生島 広治郎(生島 廣治郎、いくしま ひろじろう、1897年… 生島 広治郎(生島 廣治郎、いくしま ひろじろう、1897年(明治30年)7月4日 - 1983年(昭和58年)10月2日)は、日本の経済学者。経済学博士。近畿大学名誉教授。 兵庫県神戸市元町通1丁目、生島藤吉の二男。1920年、神戸高等商業学校卒業。1922年、東京商科大学専攻部卒業(商学士)、同年に神戸高等商業学校商業研究所調査員。1923年、神戸高等商業学校講師。1926年、神戸高等商業学校教授。 1930年、神戸商業大学助教授。1933年、神戸商業大学教授。1944年、神戸経済大学教授となる。1945年、神戸経済大学より「世界経済学ノ根本問題」で経済学博士の学位を授与され、同大学を退官する。
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島 薫(しま かおる、1897年〈明治30年〉7月2日 - … 島 薫(しま かおる、1897年〈明治30年〉7月2日 - 1977年〈昭和52年〉5月16日)は、日本の医師。広島市への原子爆弾投下の爆心地にある島病院初代院長。「広島外科会の父」。 安芸郡中野村(現広島市安芸区中野)出身。1916年(大正6年)旧制広島県立広島中学校(現広島国泰寺高校)卒業。同年度卒に永山忠則・深山静夫らがいる。 旧制大阪医科大学(現大阪大学医学部)へ進学、1924年(大正13年)卒業。岩永仁雄に師事した。その後、ドイツ・アメリカで留学・研修を続けた。 1933年(昭和8年)8月31日、広島市細工町29-2(現中区大手町1丁目5-25)に「島病院」を開院した。当時の開院挨拶状には「廣島郵便局東側に於いて外科病院を經營」「外科一般特に内臟外科の診療に從事」とある。
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黒田 正夫(くろだ まさお、1897年(明治30年)7月2日… 黒田 正夫(くろだ まさお、1897年(明治30年)7月2日 - 1981年(昭和56年)7月10日)は、日本の登山家、工学博士。大同工業大学名誉教授、理化学研究所名誉研究員、日本金属学会、日本応用物理学会、雪氷学会名誉会員。 1897年東京府で出生。旧制高千穂中学校(第2回)卒業、1922年東京帝国大学冶金学科卒業。 1938年「軟鋼の降服点発生機構」により工学博士の学位を受ける。1954年地球物理及び鋳物の国際会議に出席のためイタリア及び瑞独英仏を視察。合金の色軟鋼の力学的性質金属の破壊機構溶接の強さ防弾鋼板の弾撃耐力積雪等の研究に成果を挙げ、日本機械金属応用物理鉄鋼雪水古事記その他諸学会に属す。
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菊地 吉治郎(きくち よしじろう、1896年7月31日 - … 菊地 吉治郎(きくち よしじろう、1896年7月31日 - 1967年9月19日)は、日本の経営者。札幌テレビ放送社長を務めた。栃木県出身。 1914年に真岡中学校を卒業。1920年2月に北海タイムス記者に就任し、1950年1月には社長に就任。1957年4月から1961年5月までに札幌テレビ放送社長を務めた。 1967年9月19日腺癌のために死去。71歳没。
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松平 里子(まつだいら さとこ、1896年(明治29年)7月… 松平 里子(まつだいら さとこ、1896年(明治29年)7月31日 - 1931年(昭和6年)9月22日)は大正~昭和期のソプラノ歌手。本名は松平 佐登子(旧姓:岩田)。夫は海軍技師の松平博(大給松平家当主松平乗承の三男)。 1896年、東京市浅草区浅草花川戸町(現在の東京都台東区花川戸)生まれ。東京府立第一高等女学校(現在の東京都立白鷗高等学校・附属中学校)を経て東京音楽学校に入学。東京音楽学校ではハンカ・シェルデルップ・ペツォルトに師事し、1919年(大正8年)3月に同校本科声楽部を卒業。引き続き同校聴講科で独唱を1年学んだ。1921年(大正10年)に帝国劇場のオペラチックコンサートに出演。
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本間 隆(ほんま たかし、1896年7月31日 - 1992… 本間 隆(ほんま たかし、1896年7月31日 - 1992年6月6日)は、日本の経営者。北海道放送社長を務めた。 長野県南佐久郡前山村(現佐久市)出身。1911年に地元の高等小学校を卒業すると、1912年に国民新聞社に入社。静岡民友新聞社を経て、1936年に北海タイムズ社(のちの北海道新聞社)に転じ、1951年に北海道放送取締役に就任し、1957年に代表取締役を経て、1972年には社長に就任。1973年に会長に就任し、1974年に相談役を経て、1987年から名誉顧問に就任した。 1973年に勲三等瑞宝章を受章。 1992年6月6日心不全のために死去。95歳没。
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渡辺 広(わたなべ ひろし、1896年7月30日 - 196… 渡辺 広(わたなべ ひろし、1896年7月30日 - 1967年11月24日)は、日本の内務官僚。最後の官選神奈川県知事。 熊本県出身。第五高等学校を経て、1921年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。台湾総督府に入り総督官房参事官室属となる。1932年、拓務省事務官に転じ、以後、奈良県、高知県、埼玉県の地方官を歴任。 1939年4月、神奈川県経済部長に就任。太平洋戦争を迎え、1942年7月、ジャワ方面陸軍司政官として赴任。バンテン州長官、スラカルタ侯地事務局長官を歴任し、終戦を迎えた。 1946年に帰国し、内務省に復帰。1947年3月、前神奈川県知事・内山岩太郎が公選知事選に出馬のため辞任したのを受け、最後の官選知事に就任。
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鈴木 傳六(すずき でんろく、1896年〈明治29年〉7月2… 鈴木 傳六(すずき でんろく、1896年〈明治29年〉7月29日 - 1984年〈昭和59年〉5月28日)は、山形市にある菓子製造メーカーでん六の創業者。山形市議会議員や山形県議会議員を務めた。 1896年(明治29年)7月29日に山形県山形市上町に誕生。山形市立第二小学校卒業、山形県立山形中学校を中退。兄が始めた焼き麩づくりを手伝った。 1915年(大正4年)に近衛歩兵第2連隊入隊、師団の銃剣術大会で優勝した。陸軍上等兵となる。 1922年頃の26歳の時に妊娠していた妻を実家に預け単身上京し、神田の菓子種屋で働いた。関東大震災に遭遇し帰郷。 1924年(大正13年)11月山形市香澄町吹張に分家、菓子種「おこし」の製造販売で独立した。
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犬養 健(いぬかい たける / いぬがい たけし、1896年… 犬養 健(いぬかい たける / いぬがい たけし、1896年(明治29年)7月28日 - 1960年(昭和35年)8月28日)は、日本の政治家、小説家。法務大臣(第2代・第3代)、衆議院議員(12期)。位階は正三位、勲等は勲一等。内閣総理大臣犬養毅の三男。 学習院初等科、中等科、高等科を経て、東京帝国大学哲学科中退後、白樺派の作家として活動した後に政界入りした。1930年の第17回衆議院議員総選挙に立憲政友会公認で東京2区より立候補し初当選。 1941年にはゾルゲ事件への関与容疑で拘引、警察当局の取り調べを受け起訴されるが無罪となる。 第二次世界大戦中の1942年に翼賛選挙で当選し、1952年に吉田茂首相の引き立てにより法務大臣に就任するが、造船疑獄における自由党幹事長佐藤栄作の収賄容疑での逮捕許諾請求を含めた強制捜査に対し、吉田首相の意向を受けて、重要法案(防衛庁設置法、自衛隊法)の審議中であることを理由に1954年4月21日、指揮権を発動して逮捕の無期限延期と任意捜査に切り替えさせた。
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増谷 くら(ますたに くら、1896年7月28日 - 198… 増谷 くら(ますたに くら、1896年7月28日 - 1982年3月5日)は、日本の教育者。 兵庫県三木市出身。1917年増谷女学校補習科卒業。 増谷かめの養女となり、義母が経営する増谷女学校で学ぶ。卒業してすぐに増谷女学校の教諭となる。1922年に義母が没してから学校の理事に就任。 1965年に自身が理事の学校法人夙川学院が設立した夙川学院短期大学の講師に就任して後に教授になる。1969年に名誉教授になる。 増谷くらの提案で校内で下級生は上級生とすれ違う場合には礼をしようということになった。このように道徳的なものを日常生活で身に付けられるようにしていた。 1980年に定められた夙川学院の教育理念は「愛と誠実」「清新な学識」「清楚にして優雅」であるが、これは増谷くらの提案のもとに検討されていた。
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栗木 幹(くりき かん、1896年 <明治29年> 7月26… 栗木 幹(くりき かん、1896年 <明治29年> 7月26日 - 1981年 <昭和56年> 12月28日)は、日本の経営者。三井鉱山社長を務めた。位階は正四位。 愛知県出身。1921年に東京帝国大学工学部採掘学科を卒業し、同年に三井鉱山に入社。1947年に取締役に就任し、1949年に常務を経て、1954年5月に副社長に就任し、同年11月には社長に昇格し、1964年5月までに務めた。1968年1月に三井アルミニウム社長に就任し、1971年5月に会長を経て、1976年には相談役に退いた。 1971年に勲二等旭日重光章を受章。 1981年12月28日心不全のために死去。85歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
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新貝 肇(しんがい はじめ、1896年(明治29年)7月25… 新貝 肇(しんがい はじめ、1896年(明治29年)7月25日 - 1980年(昭和55年)1月9日)は、朝鮮総督府官僚。大分県副知事。 大分県宇佐郡天津村(現在の宇佐市)出身。宇佐中学校(現大分県立宇佐高等学校)、第四高等学校を卒業。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科に合格し、翌年に東京帝国大学法学部政治科を卒業した。逓信省に入省したが、1922年(大正11年)朝鮮総督府に転じた。朝鮮総督府逓信局書記、同逓信副事務官、同事務官、逓信吏員養成所長、逓信局庶務課長、同経理課長、黄海道警察部長、江原道内務部長、警務局警務課長、総督官房人事課長を歴任。1937年(昭和12年)、全羅南道知事に就任し、咸鏡南道知事を経て、逓信局長・高等海員審判所長に転じた。
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村松 久義(むらまつ ひさよし、1896年7月25日 - 1… 村松 久義(むらまつ ひさよし、1896年7月25日 - 1972年5月12日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。 宮城県仙台市出身。1923年東京帝国大学独法科、1925年同大学経済科卒。司法官試補、検事代理、名古屋地方裁判所判事を経て、弁護士となる。1932年の第18回衆議院議員総選挙で宮城2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選する。民政党解党後は大政翼賛会国民生活動員本部長に就任、翼賛選挙では大政翼賛会の推薦を受けて当選。当選後は翼政会政調厚生委員となった。 戦後、公職追放となり、1951年に追放解除。翌年の第25回衆議院議員総選挙で自由党公認で立候補して当選し、政界に復帰した。
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麻生 磯次(あそう いそじ、1896年〈明治29年〉7月21… 麻生 磯次(あそう いそじ、1896年〈明治29年〉7月21日 - 1979年〈昭和54年〉9月9日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(東京帝国大学・論文博士・1944年)(学位論文「近世文学の支那的原拠と読本の研究」)。東京大学名誉教授。日本学士院会員、文化功労者。正三位勲一等瑞宝章没後追贈。 1896年、千葉県武射郡睦岡村(現在の千葉県山武市)出身。1917年第一高等学校英法科卒業、1920年東京帝国大学文学部を卒業。 同1920年より、朝鮮総督府編集書記。1923年、東京帝国大学大学院へ入学。愛知県第一高等女学校高等科教授、第六高等学校教授を経て、1925年に京城帝国大学教授に着任した。
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古川 尚彦(ふるかわ なおひこ、1896年 <明治29年> … 古川 尚彦(ふるかわ なおひこ、1896年 <明治29年> 7月21日 - 1974年 <昭和49年> 9月15日)は、日本の経営者。栃木県出身。位階は従四位。 1923年に東京帝国大学経済学部を卒業し、三菱銀行に入行した。 取締役、常務を経て、1956年11月に三菱レイヨン副社長に就任し、1959年11月には社長に昇格。1967年5月から同年11月までに会長を務めた。 1967年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1974年9月15日老衰により死去。78歳没。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
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山口 六郎次(やまぐち ろくろうじ、1896年7月21日 -… 山口 六郎次(やまぐち ろくろうじ、1896年7月21日 - 1961年11月28日)は、日本の政治家。元労働大臣の山口敏夫は三男。 埼玉県南埼玉郡日勝村(現在の白岡市)生まれ。 1920年、明治大学政治経済科を卒業。卒業後、報知新聞社に入社。1925年、大日本体育協会常務理事・全日本陸上競技連盟常務理事に就任。 横川重次秘書を経て、1947年に埼玉2区から第23回衆議院議員総選挙に立候補し当選当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘・増田甲子七・中山マサ・倉石忠雄・荒木万寿夫・松野頼三・石田博英・原田憲・園田直・櫻内義雄・根本龍太郎・中村寅太など)。通算5期。衆議院法務委員長、第3次吉田茂内閣行政管理政務次官、第1次池田勇人内閣建設政務次官などの要職を歴任。
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長谷川 安兵衛(はせがわ やすべえ、1896年(明治29年)… 長谷川 安兵衛(はせがわ やすべえ、1896年(明治29年)7月20日-1942年(昭和17年)10月29日)は、日本の会計学者、早稲田大学商学部教授、商学博士、陸軍司政長官。 1896年7月20日、埼玉県北埼玉郡羽生町(現在の羽生市)に生まれる。埼玉県立不動岡中学校を経て、1915年4月、早稲田大学第四高等予科に入学する。1916年8月、早稲田大学大学部商科に進み、1919年7月に卒業する。卒業後、横浜の増田貿易株式会社に入社し、木材部を担当する。1921年4月、早稲田大学海外留学生に決定され、同年12月からペンシルベニア大学において、1923年からロンドン大学において、会計学を専攻する。同年8月に帰朝後、早稲田大学商学部の講師となる。
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古村 啓蔵(こむら けいぞう、1896年〈明治29年〉7月2… 古村 啓蔵(こむら けいぞう、1896年〈明治29年〉7月20日 - 1978年〈昭和53年〉2月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。位階および勲等は従四位・勲二等。戦艦「武蔵」の第2代艦長であり、坊ノ岬沖海戦では軽巡洋艦「矢矧」に乗艦。第二水雷戦隊を指揮していた。あだ名は「両舷直の親玉」。 長野県上伊那郡朝日村(現辰野町)出身。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒後、海軍兵学校45期を89名中10位の成績で卒業。病のため1年留年している。海軍兵学校の同期生では、坊の岬沖海戦時に共に戦った第二艦隊参謀長森下信衛少将、同郷同窓の戦艦「大和」艦長有賀幸作大佐(戦死後中将)が有名である。
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吉田 菊太郎(よしだ きくたろう、1896年7月20日 - … 吉田 菊太郎(よしだ きくたろう、1896年7月20日 - 1965年1月8日)は、昭和時代のアイヌ民族運動家。北海道幕別村のアイヌの首長・トイペウク(庄吉)の子。 十勝国中川郡幕別村字白人(チロット)村に、父トイペウク(庄吉)・母アシマツ(マツ)の長男として生まれる。白人小学校・幕別高等小学校を卒業し、父を継ぎ農業を営む。若い頃はその父への「ある反感から」「他の人が驚き怪しみもしたほど」酒におぼれ、すさんだ生活をしたが、1927年(昭和2年)2月8日に泥酔して自分の家を焼いてしまったことをきっかけに禁酒を誓い、2月15日には厚内方面に出稼ぎに出る。 断酒に成功し8月には故郷に帰る。その頃に創立された十勝アイヌ旭明社(社長・喜多章明)に参加し、翌年には精神修養と生活改善を目的とする白人古潭矯風会を創設し会長に就任する。
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加藤 於兎丸(かとう おとまる、1896年(明治29年)7月… 加藤 於兎丸(かとう おとまる、1896年(明治29年)7月19日 - 1983年(昭和58年)8月11日)は、日本の内務・厚生官僚、実業家。官選県知事。 岐阜県益田郡下原村(現下呂市)出身。下原郷16ヶ村兼帯名主10代加藤三郎右衛門雅文の甥である加藤市兵衛の五男として生まれる。万延元年遣米使節随行員の加藤素毛と父の市兵衛とは従兄にあたる。 第一高等学校を卒業。1920年11月、高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し衛生局属となる。 以後、山口県・栃木県・大阪府・京都府・岡山県で勤務、内務省地方局地方債課長、同行政課長、同大臣官房会計課長などを歴任。
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高松 静男(たかまつ しずお、1896年7月18日 - 19… 高松 静男(たかまつ しずお、1896年7月18日 - 1945年9月8日)は、日本の元アマチュア野球選手。愛知県名古屋市出身。兄は名古屋商工会議所会頭を務めた高松定一。妻は伊藤由太郎の三女。 愛知一中(現在の愛知県立旭丘高等学校)から1915年に早稲田大学へ進学し、野球部の選手となる。ポジションは左翼手だったと伝わる。1919年に早大の主将として龍ヶ崎中(現在の茨城県立竜ヶ崎第一高等学校)を指導した記録が残っている。 早大卒業後、大学野球部のアメリカ遠征に主将として加わっている。また、一年志願兵となり、陸軍三等主計に任じられた。1924年に大日本人造肥料(現・日産化学)に入社、1928年に大阪鉄道に転職し、1938年時点では藤井寺球場係長を務めていた。
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遠山 丙市(とうやま へいいち、1896年(明治29年)7月… 遠山 丙市(とうやま へいいち、1896年(明治29年)7月14日 - 1978年(昭和53年)8月14日)は、昭和期の弁護士、政治家。参議院議員(1期)。 岐阜県本巣郡、のちの鷺田村(現瑞穂市)で、遠山観治郎の長男として生まれる。1929年(昭和4年)中央大学法学部を卒業。 1930年(昭和5年)弁護士となる。東京弁護士会常議員(3期)、万国博覧会評議員、国際オリンピック東京委員などを務めた。 政界では、東京市会議員(4期)、同市参事会員、東京府会議員(2期)、同府参事会員、東京都議会議員を務めた。1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に東京都地方区から日本自由党公認で出馬して当選(補欠、任期3年)し、参議院議員に1期在任した。
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渡辺 斌衡(わたなべ としひで、1896年7月13日 - 1… 渡辺 斌衡(わたなべ としひで、1896年7月13日 - 1966年4月10日)は、日本の経営者。日本電気社長を務めた。 東京府北多摩郡三鷹町出身。1922年に東京帝国大学経済学科を卒業し、同年に住友合資に入社。1942年5月に日本電気に転じ、1944年11月に取締役、1945年11月に常務を経て、1947年6月には社長に就任。1964年11月には会長に就任。経済団体連合会、日本経営者団体連盟各理事も務めた。 1961年に藍綬褒章を受章。 1966年4月10日、心筋梗塞のために死去。69歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
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藤島 敏男(ふじしま としお、1896年〈明治29年〉7月1… 藤島 敏男(ふじしま としお、1896年〈明治29年〉7月12日 - 1976年〈昭和51年〉9月9日)は、日本の登山家、銀行家。鉄道会館監査役。日本銀行監事。作家の藤島泰輔は実子。ジャニーズ事務所代表取締役の藤島ジュリー景子は孫。 神奈川県横浜市に生まれる。三重県人・藤島範平の長男。小学生の時に、三重県菰野町の御在所岳山麓にある祖父母の許に寄寓。 第一高等学校在学中に旅行部に所属して登山に親しむ。1915年(大正4年)、旅行部の依頼で講演を行った木暮理太郎の話に感銘を受けて、本格的な登山を始め、岩登りやスキー登山など様々な形の登山を行うようになる。1919年(大正8年)日本山岳会に入会。日本山岳会早期の会員で、開拓的山行を重ねた。
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畑 桃作(はた ももさく、1896年7月10日 - 1949… 畑 桃作(はた ももさく、1896年7月10日 - 1949年3月5日)は、日本の政治家。衆議院議員。 群馬県北甘楽郡富岡町(現在の富岡市)出身。群馬県立富岡中学校を卒業後、農業に従事。その後、群馬県議会議員に当選し、群馬県議会副議長などを歴任。1932年、第18回衆議院議員総選挙で立憲政友会候補として群馬2区から出馬し初当選。通算2期務めた。在任中にブラジル、アルゼンチン等を視察した。
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小西 得郎(こにし とくろう、1896年7月10日 - 19… 小西 得郎(こにし とくろう、1896年7月10日 - 1977年6月9日)は、昭和期のプロ野球監督、野球解説者。 プロ選手を経験しなかったことに加え、審判員や球団売買の仲介を経験した異色の経歴を持つ。ラジオおよびテレビの実況中継放送における「独特の話法」での解説が知られた。同時代の野球解説において大和球士と双璧を成した。 東京府麹町区出身。小西は「私は東京生まれだが、言葉は田舎育ちの両親の影響を受けている」と述べている。父・小西増太郎は広島県生まれ、岡山県児島育ち のロシア文学者で、京都帝国大学教授を務めた。増太郎は学生時代にはヨシフ・スターリンと知り合いであったという。母は愛知県知多半島の中須生まれ、半田育ち。
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桃井 直美(ももい なおみ、1896年(明治29年)7月10… 桃井 直美(ももい なおみ、1896年(明治29年)7月10日 - 1966年(昭和41年)1月9日)は日本の政治家、内務官僚。官選岐阜県知事、公選高知県知事。旧姓・公文。 高知県長岡郡国比左村比江36番屋敷で、県会議員・公文伊三郎、亀寿の三男として生まれた。粟島航海学校に進み海軍兵学校を目指したが、近視のため断念。同海員学校長の桃井百太郎(?〜1945年11月14日)の養子となる。 その後、京都府第二中学校に編入し、第六高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し福島県属・内務部勤務となる。 その後、福島県警部、岩手県・富山県・三重県各勤務、佐賀県書記官・経済部長、山梨県書記官・警察部長、和歌山県書記官・警察部長、鹿児島県書記官・警察部長、神奈川県書記官・学務部長、愛媛県書記官・総務部長、埼玉県部長・内政部長などを歴任。
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佐竹 次郎(さたけ じろう、1896年7月10日 - 195… 佐竹 次郎(さたけ じろう、1896年7月10日 - 1959年10月21日)は、日本の経営者。 山梨県甲府市出身。1921年に東京帝国大学経済学部を卒業。 南満洲鉄道、富国徴兵保険での勤務、日産生命保険社長を経て、1951年4月から1953年9月までに富国生命保険社長を務め、1953年10月には昭和電工社長に就任。 1959年10月21日自殺により、死去。63歳没。
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西本 計三(にしもと けいぞう、1896年(明治29年)7月… 西本 計三(にしもと けいぞう、1896年(明治29年)7月10日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。弁護士。 香川県綾歌郡宇多津町出身。第一高等学校を卒業。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科に合格し、翌年に東京帝国大学法学部独法科を卒業した。朝鮮銀行に入行したが、1922年(大正11年)朝鮮総督府に転じた。朝鮮総督府属、財務局事務官、慶尚北道地方課長、内務局事務官、専売局事業課長、殖産局水産課長、同商工課長を歴任。1939年(昭和14年)、平安北道知事に就任した。 1940年(昭和15年)に退官した後は朝鮮鉱業振興株式会社理事、朝鮮黒鉛開発株式会社代表、朝鮮燐鉱株式会社取締役、日本蛍石統制株式会社取締役を務めた。
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梶浦 逸外(かじうら いつがい、1896年7月10日-198… 梶浦 逸外(かじうら いつがい、1896年7月10日-1981年2月10日)は、臨済宗の僧侶。愛知県出身。臨済宗大学(現花園大学)卒。法諱は宗実。室号は霧隠軒、正眼寺関栖後は梅熟軒と号す。俗性は梶浦。臨済学院専門学校校長、1944年岐阜県正眼寺住職、69年妙心寺派管長。正眼短期大学を創立。禅の海外普及に努めた。世寿八十六。
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川北 禎一(かわきた ていいち、1896年7月9日 - 19… 川北 禎一(かわきた ていいち、1896年7月9日 - 1981年6月9日)は、日本の銀行家。日本銀行副総裁、日本興業銀行頭取を務めた。 大阪府立天王寺高等学校を卒業。 1922年に東京帝国大学法学部法科を卒業し、同年に日本銀行に入行。 1947年5月に副総裁に就任。 1949年6月には日本興業銀行総裁に就任。 1950年4月に民間銀行に転換した後は頭取に就任し、1961年11月までに務めた。 1955年4月から1965年2月までに文化財保護委員を務め、日本自然保護協会会長なども歴任。 1966年11月に勲一等瑞宝章を受章。 1981年6月9日、心筋梗塞のために死去。84歳没。
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松平 銑之助(まつだいら せんのすけ、1896年(明治29年… 松平 銑之助(まつだいら せんのすけ、1896年(明治29年)7月9日 - 1978年(昭和53年)12月22日)は、昭和期の官吏、政治家、華族。貴族院子爵議員。 旧小幡藩主家当主、子爵・松平忠恕の八男として生まれる。甥・子爵松平忠相(義兄松平忠禎長男)の死去に伴い家督を継承し、1924年(大正13年)10月15日、子爵を襲爵した。 早稲田大学文科を修了。1926年(大正15年)衆議院兼逓信属に就任。その後、衆議院理事官、昭和食糧顧問などを務めた。 1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1947年(昭和21年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
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内海 繁太郎(うつみ しげたろう、1896年7月6日 - 1… 内海 繁太郎(うつみ しげたろう、1896年7月6日 - 1966年9月22日)は、人形浄瑠璃研究者。 香川県綾歌郡山田村(現・綾川町)出身。幼少時、淡路人形浄瑠璃に接する。香川師範学校卒業。千疋村(現・綾川町千疋)の小学校で教師となるが、1920年小原国芳の勧めで上京、成城小学校で教員をしながら日本大学の美学科、国文学科に学び1929年国文科卒。1930年日本大学法文学部学生主事、教授、1948年芸術学部演劇科教授となる。1954年「人形浄瑠璃の研究」で日大文学博士。墓所は多磨霊園。
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原 玉重(はら たましげ、1896年7月5日 - 1983年… 原 玉重(はら たましげ、1896年7月5日 - 1983年7月31日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。弁護士。 岐阜県出身。1920年中央大学法律学科卒。弁護士となり、三木武吉の法律事務所で働く。その後、牛込区議、東京府議を経て、1936年の第19回衆議院議員総選挙で東京1区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選。続く第20回衆議院議員総選挙でも再選された。1942年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて立候補したが次点で落選した。しかし、翌年大神田軍治の死去により繰り上げ当選となった。 戦後、翼賛政治体制協議会の推薦議員のため、公職追放となった。
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木内 四郎(きうち しろう、1896年(明治29年)7月3日… 木内 四郎(きうち しろう、1896年(明治29年)7月3日 - 1988年(昭和63年)8月31日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正三位。科学技術庁長官(第21、24代)。 長野県下水内郡常盤村(現・飯山市)生まれ。旧制飯山中学(長野県飯山北高等学校)を経て、1920年(大正9年)東京帝国大学法学部を卒業後、大蔵省に入省。理財局属。主計局決算局長、理財局国債課長、主計局長、専売局長官を経て、1946年(昭和21年)幣原内閣の内閣副書記官長となる。同年6月8日には貴族院勅選議員に勅任される。 1947年(昭和22年)第1回参議院議員通常選挙に民主党公認で長野県選挙区から立候補し当選する。炭鉱国管疑獄では、1948年(昭和23年)衆議院不当財産取引調査委員会に証人喚問されている。
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青木 大吉(あおき だいきち、1896年(明治29年)7月2… 青木 大吉(あおき だいきち、1896年(明治29年)7月2日 - 1994年(平成6年)1月12日)は、日本の公認会計士、税理士。大日本帝国海軍の軍人(最終階級は主計大佐)で、第二次世界大戦後は民間の会計士となり、東京虎ノ門、福岡(「第一公認会計士事務所」)、佐世保に事務所を開く。等松農夫蔵と現在のデロイト トウシュ トーマツの日本のもととなる監査法人事務所を創立した。日本の原価計算の祖と呼ばれる。[要出典]
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大久保 道舟(おおくぼ どうしゅう、1896年7月1日 - … 大久保 道舟(おおくぼ どうしゅう、1896年7月1日 - 1994年9月5日)は、日本の仏教学者。博士。福井大学教授、東北福祉大学学長、駒澤大学総長を歴任。雅号は「越渓」。 福井県武生市(現・越前市)に生まれる。武生中学、曹洞宗大学(現・駒澤大学)を卒業後、東京帝国大学史料編纂所史料編纂官補となる。東亜練成院練成官、福井師範学校教授を経て、1949年に新制の福井大学学芸学部教授となった。1954年、博士号(文学、東京教育大学)を取得。福井大学を定年退任後は、駒澤大学教授、1968年に東北福祉大学学長、1978年より駒澤大学総長、曹洞宗龍門寺住職、福井県文化財専門委員会委員をつとめた。1994年9月5日、急性肺炎のため死去。
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高良 とみ(こうら とみ、1896年7月1日 - 1993年… 高良 とみ(こうら とみ、1896年7月1日 - 1993年1月17日)は、日本の婦人運動家、平和運動家、政治家。参議院議員(2期)。筆名は高良 富子。国会議員として戦後初めてソ連を訪れ、シベリア抑留者復員の突破口を開いた。 富山県高岡市生まれ。旧姓は和田。父は土佐藩士の子で、アメリカ帰りの土木技師、内務省官僚。母は養蚕家田島弥平の孫娘で、婦人運動家。県立第一神戸高等女学校(現兵庫県立神戸高等学校)、日本女子大学英文科卒業。コロンビア大学、ジョンズ・ホプキンズ大学で心理学を専攻、日本女性として初めて博士号を取得した(定義によるが、高良はその一人)。学位論文の題は "An experimental study of hunger in its relation to activity"。
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岸谷 貞治郎(きしたに ていじろう、1896年(明治29年)… 岸谷 貞治郎(きしたに ていじろう、1896年(明治29年)7月1日 - 1982年(昭和57年)5月18日)は、日本の植物学者、教育家である。 大阪府の生まれ。東京帝国大学(現在の東京大学)卒業後、徳川生物学研究所に入所し研究員として活動する。 1936年(昭和11年)には広島文理科大学(現在の広島大学)の教授となり、1947年(昭和22年)には同じ広島に所在する鈴峯女子専門学校の設立に携わった。後に同学校の校長を務め、1950年(昭和25年)には改組により鈴峯女子短期大学(2017年(平成29年)廃止)の初代学長となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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木暮 亮(こぐれ りょう、1896年7月1日 - 1981年… 木暮 亮(こぐれ りょう、1896年7月1日 - 1981年3月27日)は、日本の作家、翻訳家。明治大学名誉教授。本名は、菅藤 高徳(かんとう たかのり)。 福島県福島市(現)生まれ。東京帝国大学独文科卒。在学中より同人誌に参加。1934年、高木卓、真下五一らと『意識』を創刊。 1939年、「地上の子」で芥川賞予選候補、1944年、「おらがいのち」で同候補。 太平洋戦争前から戦後にわたって独文学者として明治大学教授。1964年、獨協大学教授。1971年、退職。
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水橋 藤作(みずはし とうさく、1895年(明治28年)7月… 水橋 藤作(みずはし とうさく、1895年(明治28年)7月30日 - 1958年(昭和33年)8月11日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。 富山県上新川郡滑川町(中新川郡滑川町を経て現滑川市)出身。1921年(大正10年)郵便集配人として勤務。その後、逓信事務官に任官。 戦後、労働運動に加わり、全逓信従業員組合(のちの日本郵政公社労働組合)に加盟し、全逓中央執行委員、全日本産業別労働組合会議(産別会議)中央執行委員などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から日本社会党公認で出馬して当選し、労働者農民党に転じ参議院議員に1期在任した。その間、芦田内閣労働政務次官などを務めた。
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小柳津 政雄(こやいづ まさお、1895年(明治28年)7月… 小柳津 政雄(こやいづ まさお、1895年(明治28年)7月22日 - 1971年(昭和46年)10月21日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 1895年(明治28年)に東京府で生まれた。陸軍士官学校第28期卒業。1923年(大正12年)3月に陸軍派遣学生として東京帝国大学理学部化学科を卒業した。1938年(昭和13年)7月15日に陸軍砲兵大佐進級と同時に陸軍技術本部部員に着任。1939年(昭和14年)3月9日に陸軍科学研究所所員に転じ、5月20日に北支那方面軍司令部附となり、11月1日に関東軍化学部長に就任した。 1940年(昭和15年)12月に陸軍科学研究所第2部長に転じ、1941年(昭和16年)6月15日に陸軍技術本部研究所所員に就任し、10月15日に陸軍少将に進級した。
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栗栖 赳夫(くるす たけお、1895年(明治28年)7月21… 栗栖 赳夫(くるす たけお、1895年(明治28年)7月21日 – 1966年(昭和41年)5月10日)は、昭和期の政治家・銀行家・法学者。日本興業銀行総裁・大蔵大臣・経済安定本部総務長官などを歴任。 現在の山口県岩国市に生まれる。第六高校を経て、1921年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、日本興業銀行へ入行する。証券部長、総務部長などを経て戦後の1945年に理事に昇格、1947年には総裁まで昇りつめた。学究肌で著作も多く中央大学教授も務めた。1933年に「担保附社債信託ニ関スル研究」で同大学より法学博士号を授与されている。一方1946年6月19日には貴族院議員に勅選され、同和会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
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柳川 宗左衛門(宗左衞門、やながわ そうざえもん、1895年… 柳川 宗左衛門(宗左衞門、やながわ そうざえもん、1895年〈明治28年〉7月21日 - 1978年〈昭和53年〉11月8日)は、明治期から昭和期にかけての地主であり、醤油醸造家、実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。 常陸国鹿島郡の日川砂漠を開拓した柳川宗左衛門秀勝の孫(四代目)。 茨城県鹿島郡若松村大字柳川新田(現:神栖市柳川)に、農業や醤油醸造業を営む第三代・柳川宗左衛門の長男・謙一として生まれる。1911年(明治44年)家督を相続。1913年(大正2年)東京市の京北中学校(現・東洋大学京北中学高等学校)を卒業した。 父が小作人のために設立した産業組合、柳川信用販売組合を継承し発展させた。
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韓 根祖(ハン・グンジョ、朝鮮語: 한근조/韓根祖、1895… 韓 根祖(ハン・グンジョ、朝鮮語: 한근조/韓根祖、1895年7月19日 - 1972年2月8日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の弁護士、政治家、実業家。平壌市長、第4・5・6代韓国国会議員を歴任した。 本貫は清州韓氏。カトリック教徒。 平安南道江西郡出身、本籍はソウル。1921年明治大学法学部卒。翌年の弁護士試験合格後は平壌で弁護士として活動し、平壌弁護士会長を経て、大東亜戦争勃発以降は農村に隠居した。光復後は平壌市長、平安南道政治委員を務めた。その後は越南し、米軍政庁大法院大法官、司法部法務次長、曺晩植が率いる朝鮮民主党の副党首・最高委員、憲法起草専門委員、司法科・行政科考試委員、高等選考委員、弁護士試験委員、韓国日報社社長、民主党中央常任委員会議長・ソウル鍾路乙区党委員長を務めた。
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加藤 宗厚(かとう しゅうこう、1895年7月18日 - 1… 加藤 宗厚(かとう しゅうこう、1895年7月18日 - 1981年9月22日)は、日本の図書館司書、図書館学者。国立図書館館長、駒澤大学教授を歴任。日本十進分類法の著名な研究者。 終戦後の「図書館法」草案と『学校図書館の手引』作成にも尽力。「図書館奉仕」を理念の根底に据えることで日本の公共図書館サービスの向上に貢献。 愛知県稲沢市生まれ。1908年に得度。曹洞宗第四中学林(多々良高校の前進)、1922年に曹洞宗大学(現駒澤大学)卒業。1925年文部省図書館講習所修了。同年、帝国図書館勤務。1930年、帝国図書館司書。1940年、富山県立図書館長。1944年、東京都立深川図書館長。1947年、文部省嘱託。
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永田 安太郎(ながた やすたろう、1895年(明治28年)7… 永田 安太郎(ながた やすたろう、1895年(明治28年)7月15日 – 1955年(昭和30年)5月13日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(1期)、愛知県会議長、愛知県会議員(4期)などを歴任した。 愛知県碧海郡長瀬村大字橋目字毘沙門(現岡崎市)に永田半兵衛の次男として生まれた。安城農林学校を卒業後、家事の農業に従事していたが、明治大学専門部法律学科に入学した。1917年(大正6年)7月、同大学を卒業。1922年(大正11年)に弁護士試験に合格し弁護士を開業した。1937年(昭和12年)には名古屋弁護士会長に就任した。 1927年(昭和2年)9月25日の愛知県会議員選挙に碧海郡選挙区から立憲民政党公認で出馬し初当選。
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斎田 喬(さいだ たかし、1895年7月15日 - 1976… 斎田 喬(さいだ たかし、1895年7月15日 - 1976年5月1日)は、日本の児童劇作家・画家。 香川県那珂郡丸亀町(現丸亀市)出身。1916年香川県師範学校卒、京都高等工芸学校卒。1920年小原国芳の招きで成城小学校の教師となり、学校劇運動、自由画教育運動を指導。1933年退職。1934-1947年児童劇団テアトロ・ピッコロで劇作、演出。1948年児童劇作家協会を設立、委員長となる(のち日本児童演劇協会)。1955年「斎田喬児童劇選集」で芸能選奨文部大臣賞受賞。児童文学の挿画も描いた。演劇教育研究所理事長、児童演劇協会名誉会長。
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松ノ井 覚治(まつのい かくじ、1895年7月14日 - 1… 松ノ井 覚治(まつのい かくじ、1895年7月14日 - 1982年9月)は、日本の建築家。「日本にはスパニッシュ(アメリカン・スパニッシュ様式)で自分の右に出る者はいない」と自負していた。 1895年(明治28年)に山形県山形市に生まれた。 1918年(大正7年)に早稲田大学理工学部建築学科を卒業すると、1919年(大正8年)にアメリカ合衆国に渡ってコロンビア大学に入学し、3年間建築設計を学んだ。この間、ニューヨークのトロウブリッジ・アンド・リビングストン建築設計事務所、アンドリュー・ジェ・トマス建築設計事務所、エ・エフ・ギルバード建築設計事務所で設計実務に従事している。1923年(大正12年)からはニューヨークのアーキテクツビル内にあるモレス・スミス建築設計事務所に勤務した。
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角 猪之助(すみ いのすけ、1895年(明治28年)7月13… 角 猪之助(すみ いのすけ、1895年(明治28年)7月13日 - 1955年(昭和30年)5月14日)は、日本の衆議院議員。ジャーナリスト。 和歌山県東牟婁郡新宮町(現在の新宮市)出身。日本大学法科に学んだ後、『中央新聞』と『都新聞』で政治部記者を務めた。 1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し、当選を果たした。戦後の1946年(昭和21年)、公職追放となった。 その他、日本真珠株式会社相談役、大日本漁業株式会社取締役を務めた。
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