堀 太郎(ほり たろう、1917年 <大正6年> 12月25… 堀 太郎(ほり たろう、1917年 <大正6年> 12月25日 - 1995年 <平成7年> 11月17日 )は、日本の経営者、銀行家。十八銀行頭取を務めた。位階は従四位。 京都府京都市出身。1943年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1968年7月に経済企画庁審議官、1970年7月に本州四国連絡橋公団理事、1973年6月に世界銀行日本代表理事兼大蔵省顧問兼外務省参与を経て、1976年12月に十八銀行に転じ、副頭取に就任し、1983年10月には頭取に昇格した。1990年2月には会長に就任。 1988年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1995年11月17日、心不全のために死去。
壷井 宇乃子(つぼい うのこ、1917年(大正6年)12月1… 壷井 宇乃子(つぼい うのこ、1917年(大正6年)12月13日 - 1940年(昭和15年)11月4日)は、昭和時代の競泳選手。専門は平泳ぎ。 京都府京都市出身。幼少時代は心臓が悪く、医師から「激しい運動をさせていけない」と言われていた子だったという。このため宇乃子の両親は娘が水泳をすることを快く思わなかったという。宇乃子自身は「水泳を始めたおかげで五尺三寸の体躯となり、精神力が強くなった」ことを後に語っている。 学童時代に大日本武徳会遊泳部(京都武徳会、現在の京都踏水会スイミングクラブ)に入り、本格的に競泳に取り組む。京都武徳会所属で京都府立京都第一高等女学校(現在の京都府立鴨沂高等学校)時代の1934年(昭和9年)の全日本選手権水上競技大会女子200m平泳ぎにて優勝した前畑秀子(椙山女学園)に次いで2位に入賞している。
喜田村 健三(きたむら けんぞう、1917年(大正6年)6月… 喜田村 健三(きたむら けんぞう、1917年(大正6年)6月24日 - 没年不明)は日本の大蔵官僚、実業家。国税庁元次長。万有製薬(現:MSD、メルク・アンド・カンパニーの日本法人)元専務取締役。東京都世田谷区在籍。長男は弁護士(ミネルバ法律事務所所属)の喜田村洋一。 京都府京都市出身。喜田村眼科病院院長を務めた喜田村朔治の三男として生まれる。第三高等学校を卒業。1939年(昭和14年)高等試験行政科に合格。1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、大蔵省に入る。短期現役海軍主計科士官(5期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入学し、海軍主計中尉に任官。1941年(昭和16年)1月、経理学校を卒業し山城に配属。
田中 生夫(たなか いくお、1917年6月19日 - 199… 田中 生夫(たなか いくお、1917年6月19日 - 1996年2月17日)は、日本の経済学者、岡山大学名誉教授。 京都府綾部市生まれ。第三高等学校卒。1941年、京都帝国大学経済学部卒、台湾銀行大阪支店に入行。1942年から1945年まで陸軍へ応召。1946年、岡山農業専門学校講師。1948年、教授。1950年、岡山大学法文学部講師、1951年に助教授、1961年に教授。1968年「イギリス初期銀行史研究」で、九州大学経済学博士。1980年から1982年、岡山大経済学部長、評議員。1981年から1982年、法文学部長。1983年、定年退官、名誉教授、金沢大学教授、のち福山大学教授、中京大学教授。
宇野 錦次(うの きんじ、1917年5月25日 - 1997… 宇野 錦次(うの きんじ、1917年5月25日 - 1997年2月6日)は、京都府出身のプロ野球選手。
阪倉 篤義(さかくら あつよし、1917年5月23日 - 1… 阪倉 篤義(さかくら あつよし、1917年5月23日 - 1994年10月22日)は、日本の国文学者・国語学者。文学博士(京都大学・論文博士・1962年)。京都大学名誉教授。 京都府京都市出身。父は漢学者の阪倉篤太郎。 1941年京都帝国大学文学部国文科卒業。1943年入隊、長沙市にて終戦を迎える。1946年6月に復員、11月に中村憲吉の三女始子と結婚。 1949年京都大学教養部助教授、1962年「語構成の研究」で京大より文学博士の学位を取得。1963年教授、1981年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授。 1991年秋、勲三等旭日中綬章受章。 1994年脳動脈瘤破裂、心機能低下により京都市西京区の病院で死去。
二条 恭仁子(にじょう くにこ、1917年(大正6年)5月1… 二条 恭仁子(にじょう くにこ、1917年(大正6年)5月18日 - 2002年(平成14年)7月6日)は、日本の元皇族、元華族夫人。皇族時代の名と身位は恭仁子女王。 1917年(大正6年)5月18日午後4時、久邇宮家の多嘉王と同妃静子の第3女子として誕生。御七夜の5月24日に「恭仁子」と命名された。京都府立京都第一高等女学校卒業。1938年(昭和13年)12月9日、五摂家のひとつ二条弼基公爵への降嫁の勅許が下りた。1939年(昭和14年)3月23日、婚姻に先立ち勲二等宝冠章を受章する。同年4月2日、二条弼基に降嫁した。
辻井 弘(つじい ひろし、1917年4月21日 - 1993… 辻井 弘(つじい ひろし、1917年4月21日 - 1993年3月17日)は、京都府出身の野球選手。ポジションは一塁手、捕手。
富永 嘉郎(とみなが よしろう、1917年4月12日 - 2… 富永 嘉郎(とみなが よしろう、1917年4月12日 - 2010年3月25日)は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手(プロ野球では、左翼手,右翼手としての出場がある)。
横田 みさを(よこた みさお、1917年2月3日 - 200… 横田 みさを(よこた みさお、1917年2月3日 - 2003年6月13日)は、日本の水泳選手、女優。同志社高等女学校在学中に女子100m背泳ぎの日本記録を更新し、1932年ロサンゼルスオリンピックに15歳で出場した。その後は芸能界に転身し、松竹歌劇団と宝塚歌劇団に入団、さらに映画女優となった。夫は作曲家の竹岡信幸。 京都市出身。同志社高等女学校(現在の同志社女子中学校・高等学校)に学ぶ。横田在学中の同志社高女は、団体優勝を重ねる水泳の強豪校であった。もっとも学校にはプールがなかったため、スイミングクラブである大日本武徳会遊泳部(のちの京都踏水会)に属し、夷川ダム(琵琶湖疏水)で練習を重ねていたという。
近藤 次郎(こんどう じろう、1917年1月23日 - 20… 近藤 次郎(こんどう じろう、1917年1月23日 - 2015年3月29日)は、日本の航空工学者。東京大学名誉教授。滋賀県出身。 航空工学の分野では航空機の超高速化に取り組んだり、環境科学の分野では応用数学を利用し、大気汚染の予測や核拡散問題を解明した。 その他、国土審議会、航空機工業審議会、学術審議会などの各種審議会委員。中央公害対策審議会、中央環境審議会会長などを務めていた。
池 真理子(いけ まりこ、1917年1月2日 - 2000年… 池 真理子(いけ まりこ、1917年1月2日 - 2000年5月30日)は、ジャズ・ラテン・フォルクローレの歌手。京都府生まれ。宝塚音楽学校卒業。愛称は「アイク」。なお、サインや後年のテレビ出演のテロップでは池眞理子となっている。宝塚歌劇団24期生。宝塚歌劇団在団時の芸名は三日月美夜子である。 1917年(大正6年)1月2日、京都の万寿寺生まれだが、実家は僧ではなく、父親はその婿養子で京都帝国大学の学生だった。生後6か月で父が結核で亡くなり、母は女学校教員となったため、祖父母の手で養育された。 平安女学院に入学したが、友達の家出に付き合ったことから祖父の怒りを買い、京都高等女学校に転校させられる。
小野 春男(おの はるお、1917年 - 1943年12月2… 小野 春男(おの はるお、1917年 - 1943年12月2日)は、京都市出身の日本画家。日本画家小野竹喬の長男。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
堀川 弘通 (ほりかわ ひろみち、1916年〈大正5年〉12… 堀川 弘通 (ほりかわ ひろみち、1916年〈大正5年〉12月28日 - 2012年〈平成24年〉9月5日)は、日本の映画監督。成城大学名誉教授の堀川直義は兄。 京都府京都市出身。東京市立一中(現:九段高校)、成城高等学校(現:成城大学)を経て、1940年、東京帝国大学文学部卒業。同年、東宝撮影所製作部に演出助手係として入社。最初に山本嘉次郎の『馬』の盛岡ロケから助監督として参加し、この時にチーフ助監督だった黒澤明と仲良くなり、仕事を終えるといつも2人で飲みに回ったという。入社1年後にオーバーワークがたたって肺を病み、1年半休職する。復帰後はすでに監督になった黒澤の作品に就き、『一番美しく』『続姿三四郎』に参加、1945年に軍隊に召集されるが、敗戦となり10月に復員して東宝に戻る。
堀 昌雄(ほり まさお、1916年12月7日 - 1997年… 堀 昌雄(ほり まさお、1916年12月7日 - 1997年8月29日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員。 京都府京都市出身。旧制高知高等学校を経て大阪帝国大学医学部を卒業し、太平洋戦争では海軍軍医として作戦に参加した。戦後に、1942年2月のシンガポール華僑粛清事件について国会で発言している。日本医師連盟公認での衆院選出馬、落選を経て、1958年、第28回衆議院議員総選挙に旧兵庫2区から出馬して初当選し、以後11回当選した。社会党内では右派の系譜に属し、武藤山治、佐藤観樹と「堀グループ」を形成した。 西欧の社会民主主義を手本に、教条的なマルクス・レーニン主義からの変節を求めた。また、衆議院大蔵委員会の委員を長く務め、社会党きっての財政通として知られた。
牧田 茂(まきた しげる、1916年7月25日 - 2002… 牧田 茂(まきた しげる、1916年7月25日 - 2002年3月22日)は、日本の民俗学者。 京都府京都市出身。別名=茅原茂(チハラ)。1940年國學院大學文学部国文科卒、朝日新聞社に入社。東京社会部次長、「週刊朝日」編集長、東京企画部長などを経て、1971年退社後、社友となる。1976年日本大学講師、1977年白梅学園短期大学教授を務めた。旧制京都二中時代に柳田國男に出した手紙が縁で門下生になる。1940年閑院宮賞。1947年日本民俗学会設立に参加。柳田民俗学の後継者として民俗学を中心に多くの著作がある。
辻 辰三郎(つじ たつさぶろう、1916年(大正5年)7月2… 辻 辰三郎(つじ たつさぶろう、1916年(大正5年)7月23日 - 2004年(平成16年)8月28日)は、日本の検察官、弁護士。検事総長。京都市出身。位階は正三位。 1947年(昭和22年)検事任官。法務大臣官房長、刑事局長、最高検刑事部長等を経て、1976年(昭和51年)に次長検事。1978年(昭和53年)東京高検検事長、1979年(昭和54年)に検事総長に就任。 1981年(昭和56年)に定年退官後、弁護士登録し法制審議会委員等を務めた。1988年(昭和63年)の秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章。死後、正三位に叙された。
遠藤 湘吉(えんどう しょうきち、1916年7月10日 - … 遠藤 湘吉(えんどう しょうきち、1916年7月10日 - 1975年10月19日)は、日本の経済学者。東京大学教授。専攻は財政学、学位は経済学博士(1962年)。実兄に東大野球部で投手として活躍した遠藤洋吉がいる。 北海道に生まれる。京都府立京都第一中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第一高等学校を経て1940年東京帝国大学経済学部卒業。同年東京帝国大学経済学部助手、1949年東京大学社会科学研究所助教授、1958年同教授。1963年東京大学経済学部教授に移り、1970年から1972年まで同経済学部長。
長瀬 誠造(ながせ せいぞう、1916年5月1日 - 198… 長瀬 誠造(ながせ せいぞう、1916年5月1日 - 1982年1月6日)は、日本の経営者。長瀬産業社長を務めた。 ロンドンで出生し、京都府京都市出身。1938年に長瀬産業監査役に就任し、1943年に立命館大学法学部法文学科を卒業。 1945年に取締役に就任し、1947年に常務、1951年に専務、1962年に副社長を経て、1968年5月に社長に就任。 1982年1月6日心不全のために死去。65歳没。
鈴木 博章(すずき ひろあき、1916年4月15日 - 19… 鈴木 博章(すずき ひろあき、1916年4月15日 - 1976年9月16日)は、日本の実業家。神戸製鋼所社長を務めた。 京都府京都市出身。1944年に京都帝国大学法学部を卒業し、神戸製鋼所に入社した。総務部長、取締役、常務、専務を経て、1974年5月から副社長を務め、同年11月社長に就任した。 しかし、1976年9月16日在任中に急性心不全により死去。60歳没。
会田 雄次(あいだ ゆうじ、1916年〈大正5年〉3月5日 … 会田 雄次(あいだ ゆうじ、1916年〈大正5年〉3月5日 - 1997年〈平成9年〉9月17日)は、日本の西洋史学者。京都大学名誉教授。専門はイタリア・ルネサンス。保守派の論客として知られた。 1916年、動物学者・会田龍雄の次男として京都市で生まれた。京都府立第一中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第三高等学校を卒業して、京都帝国大学文学部史学科に進んだ。1940年に大学を卒業し、同大学大学院に進学。 1942年、京都帝国大学文学部副手に採用された(1948年まで)。1942年からは龍谷大学予科講師を兼任。しかし、戦局の悪化に伴い1943年に応召し、ビルマ戦線に歩兵一等兵として従軍。
高木 正雄(たかぎ まさお 1916年 - 1944年6月1… 高木 正雄(たかぎ まさお 1916年 - 1944年6月18日)は、日本の元アマチュア野球選手。京都府出身。ポジションは投手。
仲野 良俊(なかの りょうしゅん、1916年 - 1988年… 仲野 良俊(なかの りょうしゅん、1916年 - 1988年1月6日)は、日本の浄土真宗僧侶・仏教学者。 京都府京都市生まれ。1939年大谷大学文学部卒業。 同大学講師、1942年ビルマで日本語学校の教師となる。1956年真宗大谷派教化研究所所員。1966年教学研究所副所長就任。北海道教学研究所所長、1981年教学研修所所長。京都・真宗大谷派専念寺住職。
林田 悠紀夫(はやしだ ゆきお、1915年(大正4年)11月… 林田 悠紀夫(はやしだ ゆきお、1915年(大正4年)11月26日 - 2007年(平成19年)11月11日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員や京都府知事を務めた。綾部市名誉市民。正三位勲一等旭日大綬章。 京都府舞鶴市出身。東八田尋常小・舞鶴中・旧制三高を経て東京帝国大学(現・東京大学)法学部卒業後の1939年、農林省に入省。同年5月5日、海軍主計短期現役第2期生として海軍経理学校入校し海軍主計中尉に任官、9月5日卒業。1941年5月、主計大尉に進む。1944年2月、第三一航空隊主計長としてマニラ、ジョグジャカルタで勤務。同年11月、主計少佐に昇進。1945年4月、ボルネオ海軍民政部経済課長を命ぜられパンジェルマシンに転属。
池田 松次郎(いけだ まつじろう、1915年10月28日 -… 池田 松次郎(いけだ まつじろう、1915年10月28日 - 1983年7月8日)は、日本の実業家。総合商社の丸紅の第7代社長。京都府出身。 彦根高等商業学校(現 滋賀大学経済学部)卒業後、大同貿易に入社。若年期から海外拠点に赴任し、戦時統合による大建産業期を経て丸紅へ転籍した。戦後は北米での勤務・経営経験を積み、米国丸紅会社の副社長を務めたのち帰国。帰国後は海外営業の統括や本部長職を歴任し、丸紅の代表取締役社長に就任した。 戦前から海外赴任が多く、商社生活45年のうち17年を海外で過ごし、戦後も北米での経営経験を持ち、現場実務と海外ビジネス双方に通じた経営者と評価されている。 社内では、穏やか、筋を通す、正直、プロフェッショナルといった評価が語られ、無理を避けつつも、商社としての拡大路線を堅持する現実的な経営姿勢を持っていた。
伏見 信子(ふしみ のぶこ、1915年(大正4年)10月10… 伏見 信子(ふしみ のぶこ、1915年(大正4年)10月10日 - 生死不明)は、日本の女優、歌手。本名は伏見 延子。別名は伏見 延江(ふしみ のぶえ)。 東京市浅草区小島町出身。同志社女学校(現・同志社女子中学校・高等学校)高等女学部卒業。父伏見三郎が新派の俳優で、早くから姉の直江と共に舞台の子役などで新派の舞台に出演。1926年(大正15年)、姉と帝国キネマに入社。 1927年(昭和2年)、姉の伏見直子=伏見直江と阪東妻三郎プロへ移籍し、同年11月、日活大将軍現代劇部に入社。時代劇部へと移り、「大地に立つ」、「小市民」に主演。 1928年(昭和3年)、同志社女学校高等女学部に入学。4年通学の傍ら「春または丘へ」の主役を務める。
加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 201… 加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 2010年5月16日)は、昭和・平成期の歌人。 京都府綾部市生まれ。旧制埼玉県立浦和中学校在学中に短歌を作り始め、若山牧水系の歌誌「菁藻」(主宰:髙橋俊人)に入会。1933年、國學院大學予科入学、1935年、國學院大學国文科進学、折口信夫、武田祐吉らの薫陶を受ける。在学中に新芸術派短歌運動に加わり「短歌精神」を創刊。1936年、若手歌人の集まり「四月会」に参加。1937年、第一歌集『螺旋階段』を刊行。1938年、國學院大學卒業。 その後応召し、敗戦まで軍隊生活を経験する。戦後は浦和中学校の教諭に復帰。1946年、常見千香夫、大野誠夫らと「鶏苑」を創刊、近藤芳美、宮柊二らと「新歌人集団」を結成。
伊藤 一郎(いとう いちろう、1915年6月15日 - 19… 伊藤 一郎(いとう いちろう、1915年6月15日 - 1991年5月6日)は、日本の工学者。京都大学名誉教授。京都市出身。資源工学の第一人者として活躍した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
菅 泰男(すが やすお、1915年4月26日 - 2007年… 菅 泰男(すが やすお、1915年4月26日 - 2007年6月5日)は、日本の英米文学者。シェイクスピア文学等が専門。 京都市出身。1939年京都帝国大学文学部英文科を卒業し、同大学院に進学。京都女子大学講師、1949年8月京都大学吉田分校助教授を経て、1953年5月京都大学文学部助教授、1961年7月教授に昇任、1962年「シェイクスピアの劇場と舞台」で京都大学文学博士。1979年定年退官、名誉教授、甲南女子大学文学部教授、明星大学人文学部教授、大阪府立国際児童文学館館長・理事長を務めた。また、アメリカ学会会長、日本演劇学会副会長、日本英文学会理事等を歴任。それらの功績により、1991年勲三等旭日中綬章、1994年大阪文化賞を受賞、1998年には京都市文化功労者に選ばれた。
佐藤 功(さとう いさお、1915年(大正4年)3月29日 … 佐藤 功(さとう いさお、1915年(大正4年)3月29日 - 2006年(平成18年)6月17日)は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1958年)。上智大学名誉教授。文化功労者。また、内閣法制局参事官として日本国憲法の制定作業に携わった。主著『日本国憲法概説』(学陽書房刊)は版を重ねている。京都府京都市出身。宮沢俊義門下。弟子に粕谷友介、向井久了、高野敏樹、吉川和宏、矢島基美、藤本富一、松田聰子、玉巻弘光、前田徹生など。 京都府京都市に生まれる。1931年(昭和6年)4月1日:第二高等学校文科乙類入学。1934年(昭和9年)3月31日:第二高等学校文科乙類卒業。
西村 俊一(にしむら しゅんいち、1915年3月28日 - … 西村 俊一(にしむら しゅんいち、1915年3月28日 - 1982年8月29日)は、日本の経営者。サクラクレパス社長。西村治兵衛の孫。娘の結婚で皇室と縁続きとなった。 京都府京都市出身。祖父は西村治兵衛、父は1937年にサクラクレパス社長に就任した西村斎次郎。 1939年に神戸商業大学を卒業。大阪ガスでの勤務を経て、1940年8月にサクラクレパス社長に就任した。 1974年10月に藍綬褒章を受章した。 1982年8月29日、肝硬変のために死去。67歳没。
磯田 進(いそだ すすむ、1915年1月3日 - 2002年… 磯田 進(いそだ すすむ、1915年1月3日 - 2002年11月4日)は、日本の法学者。専門は労働法、法社会学。東京大学社会科学研究所教授、日本大学法学部教授を務めた。戦後日本の労働法学の形成に大きく寄与し、労働法理論と農村・村落の法社会学的研究で知られる。 京都府亀岡市に生まれ、群馬県で育つ。東京帝国大学法学部を卒業後、1939年に同学部助手となった。その後、法務庁事務官を経て、1949年に東京大学社会科学研究所助教授、1957年に教授へ昇任した。1975年に東京大学を定年退官し、東京大学名誉教授となった。同年から日本大学法学部教授として教育・研究を続け、労働法および法社会学分野の後進の育成に尽力した。
若松 紀志子(わかまつ きしこ、1915年 - 2012年4… 若松 紀志子(わかまつ きしこ、1915年 - 2012年4月23日)は、日本のピアニスト。2010年現在95歳を迎えた時点でも、ピアノ指導に従事。教え子の数は1000人を超える。指揮者小林研一郎を見出した。アザミ会・アートスペースエリコーナ主宰。夫は画家の若松光一郎。
加藤 淑子(かとう としこ、1915年 - 2017年1月2… 加藤 淑子(かとう としこ、1915年 - 2017年1月2日)は、ロシア料理店スンガリーの店主。 1915年、京都府に呉服商の娘として生まれる。京都市立堀川高等女学校卒業。 1935年に津田幸四郎と結婚する(婿入り婚)。その直後、満州に移住する。幸四郎は満州国の特務機関員をしていたとの情報がある。白系ロシア人宅に間借りして住んでいたこともある。1943年ごろ、幸四郎が徴兵される。終戦直後、収容所生活となる。ソ連軍兵士が土足で入ろうとした際、毅然と「ここは私たちの眠る場所です。畳の上を靴で歩かないでください」と注意する 。 1946年秋、日本に帰国する。無事だった夫・幸四郎に再会し、一家5人の生活がスタートする。
猪木 正道(いのき まさみち、1914年(大正3年)11月5… 猪木 正道(いのき まさみち、1914年(大正3年)11月5日 - 2012年(平成24年)11月5日)は、日本の政治学者。京都大学名誉教授。第3代防衛大学校校長、財団法人平和・安全保障研究所顧問を歴任。「日本政治学界の大御所的存在で、安全保障問題の論客」として知られた。専門は、政治思想。学位は、法学博士(京都大学・1962年)。 1914年、京都府京都市で生まれた。6歳から16歳までを三重県上野(現在の伊賀市)で過ごした。1931年に旧制三重県立上野中学校を卒業し、旧制第三高等学校文科乙類に進学。1934年に同校を卒業。 東京帝国大学経済学部に進学し、在学中は河合栄治郎の演習に参加。自由主義と社会主義の双方に立脚した自らの思想を育んでいった。
安田 博(やすだ ひろし、1914年 <大正3年> 9月26… 安田 博(やすだ ひろし、1914年 <大正3年> 9月26日 - 1981年 <昭和56年> 4月22日)は、日本の経営者。大阪ガス社長を務めた。位階は従三位。 京都府八幡市出身。1937年に大阪商科大学を卒業。阪神電気鉄道での勤務を経て、1945年に大阪ガスに転じ、1963年8月に取締役に就任。常務、専務、副社長を経て、1974年9月に社長に就任した。 日本ガス協会副会長、関西経済連合会常任理事、大阪商工会議所副頭取も務めた。 1974年10月に藍綬褒章を受章した。 1981年4月22日、脳内出血のために死去。66歳没。死没日付をもって従七位から従三位に進階した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
大江 季雄(おおえ すえお、1914年(大正3年)8月2日 … 大江 季雄(おおえ すえお、1914年(大正3年)8月2日 - 1941年(昭和16年)12月24日)は、日本の元陸上競技選手。元棒高跳日本記録保持者。1936年ベルリンオリンピック銅メダリスト。京都府舞鶴市出身。旧制舞鶴中学校(京都府立西舞鶴高等学校)、慶應義塾大学卒業。 1935年、第6回国際学生陸上(ブダペスト)で4m10をマークし準優勝した。1936年、4m34の日本新記録を樹立。同年、ベルリンオリンピックで4m25の記録で西田修平と2・3位を分け合い、帰国後にお互いのメダルを切断して「銀・銅2色の友情のメダル」を作成した美談は有名であり、西田は大江を銅メダルながら2位の表彰台に立たせたと言う。
上林 吾郎(かんばやし ごろう、1914年7月30日 - 2… 上林 吾郎(かんばやし ごろう、1914年7月30日 - 2001年6月21日)は、日本の経営者。文藝春秋社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1939年に早稲田大学文学部国文科を卒業し、同年に文藝春秋新社に入社。 出版部長、「文学界」・「オール讀物」・「週刊文春」・「文藝春秋」各編集長を経て、1961年に取締役に就任し、専務、副社長を経て、1984年6月に社長に就任。1988年5月には会長に就任。 2001年6月21日、肺炎のために死去。86歳没。
土倉 麻(どぐら あさ、1914年6月11日 - 2008年… 土倉 麻(どぐら あさ、1914年6月11日 - 2008年4月20日)は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。1932年ロサンゼルスオリンピックに女子100メートル競走および400メートルリレー走で出場。 同じロサンゼルスオリンピック参加者の田島直人と結婚し、田島姓となった。日本のオリンピック選手同士の結婚の第一号である。 京都市出身。祖父は「大和の山林王」と謳われた土倉庄三郎で、庄三郎の長男・鶴松の娘が麻である。 京都府立京都第一高等女学校高等科(現在の京都府立鴨沂高等学校)在学中、1932年ロサンゼルスオリンピックに女子100メートル競走および400メートルリレー走に出場。前者は予選落ちしたが、後者で日本チーム(他に中西みち・村岡美枝・渡辺すみ子)は5位に入賞した。
上田 稔(うえだ みのる、1914年5月8日 - 2011年… 上田 稔(うえだ みのる、1914年5月8日 - 2011年9月17日)は、日本の官僚、政治家及び技術士(建設部門)。京都府京都市出身。自由民主党参議院議員(4期)。京都帝国大学工学部卒業。1986年、勲一等瑞宝章受章。従三位。
林屋 辰三郎(はやしや たつさぶろう、1914年4月14日 … 林屋 辰三郎(はやしや たつさぶろう、1914年4月14日 - 1998年2月11日)は、日本の歴史学者・文化史家。 立命館大学教授・京都大学人文科学研究所教授・京都国立博物館長などを歴任。中世史の研究において大きな足跡を残した。 1914年(大正3年)、石川県金沢市に生まれた。父は茶商を営んでいた四代林屋新兵衛で、四男であったことから生後1年足らずのうちに新兵衛の次兄林屋次三郎の養子となり、生家を離れて東京に移った。 1924年、中華民国・北京に一家で渡航・居留。2年後の1926年、中学校入学準備のため単身帰国した。慶應義塾幼稚舎に入学し1927年に慶應義塾普通部に進学。翌1928年京都に移住し、京都府立京都第一中学校第2学年に編入学した。
川越 藤一郎(かわごえ とういちろう、1914年4月9日 -… 川越 藤一郎(かわごえ とういちろう、1914年4月9日 - 2002年4月16日)は、昭和初期の日本の元ラグビー選手。後に日本ラグビーフットボール協会第9代会長。 京都府立京都第一中學校(現在の京都府立洛北高等学校・附属中学校)を経て、早稲田大学(以下、早大)に進学。1937年度シーズンには早大の主将を務め、東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦の制覇に貢献。また日本代表選手として、1936年のニュージーランド学生代表 (NZU) 戦でキャップ1を獲得した。 その後、1987年〜1992年まで関西ラグビーフットボール協会会長(後に同協会名誉会長に就任)、1992年〜1994年まで日本ラグビーフットボール協会第9代会長を務めた。
浅野 喜市(あさの きいち、1914年3月8日 - 1993… 浅野 喜市(あさの きいち、1914年3月8日 - 1993年4月3日)は、日本の写真家。京都府京都市下京区生まれ。1930年旧制四条商業学校卒業。33年東郷カメラで写真を始める。39年歩兵第9連隊に臨時召集、中支に転属。43年召集解除。49年高桑勝雄の指導で外国サロン出品。51年英国ロイヤル、パリ、ロンドン、シカゴサロン等に入選。53年国内の主要な写真コンテストで受賞。太平洋画会の会友に推挙される。89年京都市文化功労者。二科会写真部会員。(社)日本写真家協会会員。全日本写真連盟副会長。京都の町、古い風景などを撮影した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
日比野 丈夫(ひびの たけお、1914年(大正3年)3月4日… 日比野 丈夫(ひびの たけお、1914年(大正3年)3月4日 - 2007年(平成19年)7月2日)は、日本の東洋学者、歴史学者(歴史地理学)。京都市生まれ。祖先は高須藩(現在の岐阜県海津市)に代々仕えた漢学者の家柄。 京都一中、三高を経て、1936年京都帝国大学文学部史学科東洋史専攻卒業。1936年東方文化学院京都研究所嘱託、1942年東方文化研究所副研究員。この間、中国留学(39-41年)や出張(43年)によって、中国国内の遺跡の実地調査に当たる。 1948年京都大学人文科学研究所研究員。49年助手、51年講師、57年助教授、68年教授。59年「居庸関」(共同研究)により、日本学士院賞受賞。
内海 五十雄(うつみ いそお、1914年2月19日 - 19… 内海 五十雄(うつみ いそお、1914年2月19日 - 1992年)は、京都府出身のプロ野球選手(内野手)。
松澤 初穂(まつざわ はつほ、1914年1月8日 - 201… 松澤 初穂(まつざわ はつほ、1914年1月8日 - 2011年1月1日)は、京都府出身の元女子水泳選手。1932年に開催されたロサンゼルスオリンピックに競泳女子代表として出場した。 舞鶴市に生まれる。父は大日本帝国海軍の軍人であり、一時横須賀市に移ったが、関東大震災のため舞鶴に戻った。水泳に取り組むきっかけは、高等女学校3年のときに訪れた。父の退役に伴い転校した市岡高等女学校(現在の大阪府立港高等学校)には、プールと水泳部があり、当時の水泳部顧問にクロール泳法を習ってめざましい進歩を見せた。翌年、大阪府立女子校の水泳大会に出場して50メートル自由形で日本記録に並ぶ好記録を出し、さらに次の年には50メートル自由形及び100メートル自由形で日本新記録を出していた。
上田 恒次(うえだ つねじ、1914年 - 1987年)は、… 上田 恒次(うえだ つねじ、1914年 - 1987年)は、日本の陶芸家。日本民芸館新作展委員。 1914年、京都で呉服商「松屋」に次男として生まれる。富本憲吉の『窯遍雑記』(文化生活研究会、1925年)を読み陶芸家を志す。 1927年(昭和2年)、京都市立第二工業学校陶磁器科に入学する。1931年(昭和6年)、同校を卒業。以後、河井寛次郎、柳宗悦、浜田庄司、富本憲吉に師事する。1937年(昭和12年)、木野皿山窯を開く。1955年(昭和30年)、河井寛次郎の助手を務め、技法を次ぐことを許される。1962年(昭和37年)、日本橋三越本店美術部で個展を開催する。以降各地で開催。1963年(昭和38年)、東京国立近代美術館主催「現代国際陶芸展」に招待出品する。
佐藤 太清(さとう たいせい、1913年〈大正2年〉11月1… 佐藤 太清(さとう たいせい、1913年〈大正2年〉11月10日 - 2004年〈平成16年〉11月6日)は、京都府福知山市出身の日本画家。本名は佐藤 實(さとう みのる)。 花鳥画と風景画を融合させた独自の花鳥風景画(かちょうふうけいが)を確立したことで知られる。日本画壇の重鎮として戦後の日展を支えたほか、晩年は福知山市佐藤太清賞公募美術展を福知山市と創設し、後進の育成に尽力した。 日展初入選は30歳と大変遅咲きだったが、1966年(昭和41年)第9回新日展に出品した「風騒」は、全く新しい画期的な日本画として絶賛され、文部大臣賞、日本芸術院賞をダブルで受賞し注目を浴びた。1980年(昭和55年)日本芸術院会員、1988年(昭和63年)文化功労者顕彰、1992年(平成4年)には文化勲章を受章。
渡辺 武(渡邊武、わたなべ たけし、1913年4月18日 -… 渡辺 武(渡邊武、わたなべ たけし、1913年4月18日 - 2004年2月11日)は、日本の漢方薬・椿研究家。 京都市生まれ。1935年京都薬学専門学校(現京都薬科大学)卒業。1939年東京帝国大学医学部薬学科選科修了。在学中に湯本求真の紹介により荒木性次に師事。1941年武田薬品株式会社研究所入社。1947 - 62年厚生省日本薬局方制定委員会委員。宮内庁より正倉院薬物調査を委嘱され、1956年「正倉院薬物の研究」で京都大学薬学博士。67年武田薬品を定年退社。1976年薬局・薬店・薬剤師、薬種商の東洋医学及び漢方の食養の研鑽の場として草古堂薬室方技塾を発足、77年日中医薬研究会に改称(会長)。
西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 198… 西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 1986年3月15日)は、京都市出身の小説家、政治家。 京都府紀伊郡伏見町(現在の京都市伏見区)の中書島遊廓の貸座敷の家に生まれる。第三高等学校から東京帝国大学文学部西洋哲学科卒業、1946年に日本共産党に入党するが、1950年のいわゆる「五十年問題」による党分裂の際、「除名」される。1955年には、日本共産党の統一・正常化と同時に党へ復帰。 この間に義母名義の娼家(第2次世界大戦後は「お茶屋」名目で営業)の片隅で自伝的小説『廓』を執筆。第一部を1956年に刊行。ベストセラーとなり、小説家として認められる。同作は第35回(昭和31年上期)直木賞候補となり、「『廓』より 無法一代」(1957年、監督滝沢英輔)として映画化された(第二部は同年末、第三部は1958年に刊行)。