鹿取 泰衛(かとり やすえ、1921年7月16日 - 200… 鹿取 泰衛(かとり やすえ、1921年7月16日 - 2003年1月11日)は、日本の外交官。位階は正三位。 外務大臣官房長、外務審議官、駐中国特命全権大使、駐ソ連特命全権大使。 宮城県仙台市出身。1941年浦和高等学校文科乙類卒業。1943年東京帝国大学法学部政治学科中退、外務省入省。ドイツ語研修を受ける。在ドイツ日本国大使館一等書記官を経て、1963年外務省欧亜局西欧課長。1965年外務省外務大臣官房会計課長。1967年外務省北米局外務参事官。同年在シアトル日本国総領事館総領事。1969年在インド日本国大使館参事官。1970年外務省経済協力局外務参事官。1972年外務省外務大臣官房長。1974年外務省経済協力局長。
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佐野 肇(さの はじめ、1921年7月13日 - 2003年… 佐野 肇(さの はじめ、1921年7月13日 - 2003年6月24日)は、日本の経営者、薬学博士。中外製薬社長を務めた。宮城県仙台市出身。 1944年に東京帝国大学第一工学部火薬学科を卒業し、同年に日本火工に入社し、陸軍兵器学校、陸軍技術中尉を経て、1947年10月に中外製薬に入社。 1964年5月に取締役に就任し、1974年11月に常務、1985年3月に専務を経て、1987年3月から1992年10月までに社長を務めた。 2003年6月24日肺炎のために死去。81歳没。
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由利 徹(ゆり とおる、1921年〈大正10年〉5月13日 … 由利 徹(ゆり とおる、1921年〈大正10年〉5月13日 - 1999年〈平成11年〉5月20日)は、日本の喜劇俳優。本名:奥田 清治(おくだ きよはる)。1950年代半ばからお笑いユニット“脱線トリオ”の一人として有名になり、解散後は喜劇役者、またコメディアンとして東北弁を駆使した言い回しや持ちギャグを用いてお茶の間を沸かせた。 宮城県石巻市にて、大工の親方である佐々木庄治と母きよの子として生まれる(3男3女の6人兄弟の長男)。父は腕のいい大工として知られていた。幼少期から茶目っ気があり、父の宴会で芸を披露するなどしていた。現在の石巻市立門脇小学校へ入学すると、学芸会で毎年主役を演じた。1930年小学3年次にレビュー劇団を見て感動し、後日東京に行くため、家出して入団を希望するが父親に連れ戻されたため断念したことがある。
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天津 敏(あまつ びん、1921年2月16日 - 1979年… 天津 敏(あまつ びん、1921年2月16日 - 1979年7月24日)は、日本の俳優。本名は天都 敏(あまつ とし、旧姓:佐藤)。身長182cmの体格、ドスの利いた声、鋭い眼光などを活かし、映画・テレビドラマで悪役・敵役スターとして活躍した。宮城県桃生郡河南町(現・石巻市)出身。 両親および兄弟はすべて教員という一家に育つ。歌と水泳が得意な少年だったという。宮城県師範学校を卒業後、教職に就く。戦時中は海兵団で少年兵の教官の職にあった。1944年に結婚、婿養子となり姓を天都(あまつ)とした。戦後は教職から離れ、鎌倉の夫人の実家の工場を手伝い、水道工事などの仕事をしていた。戦後、教職を離れたのは、戦前と正反対の教育をすることはできないという理由であった。
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樋渡 宏一(ひわたし こういち、1921年2月11日 - 2… 樋渡 宏一(ひわたし こういち、1921年2月11日 - 2009年3月7日) は、日本の細胞生物学者、遺伝学者。東北大学名誉教授。元日本学士院会員。日本における、ゾウリムシを用いた生物学研究の先駆者とされる。 宮城県仙台市生まれ。旧制盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を経て、東北帝国大学理学部を卒業後、東北帝国大学大学院特別研究生となる。 山形大学講師に赴任後、東北大学教育学部で教授に就任、宮城教育大学教授を経て、1968年に東北大学理学部教授となる。東北大学理学部教授時の1971年に日本動物学会賞を受賞した。 1984年に定年退職し、東北大学名誉教授となる。
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佐藤 智義雄(さとう ちぎお、1920年(大正9年)11月2… 佐藤 智義雄(さとう ちぎお、1920年(大正9年)11月2日 - 2003年(平成15年)3月11日 )は、日本の銀行家、実業家。七十七銀行頭取を務めた。 宮城県仙台市出身。1942年に大倉高等商業学校を卒業。 1946年、七十七銀行に入行。経理部主計課長、企画部企画課長兼調査課長、総務部次長兼総務課長等を歴任。1967年10月に取締役に選任、1969年3月に東京支店長兼東京事務所長委嘱、1970年3月に常務、1982年4月に専務を経て、1987年4月に頭取に就任。1991年6月に会長に退き、1995年6月からは相談役を務めた。 2003年3月11日、心不全のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
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佐藤 春郎(さとう はるお、1920年5月18日 - 200… 佐藤 春郎(さとう はるお、1920年5月18日 - 2002年7月18日)は、がんの基礎研究者。専門は、病理学、実験腫瘍学。東北大学名誉教授。勲三等旭日中綬章。 東京都生まれ。旧制仙台二中、旧制二高卒業後、1945年(昭和20年)、東北帝国大学医学部卒。同大学院特別研究生となり、吉田富三教授の指導を受ける。1950年(昭和25年)、同医学部助教授。1951年10月、東北大学医学博士、論文の題は「On the chromosomes of Yoshida sarcoma : studies with tumor cells proliferated in the peritoneal cavity of the rat trausplated with a single cell」。
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梶原 しげよ(かじわら しげよ、本名・髙村しげよ(たかむら … 梶原 しげよ(かじわら しげよ、本名・髙村しげよ(たかむら しげよ)、1920年(大正9年)4月23日 - 2015年(平成27年)11月8日)は、日本の詩人。 宮城県気仙沼市唐桑町出身。実家は早馬神社。気仙沼実科高等女学校(宮城県鼎が浦高等学校、統合され現 宮城県気仙沼高等学校)卒業。 10代から短歌や詩を書き始め、高等女学校卒業後、国語教師として小学校に勤務してから短歌と詩の投稿をはじめる。1952年、唐桑小学校校歌を作詞。1953年に髙村智(フランス文学者で、のち東京都立大学教授)と結婚した。 1959年に 第一詩集『生と死のうた』を出版し、2011年までに16の詩集を残す。95歳で生涯を閉じるまで、一貫して、生と死をテーマにした詩を紡ぎ、その詩は何カ国語にも訳され、20世紀芸術世界賞をはじめとして海外でも数々の賞を受け、ローマ、ヴェネツィア、モスクワ等より名誉作家として認定される。
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星 長治(ほし ちょうじ、1920年2月10日 - 1994… 星 長治(ほし ちょうじ、1920年2月10日 - 1994年1月14日)は、日本の政治家、参議院議員(1期、自由民主党)。 宮城県亘理郡亘理町出身。仙台高等実務学校卒。亘理町議を経て、宮城県議を5期務め、県会議長になる。1983年の第13回参議院議員通常選挙で宮城県選挙区から自民党公認で立候補して当選。第3次中曽根内閣で農林水産政務次官に就任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選。参議院議員を1期務めた。1994年1月14日死去、73歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、従四位に叙される。 ほか、亘理町漁業協同組合長理事、宮城県信漁連会長、全国内水面漁協連副会長、自民党農水局、国民生活局次長、国土審議会委員などを歴任した。
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千葉 正士(ちば まさじ、1919年9月17日 - 2009… 千葉 正士(ちば まさじ、1919年9月17日 - 2009年12月17日 )は、日本の法学者。東京都立大学名誉教授。法学博士(東北大学、1962年)(学位論文「学区制度の研究:国家権力と村落共同体の再編成」)。専門は法社会学、スポーツ法学。宮城県仙台市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。
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広瀬川 惣吉(ひろせがわ そうきち、1919年2月18日 -… 広瀬川 惣吉(ひろせがわ そうきち、1919年2月18日 - 1979年8月6日)は、宮城県柴田郡柴田町出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は及川 惣吉(おいかわ そうきち)→片岡 惣吉(かたおか -)。身長180cm、体重105kg。最高位は東前頭3枚目(1952年1月場所・1953年3月場所)。 なお、四股名の表記については、「広」の字が旧字体の「廣」となっている文献も見受けられる。 17歳の時上京して角界入りし、1937年1月、元関脇・清瀬川率いる伊勢ヶ濱部屋より初土俵を踏んだ。 序二段に付いてから負け越しなしで1941年1月場所で新十両昇進、そして、1943年1月場所で入幕を果たした。
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鈴木 祥蔵(すずき しょうぞう、1919年2月17日 - 2… 鈴木 祥蔵(すずき しょうぞう、1919年2月17日 - 2009年7月30日)は、日本の教育学者。関西大学名誉教授。専門は教育哲学、部落解放教育。部落解放教育運動の全国的指導者で、教職員組合運動や幼児教育運動などにも影響を与えた。 宮城県白石市生まれ。1943年京都帝国大学文学部哲学科卒業。同大学大学院に入学するが、兵役のため休学、中国東北部に派遣され、敗戦後はシベリア抑留を経験。復員後の1949年京都大学大学院に復学。1951年同大学院教育学研究科退学、関西大学文学部助教授、1957年同教授。1967年の教育学科創設の中心となり、文学部長、部落問題委員会委員長、部落問題研究室(1974年創設、1985年人権問題研究室に改組)初代室長を歴任。
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奥田 教久(おくだ のりひさ、1919年2月1日 - 201… 奥田 教久(おくだ のりひさ、1919年2月1日 - 2010年)は、大日本帝国陸軍大尉。戦後は科学ジャーナリスト、エンジニアとして活動した朝日新聞社論説委員。科学技術庁原子力局長期計画専門部会総合文化会委員・核燃料分科会委員。後に朝日カルチャーセンター社長。1939年、第一高等学校、1942年、東京帝国大学工学部卒。陸軍第三期航空技術候補生出身。カトリック教徒。 朝日新聞社が他社に先駆けてネルソン法方式を採用する際の主幹を務め、コンピュータ製版化を達成。 村松藩主堀家の末裔として1919年2月1日、福島県に生まれ、宮城県仙台市で育つ。父・武二郎は公務員、母・愛子は関義臣の庶子。奥田教朝は兄。旧制仙台第一中学校に進むが、家庭の事情で東京に転居することとなり、旧制東京第一中学校に編入。
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青葉 笙子(あおば しょうこ、1918年(大正7年)3月21… 青葉 笙子(あおば しょうこ、1918年(大正7年)3月21日 - 2012年(平成24年)2月28日)は、昭和時代に活躍した歌手。「鴛鴦道中」などで知られる。本名は小野寺 貞子(おのでら ていこ)。 宮城県仙台市の裕福な家庭に生まれる。幼い頃に母を亡くし、祖父母に育てられる。実家にあった蓄音機から流れる流行歌の世界に憧れるようになり、特に後の恩師となる関種子の歌う「嘆きの夜曲」を聞き、歌手を志すようになる。 1936年(昭和11年)、日本コロムビアが松竹とタイアップして、音丸の「下田夜曲」の宣伝のために開催した歌謡コンクールに応募し、優勝した。このコンクールには、後に活躍する若き日の岡晴夫や近江俊郎の姿もあったが、女性の歌であったためかいずれも落選している。
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佐藤 剛彦(さとう たけひこ、1917年8月17日 - 20… 佐藤 剛彦(さとう たけひこ、1917年8月17日 - 2013年1月29日)は、日本の実業家。河北新報社代表取締役を務めた。 宮城県仙台市出身。1941年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に富士電機製造に入社。仙台営業所長を務めた。 1969年に河北新報社に転職。総務局長、販売局長、取締役、常務、専務を経て、1981年から2003年までに代表取締役を務めた。 東北放送取締役、河北ビル会長なども歴任した。 1991年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2013年1月29日、肺炎のために死去。95歳没。
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多々良 純(たたら じゅん、1917年8月4日 - 2006… 多々良 純(たたら じゅん、1917年8月4日 - 2006年9月30日)は、日本の俳優。本名:田足井 重二〈たたらい しげじ〉。 宮城県牡鹿郡石巻町(現在の石巻市)出身。東京府立第九中学校卒業。新倉事務所に所属していた。 新築地劇団研究生、苦楽座、劇団民藝など舞台俳優として活動し、数多くの映画・テレビドラマに出演。頑固ながら根は優しい役などに定評があり、軽妙な役もこなせる貴重なバイプレーヤーとして活躍した。 1917年(大正6年)8月4日、宮城県牡鹿郡石巻町(現在の石巻市)に、父・重一と母・利の次男として生まれる。幼少時代は家業の都合で石巻、仙台、東京と居を移す。西巣鴨第二小学校を経て、1935年(昭和10年)に東京府立第九中学校を卒業後、国際ホテル学校に入学し、5カ月で中退、帝国ホテル食堂部に就職する。
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生江 義男(なまえ よしお、1917年(大正6年)3月2日 … 生江 義男(なまえ よしお、1917年(大正6年)3月2日 - 1991年(平成3年)4月28日)は、日本の教育者、専門は比較文化論。元学校法人桐朋学園理事長。 宮城県石巻市生まれ。石巻市立石巻中学校、東京高等師範学校卒、1941年(昭和16年)病のため東京文理科大学史学科を中退(のち53年卒業)。 1941年石巻市立石巻中学校教諭となるが、43年応召で中国に渡る。復員後、48年から桐朋学園に勤務。桐朋女子部教務・事務主任のときの51年、音楽科を併設して小沢征爾らの人材を輩出させた。60年から桐朋幼稚園・桐朋小学校・桐朋女子中学校・高等学校の専任校長となり、通信簿廃止・入学時の筆記試験廃止など個性重視の教育を実践し、62年桐朋学園大学教授兼務、86年から桐朋学園理事長を務めた。
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秋山 ちえ子(あきやま ちえこ、1917年1月12日 - 2… 秋山 ちえ子(あきやま ちえこ、1917年1月12日 - 2016年4月6日)は、日本のラジオパーソナリティ、エッセイスト、時事評論家。本名、橘川ちゑ(きっかわ ちえ)。 宮城県仙台市出身。1935年に東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)を卒業後、聾唖学校の教師となる。この時、取材に訪れた川端康成と知り合い、北条誠を川端に紹介する。結婚後、中華民国に4年滞在。1948年(昭和23年)から1956年(昭和31年)まで、NHKラジオ番組『私の見たこと、聞いたこと』のレポーターを担当し、主婦の視点から見た日本の現状をわかりやすく説明した。1954年(昭和29年)にラジオ番組「私の見たこと聞いたこと」で第2回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞(書籍ではなく、ラジオ番組に対しての授与)。
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畠山 孝(はたけやま たかし、1916年 <大正5年> 9月… 畠山 孝(はたけやま たかし、1916年 <大正5年> 9月22日 - 1998年 <平成10年> 10月29日)は、宮城県議会議長(自由民主党)、唐桑町長。ボート競技(ローイング競技)の選手、指導者。オリンピアン。位階は従五位。 宮城県本吉郡唐桑町(現・気仙沼市)鮪立生まれ。旧制気仙沼中(現・宮城県気仙沼高等学校)、早稲田第二高等学院(現・早稲田大学高等学院・中学部)を経て1939年早稲田大学商学部を卒業。 早大在学中、1936年のベルリンオリンピックのかじ付きフォア(三番手)に出場、敗者復活戦で敗退した。前年の1935年の全日本エイト選手権では七番を漕ぎ優勝した。 大学卒業後も南満州鉄道に勤務の傍ら明治神宮大会に優勝。
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菊田 義孝(きくた よしたか、1916年(大正5年)3月21… 菊田 義孝(きくた よしたか、1916年(大正5年)3月21日 - 2002年(平成14年)7月21日)は、日本の詩人・文芸評論家。「群系」創刊同人。 仙台市生まれ。1937年(昭和12年)明治大学文藝科卒。太宰治と親しく交わる。戦後、紫書房、大蔵財務協会に勤務。1960年(昭和35年)よりフリーの編集者。かたわら文芸評論を書いた。「群系」創刊同人。 息子・菊田求(1949-1975)も詩や小説を書いたが、学生運動のさなか自死した。遺稿集に『反逆と愛のはざまで ある学生の孤独な遺書』(光風社出版 1979年5月)がある。
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多藤 省徳(たとう せいとく、1916年 - )は、日本の実… 多藤 省徳(たとう せいとく、1916年 - )は、日本の実業家。生涯を捕鯨の発展に捧げた。鯨類研究所の大村秀雄は多藤を「捕鯨の大家」と賞賛した。 宮城県古川市(現大崎市古川)出身。旧制古川中学(宮城県古川高等学校)、1939年に函館高等水産学校(北海道大学の前身校の一つ)を卒業し極洋捕鯨に入社。小笠原捕鯨、北洋捕鯨、南氷洋捕鯨などに尽力。1961年の国際捕鯨オリンピックでは船団長として船団を率いた。その後、同社取締役、常務取締役、専務取締役、1976年には取締役副社長を歴任した。
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氏家 栄一(うじいえ えいいち、1915年(大正4年)12月… 氏家 栄一(うじいえ えいいち、1915年(大正4年)12月12日 - 2002年(平成14年)12月6日)は、日本の銀行家。七十七銀行会長、頭取。 四代目氏家清吉(七十七銀行頭取)の長男として、宮城県伊具郡角田町(現・角田市)に生まれる。 1940年(昭和15年)、短期現役海軍主計科士官(4期)に志願。同年5月、海軍経理学校に入校して海軍主計中尉に任官。同年9月に卒業。重巡「摩耶」庶務主任などを務めた。1945年(昭和20年)5月、海軍主計少佐に進級して終戦を迎えた。 日銀勤務を経て、頭取だった父・清吉の死去に伴い、七十七銀行に副頭取として入行。1970年(昭和45年)には、頭取に昇格する。 トップ在任時においては、経営の近代化に努め、1972年(昭和47年)の東証2部上場(翌年1部に指定替え)、現本店ビルの竣工等を実現。
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遠藤 要(えんどう かなめ、1915年10月31日 - 20… 遠藤 要(えんどう かなめ、1915年10月31日 - 2010年6月20日)は、日本の政治家。 宮城県議会議員を経て、参議院議員を4期務め、法務大臣や自由民主党参議院議員総会長などを歴任。 学歴は、白石高等小学校(現在の宮城県白石市)卒業。 1947年(昭和22年)、宮城県議会議員選挙に立候補し初当選し、同県議会議員に就任した。以後通算7回当選し、1971年(昭和46年)には同議会議長に選出された。 1974年(昭和49年)の第10回参議院議員通常選挙に、自由民主党公認で立候補し当選、参議院議員に転身した。以後通算4回当選し、自由民主党内では田中派、竹下派(経世会)を経て、小渕派(平成研究会)に所属した。
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浅野 建二(あさの けんじ、1915年8月24日 - 199… 浅野 建二(あさの けんじ、1915年8月24日 - 1990年7月17日)は、日本の音楽学者、民謡・歌謡研究者。学位は、文学博士(東京教育大学・論文博士・1962年)(学位論文(「日本歌謡の研究」)。山形大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。1941年東京文理科大学国文科卒、群馬県師範学校教諭、1943年群馬師範学校助教授、1947年教授、宮城県第二高等女学校教諭、1950年山形大学山形師範学校教授、山形大学教育学部助教授、1962年「日本歌謡の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1963年山形大学教授、1977年附属図書館長・評議員、1981年定年退官、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
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太田 嘉四夫(おおた かしお、1915年4月11日 - 19… 太田 嘉四夫(おおた かしお、1915年4月11日 - 1994年3月16日)は、日本の動物学者・生態学者。 父方の祖父は太田惣五郎で、祖母は太田いと。叔父に医学者・文学者である木下杢太郎(本名太田正雄)と復興局疑獄事件で自殺した鉄道技術者の太田圓三がいる。太田の一族には社会運動や左翼運動に身を投じたものも多く、こうした環境下で少年期から特殊な影響を受けることを懸念した父が仙台の太田正雄(木下杢太郎)東北帝国大学教授にあずけた、という。
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杉山 尚(すぎやま たかし、1915年3月21日 - 200… 杉山 尚(すぎやま たかし、1915年3月21日 - 2004年4月20日)は、日本の内科学者。専門は温泉医学、リハビリテーション、消化器病学。医学博士 宮城県仙台市生まれ。 1939年、東北帝国大学医学部卒業後、同医学部内科教室(教授 黒川利雄)に入局。医学博士(東北大学)、論文「各種胃疾患の胃曲線に関する研究」。1948年、同内科助教授。1955年、東北大学医学部附属温泉医学研究実験所教授・附属鳴子分院院長。日本温泉物理医学会、日本温泉科学会、日本リウマチ学会、宮城県温泉審議会、日本リハビリテーション医学会などの会長を歴任。1987年、勲三等旭日中綬章受章。2004年(平成16年)逝去、享年89。
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早坂 文雄(はやさか ふみお、1914年8月19日 - 19… 早坂 文雄(はやさか ふみお、1914年8月19日 - 1955年10月15日)は、日本の作曲家である。宮城県仙台市出身。 1914年(大正3年)、宮城県仙台市東一番丁(現・青葉区)で、早坂順之助・ふみ江の子として生れる。兄弟姉妹は兄(夭折)、弟、妹2人がおり、他に順之助と先妻との間に生まれた異母兄がいた。早坂家は代々宮城県志田郡三本木町の地主の家系で、祖父の代までは裕福だったと言われるが、父(順之助)の代には没落していた。1918年(大正7年)4月頃に北海道札幌市南7条西7丁目(現・中央区)に転居した。ただし、本人は生涯にわたって故郷は北海道ではなく宮城県であるという意識を持っていたという。家庭はこれといって音楽的環境ではなかったが、父は日本画をたしなみ、早坂も旧制・北海中学校(現北海高等学校)入学時には洋画家になろうと思っていたが、15歳の頃から作曲家を志すようになった。
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小野 義彦(おの よしひこ、1914年4月25日 - 199… 小野 義彦(おの よしひこ、1914年4月25日 - 1990年11月19日)は、日本の経済学者、大阪市立大学名誉教授。マルクス主義の立場から資本主義批判を行った。日本共産党における主流派のアメリカ従属論を批判した。主流派が、日本のアメリカ従属から脱する民族民主革命と社会主義革命が必要とする二段階革命論を唱えたことに対して日本はアメリカに従属しておらず、戦術としてアメリカ従属を利用する日本の独占資本主義に対する一段階革命論を提唱し、事実上日本共産党から排除された。1963年9月に平民学連からシンパ学生を率いて民主主義学生同盟を結成した。 東京府東京市四谷区生まれ。仙台第二中学校から第一高等学校へ進んだが、1933年に左翼活動のため中退。
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片山 正英(かたやま まさひで、1914年(大正3年)2月1… 片山 正英(かたやま まさひで、1914年(大正3年)2月17日 - 2005年(平成17年)3月22日)は、昭和期の農林官僚、政治家。参議院議員、林野庁長官。 宮城県仙台市出身。1939年(昭和14年)東京帝国大学農学部林学科を卒業した。 農林省に入省し、同山林局、林野庁、経済審議庁などで勤務。群馬県林務部長、林野庁業務部長などを歴任し、林野庁長官に1967年(昭和42年)9月から1970年(昭和45年)1月まで在任して退官した。 1971年(昭和46年)6月の第9回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬して初当選。なお、この選挙を通じて関係者19人が買収、文書違反の疑いで逮捕されている。
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富ノ山 等(とみのやま ひとし、1914年2月10日 - 1… 富ノ山 等(とみのやま ひとし、1914年2月10日 - 1945年10月30日)は、宮城県栗原郡築館町(現栗原市)出身で花籠部屋に所属した力士。本名は佐藤 等。最高位は西前頭4枚目。身長185cm、体重116kg。 1930年、花籠部屋から初土俵を踏む。序ノ口、三段目、幕下で優勝を経験し、3年で十両に昇進した。そのあと少し出世はゆっくりとなったが、1935年1月、20歳で新入幕を果たした。「富野山」に改名した1936年5月場所自己最高位となる西前頭4枚目まで上がるが、11戦全敗で終わった。「冨ノ山」に再改名した1937年5月場所十両に落ち、一時期素行不良で破門され、幕下付出で再出発したこともあった。
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武田 豊(たけだ ゆたか、1914年1月6日 - 2004年… 武田 豊(たけだ ゆたか、1914年1月6日 - 2004年2月15日)は、日本の実業家。宮城県高清水町出身。新日本製鐵(新日鉄)代表取締役会長、経済団体連合会(経団連)副会長、日本鉄鋼連盟会長などを歴任した。東京帝国大学法学部政治学科卒業。 宮城県仙台第一中学校 (現: 宮城県仙台第一高等学校 )、山形高等学校(現:山形大学)を経て1939年に東京帝国大学法学部政治学科(現:東京大学法学部政治学科)卒業後、同年4月日本製鐵(日鉄)入社。1950年同社解体により富士製鐵に移り、社長室秘書課長、人事部長などを経て、1970年3月八幡製鐵と合併し新日鉄が発足するとともに専務となり、1977年には副社長、1981年社長に昇格。
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猪野 謙二(いの けんじ、1913年4月2日 - 1997年… 猪野 謙二(いの けんじ、1913年4月2日 - 1997年9月11日)は、文芸評論家、近代日本文学研究者。 宮城県仙台市生まれ。東京府立第六中(現都立新宿高等学校)を経て1937年東京帝国大学文学部国文科卒。在学中に立原道造らと『未成年』を創刊。戦後日本文学協会に属し、歴史社会学派の立場から日本近代文学の研究・評論を行った。1954年神戸大学助教授、1975年学習院大学教授。1984年定年退職。
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扇谷 正造(おうぎや しょうぞう、1913年3月28日 - … 扇谷 正造(おうぎや しょうぞう、1913年3月28日 - 1992年4月10日)は日本の文筆家、編集者、ジャーナリスト。 "週刊誌の鬼"の綽名で知られた。 宮城県遠田郡涌谷町出身。旧制石巻中学、旧制二高を経て、1935年に東京帝国大学文学部国史学科を卒業し、朝日新聞社に入社。青森支局、仙台支局を経て、1937年に社会部記者、1938年に従軍記者として第101師団に配属され、武漢作戦に参加。1941年12月、再度従軍記者となり、フィリピンのリンガエン湾に上陸。 1944年(昭和19年)3月に補充兵として召集され、歩兵第4連隊に入営。朝鮮の羅南で三カ月の訓練を受け、通信兵となる。湘桂作戦(ト号作戦)に参加。
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永沢 幸七(ながさわ こうしち、1913年3月24日 - 2… 永沢 幸七(ながさわ こうしち、1913年3月24日 - 2010年9月17日 )は、日本の心理学者、東京家政学院大学名誉教授。 宮城県古川市(現・大崎市古川)生まれ。宮城県古川高等学校卒業。東京文理科大学心理学科卒。(筑波大学卒。)同研究科修了。同大助手、非常勤講師をへて東京家政学院大学教授。1984年定年退任、国士舘大学教授。
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山形 敞一(やまがた しょういち、1913年2月27日 - … 山形 敞一(やまがた しょういち、1913年2月27日 - 1998年9月14日)は、日本の内科医。専門は、消化器病学(特に膵臓疾患)。東北大学名誉教授。1986年勲二等瑞宝章受章。 宮城県石巻市生まれ。石巻中学校(旧制)、第二高等学校(旧制)、東北帝国大学医学部卒業。1936年、内科学第三講座(教授山川章太郎、助教授黒川利雄)に入局。1957年に黒川利雄の後任として東北大学医学部第三内科講座教授、尚仁会第二代会長に就任。 宮城県対がん協会会長、日本癌治療学会総会会長、日本内科学会総会会頭、日本医史学会会長などを歴任。日本対がん協会賞、石巻市民功労賞などを受賞。アララギ派歌人としても著名で、多くの歌集があるほか、医学史特に仙台藩の医学史を研究した。
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青葉山 徳雄(あおばやま のりお、1913年2月4日 - 1… 青葉山 徳雄(あおばやま のりお、1913年2月4日 - 1972年3月1日)は、宮城県仙台市青葉区出身で陣幕部屋に所属した大相撲力士。本名は阿部 徳雄(あべ のりお)。最高位は西前頭4枚目。得意手は右四つ、寄り。現役時代の体格は173cm、112kg。 大坂相撲で大関だった12代陣幕に弟子入りし、1929年1月場所に初土俵を踏んだ。がっぷり四つに組まないと力が出ないタイプで、勝ち身も遅く、じっくりした相撲ぶりだったという。そのため水入りも多く、「バケツ」とあだ名された。それでも1934年5月場所に幕下で11戦全勝優勝を遂げて、翌1935年1月場所に十両昇進してからは注目も浴び、1937年5月場所に新入幕を果たした。
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近藤 鏡ニ郎(こんどう きょうじろう、1913年 - 197… 近藤 鏡ニ郎(こんどう きょうじろう、1913年 - 1975年)は、日本のアイヌ音楽研究家。アイヌ民族の歌謡や文化の記録・研究に尽力した。本名は近藤善兵衛。 宮城県古川市(現・大崎市古川)に生まれる。宮城県立古川中学校(現・宮城県古川高等学校)卒業後、朝日新聞社に入社。戦時中に海軍に応召され、復員後に郷土芸能・アイヌ歌曲の採譜に尽力した。1957年に「ピリカ・ピリカ」の採譜・編曲により芸術祭文部大臣賞、1960年にユーカラ劇「コタンの森」で北海道芸術新賞を受賞。その他、松前神楽の保存活動・研究にも当たった。1969年、北海道文化団体協議会事務局長に就任。 近藤がアイヌ音楽研究家として活動した時期、日本は高度経済成長期にあり、伝統文化や少数民族の文化保存の重要性が再認識されていた。
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佐々木 慶市(ささき けいいち、1912年12月20日 – … 佐々木 慶市(ささき けいいち、1912年12月20日 – 2002年 8月21日)は、日本の歴史家。 宮城県大崎市生まれ、1930年に第二高等学校に入学。柔道部の選手でもあった。3年生のときに日本史の本を読むようになり、特に三浦周行『国史上の社会問題』を読んだことが室町期の社会に興味を持つきっかけとなった。また、在学中に 武内義範らと歴史同好会の活動をし、そこで伊東信雄と知り合い、東北帝国大学への進学を勧められた。1933年に二高を卒業する。同年、東北帝国大学法文学部に入学。古田良一に師事するとともに、中村吉治の指導も受けた。また、伊木寿一から古文書学を学び、実習で飯野八幡宮文書の調査を行ったことが、のちの好嶋荘や岩城氏の研究につながった。
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本間 俊一(ほんま しゅんいち、1912年11月18日 - … 本間 俊一(ほんま しゅんいち、1912年11月18日 - 1958年8月20日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。中新田町長、宮城県知事を務めた本間俊太郎は長男。 宮城県加美郡中新田町(現・加美町)出身。古川中学校(現・宮城県古川高等学校)、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。大学卒業後、1935年に中外商業新報社、1939年に読売新聞社に入社し社会部記者となる。その後、郷里に戻り、1945年8月に中新田町(現在の加美町)長となる。 1946年(昭和21年)第22回衆議院議員総選挙に日本進歩党から立候補し当選する。当選回数通算6回。第1次吉田内閣の農林参与官、第2次吉田内閣の通産政務次官、自由党副幹事長、衆議院決算委員長などを歴任した。
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佐藤 儀一郎(さとう ぎいちろう、1912年11月5日 - … 佐藤 儀一郎(さとう ぎいちろう、1912年11月5日 - 1997年6月13日)は日本の柔道家(講道館9段)、政治家。 宮城県角田市坂津田出身。1928年に旧制東北中学校(現・東北高等学校)を卒業。病弱な体を克服するために柔道を始めて恩師・佐久間弥太郎より厳しい指導を受け、後には高橋喜三郎、高橋勇蔵らにも師事した。記録上の講道館入門は1930年12月8日付だが、関東・東北・北海道柔道大会では同年と翌31年に個人戦・団体戦とも連覇を達成。身長180cm・体重95kgの恵まれた体躯と、得意技である固技や横捨身技が武器であった。 1934年より5年間は仙台鉄道局に籍を置き、1940年より6年間は旧制第二高校(現・東北大学)の柔道師範を務めた。
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石母田 正(いしもだ ただし/しょう、1912年9月9日 -… 石母田 正(いしもだ ただし/しょう、1912年9月9日 - 1986年1月18日)は、日本の歴史学者。法政大学法学部名誉教授。専攻は古代史および中世史で、多数の著作・論文がある。 1912年、北海道札幌市の母方の実家で生まれ、宮城県石巻市で育った。父・石母田正輔は旧仙台藩出身で、石巻の町長・市長を長く務めた。二高を経て、東京帝国大学文学部哲学科に入学。後に国史学科へ転科し、1937年に卒業。 冨山房、日本出版会に勤務の後、朝日新聞記者を経て、1947年から法政大学法学部講師、1948年に同教授。この間、1963年から法学部長、1967年から附属図書館長などの役職にあり、1981年に定年退職、名誉教授となる。
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長谷川 峻(はせがわ たかし、1912年4月1日 - 199… 長谷川 峻(はせがわ たかし、1912年4月1日 - 1992年10月19日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。自由民主党衆議院議員。宮城県栗原郡築館町(現在の栗原市)出身。 旧制宮城県築館中学校(現・宮城県築館高等学校)、早稲田大学専門部政経科卒業後、1933年に九州日報社(現 ・西日本新聞社)に入社。記者として活躍。この頃、緒方竹虎、中野正剛との知遇を得て、両雄の下で政治のイロハを学ぶ。1945年、緒方が東久邇宮内閣の国務大臣に就任すると、その秘書官を務めた。内閣では総理大臣の東久邇宮稔彦王の「国民諸君から直接手紙をいただきたい」との意向のもとで緒方のアイデアにより国民からの投書を募っていたが、稔彦王がすべての手紙を読むわけにもいかず、「平衡感覚を持った人」たる元記者の長谷川が手紙の整理役を務めた。
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磐城 徳枩(ばんじょう とくまつ、1912年3月25日 - … 磐城 徳枩(ばんじょう とくまつ、1912年3月25日 - 1942年6月2日)は、昭和時代の大相撲力士。二十山部屋所属。本名は小野 徳松。197cm、113kg。最高位は十両2枚目。 宮城県亘理郡亘理町出身。二十山部屋に入門し、1929年1月、「小ノヶ嶽」(後、小野ヶ嶽)の四股名で初土俵を踏む。2m近い体格で早くから有望視された。1932年5月十両昇進。6場所連続十両の地位にあったが、1935年1月幕下に落ちた。翌5月に十両に復帰、四股名も「磐城」に改めた。十両は4場所いたが、1938年1月再び幕下に落ち、「春風」と改名。その後は幕下の地位にあった。1942年1月に廃業し、同年6月に満30歳で死去した。
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菊地 庄次郎(きくち しょうじろう、1912年 <明治45年… 菊地 庄次郎(きくち しょうじろう、1912年 <明治45年> 3月1日 - 1984年 <昭和59年> 8月31日)は、日本の経営者。日本郵船社長、会長を務めた。位階は従三位。 宮城県仙台市出身。1934年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本郵船に入社。1959年に取締役に就任し、1961年に常務、1965年に専務を経て、1967年に副社長に就任し、1971年には社長に昇格した。1978年6月に会長に就任。 1973年11月に藍綬褒章を受章し、1982年4月に勲二等旭日重光章を受章。 1984年8月31日肝不全のために死去。72歳没。死没日付をもって従三位に叙された。
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御法川 正男(みのりかわ まさお、1912年または1913年… 御法川 正男(みのりかわ まさお、1912年または1913年 - 2005年1月29日)は、日本の実業家。フリーアナウンサー・みのもんたの父親にあたる。日国工業(現:ニッコク)の代表取締役会長を務めた。 宮城県栗原郡鶯沢町(現・栗原市)出身。自身は息子であるみのもんたに日国の社長を継いでもらうことを希望していたが、みのもんたは文化放送にアナウンサーとして入社。同局退社後、みのもんたは日国に入社した。 ニッコクによると、2005年1月29日8時32分、死去。92歳没。
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鈴木 重雄(すずき しげお、1912年〈明治45年〉 - 1… 鈴木 重雄(すずき しげお、1912年〈明治45年〉 - 1979年〈昭和54年〉1月31日)は、日本の社会福祉活動家。宮城県出身。らい予防法下の1970年代当時としては異例の、ハンセン病回復者の身分を明かしての社会復帰を果たした。愛生園での園名は田中 文雄(たなか ふみお)。 東京商科大学在学中にハンセン病に罹患し失踪、本名を捨てて愛生園で過ごす。ハンセン病回復者の社会復帰運動に当事者として内部から取り組む過程で再び故郷唐桑町との縁が生まれ、1973年には活動中に得たパイプから本名の鈴木重雄として唐桑町長選挙に出馬。 町長選には落選するもその後も地元唐桑町で地域貢献活動を続け、障害者支援施設「高松園」の設立を実現しつつ、1979年に自死によりこの世を去った。
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加藤 陸奥雄(かとう むつお、1911年12月2日 - 19… 加藤 陸奥雄(かとう むつお、1911年12月2日 - 1997年3月8日)は日本の生物学者。位階は正三位。 宮城県仙台市生まれ。専門は昆虫生態学。 兄に化学者の加藤多喜雄(仙台名誉市民)、地球物理学者の加藤愛雄、弟に地質学者の加藤磐雄がいる。大甥(甥の息子)に数学者の加藤文元。 指導学生に松田達郎などがいる。
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平 重道(たいら しげみち、1911年10月18日 - 19… 平 重道(たいら しげみち、1911年10月18日 - 1993年7月2日)は、日本の歴史学者、東北大学名誉教授。 仙台市生まれ。1934年に東北帝国大学法文学部国史学科に入学し、村岡典嗣の指導を得て、1937年卒業。卒業論文は「承久の乱の史論と解釈」。1968年「吉川神道の基礎的研究」で東北大学より文学博士の学位を取得。東北大学教養部助教授、教授、宮城教育大学教授。仙台の歴史などを研究した。1986年11月、勲三等旭日中綬章受章。
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祇園寺 信彦(ぎおんじ のぶひこ、1911年8月27日 - … 祇園寺 信彦(ぎおんじ のぶひこ、1911年8月27日 - 1998年11月23日)は日本の西洋史学者。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)生まれ。宮城県古川中学校(現:宮城県古川高等学校)卒業、第二高等学校(独法)卒業、東北帝国大学法文学部西洋史学科卒業。1962年「古ローマの社会と政治」で東北大学文学博士。東北大学文学部助教授、教授。1975年定年退官、名誉教授、東京国際大学教授。 専門は西洋古代史で、主としたのは、古代ローマにおける政治権力のあり方とその歴史的変遷、さらにその過程において個人が織り成した役割の問題の解明であった。研究は大類伸、原随園の学問的伝統を継承しつつ、マックス・ヴェーバーの歴史学方法論をよりどころとし、西洋古代史の研究と後進の指導に当たり、古代ローマ史研究において開拓者的な役割を果たした。
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神 直道(じん なおみち、1911年(明治44年)8月20日… 神 直道(じん なおみち、1911年(明治44年)8月20日 - 1998年(平成10年)9月29日)は、日本の陸軍軍人、宗教学者。軍人としての最終階級は陸軍中佐。陸士44期卒で瀬島龍三と同期。
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