染井 明希子(そめい あきこ、1989年5月17日 - )は… 染井 明希子(そめい あきこ、1989年5月17日 - )は日本の裁判官である。元ウェザーマップ所属の気象予報士、元北海道文化放送 (uhb) アナウンサー、元ホリプロアナウンス室所属フリーアナウンサー。 東京都の出身で、身長は162センチメートル (cm)、血液型はO型である。桜蔭中学校・高等学校、慶應義塾大学法学部を卒業して2012年4月に北海道文化放送へアナウンサーとして入社する。同期に小菅晴香がいる。 2008年3月から2010年12月までモデル事務所「SPLASH」に所属し、日本テレビのバラエティ番組『読モ!』『しか〜も!!』(古巣・uhbと同じ北海道の民放局であるSTVでは未ネット)に出演した。
尾崎 康(おざき やすし、1960年 - )は、日本の裁判官… 尾崎 康(おざき やすし、1960年 - )は、日本の裁判官、弁護士。弟は歌手の尾崎豊、甥は同じく歌手の尾崎裕哉。 尾崎豊の兄としてファンの間では有名ではあったが、弁護士とはいえあくまで一般人である事と、「ファンの方々が抱くイメージを壊すわけにはいかない」という理由から豊に関する取材は全て断っていたためメディアの前に現れる事はほとんどなかった。そんな中、2023年に弁護士会の会長になった事を契機に「豊のことを知りたいという人たちに向けて知り得る範囲で話すのも、自分の役割なのかな」と考えるようになり、取材を受けるようになった。NHKに語った内容によると、豊が持ち出して弾いていた康のギターは「女の子にもてたくて買ったものの特に弾かずにしまいこんでいたもの」で、代表作である15の夜に登場する「盗んだバイク」は康の愛車だったパッソルを豊が無断で乗り回していた(最終的には豊が事故を起こして廃車にしてしまった)ものがモデルとされており、尾崎豊の兄であるともに、その音楽人生に大きな影響を与えた人物である事を康本人も冗談交じりながらも自負している。
白石 史子(しらいし あやこ、1958年8月17日 - )は… 白石 史子(しらいし あやこ、1958年8月17日 - )は、日本の裁判官。 東京都立小山台高等学校を経て、1982年東京大学法学部卒業後、司法修習生36期。
鬼澤 友直(おにざわ ともなお、1958年7月22日 - )… 鬼澤 友直(おにざわ ともなお、1958年7月22日 - )は、日本の裁判官、公証人。東京都出身。福岡高等裁判所部総括判事を経て、 横浜家庭裁判所長を務めた。
村山 浩昭(むらやま ひろあき、1956年12月21日 - … 村山 浩昭(むらやま ひろあき、1956年12月21日 - )は、日本の弁護士、元裁判官。2017年(平成29年)9月30日より大阪高等裁判所部総括判事を務めていた。2021年(令和3年)12月21日に定年退官。 裁判官としては、2014年(平成26年)に静岡地方裁判所の裁判長として、袴田事件で死刑が確定していた袴田巌について、彼の犯行の裏付けとされていた物証は捏造された可能性が高いと指摘し、再審開始と釈放の決定を出したことなどで知られる(後述)。
窪木 稔(くぼき みのる、1954年10月28日 - )は、… 窪木 稔(くぼき みのる、1954年10月28日 - )は、日本の裁判官、弁護士。秋田地方裁判所所長や、仙台家庭裁判所所長を務めた。弁護士法人浅野総合法律事務所所属。 東京都出身。東京都立新宿高等学校を経て、中央大学卒業後、1984年に裁判官に任官し、以降主として民事事件を扱った。2006年東京高等裁判所判事。2009年水戸地方裁判所部総括判事。2012年東京高等裁判所判事。同年さいたま地方裁判所部総括判事。2014年静岡地方裁判所沼津支部長。2016年秋田地方裁判所所長。2018年仙台家庭裁判所所長。2019年定年退官。2025年、瑞宝中綬章受章。 2020年弁護士法人浅野総合法律事務所入所。
深山 卓也 (みやま たくや、1954年9月2日 - ) は… 深山 卓也 (みやま たくや、1954年9月2日 - ) は、日本の元裁判官。勲等は旭日大綬章。元最高裁判所判事。東京都出身。 練馬区立大泉南小学校、練馬区立大泉第二中学校、東京都立富士高等学校を経て、1979年に東京大学法学部卒業。 1980年に司法修習生。1982年に判事補任官。1992年那覇地方裁判所判事。1994年東京地方裁判所判事。1996年法務省に出向し民事局参事官。2001年法務省大臣官房参事官。2002年法務省民事局民事法制管理官。2003年法務省大臣官房審議官心得。2004年法務省大臣官房審議官。2008年法務省大臣官房司法法制部長。2010年東京高等裁判所判事。2011年東京地方裁判所判事部総括。
木口 信之(きぐち のぶゆき、1952年10月20日 - )… 木口 信之(きぐち のぶゆき、1952年10月20日 - )は、日本の裁判官。東京都出身。鹿児島地方・家庭裁判所所長、広島高等裁判所部総括判事(刑事第1部)を経て、名古屋高等裁判所部総括判事(刑事第2部)。東京大学卒業。
宮崎 裕子(みやざき ゆうこ、1951年〈昭和26年〉7月9… 宮崎 裕子(みやざき ゆうこ、1951年〈昭和26年〉7月9日 - )は、弁護士出身の最高裁判所判事(在任:2018年1月9日 - 2021年7月8日)。戸籍上の氏は竹内。 東京学芸大学附属高等学校、東京大学法学部卒業。1977年司法修習生。第一東京弁護士会所属。1984年ハーバード・ロースクール修了。裁判官だった父親の「法廷の中には男女差はない」という言葉で法曹を志した。1979年に弁護士登録、長島・大野法律事務所(現・長島・大野・常松法律事務所)に所属。弁護士時代は企業法務・租税法分野を主に担当した。 2018年1月9日に最高裁判所裁判官に就任。最高裁判事として旧姓の宮崎姓を使うと表明した。
一宮 なほみ(いちみや なほみ、1948年11月22日 - … 一宮 なほみ(いちみや なほみ、1948年11月22日 - )は、日本の裁判官、人事官、弁護士。 人事院総裁(第25・26代)、仙台高等裁判所長官などを歴任。 東京都出身。中央大学法学部を卒業後、裁判官に任官された後、各地の地方裁判所などの判事を経て仙台高等裁判所長官を務めた。 ねじれ国会状態の参議院で上林千恵子法政大学教授の人事官起用の国会同意人事案が民主党、日本維新の会、日本共産党、生活の党など野党の反対で不同意となり、人事官ポストが1つ空席となっていたため、2013年6月に裁判官出身者としては異例となる人事院人事官に任命された。その後、成長戦略として「女性登用」を掲げていた第2次安倍内閣で、2014年4月12日付で女性として初の人事院総裁に就任し、4月14日に内閣総理大臣官邸にて安倍晋三総理から辞令を交付された。
大橋 正春(おおはし まさはる、1947年3月31日 - )… 大橋 正春(おおはし まさはる、1947年3月31日 - )は、日本の最高裁判所判事(2012年2月13日 - )、弁護士。東京都出身。
大谷 剛彦(おおたに たけひこ、1947年(昭和22年)3月… 大谷 剛彦(おおたに たけひこ、1947年(昭和22年)3月10日 - )は、日本の元裁判官。東京都目黒区出身。最高裁判所事務総長、大阪高等裁判所長官、最高裁判所判事を歴任。裁判官としては刑事畑が長く、司法行政の経験も豊富で、最高裁判所事務総長を務めていた頃には裁判員制度の施行に向けた準備に携わった。ジャーナリストの大谷昭宏は実兄。大学ではラグビー部に在籍していた。最高裁判所判事には同じ大谷姓の大谷直人(第19代最高裁判所長官)がいるが、縁戚関係は無い。 東京大学法学部卒業後は1970年(昭和45年)4月に第24期司法修習生、1972年(昭和47年)4月11日に東京地方裁判所判事補任官。 判事補任官以降の経歴は以下の通り。
大和 陽一郎(やまと よういちろう、1946年10月26日 … 大和 陽一郎(やまと よういちろう、1946年10月26日 - )は、日本の元裁判官。東京都出身。函館地方裁判所長兼函館家庭裁判所長、大阪高等裁判所部総括判事(第5民事部)を歴任。東京大学卒業。
千葉 勝美(ちば かつみ、1946年(昭和21年)8月25日… 千葉 勝美(ちば かつみ、1946年(昭和21年)8月25日 - 、男性)は、日本の裁判官、弁護士。西村あさひ法律事務所オブカウンセル、公益財団法人全日本スキー連盟第三者委員会委員長。最高裁判所裁判官を務めた。趣味は野鳥の撮影。 1970年(昭和45年)3月に東京大学法学部を卒業して、同年4月に司法研修所に入所。1972年(昭和47年)3月に司法研修所を修了(24期)し、同年4月に判事補任官。東京地方裁判所に配属され、裁判官となる。 1982年(昭和57年)4月に判事に任命。最高裁判所秘書課長兼広報課長、最高裁判所民事局長兼行政局長、甲府地方・家庭裁判所長、最高裁判所首席調査官を経て、2008年(平成20年)11月に仙台高等裁判所長官。
佐藤 久夫(さとう ひさお、1945年〈昭和20年〉6月2日… 佐藤 久夫(さとう ひさお、1945年〈昭和20年〉6月2日 - 2009年〈平成21年〉2月20日)は日本の裁判官。主に民事裁判を担当し、知的財産高等裁判所部総括判事、横浜地方裁判所長、札幌高等裁判所長官を歴任した。位階は正三位。 中央大学法学部を卒業後、1969年(昭和44年)に第23期司法修習生。1971年(昭和46年)4月6日に札幌地方裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
細川 清(ほそかわ きよし、1944年8月6日 - 2012… 細川 清(ほそかわ きよし、1944年8月6日 - 2012年9月6日)は、日本の元裁判官。公正取引委員会委員。東京都出身。東京都立新宿高等学校を経て東京大学卒業。法務省勤務が長く、法務省訟務局長・民事局長を歴任、名古屋高等裁判所長官を最後に定年退官。
近藤 崇晴(こんどう たかはる、1944年3月24日 - 2… 近藤 崇晴(こんどう たかはる、1944年3月24日 - 2010年11月21日)は、日本の元裁判官。最高裁判所判事を務めた。 東京都出身。東京学芸大学附属高等学校を経て、東京大学法学部卒業後、1967年(昭和42年)4月に第21期司法修習生。1969年(昭和44年)4月に前橋地方裁判所判事補任官。甲府地方裁判所・甲府家庭裁判所長、東京高等裁判所部総括判事、最高裁判所首席調査官、仙台高等裁判所長官等を経て最高裁判所判事に就任した。 間質性肺炎で闘病中、肺がんを併発。最高裁判事としての執務を継続したが、2010年11月8日、間質性肺炎で倒れ、同月21日、間質性肺炎のため東京都目黒区内の病院で死去。
森脇 勝(もりわき まさる、1942年7月23日 - )は、… 森脇 勝(もりわき まさる、1942年7月23日 - )は、日本の元裁判官。名古屋地方裁判所所長などを歴任。2007年3月付けで退官。
島田 仁郎(しまだ にろう、1938年〈昭和13年〉11月2… 島田 仁郎(しまだ にろう、1938年〈昭和13年〉11月22日 - )は、日本の裁判官。第16代最高裁判所長官を務めた。東京大学名誉教授・英文学者の島田太郎は兄、明治大学教授・物理学者の島田徳三は弟に当たる。 名古屋地裁判事在任中に高田事件では裁判の左陪席判事を担当し、異例の裁判の打ち切りを決めた判決の起草を担当した。東京地裁判事在任中にはロス疑惑の三浦和義の刑事裁判を初公判から数十回の審理を担当した。 2006年10月の最高裁長官就任にあたっては、裁判員制度のスタートを3年後の2009年に控えていたことから刑事裁判に詳しい島田が適任と判断された。 長官就任直後の新人判事補へ辞令を交付した場での挨拶として「裁判官は人に批判されることが少なく、裸の王様になりやすい。
尾崎 行信(おざき ゆきのぶ、1929年4月19日 - 20… 尾崎 行信(おざき ゆきのぶ、1929年4月19日 - 2014年3月9日)は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所裁判官を務めた。位階は正三位。 明治から戦後まで衆院議員を務め「憲政の神様」と呼ばれた政治家・尾崎行雄の孫である。戦時中に祖父が起訴された尾崎不敬事件で、一審は有罪だったが大審院では逆転無罪となった時に「戦争中のひどい時代に立派な判決を出す人がいる」と感銘を受けたという。 三重県出身。尾崎行雄と繁の二男・彦麿の長男として生まれる。旧制宇治山田中学校(49期)、旧制成蹊高等学校(23回生)を経て、1953年に東京大学法学部卒業。 嘱託尋問調書の証拠能力を否定したロッキード事件「丸紅ルート」の大法廷判決、靖国神社などへの玉串料の公費支出を違憲とした愛媛県靖国神社玉串料訴訟の大法廷判決に関わったほか、裁判長として「がん告知義務訴訟」などの判決に携わった。
三好 達(みよし とおる、1927年(昭和2年)10月31日… 三好 達(みよし とおる、1927年(昭和2年)10月31日 - 2023年(令和5年)3月6日)は、日本の裁判官、政治活動家。海軍兵学校75期。位階は従二位。最高裁判所長官、法曹会会長、日本会議会長、皇室の伝統を守る国民の会会長、美しい日本の憲法をつくる国民の会共同代表などを歴任した。 東京府生まれ。日本中学校卒業。海軍兵学校(第75期)に進む。海兵在校中に終戦。海兵ではリベラルとして知られた井上成美校長の薫陶を受けた最後の卒業生の一人となった。旧制東京高等学校卒業。昭和28年(1953年)、東京大学法学部卒業。 1952年、24歳で司法試験合格。司法修習7期。1955年、裁判官任官。東京地方裁判所を振り出しに各地の裁判所等で勤務。
倉田 卓次(くらた たくじ、1922年1月20日 - 201… 倉田 卓次(くらた たくじ、1922年1月20日 - 2011年1月30日)は、日本の裁判官、公証人、弁護士。 法学博士(大阪大学、1974年、学位論文「民事交通訴訟の研究」)。 昭和40年代から50年代前半にかけて、東京地方裁判所に創設された交通事故事件専門部の部総括代理と民事13部部総括を歴任し、いわゆる「倉田コート」を率いた。 法律書に加え、裁判官生活をめぐるエッセーや幅広い分野の読書をもとにしたエッセーの著者としても知られる。ハードSF研究所客員。その博識ぶりについて、ある裁判官は「彼は文学歴史から異常性愛の世界に至るまで、これ知らないというものはない、一番知らないのは法律だが、それでも俺たちよりは知っている」と評した。
三淵 嘉子(みぶち よしこ、1914年〈大正3年〉11月13… 三淵 嘉子(みぶち よしこ、1914年〈大正3年〉11月13日 - 1984年〈昭和59年〉5月28日)は、日本初の女性弁護士の1人であり、初の女性判事および家庭裁判所長。旧姓:和田()、旧々姓:武藤()。従三位。 台湾銀行勤務の武藤貞雄とノブの長女として、シンガポールにて生まれる。シンガポールの漢字表記のひとつである「新嘉坡」から「嘉子」と名付けられた。 東京府青山師範学校附属小学校(現在の東京学芸大学附属世田谷小学校)を経て東京女子高等師範学校附属高等女学校(現在のお茶の水女子大学附属高等学校)を卒業した際に、進歩的な考えを持つ父に影響を受け法律を学ぶことを決意し、当時女子に唯一法学の門戸を開いていた明治大学専門部女子部法科に入学した。
石渡 満子(いしわた みつこ、1905年(明治38年)1月1… 石渡 満子(いしわた みつこ、1905年(明治38年)1月13日 - 1974年(昭和49年)8月27日)は、日本の裁判官、弁護士。女性として日本で最初に裁判官となった。 神奈川県(京都府との説もある)にて、旧名主であり官吏の家の4人姉妹の長女として出生。1922年東京女子高等師範学校附属高等女学校本科卒業、1926年東京女子高等師範学校卒業。卒業と同時に結婚する。8年後に離婚し、法曹を志し、明治大学に進学し、1944年に卒業。1945年司法試験に合格。1948年婦人法律普及会を結成。 1949年女性初の判事補として東京地方裁判所に赴任。1950年婦人人権擁護同盟を組織。1961年判事となり、関東各地の地方裁判所に赴任。
岩田 誠(いわた まこと、1902年11月26日 - 198… 岩田 誠(いわた まこと、1902年11月26日 - 1985年2月9日)は最高裁判所判事。東京都出身。
入江 俊郎(いりえ としお、1901年(明治34年)1月10… 入江 俊郎(いりえ としお、1901年(明治34年)1月10日 - 1972年(昭和47年)7月18日)は、日本の官僚、政治家、裁判官。法制局長官、貴族院議員、衆議院法制局長、最高裁判所判事。東京府出身。 府立三中、第一高等学校、東京帝国大学卒業。1924年に内務省に入り、1927年、法制局参事官となる。 戦後の1945年9月には法制局第一部長、同年11月には法制局次長、1946年3月には法制局長官となり、日本国憲法の立案責任者になった。1946年5月18日、昭和天皇により貴族院議員に勅選され、同和会に所属し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。 日本国憲法により帝国議会及び貴族院は廃止され、国立国会図書館専門調査員であったところ、芦田内閣期の1948年7月に衆議院の法制局長に任命された。
山田 作之助(やまだ さくのすけ、1896年(明治29年)4… 山田 作之助(やまだ さくのすけ、1896年(明治29年)4月22日 - 1995年(平成7年)5月20日)は、日本の会社役員、弁護士、裁判官。昭和セメント、肥後製糸各監査役。神戸弁護士会長[3]。最高裁判事[3]。衆議院議員山田喜之助の三男。
本間 喜一(ほんま きいち、1891年(明治24年)7月15… 本間 喜一(ほんま きいち、1891年(明治24年)7月15日 - 1987年(昭和62年)5月9日)は、日本の商法学者、教育者、検察官、裁判官、弁護士、司法官僚。愛知大学名誉学長、東亜同文書院大学学長、一橋大学名誉教授。初代最高裁判所事務総長。正四位勲二等旭日重光章、勲二等瑞宝章。妻は磯辺弥一郎の娘。 東京帝国大学法科大学法律学科卒業。判事検事登用試験二次試験首席合格。検事、判事を経て東京商科大学教授となるが白票事件によって辞職し、弁護士に転じた。1940年、中華民国・上海の東亜同文書院大学教授となる。1943年辞職し帰国するが1944年、東亜同文書院大学に復帰して学長となり、同地で終戦を迎えた。
伊藤 清(いとう きよし、1890年(明治23年)12月7日… 伊藤 清(いとう きよし、1890年(明治23年)12月7日 - 1981年(昭和56年)6月12日)は、大正から昭和期の弁護士、裁判官、政治家。衆議院議員。 千葉県匝瑳郡福岡町(八日市場町、八日市場市を経て現匝瑳市)で、伊藤啓三郎の二男として生まれる。錦城中学校(現錦城学園高等学校)、第三高等学校を経て、1918年(大正7年)東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業した。 1918年8月、司法官試補に任官し、東京地方裁判所予備判事、長崎地方裁判所判事を歴任し、1921年(大正10年)7月に退官した。留学してロンドン大学、ベルリン大学で学び、在学中に司法省から英独の労働法研究の委嘱を受けた。1925年(大正14年)に帰国し弁護士を開業した。
李 仁(イ・イン、朝鮮語: 이인、1886年または1890年… 李 仁(イ・イン、朝鮮語: 이인、1886年または1890年9月20日または1896年10月26日 - 1979年4月5日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、弁護士、検察官、裁判官、政治家。米軍政庁大法院長代理、第4代米軍政庁検事局検事総長、過渡政府大検察庁検察総長、初代法務部長官、制憲・第3・5代韓国国会議員(第5代は参議員)を歴任した。 本貫は慶州李氏、号は愛山。李益斎の子孫で、性理学者の李寛俊は祖父、自彊会と大韓協会の中心人物だった李宗栄は父、独立運動家の李始栄(朝鮮語版)は叔父。元国会議員の李泰九(朝鮮語版)は娘婿。 慶尚道大邱都護府(現・韓国大邱広域市)出身だが、先祖代々は慶州に在住。
和仁 貞吉(わに ていきち、明治3年5月12日(1870年6… 和仁 貞吉(わに ていきち、明治3年5月12日(1870年6月10日) - 昭和12年(1937年)12月3日)は、日本の判事(大審院長)、検事。 東京府出身。父の元利は宇都宮藩の藩医だった。1894年(明治27年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、司法官試補となる。1896年(明治29年)、浦和地方裁判所判事となり、東京区裁判所判事、東京地方裁判所部長、東京控訴院判事、東京控訴院部長、大審院判事、京都地方裁判所所長、大阪地方裁判所所長を歴任。その間の1920年(大正9年)4月には法学博士号を取得している。同年7月より検事となり、長崎控訴院検事長、大阪控訴院検事長、東京控訴院検事長を歴任した。