斉藤 利男(さいとう としお、1950年3月27日 - )は… 斉藤 利男(さいとう としお、1950年3月27日 - )は、日本の日本史学者、弘前大学名誉教授。専攻は日本中世史。 茨城県生まれ。1973年東北大学文学部国史学科卒業。1982年同大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学。1983年弘前大学教育学部講師、1986年助教授、1997年教授、2015年3月退官。2018年弘前学院大学社会福祉学部特任教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
天井 次夫(あまい つぎお、1950年(昭和25年)3月27… 天井 次夫(あまい つぎお、1950年(昭和25年)3月27日 -2023年〈令和5年〉11月22日 )は日本の実業家。株式会社日商インターライフ(現インターライフホールディングス株式会社)創業者。株式会社バリュークリエーション(現エイチ・エス・アシスト株式会社)創業者。日本ベンチャー協議会発起人。株式会社経営戦略合同事務所 代表取締役会長を務めた。 1950年石川県七尾市生まれ。1975年に25歳で株式会社日商インターライフ設立、代表取締役社長に就任。1990年に店頭登録市場(現東京証券取引所 JASDAQ市場)に株式公開。1991年に日本ベンチャー協議会の前身である新世紀経営者クラブを創設(2008年の解散)。
小林 節(こばやし せつ、1949年〈昭和24年〉3月27日… 小林 節(こばやし せつ、1949年〈昭和24年〉3月27日 - )は、日本の進歩的文化人・法学者・弁護士、政治活動家、コラムニスト。専門は憲法学。慶應義塾大学名誉教授。日本公法学会・日米法学会・国際憲法学会・比較憲法学会・全国憲法研究会・国際人権法学会等の学会に所属。 東京出身(現在は神奈川県横浜市港北区在住)。新宿区立淀橋第七小学校(現・新宿区立柏木小学校)から新宿区立淀橋中学校(現・新宿区立西新宿中学校)を経て、東京都立新宿高等学校に入学。同校では学年430人中400番以下の成績で、高校2年の時、授業をサボって歌舞伎町を徘徊し、成人映画を観るために映画館に入ったところを婦人警官に補導されたこともある。
大越 義久(おおこし よしひさ、1949年3月27日 - )… 大越 義久(おおこし よしひさ、1949年3月27日 - )は、日本の刑法学者。東京大学名誉教授。神奈川県生まれ。 神奈川県立川崎高等学校卒、1971年上智大学法学部卒業。73年上智大学大学院法学研究科修士課程。 1980年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、「共犯の処罰根拠」で法学博士の学位を取得。 1977年10月筑波大学第一学群専任講師、1982年神戸大学法学部助教授、1984年同法学部教授、1993年大阪地裁判事を経て、1996年東京大学大学院総合文化研究科教授。 2013年より神奈川大学法科大学院教授。2020年3月神奈川大学定年退職。 東京大学名誉教授、放送大学教養学部客員教授。
植野 妙実子(うえの まみこ、1949年3月27日 - )は… 植野 妙実子(うえの まみこ、1949年3月27日 - )は、日本の法学者、専門は憲法学・フランス法、中央大学名誉教授。 東京都出身。中央大学法学部法律学科卒業、同大学院法学研究科博士後期課程満期退学(指導教官:清水睦)。中央大学理工学部専任講師、同助教授、1993年から同教授。2004年大学院法学研究科教授・公共政策研究科教授を兼任。2006年エクセ・マルセイユ大第3大学にて法学博士取得。2019年中央大学理工学部定年退職。
柳田 孝義(やなぎだ たかよし、1948年3月27日 - )… 柳田 孝義(やなぎだ たかよし、1948年3月27日 - )は、日本の作曲家。 1948年北海道札幌市生まれ。北海道札幌北高等学校を経て、武蔵野音楽大学・同大学院で作曲をクラウス・プリングスハイムに師事。ミュンヘン音楽大学で作曲をハラルド・ゲンツマーに学ぶ。 1969年、第38回日本音楽コンクール作曲部門第1位作曲賞を受賞。オーケストラ・プロジェクトのメンバーとして第52回・第54回の2回文化庁芸術祭優秀賞を受賞。2006年、吹奏楽曲「西風の肖像」で第1回フランク・ティケリ国際作曲コンテスト(The First Frank Ticheli Composition Contest、ニューヨーク)第3位入賞(カテゴリー2)。
種村 均(たねむら ひとし、1948年(昭和23年)3月27… 種村 均(たねむら ひとし、1948年(昭和23年)3月27日 - )は、日本の実業家。森村豊明会代表理事、中日本高速道路取締役会長。元ノリタケカンパニーリミテド代表取締役会長。三十三フィナンシャルグループ社外取締役、大同特殊鋼社外取締役。三重県員弁郡東員町筑紫出身。 東海高等学校を経て、1971年(昭和46年)、名古屋大学経済学部卒業。末松玄六ゼミ出身。同年、日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)入社。財務部長、副社長等を経て、2008年(平成20年)に代表取締役社長就任。2013年(平成25年)には代表取締役会長に就任した。 寄付金による東員町の教育行政への貢献や、子ども歌舞伎公演の松の会会長として、東員町の地域文化振興に努めたとして、2017年(平成29年)に東員町町民栄誉賞受賞。
吉野 雅邦(よしの まさくに、1948年3月27日 - )は… 吉野 雅邦(よしの まさくに、1948年3月27日 - )は、元新左翼運動家で連合赤軍の元幹部。
阿部 成宏(あべ なりひろ、1947年3月27日 - )は、… 阿部 成宏(あべ なりひろ、1947年3月27日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。左投左打。1970年までの登録名は阿部 成行(あべ なりゆき)。兄は元プロ野球選手の阿部雄厚。 岩手・花巻商高(現・花巻東高)では1964年にエース、四番打者として夏の甲子園に出場。1回戦で鹿児島玉龍高を完封するが、2回戦では、この大会に優勝した高知高の光内数喜投手(芝工大-鐘淵化学)に抑えられ敗退。 1965年に大洋入団。 1969年には一軍で2試合に登板するが結果を残せなかった。 1970年11月の第1回選抜会議(トレード会議)の対象となり、12月に巨人に移籍。 1971年に外野手に転向する。
左 時枝(ひだり ときえ、1947年〈昭和22年〉3月27日… 左 時枝(ひだり ときえ、1947年〈昭和22年〉3月27日 - )は、日本の女優。旧本名及び旧芸名は額村 多美子。 富山県富山市出身。東京都立松原高等学校、東京女子体育短期大学卒業。舞プロモーション、高瀬プロダクション、ファザーズコーポレーションを経て、現在はフリーで活動。 血液型はO型。身長159cm、体重50kg。長姉は左幸子(自身は五女)。義兄は羽仁進、姪は羽仁未央。羽仁進の二人目の妻の額村喜美子も姉(四女)。娘は額村麻裕。夫は造形作家の市田喜一。 画家としても第46回創展で創展賞を受賞している。 母は華道の指導者であった。 1958年、11歳の時に映画『荷車の歌』でデビュー(姉・幸子が演じた役の幼少期を演じた)。
河手 悦夫(かわて えつお、1947年3月27日 - )は日… 河手 悦夫(かわて えつお、1947年3月27日 - )は日本の大蔵官僚。関東財務局長などを務めた。 大阪府大阪市出身(父母は岡山県出身)。大阪府立北野高等学校、京都大学経済学部卒業。1970年 大蔵省入省(銀行局銀行課)。1975年7月 鳴門税務署長。 1989年6月 大阪国税局総務部長。1992年7月 東京国税局総務部長。1993年7月2日 大臣官房金融検査部審査課長。1994年7月1日 北海道財務局長。1995年5月26日 広島国税局長。1996年7月12日 国土庁長官官房審議官(計画・調整局担当)。1997年7月15日 関東財務局長。1998年6月30日 関東財務局長兼関東財務局総務部長事務取扱。
石内 都(いしうち みやこ、1947年〈昭和22年〉3月27… 石内 都(いしうち みやこ、1947年〈昭和22年〉3月27日 - )は、日本の写真家。 群馬県桐生市生まれ、横須賀市で育つ。横須賀市立第二高等学校卒業。多摩美術大学デザイン科入学。大学2年より染織専攻するが中退。 1994年、グッゲンハイム美術館での「戦後日本の前衛美術」展に招待された。ヴェネツィア・ビエンナーレの2005年日本代表。2015年、The J. Paul Getty Museumにて個展「Postwar Shadows」を開催。2017年12月9日~2018年3月4日、横浜美術館にて「肌理(きめ)と写真」が開催された。 皮膚や衣類と時間とのかかわりをテーマにした写真を撮り続けており、代表作に広島原爆で被爆した遺品を被写体とした「ひろしま」、フリーダ・カーロの遺品を撮影した「フリーダ 愛と痛み」など。
上村 香子(かみむら きょうこ、1946年3月27日 - )… 上村 香子(かみむら きょうこ、1946年3月27日 - )は、日本の女優。 東京都目黒区出身。聖心女子学院高等科、聖心女子専門学校英語専攻科卒業。芳賀事務所、岩崎事務所を経て、オフィス・ミヤモト所属。夫は浜畑賢吉。 高校在学中に菊田一夫に劇団東宝現代劇への入団を直談判したが断られた。短大を卒業後、再度アタックし、1966年、劇団東宝現代劇へ入団してデビュー。1970年、退団。 退団後の活動の中心はテレビドラマで『肝っ玉かあさん』の清田千津役を松尾嘉代から引き継ぎ、その後『俺たちの旅』や『白い巨塔』で当たり役を得た。のちに結婚する浜畑賢吉とは1973年のCBCの昼ドラ『華岡青洲の妻』で共演していたが付き合ってはおらず、1975年夏頃から付き合い始めたという。
嶋中 行雄(しまなか ゆきお、1946年3月27日 - )は… 嶋中 行雄(しまなか ゆきお、1946年3月27日 - )は、日本の実業家。東京都出身。株式会社中央公論社(現・株式会社中央公論新社)元代表取締役社長。嶋中鵬二の長男。 東京都出身。上智大学外国語学部卒業。1976年、株式会社中央公論社(現・株式会社中央公論新社)に入社。その後、同社において海外室室長、取締役、副社長を歴任。1985年、嶋中書店創業。1994年、45年間に渡り社長を務めた父親の嶋中鵬二の後任として、代表取締役社長に就任。
宮本 信子(、戸籍:池内 信子、旧姓:宮本、1945年〈昭和… 宮本 信子(、戸籍:池内 信子、旧姓:宮本、1945年〈昭和20年〉3月27日 - )は、日本の女優、歌手。所属事務所は東宝芸能(1990年から)。 北海道小樽市生まれ、愛知県名古屋市育ち。愛知淑徳高等学校卒業。夫は伊丹十三。長男は池内万作。義理の娘(池内万作の妻)は、音楽家である本田みちよ。俳優の佐々木勝彦は再従兄。 1963年、高校卒業後、文学座附属演劇研究所に入所。 1964年、劇団青俳に入団後にフリーとなる。 NHKドラマ「あしたの家族」(1965年 - 1967年)で共演した俳優・伊丹十三と交際に発展、1969年1月に結婚。子どもが3歳頃よりおおよそ2年間、毎日自作の物語を作って聞かせていた。
市橋 七郎(いちはし しちろう、1945年3月27日 - … 市橋 七郎(いちはし しちろう、1945年3月27日 - )は、日本の経営者。福井銀行頭取を務めた。 福井県福井市出身。1968年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に福井銀行に入行した。1983年6月に取締役に就任し、1985年4月に常務、1987年4月に専務を経て、1992年10月には頭取に就任し、2010年3月までに務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
平山 輝武(ひらやま てるたけ、1944年3月27日 - )… 平山 輝武(ひらやま てるたけ、1944年3月27日 - )は、茨城県出身の元バスケットボール選手・指導者。身長175cm。ポジションはガード。「シュートマシン」の異名を持つ。現役当時は3点シュートがなかった。ミスターバスケットの諸山文彦とは日本大学時代および日本鋼管時代コンビを組んでいた。 茨城県立日立第一高等学校入学後はバスケット部に入部 日本大学進学後、大学バスケ界の名監督と謳われた細島繁の指導を受ける。 卒業後は日本鋼管に入社。日本リーグ4連覇に貢献。 全日本でも東京五輪候補、アジア選手権などに出場。 現役引退後は母校・日本大学の助監督等を行う。 また、明星学園女子バスケットボール部の監督、椎名真一を義理の弟に持つ。
中込 良廣(なかごめ よしひろ、1944年3月27日 - 2… 中込 良廣(なかごめ よしひろ、1944年3月27日 - 2020年8月19日) は、日本の原子核物理学者。京都大名誉教授。元原子力安全基盤機構理事長。 群馬出身。1962年群馬県立桐生高等学校卒業。1966年東北大学理学部物理学科卒業。1968年東北大学大学院理学研究科原子核理学専攻修士課程修了、京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所)助手。1977年レンセラー工科大学客員助手。1991年東北大学理学博士。1993年京都大学原子炉実験所助教授。2001年京都大学原子炉実験所教授。平成12年科学技術庁長官賞・核物質管理功労者表彰受賞。平成18年経済産業大臣原子力安全功労者表彰受賞。
新橋 耐子(しんばし たいこ、1944年3月27日 - )は… 新橋 耐子(しんばし たいこ、1944年3月27日 - )は、日本の女優。本名も同じ。東京都千代田区出身。特技は三味線、琴。 三輪田学園高等学校卒業。俳優座養成所第14期生。 東京の花柳界育ちで、小さい時から三味線を習う。弟がいる。 1967年、文学座に所属し、宮本研作「夢・桃中軒牛右衛門」で曲師の役を演じる。主に舞台、テレビドラマなどで脇役で活躍する。
碓氷悟史(うすい さとし、1944年3月27日- )は、日本… 碓氷悟史(うすい さとし、1944年3月27日- )は、日本の公認会計士・会計学者。亜細亜大学名誉教授。 東京都生まれ。1967年亜細亜大学商学部商学科卒業、1972年明治大学大学院商学研究科商学専攻博士課程単位取得退学、亜細亜大学経営学部専任講師、1975年助教授、1980年教授となり、1983-1988年日本経済短期大学教授、1999-2001年、2003-2004年亜細亜大学短期大学部教授、その間は亜細亜大学教授。2015年定年となり、名誉教授。
門垣 逸夫(かどがき いつお、1943年3月27日 - )は… 門垣 逸夫(かどがき いつお、1943年3月27日 - )は、熊本朝日放送株式会社(KAB)特別顧問。元社長、元取締役会長、元新聞記者。熊本県出身。熊本高校、九州大学法学部出身。 熊本市中央区坪井町生まれ、1967年朝日新聞社入社(同期は元鎌倉市市長の竹内謙)。新聞記者として秋田、佐賀、久留米、小倉、福岡支局を転々とした後、東京本社政治部、編集局次長、文化企画局、経営戦略室、役員を経て2004年6月熊本朝日放送代表取締役社長に就任。2009年より取締役会長に就任。
井上 輝子(いのうえ てるこ、1942年3月27日 - 20… 井上 輝子(いのうえ てるこ、1942年3月27日 - 2021年8月10日)は、日本の社会学者、女性学者。和光大学名誉教授。 東京生まれ。別名・辺(ほとり)輝子。県立静岡高校から都立九段高校を経て、東京大学文学部社会学科卒業。1971年、同大学院社会学研究科新聞学修了。1970年、立教大学助手、1973年、和光大学助教授となり、1984年、同教授。2012年、定年退職、名誉教授。 1970年代初頭のウーマンリブ運動に参加する中で女性学と出会い、和光大学で女性学講座を担当。日本出版学会賞受賞。日本女性学研究会設立、日本女性学会代表幹事を務めるなど、日本における女性学の基礎を築いた。山川菊栄記念会代表、山川菊栄賞(山川菊栄記念婦人問題研究奨励金)選考委員長やNPO 法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)のミニコミ図書館に尽力するなど女性学研究の発展や女性情報の発信にも積極的にかかわった。
武田 正倫(たけだ まさつね、1942年3月27日 - )は… 武田 正倫(たけだ まさつね、1942年3月27日 - )は、日本の動物学者、東京大学名誉教授。専攻は十脚甲殻類を中心とした動物分類系統学。 東京生まれ。1964年横浜国立大学学芸学部生物学科卒、1971年九州大学大学院農学研究科畜産学博士課程修了、「パラオ諸島産甲殻短尾類の研究」で農学博士、日本大学医学部助手、1973年国立科学博物館研究官、1980年主任研究官、1986年同動物第三研究室長、1995年東京大学理学部教授となる。2006年定年退官、名誉教授、帝京平成大学教授。 1987年『大きなはさみのなぞ干潟のカニ・シオマネキ』で毎日出版文化賞受賞。 絵本などの子供向けのものも幾つか出している。
小林 克也(こばやし かつや、1941年〈昭和16年〉3月2… 小林 克也(こばやし かつや、1941年〈昭和16年〉3月27日 - )は、日本のラジオDJ、ナレーター、タレント、俳優。広島県福山市野上町出身。DJに特異な分野を築いた第一人者、DJ草分けであり、ロックの伝道者。「ミスター音楽」と呼ばれる事もある。愛称はKORBY(コービー)。福山ふるさと大使 第1号。 キッスの日本公演に同行したアメリカ人ジャーナリストが「アメリカで立派に英語の先生になれる」と評するほど流暢な英語を話す。 広島大学附属福山高等学校卒業、慶應義塾大学経済学部中退。 父親を早くに亡くし、教師だった母親の手で育てられた母子家庭。大きなラジオがおもちゃで、小学校3年生の頃、ラジオの丸ダイヤルをひねると色んな言語の放送が入ってきた。
榊原 英資(さかきばら えいすけ、1941年3月27日 - … 榊原 英資(さかきばら えいすけ、1941年3月27日 - )は、日本の経済学者、青山学院大学教授。元大蔵官僚。専門は国際金融論。元丸紅の榊原俊資は実弟。
木村 博江(きむら ひろえ、1941年3月27日 - )は、… 木村 博江(きむら ひろえ、1941年3月27日 - )は、日本の翻訳家。 東京出身。国際基督教大学卒業。エールフランス勤務、草思社勤務、編集者を経て、はじめ音楽関係の翻訳をするが、のち動物もの、恋愛論などノンフィクションや推理小説に領域を広げる。『なぜ美人ばかりが得をするのか』(ナンシー・エトコフ、草思社、2000年)はベストセラーになった。また、前野 律名義でジャズ関係の本のほか、ロマンチックサスペンスものや、幼児教育関係の本の翻訳も手がけている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
竹下 孝哉(たけした たかや、1941年(昭和16年)3月2… 竹下 孝哉(たけした たかや、1941年(昭和16年)3月27日 - )は、日本の栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 窯元の名称は「蝶風窯」。 同じく益子焼の陶芸家である竹下鹿丸の父親である。 陶芸家になる前は登山家・探検家として活動していた。 そして、南米アマゾン川流域の原住民たちの過酷な現実と実態を綴ったノンフィクション『ナパニュマ アマゾン原住民と暮らした女』の訳者の一人である。 1941年(昭和16年)3月27日、台湾台北で生まれる。終戦後に日本に引き揚げてきた。 静岡県で落ち着いた後、東京都立九段高等学校を卒業し、東京外国語大学の中国語科に入学した。 学生時代の1964年(昭和39年)、日本アルプスを登坂した。
藤井 良清(ふじい よしきよ、1940年3月27日 - )は… 藤井 良清(ふじい よしきよ、1940年3月27日 - )は、日本の経営者。日本ハム社長を務めた。香川県出身。 1962年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に日本ハムに入社。1988年11月に取締役に就任し、1996年6月に常務を経て、2002年6月に社長に就任。2007年4月に会長に就任。 2019年春に旭日重光章を受章。
齋藤 博(さいとう ひろし、1939年(昭和14年)3月27… 齋藤 博(さいとう ひろし、1939年(昭和14年)3月27日 - )は、日本の政治家。所沢市名誉市民。埼玉県所沢市の元市長。中央大学商学部卒業。 1939年、所沢市議を務めた父・静の次男として埼玉県所沢市で生まれる。1971年に32歳で所沢市議会議員選挙に当選する。1979年に埼玉県議会議員選挙(自由民主党公認)に当選し、以後連続3期当選を果たした。 1988年に発生した埼玉県議団分裂問題では、分派の「自民党第1県議団」に参加するが、自民党埼玉県連の無条件復帰の呼びかけによって、6県議とともに自民党県議団へ復帰した。 1990年11月、齋藤は所沢市長選挙に無所属から出馬を表明し、県議選挙を見送る形を取ったが、1991年に現職の中井真一郎市長(無所属保守系)が不出馬を表明。
朧谷 寿(おぼろや ひさし、1939年3月27日 - )は、… 朧谷 寿(おぼろや ひさし、1939年3月27日 - )は、日本の歴史学者。同志社女子大学名誉教授。平安朝史、特に邸宅研究を専門とするが、一般向けの著書でも知られる。 新潟県生まれ。旧姓は鮎澤。同志社大学文学部文化学科文化史学専攻卒業。平安博物館助教授、同志社女子大学短期大学部教授、同志社女子大学学芸学部教授、同大学現代社会学部教授などを歴任。2009年に定年退職し、同大学名誉教授。 2005年、第23回京都府文化賞功労賞受賞。公益財団法人古代学協会理事長、社団法人紫式部顕彰会副会長。2024年、地域文化功労者。
安齊 重男(あんざい しげお、1939年3月27日 - 20… 安齊 重男(あんざい しげお、1939年3月27日 - 2020年8月13日)は、神奈川県厚木市出身の写真家、アート・ドキュメンタリスト。「現代美術の伴走者」を自称し、国内外の現代美術の現場を写真によって記録した。多摩美術大学客員教授。 1939年神奈川県厚木市生まれ。神奈川県立平塚高等学校の応用化学科を1957年に卒業し、1964年までは日本石油中央技術研究所に務めた。独学で美術に踏み入り、現代美術作家としての道を歩み始める。 転機は1969年、李禹煥の個展を準備中の画廊を訪問した時のことである。持っていたカメラで光景を撮影する姿を見た李が「みんなの展覧会の写真を撮ってくれないか」と声をかけ、以来、同年代の作家たちの作品を35mmフィルムカメラで記録するようになった。
松野允彦(まつの のぶひこ、1938年3月27日 - 201… 松野允彦(まつの のぶひこ、1938年3月27日 - 2014年12月27日)は日本の大蔵官僚。血液型はA型。 東京都立小石川高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1961年 大蔵省入省(理財局総務課)。主計局防衛第一係長、公正取引委員会事務局経済部国際課係長の後、1968年7月 立川税務署長。課長補佐時代は証券局と理財局で勤務。1984年6月 銀行局銀行課長。1985年6月 銀行局総務課長。1986年6月10日 関東信越国税局長。1987年6月25日 関東財務局東京証券取引所監理官兼大臣官房審議官(証券局担当)。1988年6月15日 大臣官房審議官(証券局担当)。1989年6月23日 大臣官房審議官(銀行局担当)。
増倉 一郎(ますくら いちろう、1938年3月27日 - 2… 増倉 一郎(ますくら いちろう、1938年3月27日 - 2023年9月13日)は、日本の経営者。髙島屋社長、会長を務めた。大阪府八尾市出身。 1961年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に髙島屋に入社した。1991年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、2001年3月に社長に就任。2003年3月に会長に就任し、2005年5月から相談役を務めた。 一方で、2004年から2019年までに南海電気鉄道で取締役と監査役を務めた。 2023年9月13日、敗血症のため死去。85歳没。
冨澤 暉(とみざわ ひかる、1938年〈昭和13年〉3月27… 冨澤 暉(とみざわ ひかる、1938年〈昭和13年〉3月27日 - )は、日本の陸上自衛官。東京府出身。第24代陸上幕僚長。1等陸佐までの職種は機甲科。 父は第4回芥川賞受賞作家の冨澤有爲男、妻は大戦中にF機関で活動した藤原岩市陸軍中佐(元陸将でもある)の娘。東京都立日比谷高等学校から防衛大学校に進み、1960年(昭和35年)3月、防大卒業と同時に陸上自衛隊に入隊。以後、機甲科部隊、陸上幕僚監部での勤務や米国留学等を経て、第13普通科連隊長、愛知地方連絡部長、第1師団長、陸上幕僚副長、北部方面総監等の要職を歴任し、第24代陸上幕僚長に就任した。陸幕長在任中の1992年(平成4年)に内戦後のカンボジアの復興を支援するため、自衛隊初の国連平和維持活動としてPKO部隊を同国に派遣した。
扇山 民雄(おうぎやま たみお、1938年3月27日 - )… 扇山 民雄(おうぎやま たみお、1938年3月27日 - )は、宮城県栗原郡金成町(現役当時、現・同県栗原市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 民雄(たかはし たみお)。 プロレスラーとして国際プロレスに籍を置いていた時期もあり、レスラー時代のリングネームは扇山 大五郎(おうぎやま だいごろう)であった。 大相撲時代の体格は177cm、103kg。プロレスラー時代の体格は178cm、105kg。力士としての自己最高位は、東前頭5枚目(1963年1月場所・1967年1月場所)。 中学校卒業後はパン屋で働いていたが、錣山親方(元関脇・若葉山鐘)にスカウトされた事がきっかけで時津風部屋へ入門し、1955年1月場所にて16歳で初土俵を踏んだ。
赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あか… 赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あかせがわ かつひこ)、1937年3月27日 - 2014年10月26日)は、日本の前衛美術家、随筆家、作家。 純文学作家としては尾辻 克彦(おつじ かつひこ)というペンネームがある。「尾辻」は父方の親戚の苗字に由来する[要ページ番号]。 神奈川県横浜市中区本牧町生まれ。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵学科中退。 兄は直木賞作家の赤瀬川隼。姉の赤瀬川晴子は帽子作家。また、外交官の西春彦は父のいとこにあたる。姪(隼の長女)は『人麻呂の暗号』の著者である藤村由加の一人。 2006年4月より、武蔵野美術大学日本画学科の客員教授を務めていた。
中野 忠良(なかの ただよし、1937年3月27日 - )は… 中野 忠良(なかの ただよし、1937年3月27日 - )は、日本のジャーナリスト、文筆家。 大分県東国東郡国東町生まれ。筆名・宮梵児。1959年國學院大學政経学部卒。雑誌記者を経て、1965年からフリー。 おいしい水の会事務局長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小沢 明(おざわ あきら、1936年3月27日 - )は、日… 小沢 明(おざわ あきら、1936年3月27日 - )は、日本の建築家、東北芸術工科大学第三代学長で、同大学名誉教授。 建築家が大学の教育現場で建築デザインを教えることは、最早めずらしいことではない。その意味で小沢は、みずからプロフェッサー・アーキテクトであることを任じ、実作の世界と教育の世界の二元的な立場から、「建築家による建築家教育」の重要性を説く。学長時代には、これからの芸術デザイン教育のありかたとして、表現の教育ではなく「表現者の教育」が重要であるとして、作家・デザイナーとして活躍する同大現役教員48名による「私の語るアートとデザイン」の著書を発行した。 建築家としての小沢の作品は、新建築、住宅特集に掲載されるほか、近年の代表作として城下町鶴岡(山形県)につくられた「鶴岡アートフォーラム」がある。
井出 弘之(いで ひろゆき、1936年〈昭和11年〉3月27… 井出 弘之(いで ひろゆき、1936年〈昭和11年〉3月27日 - 2015年〈平成27年〉11月24日)は岡山県出身の英文学者、東京都立大学名誉教授。 岡山県勝山町(現・真庭市)生まれ、小倉で少年期を過ごす。1948年に自作の詩が川端康成の選で『赤とんぼ』に掲載される。東京大学文学部英文科卒、1963年同大学大学院博士課程中退、金沢大学教養部助手、講師、1968年明治大学助教授、東京都立大学人文学部助教授、同教授。1999年定年退職、名誉教授、中央大学人文科学研究所客員研究員。イギリス近代文学および現代文学を専門としており、ウィリアム・ゴールディングやトマス・ハーディなどを訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
田村 悦一(たむら よしかず、1935年3月27日 - )は… 田村 悦一(たむら よしかず、1935年3月27日 - )は、日本の法学者、立命館大学名誉教授。 大阪市東住吉区出身。1957年京都大学法学部卒、59年同大学院法学研究科公法科修士課程修了。1967年「自由裁量とその限界」で立命館大学法学博士。岡山大学助手、立命館大学法学部専任講師、助教授、教授。90-92年法学部長、94年政策科学部教授、2005年定年、名誉教授、京都橘大学教授。公法学が専門。
島村 宜伸(しまむら よしのぶ、1934年〈昭和9年〉3月2… 島村 宜伸(しまむら よしのぶ、1934年〈昭和9年〉3月27日 - )は、日本の政治家、教育者。衆議院議員(9期)、文部大臣(第118代)、農林水産大臣(第26・36代)、自由民主党国会対策委員長(第40代)、自由民主党総裁特別補佐、志帥会名誉会長、学校法人杉並学院(杉並学院高等学校)理事長等を歴任した。元日本プロスポーツ協会会長。 元衆議院議員で石橋派や宏池会に属した島村一郎の六男。 東京都江戸川区生まれ。東京都立両国高等学校、学習院大学政経学部政治学科卒業。学習院大学入学後、学習院院長の安倍能成から頼まれ、皇太子(明仁親王)の学友になった。また島村は唯一、自身の同級生たる天皇から国務大臣に認証された政治家である。
竹内 和夫(たけうち かずお、1934年3月27日 - 20… 竹内 和夫(たけうち かずお、1934年3月27日 - 2017年6月18日)は、日本の作家。 兵庫県龍野市(現・たつの市)出身。本名岸本和夫。大阪学芸大学(のち大阪教育大学)卒。同人誌『VIKING』に所属。1966年「孵化」が第56回芥川賞候補になった。中学校の教諭を務めながら作家活動を続けた。
高原 宏文(たかはら ひろふみ、1934年3月27日 - )… 高原 宏文(たかはら ひろふみ、1934年3月27日 - )は、日本の作曲家。 鳥取県米子市出身。1958年、国立音楽大学作曲科卒業。作曲を高田三郎、島岡譲に師事。1959年、国立音楽大学専攻科(作曲専攻)修了。同年、第28回日本音楽コンクール作曲部門第3位入賞。 1974年〜1979年、国立音楽大学助教授、1980年〜1999年、同大学教授、現在、同大学名誉教授。 日本現代音楽協会、日本作曲家協議会で作品発表や楽譜の出版の活動を続けている。
富沢 志満(とみざわ しま、1934年3月27日 - )は、… 富沢 志満(とみざわ しま、1934年3月27日 - )は、東京都出身の日本の声優、女優。ラジオ東京放送劇団に所属した後、フリーランスで活動し、シナリオ文芸協会に所属していた。本名同じ。父親は作家の冨澤有爲男。名付け親は父の友人である佐藤春夫。 フェリス女学院短期大学卒業。声楽家を志していたが、ラジオ東京放送劇団の募集に応募し合格。1955年に同劇団に入団。主にラジオ東京(現・TBS)のテレビドラマとラジオドラマに出演していた。 1958年に公開されたディズニー映画『白雪姫』の日本語吹替版にて、ヒロインである白雪姫の声を担当。その後も1961年公開の『シンデレラ』でシンデレラを演じるなど、初期のディズニー映画のいくつかの吹替に参加していた。
森田 敏照(もりた としてる、1933年3月27日 - )は… 森田 敏照(もりた としてる、1933年3月27日 - )は、大阪大学名誉教授。愛知県春日井市「石尾台おとなの学校」元代表。 大阪府出身[要出典]。大阪府立清水谷高等学校から[要出典]、1955年大阪大学理学部生物学科卒業。大阪大学大学院理学研究科生理学専攻修士課程修了。理学博士。1993年4月大阪大学教養部部長から、1994年6月24日には副学長に就任し、1996年3月退官。退官後は大阪工業大学教授であった。
松方 康(まつかた こう、1933年3月27日 - 2011… 松方 康(まつかた こう、1933年3月27日 - 2011年11月27日)は、日本の経営者。三井海上火災保険社長、会長を務めた。 東京都出身。松方正雄の長男・松方義雄の次男。1955年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に大正海上火災保険(のちの三井海上火災保険)に入社。 1984年7月に取締役に就任し、1985年7月に常務、1988年6月に専務を経て、1990年1月に副社長に就任し、同年6月には社長に昇格。1996年6月に副会長に就任し、1997年6月には相談役に就任。1966年6月には三井物産監査役にも就任。 2011年11月27日腎不全のために死去。78歳没。
木原 たけし(きはら たけし、1933年3月27日 - )は… 木原 たけし(きはら たけし、1933年3月27日 - )は、日本の翻訳家。元俳優、声優。本名:河内 博。 主に日本語吹き替え作品の翻訳家として第一線で活躍し、数多くのヒット作を手がけた。 京都府福知山市出身。幼少期は神戸で育ち、太平洋戦争による疎開などを経て、終戦後は日光市に移住。 高校時代に演劇部へ所属したことがきっかけで、卒業後は役者になることを志望。だが、実家が代々医者の家系であったことなどから両親に反対され、時間稼ぎのために国際基督教大学英語学科へ進学。在学中に演劇部を設立し、卒業後は役者として演劇を続けながら、テレビドラマのエキストラ出演や生放送CMのモデルをしていた。俳優としてはタレントエージェント、シナリオ文芸くらぶに所属していた。
桂田 光喜(かつらだ てるよし、1933年(昭和8年)3月2… 桂田 光喜(かつらだ てるよし、1933年(昭和8年)3月27日 - 2007年(平成19年)1月30日)は、日本の実業家。電通代表取締役副社長を務めた。静岡県生まれの東京都育ち。 英文学者桂田利吉の二男として生まれる。 1960年(昭和35年)東京大学文学部を卒業後、電通に入社。 ラジオ・テレビ局長時代、テレビ朝日の小田久栄門報道局次長が久米宏をメインキャスターにして、『ニュースステーション』をスタートさせる際、CM枠を電通が最低保証で買い切ると約束した。小田は保証という背景の強みがなければ、ニュースステーションを続けることはできなかっただろう。と明かしている。 1989年(平成元年)取締役に選任され、91年に常務取締役、95年に専務取締役、97年に代表取締役副社長に昇進する。
園井 啓介(そのい けいすけ、1932年3月27日 - )は… 園井 啓介(そのい けいすけ、1932年3月27日 - )は、日本の元俳優。テレビドラマへの出演を通じ、孤独と哀愁をたたえたマスクで多くの女性を魅了した。 東京市浅草生まれ。本名・永井之弘。1950年(昭和25年)、東京都立工芸高等学校木材工芸科を卒業して新東宝美術部に入り、映画装置の助手を務める。1953年(昭和28年)に劇団青俳の国民文化研究所演劇科に入り、1954年(昭和29年)青俳に入団、テレビ番組に初出演し、1957年(昭和32年)からNHK『刑事部屋物語』、日本テレビ『見事な娘』などに出演。1958年(昭和33年)、青俳を退団、フリーとなってNHK『事件記者』に山崎記者の役で出演、人気を集める。
岡崎 洋(おかざき ひろし、1932年(昭和7年)3月27日… 岡崎 洋(おかざき ひろし、1932年(昭和7年)3月27日 - 2018年(平成30年)3月31日)は、日本の政治家、大蔵官僚。神奈川県知事(民選第13・14代)、環境事務次官等を歴任した。 神奈川県出身。神奈川県立湘南高等学校、東京大学経済学部卒業。1954年、大蔵省(現財務省)に入省し、銀行局審査課に配属される。入省同期には窪田弘(旧日債銀会長、国税庁長官、理財局長)、矢澤富太郎(太田昭和監査法人会長、関税局長)、吉田正輝(兵庫銀行頭取、日銀理事、銀行局長、大臣官房総務審議官)らがいる。銀行局総務課長補佐(総括・企画)、銀行局特別金融課長、主計局主計官(総理府、司法・警察担当)、主計局主計官(外務、通商産業担当)、銀行局総務課長などを務める。