川端 海翼(かわばた かいと、2003年9月18日 - )は… 川端 海翼(かわばた かいと、2003年9月18日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の騎手。 競馬好きの家庭に生まれ、子供の頃から家族に連れられて競馬場に行っていた。 小学6年生の時、母親の勧めで函館競馬場の乗馬スポーツ少年団で乗馬を始める。 同じスポーツ少年団に所属し、後に競馬学校の同期となる鷲頭虎太の影響を受けて騎手を志す。 2018年、競馬学校騎手過程38期に合格。他の同期には今村聖奈、大久保友雅、佐々木大輔、土田真翔、角田大河、西塚洸二がいる。 2022年、浜田多実雄厩舎所属でデビュー。同年3月5日の阪神3Rでテイエムアルプスに騎乗し、初騎乗を果たす(15着)。同年9月8日のヤングジョッキーズシリーズTR園田第2戦にて、ジュンダッシュに騎乗し、自身初勝利を挙げた。
小野 楓馬(おの ふうま、2000年2月23日 - )は、地… 小野 楓馬(おの ふうま、2000年2月23日 - )は、地方競馬のホッカイドウ競馬・小野望厩舎所属の騎手。地方競馬教養センター騎手課程第97期生。 北海道新ひだか町出身で両親が牧場で働いている環境で育ち、自然と騎手を志した。静内農業高等学校の生産科学科に進学したが2年で中退し地方競馬教養センターに入所した。 2019年3月31日に地方競馬騎手免許を取得し、ホッカイドウ競馬の小野望厩舎からデビューする。4月17日、門別競馬第3競走でジェイドリームに騎乗し初騎乗(10頭立て2番人気2着)。翌日の門別競馬第2競走でアースヒメに騎乗しデビュー6戦目で初勝利を挙げる(7頭立て1番人気)。 2019年8月29日のリリーカップをプリモジョーカーで優勝し、デビューから約5か月で重賞初制覇を飾る。
藤田 凌(ふじた りょう、1999年10月8日 - )は、地… 藤田 凌(ふじた りょう、1999年10月8日 - )は、地方競馬の大井競馬場・中道啓二厩舎に所属する北海道苫小牧市出身の騎手。勝負服の柄は胴赤・白ダイヤモンド、袖青。地方競馬教養センター騎手課程第95期生。 父はノーザンファームに勤務しており、小学生6年で乗馬を始める。その頃よりテレビで競馬を見るようになり騎手を志す。 2017年4月1日付けで地方競馬騎手免許を取得し、荒山勝徳厩舎に所属。デビュー戦は同年4月17日、大井競馬第1競走でオーシャンリリーに騎乗して7着。翌4月18日、大井競馬第3競走でシンシンに騎乗して1着となり、6戦目で初勝利を挙げる。2017年TCK大賞新人騎手賞を受賞。 2018年1月13日から4月30日まで佐賀競馬で期間限定騎乗を行い、4月28日には期間限定騎乗を9月1日まで延長を発表。
上田 健人(うえだ けんと、1991年5月23日 -)は、地… 上田 健人(うえだ けんと、1991年5月23日 -)は、地方競馬の元騎手である。勝負服の柄は胴赤・黒ダイヤモンド、袖白・赤一本輪。北海道苫小牧市出身、血液型A型、身長164cm、体重47kg。地方競馬教養センター騎手課程第87期生。 2009年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得し、堀千亜樹厩舎から騎手デビュー。同年4月20日第2回大井競馬1日目第2競走C3十組十一組条件戦デュラブヒーローで初騎乗(12頭立て6番人気10着)。 減量に苦労し、6月に入って二度の体重調整失敗により6月1日、2日、22~25日の騎乗停止処分が科された。その後も騎乗を自粛していたが、8月25日第9回大井競馬3日目第2競走C3六組条件戦ナイトトレインで騎乗を再開した(13頭立て8番人気6着)。
丸田 恭介(まるた きょうすけ、1986年5月20日 - )… 丸田 恭介(まるた きょうすけ、1986年5月20日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターの宗像義忠厩舎に所属する騎手。騎手免許は平地競走、障害競走両方の免許を所持しているが、障害競走の騎乗経験はない。特技はサッカー。座右の銘は「誠心誠意」。愛称は「マルキョー」。
平岡 裕也(ひらおか ひろや、1986年2月8日 - )は、… 平岡 裕也(ひらおか ひろや、1986年2月8日 - )は、日本の競走馬生産者。日本軽種馬青年部連絡協議会 理事。 1986年、北海道勇払郡むかわ町出身。北海道苫小牧工業高等学校卒。 同期にEXILE SHOKICHI、ソチオリンピックホッケー代表中奥梓がいる。平岡牧場の四代目である。預託繁殖馬シゲルピンクダイヤの初の種付けに同行した。結果はモーリスの子を受胎した。 北海道勇払郡安平町の橋本牧場・橋本善太と高校時代に知り合い親交が深い。胆振軽種馬農業協同組合青年部監事。
伊藤 千尋(いとう ちひろ、男性、1985年9月10日 -)… 伊藤 千尋(いとう ちひろ、男性、1985年9月10日 -)は、地方競馬のホッカイドウ競馬所属の元騎手である。勝負服の柄は胴黄・桃山形二本輪、袖桃・青縦縞。北海道岩見沢市出身、身長168センチメートル、体重47キログラム、血液型B型。岩見沢市立明成中学校卒業。妻は元騎手の笹木美典。地方競馬教養センター騎手課程第78期生。所属厩舎の伊藤靖則調教師は実父。 2003年9月29日付けで地方競馬騎手免許を取得。同年10月7日第3回門別競馬1日目第3競走D4-3組条件戦(40万円以下)ブレイベストオペラで初騎乗(11頭立て5番人気2着)。翌2004年4月29日第1回札幌競馬(地方)4日目第6競走D4-1組条件戦(40万円以下)をゴダイザンで優勝(10頭立て2番人気)し、初勝利。
蓑島 靖典(みのしま やすのり、1982年11月14日 - … 蓑島 靖典(みのしま やすのり、1982年11月14日 - )は、日本中央競馬会・美浦トレーニングセンターに所属する騎手。 JRA初の十勝支庁出身騎手として、2001年3月美浦の後藤由之厩舎所属でデビュー。同期として大庭和弥・川島信二・小坂忠士らがいる。 約2か月後となる4月29日に初勝利を達成し、この年特別戦2勝を含む10勝を挙げ関東新人賞となる2001年民放競馬記者クラブ賞を受賞する。 同賞の受賞にあたり「この賞を頂くには物足りない成績ですが、来年はこれに応えるよう、もっと頑張ります」とコメントを残した蓑島は、翌2002年こそ騎乗数・勝利数をともに伸ばすも、減量免除の特典を解かれる2004年以降は騎乗数を減少させ、のちに活躍の場をデビュー2年目より騎乗を開始した障害競走へと移す。
畑端 省吾(はたばた しょうご、1982年3月30日 - )… 畑端 省吾(はたばた しょうご、1982年3月30日 - )は、JRA・栗東トレーニングセンター所属の調教師・元騎手。 2000年、第16期生としてJRA競馬学校騎手課程を卒業。同期には嘉藤貴行、金子光希、小林慎一郎、鈴来直人、田嶋翔、西原玲奈らがいる。栗東・坂口正則厩舎に所属し、3月19日の中京3Rで自厩舎のゴールドカントリーで逃げ切り初勝利を挙げた(17戦目)。デビュー年は191戦4勝という成績を残す。 2年目の2001年には自身最多の13勝を挙げ、翌2002年8月18日の小倉10R阿蘇ステークス(OP)では7番人気ダンシングテンに騎乗し、安藤勝己騎乗の1番人気キタサンチャンネルを差し切って特別レース初勝利。
高柳 大輔(たかやなぎ だいすけ、1977年6月7日 - )… 高柳 大輔(たかやなぎ だいすけ、1977年6月7日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターの調教師。北海道門別町出身。美浦トレーニングセンターに所属する調教師の高柳瑞樹は実兄。 実家は北海道日高町の生産牧場である高柳牧場で幼い頃から馬に携わってきた。小学校、中学校はサッカー部に所属していたが札幌光星高校で兄・瑞樹の勧めで同じ馬術部に入部し、本格的な馬乗りを始める。しかし実際は大学の推薦をもらうための入部であった。京都産業大学に進学後も馬術部に所属し、4年生の時には全日本学生馬術大会に出場。 大学卒業後はノーザンファームに就職し、途中からノーザンファームが間借りしていた滋賀県のグリーンウッド・トレーニングに勤務した。
五十嵐 冬樹(いがらし ふゆき、1975年9月30日 - )… 五十嵐 冬樹(いがらし ふゆき、1975年9月30日 - )はホッカイドウ競馬桑原義光厩舎所属の騎手。北海道深川東商業高等学校中途退学。
高柳 瑞樹(たかやなぎ みずき、1975年8月1日 - )は… 高柳 瑞樹(たかやなぎ みずき、1975年8月1日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属している調教師である。弟は調教師の高柳大輔。 実家は北海道日高町の高柳牧場。子供の頃から牧場の仕事を手伝いをしており、馬に関わっていた。高校から馬術を始め、大学では明治大学の馬術部に入部する。4年生の時に主将を務め、全日本学生馬術大会では馬場馬術競技に個人出場。明治大学としては完全優勝(障害・馬場・総合の3種目すべて団体優勝)を果たす。 大学卒業後、1999年に競馬学校厩務員過程に入学し、同年に卒業、吉永正人厩舎で厩務員になる。翌月から伊藤伸一厩舎に移り、調教助手を務めた。 2010年に6回目の挑戦で調教師試験に合格し、調教師となる。
藤田 伸二(ふじた しんじ、1972年2月27日 - )は、… 藤田 伸二(ふじた しんじ、1972年2月27日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元騎手。YouTuber。ニックネームは小川伸二。 北海道出身。新冠町のメイタイ牧場内で生まれる。 1991年に騎手免許取得。初騎乗は1991年3月2日、中京競馬第1競走のハイビスカスマミー(13頭立ての7着)、同年3月9日、中京競馬第1競走マキバスクリーンで初勝利を挙げる。同年ノーザンコンダクトでラジオたんぱ杯3歳ステークスを制し重賞初勝利。 1992年エリザベス女王杯、タケノベルベットでGI初制覇。1994年の京都新聞杯でスターマン (競走馬)に騎乗しナリタブライアンを破った際に実況の杉本清から「藤田は恐ろしい。
田中 勝春(たなか かつはる、1971年2月25日 - )は… 田中 勝春(たなか かつはる、1971年2月25日 - )は、北海道三石郡三石町(現・日高郡新ひだか町)出身の調教師、元騎手。愛称は「カッチー」。シンクバンク所属。 1986年JRA競馬学校騎手課程入学。同期に佐藤哲三、角田晃一らがいる。 初騎乗は1989年3月4日に中京競馬の第2競走でチャンピオンミナミに騎乗し6着。その後ストレスからバセドウ病を患い半年間休養している。その年にデビューした新人騎手の中で初勝利はもっとも遅く、10月21日の東京競馬の第6競走、セキテイボーイだった。なお同馬の勝利が、大種牡馬テスコボーイ産駒の最後の勝利ともなった。 重賞初勝利は1990年9月9日の京王杯オータムハンデキャップでオラトリオに騎乗しての勝利だった。
岡 潤一郎(おか じゅんいちろう、1968年12月7日 - … 岡 潤一郎(おか じゅんいちろう、1968年12月7日 - 1993年2月16日)は日本中央競馬会の元騎手。北海道様似郡様似町出身。愛称は「ジュンペー」。
井上 俊彦 (いのうえ としひこ、1965年4月14日 - … 井上 俊彦 (いのうえ としひこ、1965年4月14日 - )は、ホッカイドウ競馬・櫻井拓章厩舎所属の騎手。 1983年に騎手免許を取得し4月18日に函館競馬、第3競走でマルゼンシーフに騎乗しデビューする(結果は2着)。翌日、函館競馬の第8競走でマツカゼフアミリー優勝し初勝利を挙げた。 1985年7月14日にミナミトウザイでゴールドトロフィーを制し重賞初制覇を飾る。 1987年に初のホッカイドウ競馬リーディングジョッキーに輝くと翌年もリーディングジョッキーとなる。その後1996年、2000年にリーディングジョッキーとなっている。 1999年地方通算1000勝を達成。この年函館3歳ステークスをエンゼルカロで優勝し、JRA重賞初勝利を飾る。
堀 千亜樹(ほり ちあき、1961年1月8日 - )は、大井… 堀 千亜樹(ほり ちあき、1961年1月8日 - )は、大井競馬場所属の元騎手、現調教師。最終所属は佐々木忠昭厩舎。北海道浦河町出身、血液型O型。騎手時代の勝負服の柄は胴白・紫一本輪、袖紫。 1977年10月に地方競馬騎手免許を取得し、遠間波満行厩舎から騎手デビュー。1977年10月16日大井競馬第6競走ウインザヒーローで初騎乗(10頭立て9着)。同年11月1日大井競馬第5競走リユウジヤンボで初勝利。 1989年9月17日4回中山4日目第11競走第35回オールカマーでスーパーミストに騎乗のため遠征し、同日第1競走アラ系3歳未勝利戦をバーガンディで勝利し、中央競馬初騎乗初勝利。 1997年1月14日大井競馬第9競走ヨシカツタイコーで地方競馬通算1000勝達成。
東田 幸男(ひがしだ ゆきお、1958年11月6日 - )は… 東田 幸男(ひがしだ ゆきお、1958年11月6日 - )は、北海道新冠郡新冠町出身の元騎手・現調教助手。 競馬と全く関係のない家に生まれ、学校に行く途中の近道で放牧地を通ると馬が寄ってきたが、恐怖から逃げ回るなど、競馬にも全然興味がなかった。 中学校2年生の時に姉の嫁ぎ先の牧場でアルバイトをしたのが馬との出会いになり、1974年には栗東・布施正調教師にスカウトされ、姉の助言もあって騎手の道へ進む。 布施の弟弟子の二分久男厩舎に短期騎手候補生として入門し、1981年3月1日に同厩舎からデビューすると、同日の阪神第5競走障害5歳以上未勝利・シンパアーフルで初騎乗初勝利を飾った。同日は宮徹も達成しており、1979年の栗田伸一・溝橋秀吉以来2年ぶりとなったが、その後にJRAの新人騎手が同日に初騎乗初勝利を達成したのは、2021年の小沢大仁・永野猛蔵まで40年間も現れなかった。
安藤 賢一(あんどう けんいち、1958年9月29日 - )… 安藤 賢一(あんどう けんいち、1958年9月29日 - )は、北海道亀田郡大野町(現・北斗市)出身の元騎手・調教助手。 増沢末夫・村本善之と同郷で、中学時代の同級生には須藤一夫ばんえい競馬馬主協会理事がいる。 馬事公苑では田原成貴・嘉堂信雄・昆貢と同期になり、1978年に騎手免許を取得。 1年目の1978年は3月5日の阪神第6競走3歳新馬・バンブーデイシス(15頭中9着)で初騎乗を果たし、9月23日の阪神第9競走4歳以上300万下・トキツコーターで初勝利を挙げる。トキツコーターとのコンビでは初勝利から3連勝するなど、同年は5勝をマーク。 2年目の1979年には2月10日の中京で初の1日2勝、7月7日・8日の阪神で初の2日連続勝利を挙げるなど、初の2桁となる22勝をマーク。
加藤 和宏(かとう かずひろ、1956年3月4日 - )は、… 加藤 和宏(かとう かずひろ、1956年3月4日 - )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属する調教師、元騎手。 1975年に中央競馬で騎手デビュー。所属する二本柳俊夫厩舎の主戦騎手として2年連続のJRA年度代表馬となったホウヨウボーイや、東京優駿(日本ダービー)優勝馬シリウスシンボリなど4頭の八大競走・GI級競走優勝馬に騎乗、またフリーとなってからもエリザベス女王杯に優勝したホクトベガなどに騎乗した。2005年に騎手を引退し、調教師に転身。主な管理馬にオーストラリアのGI競走オールエイジドステークスに優勝したハナズゴールがいる。 JRA元騎手で調教師の加藤士津八は長男。他に息子の1人が小島太厩舎の厩務員をしていた。
石崎 隆之(いしざき たかゆき、1956年1月29日 - )… 石崎 隆之(いしざき たかゆき、1956年1月29日 - )は、地方競馬の船橋競馬場に所属していた元騎手である。同じ船橋競馬所属の元騎手・調教師の石崎駿は長男。 船橋の名門・出川己代造厩舎から騎手デビュー。同期に川崎の原三男調教師などがいる。1973年の初騎乗以来伸び悩んでいたが、結核や骨折を克服して地方競馬の全国リーディングを通算10回、1990年より始まったNARグランプリ最優秀騎手賞は創設以来2002年まで一貫して受賞し続けるなど、南関東公営競馬のみならず全国の地方競馬を代表するトップジョッキーである。日本国内では佐々木竹見、的場文男と並ぶ6,000勝ジョッキーの一人。 中央競馬にも積極的に参戦し、1994年にワールドスーパージョッキーズシリーズで優勝。
矢内 博(やうち ひろし、1956年1月10日 - )は、船… 矢内 博(やうち ひろし、1956年1月10日 - )は、船橋競馬場所属の元騎手、現調教師。最終所属は凾館一昭厩舎。北海道苫小牧市出身、血液型A型。騎手時代の勝負服の柄は胴白・赤玉霰、袖桃。 凾館政一厩舎から騎手デビュー。1972年10月20日ヒサヤマヨシで初騎乗。同日イクセルプリンスで初勝利。 1999年6月13日3回東京8日目第9競走菖蒲ステークス15番人気アスキットマジックで中央競馬初騎乗(15頭立て13着) 調教師転身のため、2008年5月31日付けで騎手引退。 地方通算成績は10023戦891勝・2着939回・3着1002回・勝率8.9%・連対率18.3% 中央競馬通算2戦0勝 2008年5月21日調教師試験に合格し、同年6月1日付けで調教師免許取得。
稲葉 的海(いなば まとみ、1953年12月27日 - )は… 稲葉 的海(いなば まとみ、1953年12月27日 - )は、北海道旭川市出身の元騎手・調教助手。 中学の途中から宝塚市立宝塚第一中学校に転校し、栗東・日迫清厩舎の門下生となる。在学中は仕事と学業の両立が辛かったが、卒業後に馬事公苑で長期講習を受け、同期に安田隆行・伊藤稔がいる。 1974年3月に日迫厩舎からデビューし、同期は伊藤のほか、岩元市三・佐々木晶三・西園正都・寺田雅之・出口隆義・池添兼雄・佐野清広・河内洋・秋山忠一がいた。 同2日の中京第1競走4歳未勝利・キーホープ(10頭中4着)で初騎乗を果たすと、同日の第5競走5歳以上200万下・ハリーファックスで初勝利を挙げる。1年目の同年から2桁の10勝をマークし、3年目の1976年まで3年連続2桁勝利を記録。
小島 貞博(こじま さだひろ、1951年11月10日 - 2… 小島 貞博(こじま さだひろ、1951年11月10日 - 2012年1月23日)は、日本中央競馬会 (JRA) に所属した騎手、調教師。 騎手時代の主な騎乗馬に、1982年の最優秀障害馬キングスポイント、1992年のクラシック二冠を制したミホノブルボン、1994年の優駿牝馬(オークス)優勝馬チョウカイキャロル、1995年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬タヤスツヨシなどがいる。騎手通算4722戦495勝。戦後デビューの騎手の内、平地・障害それぞれの最高級競走である日本ダービーと中山大障害で2勝ずつを挙げている唯一の騎手である。 2003年より調教師として栗東トレーニングセンターに厩舎を開業。2005年の中山大障害に優勝し、同年の最優秀障害馬に選出されたテイエムドラゴンなどを管理した。
藤沢 和雄(ふじさわ かずお、1951年9月22日 - )は… 藤沢 和雄(ふじさわ かずお、1951年9月22日 - )は、中央競馬(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。調教師として1570勝をあげた名伯楽として知られており、1993年から2009年までの間に、12度のJRA賞最多勝利調教師を獲得した。 戸籍上の表記は藤澤 和雄だが、JRAでは旧字体等での登録が認められていないため、新字体の「藤沢」に修正して登録、引退後の活動名も修正名義としている。ただし、一部媒体では旧字体の名義を使用することもある。 なお、同姓の調教師・藤沢則雄(栗東所属)との区別のため、競馬新聞・スポーツ新聞等では「藤沢和」と表記されていた(両者に血縁関係はない)。
浅沼 廣幸(あさぬま ひろゆき、1950年10月5日 - )… 浅沼 廣幸(あさぬま ひろゆき、1950年10月5日 - )は、日本の皮膚科医師、馬主。 1950年、北海道札幌市出身。北海道大学医学部を卒業したのち、1983年に浅沼皮膚科医院を千歳市に開院した。その後医療法人社団「廣仁会」を設立し、2016年に退任するまで理事長を務めた。同年末には末期のすい臓がんで余命宣告を受け、また2018年の正月には脳梗塞となったが、現在はどちらからも快復している。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は水色,黄星散,黄袖水色一本輪、冠名には医療用語で「皮膚科」を意味する「Derma」より「デルマ」を用いる。 馬名には世代ごとにシリーズを設けており、これまでは「日本の神様」「日本の妖怪」「相撲の決まり手」などのテーマから冠名と組み合わせて命名している。
佐々木 一夫(ささき かずお、1950年9月28日 - 20… 佐々木 一夫(ささき かずお、1950年9月28日 - 2008年9月28日)は、ホッカイドウ競馬の元調教師(元騎手)。勝負服の柄は黄・胴赤一本輪、袖緑・黄一本輪。北海道函館市出身、身長158センチ、体重52キロ、血液型B型。函館工業高等専門学校卒業。 1969年4月29日函館競馬ツワイメリーでレース初騎乗。同年5月9日、函館競馬場でアツカシに騎乗し、初勝利。以来、1994年に引退するまでホッカイドウ競馬で数々の名馬に騎乗し、通算9510戦1539勝を記録。重賞も通算86勝を挙げた。 1995年3月31日に調教師免許を取得し、1996年に厩舎を開業。同年4月17日に調教師として管理馬を初出走。同年5月15日には調教師として初勝利。
嶋田 潤(しまだ じゅん、1949年3月26日 - )は、東… 嶋田 潤(しまだ じゅん、1949年3月26日 - )は、東京都出身(北海道三石郡三石町 (現・日高郡新ひだか町)生まれ)の元騎手・元調教師。 同じく元騎手・元調教師の嶋田功は実兄。元騎手で現調教助手の嶋田高宏は長男。 嶋田家は福井県からの入植で、父・福栄が入植三代目であり、男3人女7人の10人兄弟であった。 実家は後にプレクラスニー・タイセイアトムを輩出した「嶋田牧場」で、嶋田が育った時には馬だけではなく牛や羊も飼っていたが、長男の克昭の代からサラブレッドの生産牧場となった。 1966年に東京・藤本冨良厩舎に騎手候補生として入門し、1970年に同厩舎からデビューすると、兄・功の登録名が戸籍通りに「嶋田」となっている。
伊藤 正徳(いとう まさのり、1948年10月22日 - 2… 伊藤 正徳(いとう まさのり、1948年10月22日 - 2020年8月20日)は、兵庫県宝塚市出身(北海道静内郡静内町生まれ)の元調教師・騎手。 それぞれ騎手・調教師を務めた伊藤正四郎は父、伊藤雄二は義兄。 太平洋戦争後の混乱期に両親は離れて暮らしており、父・正四郎は阪神で調教師として活動し、母は静内で美容室を営んでいた。正徳は母元で育っていたが、小学校卒業直前に正四郎が結核に倒れ、見舞いに駆けつけた病床で正四郎から「騎手にならんか」と誘われる。この段階で乗馬経験がなかったため、1度は首を横に振ったが、正四郎はそれで納得する父ではなかった。基礎から教えるという条件をのんで騎手になる事を決意したが、実際に正四郎が教えてくれる事はなく、それからすぐに意識不明になって間もなく死去。
楠 孝志(くすのき たかし、1947年2月25日 - )は、… 楠 孝志(くすのき たかし、1947年2月25日 - )は、北海道沙流郡平取町出身の元騎手・調教助手。 1969年3月に騎手免許を取得し、同期の須貝四郎と共に阪神・橋田俊三厩舎からデビュー。須貝以外では田村正光・上野(伊藤)清章・内田国夫・中島敏文・西浦勝一と同期になり、須貝の兄である須貝彦三の弟弟子となる。 1年目の1969年は同1日の中京第1競走4歳未勝利・マツヤイチ(17頭中11着)で初騎乗を果たし、23日の阪神第7競走障害5歳以上オープン・ミスコマツで初勝利を挙げた。4月5日の阪神では平地初勝利と初の1日2勝、翌6日も勝って初の2日連続勝利を記録し、5月18日の阪急杯・サチタロー(12頭中12着)で重賞初騎乗も果たす。
嶋田 功(しまだ いさお、1945年11月8日 - 2020… 嶋田 功(しまだ いさお、1945年11月8日 - 2020年10月19日)は、北海道三石郡三石町(現・日高郡新ひだか町)出身の元騎手・元調教師。騎手時代はオークス通算5勝など牝馬限定競走で顕著な実績を残し、「牝馬の嶋田」「オークス男」等と称された。元騎手・元調教師の嶋田潤は実弟、元騎手の嶋田高宏は甥。 騎手の嶋田純次との血縁関係はない。 嶋田家は福井県からの入植で、父・福栄が入植三代目であった。嶋田は男3人女7人の10人兄弟で、上から5番目の三男として産まれる。 実家は後にプレクラスニー・タイセイアトムを輩出した「嶋田牧場」で、3歳から馬に跨がっており、揺りかご代わりにした馬の背で寝ていて泥田に落ちたこともあった。
河内 孝夫(かわうち たかお、1944年11月21日 - )… 河内 孝夫(かわうち たかお、1944年11月21日 - )は、日本の実業家、馬主。 北海道函館市にある宿泊施設・湯の川プリンスホテル 渚亭などを運営する株式会社湯の川プリンスホテルの代表取締役会長を務める。 1944年生まれ。北海道函館中部高等学校を卒業後、21歳の時に他界した先代から事業を引き継ぎ、1972年に湯の川プリンスホテルを創立した。その他、函館湯の川温泉協同組合理事長、社団法人函館観光協会副会長、函館商工会議所観光サービス部会長などを歴任。 2016年、湯の川プリンスホテルの社長職を息子の昌貴に譲り、代表取締役会長に就任した。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。
畠山 重則(はたけやま しげのり、1944年8月2日 - )… 畠山 重則(はたけやま しげのり、1944年8月2日 - )は、北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身の元騎手・元調教師。実家は有限会社畠山牧場で、長兄・重博は同牧場社長。 1964年に東京・田中和夫厩舎に騎手見習いとして入門し、1965年に騎手免許を取得。開業したばかりの田中にとって、笹倉武久と並ぶ第一号の弟子であった。年齢は畠山の方が上であったが、一度高校に入学してから入ったため、競馬界に入ったのは笹倉の方が早かった。畠山も入門当時は体が大きく、朝食の時に田中に「朝はパンで結構です」と言ってしまった。体重を気にしてのことであったが、それに合わせなければならない笹倉は「ただでさえ、腹が減っているのに、余計なことを言ってくれたんだ(笑)。
松岡 悟(まつおか さとる、1938年3月20日 - )は、… 松岡 悟(まつおか さとる、1938年3月20日 - )は、日本の医師、作家、馬主。 函館市内で小児科院を開業していた傍ら、文筆業や馬主としても活動した。 1938年、函館市出身。順天堂大学医学部大学院を修了後、同大学医学部の小児科講師を経て函館市立函館病院小児科科長、のち同市内に松岡小児科を開院し院長となる。1995年6月まで院長を務め、現在は警察庁警察学校の理事官(診療所長)を務める。 競馬と落語が趣味。立川談志の門下生であり、「立川薮医志」の芸名を持つ。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は緑、白星散、袖赤二本輪、冠名には「ドクター」を用いる。
増沢 末夫(ますざわ すえお、1937年10月20日 - )… 増沢 末夫(ますざわ すえお、1937年10月20日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) に所属した騎手、調教師。騎手として全国リーディングジョッキー2回、八大競走7勝。通算2016勝は当時の中央競馬史上最多勝。44歳で初のリーディングジョッキー獲得、50代で年間100勝達成など中年期以降に顕著な活躍を示し「鉄人」の異名を取った。「ローカル男」とも呼ばれた。愛称は「まっさん」。 妻は師匠・鈴木勝太郎の長女。義弟に鈴木康弘がいる。 北海道亀田郡大野村(後の大野町、現・北斗市)出身。戸籍上の表記は増澤末夫である。 北海道大野村に6人兄妹の末っ子として生まれる。幼少期より農耕・ばんえい競走用のペルシュロンの世話をして過ごした。
北島 三郎(きたじま さぶろう、1936年〈昭和11年〉10… 北島 三郎(きたじま さぶろう、1936年〈昭和11年〉10月4日 - )は、日本の演歌歌手、俳優、ミュージシャン、馬主。東京都八王子市在住。 『函館の女』にはじまる「女」シリーズ、『兄弟仁義』などの「任侠」シリーズといった数々のヒット曲があり、サブちゃんの愛称で知られる。日本を代表する演歌歌手の一人。 原 譲二(はら じょうじ)のペンネームで作詞・作曲活動を行っており、自身の楽曲の制作以外にも舞台のシナリオ・演出や、北島ファミリーはじめ他の演歌歌手への楽曲提供など、マルチな活動を行っている。 作曲家・船村徹門下出身で、門下生で作る「船村徹同門会」(会長・鳥羽一郎)では名誉相談役を務める。 北島ファミリーからは親しみを込めてオヤジと呼ばれている。
伊藤 竹男(いとう たけお、1933年1月9日 - )は、国… 伊藤 竹男(いとう たけお、1933年1月9日 - )は、国営競馬、日本中央競馬会の騎手ならびに調教師であった人物。 1951年に国営競馬(後の日本中央競馬会)でデビュー。キタノオー、ダイゴホマレ、ガーネット、ニットエイトなどに騎乗して八大競走8勝、通算では471勝を挙げた。特に追い込みを身上とした勝負強い騎手として知られた。1972年より調教師として厩舎開業し、1998年8月に引退。日本中央競馬会調教師の伊藤伸一は長男。1958年初頭までは「勝尾(かつお)」姓であった。 1933年、北海道札幌市に生まれる。両親は市内で「入枡」という天ぷら店を経営しており、常連であった騎手兼調教師の上村大治郎に数頭の競走馬を預けてもいた。
田所 稔(たどころ みのる、1932年1月28日 - 199… 田所 稔(たどころ みのる、1932年1月28日 - 1991年5月27日)は、日本中央競馬会(JRA)に所属した騎手、調教師。騎手時代の1966年にニホンピローエースで皐月賞に優勝した。 いずれも騎手・調教師の田所秀雄は実兄、田所秀孝は甥、師匠でもある小川佐助は叔父、田所清広(旧姓・佐野)は娘婿である。 1932年、北海道浦河町の農家に生まれる。実家は兄弟が多く貧しかったことから、幼少の頃に伯母の家に身を寄せた。1950年、すでに騎手となっていた兄・秀雄を頼り、その師匠で叔父の小川佐助厩舎(京都競馬場)に入門した。1953年に騎手免許を取得。初騎乗は4月26日の第1回阪神競馬8日目第2競走で、マサミドリに騎乗したが最下位に敗れた。
石栗 龍雄(いしくり たつお、1928年12月15日 - )… 石栗 龍雄(いしくり たつお、1928年12月15日 - )は、日本の騎手、調教師。 1951年に国営競馬(のち日本中央競馬会)で騎手デビュー。1959年に引退し、1965年より調教師。主な管理馬には1980年天皇賞(秋)に優勝した牝馬プリテイキャストなどがいる。また横山典弘は門下生である。2000年に定年引退。日本中央競馬会調教師の石栗龍彦は長男。 1928年、北海道札幌市の商家に生まれる。取り立てて競馬に興味をもってはいなかったものの、騎手見習いとなった友人に誘われて競馬場に出入りをはじめ、馬に惹かれていった。太平洋戦争中には援農作業で農耕馬を扱っていた。 1945年に旧制北海中学を卒業し、1947年秋に稗田虎伊のもとへ騎手見習いとして入門。
谷岡 敏行(たにおか としゆき、1922年3月18日 - 1… 谷岡 敏行(たにおか としゆき、1922年3月18日 - 1953年12月13日)は日本の騎手。 1922年3月18日、競走馬の故郷、馬産地として名高い北海道日高郡新ひだか町静内神森(旧静内町)に、水田農業を営む父・谷岡倉太郎(一族は、1882年(明治15年)広島県大竹市より移住)と母・ナツ(一族は兵庫県淡路島より移住)の三男として生まれる。10人兄弟姉妹(兄2人、弟4人、姉1人、妹2人)の第4子である。 新ひだか町の有限会社谷岡牧場(1935年創業)、有限会社新和牧場(1994年創業)は本家にあたる。 静内尋常高等小学校を卒業時、静内町にある新冠御料牧場獣(現・家畜改良センター新冠牧場)吉住獣医師(稲葉幸夫の妹の夫)が、学校教室に来て騎手希望者を募ったところ、谷岡敏行が手を挙げ申し込んだ。
中西 関松(なかにし せきまつ、1919年3月14日 - 1… 中西 関松(なかにし せきまつ、1919年3月14日 - 1990年1月9日)は、ばんえい競馬の元騎手・調教師。 北海道新十津川村の農家・中西岩吉の第6子として生まれる。中西家では第一子の長男が早世しその後女子の誕生が連続していたことから事実上の長男となる。子供時代から馬に親しみ近隣のばん馬大会に出場しており、13歳から荷馬車の馬追いや家畜商を行い、太平洋戦争中は中国大陸に出征、腹部に銃弾を受けるも腸を傷つけなかったことにより事なきを得て、また腸チフスにも罹患するも一命を取り留める。 1944年に復員し故郷で稲作や林業に従事したのち、終戦後は滝川町に移り林業や運搬作業に従事する傍ら草ばん馬大会に積極的に参加する。
高橋 英夫(たかはし ひでお、1919年1月3日 - 201… 高橋 英夫(たかはし ひでお、1919年1月3日 - 2013年8月9日)は、日本の元騎手(中山競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会)、元調教師(日本中央競馬会)。義父の鈴木信太郎は元調教師(日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会)次男の高橋祥泰は元調教師(日本中央競馬会〈JRA〉)。北海道上川郡屈足村(現・新得町)出身。 実家は農家で農耕馬の繁殖も手掛けていたため、幼少期から馬に親しんで育った。 1935年に上京して中山競馬場の函館孫作に入門。翌1937年春に騎手免許を取得し、同年秋に騎手デビュー。太平洋戦争中は徴兵されて室蘭に配属され、終戦後競馬界に復帰。当時函館が調教師を引退していたため、はじめは東京競馬場の藤本冨良厩舎に所属したが、結婚したのを機に中山競馬場の鈴木信太郎厩舎に移籍した。
佐藤 勇(さとう いさむ、1918年3月13日 - 1999… 佐藤 勇(さとう いさむ、1918年3月13日 - 1999年4月14日)は、日本競馬会、国営競馬および日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。騎手時代には八大競走で3勝、中央競馬史上初めての通算500勝を記録した。調教師転身後も1975年に全国リーディングトレーナー(年間最多勝利調教師)を獲得、天皇賞(春)優勝馬ヒカルポーラ、東京優駿(日本ダービー)優勝馬オペックホースなどを管理し、通算1074勝を挙げた。騎手500勝・調教師1000勝は中央競馬史上唯一の記録である。 1933年、北海道上川郡士別町(現・士別市)に、小作農の長男として生まれる。少年期は教師を志していたが、家計の逼迫から学業を断念。
矢野 幸夫(やの ゆきお、1917年12月22日 - 200… 矢野 幸夫(やの ゆきお、1917年12月22日 - 2004年5月17日)は日本の競馬の騎手、調教師、および整体師。 北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。実家は軍馬を生産する牧場だった。 1930年、中山競馬場・東原玉造厩舎所属の見習騎手となり、1933年に騎手免許を取得。日本競馬会時代の1941年には優秀騎手として表彰され、国営競馬時代の1951年には最高技能賞を受賞している。 1952年に調教師免許を取得し、その後中山競馬場で厩舎を開業。1978年、美浦トレーニングセンター開設に伴い移転。1994年2月をもって定年引退するまでの間に通算1060勝を挙げた。同年2月27日に中山競馬場で引退式が行われ、代表してファンに挨拶を行った。
橋本 輝雄(はしもと てるお、1915年6月30日 - 20… 橋本 輝雄(はしもと てるお、1915年6月30日 - 2001年10月1日)は、日本の騎手、競走馬調教師。 1933年に騎手デビュー。太平洋戦争最中の1944年に「能力検定競走」として行われた東京優駿(日本ダービー)をカイソウで制したほか、1950年にはクモノハナに騎乗して皐月賞、日本ダービーのクラシック二冠を制した。騎手通算成績は1154戦154勝、うち八大競走3勝を含む重賞5勝。 1953年に調教師へ転身し、それぞれ菊花賞に優勝したコマヒカリ、アカネテンリュウ、中山大障害を4連勝し海外でも2勝したフジノオー、日本ダービー優勝馬メリーナイスなど数々の活躍馬を手掛けた。1993年に定年引退。調教師成績は日本中央競馬会が発足した1954年以降で通算7361戦931勝、うち八大競走・GI級競走4勝を含む重賞30勝。
佐々木 猛(ささき たけし、1912年11月11日 - 没年… 佐々木 猛(ささき たけし、1912年11月11日 - 没年不明)は、日本の競馬騎手、調教師。 1931年に騎手デビュー。1939年に騎乗馬ホシホマレで阪神優駿牝馬(オークス)を制した。1957年より調教師に転じ、1974年の桜花賞優勝馬タカエノカオリなどを管理し、1990年に引退。日本中央競馬会(JRA)調教師の佐々木亜良(つぐよし)は長男。 1912年、北海道函館市の農家に生まれる。3人いた叔父がそれぞれ高等馬車の御者を務めており、その姿に憧れて馬に関わる仕事を志した。1928年、叔父の紹介で札幌競馬倶楽部(札幌競馬場)の稗田虎伊厩舎に入門し、1931年7月に騎手としてデビュー。8月7日に騎乗馬エベツで初勝利を挙げた。
稲葉 幸夫(いなば ゆきお、1908年9月4日 - 2001… 稲葉 幸夫(いなば ゆきお、1908年9月4日 - 2001年10月7日)は、日本の騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会所属)、調教師(日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会所属)。騎手としてロツクパークによる第1回横浜農林省賞典四歳呼馬(現・皐月賞)優勝など通算174勝。また調教師としては騎手兼業であった戦前期から顕著な成績を残し、八大競走13勝を含む通算1451勝を挙げた。特に牝馬の管理に長けたため「牝馬作りの名人」、「牝馬の稲葉」と称され、史上初の牝馬三冠トレーナーともなっている。1981年、黄綬褒章を受章。2004年、調教師顕彰者に選出され、中央競馬の殿堂入りした。
大久保 末吉(おおくぼ すえきち、1908年1月16日 - … 大久保 末吉(おおくぼ すえきち、1908年1月16日 - 1981年6月11日)は、日本の競馬騎手、調教師。 1929年に騎手デビュー。1955年より日本中央競馬会の調教師となり、1970年にメジロムサシで天皇賞(春)に優勝。俗に「メジロ軍団」と呼ばれた北野豊吉所有馬を数々手掛けた。1973年度中央競馬全国最多勝利調教師。 実子の大久保洋吉も日本中央競馬会調教師。ほか兄の大久保福蔵、大久保亀治、弟の三井末太郎らも騎手や調教師を務め、親族は競馬一族として知られる。 1908年、函館競馬場の近隣で大久保福松の三男として生まれる。父・福松は近代日本ホースマンの祖・函館大経の一番弟子であった。長兄に福蔵、次兄に亀治がおり、末子として「末吉」と名付けられた。
武田 文吾(たけだ ぶんご、1907年2月19日(1907年… 武田 文吾(たけだ ぶんご、1907年2月19日(1907年12月28日説もあり) - 1986年12月3日)は、元騎手(京都競馬倶楽部、阪神競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬)、元調教師(阪神競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会〈JRA〉)。北海道石狩国札幌郡江別村(現・江別市)出身。1978年11月3日、勲五等双光旭日章を授章。1986年、正六位叙位。息子の武田博は日本中央競馬会の元騎手・元調教師。名馬シンザンの鞍上としてクラシック三冠を制した元騎手・元調教師の栗田勝は娘婿。 尾形藤吉とともに「東の尾形、西の武田」と並び称された名調教師。タケブン、ブンテキなどの愛称で親しまれた。五冠馬シンザン・二冠馬コダマ・牝馬二冠馬ミスオンワードなどの名競走馬、また栗田勝・福永洋一などの名騎手を育て、人馬両面において中央競馬、とくに関西地区の競馬の発展に大きな足跡を残した。
小川 佐助(おがわ さすけ、1905年6月21日 - 198… 小川 佐助(おがわ さすけ、1905年6月21日 - 1987年10月30日)は日本の競馬騎手、調教師。 1934年に京都競馬倶楽部で騎手となったのち、1937年より日本競馬会(後に国営競馬→日本中央競馬会)の調教師となる。以後八大競走2勝を挙げたニューフォードや、皐月賞優勝馬ニホンピローエース、1977年に中央競馬の年度代表馬となったテンポイント(JRA顕彰馬)などの活躍馬を管理した。1982年、黄綬褒章受章。 アイヌ民族の活動家としても著名であり、北海道アイヌ協会が社団法人化された際には組織の中枢を担った。 甥にそれぞれ騎手・調教師の田所稔と田所秀雄、又甥に田所秀孝、田所清広(義理)がいる。