北村 順次郎(きたむら じゅんじろう、明治時代後期 - 19… 北村 順次郎(きたむら じゅんじろう、明治時代後期 - 1984年(昭和59年)7月31日)は、日本の批評家、文筆家、ジャーナリスト。 北海道士別市出身。道北日報社元社長。 明治時代後期頃、北海道にて誕生。1925年5月に名寄新芸術協会を組織し、1926年には今野大力・小熊秀雄と芸術至上主義と政治的実践のどちらを優先すべきかを争って旭川新聞で論争した。1927年11月、集産党事件で他の名寄新芸術協会の会員と共に北海道で初めて治安維持法違反を理由として検挙される。 1974年には士別文芸にて当時の論争を振り返る記述をする。この頃、道北日報社にて社長となる。1978年(昭和53年)には『士別市民文芸』の創刊号で編集委員長を務めた。
北 健一郎(きた けんいちろう、1982年7月6日 - )は… 北 健一郎(きた けんいちろう、1982年7月6日 - )は日本のスポーツジャーナリスト。株式会社ウニベルサーレ代表取締役CEO。 北海道旭川市出身。日本ジャーナリスト専門学校卒業後、放送作家事務所を経て、2005年から4年間「ストライカーDX」(学研)の編集者として働く。 2009年3月に独立してフリーランスに。サッカーとフットサルを中心に活動する。 その後元ホリプロの飯田修平が設立したポリバレント株式会社所属を経て、2021年4月に株式会社ウニベルサーレを創業。ポリバレント株式会社からスポーツオンラインアカデミー「WHITE BOARD」事業を譲受し、2023年にイミオから株式会社イミオからフットサル専門メディア「SAL」を譲受、スポーツメディアの自社事業化に取り組む。
八幡 淳(やはた じゅん、1974年6月23日 - )は、ラ… 八幡 淳(やはた じゅん、1974年6月23日 - )は、ラジオDJ、スタジアムDJ、ナレーター、スポーツジャーナリスト。 北海道小樽市朝里生まれ。朝里小学校、朝里中学校、北海道小樽桜陽高等学校、札幌大学卒業。既婚。 大学卒業後一般企業に就職後、2002年にFM NORTH WAVEでラジオDJデビュー。その後、道内各局でパーソナリティを担当する。 スポーツジャーナリストとして、北海道日本ハムファイターズ関連の記事執筆や、スタジアムDJとしても活動する。 サンデースタジアムDOingで共演していた谷藤博美は小学校、中学校の14年後輩となる。
坪田 敦史(つぼた あつし、1973年3月10日 - )は、… 坪田 敦史(つぼた あつし、1973年3月10日 - )は、ライター、ジャーナリスト。北海道出身。
工藤 雪枝(くどう ゆきえ、1965年3月14日 - )は、… 工藤 雪枝(くどう ゆきえ、1965年3月14日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家。国家論、安全保障論に関する執筆を行っている。 北海道美幌町に生まれ、その後陸上自衛官である父親の転勤に伴って全国各地に移り住む。高校在学中にAFS財団プログラム留学生として米国に1年間留学した。 岡山県立津山高等学校へ進学し、同期には稲葉浩志がいた。津山高校を経て、1988年(昭和63年)に東京大学法学部を卒業、その後ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で経済学修士号を取得した。経済学の分野でも特にブラック・マートンらのデリバティブ価格理論を研究。本人曰くもともとは東大志望ではなく、高校時代成績優秀だったため志望を変更させられたという。
諸星 清佳(もろほし さやか、1965年2月24日 - )は… 諸星 清佳(もろほし さやか、1965年2月24日 - )は、日本の男性ジャーナリスト。北海道釧路市生まれの札幌市育ち。旧姓は吉井。 北海道札幌西高等学校、東京外国語大学中国語学科卒業。中国現代文学を専攻。大学在学中からルポを書き始め、学内誌に山谷の潜入ルポなどを載せる。 北海道新聞記者を経て、東京外国語大学大学院地域文化研究科博士前期課程修了。歴史文化論を修める。1987年9月-1989年2月、武漢大学、1991年9月-1992年7月、北京大学に留学。 『週刊金曜日』に同誌としては最初の長編ルポ「赤い夢から覚めて――改革開放下の中国を行く」を連載するが、編集部の中共礼賛派に様々な妨害を受けた。
草薙 厚子(くさなぎ あつこ、1964年7月21日 - )は… 草薙 厚子(くさなぎ あつこ、1964年7月21日 - )は、北海道出身の女性ジャーナリスト、ノンフィクション作家。日本文藝家協会会員。明治学院大学社会学部卒業。元東京少年鑑別所法務教官。 2002年から2003年にかけて、森昭雄が提唱する「ゲーム脳」を少年犯罪と結びつけた記事を執筆し、この仮説を「科学的に正しいもの」であるとしている。また、「川島隆太が『テレビゲームが脳に悪影響を与える』と発言した」とする記事も書いている。 2007年6月5日、奈良家庭裁判所が、奈良自宅放火母子3人殺人事件を取材した著書『僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真実』について「少年審判に対する信頼を著しく損ない、関係者に苦痛を与えかねない」として、草薙と講談社に抗議文を送る。
鴨志田 穣(かもしだ ゆたか、1964年7月2日 - 200… 鴨志田 穣(かもしだ ゆたか、1964年7月2日 - 2007年3月20日)は、日本のフリージャーナリスト、カメラマン、エッセイストである。 神奈川県川崎市出身。北海道札幌市で育つ。北海道教育大学附属札幌小学校、北海道教育大学附属札幌中学校を経て東海大学付属第四高等学校を卒業し、予備校に2年通った後に大学進学を諦め、上京。新宿のやきとり屋で働きながら戦場カメラマンへの憧れを募らせる。 アルバイトで貯めた金でカメラを買い、23歳で単身タイに渡り、アジア各国を放浪。ジャーナリストの橋田信介に出会い弟子入り。戦場カメラマンとして世界中の紛争地帯での取材活動を行う。クメール・ルージュの捕虜となり新聞に載り、この事件で初めてフリーライターとして世間に名前が出る。
山本 譲司(やまもと じょうじ、1962年〈昭和37年〉9月… 山本 譲司(やまもと じょうじ、1962年〈昭和37年〉9月20日 - )は、日本の政治家、ジャーナリスト、訪問介護員。れいわ新選組所属の衆議院議員(3期)。同党幹事長(2代目)。元東京都議会議員(2期)。 山本 ジョージとも表記される。社会活動家として、更生保護法人「同歩会」の理事、出所者支援機構「生活再建相談センター」の運営委員、「東京都更生保護就労支援事業者機構」の理事も務めている。 北海道札幌市生まれ、佐賀県育ち。佐賀県立三養基高等学校を経て、早稲田大学教育学部卒業(ゼミは政治学を専攻、指導教授は萩野浩基、同ゼミ生に辻元清美)。 社会民主連合代表の菅直人の新聞公募秘書(公設秘書)を経て、1989年東京都議会議員選挙に立川市選挙区から「菅直人の秘書」を看板に立候補し初当選。
人羅 格(ひとら ただし、1962年 - )は、日本のジャー… 人羅 格(ひとら ただし、1962年 - )は、日本のジャーナリスト、政治記者。毎日新聞社論説委員。北海道札幌市出身。東北大学法学部卒業。 人羅格は、毎日新聞社で政治記者として国政や地方の動きを取材してきたジャーナリストである。1985年に毎日新聞社に入社し、1989年から政治取材に携わる。政治部官邸キャップとして首相官邸の取材を担当し、政治部デスク、政治部副部長などを経て、2008年4月から論説委員を務めている。政局取材を主に担当したほか、地方自治を専門領域としている。 2025年現在は全国町村会のコラムで地方創生や地域課題をテーマに執筆を行っているほか、週刊エコノミストの「東奔政走」で政治分析の記事を発表している。
森 省歩(もり せいほ、男性、1961年(昭和36年) - … 森 省歩(もり せいほ、男性、1961年(昭和36年) - )は、日本のジャーナリスト。北海道えりも町出身。 1985年(昭和60年)、慶應義塾大学文学部フランス文学科卒。株式会社ぎょうせい勤務を経て、1992年(平成4年)、ジャーナリストとして独立。以後、月刊誌や週刊誌を中心に、幅広いテーマで記事を発表しているが、政界の暗部を抉るルポルタージュの分野で定評がある。 中でも、『文藝春秋』2001年(平成13年)2月号「金大中拉致事件28年目の真実/木村証言で『闇の扉』が開いた/角栄死して七年。腹心中の腹心はなぜ語ったか」、『現代』2002年(平成14年)5月号「田中角栄の元側近『36年目の衝撃証言』/『私は原発用地売却代金4億円を目白へ運んだ』」は、田中角栄元首相による秘密工作を活写したスクープとして注目を浴びた。
小坂 洋右(こさか ようすけ、1961年 - )は、日本のジ… 小坂 洋右(こさか ようすけ、1961年 - )は、日本のジャーナリスト・紀行評論家。 北海道札幌市生まれ、旭川市育ち。北海道大学文学部卒。英オックスフォード大学ロイター・ファウンデーション・プログラム修了。アイヌ民族博物館学芸員などを経て北海道新聞記者、編集委員。 北海道庁公費乱用問題では、取材班のメンバーとして活躍し、新聞協会賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)奨励賞を受賞。 2024年「アイヌの時空を旅する 奪われぬ魂」で和辻哲郎文化賞および斎藤茂太賞受賞。
曽我部 司(そがべ つかさ、1958年 - )は、日本のジャ… 曽我部 司(そがべ つかさ、1958年 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、デザイナー。 北海道出身・在住。北海道札幌東高等学校卒業。1991年から取材活動を開始し、パプアニューギニアのフリ族や旧ユーゴスラビアの民族紛争を取材。94年春にボスニア・ヘルツェゴビナ郊外のスレブレニッツァの取材中に被弾して帰国。その後、チェコ共和国のプラハに取材の地を求める。 チェコ共和国での5年間の取材の後、2000年、『ホッケー69-チェコと政治とスポーツと』を発表し、本作で第9回開高健賞奨励賞を受賞した。2003年には、徹底した取材と検証による書き下ろし作品『北海道警察の冷たい夏-稲葉事件の深層』を発表。
水島 宏明(みずしま ひろあき、1957年(昭和32年)10… 水島 宏明(みずしま ひろあき、1957年(昭和32年)10月21日 - )は、日本のジャーナリスト、メディア研究者。元上智大学文学部新聞学科教授。元法政大学社会学部メディア社会学科教授。専門はテレビ報道論、デジタルジャーナリズム、ドキュメンタリー制作、貧困報道。長らくテレビディレクターやテレビプロデューサーを務めた。 北海道札幌市出身。北海道札幌北高等学校を経て、1982年に東京大学法学部を卒業。同年から札幌テレビ放送 (STV) で勤務を始め、記者としてNNNロンドン特派員(1988年~1992年)や同ベルリン支局長(1998年~2003年)などを務めた。 テレビディレクターをしていた1987年、札幌市白石区の母子家庭でDV被害者のシングルマザーが生活保護を申請できずに餓死した「札幌母親餓死事件」を知り、生活保護制度の問題点をまとめたドキュメンタリー番組『母さんが死んだ―生活保護の周辺』を手掛けた。
佐藤 和孝(さとう かずたか、1956年(昭和31年)2月2… 佐藤 和孝(さとう かずたか、1956年(昭和31年)2月25日 - )は、日本のジャーナリスト。北海道帯広市出身。ジャパンプレスの代表。 出身地の高校卒業後に東京写真専門学校に入学し、中退。1980年(昭和55年)に戦場カメラマンとしてアフガニスタン紛争の取材を行う。その後、ビデオジャーナリストに転進する。1980年代より、アフガニスタン紛争やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争などを取材してきた。1996年(平成8年)以降は山本美香と共同で取材。 2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ発生後も現地に留まり、日本テレビの中継などを通じて報道を続けた。2003年には、イラク戦争開始直前にバグダードに入り、ニュースプラス1、きょうの出来事などで現地のリポートを送り続けた。
北丸 雄二(きたまる ゆうじ、1955年5月21日 - )は… 北丸 雄二(きたまる ゆうじ、1955年5月21日 - )は、日本のジャーナリスト、翻訳家、作家。 北海道出身。北海道札幌南高等学校卒業。 毎日新聞社から東京新聞(中日新聞 東京本社)で社会部畑を歩んだ後、1993年から1996年まで同紙ニューヨーク支局長。その後退社して独立しフリーランスに。 約25年ニューヨークに居住したまま、現地からアメリカの政治、社会、文化情報を日本に向けて発信。2018年に日本に帰国し、以降東京を拠点としてTBSラジオやTOKYO FM、J-WAVE、文化放送、YouTube番組「デモクラシータイムス」などで、主に米国政治や社会事情についてニュース解説を行う。トランプ政権や「トランピズム」に否定的な論考を示している。
青木 謙知(あおき よしとも、1954年12月6日 - )は… 青木 謙知(あおき よしとも、1954年12月6日 - )は、日本の航空ジャーナリスト。日本テレビ客員解説員。 北海道札幌市出身。1977年立教大学社会学部卒業後、父親の青木日出雄が主筆を務める航空ジャーナル社入社。1984年1月から月刊『航空ジャーナル』編集長。1988年、父の死去に伴い同媒体の廃刊後は、フリーランスの航空ジャーナリストとしてテレビや雑誌などで活動しており、月刊『エアワールド』の編集委員も務める。また、かつてのバラエティ番組『TVブックメーカー』のレギュラーとしても知られていた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
金平 茂紀(かねひら しげのり、1953年12月18日 - … 金平 茂紀(かねひら しげのり、1953年12月18日 - )は、日本のジャーナリスト。TBS報道局記者・ニュースキャスター・ディレクター。早稲田大学大学院政治学研究科客員教授。2010年9月から2016年3月まで、TBSテレビ執行役員。 北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校から東京都立西高等学校に転入(都立西高の同期には、日本語学者の金田一秀穂、毎日新聞特別編集委員の倉重篤郎、宗教学者の島田裕巳らがいる)。1972年に東京大学に入学し、その後文学部社会学科に進学。1977年に卒業し、TBSに入社。同期にはアナウンサーの神津栄子、吉川美代子らがいる。報道局に配属。
北村 浩史(きたむら ひろし、1953年〈昭和28年〉8月9… 北村 浩史(きたむら ひろし、1953年〈昭和28年〉8月9日 - )は、日本の批評家、小説家、詩人、エッセイスト、ジャーナリスト。 小説家としての名は北村 洪史(きたむら ひろし)。 北海道士別市出身。道北日報社社長。 本名は北村浩史であるが、小説家としての活動は北村洪史(きたむら ひろし)の名義で行っている。 「洪史」には「こうじ」と振り仮名が付けられていることが多い。1992年に北方文芸賞を受賞した「ファミリー」は、『北方文芸』掲載時は「洪史」の振り仮名は「ひろし」であったが、1993年に講談社が出版した単行本の奥付では「こうじ」と振り仮名がつけられているほか、新刊広告にも「こうじ」と読ませているものがある。
外岡 秀俊(そとおか ひでとし、1953年5月22日 - 2… 外岡 秀俊(そとおか ひでとし、1953年5月22日 - 2021年12月23日)は、日本の小説家、ジャーナリスト、元朝日新聞社東京本社編集局長。別名に中原清一郎。 北海道札幌市中央区出身。父は淡水魚卸業経営、母は裏千家茶道教授。三人兄弟の末子で次男。 北海道学芸大学附属札幌小学校、北海道学芸大学附属札幌中学校から北海道札幌南高等学校に入学し、剣道部に所属するかたわら学園闘争に参加。暫定生徒会執行部で生徒会長を務め、全校生徒集会でストライキ決議を行う。高校の同級生には、作家の久間十義や経済学者の高橋伸彰がいる。 東京大学文科Ⅰ類進学後に初小説『白い蝙蝠は飛ぶ』を発表し、学友会「銀杏並樹賞」受賞。
林 美香子(はやし みかこ、旧姓:松原、1953年4月12日… 林 美香子(はやし みかこ、旧姓:松原、1953年4月12日 - )は、北海道札幌市出身のフリーキャスター・ジャーナリスト(エコライフ・フード・農業)・ラジオパーソナリティー。元札幌テレビ放送アナウンサー。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
湯浅 健二(ゆあさ けんじ、1952年5月11日 - )は、… 湯浅 健二(ゆあさ けんじ、1952年5月11日 - )は、日本のサッカージャーナリスト、サッカー指導者。北海道出身。
千葉 展正(ちば てんせい、1952年 - )は日本のジャー… 千葉 展正(ちば てんせい、1952年 - )は日本のジャーナリスト、評論家、マスキュリスト。中央大学法学部出身。反フェミニズムの活動を行っている。 北海道芦別市に生まれる。1977年から1996年まで共同通信社に記者として勤める。退社の後はフリーランサーとして『世界日報』や『國民新聞』など右派系の媒体に寄稿している。選択的夫婦別姓制度、ジェンダーフリー、DV防止法などの政策に対して、「フェミニズムに基づいている」などとして批判的な姿勢を取る。現在(2004年)は千葉県に在住。フェミニストとして知られる堂本暁子が同県の知事に当選し、女性優遇政策を推し進める方針を表明すると、反対運動に参加する。女子教育は良妻賢母を育成する目的で行われるべきだと考えており、同旨の理念を校訓とする大妻女子大学を称揚している。
佐藤 のりゆき(さとう のりゆき、1949年11月18日 -… 佐藤 のりゆき(さとう のりゆき、1949年11月18日 - )は、北海道旭川市生まれのブロードキャスター、ジャーナリスト、ソムリエ ドヌール、元アナウンサー。愛称は「のりさん」。 1949年、北海道旭川市生まれ。生後まもなく札幌市へ。 1968年、北海道札幌北高等学校卒業。 1972年、北海学園大学法学部法律学科卒業(在学中は菅原勝伴ゼミ)。在学中、東京アナウンスアカデミーで修学。 同年4月、北海道放送(HBC)にアナウンサーとして入社。同期には横田久、中田美知子がいる。 1994年1月、HBCを退社。フリーアナウンサーに転身した。北海道文化放送の帯番組『のりゆきのトークDE北海道』の司会を18年間・4300回 務めた。
手嶋 龍一(てしま りゅういち、1949年7月11日 - )… 手嶋 龍一(てしま りゅういち、1949年7月11日 - )は、日本のジャーナリスト・作家。「外交ジャーナリスト」を自称する。ニッポンドットコム理事長。 北海道芦別市出身。父は炭鉱主で、裕福な家庭だった。 北海道岩見沢東高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。 1974年、NHKに入局。室蘭放送局、横浜放送局、横須賀支局を経て、政治部に異動し、外務省、首相官邸、自由民主党などを担当する。 1987年、ワシントン支局に赴任。1990年代初めには、湾岸戦争前後のアメリカでの取材をもとに執筆したノンフィクション『ニッポンFSXを撃て』『一九九一年日本の敗北』を出版する。 1994年、ハーバード大学国際問題研究所(CFIA)のシニアフェローとなり、『文明の衝突』の著者サミュエル・ハンティントンや、国防次官補を務めたジョセフ・ナイ、ブライアン・ヘア、リベラル派の代表的論客であるスタンレー・ホフマンらの指導を受けた。
岩田 公雄(いわた きみお、1949年6月3日 - )は、日… 岩田 公雄(いわた きみお、1949年6月3日 - )は、日本のジャーナリスト、学校法人学習院フェロー。 かつては讀賣テレビ放送報道局特別解説委員(元解説委員長)、元同局アナウンサー。大阪大学人間科学部、立命館大学産業社会学部非常勤講師、21世紀臨調運営委員(民間政治)、学習院大学法学部特別客員教授、BS11「報道ライブ インサイドOUT」メインキャスターを務めた。 北海道旭川市生まれ。1974年学習院大学法学部卒業後、読売テレビにアナウンサーとして入社。報道記者に転身後、グリコ・森永事件や日本航空123便墜落事故など国内の数々の重要事件・事故を担当。その後1986年10月タイ航空機爆発事件取材でマニラに派遣され、その後三井物産マニラ支店長誘拐事件を取材、それがきっかけで1987年にNNNマニラ初代支局長となる。
佐々木 伸(ささき しん、1948年 - )は、日本のジャー… 佐々木 伸(ささき しん、1948年 - )は、日本のジャーナリスト、星槎大学大学院教授、共同通信社客員論説委員。 1948年、北海道茅部郡森町出身。函館ラ・サール高等学校、早稲田大学商学部を卒業後の1972年4月、共同通信社に入社。外信部畑でバグダッド、テヘラン移動特派員を5年、ワシントン特派員を5年、ベイルート支局長、カイロ支局長を経て外信部副部長を歴任。 2003年6月19日付で、ニュースセンター長、2004年9月1日付で編集局長。しかし、編集局長時代、2004年11月、イラク日本人人質事件の誤報問題での業務、監督責任にて編集局長の任を更迭され、総務総本部付。 2005年4月1日付で総務局長、総務局長時代は共同通信会館専務も兼任。
和多田 進(わただ すすむ、1945年10月5日 - 201… 和多田 進(わただ すすむ、1945年10月5日 - 2016年6月22日)は、日本のジャーナリスト、編集者、実業家。晩聲社創立者、週刊金曜日初代編集長・社長。筆名に轍寅次郎(わだち とらじろう)。 1945年、北海道十勝管内幕別町札内に生まれる。中学3年の時、60年安保闘争のデモに参加。北海道帯広柏葉高等学校時代に民青同盟に加入し、1963年、日本共産党入党(党費滞納を理由に30代半ばで除名)。 1968年に法政大学社会学部を卒業し、サイマル出版会、総合雑誌「時代」編集部を経て、1972年徳間書店グループの現代史出版会の設立に参加。1976年にルポルタージュ専門の出版社「晩聲社」を創立する。1988年、編集プロダクション「鐵五郎企画」を創設。
鈴木 正俊(すずき まさとし、1940年1月14日 - )は… 鈴木 正俊(すずき まさとし、1940年1月14日 - )は、日本の経済学者、ジャーナリスト。 北海道室蘭市生まれ。東京大学経済学部卒、1969年同大学院博士課程満期退学。ハーバード大学・イエール大学・総合研究開発機構客員研究員、日本経済新聞社編集委員などを経て、拓殖大学政経学部教授。2010年定年退職。
見谷 昌禧(みたに まさよし、1938年1月5日 - )は、… 見谷 昌禧(みたに まさよし、1938年1月5日 - )は、日本の元アルペンスキー選手、スキー指導者、スキージャーナリスト、スキー技術研究家。 見谷スキースクール会長。国際スキージャーナリスト協会(AIJS)会員。 戦後北海道小樽市に移る。小樽潮陵高時代、全国高等学校スキー大会の大回転で優勝する。 卒業後、早稲田大学に進み、1959年の第37回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技では、回転で猪谷千春に次いで2位となり、翌1960年のスコーバレーオリンピッの代表に選出される。同オリンピックでは、アルペンスキーの滑降で53位、大回転で33位となったが、回転では失格した。 1962年には、フランス・シャモニーで開催された世界選手権と、スイス・ヴィラールで開催されたユニバーシアードに出場し、世界選手権では回転で21位、大回転で28位、ユニバーシアードでは回転で3位に入賞した。
竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は… 竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は、日本の元編集者・ジャーナリスト。八戸ペンクラブ顧問。 北海道函館市生まれ。1946年台湾より引揚げて父の郷里青森県弘前市和徳町へ。翌年母の郷里八戸市六日町へ移り、1955年八戸高等学校卒業(高七回生)。アルビオン英語学校一期生として中高5年間薫陶を受けた漆山終吉校長の母校でもある東京外国語大学英文学科を卒業。 1959年2月に文藝春秋新社(のちの株式会社文藝春秋)に入社。雑誌「週刊文春」月刊「文藝春秋」「文學界」の編集や、出版部で書籍編集に携わる。1977~79年「諸君!」編集長ののち、出版局長、編集局長、営業局長、総務局長、常務取締役を経て2000年6月退任。
吉田 ルイ子(よしだ ルイこ、1934年7月10日 - 20… 吉田 ルイ子(よしだ ルイこ、1934年7月10日 - 2024年5月31日)は、日本の写真家、ジャーナリスト。 北海道室蘭市出身。父親は鉄鋼会社の重役であり、裕福な家庭に育つ。小学校時代に同じ学校に通っていたアイヌの生徒への差別を目の当たりにしたことでジャーナリストの道を志す。東洋英和女学院中学部・高等部を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。 NHK国際局の嘱託を経て、朝日放送にアナウンサーとして勤務。1961年、フルブライト交換留学生として渡米し、オハイオ州立大学とコロンビア大学で学び、フォトジャーナリズム専攻で1964年にコロンビア大学より修士号を取得した。 コロンビア大学在学中に、リベラルの白人男性と結婚。
草野 洋(くさの ひろし、1934年 -没年不明 )は、日本… 草野 洋(くさの ひろし、1934年 -没年不明 )は、日本のジャーナリスト。北海道夕張市生まれ。主に政治・企業・官公庁を専門に活動する政治経済ジャーナリスト。日本作家クラブ理事、社団法人日本地方新聞協会日本報道クラブ副代表幹事、内閣府認証日本INGO副理事長。JLNAブロンズ賞受賞、日本作家クラブ文芸賞受賞(2回)。 1934年、北海道夕張市に生まれる。旧樺太へ渡り戦後引き上げ、室蘭の食品会社に勤務。1960年、作家を志して上京し、同志25名と文芸同人誌『黄鹿文学』を発行し主宰する。1974年、40歳の時、ジャーナリストとして独立。 1976年、月刊誌『新政経』を創刊。1984年、月刊誌を改名し会員制情報誌『新政経情報』として発刊。
小林 恵(こばやし けい、1933年 - 2016年9月30… 小林 恵(こばやし けい、1933年 - 2016年9月30日)は、キルトを紹介した日本のジャーナリスト。 北海道旭川市出身。本名小林恵子。北海道旭川北高等学校卒、専門学校北海道ドレスメーカー学院で学び、上京して杉野学園デザイン科・製帽科卒。ベルモード、アンディンケンで帽子デザイナーとして勤務ののちケイシャポーアトリエを主宰。 1964年にニューヨークに渡り、装身具の販売店を起こす。1983年に店を撤収、フリーのライターとなり、アメリカの暮らしの文化を日本に紹介し、キルトなどを普及させた。
木元 教子(きもと のりこ、1932年12月19日 - )は… 木元 教子(きもと のりこ、1932年12月19日 - )は、日本のエネルギー政策の評論家、ジャーナリスト。旧姓、町田(まちだ)。 夫はTBSを経て、現在青森テレビ監査役、息子二人(内の一人は、お笑いサイエンスライターの植木不等式)。実母は、生活評論家の町田貞子。 北海道苫小牧市生まれ。中国(旧満州)で育つ。 4歳の時、父の仕事で旧満州の吉林省敦化に移住。終戦の1年前に、父が南方に出征したため、北朝鮮の羅津から新潟港へ最後の貨客船で帰国している。そのため同年代の中国残留日本人や、北朝鮮による日本人拉致問題に対しては深い思い入れがある。 東京都立豊島高等学校、立教大学文学部英文科、立教大学法学部卒業。
菅原 安信(すがわら あんしん、1932年or1933年 -… 菅原 安信(すがわら あんしん、1932年or1933年 - 2013年3月24日)は、日本のジャーナリスト。北海道テレビ放送(HTB)、北海道放送(HBC)でアナウンサーを務めた。 函館市生まれ。1955年、明治大学法学部を卒業し、北海道放送(HBC)に入社。同局で14年間アナウンサーを務める その後、1969年に北海道テレビ放送(HTB)へ移る。編成部長兼製作部長、週刊ミレ事業部長などを務め、アナウンサー職から遠ざかっていたが、1981年10月、『ニュースロータリー』のキャスターとなる。自ら口ひげをトレードマークとし、「ヒゲのニュースキャスター」として親しまれた。番組の冒頭には毎回欠かさず「ごきげんよう!!菅原安信です」とスタジオ見学者や視聴者に挨拶していた。
小松 錬平(こまつ れんぺい、1929年3月31日 - 20… 小松 錬平(こまつ れんぺい、1929年3月31日 - 2010年代前半)は、日本のジャーナリスト、元朝日新聞東京本社記者、元ニュースキャスター。故人。 北海道釧路市出身。1952年に東京大学農学部水産学科を卒業後、朝日新聞社へ入社。社会部・東京部・科学部各次長などを経て、1972年から編集委員。1974年『朝日新聞テレビ夕刊』の解説役でテレビ初出演。1976年4月から『ANNニュースレーダー』(NET→テレビ朝日)のキャスターを担当し、以後約10年間(途中、『ANNニュースファイナル』担当による中断時期あり)にわたってテレビ朝日の夕方の顔として活躍した。 1989年に朝日新聞社を退社。その後、神奈川新聞客員論説委員や日本鯨類研究所評議員を歴任。
峰岸 久(みねぎし ひさし、1924年5月5日 - 2023… 峰岸 久(みねぎし ひさし、1924年5月5日 - 2023年11月17日)は、日本の翻訳家、ジャーナリスト。本名、埜邑 義道(のむら よしみち)。日本記者クラブ会員、日本文芸家協会会員。峯岸 久の表記もある。 北海道函館市生まれ。1952年東京大学仏文科卒。同年、日本新聞協会に入会。会報・編集各課次長、広告課長、業務部長兼経営部長、国際部長。1979年、事務局次長、同年理事待遇。1989年4月欧州駐在代表。 一方、翻訳家としてジョン・ウィンダム、J・G・バラード、クリフォード・D・シマックなどのSFを主として翻訳した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
河原 敏明(かわはら としあき、1921年 - )は、日本の… 河原 敏明(かわはら としあき、1921年 - )は、日本の皇室ジャーナリスト。元拓殖大学客員教授。 北海道旭川市生まれ。1935年(昭和10年)、東京府東京市(現在の東京都)に移住。明治大学専門部経営学科と東京教育大学文学部史学聴講課程に学ぶ。『婦人倶楽部』(講談社)増刊のグラフ誌『皇族画報』や『華族画報』に親しんだことが皇室に興味を抱くきっかけとなる。 1955年(昭和30年)、伊馬春部とともに執筆した原案をもとに脚本家の金貝省三がストーリーを執筆、長谷川公之が脚本化した『皇太子の花嫁』を、新東宝が小森白を監督に製作、同年4月5日に公開した。1952年(昭和27年)ごろから皇室ジャーナリストを自称するようになり、「皇室秘話」とされるエピソードの類を数多く発表する。
宮崎 吉政(みやざき よしまさ、1915年8月8日 - 20… 宮崎 吉政(みやざき よしまさ、1915年8月8日 - 2006年3月3日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。
平岡 敏男(ひらおか としお、1909年(明治42年)9月1… 平岡 敏男(ひらおか としお、1909年(明治42年)9月18日 - 1986年(昭和61年)8月6日)は、日本のジャーナリスト、実業家。 毎日新聞社社長(1976年2月 - 1980年12月)。 北海道旭川市出身(留萌市生まれ)。弘前高等学校では新聞部に所属し、一期下の太宰治とも親交があった。1932年に東京帝国大学経済学部を卒業し、東京日日新聞社(後の毎日新聞東京本社)に入社。経済部記者、東京本社経済部長、論説委員、ロンドン支局長などを経て、1963年取締役。1966年西部本社代表、1968年常務。 1976年2月、巨額の負債を抱え、経営危機に瀕していた毎日新聞社の社長に就任。永野重雄に救済を仰ぎ、翌年「新旧分離方式」の経営再建の方針を固め、登記上の本社で発行部門を担当していた大阪本社を、負債の整理・清算に専念させ(「株式会社毎日(旧社)」)、東京本社(編集部門)と経営を一本化させる形で、新たに東京に新会社「毎日新聞株式会社(新社)」を設立した。
前田 義徳(まえだ よしのり、1906年(明治39年)1月3… 前田 義徳(まえだ よしのり、1906年(明治39年)1月31日 - 1983年(昭和58年)12月17日)は、日本の放送経営者、ジャーナリスト。 第10代NHK会長。ワンマン会長として組織の拡大充実に努め、『NHK中興の祖』と仰がれた。 北海道旭川市出身。庁立旭川中学校を経て東京外語学校(現東京外国語大学)イタリア語科卒業後、ヨーロッパに留学、ローマ大学法科に学ぶ。 1936年朝日新聞ローマ支局に現地入社、記者としてイタリアのエチオピア侵入(第二次エチオピア戦争)などをスクープ。1947年大阪本社外報部長を最後に退社。 出版社経営を経て1950年、NHKに解説委員として入局。その後報道局長・編成局長・専務理事・副会長などを経て1964年、阿部眞之助会長が在職中に死去した事に伴い会長就任、1973年まで務めた。
萬 直次(よろず なおじ、1902年1月5日 - 1973年… 萬 直次(よろず なおじ、1902年1月5日 - 1973年12月12日)は、日本のジャーナリスト、新聞社経営者。元日本経済新聞社社長。北海道小樽市出身。 1926年に早稲田大学政経学部を卒業し、中外商業新報社(現日本経済新聞社)に入社。政治部記者・編集局次長・工務局長などを歴任し、1945年に取締役となる。その後常務・専務を経て、1956年社長に就任。就任後は積極的な経営政策をとり、設備の近代化・通信網の拡大・マーケティング活動の拡張などを推進した他、1964年には東京・大手町に新社屋を建設した。経済専門紙としての同紙の飛躍的な発展の基を築き、後任社長の圓城寺次郎とともに「中興の祖」と呼ばれる。
鹿間 孝一(しかま こういち)は、日本のジャーナリスト、コラ… 鹿間 孝一(しかま こういち)は、日本のジャーナリスト、コラムニスト。産経新聞特別記者兼論説委員。夕刊1面(表紙)コラム「湊町365」の執筆者。サンケイリビング新聞社と日本工業新聞社の元専務取締役。 1951年北海道生まれ。北海道立北海道小樽潮陵高等学校卒業。1975年、同志社大学法学部卒業後、産経新聞社入社。社会部の部長、編集局次長、編集長などを経て、2005年にサンケイリビング新聞社の常務取締役に。2006年、同社専務取締役に。2008年、日本工業新聞社専務取締役に。2010年、産経新聞特別記者兼論説委員兼「大阪特派員」。 長く務めた社会部「遊軍」記者として「広く浅く、何にでも興味を持つ」取材スタイルを持ち、産経新聞OBで作家の司馬遼太郎に憧れている。