松本 祥志(まつもと しょうじ、1948年2月22日(昭和2… 松本 祥志(まつもと しょうじ、1948年2月22日(昭和23年) - )は、日本の法学者。法学修士(立命館大学)。専門は国際法。研究分野は主に従軍慰安婦問題の国際法的考察やアフリカ地域の人権問題を研究対象としている。近年は、テロ問題や西サハラ問題を研究。札幌学院大学名誉教授。 岩手県花巻市出身。立命館大学大学院法学研究科修士課程終了。1978年(昭和53年)立命館大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。1983年(昭和58年)札幌商科大学講師。その後、札幌学院大学法学部助教授。1991年(平成3年)イギリス・ロンドン大学東洋アフリカ研究所に留学し、アフリカ人権問題を研究。帰国後、札幌学院大学法学部教授。
浅野 史郎(あさの しろう、1948年〈昭和23年〉2月8日… 浅野 史郎(あさの しろう、1948年〈昭和23年〉2月8日 - )は、日本の政治評論家、コメンテーター。元神奈川大学特別招聘教授。元慶應義塾大学総合政策学部教授。元宮城県知事(公選第15・16・17代)、元厚生官僚。 岩手県大船渡市生まれ、宮城県仙台市育ち。神奈川県横浜市在住。仙台第二高等学校3学年に在学中には、「受験生への密着リポート」として、数ヵ月にわたって地元テレビ局の取材を受けた。 東京大学法学部卒業後にはキャリア官僚として厚生省(当時)に入省、同省において障害福祉課長を務めた。1993年、ゼネコン汚職事件に係わって当時の宮城県知事・本間俊太郎が辞職、その後の知事選挙に新生党・日本新党・さきがけ・社民連の推薦を受け立候補し初当選、戦後生まれ3人目の知事に就任した。
田村 正彦(たむら まさひこ、1948年(昭和23年)2月5… 田村 正彦(たむら まさひこ、1948年(昭和23年)2月5日 - )は、日本の政治家。岩手県八幡平市長(4期)。元岩手県議会議員(3期)、元西根町議会議員(2期)。 岩手県平舘村(現・八幡平市)出身。岩手県立盛岡工業高等学校卒業。1970年(昭和45年)3月、駒澤大学経済学部経済学科卒業。同年4月、岩手県農業共済組合連合会に就職。1989年(平成元年)9月、同連合会を退職し西根町議会議員に就任。1993年(平成5年)9月、再選。1995年(平成7年)4月、西根町議会議員を辞職し、岩手県議会議員に就任。1999年(平成11年)4月、再選。2003年(平成15年)4月、3期目の当選。 2005年(平成17年)9月1日、西根町、松尾村、安代町が合併し八幡平市が誕生する。
菊地正幸(きくち まさゆき、1948年1月19日 - 200… 菊地正幸(きくち まさゆき、1948年1月19日 - 2003年10月18日)は、日本の地震学者・地球科学者である。特にリアルタイムでの震源解析に努めた。 1970年代にはコンピュータを使用した地震のシミュレーションを調査した。1980年代以降は地震の初期破壊過程の研究を行い、金森博雄らと震源の解析方法を確立した。また、世界の主要な地震について発生直後に解析しインターネット上でそれを公開した。これらは「菊地解」と称され、震源解析の研究の基盤を確立した[要出典]。また、地震発生直後に地震の実態を把握に焦点を当て、インターネットの普及に伴い地震研究のリアルタイム化を推進した。その後の緊急地震速報の研究・開発にも寄与した。
相米 慎二 (そうまい しんじ、1948年1月13日 - 2… 相米 慎二 (そうまい しんじ、1948年1月13日 - 2001年9月9日)は、日本の映画監督。 岩手県盛岡市生まれ、北海道育ち(本籍地は青森県)。北海道釧路江南高等学校卒業、中央大学文学部中退。 1948年1月13日、盛岡市で生まれた。父親の転勤で6歳の時に北海道標茶町に移り住んだ、1958年に父親を失う。その後も道内で転居が重なり、小学校5年の時に札幌市、中学3年の時に釧路市に移る。北海道釧路江南高等学校を卒業し、中央大学文学部に進学、大学時代は日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)に所属して三里塚闘争に参加していた。大学時代の友人によれば、相米は高校生時代からの正真正銘のトロツキストであった。
小田野 展丈(おだの のぶたけ、1948年1月3日 - )は… 小田野 展丈(おだの のぶたけ、1948年1月3日 - )は、日本の外交官。 外務省アフリカ審議官、儀典長、ミャンマー駐箚特命全権大使、欧州連合政府代表部特命全権大使、特命全権大使(査察担当)、宮内庁式部官長(第11代)、宮内庁東宮大夫、侍従長(第10代)などを歴任した。 埼玉県生まれ。岩手県にて育つ。慶應義塾志木高等学校を卒業し、慶應義塾大学経済学部経済学科にて修学し、1970年(昭和45年)に卒業した。大学時代は経済新人会金融研究部に入部し、国際金融などを研究した。 慶應義塾大学を卒業後、外務省に入省した。外務省の本省では、中東アフリカ局のアフリカ審議官などを務めた。2004年(平成16年)7月30日付でミャンマー駐箚特命全権大使に任命され、在ミャンマー大使館にて勤務した。
三角 洋一(みすみ よういち、1948年1月1日 - 201… 三角 洋一(みすみ よういち、1948年1月1日 - 2016年5月4日)は、国文学者。東京大学名誉教授、大正大学特命教授。岩手県生まれ。
千田 潤一(ちだ じゅんいち、1948年 - )は、英語トレ… 千田 潤一(ちだ じゅんいち、1948年 - )は、英語トレーニングスクール 株式会社アイ・シー・シー (ICC:International Communications Consultant) 代表取締役、英語教育者。TOEIC受験参考書を数々執筆。TOEICに関する講演も数多くこなしている。
松村 裕幸(まつむら ひろゆき、1948年 - )は、日本の… 松村 裕幸(まつむら ひろゆき、1948年 - )は、日本の国際連合職員。国際連合世界食糧計画(WFP)日本事務所元所長。岩手県釜石市出身。 岩手県釜石市出身。1970年(昭和45年)上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒業。1979年(昭和54年)に国際連合(UN)に入り、国際連合開発計画(UNDP)メキシコ事務所に勤務の後、1982年(昭和57年)に国際連合世界食糧計画(WFP)職員となる。アフリカ各地で18年間、食糧援助活動に従事。2000年(平成12年)7月、同日本事務所所長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
工藤 強勝(くどう つよかつ、1948年 - 2023年1月… 工藤 強勝(くどう つよかつ、1948年 - 2023年1月23日)は、エディトリアルデザインを中心に活躍する日本のグラフィックデザイナー、エディトリアルデザイナーである。デザイン実験室主宰。 岩手県生まれ。もともとはNTTのエンジニアであったが退職し、桑沢デザイン研究所でデザインを学びグラフィックデザイナーになる。同じエディトリアルの領域で活躍する戸田ツトム、木村久美子は桑沢の同期である。 武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科講師を経て、2006年より東京都立大学システムデザイン学部インダストリアルアートコース教授、2014年まで客員教授。2018年よりNPO法人 日本タイポグラフィ協会 専務理事。
佐々木 良昭(ささき よしあき、1947年11月18日 - … 佐々木 良昭(ささき よしあき、1947年11月18日 - )は、日本の国際問題評論家、イスラム圏研究者。 岩手県生まれ。1966年、岩手県立一関第一高等学校卒業。 19歳の時にムスリムになった。 1970年、拓殖大学商学部卒業。同年の大阪万国博覧会でアブダビ政府館副館長を務めた。1971年、リビアに渡って国立リビア大学(英語版)神学部に入学。1974年に修了し、アラブ・データ・センター勤務となり、ベイルート駐在代表。 1976年、クウェートの新聞『アルカバス(英語版)』の東京特派員。1978年、在日リビア大使館渉外担当を経て、1980年に拓殖大学海外事情研究所研究員となり、その後、徐々に昇任して1993年に同教授となる。
高橋 克彦(たかはし かつひこ、1947年8月6日 - )は… 高橋 克彦(たかはし かつひこ、1947年8月6日 - )は、日本の小説家。 岩手県釜石市生まれ、盛岡市在住。岩手中学校・高等学校を経て早稲田大学商学部卒業。 大学卒業後、浮世絵の研究者となり、久慈市のアレン短期大学専任講師となる(父のつてによる)[要出典]。1983年に『写楽殺人事件』で江戸川乱歩賞を受賞してデビュー。『総門谷』『竜の柩』などのアクション伝奇小説(広義のSF)、『炎立つ』『火怨』などの歴史小説のほか、ホラー、ミステリー、時代小説など、幅広いジャンルで活躍する。東北地方を舞台とすることが多い。浮世絵師東洲斎写楽の正体について、『写楽殺人事件』の作中では秋田蘭画の絵師説、『歌麿殺贋事件』の作中では喜多川歌麿説を展開しているが、高橋自身は能役者斎藤十郎兵衛説への支持を公言している。
加藤 善行(かとう ぜんこう、1947年6月19日 - )は… 加藤 善行(かとう ぜんこう、1947年6月19日 - )は、元競輪選手。富士大学自転車競技部監督。岩手県出身。日本競輪学校第29期生。 岩手県立紫波高等学校、日本大学を卒業後、社会科の教諭を経て、1971年に第29期生として日本競輪学校に入学。同期には、デビュー戦以降21連勝を達成することになる同郷の阿部良二、トヨタ自動車のサラリーマンから転身した久保千代志、天野康博らがいた。デビュー戦は1972年4月9日の取手競輪場(1着)。 1973年には、日本のプロ自転車選手として初めて、プロロードレースの世界選手権に出場。バルセロナ同年、第20回全日本プロ選手権自転車競技大会の5km個人パーシュートにおいて初出場、日本新記録で優勝。
熊谷 重勝(くまがい しげかつ、1947年5月17日 - )… 熊谷 重勝(くまがい しげかつ、1947年5月17日 - )は、日本の会計学者。立教大学名誉教授。 この間、岩手県立盛岡短期大学、岩手県立宮古短期大学、岩手大学、埼玉大学、日本福祉大学において兼任講師(非常勤職員)を歴任
斎藤 重信(さいとう しげのぶ、1947年5月6日 - )は… 斎藤 重信(さいとう しげのぶ、1947年5月6日 - )は、岩手県盛岡市出身のサッカー指導者。岩手県立盛岡商業高校や岩手県立大船渡高校のサッカー部監督として、両校を全国の強豪校に育て上げ、多くの選手を指導した。第85回全国高等学校サッカー選手権大会の優勝監督。 1947年5月6日生まれ。岩手県盛岡市で生まれ育ち、盛岡市立厨川中学校から盛岡商業高校に進学する。この間、中学校時代は休み時間のサッカーに加わるくらいであったが、高校で先輩から「入れ」といわれたことがきっかけでサッカー部に入部し、新潟国体に出場した。 高校卒業後の1966年、順天堂大学に入学し、1年生の時から試合に出場した。大学の同期に、のちに流通経済大学付属柏高校などの監督を務める本田裕一郎がいる。
千 昌夫(せん まさお、本名:阿部 健太郎(あべ けんたろう… 千 昌夫(せん まさお、本名:阿部 健太郎(あべ けんたろう)、1947年4月8日 - )は、日本の演歌歌手、実業家。血液型はO型。
阿部 成宏(あべ なりひろ、1947年3月27日 - )は、… 阿部 成宏(あべ なりひろ、1947年3月27日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。左投左打。1970年までの登録名は阿部 成行(あべ なりゆき)。兄は元プロ野球選手の阿部雄厚。 岩手・花巻商高(現・花巻東高)では1964年にエース、四番打者として夏の甲子園に出場。1回戦で鹿児島玉龍高を完封するが、2回戦では、この大会に優勝した高知高の光内数喜投手(芝工大-鐘淵化学)に抑えられ敗退。 1965年に大洋入団。 1969年には一軍で2試合に登板するが結果を残せなかった。 1970年11月の第1回選抜会議(トレード会議)の対象となり、12月に巨人に移籍。 1971年に外野手に転向する。
藤田 和芳(ふじた かずよし、1947年〈昭和22年〉 2月… 藤田 和芳(ふじた かずよし、1947年〈昭和22年〉 2月6日 - )は、日本の実業家。元オイシックス・ラ・大地の会長。100万人のキャンドルナイト呼びかけ人代表、アジア農民元気大学理事長、ふるさと回帰支援センター理事、食料・農林漁業・環境フォーラム幹事、日本NPOセンター評議員、経済産業省ソーシャルビジネス推進イニシアティブ委員。 岩手県胆沢郡胆沢町(後の奥州市)出身。岩手県立水沢高等学校、上智大学法学部を卒業後、出版社勤務を経て、1975年(昭和50年)に藤本敏夫らと共に有機農産物の販売などを行う団体「大地を守る市民の会」を設立。1977年(昭和52年)に同団体の販売事業を株式会社化して新たに「大地を守る会」を設立し、同社社長に就任した。
加藤 哲郎(かとう てつろう、1947年1月16日 - )は… 加藤 哲郎(かとう てつろう、1947年1月16日 - )は、日本の政治学者。一橋大学名誉教授。早稲田大学客員教授。「尾崎=ゾルゲ研究会」代表。
穀田 恵二(こくた けいじ 1947年1月11日 - )は、… 穀田 恵二(こくた けいじ 1947年1月11日 - )は、日本の政治家。 1947年1月11日、岩手県水沢市(現・奥州市)に生まれる。1965年3月、岩手県立盛岡第一高等学校を卒業。1969年3月、立命館大学文学部人文学科日本文学専攻を卒業。同年4月、学校法人立命館に入職。1972年、日本共産党北地区委員会に入職。 1987年4月、京都市議会議員選挙で北区選挙区から日本共産党公認で出馬し、初当選。 1993年7月18日、第40回衆議院議員総選挙で旧京都1区から出馬し、初当選。 1996年10月25日、第41回衆議院議員総選挙で京都1区から出馬し、伊吹文明に2600票差で惜敗するも比例近畿ブロックで比例復活し、2選。
菅 靖彦(すが やすひこ、1947年 - )は、日本の翻訳家… 菅 靖彦(すが やすひこ、1947年 - )は、日本の翻訳家、自己啓発書作家、トランスパーソナル心理学者。岩手県花巻市生まれ。国際基督教大学人文学科卒業。日本トランスパーソナル学会顧問。別名・神宮寺祥。数多くの自己啓発書、翻訳を刊行している。
菊原 光治(きくはら こうじ、本名:奥寺 光治、昭和22年(… 菊原 光治(きくはら こうじ、本名:奥寺 光治、昭和22年(1947年) - )は地歌箏曲演奏家、野川流三弦古生田流菊原家5代目。 岩手県久慈市出身。高校在学中に学んだ琴に魅せられ、卒業後大阪の菊原初子(人間国宝・国の重要無形文化財保持者)の内弟子となる。 入門6年後、野川流三味線組歌と古生田流箏曲の巻物を伝授された。地歌箏曲一筋に修行に励み、1992年(平成4年)11月菊原家の5代目継承者となった。現在は大阪府天王寺区在住。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
神山睦美(かみやま むつみ、1947年 - )は、日本の文芸… 神山睦美(かみやま むつみ、1947年 - )は、日本の文芸評論家。思想評論家。 岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。1965年 岩手県立水沢高等学校卒業。1971年 東京大学教養学部教養学科フランス分科卒業。1972年 東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化修士課程入学(修士を終えずに除籍)。桐生外語学院、東進ハイスクール、河合塾文理など予備校講師を務める。 全共闘活動の後、個人学習塾を開く。その後も、予備校の教壇に立ちながら、在野での思想、評論活動を行う。詩、小説、思想と批評対象は多岐にわたり、通常1年交替の図書新聞文芸時評を3年間続けた。2013年3月17日「吉本隆明さん―逝去一年の会」の事務局代表をつとめ、毎年「横超忌」(吉本隆明を偲ぶ会)開催の決定に尽力した。
吉田 光彦(よしだ みつひこ、1946年12月5日 - )は… 吉田 光彦(よしだ みつひこ、1946年12月5日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。岩手県盛岡市出身。盛岡市立高等学校、多摩美術大学卒。 1972年に「黒の手帖」6月号にてイラストレーターとしてデビューし、1975年には「ガロ」8月号から『殴者(ボクサー)』で漫画家としてデビューする。 劇団夜行館、演劇舎蟷螂などのポスターを多数手掛け、演劇舎蟷螂の「銀幕迷宮」や高取英の「少年極光都市」では舞台美術も手掛けた。また、寺山修司に多大な影響を受けており、「週刊大衆」の寺山の連載「誰か夢なき」のイラストを手掛けたことを皮切りに、寺山の著作のイラストを多数手掛けた。 大学時代の同級生には、はるき悦巳がいた。
菅原 一高(すがわら いっこう、1946年10月2日 - )… 菅原 一高(すがわら いっこう、1946年10月2日 - )は、日本の元俳優。本名、菅原 督三郎。菅原 一高(すがわら かずたか)名義での活動歴もある。 岩手県出身。岩手県立水沢高等学校卒業。劇団芸協に所属していた。 高校卒業後に上京し、アマチュア劇団に1年間在籍する。その後、友人の紹介でテアトル・エコーの第8期生として入団。ユッソン作『俺たちは天使じゃない』で初舞台を踏む。1971年より、キノトール脚色による学校向け舞台『新ハムレット』で、主人公のハムレットを演じ、東京都周辺の学校を巡演する。 1972年、フジテレビ系のホームドラマ『下町かあさん』で、榊原るみの恋人で、父親が大学教授であり、父親と衝突して大学を中退する安西吾郎役でレギュラー出演。
中里 長門(なかさと ながと、1946年8月30日 - 20… 中里 長門(なかさと ながと、1946年8月30日 - 2011年8月16日)は、日本の政治家。 岩手県陸前高田市長(2期)、陸前高田市議会議員(4期)を歴任した。 岩手県陸前高田市生まれ。奥州大学(現富士大学)経済学部経済学科卒業。大学卒業後、陸前高田民主商工会事務局長を経て、1987年に日本共産党公認で陸前高田市議選に出馬し初当選。以後4期16年、陸前高田市議を務める。 2003年、当時建設費が8億円に上る計画が持ち上がっていたタラソテラピー(海洋療法)施設の建設に反対する超党派の住民運動グループ「陸前高田市政を考える市民の会」に推挙され、陸前高田市長選挙へ無所属で出馬。日本共産党に加え、自由民主党系会派「爽風会」の支援を受け、全国でも珍しい自共共闘により、5選を目指して出馬した民主党系の菅野俊吾市長を破り、初当選。
鏡味 仙三郎(かがみ せんざぶろう、1946年8月12日 -… 鏡味 仙三郎(かがみ せんざぶろう、1946年8月12日 - 2021年1月30日)は、太神楽曲芸協会、落語協会に所属していた太神楽曲芸師。本名∶大木 盛夫。鏡味仙三郎社中の所属。 1955年、二代目鏡味小仙に入門。前座名は「盛之助」。 1960年に「仙三郎」と改名。 1973年に鏡味仙之助とコンビを結成。 1978年に江戸の太神楽が東京都無形民俗文化財に指定された。 2002年、鏡味仙三郎社中を結成。 2012年6月に落語協会理事に就任し、2020年7月に理事を退任。 2020年7月15日にテレビ東京系で放送された『家、ついて行ってイイですか? 激動の2020年夏!人生の夢10連発スペシャル!』にて、食道がんで闘病していることが鏡味仙成によって明かされた。
嶋 陸奥彦(しま むつひこ、1946年6月22日 - )は、… 嶋 陸奥彦(しま むつひこ、1946年6月22日 - )は、日本の文化人類学者、東北大学名誉教授。韓国研究。 岩手県北上市生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1969年東京大学教養学部文化人類学専攻卒。1979年トロント大学大学院人類学部博士課程修了、Ph.D.。1977年岐阜大学教養部講師、1979年広島大学総合科学部講師、81年助教授、85年国立民族学博物館助教授兼任、1991年東北大学文学部助教授、96年文学研究科教授。2010年定年退官、名誉教授。
小田島 建夫(おだしま たてお、1946年2月4日 - )は… 小田島 建夫(おだしま たてお、1946年2月4日 - )は、元栃木放送(CRT)のアナウンサー。 岩手県北上市出身で國學院大學文学部史学科日本史専攻卒業。血液型O型。家族は妻、一女二男。 高橋圭三が自分の地元の隣の花巻市出身、同じ大学・学部の先輩に山川静夫がいたことにも触発されて、放送界を目指すようになった。大学卒業後、1968年4月入社。 栃木放送アナウンサー時代には、30年続いた同局の洋楽ランキング番組「西武ポップスベスト10」を担当していた。 栃木放送退社後は「宇都宮アナウンスアカデミー(UAA)」を設立し、自ら講師としてアナウンスや朗読のプロフェッショナル育成・指導を行なっている。また、雑誌「Fooga」等の連載・エッセイ執筆、歴史・政治~話し方まで多岐に渡るテーマの講演等、各方面で活動している。
小笠原 正一(おがさわら しょういち、1946年1月1日 -… 小笠原 正一(おがさわら しょういち、1946年1月1日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 岩手県立盛岡農業高等学校から、1964年、日通盛岡へ。4番打者で強肩強打の外野手として活躍。 都市対抗野球で盛岡鉄道管理局の補強選手として後楽園の土を踏んでいる。 1971年のドラフトで阪神から4位指名され入団。「東北のスラッガー」と言われ、ウエスタンでは中軸を打ったが、一軍公式戦に出場がなく、1974年に引退。 引退後、フロント用具係・スコアラーとして活躍した後、阪神園芸でグランド整備を担当した。 鹿島アントラーズの小笠原満男の叔父にあたる。
藤沢 孝雄(ふじさわ たかお、1946年 - 1993年)は… 藤沢 孝雄(ふじさわ たかお、1946年 - 1993年)は、日本の化学者。千葉工業大学工業化学科にて教鞭を執り、ガラス繊維や炭素繊維のグラフト重合に関する研究を行っていた。 岩手県出身。父は都南村の村長を務めた藤沢与三郎(1909年 - 1976年)。都南村立見前中学校(1962年卒)、岩手県立盛岡第一高等学校(1965年卒)を経て、千葉工業大学を卒業する。卒業後も千葉工業大学に残って教鞭を執り、1970 - 80年代にかけて、炭素繊維やガラス繊維へのグラフト重合に関する複数の論文を発表している。 主な研究テーマは、ガラス溶融紡糸過程の解析や、炭素繊維へのモノマーのグラフト重合などである。これらの研究は、材料科学分野での引用が90件以上であり、代表的な論文として以下のものが挙げられる。
北畑光男(きたばたけ みつお、1946年 - )は、日本の詩… 北畑光男(きたばたけ みつお、1946年 - )は、日本の詩人。村上昭夫の研究の第一人者。 岩手県岩泉町生まれ。埼玉県上里町在住。岩手県立盛岡農業高等学校、酪農学園大学酪農学部卒。岩手県や埼玉県の公立学校教員を務める。1976年埼玉文学賞準賞。1991年の『救沢まで』で富田砕花賞、2012年『北の蜻蛉』で丸山薫賞受賞。河邨文一郎主宰の詩誌『核』終刊まで同人であり続けた。「撃竹」「歴程」創刊同人。村上昭夫研究誌「雁の声」主宰。2014年日本現代詩人会理事長。
大村 幸弘(おおむら さちひろ、1946年 - 2025年5… 大村 幸弘(おおむら さちひろ、1946年 - 2025年5月20日)は、日本の考古学者。アナトリア考古学研究所名誉所長。 中近東文化センター主任研究員、アナトリア考古学研究所長、カマン・カレホユック遺跡調査隊長を歴任。 岩手県盛岡市出身。盛岡藩の火業師(砲術師)で、エトロフ島事件に遭遇し帝政ロシアの捕虜となった大村治五平の子孫。兄・大村次郷は写真家。作家の森荘已池は伯父(母親の兄)。父の大村次信は元満州国協和会職員で、終戦直後に満州国から一家での命がけの引き揚げを経験しており、幸弘は一家が盛岡の実家に帰り着いた3日後に生まれている。 早稲田大学第一文学部西洋史科卒業。トルコ給費生としてアンカラ大学言語・歴史・地理学部ヒッタイト学科に留学。
若ノ海 正照(わかのうみ まさてる、1945年10月25日 … 若ノ海 正照(わかのうみ まさてる、1945年10月25日 - 1995年3月31日)は、岩手県稗貫郡内川目村(のち大迫町、現在の花巻市)出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は松田 秋夫(まつだ あきお)。現役時代は身長175cm・体重126kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭2枚目(1973年1月場所)。 内川目中学校を卒業後、元前頭3枚目・大ノ海が率いる花籠部屋に入門し、1961年(昭和36年)5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の関脇・藤ノ川、小結・羽黒岩らがいる。出世は遅く、初土俵から約10年、57場所かかって1971年(昭和46年)1月場所で十両昇進。そして、1972年(昭和47年)7月場所での新入幕は初土俵から11年2ヶ月、67場所を要した。
及川 耕造(おいかわ こうぞう、1945年〈昭和20年〉10… 及川 耕造(おいかわ こうぞう、1945年〈昭和20年〉10月17日 - )は、日本の通産・防衛官僚。岩手県和賀郡東和町(現:花巻市)出身。 東京大学経済学部経済学科卒業後、通商産業省に入省(通商局通商調査課)。入省同期に、町村信孝(衆議院議員)、太田信一郎(特許庁長官・及川の後任)、藤島安之(駐パナマ大使)などがいる。 通商産業省大臣官房総務審議官、防衛庁装備局長を経て、2000年に特許庁長官となる。退官後は財団法人機械産業記念事業財団参与、野村総合研究所顧問、日本政策投資銀行理事、独立行政法人経済産業研究所理事長、公益社団法人発明協会副会長などを務めている。
佐々木 隆生(ささき たかお、1945年10月10日 - )… 佐々木 隆生(ささき たかお、1945年10月10日 - )は、日本の経済学者。経済学博士(東北大学)。北海道大学名誉教授。岩手県盛岡市生まれ。 1964年岩手県立盛岡第一高等学校卒業、1969年東北学院大学経済学部卒業、1975年東北大学大学院経済学研究科単位取得満期退学。同年、東北大学経済学部助手。1977年北海道大学経済学部講師。1978年同経済学部助教授。1985年同経済学部教授。同公共政策大学院教授を経て、2009年同公共政策大学院特任教授。2011年北海道大学を退職、同名誉教授、北星学園大学経済学部教授。2016年3月北星学園大学定年退職。 専門は世界経済論、国際関係論、理論経済学。
西田 範次(にしだ のりつぐ、1945年10月2日 - )は… 西田 範次(にしだ のりつぐ、1945年10月2日 - )は、岩手県盛岡市出身のホッケー指導者。富士大学教授、現富士大学ホッケー部総監督で日本ホッケー協会常務理事。 日本体育大学体育学部体育学科卒業後、岩手県教職員として採用され、岩手県立沼宮内高等学校教員として着任。自身はスキーの国体選手だったが、1970年の岩手国体を機にホッケー指導に転向し沼宮内高校とその後着任した岩手県立不来方高等学校を全国レベルの高校に育て上げ選抜大会やインターハイなどでチームを全国優勝に導いた。現在、指導者として日本フィールドホッケー界においてなくてはならない存在である。 2002年からは創部したばかりの富士大学ホッケー部の監督に就任、全国レベルの大学へと成長させ小沢みさきなどのオリンピック代表選手も育て上げている。
高橋 光夫(たかはし みつお、1945年8月24日 - )は… 高橋 光夫(たかはし みつお、1945年8月24日 - )は、日本の政治家。元岩手県水沢市(現・奥州市)長(1期)。 岩手県紫波郡紫波町出身。1964年岩手県立盛岡商業高等学校卒。同年東北電力に入社、水沢営業所に勤務する。労働組合で活動する一方、民社党胆江総支部長、岩手県連書記長などを務める。1979年から水沢市議を7期務め、議長も2期務めた。2004年1月の水沢市長選挙に立候補し、無投票で当選した。同月29日に就任した。 2006年に水沢市は江刺市など4市町村と合併し、奥州市が発足した。それに伴い、同年2月19日に水沢市長を退任した。合併直後の奥州市長選挙に立候補した。この選挙では元江刺市長の相原正明と元衆議院議員の高橋嘉信の3人の争いとなった。
泉沢 彰(いずみさわ あきら、1945年8月23日 - 20… 泉沢 彰(いずみさわ あきら、1945年8月23日 - 2017年10月21日)は、岩手県釜石市出身のプロ野球選手(投手)。 小学5年の時に野球を始め、投手となる。花巻商(現・花巻東)の3年の春は、夏は県大会初戦で完封したものの、2回戦で、1年下の阿部成宏(近鉄)が先発して押し出しで一点を与え、これが決勝戦で敗れた。社会人野球の盛岡鉄道管理局に入社し、自チームで2度、富士製鐵釜石の補強選手として1度都市対抗野球に出場し、1969年のドラフト1位で西鉄ライオンズへ入団。 下手投げのフォームで、1970年はルーキーでウエスタンリーグの防御率1位となり、カーブやシュート、シンカーを武器にこの年初勝利するが、73年に太平洋となってからは主に打撃投手をつとめ、その後は勝てず1976年に引退。
本田 竹広(ほんだ たけひろ、本名:本田昂(たかし)、194… 本田 竹広(ほんだ たけひろ、本名:本田昂(たかし)、1945年8月21日 - 2006年1月12日)は、日本のジャズピアニスト。芸名は本田竹彦・本田竹曠とした時期あり。岩手県宮古市出身。国立音楽大学卒。ジャズ・ボーカリストのチコ本田は元[要出典]妻、チコ本田との間に産まれた息子はジャズ・ドラマーの本田珠也。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
高橋 昌造(たかはし しょうぞう、1945年8月14日 - … 高橋 昌造(たかはし しょうぞう、1945年8月14日 - )は、日本の政治家。岩手県矢巾町長(2期)。元岩手県議会議員(2期)。 岩手県盛岡市生まれ。1964年(昭和39年)3月、岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1971年(昭和46年)、矢巾町役場に奉職。1999年(平成11年)5月から2007年(平成19年)まで助役を務めた。 2007年(平成19年)4月8日に行われた岩手県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。東日本大震災の影響で2011年(平成23年)9月11日に延期された県議選では民主党公認で立候補し再選。 2015年(平成27年)4月26日に行われた矢巾町長選挙に立候補し初当選した。4月30日、町長就任。
菅原 牧子(すがわら まきこ、1945年5月9日 - )は、… 菅原 牧子(すがわら まきこ、1945年5月9日 - )は、日本のアナウンサー、プロデューサー、日本大学芸術学部放送学科特任教授。 岩手県陸前高田市出身。青山学院大学文学部フランス文学科卒業。俳人協会会員、岩手県ふるさと大使、陸前高田市ふるさと大使。 1968年4月、TBSにアナウンサー第13期生として入社(同期には小島一慶・松永邦久・池田園子・石井和子・見城美枝子・郷司淑子)。 35年間、アナウンサー・番組企画制作者として活躍。『歌のない歌謡曲』、『菅・牧のお昼ですよ』、『講談社 ラジオブックス』他多数に出演。1987年、アノンシスト賞 テレショップ番組最優秀賞。1990年、アノンシスト賞 放送活動賞。
三浦 信孝(みうら のぶたか、1945年3月28日 - )は… 三浦 信孝(みうら のぶたか、1945年3月28日 - )は、日本のフランス文学者、フランス文化学者。中央大学名誉教授・日仏会館常務理事。また日本語 - フランス語の通訳者。 1945年、岩手県盛岡市生まれ。1963年、岩手県立盛岡第一高等学校を卒業。東京大学教養学部教養学科フランス分科に進み、1970年に卒業。同大学大学院に進み、1978年東京大学大学院人文科学研究科仏語仏文学専攻博士課程を満期退学。 1980年、静岡大学教養部助教授に着任。1990年より、慶應義塾大学総合政策学部教授。1995年、中央大学文学部教授となった。2015年に中央大学を定年退職し、名誉教授となった。学界では、日本フランス語教育学会会長を務めた。
浅沼新(あさぬま あらた、1945年〈昭和20年〉2月19日… 浅沼新(あさぬま あらた、1945年〈昭和20年〉2月19日 - )は、日本の銀行家。東北銀行取締役会長。藍綬褒章を2008年(平成20年)に受章。 岩手県水沢市(現:奥州市)出身。岩手県立水沢高等学校、青山学院大学卒業後、東北銀行入行。大学の後輩に6代目三遊亭円楽がおり、岩手県での落語会等が開催される度に、懇談する旧知の間柄であるという。 2004年、頭取に就任する。トップ在任時には、中小事業者への融資の拡大や、農林水産業の6次産業化の支援を進めたほか、東証1部上場の実現などに手腕を発揮した。2014年6月、会長に退いた。 蘭学者高野長英の末裔であり、実家は文化財として保護されている。
佐藤 安紀(さとう やすのり、1945年(昭和20年)2月1… 佐藤 安紀(さとう やすのり、1945年(昭和20年)2月11日 - )は、日本の銀行家。北日本銀行代表取締役会長。2008年藍綬褒章受章。 岩手県盛岡市出身。元主計大尉にして質屋を営む父のもとで育つ。小学4年で番台に上がり高校入学までそれを続けた。また、その場で金利の計算から、人物の見極目まで行い審査と担保の清算を肌で学んだという。 学生時代は東京で過ごし、都内の百貨店への就職も内定していたが、父から帰郷を促されたため、入社試験の間に合った北日本相互銀行を受験。同行に入行した。 1994年の「平成銀行」騒動の際には、仙台支店長として大蔵省と接触し、德陽シティ銀行の財務内容の悪さを熟知していたため、北日本相銀役員や労働組合に対し、財務内容を独自に分析した資料を配布。
平賀 徹夫(ひらが てつお、Martin Tetsuo Hi… 平賀 徹夫(ひらが てつお、Martin Tetsuo Hiraga, 1945年1月2日-)は、日本のカトリック教会聖職者でカトリック仙台司教区第6代司教。洗礼名は「マルチノ」。 岩手県花巻市に生まれる。18歳で花巻教会のベトレヘム宣教会の神父から受洗。岩手県立花巻北高等学校卒業後、岩手大学教育学部に通い、1967年に学士号を取得。1968年から1974年にかけて東京の大神学校で哲学と神学を修了。1974年9月16日、司祭に叙階。 1974年から1977年は岩手県一ノ関教会助任司祭。1977年から1980年にローマの教皇庁立ウルバノ大学に留学し、1980年に教会法の免許を取得。1991年から1994年は宮城県白石教会の司祭となり、1994年から1996年はカトリック新聞編集長を担当。
栗生澤 猛夫(くりうざわ たけお、1944年10月5日 - … 栗生澤 猛夫(くりうざわ たけお、1944年10月5日 - )は、日本の歴史学者。主専攻はロシア中世・近世史。北海道大学名誉教授。北海道大学文学部長・大学院文学研究科長を歴任。 1944年、岩手県盛岡市で生まれた。1963年3月に岩手県立盛岡第一高等学校卒業し、一橋大学経済学部に進学。1967年に卒業して一橋大学大学院社会学研究科に進み、1971年に修士課程を修了。大学での指導教官は金子幸彦であった。北海道大学大学院文学研究科博士課程に移り、1974年に単位取得退学。 1974年4月、日本学術振興会奨励研究員となった。同1974年10月よりベルリン自由大学東欧研究所に研究留学(ドイツ学術交流会奨学生として)。
若尾 義昭(わかお よしあき、1944年7月31日 - )は… 若尾 義昭(わかお よしあき、1944年7月31日 - )は、日本の俳優、声優。岩手県出身。 劇団アクト、劇団東芸、T・A・P、エヌ・エー・シー、悪役商会を経て、希楽星所属。 1955年、舞台『猿の手』でデビュー。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
及川 宣士(おいかわ のぶじ、1944年6月8日 - )は、… 及川 宣士(おいかわ のぶじ、1944年6月8日 - )は、岩手県釜石市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 東北高校では1961年、2年生の時に夏の甲子園に一塁手として出場。2回戦で岐阜商に敗退。高校同期に日下正勝左翼手、村上宏通二塁手(阪急ブレーブス)がいる。翌年の夏は東北大会準決勝に進出、リリーフとして登板するが、保原高に敗れ甲子園出場を逸した。 1963年に大洋ホエールズに入団。同年オフには高橋重行らとともに整理対象寸前であったが、翌年からコーチ就任予定の別所毅彦に手の大きさを着目されて現役を続けることになる。別所からフォークボールを伝授され、1965年4月27日に一軍初先発、阪神タイガースのジーン・バッキーと投げ合い3安打完封、初勝利を飾る。
菅野 峰明(かんの みねあき、1944年5月1日 - )は、… 菅野 峰明(かんの みねあき、1944年5月1日 - )は、日本の地理学者。埼玉大学名誉教授。人文地理学、特に都市地理学やアメリカ地誌を専門とし、都市内部構造の日米比較や、アメリカ合衆国の地域性の研究に取り組む。 岩手県陸前高田市に生まれる。岩手県立一関第一高等学校卒業。 1967年東京教育大学理学部地学科地理学専攻卒業、渡米、ジョージア大学大学院で地理学を専攻し、1977年博士課程修了、Ph.D.を取得。 帰国後、1977年11月埼玉大学講師、1978年10月同大学教養学部助教授に就任。1986年8月に教授に昇任、2007年から2008年にかけて副学長を務めた。2010年に大学を退職した後。2011年から2015年にかけて(埼玉大学の構内にある)放送大学埼玉学習センター所長(放送大学特任教授)を務めた。