中野 文門(なかの ぶんもん、1901年3月30日 - 19… 中野 文門(なかの ぶんもん、1901年3月30日 - 1988年10月9日)は、日本の政治家。神戸市会議員、兵庫県議会議員、参議院議員(2期)を歴任した。政界引退後は神戸森学園(現在の神戸学院)理事長を務めた。寺院の出身で、福海寺住職の経歴も持つ。 大分県大分郡鶴崎町(現・大分市鶴崎)に、東厳寺住職の長男として生まれる。 1927年に日本大学専門部社会科を卒業後、東京府職員となる。1933年、神戸市会議員に当選。その後、戦争を挟み、神戸市会議員と兵庫県議会議員を同時に務める。(当時は市議と県議の兼任が可能であった。)神戸市会では1947年、兵庫県議会では1955年にそれぞれ議長に就任した。 義務教育を無償とすべきであるとの信念に基づき、清瀬一郎を弁護士として憲法違反訴訟を展開し、大審院で勝訴した。
高野 三三男(こうの みさお、1900年3月30日 - 19… 高野 三三男(こうの みさお、1900年3月30日 - 1979年8月15日)は、東京府東京市深川区(現・江東区)出身のフランスと日本で活躍したアール・デコ様式の画家。
福地 春男(ふくち はるお、1899年(明治32年)3月30… 福地 春男(ふくち はるお、1899年(明治32年)3月30日 - 1953年(昭和28年)12月9日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 佐賀県出身。陸軍少佐・福地守太郎の長男として生まれる。佐賀中学校(現佐賀県立佐賀西高等学校)、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し近衛野砲兵連隊付となる。1923年(大正12年)12月、陸軍砲工学校高等科(29期)を卒業した。1924年(大正13年)3月から7月まで陸軍戸山学校学生となる。陸軍野戦砲兵学校付などを経て、1930年(昭和5年)11月、陸軍大学校(42期)を卒業した。
大川光三(おおかわ みつぞう、1899年3月30日 - 19… 大川光三(おおかわ みつぞう、1899年3月30日 - 1965年11月7日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。衆議院議員(2期)。 現在の大阪府高槻市生まれ。加島銀行に勤務するかたわら関西大学専門部経済科に通い、1923年に同専門部卒業し弁護士試験に合格。1927年に独立し、弁護士事務所を開業。 1931年に大阪府会議員に当選して政界入り(立憲民政党所属)、大阪府会では副議長まで務め上げ、1942年の総選挙で大阪4区(当時)から翼賛政治体制協議会推薦で立候補して国政入りを果たした。このため戦後、公職追放を受けるも、追放解除後の1952年総選挙に旧大阪3区から改進党から出馬し国政復帰。しかし翌年の総選挙で落選して再度国政から遠ざかる。
山口 将吉郎(やまぐち しょうきちろう、1896年(明治29… 山口 将吉郎(やまぐち しょうきちろう、1896年(明治29年)3月30日 - 1972年(昭和47年)9月12日)は、山形県鶴岡市出身の日本画家。挿絵画家。 高校時代は、美術講師の小貫博堂に指導を受け、大学時代は、結城素明に師事した。 大学卒業後は、絵画展覧会に作品を出品したり、同人誌などで挿絵を発表する。 その後は、主に小説本などの挿絵を描き、その中でも『神州天馬侠』 吉川英治(著)の挿絵は有名。 従甥に奇人の南画家として知られる服部二柳がいる。
内藤 雋輔(ないとう しゅんぽ、1896年3月30日 - 1… 内藤 雋輔(ないとう しゅんぽ、1896年3月30日 - 1990年5月8日)は、日本の東洋史学者。島根県出身。岡山大学名誉教授。次男は島根大学名誉教授の内藤正中。 1896年(明治29年)、島根県浜田市生まれ。1918年(大正7年)、京都帝国大学文学部史学科(支那史専攻)に入学して東洋史学者の内藤湖南(名字は同じ内藤姓だが血縁関係はない)に師事。卒業後、1929年(昭和4年)から岡山大学の前身である旧制第六高等学校教授を務める。戦後、1949年(昭和24年)、新制岡山大学教授に就任。1961年(昭和36年)、岡山大学を定年退官して名誉教授となる。定年退官後、1973年(昭和48年)までノートルダム清心女子大学教授。
泉山 三六(いずみやま さんろく、1896年(明治29年)3… 泉山 三六(いずみやま さんろく、1896年(明治29年)3月30日 – 1981年(昭和56年)7月7日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲二等。衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、大蔵大臣(第54代)を歴任。ペンネームは泉山間窓。 山形県東田川郡大和村(現庄内町)小出新田出身。豪農・太田直右衛門の三男として生まれる。後に長じてから青森県八戸の資産家泉山家・5代目泉山吉兵衛の養子となる。子供の頃は手に負えない乱暴者だったという。第一高等学校を経て、1921年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。三井銀行に入行する。ここで三井財閥の大物池田成彬の目に留まり、企画部長、帝国銀行秘書役、同行調査役と栄進した。
波多野 鼎(はたの かなえ、1896年(明治29年)3月30… 波多野 鼎(はたの かなえ、1896年(明治29年)3月30日 - 1976年(昭和51年)9月29日)は、日本の経済学者、政治家。参議院議員(1期)。 愛知県生まれ。1917年旧制八高卒業ののち東京帝国大学に入学、新人会で活動した。1920年法学部英法科卒業ののち南満洲鉄道東亜経済調査局に就職し、前期新人会員により結成された社会思想社に参加した。1922年に同志社大学教授となり、その後九州帝国大学教授を務める。経済学博士。 第二次世界大戦後に日本社会党に入党。1947年、第1回参議院議員通常選挙で福岡県選挙区から参議院議員に当選し、同年成立した片山内閣では平野力三が罷免された後に農林大臣に就任。
栗西 清(くりにし きよし、1896年3月30日 - 197… 栗西 清(くりにし きよし、1896年3月30日 - 1970年11月11日)は、日本の経営者。 東京都出身。1917年に東京高等工業学校応用化学科を卒業し、同年に大日本人造肥料(のちの日産化学工業)に入社。1947年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1957年から1962年までに社長を務めた。 1967年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1970年11月11日脳軟化症のために死去。74歳没。
伊藤 修(いとう おさむ、1896年3月30日 - 1969… 伊藤 修(いとう おさむ、1896年3月30日 - 1969年6月14日)は、日本の弁護士、政治家。参議院司法委員長および法務委員長(初代)。 名古屋市生まれ。1921年、日本大学法科卒。1922年、弁護士となる。中部日本農民組合および日本農民組合岐阜県連の常任顧問、岐阜市会議員、東亜興業、旭炭鉱、関東重工業、三富士製作所、朝日精機、旭電気工業および日本社会公論の社長、日本社会新聞岐阜県総局長、社会文化大学名誉学長、富田高等女学校理事、岐阜弁護士会会長、岐阜地方裁判所調停委員。1952年、右派社会党岐阜県連委員長。青年民主主義擁護連盟本部会長。浄土真宗。東京都新宿区下落合に龍山荘を構えていた。 1966年4月の春の叙勲で勲二等に叙され、瑞宝章を受章する。
世耕 弘一(せこう こういち、1893年〈明治26年〉3月3… 世耕 弘一(せこう こういち、1893年〈明治26年〉3月30日 - 1965年〈昭和40年〉4月27日)は日本の教育者・政治家。衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第2次岸内閣)、学校法人近畿大学理事長などを歴任した。位階は従三位。 和歌山県東牟婁郡敷屋村(現・新宮市)に中農・世耕佐七の五男として生まれる。一旦は材木店に丁稚奉公をするが、その後苦学して1918年専門学校入学者検定試験に合格、日本大学予科に入学。1923年、日本大学法文学部卒業。日大の政治経済海外研究員としてベルリン大学に5年間留学。帰国後の1931年に日本大学教授。1944年に日大と関係の深い大阪専門学校の校長と大阪理工科大学長に就任。
上島 三之助 清忠(うえしま さんのすけ きよただ、1893… 上島 三之助 清忠(うえしま さんのすけ きよただ、1893年3月30日 - 1987年)は、日本の武道家である。大阪で空真流空手道を発展させた。 3歳のとき、兵庫県赤穂市で上島作治郎、松原嘉年、赤田政治から今真流柔捕術を学び始める。 9歳のとき、沖縄出身の赤穂市警察官上島菅から空手型のピンアンとクーシャンクー(公相君)を教わり研究を始めた。 1918年、25歳で上島は今真流柔捕術の教授に任命された。 1926年、本部朝基著『沖縄拳法 唐手術 組手編』の出版にあたり、本部門下の唐手術普及会幹事長、杉本得二とともに編集に携わる。大阪市東淀川区に移り1925年(大正14年)上島柔道場を開設。また沖縄の空手教師数名がそこで空手も練習し、教えた。
野坂 参三(のさか さんぞう、1892年〈明治25年〉3月3… 野坂 参三(のさか さんぞう、1892年〈明治25年〉3月30日 - 1993年〈平成5年〉11月14日)は、日本の政治家、共産主義者。衆議院議員(3期)、参議院議員(4期)。コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本代表、日本共産党の第一書記、議長、名誉議長などを務めたが、大粛清時代に同志の山本懸蔵らをNKVDに讒言密告して死刑に追いやっていたことが最晩年になって発覚し、日本共産党から除名された。初名は小野 参弎(おの さんぞう)。中国では岡野 進や林 哲とも称した。ペンネームは野坂鉄嶺、野坂鉄など。 山口県萩市の商家に生まれる。3月30日生まれだったため参弎と名付けられた。9歳で母の実家である野坂家の養子となり、野坂姓となる。
金光 弥一兵衛(かなみつ やいちひょうえ、1892年3月30… 金光 弥一兵衛(かなみつ やいちひょうえ、1892年3月30日 - 1966年12月25日)は、日本の柔術家、柔道家(講道館9段・大日本武徳会柔道教士)。 柔術各派や大日本武徳会にて柔道を修行して明治神宮競技大会柔道競技優勝という実績を残す傍ら、大正期から昭和初期にかけ旧制第六高校において柔道を指導し弟子たちと共に膝十字固や三角絞を生み出すなど高専柔道の発展に大きく貢献し、寝技の大家としてその名を知られた。 岡山県岡山市の出身。かつて岡山藩では池田家が起倒流を、分家の天城池田家が竹内流を公式の柔術として採用し互いに技を競い合った関係で岡山の地には両流派が根付いており、金光は少年時代より起倒流を岸本重太郎に、竹内流を今井行太郎に学んだ。
石黒 岩太(いしぐろ いわた、1892年(明治25年)3月3… 石黒 岩太(いしぐろ いわた、1892年(明治25年)3月30日 - 1951年(昭和26年)10月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
石田 栄熊(いしだ えいぐま、1892年(明治25年)3月3… 石田 栄熊(いしだ えいぐま、1892年(明治25年)3月30日 - 1969年(昭和44年)8月21日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級 鹿児島県、現在の鹿児島市出身。陸軍士官学校第27期、陸軍大学校第39期卒業。1938年(昭和13年)に陸軍歩兵大佐進級と同時に留守第7師団参謀長に任官された。1939年(昭和14年)に陸軍兵器廠附となり、1941年(昭和16年)に陸軍少将に進級。 1942年(昭和17年)に第3野戦鉄道司令官となり、太平洋戦争に出動。1943年(昭和18年)2月3日に第4特設鉄道司令官、8月6日に第2鉄道監を兼任し、1944年(昭和19年)に南方軍野戦鉄道司令官に転じる。
棈松 熾(あべまつ さかん、1891年(明治24年)3月30… 棈松 熾(あべまつ さかん、1891年(明治24年)3月30日 - 没年不明)は、明治時代後期から昭和時代前期の台湾総督府官僚。 鹿児島県日置郡上伊集院村(現・鹿児島市)に生まれる。1909年(明治42年)2月、台湾総督府税関官吏に任ぜられ、府属、台北州属、総督官房秘書課勤務を経て、1928年(昭和3年)9月、地方理事官に進み、基隆市助役に就任した。1930年(昭和5年)4月、台北州羅東郡守、1931年(昭和6年)5月、高雄州潮州郡守を歴任し、1932年(昭和7年)4月に退官した。 退官後は、清水街長、台北市主事、台南商工会議所理事、花蓮港市会議員などを歴任した。
乾 利一(いぬい りいち、1888年〈明治21年〉3月30日… 乾 利一(いぬい りいち、1888年〈明治21年〉3月30日 - 没年不明)は、日本の官吏、会社役員。 大阪府中河内郡南高安村(現・八尾市)の人・乾亀松の長男。1915年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入る。岡山県属兼警視。岡山県和気郡長となる。北海道庁、奈良、鹿児島各県理事官、沖縄県書記官、復興局事務官を経て1936年、退官する。 中国合同電気に入り、取締役総務部長として経営の第一線に立つ。山陽中央水電、山陽商事各取締役、新見電気、久米水力電気、羽東川電気、鳥取電燈、作陽水力電気、姫路電球各監査役などをつとめる。 1925年、家督を相続する。趣味は東洋倫理、東洋古典、俳句。宗教は仏教、融通念仏宗。
堀内 謙介(ほりのうち けんすけ、1886年〈明治19年〉3… 堀内 謙介(ほりのうち けんすけ、1886年〈明治19年〉3月30日 - 1979年〈昭和54年〉11月1日)は、日本の外交官。1930年代後半に外務次官及び駐米大使、戦後は駐中華民国(台湾)大使を務めた。 兵庫県多紀郡篠山町(のち丹波篠山市)にて旧篠山藩士堀内令順の次男として生まれる。私立尋常中学鳳鳴義塾、旧制山口高等学校、第一高等学校を経て、1910年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。東京帝大在学中の1909年に文官高等試験合格、さらに1911年10月の外交官及領事官試験に合格(同期は重光葵・芦田均・縫田栄四郎・栗野昇太郎・村上義温・酒匂秀一・桑島主計)、翌11月に外交官補に任じられ清国在勤を命じられた。
西村 兵太郎(にしむら ひょうたろう、1884年(明治17年… 西村 兵太郎(にしむら ひょうたろう、1884年(明治17年)3月30日 - 1935年(昭和10年)9月13日)は、日本の政治家。愛媛県長浜町(現大洲市)町長を21年、愛媛県議会議員を16年務めた。愛媛の水産界に大きな影響を与えたとして、水産業界の父とも言われている。
寺崎 武男(てらさき たけお、1883年3月30日 - 19… 寺崎 武男(てらさき たけお、1883年3月30日 - 1967年2月16日)は、日本の洋画家・版画家。房総神話を描いた画家として知られる。 東京都生まれ。1907年に東京美術学校西洋画科を卒業し、農商務省実業講習生としてイタリアを訪れ、ベネチアを拠点に活動し、フレスコ画やエッチングなどを学ぶ。1918年、山本鼎らと日本創作版画協会を設立。後に日本版画協会の創立に参加した。作品に「房州の海」「安房開拓神話」などがある。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
小坂 順造(こさか じゅんぞう、1881年〈明治14年〉3月… 小坂 順造(こさか じゅんぞう、1881年〈明治14年〉3月30日 - 1960年〈昭和35年〉10月16日)は、日本の実業家、政治家。長野電灯、信濃毎日新聞、信越化学工業、東信電気の経営者。日本発送電総裁。長野県生まれ。 長野県上水内郡柳原村(現・長野市柳原)で、信濃毎日新聞社長や衆議院議員などを務めた小坂善之助の長男として生まれる。旧制長野中学校(現・長野県長野高等学校)、信濃毎日新聞取締役、日本中学などを経て、1904年に東京高等商業学校(現・一橋大学)卒業する。元社団法人如水会会員であり、籠城事件の際は交渉委員として母校防衛に活躍した。 1904年に日本銀行へ入行、1908年に同行を退職し信濃銀行(現・みずほ銀行)取締役、1911年信濃毎日新聞社長、長野商業会議所会頭、1923年長野電灯社長、1930年信濃電気、信越窒素肥料(現・信越化学工業)の経営を越寿三郎から引き継ぎ、1931年信越窒素肥料社長、1940年信越窒素肥料を信越化学工業に社名変更、1950年日本発送電総裁、1954年電源開発総裁。
明石 照男(あかし てるお、1881年3月30日 - 195… 明石 照男(あかし てるお、1881年3月30日 - 1956年9月29日)は、岡山県和気郡英保村(現・備前市吉永町)出身の実業家、銀行家。 1881年3月、和気郡英保村(現備前市吉永町)で生まれる。旧制岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、東京帝国大学へ進学する。成績が優秀だった事から、渋沢栄一に認められ、三女、愛子の娘婿となった。欧米へ留学後、第一銀行へ入行。1926年取締役、1928年常務取締役、1932年副頭取、1935年頭取となる。1943年、三井銀行との合併により帝国銀行の会長となる。その間、1920年から澁澤倉庫取締役、1932年から1935年まで澁澤倉庫取締役会長を兼務。
内田 隆(うちだ たかし、1879年(明治12年)3月30日… 内田 隆(うちだ たかし、1879年(明治12年)3月30日 - 1963年(昭和38年)7月11日)は、日本の台湾総督府・内務官僚、実業家。官選秋田県知事。旧姓・長田。 福島県出身。長田庄衛の二男として生まれた。福島県立安積中学校、宮城県立仙台第二中学校を経て、第二高等学校を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。東洋拓殖を経て、1911年、朝鮮総督府に入り農商工部属となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内田家に夫婦養子となり改姓した。 以後、青島守備軍民政部事務官、台湾総督府事務官、同殖産局長などを歴任。 秋田県出身の川村竹治台湾総督に仕えたことがきっかけで、1931年12月、犬養内閣により秋田県知事に任じられた。
西村 眞次(にしむら しんじ、1879年(明治12年)3月3… 西村 眞次(にしむら しんじ、1879年(明治12年)3月30日 - 1943年(昭和18年)5月27日)とは日本のリベラル系ジャーナリスト、歴史学者、考古学者、文化人類学者、民俗学者。号として酔夢とも。勲八等白色桐葉章(1905年)。文学博士。早稲田大学教授。戦前日本において「文化人類学」の名を冠した日本語書籍を初めて上梓したことでも知られる。 三重県度会郡宇治山田町(のち宇治山田市宮後町、現伊勢市)にて西村九三、のぶ子夫妻の次男として生まれる。尋常小学校卒業後は大阪で仕事をしながら、私立の中等教育機関にて勉学に励むこととなる。この間『少年文集』や『中学世界』をはじめ、少年雑誌、青年雑誌を中心に採用された投稿は多い。
細谷 而楽(ほそや じらく、1878年〈明治11年〉3月30… 細谷 而楽(ほそや じらく、1878年〈明治11年〉3月30日 - 1940年〈昭和15年〉11月16日)は、日本の彫刻家。本名・三郎。 1878年(明治11年)、群馬県一毛村(現・前橋市城東町1丁目)に生まれる。細谷家は前橋藩士の家柄だった。祖父・登代平の時に廃藩となり、父・桟平は製糸業や質屋を営んでいた。而楽は桟平・まきの三男として生まれた。前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に学ぶが、中退して上京。1897年(明治30年)9月、東京美術学校予科(現・東京藝術大学)に入学する。翌年には新しく開かれた塑造科へと進み担当教官である高村光雲に師事する。同期の高村光太郎(光雲の子息)と親しく交流し、1902年(明治35年)7月に同校を卒業。
李 堈(り こう、朝鮮語: 이강〈イ・ガン〉、1877年3月… 李 堈(り こう、朝鮮語: 이강〈イ・ガン〉、1877年3月30日 - 1955年8月16日)は、大韓帝国の皇族(王)、のち大日本帝国の公族。朝鮮第26代国王・大韓帝国初代皇帝高宗の五男。 朝鮮国王高宗の五男として誕生する。母は貴人張氏(出産当時は承恩尚宮だった)。異母兄に純宗、異母弟に皇太子・李王となった李垠がいる。幼名は平吉(ピョンギル)。朝鮮王朝の慣例では、国王の庶子は世子が10歳になるまで宮中に入ることはできなかったため、哲宗の女婿朴泳孝のもとで育てられた。その後も興宣大院君の反対でなかなか王子として認知されず、庶民的な生活を強いられた。素行は荒れ、市中の無頼とも付き合うようになったという。
溝手 保太郎(みぞて やすたろう、1877年(明治10年)3… 溝手 保太郎(みぞて やすたろう、1877年(明治10年)3月30日 - 1933年(昭和8年)11月25日)は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家、銀行家、大地主。貴族院多額納税者議員。 溝手直次郎の長男として岡山県都宇郡早島村(現都窪郡早島町)に生まれる。一時直次郎の兄の養嗣子となるが、のち復籍し、9歳にして家督を相続する。1896年(明治29年)1月、早島、倉敷の地主、佐藤、綱島、大橋らと共に中備銀行を創立し頭取に就任した。早島随一の大地主として120町歩の小作地を経営し、その収入を株式や公債に当て利殖を図る。1910年(明治43年)韓国併合を契機に韓国にも180町歩の土地を購入、農場経営に着手した。
小川 三紀(おがわ みのり、1876年(明治9年)3月30日… 小川 三紀(おがわ みのり、1876年(明治9年)3月30日 - 1908年(明治41年)10月31日)は、日本の鳥類学者。日本人で最初に鳥類に専念した動物学者の一人。飯島魁東京帝国大学教授を助けて[要出典]剥製標本や鳥卵標本を集め、日本鳥類学の礎を築く。南西諸島におけるルリカケスの再発見やオオトラツグミの発見などの業績がある。 1876年(明治9年)、静岡藩医小川清齋の四男として誕生。1892年(明治25年)、静岡市立高等小学校卒業。中学校2年生頃より昆虫類の採集を始め、旧制中学4年で処女論文を発表。1896年(明治29年)、静岡県尋常中学校卒業。1901年(明治34年)年、第一高等学校卒業。
清水 南山(しみず なんざん、1875年〈明治8年〉3月30… 清水 南山(しみず なんざん、1875年〈明治8年〉3月30日 - 1948年〈昭和23年〉12月7日)は、広島県豊田郡能地村(現・三原市幸崎町能地)出身の彫金家。本名、清水 亀蔵(しみず かめぞう)。日本画の大家である平山郁夫の祖母の兄。 広島県出身者としては初めて特待生として東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学した。最初は絵画科(日本画)へ所属していたが、後に彫金科に編入した。彫金科を卒業後に研究科で加納夏雄、海野勝珉に、塑造科で藤田文蔵に学んだ。その後は独自の創作活動を続け、彫金界の第一人者としての地位を築いた。1909年、香川県立工芸学校の教諭になるが、6年余りで退職し、奈良県に住んで法隆寺の古美術を研究した。
斎藤 春子(さいとう はるこ、1873年〈明治6年〉3月30… 斎藤 春子(さいとう はるこ、1873年〈明治6年〉3月30日 - 1971年〈昭和46年〉9月14日)は、日本の華族。第30代内閣総理大臣夫人。斎藤実子爵夫人。 東京出身。1873年〈明治6年)3月30日、薩摩藩士で海軍の重鎮であった仁礼景範の長女として生まれる。兄の仁礼景一は日露戦争で初瀬分隊長として戦死、弟の仁礼景雄は昆虫学者。1884年(明治17年)に明倫女学校(現在の横浜清風高等学校)を卒業。その後、東洋英和女学校に進学したが中退。 1892年(明治25年)2月5日に斎藤実と結婚。斎藤実との間には子供はなく、斎藤斉を養子に迎えている。 1932年(昭和7年)5月、斎藤実の内閣総理大臣就任により、内閣総理大臣夫人となる。
矢島 栄助(やじま えいすけ、1869年3月30日(明治2年… 矢島 栄助(やじま えいすけ、1869年3月30日(明治2年2月18日) - 1947年(昭和22年)9月16日)は、明治から昭和時代前期の政治家・実業家。貴族院多額納税者議員。幼名は富吉。 先代矢島栄助(1836-1905)の長男としてのちの山梨県甲府市緑町に生まれ、1899年(明治32年)7月に家督を相続する。1905年(明治38年)襲名する。東京共立学校を経て、東京専門学校を卒業する。1905年(明治38年)10月、甲府市会議員に当選したのを皮切りに、同市参事会員、同市会議長を歴任する。1911年(明治44年)山梨県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1915年(大正4年)1月14日まで在任した。
野間口 兼雄(のまぐち かねお、慶応2年2月14日(1866… 野間口 兼雄(のまぐち かねお、慶応2年2月14日(1866年3月30日) - 昭和18年(1943年)12月24日)は、日本の海軍軍人、海軍大将。
小橋 栄太郎(こばし えいたろう、1865年3月30日(元治… 小橋 栄太郎(こばし えいたろう、1865年3月30日(元治2年3月4日) - 1932年(昭和7年)8月14日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。 箱館で商業・小橋宗七の子息として生まれる。1882年、函館商船学校を卒業。その後、東京に出て近藤塾で学んだが、当時の自由民権運動に共鳴し政治の世界に身を投じた。1883年、先輩と共に北海自由党を結成しようとしたが、当局からの妨害を受けて実現できなかった。1889年、『日刊北辰』を創刊。1894年1月、改めて政事新聞『めざまし』を創刊し、1898年、『函館日日新聞』と改題した。 1900年、平出喜三郎に協力して立憲政友会函館支部を創立して、その幹部に就任。
林 元俊(はやし げんしゅん、1861年3月30日(万延2年… 林 元俊(はやし げんしゅん、1861年3月30日(万延2年2月20日)- 1904年(明治37年)10月31日)は、明治期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。 琉球国薩摩藩領大島郡花徳村(鹿児島県大島郡花徳村、天城村、東天城村を経て現徳之島町花徳)で生まれた。今藤勇に師事し、漢学、数学を修めた。 経済界では、1896年(明治29年)1月、大阪第七十九国立銀行取締役に就任。以後、同行大島支店主任、鹿児島県農工銀行設立委員、大島興業社長を務めた。 政界では、1889年(明治22年)1月、大島郡第19学区学事委員に就任。同年7月、大島郡山村外五ヶ村戸長となる。1898年(明治31年)8月、第6回衆議院議員総選挙(鹿児島県第7区、無所属)で当選し、その後立憲政友会に所属して、衆議員議員に1期在任した。
湯浅 吉郎(ゆあさ きちろう、安政5年2月16日〈1858年… 湯浅 吉郎(ゆあさ きちろう、安政5年2月16日〈1858年3月30日〉 - 1943年〈昭和18年〉2月4日)は、明治から昭和戦中期にかけての聖書学者・図書館学者・詩人。雅号の半月(はんげつ)で知られる。兄は衆議院議員を務めた湯浅治郎。同志社大学、国際基督教大学の総長を務めた湯浅八郎は甥(治郎の子)に当たる。 上野国碓氷郡安中宿(現在の群馬県安中市)にて、味噌醤油醸造業者・有田屋を経営する湯浅治郎吉・茂世の四男として生まれる。明治5年(1872年)、家業を継いだ兄・治郎が作った私立図書館「便覧舎」の設置を手伝い、後に同郷の新島襄の影響を受けて兄とともにキリスト教の洗礼を受けた。1877年(明治10年)に新島が京都に創設した同志社英学校に入学し、1885年(明治18年)に同校普通科ならびに神学科を卒業する。
湯浅 貞太郎(湯淺、ゆあさ さだたろう、1850年3月30日… 湯浅 貞太郎(湯淺、ゆあさ さだたろう、1850年3月30日(嘉永3年2月17日)- 1911年(明治44年)8月16日)は、日本の政治家。衆議院議員、徳島県勝浦郡小松島町長。 阿波国勝浦郡田野村(現徳島県小松島市田野町)で、庄屋湯浅家・4代佐平次の長男として生まれる。私塾で学び、漢学、剣術、馬術を修めた。 徳島藩主蜂須賀家の家債整理について尽力した。1870年4月(明治3年3月)勝浦郡四番里長に就任し、以後、同郡第二小区用係、学校世話係、地租改正委員総代を歴任。徳島県が高知県に属していた1879年(明治12年)1月から名東郡、勝浦郡各書記を務めた。 1882年(明治15年)に結成された立憲改進党に参加。
矢土 勝之(やづち / やつち かずゆき、1849年3月30… 矢土 勝之(やづち / やつち かずゆき、1849年3月30日(嘉永2年3月7日)- 1920年(大正9年)11月28日)は、明治から大正期の漢詩人・官僚・政治家。衆議院議員。字・実夫、号・錦山。 伊勢国飯野郡阿波曽村(三重県飯野郡射和村大字阿波曽、飯南郡射和村を経て現松阪市阿波曽町)で生まれる。土井聱牙に師事し漢学を修めた。 太政官に出仕。東京で岩倉具視、伊藤博文の知遇を得た。1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(三重県第4区、自由党)で当選した。1902年(明治35年)8月の第7回総選挙(三重県郡部、立憲政友会)では落選し、衆議院議員に1期在任した。 森春濤の高弟で、その子森槐南らと交友した。
羽田野 敬雄(はだの/はたの たかお、1798年3月30日〈… 羽田野 敬雄(はだの/はたの たかお、1798年3月30日〈寛政10年2月14日〉 - 1882年〈明治15年〉6月1日)は、三河国宝飯郡西方村(現・愛知県豊川市御津町西方)出身の国学者・神職。旧姓は山本。通称として常陸(ひたち)や栄木(さかき)などがある。 平田篤胤門下の皇学者であり、なおかつ神職だった。明治政府の神仏分離令によって生じた廃仏毀釈運動の推進者であり、神職の地位向上に貢献した。近代的図書館活動の先駆者でもあり、自らの蔵書を元に設立した「羽田八幡宮文庫」を一般市民に広く公開した。 寛政10年(1798年)2月14日、三河国宝飯郡西方村(現・愛知県豊川市御津町西方)の上層農家の四男として生まれた。
高村 真耶(たかむら まや、3月30日 - ) は、グラフィ… 高村 真耶(たかむら まや、3月30日 - ) は、グラフィックデザイナー。MAYA名義で『beatmania IIDX』をメインに、キャラクターデザイン、ムービークリップの制作を手がける。 大阪芸術大学芸術学部デザイン学科情報デザインコース卒業後、コナミに入社。2008年に同社を退社し、フリーランスのイラストレーターとして活動開始。 2008年5月29日には画集『puzzle MAYA TAKAMURA's Piece』を発売した(コナミスタイル専売)。 2018年2月13日、『少年ジャンプ+』(集英社)にて初めての少年漫画『ヨルの鍵』を連載開始。 高村真耶本人のTwitterアカウントの位置情報には「ウィキが一番詳しい」と書かれていて当記事へのリンクが貼られている。
あだち(3月30日 - )は、日本の漫画家。東京都足立区出身… あだち(3月30日 - )は、日本の漫画家。東京都足立区出身。血液型O型。デビュー作は『円谷さん家』。 全て集英社から刊行されている。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
有馬 理絵(ありま りえ、3月30日 - )は、日本のクラリ… 有馬 理絵(ありま りえ、3月30日 - )は、日本のクラリネット奏者。 奈良県奈良市出身。12歳よりクラリネットを始める。奈良市立春日中学校、奈良県立平城高等学校を経て、1997年、京都市立芸術大学を首席で卒業。音楽学部賞を受賞。読売新聞社新人演奏会、朝日新聞社推薦演奏会、ヤマハ管楽器新人演奏会に出演。同年、東京藝術大学大学院に入学。1999年、同大学院を修了。朝比奈千足、村瀬二朗、村井祐児、鈴木良昭、三界秀実の各氏に師事した。 第68回日本音楽コンクールクラリネット部門入選。第18回日本管打楽器コンクールクラリネット部門入賞。現在、日本各地でオーケストラ、吹奏楽、ソロ、室内楽等プレイヤーとして幅広く活躍。
かわち ゆかり(3月30日 - )は、日本の漫画家、タレント… かわち ゆかり(3月30日 - )は、日本の漫画家、タレント。兵庫県西宮市出身。血液型はA型。 1986年「めげない子物語」で第1回少女フレンド新人まんが賞に入選、デビュー。以後、『少女フレンド』(講談社)などにラブコメディやファンタジー、ラブストーリーなどの作品を発表。『少女フレンド』休刊後は『デザート』(同)に作品を発表。近年は母親を描いた作品が多くなっている。 ※特に記載が無い作品は講談社刊 ※全て講談社X文庫ティーンズハート ※全て講談社X文庫ティーンズハート ※特に記載が無い作品は講談社刊) この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。