雨宮 御影(あまみや みかげ、1988年 - )は日本の人形… 雨宮 御影(あまみや みかげ、1988年 - )は日本の人形作家。岡山県岡山市出身。耽美表現を主としている。 人形制作のきっかけはハンス・ベルメールの写真作品との出会いだと自ら語っている。制作のスピードには定評があり、短期間で多くの作品を世に送り出している。個展、グループ展を不定期に開催しており、作品を目にすることが出来る機会は多い。 主に粘土を使用した球体関節人形。作品自体からは作者の性別を感じさせない繊細さと妖艶さが特徴。一瞬を切り取った独特の表情と刹那的な美しさを持つ。作品は数点美術館に収蔵されている他、多くは美術品収集家などのもとにある。
服部 昇大(はっとり しょうた、1982年8月10日 - )… 服部 昇大(はっとり しょうた、1982年8月10日 - )は、岡山県津山市出身の日本の漫画家、イラストレーター、同人作家。 関心が深く漫画で取り上げているジャンルとして、映画、日本のヒップホップシーン、プリキュアシリーズやプリティーシリーズなどの女児向けシリーズがある。それぞれ『邦キチ! 映子さん』など商業作品のほか、「ギリギリ! パクキュア」などの同人作品にも反映されている。 2017年より6代目『日ペンの美子ちゃん』を手がけている。服部はその数年前から、日本語ラップをテーマにしたパロディ漫画『日ポン語ラップの美ー子ちゃん』をウェブや同人誌で発表しており、パロディを書いていた作家が本家を担当することになった。
横山 悠太(よこやま ゆうた、1981年8月27日 - )は… 横山 悠太(よこやま ゆうた、1981年8月27日 - )は、日本の小説家。岡山県出身。 岡山県立岡山城東高等学校卒業。鹿児島大学に入学するも、1年半で中退。23歳のときに渡中。日本語教師などを経て、中華人民共和国北京市で留学。2014年、「吾輩ハ猫ニナル」で第57回群像新人文学賞小説部門および第2回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞、第151回芥川龍之介賞候補。東京に在住。
沖津 賢一郎(おきつ けんいちろう、1977年7月29日 -… 沖津 賢一郎(おきつ けんいちろう、1977年7月29日 - )は、岡山県井原市出身で東京都在住の日本の映像作家、俳優、映画監督、演出家、ディレクター、カメラマン、映像編集者。 演技、映像制作以外のスキルは、剣道、書道、ピアノ、作詞・作曲・編曲。両利き。趣味は サイクリングと 耳かき。クリント・イーストウッド、馳星周、斎藤真由美、中垣内祐一などを尊敬している。 岡山県井原市立西江原小学校卒業。岡山県井原市立井原中学校卒業。岡山県立井原高等学校卒業。帝京大学中退。立教大学文学部卒業。 大学在学中、劇団員となる。その間、パーティの司会者などをつとめていたが、2000年、自分の映画を1本だけ作りたいと、長篇映画の脚本を執筆し、制作に入るも、紆余曲折を経て未完に終わる。
甲田 学人(こうだ がくと、1977年〈昭和52年〉 - )… 甲田 学人(こうだ がくと、1977年〈昭和52年〉 - )は日本のライトノベル作家。岡山県津山市出身。二松学舎大学卒業。本名・甲田学。英語圏での出版物は甲田をCodaと表記している。 第7回電撃ゲーム小説大賞で短編小説『夜魔 罪科釣人奇譚』が最終選考に残ったことでその執筆力が認められ、書き下ろし『Missing 神隠しの物語』で電撃文庫より2001年にデビュー。 「自分の作品はホラーではなくメルヘンである」「残酷描写はあるものの、グロテスクでは決してない」など、文庫[要文献特定詳細情報]のあとがきにて主張している(『断章のグリムII』にて初めて「スプーン1杯ほどの、グロテスク」を加えた、とあとがきに記している)。
倉田 英之(くらた ひでゆき、1968年7月9日 - )は、… 倉田 英之(くらた ひでゆき、1968年7月9日 - )は、アニメ脚本家、小説家。スタジオオルフェ所属。岡山県井原市出身。 ※太字はシリーズ構成、特記のないものは脚本を担当。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
本田 孝義(ほんだ たかよし、1968年 - )は、岡山県岡… 本田 孝義(ほんだ たかよし、1968年 - )は、岡山県岡山市出身の映像作家。岡山県立岡山朝日高等学校、法政大学文学部日本文学科卒業。 大学在学中から、自主映画の製作・上映を行う。大学卒業後、ネットワーク・フィルムズに所属し、テレビの仕事を経験した後、ビデオによる自主製作を始める。長編ドキュメンタリー映画制作に携わり、1999年以降は、劇場公開用映画も手がける。基本的にドキュメンタリー専門であるが、2019年公開の『ずぶぬれて犬ころ』は同郷の俳人・住宅顕信の伝記映画であり、初の劇映画となる。芸術活動も行うなど多方面な活躍をしているアーティストである。
三羽 省吾(みつば しょうご、1968年 - )は、日本の小… 三羽 省吾(みつば しょうご、1968年 - )は、日本の小説家。岡山県出身。関西高等学校、岡山商科大学卒業。広告代理店勤務を経て、作家デビュー。 「」内が三羽省吾の作品
直原 冬明(じきはら ふゆあき、1965年 -)は、日本の小… 直原 冬明(じきはら ふゆあき、1965年 -)は、日本の小説家、推理作家。 岡山県赤磐市生まれ。京都産業大学理学部計算機科学科卒業。プリンターメーカー営業、衆議院議員秘書を経る。退職後の2001年より、アルバイトをする傍らエンターテインメント小説新人賞への応募を開始する。2009年、「オルドリンの無念」が第55回江戸川乱歩賞の最終候補作に選ばれる。2014年、「一二月八日の奇術師」で光文文化財団が主催する第18回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞する(選考委員:あさのあつこ、笠井潔、今野敏、藤田宜永)。2015年、同作を『十二月八日の幻影』と改題し刊行、小説家デビューを果たす。好きな作家として、横溝正史、浅田次郎、フレデリック・フォーサイスを挙げている。
岩井 志麻子(いわい しまこ、1964年12月5日 - )は… 岩井 志麻子(いわい しまこ、1964年12月5日 - )は、日本の作家、タレント、AV監督。身長160cm。血液型はA型。2009年6月よりホリプロ所属。『5時に夢中!』(TOKYO MX)の木曜レギュラーコメンテーターを務める。 岡山県和気郡和気町生まれ。2歳下に誕生日が1日違いの妹がいる。岡山県立和気閑谷高等学校商業科卒業。 1982年、高校在学中に第3回小説ジュニア短編小説新人賞に佳作入選。1986年、少女小説『夢みるうさぎとポリスボーイ』で作家デビュー(この時は本名の竹内志麻子名義)。 1988年、岡山県にて最初の結婚。相手は熱心なファンだった、代々続く地元企業の社長。のちに娘と1993年に息子を出産。
重松 清(しげまつ きよし、1963年3月6日 - )は、日… 重松 清(しげまつ きよし、1963年3月6日 - )は、日本の小説家。 岡山県生まれ。少年時代吃音で悩んでいたことも後に作品に反映させている。早稲田大学教育学部卒。出版社勤務を経て、フリーライターに。 『ビフォア・ラン』(1991年)で作家デビューし、『ナイフ』(1997年)、『定年ゴジラ』(1998年)などで注目される。『ビタミンF』(2000年)で直木賞を受賞。主に現代的な家族の姿をモチーフとし、日常の中に潜む社会的問題を浮き彫りにする。少年少女の悩める心、成長の姿を扱った作品への評価も高い。 岡山県久米郡久米町(現・津山市)の生まれ。中学、高校時代は山口県で過ごし、1981年、山口県立山口高等学校卒業後、18歳で上京。
石井 敏弘(いしい としひろ、1962年12月19日 -)は… 石井 敏弘(いしい としひろ、1962年12月19日 -)は、日本の推理作家。 岡山県倉敷市出身。岡山商科大学卒。 1987年、「風のターン・ロード」で江戸川乱歩賞を史上最年少(当時)の24歳で受賞し話題となった。他の代表作に、青春小説「バイク物語」や推理小説「風の魔術師」、本格推理「業火」などがある。 現在は、作家業の傍ら母校の岡山商科大学で講師を行い後進の育成に努め、自らが立ち上げた小説創作集団「ZEPHYR」では新たな創作活動を試みている。 株式会社フォーシーズンと連携、各地でミステリーイベントを開催し、2010年7月20日には奈良県の平城宮跡で自身の推理小説「失都の記憶」に描かれた事件の謎を解明するイベント「平城京ミステリークエスト」が開催された。
水道橋博士(すいどうばしはかせ、1962年〈昭和37年〉8月… 水道橋博士(すいどうばしはかせ、1962年〈昭和37年〉8月18日 - )は、日本のお笑いタレント、YouTuber、漫才師、著作家、政治家。 お笑いコンビ浅草キッドのツッコミ担当を務め、その他、参議院議員(1期)を務めた。株式会社TAP所属。岡山県倉敷市出身。本名は小野 正芳(おの まさよし)。 岡山県の紙問屋の次男として生まれる。母方の祖父は中国銀行の副頭取になった銀行家であり、勇退後は岡山国際ホテルなどで要職を歴任。金銭面に困らず、成績の良い優等生だった。岡山大学教育学部附属中学校に進学。しかし周りは優等生ばかりで、勉強する意欲が起きなくなり落ちこぼれる。中学の同級生に甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)、オウム真理教の中川智正がいる。
小川 洋子(おがわ ようこ、1962年3月30日 - )は、… 小川 洋子(おがわ ようこ、1962年3月30日 - )は、日本の小説家。岡山県岡山市中区森下町出身、兵庫県西宮市在住。日本芸術院会員。 岡山県岡山市中区森下町出身。兵庫県西宮市在住。既婚で長男がいる。旧姓は本郷。祖父は金光教の教師であり、両親とも金光教の信者という家庭で育つ。父親は国家公務員。生家も教会の敷地内の離れだった。教会では祖父母、伯父伯母。従兄らが暮らしていた。 小さいころ納戸にあった『家庭医学大事典』が最初の読書で、病気の説明や内臓の図を見る。小学1、2年からオレンジ色の表紙の『世界少年少女文学全集』を愛読する。小学校から図書室をよく利用する。また、こたつの中で空想にふける癖があり、高じて小説を書くようになったと述懐している。
小野 俊哉(おの としや、1961年9月13日 - )は、野… 小野 俊哉(おの としや、1961年9月13日 - )は、野球を中心としたノンフィクション作家兼実業家。 スポーツ・アクセス社の代表取締役。NHKラジオ第一放送、湘南ビーチFM、文化放送、ニッポン放送に度々出演している。FLASH (写真週刊誌)、週刊プレイボーイへの取材協力、寄稿が多い。 岡山県岡山市生まれ。岡山市立京山中学校、岡山県立岡山操山高等学校を卒業後、早稲田大学理工学部卒。味の素株式会社中央研究所、住友金属工業株式会社(電子デバイス部営業統括マネジャー)を経て、2003年にスポーツ・アクセス社を設立。野球のデータ分析に基づく著作活動を行う。 大学入学時のエピソードをヤフースポーツのインタビュー(2005年)で語っているが、高校時代まで陸上部で中距離走をやっていたため、早稲田大学競走部へ入部を願い出たときのこと。
吉岡 平(よしおか ひとし、1960年7月16日 - 202… 吉岡 平(よしおか ひとし、1960年7月16日 - 2023年1月13日)は、日本の小説家。岡山県笠岡市出身。 岡山県立笠岡高等学校卒業、早稲田大学第二文学部中退。早稲田大学漫画研究会出身。在学中より編集プロダクションのスタジオ・ハードで学生バイト、フリーライター経験。1982年 秋田書店刊 マイアニメ11月号 別冊付録 アニメ資料館『魔境伝説アクロバンチ』等を担当した。それらの縁により1984年劇場版『コータローまかりとおる!』のノベライズ『ハチャメチャ痛快学園活劇 コータローまかりとおる』(講談社X文庫)で作家デビュー。その後、X文庫にて『ターミネーター』『スパルタンX』などの映画ノベライズを執筆。
正子 公也(まさご きみや、1960年 - )は、絵巻作家。… 正子 公也(まさご きみや、1960年 - )は、絵巻作家。岡山県玉野市出身。 玉野市立宇野小学校、 玉野市立宇野中学校、岡山県立玉野高等学校、中央大学理工学部物理学科卒業。 寺沢プロダクション(寺沢武一)から1989年に独立。 1990年に「ルオーの道化師」連載(コミック誌「A-ha」)でデビュー。
小手鞠るい(こでまり るい、1956年3月17日 - )は、… 小手鞠るい(こでまり るい、1956年3月17日 - )は、日本の小説家、詩人、エッセイスト。本名は川滝かおり。 1982年に刊行された詩集『愛する人にうたいたい』(川滝かおり名義)で、詩人として出発。1995年に刊行された『玉手箱』で、小説家として再出発。『欲しいのは、あなただけ』『エンキョリレンアイ』シリーズ三部作、『愛を海に還して』『空と海のであう場所』『別れのあと』『ロング・ウェイ』などの恋愛小説作品で人気を博する。 絵本の原作、エッセイ、児童書なども手がけている。代表作は『誰もいない』『九死一生』『美しい心臓』『アップルソング』『私たちの望むものは』『女性失格』『情事と事情』など。 岡山県和気郡備前町(現・同県備前市)浦伊部出身。
山尾 悠子(やまお ゆうこ、1955年3月25日 -)は、日… 山尾 悠子(やまお ゆうこ、1955年3月25日 -)は、日本の小説家、幻想文学作家、歌人。日本文藝家協会会員。岡山県岡山市出身。 澁澤龍彦経由でシュールレアリスム系の芸術に強い影響を受けている。クールかつ詩的な文体で幻想的な別世界を創造し、惜しげもなくそれを崩壊させるというパターンを繰り返し、カタストロフに満ちた残酷で美しい作品を執筆した。寡作で知られ、1985年以降作品の発表が一時途絶したが、1999年に執筆を再開している。 幼少期にC・S・ルイスの子ども向けファンタジー『ナルニア国物語』シリーズ最終巻『さいごの戦い』を読み、「敵も味方ももろともに暗い世界へと崩壊していくイメージ」に大きな衝撃を受ける(山尾は『ナルニア国物語』は別だが、ファンタジー読者ではないと述べている)。
乗峯 栄一(のりみね えいいち、1955年1月3日 - 20… 乗峯 栄一(のりみね えいいち、1955年1月3日 - 2024年9月25日)は、日本の小説家、競馬評論家。 岡山県真庭市出身。早稲田大学第一文学部卒業。 1992年よりスポーツニッポン関西版にて競馬予想コラム「乗峯栄一の賭け」を連載開始。同連載は15年以上にわたる長期連載となっている。それ以外にも「乗峯栄一のトレセン探訪」(毎日jp)、「乗峯栄一の理想と妄想」(競馬ブック)など、競馬関連の媒体で複数の連載を抱える。 作家としては、1992年に小説新潮新人賞で佳作を受賞する。1998年には「天神斎一門の反撃」(単行本化の際に「なにわ忠臣蔵伝説」と改題)で朝日新人文学賞を受賞するが、作家としては寡作で、著書も競馬に関するものが多い。
高尾 佐介(たかお さすけ、1950年 - 1999年8月1… 高尾 佐介(たかお さすけ、1950年 - 1999年8月12日)は、日本の作家、元東京新聞(中日新聞社)記者。岡山県新見市高尾出身。本名:田森 良昭(たもり よしあき)。 第14回サントリーミステリー大賞読者賞受賞作『アンデスの十字架』の作者。 関西外国語大学スペイン語科中退後、英国ウエスト・ロンドン・カレッジ(英国)、デウスト大学(スペイン)で学ぶ。その後、中日新聞社へ入社。 1980年に同社を退社後、中南米17か国を1年かけて取材する。航空機内誌の編集や財団法人緑の地球防衛基金のスタッフを務めながらミステリー作家をめざし、『アンデスの十字架』でサントリーミステリー大賞読者賞を得たが、1999年8月12日、リンパ腫のため死去(享年48歳)。
高嶋 哲夫(たかしま てつお、1949年〈昭和24年〉7月7… 高嶋 哲夫(たかしま てつお、1949年〈昭和24年〉7月7日 - )は、日本の小説家。岡山県玉野市生まれ。兵庫県神戸市在住。 玉野市立宇野中学校、岡山県立玉野高等学校、慶應義塾大学工学部機械工学科卒業。慶應義塾大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了。大学院在学中、通産省(現・経済産業省)の電子技術総合研究所(現・産業技術総合研究所)で核融合研究を行う。日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)研究員を経て、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に留学。1981年に帰国後、学習塾を経営。 1999年、『イントゥルーダー』で第16回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞し、本格的に作家デビューする。
塚本 靑史(つかもと せいし、1949年4月9日 - )は、… 塚本 靑史(つかもと せいし、1949年4月9日 - )は、日本の歴史小説作家。岡山県倉敷市生まれ。父は歌人の塚本邦雄。代表作に『霍去病』、『光武帝』、『始皇帝』、『煬帝』、『サテライト三国志』、『バシレウス』、『玄宗皇帝』など。 靑史が産まれた当時、父・邦雄は商社員として倉敷に在勤していた。邦雄の母方の叔父外村吉之介が館長をしていた倉敷民藝館に間借りしており、靑史はその敷地内で生まれた。1ヵ月後、邦雄の転勤に伴い島根県松江市へ転居。その地で3年を過ごす。 1952年、大阪府中河内郡盾津町(現東大阪市南鴻池町)へ居を移し、幼稚園から社会人に至るまでその地で育つ。少年時代の靑史は、野球、魚釣り、昆虫採集が好きなアウトドア派で、父と違ってあまり活字に親しむことはなかったという。
塚本 靑史(つかもと せいし、1949年4月9日 - )は、… 塚本 靑史(つかもと せいし、1949年4月9日 - )は、日本の歴史小説作家。岡山県倉敷市生まれ。父は歌人の塚本邦雄。
末井 昭(すえい あきら、1948年6月14日 - )は、フ… 末井 昭(すえい あきら、1948年6月14日 - )は、フリーの編集者、作家、サックス奏者。元白夜書房取締役編集局長。 岡山県吉永町(現:備前市)出身。7歳のとき、母親が若い男とダイナマイト心中した。 岡山県立備前高等学校の機械科に進学。高校卒業後、大阪・枚方のステンレス線の製造工場に集団就職したが、大阪の工場の過酷な労働がいやになり3か月で退職し、川崎の父親の元へ。父親と同じ自動車工場で働く。1967年、渋谷にあった青山デザイン専門学校のグラフィックデザイン科の夜間部に入学。デザイン会社に入社。主に看板のデザインをする。キャバレーや風俗店の看板描きをしていたとき、元同僚がエロ本の出版社に転職し、その縁で、のちに白夜書房を創業する森下信太郎からエロ総合誌の創刊をまかされ、1975年に『ニューセルフ』を立ち上げる。
金容権(キム・ヨングォン、1947年 - )は、岡山県倉敷市… 金容権(キム・ヨングォン、1947年 - )は、岡山県倉敷市出身の在日韓国人で翻訳家・著作家。韓国語・韓国史などの著書が多い。 早稲田大学第一文学部卒業。韓国の劇画を日本で初めて紹介。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
濱田 俊郎(はまだ としろう、1946年(昭和21年) - … 濱田 俊郎(はまだ としろう、1946年(昭和21年) - 2007年(平成19年)4月19日)は、日本の弁護士であり、小説家である。最高裁判所司法研修所教官、電通監査役、金融審議会専門委員を務めた。岡山県勝央町出身。 1946年(昭和21年)に岡山県勝田郡勝央町に生まれる。1960年(昭和35年)濱田が中学2年生のときに、家族で岡山県高梁市へ移住する。その後、地元の岡山県立高梁高等学校へ入学し、同期には、JR北海道社長をつとめた小池明夫、画家の平松利昭が親友としていた。また、2個下には、後に東芝の副社長となる田井一郎もいる。 濱田は高校時代を振り返って、高校の校則は非常に厳しく、外食や映画鑑賞も制限されていた。
吉橋 通夫(よしはし みちお、1944年9月30日 - )は… 吉橋 通夫(よしはし みちお、1944年9月30日 - )は、日本の児童文学作家、作家。 岡山市生まれ。法政大学文学部教育学科卒業後、京都へ来られ京都児童文学会に参加したの機に創作活動に専念[要出典]。『季節風』同人。日本児童文学者協会 評議員。現在、長野県大町市在住。
木下 勇作(きのした ゆうさく、1944年(昭和19年) -… 木下 勇作(きのした ゆうさく、1944年(昭和19年) - )は、作家・元日本経済新聞記者。著書に『交野探訪』(彩図社、2004年)などがある。
前坂 俊之(まえさか としゆき、1943年10月2日-)は、… 前坂 俊之(まえさか としゆき、1943年10月2日-)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家、歴史研究者。静岡県立大学名誉教授、立教大学社会学部講師。株式会社毎日新聞社情報調査部副部長、静岡県立大学国際関係学部教授などを歴任した。 慶應義塾大学経済学部に入学。1969年4月、毎日新聞社に入社。1993年4月に静岡県立大学国際関係学部教授に就任。1995年からは大学院国際関係学研究科教授兼務。2009年3月に定年退官。2009年、現在は首都圏を拠点に活動を行うジャーナリスト、ノンフィクション作家である。 1943年10月、岡山県岡山市生。1962年3月、岡山県立岡山操山高校卒、1963年4月、慶應義塾大学経済学部に入学 1969年(昭和44年)3月卒業後、毎日新聞社に入社。
塩見 鮮一郎(しおみ せんいちろう、1938年2月6日 - … 塩見 鮮一郎(しおみ せんいちろう、1938年2月6日 - )は、日本の作家。岡山市生まれ。本名同じ。 岡山大学法文学部独文科卒。大学在学中から小説・評論を手がける。河出書房新社で編集者を務めたのち、専業の作家となる。 1960年代には新日本文学会に所属。このころ、被差別部落における自殺や放火や近親相姦を描いた小説『黄色い国の脱出口』を『部落』誌に発表し、「部落の人間像を異様にデフォルメしている」(井上俊夫)との批判を受け、「状況を変革するためには、とことんまで小説を『作る』というのも一つの方法ではないでしょうか」と反論した。その反論に対し、北川鉄夫は「文学前衛気どり」と批判している。この作品は新日本文学会の第1回文学賞で最終選考まで残り、野間宏から高く評価されたが、同和教育の実践家の福地幸造はそのこと自体を「とほうもない痴呆状態の典型」と批判した。
河内 洋輔(かわうち ようすけ、1938年(昭和13年) -… 河内 洋輔(かわうち ようすけ、1938年(昭和13年) - )は、日本の実業家であり、作家でもある。日本統治下の台湾・高雄市で生れる。戦後台湾から引き揚げて、両親の故郷である岡山県へ帰郷する。東京都荒川区にある町工場の太陽興業社長を務め、現会長となる。岡山県加賀郡吉備中央町出身。 1938年(昭和13年)台湾警察に勤めていた岡山県出身の父・河内極の長男として出生。河内一家は、台湾南部の高雄市に住んでおり、父は特高警察に勤務、他に母と生れて間もない妹のマスミがいた。 第二次世界大戦で日本が負けると、その当日(1945年8月15日)の晩から翌日にかけて日本人への襲撃や暴動が台湾各地で発生する。この時、河内は、父親の勤める台湾警察の官舎に住んでいた。
藤井 素介(ふじい もとすけ、1934年 - )は日本の歴史… 藤井 素介(ふじい もとすけ、1934年 - )は日本の歴史小説作家。本名、藤井 資右(読み同じ)。岡山県津山市生まれ。横浜市鶴見区在住。 高校中退後、塗装工、営業マン、会社役員など、さまざまな職に就く。1953年(昭和28年)大阪で内田朝雄主宰の「劇団月光会」の研究生となり、仕事をしながら舞台で経験を積む。のち、横浜の劇団「蒼生樹」座友となる。1993年(平成5年)、幕末の文化年間に八丈島への流人である父の付き添いとなり島に渡った旗本の嫡男、斎藤守孝の、赦免となるまでの25年に亘る生活を描いた『海鳴りやまず 八丈流人群像』が第4回時代小説大賞を受賞しデビュー。主に史実を基にした歴史小説を手掛ける。
内田 栄一(うちだ えいいち、1930年7月31日 - 19… 内田 栄一(うちだ えいいち、1930年7月31日 - 1994年3月27日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家、脚本家、演出家、映画監督。 岡山県出身。実家は岡山市内の古書店。鎌倉アカデミア中退。 若い頃には安部公房に師事。新日本文学会に入会して小説家としてデビューする。1974年には金子正次らとともに、劇団東京ザットマンを旗揚げするなど、アングラ演劇の活動も盛んに行っていた。 1930年(昭和5年)、岡山市に生まれる。生家は老舗の古書店。1945年、中学三年生のとき、高射砲の弾を作る工場に動員される。岡山大空襲で家を失い、愛媛県などに疎開。15歳の夏に終戦。戦後は、高校に通いながら、詩作と小説執筆に熱中。
堤 玲子(つつみ れいこ、1930年3月29日 - )は、日… 堤 玲子(つつみ れいこ、1930年3月29日 - )は、日本の作家・詩人。本名・浅野孝子、のち渋谷姓。 岡山市の貧家に生まれる。1946年就実高等女学校(現・就実中学校・高等学校)卒。終戦直後には岡山駅前で体を売った。自動車組合に就職後、『近代詩人』同人となる。1951年庭瀬駅売店店員となる。1954年結婚。1957年タムタム芸術集団(のち「総合芸術」)同人となり編集長・北田玲一郎のもとで詩を書く。1965年「石原慎太郎論」を書き話題となる。1967年、貧困と性にまみれた自伝的小説『わが闘争』を刊行、ベストセラーになり、佐久間良子主演・中村登監督で松竹で映画化もされ、岡山でロケも行われた。
飯島 耕一(いいじま こういち、1930年2月25日 - 2… 飯島 耕一(いいじま こういち、1930年2月25日 - 2013年10月14日)は、日本の詩人、小説家、翻訳家。日本芸術院会員、元明治大学法学部教授。長男は建築評論家の飯島洋一。 岡山市生まれ。旧制第六高等学校時代、シュペルヴィエルに傾倒。1946年、初めて買った詩集は村上菊一郎訳の『惡の華』だった。翌1947年12月に初めて日本の詩人の書いた詩集、朔太郎の『青猫』を買った。1948年10月、創元選書の大岡昇平編『中原中也詩集』を買ったが、ここにはソネットや、四行四連の「定型詩」が多かった。 1949年に東京大学文学部仏文学科入学、1952年同大学を卒業。在学中、栗田勇らと『カイエ』を創刊する一方、1950 - 51年と鈴木信太郎の講義に出て、ヴィヨンの『大遺言詩』、マラルメのソネット、ヴァレリーの『若きパルク』の演習を受ける。
小谷 眞三(こだに しんぞう、1930年 - )は、日本のガ… 小谷 眞三(こだに しんぞう、1930年 - )は、日本のガラス工芸作家。 岡山県後月郡芳井町(現井原市)に生まれる。1964年、水島ガラス創業、1966年、倉敷ガラスと改名。 1982年、倉敷文化奨励賞受賞。1985年、岡山県文化奨励賞受賞。1993年、文化庁地域文化功労賞受賞。1996年、倉敷芸術科学大学芸術学部教授(2004年、退任)。2000年、倉敷文化賞受賞。2007年、岡山県文化賞受賞。2014年、倉敷民藝館にて、 「特別企画-倉敷ガラス50周年記念展-」(会期:6月6日(金) - 11月30日(日))が開催される。 門下に、横山秀樹、小谷栄次(小谷の長男)、石川昌浩などがいる この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
時実 新子(ときざね しんこ、本名:大野 恵美子(おおの え… 時実 新子(ときざね しんこ、本名:大野 恵美子(おおの えみこ)、1929年1月23日 - 2007年3月10日)は、日本の川柳作家、随筆家。現代川柳の一時代を築いた人物として知られる。岡山県上道郡九蟠村(現・岡山市東区西大寺)出身。 1941年、岡山県立岡山西大寺高等女学校(現・岡山県立西大寺高等学校)入学。学徒動員や空襲を経て、1946年兵庫県姫路市の文具商と結婚。傷痍軍人であった夫の暴力に苦しむ中で、新聞の投稿欄で川柳に出会う。もともとは学生時代から短歌を詠んでいたが[要出典]、1954年神戸新聞の川柳壇に初めて投句して入選する。1956年「ふあうすと」に参加するも、翌年同会を退会して『川柳研究』幹事となる。
吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ、1924年(大正13年… 吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ、1924年(大正13年)4月13日 - 1994年(平成6年)7月26日)は、日本の小説家。代表作に『驟雨』『砂の上の植物群』など。対談やエッセイの名手としても知られた。
斎藤 真一(さいとう しんいち、1922年7月6日 - 19… 斎藤 真一(さいとう しんいち、1922年7月6日 - 1994年9月18日)は、岡山県倉敷市出身の洋画家、作家。映画「吉原炎上」の原作者としても知られる。 斎藤真一は1922年(大正11年)、岡山県児島郡味野町(現・倉敷市児島味野)に父・斎藤藤太郎(都山流尺八大師範)、母・益の長男として生まれる。1935年(昭和10年)に岡山県立天城中学校に入学すると、味野から峠を越えて天城中学まで3里半の道のりを5年間、自転車で通学する。2年生で陸上部に入部、秋から県大会に出場し始めるとしばしば入賞し、3年生で県下の駅伝大会にアンカーとして出場し優勝、天城中学の名を高める。その実績を買われて4年次にマラソンに誘われるが、好きな絵を優先させて断念する。
柴田 錬三郎(しばた れんざぶろう、1917年〈大正6年〉3… 柴田 錬三郎(しばた れんざぶろう、1917年〈大正6年〉3月26日 - 1978年〈昭和53年〉6月30日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、中国文学者。本名齋藤錬三郎(さいとう れんざぶろう)。代表作に『眠狂四郎』シリーズ、『赤い影法師』『御家人斬九郎』『三国志 英雄ここにあり』などがあり、剣客ブームを巻き起こし、時代小説に新風を送った。「シバレン(柴錬)」の通称でも呼ばれた。 岡山県邑久郡鶴山村(現・備前市)の地主・柴田知太の三男として生まれる。父は日本画家でもあった。3歳で父を亡くしたが、遺された漢籍に親しみ、唐宋詩人の詩を愛吟して育った。 鶴山尋常小学校を卒業後、1929年に旧制岡山県第二岡山中学校に進学。
宮内 寒弥(みやうち かんや、1912年2月29日(戸籍上は… 宮内 寒弥(みやうち かんや、1912年2月29日(戸籍上は28日) - 1983年3月5日)は、日本の小説家、翻訳家。本名は池上 子郎。 岡山県岡山市生まれ。 宮内の父は元逗子開成中学校社会科教師の石塚巳三郎(1881年生)。巳三郎は1910年に七里ヶ浜で起きた逗子開成生徒のボート遭難事件で世間から猛批判を受けて逗子開成を辞し、四国八十八箇所巡礼の旅に出た。岡山で教員となり、その地で池上家へ婿養子に入り世間から身を隠すように苗字を変え、池上巳三郎となり、生まれた子が池上子郎、すなわち宮内寒弥である。 1923年に一家で南樺太に移住。1932年早稲田大学に入学し、同人雑誌『早稲田文科』などに作品を発表する。
棟田 博(むねた ひろし、1909年〈明治41年〉11月5日… 棟田 博(むねた ひろし、1909年〈明治41年〉11月5日 - 1988年〈昭和63年〉4月30日)は、日本の作家。自己の戦争体験を元に手記・随筆・小説を描いた「兵隊作家」のひとり。 1909年(明治41年)11月、岡山県英田郡倉敷村(現在の美作市林野)の伊藤家に生まれる。後に岡山県津山市の棟田家の養子となる。家は料亭を営み、常に芸妓の姿や三味線の音が絶えなかったという。旧制岡山県立津山中学校を経て、早稲田大学文学部国文科を中退する。地元に帰り、短歌同人に参加するなど、文学青年の道を歩む。 1928年(昭和3年)に徴兵検査甲種合格、1929年(昭和4年)1月、岡山歩兵第10連隊に現役兵として入営する。
宮脇 紀雄(みやわき としお、1907年2月15日 - 19… 宮脇 紀雄(みやわき としお、1907年2月15日 - 1986年11月18日)は、日本の児童文学作家。 岡山県川上郡成羽町(現・高梁市)出身。 農業、岡山市で書店勤めや書店経営をしたが、1935年上京して坪田譲治に師事。土師清二の知遇を得て童話を書き始める。1969年「山のおんごく物語」で野間児童文芸賞、1976年「ねこの名はヘイ」で日本児童文芸家協会賞、1977年「おきんの花かんざし」、1980年「かきの木いっぽんみが三つ」で産経児童出版文化賞を受賞。海外児童文学、日本の古典などの再話を数多く行った。 生態学者の宮脇昭は弟。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
南条 三郎(南條 三郎、なんじょう さぶろう、1906年11… 南条 三郎(南條 三郎、なんじょう さぶろう、1906年11月12日 - 1957年5月22日)は、日本の小説家、歴史作家。 岡山市生まれ。本名・安井徳雄。1931年早稲田大学文学部英文科卒業。毎日新聞社「小学生新聞」編集記者、高校教師などの職につく。1939年長編『断雲』で『サンデー毎日』の千葉亀雄賞に当選、サンデー毎日大衆文藝賞に1937年、1938年、1946年の3回当選。戦後は地方新聞に歴史小説を連載した。代表作『小説本阿弥一門』は『東京日日新聞』に1957年から1958年まで連載された。 小説家の南原幹雄は息子である。
吉行 エイスケ(よしゆき えいすけ、本名:栄助、1906年(… 吉行 エイスケ(よしゆき えいすけ、本名:栄助、1906年(明治39年)5月10日 - 1940年(昭和15年)7月8日)は、日本のダダイスト詩人、小説家。 アナキズムに傾倒し、旧制第一岡山中学校(現・県立岡山朝日高校)を4年時に退学し詩作に励む。その翌年当時まだ学生の吉行あぐり(旧姓、松本)と結婚し、長男の吉行淳之介が生まれるが暮らし向きは良くなかった。 上京後、詩人の辻潤、清沢清志、高橋新吉らと交友を通し、『ダダイスム』を発行、1926年『虚無思想』を新居格らと主宰し新興芸術派の旗手と目されるが、1933年には断筆した。1940年に狭心症のため34歳で急死した。前日まで元気であったが突然の事であったという。
阿部 知二(あべ ともじ、1903年〈明治36年〉6月26日… 阿部 知二(あべ ともじ、1903年〈明治36年〉6月26日 - 1973年〈昭和48年〉4月23日)は、日本の小説家・英文学者・翻訳家。 1903年(明治36年)6月26日、岡山県勝田郡湯郷村大字中山(現・美作市中山)にて阿部良平、もりよ夫婦の次男として生まれる。中学教師であった父の赴任により、生後2ヶ月で島根県大社町に移り、さらに9歳のとき姫路市坊主町(ぼうずまち)に移る。父が教鞭を執っていた旧制姫路中学(現・姫路西高校)を5年制のところを4年で修了し、旧制第八高等学校(現・名古屋大学)文科甲類(英文学科)、東京帝国大学(現・東京大学)英文学科を卒業。兄・公平の影響で文学に近づき、短歌を学んで島木赤彦に接し、またトルストイやチェーホフを愛読する。
橋本 五郎(はしもと ごろう、1903年5月1日 - 194… 橋本 五郎(はしもと ごろう、1903年5月1日 - 1948年5月29日)は日本の探偵小説家。代表作に「疑問の三」など。荒木 十三郎(あらき じゅうざぶろう)、女銭 外二(めぜに そとじ)などの名義でも小説を発表した。本名は荒木稔。 岡山県牛窓町(現・瀬戸内市)出身。 1926年(大正15年)、『新青年』の懸賞小説に、橋本五郎名義で「レテーロ・エン・ラ・カーヴォ」が、荒木十三郎名義で「赤鱏のはらわた」が入選。これが森下雨村に評価され、博文館に入社する。『朝日』『新青年』『文芸倶楽部』などの編集を務めるかたわらで小説を発表していたが、1932年(昭和7年)、父親が死去したため博文館を退社して帰郷。
里村 欣三(さとむら きんぞう、1902年3月13日 - 1… 里村 欣三(さとむら きんぞう、1902年3月13日 - 1945年2月23日)は、日本の小説家。 岡山県和気郡福河村(現在の備前市)生まれ。本名: 前川 二享(にきょう)。谷周平(昌武)ら新選組の谷三兄弟は母方の家系である。関西中学校中退。1922年、徴兵検査で甲種合格、岡山の歩兵第10連隊に入営したが脱走、水死を装って逃亡し、満洲を放浪する。 のち上京し『文藝戦線』に投稿、1924年に深川貧民窟のルポルタージュ『富川町から』を発表して注目される。1925年に中国での体験をもとにした小説「苦力頭の肖像」を発表し、プロレタリア文学の新進作家として認められる。この時代は、脱走兵であることを知られぬために、写真の公表を拒んでいた。
武野 藤介(たけの とうすけ、1899年4月3日 - 196… 武野 藤介(たけの とうすけ、1899年4月3日 - 1966年7月25日)は、日本の小説家。本名は武野真寿太。 岡山市生まれ。岡山中学校在学中、回覧雑誌などを作り文学に没頭。二度落第し、中学卒業に7年かかる。1919年上京、編入試験を受けて早稲田大学予科入学、ロシア文学科に進んだが、1923年中退。新聞記者、雑誌記者となり、文壇ゴシップやコントが評判となる。 戦時下は時局的な小説を書いたが、戦後1950年頃から『あまとりあ』などカストリ雑誌の常連となり、以後艶笑小説を専らとする。小説に「嘘」「ぬれつばめ」、ゴシップをもとにした「文壇余白」「武野藤介風流文学自選集」などがある。