坊屋 三郎(ぼうや さぶろう、本名:柴田 俊英、1910年〈… 坊屋 三郎(ぼうや さぶろう、本名:柴田 俊英、1910年〈明治43年〉3月28日 - 2002年〈平成14年〉5月25日)は、日本の芸人、俳優。北海道夕張市出身。 出生時の氏名は石川博、生後数ヶ月で実相寺へ養子に出され、柴田俊英と改名。私立北海中学校に入学し、弓道部に所属した。日本大学専門部宗教科に進学するも、専門部芸術学科(現在の日本大学藝術学部の前身)に転科して声楽を学ぶ。 吉本興業(東京吉本)に入り、1937年に弟の芝利英・川田義雄(第二期は山茶花究)・益田喜頓(北海中学の同級生)とボーイズ演芸のあきれたぼういずを結成。1939年、新興キネマ演芸部に高額報酬を条件に引き抜かれ、吉本子飼いの芸人であった川田を除く3人で移籍した。
石上 玄一郎(いしがみ げんいちろう、1910年3月27日 … 石上 玄一郎(いしがみ げんいちろう、1910年3月27日 - 2009年10月5日)は日本の小説家。姓は「いそのかみ」と読まれていた時期もあるが、1981年頃から「いしがみ」と訂正した。 郷里東北の風土を背景に、現象学や仏教思想などの影響を受けた独自の実存主義的作風を展開した。 北海道札幌市生まれ。本名、上田重彦。父上田寅次郎は岩手県盛岡市出身。上田家は南部藩士で、代々御蔵奉行などを勤めていたが、維新後没落。寅次郎の母・綱は寅次郎ら幼い子供を連れて、実弟の栃内元吉(当時屯田司令官幕僚)・曽次郎(後に海軍大将)が住む札幌に移り住む。寅次郎は長じて札幌農学校・東京専門学校に学び、岩手県・北海道で中学教師の傍ら、新聞に読み物を書いていた。
杉村 春三(すぎむら しゅんぞう、1910年3月11日 - … 杉村 春三(すぎむら しゅんぞう、1910年3月11日 - 1994年2月8日)は日本の社会福祉家。在学時代からハンセン病のフィールドワークを始め、九州大学で学び、国立療養所星塚敬愛園、満州国立らい療養所同康院、リデル・ライト記念養老院などで働き、『らいと社会福祉』の研究をまた、老人の福祉についても研究した。
松島 正幸(まつしま まさゆき、1910年2月25日 - 1… 松島 正幸(まつしま まさゆき、1910年2月25日 - 1999年10月29日)は、北海道雨竜郡一已村(現深川市)出身の洋画家。独立美術協会会員。また、全道美術協会創立に貢献。本名は正一、前半生の画号は正人を名乗る。日本各地、中国北部、ヨーロッパの風景を生涯描き続けた。 1910年、北海道雨竜郡一己村の屯田兵の家庭に生まれる。その後札幌市に移住。上京し、画家を志す。 1930年、『花を持てる少女』で二科展に最年少で入選。1935年、石見浜田藩主松平家9代当主松平武修の長女・松平鈴子(花を持てる少女のモデル)と大恋愛の末結婚。同年生まれた息子が昭和40年代頃に前衛画家であった交楽龍弾(まずらりゅうだん、本名松島正迪、のち松平武龍と改名)。
北村 正司(きたむら しょうじ、1910年(明治43年) -… 北村 正司(きたむら しょうじ、1910年(明治43年) - 1989年(平成元年))は、日本の英語学者。専門は英語教育。英米文化。
村井 資長(むらい すけなが、1909年(明治42年)11月… 村井 資長(むらい すけなが、1909年(明治42年)11月22日 - 2006年(平成18年)3月31日)は日本の工学者、早稲田大学名誉教授、日本カナダ教育文化交流財団理事長。早稲田大学第10代総長、早稲田奉仕園第6代理事長、恵泉女学園大学初代学長。キリスト教プロテスタントである。次男村井吉敬は早稲田大学客員教授を務めた。旧姓日野西。 北海道茅部郡石倉村(現森町)濁川の広大な日野西牧場で農場を経営していた日野西長輝(日野西光善三男)の三男として生まれた。日野西家は京都の堂上華族。1916年に父親が日本統治下の朝鮮・慶尚南道の村井進永農場の農場長に就任したため翌年から一年間、現地の内地人用小学校に通う。
北川 敏男(きたがわ としお、1909年10月3日 - 19… 北川 敏男(きたがわ としお、1909年10月3日 - 1993年3月13日)は、日本の統計数学者、情報科学者。 推測統計学、品質管理で顕著な業績を上げた。また、「情報学」、「情報科学」を提唱し、『制御』『栄存』『創造』の三座標軸を提案した。 大阪帝国大学助教授、九州大学教授、同理学部長、富士通国際情報社会科学研究所所長、日本学術会議会員、日本情報処理学会会長を歴任。理学博士。 北海道小樽市出身。1934年東京帝国大学理学部数学科卒。大阪帝国大学講師を経て、1939年九州帝国大学助教授。1943年九州帝国大学教授。1963年附属図書館長、1965年基礎情報科学研究施設長。1968年理学部長、1973年退官。
平岡 敏男(ひらおか としお、1909年(明治42年)9月1… 平岡 敏男(ひらおか としお、1909年(明治42年)9月18日 - 1986年(昭和61年)8月6日)は、日本のジャーナリスト、実業家。 毎日新聞社社長(1976年2月 - 1980年12月)。 北海道旭川市出身(留萌市生まれ)。弘前高等学校では新聞部に所属し、一期下の太宰治とも親交があった。1932年に東京帝国大学経済学部を卒業し、東京日日新聞社(後の毎日新聞東京本社)に入社。経済部記者、東京本社経済部長、論説委員、ロンドン支局長などを経て、1963年取締役。1966年西部本社代表、1968年常務。 1976年2月、巨額の負債を抱え、経営危機に瀕していた毎日新聞社の社長に就任。永野重雄に救済を仰ぎ、翌年「新旧分離方式」の経営再建の方針を固め、登記上の本社で発行部門を担当していた大阪本社を、負債の整理・清算に専念させ(「株式会社毎日(旧社)」)、東京本社(編集部門)と経営を一本化させる形で、新たに東京に新会社「毎日新聞株式会社(新社)」を設立した。
益田 喜頓(ますだ きいとん、本名木村 一、1909年9月1… 益田 喜頓(ますだ きいとん、本名木村 一、1909年9月11日 - 1993年12月1日)は、日本の俳優。昭和期を代表するコメディアンである。芸名の「ますだきいとん」は三大喜劇王の一人、「バスター・キートン」のもじり。
和田 徹三(わだ てつぞう、1909年(明治42年)8月4日… 和田 徹三(わだ てつぞう、1909年(明治42年)8月4日 - 1999年6月27日)は日本の詩人・英文学者。北海道余市町出身。小樽高等商業学校卒。龍木煌(たつき あきら)のペンネームを持つ。 北海道薬科大学教授をつとめ英語を教える傍ら、詩人として活動。1930年頃伊藤整と同時に百田宗治主催の「椎の木」に参加し、文学活動に専念する。英詩の翻訳(ハーバート・リードの研究者としての実績)からモダニズムへと変貌。1997年「湾」で和田自身が《「湾」を形而上詩の研究とと実作の場にしよう》という沢村光博の提案を受け、私は《長編形而上詩の実験作品を連載することにした。》と述べている。また1970年頃《沢村光博はカソリシズムとコミュニズムの結合を企てていたし、私は親鸞思想へ激しく傾斜していった。
加登川 幸太郎(かとがわ こうたろう、1909年(明治42年… 加登川 幸太郎(かとがわ こうたろう、1909年(明治42年)7月7日 - 1997年(平成9年)2月12日)は、日本の陸軍軍人、戦史研究家。最終階級は陸軍中佐。 北海道上川郡当麻町出身。屯田兵・農業、加登川春吉の長男として生まれる。旭川中学校(現北海道旭川東高等学校)を経て、1930年(昭和5年)7月、陸軍士官学校(42期)218名中を皇王族(恒德王・李鍵公)を除いて9番の成績で卒業し、同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第25連隊付となる。1938年(昭和13年)5月、陸軍大学校(50期)卒業後、戦車学校教官に就任した。 その後、北支那方面軍参謀を務め、太平洋戦争時には陸軍省軍務局軍事課員(予算班)、第2方面軍、第35軍、第13軍参謀としてニューギニアの戦い、レイテ島、インドシナ、中国を転戦し中佐で敗戦をむかえる。
長谷川 四郎(はせがわ しろう、1909年〈明治42年〉6月… 長谷川 四郎(はせがわ しろう、1909年〈明治42年〉6月7日 - 1987年〈昭和62年〉4月19日)は、日本の小説家、翻訳家。 北海道函館市出身。函館中学卒業。1926年に上京、松本泰のもとに寄宿する。1933年、立教大学予科を経て、法政大学文学部独文科に入学する。関口存男・片山敏彦にドイツ語・ドイツ文学を学び、豊島与志雄からフランス文学を学ぶ。 同学科を卒業後、1936年、南満州鉄道株式会社に入社。1942年、満鉄を退社し、満洲国協和会調査部に入る。1945年、ソ連侵攻により捕虜収容所に収容され、5年に及ぶシベリア抑留となった。 1951年、抑留経験をもとに雑誌『近代文学』に「シベリヤ物語」を発表した。
高岡 周夫(たかおか かねお、1909年5月2日 - 200… 高岡 周夫(たかおか かねお、1909年5月2日 - 2005年1月31日)は、日本の統計学者・経済学者。経済学博士(北海道大学)。元北海学園大学学長代理・北海学園大学名誉教授。 この他、経済統計学会全国運営委員や北海道経済学会理事でもあった。 経営学を小島昌太郎に師事し、統計学を蜷川虎三に師事する。 父は第三代北海道帝国大学総長の高岡熊雄であり、叔父に高岡直吉がいる。夫人は世界的外科医であり九州大学医学部教授を務めた三宅速の娘。兄弟に北海道大学名誉教授の高岡道夫・北星学園大学名誉教授の高岡英夫がいる。
関 四郎(せき しろう、1909年3月29日 - 1990年… 関 四郎(せき しろう、1909年3月29日 - 1990年12月12日)は日本の電気技師。国鉄常務理事、明電舎社長、鉄道技術協会会長、電気学会会長などを務めた。ペンネーム芝山 倉平(しばやま くらへい)による探偵小説「電気機関車殺人事件」の作者としても知られる。 北海道札幌市生まれ。北海道帝国大学工学部卒。国鉄で技師を務めていた。1943年(昭和18年)に「国有鉄道1万キロ電化の提唱」を発表するなど国鉄の電化の必要性を強く訴えたが、戦時下にあって鉄道電化は遅々として進まなかった。終戦間もない1945年9月には上越線電化に向けて活動を開始。人材、食料、資材、資金が極度に不足する中で、1947年(昭和22年)4月には上越南線(高崎~水上間)、同10月には上越北線(石打~長岡間)の電化を完成させた。
知里 真志保(ちり ましほ、1909年〈明治42年〉2月24… 知里 真志保(ちり ましほ、1909年〈明治42年〉2月24日 - 1961年〈昭和36年〉6月9日)は、アイヌの言語学者。文学博士。北海道大学名誉教授。専攻はアイヌ語学。姉は『アイヌ神謡集』著者の知里幸恵、伯母は口承文芸伝承者の金成マツ。 1909年2月24日、北海道幌別郡登別村(現在の登別市登別本町)で生まれた。。1929年3月、北海道庁立室蘭中学校(現在の北海道室蘭栄高等学校)を卒業し、地元の幌別役場に勤務する。その後、喜田貞吉と金田一京助が両親に大学進学を勧め、進学を決意した。 1930年、上京して東京・杉並の金田一家に逗留し、第一高等学校に150人中12番の成績で合格し入学。1933年3月に卒業。
矢島 武(やじま たけし、1909年(明治42年)2月23日… 矢島 武(やじま たけし、1909年(明治42年)2月23日 - 1992年(平成4年)3月17日)は、日本の農業経済学者。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授・元旭川大学学長。位階は正四位。北海道旭川市出身。北海道昭和期中頃における農業経済学の大家。渡邊侃門下。弟子には志賀永一や七戸長生、久保嘉治らがいる。 この他、農林省開拓営農振興審議会委員、文部省学術審議会専門委員、日本農業経済学会会長などを務めた。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
片倉 信光(かたくら のぶみつ、1909年(明治42年)2月… 片倉 信光(かたくら のぶみつ、1909年(明治42年)2月22日 - 1985年(昭和60年)5月3日)は、宮城県仙台市青葉区青葉町、仙台藩藩祖伊達政宗公を祭神とする、仙台市の一ノ宮、青葉神社の宮司。旧仙台藩家老・白石片倉氏第15代当主。父は14代健吉。
佐分利 信(さぶり しん、1909年2月12日 - 1982… 佐分利 信(さぶり しん、1909年2月12日 - 1982年9月22日)は、日本の俳優、映画監督。本名は石崎 由雄(いしざき よしお)。旧芸名に島津 元。 渋みのある演技で活躍した昭和期の二枚目俳優のひとりで、愛称は「サブリどん」。日活を経て松竹に入社し、上原謙・佐野周二と「松竹三羽烏」を結成して、戦前松竹の看板スターとして活躍した。戦後は監督業にも進出し、『執行猶予』『風雪二十年』『慟哭』などの社会派作品を発表した。1960年代はテレビドラマに活躍の場を移し、晩年は映画界に戻って貫禄のある演技を見せた。主な作品に『兄とその妹』『暖流』『戸田家の兄妹』『彼岸花』『華麗なる一族』『化石』など。女優の黒木しのぶは妻、俳優の石崎二郎は長男、ジャズ・アルトサックス奏者の石崎忍は孫に当たる。
佐々木 酉二(ささき ゆうじ、1909年(明治42年)2月6… 佐々木 酉二(ささき ゆうじ、1909年(明治42年)2月6日 - 1997年(平成9年)8月14日)は、日本の化学者。専門は、酵母菌などの細菌研究や微生物研究。学位は、農学博士(北海道帝國大學)。北海道大学名誉教授。北海道生まれ。 北海道庁乳規格調査会委員、文部省科学研究費等審議会委員、文部省学術奨励審議会委員、内閣資源調査専門委員などを歴任。 北海道大学教育学部、同医学部、同水産学部、帯広畜産大学、北海道教育大学、北海道栄養短期大学、天使女子短期大学、北星学園女子短期大学、北海道工業大学などの非常勤講師を務めた。
松本 秋男(まつもと あきお、1908年〈明治41年〉10月… 松本 秋男(まつもと あきお、1908年〈明治41年〉10月13日 - 1992年〈平成4年〉1月2日)は、日本の工学者・元官僚。工学博士。北海道大学名誉教授、元北見工業大学学長、元電気通信学会副会長。北海道札幌市出身。 1931年(昭和6年)北海道帝国大学工学部を卒業し、逓信省入省。国際電気通信(現KDDI)技術研究所長などを経て、1947年(昭和22年)北海道大学工学部教授。1959年(昭和34年)電気通信学会副会長。1970年(昭和45年)北海道大学停年退官。同名誉教授。1970年(昭和45年)北見工業大学理事・北見工業大学2代学長に就任。1978年北見工業大学退官。 電気工学を専門とし、伝達回路網学を研究。
栗谷川 平五郎(くりやがわ へいごろう、1908年10月4日… 栗谷川 平五郎(くりやがわ へいごろう、1908年10月4日 - 1993年2月20日)は、北海道名寄市出身のクロスカントリースキー、ノルディック複合選手。 戦前を代表する名選手の一人である。 旧制札幌第一中学校 → 札幌鉄道管理局(現・JR北海道鉄道事業本部) → 明治大学 → 札幌鉄道管理局 札幌一中から札幌鉄道管理局に入り、1928年の第6回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキーの個人30kmとリレーで優勝。その後明大に進み、1929年から31年までの全日本学生スキー選手権大会の個人18kmで3連覇した他、1930年の全日本スキー選手権大会のノルディック複合で優勝する。1932年レークプラシッドオリンピックでは、クロスカントリースキー個人長距離(18km)と個人耐久(50km)、ノルディック複合の3種目にエントリーする。
四ツ柳 高茂(よつやなぎ こうも/たかしげ)、1908年 <… 四ツ柳 高茂(よつやなぎ こうも/たかしげ)、1908年 <明治41年> 9月4日 - 1996年 <平成8年> 3月20日)は、日本の経営者。北海道電力社長を務めた。位階は従三位。北海道函館市出身。長男は化学工学者で東北大学名誉教授の四ツ柳隆夫。 函館の資産家、四ツ柳亮策・イシの長男として生まれる。 函館市住吉小学校(現・青柳小学校)、旧制函館中学校、旧制水戸高等学校を経て、1932年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。東京での生命保険会社勤務の後、肺結核に罹り故郷の函館に戻った後、1936年に帝国電力に入社、翌年には米屋を営んでいたヤエと結婚、5人の男児をもうける。1944年には乙種合格で徴兵され旭川通信隊を経て千島方面に配属が予定されるも五十音順で後の方になっていたことから配属漏れとなった。
稲葉 幸夫(いなば ゆきお、1908年9月4日 - 2001… 稲葉 幸夫(いなば ゆきお、1908年9月4日 - 2001年10月7日)は、日本の騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会所属)、調教師(日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会所属)。騎手としてロツクパークによる第1回横浜農林省賞典四歳呼馬(現・皐月賞)優勝など通算174勝。また調教師としては騎手兼業であった戦前期から顕著な成績を残し、八大競走13勝を含む通算1451勝を挙げた。特に牝馬の管理に長けたため「牝馬作りの名人」、「牝馬の稲葉」と称され、史上初の牝馬三冠トレーナーともなっている。1981年、黄綬褒章を受章。2004年、調教師顕彰者に選出され、中央競馬の殿堂入りした。
石川 義雄(いしかわ よしお、1908年(明治41年)6月9… 石川 義雄(いしかわ よしお、1908年(明治41年)6月9日 - 1994年(平成6年)3月26日)は、昭和時代の政治家。北海道名寄市長。 名寄市出身。東京帝国大学経済学部卒業。大野土建専務取締役。 1974年(昭和49年)より名寄市長に3選し、1986年(昭和61年)まで務めた。ほか、名寄軟式庭球連盟、名寄将棋連盟各会長などを歴任した。
長見 義三(おさみ ぎぞう、1908年5月23日 - 199… 長見 義三(おさみ ぎぞう、1908年5月23日 - 1994年4月21日)は、日本の小説家。 北海道夕張郡長沼町生まれ。北海道農産物検査所に勤めるかたわら創作を始める。1928年「母胎より塚穴へ」が「小樽新聞」の懸賞小説1等入選となる。上京して谷崎精二に師事、早稲田高等学院卒後、1938年早稲田大学文学部仏文科卒。八木義徳と親交を結ぶ。1939年『姫鱒』で第9回芥川賞候補。敗戦後は千歳市の米軍キャンプで通訳を務める。最初の妻(死別)は野村尚吾の妹。1985年千歳市文化功労賞受賞、1990年北海道文化賞受賞。
大野 百合子(おおの ゆりこ、1908年〈明治41年〉4月2… 大野 百合子(おおの ゆりこ、1908年〈明治41年〉4月24日 - 1938年〈昭和13年〉9月26日)は、日本の詩人。才能に恵まれながらも早世した女流詩人とされる。 1908年(明治41年)4月24日、北海道余市町で誕生した。1917年(大正6年)に小樽区に転居。小樽高等女学校(後の北海道小樽桜陽高等学校)に入学したが、病気により中退。上京して洋裁を学び、1926年(大正15年)に小樽洋服裁縫女学院を設立した。1932年(昭和7年)の解院までに、約200人の卒業生を送り出した。 20歳代から、詩作に本格的に取り組み、文学雑誌『新短歌時代』『詩歌建築』などに詩を投稿した。詩人の宮崎丈二に認められたことで、宮崎に師事し、1931年(昭和6年)、同人誌『河』に参加した。
湯川 盛夫(ゆかわ もりお、1908年2月23日 - 198… 湯川 盛夫(ゆかわ もりお、1908年2月23日 - 1988年3月16日)は、日本の外交官。 石川県出身。湯川宗理の子。 旧制室蘭中学、第一高等学校を経て、1933年(昭和8年)3月、東京帝国大学法学部卒業。大学在学中の1932年(昭和7年)10月、高等試験外交科及び行政科試験に合格。 1933年(昭和8年)外務省に入省、英国、スイス在勤を経て帰国後に通商局へ配属される。戦前から経済畑が長く、商工省、企画院、経済安定本部等への出向も経験している。なお、第二次世界大戦中には、海軍司政官、条約局第一課長の経験がある。 1951年(昭和26年)には国際経済局長(のち改組により経済局長)、1952年(昭和27年)在フランス日本国大使館参事官を経て、1954年(昭和29年)に帰国し国際協力局長を務め、及び1955年(昭和30年)には再び経済局長に就いた。
今川 憲次 (いまがわ けんじ IMAGAWA Kenji、… 今川 憲次 (いまがわ けんじ IMAGAWA Kenji、1908年1月20日 - 1984年4月17日)は、北海道・根室市出身の英文学者、南山大学名誉教授。 第八高等学校教授等を経て、南山大学で教鞭をとる。 中世英文学とカトリック系文学の解明をライフワークとした。 言語時評を中心とした軽妙洒脱なエッセイの書き手として活躍。 妻・蕁子(かずこ)は文化学院女学部の教師時代に、与謝野晶子の助手として師事。 同僚に、西村伊作、戸川秋骨、与謝野鉄幹、西脇マジョリーがいた。 今川の文学研究のありように関して、遠藤周作は他の欧米文学研究者と基本的にちがう点をあげ、「文学研究をとおして御自分の基督教を練磨」したことにあると、最高の賛辞をもって評した。
大久保 末吉(おおくぼ すえきち、1908年1月16日 - … 大久保 末吉(おおくぼ すえきち、1908年1月16日 - 1981年6月11日)は、日本の競馬騎手、調教師。 1929年に騎手デビュー。1955年より日本中央競馬会の調教師となり、1970年にメジロムサシで天皇賞(春)に優勝。俗に「メジロ軍団」と呼ばれた北野豊吉所有馬を数々手掛けた。1973年度中央競馬全国最多勝利調教師。 実子の大久保洋吉も日本中央競馬会調教師。ほか兄の大久保福蔵、大久保亀治、弟の三井末太郎らも騎手や調教師を務め、親族は競馬一族として知られる。 1908年、函館競馬場の近隣で大久保福松の三男として生まれる。父・福松は近代日本ホースマンの祖・函館大経の一番弟子であった。長兄に福蔵、次兄に亀治がおり、末子として「末吉」と名付けられた。
寒川 光太郎(さむかわ こうたろう、1908年1月1日 - … 寒川 光太郎(さむかわ こうたろう、1908年1月1日 - 1977年1月25日)は、日本の小説家。本名は菅原憲光(すがわら のりみつ)。北海道羽幌町出身。1940年、『密猟者』で第10回芥川龍之介賞を受賞した。 小学校教員だった父に伴い、8歳から樺太大泊に住む。1926年に北海中学校を卒業後、法政大学英文科に進むが中退。樺太と満州で新聞記者を務めた後に帰国し、喫茶店経営、日本共産党員、樺太庁博物館館員、雑誌編集などの職に就く。 1937年に上京。高円寺で経営していた古書店を家人に委ねて創作活動を続け(その古書店には埴谷雄高が通っていた)、同人誌「創作」創刊号に発表した『密猟者』で、1940年に芥川賞を受賞。
時任 巌(ときと いわお、1908年(明治40年)- 没年不… 時任 巌(ときと いわお、1908年(明治40年)- 没年不明)は、日本の水球選手で1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した。 1908年、北海道函館区(現在の函館市)に生まれる。北海道庁立函館中学校(現在の北海道函館中部高等学校)で水球に励み、早稲田大学を卒業した後は中華民国大連市の南満洲鉄道本社に勤務し、地方部地方課に所属した。1932年のロサンゼルスオリンピックでは水球の日本代表として出場した。フルバックのポジションでハンガリー戦、アメリカ戦、ドイツ戦の全てに出場したが、他の全ての日本選手と同じく、ゴール数は全て0に終わった。戦後は東京都北多摩郡保谷町(現在の西東京市)に暮らし、日本水泳連盟理事を務めた。
西田 直道(にしだ なおみち、1907年12月21日 - 1… 西田 直道(にしだ なおみち、1907年12月21日 - 1978年1月9日)は、日本の作曲家、指揮者。 北海道名寄市出身。同志社大学法学部卒業。在学中はマンドリンクラブに所属し、指揮をしていた菅原明朗から和声、対位法、管弦楽法、指揮法を学んだ。また池内友次郎からも対位法とフーガを学んだ。1941年にNHK札幌放送管弦楽団が創設されると、指揮者として招かれた。また札幌大谷短期大学(現在の札幌大谷大学短期大学部)や札幌商科大学(現在の札幌学院大学)などで指導にあたった。 1957年には北海道文化賞を受賞した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
粟山 ひで(粟山 秀、もみやま ひで、1907年12月13日… 粟山 ひで(粟山 秀、もみやま ひで、1907年12月13日 - 1996年5月18日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(4期)。衆議院議員を務めた粟山博は義父、同じく衆議院議員を務めた粟山明は弟。 北海道空知郡歌志内町(現・歌志内市)出身。生家は内科医であった。10歳の時、伊達郡桑折町に移る。福島県立福島高等女学校(現:福島県立橘高等学校)卒業後、日本女子大学で学ぶ。その後は義父の粟山博の秘書を務める。1959年義父が死去。 翌1960年の第29回衆議院議員総選挙で福島1区から自民党公認で立候補するが、次点に終わる。次の1963年の第30回衆議院議員総選挙で立候補して初当選し、以来連続4期務める。
山内 広(廣、やまうち ひろし、1907年(明治40年)9月… 山内 広(廣、やまうち ひろし、1907年(明治40年)9月16日 - 1974年(昭和49年)5月21日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 北海道室蘭郡室蘭町(室蘭区を経て現室蘭市)で生まれる。4歳の時に函館市に転居。1925年(大正14年)北海道庁立函館商業学校(現北海道函館商業高等学校)を卒業。 鉄道省に入省し函館駅貨物掛に就任。大山郁夫の演説に感銘を受け、1929年(昭和4年)濱口内閣の官吏減俸政策への職場の反対運動を主導した。太平洋戦争中に函館駅助役館俊三らと社会主義研究グループを結成し、戦後の労働運動解禁を受けて指導者となる。1946年(昭和21年)函館地方労働組合会議議長に就任。
吉川 静夫(よしかわ しずお、1907年〈明治40年〉8月2… 吉川 静夫(よしかわ しずお、1907年〈明治40年〉8月28日 - 1999年〈平成11年〉4月10日)は、日本の作詞家、詩人。 北海道札幌市生まれ、帯広市出身。北海中学(現:北海高等学校)、駒澤大学卒業。小学校の校長を経て、1936年(昭和11年)にキングレコードの「追分月夜」で作詞家デビュー。戦時中はヒット作に恵まれなかったが、戦後の1946年(昭和11年)に岡晴夫「青春のパラダイス」で復活。その後はビクター専属となり、津村謙「流れの旅路」、三浦洸一「落葉しぐれ」、三沢あけみ「島のブルース」、青江三奈「長崎ブルース」「池袋の夜」、森進一「女のためいき」、竹山逸郎「熱き泪を」などのヒット作を生んだ。
山内 壮夫(やまうち たけお、1907年(明治40年)8月1… 山内 壮夫(やまうち たけお、1907年(明治40年)8月12日 - 1975年(昭和50年)4月11日)は、日本の彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。郷里である北海道をはじめ、日本各地に多くの野外彫刻が設置されている。
青山ゆき路(あおやま ゆきじ 1907年8月11日 - 19… 青山ゆき路(あおやま ゆきじ 1907年8月11日 - 1993年2月27日)は、日本の小説家、歌人。石川県鵜川村(石川県鳳至郡に所在。町制施行し鵜川町となる。現:能登町。)に生まれ、1914(大正3)年に北海道小樽市に来る。父母の生業である理美容業を継ぐ。大正末期に並木凡平を知り、以来口語短歌一筋に70年の歌歴を積む。1927(昭和2)年並木凡平が「新短歌時代」を創刊するや編集同人として参画。主著に歌集「せせらぎ」「青空に描く」「海峡」など。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
山口 末吉(やまぐち すえきち、1907年6月20日 - 2… 山口 末吉(やまぐち すえきち、1907年6月20日 - 2003年1月27日)は、日本の経営者。日本製粉社長を務めた。北海道出身。 1929年に北海道帝国大学農学部農業実科を卒業し、同年に日本製粉に入社した。1938年に取締役に就任し、1961年に常務、1970年に専務、1972年に副社長を経て、1974年から1979年までに社長を務めた。 2003年1月27日肺炎のために死去。95歳没。
加森 勝雄(かもり かつお、1907年6月19日 - 199… 加森 勝雄(かもり かつお、1907年6月19日 - 1998年6月22日)は、日本の実業家。加森観光創業者。北海道帯広市出身。 北海中学校卒業、日本大学専門部法科中退。1930年に釧路市内の雑穀商に勤務し経営を学び、1933年釧路で製薬会社・星製薬の東北海道販売代理店を始めて成功をおさめる。その後1939年には星製薬の道内全域の事業を統一した星製薬北海道配給株式会社を創立する。 その後は大谷重工業社長の大谷米太郎が星製薬を買収した事をきっかけに医薬品事業から手を引き、1952年札幌で貸ビル業を開業し翌1953年に加森産業を設立。十分な資産を築いたこともあり昭和20年代末には実業界から手を引くことを考えたものの、知人から登別でのロープウェイ建設事業に熱心に誘われたことをきっかけに、1956年に登別温泉ケーブルを設立して観光業に事業を拡大し、1958年には登別クマ牧場を開設した。
赤松 俊秀(あかまつ としひで、1907年4月28日 - 1… 赤松 俊秀(あかまつ としひで、1907年4月28日 - 1979年1月24日)は、日本の歴史学者。北海道旭川市出身。 北海道鷹栖村(現旭川市)の真宗大谷派の寺院光岸寺に次男として生まれる。第三高等学校を経て京都帝国大学文学部史学科に進み、三浦周行・西田直二郎・中村直勝らに学ぶ。同期に清水三男がいる。卒業論文として「室町幕府の統制意識に関する一考察」をまとめ、1931年京都帝国大学文学部史学科卒。 京都府嘱託・主事として、府下の社寺宝物や史跡の調査に従事。1949年京都府教育委員会文化財保護課の初代課長。東寺百合文書のうち、東寺にて放置されたままであった文書群の存在を確認してその解読にあたり、その成果を「東寺百合文書」として発表する。
佐々 保雄(ささ やすお、1907年3月22日 - 2003… 佐々 保雄(ささ やすお、1907年3月22日 - 2003年5月16日)は、日本の地質学者・地球科学者・登山家。北海道大学名誉教授で日韓トンネル研究会名誉会長も務めた。北海道札幌市出身。父は函館高等水産学校校長を務めた佐々茂雄。 化石燃料などの資源開発に関する調査・立案や、青函トンネル建設の際の調査に携わった。
救仁郷 繁(くにごう しげる、1907年3月6日 - 200… 救仁郷 繁(くにごう しげる、1907年3月6日 - 2001年5月26日)は、日本の翻訳家、経済学者。 北海道札幌市生まれ。北海道帝国大学農学部農業経済学科卒。1962年「西ドイツの農業経済」で北海道大学農学博士。ソ連の農業経済などに関する著作を翻訳した。
武田 文吾(たけだ ぶんご、1907年2月19日(1907年… 武田 文吾(たけだ ぶんご、1907年2月19日(1907年12月28日説もあり) - 1986年12月3日)は、元騎手(京都競馬倶楽部、阪神競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬)、元調教師(阪神競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会〈JRA〉)。北海道石狩国札幌郡江別村(現・江別市)出身。1978年11月3日、勲五等双光旭日章を授章。1986年、正六位叙位。息子の武田博は日本中央競馬会の元騎手・元調教師。名馬シンザンの鞍上としてクラシック三冠を制した元騎手・元調教師の栗田勝は娘婿。 尾形藤吉とともに「東の尾形、西の武田」と並び称された名調教師。タケブン、ブンテキなどの愛称で親しまれた。五冠馬シンザン・二冠馬コダマ・牝馬二冠馬ミスオンワードなどの名競走馬、また栗田勝・福永洋一などの名騎手を育て、人馬両面において中央競馬、とくに関西地区の競馬の発展に大きな足跡を残した。
亀井 勝一郎(かめい かついちろう、1907年〈明治40年〉… 亀井 勝一郎(かめい かついちろう、1907年〈明治40年〉2月6日 - 1966年〈昭和41年〉11月14日)は、昭和期の文芸評論家、日本芸術院会員。 当初は左翼的政治運動に参加したが転向し、仏教思想に関心を深め、文芸評論や文明批評で活躍した。「日本浪曼派」を創刊。著書に『大和古寺風物誌』(1943年)、『現代史の課題』(1957年)など。 函館貯蓄銀行支配人の父・喜一郎、母・ミヤの長男として、北海道函館区(現・函館市)元町で生まれる。旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)では田中清玄、大野一雄と同期。旧制山形高等学校(現・山形大学)を経て、1926年(大正15年)に東京帝国大学文学部美学科に入学。
三橋 勲(みつはし いさお、1907年 - 1984年)は、… 三橋 勲(みつはし いさお、1907年 - 1984年)は、日本の実業家、学校経営者。元学校法人旭川大学理事長。北海道旭川市出身。 この他、公職として旭川経営者協会会長や、旭川ロータリークラブ会長、旭川信用金庫理事などを歴任。 髙木正雄『北海道建設人物事典』(北海道建設新聞、2008年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
入江 好之(いりえ よしゆき、本名:入江 好行、1907年(… 入江 好之(いりえ よしゆき、本名:入江 好行、1907年(明治40年) - 1989年(平成元年))は、日本の詩人・児童文学作家・教育者・経営者。 北海道小樽市生まれ。1928年(昭和3年)旭川師範学校(現・北海道教育大学旭川校)卒業。 在学中に詩誌「北斗星」を創刊。旧制中学校教諭]しながら、作詩活動を続け、詩誌「青光」を創刊。1936年(昭和11年)に第一詩集「あしかび」を刊行。その後官憲の弾圧を受け、教職を辞職し、1943年(昭和18年)に満州国に渡る。満州国日本人中学校の教員をしていたが、終戦。シベリア抑留を経て、1949年(昭和24年)に帰国。 1956年(昭和31年)北海道詩人協会の設立に参画し、同協会事務局長に就任( - 1976年(昭和51年))。
浅香 新八郎(あさか しんぱちろう、1906年12月1日 -… 浅香 新八郎(あさか しんぱちろう、1906年12月1日 - 1944年12月27日)は、日本の俳優である。本名は金谷 幸太郎(かなや こうたろう)。 1906年(明治39年)12月1日、北海道函館区に「金谷幸太郎」として生まれる。 1927年(昭和2年)、日活太秦撮影所に入社する。翌1928年(昭和3年)、デビュー作である志波西果監督の『無念丸橋忠弥』に主演した。同作以降、脇を固める役が多くなる。1932年(昭和7年)には日活を退社し、フリーランスの役者として、日活太秦作品にも日活と配給提携をしていた片岡千恵蔵プロダクション作品にも出演した。1935年(昭和10年)、第一映画設立に参加、高島達之助・溝口健二共同監督によるトーキー『お嬢お吉』に出演する。
倉増 新八郎(くらます しんぱちろう、1906年 <明治39… 倉増 新八郎(くらます しんぱちろう、1906年 <明治39年> 11月20日 - 1985年 <昭和60年> 9月22日)は、日本の実業家・政治家だった人物。位階は正五位。 北海道岩見沢市出身。岩見沢尋常高等小学校(現・岩見沢市立岩見沢小学校)卒業。合資会社を起業して社長業を営む。1942年岩見沢町議会議員に初当選。1943年岩見沢市に移行したのに伴い岩見沢市議会議員。以後、岩見沢市消防団長、岩見沢市議会議長や1973年北海道消防協会5代会長(~1982年)、1974年空知管内体育協会連絡協議会初代会長などを経て、1963年まで5期務めた。1963年北海道議会議員選挙に岩見沢市選出の無所属として初当選。
上田 勤(うえだ つとむ、1906年11月12日 - 196… 上田 勤(うえだ つとむ、1906年11月12日 - 1961年3月2日)は、英文学者。 北海道函館市生まれ。第三高等学校卒、東京帝国大学英文科卒、第四高等学校教授、第一高等学校教授ののち、戦後、東京大学教養学部イギリス科主任教授を務めるが在職中に急逝した。現代英国小説を専攻し、モーム評伝のほか、オルダス・ハクスリー、ヘンリー・ジェイムズ、アレグザンダー・ポープなどを翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小林 武(こばやし たけし、1906年11月3日 - 198… 小林 武(こばやし たけし、1906年11月3日 - 1987年4月4日)は、日本の政治家。日本社会党参議院議員(2期)。日本教職員組合中央執行委員長。 北海道石狩郡石狩町(現:石狩市)生まれ。1928年北海道札幌師範学校(現:北海道教育大学札幌校)卒。帯広市立三条中学校等の教師を務め、1951年北海道教職員組合委員長、1953年日本教職員組合委員長に就任する。勤務評定闘争や学力テスト闘争を指導し、1958年には高知県で闘争反対の父母の集団暴行に遭い重傷を負った。1962年に教職を辞めた。 日教組の日本社会党支持路線を決定し、1962年の第6回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。