小善 真司(しょうぜん しんじ、1967年〈昭和42年〉7月… 小善 真司(しょうぜん しんじ、1967年〈昭和42年〉7月1日 - )は、日本の建設・国土交通官僚。 国土交通省大臣官房審議官(総合政策局担当)、茨城県副知事、首都圏新都市鉄道取締役、茨城県開発公社代表理事、いばらき中小企業グローバル推進機構理事長などを歴任。 富山県滑川市出身。富山県立富山中部高等学校を経て、1991年(平成3年)、東京大学法学部を卒業。同年4月、建設省に入省。入省後、住宅局住宅企画官、国土交通省総合政策局参事官、同局社会資本整備政策課長、道路局総務課長などを歴任。 2020年(令和2年)6月12日、茨城県の大井川和彦知事が宇野善昌副知事の後任に小善を選任する人事案を茨城県議会に提出し、同年7月1日、茨城県副知事に就任。
武隈 義一(たけくま よしかず、1967年(昭和42年)5月… 武隈 義一(たけくま よしかず、1967年(昭和42年)5月8日 - )は、日本の政治家、厚生労働官僚。富山県黒部市長(1期)。 富山県黒部市生地吉田(芦崎)出身。実家は酒屋と鉄工所を営んでいた。黒部市立生地小学校、黒部市立高志野中学校、富山県立富山中部高等学校、一橋大学商学部卒業後、1992年に旧労働省(現・厚生労働省)に入省。群馬労働局総務部長などを経て、2005年から外務省在中華人民共和国日本国大使館に出向し、経済部一等書記官などを務める。 2008年に帰国後、北海道労働局総務部長等を経て、2011年からは内閣府防災担当の災害対策法制企画室企画官に出向し、災害対策基本法の改正などに携わった。
氷見野 良三(ひみの りょうぞう、1960年〈昭和35年〉4… 氷見野 良三(ひみの りょうぞう、1960年〈昭和35年〉4月25日 - )は、日本の大蔵・金融官僚、日本銀行副総裁。金融国際審議官、金融庁長官を務めた。 1960年4月25日 富山県富山市出身。富山県立富山高等学校に入学した頃は数学者志望であったが、高1の時に担任から、政治思想史家の文章を伺ったことで興味を持ち、政治思想史の研究者になりたいと考え始めた。富山高等学校卒業。1983年に東京大学法学部第3類(政治コース)を卒業。高校時代の模試では常に三本指に入るほどの秀才だった。大学でも英才ぶりを発揮し、指導教官から「助手として大学に残って論文を書かないか」と、研究者(政治学)への道に誘われていたが、官僚の道を選び、国家公務員上級甲種試験(法律)を受け、1983年に大蔵省に入省。
佐々木 良(ささき りょう、1960年〈昭和35年〉 - )… 佐々木 良(ささき りょう、1960年〈昭和35年〉 - )は、日本の国土交通官僚。国土交通省九州運輸局長、大臣官房サイバーセキュリティ・情報化審議官、国土交通政策研究所長を務めた。 富山県富山市出身。富山県立富山中部高等学校を経て、1984年一橋大学法学部卒業、運輸省入省。2002年国土交通省大臣官房会計課企画官。国土交通省航空局飛行場部管理課空港管理室長や、国土交通省鉄道局幹線鉄道課長を経て、2010年国土交通省大臣官房参事官(税制担当)。 2011年国土交通省航空局総務課長。2012年国土交通省総合政策局総務課長。2013年経済産業省大臣官房審議官(商務流通担当・国際博覧会担当)。2015年国土交通省大臣官房審議官(総合政策局、鉄道局、海事局、港湾局、危機管理担当)。
真部 朗(まなべ ろう、1957年10月 ? )は、日本の防… 真部 朗(まなべ ろう、1957年10月 ? )は、日本の防衛官僚。 富山県出身。富山県立富山中部高等学校を経て、東京大学法学部卒業。 沖縄防衛局長のとき、2012年2月の沖縄県宜野湾市長選を前にした「講話」で市長選の投票を呼びかけたことが問題にされ、2012年2月3日には、衆院予算委員会に参考人招致され追及を受けたが、「違法性はない」という主張を通した。防衛省では、2012年4月26日に訓戒の処分を受けたが、処分が軽すぎるとの批判が巻き起こった。また、沖縄県の弁護士らから告発されたが、那覇地検は2012年8月30日、「特定の候補予定者名を挙げておらず、政治目的にあたらない」と不起訴処分(嫌疑不十分)にした。
筒井 和人(つつい かずと、1957年9月 – )は、日本の… 筒井 和人(つつい かずと、1957年9月 – )は、日本の防衛官僚。 富山県出身。富山県立富山中部高等学校を経て、東京大学経済学部卒業。在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官。
齋藤 敏夫(さいとう としお、1957年1月 - )は、日本… 齋藤 敏夫(さいとう としお、1957年1月 - )は、日本の防衛官僚。 東京都出身。富山県立富山中部高等学校を経て、東京大学教養学部卒業。
二川一男(ふたがわ かずお、1956年12月2日 - )は日… 二川一男(ふたがわ かずお、1956年12月2日 - )は日本の厚生・厚生労働官僚。 富山県滑川市出身。東京都立両国高等学校を経て、1980年、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業後、厚生省へ入省。2001年、内閣府政策統括官(経済社会システム担当)付参事官(社会システム担当)。2003年、厚生労働省大臣官房参事官(総務担当)。2004年、厚生労働省医政局経済課長。2006年、厚生労働省医政局総務課長。2008年、厚生労働省大臣官房審議官(年金担当、年金管理組織再編準備担当)。2010年、厚生労働省大臣官房総括審議官。2012年、厚生労働省大臣官房長。2014年、厚生労働省医政局長。2015年厚生労働事務次官。
針原 寿朗(はりはら ひさお、1956年8月5日 - )は、… 針原 寿朗(はりはら ひさお、1956年8月5日 - )は、日本の農林官僚。元農林水産審議官、住友商事顧問、おかやま米粉麺普及推進ネットワーク顧問、(一社)国力倍増塾理事、(一社)本場の本物ブランド推進機構顧問、一般財団法人日本GAP協会 評議委員。 富山県出身、農林水産省の富山県人会長を務める。富山県立富山中部高等学校、東京大学法学部を卒業。
布村 幸彦(ぬのむら ゆきひこ、1955年2月15日 - )… 布村 幸彦(ぬのむら ゆきひこ、1955年2月15日 - )は、日本の文部科学官僚。公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会において副事務総長を務めた。 富山県富山市出身。富山県立富山高等学校を経て、1978年に東京大学法学部を卒業し、文部省に入省。同期に合田隆史、藤木完治(入庁は科学技術庁)、1年後輩に前川喜平がいる。文部科学省大臣官房審議官(初等中等教育局担当)、スポーツ・青少年局長、初等中等教育局長、高等教育局長を歴任。東京オリンピック・パラリンピックの招致活動にも尽力した。2014年、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副事務総長に就任。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 事務総長の武藤敏郎をサポートした。
清田 康之(きよた やすゆき、1955年 - 1997年7月… 清田 康之(きよた やすゆき、1955年 - 1997年7月23日)は、日本の自治・国土官僚。高知県総務部長、国土庁地方振興局総務課過疎対策室長などを務めた。 北海道出身。富山県立高岡高等学校から東京大学に入学。東大時代はボート部に所属。東大法学部第2類(公法コース)を卒業し、1978年 自治省に入省。 長崎県商工労働部観光課長時代にはハウステンボス誘致などを手がける。国土庁防災局企画課長補佐。1993年4月から高知県保健環境部長となり、その後は高知県総務部長。県の闇融資事件を苦労してキャッチしたが、それが県職員出身の山本卓副知事(後に背任で逮捕)らからの強い反発を招いた。 1997年4月から国土庁地方振興局総務課過疎対策室長。
高橋 はるみ(たかはし はるみ、1954年〈昭和29年〉1月… 高橋 はるみ(たかはし はるみ、1954年〈昭和29年〉1月6日 - )は、日本の政治家、通商・経産官僚。自由民主党の参議院議員(2期)、財務大臣政務官。 文部科学大臣政務官兼復興大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、北海道知事(公選第15-18代)、自由民主党政務調査会環境部会長、同女性局長、同副幹事長、全国知事会副会長などを歴任。 富山県富山市出身。祖父は富山県知事を2期8年務めた高辻武邦。父は日本海ガス社長・インテック創業者の新田嗣治朗。弟は富山県知事で日本海ガス元社長・日本青年会議所元会頭の新田八朗。夫は札幌市出身で元米州開発銀行理事の高橋毅。 富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山中部高等学校を経て、1976年、一橋大学経済学部卒業。
細川 興一(ほそかわ こういち、1947年6月17日 - )… 細川 興一(ほそかわ こういち、1947年6月17日 - )は、日本の大蔵官僚。富山県富山市出身(父も富山県、母は石川県)。血液型はB型。元日本政策金融公庫代表取締役総裁。 細川は地方行政に興味があったことから、当初は大蔵省(後の財務省)より自治省(後の総務省)が第1志望であった。大蔵省か自治省かで迷ったが、小粥正巳大臣官房秘書課長補佐の「君がこれから自治省に断りに行くことが、大蔵省での最初の仕事だよ」という一言で大蔵省入省を決意した。 地方行政に興味があったことから、国家公務員上級試験(甲種)を行政職で受験していた。しかし、大蔵省を志望する者は、法律職か経済職が大多数だった。細川曰く「『大蔵省では行政職は採らない』と言われた。
宮島 彰(みやじま あきら、1947年 - )は、日本の官僚… 宮島 彰(みやじま あきら、1947年 - )は、日本の官僚。富山県出身。元厚生労働省医薬局長。医薬品、医療機器の審査等を行う独立行政法人医薬品医療機器総合機構前理事長。
坂東 眞理子(ばんどう まりこ、1946年8月17日 - )… 坂東 眞理子(ばんどう まりこ、1946年8月17日 - )は、日本の婦人問題評論家、元官僚。 第5代学校法人昭和女子大学総長。朝日生命保険相互会社役員。社団法人農山漁村女性・生活活動支援協会会長。 富山県出身。富山県立富山中部高等学校を経て、東京大学文学部心理学科卒業後、1969年総理府に入省。1975年総理府婦人問題担当室(男女共同参画室の前身)に入室、当時最年少の担当官だった。1978年に日本初の「婦人白書」の執筆を担当した。1980年よりハーバード大学へ留学。帰国後、統計局消費統計課長、埼玉県副知事、在豪州ブリスベン総領事(女性初の総領事)、総理府男女共同参画室長などを歴任。2001年には内閣府男女共同参画局の初代局長を経て2003年に退官。
石井 隆一(いしい たかかず、1945年12月15日 - )… 石井 隆一(いしい たかかず、1945年12月15日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。勲等は旭日大綬章。 富山県知事(公選第17-20代)、消防庁長官(第26代)を務めた。妻は数学者で東京大学名誉教授の石井志保子。 富山県富山市西町生まれ。富山県立富山中部高等学校、東京大学法学部卒業。1969年、自治省(現総務省)に入省した。静岡県総務部長や財政局財政課長、税務局長、自治税務局長等を経て、2002年に消防庁長官に就任した。また2003年から3年間、早稲田大学大学院公共経営研究科において客員教授を務めた。2004年1月に退官し、市町村職員中央研修所学長に就任し、同年の8月に退職した。 2004年11月、富山県知事を6期務めた中沖豊の退任を受け、知事選挙に無所属で出馬して初当選。
小川 忠男(おがわ ただお、1945年3月19日 - )は… 小川 忠男(おがわ ただお、1945年3月19日 - )は、日本の官僚。都市再生機構理事長を務めた。 富山県滑川市出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1967年に東京大学法学部を卒業し、同年に建設省に入省。1999年7月に大臣官房長、2001年1月に国土交通審議官を経て、2008年7月に都市再生機構理事長に就任。2012年7月に退任。
宮林 正恭(みやばやし まさやす、1943年1月24日 - … 宮林 正恭(みやばやし まさやす、1943年1月24日 - )は、日本の官僚。リスク危機管理学者。松蔭大学観光メディア文化学部教授。元千葉科学大学副学長。博士(工学)。富山県高岡市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
広野 允士(廣野 允士、ひろの ただし、1943年1月1日 … 広野 允士(廣野 允士、ひろの ただし、1943年1月1日 - )は、日本の通産官僚、政治家。 衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、民主党筆頭副幹事長、同参議院幹事長代理、同広報委員長、同富山県総支部連合会代表、国民の生活が第一副代表兼参議院議員会長、日本未来の党幹事(広報担当)、生活の党副代表・両院議員総会長・幹事会議長・富山県総支部連合会代表などを歴任。 選挙など政治活動の際には、姓を新字体、名を平仮名で表記した「広野ただし」名義を用いることが多いが、本名は漢字表記の「廣野允士」である。 富山県富山市出身。富山県立富山中部高等学校、東京大学工学部卒業後に通商産業省に技官で入省。
二橋 正弘(ふたはし まさひろ、1941年12月27日 - … 二橋 正弘(ふたはし まさひろ、1941年12月27日 - )は、日本の官僚。元内閣官房副長官(事務担当)、元自治事務次官。 富山県出身。高岡高校を経て、東京大学法学部卒業後の1964年 自治省に入省。静岡県副知事、自治省財政局長などを経て、1999年自治省最後の事務次官に就任。2003年9月から第1次小泉内閣第2次改造内閣以降の小泉内閣で内閣官房副長官(事務担当)を務めた。2006年9月の安倍内閣発足、的場順三の起用に伴い退任するが、2007年9月発足した福田康夫内閣で再起用される。経験者の再起用は異例。 2008年9月発足の麻生内閣発足に伴い退任、財団法人自治総合センター理事長に復帰した。
石出 宗秀(いしで むねひで、1941年3月12日 - )は… 石出 宗秀(いしで むねひで、1941年3月12日 - )は、日本の官僚。元総理府次長。富山県氷見市出身。千葉県流山市西初石在住。瑞宝重光章受章。 氷見市立西部中学校・富山県立氷見高等学校・富山大学経済学部経済学科卒業。1963年 運輸省に入省。海上保安庁経理補給部補佐官、第五管区海上保安本部経理補給部長、関東海運局運航部長、運輸審議会審理官、大臣官房観光部業務課長、海上保安庁経理課長、総理府内閣総理大臣官房参事官、公害等調整委員会事務局長などを経て、1992年7月に日本学術会議事務局長。1993年6月に賞勲局長。1996年7月5日より総理府次長(~1998年1月9日まで)。退官後は神奈川中央交通監査役・JR東日本フードビジネス監査役等を務めた。
永田 良雄(ながた よしお、1931年5月5日 - 1998… 永田 良雄(ながた よしお、1931年5月5日 - 1998年8月22日)は日本の政治家、官僚。参議院議員(3期)。自由民主党小渕派に所属した。 富山県新湊市生まれ。富山県立射水中学校、富山高等学校を経て、東京大学法学部入学。在学中に司法試験合格。 1954年、大学卒業後、建設省入省。熊本県に3年、日本道路公団に4年、茨城県に5年勤務。1982年、建設省計画局長に就任。その後、国土庁に移り、土地局長、官房長を務める。1985年、国土事務次官に就任。 1986年、国土庁を退官。同年7月6日の第14回参議院議員通常選挙富山県選挙区に同年6月28日に死去した沖外夫の後継候補として立候補し、初当選。1992年の第16回参議院議員通常選挙再選。
久世 公堯(くぜ きみたか、1928年8月15日 - )は、… 久世 公堯(くぜ きみたか、1928年8月15日 - )は、日本の自治官僚、政治家。
住 栄作(住 榮作、すみ えいさく、1920年5月20日 -… 住 栄作(住 榮作、すみ えいさく、1920年5月20日 - 1986年12月20日)は、日本の内務官僚、海軍軍人(海軍主計大尉)、政治家(衆議院議員)。 法務大臣・建設政務次官・労働省職業安定局長などの要職を歴任し、富山職業訓練短期大学校・富山医科薬科大学の開設を推進した。自由民主党所属。住博司は実子。富山県魚津市出身。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章。 富山県の農家に生まれた。9人兄弟であったという。旧制魚津中学校から旧制富山高校に進学。魚津中在学中は陸上競技部に所属し5000mで活躍し、富山高校在学中は剣道部で活躍した。1940年、東京帝国大学法学部に入学。在学中に高等文官試験合格。1943年卒業。
若狭 得治(わかさ とくじ、1914年〈大正3年〉11月19… 若狭 得治(わかさ とくじ、1914年〈大正3年〉11月19日 - 2005年〈平成17年〉12月27日)は、日本の運輸官僚、実業家。運輸事務次官、全日本空輸社長・会長・名誉会長を歴任した。親族に若狭和朋(甥)がいる。 富山県出身。富山県立砺波中学校、旧制富山高校を経て、東京帝国大学に入学した。 1937年(昭和12年)9月、東京帝大法学部政治学科在学中に高等試験行政科に3500人中の32番目で合格した。官庁訪問に際し、若狭は同郷で内務省地方局に所属していた片岡清一に尋ねていた。片岡は若狭に対し、「内務省は、警保局(警察行政全般を指揮していた警察庁の前身)の連中が日ごとに軍人気取りで威張り出してきた。
小林 與三次(こばやし よそじ、新字体:小林 与三次、191… 小林 與三次(こばやし よそじ、新字体:小林 与三次、1913年〈大正2年〉7月23日 - 1999年〈平成11年〉12月30日)は、日本の内務・自治官僚、実業家。自治省の設立に尽力したのちに下野。読売グループの要職を歴任した。正力松太郎は岳父。 正力家の土建資材を運ぶイカダ舟の船頭・小林助次郎の三男として、富山県大門町(現・射水市)に生まれる。 高岡中学校、第四高等学校を経て、1935年に東京帝国大学法学部独法科を卒業、東大在学中に、高等文官試験の司法科と行政科の両方に合格し、内務省に入省。後藤田正晴によれば、入省時の成績は抜群であったという。入省同期に参議院議員の原文兵衛、陸上幕僚長の山田正雄らがいる。
米沢 滋(よねざわ しげる、1911年 <明治44年> 2月… 米沢 滋(よねざわ しげる、1911年 <明治44年> 2月1日 - 1999年 <平成11年> 5月2日)は、日本の逓信官僚、工学者。日本電信電話公社総裁、経済団体連合会理事、電気通信協会長などを歴任。位階は正三位。 米沢与三七の子として生誕。富山県下新川郡入善町出身。1933年、東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、逓信省に入省。電気通信省業務局計画部長、日本電信電話公社保全局長、電気通信研究所長、総務理事などを歴任。1965年から1977年にかけて日本電信電話公社の総裁を務める。 超短波電波による無線多重電話方式を提唱し、1940年に世界に先駆けて実用化。また、通信設備の保全を合理化するため、初めて統計的品質管理方式を導入。
奥田 豊三(おくだ とよぞう、1908年(明治41年)1月2… 奥田 豊三(おくだ とよぞう、1908年(明治41年)1月20日 - 1983年(昭和58年)10月7日)は、参謀本部陸地測量部の測量官を務めた陸軍技師、内務官僚。第2代国土地理院長を務めた。 富山県富山市出身。第四高等学校理科甲類から1933年(昭和8年)3月31日東京帝国大学理学部天文学科学士試験合格後、東京天文台を経て、1942年(昭和17年)11月10日陸軍技師(高等官六等)に任官し陸地測量部付となる。 終戦を受け陸地測量部解体後、地理調査所を経て、1952年(昭和27年)理学博士(東京大学)、1961年(昭和36年)4月1日国土地理院長に就任。1962年(昭和37年)10月1日に国土地理院長を退官後は緯度観測所長、日本天文学会理事長、日本地図調製業協会会長を務めた。
八嶋 三郎(やじま さぶろう、1906年1月3日 - 196… 八嶋 三郎(やじま さぶろう、1906年1月3日 - 1968年6月3日)は、日本の都市計画家、行政官僚。 内務省や厚生省、建設省で官僚として活動し、全国区画整理協会連合会会長、歴史的風土審議会委員、帝都高速度交通営団管理委員会委員、財団法人都市計画協会理事を歴任した。 富山県新湊町(現・射水市)に生まれる。旧制高岡中学校(現・富山県立高岡高等学校)から旧制第四高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科に入学する。在学中高等文官試験に合格し、1930年に卒業後、内務省に勤める。福島県や岩手県、愛知県、兵庫県を転任し、1942年鹿児島県官房長となる。1943年に福島県経済部長に移る。ここまでは警察や経済部といった部署を歩んだ。
大坪 喜久太郎(おおつぼ きくたろう、1898年(明治31年… 大坪 喜久太郎(おおつぼ きくたろう、1898年(明治31年)3月1日 - 1967年(昭和42年)11月23日)は、日本の工学者、官僚。工学博士。室蘭工業大学元学長。北海道大学・室蘭工業大学名誉教授。専門は、水理工学・河川工学。富山県黒部市出身。河川水理学の権威で北海道開発における技術的指導者であった。 1922年(大正11年)九州帝國大學工学部土木工学科を卒業し、東洋アルミナムや、日本電力に勤務。1925年(大正14年)5月に北海道帝國大學工学部講師。1925年7月に同助教授。1942年(昭和17年)に論題「段落個所に於ける流体運動」で北海道帝国大学より工学博士号受く。1942年北海道帝國大學工学部教授(水理工学・河川工学講座を担当)。
高辻 武邦(たかつじ たけくに、1896年(明治29年)10… 高辻 武邦(たかつじ たけくに、1896年(明治29年)10月1日 - 1963年(昭和38年)3月21日)は、日本の内務官僚、政治家。第2代富山県知事(1948年11月23日 - 1956年9月30日、2期)。孫に第6代北海道知事を経て参議院議員となった高橋はるみ、元日本海ガス・日本海ガス絆ホールディングス社長で、富山県知事の新田八朗がいる。 富山県出身。高岡市・高辻喜作の二男。旧制富山県立高岡中学校、旧制第二高等学校卒業。1922年、文官高等試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省。山口県属。引揚援護院次長を経て、官選最後の大阪府知事(第35代・1947年3月11日 - 1947年4月12日)。
館 哲二 (たち てつじ、1889年8月18日 - 1968… 館 哲二 (たち てつじ、1889年8月18日 - 1968年9月27日)は、日本の内務官僚・政治家。参議院議員(3期)、府県知事。旧姓・木津。 富山県高岡市出身。木津太郎平の二男として生まれ、後に館萩江の入夫となり改姓。富山県立高岡中学校、第一高等学校を経て、1914年(大正3年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、内務省に入り岐阜県属として内務部学務兵事課に配属された。1917年(大正6年)10月、文官高等試験に合格した。 1918年(大正7年)4月、岐阜県警部となる。以後、同県警視・警務課長兼工場課長、同県内務部産業課長、神奈川県外事課長、茨城県知事官房文書課長兼内務部社会課長、内閣書記官、内閣官房記録課長、同総務課長などを歴任。
三辺 長治(みなべ ちょうじ、1886年(明治19年)12月… 三辺 長治(みなべ ちょうじ、1886年(明治19年)12月23日 - 1958年(昭和33年)4月27日)は、日本の内務官僚。官選府県知事、東京市助役。 富山県上新川郡飯野村(のち広田村飯野、現在・富山市)出身。三辺長三郎の三男として生まれる。富山中学、第四高等学校を経て、1911年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、内務省に入り埼玉県属となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格し、内務属となり警保局に配属。その後、大正3年(1914年)に愛媛県視学官、大正5年(1916年)に大阪府視学官、大正8年(1919年)に内務省地方局事務官となり、地方局市町村課長・都市課長・行政課長などを歴任。
河合 良成(かわい よしなり、明治19年(1886年)5月1… 河合 良成(かわい よしなり、明治19年(1886年)5月10日 - 昭和45年(1970年)5月14日)は、日本の農商務官僚、政治家、実業家。富山県高岡市名誉市民。
大橋 八郎(おおはし はちろう、1885年12月19日 - … 大橋 八郎(おおはし はちろう、1885年12月19日 - 1968年6月4日)は、日本の政治家、逓信官僚、俳人。岡田内閣の法制局長官、林内閣の内閣書記官長、社団法人日本放送協会第4代会長、日本電信電話公社第2代総裁。現在の富山県高岡市出身。 日本放送協会会長時、終戦時の玉音放送に携わった。戦後の通信事業近代化に貢献。おじは漢詩人の大橋十右衛門。 富山縣高岡中學校、石川縣尋常中學校を経て、1906年(明治39年)7月に第四高等學校を卒業。 1910年(明治43年)7月に東京帝国大学法科大学を卒業した後、逓信省に入省。同年11月、高等文官試験に合格する。1925年(大正14年)10月に郵務局長、1928年(昭和3年)7月に経理局長となる。
正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年〈明治18年… 正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年〈明治18年〉4月11日 - 1969年〈昭和44年〉10月9日)は、日本の警察官・内務官僚、実業家、政治家。読売新聞社主、日本テレビ放送網代表取締役社長、読売テレビ放送会長、日本武道館会長などを歴任した。 読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、読売中興の祖として大正力(だいしょうりき)と呼ばれている。 読売ジャイアンツ(巨人)の初代オーナーとして、戦後の日本のプロ野球の発展に貢献したためにプロ野球の父と呼ばれる。日本テレビを創立し、テレビの普及や発展に貢献したためにテレビ放送の父と呼ばれる。また、原子力発電の推進にも貢献したために原子力の父とも呼ばれる。
清水 徳太郎(しみず とくたろう、1882年(明治15年)2… 清水 徳太郎(しみず とくたろう、1882年(明治15年)2月8日 - 1963年(昭和38年)11月28日)は、日本の鉄道・内務官僚、政治家。官選和歌山県知事、衆議院議員。 富山県下新川郡大家庄村(現朝日町)出身。清水源次郎の三男として生まれる。第四高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、さらに同大学院で学ぶ。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格し、鉄道院書記となる。以後、鉄道院副参事、同参事を歴任。 その後、内務省に転じ山形県西置賜郡長に就任。以後、栃木県理事官、奈良県警察部長、宮崎県警察部長、山形県警察部長、山形県書記官・警察部長、同県書記官・内務部長などを歴任。
牛塚 虎太郎(うしづか とらたろう、1879年(明治12年)… 牛塚 虎太郎(うしづか とらたろう、1879年(明治12年)4月28日 - 1966年(昭和41年)11月1日)は、東京市長および衆議院議員を歴任した官僚、政治家。
二上 兵治(ふたがみ ひょうじ / へいじ、1878年(明治… 二上 兵治(ふたがみ ひょうじ / へいじ、1878年(明治11年)2月25日 - 1945年(昭和20年)11月19日)は、日本の官僚、政治家。枢密院書記官長、行政裁判所長官、貴族院議員、枢密顧問官等を歴任した。法学博士。 石川県射水郡高岡縄手中町(現富山県 高岡市)で、酒造業・二上兵太郎の長男として生まれる。富山県尋常中学校(現富山県立富山高等学校)、第四高等学校(首席)を経て、1904年(明治37年)7月11日、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業、成績優秀のため銀時計を授与された。逓信省に入省し、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、東京郵便局郵便課長、逓信省通信局外信課長、同参事官兼逓信書記官・通信局外信課長、兼大臣官房秘書課長などを歴任。
木間瀬 策三(きませ さくぞう、1876年〈明治9年〉9月9… 木間瀬 策三(きませ さくぞう、1876年〈明治9年〉9月9日 - 1956年〈昭和31年〉12月10日)は、明治末から昭和期の内務官僚、実業家。官選富山県知事。 千葉県出身。従五位勲五等の官吏木間瀬柔三の五男として生まれる。富山中学校で中学1年に在学。第一高等学校を卒業。1900年(明治33年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し宗教局属となる。 以後、三重県事務官、愛知県事務官、千葉県事務官・第二部長、茨城県事務官・第四部長、同県事務官・警察部長、同県事務官・内務部長、新潟県内務部長、大阪府内務部長などを歴任。 1915年(大正4年)8月12日、富山県知事に就任。
南 弘(みなみ ひろし、1869年11月13日〈明治2年10… 南 弘(みなみ ひろし、1869年11月13日〈明治2年10月10日〉- 1946年〈昭和21年〉2月8日)は、日本の官僚・政治家。 後の富山県氷見市仏生寺の豪農岩間覚平の次男・鉄郎として生まれる。岩間家は3代にわたり県会議員を輩出した名望家で、広大な屋敷地や山林を所有していた。生家の近くに御田神社があり、幼少時よりその宮司平井正承の教えを受けた。その後仏生寺小学校、富山中学校、第四高等学校に進み、1896年(明治29年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業、文官高等試験に合格し官僚となった。 その後、同県高岡の旧家出身で第2代富山県会議長を務めた南兵吉の養子となり、その長女・操と結婚した際、「弘」と改名した。
河内 正孝(かわうち まさたか)は、日本の元郵政・総務官僚。… 河内 正孝(かわうち まさたか)は、日本の元郵政・総務官僚。総務省大臣官房総括審議官、KDDI総研代表取締役副社長、日本無線協会理事長等を経て、YRP研究開発推進協会会長。 富山県立高岡高等学校卒業後、1978年金沢大学大学院工学研究科電子工学専攻修士課程修了、郵政省入省。1981年アジア・太平洋電気通信共同体(APT)事務局員。1986年郵政省通信政策局国際企画課課長補佐。1997年郵政省電気通信局電気通信事業部電気通信技術システム課長。1999年郵政省放送行政局放送技術政策課長。2001年総務省情報通信政策局技術政策課長。2002年総務省総合通信基盤局電波部電波政策課長。2004年総務省信越総合通信局長。
屋敷 利紀(やしき としのり)は、日本の官僚、銀行家。金融庁… 屋敷 利紀(やしき としのり)は、日本の官僚、銀行家。金融庁総合政策局長。 富山県立高岡高等学校卒業後、京都大学文学部に進学。文学部へ進学した理由について「歴史学者を目指していた。文学部を選んだのもそのため」としている。巨漢として知られており、高校時代は柔道部に所属。大学入学時点で身長187.5cm、体重100kgを超える恵まれた体型もありアメリカンフットボール部から熱烈な勧誘を受けていたが断っていた。しかし、監督から両親への働き掛けもあり、屋敷はアメリカンフットボール部に入部し頭角を現す。4年時に主将に就任し、京都大学ギャングスターズの黄金期を築いた。アメリカンフットボールに打ち込むあまり学業が疎かになり屋敷は留年し、5年時にアメリカンフットボール部コーチを務めた。