鈴木 広(すずき ひろし、選挙時の通称:すずきひろし、191… 鈴木 広(すずき ひろし、選挙時の通称:すずきひろし、1919年6月25日 - 不詳)は、日本の政治運動家。社団法人日英協会終身会員等。 東京市本郷区(現文京区)出身。慶應義塾大学文学部卒業後、スタンフォード大学、ブリガムヤング大学、コロンビア大学に留学。 敗戦直後に香港で豪州軍の戦犯法廷で通訳を務めたのを始め、進駐米陸軍、八幡製鐵、三菱レイヨン、日興証券、大日本インキ化学工業勤務を経て、東京外国語大学、日本大学講師。 片山哲の影響を受け、1969年の第32回衆議院議員総選挙(旧京都府第1区)から旺盛な選挙闘争に着手。 主要公約は諸外国との友好、教育の充実、未成年労働者への非課税、交通網の整備、少数意見の尊重、清潔な選挙など、実直な人柄を忍ばせる常識的なもので、諸派候補の中にあって毎回上位で健闘したが、立候補した総ての国政選挙で落選し供託金を没収された。
中林 仁良(なかばやし ひとよし、1919年(大正8年)6月… 中林 仁良(なかばやし ひとよし、1919年(大正8年)6月25日 - 2007年(平成19年)7月15日)は、日本の実業家、軍人。百貨店「丸物」社長、京都近鉄百貨店会長・取締役 相談役、旧 近鉄百貨店取締役 相談役などを歴任した。父は丸物(京都物産館)創業者の中林仁一郎。 1919年(大正8年)6月25日、中林仁一郎の長男として生まれる。父・仁一郎は弟(仁良の叔父)・谷政二郎と東本願寺から現在の京都ヨドバシ東南隅に当たる場所を借り、仁良が生まれた翌年に京都物産館を創業したが、中林一家はその隣の家に住んでいた。仁良は京都物産館の北側にあった空き地を突っ切って幼稚園へ通った。慶應義塾大学経済学部に入学して大学時代は東京で過ごしたが、この頃麴町に丸物の東京出張所があったという。
西嶋 定生(にしじま さだお、1919年6月25日 - 19… 西嶋 定生(にしじま さだお、1919年6月25日 - 1998年7月25日)は、日本の中国史学者、東京大学名誉教授。京都大学の宮崎市定、東京大学の堀敏一、一橋大学の増淵龍夫等と共に戦後の中国古代史研究をリードする存在であった。 岡山県阿哲郡本郷村(現・新見市)で生まれた。第六高等学校を経て、1939年に東京帝国大学文学部東洋史学科に入学。六高・東京帝大共に同級生であった中央アジア史学者の山田信夫とは終生を通じて親友であった。 修了後は、東方文化学院研究員に就いた。東京大学東洋文化研究所研究員を経て、1949年より東京大学文学部東洋史学科助教授。1967年に教授昇格。1961年に学位論文『二十等爵制の研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得。
丸谷 金保(まるたに かねやす、1919年〈大正8年〉6月2… 丸谷 金保(まるたに かねやす、1919年〈大正8年〉6月25日 - 2014年〈平成26年〉6月3日)は、日本の政治家。従四位。 北海道中川郡池田町町長、参議院議員(2期)などを歴任した。コンビニエンスストアチェーン・セイコーマート会長の丸谷智保は長男。 北海道中川郡池田町で理髪店の長男として生まれる。1942年、明治大学専門部法科を卒業した。在学中には哲学研究部に入り、穂積五一が運営する私塾で学生寮の「至軒寮」に出入りして、小林與三次、村山富市など保守革新を問わない幅広い人脈を築く。この時の人脈はのちに十勝ワインの販路拡大にも生かされる。 十勝日日新聞の編集長を務める傍ら農民運動に携わり、日本社会党に入党した。
田治米 鏡二(たじめ きょうじ、1919年6月24日 - 2… 田治米 鏡二(たじめ きょうじ、1919年6月24日 - 2018年12月5日)は、日本の物理学者・地震学者。北海道大学名誉教授。専門は応用地球物理学・弾性波動論。
山口 吉雄(やまぐち よしお、1919年6月24日 - 19… 山口 吉雄(やまぐち よしお、1919年6月24日 - 1999年10月29日)は、日本の経営者。安田信託銀行社長を務めた。東京都出身。 1944年に京都帝国大学法学部を卒業し、1948年に中央信託銀行(のちの安田信託銀行)に入行。1968年5月に取締役に就任し、1972年5月に常務、1976年6月に専務を経て、1980年6月には社長に就任。1986年6月に会長に就任し、1992年4月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1990年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1999年10月29日に肺炎のために死去。80歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
八木 国夫 (やぎ くにお、1919年6月24日 - 200… 八木 国夫 (やぎ くにお、1919年6月24日 - 2003年10月16日)は、日本の生化学者。医学博士(名古屋大学)。名古屋大学名誉教授。神奈川県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。
青池 良正(あおいけ よしまさ、1919年6月22日 - )… 青池 良正(あおいけ よしまさ、1919年6月22日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(捕手)。
山口 四郎(やまぐち しろう、1919年6月22日 - 20… 山口 四郎(やまぐち しろう、1919年6月22日 - 2008年12月30日)は、ドイツ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。1976年に第49回オール読物新人賞を受賞した山口四郎は別人。 東京生まれ。東京帝国大学独文科卒。第五高等学校教授、第四高等学校教授、戦後東京学芸大学助教授、中央大学文学部助教授、教授。1990年定年退任、名誉教授。ゲーテ、ヘッセなどの詩の韻律研究を専門としたが、ドイツ児童文学の多くの翻訳をおこなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
頼實 正弘(頼実 正弘、よりざね まさひろ、1919年6月2… 頼實 正弘(頼実 正弘、よりざね まさひろ、1919年6月21日 - 2024年4月7日)は、日本の化学工学者である。広島大学名誉教授。 広島大学学長、広島県立大学学長、比治山大学学長、日本伝熱学会副会長などを歴任した。勲二等旭日重光章受章。 広島県生まれ。1937年広島県立広島第一中学校(のちの広島県立広島国泰寺高等学校)卒業。1941年広島高等工業学校(のちの広島大学工学部)機械工学科卒業。 1943年東京工業大学(のちの東京科学大学)化学工学科卒業。東京工業大学の研究助手などを経て、1951年文部教官任官、広島大学講師。1955年広島大学助教授。 1961年には東京工業大学から工学博士の学位を取得。
戸田 憲吾(とだ けんご、1919年 <大正8年> 6月20… 戸田 憲吾(とだ けんご、1919年 <大正8年> 6月20日 - 1995年 <平成7年> 2月7日)は、日本の経営者。日本電装(現在のデンソー)社長を務めた。 愛知県出身。1941年に浜松高等工業学校電気学科を卒業し、同年4月にトヨタ自動車工業に入社。1949年12月に日本電装に転じ、1969年2月に取締役に就任し、1974年2月に常務、1978年3月に専務を経て、1981年3月に副社長に就任し、1982年3月には社長に昇格。1987年3月から会長を務めた。 1983年11月に藍綬褒章を受章。 1995年2月7日腎不全のために死去。75歳没。
中道 健太郎(なかみち けんたろう、1919年6月19日 -… 中道 健太郎(なかみち けんたろう、1919年6月19日 - 2013年4月17日)は、日本の経営者。カルピス食品工業(現在のアサヒ飲料)社長を務めた。 大阪府箕面市出身。1940年に大阪商科大学高商部を卒業。ピルマン製造で取締役を務め、1945年にカルピス食品工業に転じ、取締役、常務、専務を経て、1975年2月に社長に就任。1981年3月に相談役に就任。 2013年4月17日老衰のために死去。93歳没。
高村 忠也(たかむら ただなり、1919年6月18日 - 1… 高村 忠也(たかむら ただなり、1919年6月18日 - 1992年9月4日)は、日本の商学者。専門は海運論。神戸大学名誉教授。元日本海運経済学会副会長。 島根県鹿足郡生まれ。1941年山口高等学校文科甲類卒業。1943年神戸商業大学(現神戸大学)卒業。野村寅三郎ゼミ出身。同年東亜海運入社。 指導教官野村に相談して退社し、1946年に神戸経済大学(現神戸大学)経営学専門部講師嘱託となる。野村が学生課の実質的責任者であったため、1947年には文部教官兼文部事務官に任官し、神戸経済大学学生課主事となった。1949年には野村の推薦で、海技専門学院(現海技大学校)教授に着任。 1951年長崎大学経済学部助手。
石原 清志(いしはら きよし、1919年6月18日 - 19… 石原 清志(いしはら きよし、1919年6月18日 - 1999年12月21日)は、日本の国文学者。 岡山県岡山市生まれ。1943年京城帝国大学法文学部卒。1963年大阪市立大学大学院博士課程満期退学。1980年「釈教歌の研究」で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。龍谷大学文学部助教授、教授、1988年退任、名誉教授、神戸女子大学教授。中世和歌が専門。 1999年、脳内出血のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
安川 定男(やすかわ さだお、1919年6月17日 - 20… 安川 定男(やすかわ さだお、1919年6月17日 - 2007年1月14日)は、国文学者、中央大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。
渡部 正郎(わたなべ まさろう、1919年(大正8年)6月1… 渡部 正郎(わたなべ まさろう、1919年(大正8年)6月17日 - 1997年(平成9年)4月14日)は、日本の内務官僚、政治家。自由民主党衆議院議員(1期)、弁護士。1989年勲三等旭日中綬章受章。 山形県米沢市出身。1945年東京帝国大学法学部を卒業。同年内務省に入り、警察大学校教授、在イタリア大使館一等書記官、警察庁交通局長、群馬、愛知各県警本部長などを歴任。 1974年内閣広報室長に就き、田中、三木、福田の各内閣においては内閣調査室長を務めた。『週刊文春』の連載記事「日本共産党の金脈」にみられる通り、大手の出版社を通じて、日本共産党のイメージダウンをはかる世論工作を行った。1977年に退官。
伊藤 功(いとう いさお、1919年〈大正8年〉6月16日 … 伊藤 功(いとう いさお、1919年〈大正8年〉6月16日 - 2015年〈平成27年〉9月28日)は、昭和から平成時代の政治家。秋田県大曲市長。旧姓は杉山。位階は正六位。 大曲市(現・大仙市)出身。1937年(昭和12年)3月、秋田県立大曲農業学校卒業。同年4月から樺太庁に入り、殖産部林業課に勤務する。 1949年(昭和24年)角間川町役場に奉職し、1955年(昭和30年)合併により大曲市となる。大曲市財政課長、総務課長、1974年(昭和49年)収入役、1976年(昭和51年)助役を経て、1979年(昭和54年)大曲市長に当選。同年10月21日に就任した。2期務め、1987年(昭和62年)引退した。
川口 敬次郎(かわぐち けいじろう、1919年6月15日 -… 川口 敬次郎(かわぐち けいじろう、1919年6月15日 - 1991年11月29日)は、熊本県出身のプロ野球選手(投手)。旧姓:岡本。
山本 壮一郎(やまもと そういちろう、旧字体では「壯一郎」。… 山本 壮一郎(やまもと そういちろう、旧字体では「壯一郎」。1919年6月15日 - 2001年1月18日)は、日本の内務官僚、政治家。 全国知事会副会長、宮城県知事、宮城県副知事などを歴任。 大阪府大阪市天王寺区生まれ。旧制大阪高校を経て、1943年(昭和18年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。高等試験に合格し、同年内務省に入省するが、太平洋戦争激化に伴い、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入校。1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。第二南遣艦隊司令部・第22特別根拠地隊に配属。1945年3月、海軍主計大尉に昇進しボルネオで終戦を迎えた。
福士 勇(ふくし いさむ、1919年6月14日 - 1944… 福士 勇(ふくし いさむ、1919年6月14日 - 1944年)は、日本のプロ野球選手(投手)。青森県青森市出身。 1938年(昭和13年)に青森県立商業学校を卒業後、青森林友倶楽部野球部(青森営林局の社会人野球チーム)へ入団。6月に行われた函館太洋倶楽部(北海道の強豪チーム)との試合で勝利投手となり、7月に行われた都市対抗野球大会県予選では3試合に登板・好投する活躍を見せた。秋にライオン軍へ入団しプロ入り。 入団時は捕手であったが、チームに投手が4人しかいない事情もあり、投手へ転向した。球団名が「朝日軍」となった1941年(昭和16年)はシーズンの敗戦数が28敗となり、これは現在も日本プロ野球(NPB)歴代2位の記録となっている。
山口 治郎(やまぐち じろう、1919年(大正8年)6月13… 山口 治郎(やまぐち じろう、1919年(大正8年)6月13日 - 2008年(平成20年)2月7日)は、平成時代前期の政治家。埼玉県行田市長。 埼玉県北埼玉郡忍町(現行田市)出身。青年学校卒業。行田市消防長、助役などを経て、1991年(平成3年)5月、行田市長に当選し、3期12年務めた。ものつくり大学の誘致や総合体育館グリーンアリーナの開設、道路交通網や上下水道の整備などに尽力した。 2008年(平成20年)2月7日、急性心不全により死去した。死没日をもって従四位に叙される。
吉國 二郎(よしくに じろう、1919年6月11日 - 19… 吉國 二郎(よしくに じろう、1919年6月11日 - 1997年9月5日)は、日本の大蔵官僚、実業家。位階は従三位。国税庁長官(第11代)、大蔵事務次官、横浜銀行頭取を務めた。 神奈川県出身。旧制東京高等学校を経て1941年11月、東京帝国大学法学部法律学科卒業後、大蔵省に入省(預金部兼大臣官房文書課)。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年6月、海軍省調査課勤務となる。同年11月、海軍主計大尉に昇進。1945年9月に予備役に編入された。 1945年10月に下京税務署長。主税局税制第二課長、理財局証券第二課長、理財局証券第一課長、主税局総務課長、主税局総務課長兼主税局国際租税課長、主税局総務課長、大臣官房文書課長、大臣官房財務調査官(主税局担当)、東京国税局長などを経て、1967年8月に証券局長、同年11月に主税局長、1969年より国税庁長官に就任。
宮澤 章二(みやざわ しょうじ、1919年6月11日 - 2… 宮澤 章二(みやざわ しょうじ、1919年6月11日 - 2005年3月11日)は、日本の詩人・作詞家。
脇田 芳未(わきた よしみ、1919年6月11日 - 200… 脇田 芳未(わきた よしみ、1919年6月11日 - 2000年6月20日)は、日本の経営者。井村屋製菓社長を務めた。三重県出身。 1941年に和歌山高等商業学校を卒業し、同年に井村屋に入社。1964年に専務に就任し、1974年に副社長を経て、1979年6月には社長に就任。1985年6月から監査役を務めた。 2000年6月20日直腸がんのために死去。81歳没。
菊池 渙治(きくち かんじ、1919年(大正8年)6月10日… 菊池 渙治(きくち かんじ、1919年(大正8年)6月10日 - 2003年(平成15年)6月16日)は、昭和時代後期から平成時代の政治家。青森県むつ市長。 青森県下北郡田名部町(現:むつ市)に生まれる。早稲田大学付属第二高等学院を経て、1943年(昭和18年)同大文学部を卒業する。一時東京府の私立佐藤高等女学校教諭を務めた後に帰郷し、田名部農業協同組合長・田名部町議会議員に。むつ市設置でむつ市議会議員になり、初代の市議会議長になると共に紅服装専門学校の設置者などを務める。 1967年(昭和42年)に青森県議会議員に転じ、2期目途中の1973年(昭和48年)に原子力船「むつ」の受け入れ阻止グループから請われる立場でむつ市長選に出馬。
内田 善利(うちだ ぜんり、1919年(大正8年)6月10日… 内田 善利(うちだ ぜんり、1919年(大正8年)6月10日 - 2005年(平成17年)3月24日)は、日本の政治家。公明党参議院議員(2期)。 鹿児島県日置郡東市来村養母(現日置市)出身。鹿児島県立川内中学校 (旧制)を経て、1941年明治専門学校応用化学科卒。日本窒素肥料に入社するが、直後に召集。1946年の復員後、旧制鹿児島県立伊集院中学校・新制鹿児島県立伊集院高等学校や福岡県立折尾高等学校で教職に就く。1968年の第8回参議院議員通常選挙において公明党公認で全国区から立候補して当選する。6年後の第10回参議院議員通常選挙においても再選。参議院議員を2期務めた。この間、参議院運輸委員長などを歴任した。
他阿 真円(たあ しんえん、本名:加藤 円住(かとう えんじ… 他阿 真円(たあ しんえん、本名:加藤 円住(かとう えんじゅう)、1919年〈大正8年〉6月10日 - 2021年12月9日)は、日本の僧、政治家。時宗の74世法主(遊行上人)、藤沢清浄光寺57世住職(藤沢上人)。岡崎市議会議員を通算4期、市議会議長を1期歴任した。 愛知県碧海郡矢作町(現・岡崎市矢作町馬場4番地)の誓願寺に生まれる。1932年(昭和7年)、出家得度。1941年(昭和16年)、大正大学専門部を卒業し、龍谷大学に編入。 軍部に徴集され東南アジアに派遣される。マラリアに感染し入院。1943年(昭和18年)、誓願寺住職に就任するも、再び徴集され、東南アジアに派遣される。陸軍少尉として輜重を担う。
鈴木 しづ子(すずき しづこ、1919年6月9日 - 195… 鈴木 しづ子(すずき しづこ、1919年6月9日 - 1952年以降消息不明)は、日本の俳人。本名は鎮子。奔放な作風で俳壇を賑わせたが失踪し、娼婦俳人、幻の俳人などと呼ばれた。 1919(大正8)年6月、東京市神田区三河町生まれ。父の俊雄は日本大学旧工学部卒で間組に勤務する会社員だった。小学校時代には愛知県犬山市に一時在住。東京淑徳高等女学校(現淑徳中学校・高等学校)卒。女子大学(府立高女)への入学に失敗し製図の専門学校に学び、1940(昭和15)年に製図工(インダストリアルデザイナー)として岡本工作機械製作所(その後GHQの接収により東芝車輌となる)に入社。男性名で詩誌に甘美な詩を寄せ、臼田亞浪の俳誌『石楠』に投句。
赤井 彰(あかい あきら、1919年6月8日 - 1998年… 赤井 彰(あかい あきら、1919年6月8日 - 1998年1月21日)は、西洋史学者、獨協大学名誉教授。フランス史が専門。 和歌山県橋本市出身。1941年東京帝国大学文学部西洋史卒。北海道大学助教授、獨協大学教授、1989年定年退任、名誉教授。1998年、呼吸不全のため死去。
小鳥 サワ(ことり サワ、1919年〈大正8年〉6月8日 -… 小鳥 サワ(ことり サワ、1919年〈大正8年〉6月8日 - 2007年〈平成19年〉5月10日)は、日本のアイヌ文化伝承者。阿寒アイヌ民族文化保存会の礎を築いた人物の1人であり、同会や阿寒アイヌ語教室で、長年にわたって指導者として活躍した。テレビの料理番組を通じてのアイヌ文化の紹介や、後進の育成にも貢献した。 北海道の阿寒湖畔で誕生した。家は貧しく、子供の頃から母を助け、家で作った菓子を売り歩くなどして働いた。阿寒湖畔小学校に入学後、アイヌであることを理由にいじめに遭うが、いじめられてもやり返す、勝気な性格であった。19歳で結婚、1943年(昭和18年)に夫の出稼ぎで樺太に渡った。翌1944年(昭和19年)には常呂町(現・北見市)に移り、戦後しばらくは弟子屈町で暮らしていた。
久保 芳和(くぼ よしかず、1919年6月7日 - 2013… 久保 芳和(くぼ よしかず、1919年6月7日 - 2013年8月28日)は、日本の経済学者、関西学院大学名誉教授。 奈良県生まれ。1943年大阪商科大学卒。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入校。1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官し、第101燃料廠付となる。同年4月、同廠採油部付となりサンガサンガ島に赴任。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。1946年6月、予備役に編入され解員(復員)。 1946年7月同大学副手、のち助手、講師、1951年関西学院大学助教授、1956年教授、1960年「アメリカ経済学史研究 「アメリカ体制」派経済学の生成と発展」で関西学院大学経済学博士。
久松 保夫(ひさまつ やすお、本名:高橋寛、1919年6月6… 久松 保夫(ひさまつ やすお、本名:高橋寛、1919年6月6日 - 1982年6月15日)は、日本の男性俳優、声優、青二塾(東京校)初代塾長。元青二プロダクション所属。
後藤 弘(ごとう ひろし、1919年6月6日 - 2001年… 後藤 弘(ごとう ひろし、1919年6月6日 - 2001年6月26日)は、日本の公認会計士、税理士、俳人。 秋田県秋田市生まれ。別名・岡野等。秋田師範学校卒、1943年土浦海軍航空隊に入り、少尉に任官して大分、博多、谷田部で訓練し特攻隊を志願するが敗戦を迎える。1949年東北大学文学部卒。日本興業銀行ほか数社を経て、1957年日本能率協会に入り、経理部長、常務理事、監事、のち顧問。1980年文教大学情報学部教授、92年定年退職。日本能率協会の経営コンサルタントとして数100社に及ぶ一流企業のバランスシートを分析した。 文学に親しみ、学生時代、東北学生俳句連盟の「赤外線」の創刊に参加、1945年新俳句人連盟に入り投句。
渡邉 暁雄(わたなべ あけお、1919年(大正8年)6月5日… 渡邉 暁雄(わたなべ あけお、1919年(大正8年)6月5日 - 1990年(平成2年)6月22日)は、日本の指揮者、教育者。鳩山一郎は義父にあたる。 1919年、巣鴨のルーテル教会の日本人牧師・渡邉忠雄を父とし、フィンランド人の声楽家・渡邉シーリを母として、東京府で生まれた。兄は共同通信社で重責を歴任したジャーナリストの渡邉忠恕。妻の信子は鳩山一郎の五女。長男の渡邉康雄(指揮者)、次男の渡邉規久雄(ピアニスト)とも芸術系の大学教授を務める音楽家。声楽家の母に幼少時から音楽の手ほどきを受けたほか、5歳でピアノを、10歳でヴァイオリンを始める。1940年、東京音楽学校(現東京芸術大学)本科器楽科(ヴァイオリンを専攻)卒業後、研究科に進みヴァイオリン・ヴィオラ奏者として活動。
山根 実(やまね みのる、1919年6月4日 - )は、広島… 山根 実(やまね みのる、1919年6月4日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。
田中 太郎(たなか たろう、1919年(大正8年)6月4日 … 田中 太郎(たなか たろう、1919年(大正8年)6月4日 - 2001年(平成13年)10月9日)は、昭和戦後から平成前期の実業家、政治家。長野県須坂市長。 長野県上高井郡須坂町(現須坂市)で、田中新十郎、田鶴の長男として生まれた。生家は代々須坂藩の御用達を務めた豪商「田中家」。長野中学校(現長野県長野高等学校)を経て、1942年(昭和17年)9月、早稲田大学商学部卒業。翌月に召集され1946年(昭和21年)7月に復員した。 1947年(昭和22年)須坂町議会議員となる。1953年(昭和28年)田中殖産 (有) を設立し社長に就任した。1964年(昭和39年)11月、長野県議会議員となり5期在任し、土木住宅委員長、農政林務委員を務める。
林 喜市郎(はやし きいちろう、1919年6月3日 - 19… 林 喜市郎(はやし きいちろう、1919年6月3日 - 1999年11月3日)は、日本の洋画家。千葉県野田市出身。 生まれ育った千葉の故郷等を主題に、様々な風景画、主に民家を描く事で知られる。 1919年、千葉県野田市に生まれる。 1946年にシベリア抑留を経験し、敗戦後、日本に戻り画家を志すようになる。 齢50を過ぎてから画家デビューするという異色の経歴を有しており、数多くの古民家を描き続けてきた事で知られる。 全国の民家を訪ね歩く事により、日本固有の藁葺文化を世界に伝え浸透させるために活動する。 数ある作品の中でも、山梨県忍野村風景が大多数を占めており、優美性と写実性に富んだ独特の技法が絶大な人気を呼び起こした。
樋口 隆康(ひぐち たかやす、1919年6月1日 - 201… 樋口 隆康(ひぐち たかやす、1919年6月1日 - 2015年4月2日)は、日本の考古学者。京都大学名誉教授。文学博士(京都大学・1962年)。 福岡県田川郡添田町に生まれる。小倉中学校、第一高等学校を経て、1943年京都帝国大学文学部史学科卒。 1957年京都大学文学部助教授、同年より敦煌を調査。1959年以降、京都大学学術調査隊に参加してインド、アフガニスタン、パキスタンなどの仏教遺跡を調査。1975年教授。1983年定年退官、名誉教授。泉屋博古館館長、奈良県立橿原考古学研究所長。なら・シルクロード博覧会・総合プロデューサー代行、シルクロード学研究センター所長、京都府埋蔵文化財調査研究センター理事長を歴任。
關屋 實(せきや みのる、1918年〈大正7年〉6月29日 … 關屋 實(せきや みのる、1918年〈大正7年〉6月29日 - 1996年〈平成8年〉1月29日)は、日本の薬学者(薬品製造化学)。勲等は勲三等。学位は薬学博士(東京大学・1950年)。静岡薬科大学名誉教授、社団法人日本薬学会有功会員。姓の「關」は「関」の旧字体、名の「實」は「実」の旧字体のため、関屋 實(せきや みのる)、關屋 実(せきや みのる)、関屋 実(せきや みのる)とも表記される。 武田化学薬品株式会社、和光純薬工業株式会社を経て、神戸女子薬科大学薬学部助教授、静岡薬科大学薬学部教授、静岡薬科大学学長事務取扱などを歴任した。 薬品製造化学を専攻する薬学者である。蟻酸アンモニウムによる還元反応の研究では、日本における先駆者とされている。
松本 旭(まつもと あさひ、1918年6月29日 - 201… 松本 旭(まつもと あさひ、1918年6月29日 - 2015年10月30日)は、日本の俳人、俳句研究家、国文学者、作詞家。埼玉大学名誉教授、城西大学女子短期大学部教授。従四位。 埼玉県大石村(現・上尾市)出身。本名の読みは「あきら」。東京文理科大学卒業後、埼玉県立浦和高等学校で教鞭を執った。埼玉大学教育学部助教授、教授、1972年から1975年まで埼玉大学教育学部附属小学校校長兼任。1983年定年退官、名誉教授、城西大学女子短期大学部教授。 加藤楸邨、角川源義に師事して俳句を詠み、1978年俳誌『橘』を創刊、主宰。妻も俳人の松本翠。「村上鬼城研究」で俳人協会評論賞受賞。連歌・近代俳句の研究家でもあった。
苧阪 良二(おさか りょうじ、1918年〈大正7年〉6月28… 苧阪 良二(おさか りょうじ、1918年〈大正7年〉6月28日 - 2018年〈平成30年〉8月12日)は、日本の心理学者。京都大学名誉教授、名古屋大学名誉教授。視空間構造の成立に係わる心理学的研究、眼球運動計測に関する研究などで知られる。長男は苧阪直行、長男の妻は苧阪満里子。 京都市左京区吉田に生まれる。旧制京都府立京都第一中学校、旧制第三高等学校理科甲類を経て、1943年(昭和18年)9月に東京帝国大学文学部心理学科を卒業(卒業論文は「視空間の異方向性 - 月の錯視について」)後、海軍予備学生として応召され海軍兵学校舞鶴分校教官として電測術および心理学を担当する。終戦後、復員し1945年(昭和20年)11月より京都帝国大学大学院文学研究科部哲学専攻にて学ぶ。
陸井 三郎(くがい さぶろう、1918年(大正7年)6月28… 陸井 三郎(くがい さぶろう、1918年(大正7年)6月28日 - 2000年(平成12年)1月13日)は、日本の国際政治評論家である。『ハリウッドとマッカーシズム』などの著作で知られる。 東京出身。1940年、青山学院(のちの青山学院大学)高等商学部を卒業。第二次世界大戦中は太平洋協会、戦後は世界経済研究所に勤務し、アメリカ研究所長(1966年 - 1973年)、アジア・アフリカ研究所員(1961年 - 2000年)、「ベトナムにおける戦争犯罪調査日本委員会」事務局長(1966年 - 1975年)を歴任した。1967年、ベトナム戦争における米国の戦争犯罪を裁く民衆法廷「国際戦争犯罪法廷」(ラッセル法廷)に参加し、調査や証言を行った。
明道 博(みょうどう ひろし、1918年6月28日 - 19… 明道 博(みょうどう ひろし、1918年6月28日 - 1988年)は、日本の園芸学者。専門は環境保全学花卉・造園学。北海道大学では農学部長,農学部附属農場長,本学評議員を歴任。 昭和38年に園芸学会賞学術賞受賞。1986年第9回日本公園緑地協会北村賞受賞。 著書に『朝日園芸百科』(編集、朝日新聞社、1984年)『花卉・造園学とともに歩んで』(北大農学部,明道博先生退官記念事業会、1982年)『百合(ユリ)入門』(共著、池田書店、1976年)『北国の鉢植え』(監修、北海道協同組合通信社、1976年)『楽しい北国の庭と花づくり』(北海道農業改良普及協会、1972年)『草花』(朝倉書店、1958年)など。
塩川 優一(しおかわ ゆういち、1918年(大正7年)6月2… 塩川 優一(しおかわ ゆういち、1918年(大正7年)6月27日 - 2016年(平成28年)4月28日)は、日本の内科学者である。 兵庫県神戸市に生まれる。東京帝国大学医学部(現在の東京大学大学院医学系研究科・医学部)卒業後は、第二次世界大戦により従軍しビルマ等で軍医として活動した。戦後の1946年(昭和21年)に帰国し、その後は母校附属の第2内科に勤務した。1955年(昭和30年)には順天堂大学の助教授として活動し、1964年(昭和39年)には教授に昇格する。1969年(昭和44年)には同大学に膠原病を専門とした内科の開業に携わり、1979年(昭和54年)には順天堂大学医学部附属順天堂病院の院長も務めた。
村上 正名(むらかみ まさな、1918年6月26日 - 20… 村上 正名(むらかみ まさな、1918年6月26日 - 2002年2月9日)は、日本の教育学者、郷土史家。元広島大学附属福山中学校・高等学校教諭。勲四等旭日小綬章受章。後に従四位に叙せられた。 「東洋のポンペイ」と呼ばれる草戸千軒遺跡の発掘に尽力した。個人的な調査と資料をもとに草戸千軒集落の発掘と保存を粘り強く行政に訴えつづけ、1961年に福山市が行った発掘調査に続き、1973年に広島県により調査所が、1976年調査研究所を発足させるに至った。これ以降、1990年までに行われた全面的な調査と研究が継続され、草戸千軒遺跡の全貌が明らかになり、広島県立歴史博物館の創設をもたらすことにもなった。 また、姫谷焼について、日本陶磁協会誌『陶説』を場として、当時まだ地方窯(じかたよう)としか見られていなかった色絵姫谷焼の貴重性を広く世に広めた。
岩永 健吉郎(いわなが けんきちろう、1918年6月26日 … 岩永 健吉郎(いわなが けんきちろう、1918年6月26日 - 1998年11月22日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。 福岡市に生まれる。1936年福岡県中学修猷館、1938年第一高等学校文科甲類を経て、戦争による非常時を理由に高等教育の修業年限が短縮されたことにより、1941年12月東京帝国大学法学部政治学科を3か月繰り上げて卒業。東大在学中は、戦時色が高まる中で欧米における民主政の発展過程を学ぶことに心の救いを求め、高木八尺教授のアメリカ政治史や岡義武教授のヨーロッパ政治史を熱心に聴講した。また、両教授の勧めにより、アレクシ・ド・トクヴィルやアルトゥル・ローゼンベルクの著作を熟読している。
桂 英澄(かつら ひでずみ、1918年6月26日 - 200… 桂 英澄(かつら ひでずみ、1918年6月26日 - 2001年1月28日)は、日本の小説家。父は東京帝国大学教授(金属工学)の桂弁三。姉は洋画家・桂ゆき。 東京市本郷区生まれ。1943年京都帝国大学文学部哲学科卒。在学中から太宰治に師事。卒業後NHKに入社、戦後放浪生活に入り八年ほど療養生活をしたのち、同人誌に創作を発表。1971年『早稲田文学』に「寂光」を連載、72年同作で直木賞候補となる。
染野 義信(そめの よしのぶ、1918年6月26日 - 20… 染野 義信(そめの よしのぶ、1918年6月26日 - 2007年)は、日本の法学者。専門は、民事訴訟法・裁判法。日本大学法文学部卒業。日本大学名誉教授。茨城県出身。 明治期以降の司法制度の研究で知られ、『講座 日本近代法発達史』(有斐閣)に収められた「司法制度」「裁判制度」は珠玉の業績として影響力をもった。染野の近代司法制度に関する研究業績は、東京大学より法学博士の学位が授与されている。また、日本学術会議会員に選出され、同会議第二部(法学・政治学部門)部長の要職も務めた。『民事訴訟法講義』『破産法講義』(ともに勁草書房)などの著作があり、『口語民事訴訟法』(自由国民社)の監修者でもある。 1992年、勲三等旭日中綬章を受章。
塚田 庄平(つかだ しょうへい、1918年6月25日 - 1… 塚田 庄平(つかだ しょうへい、1918年6月25日 - 1991年3月20日)は日本の政治家。日本社会党(以下、社会党)における炭鉱労組出身政治家として北海道議会議員(4期)や道議会副議長、衆議院議員(4期)を歴任した。 1918年(大正7年)6月25日、北海道浦河郡浦河町に生まれる。1942年(昭和17年)に東京帝国大学法学部を卒業後、北海道炭礦汽船(北炭)に入社した。その後水戸航空通信学校に入校。戦後は北炭職員組合連合会(北炭職連)委員長、全日本石炭労働組合(全石炭)副委員長を務めた。北炭職連委員長在任中の1950年(昭和25年)6月に行われた第2回参議院議員通常選挙に民主戦線候補として立候補したが、15名中9位で落選した。
許 南麒(허남기、ホ・ナムギ、きょ・なんき、1918年6月2… 許 南麒(허남기、ホ・ナムギ、きょ・なんき、1918年6月24日 - 1988年11月)は、在日韓国・朝鮮人の詩人。朝鮮語と日本語の両方で作品を発表。日本語で書いた叙事詩「火縄銃のうた」で有名。在日本朝鮮文学芸術家同盟委員長、朝鮮総聯中央副議長、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議代議員。