古谷 経衡(ふるや つねひら、1982年〈昭和57年〉11月… 古谷 経衡(ふるや つねひら、1982年〈昭和57年〉11月10日 - )は、日本の時事問題評論家、文筆家。 一般社団法人令和政治社会問題研究所所長。株式会社オフィス・トゥー・ワン所属。血液型A型、政治活動家。日本ペンクラブ正会員。千葉県松戸市在住。 北海道札幌市出身。教育熱心な地方公務員の父と専業主婦の母との間に生まれる。2001年、北海道札幌手稲高等学校卒業後、立命館大学文学部史学科(日本史学専攻)に入学。学生時代は、原発問題と同和問題を研究しつつ、サブカルチャーを扱う企業にも身を置いた。2008年、同大学卒業。同大在籍時にビジュアルアーツ専門学校大阪(旧大阪写真学校)放送映画学科にダブルスクールしていたが中退。
岡和田 晃(おかわだ あきら、1981年 - )は日本のゲー… 岡和田 晃(おかわだ あきら、1981年 - )は日本のゲームデザイナー、翻訳家、および文芸評論家、SF評論家、編集者、詩人。 「ナイトランド・クォータリー」編集長、AGS(アナログ・ゲーム・スタディーズ) 主催。日本近代文学会、日本SF作家クラブ、日本文藝家協会、遊戯史学会、日本デジタルゲーム学会、日本詩人クラブ、茨城県詩人協会、日本ペンクラブ各会員。SF Prologue Wave編集部所属。 北海道上富良野町出身。北海道旭川北高等学校英語科、早稲田大学第一文学部文芸専修卒業、筑波大学大学院人文社会科学研究科一貫制博士課程修士取得退学、共愛学園前橋国際大学非常勤講師、東海大学非常勤講師、法政大学兼任講師。
杉村 太蔵(すぎむら たいぞう、1979年〈昭和54年〉8月… 杉村 太蔵(すぎむら たいぞう、1979年〈昭和54年〉8月13日 - )は、日本のコメンテーター、政治評論家、実業家、政治家、タレント。衆議院議員を1期務めた。北海道旭川市出身。株式会社Coco Harete代表取締役社長。 北海道旭川市に生まれる。父と祖父は歯科医、曾祖父は弁護士で、男3兄弟の長男である。 1989年、小学校4年生の時から親の影響でテニスを始め、北海道札幌藻岩高等学校在学時の1997年(平成9年)に、なみはや国体でテニスの少年男子ダブルスで優勝した。1年生の時に大泉洋が教育実習生として同校に来ていた。筑波大学体育専門学群にスポーツ推薦で入学し、曾祖父が弁護士であることから在学中は弁護士を目指した。
堀井 亜生(ほりい あおい、1977年 - )は、日本の弁護… 堀井 亜生(ほりい あおい、1977年 - )は、日本の弁護士、法律評論家、堀井亜生法律事務所代表。第一東京弁護士会所属。離婚問題に造詣が深い。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。堀井亜生法律事務所代表。第一東京弁護士会所属。離婚問題に特に詳しく、取り扱った離婚事例は2000件超。豊富な経験と事例分析をもとに多くの案件を解決へ導いており、男女問わず全国からの依頼を受けている。 また、相続問題、医療問題にも詳しい。「ホンマでっか!?TV」(フジテレビ系)をはじめ、テレビやラジオへの出演も多数。執筆活動も精力的に行っており、著書に『ブラック彼氏』(毎日新聞出版)、『モラハラ夫と食洗機 弁護士が教える15の離婚事例と戦い方』(小学館)など。
古家 正亨(ふるや まさゆき、1974年5月22日 - )は… 古家 正亨(ふるや まさゆき、1974年5月22日 - )は、北海道北見市出身のラジオDJでテレビVJ、K-POP評論家。サンミュージック所属。 血液型O型。身長179cm。北海道北見北斗高等学校、北海道医療大学看護福祉学部卒業。 2010年上智大学大学院文学研究科新聞学専攻前期博士課程修了。韓国人シンガーソングライターのHermin(ホミン/Mina Furuya)は妻。 北海道医療大学に進学し、音楽療法を専攻し様々なジャンルの音楽に触れる。1995年大学在学中に北海道のラジオ局FM NORTH WAVEの深夜番組「Dreams Come Soon」でプロDJとしてデビュー。 大学卒業後、カナダのBrock Universityに留学。
常見 陽平(つねみ ようへい、1974年4月4日 - )は、… 常見 陽平(つねみ ようへい、1974年4月4日 - )は、日本の労働社会学者、働き方評論家。千葉商科大学国際教養学部准教授、HR総合調査研究所客員研究員。 北海道札幌市出身。両親ともに歴史学者。母はイギリス史を専門とし、北海学園大学人文学部教授などを歴任。父は北海道大学教員であったが、本人が小学5年生のときに病死した。北海道札幌南高等学校を経て、一橋大学社会学部入学。のち商学部に転部し、竹内弘高ゼミナールに所属。学生プロレスサークル「一橋大学世界プロレスリング同盟(HWWA)」にも所属し、サークルの同期に中川淳一郎が、後輩に橋本吉史がいる。一橋大学商学部卒業後、1997年リクルートに入社。『とらばーゆ』編集部などを経て退社し、2005年株式会社バンダイに転職。
高橋 健一郎(たかはし けんいちろう、1972年 - )は、… 高橋 健一郎(たかはし けんいちろう、1972年 - )は、日本の研究者・音楽評論家。札幌大学元教授、大阪大学講師。日本アレンスキー協会副会長、北海道ポーランド文化協会会員、日本ロシア文学会会員。 1972年、北海道で生まれた。1990年3月、札幌北高等学校を卒業し、東京大学教養学部理科Ⅰ類に入学。1995年3月、東京大学教養学部教養学科を卒業。東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻に進み、1997年4月に修士課程を修了。1998年10月から2000年9月まで、ロシア国立人文大学言語学研究所に留学。2002年3月、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻の博士課程を修了。 2003年、札幌大学外国語学部講師に就いた。
田中 綾(たなか あや、1970年2月11日 - )は、日本… 田中 綾(たなか あや、1970年2月11日 - )は、日本の文芸評論家、歌人、小説家。北海学園大学人文学部教授。博士(文学)(北海学園大学)。 専門は日本近現代文学(特に詩歌史)。研究テーマは、昭和の戦時下とGHQ占領期における言論統制と短歌。特に逗子八郎研究。 北海道札幌市出身。北海道札幌平岸高等学校、北海道大学文学部言語学専攻卒業。福島泰樹の短歌絶叫ライブに触れて現代短歌を始め、1991年の第8回早稲田文学新人賞に短歌「人間呼格」で佳作に選ばれる。フリーライターを経て、1995年に「アジアにおける戦争と短歌 -近・現代思想を手がかりに」で第13回現代短歌評論賞受賞。その後、菱川善夫に師事して短歌批評を学び、北海学園大学大学院文学研究科の1期生として修士課程を修了。
千街 晶之(せんがい あきゆき、1970年 - )は、日本の… 千街 晶之(せんがい あきゆき、1970年 - )は、日本のミステリ評論家。 日本推理作家協会、探偵小説研究会会員。 北海道倶知安町出身。北海道倶知安高等学校卒、立教大学文学部卒。 1994年、竹本健治『将棋殺人事件』の解説を執筆。翌1995年、「終わらない伝言ゲーム――ゴシック・ミステリの系譜」(『創元推理10〈'95年秋号〉』掲載)で第2回創元推理評論賞を受賞し本格的にデビュー。2003年、『怪奇幻想ミステリ150選 ロジカル・ナイトメア』で第3回本格ミステリ大賞(評論・研究部門)最終候補に残るも落選。翌2004年、『水面の星座 水底の宝石 ミステリの変容をふりかえる』で第4回本格ミステリ大賞(評論・研究部門)、第57回日本推理作家協会賞(評論部門)をW受賞。
大村 巌(おおむら いわお、1969年5月31日 - )は、… 大村 巌(おおむら いわお、1969年5月31日 - )は、北海道稚内市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 愛称は同姓の大村崑にちなんだ「コンちゃん」。 東海大四高校2年時の1986年に、夏の甲子園(第68回大会)にエース兼五番打者として出場し、尽誠学園高校(香川県代表)の伊良部秀輝(元千葉ロッテマリーンズ等)から本塁打を放ち注目される。1987年秋のプロ野球ドラフト会議にてロッテオリオンズに6位で指名された(この時のドラフト1位は上述の伊良部)。投手として入団したが、すぐに打者に転向した。 1989年のフレッシュオールスターゲームで2安打を放ち最優秀選手に選出された際に、賞金の使い道を問われ、「すべてバット代」と答えるほどの練習熱心な選手だった。
工藤 雪枝(くどう ゆきえ、1965年3月14日 - )は、… 工藤 雪枝(くどう ゆきえ、1965年3月14日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家。国家論、安全保障論に関する執筆を行っている。 北海道美幌町に生まれ、その後陸上自衛官である父親の転勤に伴って全国各地に移り住む。高校在学中にAFS財団プログラム留学生として米国に1年間留学した。 岡山県立津山高等学校へ進学し、同期には稲葉浩志がいた。津山高校を経て、1988年(昭和63年)に東京大学法学部を卒業、その後ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で経済学修士号を取得した。経済学の分野でも特にブラック・マートンらのデリバティブ価格理論を研究。本人曰くもともとは東大志望ではなく、高校時代成績優秀だったため志望を変更させられたという。
鎌田 哲哉(かまだ てつや、1963年2月20日 - )は、… 鎌田 哲哉(かまだ てつや、1963年2月20日 - )は、北海道江別市大麻出身の文芸評論家。「重力」編集会議参加者。Q-project監査委員。HOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)講師。元北九州予備校講師(英語担当)。元早稲田大学非常勤講師。岡山県岡山市在住。現在岡山進研学院講師(英語担当)。 北海道松前町生れ。北海道札幌南高等学校、東京大学法学部第三類(政治コース)卒業。1998年に「丸山真男論」で第41回群像新人文学賞評論部門を受賞。2001年批評空間投資事業有限責任組合(現在は解散)に有限責任組合員として参加。2001年に劇作家の可能涼介が提案した「重力」編集会議に参加し、2002年に刊行された『重力01』の編集責任者を務める。
谷岡 雅樹(たにおか まさき、1962年10月20日 - )… 谷岡 雅樹(たにおか まさき、1962年10月20日 - )は、日本の映像評論家。ノンフィクション作家。 北海道虻田郡真狩村出身。北海道札幌南高等学校を卒業後、草創期のビデオレンタル会社社員等を経て1991年より文筆業。 Vシネマ評論を『映画芸術』『ユリイカ』『図書新聞』などに寄稿するほか、文化庁芸術選奨映画部門推薦委員も務める。 高校野球と阪神タイガースのファン。
小坂 洋右(こさか ようすけ、1961年 - )は、日本のジ… 小坂 洋右(こさか ようすけ、1961年 - )は、日本のジャーナリスト・紀行評論家。 北海道札幌市生まれ、旭川市育ち。北海道大学文学部卒。英オックスフォード大学ロイター・ファウンデーション・プログラム修了。アイヌ民族博物館学芸員などを経て北海道新聞記者、編集委員。 北海道庁公費乱用問題では、取材班のメンバーとして活躍し、新聞協会賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)奨励賞を受賞。 2024年「アイヌの時空を旅する 奪われぬ魂」で和辻哲郎文化賞および斎藤茂太賞受賞。
唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - … 唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - 2024年9月24日)は、日本のカルト物件評論家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ、劇作家、演出家。元朝日新聞書評委員。 サブカルチャー、カルトとされる文化や物件について幅広い関心を持つ。書籍・映像・音楽・雑貨など昭和期における事物を今日的視点からB級文化として紹介することをライフワークとしていた。また、オタク文化の評論家として、各種メディアでのコメンテーターや、日本オタク大賞といったイベントの審査員を務めた。 北海道札幌市東区出身。本人の主張するところによれば、札幌光星高等学校、青山学院大学文学部教育学科卒業。東北薬科大学薬学部中退。
村井 康司(むらい こうじ、1958年- )は、日本のジャズ… 村井 康司(むらい こうじ、1958年- )は、日本のジャズ評論家、俳人、編集者。 北海道函館市生まれ。函館ラ・サール高等学校、上智大学文学部新聞学科卒。大学時代からジャズ・ビッグバンドでギターと編曲を担当。小学館に入社し、編集者として勤務のかたわら1987年より音楽雑誌にジャズ評論はじめ音楽についての文章を雑誌に書き始める。そのほか、俳人としても活動する。後藤雅洋、中山康樹と「熱血トリオ」と呼ばれ鼎談で仕事をしていた。俳句同人誌「恒信風」の初代編集長であり、同誌には長嶋有や川上弘美が俳人として依った。編集者としては、歌人の穂村弘をエッセイストとしてメジャーにした『世界音痴』の出版や、同郷の小説家・佐藤泰志の『海炭市叙景』復刊が知られる。
高橋 慶彦(たかはし よしひこ、1957年3月13日 - )… 高橋 慶彦(たかはし よしひこ、1957年3月13日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手、外野手)、野球指導者・解説者・評論家。現在のマネジメント契約は日本電波制作社。Youtube「よしひこチャンネル」の運営・制作は株式会社A Holdings。娘は声優・モデルの高橋雛子。 NPBにおける連続試合安打記録保持者(33試合)。 1957年、北海道芦別市にあった旧三井鉱山の炭坑街で生まれた。父・慶喜は宮城県玉造郡鳴子町(現・大崎市)出身で、実業団のクロスカントリースキー選手であった。現役時代は全日本スキー選手権大会で入賞歴もある。慶喜の芝浦工業大学スキー部監督就任に伴い、4歳の時に東京都清瀬市に移り住んだ。
小杉 英了(こすぎ えいりょう、1956年12月19日 - … 小杉 英了(こすぎ えいりょう、1956年12月19日 - )は、日本の翻訳家・評論家・小説家。北海道旭川市生まれの関西育ち。関西学院大学仏文科卒。東京都在住。 ロック・ミュージックとグノーシス派の洗礼から霊学を志し、ルドルフ・シュタイナーの認識論を通って三島由紀夫の文化論に到る。オイリュトミー舞台公演の脚本として『謡曲・鬼阿闍梨』(京都・金剛能楽堂 1991)、『外典・緑の蛇と百合姫の物語』(新宿・朝日生命ホール 1992)がある。2012年、小説『先導者』(受賞時タイトルは『御役』)で日本ホラー小説大賞受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
鷹見 明彦(たかみ あきひこ、1955年7月19日 - 20… 鷹見 明彦(たかみ あきひこ、1955年7月19日 - 2011年3月23日)は、日本の美術評論家。中国を代表する現代美術家、蔡国強の日本滞在時代(1986-1995年)の初期活動を支援。美術誌に執筆、芸大での講義、多数の現代美術展を企画した。 1955年、北海道富良野市生まれ。10歳頃に東京都立川市に転居し、1974年に桐朋学園高校を卒業。1980年、中央大学文学部哲学科を卒業。 当初は音楽評論からスタートし、20代後半から「中南米音楽」(後に「ラティーナ」と改称)に評論を寄稿する。 1990年以降、「美術手帖」を中心に現代美術の評論を手がける。その一方で多くの現代美術展を企画した。東京藝術大学、茨城大学、武蔵野美術大学で非常勤講師も務めた。
金森 修(かなもり おさむ、1954年(昭和29年)8月4日… 金森 修(かなもり おさむ、1954年(昭和29年)8月4日 - 2016年(平成28年)5月26日)は、日本の哲学研究者・思想評論家。 北海道札幌市生まれ。札幌市立啓明中学校、北海道札幌南高等学校を卒業。高校1年生(1970年)の頃、当時の3年生を中心とした学生グループが決定した授業無限拒否に巻き込まれる(札南闘争)。 1978年(昭和53年)東京大学教養学部教養学科フランス分科卒業。同大学院人文科学研究科比較文学比較文化博士課程満期退学。 数理哲学者のジャン=トゥサン・ドゥサンティを指導教員としてパリ第1大学で学び、ガストン・バシュラールを論じたA4サイズで500枚を超える長大な博士論文を提出、哲学博士の学位を取得。
澤井 繁男(さわい しげお、1954年1月13日 - )は、… 澤井 繁男(さわい しげお、1954年1月13日 - )は、日本の作家、評論家、エッセイスト、イタリアルネサンス文学・文化研究家、元関西大学文学部教授、放送大学(大阪学習センター)非常勤講師。本名は茂夫。 公式サイト 澤井繁男 - オフィシャルホームページ 北海道札幌市生まれ。北海道札幌南高等学校から、東京外国語大学外国語学部イタリア語学科を卒業、京都大学大学院でイタリア文学を専攻。イタリア・ルネサンス思想の権威清水純一教授に師事。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。東京外国語大学時代、第19次『新思潮』に参加して小説を書いた。伊藤整・フォークナー・パヴェーゼに私淑。1999年、東京外国語大学論文博士(学術)取得。
二階堂 裕(にかいどう ゆたか 、1954年 - )は、日本… 二階堂 裕(にかいどう ゆたか 、1954年 - )は、日本の自動車専門誌編集者・自動車評論家・経営者。北海道旭川市生まれ。 アールブイフォーワイルドグース株式会社代表取締役社長、エスエスシー出版有限会社代表取締役社長、絵本作家、作家。日本ジムニークラブ会長。盛和塾元横浜塾生。現フィロソフィー経営実践塾(横浜)。神奈川県隊友会員。厚木市法人会員。日本赤十字社員。NPO法人 四駆レスキュー隊副理事長。NPO法人 山梨県地震対策四駆隊顧問。 旭川市立六合中学校卒業。北海道旭川北高等学校卒業。1973年、海上自衛隊に第25期航空学生として入隊。4年間のパイロット生活を送るが、病気のために地上勤務となり、厚木基地の航空集団司令部、音響解析室に勤務。
高澤 秀次(たかざわ しゅうじ、1952年(昭和27年)7月… 高澤 秀次(たかざわ しゅうじ、1952年(昭和27年)7月18日 - )は、日本の文芸評論家。日本ジャーナリスト専門学校文芸創作科、慶應義塾大学総合政策学部、明治学院大学文学部、近畿大学大学院文芸学研究科非常勤講師、苫小牧駒澤大学国際文化学部特任教授、二松學舍大学文学部非常勤講師を歴任。 北海道室蘭市生まれ。北海道室蘭栄高等学校、早稲田大学第一文学部(文芸専攻)卒業。フリージャーナリストを経て、1980年代後半から評論活動を始める。民俗ルポルタージュから思想史、近代知識人論、中上健次に関する評論・研究、文芸評論などのほか、文芸誌上に発表された近年の作家論では、中野重治、金石範、大西巨人、石牟礼道子、小島信夫、小田実、古井由吉、後藤明生、津島佑子がある。
千葉 展正(ちば てんせい、1952年 - )は日本のジャー… 千葉 展正(ちば てんせい、1952年 - )は日本のジャーナリスト、評論家、マスキュリスト。中央大学法学部出身。反フェミニズムの活動を行っている。 北海道芦別市に生まれる。1977年から1996年まで共同通信社に記者として勤める。退社の後はフリーランサーとして『世界日報』や『國民新聞』など右派系の媒体に寄稿している。選択的夫婦別姓制度、ジェンダーフリー、DV防止法などの政策に対して、「フェミニズムに基づいている」などとして批判的な姿勢を取る。現在(2004年)は千葉県に在住。フェミニストとして知られる堂本暁子が同県の知事に当選し、女性優遇政策を推し進める方針を表明すると、反対運動に参加する。女子教育は良妻賢母を育成する目的で行われるべきだと考えており、同旨の理念を校訓とする大妻女子大学を称揚している。
川村 湊(かわむら みなと、1951年2月23日 - )は、… 川村 湊(かわむら みなと、1951年2月23日 - )は、日本の文芸評論家。法政大学国際文化学部名誉教授。 北海道網走市生まれ。北海道砂川南高等学校を経て、1974年法政大学法学部政治学科を卒業、株式会社大中入社。大学在学中に柄谷行人の教えを受けた。1978年株式会社水産社入社。1980年、「異様(ことよう)なるものをめぐって─徒然草論」が群像新人文学賞の優秀作に選ばれ、文芸評論家として活動を開始。 1982年韓国・東亜大学校文科大学日本語日本文学科専任講師、1985年同助教授、1990年法政大学第一教養部助教授を経て1994年教授、1999年法政大学国際文化学部教授。国際文化学部学部長。2017年退任し、名誉教授。
川又 千秋(かわまた ちあき、1948年12月4日 -)は、… 川又 千秋(かわまた ちあき、1948年12月4日 -)は、日本の小説家、SF作家、評論家。日本SF作家クラブ、日本推理作家協会、各会員。 北海道小樽市出身。慶應義塾大学文学部卒業。大学時代より、伝説的なSFファンの集まり「一の日会」に参加。 博報堂に入社しコピーライターとなる。1971年、評論「バラードはどこへ行くか?」(『季刊NW-SF』誌)で評論家デビュー。1972年「舌」(『季刊NW-SF』誌)で作家デビュー。また、同年、評論「明日はどっちだ!」を『S-Fマガジン』に発表。1973年から1975年にかけて『S-Fマガジン』に長編評論『夢の言葉・言葉の夢』を連載する。 1980年より専業作家となる。
寺島 実郎(てらしま じつろう、1947年8月11日 - )… 寺島 実郎(てらしま じつろう、1947年8月11日 - )は、日本の政治評論家。外交評論家。 多摩大学学長・教授、東北公益文科大学客員教授、立命館大学国際関係学部客員教授、帝塚山大学特別客員教授、立命館アジア太平洋大学国際経営学部客員教員、学校法人市川学園特別顧問、一般財団法人日本総合研究所会長、一般社団法人寺島文庫代表理事。 札幌市立啓明中学校卒業。北海道札幌旭丘高等学校卒業。1971年3月 - 早稲田大学政治経済学部卒業。 1973年3月 早稲田大学大学院修了。政治学修士。1973年4月 - 三井物産に入社し、調査部、業務部で勤務する。1983年 - 1984年 ブルッキングス研究所へ出向する。
岩崎 紘昌(いわさき ひろまさ、1946年5月3日 - )は… 岩崎 紘昌(いわさき ひろまさ、1946年5月3日 - )は、西洋アンティーク評論家、アンティークショップ店長。血液型A型。 北海道出身。北海道札幌南高等学校、中央大学法学部卒。 学生時代、ヨーロッパ・中近東など世界75カ国を旅行し、アンティークの魅力に取り付かれる。卒業後の1972年、アンティークショップを都内に開店、西洋アンティークの輸入販売業を始め、現在に至る。日本における西洋アンティーク研究の第一人者でもあり、著書も多い。また、テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」のレギュラー鑑定士としてもお馴染みだった。 息子は珈琲抽出師の岩崎泰三。長女にスウェーデンで北欧雑貨ディット・ダット」やYouTubeチャンネル「Nord-Labo 北欧研究室」を運営するダールマン容子がいる。
小笠原 賢二(おがさわら けんじ、1946年4月15日 - … 小笠原 賢二(おがさわら けんじ、1946年4月15日 - 2004年10月4日)は日本の文芸評論家。北海道増毛郡増毛町出身。 中学卒業後に集団就職で上京し蒲田の町工場で働くも、父の死を挟み進学を志して、その年に帰郷。北海道増毛高等学校を経て、法政大学文学部日本文学科卒業。1975年、同大学院修士課程修了。小田切秀雄に師事。 大学院在学中から「週刊読書人」の編纂に携わり、1986年退職。その後、法政大学や日本ジャーナリスト専門学校などで教鞭を取る。1995年、『終焉からの問い』で第3回ながらみ書房出版賞受賞。評論は小説だけに限らず、短歌、俳句も積極的に対象とした。 2004年、肺がんのため東京都立川市の病院で死去。
松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 … 松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 - 2017年11月23日)は、日本の画家、美術評論家、歌人。歌人の王紅花は妻。 北海道北見市に生まれた。本名読み・おさふみ。北海道札幌西高等学校時代の教諭に菱川善夫がいた。東京藝術大学美術学部卒業。その後、同大学院に学んだ。 美術史家としては、今村紫紅など近代の日本画家を研究した。1983年、青梅市立美術館の開設準備に携わり、副館長などを経て2009年の退職まで務めた。並行して、実作や評論を行った。 短歌を大野誠夫に学び、歌誌「作風」を編集。1984年、大野の死により「作風」を退会。その後は無所属だった。また、句集や詩集の著作もある。
中村 文昭(なかむら ふみあき、1944年〈昭和19年〉12… 中村 文昭(なかむら ふみあき、1944年〈昭和19年〉12月18日 - )は、日本の詩人、文芸批評家、舞踊批評家。北海道旭川市出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。元日本大学芸術学部文芸学科教授。えこし会(江古田詩人会)主宰。 北海道旭川市に生まれる。旭川東高等学校卒業後、日本大学芸術学部映画学科に進学。 日芸在学中に吉本隆明の『試行』を知り、吉本隆明に私淑。1967年日芸映画学科卒業。卒論は「フェデリコ・フェリーニ」。その後約半年かけ評論「アルチュール・ランボォ」800枚を書き上げる。「アルチュール・ランボォ」は第17回までが『試行』に掲載されている。 1968年『あぽりあ』の同人となる。『あぽりあ』5号から中村と詩人坂井信夫と共同編集、20号からは中村単独編集。
藤岡 信勝(ふじおか のぶかつ、1943年10月21日 - … 藤岡 信勝(ふじおか のぶかつ、1943年10月21日 - )は、日本の教育学者・教育評論家。専門は、社会科教育学・ディベート教育。 新しい歴史教科書をつくる会顧問。産経新聞正論メンバー。元東京大学、拓殖大学教授。元日本共産党員。北海道川上郡標茶町出身。 1943年10月、北海道岩見沢市生まれ。川上郡標茶町で育つ。 1962年3月、北海道標茶高校卒業後、1962年4月、北海道大学教養部文類入学。1963年、日本共産党入党。1966年3月、北海道大学教育学部卒業。1971年3月、北海道大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。北大時代を恵迪寮で過ごす。 1971年11月、名寄女子短期大学(現名寄市立大学短期大学部)専任講師。
今野 雄二(こんの ゆうじ、1943年10月5日 - 201… 今野 雄二(こんの ゆうじ、1943年10月5日 - 2010年7月27日)は、日本の映画・音楽評論家、翻訳家、小説家。 北海道室蘭市生まれ。国際基督教大学教養学部語学科卒業後、平凡出版(後のマガジンハウス)に入社。『平凡パンチ』『an・an』編集部を経て、評論家として独立。音楽評論家としては、ミッシェル・ポルナレフ、ロキシーミュージック、10ccなど、多数のレコードのライナーノーツを担当した。 日本テレビの深夜番組『11PM』に出演して映画紹介や流行のサブカルを紹介するコーナーを受け持ち、司会の愛川欽也から「コンちゃん」と呼ばれ、そのニックネームで知られるようになった。 1970年代にはその他に当時の若者向け番組『リブ・ヤング!』や『チャンネル泥棒!快感ギャグ番組!空飛ぶモンティ・パイソン』などに司会者として出演した。
太田 昌国(おおた まさくに 1943年(昭和18年) - … 太田 昌国(おおた まさくに 1943年(昭和18年) - )は、日本の思想評論家、映画評論家、編集者、翻訳家。 東アジア反日武装戦線のメンバーの支援活動を行っている。 釧路市生まれ。1968年、東京外国語大学ロシア語科卒。 出版社からの就職が一旦内定したが取り消された。翻訳や校正、肉体労働のアルバイトをしながら、国立国会図書館などで研究活動をしていた。どちらかというと、ソ連を先頭とする世界共産主義運動に対する幻想は持たず、アナキズムの方向性を抱いていたと回顧している。 1960年代には、レボルト社からアジア、アフリカ、ラテンアメリカについての情報を扱った『世界革命運動情報』の編集、刊行に関わってきた。
川成 洋(かわなり よう、1942年5月8日 - )は、日本… 川成 洋(かわなり よう、1942年5月8日 - )は、日本の英文学者、スペイン史学者、評論家、翻訳家。社会学博士(一橋大学・論文博士・2003年)(学位論文「スペイン内戦を戦ったイギリス人義勇兵の研究 - ケンブリッジの若き文士たちを中心にして」)。法政大学名誉教授。2022年瑞宝中綬章受章。 北海道生まれ。1966年北海道大学文学部卒業、1969年東京都立大学英文学専攻大学院修士課程修了、ロンドン大学・ケンブリッジ大学客員研究員を経て1977年より法政大学理工学部教授。2003年学位論文「スペイン内戦を戦ったイギリス人義勇兵の研究 - ケンブリッジの若き文士たちを中心にして」で一橋大学より社会学博士の学位を取得。
笠井 嗣夫(かさい つぎお、1942年 - )は、日本の詩人… 笠井 嗣夫(かさい つぎお、1942年 - )は、日本の詩人、文芸評論家。
酒井 忠康(さかい ただやす、1941年7月16日 - )は… 酒井 忠康(さかい ただやす、1941年7月16日 - )は、日本の美術評論家、世田谷美術館館長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。 1941年、北海道余市郡余市町生まれ。北海道余市高等学校を経て、慶應義塾大学に入学。1964年、慶應義塾大学文学部美学美術史科を卒業。 大学卒業と同時期に神奈川県立近代美術館学芸員になる。土方定一に師事し、学芸課長、副館長を経て、1992年より館長。2004年から2024年3月まで世田谷美術館館長。2003年の『海にかえる魚』では、小説に挑んだ。2006年から2021年まで美術館連絡協議会理事長。 近代美術の研究、現代美術の評論活動を行う。ベネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナーを務めた。
志村 有弘(しむら くにひろ、1941年1月19日 - )は… 志村 有弘(しむら くにひろ、1941年1月19日 - )は、日本文学研究者、文芸評論家、相模女子大学名誉教授。 北海道深川市生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業。立教大学大学院日本文学専攻博士課程満期退学。1966年、立教高校教諭。梅光女学院大学助教授、1978年相模女子大学助教授、教授、2006年定年、名誉教授。
星加 ルミ子(ほしか ルミこ、1940年9月10日 - )は… 星加 ルミ子(ほしか ルミこ、1940年9月10日 - )は、日本の音楽評論家。北海道赤平市出身。1965年から1975年まで、音楽雑誌『ミュージック・ライフ』の編集長を務める。1965年に日本人ジャーナリスト初のビートルズとの単独会見を成功させた。ビートルズに最も近いジャーナリストとして知られている。 1940年9月10日、北海道札幌市に生まれ、赤平市で育つ。小学4年生の時に父親の転勤で、青森県八戸市に転居。6年生の時からFNSのアメリカのポピュラー・ソングを聴くようになり、青森県立八戸高等学校に通学していた16歳の時、エルヴィス・プレスリーの曲を聴いて衝撃を受ける。高校2年生の時に母親が死去。
保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月… 保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月14日 - )は、日本の作家・評論家。 北海道札幌市生まれ、二海郡八雲町育ち(なお、自著のプロフィールでは「北海道生まれ」のみと表記し、出身市町村については明記していない)。 北海道札幌市で教員の父親のもとに生まれる。父親は群馬県、母親は江別市出身。父親の勤務の関係で、生後間もなく江別市に移り、3歳で福島県二本松市、5歳で北海道二海郡八雲町に移る。そのまま八雲町で終戦を迎え、小学校6年まで同町で育った後、根室市を経て札幌市白石町(現・札幌市白石区)に移った。札幌市立柏中学校、北海道札幌東高等学校を卒業。阿部典英は中学高校の同級生、西部邁は中学校の1年先輩に当たる。
井上 和雄(いのうえ かずお、1939年4月28日 - )は… 井上 和雄(いのうえ かずお、1939年4月28日 - )は、日本の経済学者、音楽評論家,神戸商船大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。神戸大学大学院経済研究科博士課程中退。大阪府立大学教養部助手、同経済学部講師、神戸商船大学(現・神戸大学海事科学部)教授。1962年、中央公論社『モーツァルト大全』の懸賞論文に「読者のモーツァルト論」が入選。1987年『モーツァルト心の軌跡』でサントリー学芸賞受賞。2003年定年退官、名誉教授。自身で弦楽四重奏団を結成し、画も描く。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
西部 邁(にしべ すすむ、1939年〈昭和14年〉3月15日… 西部 邁(にしべ すすむ、1939年〈昭和14年〉3月15日 - 2018年〈平成30年〉1月21日)は、日本の思想家、評論家、経済学者。東京大学大学院修了。秀明大学教授・学頭、東京大学教養学部教授、隔月刊誌『表現者』顧問を歴任。 北海道出身。東大入学後にブントのメンバーとなり、東大自治会委員長として安保闘争に参加した。安保闘争から離脱後は東大大学院で近代経済学を専攻し、横浜国立大学助教授、東大助教授、英米への留学を経て東大教授となる。1980年代から保守の論客として活躍し、東大駒場騒動の際に東大教授を辞職。それ以後は在野の評論家として評論活動を行った。2018年に多摩川にて入水自殺。 1939年(昭和14年)、北海道の南部に位置する山越郡長万部町に生まれる。
草森 紳一(くさもり しんいち、1938年2月23日 - 2… 草森 紳一(くさもり しんいち、1938年2月23日 - 2008年3月19日)は、日本のマンガ、広告、写真評論家。 北海道河東郡音更村(現・音更町)生まれ。長男の渡部幻は映画批評家で編集者。長女の東海笑子は翻訳家。 北海道帯広柏葉高等学校を経て、1浪後慶應義塾大学文学部に入学して中国文学科に進む。大学時代は奥野信太郎や村松暎に師事。また慶應義塾大学推理小説同好会に参加、このときの先輩に紀田順一郎や田波靖男がいる。 映画監督を志望し、1960年に東映の入社試験を受けたが面接で失敗。 1961年、大学卒業後は婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に入社し、『男の服飾』を『MEN'S CLUB』に改名する発案をする。
川嶋 至(かわしま いたる、1935年(昭和10年)2月15… 川嶋 至(かわしま いたる、1935年(昭和10年)2月15日 - 2001年(平成13年)7月2日)は、文芸評論家。北海道札幌市生まれ。1958年(昭和33年)北海道大学文学部国文科卒業後、1964年(昭和39年)同大学院博士課程満期退学。日本近代文学を専攻していた在学中に『位置』の同人となる。その後、岩手大学講師、東京工業大学助教授、教授を歴任。川端康成の研究家として知られ、川端の元恋人の伊藤初代の実体をいち早く究明した研究者として注目された人物である。 大学院時代の1961年(昭和36年)3月、評論「『伊豆の踊子』を彩る女性(上・下)」を発表し、いち早く川端康成の初期の恋人「伊藤初代」の存在に着目していたが、この論はほとんど注目されなかった。
水沢 渓(みずさわ けい、本名・阪本 遵 さかもと じゅん、… 水沢 渓(みずさわ けい、本名・阪本 遵 さかもと じゅん、1935年〈昭和10年〉 - 2009年〈平成21年〉6月4日)は、日本の経済評論家・作家・出版社代表取締役。 北海道函館市生まれ。早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業。山一證券入社。山一證券従業員労働組合執行委員を経て、社会福祉法人函館共愛会病院事務長となる。同会退会後、経済評論家・作家に転身。1989年、小説『巨大証券の犯罪』(健友館)がベストセラーとなる。 以後、経済小説やノンフィクション、医療問題、官僚腐敗、酒や食品に関する著書を多く手がける。 その傍ら東京都中野区野方にあった出版社健友館の代表取締役兼編集長となり、自身の著書のほかは主に医学専門書やアマチュア作家の自費出版作品を多く扱ったが、2004年6月、負債1億7000万円を抱えて倒産した。
本郷 美則(ほんごう よしのり、1934年5月9日 - 20… 本郷 美則(ほんごう よしのり、1934年5月9日 - 2020年7月28日)は、日本の時事評論家、元朝日新聞記者、研修所長。 北海道室蘭市生まれ。早稲田大学政治経済学部新聞学科卒。朝日新聞入社。同期には本多勝一や筑紫哲也がいる。社会部や整理部などを経て、研修所長を務めた。1994年(平成6年)の退社後は執筆活動を行う。 日本文化チャンネル桜に出演し、マスメディアの問題点や朝日新聞に関する問題について論じている。 2020年7月28日、神奈川県鎌倉市にて死去。86歳没。 2007年に第1次安倍内閣への朝日新聞の報道姿勢に対して として批判している。
石川 佐智子(いしかわ さちこ、1934年3月9日 - ) … 石川 佐智子(いしかわ さちこ、1934年3月9日 - ) は日本の教育評論家、政治運動家、右翼。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三田 英彬(みた ひであき、1933年8月23日 - 200… 三田 英彬(みた ひであき、1933年8月23日 - 2004年7月16日)は、日本のノンフィクション作家、文芸評論家。日本文藝家協会会員、日本推理作家協会会員。 北海道函館市生まれ。 横浜市立大学文理学部卒業。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。 学研編集部勤務を経てフリーライターとなり、文芸評論、近代文学研究などに従事。1970年7月、小説「サバンナに燃ゆ」が小学館主催の第1回小説セブン新人賞最終候補となっている。『北方領土・悲しみの島々』『戦後 幻のドン』『棄てられた四万三千人』などのノンフィクションを刊行。1977年、第1回「週刊読売」ノンフィクション賞に入選。 1983年、上田女子短期大学教授。
松本 徹(まつもと とおる、1933年8月19日 - )は、… 松本 徹(まつもと とおる、1933年8月19日 - )は、日本の文芸評論家。近畿大学・武蔵野大学教授、三島由紀夫文学館館長を経て顧問。 北海道札幌市生まれ。大阪市立大学文学部国語国文学科卒業後、産経新聞社に入社。記者時代の1963年に「森鷗外ノート」で第6回群像新人文学賞(評論部門)候補。1973年に「三島由紀夫論」を発表。文芸評論、小説を書き、徳田秋声論を書いている。1977年に姫路工業大学、1980年に近畿大学教養部教授。1982年から『文學界』で同人雑誌評を担当、1993年から2004年まで武蔵野女子大学(現:武蔵野大学)教授。その時期は作家・漫画家の白倉由美の指導教官だった。 2006年『徳田秋声全集』(八木書店)の編纂で菊池寛賞受賞。
山田 隆(やまだ たかし、1933年5月24日 - 1998… 山田 隆(やまだ たかし、1933年5月24日 - 1998年9月8日)は、日本のプロレス記者・評論家。 東京スポーツ新聞社に所属していた。北海道北見市出身。 1959年東京スポーツに入社、1967年9月22日から日本テレビの『日本プロレス中継』で解説者を務める。ターザン・タイラーの手錠事件写真を紹介するなど、海外マット界の情報を生かすというこれまでには無い画期的な解説を取り入れた。ジャイアント馬場との親交が深く、1972年の全日本プロレス旗揚げから1980年代末まで、長年に渡り『全日本プロレス中継』の解説者を務めた。 特に1981年世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦(蔵前国技館、優勝決定戦)にてスタン・ハンセンが乱入し、ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組に助太刀した、いわゆるスタン・ハンセン乱入事件の時に山田が発した「ハンセンですよ!」は今でもプロレスファンの語り草になっている[要出典]。