北谷 稔行(きたや のりゆき、1980年10月10日 - )… 北谷 稔行(きたや のりゆき、1980年10月10日 - )は、青森県出身の元バスケットボール選手、指導者、実業家である。。 青森県鶴田町出身。鶴田中学校、弘前実業高校から拓殖大学に進学し、1999年の全日本大学選手権(インカレ)で準優勝を経験した。大学卒業後は地元に戻り、青森県国民健康保険団体連合会に勤務しながら競技を続け、国民体育大会の青森県代表チームに13年連続で選出されたほか、2017年には3x3日本選手権大会にも出場、3位に入賞した。2018年2月27日、佐藤信長の後任としてBリーグ2部(B2)所属の青森ワッツのヘッドコーチに就任した。プロ、アマ通じてチームの指揮を執るのは自身初めてである。
佐藤 涼(さとう りょう、1980年5月12日 - )とは、… 佐藤 涼(さとう りょう、1980年5月12日 - )とは、青森県青森市出身でアメリカ合衆国ニューヨークを拠点に活動するアーティスト・実業家。日本人現代アーティストチームJCAT所属。アーティストとしての名義は「Ryo.S」。B型。 生まれつきの脳性麻痺で手足に障害を持ちながら、絵画・音楽・執筆活動などを行っている。その傍らで青森県青森市で障害者の就労支援などを行う特定非営利活動法人C-FLOWERの理事長も務めている。 手足が不自由であるため、口に鉛筆や筆を咥えて絵を描く。このスタイルに至った原点は小学校2年生当時の図画工作の授業で、担任が無理矢理筆を持たせて手を動かして描かせたことにある。その際「自分の絵ではない。
三上 大和(みかみ やまと、1976年9月22日 - )は、… 三上 大和(みかみ やまと、1976年9月22日 - )は、日本の実業家。元タレント、元俳優。青森県五所川原市出身。青森県立五所川原農林高等学校農業土木科卒業。元太田プロダクション所属。 1994年に日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「平成口ゲンカ王決定戦」に出演し準優勝。その際独特の話し方(津軽弁)、キャラクターのユニークさで注目を集め、他のコーナーにも「素朴なヤンキー」として登場するようになる。 高校卒業後に上京して芸能界入り。1995年に「We Are YAMATO」で歌手デビュー。続くセカンドシングルとしてリリースした「Let's go 女 happy time」、「Break Out!」はオリコンチャートにはランクインせず(圏外)、歌手デビューした結果は不発に終わった。
高杉 圭之輔(たかすぎ けいのすけ、1972年12月17日 … 高杉 圭之輔(たかすぎ けいのすけ、1972年12月17日 - )は、日本の音楽プロデューサー、料理家(イタリア料理)、ギタリスト、実業家。青森県青森市出身。青森県のご当地アイドルプロジェクト「GMU(グルメ・ミュージック・ユニット)」の総合プロデューサー。エンターテインメント制作会社・株式会社アオプロの代表取締役を務める。 青森県青森市生まれ。10代よりギタリストとして音楽活動を開始する一方で、食の世界に身を置き、30年間にわたり飲食業界で活動した。 イタリアへ渡り10年間の修行生活を送った経験を持つ。帰国後、故郷である青森の食材の豊かさに感銘を受け、自身がオーナーシェフを務める「Italian dining & Bar Kei」を立ち上げる。
天間幸生(てんま ゆきお、1972年10月17日 - )は、… 天間幸生(てんま ゆきお、1972年10月17日 - )は、日本の実業家。青森県七戸町出身。株式会社RCG代表取締役代表取締役。北海道総合商事株式会社の前社長。 1972年10月17日、青森県で生まれる。青森県立三本木高校を経て日本大学農獣医学部を卒業。1995年、故郷の地銀・みちのく銀行に入行。 2015年、北海道銀行在職中に行内ベンチャーとして北海道総合商事を設立。自身の持つ知見を基に、ロシアをはじめとする海外展開事業を推進。ヤクーツクでの通年型温室プロジェクト、ベトナムでの「北海道トマトハウス事業」の成功等の実績を挙げる。 2020年3月、北海道総合商事を退職し、同4月株式会社RCGを創業。
水本 豊(みずもと ゆたか、1967年6月25日 - )は、… 水本 豊(みずもと ゆたか、1967年6月25日 - )は、日本の実業家。ミヤギテレビサービス代表取締役社長で、元宮城テレビ放送アナウンサー。 青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校(シンガーソングライターの坂本サトル、元ABAアナウンサーの松元美穂とは同期生)、立教大学卒業後、1991年4月にミヤギテレビ入社。 1994年から『ズームイン!!朝!』の四代目宮城担当キャスターを務め、『ズームイン!!SUPER』でも宮城担当キャスターを担当。合計10年『ズームイン』のキャスターを担当したが、2004年6月に柳瀬洋平にバトンタッチ。以降は『ズームイン!!SUPER』『OH!バンデス』のディレクターを務めていたが、『バンデス』ではピンチヒッターとして中継リポーターを担当することもあった。
藤澤 貴之(ふじさわ たかゆき、1966年(昭和41年)8月… 藤澤 貴之(ふじさわ たかゆき、1966年(昭和41年)8月26日 - )は、日本の実業家、銀行家。青森みちのく銀行代表取締役会長、プロクレアホールディングス代表取締役副社長、青森放送取締役。 青森県青森市出身。青森市立西中学校から、青森高校に進学。1990年に千葉大学法経学部を卒業後、みちのく銀行に入行。 同行古川支店長、人事部長、営業本部長、常務執行役員、専務執行役員を経て、2007年、高田邦洋の後任として経営企画部長に就任。2018年に取締役に選任されると、高田の後任として代表取締役頭取に就任した。 2020年、青森銀行との経営統合を否定するが、翌年、2024年をめどに青銀と経営統合する意向を発表した。
前多 俊宏(まえた としひろ、1965年1月19日 - )は… 前多 俊宏(まえた としひろ、1965年1月19日 - )は、日本の実業家。エムティーアイ創業者、現代表取締役社長。 青森県青森市出身。中学生のころから将来は起業家になるつもりであり、大学時代には様々な企業の経営者の話を聞いて回った。 1987年千葉大学工学部機械工学科卒業。同年4月に日本アイ・ビー・エムに入社するものの、約1年後には光通信に転じ、1990年に同社の取締役となる。1996年8月にエムティーアイを創業し、同社の代表取締役社長となった。 前多は同社を創立した時点から株式公開を考えており、携帯電話関連事業を手がけ、1999年10月には株式の店頭公開を実現した。携帯電話の性能の急速な向上により、携帯電話がパソコン並みの性能を遠からず持つようになると予想し、そうした携帯電話の発展が同社の業績拡大の鍵だと語っている。
坂本 政謙(さかもと まさのり、1964年 - )は、日本の… 坂本 政謙(さかもと まさのり、1964年 - )は、日本の実業家、株式会社岩波書店代表取締役社長。 1964年、青森県八戸市生まれ。青森県立八戸高等学校、立教大学法学部法学科卒業。大学時代は高畠通敏に師事。コスモ石油株式会社勤務を経て、1990年に岩波書店に入社。営業部で書店営業を担当したのち編集部へ異動、学術書の部門で『丸山眞男集』等の実務を担う。その後、『シリーズ 思考のフロンティア』や、原研哉、原田宗典等の著書を企画・編集。1999年に佐藤正午に小説を依頼し、佐藤のエッセイ集や短編集を編みながら、時が熟すのを待つ。2017年、担当した佐藤正午の『月の満ち欠け』が第157回直木賞を受賞。贈賞式では欠席した佐藤の代わりに受賞の言葉を代読した。
藤野 道格(ふじの みちまさ、1960年9月 -)は日本の技… 藤野 道格(ふじの みちまさ、1960年9月 -)は日本の技術者、実業家。東京都生まれ、青森県弘前市育ち。東京大学工学部航空学科卒。1984年、本田技研工業に入社。1986年に本田技術研究所基礎技術研究センターに配属後、航空機の研究開発に携わる。米ミシシッピ州立大学研究所にて実験機を試作。先進小型ビジネスジェット機「HondaJet」の設計・開発責任者。Honda R&Dアメリカ副社長等を経て、2006年よりホンダ エアクラフト カンパニー社長兼CEOに就任し、2016年より本田技研工業常務執行役員を兼任。2022年4月1日付で退職した。 1984年に東京大学工学部航空学科を卒業後、クルマの技術者になろうと本田技研工業に入社。
森内 真人 (もりうち まさと、1959年10月26日 -… 森内 真人 (もりうち まさと、1959年10月26日 - )は、日本の実業家。青森放送常務取締役。青森県青森市出身。青森県立青森高等学校、早稲田大学教育学部教育学科卒。
山中 泉(やまなか せん、1958年8月7日 - )は、日本… 山中 泉(やまなか せん、1958年8月7日 - )は、日本の実業家、著述家、政治家。参政党所属の参議院議員(1期)。 1958年、青森県生まれ。1980年、青森県立青森高等学校卒業後に渡米し、イリノイ大学を卒業。ニューヨーク野村證券勤務後に起業。 2022年現在、東京都に在住し、都内と米国でコンサルティング会社を経営。日本メーカーの北米代表も務める。国際武道空手連合三浦道場師範代として空手を指導。生活者・納税者としての視点から、日本のメディアでは報道されない米国の社会をSNSで発信。 2024年10月、第50回衆議院議員総選挙に参政党公認で比例東北ブロックから立候補したが、比例東北ブロックで参政党は議席を確保できず落選した。
田中 義剛(たなか よしたけ、1958年〈昭和33年〉3月1… 田中 義剛(たなか よしたけ、1958年〈昭和33年〉3月13日 - )は、日本のタレント、シンガーソングライター、酪農家、実業家である。株式会社花畑牧場代表取締役。所属事務所はアップフロントクリエイト(2013年10月1日より所属。9月30日まではアップフロントプロモーションに所属していた。花畑牧場はアップフロントグループの子会社)。 青森県八戸市出身。青森県立八戸北高等学校・酪農学園大学酪農学部卒業。理科の教員免許を持っており、母校の酪農学園大学では特命教授を務めている。身長184cm。 サラリーマン家庭に育つ。 16歳の頃、漁船のコックをしていた友人がオホーツク海で遭難死。襟裳岬まで哀悼の旅に出て、その帰路、門別の牧場で馬の出産を目にし、牧場を開くことを夢に抱き、青森の高校を卒業後北海道の酪農学園大学へ進学。
長谷部 剛(はせべ つよし、1957年(昭和32年)8月22… 長谷部 剛(はせべ つよし、1957年(昭和32年)8月22日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。日本経済新聞社代表取締役会長。 青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校を経て、1980年に早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社入社。大阪編集局社会部、名古屋編集部、東京編集局経済解説部、経済部に記者として勤務。その後、秘書室長、東京編集局経済部長、経営企画室長等を歴任。 2012年常務、2015年専務、2020年副社長を経て、2021年3月に社長に就任。グローバルとデジタルを両輪とする事業戦略を進め、日経電子版の有料会員数を伸ばし、2026年3月代表権のある会長に退く。
高田 邦洋(髙田 邦洋、たかだ くにひろ、1957年(昭和3… 高田 邦洋(髙田 邦洋、たかだ くにひろ、1957年(昭和32年)5月18日 - )は、日本の実業家、銀行家。青森経済同友会代表幹事、みちのく銀行特別顧問。 青森県上北郡七戸町出身。三本木高校、日本大学法学部卒業後、1981年にみちのく銀行に入行する。 小柳支店長や堅田支店長、経営企画部長を歴任して、2006年に取締役に就任する。その後、取締役常務執行役員を経て、2012年に代表取締役副社長となり、翌2013年に杉本康雄の後任として代表取締役頭取に就任した。 2018年に頭取を藤澤貴之に譲って、代表権のない取締役会長に退き、2022年6月に特別顧問。
山本 恒太(やまもと こうた、1957年3月1日 - )は、… 山本 恒太(やまもと こうた、1957年3月1日 - )は、日本の実業家。青森放送代表取締役社長。青森県青森市出身。早稲田大学教育学部卒業。
成田 晋 (なりた すすむ、1954年(昭和29年)9月27… 成田 晋 (なりた すすむ、1954年(昭和29年)9月27日 - )は、日本の実業家、銀行家。プロクレアホールディングス代表取締役社長、青森放送取締役。青森県生まれ。
羽柴 誠三 秀吉(はしば せいぞう ひでよし 1949年〈昭… 羽柴 誠三 秀吉(はしば せいぞう ひでよし 1949年〈昭和24年〉10月11日 - 2015年〈平成27年〉4月11日)は、日本の実業家、政治活動家である。本名は三上 誠三(みかみ せいぞう)。別名は羽柴 秀吉。 羽柴企業グループ社主として羽柴観光小田川温泉株式会社(旅館「秀吉のやかた」)や東北興産建設株式会社などを経営していた。また、公認候補者として所属した自由連合では幹事を務めた。 青森県五所川原市(旧北津軽郡金木町)出身。若き日に近所の住職より「お前は戦国武将豊臣秀吉の生まれ変わり」と言われて以来、この名前を名乗ったという。 家は貧しく家庭環境は複雑で、中学を卒業すると製材工場で働いた。
奥 義光(おく よしみつ、1949年8月24日 - )は、日… 奥 義光(おく よしみつ、1949年8月24日 - )は、日本の実業家で、東京地下鉄株式会社代表取締役社長を務めた。公益財団法人メトロ文化財団代表理事会長。 青森県十和田市出身。1974年に早稲田大学院を修了し、帝都高速度交通営団に入団した。 2004年に常務に就任し、2007年から副社長となり、2011年に社長に就任した。前身の営団時代も含めて初の生え抜き社長となった。2017年に取締役相談役に就任した。 2021年秋に旭日重光章を受章した。 1974年3月 早稲田大学大学院理工学研究科(土木)修了 1974年4月 帝都高速度交通営団入団 2004年4月 東京地下鉄株式会社常務取締役 2007年6月 同社副社長 2011年6月 同社社長 2017年6月 同社社長退任、取締役相談役 2021年6月 同社相談役 2021年11月 旭日重光章(鉄道事業功労)受章 2022年 公益財団法人メトロ文化財団代表理事会長
倉内 均(くらうち ひとし、1949年5月3日 - 2022… 倉内 均(くらうち ひとし、1949年5月3日 - 2022年10月7日)は、日本のテレビディレクター、テレビプロデューサー、映画監督、実業家である。大ヒットした映画『佐賀のがばいばあちゃん』を監督したことで知られる。映像製作会社アマゾンの創立者であり、(株)アマゾンラテルナの代表取締役会長である。ATP(全日本テレビ番組製作社連盟)理事長(2012年 - )。 青森県青森市(当時は南津軽郡浪岡町)出身。テレビマンユニオンに所属し『アメリカ横断ウルトラクイズ』などの制作に関わる。1985年のテレビ制作会社ネクサスの設立に参加。 1988年4月1日、東京都港区にテレビ番組制作会社として株式会社アマゾンを設立、以来、テレビ作品を中心に、数多くの映像作品を生み出す。
櫛引 博敬(くしびき ひろのり、1949年 - )は、日本の… 櫛引 博敬(くしびき ひろのり、1949年 - )は、日本の実業家、アグロカネショウ株式会社代表取締役社長。 1949年、青森県弘前市生まれ。1972年3月、立教大学法学部卒業。英国・国立ブリストル大学ロングアシュトン・リサーチ・ステーション(加工用リンゴの研究所)に2年間在籍し、シードルやアップルワインを本格的に研究する。加工用リンゴ、料理用品種のリンゴの日本不在を嘆き、自ら試験農場に取り組む。その傍らでリンゴの健康的効果をも実証したリンゴ研究の第一人者。その後、ユニー株式会社取締役を経て、1991年よりアグロカネショウ代表取締役社長を務める。
清藤 哲夫(せいとう てつお、1949年 - 2020年12… 清藤 哲夫(せいとう てつお、1949年 - 2020年12月26日)は、青森県弘前市で事業を展開し、地元経済界の主導的役割を担って地域振興に尽した、日本の経営者。弘前公益社やアップルウェーブ、アップルコミュニケーションズで代表取締役を務め、弘前観光コンベンション協会会長、弘前商工会議所会頭などを歴任した。 弘前市生まれ。生家は冠婚葬祭に関わる造花を扱う「清藤造花店」を営んでいた。 青森県立弘前高等学校から、法政大学に進んだが、中途退学して帰郷した。 家業に従い、1981年に事業を株式会社組織化して、弘前公益社代表取締役となり、以降、総合的な葬祭業への展開を進めた。 地元の経済界における役職としては、弘前商工会議所では1998年から副会頭を18年、2016年からは会頭となったほか、2006年から弘前観光コンベンション協会会長を10年間務めた(以降は、顧問)。
熊谷 俊範(くまがい としのり、1947年8月5日 - 20… 熊谷 俊範(くまがい としのり、1947年8月5日 - 2010年3月14日)は、日本の実業家、発明家。エイブルコーポレーション及びシングルロケ運営会社シティレジャーの創業者。日本アミューズメントマシン協会(JAMMA)理事、アミューズメントビジネス研究会(ABSG)会長などを歴任。JAMMA役員として倫理部会長、消費・流通部会長及び流通委員長、AMショー委員などを務めた。 1947年(昭和22年)8月5日、樺太泊居郡泊居町に4人兄弟の末っ子として出生。熊谷家は祖父の代から樺太に渡り、山や海での権利を持つ樺太きっての豪商であった。常時ロシア人の従業員が数百人働いており、商売も繁盛し、生活も豊かだった。
杉本 康雄(すぎもと やすお、1947年(昭和22年)2月2… 杉本 康雄(すぎもと やすお、1947年(昭和22年)2月27日 - )は、日本の実業家、銀行家。みちのく銀行(現・青森みちのく銀行)相談役、青森県レクリエーション協会代表理事会長、棟方志功記念館理事長。 青森県三沢市生まれ。青森県立八戸高等学校を経て、高崎経済大学経済学部を卒業。 1969年、弘前相互銀行(みちのく銀行→青森みちのく銀行)に入行。常務まで昇進するが、当時の大道寺小三郎会長との間で、新システム移行の件で確執が生じ、取締役支店長に降格となった。その後、みちのくユーシーカード(現・みちのくカード)の社長に転じたが、2005年の不祥事の頻発と業務改善命令の発動に伴い、ほぼ役員全員の辞職という事態になり、役員派遣を要請されたみずほFG側の懇請により、頭取として復帰した。
長崎 昭義(ながさき あきよし、1945年3月3日 - 20… 長崎 昭義(ながさき あきよし、1945年3月3日 - 2017年9月4日)は、日本のノルディックスキー・クロスカントリースキー選手、放送記者、ニュースキャスター、実業家。青森放送代表取締役会長、青森商工会議所相談役、東北稲門スキー倶楽部会長、青森県スキー連盟会長。青森県南津軽郡大鰐町生まれ(本籍地は弘前市)。早稲田大学(教育学部国語国文学科)卒業。旧姓:松岡(まつおか)。 小学校3-4年時、大鰐スキークラブ会長を務めた父の儀助に連れられ阿闍羅山で滑り始め、間もなく「学校で一番早かったから」自然な形で距離スキーに入っていった。 青森県立弘前高等学校で長利武記の指導を受け、2年時に全国高等学校総合体育大会ノルディックスキー・クロスカントリー男子15キロで優勝。
中村 隆司(なかむら りゅうじ、1945年1月25日 - 2… 中村 隆司(なかむら りゅうじ、1945年1月25日 - 2024年7月5日)は、日本の実業家。日清製粉代表取締役社長や、オリエンタル酵母工業代表取締役社長、製粉協会会長などを務めた。 青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校を経て、1967年東北大学経済学部卒業、日清製粉入社。製粉業務部長を経て、1995年取締役製粉業務部長に昇格。1996年から1998年まで製粉開発部長を兼務した。2000年常務取締役物流部長。2001年に日清製粉グループ本社が設立されると同社常務取締役及び日清製粉専務取締役に就任。2004年から日清製粉代表取締役社長を務め、2006年から2007年までは製粉協会会長を兼務した。
中野善壽(なかの よしひさ、1944年 - )は、日本の実業… 中野善壽(なかの よしひさ、1944年 - )は、日本の実業家。東方文化支援財団 代表理事。元・ACAO SPA & RESORT代表取締役会長。元・寺田倉庫株式会社代表取締役社長、元・亜東百貨COO、元・株式会社鈴屋代表取締役専務。 東京都生まれ。青森県立弘前高等学校を経て、1967年千葉商科大学商経学部卒業。株式会社伊勢丹(現・株式会社三越伊勢丹)を経て、株式会社鈴屋へ入社。代表取締役専務就任を経て1997年台湾へ渡り、力覇集団百貨店部門代表、遠東集団董事長特別顧問、ならび亜東百貨COO等を歴任。 2011年寺田倉庫株式会社入社。2012年代表取締役社長就任。2019年6月26日退社。 2019年8月、地域や国境を越えた信頼感の醸成をはかり、東方文化を極めたいというビジョンを持つ東方文化支援財団を設立し、代表理事に就任。
北村 正任(きたむら まさとう、1941年(昭和16年)4月… 北村 正任(きたむら まさとう、1941年(昭和16年)4月29日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。毎日新聞社社長、第15代横綱審議委員会委員長。 青森県出身。父は青森県知事を務めた北村正哉。青森県立八戸高等学校、東京大学法学部を卒業後、1965年(昭和40年)毎日新聞社に入社。 岡山、京都支局、大阪社会部、東京政治部、ボン支局長、東京本社外信部長、論説委員長を経て、1998年(平成10年)取締役・編集局長、00年常務・主筆、04年社長、08年会長。ほかに日本記者クラブ理事長、日本新聞協会会長、日本ユニセフ評議員、公益財団法人イオン環境財団の評議員も務めた。 現在は、毎日新聞社の名誉顧問、一般社団法人アジア調査会理事。
澤田 長二郎(さわだ ちょうにろう、1940年 - )は、日… 澤田 長二郎(さわだ ちょうにろう、1940年 - )は、日本の実業家。勲等は旭日双光章。津軽鉄道第6代代表取締役社長、東北鉄道協会会長、日本民営鉄道協会理事。 青森県五所川原市生まれ。平山為之助初代津軽鉄道社長は外祖父。青森県立五所川原高等学校を経て、1963年に一橋大学商学部を卒業。今井祐元富士フイルム代表取締役副社長は一橋大バドミントン部の同期で親しい。大学卒業後は三菱商事に入社し、タイ王国駐在、オーストラリア珪砂採掘会社社長、三菱商事資材部長を経て、2003年までエム・シー砿産代表取締役社長。 2004年、五所川原市に帰郷し、債務超過となっていた津軽鉄道の第6代代表取締役社長に就任。経費削減やイベント列車の拡充等を進め、地元の協力を得て、2008年までに義務付けられていた緊急保全整備事業の資金調達に成功し、鉄道存続に繋げた。
西田 通弘(にしだ みちひろ、1923年 - )は、日本の実… 西田 通弘(にしだ みちひろ、1923年 - )は、日本の実業家。本田技研工業の副社長等を歴任した。
葛西 清美(かさい きよみ、1914年(大正3年)4月10日… 葛西 清美(かさい きよみ、1914年(大正3年)4月10日 - 1995年(平成7年)2月20日)は、日本の銀行家、実業家。みちのく銀行頭取、青森朝日放送初代社長を務めた。 青森県出身。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)、東北帝國大学法学部法律学科を卒業後、東北興業に入社。子会社等を担当する。 その後、持病を再発したこともあり、前夫人の祖父にあたる唐牛敏世のすすめで弘前無尽(弘前相互銀行の前身)に入社する。入社早々、いきなり支配人兼営業部長をまかせられ困惑したという。役員昇格後は、主に内部改革をまかせられ、コンピューターを業界に先駆けて導入するなどして、弘前相銀は、バイタリティあふれる相互銀行として急成長を果たした。
島口 重次郎(しまぐち じゅうじろう、1912年〈明治45年… 島口 重次郎(しまぐち じゅうじろう、1912年〈明治45年〉1月15日 - 1968年〈昭和43年〉3月17日)は、日本の社会運動家、実業家、政治家。衆議院議員(3期)。 青森県弘前市で生まれる。小学校卒業後、市内のタンス店に職工として勤め、その後、無産運動に加わる。1932年、全農青年部青森県連合会執行委員に就任。1934年、日本共産党に入党したが、同年に検挙され懲役3年となり服役した。 戦後、日農の再建に尽力し、また日本社会党の結成に加わり、同青森県連選挙対策部長、同書記長、同委員長、弘前市議会議員、青森県議会議員などを務めた。 1958年5月、第28回衆議院議員総選挙に青森県第二区から出馬して当選。
高杉 年雄(たかすぎ としお、1904年(明治37年)3月2… 高杉 年雄(たかすぎ としお、1904年(明治37年)3月29日-1984年(昭和59年)1月6日)は、日本の医学者、学校経営者。医学博士(北海道帝国大学)。 青森県弘前市で出生後、北海道札幌に移住。1921年北海道庁立札幌第二中学校卒業。1928年(昭和3年)北海道帝國大学医学部卒業。1930年同医学部助手。1933年北海道帝国大学にて論題「沃度代謝と消化器との関係」にて医学博士受く。1933年北海道帝国大学医学部第二内科講師。1934年同医学部第二内科助教授。1947年北海道大学医学部内科学第三講座初代教授及び北海道大学病院医科第三内科長に任命される。1955年(昭和30年)北海道大学医学部附属病院院長。
三和 精一(みわ せいいち、1902年(明治35年)8月10… 三和 精一(みわ せいいち、1902年(明治35年)8月10日 - 1964年(昭和39年)6月14日)は、昭和期の新聞編集者、実業家、政治家。衆議院議員。 青森県北津軽郡相内村(市浦村を経て現五所川原市)で、三和松三郎、ユキの三男(5人兄弟の末子)として生まれる。生家は「相清」と呼ばれた旧家で、幼少時は西津軽郡十三村で水戸口役人を務めていた祖父のもとで成長し薫陶を受けた。1914年(大正3年)3月、金木明治高等小学校を卒業し、朝鮮在住のリンゴ業者の伯父のもとに寄寓した。開成夜学校を経て、中央大学専門部法科で学んだが1923年(大正12年)9月に中退した。 1927年(昭和2年)4月、東京民友新聞社に入社。
佐々木 彰造(ささき しょうぞう、1902年〈明治35年〉2… 佐々木 彰造(ささき しょうぞう、1902年〈明治35年〉2月 - 1966年〈昭和41年〉)は、日本の実業家、銀行家、青森県多額納税者、地主。佐々木銀行頭取。「布嘉」佐々木家4代目。青森県北津軽郡五所川原町長(15代)。 青森県北津軽郡五所川原町の人・佐々木嘉太郎の長男。1945年(昭和20年)、五所川原町長に就任、1946年(昭和21年)、退職。その後、青森自動車部品社長、青菱自動車社長を歴任し、県内のモータリストの草分けとなった。住所は青森県北津軽郡五所川原町(現五所川原市)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
津島 文治(つしま ぶんじ、1898年〈明治31年〉1月20… 津島 文治(つしま ぶんじ、1898年〈明治31年〉1月20日 - 1973年〈昭和48年〉5月6日)は、日本の実業家、政治家、地主、青森県多額納税者。 金木銀行頭取。衆議院議員(3期)。参議院議員(2期)。青森県知事(公選初・第2・3代)。陸奥銀行、津軽鉄道、津軽酒造各取締役。東北鳩協会顧問。農業。 小説家の太宰治(津島修治)は弟、俳優の津島康一は長男。元衆議院議員の津島雄二は義理の甥。 大地主で銀行家の津島源右衛門(旧姓松木)とタ子(たね)の三男として青森県北津軽郡金木村(現在の五所川原市)に生まれた。 金木第一尋常小学校から五所川原農学校(現青森県立五所川原農林高等学校)を卒業後上京し、早稲田大学政治経済学部に入学。
藤井 達二(ふじい たつじ、1891年(明治24年)10月2… 藤井 達二(ふじい たつじ、1891年(明治24年)10月24日 - 1968年(昭和43年)8月9日)は、昭和時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 青森県三戸郡八戸町(現八戸市)に生まれる。1910年(明治43年)県水産試験場付属八戸講習所卒業。1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙に青森県第1区から立憲政友会所属で出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。 戦後、1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に立候補したが辞退し、1956年(昭和31年)7月の第4回参議院議員通常選挙にも全国区から出馬したが落選した。自由民主党県連合顧問、同副会長を歴任した。ほか、財界では身延木材専務取締役、那須土地取締役、大和木材、青森県農林商事各社長、日本海外興業会長などを務めた。
4代 千葉 伝蔵(傳藏、ちば でんぞう、1890年(明治23… 4代 千葉 伝蔵(傳藏、ちば でんぞう、1890年(明治23年)3月 - 1962年(昭和37年)12月29日)は、大正から昭和時代の政治家、実業家。青森県青森市長。青森県多額納税者。前名は覚郎。 白鳥鴻彰の三男として青森県東津軽郡荒川村(現青森市)に生まれる。1909年(明治42年)青森中学校を卒業し日本大学、大原簿記学校、津田英文簿記学校に学んだ後、帰郷する。青森市役所に奉職したのち1910年(明治43年)魚問屋・千葉家の養子となり、1919年(大正8年)前名を改め4代伝蔵を襲名した。1920年(大正9年)青森製氷の創立に当たって出資し取締役に就任、1922年(大正11年)東京共同水産取締役となり東京隅田運送の取締役も務めた。
岩淵 勉(いわぶち つとむ、1888年〈明治21年〉2月 -… 岩淵 勉(いわぶち つとむ、1888年〈明治21年〉2月 - 1956年〈昭和31年〉1月14日)は、日本の実業家、政治家。青森県弘前市長。位階は従六位。勲六等瑞宝章。 青森県中津軽郡弘前に生まれる。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、慶應義塾大学部理財科卒。卒業後は弘前電燈株式会社に就職し、会社支配人となる。その後、陸奥鉄道支配人、津軽鉄道常務となった。 1945年暮れに弘前市長の葛原運次郎が死去、1946年1月にその後任の市長に就任した。翌1947年、弘前市長選挙に立候補して当選した。4年後の市長選挙には不出馬、1955年の市長選挙に立候補して市長に返り咲いた。しかし、病気に倒れ、1956年、在職中のまま死去。
鳴海 周次郎(なるみ しゅうじろう、旧姓・平山、1887年(… 鳴海 周次郎(なるみ しゅうじろう、旧姓・平山、1887年(明治20年)3月1日 - 1969年(昭和44年)7月25日)は、日本の政治家、実業家、青森県多額納税者。青森県西津軽郡会議員。貴族院議員。鳴海銀行頭取。陸奥銀行、松木屋呉服店、津軽酒造各取締役。青森貯蓄銀行、第五十九銀行、金木銀行各監査役。立誠銀行、金兵衛銀行各頭取・鳴海廉之助の養孫。 青森県北津軽郡栄村(現・五所川原市)出身。平山雄太郎の二男、或いは三男。平山為之助の弟。古川和三郎の養子となり1920年、祖父・鳴海廉之助の後を承け家督を相続した。農業を営み、会社重役を務めた。 また、西津軽郡会議員、車力村会議員、青森県山林会評議員、同県産馬畜産組合連合会評議員、西北産馬組合副組長などを歴任し、1925年9月29日、貴族院多額納税者議員に選出され、交友倶楽部に所属、1932年9月28日まで一期務めた。
高橋 弥左衛門(たかはし やざえもん、1881年〈明治14年… 高橋 弥左衛門(たかはし やざえもん、1881年〈明治14年〉4月12日 - 没年不明)は、日本の実業家、青森県多額納税者、地主。金木商事代表取締役。金木銀行取締役。族籍は青森県平民。 青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)出身。高橋彌左衛門の養孫。高橋清吉の二男。1904年、家督を相続し、前名・徳三郎を改める。農業を営み、傍ら銀行会社の重役を兼ねる。 住所は青森県北津軽郡金木町。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
苫米地 義三(とまべち ぎぞう、1880年〈明治13年〉12… 苫米地 義三(とまべち ぎぞう、1880年〈明治13年〉12月25日 - 1959年〈昭和34年〉6月29日)は、日本の実業家、政治家。位階は正三位。運輸大臣(第8代)、内閣官房長官(第3代)、衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、サンフランシスコ講和会議全権委員。 1880年(明治13年)12月25日、青森県上北郡相坂村(藤坂村を経て現在の十和田市)に生まれる。父の金次郎は村の評議員で、明治22年の市町村制施行時は、藤坂村の第1期村会議員にも選ばれた地域の有力者だった。一方で北海道開拓に並々ならぬ関心を抱いており、翌1890年(明治23年)には全財産を担保にして土地を買い、後志国磯谷郡南尻別村大谷地(現在の北海道蘭越町大谷地)に移り住んだ。
菊池 良一(きくち りょういち、1879年(明治12年)10… 菊池 良一(きくち りょういち、1879年(明治12年)10月1日 - 1945年(昭和20年)2月25日)は、大正から昭和前期の日本の実業家、弁護士、政治家。衆議院議員。中国通(支那通)として知られた。天文学者・一戸直蔵の義弟。 青森県中津軽郡弘前城下(現弘前市)で、旧弘前藩士の政治家・菊池九郎、久満子の長男として生まれる。東奥義塾、第二高等学校を経て、1908年(明治41年)京都帝国大学法科大学を卒業した。 青年時代から中国問題に関心を持ち、中国で貿易商を営み、日支商事会社長、山口商事取締役、東海漁業取締役などを務めた。その後、新聞記者、弁護士となる。また、合資会社ボルネオ物産商会代表者に就任した。
2代 佐々木 嘉太郎(ささき かたろう、前名・嘉造、1879… 2代 佐々木 嘉太郎(ささき かたろう、前名・嘉造、1879年〈明治12年〉5月27日 - 1961年〈昭和36年〉10月21日)は、日本の商人(呉服商)、青森県多額納税者、政治家(貴族院多額納税者議員)、実業家、銀行家。青森銀行頭取。津軽鉄道顧問。「布嘉」佐々木家3代目。 青森県北津軽郡五所川原村(五所川原町を経て現五所川原市)に生まれる。佐々木眞平の長男。初代・佐々木嘉太郎の孫。早逝した2代目の跡を継ぐ。呉服商を営む。1915年(大正4年)、五所川原町会議員に当選。 1918年(大正7年)には青森銀行頭取を兼ねて佐々木銀行を設立した。呉服屋稼業から金融業へと「布嘉」の看板を掛けかえた。ほか、陸奥鉄道社長、津軽鉄道取締役などを歴任した。
鳴海 文四郎(なるみ ぶんしろう、1877年(明治10年)1… 鳴海 文四郎(なるみ ぶんしろう、1877年(明治10年)10月1日 - 1933年(昭和8年)2月28日)は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家、醸造家。鳴海醸造店第4代当主。衆議院議員(2期)。幼名は明治郎。 青森県南津軽郡黒石町(現黒石市)出身。同郡浅瀬石村(現黒石市)の鳴海久兵衛家の分家で屋号は久〇(きゅうまる)といい、中町で1808年(文化5年)から代々酒造業を営んだ。江戸時代は稲村屋を名乗っていた。別家・鳴海理兵衛の長男として生まれ、のち3代鳴海文四郎の養嗣子となった。 黒石町会議員などを経て、1917年(大正6年)4月の第13回衆議院議員総選挙では青森県郡部から立憲政友会所属で出馬し当選。
佐々木 亀吉(ささき かめきち、1875年〈明治8年〉1月1… 佐々木 亀吉(ささき かめきち、1875年〈明治8年〉1月13日 - 1950年〈昭和25年〉)は、日本の政治家、実業家。青森県北津軽郡五所川原町会議員。五所川原通運、木造合同運送各社長。佐々木銀行監査役。津軽鉄道社長、青森県議会議員佐々木啓二の祖父。 青森県北津軽郡五所川原町平井町の人。峰五郎の長男。初代佐々木嘉太郎の甥。分家する。 西北運送業界の先駆者。初代日通五所川原支店長。宗教は禅宗。趣味は謡曲。住所は青森県北津軽郡五所川原町(現五所川原市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
平山 為之助(ひらやま ためのすけ、1874年(明治7年)1… 平山 為之助(ひらやま ためのすけ、1874年(明治7年)1月29日 - 1960年(昭和35年)3月18日)は、日本の政治家・衆議院議員(立憲政友会)、豪農、篤農家、実業家。五所川原銀行頭取。津軽鉄道社長。松木屋呉服店社長。陸奥銀行、佐々木銀行、青森貯蓄銀行、松木屋呉服店、津軽酒造各取締役。鳴海銀行監査役。 青森県北津軽郡栄村(現・五所川原市)生れ。平山雄太郎の長男。東奥義塾及び慶應義塾に学んだ。農業を営んだ。村会議員、青森県会議員同参事会員、衆議院議員に挙げられた。陸奥鉄道社長、国有化後に津軽鉄道の初代社長。 青森県北津軽郡栄村(現・五所川原市大字湊)にある平山為之助の住居は、1769年(明和6年)建立の古民家で、「旧平山家住宅」として国の重要文化財に指定され保存されている。
津島 源右衛門(つしま げんえもん、1871年8月3日〈明治… 津島 源右衛門(つしま げんえもん、1871年8月3日〈明治4年6月17日〉 - 1923年〈大正12年〉3月4日)は、日本の政治家、実業家、青森県多額納税者、資産家。衆議院議員(青森県郡部選出、当選1回)。貴族院議員。族籍は青森県平民。 小説家太宰治の父である。孫は俳優の津島康一、小説家の津島佑子、小説家の太田治子、曾孫は政治家の津島恭一、政治家の津島淳、劇作家の石原燃などがいる。 青森県西津軽郡木造村(現つがる市)の松木家に、8代目七右衛門の四男として生まれる。旧名は永三郎。1888年、北津軽郡金木村(現五所川原市)の津島家の婿養子となる。1892年、「源右衛門」と改名。農業、商業を営む。 金木銀行設立の議が起ると率先して尽力する。
宇野 勇作(うの ゆうさく、1871年6月2日(明治4年4月… 宇野 勇作(うの ゆうさく、1871年6月2日(明治4年4月15日) - 1940年(昭和15年)10月8日)は、大正から昭和時代前期の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。衆議院議員(1期)。 陸奥弘前藩領津軽郡上十川村(青森県南津軽郡六郷村を経て現黒石市)に生まれる。南黒地方屈指の大地主。南津軽郡立中学校を卒業し、産馬、リンゴ園、酒造業、運送業などを営む。1915年(大正4年)青森県会議員に当選。1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙では青森県第3区から立憲政友会公認で出馬し、鳴海文四郎を700票余上回り当選する。 1927年(昭和2年)六郷村長となり、1932年(昭和7年)9月には青森県多額納税者として貴族院議員に互選され、同月29日から1939年(昭和14年)9月28日まで在任した。
福島 藤助(ふくしま とうすけ、1871年3月22日(明治4… 福島 藤助(ふくしま とうすけ、1871年3月22日(明治4年2月2日) - 1925年(大正14年)7月6日)は、青森県弘前市の醸造家、実業家。福島酒造会社(のちに福島醸造株式会社)、富名醸造株式会社、陸奥製糸株式会社、株式会社北日本農園、弘前印刷株式会社の創業者。 藤助が大工から酒造業に転業した1896年(明治29年)は、日清戦争後の好景気の波が青森県弘前市にも押し寄せているさなかであった。国の流れは軍備の強化へと向かい、同年9月に第8師団(日本軍)の弘前設置が正式に決定、翌年10月10日に師団司令部が設置された。廃藩によって沈滞していた弘前の経済界や市民は、これを大歓迎した。また、1894年(明治27年)12月1日には青森‐弘前間の鉄道が開通し、師団設置のための資材の輸送などに大いに貢献した。