坤龍 文一郎(こんりゅう ぶんいちろう、1946年2月23日… 坤龍 文一郎(こんりゅう ぶんいちろう、1946年2月23日 - )は、北海道釧路市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は福本 文一(ふくもと ぶんいち)。175cm、112kg。最高位は西十両12枚目。得意技は突き、押し、諸差し、寄り。 若い頃から柔道、相撲と盛んに行った。また四股名は相部屋で同郷の大吉田(のちの乾龍初太郎)とともに知人作家に付けてもらったもの。1961年5月場所初土俵、1972年11月場所に十両昇進するも、在位はこの1場所に終わる。1973年11月場所限りで引退。引退後は料理屋を経営。
宮本 久雄(みやもと ひさお、1945年2月23日 - )は… 宮本 久雄(みやもと ひさお、1945年2月23日 - )は、日本の神学者・哲学者。東京大学名誉教授。東京大学教養学部教授・上智大学教授を経て、東京純心大学教授。カトリック教会司祭ドミニコ会修道士。 新潟県生まれ。新潟県立長岡高等学校卒。1970年東京大学文学部哲学科卒、1972年東京大学大学院修士課程修了。カナダ・オンタリオ州立哲学神学大学で学び1980年神学修士。1981年仏立エルサレム聖書学研究所名誉学士。パリ第4大学及びパリ・カトリック神学院においてスタニスラス・ブルトンに学び、1982年東京大学教養学部助教授。1991年東京大学大学院総合文化研究科教授。2001年『他者の原トポス 存在と他者をめぐるヘブライ・教父・中世の思索から』により翌2002年博士(学術)(東京大学)の学位を取得。
丸山 寿一(まるやま じゅいち、1945年2月23日 - )… 丸山 寿一(まるやま じゅいち、1945年2月23日 - )は、日本のアルペンスキーヤー。 長野県出身。1968年の冬季オリンピックで男子滑降に出場した。
苑田 聡彦(そのだ としひこ、1945年2月23日 - )は… 苑田 聡彦(そのだ としひこ、1945年2月23日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 三池工高では原貢の指導を受ける。三池工高には一般入試不合格後、定時制で入学。その際に尽力してくれた原貢監督へのお礼にと、貢の長男原辰徳とよく遊んであげたという。九州一のスラッガーとして名を馳せ「中西二世」とも呼ばれ期待されていた。1962年秋季九州大会準決勝に進むが、小倉工に敗退。翌1963年夏の甲子園県予選は準々決勝で嘉穂東高に敗れる。 1964年にプロ入り。地元の西鉄ライオンズをはじめ9球団が獲得に乗り出したが、苑田が選んだのは一番条件の低かった広島カープだった。広島入団の決め手となったのは担当だった久野久夫スカウトの人柄であり、「久野さんの熱心さにひかれた。
江頭 和彦(えがしら かずひこ、1945年2月23日 - )… 江頭 和彦(えがしら かずひこ、1945年2月23日 - )は、日本の農芸化学者。専門は土壌学。九州大学名誉教授。農学博士(九州大学・1974年)。ベトナム農業への貢献があったとして、2016年にベトナム農業農村開発大臣より友好勲章を受けた。九州大学においては大学院農学研究院長、農学部長などを歴任した。2023年、瑞宝中綬章受章。 福岡県柳川市出身。長崎県立長崎東高等学校を経て、1967年九州大学農学部農芸化学科卒業後、1969年同大学院農学研究科修士課程修了。1971年に同大学農学部農芸化学科土壌学講座助手となり、1975年助教授、1992年教授。2000年同大学院農学研究院教授、2003年大学院農学研究院長。
平野 卿子(ひらの きょうこ、1945年2月23日 - )は… 平野 卿子(ひらの きょうこ、1945年2月23日 - )は、日本の翻訳家。 神奈川県横浜市生まれ。お茶の水女子大学卒業、東京都立大学大学院独文科中退後、ドイツのテュービンゲン大学留学。児童文学、小説、ノンフィクションを翻訳。『キャプテン・ブルーベアの13と1/2の人生』(でドイツからレッシング翻訳賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
木村 皓一(きむら こういち、1945年2月23日 - )は… 木村 皓一(きむら こういち、1945年2月23日 - )は、ベビー・子供服メーカーであるミキハウスグループとして知られる三起商行の創業者である。滋賀県彦根市出身。 関西大学経済学部に進学するも、1965年に大学二年時で中退した後、高校時代からアルバイトをしていた野村証券に入社。1970年に父の経営する大阪の婦人服メーカーに入社し、アパレル事業の実務を学ぶ。1971年に大阪府八尾市でベビー・子供服製造卸「三起産業」として創業。7年後の1978年に三起商行を設立。
大場 富夫(おおば とみお、1945年2月23日 - 200… 大場 富夫(おおば とみお、1945年2月23日 - 2007年3月18日)は、日本の経営者。レオパレス21社長を務めた。宮城県出身。 1968年に拓殖大学商学部を卒業。朝日広告社での勤務を経て、1985年にミヤマ(のちのレオパレス21)取締役に就任し、1990年に専務、1996年に副社長を経て、2006年6月に社長に就任。同年12月に社長を辞任。 2007年3月18日心不全のために死去。62歳没。
安井 至(やすい いたる、1945年2月23日 - )は、日… 安井 至(やすい いたる、1945年2月23日 - )は、日本の工学者。 東京都生まれ。国際連合大学名誉副学長。東京大学名誉教授。2020年より(株)バックキャストテクノロジー総合研究所エクゼクティブフェロー。資源エネルギー庁原子力小委員会委員長。 セラミックス分野(非晶質構造論、材料設計、計算機材料科学)、人間地球環境系の研究の他。 1997年から、Webサイト、「市民のための環境学ガイド」を運用し、週1回の記事の追加を継続し、できるだけわかりやすい記述をしていた (http://www.yasuienv.net/)が、2021年から記事の容量の問題からFacebookのプライベートアカウントへ移行し、サイトも2023年以降閉鎖されている。
矢野 薫(やの かおる、1944年2月23日 - )は、日本… 矢野 薫(やの かおる、1944年2月23日 - )は、日本の実業家。日本電気(NEC)社長を務めた。神奈川県出身。 1966年に東京大学工学部電気工学科を卒業し、同年に日本電気に入社。アメリカ合衆国のスタンフォード大学院での留学、アメリカ社での勤務を経て、1995年に取締役に就任し、常務、専務を経て、2004年6月に副社長に就任。 2005年3月には代表取締役執行役員を兼務。2006年4月に社長に昇格。この社長就任は、前任の金杉明信の体調不良によるものであった(金杉は同年11月に死去)。 矢野は社長在任中に、次世代ネットワーク(NGN)を将来の新たな中核事業とする方針を打ち出した。また社内の短期志向を是正するため、長期ビジョンを打ち出してそれに基づく中期経営計画を作成させた。
末安 堅二(すえやす けんじ、1944年2月23日 - )は… 末安 堅二(すえやす けんじ、1944年2月23日 - )は日本の銀行家。中京銀行代表取締役頭取や、同行取締役会長、学校法人名古屋学院大学理事長を務めた。 福岡県大牟田市生まれ。東海高等学校を経て、1967年横浜市立大学商学部卒業、東海銀行(現三菱UFJ銀行)入行。1994年取締役。1996年常務。1998年常務執行役員。1999年専務執行役員。2002年中京銀行代表取締役頭取。2011年中京銀行取締役会長。2012年タキヒヨー監査役。2015年名港海運監査役。2015年からは学校法人名古屋学院大学理事長を務め、瀬戸信用金庫との間で産学連携協定を締結するなどした。
小江 紘司(おえ こうじ、1944年2月23日 - )は、日… 小江 紘司(おえ こうじ、1944年2月23日 - )は、日本の経営者、工学博士。DIC社長、会長を務めた。福岡県北九州市出身。 1969年に九州大学大学院工学研究科を修了し、1970年に九州大学生産科学研究所に入所。1981年3月に大日本インキ化学工業に転じ、2000年6月に取締役に就任し、2002年6月に常務、2003年6月に専務を経て、2004年6月に社長に就任。2009年4月には会長に就任。
髙宮 利行(たかみや としゆき、1944年2月23日 - )… 髙宮 利行(たかみや としゆき、1944年2月23日 - )は、日本のイギリス文学者、慶應義塾大学名誉教授。中世英文学を専攻。 東京都出身。代々木ゼミナール創業者・高宮行男の長男。弟は高宮英郎。麻布中学校・高等学校を経て、1966年慶應義塾大学経済学部卒業、1968年慶應義塾大学文学部文学科英文学専攻卒業、1970年同大学院修士課程修了、1971年同助手、1973年同博士課程単位取得退学、1978年ケンブリッジ大学博士課程単位取得退学、慶應義塾大学助教授、1985年同教授。2008年定年退任、名誉教授。厨川文夫、デレク・ブルーア(w:Derek Brewer)、イアン・ドイル(Ian Doyle)に師事した。
北大路 欣也(きたおおじ きんや、1943年〈昭和18年〉2… 北大路 欣也(きたおおじ きんや、1943年〈昭和18年〉2月23日 ‐ )は、日本の俳優、声優。本名、淺井 将勝(あさい まさかつ)。京都府京都市紫竹出身。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。 父は戦前の時代劇から戦後の東映時代劇全盛時代に活動した映画俳優の市川右太衛門。芸名の由来は右太衛門の邸宅が京都市内の北大路に在ったことから、右太衛門が「北大路の御大」と呼ばれていたため。田村正和など同世代の俳優仲間からは「きんやちゃん」と呼ばれている[要出典]。 市川右太衛門の次男として生誕。京都市立紫竹小学校、同志社香里中学校から暁星中学校に編入。暁星高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。
荒井 賢一(あらい けんいち、1943年2月23日 - )は… 荒井 賢一(あらい けんいち、1943年2月23日 - )は、日本の工学者・物理学者。専門は磁気工学。東北大学名誉教授。学位は工学博士。公益財団法人電磁材料研究所評議員。 長野県長野市出身。1971年東北大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士(学位論文「磁気共鳴法を用いたスピネル型強磁性単結晶の磁気弾性結合に関する研究」)。東北大学電気通信研究所助手、同助教授を経て、1986年に同所電気通信材料学研究部門の教授に就任。2004年東北大学評議員、2005年東北大学総長候補者選考管理委員会委員長を務めた。 2005年、(独)情報通信研究機構の連携研究部門内に仙台リサーチセンターを立ち上げ、プロジェクトリーダーに就任。
麿 赤兒(まろ あかじ、本名:大森 宏、1943年2月23日… 麿 赤兒(まろ あかじ、本名:大森 宏、1943年2月23日 - )は、日本の俳優、舞踏家、演出家。暗黒舞踏集団・大駱駝艦主宰。所属事務所は同傘下の芸能事務所・キャメルアーツ。 父は海軍大佐の大森潤一(海兵54期卒)。長男は映画監督の大森立嗣、次男は俳優の大森南朋。 石川県金沢市生まれ。父親の潤一は大日本帝国海軍の軍人(中佐)で、第一航空艦隊参謀としてテニアン島に赴任。1944年(昭和19年)7月から始まるテニアンの戦いに参加して、翌8月2日、角田覚治司令長官らと塹壕に設えた司令部にて手榴弾で自決した(死後特進して大佐)。また母親の裕子が夫の戦死をきっかけに精神を病んだため、小学5年生の時に奈良県桜井市三輪山麓に住むおじ夫婦に預けられる。
麿 赤兒(まろ あかじ、1943年2月23日 - )は、日本… 麿 赤兒(まろ あかじ、1943年2月23日 - )は、日本の俳優、舞踏家、演出家。本名は大森 宏。暗黒舞踏集団・大駱駝艦主宰。所属事務所は同傘下の芸能事務所・キャメルアーツ。長男は映画監督の大森立嗣、次男は俳優の大森南朋。
小澤 正俊(おざわ まさとし、1943年2月23日 - )は… 小澤 正俊(おざわ まさとし、1943年2月23日 - )は、日本の実業家。第15代大同特殊鋼代表取締役社長。 1966年に京都大学工学部を卒業後、大同製鋼株式会社(現大同特殊鋼株式会社)に入社。1996年に取締役知多工場長。2000年に常務取締役。2004年に代表取締役社長。2010年に代表取締役会長、一般財団法人中部生産性本部会長。2014年に新東工業株式会社取締役。2015年に大同特殊鋼株式会社相談役。2016年にオークマ株式会社取締役。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
寺﨑 央(てらさき ひさし、別名:H・テラサキ、1943年2… 寺﨑 央(てらさき ひさし、別名:H・テラサキ、1943年2月23日 - 2012年12月16日)は、フリーの雑誌編集者である。ムック「Made in U.S.A. catalog 1975」をつくり、「MEN’S CLUB」「平凡パンチ」「POPEYE」「BRUTUS」などの雑誌を舞台に活動した。「テラ」「テラさん」の愛称がある。 北海道空知郡芦別町にて医師の父のもとに生まれた。芦別小学校、新宿区立落合第二小学校(編入)、落合中学校、私立海城高等学校を経て、1961年に日本大学芸術学部放送学科に入学した。 1965年、婦人画報社へ入社した。「MEN'S CLUB」編集部に配属され、小林泰彦、斎藤融、中原幹生、芦澤一洋、長濱治を知る。
的川 泰宣(まとがわ やすのり、1942年〈昭和17年〉2月… 的川 泰宣(まとがわ やすのり、1942年〈昭和17年〉2月23日 – )は、日本の宇宙工学者、工学博士である。専門は、軌道工学、システム工学。 広島県呉市生まれ。戦艦大和が建造中の呉海軍工廠が一望できる高台が遊び場だった。呉市立荒神町小学校、呉市立二河中学校、広島大学附属高等学校を経て東京大学に進学する。1965年に東京大学工学部航空学科宇宙工学コースを第一期生として卒業し、東京大学大学院工学研究科航空学専攻に進学する。大学院の最後の年には、日本初の人工衛星「おおすみ」の打上げに貢献。的川は糸川英夫の最後の弟子である。1970年東京大学大学院工学研究科航空学専攻博士課程を修了し、東京大学宇宙航空研究所に入所。
佐古 利南(さこ としなみ、1942年〈昭和17年〉2月23… 佐古 利南(さこ としなみ、1942年〈昭和17年〉2月23日 - )は、日本の教育者、著述家。 1942年(昭和17年)2月23日、佐古利正の長男として、山口県岩国市に生まれた。 山口県立岩国高等学校卒業後、早稲田大学教育学部に進学し、1965年(昭和40年)に卒業。同年、山口県の公立高校に教諭として採用され、日本史を教えた。部活動では弓道部の顧問を預かり、昭和58年(1983年)開催の第38回国民体育大会で優勝に導いた。山口県立防府高等学校教頭、山口県立山口高等学校教頭、山口県立宇部中央高等学校校長を歴任し、2002年(平成14年)に定年退職した。 2004年(平成16年)、岩国掃除に学ぶ会を設立し代表世話人となる。
今村 修(いまむら おさみ、1942年2月23日 - )は、… 今村 修(いまむら おさみ、1942年2月23日 - )は、日本の政治家。元社会民主党衆議院議員(1期)。 青森県青森市出身。法政大学法学部通信制卒。青森県労事務局次長、青森市議などを経て、1987年青森県議に当選。1993年の総選挙で旧青森1区から関晴正の後継者として日本社会党公認で立候補して当選。1996年の総選挙で落選。1999年の青森県知事選挙に立候補し落選。2000年、2003年の総選挙でも落選した。 2025年1月時点で社民党青森県連代表を務めている。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
秋山 亮二(あきやま りょうじ、1942年2月23日 - )… 秋山 亮二(あきやま りょうじ、1942年2月23日 - )は日本の写真家。東京都出身。早稲田大学文学部卒業後、AP通信、朝日新聞社写真部を経て、フリーの写真家に。インドの飢餓や離島の過疎化などフォトジャーナリストの視点から積極的に取材、発表した後、深瀬昌久、森山大道らとともにニューヨーク近代美術館の「New Japanese Photography」展(1974)など国際展に参加。個展「Ryoji Akiyama Photography」(ライス大学、ヒューストン)も開催。さらにニューヨーク、インドネシア、中国など「旅する者の視点」から対象を淡々と捉えた作品を発表し、ユーモアと鋭い社会的風刺に富んだ「スクラップランド」や「旅ゆかば」シリーズにおいて独自の世界観を構築した。
多田 護(ただ まもる、1941年2月23日 - 2017年… 多田 護(ただ まもる、1941年2月23日 - 2017年6月13日)は、日本のアナウンサー。北海道出身(幕別町明野生まれ)。身長172cm、体重76kg。血液型O型。 北海道帯広三条高等学校→明治大学政経学部卒業後、1965年4月にTBSへアナウンサー第10期生として入社。1966年1月にラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部兼報道局ニュース取材部、1967年11月にアナウンサー研修室付兼報道局ラジオニュース部へそれぞれ配属。 1968年6月に報道局運動部兼アナウンサー研修室付の配属となって以降は、主にスポーツアナウンサーとして中継・情報番組で活動した。主な中継担当競技は、野球・テニス・ゴルフ・フィギュアスケート・陸上競技。
大宅 映子(おおや えいこ、本名:枝廣 映子、1941年(昭… 大宅 映子(おおや えいこ、本名:枝廣 映子、1941年(昭和16年)2月23日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家、コメンテーター。 ジャーナリスト大宅壮一の三女。兄は詩人・大宅歩。芸能事務所ホリプロがマネジメントしている。 株式会社大宅映子事務所代表取締役、公益財団法人大宅壮一文庫理事長。(母・大宅昌から引き継いだ。) CNNj放送番組審議会委員、AXNエンタテインメント放送番組審議会委員、西武ホールディングス社外取締役、日本年金機構理事、公益財団法人日本国際フォーラム評議員、日本ゴルフ改革会議議長。元日本インフォメーションシステムズ (NIS) 代表取締役、元株式会社髙島屋社外取締役、元資生堂社外監査役。
長谷川 毅(はせがわ つよし、1941年2月23日 - )は… 長谷川 毅(はせがわ つよし、1941年2月23日 - )は、アメリカ合衆国在住の歴史学者。アメリカ合衆国国籍。専門はロシア史、日露関係。 東京都生まれ。東京都立武蔵丘高等学校、東京大学教養学部卒業後、ワシントン大学で博士号取得。1976年、アメリカ市民権取得。北海道大学スラブ研究センター(現・北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター)教授を経て、2016年に引退するまでカリフォルニア大学サンタバーバラ校歴史学部教授を務め冷戦研究プログラム責任者を務めた。 アメリカにおいて、日ソ関係について研究を行っている。長谷川が英文で書かれたものと日本読者向けに和文で出版されたものについては、内容が微妙に異なる箇所が散見される。
矢ノ浦 国満(やのうら くにみつ、1941年2月23日 - … 矢ノ浦 国満(やのうら くにみつ、1941年2月23日 - )は、昭和中期(1960年代)のプロ野球選手(内野手)。福岡県出身(満州生まれ)。右投げ右打ち。
斎藤 学(さいとう さとる、1941年2月23日 - )は、… 斎藤 学(さいとう さとる、1941年2月23日 - )は、日本の精神科医、実業家。医学博士。世の中の変動と連動として起こる人間の異常の研究をテーマとしており、共依存やアダルトチルドレンの概念を日本に紹介し広めた。 医療法人社団學風会さいとうクリニック理事長(現在は閉院し、患者のうち希望者は引き続き斎藤のカウンセリングを受けている。DNCも解体され、一部はJUSTにて引き継がれ、一部は独立して継続されている。JUSTホームページの「関連リンク」のページ参照)。PIAS麻布コレクティブ主宰。日本嗜癖行動学会なななななな理事長、同学会誌「アディクションと家族」編集主幹。日本家族と子どもセラピスト学会理事長、同学会誌「ファミリーチャイルドセラピー」編集主幹。
船津 衛(ふなつ まもる、1940年2月23日 - )は、日… 船津 衛(ふなつ まもる、1940年2月23日 - )は、日本の社会学者。学位は、博士(社会学)。主たる研究領域は、社会学理論、社会的自我論、コミュニケーション論。 1940年、東京都生まれ。1967年、東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。日本を代表する社会学者である新明正道の薫陶を受ける。東北大学在学時、卒業論文では社会意識論を扱い、修士論文では準拠集団論の研究に取り組んだ。山口大学人文学部専任講師、同助教授、大阪市立大学文学部助教授、東北大学文学部教授、東京大学大学院人文社会系研究科教授、東洋大学社会学部学部長、放送大学教授を歴任する。我が国におけるシンボリック相互作用論研究の第一人者であり、その門弟には、土肥豊、伊藤勇、徳川直人、山尾貴則、桑原司、小川祐喜子、寺田征也等がいる。
田中 弘文(たなか ひろふみ、1940年2月23日- )は… 田中 弘文(たなか ひろふみ、1940年2月23日- )は、日本の経営者。アサヒペン社長、会長を務めた。大阪府出身。 1961年に同志社大学経済学部を中退し、同年5月にアサヒペンに入社した。1970年11月に取締役に就任し、1977年5月には社長に昇格した。1995年4月に副会長に就任し、2003年6月から相談役を務めた。 2012年11月に旭日単光章を受章。
柏倉 康夫(かしわくら やすお、1939年2月23日 - )… 柏倉 康夫(かしわくら やすお、1939年2月23日 - )は、日本のジャーナリスト、フランス文学者。放送大学名誉教授。専門は、フランス文学、メディア論。
岡本 賢(おかもと まさる、1939年2月23日 - )は、… 岡本 賢(おかもと まさる、1939年2月23日 - )は、日本の建築家。元久米設計代表取締役社長。日本建築美術工芸協会会長。 東京都生まれ。1964年名古屋工業大学建築学科卒業、久米建築事務所(現久米設計)入社。1999年同社代表取締役社長。2006年社団法人東京都建築士事務所協会副会長。2007年社長定年68歳の内規により久米設計代表取締役会長。2014年一般社団法人日本建築美術協会会長。岡本賢設計室を開設し、久米設計特別顧問、光鯱会会長、久米・早川建築関連業務共同企業体特別顧問、東京都建築賞選考委員、高校生けんちくコンテスト審査委員長、AACA賞・芦原義信賞選考委員等も歴任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
草森 紳一(くさもり しんいち、1938年2月23日 - 2… 草森 紳一(くさもり しんいち、1938年2月23日 - 2008年3月19日)は、日本のマンガ、広告、写真評論家。 北海道河東郡音更村(現・音更町)生まれ。長男の渡部幻は映画批評家で編集者。長女の東海笑子は翻訳家。 北海道帯広柏葉高等学校を経て、1浪後慶應義塾大学文学部に入学して中国文学科に進む。大学時代は奥野信太郎や村松暎に師事。また慶應義塾大学推理小説同好会に参加、このときの先輩に紀田順一郎や田波靖男がいる。 映画監督を志望し、1960年に東映の入社試験を受けたが面接で失敗。 1961年、大学卒業後は婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に入社し、『男の服飾』を『MEN'S CLUB』に改名する発案をする。
田中 浩二(たなか こうじ、1938年〈昭和13年〉2月23… 田中 浩二(たなか こうじ、1938年〈昭和13年〉2月23日 - 2022年〈令和4年〉8月11日)は、日本の実業家。九州旅客鉄道(JR九州)第2代社長、第2代会長を歴任し、相談役。富山県警察本部長・警視長なども務めた。位階勲等は正四位旭日重光章。 熊本県天草郡河浦町(現天草市)出身。福岡県立小倉高等学校から1960年3月東京大学法学部卒業。1960年(昭和35年)日本国有鉄道(国鉄)に入社。1972年高崎鉄道管理局(現東日本旅客鉄道高崎支社)総務部長、1974年新潟鉄道管理局(現東日本旅客鉄道新潟支社)経理部長、1975年新潟鉄道管理局総務部長、1978年東京西鉄道管理局営業部長、1979年新幹線総局(現東海旅客鉄道新幹線鉄道事業本部等)営業部長、1981年職員局厚生課長、1983年監察局監察役兼監察局調査課長、1984年富山県警察本部長、1986年日本国有鉄道総裁室審議役。
杉山 修美(すぎやま おさみ、1938年2月23日 - )は… 杉山 修美(すぎやま おさみ、1938年2月23日 - )は、日本の経営者。トピー工業社長、会長を務めた。 東京都出身。1962年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年4月に東都製鋼(のちのトピー工業)に入社した。1992年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1998年6月には社長に就任。2005年4月に会長を経て、2008年4月に相談役に就任。 2002年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
白木 万理(しらき まり、1937年2月23日 - )は、東… 白木 万理(しらき まり、1937年2月23日 - )は、東京都世田谷区出身の女優。本名は山口 澄子。旧芸名は白木マリ。
長久保 文雄(ながくぼ ふみお、1937年2月23日 - )… 長久保 文雄(ながくぼ ふみお、1937年2月23日 - )は、日本の元スピードスケート選手。山梨県北巨摩郡小淵沢町(現・北杜市)出身。冬季オリンピックに2大会連続で出場し、インスブルック大会では妻・初枝(旧姓・高見沢)とともに夫婦で五輪出場を果たして話題になった。 峡北高校から専修大学に進み、1957年の全日本学生選手権500mで当時の日本記録となる42秒9をマーク。 卒業後、三協精機に入社。1年目でスコーバレー五輪に出場し、500m9位・1000m21位を残した。 その後、専大出身で同五輪に出場した高見沢初枝と結婚。 1964年のインスブルック五輪では冬季五輪では史上初となる夫婦日本代表の快挙を果たす。
桑原 和男(くわばら かずお、1936年〈昭和11年〉2月2… 桑原 和男(くわばら かずお、1936年〈昭和11年〉2月23日 - 2023年〈令和5年〉8月10日)は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優。福岡県小倉市(現:北九州市)出身。本名:九原 一三(くはら かずみ)。吉本新喜劇の座員として吉本興業に所属し、一時は座長も務めた。座長退任後は専科や若手育成も兼ねた座長格の主演、重鎮クラスなどの形で出演し、生き字引のような存在で吉本新喜劇を支え続けた。 1955年に地元の常磐高等学校を卒業。教師を志望していたため福岡の教育大学を受験し、その後夢路いとし・喜味こいしに師事する。初舞台は1956年で、「原あち郎・こち郎」の芸名で漫才の舞台に立った。漫才脚本家秋田實が立ち上げた劇団「宝塚新芸座」に所属した後、漫才活動を経て、1961年、吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」に入団する。
清元 榮三(きよもと えいぞう、1936年2月23日 - 2… 清元 榮三(きよもと えいぞう、1936年2月23日 - 2016年12月31日)は、清元節三味線方。東京都江東区深川出身。本名、小柳泰一。父は清元若壽太夫、弟は清元美壽太夫。重要無形文化財保持者(人間国宝)。生前は清元協会の理事・副会長などを歴任。 名古屋をどりで、大和楽、宮薗節を演奏する時は本名で行う。
内海 好江(うつみ よしえ 、本名・奥田 好江、1936年〈… 内海 好江(うつみ よしえ 、本名・奥田 好江、1936年〈昭和11年〉2月23日 - 1997年〈平成9年〉10月6日)は、日本の漫才師。東京市浅草区(現・東京都台東区)出身。マセキ芸能社に所属し、内海桂子・好江の名で内海桂子と女性漫才コンビとして活動していた。 両親は夫婦漫才師の荒川小芳・林家染寿。1945年にデビュー。女剣劇や父娘漫才を経て、1950年の14歳の時に内海桂子と女性漫才コンビ「内海桂子・好江」を結成。 三味線教室へ通い毎日10時間以上の猛練習を行い、猛スピードで成長。1958年、4度目の挑戦で『NHK新人漫才コンクール』で優勝。その前年は、準優勝だったことを桂子から「好江のせいだ」と当たられ自殺未遂を起こしたことがある。
工藤哲巳(くどう てつみ、1935年2月23日 - 1990… 工藤哲巳(くどう てつみ、1935年2月23日 - 1990年11月12日)は、日本の現代美術家。大阪に生まれ、、少年期を父の出身地青森で暮らし、1945年に父が早世した後、母の郷里岡山で高校までを過ごした。本名は工藤哲美。 祖父は青森県長橋村村長、父は画家の工藤正義。岡山県立岡山操山高等学校在学中に小磯良平に師事。東京藝術大学では林武に師事した。その在学中から、東京都美術館で開催されていた読売アンデパンダン展に出展し注目を浴びた。東野芳明は1960年(第12回展)に出展された工藤の『X型基本体に於ける増殖性連鎖反応』を評し最初に「反芸術」の語を用いている。 1958年、東京藝術大学油画科を卒業。
金子 源吉(かねこ げんきち、1935年2月23日 - )は… 金子 源吉(かねこ げんきち、1935年2月23日 - )は、日本の実業家。テレビ長崎会長、元社長。父は農林水産大臣を務めた金子岩三、弟は長崎県知事を務め現参議院議員の金子原二郎。 1935年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1959年に慶応義塾大学法学部卒業後、金子商店に入社。1970年専務、1975年金子漁業(金子商店から社名変更)副社長を経て、1984年社長に就任。父は金子漁業グループ創業者で元農林水産大臣の金子岩三であり、実弟の金子原二郎が政界を、自身が財界を引き継ぐという分業体制を成立させた。1986年には父・岩三が設立に携わったテレビ長崎社長に就任。以後26年にわたって務め2012年同社会長となり、2020年4月一身上の都合で退任した。
新野 新(しんの しん、1935年〈昭和10年〉2月23日 … 新野 新(しんの しん、1935年〈昭和10年〉2月23日 - 2025年〈令和7年〉9月25日)は、日本の放送作家、ラジオパーソナリティー、司会者。 大阪府大阪市出身。放送作家集団「ペン企画」主宰を池田幾三とともに務めたほか、放送作家などの養成スクールである心斎橋大学総長も務めた。
深井 人詩(ふかい ひとし、1935年2月23日 - 202… 深井 人詩(ふかい ひとし、1935年2月23日 - 2020年11月19日)は、日本の書誌学者。早稲田大学教育学部非常勤講師(図書館司書課程)。 石川県羽咋郡西土田村(現・志賀町)に生まれる。早稲田大学第二文学部卒。 妻は小説家の深井迪子。 1953年から1997年まで同大学図書館に勤務するかたわら、『書誌年鑑』をはじめ多くの書誌を刊行、参考業務に必要なレファレンス・ツールの体系を示した。深井の作成した書誌は図書館業務に日常役立ち、図書館を従来の図書借用施設から情報提供・調査サポート施設へと変化させた。図書館の研究会を412回、50年に亘ってほとんど一人で主宰、ここから多くのライブラリアンが巣立った。
杉山 明子(すぎやま めいこ、1934年2月23日 - 20… 杉山 明子(すぎやま めいこ、1934年2月23日 - 2023年6月8日)は、日本の社会学者(社会調査)・統計学者である。神奈川県出身。 父は工学者の堀義路。祖父は実業家・聖職者の堀卯三郎。実業家の堀義人は甥。政治学者の秋野豊は従弟。政治学者の潮田江次は従叔父。 北海道生まれ。1957年に津田塾大学学芸学部数学科を卒業後、同年NHKに入局。同・放送世論調査所(現・放送文化研究所)主任研究員を経て、1988年より東京女子大学現代文化学部教授。日本行動計量学会理事長(2000 - 2006年)、社会調査士資格認定機構(現、社会調査協会)副機構長(2003 - 2007年)等を歴任。実業家でグロービス経営大学院大学学長、グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナーの堀義人は甥。
池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23… 池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23日 - 1997年〈平成9年〉3月8日)は、日本の画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。しかし、多岐にわたる活動や多才さは、かえって“池田芸術”の高い知名度にふさわしい正当な評価を困難にしている。 旧満洲国奉天市(現在の瀋陽市)に生まれ、戦後長野県長野市で育つ。長野市立柳町中学校、長野北高等学校(現・長野県長野高等学校)定時制課程卒業。高校在学中に絵画が入選、画家を志し上京するが、東京芸術大学の受験に3度失敗し大学進学を断念。
鎌倉 孝夫(かまくら たかお、1934年2月23日 - )は… 鎌倉 孝夫(かまくら たかお、1934年2月23日 - )は、日本の経済学者。埼玉大学名誉教授、東日本国際大学名誉教授・元学長。専攻は経済理論、マルクス経済学。 東京都出身。マルクス経済学者の宇野弘蔵に学び、宇野の死後は鈴木鴻一郎、大島清、岩田弘、大内力、橋本寿朗、降旗節雄、大内秀明、桜井毅、山口重克らとともに宇野学派の研究者の一人とされる。 宇野のいわゆる三段階論(原理論・段階論・現状分析)を研究し、宇野原論をより一貫化した。宇野学派の原論(『経済原論』,1964)の理解には、大きく分けて二つの方向があり、一つは形態関係=歴史的論理重視の立場であり、もう一つは純粋資本主義のモデル的理論への純化の方向を志向する立場がある。
勝城 蒼鳳(かつしろ そうほう、1934年2月23日 - 2… 勝城 蒼鳳(かつしろ そうほう、1934年2月23日 - 2023年1月28日)は、日本の竹工芸家。重要無形文化財保持者(人間国宝)。本名は、勝城 一二(いちじ)。 栃木県那須郡高林村(黒磯町、黒磯市を経て、現在の那須塩原市)に生まれる。 1949年に15歳で菊地義伊に弟子入りして竹工芸を学び始め、八木澤啓造(蒼玕)や斎藤文石にも指導を受けた。1968年に日本伝統工芸展に初めて入選を果たし、以後「蒼鳳」の号を使用する。この号は八木澤から与えられたものだった。斎藤に師を変えたのは、八木澤が指導のためにフィリピンに渡航したことが理由だった。 1972年に日本工芸会正会員となる。 日本伝統工芸展では、第30回で東京都知事賞、第44回でNHK会長賞を受賞した。
藤原 英司(ふじわら えいじ、1933年2月23日 - )は… 藤原 英司(ふじわら えいじ、1933年2月23日 - )は、日本の動物学者、翻訳家。
中部 慶次郎(なかべ けいじろう、1933年2月23日 - … 中部 慶次郎(なかべ けいじろう、1933年2月23日 - 2007年9月17日)は、日本の実業家。マルハ(現・マルハニチロ)元会長、プロ野球球団・横浜ベイスターズ元オーナー。山口県下関市出身。 1955年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に大洋漁業に入社。 1987年4月に副社長に就任し、1989年6月には社長に昇格。2002年3月には会長に退いた。社長在任時には、同族会社からの脱皮と総合食品企業への切り替えといった近代化を推し進めた。 1990年から2002年までに横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズのオーナーを務めた。