名塩良一郎(なしお りょういちろう、1932年12月7日 -… 名塩良一郎(なしお りょういちろう、1932年12月7日 - 2021年11月12日)は、株式会社ナシオの三代目で同社代表取締役会長。 スペイン文民功労勲章オフィシャル十字型勲章(2009年)
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名塩良一郎(なしお りょういちろう、1932年12月7日 -… 名塩良一郎(なしお りょういちろう、1932年12月7日 - 2021年11月12日)は、株式会社ナシオの三代目で同社代表取締役会長。 スペイン文民功労勲章オフィシャル十字型勲章(2009年)
佐藤方彦(さとう まさひこ、1932年12月4日 - )は、… 佐藤方彦(さとう まさひこ、1932年12月4日 - )は、日本の人間工学者、九州芸術工科大学名誉教授。 北海道釧路市生まれ。祖父、父ともに医師で、医師の家系に育つ。幼少期に実母が逝去。1954年、東京大学理学部生物学科卒業、同大学院人類学専攻修了、時実利彦に師事。1962年「運動の巧みさに関する研究」で理学博士。東京大学助手、日本女子体育大学助教授をへて、九州芸術工科大学教授、2003年名誉教授。日本生理人類学会会長。2011年秋瑞宝中綬章受勲。専門は人間工学。
宮井 国夫(みやい くにお、1932年12月3日 - )は、… 宮井 国夫(みやい くにお、1932年12月3日 - )は、日本の元ラグビー選手。「走る重戦車」の異名をもつ。 北海道北見北斗高等学校時代の1951年度、主将として全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場し、準優勝を経験。 その後、明治大学へと進み、1955年度には主将を務め、また同大学在籍時代には日本代表選手にも選出された。加えて当時、同大学の陸上部が弱小であったため、100m走・10秒台の走力を見込まれて、1955年の日本学生陸上競技対校選手権大会の同種目に出場し、10.6秒の好タイムをマークして2位に入った。 1956年、八幡製鐵に入社。同社在籍時代には、全国社会人ラグビーフットボール大会(全国社会人大会)で6回の優勝を経験。
久島 正(ひさじま ただし、1932年(昭和7年)11月26… 久島 正(ひさじま ただし、1932年(昭和7年)11月26日 - 2005年(平成17年)2月26日)は、日本の政治家・地方公務員だった人物。 北海道北見市長(1987年-1995年、2期)。北見工業大学教授を歴任した。 北海道常呂郡訓子府町出身。北見市で育つ。 1956年(昭和31年)に日本大学旧工学部建築学科卒業。卒業後、市の職員として技師に就く。その後、北見市商工部長、同建設部長、同企画部長、同総務部長を歴任し、1983年(昭和58年)に同助役に就く。1987年(昭和42年)に寺前武雄の勇退を受けて、北見市市長選挙に出馬し初当選する。2期8年を務め、1995年(平成7年)に新人の小山健一に敗れ落選した。
安東 ウメ子(あんどう うめこ、1932年11月20日 ‐ … 安東 ウメ子(あんどう うめこ、1932年11月20日 ‐ 2004年7月15日)は、北海道帯広市フシココタン出身のアイヌの音楽家。ムックリ(口琴)とウポポ(歌)の名手として知られる。 音楽家としてはトンコリ奏者のOKIと共にCDアルバムなどを出している。他にアイヌ語講師やアイヌ文化の保存活動も行っていた。
斉藤 英二(齊藤、さいとう えいじ、1932年(昭和7年)1… 斉藤 英二(齊藤、さいとう えいじ、1932年(昭和7年)11月14日 - 2000年(平成12年)6月8日)は、日本の政治家・元地方公務員。北海道岩内郡岩内町出身。北海道大学法学部卒業。北海道石狩町町長(1994年-1996年)・北海道石狩市市長(1996年-1999年)。位階は正五位。勲四等瑞宝章。 北海道大学卒業後に、北海道庁に入庁。同庁住宅都市部長。北海道住宅管理公社理事長。恵庭リサーチ・ビジネス・パーク社長。1994年寺内靖治逮捕に伴い石狩町長選挙に出馬し、初当選。1996年市制に移行。1999年風邪で入院中転倒し背骨を骨折、悪化。任期半ばで市長辞任し、翌年、逝去。死没日付をもって正五位に叙され、勲四等瑞宝章を追贈された。
柴田 彰(しばた あきら、1932年(昭和7年)11月13日… 柴田 彰(しばた あきら、1932年(昭和7年)11月13日 - 2014年(平成26年)1月26日)は、日本の政治家。北海道函館市長(1期)。 北海道函館市出身。1951年、北海道函館中部高等学校卒。卒業後は函館市役所に入る。1953年には市役所内の富士銀行出張所に勤めていた銀行員と結婚、後に2児をもうける。市役所では民生課、総務課、秘書室に勤務し、その後、秘書係長、秘書課長補佐、秘書課長、市長公室次長、市長公室長、企画室長を歴任した。 1983年、矢野康函館市長の勇退に伴い、函館市長選挙に立候補して当選した。しかし、健康問題を理由に1986年に市長を辞職した。 高校時代からハンドボールを始め、全日本代表選手にも選ばれた。
原子 修(はらこ おさむ、1932年11月13日 - 202… 原子 修(はらこ おさむ、1932年11月13日 - 2024年1月30日)は、日本の詩人、劇作家。札幌大学名誉教授、日本文芸家協会会員、日本現代詩人会会員。 北海道函館市生まれ。北海道学芸大学(現在の北海道教育大学)卒。24歳で処女作『第一詩集』刊行。札幌市教育委員会文化課長、札幌彫刻美術館館長などを歴任。1989年札幌大学教養部教授、総合文化部教授、2003年定年退任、名誉教授。 北海道の縄文文化に関心が深く、『縄文の花』『縄文の夜明け』といった詩劇や叙事詩を発表した。また、北海道龍馬会の会長も務めた。 2024年1月30日、小樽市内の病院で、肺炎のため死去した。91歳没。
岩崎 加根子(いわさき かねこ、1932年10月25日 - … 岩崎 加根子(いわさき かねこ、1932年10月25日 - 本名:村田 加根子)は、日本の女優、声優。北海道函館市生まれ。大田区久が原にあった立華女子高等学校卒業。 幼少期に東京へ移る(父親は熊本県、母親は近畿出身である)。 1949年、劇団俳優座養成所の第1期生となり、1952年の卒業と同時に入団。現在は劇団俳優座代表を務める。 主な活動の場は舞台で、1970年代には市原悦子と安部公房が主宰する演劇集団安部公房スタジオに所属していた。 『反逆児』では中村錦之助からのお墨付きで相手役に抜擢されたという。 『太陽への脱出』では石原裕次郎の相手役を、『座頭市地獄旅』では勝新太郎の相手役を演じた。 *太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
小池 聰行(こいけ そうこう、1932年10月15日 - 2… 小池 聰行(こいけ そうこう、1932年10月15日 - 2001年1月20日)は、日本の実業家で、オリコンの創業者。
大野 和雄(おおの かずお、1932年〈昭和7年〉9月16日… 大野 和雄(おおの かずお、1932年〈昭和7年〉9月16日 - 2003年〈平成15年〉5月20日)は、日本の経営学者・教育者。専門は、マーケティング。函館大学名誉教授。同大学学長。北海道函館市出身 この他、1959年(昭和34年)函館経営セミナー専務理事、1960年(昭和35年)函館経営リサーチ・センター事務局長、日本大学経済学部通信教育課程学習会講師や、日本大学大学院経済研究科非常勤講師(1990年~2000年)なども務めた 函館市功労者表彰(1997年) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
田端 光美(たばた てるみ、1932年9月10日 - 202… 田端 光美(たばた てるみ、1932年9月10日 - 2023年3月24日)は、日本の社会福祉学者。日本女子大学名誉教授。 北海道函館市生まれ。1995年3月、日本女子大学家政学部社会福祉学科卒業、日本女子大学附属農家生活研究所助手。1968年、同大学文学部社会福祉学科専任講師、1973年同助教授、1982年同教授、グラスゴー大学社会科学部客員研究員。1990年日本女子大学人間社会学部教授。2001年定年退職、名誉教授。北九州市立大学社会システム研究科教授[要出典]、北海道浅井学園大学人間福祉学部客員教授[要出典]。2004年「イギリス地域福祉の形成と展開」で東洋大学より博士(社会福祉学)を取得[要出典]。
松山 照夫(まつやま てるお、本名:同じ、1932年9月8日… 松山 照夫(まつやま てるお、本名:同じ、1932年9月8日 - )は日本の俳優。北海道深川市出身。北海道深川西高等学校卒業。特技は囲碁(4段)。 1955年、舞台芸術学院卒業後、劇団中芸に入団。初舞台は『松川事件』の赤間役。1956年、今井正監督の『真昼の暗黒』での犯人役で映画界にデビュー。以降も舞台を中心に、各社の映画作品に味のあるバイプレイヤーとして出演。1958年に風船ぐるーぷを結成。その後は東京俳優生活協同組合、東京演劇アンサンブル(旧 - 劇団三期会)、独立企画に所属していた。1970年代からはテレビドラマに活躍の比重を置き、時代劇や刑事アクションドラマのチンピラヤクザなど、江幡高志にも通じる小悪党的な悪役を様々に演じた。
和野内 崇弘(わのうち たかひろ、1932年(昭和7年)8月… 和野内 崇弘(わのうち たかひろ、1932年(昭和7年)8月24日 - 2016年(平成28年)10月17日)は、日本の教育学者。元静修女子大学・静修短期大学学長。元学校法人札幌国際大学理事長。北海道浦河郡浦河町出身。 この他、北海道観光審議会副会長や北海道総合保養地域整備推進委員会副委員長、本私立短期大学協会副会長、全国大学実務教育協会会長、財団法人短期大学基準協会理事、北海道経済財政懇話会委員などを歴任した。 労働問題や余暇問題と教育との関連性や、地域開発と教育の関連性に関する研究 『新訂 現代日本人名録2002』(日外アソシエーツ編集・発行、2001年) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
山田 定市(やまだ さだいち、1932年7月31日 - 20… 山田 定市(やまだ さだいち、1932年7月31日 - 2014年1月21日)は、日本の農業経済学者・教育学者だった人物。専門は農業経済学・生活協同組合論・農業協同組合経営論・農業教育論。コープさっぽろの理論的支柱の1人だった。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。旭川市出身 1955年北海道大学農学部卒業(高倉新一郎ゼミ所属)、1961年同大学院農学研究科博士課程修了(恩師:足羽進三郎)。論題は「農産物市場と協同組合」で農学博士。1961年北海道立農業研究所研究員。1962年北海道立総合経済研究所研究員。1963年北海道大学農学部助手。1971年北海道大学教育学部助教授。1982年同教授。
鶴羽肇(つるは はじめ、1932年6月30日 - 2023年… 鶴羽肇(つるは はじめ、1932年6月30日 - 2023年11月12日)は、日本の経営者。ドラッグストアチェーン、ツルハホールディングス初代社長。北海道上川郡東旭川村(現・旭川市)出身。 北海道上川郡東旭川村で鶴羽薬師堂(旭川市4条)経営者の平民鶴羽勝の次男として生まれる。旧制旭川中学を経て新制旭川東高校、京都大学医学部薬学科を卒業し、父親の強い要望が有り、厚生官僚の道を諦め、家業の鶴羽薬師堂に薬剤師として就職。 1956年父のツルハ薬局創業に伴いツルハ薬局に転籍、1959年より国鉄購買部が一般販売を始めたため家業のツルハ薬局が廃業の危機に陥る。1961年から経営危機の改善のために旭川市内で国鉄、国策パルプの購買以外では初の薬の廉売を始めた。
中西 章一(なかにし しょういち、1932年〈昭和7年〉6月… 中西 章一(なかにし しょういち、1932年〈昭和7年〉6月21日 - 2005年〈平成17年〉8月18日)は、日本の北海道を拠点に活動したエッセイスト、ラジオパーソナリティ。 北海道出身。北海道大学総長を務めた丹保憲仁は札幌師範附属小学校(現・北海道教育大学附属小学校)1年からの幼馴染。 旧制北海道庁立第一中学校(現・札幌南高校)在学中に新制高校への移行を経験し、新制札幌北高校を経て、中央大学法学部を卒業。北海道帯広農業高等学校教諭、ホテル三愛(現・札幌パークホテル)勤務を経て、家業である「中西印刷」の社長に就任 。1986年に相談役に就任と同時に、STVラジオ「ジャーナル談話室」に出演を開始。
林 芳男(はやし よしお、1932年〈昭和7年〉6月15日 … 林 芳男(はやし よしお、1932年〈昭和7年〉6月15日 - )は、日本の政治家・元地方公務員。北海道滝川市長(3期)。 砂川市出身。北海道大学農学部卒業。北海道日高支庁(現・日高振興局)長、林務部次長、林務部長を歴任した。1991年(平成3年)自民、社会、公明、民社の各党の推薦を受けて滝川市長選挙に立候補し、無投票で当選した。1995年(平成7年)にも当選した。 1999年(平成11年)の市長選は共産党推薦の新人との争いになったが、自民、民主、公明、自由の各党の推薦を受け立候補し、3選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 2003年(平成15年)4月26日に引退。
畑中 圭一(はたなか けいいち、1932年5月28日 - )… 畑中 圭一(はたなか けいいち、1932年5月28日 - )は、日本の児童文学研究者。 北海道岩見沢市生まれ。京都大学文学部仏文科卒業。高校教師をしながら童謡の創作と研究に携わり、大阪府で社会教育行政に従事、1984年大阪国際児童文学館総括専門員、名古屋明徳短期大学教授。1981年詩集『大阪弁のうた二人集ほんまにほんま』(島田陽子と共著)で第11回日本童謡賞を受賞。1991年『童謡論の系譜』で日本児童文学学会奨励賞受賞。2007年『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』で日本児童文学学会賞受賞。
大星 公二(おおぼし こうじ、1932年4月7日 - )は日… 大星 公二(おおぼし こうじ、1932年4月7日 - )は日本の実業家。NTTドコモ社長、同社会長を歴任。北海道札幌市出身。 1945年北海道庁立札幌第一中学校入学、1951年北海道札幌北高等学校卒。1957年東京大学法学部卒業後、日本電信電話公社(現NTT)入社、1966年北海道石狩深川電報電話局長。電気通信総合研究所経営研究室長、データ通信本部営業部長などを経て、1988年NTT取締役経営企画本部長、1990年同常務企業通信システム本部長、1992年NTT移動通信網(NTTドコモ)社長、1998年同会長、現在に至る。社長時代にiモード開発を推進した。 多趣味で知られ、学生時代は全都道府県を旅行したように、今もぶらり出かける外出を好む。
谷本 一之(たにもと かずゆき、1932年(昭和7年)3月1… 谷本 一之(たにもと かずゆき、1932年(昭和7年)3月11日 - 2009年7月19日)は、日本の教育学者、音楽史学者。知里真志保門下。 北海道美唄市出身。北海道岩見沢東高等学校、北海道大学教育学部卒業。1958年同大学院教育研究科修了。代議士の私設秘書などを務めたのち、1976年北海道教育大学教授。1987年同札幌分校主事。1989年学長。1995年停年退官、名誉教授、北海道立アイヌ民族文化研究センター所長。2000年北海道浅井学園大学生涯学習システム学部芸術メディア学科客員教授。2006年退職。 民族音楽学が専門で、特にアイヌ音楽、音楽理論、音楽史を中心に研究。
内田 文昭(うちだ ふみあき、1932年2月19日 - 20… 内田 文昭(うちだ ふみあき、1932年2月19日 - 2021年12月26日)は、日本の法学者(刑法)。法学博士(北海道大学、1963年)(学位論文「過失同時犯の正犯性」)。神奈川大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。ハンス・ヴェルツェルが提唱した目的的行為論をとるが、主観的違法要素を認めないので、結果無価値論に近い結論をとることがある。『過失と共犯』、『刑法における過失共働の理論』で、新過失論の立場に立ち、過失(過失犯)にも共犯がありうることを提唱した。 1966年(昭和41年)に日本刑法学会賞を受賞した。 公職として旧司法試験第二次試験考査委員(1979年1月~1981年12月)、学校法人神奈川大学常任監事(2005年~2008年)
岡部 政明(おかべ まさあき、1932年2月16日 - )は… 岡部 政明(おかべ まさあき、1932年2月16日 - )は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。東京俳優生活協同組合所属。北海道深川市出身。リーディングドラマの会・伽羅主宰(をはり万造・森うたうと共同主宰)。
五十嵐 日出夫(いがらし ひでお、1932年 <昭和7年> … 五十嵐 日出夫(いがらし ひでお、1932年 <昭和7年> 2月7日 - 2006年 <平成18年> 10月20日)は、日本の工学者・官僚。北海道大学名誉教授・北海学園大学名誉教授。北海道における都市計画学の第一人者。札幌市出身。位階は正四位。 1954年(昭和29年)北海道大学工学部土木工学科卒業後、同年運輸省入省。間もなく北海道開発局へ出向。1956年(昭和31年)北海道大学工学部土木工学科専任講師(都市計画学担当)。1958年(昭和33年)同工学部土木工学科助教授(都市計画学担当)。1975年(昭和50年)同工学部土木工学科教授(交通計画学講座)。1995年(平成7年)北海道大学停年退官。
川口 喬一(かわぐち きょういち、1932年2月1日 - )… 川口 喬一(かわぐち きょういち、1932年2月1日 - )は、日本の英文学者、翻訳家。筑波大学名誉教授。 北海道空知郡上砂川町生まれ。北海道砂川北高等学校卒業。東京教育大学大学院博士課程満期退学(英文学)。1995年「「ユリシーズ」演義」で筑波大文学博士。成城大学講師、助教授、教授を経て、1974年筑波大学教授、1995年定年退官、名誉教授、目白大学教授、大学院教授、大学図書館長、大学院客員教授を経て2005年退職。
田所 稔(たどころ みのる、1932年1月28日 - 199… 田所 稔(たどころ みのる、1932年1月28日 - 1991年5月27日)は、日本中央競馬会(JRA)に所属した騎手、調教師。騎手時代の1966年にニホンピローエースで皐月賞に優勝した。 いずれも騎手・調教師の田所秀雄は実兄、田所秀孝は甥、師匠でもある小川佐助は叔父、田所清広(旧姓・佐野)は娘婿である。 1932年、北海道浦河町の農家に生まれる。実家は兄弟が多く貧しかったことから、幼少の頃に伯母の家に身を寄せた。1950年、すでに騎手となっていた兄・秀雄を頼り、その師匠で叔父の小川佐助厩舎(京都競馬場)に入門した。1953年に騎手免許を取得。初騎乗は4月26日の第1回阪神競馬8日目第2競走で、マサミドリに騎乗したが最下位に敗れた。
郷司 裕(ごうし ひろし、1932年(昭和7年)1月19日 … 郷司 裕(ごうし ひろし、1932年(昭和7年)1月19日 - 2006年(平成18年)12月12日)は、日本の野球審判。元日本学生野球協会常任理事。 旧制明治中学校(現:明治大学付属明治高等学校・中学校)時代に身体を壊して野球が出来なくなった時に野球部監督であった島岡吉郎から「選手でダメなら審判をやれ」と審判への転向を勧められる。 明治大学卒業後に日本放送協会(NHK)に入職し、運動部記者を務めていたが、父親の事業を継ぐためにNHKを退職。事業の傍らアマチュア野球審判員となり、半世紀余りを高校、大学、社会人の各大会で2,000を越える試合でマスクをかぶった。特に、夏の甲子園では決勝戦の球審を13回務め、1965年~1975年まで実に春夏通算11年連続決勝戦の球審を務めた。
笠原 伸夫(かさはら のぶお、1932年1月13日 - 20… 笠原 伸夫(かさはら のぶお、1932年1月13日 - 2017年11月8日)は、日本近代文学研究者・文芸評論家。日本大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1950年、日本大学第一高等学校卒業。1954年、日本大学文学部国文学科卒業。1979年、日本大学文理学部教授。2002年、同名誉教授。 はじめ歌作を行う。評論は中世文学から出発し、1967年、『中世の発見』『中世の美学』を刊行。その後、近代文学における情念に関心を寄せながら、『虚構と情念』『泉鏡花 美とエロスの構造』『谷崎潤一郎 宿命のエロス』などを刊行。現代短歌や現代俳句も論じている。
川路 紳治(かわじ しんじ、1932年1月11日 - 202… 川路 紳治(かわじ しんじ、1932年1月11日 - 2023年3月27日) は、日本の物性物理学者。学習院大学名誉教授。量子ホール効果を発見し、日本学士院賞等を受賞した。川路聖謨の曾孫。 北海道出身。旧帯広中学校(現北海道帯広柏葉高等学校)卒業後、旧制北海道大学予科を経て、1953年北海道大学理学部卒業。漕艇部出身。1958年北海道大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了、理学博士。指導教官は古市二郎だが、北海道大学触媒研究所で半導体を学んだ。 1959年学習院大学理学部物理学科講師。1960年助教授。1963年マサチューセッツ工科大学研究員。1968年学習院大学理学部物理学科教授。1985年学習院大学学生部長。
二上 達也(ふたかみ たつや、1932年(昭和7年)1月2日… 二上 達也(ふたかみ たつや、1932年(昭和7年)1月2日 - 2016年(平成28年)11月1日)は、将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下で棋士番号は57。タイトル獲得通算5期。1990年引退。 1989年から2002年にかけて日本将棋連盟会長を務めた。加藤治郎・原田泰夫の後任として将棋ペンクラブ名誉会長でもあった。 弟子に羽生善治がいる。 1932年、北海道函館市の網元の家で8人兄弟の末子として生まれた。1939年に母が亡くなり、京都帝大を卒業した兄は太平洋戦争で北千島に出征した後にシベリア抑留を受けた。比較的裕福な家庭だったが、戦後の農地改革で土地を失い、インフレにより貯蓄の価値が失われ、父は1946年に病気で亡くなった。
斎藤 道一(さいとう どういち、1932年 - )は、日本の… 斎藤 道一(さいとう どういち、1932年 - )は、日本のフリーライター。 北海道生まれ。北海道函館中部高等学校をへて、東京大学に進学し卒業後、NHK入局。プロデューサーとして報道番組やドキュメンタリーを担当したのち、1965年退社。以降、フリーライターになる。
五十嵐 恒夫(いがらし つねお、1932年 - 2024年)… 五十嵐 恒夫(いがらし つねお、1932年 - 2024年)は、日本の農学者。農学博士。北海道大学名誉教授。北海道のキノコの権威。北海道自然環境保全審議会会長、北海道森林審議会会長、北海道国土利用計画審議会会長、北海道林木育種協会会長などを歴任。 1960年北海道大学農学博士。論文は「北海道針葉樹生立木の腐朽・腐朽菌の培養的性質ならびにトドマツ・エゾマツ材の比較抵抗力に関する研究 」。 北海道出身。1955年、北海道大学農学部林学科卒業。造林学、森林病理学の立場から菌類を研究。80年代、90年代にそれぞれ264種、266種のキノコを収録した図鑑を発表し、さらに2006年、800種のキノコを収録したキノコ図鑑を発表した。
笠井 誠一(かさい せいいち、1932年 - 2025年6月… 笠井 誠一(かさい せいいち、1932年 - 2025年6月12日)は、日本の洋画家。立軌会同人、愛知県立芸術大学名誉教授。シンプルな描線で、緻密に構築された静物画を描いた。 1932年、北海道札幌市生まれ。生家は札幌時計台近くに店を構えるマリヤ手芸店。北海道札幌西高等学校を経て、1957年東京芸術大学卒業。1959~66年、滞仏。1985年から立軌会同人。1991年、名古屋市芸術賞芸術特賞。2001年、安田火災東郷青児美術館大賞受賞・同記念展。2015年、笠井誠一展(札幌芸術の森美術館)、2018年、笠井誠一展(練馬区立美術館)。2018年、瑞宝中綬章受章。 2025年6月12日、老衰のため、自宅で亡くなった。
正富 宏之(まさとみ ひろゆき、1932年 - )は、日本の… 正富 宏之(まさとみ ひろゆき、1932年 - )は、日本の生態学者。学位は、理学博士。専修大学北海道短期大学名誉教授。 1932年北海道浦河郡浦河町生まれ。北海道札幌南高等学校卒。1955年北海道大学理学部生物学科卒業。1961年北海道大学大学院理学研究科博士課程修了。同年、理学博士(北海道大学))。1964年釧路市立郷土博物館(現釧路市立博物館)館長。1968年より専修大学美唄農工短期大学の創立に伴い同短期大学農業経営科教授に就任。1989年専修大学北海道短期大学学長に就任。1992年同学長を退任。引き続き専修大学北海道短期大学造園林学科教授。2003年専修大学北海道短期大学を定年退職。同名誉教授。
新谷 行(しんや ぎょう、1932年 - 1979年3月18… 新谷 行(しんや ぎょう、1932年 - 1979年3月18日)は、昭和期の詩人、文芸評論家、歴史家。本名:新屋 英行(あらや・ひでゆき)で、北海道の騎手・新屋幸吉は兄にあたる。妻は詩人の上杉浩子。 留萌郡小平蘂村(現在の小平町)に、馬喰の五男として生まれる。1953年に留萌高等学校を卒業し、中央大学法学部に入学するために上京。大学を卒業する頃に詩人の金子光晴を訪問し、出版社の編集の勤務とともに文学活動を続ける。1959年に佐藤久夫・桜井滋人・竹川弘太郎とともに同人雑誌『詩域』を創刊。1964年に同人雑誌『あいなめ』に参加する(金子光晴・松本亮・桜井・竹川)。1968年には出版社を辞め、デパートの広報課に勤めるが翌年の夏にはそこも辞め生活のために週刊紙の埋め草記事を書くほかは自分の作品作りに専心し始める。
岡堂 哲雄(おかどう てつお、1932年 - 2018年6月… 岡堂 哲雄(おかどう てつお、1932年 - 2018年6月23日)は、日本の臨床心理学者。臨床心理士・家族心理士。教育学博士(東北大学)。文教大学名誉教授。専門は、臨床心理学・家族心理学・家族療法。北海道弟子屈町出身。
能勢 之彦(のせ ゆきひこ、1932年 - 2011年10月… 能勢 之彦(のせ ゆきひこ、1932年 - 2011年10月13日)は、日本の医師および医学者、医学博士。ベイラー医科大学元教授。グレーター・ヒューストン日本人会元会長。
菅原 安信(すがわら あんしん、1932年or1933年 -… 菅原 安信(すがわら あんしん、1932年or1933年 - 2013年3月24日)は、日本のジャーナリスト。北海道テレビ放送(HTB)、北海道放送(HBC)でアナウンサーを務めた。 函館市生まれ。1955年、明治大学法学部を卒業し、北海道放送(HBC)に入社。同局で14年間アナウンサーを務める その後、1969年に北海道テレビ放送(HTB)へ移る。編成部長兼製作部長、週刊ミレ事業部長などを務め、アナウンサー職から遠ざかっていたが、1981年10月、『ニュースロータリー』のキャスターとなる。自ら口ひげをトレードマークとし、「ヒゲのニュースキャスター」として親しまれた。番組の冒頭には毎回欠かさず「ごきげんよう!!菅原安信です」とスタジオ見学者や視聴者に挨拶していた。
菊地 慶一(きくち けいいち、1932年 - 2025年1月… 菊地 慶一(きくち けいいち、1932年 - 2025年1月15日)は、北海道旭川市出身の著作家。 1945年、13歳のときに釧路空襲を体験する。網走管内で小学校、高等学校教師を務めた後、著作家に転身した。 網走に1969年から住み、流氷の観察を続ける流氷観測の第一人者であり、また1973年に、流氷出版物として最初とされた『白いオホーツク―流氷の海の記録』を刊行する。以来、流氷をテーマに書籍に著す。さらに、網走歴史の会代表として、網走刑務所、オホーツク文化、捕鯨など調査、研究に努め、著作にもなる。 また、空襲関係の著書に「紅の海ー網走空襲犠牲者の記録」「ハマナスのかげでー北海道空襲の記録」「網走空襲の記録」がある。
佐々木 宏(ささき ひろし、1931年12月7日 - 201… 佐々木 宏(ささき ひろし、1931年12月7日 - 2019年9月1日)は、日本の建築家、建築評論家、近代建築研究者。 アカデミズムに属さず、自ら設計事務所を経営する傍ら、在野の研究者というスタンスを貫いた。唯一在職した法政大学では、非常勤講師の立場を通した。しかし、在野であるために何者にも遠慮することなく辛辣な批判を加える立場を崩さなかった。 1931年北海道小樽市に生まれる。北海道大学に入り、当初数学を目指したが、教師のアドバイスにより断念して建築へ転向。立原道造に傾倒して学内誌に立原論を投稿。在学中からアメリカの建築雑誌『アーキテクチュラル・レヴュー』を購読し、以来海外の建築動向には一貫して注目。
奥野 正男(おくの まさお、1931年11月15日 - 20… 奥野 正男(おくの まさお、1931年11月15日 - 2020年6月6日)は、日本の考古学者、古代学者。元筑紫古代文化研究所代表。元東アジアの古代文化を考える会会長。元宮崎公立大学教授。 北海道札幌市出生、美唄市出身。炭鉱で働きながら美唄東高等学校定時制を卒業。三井美唄炭鉱などに勤務の傍ら、リアリズム研究会や日本民主主義文学同盟に所属し、雑誌『現実と文学』『民主文学』などに小説を発表。1965年には小説「地底の炎」で第3回リアリズム文学賞を受賞している。後に古代史に関心を向け、1980年に「邪馬台国九州論―鉄と鏡による検証」で『邪馬台国』創刊1周年記念論文最優秀賞受賞。1981年に「三角縁神獣鏡の研究」で第6回郷土史研究賞特別賞受賞。
安川 英昭(やすかわ ひであき、1931年11月13日 - … 安川 英昭(やすかわ ひであき、1931年11月13日 - 2014年2月25日)は、日本の技術者、実業家。セイコーエプソン代表取締役社長を務めた。 東京都生まれ。北海道小樽市で育つ。北海道庁立小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)を経て、1955年東京大学工学部精密工学科卒業、第二精工舎(現・セイコーインスツル)入社。1959年諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)転籍。自動巻き腕時計「ジャイロマーベル」、世界初のクォーツ腕時計「セイコークォーツ・アストロン」などを開発し商品化。1976年同社取締役。1991年セイコーエプソン代表取締役社長。1998年長野県経営者協会会長。2001年セイコーエプソン会長。
藤谷 栄也(ふじや まさや、1931年11月3日 - )は、… 藤谷 栄也(ふじや まさや、1931年11月3日 - )は、日本の元アナウンサー。NHK札幌放送局などで活躍した。 東京府(現在の東京都)生まれ。戦時中の14歳時に北海道余市へ疎開する。 北海道余市高等学校を経て、北海道大学に進学し、同大教育学部を卒業。 1954年にNHKへ入局し、釧路放送局を皮切りにアナウンサーとして活動。札幌放送局の人気番組「北海道中ひざくりげ」の初代リポーター・北海道ニュースワイドのキャスターを務める。北海道中ひざくりげでは江戸っ子らしい小気味の良い口ぶりや人懐っこい笑顔で人気を博した。 NHK退職後は1997年に札幌国際大学非常勤講師に就任、講演や大学での授業を通じて日本語の正しい使い方を教える。
石田 満(いしだ みつる、1931年10月22日 - 201… 石田 満(いしだ みつる、1931年10月22日 - 2019年6月19日)、日本の法学者・弁護士。専門は商法・保険法。学位は、法学博士(北海道大学・論文博士・1967年)(学位論文「保険の目的物の譲渡 」)。上智大学名誉教授。北海道札幌市生まれ。鴻常夫門下。 主に保険法が専門。特に、損害保険・自動車保険を研究。 『商法・保険法の現代的課題 : 石田満先生還暦記念論文集』(文眞堂 1992年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
小野 直広(おの なおひろ、1931年10月20日 - 20… 小野 直広(おの なおひろ、1931年10月20日 - 2001年10月4日)は、日本の心理学者。 北海道上磯郡知内町出身。東北大学文学部卒。元法務省職員。東北福祉大学教授(福祉心理学科長;臨床心理・人格心理担当)。旭日章勲四等受勲。※死後追贈 日本でまだ広まっていなかった心理療法である短期療法を研究し、広めていった第一人者。なお、小野が作った地域の短期療法を学ぶ会は、日本ブリーフセラピー協会が下部組織として引き継ぐ形で発展している。 大学での教授、研究、各教育機関などでの講演活動の傍ら、週末に来る孫達の世話も惜しむことなくしたという。 甥に元西武ライオンズ投手の石井貴がいる。 2001年9月に体調を崩し、宮城県仙台市太白区の宮城社会保険病院に入院。
中村 靖之介(なかむら せいのすけ、1931年10月13日 … 中村 靖之介(なかむら せいのすけ、1931年10月13日 - )は、日本の俳優、声優。北海道出身。プロ・フィット(声のみ)所属。
森本 正夫(もりもと まさお、1931年10月3日 - 20… 森本 正夫(もりもと まさお、1931年10月3日 - 2021年6月1日)は、日本の経済学者(専門は開発政策・農業経済学)・教育者。学校法人北海学園元理事長。名誉法学博士(レスブリッジ大学)。名誉経営学博士(大田大学校)。北海商科大学元学長、日本私立大学協会副会長。 「経歴」節の出典は『北海学園大学経済論集 第39巻第3号』(北海学園大学経済学会、1992年2月)。
高岡 健次郎(たかおか けんじろう、1931年10月 - )… 高岡 健次郎(たかおか けんじろう、1931年10月 - )は、日本の歴史学者。札幌学院大学名誉教授。専門は左翼エスエル研究。 北海道夕張市生まれ。1948年旧制北海道大学予科に入学。日本共産党の北大学生細胞に所属。1950年5月の北大イールズ闘争の際には北大教養部自治会執行委員兼北海道学生自治会連合(道学連)書記長を務め、この闘争で退学処分を受けた。その後、数年党の常任を務め、1955年の六全協後に復学した。 1960年北海道大学文学部史学科西洋史専攻卒業。大学院に進学してロシア革命史を研究。1966年北海道大学大学院文学研究科西洋史学専攻博士課程単位取得退学。 1966年北海道大学文学部助手、1968年札幌商科大学助教授、1975年教授、1984年札幌学院大学(校名変更)教授。
佐藤 耕一(さとう こういち、1931年9月21日 - )は… 佐藤 耕一(さとう こういち、1931年9月21日 - )は、1950年代に活躍した日本の元ノルディック複合、スキージャンプ選手。北海道小樽市出身。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)-明治大学卒業後、クロバー乳業入社。1958年会社合併により雪印乳業に移籍。 1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックでは2種目に出場、ノルディック複合で33位、ジャンプで39位の成績を残した。 1960年スコーバレーオリンピックではジャンプで22位。 1955年第33回全日本スキー選手権複合優勝。1959年第37回全日本スキー選手権ジャンプ競技優勝。
小町 昭(こまちあきら、1931年9月18日 - 2017年… 小町 昭(こまちあきら、1931年9月18日 - 2017年1月25日)は、北海道釧路市出身 の作曲家・編曲家。 北海道釧路湖陵高等学校を経て、明治大学ではマンドリン倶楽部に入部。アコーディオンの演奏は当時、六大学一の腕前と言われた。卒業後はキングレコード専属の作家として活躍し、主に歌謡曲の編曲を手掛け、川上英一とともに三橋美智也のヒット曲を数多く担当した。その傍らでNHK紅白歌合戦・演歌の花道・にっぽんの歌のオーケストラ、母校・明大マンドリン倶楽部の指揮者も務めた。