19… 山崎 甚右衛門(山﨑 甚右衞門、やまざき じんうえもん、1934年〈昭和9年〉1月17日 - 2025年〈令和7年〉10月25日)は、日本の政治家、元滋賀県野洲町長(3期)・野洲市長(1期)。 滋賀県野洲市出身。滋賀県立野洲高等学校卒。野洲町役場に入り、総務部長、助役などを経て、1995年の野洲町長選挙で野洲町長に当選した。町長を3期務め、2004年野洲町は合併により野洲市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選。野洲市長を1期務め、2008年に退任した。2009年、旭日小綬章受章。 2025年10月25日、うっ血性心不全のため守山市内の病院で死去。91歳没。叙従五位。
谷 泰(たに ゆたか、1934年1月17日 - )は日本の文… 谷 泰(たに ゆたか、1934年1月17日 - )は日本の文化人類学者、京都大学名誉教授。専門は西洋史、社会人類学。 1934年、福岡県八幡市(現北九州市)で生まれた。京都大学文学部史学科に入学し、1956年に卒業。京都大学大学院文学研究科西洋史学専攻博士課程に進んだ。1960年5月に 京都大学大学院文学研究科西洋史学専攻博士課程を中退。 1960年6月、 京都大学人文科学研究所西洋部の助手に採用された。1962年7月、日本パキスタン合同サルトロ・カンリ登山隊に参加。1968年4月、同志社大学工学部講師となった。同年、京都大学サハラ学術探検隊に参加し、梅棹忠夫、石毛直道らと共にセブハ(リビア)周辺の調査に従事した。
服部 経治(はっとり つねはる、1934年1月17日 - 2… 服部 経治(はっとり つねはる、1934年1月17日 - 2004年1月3日)は運輸官僚。岡山県新見市出身。 国鉄職員の父親の家庭で育つ。1955年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省。 1976年に運輸省を舞台としたロッキード事件が発覚し、運輸省でマスコミ対策のために1977年に大臣官房広報室長に抜擢され、渉外力で頭角をあらわす。1981年から1982年にかけて航空局参事官や官房審議官として成田空港問題を担当。 その後、航空局参事官、地域交通局長、官房長を経て1987年6月から運輸事務次官に就任。次官時代に10年以上も棚上げになっていた整備新幹線を軌道に乗せた。1989年6月に運輸事務次官を退官。
棚橋泰(たなはし やすし、1933年1月17日 - )は、日… 棚橋泰(たなはし やすし、1933年1月17日 - )は、日本の官僚。
香山健一(こうやま けんいち、1933年1月17日 - 19… 香山健一(こうやま けんいち、1933年1月17日 - 1997年3月21日)は、日本の政治学者。元学習院大学法学部教授。全日本学生自治会総連合(全学連)の元委員長(1956年 - 1958年)。 1933年に東京で生まれる。1941年(昭和16年)、父の転勤のため満州国新京特別市(現・長春市)に転居した。1946年(昭和21年) 母、弟4人妹1人とともに引き揚げ。父はその後6年間の抑留生活を送ったため、帰国後母の実家に身を寄せる。 1953年(昭和28年)、東京大学文科I類入学。東大駒場寮に入寮、社会科学研究会に入る。学生運動に参加し、1956年(昭和31年) 全日本学生自治会総連合(全学連)の委員長に就任、1958年12月に退任した。
杉山 義法(すぎやま ぎほう、1932年1月17日 - 20… 杉山 義法(すぎやま ぎほう、1932年1月17日 - 2004年8月3日)は、新潟県新発田市出身の脚本家。新潟県立新発田高等学校を経て、日本大学芸術学部映画学科卒業。 代表作は、日本テレビ系列の「年末時代劇スペシャル」シリーズ。本名をそのまま筆名にしているが、読み方は、筆名が「すぎやま・ぎほう」、本名が「すぎやま・よしのり」。 日本放送作家協会、脚本家連盟、各会員。 生家は映画館で、本人も少年時代は映画少年だったと話す。映画監督を志すも、映画会社の入社試験には次々に失敗。「そんなに映画が僕を嫌うなら映画の敵になってやる」として、まず映画とは違う方向へ行ってみようと、フリーでラジオ界入り。野坂昭如と知り合い、野坂が回してくれた伝手を頼って紹介してくれたNHKディレクターの安江泰雅との出会いが大きな転機となる。
奥田 正司(おくだ ただし、1932年(昭和7年)1月17日… 奥田 正司(おくだ ただし、1932年(昭和7年)1月17日 - 2011年(平成23年)9月14日)は、日本の銀行家。第一勧業銀行頭取を務めた。 京都府船井郡園部町(現在の南丹市)出身。1955年に京都大学法学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入社した。1971年10月、合併。第一勧業銀行が発足。六本木支店、人事第一部各次長、金融財政、人事第二各部長を歴任。 1985年に取締役に選任。人事第二部長委嘱、1988年常務、業務本部副本部長委嘱、副頭取を経て1992年に頭取に就任した。1996年に会長に退くが、翌年6月に総会屋への利益供与事件に関与したことにより、会長を辞任し、逮捕された。 2011年9月14日、肺がんのため死去。