宮下 志朗(みやした しろう、1947年8月20日 - )は… 宮下 志朗(みやした しろう、1947年8月20日 - )は、日本のフランス文学者、東京大学名誉教授、放送大学教授。
8月20日生まれ:365人
宮下 志朗(みやした しろう、1947年8月20日 - )は… 宮下 志朗(みやした しろう、1947年8月20日 - )は、日本のフランス文学者、東京大学名誉教授、放送大学教授。
水信 健(みずしな たけし、1947年8月20日 - )は、… 水信 健(みずしな たけし、1947年8月20日 - )は、新潟県出身の、日本の柔道家。階級は軽量級(63kg級)。 国士舘大学時代の1968年には体重別の軽量級で3位に入った。続いてリスボンで開催された世界学生の軽々量級(63kg級)では2回戦以外は全て一本で勝ち上がると、決勝でブラジルのスズキを水信独特の肩車で破って優勝を飾った。団体戦でも決勝のフランス戦で優勢勝ちした以外は全て1本勝ちを収めてチームの優勝に貢献した。1969年の全日本学生選手権軽量級では決勝で中央大学の津沢寿志に敗れて2位にとどまった。 引退後は新潟県柔道連盟の理事長に就任した。また、加茂市体育協会の会長にもなった。 (出典、JudoInside.com)。
富岡 賢治(とみおか けんじ、1946年(昭和21年)8月2… 富岡 賢治(とみおか けんじ、1946年(昭和21年)8月20日 - )は、日本の政治家、文部官僚。群馬県高崎市長(3期)。国立教育研究所所長、日本国際教育協会理事長、群馬県立女子大学学長等を歴任した。 群馬県高崎市生まれ。群馬県立高崎高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1969年、大学を卒業し文部省(現文部科学省)に入省した(日本ユネスコ国内委員会事務局文化課)。1970年4月、日本ユネスコ国内委員会事務局総務課。1976年4月、初等中等教育局中学校教育課生徒指導係長。1978年4月、岐阜県教育委員会学校指導課長。1981年、外務省へ出向し、駐フランス日本大使館で一等書記官を務める。
小林 毅二(こばやし たけじ、1946年8月20日 - )は… 小林 毅二(こばやし たけじ、1946年8月20日 - )は、日本の元プロ野球審判員。前セントラル・リーグ審判部長、元審判部指導員。審判員袖番号は13(1988年初採用からだが、セ・リーグ審判は指導員に転じても袖番号を返上しないという通例があるので指導員となった際も付けていた)。2010年限りで指導員からも引退。東京都品川区出身。 荏原高校から日本大学卒業後、丸井勤務のかたわら東京都高野連および首都大学リーグ審判を経て、1972年セントラル・リーグ審判部入局。1997年より副部長、2000年から審判部長を務め、2003年12月に退任。2005年よりプロ野球マスターズリーグの審判員を務める。現在では、資格回復をして、東京都高野連および首都大学リーグの審判員として活動している。
交告 弘利(こうけつ ひろとし、1946年8月20日 - )… 交告 弘利(こうけつ ひろとし、1946年8月20日 - )は、岐阜県中津川市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。纐纈 弘利とする文献もある。 岐阜短期大学付属岐阜高等学校(現・岐阜第一高等学校)在学中に、阪神タイガースの熱心なスカウトを受け、高校2年時の1963年に高校を中退して、阪神に入団した。 翌1964年に投手として選手登録。当時の阪神の投手コーチだった、杉下茂が惚れ込んだ逸材だったが、体が硬く全体的にギクシャクしていたため、プロでは伸び悩んだ。スリークォーターよりやや下から繰り出される球には、伸びや切れも感じられなかったと伝わる。1965年10月5日の巨人戦(後楽園球場)がプロ初登板。
桜井 一枝(さくらい かずえ、1946年〈昭和21年〉8月2… 桜井 一枝(さくらい かずえ、1946年〈昭和21年〉8月20日 - )は、関西を中心に活動するフリーアナウンサー、タレント、ラジオパーソナリティ、ナレーター。 大阪テレビタレントビューローに長らく所属していたが、2018年3月の廃業を機に昭和プロダクションを経て、2023年に株式会社「一丁目一番地」へ移籍している。 大阪市淀川区十三で生まれ育った後に、大阪府立東淀川高等学校から大谷女子短期大学英語科を経て、大阪テレビタレントビューロー(TTB)に所属した。軽妙な大阪弁と、主婦としての庶民的な感覚で、近畿地方のテレビ・ラジオ番組で長年活躍しているほか、幼い子供や若い女性のキャラクターボイスを得意とし、ナレーターとしても活動している。
高橋 英夫(たかはし ひでお、1946年8月20日 - )は… 高橋 英夫(たかはし ひでお、1946年8月20日 - )は、日本の経営者。サカタのタネ社長を務めた。 静岡県出身。1969年に北海道大学農学部農学科を卒業し、同年に坂田種苗(現在のサカタのタネ)に入社。 1992年に取締役に就任し、1998年に常務を経て、1999年12月には社長に就任。 2007年6月に相談役に就任。
五味 太郎(ごみ たろう、1945年8月20日 - )は、日… 五味 太郎(ごみ たろう、1945年8月20日 - )は、日本の絵本作家。 東京都調布市生まれ。父は英文学者で法政大学教授。 桐朋中学校時代は自動車窃盗事件で立川警察署に逮捕されたことがある。桐朋高等学校から東京芸術大学受験に失敗し、桑沢デザイン研究所ID科を卒業。同校卒業後は工業デザイン、エディトリアルデザインなどのデザイナーを経て、1973年に『みち』(福音館書店)で絵本作家としてデビュー。現在までに400冊以上の絵本を手がける。絵本のほかにエッセイも書いている。更に作詞家として主に子供向けの楽曲を書いている。 一人称は文面上は「ぼく」で、発声時は「おれ」。 東京生まれの東京育ちだが、阪神タイガースファンである。
河野 修一郎(こうの しゅういちろう、1945年8月20日 … 河野 修一郎(こうの しゅういちろう、1945年8月20日 - )は、日本の小説家。 長崎県生まれ。鹿児島県立鶴丸高等学校、鹿児島大学工学部卒業。20年間化学会社に勤務。1971年「探照燈」(『植樹祭』所収)で文学界新人賞受賞。退社後文筆業となり、小説、化学物質汚染などについて著作を発表する。
小川 修武(おがわ おさむ、1945年8月20日 - )は、… 小川 修武(おがわ おさむ、1945年8月20日 - )は、日本の実業家。三井ホーム株式会社元顧問・代表取締役会長。 神奈川県出身。1968年、上智大学法学部を卒業後、同年4月、三井不動産株式会社に入社。同社名古屋支店長や人事部長などを歴任。その後、同社取締役、常務取締役、専務取締役などを経て、2005年、三井ホーム株式会社顧問に就任。同年6月、同社代表取締役会長に就任。2009年、同社取締役会長に就任。2011年、同社顧問に就任。 また、2005年には、一般社団法人日本ツーバイフォー建築協会会長に就任。その後、2011年まで6年間、同協会会長を務めた。
小川 忠彦(おがわ ただひこ、1944年8月20日 - 19… 小川 忠彦(おがわ ただひこ、1944年8月20日 - 1987年3月4日)は、日本の料理人。 奈良県生まれ。大阪府立夕陽丘高等学校卒業後は、美術大学受験を目指していたが、方向転換して辻調理師専門学校入学。1969年、パリの“三つ星レストラン”「グラン・ヴェフール」で1年間料理の修業を積み、レイモン・オリヴェに師事。その後ポール・ボキューズにも師事した。 TBS系列の当時の人気テレビ番組『料理天国』に講師として出演し、“笑顔のおいしい料理人”といわれた。この他、朝日放送の番組『料理手帖』にも出演。 所属の辻調理師学校では西洋料理部門の主任教授を務めたほか、大阪司厨士協会の理事も歴任するなど、日本の西洋料理部門を代表するシェフの一人として活躍していたが、すい臓癌のため1987年3月4日に死去した。
福田 正己(ふくだ まさみ、1944年8月20日 - )は、… 福田 正己(ふくだ まさみ、1944年8月20日 - )は、日本の地質学者、北海道大学・福山市立大学名誉教授。 埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。東京大学理学部卒、1972年同理学系大学院博士課程満期退学、1981年「凍結時の土中の結合した熱と水の流れに関する実験的研究」で北大理学博士。1974年北海道大学低温科学研究所助手、1986年助教授を経て、1990年教授。2007年定年退官、名誉教授。1995-1997年東京大学理学系研究科流動講座併任教授。1999-2004年放送大学客員教授。2007-2010年アラスカ大学国際北極圏研究センター教授。2011-2015年福山市立大学教授、名誉教授。
吉末 陸一(よしすえ りくいち、1944年8月20日 - )… 吉末 陸一(よしすえ りくいち、1944年8月20日 - )は、日本の実業家。元INGベアリングス日本代表、元INGベアリングス証券会長。 山口県出身。一橋大学経済学部卒業後、日本長期信用銀行入行。 日本長期信用銀行では国内営業や海外勤務を長く務めた。1993年にはニューヨーク支店で副支店長を務め、日本長期信用銀行のアメリカ企業向け融資を統括。米企業の再建などを実現し、レバレッジ融資ランキングで長銀を7位に上げた。 日本長期信用銀行取締役等を経て、1999年にINGグループの投資銀行部門であるINGベアリングス日本代表に就任。
山口 範雄(やまぐち のりお、1943年8月20日 - )は… 山口 範雄(やまぐち のりお、1943年8月20日 - )は、日本の実業家。第11代味の素株式会社代表取締役社長、同社代表取締役会長、経団連審議員会副議長、消費者庁参与等を務めた。 東京都出身。東京都立西高等学校を経て、1967年東京大学文学部卒業、味の素入社。 人事などを経て、1991年から調味料部長を務めた。1997年取締役に昇格。2000年味の素冷凍食品取締役副社長。2001年味の素常務取締役。2003年代表取締役専務。2005年代表取締役社長。2009年代表取締役会長。2012年消費者庁参与。2015年味の素特別顧問。日本能率協会会長、経団連審議員会副議長、発明推進協会会長なども務めた。
中村士(なかむら つこう、1943年8月20日ー )は、日本… 中村士(なかむら つこう、1943年8月20日ー )は、日本の天文学者、天文学史家、東西交渉史学者。 東京出身。東京大学理学部天文学科卒業、同大学院理学研究科博士課程修了、1975年「1973年におけるガリレオ衛星の相互現象の解析」で理学博士。1976年東京大学東京天文台(のち国立天文台)勤務、探査機はやぶさの可視カメラの設計・開発指導、すばる望遠鏡による微小小惑星の探査研究を行う傍ら、江戸時代の天文学史を研究。のち、帝京平成大学教授。2014年定年退任。文化庁文化財審議専門委員(2010-2014年)。放送大学客員准教授・教授(2004-2014年)。なお、研究論文等については国会図書館DB、リサーチマップ等を参照のこと 。
小林 賢次(こばやし けんじ、1943年〈昭和18年〉8月2… 小林 賢次(こばやし けんじ、1943年〈昭和18年〉8月20日 - 2013年〈平成25年〉6月29日)は、日本の国語学者。学位は、文学博士((旧)東京都立大学・1999年)。(旧)東京都立大学名誉教授。 群馬県安中市生まれ、新潟県十日町市で育つ。1966年東京教育大学国文科卒、1970年同大学院文学研究科日本文学専攻博士課程中退、香川大学教育学部助手、1971年講師、1973年助教授、1978年新潟大学教育学部助教授、1981年上越教育大学助教授。1987年(旧)東京都立大学助教授、1991年教授。1999年「狂言台本を主資料とする中世語彙語法の研究」で(旧)東京都立大学より文学博士の学位を取得。
村井 吉敬(むらい よしのり、1943年8月20日 - 20… 村井 吉敬(むらい よしのり、1943年8月20日 - 2013年3月23日)は、日本の経済学者。元早稲田大学アジア研究機構教授。専門は東南アジアの経済史。 千葉県生まれ。1966年早稲田大学政治経済学部卒業。インドネシアのパジャジャラン大学に留学し、農村経済を研究。1988年上智大学外国語学部教授。2008年早稲田大学アジア研究所客員教授を経て、早稲田大学アジア太平洋研究所上級研究員、アジア研究機構教授。 2013年3月23日、69歳で死去。
山田 忠男(やまだ ただお、1942年8月20日 - 199… 山田 忠男(やまだ ただお、1942年8月20日 - 1999年5月31日)は、宮崎県日南市油津出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 日南高校では1960年夏の甲子園県予選準決勝に進出するが、都城都島高に敗れ南九州大会へは進めなかった。1961年に大洋ホエールズへ入団。 大洋の捕手陣には土井淳、伊藤勲らがおり、活躍の場は少なかったが、1968年には伊藤に次ぐ二番手捕手として17試合に先発マスクを被る。1971年限りで引退した。 1999年5月31日に死去。享年56。
郡山 健次郎(こおりやま けんじろう、Paul Kenjir… 郡山 健次郎(こおりやま けんじろう、Paul Kenjiro Koriyama, 1942年8月20日-)は、日本のカトリック教会聖職者。カトリック鹿児島司教区名誉司教。洗礼名は「パウロ」。 鹿児島県大島郡竜郷町瀬留で郡山為業・セツ夫妻の7人兄弟の次男として生まれる。本人によれば、父は家に客があると手を頭の上に置き、「この子は司祭になる」と言っていた。名瀬の大島高等学校を卒業後、予備校に通っている間に司祭への召命を感じ、1964 年4月に鹿児島教区神学生として福岡サン・ スルピス大神学院へ入学。1972年3月20日、奄美大島名瀬の聖心教会で鹿児島教区糸永真一司教により司祭に叙階された。 33年間教区司祭として8小教区で働く以外に、教区青少年担当司祭、CLC(クリスチャンライフコミュニティー)、ME(マリッジエンカウンター)などを担当した。
松本 武夫(まつもと たけお、1942年8月20日 - 20… 松本 武夫(まつもと たけお、1942年8月20日 - 2005年9月26日)は、日本文学研究者。専門は日本近現代文学。 東京生まれ。攻玉社高等学校卒、1966年早稲田大学第一文学部露文科卒業。1968年立教大学大学院文学研究科日本文学専攻修士課程修了。1969年専修大学松戸高等学校教諭、1973年香蘭女学校教諭、1985年東海大学短期大学部助教授、1990年教授、1996年立正大学文学部助教授、10月教授。井伏鱒二を研究し本人とも親しかった。
黒沢 隆(くろさわ たかし、1941年8月20日 - 201… 黒沢 隆(くろさわ たかし、1941年8月20日 - 2014年3月15日)は、日本の建築家。住宅作家。建築評論家。 多くの建築家(仙田満、内藤廣、塚本由晴など)を輩出している戦後日本における有数の実験高校であった神奈川県立湘南高等学校卒業。 1965年日本大学理工学部経営工学科建築専攻卒業。1967年まで東京大学教養学部にて教鞭をとっていた生田勉の下での研究生を経て、1971年日本大学大学院博士課程修了。1973黒沢隆研究室を設立。住宅を中心に設計活動を展開し、建築家・磯崎新に「解体の世代」と呼ばれた。その一方で、篠原一男の住宅に対し批判を展開したことでも有名な論客として活動している。生田勉や近江栄の影響を受け、学生時代より多くの建築批評を発表。
飯塚 昌治(いいづか まさはる、1941年8月20日 - )… 飯塚 昌治(いいづか まさはる、1941年8月20日 - )は、日本の実業家。東京都豊島区出身。ジェイ・ウォルター・トンプソン日本法人元代表取締役社長兼最高経営責任者(CEO)。 東京都豊島区出身。1971年上智大学外国語学部英語学科卒業。同年、米国・ニューヨークに本社を置く外資系広告会社ジェイ・ウォルター・トンプソンに入社。入社後は営業畑を歩み、世界最大のダイヤモンド原石供給会社デビアスを担当。1982年営業局長、1984年副社長兼営業局長、1985年副社長兼営業総局長、1989年取締役副社長(人事・総務・新規開発担当)、1990年副社長(人事・総務・新規開発・営業担当)・本社バイスプレジデント、1991年取締役筆頭副社長兼最高運営責任者(COO)。
和田 正三(わだ まさみつ、1941年8月20日 - )は、… 和田 正三(わだ まさみつ、1941年8月20日 - )は、日本の植物生理学者。 東京都立大学 (2020-)大学院理学研究科 客員教授、東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。 専門は植物生理学。東京都出身。
近藤 恒夫(こんどう つねお、1941年(昭和16年)8月2… 近藤 恒夫(こんどう つねお、1941年(昭和16年)8月20日 - 2022年(令和4年)2月27日)は、日本の社会運動家。日本DARC代表。秋田県出身。北海学園大学中退。 秋田県出身。北海学園大学中退後、レストランや船会社などで勤務した。1972年から覚せい剤を使用し始め、1978年に精神病院に入院。1980年に覚せい剤取締法違反で逮捕され、札幌地裁で有罪判決を受ける。 1985年にロイ・アッセンハイマーの影響で薬物依存者のための日本初の民間のリハビリセンターである「DARC(ダルク・デイケア・センター)」を東京都日暮里に創設。その後、アジア太平洋地域の国々の依存症問題に取り組むNPO法人「アパリ」も創設。
杉井 ギサブロー(すぎい ギサブロー、本名:杉井 儀三郎(す… 杉井 ギサブロー(すぎい ギサブロー、本名:杉井 儀三郎(すぎい ぎさぶろう)、1940年8月20日 - )は、日本の男性アニメ監督、脚本家。日本映画監督協会会員。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。代表作に『タッチ』、『銀河鉄道の夜』、『ストリートファイターII MOVIE』、『あらしのよるに』など。タツノコプロ出身のアニメーターの杉井興治は実弟。 静岡県沼津市出身。沼津市に小学校5年生の途中まで在住。1945年7月の沼津大空襲にも遭遇している。小学校時代は漫画を愛する「マンガ少年」であった。沼津時代の末期に見たディズニーの『バンビ』に強い印象を受け、アニメーションを「一生の仕事にしよう」と決意する。
久野 猛(ひさの たけし、1937年8月20日- )は日本の… 久野 猛(ひさの たけし、1937年8月20日- )は日本の教育者、作家。都立高等学校校長等を歴任。 鹿児島県いちき串木野市出身。鹿児島県立串木野高等学校卒業。1962年東京大学理学部地学科を卒業し、都立高校教諭となる。都立北園高校教頭などを経て、都立足立高校校長に就任する。その後、都立日比谷高校校長となり、1993年~1997年まで全国高等学校体育連盟会長を兼務した。退任後は警視庁教育参与を務めるなど要職を歴任した。 また、松崎陽平名義の小説『狂いだすのは三月』で1977年第14回文藝賞を受賞した。
本田 威志(ほんだ たけし、1937年8月20日 - 201… 本田 威志(ほんだ たけし、1937年8月20日 - 2010年7月27日)は、日本の元プロ野球選手(内野手)。愛知県岡崎市出身。
筈見 有弘(はずみ ありひろ、1937年8月20日 - 19… 筈見 有弘(はずみ ありひろ、1937年8月20日 - 1997年6月14日)は、日本の映画評論家である。本名は松本有弘。 父は映画評論家の筈見恒夫で、筆名は父の筆名にちなむ。妻も映画評論家の渡辺祥子。 東京都新宿区生まれ。1960年、慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。大学時代は演劇に熱中し、毒蝮三太夫・影万里江らと劇団山王を創立。 卒業後、イタリフィルム(のち、東京第一フィルム)、日本ヘラルド映画の宣伝部を経て、1975年からフリーの映画評論家。1977年に創刊された『映画宝庫』の責任編集を石上三登志、増淵健らとともに担当。日本大学芸術学部講師も務めた。 1993年、妻と共同監修した著書『映画・ビデオ・テレビ外国俳優大事典』の刊行により淀川長治賞を受賞。
平瀬 誠一(ひらせ せいいち、1937年8月20日 - 20… 平瀬 誠一(ひらせ せいいち、1937年8月20日 - 2021年10月4日)は、日本の小説家。雑誌『民主文学』の編集長をつとめた。 早稲田大学卒業後、東京都内の私立学校に勤務しながら小説を書く。その過程で、組合運動に参加、解雇撤回闘争をたたかい、復職をかちとった。作品の中には、その体験を作品化したものもある。 1982年、『光の中に歩みいでよ』で、日本共産党創立60周年記念文芸作品の長編小説部門に入賞し、本格的な執筆活動にはいる。私学の職場に取材した作品が多い。2000年には、『鳥たちの影』で多喜二・百合子賞を受賞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
白川 英樹(しらかわ ひでき、1936年(昭和11年)8月2… 白川 英樹(しらかわ ひでき、1936年(昭和11年)8月20日 - )は、日本の化学者。学位は、工学博士(東京工業大学)。筑波大学名誉教授。日本学士院会員。「導電性高分子の発見と発展」により、ノーベル化学賞受賞。文化功労者。文化勲章。 1936年、東京府淀橋区(現・東京都新宿区)に生まれる。父は陸軍で軍医をしており、兄、姉、弟、妹がそれぞれ1人ずついる5人兄弟の真ん中だった。なお、白川の祖父と高橋尚子の大祖母は兄妹であり、高橋ははとこ姪(二従姪)に当たる。 父の仕事で3-4歳の頃に台湾に渡った後、母の実家がある岐阜県高山に短期間住んで幼稚園に通っていた。幼稚園の途中で再び父の仕事で満州に引越し、遼陽、鞍山、湯崗子の各地に住んでいる。
広野 トヨ(ひろの トヨ、1936年〈昭和11年〉8月20日… 広野 トヨ(ひろの トヨ、1936年〈昭和11年〉8月20日 - 2014年〈平成26年〉8月10日)は、日本のアイヌ文化伝承者。北海道阿寒湖のアイヌ集落の歌い手として知られ、長年にわたって観光客向けに古式舞踊を披露することで、アイヌ文化の伝承へ大きく貢献した。 北海道帯広市で誕生した。幼少期に釧路に移住した。アイヌの文化伝承者・著述家である山本多助を養父として育ち、輪踊りやサロルンリムセ(鶴の舞)を踊るアイヌたちの姿を見て育ったことで、物心がつく前からアイヌの歌や踊りが身の回りにあった。 1973年(昭和48年)、結婚を機に阿寒湖温泉に移り住み、約40年間にわたって、アイヌコタンの常設劇場「オンネチセ」で古式舞踊の歌い手を務め続けた。
丹羽 又三郎(にわ またさぶろう、1934年8月20日 - … 丹羽 又三郎(にわ またさぶろう、1934年8月20日 - )は、日本の俳優。2014年よりOKエンターテイメント所属。本名は中村 進()。昭和30年代後半の大映時代劇映画の主演級スター。また昭和40年代テレビ特撮番組の悪の幹部役の怪優としても知られている[要出典]。 東京市芝区芝浦町(現、東京都港区芝浦)出身。明治学院高等学校、明治学院大学文学部卒業。過去には太平洋テレビジョン、さむらいプロに所属していた。 冷蔵船用冷蔵庫を製作していた父の一人息子として生まれる。大学在学中の1954年、俳優を志し、松竹音楽学校附属研究所に入り、同年7月、新東宝に入社。中村 又三郎の芸名で、『地獄屋敷』でデビューしたのち、数本の映画に出演したが、社内事情のため、1956年に新東宝を退社する。
司 葉子(つかさ ようこ、1934年〈昭和9年〉8月20日 … 司 葉子(つかさ ようこ、1934年〈昭和9年〉8月20日 - )は、日本の女優。日本大正村第2代村長。東京福祉大学特任教授。本名は相澤 葉子()。旧姓は庄司。東宝芸能所属。 夫は、弁護士で元自由民主党衆議院議員の相澤英之。三男・相澤宏光の妻は歌手・タレントの相田翔子。実業家・政治家の庄司廉は伯父にあたる。 鳥取県西伯郡渡村に庄司繁二郎の三女として生まれたが、6歳の頃に父を亡くした。鳥取県立境高等学校を経て共立女子短大卒業。 1954年4月、大阪の新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)に入社し、社長秘書を務める。共立女子短大に在学中、ハリウッドビューティサロンを利用。ちょうど美容家のメイ牛山が雑誌モデルを探しており、同年『家庭よみうり』の表紙を飾ったのがきっかけでスカウトされ東宝と契約。
岩瀬 良三(いわせ りょうぞう、1933年〈昭和8年〉8月2… 岩瀬 良三(いわせ りょうぞう、1933年〈昭和8年〉8月20日 - )は、日本の政治家、地方公務員。佐原市長、参議院議員(1期)、千葉県教育長を歴任。地方財政・教育政策に造詣が深い。瑞宝中綬章受章。 千葉県佐原市出身。千葉県立佐原高等学校卒業。横浜市立大学文理学部卒業後、千葉県庁に入る。同総務部財政課主幹、同総務部財政課長を経て、1986年(昭和61年)同商工労働部長に就く。1988年(昭和63年)千葉県教育長に就任。 1995年(平成7年)千葉県庁を退職し、同年7月、第17回参議院議員通常選挙に千葉県選挙区から新進党公認で立候補し、初当選。1998年(平成10年)1月改革クラブに参加し、同党参議院議員会長に就任するが、同年10月に離党。
池上 惇(いけがみ じゅん、1933年〈昭和8年〉8月20日… 池上 惇(いけがみ じゅん、1933年〈昭和8年〉8月20日 - )は、日本の経済学者。専門は、財政学・文化経済学。学位は、博士(経済学)(京都大学・1997年)(学位論文『現代経済学と公共性策』)。京都大学名誉教授、福井県立大学名誉教授。大阪府大阪市出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
板垣 好樹(いたがき よしき、1933年〈昭和8年〉8月20… 板垣 好樹(いたがき よしき、1933年〈昭和8年〉8月20日 - 1993年〈平成5年〉6月26日)は、日本の俳人。群馬県伊勢崎市生まれ。本名・好昭。月刊『俳句人』編集長(1973 - 1975年)、第6回新俳句人連盟賞受賞。 1933年、群馬県伊勢崎市に生まれる。19歳で結核に罹り、国立療養所大日向荘(現在の国立病院機構西群馬病院)で療養の日々を送る。1954年、療養所で俳句を知り、翌年古沢太穂の結社「道標」に入会、同時に太穂の推薦で新俳句人連盟の会員となる。1956年に療養所を退所、印刷工となり、1962年には現代俳句協会の会員となる。1971年、新聞『赤旗』俳壇時評、翌年日曜版俳句欄選者、1973年には岩間清志の死を受けて月刊『俳句人』編集長となる。
木下 博(きのした ひろし、1932年(昭和7年)8月20日… 木下 博(きのした ひろし、1932年(昭和7年)8月20日 - )は、日本の政治家。元埼玉県入間市長(5期)。 1951年3月埼玉県立豊岡実業高等学校(現埼玉県立豊岡高等学校)卒業。小林駿介東京農工大学名誉教授は同級生。同4月、豊岡町役場に就職。1956年、豊岡町の武蔵町への移行に伴い、武蔵町役場職員。1966年、武蔵町の市制移行により入間市職員。入間市企画部長や助役を務める。 1992年、水村仁平入間市長の引退に伴い、水村から後継指名を受け、自民・社会・公明・民社の与野党及び連合埼玉の推薦で入間市長選挙に出馬し、初当選を果たした。1996年の市長選でも自民・新進・社民・連合埼玉の推薦を受け、与野党の枠を超えた事実上のオール与党体制の下、再選。
吉田 清治(よしだ せいじ、1932年8月20日 - 200… 吉田 清治(よしだ せいじ、1932年8月20日 - 2006年1月27日)は、元日本相撲連盟会長・九州電力副社長。大分県湯布院町(現由布市)出身。 1956年、九州大学経済学部を卒業。卒業後、九州電力に入社。資材部長、常務を経て1993年に副社長に就任。1997年から2002年まで顧問を務めた。2000年から2002年まで九州大学経済学部同窓会会長。ほかに、九州・山口経済連合会副会長、九州・山口経済連合会専務理事、九州国立博物館設置促進財団募金活動推進本部長、西日本新聞モニター会議委員、福岡経済同友会幹事などの要職を歴任した。特に九州国立博物館の建設に当たっては、募金活動推進本部長として奔走し、41億円の募金を集めた。
五十嵐 二葉(いがらし ふたば、1932年8月20日 - )… 五十嵐 二葉(いがらし ふたば、1932年8月20日 - )は、日本の人権派弁護士。山梨学院大学教授を務めた。 群馬県出身。旧姓藤井。1957年中央大学文学部卒、1962年同法学部卒。法学者風早八十二と結婚し、風早二葉を名乗るが、その後離婚。五十嵐氏と結婚し、現在に至る。 ロス疑惑事件の弁護を担当しマスコミで有名になるが、その後三浦和義と対立し解任に追い込まれる。後に三浦について「子供がそのまま大人になったような人。」と酷評し物議をかもした。一連のオウム真理教事件の際、長女を拉致した容疑で逮捕・起訴された鹿島とも子の弁護などを担当した。
山口 昌男(やまぐち まさお、1931年〈昭和6年〉8月20… 山口 昌男(やまぐち まさお、1931年〈昭和6年〉8月20日 - 2013年〈平成25年〉3月10日)は、日本の教育者・文化人類学者。東京外国語大学名誉教授、文化功労者、瑞宝中綬章受勲。位階は正四位。 1931年、北海道美幌町で9人兄弟の次男として生まれた。美幌尋常小学校、旧制網走中学校を経て、新制網走高校(現・北海道網走南が丘高等学校)に進学。1950年3月に卒業し、同年4月に青山学院大学文学部第二部仏文科に進学。在学中には、展覧会と古書店に頻繁に巡った。青山学院大学には1学期のみ通い、1951年に東京大学教養学部文化二類に入学。同学年に作曲家となる三善晃、美学者となる宇波彰らがいた。また、東京大学駒場美術研究会では、磯崎新らと親交を結んだ。
浦川 麗子(うらかわ れいこ、1931年8月20日 - )は… 浦川 麗子(うらかわ れいこ、1931年8月20日 - )は、日本の女優、声優。岡山県井原市井原町出身。福島県立女子高等学校卒業。國學院大學文学部国文科中退。 高校在学中は演劇部で活動し、アマチュア劇団の福島演研にも所属していた。NHK福島放送劇団に入り、プロとしての活動を開始。高校卒業後は上京し、劇団廿世紀、劇団こまどりを経て、1952年、ラジオ東京放送劇団に2期生として入団。1959年に退団した後は東京俳優生活協同組合を経て、1969年4月に文学座に入団。 1955年から放送が開始されたラジオ番組『ポポン・ミュージック・レター』の司会を志摩夕起夫とともに担当。志摩がアナウンサ―では声が型にはまっていて面白くないので、家庭の奥様のような艶のある人の起用を要望したため、浦川が起用された。
伊藤 滋(いとう しげる、1931年8月20日 - )は、日… 伊藤 滋(いとう しげる、1931年8月20日 - )は、日本の都市計画家。早稲田大学特命教授、慶應義塾大学大学院客員教授、東京大学名誉教授。学位は工学博士(東京大学)。専門は、都市防災論、国土及び都市計画。 伊藤滋都市計画事務所主宰。一般財団法人日本地域開発センター理事長、NPO法人日本都市計画家協会会長、アジア防災センター・センター長、内閣官房都市再生戦略チーム座長、国土審議会、都市計画中央審議会委員を歴任。2030年の東京都心市街地像研究会座長。さいたま新都心計画チーフプロデューサー。環長崎港地域アーバンデザイン専門家会議座長。 東京都杉並区生まれ。父は評論家・詩人・小説家の伊藤整。成蹊学園を経て、旧制成蹊高校(理科甲類)卒業。
新堂 幸司(しんどう こうじ、1931年8月20日 - )は… 新堂 幸司(しんどう こうじ、1931年8月20日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。 東京大学名誉教授、愛知大学名誉教授。弁護士。兼子一門下。弟子に高橋宏志、高田裕成、山本和彦、太田勝造、長谷部由起子、佐藤鉄男、樫村志郎など。 東京大学を定年退官した1992年に第二東京弁護士会に弁護士登録し、森綜合法律事務所(現在の森・濱田松本法律事務所)に客員弁護士として迎えられて以降は、弁護士活動を主に行っている。現在は森・濱田松本法律事務所を離れ、2011年9月に松村国際法律事務所(現在は新堂の参画により新堂・松村法律事務所と改称)に参画した。 三ヶ月章が提唱した訴訟物における「新訴訟物理論」「訴訟法説」を承継した上で、訴訟法の独自性を重視した理論を徹底させ、既判力につき、その客観的範囲についての争点効理論や、主観的範囲についての反射効理論等の独自の概念や問題提起を次々と提唱して民事訴訟法学の発展に寄与した。
鹿野 政直(かの まさなお、1931年〈昭和6年〉8月20日… 鹿野 政直(かの まさなお、1931年〈昭和6年〉8月20日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近代史、思想史。早稲田大学名誉教授。 1931年、大阪府生まれ。大阪府立岸和田高等学校を経て1953年、早稲田大学文学部を卒業。同大学院を経て、1958年より同大学に勤務する。1970年、早稲田大学文学部教授に就任。1999年、早稲田大学を退職。
八尋 和美(やひろ かずみ、1931年8月20日 - )は、… 八尋 和美(やひろ かずみ、1931年8月20日 - )は、日本の指揮者。特にメンデルスゾーンの合唱曲の解釈と指揮で知られ、現代作曲家アルヴォ・ペルトの合唱曲の指揮にも近年は積極的に取り組んでいる。
吉田 民人(よしだ たみと、1931年8月20日 - 200… 吉田 民人(よしだ たみと、1931年8月20日 - 2009年10月27日)は、日本の社会学者。専門は理論社会学。日本学士院会員。第18期日本学術会議副会長。元日本社会学会会長。東京大学名誉教授。 愛知県出身。京都大学文学部社会学専攻卒業。同大学大学院博士課程中退。 機能主義社会学を理論的に追求した。「情報」を社会科学的な研究対象とした先駆者の一人としても知られる。 上野千鶴子や木村洋二、宮台真司などの恩師と仰がれている。
牧口 準市(まきぐち じゅんいち、1931年(昭和6年)8月… 牧口 準市(まきぐち じゅんいち、1931年(昭和6年)8月20日 - 2024年(令和6年)8月28日)は、日本の弁護士。北海学園大学出身の生え抜き法曹の一人。札幌弁護士会所属。専門は、商事全般(商法・倒産法・民事再生法)と日本法制史(明治期北海道の司法制度)。在野で北海道の法制史を研究。弁護士法人成蹊総合法律事務所の所長を務めた。 北海道古宇郡泊村出身。1949年(昭和24年)札幌地方裁判所岩内支部に事務官として入所。1960年(昭和35年)北海学園大学経済学部2部中退。札幌地方裁判所書記官などを経て、司法試験に合格。1969年(昭和44年)弁護士登録。 1979年(昭和54年)札幌弁護士会副会長。
星川 保松(ほしかわ やすまつ、1930年(昭和5年)8月2… 星川 保松(ほしかわ やすまつ、1930年(昭和5年)8月20日 - )は、日本の政治家。尾花沢市議会議員、山形県議会議員、尾花沢市長を歴任。その後参議院議員を1期務め、民主改革連合常任幹事(代表)として細川内閣の連立に参加し、日本社会党に移籍。落選後は、民主党山形県連代表代行、同顧問などを歴任。勲三等旭日中綬章。
石川 信義(いしかわ のぶよし、1930年〈昭和5年〉8月2… 石川 信義(いしかわ のぶよし、1930年〈昭和5年〉8月20日 - 2020年〈令和2年〉7月2日 )は、日本の精神科医。三枚橋病院創設者。 群馬県桐生市生まれ。旧制・群馬県立桐生中学校、海軍兵学校(78期)、旧制・第二高等学校を経て、1952年(昭和27年)に東京大学経済学部を卒業後、安田生命保険(現・明治安田生命保険)に入社。しかし、医者になるため数年で退社し東京大学医学部に入学。スキー山岳部に所属していた1961年(昭和36年)には、第5次南極地域観測隊に参加した。 1962年(昭和37年)に東京大学を卒業後、精神科医となり、東京大学医学部附属病院神経科、東京都立松沢病院に勤務。同病院には4年ほど勤務するが、このうち、1年間はライシャワー事件を起こした青年の主治医を務めた。
能村 堆子(のむら たいこ、旧姓:三木、1930年8月20日… 能村 堆子(のむら たいこ、旧姓:三木、1930年8月20日 - 2021年11月15日)は日本の生物物理学者。お茶の水女子大学名誉教授。團勝磨、大沢文夫の門下生。小説家川上弘美の卒業論文の指導者。理学博士。 ウニの卵や精子を用いて、細胞分裂の分裂装置や繊毛・鞭毛運動に関与する微小管の生物物理学を研究した。1969年、ウニ卵にアクチンの存在を世界で最初に確認し、細胞質分裂にアクチンが関与することを提唱する。1975年以降は、その頃、宝谷紘一が開発した高輝度照明下での暗視野顕微鏡を用い、世界で初めて、顕微鏡下で微小管の溶液中での動きを観察し、基本データを記載していった。テトラヒメナやクラミドモナスの繊毛も実験材料とした。