阿久津 善治(あくつ ぜんじ、1922年8月24日 - 19… 阿久津 善治(あくつ ぜんじ、1922年8月24日 - 1988年2月1日)は、日本の歌人。晩年の前田夕暮に師事し、直系中の直系として純粋で源泉的な生き方と作風を貫いた。1946年2月から1948年10月までの2年3か月にわたり、福島県郡山市から『詩歌』(白日社)の戦後復刊の編集刊行にあたった。1956年、ケルン短歌会を創設し、主宰となる。生涯で幾たびかの生死を分ける病魔との戦いを経て、人生の多くを病床で過ごす傍ら、自然主義歌人として身近な自然と人生の厳しさと温かさを透明な視点の中に収めつつ、高く深い立場から人間と自己を見つめ続けた。 福島県郡山市に生まれる。1928年、6歳の時に、商家を営む伯父の阿久津藤七・クニ夫妻の養子となる。
永岡 慶之助(ながおか けいのすけ、1922年7月30日 -… 永岡 慶之助(ながおか けいのすけ、1922年7月30日 - 2021年5月12日)は、日本の歴史小説作家、時代小説作家。 本名同じ。福島県会津坂下町生まれ。群馬県藤岡市在住。東洋大学文学部卒業。 1946年(昭和21年)、友人の赤田哲也と故郷を出て中山義秀邸を訪問、知遇を得る。当時の仲間には吉田健一、国木田虎雄、清水崑、清水基吉らがいた。公友社、河出書房の雑誌編集者を経て、作家活動に入る。1960年(昭和35年)、出身地の会津藩を題材に取った『斗南藩子弟記』でデビュー。翌年の第45回直木賞候補となる。また同賞には1969年(昭和44年)の『紅葉山 富岡製糸場始末』も候補に推された(第62回)。
田中 善六(たなか ぜんろく、1922年5月15日 - 20… 田中 善六(たなか ぜんろく、1922年5月15日 - 2002年3月15日)は、日本の経営者。福島県出身。株式会社クラロンの創業者であり、元代表取締役。国際ロータリー第253区ガバナーなども歴任した。
大山 忠作(おおやま ちゅうさく、1922年5月5日 - 2… 大山 忠作(おおやま ちゅうさく、1922年5月5日 - 2009年2月19日)は、日本画家。日展会長。福島県二本松市出身。妻和子。 長男は日本テレビフットボールクラブ(東京ヴェルディ)役員の大山昌作、娘は女優の一色采子。 1943年、学徒出陣の為、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)を繰り上げ卒業。埼玉県で特別操縦見習士官3期となり、台湾の航空隊で終戦を迎えた。 1946年、復員し、その年の第2回日展『O先生』が初入選。翌年、高山辰雄らの日本画研究団体「一采社」に参加。山口蓬春に師事した。人物画、宗教的作品、花鳥、風景など高範な題材を得意とする。1961年、日展会員となり、事務局長、理事長などを歴任。
大橋 薫(おおはし かおる、1922年(大正11年)4月29… 大橋 薫(おおはし かおる、1922年(大正11年)4月29日 – ) は、日本の社会学者。明治学院大学名誉教授。社会病理学、都市社会学を主たる専門とする。明治学院大学社会学部長、日本社会病理学会、家族問題研究会の各会長などを歴任。 社会病理学では社会解体論的、社会偏倚論的方針に立脚し、家族病理、社会病理の視点から研究を行う。また都市社会学においてはシカゴ学派の影響を受ける。 研究対象は家族、アルコール中毒、被差別部落、売春婦、やくざなど多岐にわたり、高知市や大阪市で行った調査活動への評価は高い。一方その社会病理学の方法については、学問領域としての社会病理学それ自体と併せて批判もある。 福島県田島町出身で、会津中学、浦和高校を経て1942年(昭和17年)に東京帝大へ進む。
工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 -… 工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 - 2008年7月9日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。本名は、工藤 精一(くどう せいいち)。日本ロシア文学会会員。 福島県生まれ。福島中学(現福島県立福島高等学校)卒業。ハルピン学院卒業。日ソ文化交流機関講師、関西大学教授等を務めた。 数多くのロシア文学・ロシア語文献を翻訳した。
北畑 静子(きたはた しずこ、1922年〈大正11年〉3月1… 北畑 静子(きたはた しずこ、1922年〈大正11年〉3月17日 - 1990年〈平成2年〉7月13日)は、日本のロシア児童文学の翻訳家。 福島県相馬郡原町()(現・南相馬市原町区)生まれ。本名・静()。父は逓信省無線電信技師の北畑平五郎(1894年 - 1944年)。3歳のとき父の転勤に伴い東京府荏原郡大井町へ転居して、以降少女時代を過ごす。品川区立原小学校を経て、1939年3月普連土女学校卒業。GHQ民事検閲局を経て、1953年1月28日国立国会図書館に勤務。司書となり、勤務の傍ら日ソ学院に通いロシア語を学ぶ。雑誌に短編を翻訳して以来、ソ連やチェコスロバキアの児童文学を紹介。1979年同人の一人として同人誌『イワン』(露: Иванушка)創刊、主宰者の役割を果たす。
川島 廣守(かわしま ひろもり、1922年(大正11年)2月… 川島 廣守(かわしま ひろもり、1922年(大正11年)2月27日 - 2012年(平成24年)12月9日)は、日本の官僚。第10代プロ野球コミッショナー、第3代セントラル・リーグ会長、第2代本田財団理事長、内閣調査室長、内閣官房副長官、日本鉄道建設公団総裁などをつとめた。位階は従三位。 福島県湊村(現会津若松市)出身。会津中学校を経て、中央大学法学部専門部法科入学。在学中に高等試験に合格。中大卒業後、内務省入省。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進してインドネシア・サバン島で終戦を迎えた。
山口 康助(やまぐち こうすけ、1921年7月23日 - 2… 山口 康助(やまぐち こうすけ、1921年7月23日 - 2013年3月)は、日本の日本史学者・教育者。 1921年(大正10年)7月23日、福島県に生まれる。1940年(昭和15年)3月、福島県立会津中学校(現・福島県立会津高等学校)卒業。1942年(昭和17年)9月、新潟高等学校(現・新潟大学)文科甲類卒業、東京帝国大学に進学。1944年(昭和19年)3月、学徒出陣。1945年(昭和20年)9月、召集解除、復員。1947年(昭和22年)3月、東京帝国大学文学部国史学科卒業。卒業直後に腎臓摘出の手術を受け、さらに結核により半年あまり自宅療養する。1952年(昭和27年)3月、東京大学文学部大学院満期修了。
大河内 鷹(おおこうち たか、1921年(大正10年)7月1… 大河内 鷹(おおこうち たか、1921年(大正10年)7月17日 - 2009年(平成21年)4月9日)は、日本の政治家。福島県二本松市長(3期)。 福島県安達郡二本松町(現・二本松市)出身。1942年、陸軍士官学校(56期)卒。戦後、帰郷し、二本松市議会議員となり、7期務め、議長も2期務めた。1984年、二本松市長に当選し、3期務める。1996年に市長を退任した。2009年(平成21年)4月9日死去、87歳。死没日をもって正七位から従四位に叙される。
村田 秀三(むらた ひでぞう、1921年5月4日 - 198… 村田 秀三(むらた ひでぞう、1921年5月4日 - 1985年1月5日)は、日本の労働運動家、政治家、参議院議員(4期、日本社会党)。 福島県白河市出身。1939年仙台逓信講習所卒、白河郵便局に勤務する。第二次世界大戦中に召集され南方作戦を経験、多くの戦友を失ったことが戦後、労働運動に携わる動機となる。1956年全逓福島地区委員長、福島県労組協議会議長などを経て、1965年の第7回参議院議員通常選挙で福島県選挙区から日本社会党公認で立候補して初当選。4期連続当選した。この間、社会労働委員長、災害対策特別委員長、参議院国会対策副委員長、社会党県委員長などを歴任した。 議員在職中の1985年1月5日、心筋梗塞のため、福島県白河市で死去した。
太田 博(おおた ひろし、1921年〈大正10年〉1月24日… 太田 博(おおた ひろし、1921年〈大正10年〉1月24日 - 1945年〈昭和20年〉6月20日)は、日本の詩人。 1941年〈昭和16年〉徴兵検査に合格したのちに、翌1942年〈昭和17年〉1月に千葉県柏・高射砲第二連隊に入営。少尉として沖縄戦に参加。高射砲陣地構築作業に動員されてきたひめゆり学徒隊に、「相思樹の歌」の詩をプレゼントした。米軍との死闘の後に沖縄県糸満市にて戦死。最終階級は死後に陸軍中尉。 短い生涯であったが、厳しい軍務にあっても詩人としての生き方を貫徹した。クリスチャンであった。 東京府東京市渋谷にて、郵便局員であった父・芳松、母・てふの三男として出生。1930年(昭和5年)、福島県郡山市清水台78番地の伯父・太田恒吉の養子となる。
佐藤 俊夫(さとう としお、1921年 - )は、日本の倫理… 佐藤 俊夫(さとう としお、1921年 - )は、日本の倫理学者、東京大学名誉教授。 第一高等学校から1943年東京帝国大学文学部倫理学科卒。1950年東大教養学部講師、助教授、教授、1981年定年退官、名誉教授、信州大学教授。
猪俣 良記(いのまた よしき、1920年(大正9年)10月2… 猪俣 良記(いのまた よしき、1920年(大正9年)10月27日 - 2007年(平成19年)5月22日)は、昭和時代の政治家。位階は正五位。福島県会津若松市長。 会津若松市出身。1943年(昭和18年)日本大学商経学部卒業。 門田村議会議員、会津若松市議会議員を経て、1967年(昭和42年)より福島県議会議員に5選する。1983年(昭和58年)会津若松市長に当選し、1987年(昭和62年)落選した。
奥田 鑛一郎(おくだ こういちろう、1920年(大正9年)3… 奥田 鑛一郎(おくだ こういちろう、1920年(大正9年)3月19日 - 1995年(平成7年)3月17日)は、日本の会社経営者(三宅坂経営よろず相談所主宰、梁山泊・三宅坂倶楽部会長)、著述業、元陸軍軍人および陸上自衛官。陸士53期卒(歩兵)。最終階級は陸軍少佐、二等陸佐。旧名:奥田重武。 福島県会津若松市出身。奥田重栄少将の四男。ペンネームの「鑛一郎」は祖父の名で、家憲により1978年ごろ襲名した。 父の予備役編入に伴い京都市で育ち、京都府立第六中学より東京幼年学校を経て陸士53期卒。原隊は歩兵第9連隊。当時の第16師団長は石原莞爾であった。連隊旗手を拝命後、下志津陸軍飛行学校にて特別偵察学生としての訓練を受け、1941年6月、参謀本部課員として南方での空中偵察に従事。
亀岡 高夫(かめおか たかお、1920年1月27日 - 19… 亀岡 高夫(かめおか たかお、1920年1月27日 - 1989年3月13日)は、日本の政治家である。自由民主党所属の衆議院議員。建設大臣、農林水産大臣を歴任した。
湊 徹郎(みなと てつろう、1919年11月24日 - 19… 湊 徹郎(みなと てつろう、1919年11月24日 - 1977年7月19日)は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(5期)。中曽根派。位階は従三位。勲等は勲二等。議員宿舎は、九段宿舎。 福島県田村郡三春町生まれ。水戸高等学校を経て、1942年、東京帝国大学経済学部卒業。大学卒業後、出征し、陸軍少尉。1945年8月に、復員した。 1946年に、福島県庁勤務。1961年、佐藤善一郎福島県知事のもとで、副知事を務める。 1963年の第30回衆議院議員総選挙で福島2区から初当選。以後5期連続当選。1970年、第3次佐藤内閣総理府総務副長官就任。1973年、青嵐会の代表世話人として旗揚げに参加。1976年、衆議院農林水産委員長。
鈴木 隆(すずき たかし、1919年8月12日 - 1998… 鈴木 隆(すずき たかし、1919年8月12日 - 1998年1月25日)は、日本の児童文学作家。 岡山県生まれ。旧制岡山中学校から会津の旧制喜多方中学校に転校。早稲田大学文学部卒。 早大童話会経由で坪田譲治に師事して童話作家となる。1966年に刊行した自伝的長編『けんかえれじい』が鈴木清順によって映画化され、この作で有名になる。
渡辺 源次郎(わたなべ げんじろう、1919年5月28日 -… 渡辺 源次郎(わたなべ げんじろう、1919年5月28日 - 2008年9月17日)は日本の経済学者。専門は経済史。福島大学学長などを経て、同大学名誉教授。 1919年、福島県二本松市生まれ、安達中学校を経て、福島高等商業学校に進学、1941年に卒業、東京商科大学に進む。卒業後、東芝に入社したが、1949年、恩師小林昇に請われて、母校福島大学経済学部にもどる。以後、短期大学部主事、図書館長、学生部長、経済学部長を歴任、母校の発展に尽力する。 1976年から2期5年間、福島大学学長に就任、福島大学の統合整備計画を進め、金谷川キャンパスへの統合移転を実現させた。研究者としては、イギリス重商主義経済学研究の第一人者として活動した。
鈴木 正一(すずき しょういち、1919年(大正8年)2月1… 鈴木 正一(すずき しょういち、1919年(大正8年)2月1日 - 1998年(平成10年)8月6日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。 福島県出身。1936年福島県立蚕業学校(現福島県立福島明成高等学校)普通科卒。戦後、農業協同組合に入り、青年連盟を結成し、委員長を7期、農協組合長を8期務める。同時に信夫郡大庭村(のち吾妻村→吾妻町、現・福島市)議を3期、福島県議を5期、同議長を2期務める。他、自民党福島県連幹事長なども務めた。 1977年の第11回参議院議員通常選挙において福島県選挙区から自民党公認で立候補して当選した。参議院自民党副幹事長、同農林部会副部会長、第1次中曽根内閣農林水産政務次官などを歴任した。
上坂 昇(こうさか のぼる、1918年〈大正7年〉7月6日 … 上坂 昇(こうさか のぼる、1918年〈大正7年〉7月6日 - 2013年〈平成25年〉7月2日)は、日本の政治家。 福島県いわき市出身。磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)を経て、早稲田大学政治経済学部を卒業。日本水素(現・日本化成)に入社し、労働組合書記長、同委員長、平市議会議員、福島県議会議員等を経て、1972年(昭和47年)の第33回衆議院議員総選挙で、旧福島3区より日本社会党公認で初当選。連続6回当選し1990年(平成2年)の総選挙では立候補しなかった。その後、いわき市長選に立候補するが、岩城光英に敗北する。 1989年4月の春の叙勲で勲二等に叙され旭日重光章を受章する。 2013年7月2日、肺炎のため死去。
浅田 光輝(あさだ みつてる、1918年〈大正7年〉5月15… 浅田 光輝(あさだ みつてる、1918年〈大正7年〉5月15日 - 2006年〈平成18年〉10月10日)は、日本の経済学者・政治運動家。立正大学名誉教授。 福島県須賀川市出身。1943年慶應義塾大学経済学部卒。在学中、三田新聞学会事件で検挙。応召し、戦後日本共産党に入る。1946年、豊田四郎のもとで日本経済機構研究所設立に参加。神山茂夫理論に共鳴、天皇制・ファシズム理論を展開。1954年共産党を除名。以後、新左翼活動を支援した。ハンガリー事件を契機に神山と離れ、全共闘運動を支援。 1949年専修大学商経学部非常勤講師、1951年静岡大学文理学部助教授、1967年立正大学教養部教授。1988年定年退任。
小林 文次(こばやし ぶんじ、1918年 <大正7年> 4月… 小林 文次(こばやし ぶんじ、1918年 <大正7年> 4月19日 - 1983年 <昭和58年> 8月28日)は、日本の建築史家、工学博士。福島県伊達郡桑折町生まれ。兄に歴史学者・文学博士の角田文衞がいる。門下には望月照彦、近江榮、山本理顕、椎名英三などがいる。福島県のさざえ堂の実測調査を手がけた。位階は従五位。 1941年、東京帝国大学工学部建築学科卒業。同大学院に進学するも1944年に退学。同年慶應義塾大学予科教授。大学院生時代は平等院の研究を手がける。1949年日本大学助教授、1952年フルブライト制度でアメリカ合衆国のオレゴン大学へ留学。現地ではアメリカ合衆国近代建築史を研究した。1960年「古代メソポタミヤ建築論」により、東京大学工学博士を取得。
南部 松夫(なんぶ まつお、1917年11月19日 - 20… 南部 松夫(なんぶ まつお、1917年11月19日 - 2009年8月21日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学・鉱物学。福島県相馬市生まれ。 1947年、東北帝国大学理学部岩石鉱物鉱床教室を卒業し、同大学選鉱精錬研究所(現、素材工学研究所)助手となる。1949年に講師、1953年に助教授、1955年 に東北大学理学博士 「Mineralogical study of limonite from Japan(日本産褐鉄鉱の鉱物学的研究) 」。 1962年に教授へと昇任し、1981年に停年退職。この間、1971年から1976年に同研究所所長。東北大学退職後は、東京理科大学の専任教授や監事にも就任した。
山下 勝(やました まさる、1917年8月17日 - 194… 山下 勝(やました まさる、1917年8月17日 - 1942年)は、日本の陸上競技選手。日中戦争の影響で中止となった1940年東京オリンピックの選手団に選出されていた。 福島県立白河高等学校で陸上競技を始め、1935年にインターハイの1500mで3位に入賞するなど活躍。 1936年に専修大学に進学。1939年に箱根駅伝(第20回大会)に出場し、当時のエース区間であった3区で区間賞を獲得し、同校の箱根駅伝初優勝に貢献した。 1940年の東亜競技大会の5000mにおいて、1936年ベルリンオリンピックで4位入賞を果たした村社講平を破り優勝。また、同年、日本陸上競技選手権大会の5000mと10000mで優勝。
長沢 節(ながさわ せつ、1917年5月12日 - 1999… 長沢 節(ながさわ せつ、1917年5月12日 - 1999年6月23日)は、日本のイラストレーター、水彩画家、デザイナー、エッセイスト、ファッション評論家、映画評論家。セツ・モードセミナー創設者。日本のファッション・イラストレーターの草分け。 本名は、長沢 昇(ながさわ のぼる)。 福島県会津若松市に生まれる。 小学校時代、画家で小学校教師の渡部菊二と出会う。会津中学入学。 軍事教練をボイコットした為、官立校の東京美術学校(東京芸大)への受験資格を失う。文化学院へ入学。卒業後水彩画家へ。 春日部たすく画伯と親交。戦前から中原淳一の推薦で女性誌『新女苑』にデビュー。『それいゆ』や『ひまわり』といった雑誌にイラストやエッセイを掲載。
丘 灯至夫(おか としお、1917年〈大正6年〉2月8日 -… 丘 灯至夫(おか としお、1917年〈大正6年〉2月8日 - 2009年〈平成21年〉11月24日)は日本の作詞家。本名は西山安吉。丘灯至夫以外にも丘十四夫、河野一郎など数々のペンネームを持つ。 好々爺として知られ、その明るい人柄から作品も明るい青春歌やホームソング的なものが多い。代表作は『高原列車は行く』、『高校三年生』、『あこがれの郵便馬車』など。アニメの主題歌なども手がけており、『ハクション大魔王』、『みなしごハッチ』、『ガッチャマンファイター』などが知られている。 ペンネームの由来は、新聞記者としての経験から「押しと顔」を逆から読んだものといわれている。新聞記者は押しが強くて面の皮が厚い、と言われることから。
佐川 博男(さがわ はくお、1917年〈大正6年〉2月8日 … 佐川 博男(さがわ はくお、1917年〈大正6年〉2月8日 - 2004年〈平成16年〉12月)は、日本の居合道家、剣道家。段位は居合道範士九段、剣道教士七段。居合の流派は夢想神伝流。 福島県東白川郡塙町で生まれる。1928年(昭和3年)、福島県立白河中学校(現福島県立白河高等学校)に入学し、剣道部に入部。3年生のころ郡山で開かれた剣道大会で大島治喜太の居合演武を見て、居合を志す。 1936年(昭和11年)11月16日、仙台陸軍教導学校を卒業し、軍人として第二次世界大戦では中国戦線に出征した。この戦争での白兵戦の経験から、「日本刀は3人斬ると脂が付いて斬れなくなる」という俗説には否定的であった。
真山 くみ子(まやま くみこ、1916年7月2日 - )は、… 真山 くみ子(まやま くみこ、1916年7月2日 - )は、日本の女優である。旧芸名は高松 美絵子(たかまつ みえこ)、本名は高橋 美枝子(たかはし みえこ)。1930年代から1940年代にかけての間、新興キネマ現代劇のスター女優として活躍したことで知られる。 1916年(大正5年)7月2日、福島県に生まれる。1934年(昭和9年)、旧制・麹町高等女学校(現在の麹町学園女子高等学校)を卒業する。 1935年(昭和10年)、トーキーによる現代劇を製作するスタジオである、日活多摩川撮影所(現在の角川大映撮影所)に入社する。最初の芸名は「高松美絵子」で、もっとも初期に記録に残る作品は、阿部豊が監督し、日活、協同映画社、太秦発声映画、ゼーオー・スタヂオ、日本ビクター各社が提携して製作した大作『海国大日本』で、広瀬恒美演ずる「松井敏夫」の妹「静子」役であった。
野村 晋一(のむら しんいち、1916年6月3日 - 199… 野村 晋一(のむら しんいち、1916年6月3日 - 1991年11月10日)は、日本の獣医、競馬評論家。 福島県白河市出身。1941年東京帝国大学農学部獣医学科卒。農林省日高種馬牧場嘱託。 1956年「馬の肘関節及び肘関節の機構学的研究」で東京大学農学博士。東大農学部助教授、1966年教授、1977年定年退官、名誉教授。 1971年日本農学賞、読売農学賞受賞。1989年勲三等瑞宝章受章。
猪俣 甚弥(いのまた じんや、1916年(大正5年)4月30… 猪俣 甚弥(いのまた じんや、1916年(大正5年)4月30日 - )は、日本の陸軍軍人。陸軍中野学校1期生で、ポツダム宣言受諾後の皇統護持作戦に参加し、「本丸」計画の責任者であった。最終階級は陸軍少佐。 福島県若松市(現会津若松市)に生まれる。1934年(昭和9年)会津中学を卒業し二高に進学したが、学費滞納で中退する。1937年(昭和12年)歩兵第29連隊に入隊し、翌年には歩兵学校で通信を専攻した。 この1938年(昭和13年)7月には、秋草俊や岩畔豪雄らが中心になり陸軍中野学校の前身である後方勤務要員養成所が設立される。猪俣は騎兵学校の推薦で、養成所の入所試験に合格した。事前の知識としては情報関係の仕事である程度しかなく、入所後に長期海外勤務要員と知らされる。
高橋 英辰(たかはし ひでとき、1916年4月11日 - 2… 高橋 英辰(たかはし ひでとき、1916年4月11日 - 2000年2月5日)は、福島県福島市出身のサッカー選手、サッカー指導者。サッカー日本代表監督を務め、2009年に日本サッカー殿堂入りした。 刈谷町立亀城小学校(現・刈谷市立亀城小学校)4年の時にサッカーをはじめ、愛知県刈谷中学校(現:愛知県立刈谷高等学校)から早稲田高等学院を経て、早稲田大学に入学。在学中はア式蹴球部に所属した。 1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックの日本代表は、当時日本最強だった早稲田のメンバーを中心に構成されたが、在学中の1940年に開催予定の東京オリンピックは幻となった。大学卒業後の1941年(昭和16年)に日立製作所サッカー部に入り、同年の明治神宮競技大会において実業団の部で準優勝を飾った。
鯨岡 兵輔(くじらおか ひょうすけ、1915年(大正4年)9… 鯨岡 兵輔(くじらおか ひょうすけ、1915年(大正4年)9月15日 - 2003年(平成15年)4月1日)は、日本の政治家である。正三位勲一等旭日大綬章。 福島県石城郡四倉町(現・いわき市)出身。4歳の時に東京都足立区千住に転居。早稲田大学商学部卒業後召集され、陸軍航空大尉で終戦を迎えた。戦後、父の経営する鯨岡製袋に入り、1947年足立区議、1955年東京都議を経て、1963年旧東京10区から衆議院議員に初当選。連続12回当選した。鈴木善幸内閣の環境庁長官として、日中渡り鳥保護協定への調印や水俣病患者との対話を行った。1993年に非自民・非共産連立政権が誕生し土井たか子が衆議院議長に選出された際には、衆議院副議長として政治改革に協力した。
鈴木 新夫(すずき あらお、1915年3月17日 - 198… 鈴木 新夫(すずき あらお、1915年3月17日 - 1980年5月10日)は、日本の洋画家。主に具象画の制作を行った。
吉岡 棟一(よしおか とういち、1914年12月3日 - 1… 吉岡 棟一(よしおか とういち、1914年12月3日 - 1997年3月31日)は、日本の僧侶、作家。曹洞宗円通寺住職。同宗議会議長、駒澤大学理事長を歴任。 福島県福島市生まれ。福島師範学校、駒澤大学卒業。1956年「しのぶ保育所」園長、1967年「宗教法人福島ルンビニー幼稚園」初代園長。小説「椿の系譜」(1979年)で福島県文学賞受賞。曹洞宗円通寺住職。同宗議会議長、駒澤大学理事長などを歴任。日本ベトナム文化協会長としてテト休戦を提唱、両国間の友好に尽力。1995年5月12日外務大臣表彰。歌と評論同人。 著書に「小説 黄色い椿」「人間としていかに生きるべきか: 曹洞宗教典「修証義」を読む」「般若心経で意識革命を」「ベトナム仏教体験シリーズ」など。
斉藤 達雄(さいとう たつお、1914年11月30日 - 2… 斉藤 達雄(さいとう たつお、1914年11月30日 - 2012年11月4日)は、日本の内科学者。専門は、糖尿病、癌化学療法。医学博士。 福島県福島市生まれ。 福島中学(現福島県立福島高等学校)を経て第二高等学校 (旧制)から、東北帝國大学医学部卒業。1938年、同医学部内科教室(教授・山川章太郎)に入局。1947年、青森医学専門学校教授。1952年、東北大学医学部内科助教授(教授・黒川利雄)。1959年から1年間、アメリカ国立がん研究所 (NCI) に留学。1963年、東北大学抗酸菌病研究所教授(癌化学療法部門、1969年臨床癌化学療法部門と改称)、1974年、同研究所所長・東北大学評議員。
若松 光一郎(わかまつ こういちろう、本名みついちろう、19… 若松 光一郎(わかまつ こういちろう、本名みついちろう、1914年8月8日 - 1995年11月7日)は、日本の洋画家。コラージュの世界的第一人者。 「大地の歌」。グスタフ・マーラーの「大地の歌」を聞きながら、チベットの古代壁画のイメージで描いた150号超を3枚組み合わせた大作である。 東京国立近代美術館、福島県立美術館、いわき市立美術館、郡山市美術館、そしてアートスペースエリコーナに彼の作品が置かれている。
大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年… 大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年9月16日)は、日本の詩人。 1914年5月20日、福島県西白河郡三神村(現:矢吹町)にて住職の長男として生まれる。幼名「清男」。1921年、石川郡澤田小学校に入学。1924年、父母と別れ、祖母のもとで暮らすこととなる。同時に、三神尋常小学校(現:矢吹町立三神小学校)に転校。1927年、私立石川中学校(現:学校法人石川高等学校)に入学、「徳海」と改名。1932年、石川中学校卒業。同時に、川端康成らの文学に憧れて上京。日本大学法文学部芸術学専攻で川端康成らから指導を受ける。1934年、日本大学法文学部芸術学専攻を卒業。1935年、郷里に戻り、福島民友に小説を連載する。
金子 孫市(かねこ まごいち、1914年5月2日 - 199… 金子 孫市(かねこ まごいち、1914年5月2日 - 1996年7月5日)は、日本の教育学者。東京教育大学名誉教授。 福島県生まれ。会津中学校(現福島県立会津高等学校)卒、1939年東京文理科大学卒、46年同大学助手、1951年東京教育大学助教授、教授、1978年定年退官、名誉教授、文教大学教授。85年退職、インターカルト日本語学校校長。
福島 鉄次(ふくしま てつじ、1914年2月19日 - 19… 福島 鉄次(ふくしま てつじ、1914年2月19日 - 1992年)は、絵物語作家。本名:加藤 興(かとう たかし)。別名は上山 路夫である。 福島県白河市出身。19歳のころより、洋画家の岡吉枝に師事する。 戦前は小学館の学年別学習雑誌や朝日新聞社の『アサヒグラフ』などに挿絵を描いた。 戦後、一時日本鋼管に勤務したが、1948年に秋田書店より単行本『コングの猛襲』、『コンドル魔島』を出版する。1949年、秋田書店から創刊された『冒険王』に「ポップ少年の冒険 ダイヤ魔神」を描き、2号から『沙漠の魔王』(のちに『砂漠の魔王』に改題)を連載する。巨大な魔王は少年たちの間で話題を呼び、絶大な人気を得た。
生源寺 美子(しょうげんじ はるこ、1914年1月29日 -… 生源寺 美子(しょうげんじ はるこ、1914年1月29日 - 2015年5月18日)は、日本の児童文学作家。 1914年、柏木三郎夫妻のもとに五人兄姉の末っ子として生まれる。出生地は奈良県だが、1歳になる前に師範学校の校長だった父の転任に伴い、福島に移る。その後、秋田、京都、朝鮮など各地を転々とした生活を送る。 京城第一女子公立高等学校、大邱公立高等女学校を経て、東京自由学園高等部(旧制)を卒業する。 主婦業の傍ら、童話を書き始め、1955年頃から『婦人朝日』の「私の童話欄」に投稿し何度も入選を果たす。童話欄の選者だった与田凖一の指導をうけ、同じ入選仲間である岩崎京子らと「童話の会」を結成。同人誌「童話」を作り創作に励む。
小針 暦二(こばり れきじ、1914年1月1日 - 1993… 小針 暦二(こばり れきじ、1914年1月1日 - 1993年11月7日)は、日本の実業家。
伊東 正義(いとう まさよし、1913年〈大正2年〉12月1… 伊東 正義(いとう まさよし、1913年〈大正2年〉12月15日 - 1994年〈平成6年〉5月20日)は、日本の政治家、農林官僚。 衆議院議員(9期)、外務大臣(第109代)、内閣総理大臣臨時代理、副総理、内閣官房長官(第43代)、自由民主党政務調査会長(第32代)、自由民主党総務会長(第30代)を歴任した。 1913年、福島県若松市(現・会津若松市)に生まれる。祖父の伊東健輔は会津藩士、父の伊東秀三郎は旧制会津中学校(現・福島県立会津高等学校)の一回生で同校教諭となった。 旧制会津中学校、旧制浦和高等学校(現・埼玉大学)を経て、東京帝国大学法学部を卒業。農林省に入省する。農務局嘱託。その後、間もなく興亜院に出向する。
高橋 政知(たかはし まさとも、1913年〈大正2年〉9月4… 高橋 政知(たかはし まさとも、1913年〈大正2年〉9月4日 - 2000年〈平成12年〉1月31日)は、日本の実業家。オリエンタルランドの元社長であり、東京ディズニーランドの誘致に関わった。太田政弘の二男。 福島県福島市出身。1961年にオリエンタルランドに専務として入社し、1978年8月に第2代社長に就任した。千葉県浦安沖の漁業権放棄に向けた補償交渉を地元漁業協同組合などと進めた後、東京ディズニーランドの建設に向けてディズニー社との交渉を担当した。 その後、世界初の「海」をテーマにしたディズニーパークである東京ディズニーシーーを含む「東京ディズニーリゾート」の実現に大きく貢献した。 東京ディズニーシーの完成を目前にした2000年1月31日午後0時38分、心不全のため東京都港区の病院で死去。
角田 文衞(つのだ ぶんえい、1913年4月9日 - 200… 角田 文衞(つのだ ぶんえい、1913年4月9日 - 2008年5月14日)は、日本の歴史学者(古代学専攻)。学位は、文学博士。従四位勲三等瑞宝章。大阪市立大学教授、平安博物館館長兼教授、古代学研究所所長兼教授、財団法人古代学協会理事長を歴任。 1913年、福島県伊達郡桑折町生まれ。成城高等学校在学中から濱田耕作の学問を慕い、京都帝国大学に進学し濱田の指導により考古学を学んだ。 濱田の在職中での病没と、梅原末治との確執がなければ、濱田の後継者となっていたとの説もあるほど将来を期待された学徒であった。 世界史的な視座に立って考古学と文献史学を統合した「古代学」を提唱。したがって、研究分野は文献史学と考古学の両分野におよんだ。
菅波 茂(すがなみ しげる、1913年〈大正2年〉2月25日… 菅波 茂(すがなみ しげる、1913年〈大正2年〉2月25日 - 1982年〈昭和57年〉12月23日)は、日本の政治家、医師。自由民主党衆議院議員。 福島県いわき市生まれ。磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)、昭和医学専門学校(現・昭和大学医学部)を卒業後、千葉医科大学第二内科研究室を経て、四倉町にて家業の病院を継ぐ。 1963年(昭和38年)、福島県議会議員に石城郡から自民党公認で立候補して初当選を果たした。1967年(昭和42年)1月8日に県議を辞職した。同月、第31回衆議院議員総選挙で旧福島3区から自民党公認で立候補し初当選(当選同期に塩川正十郎・加藤六月・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・水野清など)。
北小路 健(きたこうじ けん、1913年1月25日 - 19… 北小路 健(きたこうじ けん、1913年1月25日 - 1991年10月22日)は、国文学者、古文書学者。本名は渡部 栄(わたなべ さかえ)。 1913年、福島県会津若松市生まれ。両親ともに教師。父親の転勤に従い渡満し、大連春日小学校、 大連一中を経て1931年に東京高等師範学校文科第二部国漢科(1934年東京文理科大学国文科に転入)に入学。能勢朝次、山岸徳平らに師事して「源氏物語」研究を志す。父の死後、父に世話になったという人から家宝だという古書の『源氏物語』54冊を贈呈され、それが従一位麗子本源氏物語であることを発見し、これを論文にした。 1937年、東京文理科大学国文科を卒業。召集されたものの、病のため除隊となり、満州で中学教師として勤める傍ら研究を続けた。
三田 国夫(みた くにお、1913年1月25日 - 没年不詳… 三田 国夫(みた くにお、1913年1月25日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。三田 國夫と表記されることもある。 1913年(大正2年)1月25日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。出生後まもなく福島県福島市に移住し、幼少期を過ごした。 1932年(昭和7年)、旧制目白中学校(現在の中央大学附属中学校・高等学校)を卒業後、満19歳の時に新劇俳優丸山定夫の門をたたき、新築地劇団に加入する。同年頃に上演された貴司山治の戯作『洋学年代記』などに出演。その後、1935年(昭和10年)に東宝の前身であるJ.O.スタヂオの研究生募集に合格し、三田は6ヶ月の課程を経て、東宝映画の専属俳優となる。以後、1940年(昭和15年)2月28日に公開された矢倉茂雄監督映画『遥かなる弟』や、1943年(昭和18年)3月25日に公開された黒澤明監督映画『姿三四郎』などに出演し、同所の脇役・端役俳優として活動した。
澤田 悌(さわだ やすし、1913年1月4日 - 2003… 澤田 悌(さわだ やすし、1913年1月4日 - 2003年4月3日)は、日本の金融官僚。公正取引委員会委員長を務めた。 福島県須賀川市出身。1935年に高等試験行政科に合格し1936年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に日本銀行に入行。 1966年6月から1969年12月までに理事を務めた。1969年12月に国民金融公庫総裁、1976年4月に公正取引委員会委員長を経て、1977年10月から1981年9月までに日本住宅公団総裁を務めた。 1985年4月に勲一等瑞宝章を受章。 2003年4月3日肺炎のために死去。90歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
荒 正人(あら まさひと、1913年(大正2年)1月1日 -… 荒 正人(あら まさひと、1913年(大正2年)1月1日 - 1979年(昭和54年)6月9日)は、日本の文芸評論家。