中谷 剛(なかたに たけし、1966年 - )は、日本の通訳… 中谷 剛(なかたに たけし、1966年 - )は、日本の通訳・翻訳家(日本語・ポーランド語)。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所内にあるアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の日本人初の公認ガイド。 兵庫県神戸市生まれで、親の転勤で栃木県足利市で子ども時代を過ごす。1987年、京都産業大学経営学部在学中に初めてポーランドへ旅行。同大学を卒業後、3年間の会社勤めを経て退職。再びポーランドに赴き、1991年よりポーランドに移住、1997年ポーランド国立アウシュビッツ・ミュージアムの公式通訳の資格を取得。現在、同ミュージアム唯一の日本語公式ガイド(嘱託)。 2008年現在、ポーランド・オシフィエンチム在住。
三浦 順子(みうら じゅんこ、1957年 - )は、日本のチ… 三浦 順子(みうら じゅんこ、1957年 - )は、日本のチベット語の翻訳家。 西宮市生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。インドのダラムサラに滞在し、チベット難民と共に4年間を過ごす。帰国後からチベット関係の翻訳や通訳にたずさわる。
井谷善恵(いたに よしえ、井谷善惠、YOSHIE ITANI… 井谷善恵(いたに よしえ、井谷善惠、YOSHIE ITANI,D.Phil(Oxon)、1954年9月 - )は、日本の美術史家、翻訳家。専門は、近代における輸出陶磁器を中心とした輸出工芸史、および異文化交流史。日本コーヒー文化学会第4代会長、現代手工芸作家協会会長、国際工芸交流機構代表理事、日本ポーセリン協会会長、アジア・テキスタイル文化研究所代表理事、日本旅行作家協会会員、日本翻訳家協会会員。帝京大学医学部客員教授、東京藝術大学グローバルサポートセンター特任教授を歴任。兵庫県伊丹市生まれ。 《出典:井谷善恵の世界のPROFILE》 『珈琲と文化』『珈琲の四季』など
鈴木 創士(すずき そうし、1954年4月8日 - )は、日… 鈴木 創士(すずき そうし、1954年4月8日 - )は、日本のフランス文学者、作家、評論家、翻訳家、ミュージシャン、兵庫県神戸市出身。 甲陽学院高等学校卒。その後、渡仏。帰国後、サバト館(顧問 生田耕作)の編集者でもあった。 伝説のカルト的ニューウェイヴ・バンドEP-4の初期オリジナル・キーボード奏者でもある。作家活動のほか、ミュージシャンとしてEP-4 、及び本隊からの別働隊として EP-4 unitP などでも活動。
村上 春樹(むらかみ はるき、1949年1月12日 - )は… 村上 春樹(むらかみ はるき、1949年1月12日 - )は、日本の小説家、アメリカ文学翻訳家。京都府京都市伏見区に生まれ、兵庫県西宮市・芦屋市に育つ。
永瀧 達治(永滝 達治、ながたき たつじ、1949年- )は… 永瀧 達治(永滝 達治、ながたき たつじ、1949年- )は、日本のフランス音楽・映画評論家、翻訳家。 兵庫県神戸市生まれ、大阪府育ち。静岡大学中退、パリ第3大学映画科に在籍。帰国後、1970年代より、評論家、プロデューサーとして、数多くのフランスの歌手を日本に紹介。1990年仏政府芸術文化シュバリエ、2005年オフィシエ章受勲。日仏メディア協会(TMF)理事。 妻はフランソワーズ・モレシャン。アガタ・モレシャンは妻の連れ子。
丘沢 静也(おかざわ しずや、1947年10月17日 - )… 丘沢 静也(おかざわ しずや、1947年10月17日 - )は、日本のドイツ文学者、翻訳家。首都大学東京名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。東京大学文学部卒、同大学院修士課程修了、東京大学助手、立教大学専任講師、旧・東京都立大学助教授をへて教授。 エンデ、エンツェンスベルガー、カフカ、ニーチェ、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインなどを翻訳し、自分でも、マンネリズムやがんばらないスポーツの醍醐味を伝えるエッセイを書く。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
石浜 みかる(いしはまみかる、女性、1941年 - )は、日… 石浜 みかる(いしはまみかる、女性、1941年 - )は、日本のノンフィクション作家、翻訳家。神奈川県藤沢市在住。 神戸市生まれ。戦時中、キリスト教を信仰していた父親が治安維持法違反で投獄された経験を持つ。 1965年神戸女学院大学卒。在学中イスラエルを訪れキブツに暮らす。卒業後は英語教師、専門学校教師などのかたわら文筆活動を行う。 1966年当時映画監督の高橋治と結婚、二児を儲ける。子は文月涼。
池内 紀(いけうち おさむ、1940年11月25日 - 20… 池内 紀(いけうち おさむ、1940年11月25日 - 2019年8月30日)は、日本のドイツ文学者、エッセイスト、翻訳家。 カフカを中心にドイツ文学の評論・翻訳が専門。旅行記や人物伝、大衆芸能と幅広く文筆活動を行う。著書に『ウィーンの世紀末』(1981年)、『海山のあいだ』(1994年)、『カント先生の散歩』(2016年)など。 兵庫県姫路市出身。姫路市立城北小学校卒業。兵庫県立姫路西高等学校卒業、東京外国語大学外国語学部卒業、1965年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。神戸大学講師、旧:東京都立大学助教授、1986年東京大学文学部助教授を経て、1990年に教授。定年前の1996年に早期退官。
末松 氷海子(すえまつ ひみこ、1937年10月22日 - … 末松 氷海子(すえまつ ひみこ、1937年10月22日 - )は、日本のフランス児童文学の研究者、翻訳家。筆名は、生家の姓。 兵庫県芦屋市出身。父は朝日新聞記者の末松満()。本姓・井出。早稲田大学政経学部新聞学科卒。1961年から1962年、フランス・リールのカトリック大学(英語版)新聞学部に学ぶ。1964年に行政学者の井出嘉憲と結婚。
松岡 享子(まつおか きょうこ、1935年3月12日 - )… 松岡 享子(まつおか きょうこ、1935年3月12日 - )は、日本の翻訳家、児童文学研究者。ビバリー・クリアリーの「ゆかいなヘンリーくんシリーズ」(学習研究社)や、マイケル・ボンドの「くまのパディントンシリーズ」(福音館書店)の翻訳で知られる。
小中 陽太郎(こなか ようたろう、1934年〈昭和9年〉9月… 小中 陽太郎(こなか ようたろう、1934年〈昭和9年〉9月9日 - 2024年〈令和6年〉12月3日)は、日本の小説家、社会評論家、翻訳家。 兵庫県神戸市生まれ。 幼時を上海で過ごす。東京都立大学附属高等学校を経て、東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事。1958年に同大学を卒業してNHKに入り、ディレクターとして『夢であいましょう』などを手がける。 1964年に退職してフリーとなり、野坂昭如の薫陶を受けてルポルタージュやコラムを執筆。 1965年、小田実たちと共にベ平連を結成。世話人としてパリやハノイやストックホルムに赴き、国際連帯に貢献する。特に脱走兵援助では、ハノイやモスクワを巡った。 1970年から法政大学講師を務める。
上田 公子(うえだ きみこ、1930年3月8日 - 2011… 上田 公子(うえだ きみこ、1930年3月8日 - 2011年7月22日)は、日本の翻訳家。 兵庫県神戸市生まれ。熊本県立女子専門学校英文科卒業。40代以後、英語の推理小説を翻訳した。 2011年、膵臓癌のため81歳で死去。 息子は宗教学者の上田紀行、義理の娘は武内陶子。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
河野 一郎(こうの いちろう、1930年1月6日 - 202… 河野 一郎(こうの いちろう、1930年1月6日 - 2023年1月6日)は、日本の英文学者、比較文学者、翻訳家。東京外国語大学およびフェリス女学院大学名誉教授。専門は、19・20世紀イギリス小説、児童文学。20代から多くの英米文学を訳し、翻訳学校教師も務めた。 兵庫県芦屋市出身(大阪府出身とも)。1947年(昭和22年)東京高等師範学校附属中学校、1951年(昭和26年)東京外事専門学校卒業。1954年(昭和29年)東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業 。 1958年に一橋大学講師。1961年に東京外国語大学講師。1964年にカリフォルニア大学客員教授。1970年に東京外国語大学教授を経てフェリス女学院大学教授。
川井 秀幸(かわい ひでゆき、1929年7月21日 - 20… 川井 秀幸(かわい ひでゆき、1929年7月21日 - 2016年6月16日)は、元宝塚歌劇団所属の演出家、脚本家、翻訳家。兵庫県神戸市出身。関西大学法学部卒業。 1955年、宝塚歌劇団に入団、白井鐵造に師事する。1959年にはカナダ・アメリカ公演の、1965年にはフランス公演の舞台監督を務める。英語が堪能で「オクラホマ!」や「回転木馬」・「ミー・アンド・マイガール」・「キス・ミー・ケイト」などブロードウェイミュージカルの企画・交渉・翻訳・通訳などに携わる一方、郷土芸能研究会において「鯨」「ユンタ」などの日本の伝統文化を題材にした作品の脚本、演出も手掛ける。長年にわたり機関誌「歌劇」で主にブロードウェイミュージカルを紹介したエッセイ「ミュージカル」を掲載する。
後藤 安彦(ごとう やすひこ、1929年5月28日 - 20… 後藤 安彦(ごとう やすひこ、1929年5月28日 - 2008年2月16日)は、日本の翻訳家、歌人。本名は二日市 安。 兵庫県西宮市生まれ。 生来の脳性麻痺のため、堺市立熊野国民学校卒業後は自宅で暮らす。少年期から青年期にかけては幽閉同然に大分県で育った。1958年に桐三樹夫の推挙で短歌結社「中央線」入会。1964年に結社新人賞、1972年に作品賞を受賞。数か国語を独学で学び、翻訳家となる。ジョン・ガードナーやトマス・チャステイン(Thomas Chastain)など、推理小説を翻訳。障害者運動にも積極的に活動した。「車椅子の国会議員をつくる会」を立ち上げて代表をつとめようとしたこともあるが、すぐにつぶれたという。
須賀 敦子(すが あつこ、1929年1月19日(戸籍上は2月… 須賀 敦子(すが あつこ、1929年1月19日(戸籍上は2月1日) - 1998年3月20日)は、日本の随筆家・イタリア文学者・翻訳家。 20代後半から30代が終わるまでイタリアで過ごした。日本に帰国し40代はいわゆる専業非常勤講師として過ごす。50代以降、イタリア文学の翻訳者として注目され、50代後半からは随筆家としても脚光を浴びた。代表的な著作に『ミラノ霧の風景』(1990年)、『コルシア書店の仲間たち』(1992年)など。 死去後の2014年に、イタリア語から日本語への優れた翻訳を表彰する須賀敦子翻訳賞が創設されている。 大手の空調・衛生設備業者、須賀工業(旧須賀商会)経営者の家に生まれる。
加地 美知子(かじ みちこ、1929年 - )は、日本の英米… 加地 美知子(かじ みちこ、1929年 - )は、日本の英米文学翻訳家。 兵庫県神戸市生まれ。同志社女子専門学校(現・同志社女子大学)英語科卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日… 安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日 - 2002年(平成14年)4月9日)は、日本の俳人、詩人、評論家、翻訳家。俳号は流火艸堂。 1919年(大正8年)岡山県苫田郡東苫田村(現在の津山市)生まれ。小学5年時に一家で神戸に移住。第二神戸中学校卒業後、1937年、旧制第三高等学校文科丙類(フランス語)に入学。1941年(昭和16年)頃より「寒雷」に投句、加藤楸邨に俳句を学ぶ。1942年(昭和17年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。
岩谷 時子(いわたに ときこ、1916年(大正5年)3月28… 岩谷 時子(いわたに ときこ、1916年(大正5年)3月28日 - 2013年(平成25年)10月25日)は、日本の作詞家、詩人、翻訳家。本名:岩谷 トキ子(読み同じ)。歌手・越路吹雪のマネージャーを務めたことでも知られる。
尾上 政次(おのえ まさじ、1912年3月14日 - 199… 尾上 政次(おのえ まさじ、1912年3月14日 - 1994年1月18日)は、日本の英語学・アメリカ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。 兵庫県姫路市生まれ。尾上作兵衛の六男。姫路高等学校を経て、1934年東京帝国大学英文科卒。1939年まで大学院に在籍し、大阪高等学校教授、武蔵大学教授、戦後1951年中央大学経済学部助教授、1953年文学部助教授、教授、1982年定年となり名誉教授。はじめアメリカ英語を研究し、のち文学研究、翻訳をおこなった。 1994年1月18日、急性心不全のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
田中 寿美子(たなか すみこ、1909年(明治42年)12月… 田中 寿美子(たなか すみこ、1909年(明治42年)12月20日 - 1995年(平成7年)3月15日)は、日本の政治家、婦人問題評論家、翻訳家。日本社会党中央執行副委員長、日本婦人会議(現・I女性会議)議長、婦人問題懇話会代表などを歴任。 夫は社会党衆議院議員の田中稔男。次女はメキシコ大学院大学アジア・アフリカ研究センター教授の田中道子。 兵庫県神戸市生まれ。高等女学校教師などを経て、1948年、労働省婦人少年局に入省。同僚には森山真弓、赤松良子らがいた。1950年、婦人課長に就任。1955年に退職し、日本社会党に入党した。婦人問題の評論家として活動。 1960年11月の衆院選で夫の田中稔男が次点で落選。
十一谷 義三郎(じゅういちや ぎさぶろう、1897年10月1… 十一谷 義三郎(じゅういちや ぎさぶろう、1897年10月14日 - 1937年4月2日)は、昭和初期の小説家、翻訳家。 神戸市元町生まれ。早くに父を失い、兵庫県立第一神戸中学校を卒業後、苦学と病気を経て第三高等学校から1922年東京帝国大学英文科卒。1920年学生時代に三宅幾三郎、本田喜代治らと同人誌『行路』を創刊、東京府立第一中学校の英語教師をしながら創作を行い、1924年川端康成、横光利一らの『文藝時代』に参加。文化学院英語英文学主任。1928年『唐人お吉』が好評を得て、国民文芸賞を受賞した。知的な文体で知られ、敗残者への共感、現世放棄的傾向に特徴がある。他に代表作『静物』『仕立屋マリ子の半生』など。
河野 与一(こうの よいち、1896年(明治29年)9月12… 河野 与一(こうの よいち、1896年(明治29年)9月12日 - 1984年(昭和59年)7月6日)は、日本の哲学者・翻訳家。元東北帝国大学教授。 1896年、神奈川県で生まれた。神戸で育ち、神戸一中から東京帝国大学哲学科に進み、卒業。 卒業後は、暁星中学校に教諭として勤務。その後、第三高等学校教授、法政大学教授を経て、1927年に東北帝国大学助教授に就いた。1946年に教授昇格。戦後の1950年、東北帝国大学を退官して岩波書店の顧問として迎えられた。 多数の言語に通じ、フランス文学、哲学、西洋古典語を講じた。1957年、『プルターク 英雄伝』の原典訳で読売文学賞に選ばれたが、受賞を辞退した。
伊藤 貴麿(いとう たかまろ、1893年9月5日 - 196… 伊藤 貴麿(いとう たかまろ、1893年9月5日 - 1967年10月30日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。 兵庫県神戸市生まれ。1920年早稲田大学英文科卒。1924年新感覚派の同人誌『文藝時代』に参加し、のち文芸春秋系の作家となる。その後児童文学界の重鎮となり、『西遊記』の再話などで知られた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
深尾 須磨子(ふかお すまこ、1888年〈明治21年〉11月… 深尾 須磨子(ふかお すまこ、1888年〈明治21年〉11月18日 - 1974年〈昭和49年〉3月31日)は、日本の詩人、作家、翻訳家。本名は荻野志げの(おぎの しげの)。 兵庫県氷上郡大路村(現・丹波市)の旧家の生まれ。京都師範学校中退、1907年京都菊花高等女学校卒。与謝野晶子に師事する。大正元年(1912年)詩人で技師の深尾贇之焏と結婚するが、大正9年(1920年)に死別。夫の遺稿集『天の鍵』を出版、その附録に深尾須磨子作として掲載した詩54篇と散文「最終の旅」が処女作となる。 大正14年(1925年)詩集『斑猫』を上梓すると神戸港から箱根丸で初めてフランスに渡り、シドニー=ガブリエル・コレットの知遇を得ている。
塩井 雨江(しおい うこう、1869年2月13日(明治2年1… 塩井 雨江(しおい うこう、1869年2月13日(明治2年1月3日) - 1913年(大正2年)2月1日)は、日本の詩人、国文学者、翻訳家。本名・正男。 兵庫県豊岡市出身。豊岡藩士の子。1886年(明治19年)7月、第一高等中学校に入学。1892年(明治25年)7月、第一高等中学校文科を卒業。同月、東京帝国大学に入学。 1895年(明治28年)7月、東京帝国大学文科大学国文科卒。落合直文に師事。同年『帝国文学』の創刊とともに編集委員となり、擬古文で名を知られた。詩人として新体詩の普及に貢献する一方で、国文学者としても活躍。 1895年(明治28年)9月、立教学校(現・立教大学)の教授に就任し、国文国語を講じた。
柴原 亀二(しばはら かめじ、慶応2年8月4日(1866年9… 柴原 亀二(しばはら かめじ、慶応2年8月4日(1866年9月12日) - 昭和10年(1935年)3月)は、明治から昭和にかけての官僚・翻訳家・弁護士。養父は龍野藩士で明治維新後千葉県令・貴族院議員などを務めた柴原和。号は楫川(いつせん)。 龍野藩士・森井栄の長男として播磨国龍野(現在の兵庫県たつの市)に生まれる。18歳の時、叔父の柴原和の養子となった。明治21年(1888年)に東京帝国大学法科を卒業、翌年からヨーロッパに留学してケンブリッジ大学を卒業し、イギリス・フランス・ドイツなどで法律学を学ぶ。留学中に明治24年(1891年)に帝国大学卒業者の資格によって法制局に試補される。明治28年(1895年)に帰国後、一旦弁護士を開業するが、翌年台湾総督府参事官となり、後に台南県鳳山支庁長に転じる。
大島 貞益(おおしま さだます、弘化2年2月17日(1845… 大島 貞益(おおしま さだます、弘化2年2月17日(1845年3月14日) - 大正3年(1914年)10月19日)は明治時代の著作家(経済評論家)・翻訳家・教育者。号は「石華」。 日本におけるF・リストの紹介者および保護貿易論者として知られ、「日本のリスト」と称される。 但馬国養父郡大藪村(現兵庫県養父市大藪)で、大藪領主旗本小出英道の家臣、西洋兵学者・大島貞薫と敦子の三男に生まれる。幼名は益三郎。箕作麟祥の英学塾に学んだ後、慶応4年(1868年)7月に新政府の海軍省翻訳方に出仕し、以降文部省・統計寮・外務省などを転々とし明治11年(1878年)1月に外務省御用掛を免職となるまで翻訳業務に従事した。