多田 邦雄(ただ くにお、1938年〈昭和13年〉3月31日… 多田 邦雄(ただ くにお、1938年〈昭和13年〉3月31日 - 2017年〈平成29年〉12月30日)は、日本の応用物理学者。専門は電気工学。東京大学名誉教授。応用物理学会会長(1996-1997年度)。工学博士。 1938年3月31日に東京府で生まれた。1960年に東京大学工学部電気工学科を卒業後、1965年に同大学院数物系研究科電子工学専攻の博士課程を修了し、工学博士号を取得した。同年に同大学の専任講師に着任し、翌1966年に助教授に昇任、1972年より1年間ペンシルベニア大学で客員助教授を経て、1981年に東京大学大学院工学研究科電子工学専攻教授に就任した。1998年3月に東京大学を定年退官し、同年4月に横浜国立大学工学部教授に着任し、2003年3月に同大学を定年退官した。
背戸 一登(せと かずと、1938年3月31日 - ) は、… 背戸 一登(せと かずと、1938年3月31日 - ) は、日本の機械工学者・技術士。元日本大学理工学部教授。元日本機械学会機械力学・計測制御部門長。 1962年日本大学理工学部機械工学科卒業、日本大学理工学部精密機械工学科助手。 1968年東京都立大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1971年東京都立大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了。 その後、防衛大学校講師。1974年防衛大学校助教授。1986年防衛大学校教授。1992年日本機械学会機械力学・計測制御部門部門長、日本学術会議自動制御研究連絡委員会委員。 1993年日本大学理工学部教授。1997年日本機械学会国際交流部会部会長。
米倉 弘昌(よねくら ひろまさ、1937年3月31日 - 2… 米倉 弘昌(よねくら ひろまさ、1937年3月31日 - 2018年11月16日)は、日本の実業家。位階は正三位。 学位は経済学修士(デューク大学・1965年)。住友化学株式会社相談役、一般社団法人日本経済団体連合会名誉会長、経済産業省産業構造審議会会長、住友化学工業株式会社(現住友化学株式会社)代表取締役社長・会長、社団法人日本経済団体連合会副会長、石油化学工業協会会長、社団法人日本化学工業協会会長、一般社団法人日本経済団体連合会会長(第3代)などを歴任した。 1937年3月31日、兵庫県神戸市長田区に生まれる。甲南高等学校を経て、1956年4月に東京大学法学部入学、1960年3月、東京大学法学部卒業後、住友化学工業(現住友化学)に入社する。
大庭 宏(おおば ひろし、1937年3月31日 - )は、長… 大庭 宏(おおば ひろし、1937年3月31日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 佐世保北高校から1955年にトンボユニオンズへ入団。 1956年に球団が吸収合併したため1957年は大映ユニオンズ所属となり同年引退。カーブ、シュートを武器とした。 弟の清は、のち西鉄に入団している。
藤林 英雄(ふじばやし ひでお、1937年3月31日 - )… 藤林 英雄(ふじばやし ひでお、1937年3月31日 - )は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト、ニュースキャスター、テレビプロデューサー。東京府(のちの東京都)出身。学習院大学政経学部卒業。 1961年4月にTBSへアナウンサー7期生として入社。1963年11月1日、アナウンサーの報道局への大量異動が行われ、同ニュース部に配属。1965年12月よりニュース取材部へ配属。1967年11月15日より、アナウンサー研修室設置に伴い報道局ラジオニュース部勤務兼アナウンサー研修室付となった。アナウンサーとしては、主にニュースを担当。 1970年7月にテレビ本部報道局ラジオニュース部配属となる。以降、1972年11月よりテレビニュース部兼ラジオ局ラジオニュース部、1974年3月より報道局編集部兼解説室委員、1986年7月より政経部に在籍し、その間報道記者・ニュースキャスター(1975年より)を務めた。
加藤 尚彦(かとう なおひこ、1937年3月31日 - )は… 加藤 尚彦(かとう なおひこ、1937年3月31日 - )は、日本の政治家。 元衆議院議員(1期)。横浜市会議員(5期)。自由民主党横浜市連幹事長、新党さきがけ神奈川県代表代行などを務めた。 現在、政治団体市民の党日本代表。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、1936年3月31日 … 毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、1936年3月31日 - )は、日本の俳優、タレント、ラジオパーソナリティ。まむしプロダクション所属。本名及び旧芸名:石井 伊吉(いしい いよし)。。愛称は「まむちゃん」「まむし(さん)」。 江戸弁の要素がみられる話し方が特徴的な東京・浅草育ちの俳優で、1969年から開始した『ミュージックプレゼント』(TBSラジオ)の中継先レポーターとして長年活躍し、聴衆一人一人に語りかける際の愛のある悪口が人気を呼び、長寿番組となった。 関東地方では高い知名度を誇るラジオスターの一人である。 聖徳大学短期大学部客員教授も務める。 大工の息子として大阪市住吉区に生まれたが、生後3カ月で東京市荏原区中延(現:東京都品川区中延)に転居。
上坂 吉則(うえさか よしのり、1936年3月31日 - 2… 上坂 吉則(うえさか よしのり、1936年3月31日 - 2019年7月20日)は、日本の情報工学者。東京理科大学名誉教授。元山梨英和大学副学長。元視聴覚情報研究会会長。 1959年名古屋工業大学工学部電気工学科卒業、NHK放送科学基礎研究所入所。1970年東北大学工学博士。1973年金沢大学工学部教授。1979年東京理科大学工学部情報科学科教授。退職後、東京理科大学名誉教授、山梨英和大学教授、山梨英和大学副学長、山梨英和大学特任教授、山梨英和大学顧問、山梨英和大学非常勤講師を歴任。1993年から2001年まで視聴覚情報研究会会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
齋藤 康一(さいとう こういち、1935年3月31日 - )… 齋藤 康一(さいとう こういち、1935年3月31日 - )は、日本の写真家。東京都品川区生まれ。 東京学芸大学附属竹早中学校、東京都立竹早高等学校卒業後、日本大学芸術学部写真学科入学。 大学在学中、写真家林忠彦の助手を19歳から務めた後、写真家秋山庄太郎の助手となった。1959年大学卒業後フリーとなった。 週刊誌・月刊誌等に数多くの人物写真および、ルポルタージュを多数掲載。 1965年、第一回日中青年大交流に日本写真家協会より参加、以後、80回中国各地を訪問、取材する。日本写真家協会名誉会員。日本写真協会監事。 1976年、第7回講談社出版文化賞をシリーズ「この人」にて受賞。1988年には日本写真協会年度賞。
多田 富雄(ただ とみお、1934年3月31日 - 2010… 多田 富雄(ただ とみお、1934年3月31日 - 2010年4月21日)は、日本の免疫学者、文筆家である。東京大学名誉教授。妻の多田式江は医師。大叔父に詩人多田不二がいる。 免疫学・分子生物学を専門とし、免疫機構解明に貢献。随筆執筆や医療・科学を題材にした新作能の創作も行った。著書に『免疫の意味論』(1993年)、『生命の意味論』(1997年)、『独酌余滴』(1999年)などがある。 茨城県結城市出身。旧制水海道中学校、茨城県立結城第二高等学校を経て、千葉大学医学部進学、在学中に安藤元雄、江藤淳らとともに同人雑誌『purete』に詩などを寄稿。千葉大学医学部第二病理学教室に勤務、1964年医学博士(千葉大学、題は「遷延感作ウサギにおける抗体産生の変貌」)、のち教授、1977年東京大学医学部教授、1995年定年退官、東京理科大学生命科学研究所所長。
風祭 元(かざまつり はじめ、1934年3月31日 - 20… 風祭 元(かざまつり はじめ、1934年3月31日 - 2017年8月24日)は、日本の医学者、精神科医。帝京大学名誉教授。
清水谷 薫(しみすだに かおる、1934年〈昭和9年〉3月3… 清水谷 薫(しみすだに かおる、1934年〈昭和9年〉3月31日 - 1961年)は、日本の元女優である。実妹は宝塚歌劇団の万里弥生。 大阪府大阪市生まれ。1952年(昭和27年)大阪府立清水谷高等学校を卒業。1954年3月に東京映画(東宝の関連)入社。出身高校から名付けた「清水谷洋子」の芸名で、「風立ちぬ」(堀辰雄原作、島耕二監督)でデビュー。「あんみつ姫」「赤いカンナの花咲けば」「忘れじの人」などに出演した。 1955年10月、大映の誘いで移籍し「清水谷薫」と改名。京都撮影所に所属し、同年の「怪盗と判官」で、市川雷蔵(遠山金四郎役)や勝新太郎(鼠小僧次郎吉役)と共演。翌年「花の渡り鳥」では、長谷川一夫演じる主人公(榛名の清太郎)の元恋人で、市川雷蔵(佐吉)の妻(おしの)役を演じた。
清水 将之(しみず まさゆき、1934年3月31日 - )は… 清水 将之(しみず まさゆき、1934年3月31日 - )は、日本の医学者・精神科医。名古屋市立大学助教授などを経て、関西国際大学教授。医学博士(大阪大学・1965年)。兵庫県芦屋市生まれ。 1934年兵庫県芦屋市生まれ。1960年大阪大学医学部医学科卒業。1965年大阪大学大学院修了。1965年医学博士(大阪大学)の学位を取得。名古屋市立大学医学部精神科助教授を経て、三重県立こども心療センターあすなろ学園園長。2001年関西国際大学教授。後に関西国際大学大学院教授。三重県立看護大学理事。
佐藤 秀夫(さとう ひでお、1934年3月31日 - 200… 佐藤 秀夫(さとう ひでお、1934年3月31日 - 2002年12月14日)は、日本の教育学者である。政治学者佐藤誠三郎は兄。 東京府生まれ。1958年、東京大学教育学部卒業。1965年、同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学、国立教育研究所所員。同第一研究部史料調査室長、第一研究部長、教育資料・情報センター長。1991年、日本大学文理学部教育学科教授。在職中の2002年12月14日、肝臓癌のため死去。専攻は日本教育史、教育文化史、教育史料研究。
野中 耕一(のなか こういち、1934年3月31日 - 20… 野中 耕一(のなか こういち、1934年3月31日 - 2014年12月9日)は、経済学者、タイ研究者。 愛知県生まれ。1961年東京大学農学部農業経済学科卒業、アジア経済研究所入所。1965年タイ王国カセサート大学留学。1977年アジア経済研究所バンコク事務所代表。1979年JICA専門家としてタイ国メイズ開発計画に参加。1990年チュラロンコン大学客員研究員。1992年アジア経済研究所理事。1997年川崎医療福祉大学客員教授。1983年、『農村開発顛末記』により日本翻訳文化賞受賞。 2014年12月9日、前立腺癌のため死去。
上前 淳一郎(うえまえ じゅんいちろう、1934年(昭和9年… 上前 淳一郎(うえまえ じゅんいちろう、1934年(昭和9年)3月31日 - )は、日本の評論家、ノンフィクション作家、エッセイスト。 岐阜県生まれ。1959年、東京外国語大学英米科を卒業後、朝日新聞社に入社。通信部、社会部記者を経て、1966年退社。以後、評論家として活動。 1976年に上梓した太平洋戦争中、ハワイの捕虜収容所で対日降伏勧告ビラ作製に協力した捕虜たちの足跡を追った『太平洋の生還者』で、日本ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『週刊文春』に1984年から2002年まで「読むクスリ」を長期連載。古荘多聞の名で小説を一作だけ書いている。2002年以降、著述は途絶えている。
岡崎 康雄(おかざき やすお、1934年3月31日 - 20… 岡崎 康雄(おかざき やすお、1934年3月31日 - 2005年5月12日)は、日本の経営者。森下仁丹社長を務めた。和歌山県西牟婁郡日置川町(現在の白浜町)出身。 1957年に同志社大学商学部経営学科を卒業した。同郷の代議士の早川崇の秘書を務めた後の1959年、森下仁丹に入社した。1986年6月、専務に就任し、1987年6月に社長代行、1989年2月に取締役、1990年6月に専務を経て、1999年6月には社長に就任した。2005年4月、会長に就任した。 2005年5月12日肝不全のために死去した。71歳没。
山口 玲子(やまぐち れいこ、1934年3月31日 - )は… 山口 玲子(やまぐち れいこ、1934年3月31日 - )は、日本の伝記作家。近代の日本を生きた女性の伝記を著した。 愛知県名古屋市生まれ。1957年に名古屋大学文学部社会学専攻を卒業後、1964年まで東海テレビ放送に勤務。当時は婦人向けの教養番組を作っており、仕事はおもしろかったと述べている。以降はフリーランスのテレビディレクターおよびライターとして活動。夫と娘の3人家族であり、夫は大学のゼミの先輩で、東海テレビでは同じ1期生であった。のちに名古屋市千種区山門町から静岡県伊東市へ移住。 1960年代末に『明治文学全集』に収録されていた『したゆく水』を読み、のちに伝記を著すことになる古在紫琴を知る。
居作 昌果(いづくり よしみ/いずくり よしみ、1934年3… 居作 昌果(いづくり よしみ/いずくり よしみ、1934年3月31日 - 2005年4月10日)は、日本のテレビプロデューサー。 元TBSにてプロデューサー、演出三部長、第一制作局長、制作局長を歴任後、制作会社・タイクスを設立し、代表取締役社長を務めた。 バラエティ番組のプロデューサーとしての手腕を、日本テレビの井原高忠、フジテレビの横澤彪、テレビ朝日の皇達也と、また自社の後輩である桂邦彦らとしばしば比較される。 息子は元電通プロモーションプラス専務執行役員の居作和果。 1934年、東京府(現在の東京都)生まれ、東京府東京市京橋区銀座(現在の東京都中央区銀座)出身。早稲田大学第一文学部英文科卒業。
梅沢 健三(うめさわ けんぞう、1933年(昭和8年)3月3… 梅沢 健三(うめさわ けんぞう、1933年(昭和8年)3月31日 - 2025年(令和7年)1月6日)は、日本の政治家。元北海道千歳市長(1期)、元日本会議千歳支部長。 北海道小樽市出身。札幌商業高等学校卒、自治大学校卒。1949年、千歳町役場に入る。同町商工係長を経て、監査事務局長、千歳市総務課長、市民部長、環境部長、1983年に総務部長。 1987年無所属で千歳市長選挙に立候補、当選したが、1991年に落選。 2013年(平成25年)4月29日付(春の叙勲)で旭日双光章を受章。 2025年1月6日、肺炎のため死去。91歳没。死没日付をもって正六位に叙された。
村上 淳一(むらかみ じゅんいち、1933年3月31日 - … 村上 淳一(むらかみ じゅんいち、1933年3月31日 - )は日本の法学者。東京大学名誉教授。専門は比較法、ドイツ法。京都府生まれ。日本におけるドイツ法研究の第一人者。日本学士院会員。東京高等裁判所長官や最高裁判所長官を歴任した村上朝一の長男。
依田 智治(よだ ともはる、1932年〈昭和7年〉3月31日… 依田 智治(よだ ともはる、1932年〈昭和7年〉3月31日 - 2026年〈令和8年〉2月27日)は、山梨県出身の元警察官僚、元参議院議員。元防衛事務次官。 ※参照:依田智治『依田智治の主張』(朝雲新聞社、2004年)
大島 渚(おおしま なぎさ、1932年(昭和7年)3月31日… 大島 渚(おおしま なぎさ、1932年(昭和7年)3月31日 - 2013年(平成25年)1月15日)は、日本の映画監督、脚本家、演出家、著述家。フィクションだけでなくドキュメンタリーも制作した。 妹の大島瑛子は女優・プロデューサーで大島プロダクションの代表を務めた。美術監督の戸田重昌は瑛子の夫で義弟に当たる。妻は女優の小山明子、長男の大島武は東京工芸大学芸術学部教授、次男の大島新はドキュメンタリー作品監督。 1932年(昭和7年)3月31日、岡山県児島郡(当時)で生まれた。父方は長崎県対馬の出で、先祖は対馬藩士。母親は広島県呉市出身。父親は農林省の水産学者。仕事の関係で瀬戸内海を転々とし、カニやエビの研究をしていた。
高柳 俊一(たかやなぎ しゅんいち、1932年3月31日 -… 高柳 俊一(たかやなぎ しゅんいち、1932年3月31日 - 2022年7月28日)は、日本の英文学者・神学者。上智大学名誉教授。 新潟県生まれ。1954年上智大学文学部英文科卒業。1954‐1958年米国留学、フォーダム大学大学院から博士号を受ける。1966年-1970年ドイツのザンクト・ゲオルゲン神学院にて神学研究、神学修士号を受け、カトリック司祭に叙階される。上智大学文学部英文学科教授を務め、キリスト教神学、T・S・エリオットなど英文学について多く著作を行う。 2022年にイエズス会ロヨラハウスにて前立腺がんで帰天する。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
駒井 徳造(こまい とくぞう、1932年3月31日 - )は… 駒井 徳造(こまい とくぞう、1932年3月31日 - )は元任天堂部長、元セガ・エンタープライゼス副社長、元トムス・エンタテインメント会長。大阪市出身。 1954年に任天堂に入社し、長く営業を担当した。 任天堂レジャーシステムは1975年に『EVRレース』を発売し、メダルゲームに参入。関東における『EVRレース』の販売は、主にエスコ貿易が担当し、それにより駒井はエスコ貿易社長の中山隼雄と知り合う。任天堂のアーケード事業が苦しい時期も、中山はハードの販売を一手に引き受け、ほとんどエスコ貿易の独占に近い状態になることもあった。駒井はそれらの取引を通じて中山と信頼関係を築いた。 苦しい状態が続いた任天堂のアーケード事業は、『スペースフィーバー』(1979年)の大当たりによって一気に息を吹き返した。
今井 健二(いまい けんじ、1932年3月31日 - )は、… 今井 健二(いまい けんじ、1932年3月31日 - )は、日本の俳優。本名およびデビュー時の芸名:今井 俊一、旧芸名:今井 俊二。 神奈川県鎌倉市出身。明治大学卒業。田中事務所、グループ71、西村事務所に所属していた。 1955年、知人の勧めで、東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社。同期には高倉健、五味龍太郎、丘さとみなどがいる。『野郎ども表へ出ろ』に出演して俳優デビューを果たす。大部屋俳優としての役柄を経て、『吠えろ岸壁』への出演後、『皮ジャン・ブルース』ではより大きな役を与えられた。1962年に東映を退社して以降はフリーランスとなった。もともとは二枚目のスター候補であり、温厚な青年なども演じていたが、今井健二名義で『続・女番外地』出演して以降は悪役をメインに演じるようになった。
重倉 祐光(しげくら ゆうこう、1931年3月31日 - 2… 重倉 祐光(しげくら ゆうこう、1931年3月31日 - 2020年10月1日)は、日本の工学者。東京理科大学名誉教授。東京理科大学学長補佐や、諏訪東京理科大学初代学長を務めた。藍綬褒章受章。 重倉珉祐(東北大学名誉教授)長男として、1931年仙台市に生まれる。東北大学工学部建築学科、同大学院博士課程を経て小野田セメント中央研究所に7年間勤務、東京理科大学に転じ助教授、39歳で教授となる。 建築学科主任、理工学部長、理工学研究科長、火災科学研究所長、学長補佐などの要職を歴任した。1998年東京理科大学諏訪短期大学を四年制大学に転換するため学長として赴任、転換後、諏訪東京理科大学学長を務めた。専門は建築材料学。
平井 照敏(ひらい しょうびん、1931年(昭和6年)3月3… 平井 照敏(ひらい しょうびん、1931年(昭和6年)3月31日 - 2003年(平成15年)9月13日)は、日本の俳人・フランス文学者。青山学院女子短期大学名誉教授。本名・てるとし。 東京都生まれ。1954年(昭和29年)東京大学文学部仏文科卒業、同大学院比較文学比較文化修士課程入学。1959年(昭和34年)詩集『エヴァの家族』を刊行、詩人として活動を始め、またフランス詩の研究も行う。青山学院短期大学に勤務しのち教授。2001年(平成13年)青山学院女子短期大学名誉教授。 1965年(昭和40年)ごろから俳句を作りはじめ、加藤楸邨に師事、「寒雷」に入会。寒雷賞受賞、同誌編集長になる。1974年(昭和49年)句集『猫町』を刊行、主宰誌「槇」を創刊する。
安倍 基雄(あべ もとお、1931年3月31日 - 2004… 安倍 基雄(あべ もとお、1931年3月31日 - 2004年1月23日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正四位。 文部政務次官(細川内閣)、衆議院議員(通算4期)を務めた。父は内務大臣を務めた安倍源基。 1931年(昭和6年)、東京生まれ。永田町小学校(現麹町小学校)、旧制成蹊高等学校を経て、1953年(昭和28年)、東京大学法学部法律学科卒業。大蔵省に入省。理財局総務課に配属。昭和28年旧制入省組同期には、吉野良彦、大場智満、津島雄二、近藤鉄雄らがいた。1959年(昭和34年)、フルブライト留学生としてペンシルベニア大学大学院に留学、計量経済学を専攻。1961年(昭和36年)、ペンシルベニア大学大学院でPh.D.(経済学博士号)を取得。
柏木 敏夫(かしわぎ としお、1931年3月31日 - 20… 柏木 敏夫(かしわぎ としお、1931年3月31日 - 2003年2月25日)は、プロ野球審判員で元セントラル・リーグ審判部副部長。旧制明石中学(現在の兵庫県立明石高等学校)卒業後、地元の会社を務めてから1959年セ・リーグ審判部入局し、審判部副部長をつとめた後、1989年引退。セ・リーグ袖番号は20(1988年から1989年引退まで、20は1998年以降土山剛弘がつけている。なお、2010年にセパが統一され現在は白井一行がつけている。)。通算出場試合数は3044。オールスターゲームにはよく出場したが、日本シリーズの出場経験はない。 審判時代は強気の「強権発動」で鳴らし、つまらない野次やルール無知によるクレームはガンとして撥ね付けていた。
伊藤 利男(いとう としお、1931年3月31日 - )は、… 伊藤 利男(いとう としお、1931年3月31日 - )は、日本のドイツ文学者、九州大学名誉教授。 長野県生まれ。1954年東京大学文学部独文科卒業、1957年同大学院修士課程修了、文学部助手、1960年九州大学教養部講師、助教授、1971年文学部助教授、1985年教授、1995年定年退官、名誉教授。
清水 徹(しみず とおる、1931年3月31日 - )は、日… 清水 徹(しみず とおる、1931年3月31日 - )は、日本のフランス文学者・翻訳家。明治学院大学名誉教授。 東京府生まれ。1954年東京大学フランス文学科卒業、1956年同大学院修士課程修了、東京大学助手、國學院大學助教授、1965年明治学院大学文学部助教授、1970年教授。1986年同図書館長、1997年退職。 ヌーヴォー・ロマン作家のミシェル・ビュトールの研究、翻訳を行い、1967年に「時間割」の訳でクローデル賞。1985年に出版したマルグリット・デュラス『愛人』は、1992年に映画公開され文庫判はベストセラーになった。1991年、ビオイ=カサーレス『モレルの発明』の翻訳でBABEL国際翻訳大賞日本翻訳大賞・文学部門。
西 桂太(にし けいた、1931年3月31日 - )は、日本… 西 桂太(にし けいた、1931年3月31日 - )は、日本の男性俳優、声優、演出家、映像ディレクター、吹き替えディレクター、翻訳家、劇作家。本名及び演出家としての名義は大西 桂太。翻訳家としての名義は秋元 良介。大阪府出身。 1956年、大学在学中にぶどうの会演出部に入団。早稲田大学演劇科卒業後はTBS放送劇団、青年工房、土の会で俳優・声優として活動後、フリーランスとなり、日本合唱センター、劇団アトリエ座、劇団どらま座、声の劇団イマージュ(代表を経て、顧問)、演劇企画集団「人」などを設立した。 日活芸術学院、東京アナウンス学院などで講師も行っていた。 2017年、親戚関係にあたる高嶺巌によって引退していることが明かされた。
三浦 澄能(みうら すみよし)(1930年〈昭和5年〉3月3… 三浦 澄能(みうら すみよし)(1930年〈昭和5年〉3月31日-)は、日本の実業家。1993年から1996年まで住友電設で社長として在任していた。
小口 高(おぐち たかし、1930年3月31日 - 2010… 小口 高(おぐち たかし、1930年3月31日 - 2010年12月27日)は、日本の地球物理学者。元東京大学教授。地磁気、オーロラなどの研究が専門で、第1次から第3次の南極観測隊に参加し、第12次の南極観測隊では隊長兼越冬隊長を務めた。 長野県岡谷市出身。長野師範学校附属小学校、旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校の前身)、旧制第一高等学校を経て、東京大学理学部に進む。 1955年、東京大学の大学院生であった小口は、教授であった永田武に呼び出され、第1次南極観測隊の隊長に自分がなりそうだが、そうなれば一緒に来るかと尋ねられ、即座に同行を願い出た。小口は、1956年の第1次南極観測隊員に加わり、続いて第2次、第3次の南極観測隊員にも参加した。
大野 正隆(おおの まさたか、1930年3月31日 - )は… 大野 正隆(おおの まさたか、1930年3月31日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球審判員(パシフィック・リーグ)。 1947年福岡県中学修猷館を卒業。在学中は野球部に所属し、同期には、同じくパ・リーグ審判員となる吉田正雄、名古屋ドラゴンズ(現・中日ドラゴンズ)内野手の菅野武雄、一年後輩には、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の内野手として黄金期を支えた河野昭修がいる。その後、福岡第一師範学校(現・福岡教育大学)本科を卒業し、福岡県の公立学校の教員となる。 1959年、福岡県高野連・九州六大学・社会人野球の審判員を経て、菅野武雄からプロ野球審判員になることを勧められたことにより、1961年に教員を退職し、パ・リーグ審判員に就任。
元木 健(もとき けん、1930年3月31日 - )は、日本… 元木 健(もとき けん、1930年3月31日 - )は、日本の教育学者、同和教育研究者、大阪大学名誉教授。
奥村 公延(おくむら こうえん、1930年〈昭和5年〉3月3… 奥村 公延(おくむら こうえん、1930年〈昭和5年〉3月31日 - 2009年〈平成21年〉12月24日)は、日本の俳優。本名及び旧芸名は奥村 進。 秋田県出身。専修大学卒業。東京俳優生活協同組合、芳賀事務所、現代制作舎に所属していた。映像制作事業オミプロの主催者の小美濃たつやは彼の弟子にあたる。 もともとは普通に勤め人をしていて、「このまま自分は淡々とした人生を送って行くんだろうなと思っていた」という。1955年、銀座にたまたま行きつけの飲み屋があり、ここの女性従業員が新劇劇団「近代劇場」のプロデューサーと知り合いだったことから、このプロデューサーからテレビ番組の『ダイヤル110番』(日本テレビ)での役探しを頼まれ、奥村を紹介したところ、これが俳優デビューとなった。
坂本 鉄男(さかもと てつお、1930年3月31日 - 20… 坂本 鉄男(さかもと てつお、1930年3月31日 - 2022年4月28日)は、日本のイタリア文学者、コラムニスト。元ナポリ東洋大学教授。 神奈川県小田原市生まれ。東京外国語大学イタリア語科卒。東京音楽大学講師、東京外国語大学助教授。 1971年、ナポリ東洋大学の教授に就任。 1970年代半ばからサンケイ新聞の嘱託でイタリアとバチカン市国に関するコラムを2020年12月の引退まで執筆を続けた。 1979年、産経新聞連載の『イタリア通信』でイタリア文化会館のマルコ・ポーロ賞を受賞。 1983年、イタリア共和国功労勲章コンメンダトーレ章授与。 2000年、勲三等瑞宝章を受章。 2002年、ナポリ東洋大学教授を退官。
谷口 誠(たにぐち まこと、1930年3月31日 - 202… 谷口 誠(たにぐち まこと、1930年3月31日 - 2024年1月14日)は、日本の外交官、経済学者。専門は南北問題・国際経済。国連貿易開発会議議長、日本人として2人目のユニセフ議長、国連大使、日本人初OECD事務次長、早稲田大学教授等を歴任。 大阪府出身。羽曳野市立高鷲小学校、旧制大阪府立富田林中学校、新制大阪府立富田林高等学校を経て、一橋大学大学院経済学研究科修了後、ジョーン・ロビンソンの勧めで、ロビンソンの指導を受け1958年にケンブリッジ大学を卒業し、新渡戸稲造にあこがれ、1959年外務省入省。1960年にはケンブリッジ大学で修士号を取得。 国際連合新再生エネルギー会議議長や、国際連合貿易開発会議議長、日本人としての2人目のユニセフ議長、国連大使や日本人初のOECD事務次長を務めた後、早稲田大学教授、天津外国語学院客員教授等を歴任。
檜田信男(ひだ のぶお、1930年3月31日- ) は、日本… 檜田信男(ひだ のぶお、1930年3月31日- ) は、日本の会計学者、中央大学名誉教授。 北海道小樽市出身。早稲田大学商学部卒、1960年早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学、77年「近代監査機能の特性とその方法の研究」で商学博士。大東文化大学講師、専修大学助教授、教授、中央大学商学部教授。2000年定年となり、名誉教授。
安井 信夫(やすい のぶお、1930年3月31日 - )は、… 安井 信夫(やすい のぶお、1930年3月31日 - )は、日本の経営学者。中央大学名誉教授。 東京に生まれる。1952年早稲田大学第一商学部卒業。1958年同大学院商学研究科博士課程満期退学。愛知学院大学専任講師、助教授。1968年中央大学助教授を経て、教授。1981年「消費者信用保険の研究」で千葉大学・商学博士。2000年中央大学を定年退職し、名誉教授となる。専門は保険論。
小松 錬平(こまつ れんぺい、1929年3月31日 - 20… 小松 錬平(こまつ れんぺい、1929年3月31日 - 2010年代前半)は、日本のジャーナリスト、元朝日新聞東京本社記者、元ニュースキャスター。故人。 北海道釧路市出身。1952年に東京大学農学部水産学科を卒業後、朝日新聞社へ入社。社会部・東京部・科学部各次長などを経て、1972年から編集委員。1974年『朝日新聞テレビ夕刊』の解説役でテレビ初出演。1976年4月から『ANNニュースレーダー』(NET→テレビ朝日)のキャスターを担当し、以後約10年間(途中、『ANNニュースファイナル』担当による中断時期あり)にわたってテレビ朝日の夕方の顔として活躍した。 1989年に朝日新聞社を退社。その後、神奈川新聞客員論説委員や日本鯨類研究所評議員を歴任。
岡枝 慎二(おかえだ しんじ、1929年3月31日 - 20… 岡枝 慎二(おかえだ しんじ、1929年3月31日 - 2005年5月23日)は、日本の字幕翻訳家。東京生まれ。映画翻訳家協会会員。 英、独、仏、伊、西、露、スウェーデン語の7か国語に精通し、2,000本以上の映画の字幕翻訳を行った。簡潔で透明な翻訳を特徴とする。 言葉を分かる人が少なかったヨーロッパ映画の字幕を手がけたことにより、字幕界に入る。代表作は英語映画では『エイリアン』シリーズ、『ブレードランナー』、『スター・ウォーズ』シリーズ、『ダイ・ハード』シリーズ、『リーサル・ウェポン』シリーズ、『遠すぎた橋』に加え、フランス映画の『エマニエル夫人』シリーズ、ドイツ映画の『アギーレ・神の怒り』、イタリア映画の『揺れる大地』、スペイン映画の『エル・ドラド』、ソ連(ロシア)映画の『惑星ソラリス』、スウェーデン映画の『愛の風景』など。
三枝 和子(さえぐさ かずこ、1929年3月31日 - 20… 三枝 和子(さえぐさ かずこ、1929年3月31日 - 2003年4月24日)は、日本の小説家。 旧姓四本。夫は文芸評論家の森川達也。『葬送の朝』で注目されて以来、反リアリズム的手法を用いた実験的作品を書き続けた。日本ペンクラブ女性作家委員会初代委員長。 兵庫県神戸市出身。1948年兵庫師範学校女子部(明石分校)卒、旧制関西学院大学文学部哲学科に入学、1950年卒業、同大学院文学研究科修士課程に進学、武市健人にヘーゲルを学ぶ。1951年中退、森川(本名三枝)と結婚。中学校教師をしながら、森川らと同人雑誌『文藝人』を創刊。1963年、森川が兵庫県の実家の寺を継いだため、東京に仕事場をもち、東西往復生活が始まる。
武石 彰夫(たけいし あきお、1929年3月31日-2011… 武石 彰夫(たけいし あきお、1929年3月31日-2011年 )は、日本の仏教文学の研究者。元高知大学教授・仏教文化研究所所長。 東京市(現文京区)生まれ。1958年法政大学文学部日本文学科卒業。1971年『仏教歌謡の研究』で國學院大學より文学博士。大東文化大学助教授、高知大学教授、千葉大学講師、東洋大学講師、同大学院講師、朝日大学教授、聖徳大学教授などを経て、仏教文化研究所所長。『平家物語』『徒然草』などを講義した。また大学受験ラジオ講座の講師も勤めた。
小川 洌(おがわ きよし、1929年3月31日 - 2006… 小川 洌(おがわ きよし、1929年3月31日 - 2006年3月16日)は、日本の会計学者。早稲田大学名誉教授。 東京都出身。早稲田大学商学部卒、1956年早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学、同大学商学部助手、1957年専任講師、1959年助教授、1964年教授、1993年国際会計研究学会会長、1999年定年退職、同大学名誉教授、松蔭大学教授。2006年、交通事故で死去。 門下に永見尊、長谷川惠一がいる。
山田 恭一(やまだ きょういち、1928年3月31日 - … 山田 恭一(やまだ きょういち、1928年3月31日 - 2010年7月2日)は、日本の経営者。そごう社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。旧制松山高等学校を経て、京都大学農学部水産学科へ入学した。在学中は学生運動を行っていた一方、同じ大学・学部の出身者という縁で李登輝と接点を持つことになる。 1952年に大学を卒業し、そごうに入社。そごう神戸店(現在の神戸阪急)に配属後、7年ほど東京店を中心に新人研修など人事を担当していた。1964年に神戸店に復帰後、1970年4月に取締役に就任した。神戸店に戻る際、水島廣雄に将来のため神戸店を何とかするよう言われたところから、水島はサラリーマン経営者ながらロマンに情熱を燃やす男であり、将来の人のためを思っていると感じた。
田畑 麦彦(たばた むぎひこ、1928年3月31日 - 20… 田畑 麦彦(たばた むぎひこ、1928年3月31日 - 2008年6月6日)は、日本の小説家。本名・篠原省三。東京府生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。佐藤愛子の元夫。実姉・篠原逸子は、服部金太郎の孫である。 東京急行電鉄社長を務めた篠原三千郎の二男として生まれる。妹の桂子は渥美昭夫の妻。中学校から慶應義塾に通う。毎日新聞社、東映映画に勤務。 1953年『三田文学』に「夜の窓」を発表、『文藝首都』同人として小説を書く。1956年、同人誌仲間であった佐藤愛子と結婚。1962年「嬰ヘ短調」で文藝賞受賞。同年より妻愛子とともに産業教育教材販売会社「日本ソノサービスセンター」の設立、経営に参画する。1964年より日本ソノフィルムやエスプリ企画の代表取締役社長を務めるが、事業の失敗により離婚。
無着 成恭(むちゃく せいきょう、本名同じ、1927年3月3… 無着 成恭(むちゃく せいきょう、本名同じ、1927年3月31日 - 2023年7月21日)は、日本の教育者、禅宗の僧侶。生活綴方の代表的な文集『山びこ学校』を刊行し、『全国こども電話相談室』の回答者を28年間務めた。 山形県南村山郡本沢村(現在の山形市本沢)沢泉寺に長男として生まれる。山形県立山形中学校(現在の山形県立山形東高等学校)卒業。1948年、山形師範学校(現在の山形大学地域教育文化学部)卒業し、山形県南村山郡山元村(現在の上山市)立山元中学校(僻地1級校)に赴任した。国語教育として須藤克三からの助言を得て、「生活綴方運動」に取り組む。クラス文集『きかんしゃ』所収の「母の死とその後」(江口江一作)が文部大臣賞を受賞する。