AKI(あき、1987年4月1日 - )は、東京都出身の画家… AKI(あき、1987年4月1日 - )は、東京都出身の画家・デザイナー。 スペイン国立「バルセロナ海洋博物館」にて「マザーフォレスト」を発表、「金賞」「日本スペイン交流親善名誉作家」受賞、日本・ギリシャ修好110周年記念展覧会にて「歴史」を発表、「特別審査委員賞」受賞。2010年、23歳にして、知的障がい者の大学ゲスト講師として日本で初めて教壇(武蔵野美術大学)にたつ。近年では、NHKハートプロジェクト第18回ハート展作画者として選出されたほか、京都・佛光寺派大善院にて、唐紙師とのコラボレーション作品「唐紙四曲屏風・涅槃図」(京都ホテルオークラにて公開)を発表。また、ヨーロッパ、アメリカにてデザインテキスタイルの「AKI デザインファブリック」並びにそのデザインの元となる原画を発表、2014年春発売「アシストスマホ」(ソフトバンク株式会社)に作品が採用。
Rie fu(リエ フゥ、1985年1月11日 - )は、日… Rie fu(リエ フゥ、1985年1月11日 - )は、日本のシンガーソングライター、画家。本名:舩越里恵(ふなこし りえ)。東京都出身。青山学院高等部を経てロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ卒業。gr8! records・ソニー・ミュージックエンタテインメント所属。
淺井 裕介(あさい ゆうすけ、1981年3月3日 - )は… 淺井 裕介(あさい ゆうすけ、1981年3月3日 - )は、日本の画家、アーティスト。 東京都出身。神奈川県立上矢部高等学校普通科美術陶芸コースを卒業。卒業後4年間、制作環境を求めて高校に通い続ける。 抽象画、陶芸、様々な素材を使ったドローイング、巨大壁画、マスキングプラント、泥絵など、多方面へ精力的な活動をしている作家である。近年は「植物になった白線」シリーズに力を入れている。これは道路表示に使われる白線素材に絵を描いた上で、バーナーによって地面に焼き付けるというものであり、一般の参加者を募って行われることも多い。展示前、展示期間中に公開制作をおこなうことも多く、創作会場にアトリエを構えることもある。
石川 真澄(いしかわ ますみ、1978年1月-)は平成時代以… 石川 真澄(いしかわ ますみ、1978年1月-)は平成時代以降に活躍する現代浮世絵師、画家である。今昔ラボ主宰。 6代目歌川豊国の門人。歌川を称し、国真、一狂斎国真とも号す。1978年1月、東京都葛飾に生まれる。子供の頃からマンガが好きで、小学3年生の時にフィンセント・ファン・ゴッホの作品を見て衝撃を得て、以降作画活動を始めた。その後、高校時代に初めて歌川国芳の「相馬の古内裏」の駅貼りポスターを見て浮世絵に魅かれ興味を抱いた。大学に在学していた時、原宿クロックワークや葛飾テクノプラザなどで頻繁に個展を開催している。また、CDジャケット制作、美容室の内壁デザインなどの仕事を手掛けながら、浮世絵の画法を独自に研究、特に国芳の作品に魅かれており今に至る。
武蔵野 ルネ(むさしの ルネ、1968年〈昭和43年〉4月9… 武蔵野 ルネ(むさしの ルネ、1968年〈昭和43年〉4月9日 - )は、日本の画家、絵本作家、イラストレーター。 1968年、東京都東村山市出身。6歳からバレエを始める。 東京都立国分寺高等学校を卒業後、1992年に多摩美術大学日本画科を卒業した。大学時代から、絵本の制作を依頼される。コーエー(現:コーエーテクモゲームス)デザイン部を経てデザイン会社(Zero2)に勤務する傍ら、品川区の女子高校で美術講師としての教職にも就き、書籍や雑誌のイラストやWEBデザインなどの分野で活動する。 2021年〜2023年は、世界最大級の音楽ライブ専用施設「Kアリーナ横浜」にて屋内のフロアサイン(12作品)と、ミュージックテラスのパブリックアート大型壁画(2作品)/を担当。
沼田 識史(ぬまた さとし、1966年9月25日 - )は日… 沼田 識史(ぬまた さとし、1966年9月25日 - )は日本の現代美術家、画家。東京都北区西ヶ原出身。 本名は沼田 知直(ぬまた ともなお)。愛称は、ぬまりん。埼玉県立南稜高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業。 1966年9月25日14時50分に、東京都北区西ヶ原で父・徹夫と母・周子(のりこ)との間に非嫡出子として生をうける。 父方の母親は、東京芸術大学音楽部の前身である東京音楽学校卒業で、母方の叔父が画家という中で幼少期を過ごす。幼年から少年時代に、初めて衝撃を受けた音楽は、カーペンターズが歌った『遥かなる影』やスティーヴィー・ワンダーの楽曲の『迷信』であったと沼田は答える。それからは絵を描くと同時に歌も唄うようになった。
下條 ユリ(しもじょう ユリ、本名:下條 有理、1966年3… 下條 ユリ(しもじょう ユリ、本名:下條 有理、1966年3月16日 - )は、東京都三鷹市出身の画家。 東京都三鷹市生まれ。幼少期より、日舞、能、茶道、華道を習う。同時に、普遍性を尊重する国際人として育てる事を重んじた両親によって、ジャンルや国籍を問わない、様々な文化に触れる機会を与えられる。その複雑な文化的背景を基盤とし、自己表現のひとつとして絵を描き始める。高校卒業と同時にイラストレーターとして多くのメディアに登場。90年代には、東京サブカルチャー・シーンの隆盛と共に人気を得る。 相次ぐ家族の死をきっかけに20代で天涯孤独の身となり、1977年アメリカへ移住。当時、最も先鋭的だったブルックリンのストリート・シーンに身を投じ、グラフィティ・アーティストとしても活躍。
浜田 涼(はまだりょう、1966年 - )は、日本の現代美術… 浜田 涼(はまだりょう、1966年 - )は、日本の現代美術家、洋画家。 東京都生まれ。女子美術大学付属高等学校、女子美術大学芸術学部絵画科洋画専攻卒業。多摩美術大学研究生を経て、2002年から2016年まで、女子美術大学洋画研究室非常勤講師。 2010年より、女子美術大学付属高等学校・中学校美術科専任教諭。 専門の洋画の他に、写真でも高い評価を受け、2016年に写真作品19点が東京都写真美術館に永久保存された。 storeroom浜田涼ウェブサイト
小沢 剛(おざわ つよし、1965年 - )は、日本の画家、… 小沢 剛(おざわ つよし、1965年 - )は、日本の画家、現代美術家。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科教授。アーティスト・グループ『昭和40年会』のメンバー。 「JIZONG」細見画廊(東京) 「Zizhiqu」[西京人]広東時代美術館 「Xijing Men Collaborative」H&Rブロック・アートスペース(カンサスシティ、アメリカ) 「コレクション展2012-I ビルヂング 美術という建築」広島市現代美術館 「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012」(新潟) 「小沢剛:あなた誰かを好きなように、誰もが誰かを好き」豊田市美術館(愛知) 「光州ビエンナーレ2012」 「The World Portable Gallery Convention 2012」アイレベル・ギャラリー(ハリファックス、カナダ) 「ON THE PHOTOGRAPHY 小沢剛、志水児王、バク・スンウ」ミサシンギャラリー(東京) 「混浴温泉世界2012」大分県別府市内各所 「プロスペクト2」現代美術センター(ニューオリンズ) 「昭和40年会―ウィ・アー・ボーイズ!」クンストハーレ・デュッセルドルフ / National Cultural-Art and Museum Complex Mystetskyi Arsenal(キエフ、ウクライナ) 「Shifting Surfaces」[西京人]、アートソンジュ・ミュージアム(キョンジュ、韓国) 「Between Utopia and Dystopia」Museo Universitario arte contemporáneo(メキシコ) 「黄金町バザール2011」小串スタジオ(横浜、神奈川) 「藝大・台東・墨田観光アートプロジェクト:油絵茶屋再現」浅草寺(東京) 「Museum Show」Arnolfini(ブリストル、イギリス) 「会津・漆の芸術祭〜東北へのエール〜」井上一夫商店(会津若松、福島) 「あいちトリエンナーレ2010」[西京人]、あいち芸術文化センター(愛知) 「An Unexpected turn of events―チェン・シャオションと小沢剛」オサージュ・ギャラリー(上海 / 香港) 「胸さわぎの夏休み」福島県立美術館 「会津・漆の芸術祭」会津若松市、喜多方市、三島町、昭和村(福島) 「Tricksters Tricked」[西京人]、ヴァン・アベ美術館、アイントホーフェン(オランダ) 「メディア・シティ・ソウル2010」[西京人]、ソウル市立美術館 公開制作50 小沢剛「できるかな2010」、府中市美術館
稲田 醍伊祐(いなだ だいすけ、本名:稲田 大祐(読み同じ)… 稲田 醍伊祐(いなだ だいすけ、本名:稲田 大祐(読み同じ)、1964年 - )は、日本の版画家、教育者、相模女子大学学芸学部子ども教育学科教授。 東京都町田市出身。成城学園中学校、成城学園高等学校卒、多摩美術大学卒、同大学院修了、オーストラリア・RMIT大学修了。特定NPO法人ガリレオ工房講師。 石版画、インスタレーションアート、科学工作の開発で活躍。公立中学校で非常勤講師を2年、昭和女子大学附属昭和小学校図画工作専科教諭を14年、同時に附属幼稚園で13年絵画工作指導。渡豪し2つ目の修士号を取得。帰国後、昭和女子大学人間社会学部初等教育学科、米ペンシルベニア州立テンプル大学ジャパンキャンパスアート学科で非常勤講師を務めた。
藤井 豊(ふじい ゆたか、1962年〈昭和37年〉12月30… 藤井 豊(ふじい ゆたか、1962年〈昭和37年〉12月30日 - )は、東京都出身の日本の番組セットデザイナー、舞台美術家、画家である。1997年第25回伊藤熹朔賞 新人賞受賞。東放学園専門学校 美術制作科(旧テレビ美術科)非常勤講師。 世田谷区生まれ。東京都立富士高等学校、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業。株式会社アックスに入社。2007年退社、独立。ボイジャーズデザイン株式会社を設立。
木梨 憲武(きなし のりたけ、1962年〈昭和37年〉3月9… 木梨 憲武(きなし のりたけ、1962年〈昭和37年〉3月9日 - ) は、日本のお笑いタレント、歌手、俳優、画家。1980年に石橋貴明とお笑いコンビ「とんねるず」を結成。キナシコッカ株式会社代表取締役社長兼所属タレント。妻は女優の安田成美で、間に2男1女。 東京都世田谷区千歳台で自転車店「木梨サイクル」(のちに祖師ヶ谷大蔵に移転)を営んでいた木梨作三の長男として生まれる。両親は静岡県伊東市の出身。世田谷区立塚戸小学校、世田谷区立千歳中学校卒業。 1977年に帝京高校へ入学し、サッカー部に入部。部内ではムードメーカーで、当時同校の野球部にいた同級生の石橋とよくコンビを組んで友人達にネタを見てもらっていた。
尾形 純(おがた じゅん、1962年 - )は、東京都大田区… 尾形 純(おがた じゅん、1962年 - )は、東京都大田区出身の日本の画家、抽象画家。雅号を用い「尾形仮山」と記す事もある。祖父は伝統工芸の水戸の彫金家である大津陽信。 東京都大井で育つ。両親・兄の4人家族の次男。彫金家の祖父の影響から幼少より絵を描くことを好んだ。芝公園の正則高等学校を卒業後、1991年武蔵野美術大学短期大学部を卒業、和光大学人文学部芸術学科卒業を経て、東京藝術大学大学院美術研究科を修了。大学院の研究室では、坂本一道教授の研究室にて西洋の伝統的な絵画技法を研究。大学〜大学院時代より東京中野にある絵画保存研究所で勤務、絵画修復の実務にあたる。大学院修了後、和光大学で非常勤講師として教鞭を執る。
田口 トモロヲ(たぐち トモロヲ、1957年11月30日 -… 田口 トモロヲ(たぐち トモロヲ、1957年11月30日 - )は、日本の俳優、ナレーター、ミュージシャン、映画監督、元エロ劇画家。マッシュ所属。東京都武蔵野市出身。獨協大学経済学部中退(4年間一度も進級しなかった)。本名は田口 智朗(たぐち ともお)。パンク・ファンクバンドばちかぶりのボーカリストとしても活動。 2000年代前半に放送されたNHKのドキュメンタリー番組『プロジェクトX』のナレーションも担当していた。 在学中からアングラ演劇、自主映画、自販機本などに係わる。1978年、劇団「発見の会」入団。1979年、自販機本『劇画アリス』(アリス出版)に掲載した「愛虐の果て」で漫画家デビュー。
スージー 甘金(スージー あまかね、1956年3月20日 -… スージー 甘金(スージー あまかね、1956年3月20日 - )は、日本のマンガイラストレーター、コミック画家。 過去にスージィ甘金と表記していた時期もあった。男性。 ペイント作風のコマ割りマンガを作風としマンガイラストレーターの元祖と言われている。 現代美術のパロディ作家としても知られている。東京都三鷹市出身。 少年時代は藤子不二雄や赤塚不二夫のファンで、漫画家志望だった。フリーターを経て、東京藝術大学と桑沢デザイン研究所と多摩美術大学を受験。22歳で多摩美術大学グラフィックデザイン学科に入学。在学中、ナイロン100%店長の中村直也の「100%プロジェクト」に関わるようになり、主に当時の『宝島』の仕事を手がける。
福王寺 一彦(ふくおうじ かずひこ、1955年4月3日 - … 福王寺 一彦(ふくおうじ かずひこ、1955年4月3日 - )は、日本の画家。日本藝術院会員。 福王寺法林の次男として、東京都三鷹市に生まれる。1974年に成城学園高等学校卒業後、1978年に院展初入選、1987年、1988年と院展日本美術院賞・大観賞受賞。1992年に院展作品が文化庁に買上げられる。日本美術院奨学金・前田青邨賞受賞、1996年院展文部大臣賞受賞、1998年院展内閣総理大臣賞受賞、2001年日本芸術院賞受賞、2010年芸術院会員。2013年と2020年、2021年、2024年に紺綬褒章と飾版受章。
岩佐なを(いわさ なを、男性、1954年6月18日 - )は… 岩佐なを(いわさ なを、男性、1954年6月18日 - )は、日本の詩人、画家。画家としては、主に版画、ドローイングを制作。本名は岩佐直人。日本書票協会、日本現代詩人会、日本文藝家協会、日本ペンクラブ会員。 東京都杉並区荻窪に生まれ、神奈川県横浜市港北区日吉で育つ。神奈川県立港北高等学校を経て、早稲田大学卒業。早稲田大学図書館司書として勤務しながら、創作活動を行う。詩誌「時計店」「孔雀船」「生き事」「歴程」同人。 銅版画で蔵書票(エクスリブリス)を多数創作。ドローイングや版画で、本や雑誌の挿画・装幀を手がける。季刊「嗜み」(文藝春秋)の山崎正和の連載エッセイに挿画を掲載した。小川洋子の『完璧な病室』(福武書店、1989年)の装幀、装画。
一円破顔(いちえんはがん、1952年〈昭和27年〉10月14… 一円破顔(いちえんはがん、1952年〈昭和27年〉10月14日 - 2020年〈令和2年〉9月12日)は日本の画家、書家、彫刻家。本名は山田順久。東京都生まれ。 13歳のとき、ゴッホの作品に芸術的感銘を受け、画家を志す。各種の表現様式を独学で遍歴し、19歳で「絵画の究極的本質は、丸ひとつでも、その表現が可能である」という直感を得る。以降、仏教にも造詣を深め、絵と書を、表現方法の両輪として創作活動を展開。自身の体験を通して辿り着いた「芸術は人間の霊性の表現である」という哲学的信条のもと、62才まで画家、書家として専心する。その後、雅号を「爪弾菴無才(そうだんあんむさい)」と改め、模写職人を自称して西洋名画の肉筆模写を仕事とする傍ら、書を通して「人間の霊性」を世に問い続ける(“思想”欄を参照)。
越澤 明(こしざわ あきら、1952年 - )は、日本の工学… 越澤 明(こしざわ あきら、1952年 - )は、日本の工学者、都市計画家、都市政策学者、工学博士。北海道大学名誉教授。元一般財団法人住宅保証支援機構理事長。 国土交通省の社会資本整備審議会で、住宅宅地分科会、都市計画・歴史的風土分科会、歴史的風土部会の会長を歴任した。人文・社会科学分野でも評価される著書・業績が多い。全国の地方自治体で都市政策・まちづくりの指導助言をしてきた。 専門分野は、都市政策、都市計画、公共政策。国や自治体の審議会経験が長く、都市計画法、都市再生特別措置法、都市公園法、古都保存法、明日香法、景観法、歴史まちづくり法、高齢者住まい法など都市・住宅法制度に詳しく、また、都市計画・まちづくり・文化財の行政実務に明るい。
建石 修志(たていし しゅうじ、1949年12月8日 - )… 建石 修志(たていし しゅうじ、1949年12月8日 - )は、日本の画家。 東京都生まれ。作家立松由記夫(本名・建石大介)の次男。東京都立小平高等学校を経て、東京藝術大学美術学部卒業。 鉛筆による幻想的な絵で知られ、『幻想文学』の表紙絵のほか挿画などで活躍する。
エム ナマエ(本名:生江雅則(なまえ・まさのり)、男性、19… エム ナマエ(本名:生江雅則(なまえ・まさのり)、男性、1948年9月1日 - )は、日本の画家、児童文学作家。
深井 克美(ふかい かつみ、1948年3月9日 - 1978… 深井 克美(ふかい かつみ、1948年3月9日 - 1978年12月16日)は北海道函館市出身の洋画家。 1948年3月9日、北海道函館市千代ヶ岳(現在の千代ヶ台町)に父赤崎宗一郎、母千枝子の長男として生まれる。1951年10月に妹の由利が生まれるが、翌11月に父親が結核で死亡。母は由利を養子に出し、12月に克美をつれ上京する。女手一つのうえ、克美は亡くなった父親の結核に感染しており、脊椎カリエスを患っていたため生活は困難を極める。1954年母は克美とともに旧姓深井に復す。東京での居住は、豊島区2丁目で、池袋モンパルナス・さくらが丘パルテノン界隈であった。 1959年、徳田カトリック教会にて受洗(カトリック名:ペテロ)。
内藤 五琅(ないとう ごろう、1948年 - )は、日本の日… 内藤 五琅(ないとう ごろう、1948年 - )は、日本の日本画家。東京都出身、さいたま市浦和区在住。日本美術院特待。浦和画家。 東京都杉並区に生まれ、浦和市(現・さいたま市)に移住。埼玉県立浦和高等学校、東京芸術大学日本画科卒業。佐野東石美術館、成川美術館などに作品が所蔵されている。父、内藤四郎は彫金の人間国宝。
鹿野 浩四郎(しかの こうしろう、1947年〈昭和22年〉1… 鹿野 浩四郎(しかの こうしろう、1947年〈昭和22年〉10月27日 - )は、日本の俳優、アナウンサー、画家。 1947年10月27日午後2時22分、東京都江戸川区小岩生まれ。東京都立墨田川高等学校より、俳優座養成所にあたる桐朋学園大学演劇科へ進む。1968年、劇団俳優座に所属、舞台・映画・TV等に多数出演。1978年4月~1984年3月、NHK『600 こちら情報部』のキャスターとして毎週月曜~金曜、約1500回の生放送に出演。 1988年~1990年、東日本放送のメーキングキャスターとして出演。1990年~2003年、テレビ神奈川の司会者として出演。 その後、絵師・佐藤勝彦に師事し、墨彩画家としての活動を始める。
有元 利夫(ありもと としお、1946年9月23日 - 19… 有元 利夫(ありもと としお、1946年9月23日 - 1985年2月24日)は、日本の画家。妻は日本画家・陶芸家の有元容子。 1946年、岡山県津山市(疎開先)に生まれる。生後間もなく東京都台東区へ戻り、人生のほとんどを谷中で過ごした。1953年、台東区立谷中小学校入学[要出典]。小学校低学年の頃からゴッホに強い興味を抱いたと言われ、駒込高等学校在学中に中林忠良の指導を受ける。1969年、東京芸術大学美術学部デザイン科に入学、在学中の1971年にヨーロッパを旅行し、イタリアのフレスコ画に深い感銘を受けた。1973年、東京芸術大学を卒業、卒業制作「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」は同大学が買い上げた。
池田 和弘(いけだ かずひろ、1946年〈昭和21年〉7月2… 池田 和弘(いけだ かずひろ、1946年〈昭和21年〉7月29日 - 2024年〈令和6年〉11月17日)は、日本の画家、イラストレーター、自動車愛好家。通称「Bow。」。 日本のカーイラストの第一人者。『カーマガジン』の表紙絵を創刊から約40年間に渡り担当した。車のほか、オートバイ、船、風景の絵を多数手掛ける。 東京都杉並区生まれ。第二次世界大戦後間もない幼少期に、自宅近くの甲州街道を行き交う米軍たちが乗る煌びやかなアメリカ車に魅了され、車の絵を書くことを始める。 車のデザイナーになることを志し工業高校に進学するも中退。ファッション・イラストの第一人者、長沢節主催のセツモードセミナーに通いイラストレーターとしてのキャリアがスタート。
菊池 伶司(きくち れいじ、1946年 - 1968年)は、… 菊池 伶司(きくち れいじ、1946年 - 1968年)は、日本の銅版画家。
中原 洲一(なかはら しゅういち、1944年2月28日 - … 中原 洲一(なかはら しゅういち、1944年2月28日 - 2004年3月)は、東京都出身の画家。 画家中原淳一と女優葦原邦子の長男として東京東伏見に生まれ、1947年から江古田に育つ。立教中学校(現・立教池袋中学校)に入学後まもなく上級生たちから「お前の父親の悪口を復唱しろ」と迫られるいじめを受け、1年で玉川学園中学部に転校。玉川学園高等部を経て桑沢デザイン研究所卒業。デザイン事務所勤務を経て、1969年、イスラエルに渡りキブツで肉体労働しつつヘブライ語を修得。1972年、日本に帰国。日本イスラエル親善協会理事や同事務局長を歴任。1976年から無所属の画家として活動。移住先のイスラエルで死去。
梅澤 忠雄(うめざわ ただお、1943年 - )は、日本の都… 梅澤 忠雄(うめざわ ただお、1943年 - )は、日本の都市計画家。工学博士。元東京大学大学院工学系研究科教授。東京都出身。 大川端リバーシティ21、幕張メッセ・幕張新都心、筑波テクノパークなど、多数の大規模都市開発をプロデュース。
上矢 津(かみや しん、1942年 − )は、日本の画家、版… 上矢 津(かみや しん、1942年 − )は、日本の画家、版画家、現代美術家。 1942年東京都杉並区に生まれる。小学校低学年より油彩をはじめ、中学、高等学校の頃は抽象画を描く。 東京都立工芸高等学校卒業後、東京写真専門学校へ通う。画家・小野木学(叔父)の思想概念に影響を受けた。 国画会展、モダンアート展へ抽象絵画を出品。写真製版による捺染技術を知り、シルクスクリーン技法に興味を示す。 1960年代以後、美術界は写真の時代に入り、ベンヤミンの著書「複製技術時代の芸術」などに翻弄され芸術はアウラを超え「写真」と「版画」の時代に変革していった[独自研究?][要出典]。 そんな中で上矢津も油彩の抽象絵画から離れ、剥製や標本の写真をシルクスクリーンに転写、1970年『シリーズ博物詩』を制作。
山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1941年12月3日 - 2… 山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1941年12月3日 - 2022年9月29日)は、日本の絵本作家、挿絵画家。結婚前の姓は大村。カトリック教徒。 東京府出身。東京都立西高等学校、上智大学外国語学部フランス語科卒。高校三年の頃より童話の挿絵や絵本の仕事を多く手がける。20代前半で結婚、3児の母。 児童文学者の実姉・中川李枝子との共著も多く、『ぐりとぐら』(福音館書店)は海外にも翻訳されている。 1967年『ぐりとぐらのおきゃくさま』で厚生大臣賞受賞。2013年に菊池寛賞を受賞。他受賞多数。 2022年9月29日午後8時32分、シェーグレン症候群の衰弱により、死去。80歳没。
石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年〈昭和16年〉6月2… 石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年〈昭和16年〉6月20日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者、ナレーター、画家、作詞家。石坂ミュージカル・エンタープライズ社長。2015年10月からプロダクション尾木に所属。 本名は武藤 兵吉(むとう へいきち)で、親しい芸能人には「兵ちゃん」と呼ばれる。画家として1974年から1985年まで二科展に連続入選している。プラモデルの愛好家としても知られる。 東京府東京市京橋区木挽町(現:東京都中央区銀座)生まれの大田区田園調布出身。小さき花の幼稚園、大田区立田園調布小学校、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。神奈川県横浜市在住。
難波田 史男(なんばた ふみお、1941年4月27日 - 1… 難波田 史男(なんばた ふみお、1941年4月27日 - 1974年1月29日)は、日本の洋画家。東京都世田谷区経堂出身。絵画作品のほか、没後に出版された日記集(「終着駅は宇宙ステーション」、結果的に唯一の自叙伝になった)もある。
山田 嘉彦(やまだ よしひこ、1940年〈昭和15年〉10月… 山田 嘉彦(やまだ よしひこ、1940年〈昭和15年〉10月3日 - )は、日本の洋画家。東京学芸大学名誉教授、立軌会同人。東京都江戸川区出身。 日本橋芳町より京都市右京区御室へ移転。東京都中野区東中野へ移転。 東京都立武蔵丘高等学校、東京藝術大学美術学部絵画科油絵専攻卒(林武教室)。東京藝術大学大学院修了(牛島憲之教室)。 中学校の美術部で初めて油彩画を描き、高校の美術部に所属し石膏デッサンに夢中になる。東京藝術大学の大学院修了後、同大学に勤務し、その間に牛島憲之に風景画の指導を受ける。 1969年にフランス政府給付留学生として渡仏。マルセーユ芸術建築学校(ビュッス教室)に学ぶ。グループ十騎会(髙島屋東京日本橋店、~2015年)に参加。
和田 恵秀(わだ けいしゅう、1940年7月18日 - )は… 和田 恵秀(わだ けいしゅう、1940年7月18日 - )は、日本の画家、俳優、声優、歌手。本名は和田 一壮(わだ かずお)。東京都出身。日本漫画家協会会員。
西巻 茅子(にしまき かやこ、1939年〈昭和14年〉4月2… 西巻 茅子(にしまき かやこ、1939年〈昭和14年〉4月27日 - )は、日本の絵本作家・画家・イラストレーター。代表作は『わたしのワンピース』『ちいさなきいろいかさ』など。 1939年、東京都に生まれる。洋画家の山口猛彦を父とし、母フミとの間に次女として生まれた。 1945年9月、千葉県山武郡に転居、1946年4月に千葉で小学校に入学したが、6月には東京に戻った。1955年、東京都立駒場高等学校に入学した。 1964年、東京芸術大学美術学部工芸科を卒業し、世田谷区に子どもに絵を教える『子どものアトリエ』を開いた。大学卒業後、銀座の版画工房でリトグラフを学び、アルバイトをしながらリトグラフの作品を作っていた。
東郷 たまみ(とうごう たまみ、1939年4月3日 - 20… 東郷 たまみ(とうごう たまみ、1939年4月3日 - 2016年5月)は、日本の洋画家、歌手。二科会絵画部会員。 1939年に画家・東郷青児の長女として生まれる。立教女学院に在学。 1956年には、画家として二科展に初入選する一方で、歌手としてもデビューを果たし、ソロでジャズを歌い、朝丘雪路、水谷良重とトリオ「七光り三人娘」を組んでステージに立つこともあった。1958年の第9回NHK紅白歌合戦では、水谷良重、沢たまきとのトリオで「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」を歌っており、この時の音声が現存している。 1960年、勉学に専念するため、絵と歌を中断し、単身渡米しカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に留学する。
山田 真巳(やまだ まさみ、1938年2月22日 - )は、… 山田 真巳(やまだ まさみ、1938年2月22日 - )は、日本の日本画家。東京都出身。本名同じ。
廣津 里香(ひろつ りか、本名:廣津 啓子 1938年(昭和… 廣津 里香(ひろつ りか、本名:廣津 啓子 1938年(昭和13年)2月14日 - 1967年(昭和42年)12月12日)は、日本の画家、詩人。 昭和19年上原小学校に入学、20年6月、空襲が激しくなり山形県稲川村に母、弟と共に疎開。稲川小学校2年生。母方の祖父宅が空襲にあい、罹災のため疎開。山形県松峯に移転の際ひきとられる。松峯小学校2年生。20年10月、渋谷区の自宅に戻り上原小学校へ戻る。21年4月横浜市鶴見区にある父の弟宅へ転居。鶴見小学校3年生。同年ほとんど同時期に父方、母方の祖父が相次いで死去。23年の2学期から父方の故郷福岡県久留米市に帰る。鳥飼小学校5年生。24年4月、父が敗戦後流体工学に変わり、東京都世田谷区の武蔵工大教授として、大学内に移住。
鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -202… 鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -2021年5月24日)は、日本の女性画家、浮世絵師、舞台美術家。鳥居派9代目当主。本名は、鳥居せつ子。鳥居派8代目・5代清忠の娘で、鳥居派で初の女性浮世絵師である。東京都町田市在住。日本舞台美術家協会会員、国際浮世絵学会会員、日本演劇協会会員木版画や鳥居派伝統の歌舞伎絵看板だけでなく、歌舞伎の衣裳や舞台美術も手がけ、舞台装置図のような立体図も制作。鈴本演芸場番組表の表紙絵も描いていた。 東京都出身。鳥居派8代目・5代清忠(言人)の娘として生まれる。幼少より家業の手伝いをしていたが、兄・元宏が映画監督の道に進んだため、鳥居派を滅ぼすまいとした父から画法を伝授された。
神田 日勝(かんだ にっしょう、1937年12月8日 – 1… 神田 日勝(かんだ にっしょう、1937年12月8日 – 1970年8月25日)は日本の画家。 東京市板橋区練馬(現東京都練馬区練馬)生まれ。7歳のときに戦火を逃れる為に一家で北海道鹿追町へ疎開し、そのまま定住。農業をするかたわら独学で油絵をはじめ、その後、平原社美術協会展(平原社展)や全道美術協会展(全道展)、独立美術協会展(独立展)で活躍。北海道を代表する画家として評価を得つつも、32歳で死去した。 ベニヤ板にペインティングナイフで描く力強いタッチのリアリズム絵画で知られる。農家でもあったことから、農耕馬や牛などをモチーフにした絵も多い。 同じく画家で北海道教育大学教授であった神田一明は兄。
林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉1… 林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉10月19日 - )は、日本の落語家、漫画家、画家、実業家。所属事務所のトヨタアートの代表取締役社長である。 血液型はA型、出囃子は「宮さん宮さん」、定紋は林家彦六一門の定紋である「中陰光琳蔦」。前名の初代林家木久蔵としても知られる。 1937年10月19日、東京市日本橋区久松町の雑貨問屋に生まれる。比較的裕福な幼少期を過ごしたが、太平洋戦争による使用人の出征、東京大空襲による店の全焼、自身は青森県への疎開など被害に巻き込まれ、家族が離散。小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えた。自分を支える経済、お金の入ってくる道を発見工夫して上昇していくことが大切で、「金はあるに越したことはない」という考えを持つに至る。
雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月… 雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月20日 - )は、日本の歌手、女優、画家。一般社団法人日本歌手協会相談役。本名は朝比奈 知子(あさひな ともこ)。愛称は本名から「トン子」「トンちゃん」。 1937年(昭和12年)3月20日、東京府東京市目黒区大岡山(現在の東京都目黒区大岡山)に商社員の朝比奈愛三とその妻千恵子の長女として生まれる。 父・愛三は事業の傍らハワイアンバンド「カルア・カマアイナス」に参加する熱心な音楽家でもあり、幼少期のいづみは戦時下においてもモダンな音楽に日常的に接して育った。1946年(昭和21年)、いづみが9歳の時、当時通信社に勤務していた父・愛三が自殺。
木葉井 悦子(きばい えつこ、1937年 - 1995年7月… 木葉井 悦子(きばい えつこ、1937年 - 1995年7月)は、日本の絵本作家、画家。 東京都小金井市出身。武蔵野美術大学油絵科中退。 1970年代に2年間アフリカのナイジェリアで過ごし、帰国後の1978年に初めての絵本作品となる『あかいめのしろヘビ』を銀河社より出版。 1995年7月、癌により死去。生涯に17冊の絵本を出版した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小久保 晴行(こくぼ はるゆき、1936年(昭和11年)7月… 小久保 晴行(こくぼ はるゆき、1936年(昭和11年)7月20日 - 2025年10月7日[要出典])は、日本の著作家、洋画家、歌人、評論家、経営学博士。 公益財団法人 えどがわボランティアセンター理事長、一般財団法人 国際江戸川文化福祉財団理事長、社会福祉法人 つばき土の会理事長。株式会社トーヨー会長、株式会社エフ・イー・アイ会長。江戸川区文化会会長、江戸川区美術会会長、江戸川区芸能文化協会会長、江戸川区福祉ボランティア団体協議会会長、江戸川区友好団体連絡会会長、江戸川明るい社会づくりの会会長、江戸川第九を歌う会会長、江戸川区ドッジボール協会会長、八代目橘家円蔵一門を励ます会会長。江戸川区短歌連盟顧問、江戸川区都市計画審議会委員、江戸川区民生委員推薦会委員。
早川 義孝(はやかわ ぎこう、1936年4月15日 - 20… 早川 義孝(はやかわ ぎこう、1936年4月15日 - 2012年7月25日)は、日本の画家。東京都出身。新槐樹社名誉会長。
水谷 穎介(みずたに えいすけ、1935年2月14日 - 1… 水谷 穎介(みずたに えいすけ、1935年2月14日 - 1993年2月4日)は東京都世田谷区出身の建築家、都市計画家。一級建築士、技術士(都市及び地方計画)などの資格の他、工学博士を晩年授与している。 座右の銘は村野藤吾の「時流にのるな、多数になるな、在野精神」。 代表的な都市計画として、六甲アイランド、ポートアイランド、シーサイドももちなどのウォーターフロント開発、八幡浜市総合計画や大谷幸夫との協働による麹町再開発計画(1961年)などがある。 福岡シーサイドももちでは、親友関係である宮脇檀をコーディネーターとして招き、当時では珍しい地元の建築家の参加によるまちづくり、住宅地開発を行っている。
金子之(かねここれ、1934年6月4日 - 2015年9月1… 金子之(かねここれ、1934年6月4日 - 2015年9月15日)は、画家、イラストレーターである。
土肥 博至(どひ ひろし、1934年 - )は、日本の建築家… 土肥 博至(どひ ひろし、1934年 - )は、日本の建築家、都市計画家、アーバンデザイナー、芸術工学者。工学博士。元神戸芸術工科大学学長。専門は環境デザイン、建築デザイン。筑波大学名誉教授。東京都出身。 1934年に東京都で生まれる。東京大学工学部建築学科を経て、同大学院数物系研究科へ進学する。その後、日本住宅公団に就職し、若林時郎,小林篤夫,東京大学高山研の土田旭,大村虔一らと高蔵寺ニュータウン計画、若林、南條道昌らと、筑波研究学園都市の計画、設計、建設を担当した。1971年に東京教育大学助教授となり、筑波大学のキャンパスデザインを行った。1976年に筑波大学芸術学部(後に芸術系)の教授となり都市計画・建築計画、園芸学・造園学、農業土木学・農村計画学などの研究を行う。
石井 茂雄(いしい しげお、1933年10月19日 - 19… 石井 茂雄(いしい しげお、1933年10月19日 - 1962年2月8日)は、日本の画家。東京都文京区出身。オノ・ヨーコは従姉。 1950年に文化学院を卒業。 第28回日本版画協会展(東京都美術館)にて「タレントたちA、B」が協会賞を受賞。会友となった。 主な作品に「暴力シリーズ」、「戒厳状態シリーズ」などがある。 持病の喘息が悪化し、1962年に28歳で夭折した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。