小川 國彦(おがわ くにひこ、1933年(昭和8年)1月8日… 小川 國彦(おがわ くにひこ、1933年(昭和8年)1月8日 - 2017年(平成29年)5月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期、日本社会党)。成田市長(第12・13代)。 千葉県成田市上町に生まれる。父は成田バス(現千葉交通)に勤めており、市内にある同社社宅で暮らす。 3歳のときに母が死去し、祖父母の手で育てられる。なお、祖父は多古線の駅長をしており、父も成田バスで務める前は曽祖父とともに千代田駅前から宮内庁下総御料牧場へ肥料・飼料・資材等を運搬する運送業を営んでいた。 1936年に父が召集され、1946年の復員までの間、一家は困窮する。戦後の物資不足の中、食料品などを隠匿しヤミに流して儲ける者を目の当たりにし、世の中の矛盾した姿を心に焼き付ける。
鶴岡 洋(つるおか ひろし、1932年〈昭和7年〉9月2日 … 鶴岡 洋(つるおか ひろし、1932年〈昭和7年〉9月2日 - 2021年〈令和3年〉2月10日)は、昭和から平成期の政治家。衆院で1期、参院で4期計27年間務めた。 千葉県印旛郡酒々井町出身。千葉県立佐倉高等学校を経て1957年(昭和32年)早稲田大学商学部卒業。同年、日野自動車に入社し、その後、西武鉄道、国土計画で勤務した。公明党参議院議員辻武寿、同北条浩、衆議院議員竹入義勝、同斎藤実の各議員秘書、公明党衆参両院事務局長を務めた。 1969年(昭和44年)第32回衆議院議員総選挙に公明党公認で旧千葉2区から立候補し、初当選。1期務める(1972年および1976年では落選)。 1980年(昭和55年)第12回参議院議員通常選挙に旧全国区へ鞍替え立候補し当選。
熊川 好生(くまかわ よしお、1932年7月10日 - 20… 熊川 好生(くまかわ よしお、1932年7月10日 - 2002年2月15日)は、日本の政治家。浦安町長を経て、初代浦安市市長を務めた。 千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市)出身。1951年、東京都立両国高等学校卒業。浦安町役場職員を経て1969年から浦安町長(2期)、1981年の市制施行後の浦安市にて1998年9月28日まで連続8期・29年、初代市長を務めた。東京ディズニーランドの誘致を始めとした数多くの政策を打ち出した。 1998年9月28日、体調不良を理由に浦安市長を辞任した。同年11月8日の市長選挙で松崎秀樹が当選し、第2代浦安市長となった。 2002年2月15日、急性心不全のため浦安市の病院で死去。
大内 恭平(おおうち きょうへい、1932年5月12日 - … 大内 恭平(おおうち きょうへい、1932年5月12日 - 2024年12月27日)は、日本の政治家。千葉県銚子市長(2期)を務めた。 生家である大里家は、明治初年に現在の茨城県那珂市から銚子に移住し、豪商として知られていた。後に第2代銚子市長になった大里家の当主であった父・第11代大里庄治郎と、母・なか の次男として生まれ、馬越恭平にあやかって名づけられた恭平は、3歳で母方の縁戚にあたる大内家に養子として入った。 銚子市立銚子高等学校を経て、慶應義塾大学文学部に進んだが、2年の時に法学部政治学科に移った。大学卒業後は、日本通運に入社し、1959年(昭和34年)まで勤務した。1960年(昭和35年)から実家が経営する銚子通運に常務として入社、1964年(昭和39年)に、銚子通運の新生支店跡を本社として大丸タクシーを開業、1965年(昭和40年)2月に銚子ロータリークラブに参加し、以降、主に銚子東ロータリークラブによってロータリークラブ活動に関わった。
糸久 八重子(いとひさ やえこ、1932年3月22日 - )… 糸久 八重子(いとひさ やえこ、1932年3月22日 - )は、日本の政治家、元日本社会党参議院議員(2期)。 千葉県茂原市出身。千葉県立大原高等学校を経て、1954年千葉大学教育学部卒。千葉県各地で中学教諭を務め、1983年の第13回参議院議員通常選挙で千葉選挙区から日本社会党公認で立候補して当選。2期務めた。1991年に社会党副委員長に就任。1995年の第17回参議院議員通常選挙に出馬せず引退した。
飯島 重雄(いいじま しげお、1931年12月28日 – 2… 飯島 重雄(いいじま しげお、1931年12月28日 – 2019年9月13日)は、日本の政治家。 千葉県海上郡旭町(現・旭市)に生まれる。 1949年に千葉県立匝瑳中学校(現・匝瑳高等学校)を卒業。日本橋の衣料問屋「丸山商店」で勤めたのち、家業を継ぐ。 1971年4月、千葉県議会議員に当選。連続9期務め、議会運営委員会委員長、自民党県連議員会長などを歴任した。 2019年9月13日、クモ膜下出血により死去。87歳。 東総文化会館や千葉県立東部図書館を誘致したほか、ハウス栽培を奨励するなど、地元である旭市を始めとする東総地域の発展に尽力した。 県政では千葉県知事となった川上紀一や沼田武を支援し、水野清系議員のまとめ役を務めた。
須田 勝勇(すだ かつとし、1928年9月30日 - 201… 須田 勝勇(すだ かつとし、1928年9月30日 - 2018年/2019年)は日本の政治家。木更津市長(2期)。 千葉県君津郡清川村(現在の木更津市)に生まれる。望陀農学校卒業。家業の農業に従事する。戦後は青年団に入り、連合青年団体育部長。このほか清川農協青年部長、消防第三分団長などを務めた。清見台土地区画整理組合理事長、清見台貸家組合理事長、清見台賃貸住宅管理組合会長、千葉県土地区画整理組合連合会会長、全国土地区画整理組合連合会理事長に就任。木更津市内では国立木更津工業高等専門学校の誘致に尽力し、清見台幼稚園理事長となった。 1975年、千葉県議会議員選挙に自由民主党から出馬して初当選、以後4選。
浜田 幸一(はまだ こういち、1928年〈昭和3年〉9月5日… 浜田 幸一(はまだ こういち、1928年〈昭和3年〉9月5日 - 2012年〈平成24年〉8月5日)は、日本の政治家、タレント。株式会社YAMATO名誉顧問。 衆議院議員を7期務め、衆議院予算委員長、自由民主党広報委員長、自由民主党副幹事長などを歴任したが、国務大臣の経験がないまま政界を引退した。 「ハマコー」の愛称で知られ、「国会(政界)の暴れん坊」の異名をもつ。 政界引退後は「政治活動家」を自称していたほか、『ビートたけしのTVタックル』のレギュラーとなり、「悪党党幹事長」を名乗っていた。 千葉県君津郡青堀町(現:富津市大堀)出身。実家は大地主で、徒歩15分かかる青堀小学校まで他人の土地を踏まずに通学していた。
井上 裕(いのうえ ゆたか、1927年〈昭和2年〉11月17… 井上 裕(いのうえ ゆたか、1927年〈昭和2年〉11月17日 - 2008年〈平成20年〉6月22日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等、勲章は桐花大綬章。 参議院議長(第23・24代)、文部大臣(第115代)、参議院予算委員長、自由民主党参議院議員会長(第22代)、参議院議員(4期)、衆議院議員(1期)、千葉県議会議員(3期)等を歴任した。 千葉県成田市生まれ。旧制成田中学校(現成田高等学校)、旧制東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)を卒業して、六合村に歯科医院を開業する。1963年、千葉県議会議員選挙に出馬し、初当選した。以後、3期連続当選。 1972年、第33回衆議院議員総選挙に無所属で旧千葉2区(定数4)から立候補したが、次点で落選。
秋元 大吉郎(あきもと だいきちろう、1927年(昭和2年)… 秋元 大吉郎(あきもと だいきちろう、1927年(昭和2年)4月16日 - 2023年(令和5年)12月19日)は、日本の政治家、俳人。元千葉県流山市長。 千葉県東葛飾郡流山町(現流山市)出身。旧制東葛飾中学校卒業。流山市議会議員1期、千葉県議会議員2期を経て、1983年(昭和58年)流山市長に当選し、2期務めた。2005年、旭日小綬章受章。 俳人としても知られ、1949年(昭和24年)蕾俳句会結成、高梨花人師より手解きを受く。日本ペンクラブ会員。 2023年12月19日、老衰のため死去。96歳没。
秋本 衛久(あきもと もりひさ、1925年〈大正14年〉11… 秋本 衛久(あきもと もりひさ、1925年〈大正14年〉11月30日 - 1999年〈平成11年〉11月26日)は、日本の政治家。白井町長、白井町議会議長、白井町議会・白井村議会議員(5期)。位階は従五位。 白井町生まれ。千葉県立印旛実業学校(現・千葉県立印旛明誠高等学校)卒業。1963年(昭和38年)4月から1980年(昭和55年)11月まで、白井村・白井町議会議員を務めた。この間、議長も務めた。また、同年12月から1996年(平成8年)11月まで第3代白井町長を務めた。
野口 岡治(のぐち おかじ、1924年〈大正13年〉9月21… 野口 岡治(のぐち おかじ、1924年〈大正13年〉9月21日 - 1996年〈平成8年〉8月20日)は、日本の政治家、千葉県富津市長(1期)。元千葉県議会議員(自由民主党)。 千葉県出身。旧制木更津中学校を経て、明治大学商学部卒。豊橋第二陸軍予備士官学校に入るが、終戦により閉校。戦後、陸上自衛隊に入り、一等陸尉に進む。南房総開発(株)代表取締役、木更津信用金庫理事、(株)南房総クラブ代表取締役を務めた。 政界では君津郡天羽町(のち富津町を経て、富津市)議会議員、同町長となり、千葉県議会議員を5期務め、議長を務めた。また、自民党千葉県連副幹事長、政調会長、総務会長などを務めた。1991年に落選。
黒坂 正則(くろさか まさのり、1924年〈大正13年〉8月… 黒坂 正則(くろさか まさのり、1924年〈大正13年〉8月25日 - 2013年 <平成25年> 8月16日)は、日本の政治家、千葉県富津市長(3期)。位階は正五位。勲四等旭日小綬章。 千葉県出身。木更津中学校、旧制新潟高等学校を経て、東京大学第二工学部土木工学科卒。卒業後は建設省に入省後、千葉県庁に出向、土木部長、県住宅供給公社理事長などを務め、1983年、富津市長選挙に立候補し、初当選する。市長を3期務め、1995年の市長選挙で元千葉県議会議長の野口岡治に敗れた。1996年春の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。2013年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
宇野 亨(うの とおる、1924年(大正13年)4月19日 … 宇野 亨(うの とおる、1924年(大正13年)4月19日 - 1995年(平成7年)11月11日)は、昭和期の政治家、実業家。衆議院議員(2期)、千葉県議会議員(3期)などを務めた。旧姓・佐藤。 千葉県匝瑳郡共興村(八日市場町、八日市場市を経て現匝瑳市)で佐藤久衛、つぎ の四男として生まれた。共興小学校、匝瑳中学校(現千葉県立匝瑳高等学校)を経て、1942年(昭和17年)早稲田大学文学部に入学。1944年(昭和19年)前橋陸軍予備士官学校に入校し、見習士官となり陸軍少尉で終戦を迎えた。その後、復学して1947年(昭和22年)早稲田大学文学部を卒業した。大学在学中に、親類筋、八日市場市の酒造業・宇野儀助の長女・満子と結婚して宇野姓となる。
佐藤 泰三(さとう たいぞう、1924年(大正13年)4月1… 佐藤 泰三(さとう たいぞう、1924年(大正13年)4月15日 - 2013年(平成25年)1月21日)は、日本の政治家。自由民主党元参議院議員(3期。津島派)。医師(産婦人科)。位階は正四位。
宮間 満寿雄(みやま ますお、1924年〈大正13年〉4月8… 宮間 満寿雄(みやま ますお、1924年〈大正13年〉4月8日 - 1994年〈平成6年〉5月15日)は、日本の政治家、千葉県松戸市長(6期)。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 千葉県出身。旧制千葉県立東葛飾中学校(現千葉県立東葛飾中学校・高等学校)卒。卒業後は松戸市雇となる。その後書記、教育、建設、企画調査、企画財政の各課長を歴任し、松戸市長松本清の下で助役に就任する。 1973年、松戸市長松本清が死去し、松本の後継者として松戸市長選挙に立候補し、初当選する。市長を6期務め、在任中は「計画行政」を推進した。6期目途中の1994年に死去した。死没日付をもって従四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
渡辺 美智雄(わたなべ みちお、1923年〈大正12年〉7月… 渡辺 美智雄(わたなべ みちお、1923年〈大正12年〉7月28日 - 1995年〈平成7年〉9月15日)は、日本の政治家。 千葉県習志野市生まれ、栃木県那須郡川西町(黒羽町を経て2005年以降大田原市)育ち。 自由民主党政務調査会長(第33代)。衆議院議員(11期)、厚生大臣(第54代)、農林水産大臣(第2代)、大蔵大臣(第81代)、通商産業大臣(第45代)、副総理兼外務大臣(第114代)を歴任。中曽根派を継承して渡辺派を率いた。従二位勲一等旭日桐花大綬章。「ミッチー」の愛称で親しまれた。 長男は、元参議院議員、元衆議院議員、第7・8代内閣府特命担当大臣(金融担当)、第7代内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、初代みんなの党代表の渡辺喜美。
沼田 武(ぬまた たけし、1922年12月21日 - 201… 沼田 武(ぬまた たけし、1922年12月21日 - 2011年11月26日)は、日本の政治家。千葉県知事(5期)。
眉山 俊光(まゆやま としみつ、1922年(大正11年)12… 眉山 俊光(まゆやま としみつ、1922年(大正11年)12月19日 - 2011年 (平成23年) 2月24日)は、日本の政治家。第4代流山市長(3期12年)。 千葉県東葛飾郡流山町(現流山市)出身。流山寺住職の家に生まれ、のち同寺の住職となる。東葛飾中学校(現千葉県立東葛飾高等学校)、1942年駒澤大学専仏卒業。中学校教諭(社会科担当)となり、南部中学校校長などを経て、1980年に流山市教育長就任。11年にわたり市の教育に尽力。 1991年から市長に就任。3期12年務めた。教え子には、サンプラザ中野などがいる。 2011年2月24日、脳幹梗塞のため死去。88歳没。
石川 昌(いしかわ まさし、1922年(大正11年)5月15… 石川 昌(いしかわ まさし、1922年(大正11年)5月15日 - 2016年(平成28年)9月12日)は、昭和から平成時代の政治家。元千葉県木更津市長。元海上自衛官。最終階級は海将補。 木更津市出身。東京府立四中(現・東京都立戸山高等学校)を経て、海軍経理学校に進み、1942年に卒業後、戦艦伊勢や武蔵などに乗り組んだ。復員後は東大に進み、1949年(昭和24年)東京大学法学部政治学科卒業。公職追放中だった事から官庁入りはかなわず、日本シルクに入社した。 1955年(昭和30年)海上自衛隊に入隊、木更津航空補給所長を務めた。 1979年(昭和54年)、木更津市長選挙に初当選し1995年(平成7年)まで4期務めた。
大木 正吾(おおき しょうご、1922年〈大正11年〉3月2… 大木 正吾(おおき しょうご、1922年〈大正11年〉3月26日 - 2004年〈平成16年〉3月17日)は、昭和から平成初期の労働運動家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)。 千葉県山武郡松尾町(現・山武市)出身。 1937年(昭和12年)東京浅草寿町郵便局勤務。その後、日本大学法律科に入るが、1943年(昭和18年)に中退し軍務に就いた。 1948年(昭和23年)全逓信従業員組合中央執行委員。1950年(昭和25年)日本電信電話公社関東電気通信局に移り、1953年(昭和28年)に全電通書記長になる。1958年(昭和33年)委員長に就任。1962年(昭和37年)総評幹事。1970年(昭和45年)から6年間事務局長を務めた。
石橋 一弥(石橋 一彌、いしばし かずや、1922年〈大正1… 石橋 一弥(石橋 一彌、いしばし かずや、1922年〈大正11年〉3月19日 - 1999年〈平成11年〉3月5日)は、日本の政治家(自由民主党衆議院議員)。位階は従三位、勲等は勲一等。第1次海部内閣で文部大臣を務めた。東金市名誉市民。 千葉県山武郡公平村(現・東金市)出身。石橋家は代々名主・村長を務めてきた旧家の豪農で、父・弥は竹尾弌とともに農民運動にも関わり公平村長や県議会議員を務めた。日本農士学校(埼玉県農業大学校の前身のひとつ)に学び、昭和16年に同校を卒業、陸軍に入隊。 1952年に公平村長、1968年に東金市長に就任。1976年、千葉三郎の後継者として旧千葉3区から衆議院議員に初当選。
北原 鉱治(きたはら こうじ、1922年〈大正11年〉3月5… 北原 鉱治(きたはら こうじ、1922年〈大正11年〉3月5日 - 2017年〈平成29年〉8月9日)は、日本の市民運動家、社会運動家、元政治家、活動家。三里塚芝山連合空港反対同盟(北原派)事務局長であった。 1922年に、千葉県佐倉市田町で、呉服商の次男として誕生する。 保善中学校を中退後、日本光学(現・ニコン)に就職した後、1942年に大日本帝国海軍へ志願制度で入隊する。横須賀海兵団・工機学校を経て駆逐艦「松風」や第四号海防艦に乗務。なお「松風」では、後に反対同盟副委員長となる小川明治が乗務しており、上官であったが同郷人であったため知遇を得る。空襲によって第四号海防艦が三重県鳥羽港沖で沈没した後は、横須賀海兵団第四分隊配属の指令を受け、艦載機の攻撃を受けながらも汽車で神奈川県横須賀市へ移動した。
山口 吉暉(やまぐち よしてる、1921年7月27日 - 2… 山口 吉暉(やまぐち よしてる、1921年7月27日 - 2006年7月15日)は、日本の政治家。千葉県勝浦市長(8期)。 千葉県出身。1943年明治大学専門部卒。1963年勝浦市議会議員に当選し1期務める。1967年勝浦市長に当選。以来連続8期32年務める。在職中国際武道大学を勝浦市に誘致し、開学した。同大学の副理事長や日本武道館常任理事を務めた。1999年退任する。2002年勲三等旭日中綬章受章。2006年7月15日死去、84歳。死没日をもって従四位に叙される。
半澤 良一(はんざわ りょういち、1920年(大正9年)10… 半澤 良一(はんざわ りょういち、1920年(大正9年)10月4日 - 1990年(平成2年)12月9日)は、日本の政治家。元千葉県館山市長(4期)。位階は従五位。 千葉県出身。旧制千葉県立安房中学校(現・千葉県立安房高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科に入る。翌年学徒動員で兵役に就く。1944年に大学を卒業。1946年復員と同時に帰郷し、家業の酒造会社を継いだ。1961年館山市教育委員、1968年千葉県教育委員、1972年館山市商工会議所会頭となる。 1974年館山市長選挙に保守系無所属で立候補し、当選。4期務める。就任当初、館山市は財政赤字で、財政改革を断行し、市の財政を黒字に転換した。
赤桐 操(あかぎり みさお、1920年6月5日 - 2010… 赤桐 操(あかぎり みさお、1920年6月5日 - 2010年6月21日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。参議院議員(日本社会党→社会民主党)。参議院副議長(第21代)。 千葉県銚子市出身。千葉県立匝瑳中学校卒業後、銚子郵便局に就職した。1946年に同局の従業員組合の委員長に選出された。1949年、全逓信従業員組合(日本郵政公社労働組合の前身)の千葉地区本部書記長、1960年には県労働組合連合協議会議長に選出されて1974年までの14年の間務めた。 1974年の第10回参議院議員通常選挙に千葉地方区から日本社会党公認で立候補し初当選。連続当選4回。党参議院議員会長などを経て、1992年8月から1995年8月まで参議院副議長を務めた。
伊藤 三郎(いとう さぶろう、1920年(大正9年)3月29… 伊藤 三郎(いとう さぶろう、1920年(大正9年)3月29日 – 1997年(平成9年)10月16日)は、日本の政治家。神奈川県川崎市長(第7・8・9・10・11代)、全国革新市長会会長等を歴任した。位階は正四位。 千葉県成田市生まれ。1940年早稲田高等工学校(現早稲田大学)を卒業後、逓信省航空局に入省。第二次世界大戦での兵役を経て、敗戦後の1951年に川崎市役所に就職。技術吏員を振り出しに、職員組合委員長、労働組合連合会委員長、自治労神奈川県本部委員長等を経て、1971年の川崎市長選挙に日本社会党・日本共産党の推薦を受けて出馬し、7期目の当選を目指していた保守系の現職・金刺不二太郎を破り、初当選を果たす。
川上 紀一(かわかみ きいち、1919年(大正8年)10月3… 川上 紀一(かわかみ きいち、1919年(大正8年)10月30日 - 2009年(平成21年)8月14日)は、日本の政治家、内務官僚。千葉県知事(公選第9・10代)。 千葉県安房郡富浦町(現南房総市)生まれ。出生時の姓は羽山であり、後年市川市の川上家へ婿入りして以降は川上姓を名乗る。旧制安房中学、旧制一高を経て、1944年(昭和19年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、内務省に入省した。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し海軍主計見習尉官。1945年4月に経理学校を卒業し豊川海軍工廠に配属。同年6月、主計少尉に任官され海軍艦政本部に転じ終戦を迎えた。1945年9月、予備役に編入。
森 美秀(もり よしひで、1919年8月8日 - 1988年… 森 美秀(もり よしひで、1919年8月8日 - 1988年5月15日)は、日本の政治家、企業家。位階は従三位勲一等、勲章は瑞宝章。 自由民主党の衆議院議員。千葉県勝浦市出身。長男は自由民主党衆議院議員の森英介。 父は森コンツェルンの総帥で衆議院議員の森矗昶。森清、森曉、三木武夫の妻睦子の弟にあたる。 1940年に玉川塾(専門部)を卒業し、日本冶金工業に入社する。戦後は、東亜精機代表取締役、苫小牧ファーム社長などを歴任。1949年9月3日、東京青年商工会議所(現、東京青年会議所)の発足に参画。発足当初のチャーター・メンバー48名のひとりとなる。 兄・清の急死により、後継者として1969年の第32回衆議院議員総選挙に立候補し、初当選(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
金瀬 俊雄(かねせ としお、1919年(大正8年)2月19日… 金瀬 俊雄(かねせ としお、1919年(大正8年)2月19日 - 1980年(昭和55年)2月22日)は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員(1期)。 千葉県君津郡佐貫町(現在の富津市)生まれ。千葉県立木更津中学(現在の千葉県立木更津高等学校)を経て、千葉師範学校卒業。君津郡内の小学校や青年学校の教員となる。戦後直ぐに千葉県教職員組合の結成に関わり、日本社会党に入党。1947年に千葉県議会議員(君津郡選出)に当選し、途中離党して民主社会党に参加するも直ぐに社会党へ復党し7期務める。長年、県議会議員として公共の福祉に奉仕して地方自治の発展に貢献したとして1968年、藍綬褒章受章。1972年の第33回衆議院議員総選挙で千葉3区から社会党公認で立候補し、初当選。
池田 淳(いけだ あつし、1918年(大正7年)12月19日… 池田 淳(いけだ あつし、1918年(大正7年)12月19日 - 1989年(平成元年)6月16日)は、昭和期の地方公務員、政治家。衆議院議員(2期、自由民主党)。 千葉県君津郡竹岡村(現富津市)で、清酒「聖泉」醸造元・池田酒造の二男として生まれた。木更津中学校(現千葉県立木更津高等学校)を経て、1947年(昭和22年)日本大学法文学部卒。 1948年(昭和23年)千葉県庁に入り、地方課長、総務課長、農林部長などを歴任し、1975年(昭和50年)出納長に就任。その後、国民保険会千葉県連合会副会長を務めた。 水田三喜男の後継者として1979年(昭和54年)の第35回衆議院議員総選挙に無所属で千葉県第3区から立候補し当選する。
飯田 毅(いいだ たけし、1918年<大正7年>11月2日 … 飯田 毅(いいだ たけし、1918年<大正7年>11月2日 - 1989年<平成元年>12月6日)は、昭和時代の政治家。千葉県東葛飾郡鎌ヶ谷町第2代町長、鎌ケ谷市初代市長。位階は従五位。 1918年11月2日、千葉県東葛飾郡鎌ヶ谷村(現:鎌ケ谷市)中沢に飯田粲・いゐ夫妻の長男として生まれる。旧制東葛飾中学校卒業後、盛岡高等農林学校(現:岩手大学農学部)に進学し1939年(昭和14年)に卒業。1947年(昭和22年)4月、鎌ヶ谷村議会議員に就任し、以後鎌ヶ谷町議会議員・社会教育委員を務めた。 1967年(昭和42年)5月、鎌ヶ谷町長に初当選した。その後市制施行による初代市長就任を経て1983年(昭和58年)4月まで連続4期16年間にわたり首長を務めた。
新村 勝雄(しんむら かつお、1918年(大正7年)5月1日… 新村 勝雄(しんむら かつお、1918年(大正7年)5月1日 – 2003年(平成15年)6月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(日本社会党)、野田市長。 千葉県東葛飾郡福田村(現・野田市)に、地主の長男として生まれる。東葛飾中学(現・千葉県立東葛飾高等学校)を卒業後、地元の産業組合職員、兵役を経て、教師を目指し東京高等師範学校に入学する。終戦後東京高師を中退して地元に戻り、「民主同志会」を立ち上げる。1946年社会党に入党。翌1947年福田村の村長に当選、3期務める。 その後野田市議(1957年より2期)を経て、1962年野田市長に当選する。市議会で多数派を占める保守系会派の抵抗に遭い、1970年まで8年間助役が置けなかった。
染谷 誠(そめや まこと、1918年3月3日 - 1992年… 染谷 誠(そめや まこと、1918年3月3日 - 1992年1月22日)は日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(5期)。
白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1917年(大正6年)6月2… 白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1917年(大正6年)6月26日 - 1988年(昭和63年)9月23日)は、昭和時代の政治家。埼玉県与野市長(第2代 - 第7代) 。さいたま市名誉市民。号・高丘独松。位階は正五位。 千葉県印旛郡久住村(現成田市)出身。1943年(昭和18年)日本ピストンリング技術学校卒業。1947年(昭和22年)日本社会党に入党し、与野町議会議員に当選し1期在任。1951年(昭和26年)埼玉県議会議員となり2期在任。1959年(昭和34年)以来、与野市長に6選した。在任中に下水道の普及を推進し、市域の下水道普及率はほぼ100%に達した。1983年(昭和58年)「後進に道を譲る」として収入役の井原勇を事実上の後継者に指名して市長を退任した。
長田 裕二(おさだ ゆうじ、1917年3月13日 - 200… 長田 裕二(おさだ ゆうじ、1917年3月13日 - 2003年4月28日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲章は勲一等旭日大綬章。 参議院議長(第19代)、科学技術庁長官(第34代)、自由民主党参議院議員会長(第16代)、参議院予算委員長、参議院議員(4期)等を歴任した。元参議院議員の佐藤泰三は縁戚にあたる。 千葉県出身。東京府立第四中学校、旧制第一高等学校、東京帝国大学法学部卒業。1939年、逓信省(後の郵政省、現総務省)に入省。企画課属。経理局担当審議官、経理局長、郵務局長などを経て、1966年7月1日より郵政事務次官。退官後、1968年の第8回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から出馬し、初当選した。
長谷川 録太郎(はせがわ ろくたろう、1914年〈大正3年〉… 長谷川 録太郎(はせがわ ろくたろう、1914年〈大正3年〉11月24日 – 2001年〈平成13年〉11月25日)は、千葉県の政治家・実業家。6-11代目成田市長、長谷川呉服店社長。成田市名誉市民。 江戸時代から続く成田山新勝寺門前町の呉服屋に生まれる。 私立成田中(現・成田高等学校)卒業後、浅草の「大丸呉服店」で丁稚奉公する。召集され、中国大陸を転戦。 1949年に新勝寺檀家総代に選出され、成田市商工会長を務めるなど、復員後は成田の政財界で活動するようになる。 病気で辞任した藤倉武男の後任として1971年(昭和46年)から6期24年にわたり成田市長を務め、成田空港問題を始めとする困難な市政の中、都市基盤整備に尽力し国際都市を目指すとともに、福祉施設の整備、空港の騒音対策等の住民福祉の増進に貢献した。
藤代 七郎(ふじしろ しちろう、1914年(大正3年)9月2… 藤代 七郎(ふじしろ しちろう、1914年(大正3年)9月27日 - 1999年(平成11年)5月25日)は、日本の政治家。自民党所属。千葉県船橋市長(第12 - 13代)。位階は従五位。 千葉県千葉郡豊富村(現在の船橋市古和釜町)出身。父・藤代清七は、旧豊富村長を務めた。前船橋市長の藤代孝七は実子。強固な後援会『南風会』を組織し、渡辺三郎市長を破って初当選。船橋市長在任中、千葉県市長会会長を務めた。1999年死去。死没日付をもって従五位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
横銭 重吉(よこぜに じゅうきち、1914年〈大正3年〉3月… 横銭 重吉(よこぜに じゅうきち、1914年〈大正3年〉3月4日 - 1978年〈昭和53年〉6月22日)は、日本の政治家。日本社会党所属の衆議院議員(1期)。 千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)出身。福田高等小学校卒業後野田醤油に入り、その傍ら野田商業補習学校に通い、卒業した。戦後、野田醤油に労働組合が結成され、これに加入し、書記長、副委員長、執行委員長になる。千葉県議、千葉県労働金庫理事長も務めた。1955年の第27回衆議院議員総選挙において千葉1区から日本社会党左派公認で立候補して当選した。衆議院議員は1期務め、1958年の第28回衆議院議員総選挙で落選した。1978年死去。没後、従五位勲四等旭日小綬章が贈られた。
高橋 誉冨(高橋 譽冨、たかはし たかよし、1913年9月2… 高橋 誉冨(高橋 譽冨、たかはし たかよし、1913年9月29日 - 2003年5月13日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。 千葉県出身。1937年千葉県師範学校(現千葉大学教育学部)卒。卒業後は千葉県内の小学校で教鞭を執り、その後は、習志野市立津田沼小学校校長や船橋市立二宮中学校校長を務めた。[要出典]1963年千葉県議会議員(八千代市)を経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙(千葉地方区)で初当選、当選1回。福田赳夫内閣で北海道開発政務次官を務めた。1980年に引退。1984年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。 2003年5月13日午前2時39分、肺炎のため千葉県八千代市の病院で死去、89歳。
寺島 隆太郎(てらしま りゅうたろう、1912年3月 - 1… 寺島 隆太郎(てらしま りゅうたろう、1912年3月 - 1964年7月31日)は、衆議院議員(8期)。正四位勲二等。
加瀬 完(かせ かん、1910年〈明治43年〉1月1日 - … 加瀬 完(かせ かん、1910年〈明治43年〉1月1日 - 1995年〈平成7年〉2月28日)は、日本の政治家。参議院議員・参議院副議長。我孫子市名誉市民。 1910年、現在の千葉県匝瑳市に生まれる。 1920年千葉師範学校(現・千葉大学教育学部)卒業。 小学校・中学校の教員となり、県視学であった鈴木迪彦による抜擢で1938年我孫子第二小学校長に28歳にて就任、以後、我孫子第一小学校長や我孫子第一中学校長を歴任した。千葉県教育委員会委員長も務める。 教育の民主化を目指して政界へ進出し、1947年から千葉県議会議員を務める。 1953年4月の参院選に無所属で出馬し初当選。当選後は左派社会党を経て日本社会党に所属。
石橋 毅(いしばし たけし、1909年〈明治42年〉9月2日… 石橋 毅(いしばし たけし、1909年〈明治42年〉9月2日 - 1943年〈昭和18年〉9月23日)は、日本の実業家、政治家、千葉県多額納税者。計器製作業、合資会社石橋計器製作所代表社員。 千葉県香取郡本大須賀村久井崎(のち昭栄村、大栄町、現成田市)出身。石橋敬五郎の長男。石橋計器を創立、自動車関係メーターの製作に従事する。 本大須賀教育会長、村会議員、郡農副会長、県山林会評議員、郡産業組合共同処理所管理組合長、郡家禽購買販売利用組合長、東京市葛飾産業報国連合会理事、千葉木材工業社長、石橋計器製作所長、北総自動車合同、成鉄タクシー、常総合同運輸各取締役をつとめる。 その他、1935年〈昭和10年〉3月、千葉県立中央図書館落成記念として、父敬五郎蒐集の漢籍類1,041冊を寄贈したことでも知られる。
戸村 一作(とむら いっさく、1909年(明治42年)5月2… 戸村 一作(とむら いっさく、1909年(明治42年)5月29日 - 1979年(昭和54年)11月2日)は、市民運動・農民運動活動家、政治家(元成田市議会議員)。特に三里塚芝山連合空港反対同盟委員長を務めた三里塚闘争(成田闘争)での活動で知られ、画家・彫刻家でもあった。 1909年5月29日、千葉県印旛郡遠山村(現・成田市)三里塚に生まれる。 1925年に私立成田中学校に入学し、教員であった中野好夫や中山義秀の薫陶を受けた。 成田中学卒業後、父が三里塚で営んでいた鍬・鋤・鎌などの販売店「戸村農機」で働き、25歳の時に結婚した。夫人が健康を害して北海道に帰郷すると、戸村もその後を追って北海道で暮らした。
十代目 山村 新治郎(やまむら しんじろう、1908年〈明治… 十代目 山村 新治郎(やまむら しんじろう、1908年〈明治41年〉3月2日 - 1964年〈昭和39年〉10月2日)は、日本の政治家、実業家。位階は正三位。 元衆議院議員。予算委員長、議院運営委員長、自由民主党の国会対策委員長等の要職を歴任し、池田内閣において行政管理庁長官を務めた。他に佐原造船社長、山村産業社長、会長も務めた。 よど号ハイジャック事件で運輸政務次官として乗客の身代わりとなったことで知られる十一代目山村新治郎(旧名直義)の父。 千葉県佐原市(現香取市)出身。先代新治郎の長男。佐原中学卒業。肥料・米穀商を経営。 千葉県議を経て1946年(昭和21年)以来千葉県から衆議院議員当選9回。
柳沢 義男(柳澤、やなぎさわ よしお、1907年(明治40年… 柳沢 義男(柳澤、やなぎさわ よしお、1907年(明治40年)8月1日 – 1990年(平成2年)12月2日)は、昭和期の法学者、弁護士、計理士、実業家、政治家。衆議院議員、法学博士。 千葉県流山市出身出身。専修大学経済学部卒を経て、1931年(昭和6年)中央大学法学部を卒業し、さらに同大学院を修了。1938年(昭和13年)パリ大学を卒業した。 その後、弁護士、計理士の業務に従事しながら中央大学教授に就任。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で千葉県全県区に無所属で出馬して落選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で千葉県第1区に日本自由党所属で出馬して次点で落選。1949年(昭和24年)1月、第24回総選挙で民主自由党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
森 曉(もり さとる、1907年(明治40年)6月19日 -… 森 曉(もり さとる、1907年(明治40年)6月19日 - 1982年(昭和57年)2月12日)は、日本の実業家、政治家。昭和電工社長、衆議院議員。衆議院議員の森清・森美秀は弟。三木武夫の妻睦子は妹である。 森コンツェルンの創設者、森矗昶の長男として千葉県に生まれる。東京府立第五中学校、成城高等学校を経て、1934年(昭和9年)京都帝国大学文学部を卒業。昭和電工社長、千葉工業大学理事長などを務めた。1946年(昭和21年)千葉県から第22回衆議院議員総選挙に立候補し、当選。2期務める。日本自由党、民主自由党に所属した。1948年(昭和23年)11月、昭和電工に関する問題に関し、衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。
菅野 儀作(すげの ぎさく、1907年6月-1981年1月2… 菅野 儀作(すげの ぎさく、1907年6月-1981年1月25日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。千葉県議会議長。千葉県議会議員(5期)。位階は正四位。勲等は勲二等。
始関 伊平(しせき いへい、1907年4月7日 - 1991… 始関 伊平(しせき いへい、1907年4月7日 - 1991年11月26日)は、昭和期の商工官僚・政治家・弁護士。建設大臣などを歴任した。
千葉 千代世(ちば ちよせ、1907年(明治40年)4月6日… 千葉 千代世(ちば ちよせ、1907年(明治40年)4月6日 - 1991年(平成3年)3月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。参議院議員(2期)。旧姓は安田。 千葉県安房郡大山村(現鴨川市平塚)で、安田常吉、さだ夫妻の長女として生まれる。15歳で上京、東京文化女学校専門部卒。書生をしながら小学校家庭科教師、保健婦の資格取得。1929年港区の小学校の学校衛生婦、1941年養護訓導となる。 戦後、1945年、東京都国民学校教職員組合結成に参加し婦人部長に就任。また同年の日本社会党結成時に入党。日本教職員組合書記長、同副部長、同婦人部長、日本労働組合総評議会婦人協議会長などを務める。 1959年の第5回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して初当選。