永雄 策郎(ながお さくろう、1884年(明治17年)1月2… 永雄 策郎(ながお さくろう、1884年(明治17年)1月28日 - 1960年(昭和35年)2月10日)は、日本の経済学者。東亜経済調査局主事、拓殖大学教授、近畿大学教授、富士短期大学大世学院教授。専門は植民政策学。東京帝国大学経済学博士。 主に大正期から戦後復興期にかけて活動を展開した。京都府竹野郡の名士の家に生まれ、第五高等学校を経て東京帝国大学法科大学を卒業。出版社への短期間の勤務を挟み、大学時代の縁で満鉄の東亜経済調査局に入ると、後に主事となりこれを運営する側に立った。この際、高校時代から関わりのあった大川周明を採用させたことが、結果として歴史的に重要な意義を持つ。 それからは審査役の身分で大連の満鉄本社へ渡り、当地の教育機関において植民政策の講師を務める。
中村 亀三郎(なかむら かめざぶろう、1884年1月28日 … 中村 亀三郎(なかむら かめざぶろう、1884年1月28日 - 1944年11月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
鈴木 鎮雄(すずき しずお、1884年(明治17年)1月28… 鈴木 鎮雄(すずき しずお、1884年(明治17年)1月28日 - 1968年(昭和43年)5月27日)は、日本の建築家。宮内省に勤務した。 1884年、東京府士族鈴木信一の長男として生まれる。 1910年、東京帝国大学工科大学建築学科を卒業。同期に内藤多仲、安井武雄らがいる。大学卒業後、宮内省内匠寮に勤務。 1914年に宮内技師となる。1924年には欧米各国を視察した。 1931年、臨時帝室博物館造営課長に異動した北村耕造の後を継ぎ、工務課長となる。1943年に工務部長、宮内技監に就任(1946年3月まで)。 戦後は宮内庁調査員、工学院大学講師などを務めた。
菊池 秋雄(きくち あきお、1883年1月28日 - 195… 菊池 秋雄(きくち あきお、1883年1月28日 - 1951年)は、青森県出身の園芸学者。京都大学名誉教授。専門は果樹園芸学。
古賀 用六(こが ようろく、1883年(明治17年)1月28… 古賀 用六(こが ようろく、1883年(明治17年)1月28日 - 1944年(昭和19年)10月28日)は、日本の陸軍軍人。陸士17期卒。最終階級は大佐、死後少将。 佐賀県田代村(現・鳥栖市)出身。兄の古賀真一も少将。熊本陸軍地方幼年学校3期生より陸軍士官学校を17期生として卒業。歩兵第13連隊第3中隊長、台湾歩兵第2連隊配属将校を経て、鯖江連隊区司令部部員。1933年8月30日に大佐で予備役編入。1944年、大正5年~9年生まれの九州北部各地の応召兵2000名からなる「南方総軍緊急補充要員久留米師団第161部隊」(通称マルコ部隊、コは古賀の頭文字)の輸送指揮官として10月13日博多港を発し、26日ボルネオ島に到着したが間もなく同地にて病死。
柴田 雄次(しばた ゆうじ、1882年〈明治15年〉1月28… 柴田 雄次(しばた ゆうじ、1882年〈明治15年〉1月28日 - 1980年〈昭和55年〉1月28日)は、日本の化学者。東京大学名誉教授。正三位勲一等瑞宝章。東京府出身。 薬学者柴田承桂の息子として東京市神田区駿河台に生まれる。父は当時、東京医学校(東京大学医学部の前身)教授。先祖は代々、尾張藩で侍医を務めた。兄柴田桂太は、のち植物生理学者、東京帝国大学教授。長男は著名な作曲家にして音楽評論家の柴田南雄。 東京高等師範学校附属尋常中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)から旧制第一高等学校を経て、1904年、東京帝国大学理科大学化学科入学、桜井錠二や池田菊苗たちに師事し、1907年卒業。東京帝国大学大学院に進んで松原行一に師事した。
百武 源吾(ひゃくたけ げんご、1882年(明治15年)1月… 百武 源吾(ひゃくたけ げんご、1882年(明治15年)1月28日 - 1976年(昭和51年)1月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第7代九州帝国大学総長。佐賀県出身。兄・三郎と源吾は海軍兵学校を首席卒業し、ともに海軍大将となった日本海軍史上唯一の兄弟である(陸軍大将兄弟は皇族軍人などで数例が、陸海軍を跨いだ大将兄弟は、西郷隆盛・従道兄弟、鈴木貫太郎・孝雄兄弟の2例がある)。 佐賀藩の足軽・百武庭蔵の五男として生まれた。百武三郎は三男、陸軍中将の弟・晴吉は六男である。少年時代の源吾は農学を志していたが、海軍兵学校を目指していた兄(四男)幸治が志半ばで病死したことを機に、幸治の遺志を継いで海軍を目指すことにした。
小川原 政信(おがわら まさのぶ、1882年(明治15年)1… 小川原 政信(おがわら まさのぶ、1882年(明治15年)1月28日 - 1952年(昭和27年)9月6日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員(4期)。 福井県大野郡米俵村(現大野市)で小川原左仲の長男として生まれる。1897年4月に渡道し岩内町に居住。1901年、海軍に志願し横須賀に出るが、健康を害したため北海道に戻った。 1903年9月、小学校教員となり、岩内郡堀株小学校、岩内尋常高等小学校に勤務。1909年1月、倶知安第一小学校長となり、同実業補習学校長を兼務し、1921年6月まで在任。同年7月、北海商事(株)社長に就任。その後、北海道会議員、同参事会員、北海道政務調査会長、同農地委員、後志馬匹組合長、北海道馬事牧野協会長、同農業会後志支部指導部長などを務めた。
岩崎 俊弥(いわさき としや、明治14年(1881年)1月2… 岩崎 俊弥(いわさき としや、明治14年(1881年)1月28日 - 昭和5年(1930年)10月16日)は日本の実業家で、旭硝子の創業者。
立見 豊丸(たつみ とよまる、1880年(明治13年)1月2… 立見 豊丸(たつみ とよまる、1880年(明治13年)1月28日 – 1942年(昭和17年)11月2日)は、大日本帝国陸軍軍人。貴族院子爵議員。陸軍政務次官。
大石 大(おおいし まさる、1878年(明治11年)1月28… 大石 大(おおいし まさる、1878年(明治11年)1月28日 - 1966年(昭和41年)2月10日)は、日本の政治家。 高知県長岡郡長岡村(現南国市)に出生。小学校を3年で退学。1895年(明治28年)以降、長岡村役場書記、代用教員、裁判所書記などを経て、1903年(明治36年)に明治法律学校を卒業。1904年(明治37年)、関西法律学校に学んだ。大阪府警部などを務めた後、1912年(明治45年)から実業界に転じ、愛媛鉄道、大分国東鉄道等の重役、社長を務めた。1918年(大正7年)、政界に転じ、1920年(大正9年)5月の第14回総選挙で政友会から立候補し、衆議院議員に当選(以降、5回当選)。
角田 柳作(つのだ りゅうさく、1877年〈明治10年〉1月… 角田 柳作(つのだ りゅうさく、1877年〈明治10年〉1月28日 - 1964年〈昭和39年〉11月29日)は、群馬県出身の日本文化の研究者・教育者。コロンビア大学に日本文化研究所を設立し、日本研究コレクションのキュレーターを務めた。日本文学研究者ドナルド・キーンの師として知られる。 1877年(明治10年)1月28日、群馬県勢多郡津久田村(現・群馬県渋川市赤城町津久田)の農家に、父庄作、母ぎんの次男として生まれた。5歳の時父をコレラで失い、祖父の金造と母ぎんに育てられた。1890年4月、群馬県尋常中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に入学したが、1893年10月に退学。 上京して東京専門学校(現・早稲田大学)文学科に入学し、坪内逍遙、アーサー・ロイドの教えを受けた。
堀田 貢(ほった みつぐ、1876年1月28日 - 1926… 堀田 貢(ほった みつぐ、1876年1月28日 - 1926年2月3日)は、日本の内務官僚。警視総監、内務次官。 福島県安積郡河内村(現:郡山市)で堀田喜左衛門の二男として生まれる。安積中学、第二高等学校を経て、1904年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。逓信省に入り通信属として通信局に配属。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、内務省に転じ内務属として地方局に配属された。 1905年11月、千葉県事務官に就任。以後、千葉県第三部長、神奈川県事務官、茨城県事務官・警察部長、内務書記官・大臣官房文書課長、内務省参事官兼内務大臣秘書官兼官房文書課長、大臣官房会計課長兼文書課長、京都府内務部長などを歴任。
小山 松寿(こやま しょうじゅ / こやま まつじゅ、187… 小山 松寿(こやま しょうじゅ / こやま まつじゅ、1876年〈明治9年〉1月28日 - 1959年〈昭和34年〉11月25日)は、日本の政治家、新聞経営者。第33代衆議院議長(1937年7月 - 1941年12月)。歿時正三位勲一等旭日大綬章受章。 長野県佐久郡小諸与良町(現:小諸市)に、生糸仲買人・小山与右衛門の長男として生まれる。1895年(明治28年)、東京専門学校(現:早稲田大学)法律科を卒業後、中国研究のため福建省廈門に渡り、貿易事情を中心に調査活動を行っていた。1900年(明治33年)、大阪朝日新聞より戦時特別通信員を委嘱されたことを契機に、新聞界入りすることとなる。 帰国後の1902年(明治35年)、大阪朝日に正式採用され、名古屋通信部に赴任する。
村川 堅固(むらかわ けんご、1875年1月28日 - 19… 村川 堅固(むらかわ けんご、1875年1月28日 - 1946年1月21日)は、日本の西洋史学者。 1875年、熊本県熊本市薬園町で生まれた。旧制第五高等学校を卒業後、文科大学(東京帝国大学)史学科に入学。1898年に同大学を卒業した。 1900年より陸軍大学校教授嘱託として勤務。英語圏における日本史研究の嚆矢として知られるジェームズ・マードックの『日本の歴史』の執筆を手伝う。1903年より3年間、ヨーロッパに留学。1906年に帰国し、文科大学助教授に任ぜられた、1912年、教授昇格。 西洋古代史を専門とし、日本におけるこの分野の開拓者である。エジプト古代史、ギリシャ文化史、ローマ史などを講じ、著書として『西洋上古史』 (1916) 、『ギリシャ史』 (1931) などがある。
岡田 紋三郎(おかだ もんさぶろう、1875年〈明治8年〉1… 岡田 紋三郎(おかだ もんさぶろう、1875年〈明治8年〉1月28日 - 1954年〈昭和29年〉)は、愛知県宝飯郡西浦村(現・蒲郡市)出身の地方自治功労者。 1875年(明治8年)1月28日、愛知県宝飯郡西浦村102番地(現・蒲郡市西浦町)に生まれた。父は岡田紋太郎であり、紋三郎は長男だった。 1901年(明治34年)4月に26歳で西浦村収入役に就任したが、同年10月に収入役を辞任して西浦村会議員に就任した。1907年(明治40年)には初めて西浦村長に就任。1947年(昭和22年)3月まで西浦村会議員の座にあり、この間には3期間計17年間に渡って西浦村長の座にもあった。 日露戦争後には西浦村大山、長瀬、稲村、折敷田にまたがる官有地が民間に払い下げられることになり、村外から高額の資金で払い下げを求める人物も現れたが、岡田は西浦村公債を発行してこの土地を西浦村の財産とした。
石原 磊三(いしはら らいぞう、1874年(明治7年)1月2… 石原 磊三(いしはら らいぞう、1874年(明治7年)1月28日 - 1916年(大正5年)8月14日)は、日本の内務官僚。警視庁官房主事。位階は正五位、勲等は勲四等。広島県出身。 広島県御調郡美郷村(現・尾道市)にて、平民・石原定七の二男として生まれる。母はタツ(実政元助の二女)。1901年(明治34年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、同年11月に高等文官試験に合格した。翌年、埼玉県属に任ぜられ、以後、富山県・岩手県・石川県・愛知県などで事務官・内務書記官を歴任した。 1906年(明治39年)7月には、岩手県第二部長として着任直後に難航していた盛岡市の小学校敷地問題を解決したことが記録されている。
宮崎 槌(みやざき つち、1872年1月28日〈明治4年12… 宮崎 槌(みやざき つち、1872年1月28日〈明治4年12月19日〉 - 1942年〈昭和17年〉12月23日)は、明治から昭和戦前・戦中期にかけての女性。槌子とも。自由民権運動家の前田案山子の三女。姉の卓は『草枕』の那美のモデルとされる。孫文を支援した宮崎滔天の妻であり、白蓮事件を起こした宮崎龍介の母。 熊本県玉名郡小天村(現・玉名市天水町)生まれ。前田家は地元の名士であり、自由民権運動に奔走した父の影響を受けて育つ。11歳のとき女権拡張運動家の岸田俊子の前で壇上に立ち、「学問ヲ勧ム」という演説をした。12歳の時に中江兆民が熊本を訪れた歓迎会で演壇に立った。熊本の英語学舎、大阪の梅花女学校で学び、さらに神戸のキリスト教の女学校を卒業。
倉場 富三郎(くらば とみさぶろう、明治3年12月8日〈18… 倉場 富三郎(くらば とみさぶろう、明治3年12月8日〈1871年1月28日〉- 昭和20年〈1945年〉8月26日)は、日本の実業家、水産学者。英名はトミサブロー・アワジヤ・グラバー(Tomisaburo Awajiya Glover)、ただし、墓標に刻まれた名はトーマス・アルバート・グラバー(Thomas Albert Glover)。苗字の「倉場」は、「グラバー」をもじったもの。 幕末から明治維新にかけて活躍したイギリス人貿易商トーマス・グラバーと淡路屋ツルの長男として1871年1月28日(明治3年12月8日)、長崎に生まれる。母は加賀マキとする説もある。また養子として迎えられたイギリス系日本人(British-Japanese)であったとも言われている。
高瀬 武次郎(たかせ たけじろう、明治元年12月16日〈18… 高瀬 武次郎(たかせ たけじろう、明治元年12月16日〈1869年1月28日〉 - 1950年〈昭和25年〉2月9日)は明治から昭和にかけての陽明学者。号は惺軒。従三位勲三等文学博士京都帝国大学名誉教授。 漢詩は鈴木豹軒、和歌は山本行範に学んだ。 明治元年12月16日(1869年1月28日)、讃岐国山田郡西十川村仲下所(香川県高松市十川西町107番地1)佐々木弥惣八(八十八、小五郎)の四男に生まれた。鰹宇神社で森口四郎に儒学を学ぶ。 京都府立第一中学校(京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第四高等学校(金沢市)または第五高等学校(熊本市)を経て、明治31年(1898年)7月東京帝国大学文科大学漢学科を卒業し、同大学院に進学、明治38年(1905年)11月論文「先秦諸子哲学」により文学博士号を取得、明治39年(1906年)1月東京帝国大学講師、同時に哲学館、日蓮宗大学、佛教大学、早稲田大学、曹洞宗大学、明治大学講師も務めた。
二階堂 三郎左衛門(にかいどう さぶろうざえもん、1867年… 二階堂 三郎左衛門(にかいどう さぶろうざえもん、1867年1月28日(慶応2年12月23日) - 1944年(昭和19年)4月16日)は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。前名は熊七郎。 安芸広島藩領佐伯郡大竹村(現・大竹市)出身。望戸清四郎の長男として生まれ、先代二階堂三郎左衛門寿光の養嗣子となり、襲名する。1890年(明治23年)25歳にして大竹郵便局長となる。ついで大竹町油見村組合会議員、大竹貯蓄銀行頭取、芸防抄紙社長、広島県農工銀行、日本紙業各取締役などを経て、広島県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、1918年(大正7年)5月3日から1925年(大正14年)9月28日まで務めた。
小沢 愛次郎(おざわ あいじろう、1864年1月28日(文久… 小沢 愛次郎(おざわ あいじろう、1864年1月28日(文久3年12月20日) - 1950年(昭和25年)6月19日)は、日本の政治家、剣道家。 埼玉県会議員(4期)、衆議院議員(5期)を務め、剣道の中学校正科編入への請願運動に尽力した。流派は小野派一刀流。称号は大日本武徳会剣道範士。 武蔵国埼玉郡小針村(埼玉県北埼玉郡小針村、太田村を経て現行田市)で、小鹿原安次郎の弟、地主・田島竹之助の従兄弟として生まれ、桑崎村(岩瀬村を経て現羽生市)の素封家・小沢丈右衛門の養子となる。佐倉藩士・倉田幽谷から盈進義塾で漢学を学んだ。 1877年(明治10年)4月、14歳から忍町佐間(現行田市)の講武場道場で旧忍藩剣術指南役松田十五郎に小野派一刀流を学ぶ。
川上 俊彦(かわかみ としつね、1862年1月28日(文久元… 川上 俊彦(かわかみ としつね、1862年1月28日(文久元年12月29日) - 1935年(昭和10年)9月12日)は、明治から昭和初期にかけて活躍した外交官、実業家である。外交官時代はロシア関連の役職を歴任し、日露戦争では旅順要塞陥落時の水師営の会見で通訳を務め、ハルビン総領事時代には伊藤博文暗殺事件に遭遇した。退官後は日魯漁業社長などを務めた。 村上藩士・川上泉太郎の長男として越後国村上(現在の新潟県村上市)で生まれる。幼名は銀太郎。 新潟師範学校を中退し東京外国語学校ロシア語学科に入学。1884年に卒業後、外務省に入省。1886年在釜山領事館書記生。1889年在ウラジオストック貿易事務館領事館書記生。
横地 石太郎(よこち / よこじ いしたろう、1860年1月… 横地 石太郎(よこち / よこじ いしたろう、1860年1月28日(万延元年1月6日) - 1944年(昭和19年)5月27日)は、日本の教育者、考古学研究家。山口高等商業学校名誉教授。族籍は石川県士族。 夏目漱石の小説『坊つちやん』に登場する「赤シャツ」のモデルとされることがあるが、異論もある(後述)。 加賀国石川郡金沢(現・石川県金沢市)の与力町にて加賀藩士横地大十郎の長男として生まれる。金沢小学校を経て1874年(明治7年)より金沢英学校、1875年(明治8年)9月より東京の旧藩主前田邸学問所にて学ぶ。1876年(明治9年)9月に東京英語学校に入学し、大学予備門を経て、1881年(明治14年)に東京大学理学部入学。
大場 長平(おおば ちょうへい、1859年1月28日(安政5… 大場 長平(おおば ちょうへい、1859年1月28日(安政5年12月25日)- 1916年(大正5年)8月10日)は、明治から大正初期の実業家・政治家。衆議院議員、香川県会議長。 讃岐国山田郡、のちの香川県山田郡林村(木田郡林村を経て現高松市)で、大場吉次郎の二男として生まれる。漢学を修めた。1889年(明治22年)6月、家督を相続した。 1889年、讃岐鉄道取締役に就任。その他、讃岐農工銀行頭取、韓国実業監査役、東讃電気軌道(現高松琴平電気鉄道)社長などを務めた。 政界では、六条村戸長、林村会議員、木田郡四ケ池普通水利組合常設議員などを務めた。香川県会議員に選出され、1899年(明治32年)10月21日、同議長に就任し同月27日まで7日間在任した。
関谷 清景(せきや きよかげ(後に せいけい)、安政元年12… 関谷 清景(せきや きよかげ(後に せいけい)、安政元年12月11日(1855年1月28日) - 明治29年(1896年)1月8日)は、日本人初の地震学者。世界初の地震学専任教授。 安政元年12月11日(1855年1月28日)、父は美濃大垣藩士・衣斐玄助(えびげんすけ)、家は代々戸田候に仕えた、母はユキの長男として歩行町(おかちまち 現・大垣市歩行町)に生まれる。兄妹に5歳下の弟(銘次郎・歩兵第34連隊長陸軍大佐、日露戦争で戦死)と妹(美志 泉法輪に嫁ぐ)がいる。幼名は鉉太郎(げんたろう)といった。父玄助(関谷家に養子に行った)の実兄衣斐精蔵が病死し、その子が幼いことから鉉太郎が出て後を継いだが、後、養家の子の成長後本姓の関谷に戻り名前も清景に改めた。
藤巻 胤家(ふじまき たねいえ、嘉永6年12月30日(185… 藤巻 胤家(ふじまき たねいえ、嘉永6年12月30日(1854年1月28日) - 1901年(明治34年)12月1日)は、明治時代の陸軍軍人。官位は陸軍歩兵大尉従六位勲四等。山形県士族(1894年(明治27年)に分家後は千葉県士族)。 1877年(明治10年)の西南戦争に出征して戦功を挙げる。歩兵第18連隊中隊長等を歴任する。 1881年(明治14年)7月、養子縁組解消に伴い「石口」姓から「藤巻」姓へ復姓。 陸軍省大日記(西南戦役第二旅団戦闘履歴明治10年2月26日~11年8月6日)によると『歩兵第2連隊第1大隊第1中隊附 陸軍少尉石口胤家は今回戦役中4月9日より5月11日まで中隊長代理となり木留村にて戦役に服し7月10日六観音山迂回の節は一小隊を引率し、賊軍背後に進出して部下を配慮指揮して大いに奮戦する。
渡辺 洪基(わたなべ ひろもと / こうき、1848年1月2… 渡辺 洪基(わたなべ ひろもと / こうき、1848年1月28日〈弘化4年12月23日〉- 1901年〈明治34年〉5月24日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代の日本の官僚、政治家。帝国大学初代総長。幼名は静寿、のち孝一郎。号は浩堂、旦堂。 越前国南条郡府中(のち福井県南条郡武生町、現越前市)にて蘭方医渡辺静庵の長男として生まれる。母の名は蔦埜(つたの)。 府中の立教館、福井藩医学校済世館で学んだ後、下総国佐倉の佐藤舜海の下で医学を修め、江戸で開成所(箕作麟祥)、福沢諭吉の蘭学・英学塾(後の慶應義塾)等で英学を学ぶ。次いで幕府医学所の句読師となったが、戊辰戦争勃発で失職。会津藩へ赴き英学を教授したが、会津戦争の敗北に伴い庄内藩へ向かう途上、米沢藩に招かれ、洋学校開設に尽力した。
草郷 清四郎(そうごう せいしろう、1846年1月28日〈弘… 草郷 清四郎(そうごう せいしろう、1846年1月28日〈弘化3年1月2日〉 - 1924年〈大正13年〉8月9日)は、幕末の武士、明治・大正期の実業家である。 和歌山出身で元は紀州藩士。福澤諭吉の慶應義塾で学び、明治維新後は義塾の塾監や大学東校総幹事など教育に関わっていたが1880年(明治13年)より実業界に転身。主として鉄道会社の経営に関わり小田原電気鉄道(小田急箱根の前身)を長く務めた。 草郷清四郎は、弘化3年1月2日(新暦:1846年1月28日)、草郷久次郎の三男として生まれた。出身地は紀伊国和歌山城下の岡領町(現・和歌山県和歌山市)で、父は紀州藩士であった。13歳で父が死去すると遠縁にあたる勢州奉行三木家に寄居し文武を修める。
川路 寛堂(かわじ かんどう、弘化元年12月21日(1845… 川路 寛堂(かわじ かんどう、弘化元年12月21日(1845年1月28日) - 昭和2年(1927年)2月5日)は、江戸時代末期(幕末)から昭和の旗本、大蔵省官僚、教育者。川路聖謨の孫に当たる。通称は太郎、諱は温、寛堂は号だが、伊藤博文秘書役時代、公文書に寛堂と署名していたため、本名も寛堂になったという。 弘化元年(1844年)12月21日、江戸番町冬青木坂上に川路彰常の長男として生まれた。弘化3年(1847年)9月25日、2歳で父と死別し母も再婚して別離、大叔父の井上清直夫妻に引き取られ養育された。嘉永3年(1850年)2月27日に下総佐倉藩医鏑木仙安の手で牛痘を接種、嘉永4年(1851年)6月22日に6歳で奈良奉行を退任して江戸へ召還された祖父川路聖謨と面会して川路家に戻り、祖父の庇護を受けた。
滝谷 琢宗(たきや たくしゅう、天保7年12月22日〈183… 滝谷 琢宗(たきや たくしゅう、天保7年12月22日〈1837年1月28日〉 - 1897年〈明治30年〉1月31日)は、越後国出身の日本の曹洞宗の僧侶。魯山琢宗とも。俗名は小川五三郎。永平寺63世貫首(真晃断際禅師)。
石川 野乃花(いしかわ ののか、1月28日 - )は、日本の… 石川 野乃花(いしかわ ののか、1月28日 - )は、日本の女優、映画監督。アイドルグループ「Symdolick」の元メンバー。2023年、片瀬成美とVtuberプロジェクト「ゼロ地区」を立ち上げ、プロデューサーとして活動中。その傍ら、石川 花(いしかわ はな)名義で映画やミュージックビデオの監督も行っている。 鹿児島県薩摩川内市出身。13歳で芸能活動を開始。日本大学藝術学部映画学科演技コースを卒業後、濱野智史がプロデュースする「PIP:Platonics Idol Platform」のリーダーとしてアイドルデビュー。PIP解散後は「きゃわふるTORNADO」に加入し、その後改名した「Symdolick」のメンバーとして2025年2月まで活動した。
安蒜 幸紀(あんびる さき、1月28日 - )は、日本のフリ… 安蒜 幸紀(あんびる さき、1月28日 - )は、日本のフリーアナウンサーである。ジョイスタッフ所属。 新潟県魚沼市出身。フェリス女学院大学卒業。 旅行会社勤務、客室乗務員を経て2013年、NHK沖縄放送局にキャスターとして入局した。NHK沖縄放送局を退局後の2015年、群馬テレビにアナウンサーとして入社し、2018年まで在籍した。 現在は、ジョイスタッフ所属のフリーアナウンサーとして活動している。
唯城 ありす(ゆしろ ありす、1月28日 - )は、OSK日… 唯城 ありす(ゆしろ ありす、1月28日 - )は、OSK日本歌劇団の娘役スター。埼玉県川口市出身。AB型 。
狩野 蒼穹(かのう そうきゅう、1月28日 - )は、日本の… 狩野 蒼穹(かのう そうきゅう、1月28日 - )は、日本の漫画家。埼玉県川越市出身。成人向け漫画を中心に執筆している。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
一丸 正信(いちまる まさのぶ、1月28日 )は、日本の漫画… 一丸 正信(いちまる まさのぶ、1月28日 )は、日本の漫画家。大分県国東市国東町出身。他に「平塚一丸(ひらつか いちまる)」などのペンネームがいくつか存在している。現在は、漫画家髙橋美由紀のプロダクションでもある漫画制作プロダクション「スタジオ天地」の代表者でもあり、作品制作にも関わっている。 幼い頃から絵を描くことが好きだったが、高校時代に出会った手塚治虫の『バンパイヤ』に衝撃を受け漫画家になりたいと決意。漫画作品を描き上げ、出版社への投稿を開始するとともに、地元の大分合同新聞社や、アニメ制作会社などに作品を送り見てもらっていた。高校2年生の時、アニメ制作プロダクションタツノコプロの出版部長だった天馬正人の目にとまり直接連絡を受け、「高校卒業後に来ないか?」という誘いを受けた。
倉本 恵理(くらもと えり、1月28日 - )は、日本の女性… 倉本 恵理(くらもと えり、1月28日 - )は、日本の女性声優。以前はRMEに所属していた。現在フリー。東京都羽村市出身。趣味はゲーム、TRPG、謎解き。特技はリフレクソロジー。
原山 紅花(はらやま べにか、1月28日 - )は、元テレビ… 原山 紅花(はらやま べにか、1月28日 - )は、元テレビ信州 (TSB) のアナウンサー。 新潟県新潟市出身。青山学院大学卒業。 2013年4月1日にテレビ信州に入社し、同局のアナウンサーになる。同局では、入社当日から『ゆうがたGet!』のMCを務めていた。 2016年4月1日をもって『ゆうがたGet!』を卒業。そして同年4月30日付でテレビ信州を退社した。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
清水 マリコ(しみず マリコ、1月28日生)は、日本の劇作家… 清水 マリコ(しみず マリコ、1月28日生)は、日本の劇作家、演出家、ライトノベル作家。劇団「少女童話」主宰。日本大学藝術学部演劇学科卒。 1988年、自作の脚本による舞台「戦争に行く前にすべき2・3の事柄」が上演され、そのメンバーで「少女童話」を結成する。以降、主宰として「少女童話」の全作品の脚本と演出を担当する。 1996年に『超神伝説うろつき童子』のノベライズで作家デビューし、以後もアダルトゲームを中心に多数の作品のノベライズを手掛ける。 2002年に初のオリジナル長編『嘘つきは妹にしておく』を発表。作中では「少女童話」で上演された劇の台本が重要な役割を果たしている。2003年の『君の嘘、伝説の君』、2006年の『侵略する少女と嘘の庭』を合わせて『「嘘」シリーズ』、『「嘘」三部作』等と称される。
はやかわ 文子(はやかわ ふみこ、本名:吉川由美子、1月28… はやかわ 文子(はやかわ ふみこ、本名:吉川由美子、1月28日 - )は、日本の漫画家。群馬県富岡市出身。 1980年に『ジ・アニメ』特別増刊『は〜い』に掲載された『イースター記』でデビュー。 1987年より『聖夜魔宴』などのホラー作品を手がける。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。