戸田嘉徳(とだ よしのり、1925年4月29日 - 2016… 戸田嘉徳(とだ よしのり、1925年4月29日 - 2016年9月1日)は日本の大蔵官僚。仙台国税局長、大臣官房専売公社監理官、大臣官房審議官(関税局担当)、大臣官房審議官(銀行局担当)、日本銀行政策委員会大蔵省代表委員、公正取引委員会事務局長、航空貨物通関情報処理センター理事長、自動車保険料率算定会副理事長、日本地震再保険社長などを歴任。 東京府出身。府立高等学校、東京大学法学部法律学科卒業。1948年9月 大蔵省入省。主計局配属。1955年10月 国立国会図書館調査及び立法考査局経済部経済法令課。1956年7月 津島税務署長。1957年6月 東京国税局総務部総務課長。1968年6月 銀行局特別金融課長。
濃野滋(こいの しげる、1925年1月26日 - 没年不明)… 濃野滋(こいの しげる、1925年1月26日 - 没年不明)は、日本の通産官僚。通産事務次官、川崎製鉄副社長、同社副会長などを務めた。 東京府出身。旧制東京高等学校から東京帝国大学法学部政治学科に入学。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1947年 東京帝国大学法学部政治学科を卒業。東京帝大時代の仲間に大蔵省に入省する渥美謙二がいた。同年11月 商工省に入省。振り出しは総務局総務課(現在の大臣官房総務課)。 通商局輸出振興部輸出保険課長、通商局経済協力部資本協力課長、企業局産業立地部工業用水課長、在中国日本大使館一等書記官などを務める。
宍戸 駿太郎(ししど しゅんたろう、1924年〈大正13年〉… 宍戸 駿太郎(ししど しゅんたろう、1924年〈大正13年〉10月24日 - 2016年〈平成28年〉11月28日)は、日本の経済官僚。経済企画庁審議官退官後、保守派の評論家、経済学者、国際大学学長、筑波大学名誉教授などとして活動した。 短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 通商産業省に入省した後、1963年に経済企画庁総合計画局の計量分析担当官を経て、経済企画庁審議官となり、筑波大学副学長、国際大学学長を務めた。日本経済に関して、一貫して創造的な分析・提言を行い、2006年(平成18)年には国際レオンチェフ賞を受賞した。
吉田 冨士雄(よしだ ふじお、大正13年(1924年)7月5… 吉田 冨士雄(よしだ ふじお、大正13年(1924年)7月5日 - 平成2年(1990年)7月28日)は、山梨県出身の大蔵官僚、サントリー株式会社副社長。 東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区)で、父吉田健(つよし)、母欣子の長男として生まれる。父親の転勤により小学校5年までを新潟県師範学校附属小学校、小学校6年まで鳥取県師範学校附属小学校、旧制中学校2年まで鳥取二中(現在の鳥取県立鳥取東高等学校)に通学。その後、甲府の父親の生家に帰り甲府中学(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を経て、昭和18年(1943年)9月に第一高等学校文科丙類を卒業。東京帝国大学法学部に入学。 短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。
高橋 元(たかはし げん、1924年1月4日 - 2013年… 高橋 元(たかはし げん、1924年1月4日 - 2013年8月9日)は日本の官僚。大蔵事務次官、公正取引委員会委員長、日本開発銀行総裁。 東京都出身。父の惟康は鉄道省を経て、横浜工業専門学校教授を務めた。府立高等学校を卒業し、1942年10月、東京帝国大学法学部法律学科に入学。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官し、伊勢防備隊付として終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1945年9月に東京帝国大学法学部法律学科、1949年3月に東京大学法学部政治学科をそれぞれ卒業。同年後期入省組として大蔵省入省。面接の日に風邪をこじらせて欠席したが、筆記試験が他者より群を抜いて高かったため、当時の村上一文書課長が「落とすにはしのびない」と、高橋一人のために例外的に面接をやり直したという。
小田村 四郎(おだむら しろう、1923年〈大正12年〉10… 小田村 四郎(おだむら しろう、1923年〈大正12年〉10月17日 - 2017年〈平成29年〉12月9日)は、日本の大蔵官僚、経営者。明成社社長。拓殖大学第16代総長、日本李登輝友の会会長(第2代)、日本会議副会長などを務めた。小田村有芳の子、小田村寅二郎の弟、楫取道明の孫、千種有任・楫取素彦・楫取寿の曾孫。 東京府出身。学生時代は、日本学生協会の活動家として「現行の高校、大学には「情意の枯渇」がはなはだしい」と難じ、その刷新運動に参加した。1943年に学徒出陣。 終戦後に東京帝国大学法学部に復学卒業。1947年(昭和22年)大蔵省(現:財務省)に入省。理財局国庫課に配属。名古屋国税局長、内閣官房内閣審議室長、防衛庁経理局長などを務めた。
下河辺 淳(しもこうべ あつし、1923年9月30日 - 2… 下河辺 淳(しもこうべ あつし、1923年9月30日 - 2016年8月13日)は、日本の都市計画家、建設官僚。国土事務次官を歴任。工学博士。日本上流文化圏研究所理事長。 日本の国土計画立案に多く関与し、また各種団体の要職を務め、その影響力を指して「御大」と呼ばれた。 1923年9月30日に下河辺収の長男として東京府東京市(現在の東京都)で生まれた。旧制水戸中学校、旧制水戸高校を経て、1947年、東京大学第一工学部建築学科卒業。在学中に終戦を迎えたため高山英華の下で戦災復興都市計画に参画し、卒業後戦災復興院技術研究所勤務。その後建設省入省。1952年に経済審議庁計画部勤務。1957年、建設省に復帰、計画局勤務。
山田 滋(やまだ しげる、1923年(大正12年)9月26日… 山田 滋(やまだ しげる、1923年(大正12年)9月26日 - 2002年(平成14年)2月3日)は、日本の自治官僚。沖縄開発事務次官、全国市議会議長会事務総長、危険物保安技術協会理事長などを歴任。 愛知県出身。府立高等学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1946年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。1947年4月、高等試験行政科試験に合格し、同年、厚生省に入省し労政局配属。 1970年7月 消防大学校長。1971年9月 消防庁次長。
柳井 乃武夫(やない のぶお、1923年(大正12年)9月2… 柳井 乃武夫(やない のぶお、1923年(大正12年)9月21日 - 2014年(平成26年)9月28日)は、日本の官僚。日本国有鉄道常務理事や運輸審議委員を務めた。 外交官・弁護士の柳井恒夫の長男としてリオデジャネイロに生まれる。弟は外交官で駐米大使を務めた柳井俊二。暁星小学校、武蔵高等学校尋常科・高等科を経て、東京帝国大学法学部に進学する。東大在学中の1943年に学徒出陣で徴兵され、フィリピンのレイテ島に出征する。終戦を知らずにフィリピンのポロ島山中で二ヶ月の逃亡生活を送った後に投降した。その模様は後年、自著『山の兵隊』『万死に一生 第一期学徒出陣兵の手記』に記述している。 1945年12月に復員後、1947年に運輸省に入省。
松浦 功(まつうら いさお、1923年〈大正12年〉4月24… 松浦 功(まつうら いさお、1923年〈大正12年〉4月24日 - 2002年〈平成14年〉12月28日)は、日本の内務及び自治官僚、政治家。法務大臣(第63代)、参議院議員(3期)。 東京都出身。旧制東京高等学校卒業後、東京帝国大学法学部政治学科に入学。東京帝大在学中の1946年に高等試験行政科に合格。1947年、東京帝大を卒業し、旧内務省に入省(地方局配属)。自治省大臣官房総務課長、北九州市助役、消防庁長官、自治事務次官などを歴任した後、1980年の参議院議員選挙に全国区から自民党公認で出馬し初当選。1995年、自民党地方自治関係団体委員長。1996年、第2次橋本内閣の法務大臣として初入閣。
山下 英明(やました えいめい、1923年(大正12年)2月… 山下 英明(やました えいめい、1923年(大正12年)2月23日 - )は、日本の通産官僚。通商産業事務次官、三井物産副会長などを務めた。東京府東京市出身。 東京府豊島師範学校附属小学校(現・学芸大附属小金井小)、府立高等学校(のち 旧・東京都立大及び東京都立大附属高)を経て、1943年(昭和18年) 東京帝国大学法学部政治学科卒業。同年9月、商工省入省。改組なった軍需省総動員局属。入省同期に、新田庚一(経企事務次官)、三宅幸夫(特許庁長官)、矢島嗣郎(重工業局長、三愛石油開発顧問)、荘清(中小企業庁長官)、楠岡豪(繊維雑貨局長)、井土武久(特許庁長官)、池田誠一(情報政策黎明期の電子政策課長、京大経卒)など。
松永 信雄(まつなが のぶお、1923年(大正12年)1月1… 松永 信雄(まつなが のぶお、1923年(大正12年)1月16日 - 2011年(平成23年)12月1日、満88歳没)は、日本の外交官、外務省官僚。位階は正三位。外務事務次官、駐アメリカ合衆国大使を歴任。 1965年(昭和40年)6月22日日韓基本条約交渉の際には条約課長として交渉の実担当となり、論点の一つだった韓国の対日請求権について「日韓請求権並びに経済協力協定によって韓国の日本に対する一切の財産及び請求権問題に対する外交的保護権は放棄されている」とした内容で締結に導いた。
徳田 博美(とくだ ひろみ、1922年11月5日 - 200… 徳田 博美(とくだ ひろみ、1922年11月5日 - 2007年11月27日)は、日本の大蔵官僚。東京府出身。
土田 國保(つちだ くにやす、1922年〈大正11年〉4月1… 土田 國保(つちだ くにやす、1922年〈大正11年〉4月1日 - 1999年〈平成11年〉7月4日)は、日本の警察官僚、警視総監(第70代)、防衛大学校長(第4代)。愛称は「ミスター警視庁」。剣道7段(居合)。位階は正四位。 父・土田誠一、母・敬子の長男として東京府生まれ。小学校6年間は学習院初等科で学び、5年生より生涯の趣味となる剣道を始める。旧制東京高校を経て、1943年(昭和18年)、東京帝国大学法学部を卒業し、内務省に入省。同年9月に短期現役主計科士官(第10期)に採用されて海軍経理学校で短期間の教育を受け、1944年(昭和19年)3月に同校を卒業して海軍主計中尉に任官した。戦艦武蔵にも乗り組み、主計大尉で終戦を迎えた。
林大造(はやし たいぞう、1922年3月21日 - 1979… 林大造(はやし たいぞう、1922年3月21日 - 1979年11月9日)は日本の大蔵官僚。国際金融局次長、国際金融局長などを歴任した。 東京府出身。旧制府立高等学校、東京帝国大学法学部法律学科卒業。1944年9月 大蔵省入省。銀行保険局属。1945年5月 金融局。1946年2月 銀行局。1947年4月 高等試験行政科を合格。1951年8月 甲府税務署長。外務省在ドイツ大使館、主税局国際租税課長などを経て、1966年8月1日 大臣官房調査課長。1967年7月25日 大臣官房調査企画課長。1968年6月25日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。1970年6月25日 大臣官房審議官(国際金融局担当)。
赤羽 桂(あかはね かつら、1922年1月22日 - 197… 赤羽 桂(あかはね かつら、1922年1月22日 - 1972年11月3日)は、日本の大蔵官僚。理財局次長(理財担当)、関税局長などを歴任。 長野県出身。東京高校を経て東京帝国大学法学部法律学科卒業。1944年9月 大蔵省入省。総務局文書課属。 1945年5月 大臣官房文書課。1947年5月8日 水戸税務署長。1950年11月15日に主計局法規課長補佐となって以降は主に主計局でキャリアを歩んでいく。この間、経済企画庁や防衛庁への出向も経験する。1966年7月22日 主計局総務課長。1967年8月4日 経済企画庁調整局参事官。1969年8月 大蔵省大臣官房審議官(大臣官房担当)。1970年6月25日 理財局次長(理財担当)。
内村 良英(うちむら よしひで、1921年1月16日 - 2… 内村 良英(うちむら よしひで、1921年1月16日 - 2004年7月3日)は、日本の農林官僚である。 1945年に東京帝国大学経済学部を卒業後、農林省に入省する(食管局嘱託)。 食糧庁、農林経済局、水産庁漁政部、1963年~1967年外務省在ロンドン大使館一等書記官、農林経済局国際部長、食糧庁次長、農政局長、農林経済局長を経て、1974年に水産庁長官、1976年~1978年に農林事務次官に就任した。退官後は1981年~1985年に日本中央競馬会理事長、1987年から大日本水産会会長を務めた。 その他に日本農業研究所理事長、国際農友会会長、自然資源保全協会代表設立発起人、農村更生協会代表、農業者年金基金理事長など、農政分野で要職を歴任した。
宮澤 喜一(みやざわ きいち、1919年〈大正8年〉10月8… 宮澤 喜一(みやざわ きいち、1919年〈大正8年〉10月8日 - 2007年〈平成19年〉6月28日)は、日本の政治家、大蔵官僚。 内閣総理大臣(第78代)、財務大臣(初代)、大蔵大臣(第88・89・105・106・107代)、農林水産大臣(第18代)、郵政大臣(第56代)、副総理(竹下内閣)、内閣官房長官(第44代)、外務大臣(第98代)、通商産業大臣(第30代)、経済企画庁長官(第12・13・17・18・29代)、衆議院議員(12期)、参議院議員(2期)、自由民主党総裁(第15代)、自由民主党総務会長を歴任した。55年体制最後の内閣総理大臣。愛称はキー坊[要出典]。 宮澤裕・こと夫妻の長男として東京市に生まれた。
渥美 健夫(あつみ たけお 1919年(大正8年)7月24日… 渥美 健夫(あつみ たけお 1919年(大正8年)7月24日 - 1993年(平成5年)10月14日)は、日本の実業家、官僚。鹿島建設(鹿島)名誉会長。 大阪商船取締役・渥美育郎の長男として東京に生まれる。 東京府立一中、旧制浦和高校を経て、1943年(昭和18年)、東京帝国大学法学部政治学科卒業後、商工省入省。鹿島守之助の長女・伊都子と結婚する。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年(昭和18年)9月、海軍経理学校に入学。1944年(昭和19年)3月に卒業し、海軍主計中尉に任官。呉経理部に配属。1945年(昭和20年)3月、主計大尉に進み終戦を迎えた。 1945年10月に商工省に復職。
吉國 二郎(よしくに じろう、1919年6月11日 - 19… 吉國 二郎(よしくに じろう、1919年6月11日 - 1997年9月5日)は、日本の大蔵官僚、実業家。位階は従三位。国税庁長官(第11代)、大蔵事務次官、横浜銀行頭取を務めた。 神奈川県出身。旧制東京高等学校を経て1941年11月、東京帝国大学法学部法律学科卒業後、大蔵省に入省(預金部兼大臣官房文書課)。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年6月、海軍省調査課勤務となる。同年11月、海軍主計大尉に昇進。1945年9月に予備役に編入された。 1945年10月に下京税務署長。主税局税制第二課長、理財局証券第二課長、理財局証券第一課長、主税局総務課長、主税局総務課長兼主税局国際租税課長、主税局総務課長、大臣官房文書課長、大臣官房財務調査官(主税局担当)、東京国税局長などを経て、1967年8月に証券局長、同年11月に主税局長、1969年より国税庁長官に就任。
小池 欣一(こいけ きんいち 1919年4月14日- 200… 小池 欣一(こいけ きんいち 1919年4月14日- 2008年7月4日)は、日本の官僚。元内閣官房副長官(事務担当)。従三位勲一等。東京府出身。
大村 襄治(おおむら じょうじ、1919年〈大正8年〉3月3… 大村 襄治(おおむら じょうじ、1919年〈大正8年〉3月30日 - 1997年〈平成9年〉12月15日)は、日本の政治家、官僚。衆議院議員(8期、自由民主党)、防衛庁長官(第39代)。父も防衛庁長官を務めた大村清一。 東京府出身。旧制東京高等学校卒業。1940年10月に高等試験行政科合格。1941年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、内務省に入省。土木局属。短期現役海軍主計科士官(6期)を志願し、1941年4月、海軍経理学校に補修学生として入校し海軍主計中尉に任官。同年8月、経理学校を卒業。古鷹に配属。同年11月、南西方面艦隊所属・第3設営班主計長に転じ、ダバオ、ホロ、メナド、アンボン方面で飛行場等の設営に従事。
鳩山 威一郎(はとやま いいちろう、1918年〈大正7年〉1… 鳩山 威一郎(はとやま いいちろう、1918年〈大正7年〉11月11日 - 1993年〈平成5年〉12月19日)は、日本の政治家、大蔵官僚。正三位勲一等。 第52・53・54代内閣総理大臣を務めた鳩山一郎の長男。祖父は第6代衆議院議長の鳩山和夫。母方の祖父は右翼団体玄洋社出身の貴族院議員寺田栄。鳩山由紀夫、鳩山邦夫は息子。井上和子は長女。指揮者の渡邉暁雄とは義兄弟に当る。 東京市小石川区(現・東京都文京区)出身。高等師範附属小(現・筑波大附属小)、旧制府立高等学校高等科文科甲類(後の旧・都立大学)を経て、1941年(昭和16年)に東京帝国大学法学部法律学科を首席で卒業。高等試験行政科も1番で合格したと伝わっており、大蔵省に入省(専売局書記兼大臣官房文書課に配属)、同期に柏木雄介、加治木俊道など。
町田 直(まちだ なおし 1918年10月28日-2003年… 町田 直(まちだ なおし 1918年10月28日-2003年7月2日)は日本の運輸官僚。運輸事務次官・新東京国際空港公団副総裁・日本航空副社長・日本貨物鉄道会長・日本気象協会会長等を歴任した。 新東京国際空港公団副総裁として成田空港開港に取り組んだ後、日本航空に招聘され、いずれは社長になると目されていた。しかし、1985年に発生した日本航空123便墜落事故の際、犠牲者の葬儀の席で扇子を使っているところを否定的に報道され、退職を余儀なくされた。元々汗かきであった町田にとっては自然な行動であったが、辞任した後も弁解はしなかったという。 妻は水田三喜男の妹。幼少の頃から俳句を嗜み、句集『華卯木』を刊行した。
鈴木 秀雄(すずき ひでお、1917年6月4日 - 2015… 鈴木 秀雄(すずき ひでお、1917年6月4日 - 2015年8月21日)は、日本の大蔵官僚。 父・鈴木商店(味の素の前身)第2代社長鈴木忠治と母マスの七男として神奈川県三浦郡葉山村に生まれる。 大蔵入省後まもなく短期現役海軍主計科士官(4期)を志願し、1940年5月、海軍経理学校に入学して海軍主計中尉に任官。同年9月に卒業。1942年3月、主計大尉に進む。1945年5月、海軍主計少佐に昇進して終戦を迎えた。戦後、B級戦犯容疑者として逮捕された。裁判では検事から死刑を求刑され、禁固15年の判決が下る。長い拘禁状態の後、サンフランシスコ講和条約の直前に仮釈放された。この間に公職追放も受けた。 釈放後は大蔵省に復職。
後藤 譽之助(ごとう よのすけ、1916年10月25日 - … 後藤 譽之助(ごとう よのすけ、1916年10月25日 - 1960年4月13日)は、官僚、官庁エコノミスト、経済評論家。 経済白書執筆にあたり、第二次大戦後の日本の経済復興に対する政策立案に方向を与えた。 現在の東京都墨田区出身。大相撲年寄り、二十山親方(第二代小錦八十吉、本名後藤鶴松)の長子。母、菊。東京府立第三中学校(現東京都立両国高等学校)卒業。旧制第一高等学校卒業。 1941年12月、東京帝国大学工学部電気工学科卒。電気庁、大東亜省奉職。経済安定本部・経済審議庁・経済企画庁において、第二次大戦後の日本の経済復興政策立案及び景気循環分析にかかわる。直属の上司・先輩に大来佐武郎、部下に宍戸寿雄、金森久雄、内野達郎、丸茂明則等。
吉國 一郎(吉国 一郎、よしくに いちろう、1916年9月2… 吉國 一郎(吉国 一郎、よしくに いちろう、1916年9月2日 - 2011年9月2日)は、日本の商工・法制官僚。位階は正三位。 内閣法制局長官。第9代プロ野球コミッショナー。神奈川県出身。 旧制東京高等学校を経て、東京帝国大学卒業。 1940年、商工省入省。同期に熊谷典文、国井真、小島慶三、加藤悌次(鉱山局長)等。 戦後は新制通商産業省から出向で内務省解体後の総理府において、主に法令審査畑を歩む。法制局長官総務室主幹、法制局第三部長、内閣法制局第一部長、内閣法制次長等を歴任。 1972年、第1次田中角榮内閣の下において内閣法制局長官に就任。その後、田中角栄・三木武夫の2人の首相に合計4年半仕えた。
村上 孝太郎(むらかみ こうたろう、1916年(大正5年)6… 村上 孝太郎(むらかみ こうたろう、1916年(大正5年)6月29日 - 1971年(昭和46年)9月8日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員(1期)。位階は従三位、勲等は勲二等。 本籍地は愛媛県越智郡宮窪村(宮窪町を経て現・今治市)。東京で村上常太郎の長男として生まれる。広島高等師範学校附属中学校(現・広島大学附属中学校)、旧制第一高等学校を経て、1939年(昭和14年)東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大在学中の1938年(昭和13年)10月、高等試験行政科試験に合格。卒業後は大蔵省に入省。配属先は専売局長官官房書記兼大臣官房文書課。神戸税関総務部長、神戸税関業務部長兼税関長官房主事を経て1942年(昭和17年)1月、大蔵事務官・理財局勤務となり第四艦隊司令部付が発令されラバウルに赴任。
谷村 裕(たにむら ひろし、1916年(大正5年)3月26日… 谷村 裕(たにむら ひろし、1916年(大正5年)3月26日 - 1996年(平成8年)10月22日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、公正取引委員会委員長、東京証券取引所理事長等を歴任。 東京に生まれる。旧制暁星中学4年生修了、第一高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科卒業。採用試験20科目全てで優を取り、トップで大蔵省に入る。大臣官房文書課属。 1938年(昭和13年)短期現役海軍主計科士官(1期)を志願。同年7月、海軍経理学校に入学し、同年12月に卒業。海軍主計中尉に任官。名取に配属。第五艦隊司令部付妙高乗艦、呉海軍工廠会計部購買課勤務を歴任。1940年(昭和15年)11月、主計大尉に昇進。
景山 二郎(かげやま じろう、1916年〈大正5年〉1月13… 景山 二郎(かげやま じろう、1916年〈大正5年〉1月13日 - 1999年〈平成11年〉6月26日)は、日本の警察官僚、剣道家。位階は正四位。景山民夫の父。 広島県三次市で生まれ、小学生の時に祖母の実家である広島市内の景山家の養子となる。旧制武蔵高等学校を経て東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省する。 1942年に警部補を拝命し、原爆投下時には徳島県で警察官をしていた。特高に席を置いていたため、敗戦後公職追放となる。 警視庁神田警察署長、刑事部鑑識課長、総務課長、第五方面部長、第一方面部長を務め、山梨県警察、秋田県警察、熊本県警察、埼玉県警察、神奈川県警察の各本部長を歴任。関東管区警察局長を最後に退官した。
東郷 文彦(とうごう ふみひこ、旧姓:本城、 1915年(大… 東郷 文彦(とうごう ふみひこ、旧姓:本城、 1915年(大正4年)8月18日 - 1985年(昭和60年)4月9日)は、日本の昭和時代の外交官、官僚。旧姓は本城。外務省事務次官、駐アメリカ大使を務めるなど日本の戦後外交におけるアメリカスクール外交官の重鎮の一人であった。
尚 明(しょう あきら、1915年4月5日 - 1991年6… 尚 明(しょう あきら、1915年4月5日 - 1991年6月11日)は、日本の官僚。元日本住宅公団副総裁。 琉球王国最後の国王・尚泰王の六男・尚光の息子として東京都に生まれる。1933年旧制武蔵高等学校卒業後、1938年に東京帝国大学を卒業し、大蔵省営繕管財局へ入省。1964年、建設省住宅局長を経て、1966年には日本住宅公団理事となり、1971年には日本住宅公団の副総裁に就任。その後も日本住宅リフォームセンター(現在の住宅リフォーム・紛争処理支援センター)初代理事長をはじめ住宅産業情報サービス、性能保証住宅登録機構などの理事長を務めた。 また、日本におけるダイニングキッチンの発明者としても知られている。
北原 安定(きたはら やすさだ、1914年11月5日 - 1… 北原 安定(きたはら やすさだ、1914年11月5日 - 1994年4月1日)は、日本の逓信官僚、元電電公社副総裁および元NTT副社長。工学博士。 長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)出身。第一早稲田高等学院、早稲田大学理工学部電気科を卒業し、逓信省に入省。電気通信省を経て、日本電信電話公社で、九州電気通信局長、施設局長、総務理事、技師長を歴任し、1977年に副総裁に就任した。 当時、世界最高水準であった電電公社の技術陣をまとめただけでなく、経営観点においても高い先見性を持っており、いち早くデータ通信の重要性を見出していた。高度情報通信システムINS(Information Network System)を活用した将来的な、在宅勤務やオンラインショッピングなど、“電話”の次のネットビジネスを模索していた。
水口 宏三(みなくち こうぞう、1914年(大正3年)7月2… 水口 宏三(みなくち こうぞう、1914年(大正3年)7月21日 - 1973年(昭和48年)3月1日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)。 東京府東京市本郷区本郷(現在の東京都文京区本郷)生まれ。東京府立高等学校を経て、1938年(昭和13年)、東京帝国大学農学部卒業後、農林省入省。1942年-1943年(昭和17-18年)企画院出向。戦後は供米制度に反対、1946年(昭和21年)、全農林職員労働組合を結成して初代委員長に選出、官公庁民主化運動の前面に立ち人事への発言権を得ることに尽力、全官公庁共同闘争委員会議長にもなった。その後、全官公職員労働組合の初代委員長に就任。1947年(昭和22年)の二・一ゼネストでは、中心指導者となる。
磯崎 叡(いそざき さとし、1912年8月16日 - 199… 磯崎 叡(いそざき さとし、1912年8月16日 - 1997年6月19日)は日本の鉄道官僚、第6代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1969年-1973年)。永井岩之丞の孫。 作家・三島由紀夫の父・平岡梓は従兄にあたる。 磯崎と親交があった作家の阿川弘之より命名されたニックネームは「ダッコちゃん」。 東京府東京市本郷区丸山町(現在の東京都文京区千石)で海軍の造船技官であった磯崎清吉と鐘(永井岩之丞二女)の次男として生まれる。名前は当時父が艤装に関わっていた巡洋戦艦『比叡』から一文字取られた。 東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業後、1935年、鉄道省に入省。
清井 正(きよい ただし、1910年(明治43年)11月14… 清井 正(きよい ただし、1910年(明治43年)11月14日 - 2006年(平成18年)12月13日)は、日本の農林官僚。農林事務次官。東京都出身。 東京帝国大学法学部卒業後、農林省入省(米穀部嘱託)。林野庁林政部長、食糧庁総務部長、農業改良局長を経て、1953年(昭和28年)水産庁長官、1954年(昭和29年)食糧庁長官、1956年(昭和31年)に農林事務次官に就任。 1957年(昭和32年)に退官後、日本穀物検定協会会長、農林漁業金融公庫総裁、農業信用保険協会理事長、日本中央競馬会理事長、東京都競馬社長、同会長を歴任した。
林 修三(はやし しゅうぞう、1910年1月1日 - 198… 林 修三(はやし しゅうぞう、1910年1月1日 - 1989年6月21日)は、日本の官僚。大蔵・法務官僚を経て法制局に移り、鳩山・石橋・岸・池田の4内閣(10年弱)にわたって法制局長官(内閣法制局長官)を務めた。位階勲等は正三位勲一等旭日大綬章。『時の法令』誌連載の判例解説でははやし しうぞうの別名を用いた。 著作の一部はデジタル化されており、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。
村井 順(むらい じゅん、1909年〈明治42年〉2月5日 … 村井 順(むらい じゅん、1909年〈明治42年〉2月5日 - 1988年〈昭和63年〉1月12日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。初代京都府警本部長、初代内閣総理大臣官房調査室長(現・内閣情報調査室)、綜合警備保障の創業者で、社長・会長。 東京出身。東京高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1935年(昭和10年)内務省に入省し、1939年(昭和14年)に福岡県警防課長から、汪兆銘の南京政府を実質的に支配していた上海の興亜院に転出し、中国大陸における特高警察活動や、思想文化統制に従事。 敗戦後は、青森県警察部長を務めている最中に吉田茂に才気を見出され、第1次吉田内閣で内閣総理大臣秘書官に抜擢されるも、のちに内務省に戻り、廃止された特高警察の代わりとして設立された、内務省警保局公安一課(公安警察)の課長として、情報関係業務に従事。
吉河 光貞(よしかわ みつさだ、1907年1月16日 - 1… 吉河 光貞(よしかわ みつさだ、1907年1月16日 - 1988年4月17日)は、日本の検察官、司法・法務官僚。 東京府生まれ。京華中学、第一高等学校 (旧制)(一高)を経て、東京帝国大学法学部に入学。在学中は新人会に属し田中清玄らと並び称され、日本共産党にも入党した。1930年(昭和5年)大学卒業、直後に離党。 1932年司法官試補となり、各地の裁判所で検事を務める。東京地方裁判所時代には主任検事(思想検事)として1941年のゾルゲ事件の捜査に参加、リヒャルト・ゾルゲを取り調べた。 戦後は公職追放を免れ、法務庁事務官を経て1948年(昭和23年)に設置された法務庁特別審査局(後の公安調査庁)の初代局長、翌1949年に改称された法務府でも局長などを務めた。
平井 富三郎(ひらい とみさぶろう、1906年12月13日 … 平井 富三郎(ひらい とみさぶろう、1906年12月13日 - 2003年5月20日)は、日本の商工官僚。経済審議庁次長や通商産業事務次官を経て、退官後新日本製鐵(現日本製鉄)社長。東京府(現東京都)出身。1973年に藍綬褒章、1979年に勲一等瑞宝章を受章。2003年、脳梗塞のため死亡。 旧制東京高校(現東京大学教育学部附属中等教育学校)を経て、東京帝国大学法学部を卒業後、1931年に商工省(現 経済産業省)へ入省。製鉄所書記。同期には、長村貞一(ジェトロ副理事長、経済審議庁次長、特許庁長官)、山地八郎など。 第二次世界大戦後の1949年、石炭庁管理局長から商工省化学局長(1949年2月12日 - 同年5月24日)に。
徳川 義寛(とくがわ よしひろ、1906年 <明治39年> … 徳川 義寛(とくがわ よしひろ、1906年 <明治39年> 11月7日 - 1996年 <平成8年> 2月2日)は、日本の官僚。宮内官僚として52年にわたり天皇家を支え、昭和天皇の側近、侍従長の役割も果たした。位階は従二位。勲一等端宝章。 尾張(名古屋)藩主徳川慶勝の孫で、実弟津軽義孝は常陸宮正仁親王妃華子の父であり、妹祥子は北白川宮永久王の妃で皇籍離脱後は香淳皇后付の女官長、皇太后宮女官長を務めた。 1906年(明治39年)、尾張徳川家分家、徳川義恕の長男として東京府に生まれる。1927年(昭和2年)、学習院高等科を卒業し、1930年(昭和5年)、東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業。ベルリン大学留学後、帝室博物館(現東京国立博物館)研究員。
篠原 武司(しのはら たけし、1906年(明治39年)4月1… 篠原 武司(しのはら たけし、1906年(明治39年)4月16日 - 2001年(平成13年)6月30日)は、昭和の鉄道技術者・官僚。元国鉄西部総支配人兼門司鉄道管理局長・鉄道技術研究所長・日本鉄道建設公団総裁。
渡辺 武(わたなべ たけし、渡邊 武、1906年2月15日 … 渡辺 武(わたなべ たけし、渡邊 武、1906年2月15日 - 2010年8月23日)は、日本の官僚。大蔵省財務官。初代アジア開発銀行総裁。公共信託アジア・コミュニティ・トラスト運営委員会代表。
入江 相政(いりえ すけまさ、1905年〈明治38年〉6月2… 入江 相政(いりえ すけまさ、1905年〈明治38年〉6月29日 - 1985年〈昭和60年〉9月29日)は、日本の官僚、歌人であり随筆家である。 昭和天皇の侍従・侍従長を長く務めた。従二位勲一等旭日大綬章、勲一等瑞宝章、紺綬褒章・賞杯。 堂上華族の入江家出身。歌人・柳原白蓮の甥であり、元岩崎勝商事社長・岩崎勝太郎は相政の義弟にあたる。柳原前光の孫である。 1905年(明治38年)6月29日、東京府東京市麻布区笄町(現・東京都港区西麻布)で、入江為守子爵・貴族院議員の三男として生まれる。兄に入江為常。生家は歌道冷泉派の宗家・冷泉家の流れを汲む「歌の家」。 冷泉家・入江家の通字は家祖・冷泉為相の名から取った「為」だが、入江家では「相」の字も通字として用いられたため、相政と名付けられた。
吉村 成一(よしむら せいいち 1904年11月22日 - … 吉村 成一(よしむら せいいち 1904年11月22日 - 1962年8月18日)は、東京府出身の元大蔵官僚。元横浜銀行頭取。
正木 千冬(まさき ちふゆ、1903年(明治36年)12月1… 正木 千冬(まさき ちふゆ、1903年(明治36年)12月10日 - 1982年(昭和57年)4月6日)は、日本の経済学者、官僚、ジャーナリスト、政治家(鎌倉市長)。
曾禰 益(新字体:曽祢 益、そね えき、1903年12月5日… 曾禰 益(新字体:曽祢 益、そね えき、1903年12月5日 - 1980年4月25日)は、日本の官僚・政治家。正三位勲一等。妻は東急グループの創業者である五島慶太の長女・春子である。
逗子 八郎(ずし はちろう、本名:井上 司朗、1903年2月… 逗子 八郎(ずし はちろう、本名:井上 司朗、1903年2月23日 - 1991年7月7日)は、日本の歌人、情報局官僚。新短歌運動を推進し、1929年、短歌誌「短歌と方法」を主宰した。 立教中学校から第一高等学校 (旧制)を経て、1924年、東京帝国大学文学部国文科に入学。在学中、逗子開成中学校の英語と国語と漢文の講師を務め、逗子開成学園の校歌を作詞している。弁護士である義兄の切望その他で、1925年、東京帝国大学法学部政治学科に入り直し、1928年に卒業。 朝日新聞社と安田銀行を受験し、第一志望の前者で不採用となったため後者に入る。1939年、内閣情報部情報官に任官、情報局第五部第三課長、第二部文芸課長を歴任するが、1944年5月、中央公論社と改造社に対する情報局からの自発廃業勧告に反対し、内務省系の上司たちから睨まれるようになる。
古井 喜実(ふるい よしみ、別表記 : 古井 喜實、1903… 古井 喜実(ふるい よしみ、別表記 : 古井 喜實、1903年 <明治36年> 1月4日 - 1995年 <平成7年> 2月3日)は、日本の内務官僚、政治家。日中友好議員連盟会長を務めた。位階は正三位。 鳥取県八頭郡国中村(現・八頭町)に、古井實壽の二男として生まれる。生家は祖父久次郎の代からすでに田五町歩、山林三町歩をもつ小地主だった。父實壽は古井が生まれたころ、郡役所の書記だったが後に国中村の村長を務めた。 旧制鳥取中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)、第三高等学校を経て、1922年東京帝国大学法学部英法科に入学する。なお中学時代の同期生に政治学者の矢部貞治がいる。1925年内務省に入省する。
高村 坂彦(こうむら さかひこ、1902年(明治35年)12… 高村 坂彦(こうむら さかひこ、1902年(明治35年)12月18日 - 1989年(平成元年)10月7日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員(自民党)、山口県徳山市長、徳山大学(現周南公立大学)初代理事長。 次男は数学者でお茶の水女子大学名誉教授の高村幸男(こうむら ゆきお、1931年8月13日 - 2009年3月21日)、四男は衆議院議員・元外務大臣の高村正彦。 山口県熊毛郡三井村(現光市三井)の農家に生まれる。農業・高村宇佐吉、キチの四男。父・宇佐吉は大工の棟梁でもあり、村会議員もしていた。 1917年(大正6年)、三井尋常高等小学校高等科卒業。「おまえは商人になれ」という父親の言いつけに従って厚狭郡船木町にある酒、醤油の醸造と呉服店を営む蔵重商店の別家に見習い奉公人として住み込む。