池田 直(いけだ すなお、1901年 <明治34年> 11月… 池田 直(いけだ すなお、1901年 <明治34年> 11月19日 - 1985年 <昭和60年> 7月13日)は、日本の政治家・官僚。佐賀県知事を5期20年務めた。位階は正三位。 佐賀県佐賀郡川副町出身。旧制佐賀中学校、旧制佐賀高等学校文科甲類を経て、1929年に東京帝國大学(東京大学の前身)法学部を卒業し、会計検査院に入庁。戦時中には南方司政官を務めた。 1952年から1959年2月まで7年以上の間、会計検査院事務総長を務めた。1959年4月に佐賀県知事選に出馬し初当選。1979年まで連続5期にわたり在任した。赤字だった県財政の立て直しや、米作りの推進、若楠国体、佐賀医科大学の誘致などを進めた。
深水 六郎(ふかみ ろくろう、1901年11月19日 - 1… 深水 六郎(ふかみ ろくろう、1901年11月19日 - 1995年1月4日)は、日本の政治家、逓信官僚、実業家。参議院議員(2期)、熊本放送取締役、日本民間放送連盟副会長、熊本県経営者協会会長。
稲次 國利(いなつぎ くにとし、1901年11月19日 - … 稲次 國利(いなつぎ くにとし、1901年11月19日 - 1971年1月27日)は、日本の経営者。兵庫県朝来郡和田山町(現:朝来市)出身。 1924年に大阪市立高等商業学校本科を卒業し、同年に南海鉄道に入社。1947年3月に近畿日本鉄道と南海電気鉄道の各取締役に就任し、1949年8月に常務、1956年11月に専務を経て、1959年6月に副社長に就任し、1966年10月には社長に昇格。1968年4月に南海電鉄天下茶屋駅列車衝突事故における責任を取る形で社長を辞任。1966年10月には南海ホークスオーナーに就任。 1971年1月27日、大動脈瘤破裂のために死去。69歳没。
江上 トミ(えがみ とみ、1899年11月19日 - 198… 江上 トミ(えがみ とみ、1899年11月19日 - 1980年7月21日)は、日本の料理研究家。テレビ放送草創期より活躍した料理番組講師の草分けであり、日本の「料理研究家」の元祖。 NHK『きょうの料理』や日本テレビ『キユーピー3分クッキング』などに出演して、暖かいおふくろさんの笑顔と熊本弁で人気を博した。 「ご家庭の幸せは愛情をこめた料理から」をモットーとし、家庭料理の普及に尽くして江上料理学院を創設。同学院は現在、トミの長男の嫁の江上栄子と孫の江上佳奈美に引き継がれている。 出身地の地元テレビ局であるテレビ熊本 (TKU) が、ドキュメンタリードラマ「郷土の偉人シリーズ」でトミの生涯を描いた「日本の食卓を変えた火の國の女江上トミ」(演:細川ふみえ)を制作し、2006年11月5日に九州7県のフジネットワーク系列局で放送した。
萩原 恭平(はぎわら きょうへい、1898年11月19日 -… 萩原 恭平(はぎわら きょうへい、1898年11月19日 -1969年7月13日 )は、日本の言語学者。ロンドン大学客員教授、早稲田大学教育学部英語英文学科教授等を歴任した。稲村松雄、竹沢啓一郎との共著『Jack and Betty』は発行部数4,000万部を超えるベストセラーとなり、戦後日本の中・高等教育課程における代表的な英語教科書となった。埼玉県上里町出身。墓所は寛永寺第3霊園。 埼玉県児玉郡賀美村(現:上里町)大字黛にて出生。旧制高崎中学校を経て早稲田大学高等師範部卒業。千葉県立大多喜中学校教諭、東京府立第五中学校教諭、早大高師部講師等を経て1935年に早大教授に就任。同校を1969年に定年退職するまでの間に、1938年に渡英しロンドン大学で客員教授を務め、1960年代に跡見学園女子大学で客員教授を務めた際には同大学英文科開設に尽力した。
稲田 勤(いなだ つとむ、1898年 <明治31年> 11月… 稲田 勤(いなだ つとむ、1898年 <明治31年> 11月19日 - 1976年 <昭和51年> 8月27日)は、日本の経営者。明治生命保険社長を務めた。位階は従五位。 東京都出身。1922年に慶應義塾理財科を卒業し、同年に明治生命保険に入社。 1946年11月に常務に就任し、1958年5月に副社長を経て、1961年5月に社長に就任。1964年5月には相談役に就任した。 経済団体連合会理事、日本経営者団体連盟常任理事、日本相撲協会会長なども歴任した。 1963年5月に藍綬褒章を受章し、1970年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 1976年8月27日、心筋梗塞のために死去。77歳没。死没日付をもって従五位に叙された。
小田 勝(おだ まさる、1897年(明治30年)11月19日… 小田 勝(おだ まさる、1897年(明治30年)11月19日 - 没年不明)は、日本の医師。山口病院院長。医学士。外祖父は第6代広島市長の小田貫一。妹の和子は岸田正記の妻。 小田得一の長男として広島県佐伯郡廿日市町で生まれる。生家は医師として三代続く家であり、父・得一は、大阪医学校(現・大阪大学医学部)出身で内科、眼科を開業した。得一は、広島県の医学界において腕利きの一人として名声があり、長年に渡って県医師会理事に挙げられるほど逸材であった。 1925年(大正14年)、慶應義塾大学医学部を卒業し、同大学産婦人科教室に入り、3年間研究に没頭する。1928年(昭和3年)、山口病院初代院長・山口卓治の死亡により院長を承継し、山口病院院長に就任。
佐伯 忠義(さへき ただよし、1897年(明治30年)11月… 佐伯 忠義(さへき ただよし、1897年(明治30年)11月19日 - 1969年(昭和44年)4月8日)は、大正から昭和期の農業指導者、政治家。衆議院議員、鳥取県西伯郡天津村長。 鳥取県西伯郡天津村大字福成(西伯町を経て現南部町)で生まれる。1911年(明治44年)法勝寺実業専修学校を卒業した。農業を営む。 天津村長に在任。1937年(昭和12年)4月、鳥取県会議員に選出され、1947年(昭和22年)まで在任。また、鳥取県産業組合連合会幹事、西伯郡畜産組合長、天津村農会長、同産業組合長、西伯郡家畜保険組合長、鳥取県農業会理事、同粗飼料製粉組合長、同馬匹組合長、同酪農組合連絡会長などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で鳥取県全県区から日本進歩党公認で出馬して当選し、のちに民主党に所属して衆議院議員に1期在任した。
唐川 安夫(からかわ やすお、1895年〈明治28年〉11月… 唐川 安夫(からかわ やすお、1895年〈明治28年〉11月19日 - 1977年〈昭和52年〉7月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 福山中学校、広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第1連隊付となる。陸軍砲工学校高等科を卒業し、さらに1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を卒業した。 野砲兵第1連隊中隊長、参謀本部付勤務、参謀本部員、イタリア駐在、陸軍兵器本廠付、陸軍重砲兵学校教官、参謀本部員を経て、1938年(昭和13年)6月から翌年3月まで大本営謀略課長を務めた。イタリア大使館付武官、参謀本部欧米課長、参謀本部謀略課長を歴任し、日中戦争に第13軍参謀長として出征。
田中 菊雄(たなか きくお、1893年11月19日 - 19… 田中 菊雄(たなか きくお、1893年11月19日 - 1975年3月29日)は、日本の英語学者、英和辞典編纂者である。 北海道小樽市生まれ。父の事業の失敗が元で、貧窮に耐えて暮らした。旭川市の高等小学校に通学したのち、旭川駅所属の列車ボーイとなる。文学青年だった車掌から小説を借りては、乱読していたという。 列車ボーイを辞め、18歳のときに上川郡鷹栖村近文第一高等尋常小学校の代用教員に採用され、翌年、検定試験に合格し正教員となった。このころ英文学研究を志し、独学に没頭するかたわら、遠距離に住んでいたアメリカ人教師に学ぶ。田中の学習法は「睡眠時間節約のために、一切室に火をおかず、床をとらず、端然として机に向って、いよいよ眠くなってたまらなくなると、そのまま外套をかぶってゴロリと畳の上にねる」「やや眠りが浅くなってだんだんと寒くなって目をさますと、すぐまた机に向うという極端な手段」といったような壮絶なものであった。
野田 高梧(のだ こうご、1893年(明治26年)11月19… 野田 高梧(のだ こうご、1893年(明治26年)11月19日 - 1968年(昭和43年)9月23日)は、日本の脚本家。シナリオ・ライター協会初代会長。 次兄は日本画家の野田九甫、娘は脚本家の立原りゅう、その夫は同じく脚本家の山内久。また、幕末の漢学者・野田笛浦は祖父にあたる。 税官吏・野田鷹雄の子として北海道函館市に生まれ、長崎県・名古屋市で育つ。愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)、早稲田大学英文科を卒業後、映画雑誌記者・東京市職員を経て、1924年に松竹蒲田撮影所に入所。以後、蒲田および移転した大船撮影所で、現代劇の中心的脚本家として活躍し、小市民の生活を味わい深く描いたいわゆる「大船調」の代表的存在となる。
岩崎 貢(いわさき みつぐ、1893年11月19日 - 19… 岩崎 貢(いわさき みつぐ、1893年11月19日 - 1975年5月25日)は、日本の政治家。大分県議会議長・自由民主党大分県支部連合会長などを歴任した。 1893年11月19日、大分県北海部郡青江村にて、岩崎宝十郎の次男として誕生する。臼杵中学校に通うも、病気のため中退する。その後、20歳で憲政会の青年会津久見分会長となる。大正期には箕浦勝人を支持し、普通選挙運動に加わった。1924年5月には、衆院選における羽田彦四郎の選挙結果を巡って乱闘事件を起こし、検挙される。しかし、この「大分三区事件」により、対立候補であり、羽田を制して当選した木下謙次郎の得票に無効票があることがわかり、選挙結果は覆った。
日下 辰太(くさか たつた、1890年〈明治23年〉11月1… 日下 辰太(くさか たつた、1890年〈明治23年〉11月19日 - 没年不詳)は、日本の農商務官僚。関東州官僚。台湾総督府官僚。 岡山県出身。日下謙太の長男。1916年(大正5年)、東京帝国大学法学部独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。農商務属、臨時産業調査局事務官、水産局書記官、水産講習所教授、水産局事務官・農商務局書記官、農商務参事官、特許局事務官、法制局参事官、商工書記官、関東庁事務官・長官官房文書課長、同内務局殖産課長、同内務局長、関東局司政部長、台中州知事などを歴任した。 1936年(昭和11年)に退官した後、台湾拓殖株式会社理事に就任。その他、星規那産業株式会社代表、台湾単寧興業株式会社代表、台湾畜産興業株式会社取締役、南日本化学工業株式会社取締役、台湾産金株式会社取締役、南日本塩業株式会社取締役、台湾通信工業株式会社取締役、台湾石炭株式会社取締役などを務めた。
小高 長三郎(おだか ちょうざぶろう、1890年(明治23年… 小高 長三郎(おだか ちょうざぶろう、1890年(明治23年)11月19日 – 1958年(昭和33年)3月26日)は、衆議院議員(立憲政友会)、外務参与官。ジャーナリスト。 千葉県武射郡蓮沼村(現在の山武市)出身。1910年(明治43年)、大倉商業学校(現在の東京経済大学)を卒業。自由通信社に入社し、外交部長、支配人、社長を歴任した。 1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、第21回衆議院議員総選挙まで4回連続当選を果たした。その間、米内内閣で外務参与官を務めた。 大政翼賛会の推薦議員のため公職追放となった。 また『立憲政友会史』『立憲政友会報国史』の編纂に携わった。
松本 本松(まつもと もとまつ、1885年(明治18年)11… 松本 本松(まつもと もとまつ、1885年(明治18年)11月19日 - 1961年(昭和36年)4月14日)は、明治から昭和期の医学者、政治家、華族。貴族院男爵議員、医学博士。 陸軍軍医総監・松本順(良順)の八男として生まれる。父の死去に伴い、1907年(明治40年)4月19日、男爵を襲爵した。 1910年(明治43年)東京慈恵会医院医学専門学校を卒業した。1916年(大正5年)からアメリカ合衆国、イギリス、フランス、ドイツ帝国、スイスに留学した。1923年(大正12年)2月26日、東京帝国大学から医学博士の学位が授与された。 1911年(明治44年)東京帝国大学医学部嘱託となり、以後、順天堂医院耳鼻咽喉科長、東京医学専門学校教授兼同附属淀橋病院耳鼻咽喉科長、順天堂医学専門学校教授、同理事、女子美術専門学校評議員などを務めた。
厨川 白村(くりやがわ はくそん、1880年11月19日 -… 厨川 白村(くりやがわ はくそん、1880年11月19日 - 1923年9月2日)は、日本の英文学者・文芸評論家。本名・辰夫。 『近代の恋愛観』がベストセラーとなり、大正時代の恋愛論ブームを起こした。夏目漱石『虞美人草』の小野のモデルとも言われる。 1880年(明治13年)、京都市柳馬場押小路生まれ。養父の厨川磊三(らいぞう)は元津山藩士で蘭学を修め、維新後は京都府勧業課、大阪造幣局などに勤めた人物。子がなかったため、実弟の子だった白村を養子とした。 大阪市の滝川尋常小学校、盈進高等小学校を経て、大阪府第一尋常中学校から京都府立第一中学校に転校後、第三高等学校を経て1901年(明治34年)、東京帝国大学英文科入学。
乗杉 嘉壽(のりすぎ よしひさ、「乘杉」とも表記、1878年… 乗杉 嘉壽(のりすぎ よしひさ、「乘杉」とも表記、1878年11月19日 - 1947年2月1日)は、明治から昭和期の文部官僚・教育者。日本に社会教育を体系的に紹介した人物とされている。 富山県出身(出生地は東京)。礪波市出町眞壽寺壽貞の次男。兄は乗杉教存である。 1904年に東京帝国大学文科大学哲学科卒業後、同大大学院に進学して実践哲学を研究するが、同年秋より文部省に招かれて普通学務局に配される。 1909年に第五高等学校教授に就任する。 1913年に文部省に復帰して督学官に就任、1917年には教育と教授法研究のためにアメリカ・イギリスに1年半留学、更にフランス・イタリアの教育事情を視察して帰国した。
山田 仙之助(やまだ せんのすけ、1876年(明治9年)11… 山田 仙之助(やまだ せんのすけ、1876年(明治9年)11月19日 - 1947年(昭和22年)3月1日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 石川県今立郡中野村(福井県今立郡中野村、中河村中野を経て現鯖江市)で、油商・山田仙太郎の長男として生まれた。1887年(明治20年)3月、修道尋常小学校を卒業。家業の菜種油・桐油製造販売、石油・肥料販売に従事。1918年(大正7年)2月、父の隠居により家督を相続した。 福井県下で羽二重の製織が流行し、1905年(明治38年)家業を機業に転換。1906年(明治39年)丹生郡朝日町(現越前町)、今立郡鯖江町(現鯖江市)、同郡北新庄村(現越前市)などに分工場を設けた。
西山 金蔵(にしやま きんぞう、1874年〈明治7年〉11月… 西山 金蔵(にしやま きんぞう、1874年〈明治7年〉11月19日 - 没年不明)は、日本の政治家、地主・家主。 西山常次郎の長男。西巣鴨町会議員、池袋第二小学校小学会副会長、西巣鴨町第四部青年団長、西山会第一部長、氏神氷川神社世話人である。また1930年2月17日より1931年6月29日まで西巣鴨町助役をつとめた。住所は東京府北豊島郡西巣鴨町字池袋(のち東京都豊島区池袋1丁目)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
加藤 知正(かとう ちせい、1873年〈明治6年〉11月19… 加藤 知正(かとう ちせい、1873年〈明治6年〉11月19日 - 1947年〈昭和22年〉4月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)。 新潟県古志郡下塩谷村で、加藤周浄の二男として生まれる。1900年(明治33年)、東京高等蚕糸学校(のち東京繊維専門学校を経て、現在の東京農工大学)を卒業。北越蚕業講習所教頭、大日本蚕糸会技師、同理事、東京高等蚕糸学校講師、南光社社長などを歴任した。1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙に無所属で立候補したが落選した。1924年(大正13年)の第15回総選挙において立憲政友会公認で立候補して当選。以来第19回総選挙を除いて通算6期務める。1942年(昭和17年)の第21回総選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選。
仁田 大八郎(にった だいはちろう 、1871年11月19日… 仁田 大八郎(にった だいはちろう 、1871年11月19日(明治4年10月7日) - 1945年(昭和20年)3月1日)は、明治から昭和時代前期の静岡県田方郡で活躍した実業家、政治家。
長尾 良吉(ながお りょうきち、1870年11月19日(明治… 長尾 良吉(ながお りょうきち、1870年11月19日(明治3年10月26日)- 1937年(昭和12年)1月22日)は、日本の経営者。鐘淵紡績社長を務めた。 兵庫県出身。1885年に府立大阪中学校(現大阪府立北野高等学校)初等中等科を卒業。1891年に高等商業学校(現一橋大学)本科を卒業。県立神戸商業学校教諭を経て、1895年に同校長事務取扱となる。 内外綿神戸出張所長、孟買出張所主任/副支配人を経て、1900年に鐘淵紡績に入社。1916年取締役。1922年には平生釟三郎の甲南高等学校(現甲南大学)設立を支援。1925年常務取締役。1928年副社長。1930年に社長に就任。 1933年川崎造船所取締役、本山村会議員。
今幡 西衛(いまはた にしえ、1870年11月19日(明治3… 今幡 西衛(いまはた にしえ、1870年11月19日(明治3年10月26日)– 1952年(昭和27年)3月16日[要出典])は、高知県出身の自由民権運動家。自由党員、実業家、作家。 1870年11月19日(明治3年10月26日)、竹村九十九(つくも)の次男として高知県幡多郡中村町(現 高知県四万十市)に生まれる。のち今幡西衛(初代)の養子となり、その名を襲う。 1890年(明治23年)、自由党に入党して林有造、片岡健吉らに連れられ上京。代議士・三崎亀之助の書生となる。 1893年(明治26年)、中央大学を卒業。 竹内鉱業株式会社に入社して、北海道夕張炭鉱の取締役支配人となる。 1915年(大正4年)3月、竹内明太郎が立憲政友会の推薦を受けて、衆議院議員選挙(第12回)に立候補すると、故郷高知県に戻って選挙活動に奔走した。
松永 武吉(まつなが たけきち / ぶきち、1869年11月… 松永 武吉(まつなが たけきち / ぶきち、1869年11月19日(明治2年10月16日) - 1936年(昭和11年)1月15日)は、日本の逓信・朝鮮総督府官僚。官選島根県知事、錦鶏間祗候。 鹿児島県で旧薩摩藩士松永包泰の二男として生まれる。1891年7月、帝国大学法科大学を卒業。同年8月、逓信省に入省し試補・電気局勤務となる。 以後、逓信省事務官・大臣官房勤務兼電務局外信課長、同大臣官房秘書課長心得、同大臣秘書官、同大臣官房秘書課長、同参事官、横浜郵便電信局長、兼外務省参事官、郵便為替貯金管理所長、逓信省総務局文書課長、大阪通信管理局長などを歴任。 1904年11月、島根県知事に就任。1908年3月、知事を休職となり、1910年3月、休職満期。
谷内 清巌(たにうち せいがん、1868年11月19日(明治… 谷内 清巌(たにうち せいがん、1868年11月19日(明治元年10月6日) - 1953年(昭和28年)9月6日)は、日本の真言宗の僧、仏教学者。京都・高雄の神護寺の貫主を務めた。京都大学教授。 兵庫県淡路島生まれ。嵯峨大覚寺の宗務総長を務めた後、神護寺の貫主となる。 書道を能くし、号は白雪道人。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
岸田 幾太郎(きしだ いくたろう、1867年11月19日〈慶… 岸田 幾太郎(きしだ いくたろう、1867年11月19日〈慶応3年10月24日〉 - 1908年〈明治41年〉9月14日)は、日本の実業家。 第100・101代内閣総理大臣の岸田文雄と元経済産業大臣の宮澤洋一は曽孫である。 1867年11月19日(慶応3年10月14日)、安芸国賀茂郡奥屋村(現:広島県東広島市志和町奥屋)に岸田忠次郎・さみ夫妻の長男として生まれる。岸田家は、幾太郎の曽祖父である岸田直五郎の代に「新出屋(あたらしや)」を屋号にして分家し、以来奥屋村で農業を営んだ。 1891年(明治24年)頃に農機具、種苗、呉服などを輸出し、輸出先の北海道から仕入れた海産物の販売業を始める。1894年(明治27年)に三宅直之助の四女・スミと結婚。
菊池 寿人(きくち ひさと、元治元年10月20日(1864年… 菊池 寿人(きくち ひさと、元治元年10月20日(1864年11月19日) - 昭和17年(1942年)9月30日)は、日本の教育者。 岩手県紫波郡紫波町出身。1893年(明治26年)、東京帝国大学文科大学国文科を卒業し、さらに大学院で学んだ。1896年(明治29年)、陸軍教授となり、1898年(明治31年)に第一高等学校教授に転じた。1919年(大正8年)、第一高 等学校校長に就任し、1924年(大正13年)に退官した。 退官後は第一高等学校講師・東洋大学講師を務め、1931年(昭和6年)に第一高等学校名誉教授の称号を受けた。
荒川 義太郎(あらかわ よしたろう、1862年 11月19日… 荒川 義太郎(あらかわ よしたろう、1862年 11月19日(文久2年9月28日)- 1927年(昭和2年)4月1日)は、日本の内務官僚・政治家。官選県知事、横浜市長、貴族院議員、錦鶏間祗候。 荒川利貞の長男として武蔵国豊島郡に生まれる。1884年、東京大学法学部を卒業し、内務省に入り御用掛となる。 1886年8月、岡山県書記官に就任。以後、内務省参事官、富山県・群馬県・神奈川県の各書記官、兼臨時横浜築港局次長などを歴任。 1897年11月、35歳の若さで鳥取県知事に就任。産業振興、賀露港修築を推進した。1899年5月、三重県知事に転じた。1900年1月、香川県知事となり、同年10月には長崎県知事に転じた。
清水 精三郎(しみず せいざぶろう、万延元年10月25日(1… 清水 精三郎(しみず せいざぶろう、万延元年10月25日(1860年11月19日) - 昭和9年(1934年)12月5日)は、日本の外交官。駐ペルー公使。位階および勲等は従三位・勲二等。 武蔵国大里郡大幡村(現在の埼玉県熊谷市)に四分一啓次郎の二男として生まれ、清水賢良の養子となった。1890年(明治23年)に高等文官試験に合格し、外務省試補となった。1894年(明治27年)ホノルル領事官補。1895年香港領事官補。1896年(明治29年)香港二等領事。1897年(明治30年)バンクーバー二等領事。1902年(明治35年)待命。1903年(明治36年)シカゴ領事。1908年(明治41年)オタワ総領事。
鷲田 土三郎(わしだ つちさぶろう、1858年11月19日(… 鷲田 土三郎(わしだ つちさぶろう、1858年11月19日(安政5年10月14日)- 1929年(昭和4年)10月27日)は、明治から昭和初期の薬剤師、実業家、政治家。衆議院議員、福井県会議長。 越前国足羽郡福井木田中町(福井県足羽郡福井木田中町、福井市木田中町を経て現:福井市西木田3丁目)で、茶商、薬種業・鷲田杏菀の長男として生まれた。1871年12月2日(明治4年10月20日)に家督を相続した。1881年(明治14年)東京大学医学部製薬学科を卒業した。 1882年(明治15年)福井県医学校教諭に就任。福井市豊(みのり)学区会議員、福井市会議員、同参事会員を務めた。1897年(明治30年)9月、福井県会議員に選出され、1903年(明治36年)9月まで2期在任し、第16代県会議長(1899年10月-1903年9月)も務めた。
石塚 重平(いしづか じゅうへい、安政2年10月10日(18… 石塚 重平(いしづか じゅうへい、安政2年10月10日(1855年11月19日) - 明治40年(1907年)8月12日)は、日本の衆議院議員(自由党→立憲政友会→甲辰倶楽部→大同倶楽部)。 信濃国佐久郡小諸城下(長野県佐久郡小諸町、北佐久郡小諸町を経て現在の小諸市)の商家に生まれる。1877年(明治10年)に盤鴻社という政社を結成して、政談会や討論会を開催して自由民権運動を推進した。また小諸町会議員や北佐久郡会議員に選出され、布施銀行や小諸銀行の設立にも関わった。 1881年(明治14年)、自由党の創設に加わったが、1884年(明治17年)に自由党は大阪で解党を決定した。大阪からの帰途、内乱陰謀の嫌疑で逮捕されるが程なく釈放された。
浜名 信平(はまな しんぺい、安政2年10月10日(1855… 浜名 信平(はまな しんぺい、安政2年10月10日(1855年11月19日) - 大正5年(1916年)1月29日)は、日本の衆議院議員(同志倶楽部→憲政党→立憲政友会)。 常陸国真壁郡関本上町(現在の茨城県筑西市)出身。漢学を学んだ後、結城藩の乗彜学館に通った。やがて自由民権運動に加わり、共議社という政社を組織した。また1882年(明治15年)、茨城勧業世話役に選ばれ、また茨城県蚕糸茶共進会を開催した。 同年、茨城県会議員に選出され、1889年(明治22年)に議長に就任した。1894年(明治27年)、第4回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、9回連続当選を果たした。
佐久間 左馬太(さくま さまた、1844年11月19日〈天保… 佐久間 左馬太(さくま さまた、1844年11月19日〈天保15年10月10日〉- 1915年〈大正4年〉8月5日)は、明治期の日本の陸軍軍人。栄典は正二位勲一等伯爵。台湾総督・東京衛戍総督・近衛師団長等を歴任し、最終階級は陸軍大将に昇る。台湾・花蓮の佐久間神社(現在は廃社)の祭神。 長州藩士・岡村孫七の次男として生まれ、佐久間竹之丞の養子となる。奇兵隊に入隊し、大村益次郎の元で西洋兵学を学ぶ。 1866年(慶応2年)、第二次長州征伐の時には長州藩諸隊の亀山隊大隊長として芸州口に従軍した。戊辰戦争では棚倉、二本松、会津を転戦。維新後陸軍軍人となり、1872年(明治5年)には陸軍大尉・西海鎮台付に任命される。
BLVELY(ブルーリー、11月19日 - )は、日本の男性… BLVELY(ブルーリー、11月19日 - )は、日本の男性ギタリスト・シンガーソングライター、tatsuによるソロプロジェクト。 三重県四日市市出身。 テクニカルなギターとキャッチーなメロディーをラウドロックやヒップホップに落とし込んだオルタナティブロックが特徴。自身で作詞・作曲・編曲を行うほか、ミュージックビデオのクリエイティブディレクターや監督も務めている。また、作詞・作曲家、スタジオミュージシャンとしても活動し、レコーディングエンジニアやマニピュレーターとしての顔も持つ。 BLVELYはtatsuによるソロプロジェクトである。地元三重県四日市市で高校時代にオリジナルバンドを結成し、ギターを始める。
木村 佳代子(きむら かよこ、11月19日 - )は、日本の… 木村 佳代子(きむら かよこ、11月19日 - )は、日本の女性サクソフォーン奏者、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家(ホーンアレンジ)、イベントオーガナイザー、著作家、リミキサー。 Monday満ちる、大沢伸一との出逢いを機に、1990年代末、30歳前より本格的に奏者としてプロ活動をスタートする。国内外のアーティストのレコーディング、海外ツアー、教則本著作、イベントオーガナイズ、音楽プロデューサー、リミキサー、スタジオ・ミュージシャンとして、多岐に渡り精力的に活動する女性管楽器奏者である。 幼少の頃より母と共に郷土民謡会『美松民謡会/子雀会』で唄い、踊り、横笛を演奏 小中高校吹奏楽部ではトランペット、クラリネットを演奏 土岐英史氏・藤陵雅裕氏・小池修氏にサックスを師事 録音参加作品・共演/斑尾ジャズフェスティバル(with Maceo Parker, Michael Brecker、島健、小曽根真)、CX「僕らの音楽」安全地帯『じれったい』、桑田佳祐PV、平井堅TVプロモーション、KinKiKidsドームツアー(京セラ・東京ドーム)・TVアニメ『ちびまる子ちゃん』『KinKiのやる気まんまんソング』、aiko『ボーイフレンド』、山崎育三郎1stシングル『Congraturations』、Nissy『トリコ』、中島美嘉、倖田來未、村上隆アニメ『6hp』、WOWOW『眼の壁』(小泉孝太郎主演、Jazztronikヨーロッパツアー、ラフォルジュルネ『遠tone音』、InitialTalk 作編曲・サウンドプロデュース・著作/Jackson5Remixes『ABC~Lovestream Mix~』(Motown)、YAMAHA DM2000 5.1ch デモ楽曲『Once Upon A Time』、篠山紀信『digiKISHIN』、『めちゃ吹け☆アルト・サックス・コレクション(RittohMusic)』、『味の手帖』、『JazzLife(立東社)』 ※『小松おどり』(小松市制80周年記念)、『小松鉱山ブルース』、『能登舟漕唄』(石川県モダン郷土民謡・狛江市文化芸術活動支援)イベント・出張ライブ企画演奏 / KIRIN SVB生麦『Beer Meets Music』、ARIMINO Manabu(海野学)セミナー、SABON Beach House Party、club2001(Blue Note)、
橋本 マサキ(はしもと マサキ、11月19日 - )は、近畿… 橋本 マサキ(はしもと マサキ、11月19日 - )は、近畿地方を拠点に活動している日本のナレーター、声優、俳優。 滋賀県出身。大阪芸術大学芸術学部放送学科卒業。 過去には東京俳優生活協同組合、オフィスキイワード大阪本社に所属していた。2010年代からはワイワイワイに所属している。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
杉本 亜紀子(すぎもと あきこ、11月19日 - )は、シャ… 杉本 亜紀子(すぎもと あきこ、11月19日 - )は、シャベール所属のフリーアナウンサー。元秋田朝日放送アナウンサー・ディレクター(報道製作局所属、契約)。元TBSラジオキャスター。茨城県つくば市出身。川村学園女子大学教育学部情報教育学科を卒業した。 平成13年度(2001年)の宝くじ第22代「幸運の女神」を務めた。アナウンサーを志すきっかけは、学生のときに地元のJAのキャンペーンで各地を廻ったことから。その後、東京でエフエム局などでアナウンス活動をし、2006年に秋田朝日放送に入社した。同期は塩地美澄。2007年3月31日をもって秋田朝日放送を退社した。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
山野 もも(やまの もも、11月19日 - )は、日本の女優… 山野 もも(やまの もも、11月19日 - )は、日本の女優、声優。 宮崎県出身。2020年7月31日までリマックスに所属していた 趣味は、散歩、料理(常備菜、保存食作り)、喫茶店・居酒屋開拓、読書、土いじり、論文検索、歌うこと。 所持している資格は、実用英語技能検定準2級、第二種証券外務員資格、普通自動車免許、学芸員資格。 宮崎大学農学部植物生産環境科学科卒業。東京農工大学大学院農学府生物生産科学専攻修士課程修了。 特技は、畑を見たら大体何の作物か分かること、えくぼが6個できること、宮崎弁、農作業。 2012年に地元の宮崎県で朗読劇『たかえ先生への手紙』に出演したあとの打ち上げで、「東京に出よう!」と決意を固めて上京した。