山野 幸吉(やまの こうきち、1916年〈大正5年〉3月10… 山野 幸吉(やまの こうきち、1916年〈大正5年〉3月10日 - 1998年〈平成10年〉7月8日) は、日本の内務・自治官僚。初代沖縄・北方対策庁長官。位階は正四位。 島根県松江市出身。松江高等学校を卒業し、1941年10月、高等試験行政科試験に合格。同年12月、東京帝国大学法学部を卒業。翌1942年、内務省に入省し神奈川県属となる。 短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月、同校を卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 戦後、内務省に復帰し、静岡県商工課長、自治省公務員課長、千葉県総務部長、総理府特別地域連絡局長などを経て、1970年5月、沖縄・北方対策庁長官に就任した。
森岡 貞香(もりおか さだか、女性、1916年3月4日 - … 森岡 貞香(もりおか さだか、女性、1916年3月4日 - 2009年1月30日)は、歌人。
成相 善十(なりあい ぜんじゅう、1915年(大正4年)12… 成相 善十(なりあい ぜんじゅう、1915年(大正4年)12月4日 - 1998年(平成10年)11月10日)は、日本の政治家、参議院議員を務める(2期)。柔道家。 島根県出雲市出身。慶應義塾大学法学部政治学科を1941年に卒業。島根県議会議員を経て、1977年の第11回参議院議員通常選挙に出馬し当選。同郷の櫻内義雄に近かったため中曽根派に所属し、参議院議院運営委員会筆頭理事、参議院農林水産委員長、自由民主党参院副幹事長などの要職を歴任した。1989年の第15回参議院議員通常選挙では自民党公認が得られず、無所属で出馬して落選、政界を引退した。 1998年11月10日、肺炎のため出雲市の島根医科大学医学部附属病院で死去、82歳。
熊谷 典文(くまがい よしふみ、1915年(大正4年)11月… 熊谷 典文(くまがい よしふみ、1915年(大正4年)11月30日 - 1999年(平成11年)4月1日)は、日本の官僚。通商産業事務次官で退官後、住友金属工業社長・会長。位階は従三位。 島根県浜田市出身。浜田中学、六高を経て、1939年(昭和14年) 東京帝国大学法学部法科を卒業し住友本社に入社する。 翌年、商工省(後、通産省)入省。同期に、吉國一郎、小島慶三など。 戦後、通産省重工業局長、官房長、公益事業局長、企業局長を経て、1968年(昭和43年) 通産事務次官就任。八幡製鐵・富士製鐵の合併を推進した。 1969年(昭和44年)に退官し、1971年(昭和46年)住友金属工業に入社、常務に就任。
佐々木 常助(ささき つねすけ、1915年8月16日 - 没… 佐々木 常助(ささき つねすけ、1915年8月16日 - 没年不明)は、島根県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは外野手。
深谷 義治(ふかたに よしはる、1915年6月20日 - 2… 深谷 義治(ふかたに よしはる、1915年6月20日 - 2015年4月21日)は、日本の陸軍軍人。 1915年6月20日、島根県大田市の農家に長男として生まれる。 1937年、浜田歩兵第21連隊に入隊。訓練後、中国の戦場で戦闘中に負傷。1939年に憲兵志願試験に合格。日本憲兵教習隊の第二中隊に配属され、中国の言語・歴史・地理などを学び、優秀な成績で卒業。1940年末、極秘の特殊任務を受けて中国人を装い、諜報員として活動を始める。敵国紙幣を偽造して貨幣市場を混乱させるなどの任務を成功させ、27歳で瑞宝章を受けた。終戦後も任務続行という命令を受け、中国に13年間潜伏。1958年にスパイ容疑で中国当局に逮捕され、上海市第一看守所(拘置所)と上海市監獄(刑務所)に合わせて20年4ヶ月収監。
原 良宗(はら よしむね、1915年〈大正4年〉3月9日 -… 原 良宗(はら よしむね、1915年〈大正4年〉3月9日 - 2004年〈平成16年〉9月22日)は、日本の政治家。島根県平田市(現・出雲市)長(5期)。位階は従四位。 島根県簸川郡平田町(のち平田市、現・出雲市)出身。1930年(昭和5年)、島根県立大社中学校(現・島根県立大社高等学校)中退。中退後は印刷所を経営。1941年(昭和16年)に島根合同印刷専務に就任し、のち報光社代表取締役となる。1955年(昭和30年)、平田市議会議員に当選する。1959年(昭和34年)、島根県議会議員選挙に平田市選挙区から自由民主党公認で立候補して初当選を果たした。県議を2期務めた後の1967年(昭和42年)、平田市長に当選する。
福田 時雄(ふくだ ときお) のち 森山 時雄(もりやま と… 福田 時雄(ふくだ ときお) のち 森山 時雄(もりやま ときお、1915年2月10日 - 2001年1月6日)は、日本の陸上競技(障害走)選手・指導者、実業家、美術収集家。1936年ベルリンオリンピックに男子400メートルハードルで出場。 島根県出身。県立大社中学校(現在の島根県立大社高等学校)卒業。 関西大学に入学。1936年ベルリンオリンピックで日本代表選手となり、男子400メートルハードルに出場。 1937年9月5日、日本陸上競技選手権大会400メートルハードルにおいて、当時の日本学生記録(54秒8)をマーク。 1938年(昭和13年)関西大学法学部卒業。醸造業を営み、島根県醤油工業協同組合理事長を務めた。
吾郷 寅之進(あごう とらのしん、1914年3月12日 - … 吾郷 寅之進(あごう とらのしん、1914年3月12日 - 1983年6月28日)は、日本の国文学者。文学博士(東北大学・1976年)(学位論文「中世小歌と小歌集の成立に関する研究」)。奈良教育大学名誉教授。 島根県大田市生まれ。旧制福岡県立嘉穂中学校、旧制第五高等学校を経て、1938年に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。1950年奈良学芸大学助教授、1959年教授、1966年校名変更で奈良教育大学教授、1976年「中世小歌と小歌集の成立に関する研究」で東北大学より文学博士の学位を取得。1979年奈良教育大学を定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授。同志社大学学長で国文学者の植木朝子は孫。
横山 重之(よこやま しげゆき、大正3年(1914年) - … 横山 重之(よこやま しげゆき、大正3年(1914年) - 昭和52年(1977年))は、日本の実業家。能義醤油株式会社(現・ヤマノ株式会社)元取締役会長。横山家第10代当主。
宮田 隆(みやた たかし、1913年12月16日 - 198… 宮田 隆(みやた たかし、1913年12月16日 - 1982年7月8日)は、島根県隠岐郡海士町出身の作詞家。放送劇やコント、随筆、シナリオ等も執筆。 1913年、隠岐諸島で生まれる。父は小学校長。島根師範学校(現在の島根大学)に入学するが肺結核を病み中退。完治した後、島根県立商船水産学校(現在の島根県立隠岐水産高等学校)製造科に編入学した。商船水産学校在学中に取材のために隠岐を訪れた西條八十を父が案内したことから交流が生まれ、西條が主宰する詩謡雑誌「蝋人形」に投稿するようになる。1932年、玉造温泉の新民謡公募に応募した「玉造小唄」が一等入選し、本格的に作詞家としての活動を開始。商船水産学校を1933年3月に卒業した後は、兵庫県庁に勤めた。
北井 正雄(きたい まさお、1913年8月7日 - 1937… 北井 正雄(きたい まさお、1913年8月7日 - 1937年8月7日)は、草創期のプロ野球選手。阪急の初代エース。投手。島根県出身。
佐々木 直吉(ささき なおきち、1913年(大正2年)5月2… 佐々木 直吉(ささき なおきち、1913年(大正2年)5月20日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。真珠湾攻撃において「甲標的」(特殊潜航艇)搭乗員として戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍特務少尉。 島根県出身。出産前からの心臓病で直吉の出産4日目に死亡、7歳で父を失っている。酒屋、農業、石見焼製造を営む叔父夫婦に育てられ、小学校高等科を卒業。金物商や材木商に見習いとして勤めたが、短期間で帰郷。海軍を志望し、2度目の受験で合格。1932年(昭和7年)呉海兵団に入団した。 駆逐艦「薄雲」、「蔦」、「磯波」乗組の艦隊勤務のほか、潜水学校、水雷学校高等科を修了している。
鎌田 正蔵(かまた まさぞう、1913年 - 1999年)は… 鎌田 正蔵(かまた まさぞう、1913年 - 1999年)は、日本の洋画家、シュールレアリズム(超現実主義)運動画家。 福島県立美術館、郡山市立美術館、小野町ふるさと文化の館美術館
細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、1912年〈明治4… 細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、1912年〈明治45年〉5月2日 - 2007年〈平成19年〉2月11日)は、日本の運輸官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(10期)。正三位勲一等。松江市名誉市民。 長男は衆議院議長、自由民主党幹事長、内閣官房長官、衆議院議員(11期)を歴任した細田博之。 島根県松江市西茶町に細田義一郎、千代乃の間に6人兄弟の4番目として生まれる。生家は、屋号を丸吉印「細田本店」、「細田油店」と称する油卸問屋。実父義一郎の弟・六助、つやの夫妻に子供がいなかったため、生まれてすぐに養子にだされ、養父母に育てられる。養母が薬屋を開いており、両方の店を手伝いながら少年時代を過ごす。
横地 治男(よこち はるお、1912年3月10日- 2007… 横地 治男(よこち はるお、1912年3月10日- 2007年3月28日)は、日本の実業家、柔道家。島根県隠岐の島町名誉町民。 島根県隠岐郡出身。島根県立隠岐商船水産学校(現・島根県立隠岐水産高等学校)を卒業し陸軍に入隊、少尉で終戦を迎えて満州から復員した。復員後は防錆用の塗料販売業を手掛け、1956年に大日本化学商事(現ダイニッカ)として法人化。リッカーが経営破綻した際には一時期事業管財人を務めている。 実業界での活動の傍ら1975年には東京都世田谷区に柔道の私塾「講道学舎」を創立。オリンピック選手をふくめ、約200名の選手を輩出した。また、全日本柔道連盟顧問も務めた。 2007年3月28日、不整脈のため東京都目黒区の病院で死去、95歳没。
横山 正克(よこやま まさかつ、1912年〈明治45年〉2月… 横山 正克(よこやま まさかつ、1912年〈明治45年〉2月4日 - 没年不詳)は日本の実業家。島根県安来市出身。 政治家の亀井久興の父親亀井茲建とは中学の同窓、高等学校で同級生だった。また亀井久興の後援会「明るい日本をつくる会」の会長を務めた。また、娘・陽子は亀井久興の妻となった。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
津島 美知子(つしま みちこ、1912年(明治45年)1月3… 津島 美知子(つしま みちこ、1912年(明治45年)1月31日 - 1997年(平成9年)2月1日)は、小説家・太宰治の妻。旧姓:石原。 太宰の作品に登場することも多い。「春の盗賊」「薄明」「親友交歓」「女神」「父」「美男子と煙草」「家庭の幸福」ほか、「十二月八日」では一人称で登場する。 石原初太郎・くらの四女として島根県那賀郡浜田町(現:浜田市)に生まれる。父の初太郎は山梨県中巨摩郡松島村大下条(現:甲斐市大下条)出身の地質学者で、当時島根県の中学校で校長を務めていた。 山形県の山形県立米沢中学校校長や広島県の広島高等師範学校地質学教室講師を務めた父の転勤に伴い、各地を転々と移り住んだが、1922年(大正11年)、父祖の地である山梨県甲府市水門町29番地(現・山梨県甲府市朝日一丁目)に戻る。
景山 俊弘(かげやま としひろ、1911年(明治44年)4月… 景山 俊弘(かげやま としひろ、1911年(明治44年)4月23日 - 1999年(平成11年)3月19日)は、日本の政治家。掛合町議会議員、掛合町長を歴任した。位階は従五位。 旧制松江中学校(現島根県立松江北高等学校)卒。島根県の大財閥として重きをなしていた田部長右衛門知事の秘書をつとめる。1942年から1951年に合併するまで旧掛合村村議となり、町制施行後は引き続き掛合町議となる。また同町教育委員を1952年から1955年まで務め、同町農業委員も1957年から務めた。後に、掛合町から竹下登が田部の後押しを受け、県議を経て国会議員となると、景山は竹下側近として掛合町議会議員となり、町議会議長となった。
木村 栄(きむら さかえ、1910年(明治43年)12月4日… 木村 栄(きむら さかえ、1910年(明治43年)12月4日 – 1991年(平成3年)12月31日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。 島根県八束郡古江村(現松江市)で生まれた。松江中学校(現島根県立松江北高等学校)を3年で中退し、1929年(昭和4年)に文学を志して上京したが半年で帰郷。農民運動に加わり、全国農民組合島根県連青年部書記を務めた。1931年(昭和6年)治安維持法違反容疑で起訴された。また、若松汽船大阪出張所、山陰道産業にも勤め、のち陸上小運搬業も経営した。 戦後、日農島根県連の結成に参与し書記長に就任し、県農地委員となり農地改革を推進した。日本共産党に入党し、1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で島根県全県区から共産党公認で出馬して初当選。
尾原 佐七(1910年8月25日 - 没年不明)は、日本の実… 尾原 佐七(1910年8月25日 - 没年不明)は、日本の実業家。尾原呉服店、山陰ゴム卸(株)各社長。島根県衣料品商業協同組合会理事長。島根倉庫(株)取締役、島根県信用保証協会理事。松江商工会議所常議員。松江商店会会長。旧名一義。 島根県松江市白潟本町出身。先代佐七の長男。旧名一義、佐七を襲名した。1935年尾原呉服店の専務となり、1947年同社長に就任した。 宗教は真宗。菩提寺は明宗寺。
伊藤 佐喜雄(いとう さきお、1910年8月3日 - 197… 伊藤 佐喜雄(いとう さきお、1910年8月3日 - 1971年10月17日)は、日本の作家。 島根県津和野生まれ。女優の伊沢蘭奢の子。漢方胃腸薬「一等丸」で知られる、島根県津和野の薬屋「伊藤博石堂」の長男として生まれる。大阪高等学校中退。在学中に文芸評論家の保田與重郎を知り師事、『日本浪曼派』、『コギト』の同人となる。 1936年第二回「芥川賞」に「面影」と「花の宴」の2作が候補となる。1943年「花の鼓笛」で第8回池谷信三郎賞を受賞。 戦後は少女小説や、偕成社の児童向け名作文庫の再話、偉人伝などを執筆した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
坂本 薫俊(さかもと しげとし、1910年1月10日 - 2… 坂本 薫俊(さかもと しげとし、1910年1月10日 - 2003年11月5日)は、日本の経営者。ホシザキの創業者。 島根県雲南市出身。1931年に神戸高等工業学校を卒業。1947年に星崎電機(現在のホシザキ)を創立し、社長に就任。1984年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2003年11月5日に心不全のために死去。93歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大石 良世(おおいし よしつぐ、1909年 <明治42年> … 大石 良世(おおいし よしつぐ、1909年 <明治42年> 12月17日 - 1976年 <昭和51年> 2月2日)は、日本の経営者。日産火災海上保険社長を務めた。 島根県松江市出身。1932年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に日産火災海上保険に入社。 1953年に取締役に就任し、1956年に常務、1960年6月に専務を経て、1963年11月に副社長に就任し、1966年6月には社長に就任。1974年3月には会長に就任。 1972年9月に藍綬褒章を受章。 1976年2月2日、胃癌のために死去。66歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
吉岡 隆徳(よしおか たかよし(または「たかのり」)、190… 吉岡 隆徳(よしおか たかよし(または「たかのり」)、1909年(明治42年)6月2日 - 1984年(昭和59年)5月5日)は、昭和初期に活躍した日本の陸上短距離選手。東京高等師範学校(現在の筑波大学)を卒業、元東京女子体育大学教授。名前は「たかよし(たかのり)」のほか、通称で「りゅうとく」とも呼ばれた。身長165cm、体重61kg。 1909年6月、島根県簸川郡西浜村(後の湖陵町、現・出雲市湖陵町大池)にある彌久賀神社の宮司、春日千代主の四男(春日隆徳)として生まれ、小学校卒業後に斐川町(現・出雲市)の吉岡家の養子となる。自宅と学校(尋常小学校と中学校)との間には砂丘があり、そこを歩いたり遊んだりすることで足腰が鍛えられたという。
吾郷 清彦(あごう きよひこ、1909年1月2日 - 200… 吾郷 清彦(あごう きよひこ、1909年1月2日 - 2003年6月5日)は、超古代文献研究家、古神道研究家。島根県大田市出身。本名は吾郷哲夫(あごう てつお)。旧姓は三谷。吾郷家には養子として入った。 島根県邇摩郡宅野村立宅野小学校、旧制大田中学、旧満州の旅順工科大学電気工学科卒業後、満州電業の電気技師として、奉天市(現在は瀋陽市)などの火力発電所に勤務。日本の敗戦により帰国し、島根県および三重県にて新制中学・新制高校の教員を数年勤めた後、1952(昭和27)年から島根県営の水力発電所の建設と稼動に中心的役割を果たす。本職は電気技師であったが、定年退職後、在職中より取り組んでいた「日本の超古代史」「日本の神代文字」「古神道」の研究に専念した。
栗原 安秀(くりはら やすひで、1908年(明治41年)11… 栗原 安秀(くりはら やすひで、1908年(明治41年)11月17日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の陸軍軍人、国家社会主義者。陸軍士官学校第41期歩兵科出身。最終階級は歩兵中尉。 1936年2月26日に勃発した二・二六事件に参加した。磯部浅一に並ぶ急進派として知られる。 1908年11月17日、島根県松江市に生まれる(東京に在籍)。父は佐賀県出身の歩兵大佐栗原勇(12期)。父の転勤に従い、北海道旭川で暮らしている。二・二六事件において処分された予備役少将斎藤瀏(12期)とその娘で歌人の斎藤史とは家族ぐるみの付き合いをしていた。坂井直(事件時は歩兵第3聯隊第1中隊附中尉として斎藤實内大臣邸を襲撃、43期)もこの頃の幼馴染である。
戸田 繁子(とだ しげこ、1908年7月31日 - 2019… 戸田 繁子(とだ しげこ、1908年7月31日 - 2019年3月31日)は、日本の音楽教師。広島市で音楽教室「杉の子会」主宰。作曲家糀場富美子、指揮者大植英次らを育てた。 島根県飯南町出身。1923年に高等小学校を卒業、島根県女子高等師範学校に入学した。1927年に卒業後、島根県飯石郡吉田村小学校に赴任するが、さらに学ぶために松江市の飯田忠義の元に通いレッスンを受ける。1929年4月、東京音楽学校に設置された教員養成所の試験に合格。翌1930年5月から1932年3月まで、同校でピアノを遠山つや、声楽を田中伸江(ピアニスト田中希代子の母)に学ぶ。 1932年に卒業後は故郷に帰り、島根県立今市高等女学校(現・出雲高等学校)に勤務。
山城 章(やましろ あきら、1908年5月3日 - 1993… 山城 章(やましろ あきら、1908年5月3日 - 1993年2月3日)は、日本の経営学者。一橋大学・創価大学名誉教授。 鳥取県日野郡阿毘縁村(現・日南町)に生まれる。1927年島根県立商業学校(現・島根県立松江商業高等学校)卒、1930年高松高等商業学校(現・香川大学経済学部)卒、1933年東京商科大学(現・一橋大学)卒。増地庸治郎の指導を受けた。1961年「現代企業の経営学的研究」で一橋大学より商学博士の学位を取得。横浜市立横浜商業専門学校(現・横浜市立大学)教授、東京商科大学教授、1949年一橋大学助教授、1952年教授。1972年定年退官、名誉教授、東洋大学経済学部教授、1978年創価大学経営学部教授、のち名誉教授。
小山 龍三(こやま りゅうぞう、1908年2月20日 - 1… 小山 龍三(こやま りゅうぞう、1908年2月20日 - 1984年7月26日)は、日本の実業家。中日新聞社社主。 養父は中日新聞の前身の1紙である名古屋新聞を経営した元衆議院議長の小山松寿。氏名に関しては「小山 竜三」表記もみられる。 1908年(明治41年)に判事・平井出嘉久松の五男として長野県北佐久郡小諸町(現在の小諸市)で出生。実父の転勤により中国地方で育ち、旧制浜田中学、旧制松江高等学校を経て1932年(昭和7年)に東京帝国大学法学部英法学科を卒業する。電通を経て1934年(昭和9年)に同郷の小山松寿が経営する名古屋新聞社に入社、経理・販売部門に在職し、婿養子として小山家に迎えられた。
中川 秀恭(なかがわ ひでやす、1908年(明治41年)1月… 中川 秀恭(なかがわ ひでやす、1908年(明治41年)1月1日 - 2009年(平成21年)4月26日)は、日本の哲学者、文学博士、Ph.D.(イェール大学)。日本各地の大学の学長・理事長を歴任した。 1908年、島根県周吉郡西郷町(現・隠岐郡隠岐の島町)に生まれた。島根県立隠岐商船水産学校航海科(現・島根県立隠岐水産高等学校)を卒業後、三等航海士として日本・リバプール間を行き来するが、牧師になろうと決心してして大学に入学する。立教大学文学部哲学科で学び卒業。1938年、東北帝国大学法文学部哲学科を卒業。エール大学大学院修了。 帰国後、母校の東北帝国大学法文学部助手に着任。1945年、同学部講師に昇進。
伊達 慎一郎(だて しんいちろう、1907年(明治40年)1… 伊達 慎一郎(だて しんいちろう、1907年(明治40年)12月6日 - 1994年(平成6年)10月11日)は、日本の政治家、地方公務員、弁護士。島根県知事(1期)。知事退任後、弁護士に登録。 島根県松江市生まれ。旧制松江高等学校を経て東京帝国大学法学部、大同学院を卒業。満洲国政府に勤務し、西安県副県長、鉄鋼司弁事などを歴任する。 終戦で引き揚げ、1947年(昭和22年)島根県職員となる。漁政、財政各課長、総務部長を経て、田部長右衛門知事の女房役として、1960年(昭和35年)から10年間副知事を務め、3期知事を務めた田部の後継者として選ばれ、1971年(昭和46年)4月の島根県知事選挙に立候補した。
周藤 吉之(すとう よしゆき、1907年2月25日 - 19… 周藤 吉之(すとう よしゆき、1907年2月25日 - 1990年1月21日)は、日本の中国史学者、東京大学名誉教授。 島根県簸川郡直江村大字下直江(現・出雲市斐川町直江)に生まれる。旧制島根県立商業学校(現・島根県立松江商業高等学校)、旧制松江高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部東洋史学科卒。宋代史の専門家で東京大学東洋文化研究所教授を務め、1956年「中国土地制度史研究」で日本学士院賞受賞、1957年文学部東洋史学科教授、1967年定年退官。
大谷 藤之助(おおたに とうのすけ、1906年12月3日 -… 大谷 藤之助(おおたに とうのすけ、1906年12月3日 - 1989年2月8日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。元参議院議員(4期),大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍中佐。 レイテ沖海戦にて戦艦「大和」の副砲長として乗艦していた深井俊之助が、栗田艦隊がレイテ湾に突入せずに反転したのは当時、栗田司令部の作戦参謀を務めていた大谷による電報の捏造が原因だったと主張しているが、当時通信士として栗田らの板第一艦橋に配属されていた都竹卓郎は、月刊「歴史街道」2015年1月号において、深井氏のレイテ沖海戦での数々の証言を否定しており、他の生存者の証言でも深井の主張と辻褄が合わない点が多くあり、現在は否定的に考えられている
見明 凡太朗(みあけ ぼんたろう、1906年10月15日 -… 見明 凡太朗(みあけ ぼんたろう、1906年10月15日 - 1987年)は、日本の俳優。旧芸名は見明 凡太郎(読み同じ)。 本名は見明 すすむ(みあけ すすむ)。元妻は女優の村田知栄子(1947年離婚)。 島根県美濃郡高津村(現・益田市)出身。1906年島根県美濃郡豊田村の渡辺市太郎の次男として出生。高津村で染屋を営む見明家の養子となる。 1923年に下関商業高校を卒業後、日本映画俳優学校に第2期生として入学。同期には島耕二、小杉勇がいた。その後、1926年に日活に入社。1927年公開の映画『彼を繞る五人の女』(監督:阿部豊)でデビューを果たし、翌1928年の映画『松竹梅』で初主演を果たす。1932年から1934年にかけて不二映画社、新興キネマに在籍したのち日活に復帰した。
津田 晴一郎(つだ せいいちろう、1906年7月26日 - … 津田 晴一郎(つだ せいいちろう、1906年7月26日 - 1991年9月20日)は、島根県松江市出身の日本の陸上競技選手(長距離)。1928年アムステルダムオリンピックと1932年ロサンゼルスオリンピックでマラソンに出場し、連続して入賞を果たした。 旧制松江中学校(現・島根県立松江北高等学校)を経て関西大学予科に進学する。旧制中学時代から陸上競技を始めたが、当時は県内大会に出場する程度のレベルであった。 しかし、「なぜ日本のマラソン選手はオリンピックで勝てないのか」という疑問を抱くようになり、親交のあった大阪毎日新聞や大阪朝日新聞の運動記者から資料を得て、研究を行うようになる。その中で、ハンネス・コーレマイネンやパーヴォ・ヌルミをはじめとするフィンランドの長距離選手の強さに着目し、彼らのようなトラックでのスピードをつけることがマラソンで勝つために必要だと考えるに至る。
第23代 田部 長右衛門(たなべ ちょうえもん、1906年(… 第23代 田部 長右衛門(たなべ ちょうえもん、1906年(明治39年)3月25日 - 1979年(昭和54年)9月15日)は、日本の実業家、政治家、芸術家。衆議院議員。島根県知事。位階は従三位。勲一等瑞宝章。 奥出雲の山林大地主で「たたら御三家」の一つ「田部家」の第23代当主。名は朋之。号は松露亭。茶室「明々庵」の再建や「田部美術館」の設立など文化振興にも尽力した。竹下登元首相も彼が支援した政治家の一人である。 祖父と同じ部屋で寝起きしていたため、大ダンナ教育は早朝から始められた。夜も明けぬ暗いうちに起こされ、武士の出で養子だった祖父の長秋から毎日昔の武士気質を聞かせられたという。 若い頃、女優司葉子の父・庄司繁二郎に良いことも悪いこと(遊ぶこと)もしょっちゅう連れ歩いてもらって教わったこともあり司の姉妹揃って大いに可愛がった。
安達 巌(あだち いわお、1906年 - 2002年)は、日… 安達 巌(あだち いわお、1906年 - 2002年)は、日本の食品業者、食物史家、古代史家。 島根県松江市郊外の農家に生まれる。旧制中学校を中退して大阪に出、さらに東京に移って農民運動、社会運動、協同組合運動で活動する。 戦後は製パン業を始め、あけぼのパン常務、中村屋顧問、業界団体の幹部をへて著述業。ニューフード政策研究会代表幹事。日本人の食生活についての評論、食物史から、古代史まで多くの著作をなした。 パンを中心とした食物
加藤 義成(かとう よしなり、1905年11月10日 - 1… 加藤 義成(かとう よしなり、1905年11月10日 - 1983年3月23日)は、日本の郷土史家。 島根県加茂町出身。1928年、島根県師範学校専攻科卒業。小学校訓導となり、試験認定により中等学校国語漢文科、および高等学校国語科教員免許を取得。 三刀屋中学校、益田農林学校、島根師範学校教諭をつとめた。1946年、病気退職。1951年より、島根県嘱託、島根大学非常勤講師、大社国学館講師、島根県文化財保護審議会委員、島根県立博物館専門員歴任。 古代出雲の研究に生涯をささげ、数多くの論文を発表した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中山 定義(なかやま さだよし、1905年(明治38年)8月… 中山 定義(なかやま さだよし、1905年(明治38年)8月16日 - 1995年(平成7年)1月16日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。海兵54期恩賜。第4代海上幕僚長。島根県出雲市出身。東京都目黒区在住であった。長男は第10代明治学院長の中山弘正。 旧制島根県立大社中学校より海軍兵学校第54期入校。席次は入校時は79名中4番、卒業時は68名中3番で恩賜の短剣を拝受。 海兵54期は、ワシントン軍縮会議の結果、艦船のみならず海軍士官も余剰と判断され、海軍兵学校生徒の採用数が通常年度の半分以下になった2期目のクラスである。 佐官になってからは、軍政部門での勤務が多かった。海軍大学校甲種第36期在校中に日中戦争が勃発、人手不足も手伝って、大学校在校者も駆り出され、中山は中国在勤を命ぜられる。
櫻内 乾雄(さくらうち きみお、明治38年(1905年)5月… 櫻内 乾雄(さくらうち きみお、明治38年(1905年)5月8日 - 昭和52年(1977年)4月3日)は、日本の実業家。中国電力会長を務めた。 父は商工大臣、農林大臣、大蔵大臣などを務めた櫻内幸雄。弟は衆議院議長を務めた櫻内義雄。 東京市芝区に生まれる(島根県能義郡広瀬町(現安来市)出身)。櫻内家は旧藩時代、広瀬藩士として松平家に仕えた武士の家系だった。曽祖父の四郎左衛門以前の系譜については、明らかでない。四郎左衛門の役は側用人であり、理財の道に長け、広瀬藩の財政経済については、もっぱら指導的な役割を担当した。 明治中学校(明治大学付属明治高等学校・中学校)、静岡高等学校を経て昭和5年(1930年)、東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し大学院に入る。
永瀬 義春(ながせ よしはる、1905年(明治38年)3月 … 永瀬 義春(ながせ よしはる、1905年(明治38年)3月 - 1988年(昭和63年)12月)は日本の実業家。元永瀬石油代表取締役会長。全国生コンクリート協同組合理事。 永瀬石油社長永瀬正治の父。 1981年(昭和56年)永瀬石油代表取締役会長。 山陰地区生コンクリート(協)理事長、鳥取県生コンクリート工業組合理事長、鳥取県地方労働基準審議会委員、鳥取県石油(協)理事長、米子西部自動車学校理事長、鳥取地方裁判所調停委員、鳥取県西部砂利生産販売(協)理事長、米子ロータリークラブ会長などを歴任。 勲五等瑞宝章、鳥取県中小企業団体中央会功労表彰、全国石油(協)連合会特別功労表彰 (島根県簸川郡斐川村、鳥取県米子市尾高町・米子市宗像) この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
中地 熊造(なかち くまぞう、1905年2月10日 - 19… 中地 熊造(なかち くまぞう、1905年2月10日 - 1982年11月7日)は、昭和時代の労働運動家。全日本労働総同盟(同盟)初代会長。全日本海員組合組合長。 島根県海士郡海士村(現隠岐郡海士町)生まれ。1918年布施小学校高等科中退。1920年大阪に出て町工場で働いた後、1921年万世丸水夫見習を皮切りに海員生活に入る。1928年社会民衆党に入党。1933年日本海員組合に加盟。1934年日本海員組合革正同盟に加わり、1935年新日本海員組合結成に参加、大阪支部長。1945年8月海員組合創立準備会の設立を経て、同年10月全日本海員組合結成に参加。1946年8月から9月の人員整理反対闘争で主流派(右派)と中央闘争委員会派(左派)が対立し、右派の一員として実力で左派を排除。
大橋 武夫(おおはし たけお、1904年〈明治37年〉11月… 大橋 武夫(おおはし たけお、1904年〈明治37年〉11月24日 - 1981年〈昭和56年〉10月3日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。位階は正三位。自由民主党所属の衆議院議員。運輸大臣、労働大臣、警察予備隊担当大臣、法務総裁を歴任。 島根県仁多郡三成町(現在の奥出雲町)出身。島根士族大橋只三郎の養子で陸軍少将常三郎の長男。母は代言人北田正董娘の酉。 内務省に入り岡山県警察部長のあと終戦直後の戦災復興院次長となる。1949年の衆議院選挙(島根県全県区)に初出馬当選、1976年の総選挙で落選、引退するまで連続10回当選。この間第3次吉田内閣で法務総裁、国務大臣(警察予備隊担当)、第2次及び第3次池田内閣で労働大臣、第1次及び第2次佐藤内閣で運輸大臣を歴任する。
橋本 明治(はしもと めいじ、1904年(明治37年)8月5… 橋本 明治(はしもと めいじ、1904年(明治37年)8月5日 - 1991年(平成3年)3月25日)は、昭和期の日本画家、日本芸術院会員、日展常務理事、文化勲章受章者。 1904年に橋本太一郎、トメ夫妻の長男として島根県那賀郡浜田町(現・浜田市田町)に生まれる。祖父の市太郎は絵画や俳諧を愛好しており、明治はこの祖父の強い感化を受けて成長した。1917年(大正6年)に浜田町立松原尋常小学校を卒業した後に高等科へと進み、1920年(大正9年)には島根県立浜田中学校へ入学した。通信教育によって日本画を学び、中学4年となる1923年(大正12年)、妹をモデルとして描いた「ガラシャ婦人像」を島根県展に初めて出品し、入選を果たした。
小瀧 彬(小滝 彬、こだき あきら、明治37年(1904年)… 小瀧 彬(小滝 彬、こだき あきら、明治37年(1904年)7月1日 - 昭和33年(1958年)5月28日)は、日本の外務・商工官僚、政治家。参議院議員(2期)、防衛庁長官(第6代、第7代)。位階は正三位。 島根県雲南市(旧飯石郡三刀屋町)出身。東山中学、旧制松江高校文科甲類を経て、1927年東京帝国大学経済学部。 総領事、外務省情報部長、貿易庁輸出局長、通商産業省通商監、国際捕鯨委員会日本政府代表、終戦連絡大阪事務局局長。戦時中は陸軍司政官に任命された。 1950年に行われた第2回参議院議員通常選挙の島根県選挙区に自由党公認で立候補。国民民主党公認の櫻内義雄にわずか389票差で敗れた。しかし小瀧側は、櫻内の票の中に無効票(櫻内義雄の父櫻内幸雄の名を書いたものが義雄の有効票に数えられていた)が含まれているとの訴えを起こした。
帯刀 貞代(たてわき さだよ、1904年6月7日 - 199… 帯刀 貞代(たてわき さだよ、1904年6月7日 - 1990年3月31日)は、日本の女性運動家、新日本婦人の会代表委員。 島根県飯石郡掛合村(現・雲南市)出身。松江高等女学校(現・島根県立松江北高等学校)卒業後の1924年に上京、織本利との結婚をきっかけに労働運動に関わる(1929年離婚)。昭和初め、全国婦人同盟や無産婦人同盟の結成に参加した。 1929年8月、東洋モスリン亀戸工場の女性労働者を主たる対象として「労働女塾」を開いた。労働者意識と女子教育を組み合わせた教育活動を行う。1930年同工場の閉鎖を巡る労働争議に参加、その後検挙と投獄を繰り返しながら執筆活動を行った。戦後も婦人解放運動に取り組んだ。
中村 英男(なかむら ひでお、1904年5月25日 - 19… 中村 英男(なかむら ひでお、1904年5月25日 - 1988年2月14日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。参議院議員(2期)。歯科医師。 現在の島根県江津市出身。旧制島根県立浜田中学校(現在の島根県立浜田高等学校)、1927年日本歯科医学専門学校卒業。卒業後は帰郷し、歯科医を開業する傍ら農民運動を指導する。戦後、日本社会党島根県連を結成し、副委員長となる。島根県議を2期務め、1952年の第25回衆議院議員総選挙で島根全県区から日本教職員組合の政治団体である日本教職員政治連盟公認で立候補して初当選。以来連続5期当選した(その後は無所属を経て左派社会党から日本社会党に入る)。1963年の第30回衆議院議員総選挙で落選。
中尾 彰(なかお しょう、1904年〈明治37年〉5月21日… 中尾 彰(なかお しょう、1904年〈明治37年〉5月21日 - 1994年〈平成6年〉10月6日)は、昭和初期~平成初期にかけて活躍した日本の洋画家、童画・絵本作家、詩人。島根県鹿足郡津和野町出身。 津和野で生まれ、教員をしていた父親の仕事の関係で物心つく前に津和野から離れ、幼年期を中国山脈の山間の草深い村で過ごす。高等小学校進学を機に津和野へ戻り、卒業目前に満州へと渡る。独学で絵を学び、満鉄育成学校を卒業後は島根県下で教員生活を送る傍ら、時折上京して画学生をする生活を送り、1931年(昭和6年)の第1回独立美術協会展に入選。以来、独立美術協会を中心に油彩画を発表し、1949年(昭和24年)には同協会会員に、また、1992年(平成4年)には同協会会員功労賞を受賞する。
竹中 龍雄 (たけなか たつお、1904年4月16日 - 1… 竹中 龍雄 (たけなか たつお、1904年4月16日 - 1989年2月16日)は、日本の経営学者。神戸大学名誉教授。 島根県浜田市生まれ。1921年東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)修了。1927年東京商科大学(現一橋大学)卒業。上田貞次郎に師事。同年同大学補手。1930年大阪商科大学(現大阪公立大学)助手。1931年同講師。1932年同助教授。1944年同教授。1947年神戸経済大学附属経営学専門部教授。1950年神戸大学経営学部教授。1952年郵政審議会委員。1955年経営学博士。1958年電気料金制度調査会委員。1960年塩業審議会専門委員。1962年電気事業審議会専門委員。