横尾 忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は… 横尾 忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は、日本の美術家、グラフィックデザイナー、版画家、作家。 実弟の成瀬政博は画家・イラストレーター。長女の横尾美美も美術家。日本芸術院会員。 兵庫県西脇市出身。20歳までを西脇で過ごす。幼少期に西脇でさまざまな超常現象を経験。死の世界に憧れを抱く。 神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、独立。三島由紀夫に出会い三島の「聖俗一体」的言動に触発される。1970年の三島の死をきっかけにその後の15年間をオカルティズムや神秘主義まで包括した精神世界に傾斜してゆくが、それらが大いなる錯覚だったと気づき「私」の探求の延長線上で絵画に出会う。
宅見 勝(たくみ まさる、1936年〈昭和11年〉6月22日… 宅見 勝(たくみ まさる、1936年〈昭和11年〉6月22日 - 1997年〈平成9年〉8月28日)は、20世紀に活動した日本のヤクザ。指定暴力団・五代目山口組若頭であり、山口組有力団体・宅見組の創設者。神戸出身。 バブル期を通して金融や不動産などのフロント企業を通じ蓄財した2,000億円とも言われる豊富な資金を背景に、渡辺芳則を首領に据えた五代目山口組の発足(1989年)に立役者として関与。以後、山口組のナンバー2にあたる若頭として構成員3万6千名を擁する山口組の事実上の仕切り役として活動し、山口組を近代的な組織に創り上げる他、“山口組の金庫番”とも呼ばれた。また政治家の安倍晋太郎とは親友であった。
矢嶋 長次(やじま ちょうじ、昭和11年(1936年)6月9… 矢嶋 長次(やじま ちょうじ、昭和11年(1936年)6月9日 - 2019年(令和元年)10月20日没)は、日本のヤクザ。山口組直参。初代矢嶋組組長。二代目森川組組長。兵庫県明石市出身。 兵庫県明石市に博徒・矢嶋清の息子として生を享ける。博打打ちとして全国を放浪するも愛媛県今治市を本拠に森川組を構えていた森川鹿次の目に適い、昭和30年(1955年)に森川鹿次の娘(森川鹿次の妻・春子の連れ子だった)・栄子と結婚。森川邸の向かいに新居を構え、矢嶋組を結成した。 昭和35年(1960年)7月15日、三代目山口組・田岡一雄組長から盃を貰い、山口組直参となった。当時、24歳、山口組最年少直参昇格であった。
瀬戸 亀男(せと かめお、1936年2月6日 - 2007年… 瀬戸 亀男(せと かめお、1936年2月6日 - 2007年9月4日)は、日本の政治家。兵庫県多紀郡篠山町長(1期)、初代篠山市長(1期)などを務めた。 兵庫県多紀郡篠山町(篠山市を経て現・丹波篠山市)出身。1955年(昭和30年)、篠山農業高校(現・篠山産業高校)卒業。 1967年(昭和42年)、篠山町農協青壮年部長。1974年(昭和49年)篠山町教育委員。1979年(昭和54年)から篠山町議会議員を務め1991年(平成3年)に町議会議長。町議は5期務めた。 1996年(平成8年)、篠山町長選挙に出馬し初当選。1998年(平成10年)、人口4万人でも市昇格ができるように、代議士谷洋一に伴われ自民党鴻池祥肇などに陳情を行った後、市制施行要件の特例の法改正が行われ、翌1999年4月1日に篠山市は、人口4万人以上で市制施行できる合併特例法(2005年3月31日まで)により全国671番目・兵庫県22番めの市として発足した。
猪俣 猛(いのまた たけし、1936年〈昭和11年〉年2月6… 猪俣 猛(いのまた たけし、1936年〈昭和11年〉年2月6日 - 2024年〈令和6年〉10月4日)は、兵庫県宝塚市出身のジャズドラマー。楽器はヤマハを使用。 日本ジャズ界の重鎮ドラマーで、後輩の育成・教育にも力を注いだ。2010年には音楽生活60周年を迎えた。 宝塚歌劇団のオーボエ奏者の父のもと、宝塚市に生誕。兄も有能なトランペッターであったことから、幼い頃から音楽に囲まれて育った。 クラウンレコードから「ありた・しんたろう」の名でも多数のレコードを発売しており、キングレコードでは「はらだたけし」名義で録音を多数残している。 2024年10月4日、老衰のため、入院先の病院で死去した。88歳没。
倉内 憲孝(くらうち のりたか、1936年1月26日 - 2… 倉内 憲孝(くらうち のりたか、1936年1月26日 - 2026年3月26日)は、日本の実業家。住友電気工業代表取締役社長や、日本電線工業会会長、JR西日本取締役会長などを務めた。大阪府池田市神田在住。 兵庫県神戸市生まれ、福井県出身。1958年東京大学工学部を卒業し、住友電気工業入社。川上哲郎の後任として、同社社長を務めた。 その後、2006年からJR福知山線脱線事故を受けて混乱の渦中にあったJR西日本の社外取締役として、代表権のない同社取締役会長及び取締役会議長を務めた。
長町 三生(ながまち みつお、1936年 - )は、日本の工… 長町 三生(ながまち みつお、1936年 - )は、日本の工学者。専門は人間工学。学位は、文学博士(1963年)。「感性工学」の日本における創始者である。広島大学名誉教授。2012年瑞宝中綬章受章。 1936年、兵庫県神戸市生まれ。1958年に広島大学教育学部心理学科を卒業、1963年に文学博士の学位を取得し、翌年、広島大学工学部助手となる。1978年、同教授に就任。専門は、人間工学、認知科学。特に、感性工学については、日本におけるパイオニア的な存在である。感性工学の発想を初めて商品開発に導入した人物とされる。そのほか、労務管理、安全工学に関する著作も多い。 広島大学退官に際し名誉教授の称号を贈られ、退官後は、呉工業高等専門学校の第五代校長を経て、広島国際大学人間環境学部長を務める。
吉田 一彦(よしだ かずひこ、1936年 - 2022年3月… 吉田 一彦(よしだ かずひこ、1936年 - 2022年3月)は、日本の英語学者、情報史学者。神戸大学名誉教授。専門は英語学、情報論で特に戦争と情報史学の関連著作が多い。 兵庫県神戸市出身。神戸市外国語大学卒業。大阪大学大学院博士課程単位取得退学。英字新聞記者を経て、神戸大学国際文化学部教授、1995年定年退官、名誉教授。神戸大学在職中(1980年代頃)には、非常勤講師として札幌予備学院や大学受験ラジオ講座に出講し、英作文関係の講義を担当した。神戸大学退官後は、北星学園大学文学部教授。2007年退職。
寺田 雅昭(てらだ まさあき、1936年 - )は、日本の医… 寺田 雅昭(てらだ まさあき、1936年 - )は、日本の医学者。専門は、分子腫瘍学。医学博士。国立がんセンター名誉総長。神戸市出身。
佐野 綾目(さの あやめ、1936年 - )は、神戸市生まれ… 佐野 綾目(さの あやめ、1936年 - )は、神戸市生まれ。父は哲学者佐野一彦、母はドイツ出身のドイツ語学者、翻訳家佐野えんね。姉妹に川端春枝。
関口 房朗(せきぐち ふさお/ふさろう、1935年12月20… 関口 房朗(せきぐち ふさお/ふさろう、1935年12月20日 - 2018年5月以前)は、日本の実業家、馬主。血液型はA型。愛称は「フサロー」。多くの派手な逸話により、「豪快馬主」「異色の経営者」と評された。 名前の読みに関しては、「ふさお」とする記載、「ふさろう」とする記載で分かれているが、自身の公式サイトのプロフィールにおいては「ふさお」としている。 兵庫県尼崎市出身。尼崎市立尼崎産業高等学校を中退後、2年ほど個人経営の運送業を営むが、腰の支障により体を崩し廃業。その後は実家の工場「関口工業技術」の営業として勤務。1961年に、名古屋に移り「関口工業技術」名古屋出張所長になる。1963年に関西精器を設立し、代表取締役社長に就任するが、1973年に倒産。
西久保 弘光(にしくぼ ひろみつ、1935年12月12日 -… 西久保 弘光(にしくぼ ひろみつ、1935年12月12日 - 2019年11月12日)は、CMディレクター、CMプランナー。 1935年に上海市で生まれ。1945年の敗戦後に兵庫県姫路市へ引き揚げ、その後、神戸市灘区で育つ。神戸市立鷹匠中学校時代に親友であるギャラリスト西岡務と、藤本弘(藤子・F・不二雄)、楳図かずお、水谷武子らとともに漫画サークル「改漫クラブ」の設立に参加。 兵庫県立神戸高等学校卒業後、阪急百貨店、大阪コマーシャルフィルムを経て、中学時代からの親友である西岡務の紹介によりフォルム画廊(大阪市)へ就職。交通事故により片目を失明し退職。その後梁瀬次郎が立ち上げた日本テレビジョン株式会社(後のTCJ)に就職し、テレビCMディレクター、プランナーとして活動。
山崎 泰孝(やまさき やすたか、1935年11月18日[要出… 山崎 泰孝(やまさき やすたか、1935年11月18日[要出典] - 2016年2月29日)は、日本の建築家。山崎泰孝+AZ環境計画研究所を主宰し代表を務めた。 兵庫県芦屋市生まれ。京都府立鴨沂高等学校を経て、1960年早稲田大学第一理工学部建築学科卒業。1960年〜1970年坂倉準三建築研究所(現・坂倉建築研究所)。1973年、株式会社アズ・インスティチュート(AZ Institute AZ環境計画研究所)設立。1976年福井工業大学教授( - 1996年)、1997年近畿大学文芸学部芸術学科教授( - 2003年)(近畿大学日本文化研究所)[要出典]。 1977年「善光寺別院願王寺」で。昭和51年度 日本建築学会賞(作品)。
生頼 範義(、1935年〈昭和10年〉11月17日 - 20… 生頼 範義(、1935年〈昭和10年〉11月17日 - 2015年〈平成27年〉10月27日)は、日本のイラストレーター。油絵風の画法が特徴。イラスト集や作品展のタイトルでは生賴範義の表記が見られる。「生瀬 範義」は誤表記。息子のオーライタローも画家。 兵庫県明石市生まれ。第二次世界大戦さなかの1945年に鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)に疎開。鹿児島県立川内高等学校卒業。高校卒業後、東京芸術大学美術学部に入学したが、後に中退した。1962年、イラストレーターとして活動を開始。1973年、東京から妻の郷里宮崎県宮崎市に転居。 1980年、SF雑誌に発表した「スターウォーズ」のイメージ画が、制作者のジョージ・ルーカスの目に留まり、その続編ポスター用イラストを正式に依頼される。
本屋敷 錦吾(もとやしき きんご、1935年10月31日 -… 本屋敷 錦吾(もとやしき きんご、1935年10月31日 - )は、兵庫県神戸市東灘区出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者。現在は芦屋市在住。 芦屋高校では在学中に甲子園に3回、国体に3回出場。1年時はベンチ外だったが、チームが出場した1951年夏の選手権では、1年先輩のエース植村義信を擁し準々決勝に進出するも、中西太のいた高松一高に敗退。秋の広島国体では決勝に進むが、広島観音高に敗退。2年上のチームメートに杉谷和男中堅手(のち大映)がいる。二塁手として出場した翌1952年春の選抜では、2回戦で平安高に敗れる。同年夏の選手権は順調に勝ち進み、決勝でエース木村保を擁する八尾高を降し初優勝を飾る。
増田 繁夫(ますだ しげお、1935年10月26日 - )は… 増田 繁夫(ますだ しげお、1935年10月26日 - )は、日本の日本文学研究者。大阪市立大学名誉教授。 兵庫県小野市生まれ。京都大学文学部卒業。甲南大学助教授、梅花女子大学助教授、大阪市立大学教授、1998年定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授。
宇野 順一郎(うの じゅんいちろう、1935年10月19日 … 宇野 順一郎(うの じゅんいちろう、1935年10月19日 - )は、元レーシングライダー、実業家。大阪府大阪市出身。 全日本クラブマンレース(アマチュアライダーと市販マシンが対象)などで活躍した後、ヤマハと契約してワークスライダーになり、国内のレースやモトクロスに出場。選手を引退後は、家業である自動車の電装品の修理販売業を行いながら、レースの競技役員などを務め、中高年に達してからも各種のイベントレースに出場した。 1935年に兵庫県尼崎市に生まれ、大阪府八尾市で終戦を迎える。実父が病死したため、母親が父方の親戚(継父)と再婚した。継父は大阪府大阪市で自動車用バッテリーの再生や新造(当時はバッテリーを何度も再生するのが普通だった)などを行っており、宇野は中学卒業後に自動車の電装品店などに勤め(丁稚奉公)、自動車の電装品の修理技術を身に付けた後、継父と共に電装品の修理販売を行う。
筏 義人(いかだ よしと、1935年10月15日 - )は、… 筏 義人(いかだ よしと、1935年10月15日 - )は、日本の生体工学者。京都大学名誉教授。工学博士(京都大学、1963年)。医学博士(京都大学、1984年)兵庫県出身。
林 薫(はやし かおる、1935年10月1日 - )は、兵庫… 林 薫(はやし かおる、1935年10月1日 - )は、兵庫県西脇市出身の元アマチュア野球選手(投手)。 神戸高では、1952年に秋季近畿大会県予選準決勝に進むが本屋敷錦吾のいた芦屋高に9回裏サヨナラ負け。慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは1955年春季リーグから登板。1956年秋季リーグでは巽一と投の二本柱を組み優勝に貢献。6勝0敗の好記録でベストナイン(投手)に選出された。翌1957年春季リーグ最中に交通事故により重傷を負うが秋季リーグでは復帰した。同季の慶立2回戦で長嶋茂雄に当時リーグ新記録の8号本塁打を喫したことで知られる。リーグ通算36試合11勝8敗、防御率0.89、82奪三振。
丘 さとみ(おか さとみ、本名;菱田 美恵子〈ひしだ みえこ… 丘 さとみ(おか さとみ、本名;菱田 美恵子〈ひしだ みえこ〉・渡辺美恵子〈わたなべ みえこ〉、1935年〈昭和10年〉9月15日 - 2024年〈令和6年〉4月24日)は、日本の女優。兵庫県宝塚市出身。 1953年3月、尼崎市立尼崎高等学校在学中にディズニー映画『シンデレラ(シンデレラ姫)』の日本公開を記念して行われたRKOラヂオ映画社と毎日新聞社主催の「日本シンデレラ姫コンテスト」に応募し、ミス・シンデレラの栄冠に輝く。その副賞で1953年3月20日から4月4日まで渡米し、ディズニー撮影所や女優・アン・ブライスの自宅などを訪問したり、ケーリー・グラントとの2度に亘る会食やソニア・ヘニーのアイスショー観覧といったハリウッド見学に招待されている。
宮内 義彦(みやうち よしひこ、1935年(昭和10年)9月… 宮内 義彦(みやうち よしひこ、1935年(昭和10年)9月13日 - )は、日本の実業家。兵庫県神戸市出身。米ワシントン大学経営学部大学院修士課程修了。 オリックス社長、会長、グループCEOを歴任した。プロ野球・パ・リーグに加盟するオリックス・バファローズの前オーナー。著書もいくつか書いており、『“明日”を追う【私の履歴書】』『グッドリスクをとりなさい!』『私の経営論』『私の中小企業論』『私のリーダー論』などがある。 父の義作は神戸の米国人商館に出入りする木材輸入商社に勤務する貿易商だった。 神戸市立成徳国民学校(現神戸市立成徳小学校)を経て、山口県玖珂郡大畠町に疎開。鳴門国民学校(現柳井市立鳴門小学校)、佐用町立佐用小学校、関西学院中学部・高等部を経て、1958年関西学院大学商学部卒業。
高崎 正弘(高﨑正弘、たかさき まさひろ、1935年〈昭和1… 高崎 正弘(高﨑正弘、たかさき まさひろ、1935年〈昭和10年〉9月7日 - 2026年〈令和8年〉3月15日)は、日本の経営者。さくら銀行(現在の三井住友銀行)会長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1959年に神戸大学経営学部を卒業し、同年に神戸銀行に入行した。1988年6月に太陽神戸銀行取締役に就任し、1992年6月にさくら銀行常務、1994年6月に専務を経て、1997年6月には会長に就任。2001年4月に三井住友銀行相談役を経て、2002年6月には特別顧問に退いた。 2007年10月から2015年10月までに兵庫県教育委員会委員長を務め、関西経済連合会副会長、神戸商工会議所副会頭、住生活グループ非常勤取締役なども務めた。
北野 勉(きたの つとむ、1935年8月24日 - )は、兵… 北野 勉(きたの つとむ、1935年8月24日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。 姫路工大附属高校から1954年に近鉄パールスへ入団。1957年に退団。
宮崎 逸人(みやざき いつひと、1935年8月1日 - )は… 宮崎 逸人(みやざき いつひと、1935年8月1日 - )は、兵庫県多可郡中町(現:多可町)出身の元プロ野球選手。 兵庫県立西脇高等学校卒業後、1954年に大阪タイガースに入団。1955年に1軍初登板し、プロ初勝利を記録した。1956年にはウエスタン・リーグの防御率・勝率1位を記録するなど、若手のホープとして期待されたが、1軍最多登板は同年の9試合と伸び悩み、1958年オフに退団した。
牧 美也子(まき みやこ、Miyako Maki、女性、19… 牧 美也子(まき みやこ、Miyako Maki、女性、1935年〈昭和10年〉7月29日 - )は、日本の漫画家。日本漫画家協会の元参与。夫は同じく漫画家で『銀河鉄道999』などで知られる松本零士。 兵庫県神戸市出身。大阪府立高津高等学校卒業(6期生)。 1957年(昭和32年)『母恋いワルツ』でデビュー。1960年代初めは『りぼん』(集英社)、1963年創刊の『マーガレット』(集英社)や『少女フレンド』(講談社)などで活躍の後、レディースコミックに転向。 近年は、女性週刊誌・青年誌などに『悪女聖書(あくじょばいぶる)』(原作:池田悦子)など官能的な漫画作品を連載し、ドラマ化された作品もある。
粟木原 毅(あわきはら つよし、1935年〈昭和10年〉7月… 粟木原 毅(あわきはら つよし、1935年〈昭和10年〉7月20日 - )は日本映画の照明技師。兵庫県神戸市出身。 1954年に兵庫県立芦屋高等学校を卒業。1955年、東宝に照明助手として入社。1975年に照明技師に昇進。1980年に東宝専属契約者を経て1992年にフリーとなる。
小玉 明利(こだま あきとし、本名読み:はるとし、1935年… 小玉 明利(こだま あきとし、本名読み:はるとし、1935年6月10日 - 2019年5月19日)は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(内野手)・監督。実弟に社会人野球で活躍し、同志社大学監督をつとめた小玉孝がいる。 神崎工業高校2年生時の1953年、近鉄パールスの入団テストを受ける。その際、捕手の根本陸夫に打撃の素質を見出され、根本は芥田武夫監督に「ぜひ小玉を採用すべきだ」と進言した。芥田は朝日新聞運動部長から前年途中に監督に就任したばかりで「高校を中退させるには…」と躊躇したが、根本は「3年まで待つと他球団に取られる」として強引に口説いた。小玉は高校中退してプロ入団か、進級して高校生活を続けるか、という選択を迫られ、自ら高校を中退して入団の道を選んだ。
金光 秀憲(かねみつ ひでのり、1935年6月2日 - )は… 金光 秀憲(かねみつ ひでのり、1935年6月2日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。 浪華商業から清水谷高校を経て、1955年に関西学院大学へ進学し、関西六大学リーグでは1年次の同年秋季に優勝を経験。リーグ通算73試合に出場し、263打数88安打、打率.335、2本塁打の成績を残した。 卒業後の1959年に大洋ホエールズへ入団し、1年目の同年から一軍に定着。2年目の1960年にはエースの秋山登を開幕戦の事故で欠いて6連敗したが、その連敗を止めたのが金光であった。シーズン当初は主に代打での起用だったが終盤には故障の黒木基康に代わり、3番・右翼手として球団史上初のリーグ優勝に貢献。
三木 紀人(みき すみと、1935年5月27日 - )は、国… 三木 紀人(みき すみと、1935年5月27日 - )は、国文学者。お茶の水女子大学名誉教授、城西国際大学客員教授。兵庫県生まれ。
加藤 昌利(かとう まさとし、1935年5月10日 - 19… 加藤 昌利(かとう まさとし、1935年5月10日 - 1985年5月9日)は、兵庫県洲本市生まれのプロ野球選手・審判員。 洲本高校では1953年の春の選抜に初出場。四番打者として、エース北口勝啓(のち明電舎)とバッテリーを組み勝ち進む。決勝では片岡宏雄のいた浪華商を完封で降し、淡路島に優勝旗をもたらした。チームは「瀬戸内少年野球団」と渾名される。北口以外のチームメートに遊撃手の志貴正視(のち法大)がいた。 1954年に期待されて近鉄パールスに入団。1955年には控え捕手として一軍に定着し、3年目の1956年に原勝彦に代わりレギュラー捕手となる。翌年は故障もあって出場機会がなく、1958年に外野手に転向。
福永 有利(ふくなが ありとし、1935年(昭和10年)5月… 福永 有利(ふくなが ありとし、1935年(昭和10年)5月8日 - 2015年(平成27年)5月6日)は、日本の法学者。専門は、民事訴訟法・破産法。神戸大学名誉教授、北海道大学名誉教授。元同志社大学教授。兵庫県加古川市生まれ。従四位瑞宝中綬章。 妻は、大阪大学教授(大学院高等司法研究科)の千葉恵美子。門下生に、 成城大学法学部教授の町村泰貴がいる。
橋本 昌二(はしもと しょうじ、1935年〈昭和10年〉4月… 橋本 昌二(はしもと しょうじ、1935年〈昭和10年〉4月18日 - 2009年〈平成21年>12月2日)は、日本の囲碁棋士。兵庫県明石市出身、関西棋院所属、橋本国三郎七段門下、九段。関西棋院独立当時から若手のエースとして活躍し、「天才昌二」とも言われ、入段から11年で九段に昇段、十段、王座などのタイトルを獲得。関西棋院第一位決定戦で12回優勝し、関西棋院名誉第一位の称号を持つ。棋風は深い読みの力戦型、長考派としても有名で、「重戦車」の異名を取った。 1994年から1998年まで関西棋院理事長。その後特別顧問。 日本棋院台湾支部長で、自宅に道場を開いていた国三郎を父に、台湾に生まれる。幼時から父に囲碁の手ほどきを受け、棋士を目指して厳しい指導を受けた。
嶋田 正義(しまだ まさよし、1935年4月6日 - 202… 嶋田 正義(しまだ まさよし、1935年4月6日 - 2021年11月30日)は、日本の教育者、政治家。兵庫県神崎郡福崎町長(通算5期)。兵庫県町村会理事。全国小さくても輝く自治体フォーラム呼びかけ人。 福崎町出身。神戸大学教育学部卒業後、郷里の中学校での15年間に及ぶ教員生活を経て、福崎町議会議員(日本共産党公認)に転じる。町議は5期20年にわたり務めた。 1995年12月3日投開票の町長選挙に無所属(「明るい福崎町をつくる会」推薦)で立候補、現職の松岡忠能を破り初当選を果たす。当時、共産党籍を持つ首長は山田兼三兵庫県南光町(現佐用町)長、関口荘六新潟県三和村(現上越市)長に次いで3人目となった。
志甫 溥(しほ ひろし、1935年(昭和10年)4月6日 -… 志甫 溥(しほ ひろし、1935年(昭和10年)4月6日 - )は、日本の実業家。TBS元会長。 兵庫県宝塚市出身。1958年(昭和33年)に東京大学教養学部を卒業後、ラジオ東京に入社した。報道番組のインタビューとドキュメンタリー制作や政治取材に長く携わり、1990年に取締役に選任され、常務等を経て、1996年に若い砂原幸雄社長を支えるために会長に就任した。2001年に相談役に退く。 ほかに毎日新聞社監査役、新潟放送取締役、東京エレクトロン監査役なども歴任した。
清水 勤(しみず つとむ、1935年4月5日- )は、日本の… 清水 勤(しみず つとむ、1935年4月5日- )は、日本の経営評論家。 兵庫県神戸市出身。1958年東京大学教育学部教育心理学科卒、東京芝浦電気に入社し、人材開発部担当課長、総合企画部担当課長、勤労部福祉担当課長、76年日野工場総務部長、78年原子力事業本部総務室長、81年人材開発部担当部長を経て退職。職業能力開発総合大学校教授に就任。2001年退任後、HRDリサーチを設立しコンサルタントとなり、多数のビジネス書を執筆。1974年、日本労務管理協会藤林賞を受賞。
たいらまさお(本名:平 正夫、1935年4月5日 - )は、… たいらまさお(本名:平 正夫、1935年4月5日 - )は、フリーライター。兵庫県神戸市生まれ。平龍生(たいらりゅうせい)は兄。 絵本ストーリィ作者として学研の幼児誌を中心に幼年童話を多数執筆 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
平 龍生(たいら りゅうせい、1935年4月5日 - )は、… 平 龍生(たいら りゅうせい、1935年4月5日 - )は、日本の小説家。 兵庫県神戸市生まれ。本名・忠夫。早稲田大学第二文学部日本文学科卒。広告業界で働いたのち、1972年「真夜中の少年」でオール読物新人賞受賞(平忠夫名義)、1983年「脱獄情死行」で横溝正史賞受賞。以後、平龍生の名で小説を発表する。サスペンス、官能小説、ホラー、バイオレンスなどを主に手がける。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
絵沢 萠子(えざわ もえこ、1935年〈昭和10年〉3月28… 絵沢 萠子(えざわ もえこ、1935年〈昭和10年〉3月28日 - 2022年〈令和4年〉12月26日)は、日本の女優。本名:楠 智江、旧姓:松田。旧芸名:松田 友絵。 兵庫県神戸市出身。特技は日舞、バレエ、三味線。夫は1971年に結婚した楠年明。 兵庫県立西宮高等学校、関西学院大学文学部英文科卒業。中学生の頃から女優を志し、高校の文化祭では『修禅寺物語』の楓役を演じた。大学の卒業論文はテネシー・ウィリアムズであった。 大学卒業後は関西で会社勤めをしながら、劇団くるみ座の演劇教室に入る。1963年、『リチャード三世』で初舞台を踏む。 1968年に仕事を辞め、くるみ座も退団。劇団四季に合格したが、上京に備えて発声練習に通っていた頃に新藤兼人の監督映画『強虫女と弱虫男』でデビュー。
山本 次男(やまもと つぎお、1935年3月12日 - 20… 山本 次男(やまもと つぎお、1935年3月12日 - 2024年9月21日)は、日本の経営者。ミネベア社長、会長を務めた。 大阪府出身。1953年に兵庫県立尼崎高等学校を卒業し、同年に積水化学工業に入社。 1964年11月に日本ミネチュアベアリング(のちのミネベア)に転じ、1983年10月に取締役に就任し、1993年12月に常務、1984年6月に専務を経て、1999年6月から2005年6月までに社長を務めた。 2024年9月21日、死去。89歳没。
松岡 享子(まつおか きょうこ、1935年3月12日 - )… 松岡 享子(まつおか きょうこ、1935年3月12日 - )は、日本の翻訳家、児童文学研究者。ビバリー・クリアリーの「ゆかいなヘンリーくんシリーズ」(学習研究社)や、マイケル・ボンドの「くまのパディントンシリーズ」(福音館書店)の翻訳で知られる。
緋本 祥男(ひもと さちお、1935年3月6日 - )は、兵… 緋本 祥男(ひもと さちお、1935年3月6日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手である。ポジションは外野手、一塁手。1954年から1963年までの登録名は、緋本 祥好。 県立西宮高校を卒業後、1954年に広島カープへ入団。入団後最初の2年間は二軍にいたが、1955年の秋に来日したメジャーリーガー、エルストン・ハワード(ニューヨーク・ヤンキース)の極端なクローズドスタンスからヒントを得る。さらに川上哲治の、「部屋の中にろうそくを立て、振ったバットの風力で火を消す」という練習法も覚え、初の一軍昇格を目指す。 1957年には開幕から右翼手、七番打者に抜擢される。同年は主に中堅手として101試合に先発出場、四番打者としても12試合に起用される。
中田 昌宏(なかた よしひろ、1935年2月22日 - 20… 中田 昌宏(なかた よしひろ、1935年2月22日 - 2009年11月16日)は、兵庫県西宮市鳴尾出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)。 現役時代は阪急ブレーブスに所属し、引退後も阪急のコーチ・代理監督・二軍監督を務めたほか、阪急の後身であるオリックスの編成部長・取締役等も歴任した。 鳴尾高校で投手として甲子園に2度出場。1951年の第23回選抜高等学校野球大会では1年上の野武貞次(法大-リッカー)との二本柱で勝ち進み、決勝に進出。決勝の対鳴門高戦で9回を投げ抜くが、1点リードして迎えた9回裏に味方のエラーで同点とされ、さらに自身の三塁牽制悪送球でサヨナラ負けを喫する。甲子園球場から徒歩2分のところにある鳴尾高の初の決勝進出とあって、球場を埋めつくした5万を越える観衆のほとんどが鳴尾高を応援していたが、この敗戦に一瞬で静寂に包まれた。
藤本 統紀子(ふじもと ときこ、1935年〈昭和10年〉2月… 藤本 統紀子(ふじもと ときこ、1935年〈昭和10年〉2月11日 - )は、日本のタレント、エッセイスト。作家・藤本義一の妻。義一との間に2女があり、次女はアーティストのフジモト芽子(まいこ)。 兵庫県神戸市須磨区生まれ。小学二年から商社マンだった父の赴任先、蒙古張家口で育つ。終戦後引き揚げ、父が故郷・広島県尾道市で事業を始めたため、中学一年から高校卒業まで尾道に住んだ。 広島県立尾道北高校を経て大阪女子大学(現・大阪公立大学)英文科に進学。高校、大学と演劇部に所属し、当時大阪府立大学の演劇部だった藤本義一と知り合う。 大学卒業後、スポーツニッポンの文化部記者として二年間勤務。藤本と結婚後退社。
生田 正治(いくた まさはる、1935年1月19日 - 20… 生田 正治(いくた まさはる、1935年1月19日 - 2023年11月13日)は、日本の実業家。位階は従三位、勲等は旭日大綬章。株式会社商船三井社長、会長、日本郵政公社初代総裁(2003年 - 2007年)を歴任。慶應義塾理事。慶應義塾評議員。
河谷 禎昌(かわたに さだまさ、1935年1月17日 - 2… 河谷 禎昌(かわたに さだまさ、1935年1月17日 - 2025年12月13日)は、日本の経営者、銀行家。北海道拓殖銀行最後の頭取を務めた。 兵庫県神戸市出身。祖父と兄は弁護士、父は裁判官の法曹一家に育つ。北海道札幌北高等学校を経て、1957年に北海道大学法学部を卒業し、同年に北海道拓殖銀行に入行。 業務企画部長、企画部長、1986年7月に取締役、1989年4月に常務、1992年6月に専務、1993年6月に副頭取を経て、1994年6月に頭取に就任し、破綻する1997年11月まで務めた。破綻後、特別背任罪で実刑判決が確定し、2009年12月から1年7ヶ月服役した。その後はテレビ局、新聞社のインタビューに時折答えていた。
植村 義信(うえむら よしのぶ、1935年1月5日 - 20… 植村 義信(うえむら よしのぶ、1935年1月5日 - 2023年5月30日)は、兵庫県芦屋市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。 息子はフジテレビプロデューサーの植村義勝。 当時スポーツの花形であった野球をするのは男子のステータスの一つであり、植村もその波に乗っかった。ボール一つに不自由した時代でもあり、芦屋高校で野球部に入ると「白球を触るだけでうれしかった」という。ボール拾いの際に1球こっそり持ち帰り、裸電球の下、自宅そばの土壁に当てて投球練習をした。この積み重ねが豪速球とドロップを生み出し、その後の人生も変えていった。 杉谷和男(大映)の1学年下、本屋敷錦吾(阪急・阪神)の1学年上で、2年次の1951年夏から3回連続で甲子園に出場。
井上 隆一郎(いのうえ りゅういちろう、1935年 - )は… 井上 隆一郎(いのうえ りゅういちろう、1935年 - )は、日本の国際問題評論家、桜美林大学名誉教授。本名・井上朗。 兵庫県芦屋市生まれ。1957年、関西学院大学経済学部卒業。1959〜61年、フランス、イタリアに留学。日本貿易振興会(ジェトロ)に入り、調査部、経済情報部、パリ、アムステルダム駐在、主任調査研究員を経て、桜美林大学教授。2006年定年、名誉教授、日本貿易振興機構客員研究員。
尾上 壽男(おのえ ひさお、1935年〈昭和10年〉 - )… 尾上 壽男(おのえ ひさお、1935年〈昭和10年〉 - )は、日本の実業家。グローリー名誉会長。姫路商工会議所顧問。父はグローリー工業社長の尾上壽作。祖父は国栄機械製作所(現グローリー)創業者の尾上作兵衛。 兵庫県姫路市出身。物心ついたのは4、5歳ころの1940年前後で、当時尾上家の家業である会社は国鉄姫路駅の南西にあり、自宅はその隣だった。家は割合裕福だった。父の壽作は乗馬が好きで、馬を飼っていた。父が家庭では「うるさいおやじ」だったため、親元を離れたくて地元の高校を卒業すると東京へ出た。中央大学理工学部へ進んだ。よく遊んだので成績は中ぐらいだった。 大学を卒業した1959年は就職難で、職が決まらなかった。
北岡 耕二(きたおか こうじ、1935年 - )は、日本の小… 北岡 耕二(きたおか こうじ、1935年 - )は、日本の小説家。兵庫県神戸市出身、一橋大学社会学部卒業。電通を定年退職。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
赤松 宏(あかまつ ひろし、1935年 - 2025年6月1… 赤松 宏(あかまつ ひろし、1935年 - 2025年6月1日)は、日本の哲学者、ドイツ哲学研究者。名古屋大学名誉教授。 神戸市生まれ。1960年東京大学文学部哲学科卒業。1963年同大学院修士課程修了。1967年関西大学大学院博士課程中退。 1966年名城大学講師。1967年名古屋工業大学講師。1973年名古屋工業大学助教授。1973年文部省内地研究員として京都大学へ留学。1975年ボン大学(西ドイツ)へ留学。1981年名古屋工業大学教授。1987年名古屋大学文学部教授、1999年定年退官、名誉教授。2000年愛知産業大学教授。 専門は、西洋哲学(現代哲学)―ハイデッガー、マルセル、サルトルなど。